心屋仁之助氏の本で「結婚できた」と激推し! 紺野ぶるまに見る、スピリチュアル好きの思考回路

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「人生のどん底にいて……」紺野ぶるま
『今夜くらべてみました』(日本テレビ系、8月19日)

 例えば、占いやスピリチュアルといった「目に見えないもの、科学で証明されないもの」は、一緒くたにされがちではないだろうか。まったく興味がない人にとって、占いやスピリチュアルは「同じようなもの」かもしれない。しかし、占いを信じる人、スピリチュアルが好きな人は似て異なるのかもしれない。8月19日放送の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)に出演した芸人・紺野ぶるまを見て、そんなことを思った。

 「本棚が独特な女」の一人として、出演した紺野。「この本がなければ、結婚していない」として、心理カウンセラー・心屋仁之助氏の『ゲスな女が、愛される -あっという間に思い通りの恋愛ができる!』(廣済堂出版)を挙げた。内容を紹介するため、紺野は「気になっている人がいる炎天下でのバーべキュー、どんな行動を取る女性がモテると思いますか?」と共演者に質問する。女優・浜辺美波は「サラダを取り分ける」、番組アシスタントの指原莉乃は「人とかぶらない差し入れを持っていく」といった具合に、二人とも「気が利く」行動を取るとモテるのではないかと言っていたが、同書によると、モテるのは「パラソルの下、サングラスをかけて何もしない女」だという。なぜそんな女がモテるのかというと、「女が男に肉を焼いてあげるから、男が焼かなくなる」
のだそうで、冷房の効いた車の中で休んでいるようなゲスな女に、男性はせかせかと肉を焼いて運んでしまうとのことで、それが同書における「モテ」だと力説した。

 指原はこれに「それって、すっごい美人じゃないと成立しなくない?」と発言し、紺野は「それを言ったら、元も子もない」と返したが、同じことを思った視聴者も多かったのではないだろうか。しかし、万人にあてはまる本は存在しないので、心屋説でうまくいく人もいれば、そうでもない人もいて、紺野は前者のうまくハマったタイプなのだろう。

 紺野は「何かしないと愛されないと思っているから、何かしないと愛されない」と思い込みの危険さを説く。加えて、「何もしなくても愛されると信じたら、何もしなくても愛されるという事実だけが集まってくる」と、スピリチュアルの代表格「引き寄せの法則」を思わせるような発言もしている。

 実際、紺野はスピリチュアルも好きで、影響を受けたものに、日本のスピリチュアル界の首領、江原啓之の著作を挙げている。紺野は高校を中退しているが、その時が「人生のどん底にいて、現実に起こることを真正面から受け止めると、落ち込んでしまう。物事を多角的に見るといいよ、というのを学んだ」と話していた。

 人生で一番つらい時期をスピリチュアルが救ってくれたというのは、「いい話」なのかもしれない。しかし、紺野の話をよく聞いてみると疑問がわかないでもない。

 紺野は、校則の厳しい私立高校に通っていたが、当時の紺野は金髪のガングロギャルで、こうした格好は校則違反に当たったという。また「あと一回問題を起こしたら退学」と宣告されていたが、紺野は遅刻をしてしまう。おでんを食べながら登校していた紺野を校門の前でまちかまえていた校長先生は、「社会のくず、くさったみかん」とののしった。カチンと来た紺野は、おでんの汁で校長先生の周りを囲み、「黒魔術かけたから、ここから出るなよ」と言い放って、教室に向かったという。すると、翌日に親が呼び出されて、退学になったそうだ。

 紺野自身が中退を「人生のどん底」と言っているのだから、本人にとってはつらい経験だったのだと思う。しかし、中退の経緯を聞いてみると、病気や金銭的な問題というような不可抗力ではなく、本人の素行不良である。高校は義務教育ではないし、ましてや私立高校の場合、校則を守らなければ退学させられる要因になることは周知の事実だろう。学校側も突然退学を言い渡したわけではなく、「あと一回問題を起こしたら退学」とあらかじめ警告もしている。家庭の問題など、ここで明かされていないエピソードもあるのかもしれないが、放送回を見る限りでは、他人から同情されるエピソードだとは思えなかった。

 占いが好きな人は「未来を恐れる人」だと言えるかもしれない、と前回の本連載で書いた。将来いいことが起きるかもしれないと期待して、もしくは今はいいけれど、この先に悪いことが起きるかもと不安になり、つい占い師のもとへ足を運んでしまうのではないかと思うのだが、スピリチュアル好きが恐れているのは、「お前が悪い」と言われることではないか。

 江原氏の著作を読んだり、『オーラの泉』(テレビ朝日系)を見ていると、「全ては必然」「魂の学び」という言葉が頻発し、「お前が悪い」とは言われない。病気や事件・事故、天災に巻き込まれるなど、この世の苦しみには理不尽なものが多いので、「この世の出来事は、お前が悪いのではなく、起こるべくして起こる」「魂を成長させるために、痛みを経験している」というスピリチュアリストの言葉に救われる人は多いだろう。が、実際には明らかに自分に非があるのに「おまえが悪い」と言われることを恐れて、見ないふりをする、“逃げ”のスピリチュル愛好家も数多くいるのではないだろうか。

 紺野は居酒屋で「一目ぼれしたんで、結婚してください」と声をかけてきた男性と交際、結婚したと明かしていたが、「結婚できる本」として、ジェーン・スー氏の『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)を挙げていた。同書はスピリチュアル本ではないが、「これを読んでいなかったら、結婚してない」と心屋の本と並べて推す紺野を見ていると、スピリチュアルにハマッる愛好家のように見えてしまう。しかし、紺野がいくら同書を効果的だと言っても、ブライダル業界に「男性が女性に一目ぼれした場合、結婚率は高く、離婚率が低い」という統計があるのをご存じだろうか。紺野の結婚は、この統計に基づく法則にあてはまるわけだ。もちろん読書も効果があったと思うが、成功(や失敗)の原因は一つではなく、いくつもの要因が重なってなされるのではないだろうか。どうか、スピリチュアルなど“何か一つ”に頼りすぎることなく、紺野には今後も芸能活動に励んでいただきたい。

『有吉反省会』本仮屋リイナのエピソードに、占いが好きな人ほど「実は占い師を信じていない」説が浮上したワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「なんでもかんでも占いで決めないと気が済まないことを反省しにまいりました」本仮屋リイナ
『有吉反省会』(日本テレビ系、8月8日)

 占いを信じすぎてしまう、という人は、2種類いるのではないだろうかと思っていた。

 まず一つめは、いいことを言われたい人。占い師に「〇年後にいいことがある」と言われることで、将来に希望が持て、前向きになれる。だから、占い師のもとに何度も足を運ぶ。当然、それ相応のカネを占い師に貢ぐことになるが、明日の活力がカネで買えるというのなら、「アリ」なのかもしれない。

 二つめは、不安感の強い人。占い師に「〇年後に悪いことがある」と言われると、今がどんなに充実していても不安でたまらなくなり、それを避けるために占い師のもとに日参してしまう。

 不安というのは財布の紐をゆるませる力があるそうだ。広告業界に「恐怖マーケティング」という言葉があるのをご存じだろうか。例えば洗剤などのCMで「目に見えない雑菌がこんなにいる」といった感じに、菌がうごめく映像を見たことがある人は多いと思うが、こうやって不安を煽ることで、消費を促すことを「恐怖マーケティング」と言う。YouTubeで流れる広告動画で、「太ったら、彼氏に浮気された」「ムダ毛のせいで、彼氏にフラれた」というように、「努力を怠ると、悪いことが起きる」とでも言いたげな内容のものをよく目にするが、これも一種の「恐怖マーケティング」と言えるのではないだろうか。何を信じようと個人の自由ではあるものの、不安に取り憑かれると、際限なく占い師に貢ぎかねないので、ある程度注意が必要と言える。

 このように、「いいことを言われたい」もしくは「不安感が強い」というタイプの人が、占いにハマり、多額のカネを使っているのだと私は思ってきた。しかし、8月8日放送の『有吉反省会』(日本テレビ系)に、フリーアナウンサー・本仮屋リイナが、「なんでもかんでも占いで決めないと気が済まないことを反省」するために出演した回を見て、考えを新たにした。占いにはまる人には、もう一つ特徴があるのではないだろうか。

 同番組司会の有吉弘行は「占いが一番嫌いです、この世の中で」というくらいの占い嫌い。それに対し、本仮屋は「生活の全て」を占いで決めているという。例えば、お昼ご飯に餃子を食べていいのか、前髪を切っていいのか、お高いパジャマを買っていいのかを、占い用オラクルカードに尋ねる。これらの質問に“正答”はないので好きにすればいいが、結婚のように、ある程度の覚悟や決断を必要とする事柄も、占い師を頼ってきたという。

 本仮屋はかつて名古屋の占い師の元を訪れ、「今すぐ結婚したいんですけど、(今の)彼は運命の相手ですか?」と尋ねたところ、占い師に「運命の相手で、結婚はできるけど、今じゃないと思う」と言われてしまった。「今すぐ結婚したい」本仮屋は納得がいかず、京都に「当たる」と評判の占い師がいるのを聞きつけて、そこに出向いたところ、「この人は運命の相手じゃないから、あなたにぴったりの人がいるから紹介します。一流会社の〇〇さんです」と実在する人を紹介され、「インチキだと思い、無視しました」と話していた。

◎占い好きな人は「自分が正しい」と信じて疑わない?

 占い好きの人には「あるある」なのかもしれないが、ここに三つめの“占いが好きな人の特徴”が含まれているのではないだろうか。

 本仮屋は「なんでもかんでも占いで決めないと気が済まない」と言っているが、名古屋の占い師の「運命の相手だ」という言葉を無視し、“浮気”をして京都の占い師のところに出かけている。また、京都の占い師の言うことは確かにうさん臭いが、だからといって、占いそのものに対する信頼度が下がったわけでもなさそうだ。これらのエピソードから考えると、本仮屋をはじめとして占いが好きな人は、案外占い師を信じていない(だから、違う占い師のところに行く)し、占い師の話自体も、特に真面目に聞いていないと言えるだろう。

 このエピソードを聞いた有吉は、「自分がほしい答えを待つのね」と言っていたが、まさにその通りで、占い好きの人は「自分の言ってほしいことを、何も言わないのに相手が言ってくれること」を望んでいるのではないだろうか。だとすると、割と独善的で人の話に耳を傾けないか、「自分が正しい」という思いが強いタイプに感じられる。

 本仮屋は占いのほかに、「病気やケガも薬に頼らないで治したい」という思いから、「子どもが鼻づまりの時は母乳をさす」という話をしていた。「本仮屋リイナさんの見解です。療法は医師の指示に従ってください」とテロップが出ていたが、テレビという誰が見るかわからない媒体で、健康被害が起きるリスクも考えずに発言してしまうのも、本仮屋が「自分は正しい」と信じて疑わないタイプであることを示しているように感じられる。

 ちなみに、私の周囲の占い好きに、不幸な人はいないが、すごく幸せそうでもない。なぜなら、本当の不幸がやってくると、占いにハマっている暇はないし、幸せならそもそも占いは必要ないからだろう。まあまあ幸福で、ほどほど不満。占いにハマっている本仮屋も、おおむね幸福なのではないか。人の話をあまり聞かないタイプなので、占い師のいいなりになるようなことはなさそうだが、カネを使いすぎて家族に愛想を尽かされないように注意したほうがいいのかもしれない。

『有吉反省会』本仮屋リイナのエピソードに、占いが好きな人ほど「実は占い師を信じていない」説が浮上したワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「なんでもかんでも占いで決めないと気が済まないことを反省しにまいりました」本仮屋リイナ
『有吉反省会』(日本テレビ系、8月8日)

 占いを信じすぎてしまう、という人は、2種類いるのではないだろうかと思っていた。

 まず一つめは、いいことを言われたい人。占い師に「〇年後にいいことがある」と言われることで、将来に希望が持て、前向きになれる。だから、占い師のもとに何度も足を運ぶ。当然、それ相応のカネを占い師に貢ぐことになるが、明日の活力がカネで買えるというのなら、「アリ」なのかもしれない。

 二つめは、不安感の強い人。占い師に「〇年後に悪いことがある」と言われると、今がどんなに充実していても不安でたまらなくなり、それを避けるために占い師のもとに日参してしまう。

 不安というのは財布の紐をゆるませる力があるそうだ。広告業界に「恐怖マーケティング」という言葉があるのをご存じだろうか。例えば洗剤などのCMで「目に見えない雑菌がこんなにいる」といった感じに、菌がうごめく映像を見たことがある人は多いと思うが、こうやって不安を煽ることで、消費を促すことを「恐怖マーケティング」と言う。YouTubeで流れる広告動画で、「太ったら、彼氏に浮気された」「ムダ毛のせいで、彼氏にフラれた」というように、「努力を怠ると、悪いことが起きる」とでも言いたげな内容のものをよく目にするが、これも一種の「恐怖マーケティング」と言えるのではないだろうか。何を信じようと個人の自由ではあるものの、不安に取り憑かれると、際限なく占い師に貢ぎかねないので、ある程度注意が必要と言える。

 このように、「いいことを言われたい」もしくは「不安感が強い」というタイプの人が、占いにハマり、多額のカネを使っているのだと私は思ってきた。しかし、8月8日放送の『有吉反省会』(日本テレビ系)に、フリーアナウンサー・本仮屋リイナが、「なんでもかんでも占いで決めないと気が済まないことを反省」するために出演した回を見て、考えを新たにした。占いにはまる人には、もう一つ特徴があるのではないだろうか。

 同番組司会の有吉弘行は「占いが一番嫌いです、この世の中で」というくらいの占い嫌い。それに対し、本仮屋は「生活の全て」を占いで決めているという。例えば、お昼ご飯に餃子を食べていいのか、前髪を切っていいのか、お高いパジャマを買っていいのかを、占い用オラクルカードに尋ねる。これらの質問に“正答”はないので好きにすればいいが、結婚のように、ある程度の覚悟や決断を必要とする事柄も、占い師を頼ってきたという。

 本仮屋はかつて名古屋の占い師の元を訪れ、「今すぐ結婚したいんですけど、(今の)彼は運命の相手ですか?」と尋ねたところ、占い師に「運命の相手で、結婚はできるけど、今じゃないと思う」と言われてしまった。「今すぐ結婚したい」本仮屋は納得がいかず、京都に「当たる」と評判の占い師がいるのを聞きつけて、そこに出向いたところ、「この人は運命の相手じゃないから、あなたにぴったりの人がいるから紹介します。一流会社の〇〇さんです」と実在する人を紹介され、「インチキだと思い、無視しました」と話していた。

◎占い好きな人は「自分が正しい」と信じて疑わない?

 占い好きの人には「あるある」なのかもしれないが、ここに三つめの“占いが好きな人の特徴”が含まれているのではないだろうか。

 本仮屋は「なんでもかんでも占いで決めないと気が済まない」と言っているが、名古屋の占い師の「運命の相手だ」という言葉を無視し、“浮気”をして京都の占い師のところに出かけている。また、京都の占い師の言うことは確かにうさん臭いが、だからといって、占いそのものに対する信頼度が下がったわけでもなさそうだ。これらのエピソードから考えると、本仮屋をはじめとして占いが好きな人は、案外占い師を信じていない(だから、違う占い師のところに行く)し、占い師の話自体も、特に真面目に聞いていないと言えるだろう。

 このエピソードを聞いた有吉は、「自分がほしい答えを待つのね」と言っていたが、まさにその通りで、占い好きの人は「自分の言ってほしいことを、何も言わないのに相手が言ってくれること」を望んでいるのではないだろうか。だとすると、割と独善的で人の話に耳を傾けないか、「自分が正しい」という思いが強いタイプに感じられる。

 本仮屋は占いのほかに、「病気やケガも薬に頼らないで治したい」という思いから、「子どもが鼻づまりの時は母乳をさす」という話をしていた。「本仮屋リイナさんの見解です。療法は医師の指示に従ってください」とテロップが出ていたが、テレビという誰が見るかわからない媒体で、健康被害が起きるリスクも考えずに発言してしまうのも、本仮屋が「自分は正しい」と信じて疑わないタイプであることを示しているように感じられる。

 ちなみに、私の周囲の占い好きに、不幸な人はいないが、すごく幸せそうでもない。なぜなら、本当の不幸がやってくると、占いにハマっている暇はないし、幸せならそもそも占いは必要ないからだろう。まあまあ幸福で、ほどほど不満。占いにハマっている本仮屋も、おおむね幸福なのではないか。人の話をあまり聞かないタイプなので、占い師のいいなりになるようなことはなさそうだが、カネを使いすぎて家族に愛想を尽かされないように注意したほうがいいのかもしれない。

藤田ニコルの母、ギャラ交渉でオスカーと対立報道……芸能人生命を脅かす「危険な身内」に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「ギャラとか契約とかをもっとイイ感じにしていこう、と」藤田ニコル
「週刊新潮」2020年8月13・20日号(新潮社)

 番組名は失念したが、昔、松田聖子など名だたるアイドルを輩出してきた芸能事務所・サンミュージックの創始者、相澤秀禎氏の出ている番組を見たことがある。印象的だったのが、相澤氏が「女性アイドルを一人にしない」と言っていたことだった。アイドルは見た目の華やかさと違ってストレスフルな商売のため、一人にすると精神的に追い込まれてしまうこともある。なので、デビュー直後は社長の家で下宿、「一人暮らしをしたい」とアイドルが言いだしたときは、最初はお母さんやお姉さんなど身内を招いて一緒に暮らしてもらい(その分、広い家が必要だが、その経費は事務所が負担すると言っていた)、一人暮らしはその後というふうに、段階を踏むと話していた。

 女性アイドルのメンタル面に重きを置いているあたりがさすがだが、この考え方には盲点がある。そばに置いて良い影響があるのは、「まともな身内」という条件つきではないだろうか。

 例えば、同事務所には清純派アイドルとして名高い桜田淳子が所属していた。桜田は実姉と暮らしていたが、姉は統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者で、影響を受けた桜田も入信し、1992年には同教会の合同結婚式に参加することを発表した。日本国憲法は信教の自由を保障しているので、どんな宗教を信仰しようと自由である。しかし、統一教会の霊感商法(先祖のたたりや因縁を理由に、高額な商品を買わせること)は社会問題化していた。イメージ商売の芸能人が、そんな宗教を信仰し、そこの広告塔を務めることはよろしくないだろう。実際、桜田は信仰を明らかにした後、事実上引退に追い込まれている。

 桜田はアイドルとして一世を風靡したが、喜劇もこなせる女優として評価は高かった。「たられば」を言っても仕方がないものの、芸能活動を続けたいのであれば、お姉さんと住まないほうがよかったのではないか。こう考えると、誰をそばに置くかというのは、芸能人生命にかかわることなのかもしれない。

 今、最も危険な芸能人の“身内”と言えば、どうしてもギャルタレントの母親たちが頭に浮かんでしまう。

 2020年8月13・20日号「週刊新潮」(新潮社)によると、タレント・藤田ニコルの母親が弁護士を立てて、ニコルの所属事務所「オスカープロモーション」に“ギャラの取り分”をめぐる交渉を行っており、認められなければ独立も辞さない態度だと報じた。今年2月の「新潮」でも、ギャラをめぐり、母と事務所が対立、マネジャー的な役割を果たしていた母親が現場から姿を消したという内容の記事が掲載されたが、両者の対立は溝が深そうだ。

 ニコルは「新潮」の取材に対し、「そんなに大げさな話じゃないんですよ。確かに、お母さんと会社が何度か話し合いをしているのは本当ですけど。でも、揉めてるってわけじゃなくて、ギャラとか契約とかをもっとイイ感じにしていこう、と……」と答えている。

 芸能人の賃金体系は一般人である私には想像もつかないが、ギャラの交渉をするのは当然の権利だろう。しかし、ニコル母のが、私には銭ゲバに感じられて仕方ないのは、過去に『情熱大陸』(TBS系)で見た彼女の振る舞いが記憶に残っているからだ。

 同番組の中で、ニコルが母親を含めた家族の家賃を払ってあげているというエピソードが明かされたが、当の母親は「ありがとう」を言っていなかった。周囲に「どうしたら、そんな(に親孝行な)子が育つの?」と言われても、「知らないよ、そんなこと」と返すそうだ。母親の照れ隠しかもしれないが、年端もいかない娘が一生懸命働いたカネを自分が使うのに、「ありがとう」を言わないというのは、心のどこかで「娘の稼いだカネは自分にも権利がある」と思っているからではないだろうか。

 同じくギャルタレントのみちょぱの母も、結構危険なのではないかと私は見ている。売れっ子であるみちょぱは、『うちのガヤがすみません!』(日本テレビ系)で、母親に車をプレゼントしたことを明かしていた。「誕生日とかイベントは大切にしています。ママも自分が稼いでいることを知っているので、年を取っていくごとにどんどんねだるものが高くなってきた」と告白。このほかにも、『人生イロイロ超会議』(TBS系)で、みちょぱが一人暮らしを始めたら、母親が隣の部屋に住みだしたと話していた。母は娘がかわいくて仕方がないという意味で「いい話」なのかもしれないが、「娘を見張っている」とも言えるのではないだろうか。『しゃべくり007』(日本テレビ系)では、お母さんはみちょぱの付き人のような仕事をして、金銭管理も行っていると明かしていた。いやらしい言い方をすると、娘に食わせてもらった上に、娘の稼いだカネを自由にできるのである。「お母さんだから、任せて安心」と思うかもしれないが、身内だからこそ遠慮がなくて、こじれることもあるので注意する必要はあるだろう。

 「身内に任せること」が間違っている、と言いたいわけではない。聖子は所属事務所の社長など、経営を実父、実母、実兄と身内で固めていることで知られているが、金銭トラブルは聞いたことがない。単にラッキーだったのかもしれないが、聖子の父親が元公務員であるように「もともと違う仕事をきちんとしていて、特にカネに困っていない」ということも、プラスに働いていたのではないか。経済的に困窮していて、一発当てたい願望があると、どうしても芸能人の娘をあてにしまうと思うのだ。

 ニコルらギャルタレントは、おバカキャラをウリにする一方で、古い価値観……例えば年功序列とか男尊女卑にも適応力が高い印象がある。親孝行を重んじるのもその一つかもしれないが、どうかホドホドに。お金やタレント生命を大事にしてほしいと願ってやまない。

テレ朝・弘中綾香アナの「あざとさは処世術」論に疑問! “女子アナではない会社員”が信じると「痛い目に遭う」と思うワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」テレビ朝日アナウンサー・弘中綾香
(ウェブサイト「VoCE」7月25日)

 最近テレビで「あざとい」という言葉をよく聞く。「あざとい」の本来の意味は、小狡いとか、やり方があくどいというように、決して褒め言葉ではない。しかし、フリーアナウンサー・田中みな実とテレビ朝日・弘中綾香アナは『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)において、あざとい言動で男性を虜にする女性について話し合いながら、「あざといことは悪いことではない」という“ニュー・あざとい論”を展開している。7月25日に放送した同番組において、田中と弘中アナは、可愛い子ぶった振り付けをふんだんに盛り込んだ“最強にあざといダンス”を披露していた。

 また、弘中アナは7月25日付のウェブサイト「VOCE」のインタビューで、「あざとさって、決してネガティブなことじゃないと思うんです。その場の雰囲気を和らげたり、そこにいる人の気分を良くしてあげられるテクニック」「最もしっくりくる表現は“処世術”かな」「私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」などと答えていた。ということは、弘中アナは周囲のために気を使って、またはうまくこの世を渡っていくために、あざとく振る舞っているのかもしれない。

 売れている芸能人やアナウンサーがメディアで言っていることは「本当のこと」に聞こえるかもしれない。特に局アナは、今や芸能人と同等の存在ながら、イチ会社員としての一面も持つので、弘中アナに親近感を抱き、その処世術を真似しようとする一般の会社員もいるだろうが、果たしてうまくいくのかと思ってしまうのだ。

 芸能人のように「オファーがないと成立しない」「時代の変化に適応しなくてはならない」「勝てば官軍」というハイリスク・ハイリターンの職業の人、また局アナのように芸能人に準ずる職業の人と、基本的に社則に基づいて行動し、対価を得る一般の会社員は“違うルール”で生きており、ゆえに会社員の女性がヘタに彼女たちを真似すると、痛い目に遭うのではないかという気すらしてくる。

■弘中アナがあざとくても嫌われないワケ

 弘中アナが、確固たる信念を持って「あざとさ」を処世術としているならそれでよいけれど、そもそも、彼女が「あざとさ」で評価されているのかというと疑問である。弘中アナと言えば、『激レアさんを連れてきた。』(同)で、顔に似合わぬ毒舌でブレーク。「夢は革命家」と語り、テレ朝の社員でありながら、局の垣根を越えて『オールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)のメインパーソナリティーを務めたこともあるなど、局がどれほど彼女に期待をかけていたかは明らかだ。その期待に応えるように、弘中アナはオリコン主催の「好きな女性アナウンサーランキング」で、テレ朝アナとして初の首位の座を獲得した。今月末から始まるジャニーズJr.の6人組ユニット「美 少年」の初主演ドラマ『真夏の少年~19452020』(同)で、弘中アナは“女優デビュー”することも明らかにされた。

 そんな弘中アナの入社に関しては、面白いエピソードがある。弘中アナを見いだしたのは、『アメトーーク!!』などを手掛けたテレ朝の名物プロデューサー・加地倫三氏だが、入社試験の際、「(弘中アナは)アナウンサースキルはひどかったけれど、フリートークが抜群に面白かった」と光るものを感じて採用したそうだ。

 人事部の期待に沿えない人材も多い中で、弘中アナが「好きな女性アナウンサー」でテレ朝初の1位を獲得したことは、本人の実力はもちろん、「生みの親」である加地氏の慧眼を裏付けることになるから、加地氏にとっても喜ばしいことだろう。「日刊スポーツ」は今年5月、その加地プロデューサーが昇進して役員待遇となったと報じている。つまり弘中アナはテレ朝始まって以来の偉業を成し遂げただけでなく、役員の後ろ盾も持っているわけだから、サラリーマンとしては“無双”なわけだ。

 結果を出す人に優しく、出さない人に冷たいのは世の常だけに、弘中アナは、何をやっても特に社内では好意的に解釈してもらえるだろう。そう考えると、「好感度が高い人が、あざとい」のではなく、「仕事ができる人のすることは好意的に解釈されるので、あざといことをしても嫌われない」というのが真理ではなかろうか。

 しかし、一般の会社員女性が、誰もが納得する目覚ましい結果を出さず(会社員の業績は可視化できないものも多い)、偉い人の“お墨付き”もなく、弘中の行う表面的な「あざとさ」だけを真似しても、好意的に解釈されない可能性は高い。どんなに忠実に「あざとさ」を演じても、好意的に解釈する人ばかりではないだろうから、嫌われても動じないメンタルの強さも必要になるし、「あざとさ」を演じるには、ルックスなどの生まれつきの要素や、年齢も無関係とは言えない。会社員の女性が「テレビでやってるから。女子アナが言ってるから」と信じて、オフィスで「あざとい女」を演じた結果、浮いてしまった日には目も当てられないだろう。

■弘中アナは「あざとさ」よりアナウンサー技術を磨くべき?

 弘中アナに話を戻そう。向かうところ敵なしの弘中アナだが、死角がないわけでもない。『オールナイトニッポン0』では、他人から「オンナのくせに」「アナウンサーなのに」と勝手にくくられることに対して不満を言っていた弘中アナ。だからこそ、まずは「あざとさ」を処世術にするより、アナウンサーとしての足場を固めたらどうだろう。弘中アナは原稿読みが決してうまいとは言えず、声も高くて聞きづらいという評価も多い。このまま、いろいろな仕事に手を出しながら年を重ねたら、アナウンサーとしての実力は、ほかの女性アナウンサーと差がつく一方だろうし、ただの器用貧乏で終わってしまう可能性だってある。

 そもそも本当に「あざとい人」というのは、周囲に「あざとい」と気づかせず、いつのまにか頂点に立っている人のことを指すのではないかと思う。私から見れば、弘中アナは「接客業並みの気づかいをする人」もしくは「頑張り屋さん」である。彼女はそれも「お仕事」という一面があるのかもしれないが、一般の会社員女性はそうではないはずだ。どうか、弘中アナに影響されて、自分の“本分”を見誤らないほしいと思わずにいられない。

テレ朝・弘中綾香アナの「あざとさは処世術」論に疑問! “女子アナではない会社員”が信じると「痛い目に遭う」と思うワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」テレビ朝日アナウンサー・弘中綾香
(ウェブサイト「VoCE」7月25日)

 最近テレビで「あざとい」という言葉をよく聞く。「あざとい」の本来の意味は、小狡いとか、やり方があくどいというように、決して褒め言葉ではない。しかし、フリーアナウンサー・田中みな実とテレビ朝日・弘中綾香アナは『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)において、あざとい言動で男性を虜にする女性について話し合いながら、「あざといことは悪いことではない」という“ニュー・あざとい論”を展開している。7月25日に放送した同番組において、田中と弘中アナは、可愛い子ぶった振り付けをふんだんに盛り込んだ“最強にあざといダンス”を披露していた。

 また、弘中アナは7月25日付のウェブサイト「VOCE」のインタビューで、「あざとさって、決してネガティブなことじゃないと思うんです。その場の雰囲気を和らげたり、そこにいる人の気分を良くしてあげられるテクニック」「最もしっくりくる表現は“処世術”かな」「私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」などと答えていた。ということは、弘中アナは周囲のために気を使って、またはうまくこの世を渡っていくために、あざとく振る舞っているのかもしれない。

 売れている芸能人やアナウンサーがメディアで言っていることは「本当のこと」に聞こえるかもしれない。特に局アナは、今や芸能人と同等の存在ながら、イチ会社員としての一面も持つので、弘中アナに親近感を抱き、その処世術を真似しようとする一般の会社員もいるだろうが、果たしてうまくいくのかと思ってしまうのだ。

 芸能人のように「オファーがないと成立しない」「時代の変化に適応しなくてはならない」「勝てば官軍」というハイリスク・ハイリターンの職業の人、また局アナのように芸能人に準ずる職業の人と、基本的に社則に基づいて行動し、対価を得る一般の会社員は“違うルール”で生きており、ゆえに会社員の女性がヘタに彼女たちを真似すると、痛い目に遭うのではないかという気すらしてくる。

■弘中アナがあざとくても嫌われないワケ

 弘中アナが、確固たる信念を持って「あざとさ」を処世術としているならそれでよいけれど、そもそも、彼女が「あざとさ」で評価されているのかというと疑問である。弘中アナと言えば、『激レアさんを連れてきた。』(同)で、顔に似合わぬ毒舌でブレーク。「夢は革命家」と語り、テレ朝の社員でありながら、局の垣根を越えて『オールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)のメインパーソナリティーを務めたこともあるなど、局がどれほど彼女に期待をかけていたかは明らかだ。その期待に応えるように、弘中アナはオリコン主催の「好きな女性アナウンサーランキング」で、テレ朝アナとして初の首位の座を獲得した。今月末から始まるジャニーズJr.の6人組ユニット「美 少年」の初主演ドラマ『真夏の少年~19452020』(同)で、弘中アナは“女優デビュー”することも明らかにされた。

 そんな弘中アナの入社に関しては、面白いエピソードがある。弘中アナを見いだしたのは、『アメトーーク!!』などを手掛けたテレ朝の名物プロデューサー・加地倫三氏だが、入社試験の際、「(弘中アナは)アナウンサースキルはひどかったけれど、フリートークが抜群に面白かった」と光るものを感じて採用したそうだ。

 人事部の期待に沿えない人材も多い中で、弘中アナが「好きな女性アナウンサー」でテレ朝初の1位を獲得したことは、本人の実力はもちろん、「生みの親」である加地氏の慧眼を裏付けることになるから、加地氏にとっても喜ばしいことだろう。「日刊スポーツ」は今年5月、その加地プロデューサーが昇進して役員待遇となったと報じている。つまり弘中アナはテレ朝始まって以来の偉業を成し遂げただけでなく、役員の後ろ盾も持っているわけだから、サラリーマンとしては“無双”なわけだ。

 結果を出す人に優しく、出さない人に冷たいのは世の常だけに、弘中アナは、何をやっても特に社内では好意的に解釈してもらえるだろう。そう考えると、「好感度が高い人が、あざとい」のではなく、「仕事ができる人のすることは好意的に解釈されるので、あざといことをしても嫌われない」というのが真理ではなかろうか。

 しかし、一般の会社員女性が、誰もが納得する目覚ましい結果を出さず(会社員の業績は可視化できないものも多い)、偉い人の“お墨付き”もなく、弘中の行う表面的な「あざとさ」だけを真似しても、好意的に解釈されない可能性は高い。どんなに忠実に「あざとさ」を演じても、好意的に解釈する人ばかりではないだろうから、嫌われても動じないメンタルの強さも必要になるし、「あざとさ」を演じるには、ルックスなどの生まれつきの要素や、年齢も無関係とは言えない。会社員の女性が「テレビでやってるから。女子アナが言ってるから」と信じて、オフィスで「あざとい女」を演じた結果、浮いてしまった日には目も当てられないだろう。

■弘中アナは「あざとさ」よりアナウンサー技術を磨くべき?

 弘中アナに話を戻そう。向かうところ敵なしの弘中アナだが、死角がないわけでもない。『オールナイトニッポン0』では、他人から「オンナのくせに」「アナウンサーなのに」と勝手にくくられることに対して不満を言っていた弘中アナ。だからこそ、まずは「あざとさ」を処世術にするより、アナウンサーとしての足場を固めたらどうだろう。弘中アナは原稿読みが決してうまいとは言えず、声も高くて聞きづらいという評価も多い。このまま、いろいろな仕事に手を出しながら年を重ねたら、アナウンサーとしての実力は、ほかの女性アナウンサーと差がつく一方だろうし、ただの器用貧乏で終わってしまう可能性だってある。

 そもそも本当に「あざとい人」というのは、周囲に「あざとい」と気づかせず、いつのまにか頂点に立っている人のことを指すのではないかと思う。私から見れば、弘中アナは「接客業並みの気づかいをする人」もしくは「頑張り屋さん」である。彼女はそれも「お仕事」という一面があるのかもしれないが、一般の会社員女性はそうではないはずだ。どうか、弘中アナに影響されて、自分の“本分”を見誤らないほしいと思わずにいられない。

EXIT・兼近大樹、「甘え上手」という天性の才能――私が「吉本のマッチ」と呼びたいワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「オレを可愛がらないのは、おかしいんですよ」EXIT・兼近大樹
『ダウンタウンDX』(日本テレビ系、7月16日)

 「目上の人に失礼な真似をしてはならない」と教えられた人は多いだろう。会社員の場合、自分の査定をつける人の不興を買うような真似をしても、何のトクにもならないからだ。

 しかし、芸能界の場合、「失礼な真似」をしたとしても、それを上回る「甘えの才能」に恵まれているのなら、それはプラスになるのではないだろうか。

 例えば、マッチこと近藤真彦。彼が昭和の芸能界の至宝、美空ひばりさんに狼藉を働いたことがあることをご存じだろうか? マッチは『あさイチ』(NHK)でこんなエピソードを披露していたことがある。15歳のマッチは、NHKの『ばらえてぃテレビファソラシド』に出演していたが、音合わせの際も手を抜かず、本番さながらに歌うひばりさんに対し、「あのおばさん、歌うまいね」と周囲のスタッフに漏らした。単なる日常会話のつもりだったが、その場が静かだったために、マッチの発言はひばりさん本人に聞こえてしまったそうだ。マッチはその後、楽屋まで謝りに行くが、ひばりさんは「率直に15歳の少年が聞いてうまいと言ってくれたことがうれしかった」と語り、その後マッチを可愛がってくれるようになったという。

 デビューしたばかりのアイドルにとって、芸能界を代表する大御所は、たとえ同じ番組に出演したとしても、おいそれと口を利ける存在ではないだろう。しかし、「失礼な真似」をして謝罪することで、距離はおのずと近くなる。許してもらえるかどうかは、大御所の判断にかかっているが、一般的に言うのなら、いいオトナが子ども相手に真剣に罰すると「おとなげない」と言われるので、許すことが多い。

 しかし、ひばりさんがマッチをただ許すだけではなく、可愛がってくれるようになったのはなぜか。2019年7月に所属事務所の社長(当時)であるジャニー喜多川氏が亡くなった時に、彼は「長男でいながら、何度も泣いちゃいました」というコメントを出していた。分別のある長男的存在であるマッチが、人目を気にせずに涙を流すことで、ジャニー氏への強い愛と別れのつらさを表現しているように私には感じられ、マッチって相当な「甘え上手」だと思った。マッチのように、謝罪する側が「甘える才能」に長けている場合、最初の悪印象を覆して「面白い子ね」と可愛がってもらえるのではないだろうか。

 お笑いの世界で、「失礼な真似」と「甘え上手」の二つを使いこなす才能を持っているのが、EXITの兼近大樹だろう。

 まず、「失礼な真似」についての例を挙げると、『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)に出演した兼近は、MCの明石家さんまに「おしゃべりシーフード」というあだ名をつけていた。共演者である今田耕司は「シーフード兄なんてちょっと言えない」、麒麟の川島明は「よく壁ぶち破ったな」と兼近の失礼な言動に驚いて見せたが、さんま側から見れば、後輩が多少失礼でも物怖じせずに絡んでくることで、新鮮な笑いを生み出せるとあって、兼近を許さないわけはないだろう。

 一方、兼近はお笑いの世界に限らず、「甘え上手」ぶりを発揮しているようだ。7月16日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した兼近は、歌手・大黒摩季と同郷であることから親しくなったことを明かしている。相方であるりんたろー。と3人のグループLINEもあるそうだが、りんたろー。いわく「兼近のことが可愛いのかな」と感じられる節もあるそうで、大黒が行きつけのレストランに兼近が訪れると、お店の人に「大黒さんからお会計もらっていますから、好きなものを頼んでください」と言われて、全額ご馳走になったといいうが、一方のりんたろー。は、「自分で会計した」そうだから、やはり兼近は可愛がられるのがうまいのだろう。

 さらに兼近は、「失礼な真似」と「甘え上手」を同時にこなすこともできるようである。同番組で兼近は「正直、オレが一番可愛がってほしい芸人は、浜田(雅功)さん」と甘えるが、「オレを可愛がらないのは、おかしい」と上から目線の失礼な言い方をすることも忘れない(そうでなければ、単なるおべんちゃらになってしまうからだろう)。兼近が、浜田に「自分を可愛がるべき」と主張するのにはワケがあり、誕生日が一緒、浜田の息子と兼近が同い年、浜田と兼近の父親の職業が一緒(ペンキ屋さん)と“運命”を強調したうえで、「こんな共通点あって、よく可愛がらないでいられるな」と、またも失礼な言い方をして浜田を笑わせていた。同番組に出演していた千鳥・ノブによると、「浜田さんは可愛がっている後輩を増やさない」そうだが、もし誰かを新規メンバーとして誘うなら、兼近のように笑いを伴ってアピールしてくる後輩のほうが、誘いやすいのではないだろうか。

 そんな兼近だが、「失礼な真似」「甘え上手」を使いこなす以外にも、芸能人としてプラスに働きそうな一面を持ち合わせている。『あちこちオードリー 〜春日の店いてますよ?〜』(テレビ東京)に出演した際、「テレビ見てたら、イライラするチャラ男コンビになりたかった」兼近が、りんたろー。に声をかけてコンビを結成したと明かしていたが、実際の兼近はチャラ男的要素が少ない。お酒をほとんど飲まず、飲み会があろうとなかろうと家には夜12時には帰ることにしているそうだ。その理由は「体調崩したら、相方とかマネージャーさんとか、いろんな準備した方に迷惑がかかるから」と真面目そのもの。

 また、『ダウンタウンDX』では、売れた今も芸人3人でルームシェアをしていると明かし、地に足のついた生活をしていることを感じさせた。さらに、人気者だけに、女性関係も派手そうな印象を受けるが、同番組でりんたろー。に「こいつ、女性経験が少ない」と言われていた。

 兼近の「実は真面目」という一面と、「目上の人に失礼な真似をしても、甘え上手ゆえに可愛がられる」一面が生むギャップは、人気のポイントになるのでないだろうか。特に「モテたほうが勝ち」という恋愛至上主義にうんざりしている今の若い人にとっては響くように思う。

 兼近の甘える力は完全に才能で、吉本のマッチと呼んでもいい気がする。そんな中、気になるニュースが飛び込んできた。「週刊フラッシュ」(光文社)に、兼近の父親が経営する工務店が、顧客とのリフォーム工事で裁判沙汰になっていると報じられたのだ。

 兼近の父親は、息子がテレビに出ていることや、バックにヤクザがいることをちらつかせていると記事には書かれている。真偽のほどはわからないが、芸能人が家族に足を引っ張られることがよくあるのは事実。そのあたりに気を付けて、才能を思う存分発揮し、芸能活動に邁進していただきたい。

マツコ・デラックス、「ポテサラ事件」へのズレたコメント……「高齢男性と変わらない」と感じたワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「ちょっと話し相手になってあげる」マツコ・デラックス
『5時に夢中!』(TOKYO MX、7月13日)

 Twitter発、「ポテサラ事件」をご存じだろうか。

 スーパーのお惣菜コーナーで、子どもを連れた女性がポテトサラダに手を伸ばしたところ、見ず知らずの高齢男性に「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と話しかけられている様子を目撃したという投稿者。咄嗟に娘を連れ、その女性の目の前で、「大丈夫ですよ」と念じながらポテトサラダを2パック購入したという。この一連の出来事をまとめたツイートは13.3万リツイートされ、「毎日新聞」でも取り上げられるなど、話題を呼んだ。

 7月13日放送『5時に夢中!』(TOKYO MX)でもこの話題を取り上げたが、マツコ・デラックスの発言に引っかかるものがあった。

 知り合いでもない女性に、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と説教してくる高齢男性に対し、マツコは「もちろん、とんでもない話」と断ったうえで、以下のように続けた。「この話を聞いてまず想像しちゃったのが、その高齢の男性がさ、一人暮らしで、あんまり普段人との会話もなく、もともと性格にも難がある」とポテサラじいさんをプロファイルし、「そういうふうに言われた時に『ああ、すいません、今日は忙しいんで、ついつい買っちゃったんですよね』ぐらいの感じで、コミュニケーションじゃないけど、済ましてあげてもいいんじゃないかな。そんなに目くじら立てないで、『ちょっと話し相手になってあげる』ぐらいに」とコメントした。

 同番組の月曜日のコメンテーターは、マツコと株式トレーダー・若林史江の二人だが、1児の母である若林は「母親として」の意見を言う可能性が高い。二人して同じ意見を言っても、番組的には単調になるので、あえてポテサラじいさん側の肩を持つような意見を述べてバランスを取った可能性は、ないとは言えないだろう。

 『5時に夢中!』と言えば、マツコがテレビデビューを果たした記念すべき番組である。駆け出しの頃なら、大声で「じじい、うるせ~ぞ! このやろう」と毒を吐いたかもしれない。しかし、今やマツコは芸能界屈指の売れっ子となり、発言力は増している。そういう影響力のある人が、敬うべき存在であるお年寄りをこてんぱんに悪く言ってしまうとよろしくないと配慮したのかもしれない。

 番組のバランスを取ること、またタレントしての立ち位置を考えれば、賢いコメントだったと思う。しかし、マツコのアドバイス通りにしたところで、見ず知らずの女性に「料理を作れ」と命じるポテサラじいさんがいなくなるとは思えず、むしろ増えるのではないかとすら思う。

 マツコはポテサラじいさんを「高齢の男性、一人暮らしで、普段人との会話もなく、もともと性格にも難がある」存在、つまり孤独なお年寄りだと想像している。さみしさゆえにコミュニケーションに飢えていて、だからこそ、見ず知らずの女性に命令してしまう。ポテサラじいさんは「かわいそうな人」なんだから、こちらが大人になって優しくしてやりなよと言いたいのだろう。

 ポテサラじいさんが実際にどんな人なのかは誰にもわからないが、「家族と暮らし、経済的にも何の不自由もないのに説教をしないと気が済まない人」というのも実在するのではないだろうか。

 私の友人のお父さんがまさにこれで、リタイアした後、テレビを見ては1日に何回もテレビ局に電話をかけて、出演者について質問したり、文句を言う説教じいさんになってしまったという。高齢男性が急に怒りっぽくなったとき、認知症を疑う必要があるそうで、検査もしてみたが特に異常なし。友人はお父さんについて、「現役時代、要職にあった父は多くの部下を持ち、機嫌を取ってもらえていた。しかし、会社員でなくなると誰も寄り付かない。家族もそれほどチヤホヤせず、むしろ『リタイアしたのだから、家事を覚えろ』と自分に命令をしてくる。それが不愉快だから、自分を絶対に邪険にしないテレビ局の視聴者センターのようなところに電話をして、自分の支配欲を満たしているのではないか」と分析していた。

 もし、ポテサラじいさんが、支配欲から見ず知らずの女性に命令をしてしまうとしたら、マツコの言う「すいません、今日は忙しいんで、ついつい買っちゃったんですよね」という対処法は得策でなく、むしろより多くの被害者を生むことになるのではないか。というのも、女性が「私が悪い」と“謝る”ことで、「ポテサラじいさん>女性」という上下関係が生まれ、その支配関係に味を占めたポテサラじいさんが、別の女性をターゲットとして狙う可能性がないとは言い切れないからだ。

 それにしても、今回のマツコは珍しくピントがズレたコメントをしていたように思う。

「料理を作ることの大変さっていうのはさ、もう包丁を持った瞬間から面倒くさいわけじゃない、火を使った途端に暑いわけじゃない」と言っていたが、「でも、それはどのメニューだって同じだと思うのよ」「ポテサラを作りたくないと思ってる人は、全部作りたくないのよ、本当は」「だから、三品あるんだったら、一品だけ作ることが重要な気がする」と結論づけていた。

 料理というのはすべからく面倒だから、全部を作るのではなく、一品だけ自分で作れ、というのは、忙しい現代女性に沿った現実的な提案かもしれない。しかし、ポテサラツイートの一番の問題点は、「母親であることを理由に、おかずをどう用意するかという個人的なことを、まったくの他人に、なぜとやかく言われなくてはいけないのか」ということではないだろうか。おかずを何品作って、何品手作りするかは、料理を作る人が決めることである。全部既製品でもいいし、全部手作りだっていい。「おかずが三品あるんだったら、一品だけ作ることが重要」というマツコの考え方は、結局「一品は作れ」と言っているわけだから、「こうしろ」と指図してくるポテサラじいさんと、そう変わらないのではないだろうか。

 日本の「料理は女性がすべき」「品数は多いほうがいい」という考え方が非常に強いように思う。そんな中、2016年に料理研究家・土井善晴センセイが『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)を発表して話題を呼んだ。「料理はごはんとみそ汁だけでよい」というセンセイの提案は、料理が苦手な人、仕事が忙しくて品数多く作れない人など、多くの女性に好意的に迎えられた。

 その一方で、滅びないのが、婚活や夫婦問題の専門家たちの「胃袋をつかめ」作戦である。

 夫婦問題研究家の岡野あつこセンセイは、19年10月21日のオフィシャルブログで、夫の浮気に悩む女性に対して「お料理の腕をぐんと上げて、夫の胃袋をつかんでしまうのもいいかもしれませんよ」と書いている。18年放送の『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース』(Abema TV)で、ラブヘルスカウンセラーの小室友里センセイは、夫から拒否されるタイプのセックスレスを回避するために「夕食のおかずを一品増やす」ことを挙げている。センセイ方のアドバイスはデータに裏打ちされたものだろうが、若い世代には「料理をしないと浮気される、セックスレスになる」と刷り込まれ、それが料理をしないことへの恐怖や罪悪感へとつながっていくのではないだろうか。

 話をマツコに戻そう。テレビに出たての頃は、キャビンアテンダントなど、「人が憧れるもの」を茶化して笑いに変えていたマツコ。しかし、大物となったマツコが特定の何かを貶めると炎上する可能性もある。なので今後は「女は料理」といった固定観念のようなものをターゲットにしたらどうだろうか。「まだ、そんなこと言ってんのか。いちいち、うるせーな!」というマツコ節を待っているのは、私だけではないはずだ。

清原和博氏、テレビ出演で応援の声続々も……薬物タレント復帰の“あいまいすぎる基準“に疑問

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「野球さえしていなかったら、こんなことにならなかったのかな」清原和博
『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系、7月7日)

 7月6日に木下優樹菜が芸能界引退を発表した。今月の1日に復帰宣言を出してから、わずか5日後の引退宣言だけに、よっぽどのことがあったのだろうと思われる。「女性セブン」(小学館)によると、あるメディアから事務所に対し、優樹菜と2人の男性(アスリートとミュージシャン)の関係について、問い合わせがあったという。事務所は優樹菜に話を聞いた結果、彼女を守り切れないと判断し、契約解除に至ったと報じている。

 もし優樹菜が、本当に不倫が原因で事務所をクビになったのだとしたら、不倫の代償はとてつもなく高くついたと言えるのではないだろうか。

 優樹菜は芸能界を去っていったが、戻ってくる人もいる。元プロ野球選手・清原和博氏が『石橋、薪を焚べる』(フジテレビ系)に出演した。コンプライアンスを重視するテレビの世界において、2016年に覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けた清原氏は、歓迎される存在とは言えない。しかし、無事に4年間の執行猶予が明けて「お務めを終えた」ことと、夜中の番組で、全国ネットではないというのも、プラスに働き、出演が実現したのかもしれない。

 多くの人が疑問に思っていること、それはなぜ球界のスーパースターが薬物に手を染めたのかということだろう。石橋がズバリ質問すると、「膝のリハビリから解放され、自分のやりたいことがなかなか見つからなくて、夜な夜な飲み歩くようになって、そういうところで、ついやってしまった」「仲間の集まりで、軽いノリで1回やった」「1回やったら終わり」「完全に人間じゃなくなる」と語り、軽い気持ちで始めたところ、薬物にすっかり取り込まれていった様子を明かしていた。

 執行猶予期間中の最初の1~2年は、自殺願望にさいなまれ、1日中寝ていたという清原氏。外に行けば人目にさらされ、マスコミに追いかけられるかもしれないので、友人に食事を運んでもらい、外出もほとんどしなかったという。生きる力が湧かず「野球さえしていなかったら、こんなことにならなかったのか」と悔いたこともあったと言う。しかし、自身の原点である甲子園で高校球児たちのプレーする姿から元気をもらい、だんだんと気力を取り戻していったそうだ。

 石橋は、清原氏の性格を物語るこんなエピソードを披露する。「40歳の石橋が肉体改造をして、ドームでホームランを打つ」という番組の企画のためにジムで体を鍛え始めたが、偶然そこに清原氏もいた。清原氏のトレーニングは過酷で、石橋は「あの清原和博でさえ、こんなにやってんだ」と感服したという。しかも、清原氏は自分のトレーニングで疲れているはずなのに、石橋の練習に付き合ってくれたとのこと。このほかにも、清原氏は石橋の送るちょっとしたメールにも、丁寧に返信する義理堅さがあり、「この人は本当に優しい」と思ったそうだ。それだけに逮捕の一報は残念で、あれだけ野球と家族を愛していたのに、どうしてこんなことになったのかと悲しい気持ちになったという。

 また、番組で清原氏は、家族についても語っていた。「週刊文春」(文藝春秋)で薬物使用疑惑が報じられ、清原氏は離婚。2人のお子さんは元夫人と暮らしているが、父子の縁は、再びつながりつつある。これまでは直接の面会ではなく、弁護士を通して、息子の写真をもらうだけの関係だったが、今年に入って、「野球をやっている次男がバッティングに悩んでいるので、指導を頼みたい」と長男から連絡が入り、父親と息子2人は再会を果たす。ちなみにこの出来事は、最愛の母が、清原氏の背番号でもある3月5日に亡くなった矢先に起こったそうで、清原氏自身、不思議な巡り合わせを感じていたのかもしれない。

 野球選手として自分の名前を全国にとどろかせ、生涯年俸50億とも言われる大金を稼いだスターが、薬物で全てを失う。現役時代は「番長」とニックネームをつけられ、イカつい風貌をしていたが、内面は心優しく義理堅い。そして最愛の母の死後、息子2人と再会することができた。野球をしたことを後悔したこともあるが、息子との縁をつなぎ、生き直す気力をくれるきっかけとなったのもまた、野球だった――。

 天才の栄光と挫折、義理人情、縁、母親への愛、息子との絆といった具合に、清原氏の話には、浪花節的というか、日本人の大好きなものがぎゅっと詰まっている。そのせいか、SNSでも「応援している」「球界復帰を」というエールが多く見られた。

 清原氏が番組で語ったエピソードは、芸能界復帰のためのプレゼンテーションとしては、合格だろう。けれど、もし「薬物依存から立ち直りつつある姿を見せるためのもの」だとしたら、少し足りなかったのではないだろうか。

 「野球さえしていなかったら、こんなこと(薬物使用と逮捕)にならなかったのか」と、清原氏は薬物使用の責任を野球に転嫁するような発言をしている。しかし、プロ野球選手で覚醒剤に手を染める選手がごくごく一部である現実から考えると、野球のせいではなく、本人の問題である。また、栄華を極めたスーパースターの付き合う“仲間”が、覚醒剤という違法薬物を使うことに抵抗感がなく、気軽に勧めてくることも気になる。もし清原氏を大事な仲間とみなしているのなら、そんなことはしないのではないだろうか。

 また、清原氏は逮捕前、銀座の高級クラブのママと不倫旅行をしていたのを「週刊現代」(講談社)に撮られ、母、元妻、息子を傷つけた前科がある。家族家族と言っている割には、家族を大事にしているように私には感じられない。清原氏の薬物問題の根っこにあるのは、なぜ付き合ってはいけない人と付き合い、大事にすべき人を大事にできないのかということではないだろうか。

 念のため申し添えるが、私は薬物で逮捕された清原氏の芸能界を含めた社会復帰に反対しているわけではない。仕事をして金を稼がなければ生活できないし、世の中の役に立っているという実感が持てなければ、また薬物に手を染めかねないだろう。ただ、薬物事件を起こしたタレントの復帰に際し、その基準が曖昧すぎないかと思っている。

 例えば、09年に酒井法子は覚醒剤取締法違反で逮捕され、有罪判決を受けた。執行猶予3年が開けて、芸能界に復帰することになったが、いまだに地上波で彼女を見かけることはわずかだし、酒井をテレビの世界に戻そうという声を私は聞いたことはない。『5時に夢中!』(TOKYO MX)に出演した酒井は、AVのオファーがあったことを認めていたが、酒井に限らず、薬物を使用した女性芸能人が復帰しようと思ったら、これまでと同じ仕事ではダメで、脱ぐことが暗黙の了解となっていると言えるのではないだろうか。

 しかし、清原氏のように義理人情に彩られた“ものがたり”を持つ人は、復帰を応援してもらえる。そこには、オトコのやんちゃは仕方ないが、オンナのやんちゃは性悪という男尊女卑も絡んでいるように思う。薬物事件を起こした芸能人の復帰が難しいのは、コンプライアンスとは別に、性差別と「お涙頂戴」話が大好きな視聴者心理によって、その基準があいまいになっていることが原因になっているのかもしれない。

山崎ケイ、「ちょうどいいブス」炎上から学ばず? 番組のセクハラを「かわす」ことの怖さ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「『この続きはカメラのないところでね……』みたいにかわすのはアリですか?」相席スタート・山崎ケイ
(よしもと芸人オンラインイベントお披露目会 6月24日)

 芸能人が不祥事を起こしたときに、会見を開いたり、メディアのインタビューに応え、謝罪するという流れができて久しい。この謝罪というのは、クチで言うほど簡単ではないだろう。「どうして世間を怒らせたのか」を理解していないと、さらに好感度を落としかねないからだ。

 例えば、アンジャッシュ・渡部建。女優・佐々木希という妻とお子さんがいる身でありながら、複数の一般人女性と不倫をしていたと「週刊文春」(文藝春秋)に報じられた。その中の一人の女性を六本木ヒルズの多目的トイレに呼び出し、短期間でコトを済ませると、LINEのメッセージを消したかチェックした後、1万円を渡して去っていったそうだ。女性を性欲解消の道具のように扱う渡部に嫌悪感を抱く人々は多く、今のところ、芸能界復帰は絶望的と見る向きが強いようだ。

 渡部はその後、「文春」のインタビューに応じ、謝罪している。でも、これが、火に油を注ぐというか、ツッコミどころがありすぎなのだ。渡部は不倫相手の女性たちを「デートクラブのように安全に遊べる子たちというふうに認識していました」「彼女たちに対しては気持ちのないまま接していたし、気持ちの上で浮ついたことはありません」と述べている。

 まとめると、渡部は不倫相手の女性たちを「安全に遊ばせてくれる」、つまりプロ(風俗業)の女性とみなしていて、妻に対する気持ちが揺らいだことはないと言いたいのだろう。しかし、「文春」の記事を読む限り、渡部の相手をした女性たちは風俗店に勤務しているわけではなさそうだ。それに、もし女性たちがプロなら、それ相応の対価を払う必要があるのではないだろうか。自分の欲望を一方的に押し付け、秘密保全を求めるというプロのサービスを要求しながら、カネの面ではシロウト扱いする。やっぱりこの人はズルい人だなという感想を私は持った。

 不祥事とまではいかないものの、相席スタート・山崎ケイの「ちょうどいいブス」(男性に「酔ったらいける」と思われるレベルのブス)というキャラが、時代に即したジェンダー観感ではないとして炎上したことがある。なので、いま山崎が、ジェンダーに関する発言をする場合は、注意したほうがいいように思うのだが、渡部同様、以前炎上した理由をまったく理解していないと感じられる発言をしており、また同じような騒ぎを起こすのではと思ってしまった。

 6月24日、「よしもと芸人吉本オンラインイベントお披露目会」で、山崎は「ビジネスキス」の必要性について意見を述べた。テレビの企画で、女芸人同士を競わせて、勝ったほうにご褒美として、イケメンとキスをさせることがある。山崎はこれをビジネスキスと呼び、「女にとってのキスを何だと思っているのだろう」と嫌悪感を持っていることを明らかにしていた。「私がキスすることで面白くなる気がしない」とし、番組の演出でするキスをNGにしているそうだ。しかし、制作側には「え? キスがだめなんですか? ちょっとするだけですよ?」と理解されなかったという。「すごい、女がやりにくい世界だと思ってしまった」「嫌だったら嫌だと言わなきゃいけないし、男性側も『もしかしたら、もう時代遅れなのかな?』と思うべき。お互いが言い合える関係なら、ハラスメントも減っていくと思います」と述べていた。

 私自身も、ご褒美にイケメンと女芸人がキスをするという企画を面白いと思ったことはない。それでは山崎の発言に諸手を上げて賛成かというと、そうでもないのだ。

 山崎はビジネスキスの仕事をする際、「番組の趣旨もあるので寸止めにして、『この続きはカメラのないところでね……』みたいにかわすのはアリですか?』とスタッフに確認した」そうだ。オファーを受けた以上、番組の企画には参加しなくてはならない、けれど、ビジネスキスもしたくない、だから「カメラのないところで」と逃げたのだろう。しかし、このように「セクハラを嫌と言わず、逃げる」と、企画やセクハラに対する嫌悪がスタッフにまったく伝わらず、セクハラが悪化する可能性に気づいているのだろうか。

 今から20年くらい前、セクハラという言葉こそあったものの、現代のようにそれが「悪いこと」と認識されていなかった時代、女性たちはセクハラにあったら「かわす」ことで身を守れと、女性の先輩に教わってきた。具体的に言うと、上司に迫られたら「おしっこ行ってきます」と雰囲気をぶち壊したり、「これ、おいしいですね。もっと食べていいですか?」と話を変えたり、あえて気づかないふりをする。相手のほうが権力を持っているのだから、正面切って歯向かうのは得策ではない、だからといって下心を受け入れるのもイヤということから生まれた苦肉の策だが、この応急処置を続けると、セクハラは厄介になっていく。

 テレビ東京の大江麻里子アナが、『モヤモヤさまぁ~ず2』に出演していた時のこと。さまぁ~ずは大江アナに積極的にセクハラをしかけていく。「最近いつエッチした?」「コンドーム使ったことある?」と質問するいう直接的なものもあれば、筋トレ器具に座らされて、M字開脚にさせられることもあった。

 大江アナはこれに対して文句を言わず、キョトンとした顔で応じる。仕事だからやらないわけにはいかなかったのだろうと推察するが、その大江アナについて2013年に「週刊ポスト」(小学館)が取り上げ、「普通の女子アナだったら露骨にイヤな顔をするところですが、大江アナの場合はキョトンとしてやってのけるので、まったく嫌らしさを感じない。それどころか、受け答えのひとつひとつが、かえって品の良さを感じさせる結果となる。だからこそスタッフも、心置きなくセクハラ演出を楽しんでいたんです」というテレビ東京スタッフのコメントを掲載。最後に「硬派なニュース番組もこなせるのに、下ネタだってサラリとかわす。実力者はやはりひと味違うということらしい」と結んでいる。

 女性がセクハラから逃げるために「かわす」うちに、男性がセクハラを悪いことと思わなくなり、それを理由にセクハラが激化したり、そこから「仕事ができる女は、セクハラをかわすのもうまい」というふうに、ねじまがった解釈が生み出されることがあるわけだ。こうなると、セクハラを「かわせる女」と「かわせない女」に分断され、序列が生まれることもあるだろう。

 なので、山崎も番組の演出上のキスが心から嫌だと思うのなら、中途半端な拒絶はしないほうがいいのではないか。山崎は「ちょうどいいブス」を標榜して、炎上した“前科”がある。テレビで「セクハラをかわす」ように見える行動を取ることで、「セクハラを拒否しない女」のレッテルを世間に貼られれば、「ちょうどいいブス」同様、「男性の欲望に迎合する都合のいい女性像」を推奨しているとして、再炎上する可能性は十分にあると思う。

 山崎は5月10日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、「ちょうどいいブス」は炎上するから使えないと話していたが、こうなったら、早急に新キャラを作ったらどうだろう。

 「ちょうどいいブス」は、「酔ったらヤれると思われる女でいい」という少し卑屈な感じを抱かせるが、実際の山崎はそうでもないようだ。19年1月24日放送のTBSラジオ『ハライチのターン』で、ハライチ・澤部佑がこんなエピソードを明かしている。山崎は掘りごたつの飲み屋で飲んでいる際、狙っている男性でなくても、相手の足を踏み踏みするそうだ。男性は自分に気があるのか、ヤレるのかと思うそうだが、山崎は男女の関係になる気はないらしい。また、『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で、松本人志は山崎について「“浜田のオンナ”みたいな雰囲気出してくる」といったニュアンスの発言をしていた。これらのエピソードから、山崎は男性に対して実は積極的なのではないかと思うのだ。

 なので山崎は今後、恋愛大好き、オトコ大好き、もしくは小悪魔キャラで行ったらどうか。若者が恋愛をしなくなって久しいと言われているが、そうでない人だってたくさんいるはずだ。一昔前は、女芸人は恋愛下手というレッテルが貼られていたが、今はそういう時代でもないだろう。自身がセクハラする側に回ってしまわないよう気をつけながら、ブレないキャラの再構築をぜひお願いしたい。