木村拓哉&工藤静香一家は「いい家族」になりきれていない!? Koki,と比較して見えた、Cocomiの「要領の悪さ」

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「母とはいつも喧嘩してばかり」Cocomi
Cocomi公式インスタグラム 5月9日

 理想の家族ってなんだろうと思うことがある。

 たとえば、秋篠宮ご一家。今は眞子さまのご結婚問題でいろいろ揺れているが、一時は「理想の家族」と言われ、雅子さまと比較する形で、紀子さまが持ち上げられていた。「3LDKのプリンセス」と言われて国民から祝福された紀子さまは、ご成婚後は美智子さまの教えに従い、悠仁さまを含む3人のお子さま方を生み、お育てになった。もちろん公務もかかさない。

 一方、ご成婚後になかなかお子さまに恵まれなかった雅子さまは適応障害と診断され、長い療養生活に入る。当時、週刊誌は雅子さまが昼夜逆転の生活をしているとか、公務はできないけれど遊びには出かけていると書き立て、「役に立たない嫁なのだから、実家が引き取るべきだ」などと主張した月刊誌もあった。

 しかし、今、眞子さまのご結婚問題が取り沙汰される中、秋篠宮ご夫妻の教育に問題はなかったのかという意見すら持ち上がり、「理想の家族」という評判は聞かれなくなっている。

 また、歌舞伎俳優・中村芝翫と三田寛子夫妻も、「憧れの一家」と言われていたことがある。アイドル歌手だった三田が梨園の名門・成駒屋に嫁いで25年目に出版された、彼女の半自叙伝『銀婚式』(中央公論社)には、「そもそも、私は歌舞伎の世界に関しては全く不勉強なままでお嫁に来ました。他の家の奥様方はもともと歌舞伎に縁の深いご出身だったり、お若いころから歌舞伎のファンで、この世界のしきたりや決まり事に精通している方がほとんどです」といった旨が書かれているが、そんな中に恋愛結婚したアイドルが入っていくわけだから、アウェー感は相当強かったのではないだろうか。

 しかし、三田は流産を経験したものの、その後に3人の男の子を出産して、歌舞伎俳優の嫁としてのお役目を立派に果たした。2016年10月には、夫と息子3人が襲名を果たすことになるが、この一家4人同時襲名というのは、史上初の偉業らしい。『奔走!三田寛子400日~中村芝翫襲名~』(BSフジ、16年10月16日放送)を見たところ、三田はとにかく忙しく、分刻みのスケジュールをこなしながら、朝から何も食べずに「家のために」走り回っている。家族もその気持ちに応え、子どもたちは三田の50歳の誕生会を開いてくれた。

 世間受けしそうな“いい話”で、まさに「憧れの一家」と言えるが、襲名直前の16年9月に、芝翫は京都の芸妓との不倫を「週刊文春」(文藝春秋)に撮られている。会見を開くも、しどろもどろで「不徳の致すところ」を繰り返す夫に比べ、三田は「ここからが彼の男として、人としての見せどころとなっていく」と毅然とコメントして称賛を浴びた。これで終われば世間サマは忘れてくれたのだろうが、今年の1月に芝翫は再び「文春」に不倫を撮られてしまう。「いい家族」というイメージとのギャップがあるだけに、世間に「実は夫婦不仲なのでは? 仮面夫婦なのでは?」と思われかねない。

 さらに元芸妓と交際中と言われていた長男・橋之助が、21年4月22日号「女性セブン」(小学館)に乃木坂46の元メンバー・能條愛未と手つなぎ&お泊まりを報じられた。独身なので恋愛は自由だが、芸妓と交際が継続中なら二股になる。「彼女と別れたのか?」という記者の質問に対して、橋之助は「プライベートなことなので」と歯切れが悪い。父親の不倫報道があっただけに、「父親の女癖の悪さが息子に遺伝した」と見る人もいるだろう。

 弱り目に祟り目というべきか、同誌では父親・芝翫が舞台後にコンビニでカップラーメンやカレーをテイクアウトしていたとも報じている。体調が悪くて食事を作れないことだってあるだろうから、家事放棄とは少々大げさだが、不倫が度重なれば、こういう記事も書かれやすくなってしまう。こうして芝翫と三田夫妻の一家も、すっかり「憧れの一家」ではなくなってしまったのではないか。

 そもそも、他人の家庭の中なんて見えないし、 「理想の家族」自体が虚像だと思う。しかし、血のつながりを重んじる日本において「いい家族」であることは、特に芸能界ではビジネスチャンスを意味するのかもしれない。

 そういった意味で、今、最も「いい家族」に近いのは、木村拓哉一家ではないだろうか。父は木村拓哉、母は工藤静香、長女のCocomi、次女のKoki,もモデルとして活動する芸能一家だ。一家は家族のイベントを積極的にSNSにアップする。工藤の誕生日に、木村は「happy birthday!」の言葉を添えて、赤いバラの画像を投稿した。木村のファンにとってはなかなか衝撃的な画像ではないかと思うが、彼も壮年となった今、よき父、よき夫、よきファミリーという路線で若い層のファンを取り込もうとしているのかもしれない。

 そんな中、ちょっと気になるのが、長女のCocomiである。次女のKoki,よりデビューが遅かったせいもあるが、「いい家族」を演出できていないところがあるのだ。

 例えばKoki,は『BVLGARI AVRORA AWARDS 2018』の授賞式で、工藤について「お母さんはいつも私のことをサポートしてくれて、自分より私のことを先に考えてくれて大好きです」、好きな食べ物については「ママの手料理」と“全部アゲ”して答えている。それに応えるように、工藤のインスタを見ていると“Koki,アゲ”が結構目立つ。工藤の料理はなかなかインパクトのある見た目をしているが、「次女が完全に私のレシピをマスターして、ケーキを自分でアレンジするようになりました」「仕事の現場の入り時間を間違え、車内朝食 次女よ、ありがとう」などと、Koki,について触れているほうが多い印象だ。

 一方Cocomiはちょっと要領が悪い。「25ans」(ハースト婦人画報社)の「お気に入りのフードやドリンクは?」の質問に「超甘党です。和菓子も大好きですし、『クリスピー・クリーム・ドーナツ』のドーナツが大好き!」と答えている。「母が作ってくれる自家製の甘酒」も好きとは言っているが、工藤のインスタを見れば、彼女が白いもの(白砂糖や小麦)を摂らないように腐心して、食事もデザートも手作りしていることに気づくだろう。それなのに、ジャンクフードの代名詞・ドーナツが好きだと言ったら、工藤の立場がない。「“いい家族”はイメージ商売なんだから、そこは静香に乗ってあげようよ、おココ!」とツッコミたくなる。

 先日インスタグラムに投稿された母の日のメッセージも同様で、Koki,がピンクのカーネーションの写真に「Happy mother’s day!!」と添えた一方、Cocomiは「母とはいつも喧嘩してばかり、思ってもいないことを言ってしまったりして。いつも私のためにしてくれる全てに感謝したいです」と語っていた。感謝しているのなら「いつも喧嘩ばかり」はいらないのではないか。長女にありがちな生真面目さというか、要領の悪さというか、「なんでもバカ正直に言ってしまう」ところがCocomiなのかもしれない。

 このように、Cocomiのせいで「いい家族」になりきれない木村一家は、芸能界でのビジネスチャンスを逃してしまうように思う。しかし、別の見方をすれば、これもまたアリなのかもしれない。

 これまでの価値観で言うのなら、Cocomiの「ちょっと一言多い感じ」もしくは「要領の悪い感じ」は、世間で「いらない」とされてきたのではないだろうか。というのも、大衆が芸能人に求めるものは「憧れ」だったからだ。しかし、それよりも「共感」のほうが求められる今、Cocomiのこういう気質は、木村家の好感度を上げるためにも案外プラスに働くように思う。ちょっと不器用な立ち回りのCocmiに全国の長女が「わかる!」と共感を寄せる日は、そう遠くない気がする。

石田純一は、なぜ芸能界から消えないのか? 新型コロナ感染騒動に見る「自分が悪いと絶対に思わない才能」

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「ちょっと、おせっかいで」石田純一
YouTubeチャンネル「じゅんちゃんねる」4月29日

 石田純一ってすごいと思う。

 一般的に芸能界は弱肉強食、成果を出した人でないと生き残れないといわれるが、石田純一は本業が何なのか、誰が支持しているのか不明ながらも、消えずに芸能界で生き残っている。

 80年代にトレンディドラマに欠かせない俳優としてブレークした石田。女優・松原千明と再婚し、モデルのすみれをもうける。このまま大物俳優の仲間入りを果たすかと思いきや、90年代には19歳年下のモデル・長谷川理恵との不倫で世間を騒がせることに。家庭を捨て長谷川のもとへ走った石田は、当然のことながらバッシングを浴びた。

 フツウならここで芸能界から消えてしまいそうだが、石田は消えなかった。どんな失礼な内容であっても、ワイドショーのレポーターの質問に答え、バラエティー番組にも進出する。現在の妻、プロゴルファー・東尾理子へのプロポーズも『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)のいち企画として放送するなど、石田は「プライベートを売る」形でテレビに出続ける。

 何を聞いても答えてくれる石田は、ワイドショーにとってありがたい存在だろう。その集客力を見込んで、イベントが石田にオファーをかけ、そこにやって来たワイドショーのリポーターが「交際は順調ですか? 結婚は?」などと聞く……いわばワイドショー御用達タレントとして、石田は芸能界を生き抜いてきた。何かの賞を獲ったり、視聴率を持っているとされる人が芸能界で生き残るのは、ある意味当たり前だ。無冠でありながら生き残るとは、彼が「持っている」証明ではないだろうか。

 しかし、現在の石田はちょっとした苦境にあるといっていいだろう。石田は昨年の4月に新型コロナウイルスに感染した。ウイルスは人を選ばないので、誰が罹患してもおかしくはないが、発症前の石田の行動が明らかになるにつれ、世間から反感を買うようになっていく。

 4月上旬、石田は北関東のゴルフ場でプレーをし、そこで女性を交じえての食事会に参加する(この時、一緒にプレーをした男性が新型コロナに感染、発症している)。石田はこの後、自らが経営する飲食店の視察のために沖縄に行き、ここでもゴルフをプレー。東京に戻り、体調に異変を感じた石田は緊急入院することになった。もし石田が北関東のゴルフ場で感染していたとしたら、妻子はもちろん、沖縄に行くまでに飛行機で乗り合わせた乗員乗客、石田が経営する飲食店の従業員、そして宿泊先である沖縄のホテルやゴルフ場で働く人を感染のリスクに晒したことになる。また、一般人は新型コロナ感染を疑っても、すぐに医療機関にかかれない状況だったのに、石田がスムーズに入院できたように見えたことから「芸能人パワーだ」と批判が噴出した。

 取材を断らない男らしく、石田は入院中もレギュラーを務めていた文化放送のラジオ番組『斉藤一美のニュースワイドSAKIDORI!』(文化放送)で、「油断してかかるものじゃないかもしれないですけど、やっぱり気をつけて、それでもなおかつもう一回気を付けて、一緒に乗り切れたらいいなと」とコメントを発表した。私には石田の行動は「典型的な気を付けていない人」の行動に思えるが、本人的には気を付けていたということだろう。

 これ以降、石田の行動が取り沙汰されるようになる。2020年8月18・25日合併号の「週刊女性」(主婦と生活社)が「石田純一4泊5日福岡出張で『ゴルフ』『合コン』『お持ち帰り』を満喫! 連夜の濃密宴会」と報じた。「週刊女性」の直撃を受けた石田は「今CMやらせていただいている社長とゴルフをやっただけ。俺は今、東京のテレビは番組を降りて、単発はともかくレギュラーはないので、主な収入源はスポンサーじゃないですか。だから、みなさんになんと言われようとスポンサーに挨拶回りをするのは、自分の仕事だと思っています。この家や子どもたちを守るためにも」と、「連夜の濃密宴会」は、遊びではなく仕事であると主張した。

 石田の場合、小さいお子さんが3人いることもあって、まだまだお金はかかる。背に腹は代えられないのではないだろうか。発言通り、石田は“仕事”を続け、20年9月8日号の「女性自身」(光文社)は「石田純一、またマスクなしで飲み会へ!」、21年1月21日発売の「週刊新潮」(新潮社)では、都内の焼肉店で、大人数の会食を行っていたことが報じられた。

 最近はYouTubeを始める芸能人が多いが、石田もそれに続く。しかし、登録者数も再生回数も、有名芸能人としてはお粗末といわざるを得ない。4月29日配信の「石田純一の!ナンデモお悩み相談所」では、視聴者から「最近テレビで見かけませけど……」と言われた石田は「多分干されている」と語り、その原因を「政権批判と捉えられるような発言をしたから」としていた。日本の芸能界では政治的発言はご法度なのに、義侠心にかられ、「ちょっと、おせっかいで」政治的な発言をしてしまったために、「干された」と思っているようだ。

 テレビで見かけなくなるから、干されるという時代でもないだろうが、少なくとも「政治的発言をしたから」テレビに出られないというのは違うのではないだろうか。『サンデー・ジャポン』(TBS系)や『ワイドナショー』(フジテレビ系)でも、政治的な話題を取り扱うことはあるが、レギュラーを務める芸能人は普通にコメントしているからだ。

 推測するなら、やはり新型コロナ罹患の経緯が、影響しているのではないだろうか。不倫をしていた石田がテレビに出られるのに、新型コロナで出られないのはおかしいと見る人もいるかもしれない。しかし、不倫は夫婦の問題だから所詮は他人事だが、新型コロナは他人に感染させるリスクがあり、生命をおびやかしかねないもの。共演者や製作者も怖いだろうし、「コロナ禍にもかかわらず、飲み会ばかりしている人」というイメージのあるタレントを、視聴者も見たくはないだろう。

 しかも、石田は自分の行動が「おかしい」という自覚はないようだ。YouTubeで、一連のバッシングの発端が「女性セブン」(小学館)の報道であったと指摘し、「非常に迷惑している」「後追いでいろんな記者さん、週刊誌さんがめちゃくちゃ書いたんで」「CMは9社のうち7社、残念ながら契約を打ち切られて、大変な目に遭った」と語るなど、恨み骨髄に徹するといった感じだ。

 石田に「自分に非がないかよく考えろ!」と言う人もいるだろうが、おそらく、この人は「自分が悪いと絶対に思わない才能」があるからこそ、人生も芸能界も生きてこられたのではないか。

 石田の娘・すみれは『おかべろ』(関西テレビ)に出演した際、「(有名私立小学校の)お受験のときに、ちょうど(父親の)不倫の記事が出ちゃって入れなかったんです」と話していたが、愛娘が数年準備して臨むお受験の邪魔を平気でできるのが、「自分が悪いと絶対に思わない才能」というやつではないか。

 因果関係ははっきり証明されていないものの、石田がゴルフに頻繁に行き、その後新型コロナに感染したという事実に対し、「ゴルフは危ない」というイメージを持ってしまう人もいるだろう。となると、プロゴルファーである妻・理子に仕事面でも迷惑がかかるし、めぐりめぐって、有名小学校に通うお子さんにも影響を及ぼしてしまうことを、想像しないのがすごい。

 世の中には、「すぐに自分が悪いと思ってしまう人」と、石田のように「自分が悪いと絶対に思わない人」がいるように思う。「すぐに自分が悪い」と思ってしまう派」は、真面目に行動するが、人間なので常に100%「正しい」行動が取れるわけではない。また不可抗力もあるので、自分が「正しい」と思う行動を取ったとしても、トラブルに巻き込まれることはある。

 そんなとき、「すぐに自分が悪いと思ってしまう派」は自分をひどく責めるが、「自分が悪いと絶対に思わない派」は「自分は悪くない」ので、常に堂々としている。こういう人には何を言っても無駄なので、正面切って悪く言う人は少ない(もしくはすぐにいなくなる)だろう。となると、責められることがない「自分が悪いと絶対に思わない派」は、精神的、肉体的消耗が少なく、その分生命力も強いのではないか。どちらかというと、周りの人が疲弊してしまうだろう。

 今、少し仕事が減っているとしても、10年後くらいにワイドショーで「あの時はひどいバッシングに晒されましてね」と言っている石田の姿が見えるような気がする。運が強いのは間違いないが、小さいお子さんもいることだし、やはり体には気を付けて過ごしていただきたいものだ。

ローラは、なぜ天真爛漫キャラなのに「暗い」のか? 『徹子の部屋』で明かした“家族の話”に違和感

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

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「心のファミリー」ローラ
『徹子の部屋』(4月27日、テレビ朝日系)

 芸能人の外見や行動は、その人の印象に影響を与える。例えば、女性芸能人が髪がピンク色であるより、黒髪のほうが清純な印象を与えるし、スターが自分より立場が下の製作スタッフにも丁寧に接していると聞けば、「礼儀正しい」「いい人だ」と解釈されるだろう。

 しかし、時々、なんだか外見や行動と印象が一致しないなと思わされるタレントもいるのである。ローラもその一人だ。華やかな見た目で、明るく振る舞っているけれど、なんとなく暗い印象を受ける。

 ローラのブレークは2012年。外国人の血を引いたモデルとしてだけでなく、バラエティー番組で披露するおぼつかない日本語や、目上の人にも臆せずタメ口を使うところが、ユーモラスだと人気を集めた。屈託のない明るさ、天真爛漫さで知名度を上げていくが、同年放送の『さんまのホントの恋のかま騒ぎ』(TBS系)に出演した際は、ミッツ・マングローブに「ドアから出てくる瞬間、真顔だったね」と、いつもニコニコしているわけではないことを指摘されていた。

 そんなローラだが、14年に実父が国民健康保険の海外療育費の不正受給をしたとして、詐欺容疑で逮捕されている。親と子どもは別人格だが、イメージ商売の芸能人の親が警察のお世話になるのは、マイナスでしかない。子どもの存在が犯罪のブレーキにならないあたり、よっぽどお金に困っていたのか、衝動抑止性が低いのか。詳細は不明だが、子どもの足を引っ張ることに躊躇がないという意味で、「ヤバい家族」の匂いがするのは否定できないだろう。

 15年1月31日配信の「産経ニュース」によると、保釈保証金300万と損害賠償金200万の合計500万はローラが立て替えたという。

 16年にロサンゼルスに移住したこともあって、それほどテレビで見かけなくなったローラだが、4月27日放送『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で久しぶりに顔を見せた。ここで、これまでのローラのイメージを覆すエピソードが披露される。

 明るいキャラで売っていたローラだが、実生活では相当苦労していたようだ。ローラが生まれてすぐ、両親が離婚。ローラは父親の母国であるバングラデシュに渡り、ジャングルのような田舎で、親戚の手により育てられた。経済的にも苦労したそうだ。

 6歳の時に来日するが、父親は中国人女性と再婚。海外移住と親の再婚は、子どもにとって負担だろうが、継母は日本語が話せず、ローラはベンガル語しか話せなかったため、家庭内でも学校でもコミュニケーションがほとんど取れなかったという。その上、継母は双子を出産したそうだから、孤独だったのではないだろうか。

 実の母に対しては「(離婚してから)私に会ってくれなかった」というさみしい気持ちがあったそうだが、26歳の時に再会。自身とそっくりな母に、血のつながりを感じたことで、わだかまりは氷解。今では大親友のような関係だという。過酷な環境で育ったことは、イコール不幸ではないが、苦労したことは間違いないだろう。なんとなく陰りがあったとしても、おかしくはない。

 ロスでのローラの過ごし方は、アートを創作し、ヨガなどの運動を欠かさず、保護犬を飼い、魚の煮つけや酵素玄米など体にいい料理を手作りして「心のファミリー」に振る舞っていると話していた。

 ああ、やっぱり暗い。

 「心のファミリー」とは、血縁関係こそないが、それくらい大事な人たちという意味だろう。家族を神聖視する人を、大きく2つのパターンに分けるとすれば、一つは非常に円満な家庭で育った場合が思い浮かぶ。もう一つは、反対に円満な家庭で育たなかったからこそ、家族を必要以上に美化してしまうパターンなのではないか。上述したローラの生い立ちから考えると、彼女の場合は後者だろう。

 親しい人を家族呼びするといえば、中森明菜が思い浮かぶ。フリーのディレクター・木村恵子氏の著作『哀しい性』(講談社)によると、明菜が語った彼女の家庭環境は、いいものとは決して言えなかった。家は貧しく、お父さんは女性問題を起こす。お母さんが歌手志望だったことともあって「有名になって、稼いで来い」という家族の願いをかなえるために芸能界入りする。スターになると、家族は明菜に内緒で当時の事務所から借金をし、明菜が自殺未遂をはかっても、その気持ちを理解しようともせず、入院中の彼女にかけた第一声は「事務所とレコード会社に謝れ」だったそうだ。

 本来優しく包んでくれるはずの家族が、そうしてはくれない。その悲しみのせいか、明菜は信頼している人、大事な人を家族呼びするようになる。木村氏をお母さんと呼び、元恋人の“マッチ”こと近藤真彦はお兄ちゃん、マッチと破局後に知り合った友達以上恋人未満の付き人男性のこともお兄ちゃんと呼んでいたそうだ。さらに気に入った女性ライターをお姉ちゃんと呼び、仕事を頼むこともあったという。

 明菜は『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演する際、「ここ(楽屋)は家族しか入れないから。お母さんは入って」と言って、所属事務所の社長ですら入室を許さなかった場所に、木村氏を招き入れたという。いじらしいほど家族に対する強い思い入れがあることがうかがえるが、それは同時に、明菜に家族呼びされたら、明菜の強い思い入れに応える覚悟を必要とするということでもある。

 明菜による過度な束縛や、その不安定さに耐えきれず、木村氏をはじめとした“家族”は、彼女から離れていくが、同書を読む限り、明菜は「血がつながっていてもいなくても、人間関係には距離感は必要」ということに気づいていないようだ。

 話をローラに戻そう。大人になったローラは、親の離婚や2人の母親がいることに今は感謝していると言い、「どんな形になっても、親が幸せならうれしい」と話していた。離婚が珍しいものではなくなり、離婚したからといって子どもが不幸せとは言い切れないケースもたくさんあるので、ローラの言葉はポジティブなメッセージになり得るだろう。

 しかし、やっぱり暗い子ども時代を引きずっているのではないかと思わされることもある。「親が幸せならうれしい」とローラは言ったが、これは経済的、感情的に親に搾取される子どもが良く言うフレーズだと感じるからである。家族観は、人によって違うので何とも言えないが、家族はそれぞれが自分の幸せを追求し、困ったことがあれば助け合うのが基本であって、子どもが親の幸せを願うという「家族との距離感」は、私にとって違和感がある。

 天真爛漫でかわいく、ちょっとおバカなキャラとしてブレークしたローラだが、今や社会問題にも言及するなど、消費文明に踊らされることなく、自分の考えに基づいて人生を組み立てられるタレントになった。親孝行というウェットな日本文化に踊らされることなく、今後もますます活躍していただきたいものだ。

3時のヒロインが容姿ネタを封印しても、差別はなくならない……「オジサンはなぜ外見をイジられないのか」問題にメスを入れるべき理由 

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

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「容姿いじりのネタ捨てる」3時のヒロイン・福田麻貴
『ワイドナショー』(フジテレビ系、4月18日)

 今、芸能人で一番使い勝手がいいのは、オンナ芸人ではないだろうか。ひと昔前、女優や歌手、芸人は仕事の範囲がはっきり決まっていたように思う。芸人が、本職の俳優に交じってドラマに出たり、本格的に音楽活動をするということは滅多になかったが、友近はNHKの朝ドラに出演したこともあるし、大物演歌歌手・水谷千重子というキャラになりきってディナーショーも行っている。

 また、フォーリンラブのバービーは、TBSラジオで『週末ノオト』のメインパーソナリティーを務めるほか、PEACH JOHNで下着の開発に取り組んでいるし、オアシズ・光浦靖子は、「文藝春秋」2020年11月号(文藝春秋社)の巻頭随筆「光浦靖子『49歳になりまして』芸歴28年・もう一つの人生も回収したい」が大きな反響を呼び、目下、各出版社からの依頼が殺到しているという。

 このように、オンナ芸人がマルチに活躍できるようになると、大事になってくるのが本人の“好感度”ではないだろうか。一般人がスターを見上げ、憧れる時代は去り、現在では「自分に似た人」」を探して共感し、応援するようになっているなどと言われるが、そう考えると、オンナ芸人の“日頃の行い”は非常に重要になってくると思う。

 そういう意味で、3時のヒロイン・福田麻貴が「容姿いじりのネタを捨てる」と決断したことはプラスに働くのではないだろうか。3時のヒロインといえば、福田麻紀、かなで、ゆめっちのトリオ芸人で、『女芸人No.1決定戦 THE W 2019』で優勝し、注目を浴びた。普通体形の福田に対し、ゆめっちもかなでも太目である(ゆめっちはウケるためにわざわざ太ったそうだ)。

 3時のヒロインの3人は、容姿をいじられることを「おいしい」と思うタイプだというが、この度、容姿ネタ封印を決めたそうだ。その理由として福田は、「劇場で容姿をいじるネタをやっても、ウケないと感じるようになったこと」また「ドキュメント的な内容のYouTubeを見慣れ、テレビの内容も本当だと信じてしまう傾向がある若者に、容姿イジりネタを『本気で攻撃している』と思われる可能性があること」を挙げていた。確かにウケないネタをみすみす続けるのは不毛だし、何よりも3時のヒロインのためにならないと言う意味で、この判断は賢明ではないだろうか。

◎容姿いじりで一番損をするのは、3時のヒロイン・福田麻貴

 『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に、3時のヒロインがゲスト出演した際、3人の中で、福田はプロデューサー的な立場であり、かなで、ゆめっちの2人に対する「ダメ出しがきつい」と明かされていた。

 福田はトリオのネタ作り担当。CMに出たいという夢もあるそうで、おそらく彼女には「トリオとしてこうありたい、こういうことをやってみたい」というふうに、目指すものが明確にあるのだろう。それをかなえるための2人への“指導”なのだろうが、いくら仕事上のこととはいえ、こういうエピソードが明かされると、福田は「性格がよろしくない」としてイメージが低下すると思われる。

 その上で、たとえネタであったとしても、また福田が自分の容姿を自虐したとしても、彼女が2人に対して容姿いじりを展開すると、「メンバーを下に見ている」という批判が出てきかねない。それどころか「メンバーを下に見ているお前だって、たいした容姿ではないくせに」と、福田の容姿までバッシングされる可能性がある。こうなるとネタはウケない、福田は世間から自らの容姿も批判されるかもしれず、さらに性格も悪いというレッテルを貼られるリスクまで抱えてしまう。容姿いじりで一番損をするのは、福田ではないだろうか。

 しかし、『ワイドナショー』コメンテーターの松本人志は、「福田さんが今、そういう考えであるなら、それでいいと思う」としたが、「でも、ずっとそれでやる必要もないし、変わっていったら変えたらいいと思うねん」と福田の意見を尊重しつつ、その一方で「(芸人と)世間との(価値観の)ネジれは、このネタをやめたらもっとネジれるんじゃないか。ネジれを直すためには絶対に引かずに頑張るという方法もあるんちゃうかな」と「あえてやめない」選択肢も提案した。

 容姿に関する話というのは本当に複雑といえる。例えば、テレビで女性タレントが容姿をイジられたとしよう。そうすると、SNSに多数の抗議の声が上がるだろう。それでは、世の中全体が「容姿差別は許さない!」という方向に行っているのかというと、そこまで足並みはそろっていないようだ。

 ネットの匿名掲示板では、いまだに有名人の容姿についてのキツい言及が見られるし、ゴシップ誌でも、女性芸能人の整形疑惑についての記事が人気だ。ということは、人には「自分の容姿について言われるのは嫌だから、そうならないためにも、他人が容姿いじりをすることには抗議する。でも、自分自身が他人の容姿を悪く言うのは楽しい」という部分があるのではないだろうか。

◎友近を「足が短い」といじった石橋貴明は、なぜ容姿をいじられない?

 そんな容姿いじり問題について、同番組に出演したEXIT・兼近大樹は「オジサンと呼ばれる世代が笑ってくれるから、人をいじったり攻撃したり怒ったりしてみせる」と、いじりがオジサンへの“サービス”であると主張した。ゲストのキャスター・安藤優子が「なんでいじるとオジさんは笑うんですかね?」と質問すると、兼近は「それが笑いと思っていた」と返していたが、私はここをもうちょっと掘り下げてほしかったと思う。

 統計を取ったわけではないので主観だが、オトコの芸人よりオンナの芸人が、無意味に容姿をいじられる率ははるかに高いのではないだろうか。例えば、フットボールアワー・岩尾望は「ハゲとるやないか」などと薄毛をいじられることもあるが、ヘアケア製品のPRに起用されるなど、仕事につながったという意味では、不利益を被っていないだろう。

 しかし、オンナ芸人の場合、そんな単純ではないように感じる。例えば、『うたばん』(TBS系)に友近が初めて出演し、中森明菜のモノマネを披露した時、司会のとんねるず・石橋貴明は、ネタを見る前も見終わった後も、ずーっと「足みじけー」と笑っていた。この場合、いじられることで友近に特に得られるメリットがあるとは思えず、これはいじりではなく、ディスりではないだろうか。

 また、友近も石橋もルックスが必須とは限らないお笑いの世界に身を置いているのに、友近は容姿について言われるが、石橋の容姿を本人の前でとやかく言う人を私は見たことがない。つまり、容姿が必要でない世界でも、女性はけなされる一方、男性が同じことをされるのは稀で、ましてや石橋のような権力者であるオジサンが面と向かっていじられることは、ほぼ皆無ではないか。

 自分の容姿は棚に上げて、女を(男も)下に見てバカにしてもよい。自分はジャッジする側の人間であると信じて疑わない。オジサンというのは、かなりの特権階級といえるだろうし、その権力の味は、ひとたび覚えたら忘れられないのではないか。また容姿によって、オジサンに愛され、権力のおこぼれを味わった女性は、美しくない女性は価値が低いと見下すようになり、容姿の悪い女性を嘲笑するようになるだろう。

 「オジサンは、なぜ外見をいじられないのか」……この問題にメスを入れなければ、芸人が容姿ネタを封印しようとしまいと、容姿差別がなくなることも、容姿のことで傷つく人も減らないのではないか。

 話を3時のヒロインに戻そう。容姿差別はなくならないにしても、いまこのタイミングで容姿いじりをやめたのは、賢明だと思う。新しい笑いを作っていくのは難しいだろうが、これは大きなチャンスでもある。「あの人たち、楽しそう」「ああなりたい」と思わせた芸人が、今売れるのではないか。3人仲良く、頑張っていただきたい。

小室圭氏は国民の望むものがわかっていない。「切実に名誉の問題」と語る“小室ブリーフ2021”に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「切実に名誉の問題でもありましたし」小室圭氏

(4月8日)

 ようやくというべきか、小室氏が母親と元婚約者との間にあった400万円の金銭トラブルについて、釈明する文書を4月8日に公表した。

 小室家の金銭トラブルを簡単に振り返ってみよう。「週刊女性」2017年12月26日号(主婦と生活社)が「秋篠宮家はご存じか! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母の『400万』借金トラブル」と報じた。かいつまんで言うと、小室氏の母親と交際していた元婚約者の男性が、小室さんの学費や母子の生活費400万円を負担していたが、度重なる無心に疲れ果て、婚約を破棄。400万の返済を求めたが、小室さん側は「お金は贈与されたもので、返す必要がない」とスルーしたという。

 同誌で「弁護士法人・響」の天辰悠弁護士が「借用書がないのでお金を取り戻すことは難しい」と、法律的には小室母子が正しい(返済の義務はない)とコメントしていた。そもそも、借金は小室氏がしたものではないから、彼の結婚には無関係といえるだろうが、法律的には問題なくても「人からカネを借りておいて平気で踏み倒す母親と、それをとがめない息子」という印象を受けた人や、そういう人たちが皇室の縁戚となることに拒否感を覚える人もいただろう。報道があった2カ月後、宮内庁はご婚約延期を発表した。

 ネックになっているのは、金銭トラブルなわけだから、それを解決すれば流れは変わるはず……なのだが、小室氏側は19年1月に、「金銭問題は解決済みと理解」とする文書を公表した以外、沈黙したまま。国民の不信感が高まる一方の中、ついに先日、28枚4万字にも及ぶ“小室ブリーフ2021”を公表するに至った。私は一通りこれを読んだが、どうも小室氏は、国民が何を望んでいるのかわかっていないようだ。

 “小室ブリーフ”を簡単にまとめるとするのなら、「借金ではない、だから返さない」「お金を渡せば、借金だと認めたことになる」の繰り返しである。「一般的には金銭トラブルと呼ばれていますが、切実に名誉の問題でもありましたし」と「あえて払わなかったのだ」と、プライドの高さをにじませるような主張をする。

 28枚もかけて、それが言いたかったんかいと、こちらはズッコケるが、4月12日には小室氏の代理人弁護士が「元婚約者に解決金を支払う意向がある」と発表し、さらに国民を驚かせる。「借金じゃないから、払うわけにはいかない」と持論を述べつつ、けれど解決金を支払うことで丸く収めようと思ったのかもしれないが、より混乱したという国民のほうが多かったのではないだろうか。ウェブサイト「AERA dot.」が、9日夜から12日までに実施したアンケート(回答数2万8641件)によると、“小室ブリーフ”や解決金の支払いについて、賛同より批判的な声のほうが多かったという。

 小室氏にとって「名誉を守る」とは何を意味するのか。おそらく、小室氏は名誉を、名誉権にもとづく「権利の問題」と考えていて、むやみやたらに侵される筋合いはないと考えており、だからこそ、お金を渡せば金銭トラブルが解決することがわかっていながら、「あえて渡さない」選択をしたのだろう。小室氏が自身や母親の名誉を重んじていることがよくわかるが、一つ視点が抜け落ちていやしないか。

 国語辞典を引くと、名誉とは「社会的に認められている、その個人または集団の人格的価値。体面。面目」と書かれている。つまり、名誉とは個人の権利や尊厳であると同時に「他人からどう見えるか、社会からどう判断されるか」という客観的な視点も必要とするわけだ。

 小室氏がどんな人物なのかを、国民は知らない。しかし、「社会的に認められている、その個人または集団の人格的価値。体面。面目」という意味の“名誉”を考えるなら、小室氏に心もとない点があるのは確かだ。

 大手銀行に勤務していた小室氏は、眞子さまにプロポーズした後、銀行をやめてしまう。国際弁護士になりたいという夢を捨てきれなかったためと報道されていたが、実家が援助してくれる場合は別として、庶民の世界では、仕事で一人前になって生活の目途が立ってから結婚するほうが多数派だろう。きちんと国際弁護士になってからプロポーズすればいいものを、順番がおかしいため、世間に「眞子さまの持参金目当て」「ロイヤルブランドの利用」という悪い印象を持たれてしまうのではないか。

 人は誰しもバイアスをかけて物を見る。年収1億の青年が「世の中はカネではない」と言えば、「仕事ができる上に、拝金主義ではない、高潔な人物だ」と好意的に受け取られることもあるが、健康なのに働こうとしない若者が同じことを言ったら、「理屈はいいから、働けよ!」と叱られてしまう。では小室さんはどうかというと、たとえ現在、米ニューヨークアメリカでの司法試験に向けて猛勉強中とはいいえ、社会的な条件で見れば、職務経験の少ない29歳の学生だけに、マイナス方向のバイアスがかかっている。その上、金銭トラブルも明るみになってイメージはよろしくない。小室さんが自身の名誉を守りたいなら「論より証拠」で、自分の“社会的”名誉を上げるしかないのではないか。

 皇室と名誉といえば、渡辺みどり著『美智子皇后「みのりの秋」』(文春文庫)で、こんなエピソードが紹介されている。民間から初めて皇室にお輿入れになった美智子さまが廃止した乳人制度だが、上皇さまは乳人によって育てられた。当時、乳人に選ばれるのは名誉なことであり、宮内省(当時)は全国から乳人候補を探したという。白羽の矢が立った女性は、慎重を期して、警察が本人はもちろん、両親、夫の両親、近親者に犯罪者、思想犯などがいないか、徹底的に調べたそうだ。

 小室氏や若い世代の人は、こういう“調査”を「名誉を棄損している、プライバシーの侵害だ」と思うかもしれない。しかし、自分が潔白であると積極的に証明することで、まず本人の名誉が保たれる。有事の際は、宮内省関係者が対応しやすいことを考えると、この場合の名誉は、個人の権利である前に、“透明性”や“客観性”を必要とするといえるのではないか。私から見ると小室氏は、「傷つきやすく、権利を侵害されると頑なになるが、義務を果たすことには熱心でない」人物に見えてならない。

 不敬を承知でいろいろと書いたが、私は小室氏の仕事の目途が立ったら、結婚するとよいと思う。ただし、経済的な基盤ができても、懸念材料には事欠かないだろう。今回の“小室ブリーフ”で小室氏がプライドが高いこと、他人の気持ちを考えることが得意でない(読み手のことを考えたら、もっと文書を簡潔にまとめるだろう)ことが明らかになったように感じている。

 結婚とは、離婚のリスクを抱えることだが、「週刊女性」17年6月13日号によると、眞子さまは離婚した場合、皇居や宮邸には住めないという。モラハラや暴力など、夫婦の間に危機はいくらでもあるが、眞子さまは「帰る場所がない」状態で結婚しなくてはならないのだ。

 内親王のお相手といえば、上皇陛下のご長女・紀宮さまと結婚した黒田慶樹氏は、婚約内定会見で「宮さまには、これからの生活の多くが新しいことで、ご不安をお感じなることも多くおありかと存じますけれども、私といたしましては、できる限りのことをさせていただきたいと存じております」と、紀宮さまファーストで生活を組み立てる覚悟を見せていた。小室氏にこの配慮と覚悟はあるのかーー。全ての結婚は賭けだが、眞子さまにはこの賭けに、負けてほしくないと願うばかりだ。

中田敦彦より、藤森慎吾のほうが「生き残る」と思うワケ……オリエンタルラジオの「地味なほう」を考える

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「今年一、笑ってます」オリエンタルラジオ・藤森慎吾
「藤森慎吾のYouTubeチャンネル」4月5日

 タレント・松嶋尚美のインタビューが、「オリコンニュース」に掲載されていた。「松嶋尚美、今振り返る『ボキャ天』時代と20年続いたコンビ相方への思いと『運命と感謝』」というタイトル通り、ここまでの来し方を振り返っている。特にお笑い志望でなかった松嶋が、中島知子とコンビを組んで、オセロとなる。お笑いブームの中の“女子枠”に入り込み、人気番組『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演できたが、ネタを100個も考えなくてはいけないこともあり、大変だったそうだ。

 その後、オセロは順調に売れていくが、中島の“洗脳騒動”がきっかけで2013年にコンビを解散する。「もしも相方が中島さんじゃなかったら東京にも出てきていないやろうし、仕事もなかったと思う。運命的なものを感じるし、感謝していますよ」と、“相方がいたから、今の自分がある”と振り返った。

 すごく“いい話”なのだろうが、松嶋というと、どうしても思い出してしまう発言がある。たしか『さんまのまんま』(関西テレビ)だったと思うが、中島の洗脳騒動のはるか前に、同番組に出演した松嶋は「オンナのコンビはモテないほうが幸せになる」と言っていた。モテるのがどういう状態を指すのか(多くの人にアプローチされることなのか、それとも恋人が常にいることなのか)、また、幸せとは何かを具体的に発言していなかったので判断は難しいが、有名俳優と熱愛報道もあった中島は、あの騒動の後、テレビで見かけない。一方の松嶋は、今も天然キャラとして、『バイキングMORE』(フジテレビ系)に出演している。

 これまた古い話だが、何かの番組でビートたけしが「おネエちゃんのいる店」に行く理由を、「自分が売れているかどうかがはっきりわかるから」「モテてるうちは、売れてるってこと」と言っていたことがある。つまり、男性は売れたらモテるというように、「仕事ができると、恋人など、そのほかのものも一気に手に入る」システムになっているということだろう。しかし、松嶋は「女のコンビはモテないほうが幸せになる」と言っている。松嶋は、何が幸せかとは明言していないが、この言葉を現在に置き換えると、松嶋は中島よりモテていなかったものの、中島より売れているから幸せだと捉えることもできる。つまり、社会的評価と女性としての評価はイコールにならないという、“女性の生きづらさ”を示しているとも受け取れるが、最近になって、また別の考えを抱くようになった。

 「男女問わず、コンビは地味なほうが寿命も長い」のではないだろうか。

 コンビやトリオなど、人が2人以上いれば、「目立つほう」と「目立たないほう」に分かれてしまう。目立たないほうは、「じゃないほう芸人」といわれてしまったりする。人気商売で「じゃないほう」と呼ばれるのは名誉ではないだろうが、実は「じゃないほう」「地味なほう」芸人は、ながーく活動ができるという意味で、トクなのかもしれない。

 例えば、博多華丸・大吉。博多華丸が児玉清さんのモノマネで、06年の『R-1グランプリ』に輝いたことから、華丸の知名度が上がっていく。優秀な「じゃないほう芸人」は、こんな時に「あいつばっかり売れる」と腐らずに、静かにチャンスを待つことができる。

 相方の大吉もそのタイプで、彼は08年に『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に出演した際、イケてない中学時代を振り返り、大ウケ。文化祭の後、焼却炉でなんでも焼いてしまう自分自身を「焼却炉の魔術師」と表現して、同年の「アメトーーク大賞」の「流行語大賞」を受賞している。続いて、大吉は10年に『年齢学序説』(幻冬舎よしもと文庫)を発表。同書では、成功者を客観的に分析し、「年齢に隠された成功の秘密」を解き明かしているのだが、つまり彼は「主役じゃない」視点を生かして仕事につなげ、ファンを増やしているのだ。

 雨上がり決死隊の蛍原徹も「じゃないほう」といえるのではないだろうか。相方である宮迫博之が、バラエティ以外にもドラマなどで活躍し、有名俳優との華やかな交流をテレビで話しているのに対し、蛍原がするのは競馬の話くらい。そういう意味で、蛍原は「地味なほう」だろう。

 しかし一昨年、宮迫は闇営業問題で吉本興業から契約を解除され、『アメトーーク!』をはじめ、コンビとして活動していた番組を蛍原が1人で引き継ぐことになった。当初はネット上で、それを不安視する声もあったが、ニュースサイト「デイリー新潮」19年10月18日掲載の記事によると、宮迫が降板してからのほうが番組の視聴率は伸びているという。「じゃないほう」と思われていたかもしれない蛍原だが、今まで前に出ないだけであって、実力はあったということだろう。

 今後、活躍すると予想される「じゃないほう」は、オリエンタルラジオの藤森慎吾だと思う。オリエンタルラジオといえば、中田敦彦のキャラの濃さと成功が際立っている。その昔、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演した中田は「お笑いを作りたいんじゃない、時代を作りたい」と発言していたが、中田はその後、教育系YouTuberとなり、「中田敦彦のYouTube大学 NAKATA UNIVERSITY」チャンネルを立ち上げる。登録者数は367万人(21年4月8日現在)、テレビに出なくても生計を立てられるようになった中田は、吉本興業を退所し(ただし、オリエンタルラジオは解散しない)、シンガポールに移住する。

 中田がお笑いの仕事をしていない以上、吉本興業に所属する意味はないわけだから、彼の退所は理解できる。しかし、なぜか相方である「じゃないほう」の藤森も、吉本興業を退所してしまった。中田の場合、退所してシンガポールに移住することで、YouTubeの新たなネタを増やすことができるだろう。しかし、藤森の場合、行き当たりばったりな気がしないでもない。中田はともかく、藤森は吉本にいたほうがよかったのではないかと考える人は多かっただろう。しかし、単なるカンにすぎないが、「芸能界に生き残るのは、藤森だ」と私は思っている。なぜなら、中田には“死角”が多すぎるから。

 中田のYouTube大学は登録者数は多いものの、たびたび内容に誤りがあることが指摘されている。中田といえば、慶応義塾大学出身の高学歴芸人として売っていた時期があるが、「受験勉強ができる」ことと、「人に教えるくらいの知識がある」ことは別次元の問題である。また、中田が仕入れた知識が、「正しい」とは言い切れない。そういう意味で、ミスするのは致し方ないのかもしれないが、あまりに間違いを連発すると、中田個人の信用が低下してしまうだろう。また、登録者は移り気だから、いつまでも今の人気が続くとは言い切れない。

 移り気といえば、中田も気が変わるのが早い。彼は世界のセレブを真似て、ヴィーガン宣言をしているが、「家族がいると、すごい妻が困った顔をする」と撤回している。また4月からはプライバシー保護のため、動画で顔出しをやめ、アバターとなって声だけの出演とすると発表していたものの、これも撤回。一度口に出したことは絶対にやり遂げろというつもりはないが、よくいえばスピード感がある、悪くいえば見切り発車な決断は評価が分かれるところで、行き当たりばったりだと感じる人もいるだろう。

 この決断に対し、藤森は「藤森慎吾のYouTubeチャンネル」で「今年一、笑ってます」「だから、中田敦彦やめられない」とコメントしている。藤森は中田をバカにしているわけではなく、緻密なようで、結構ヌケてるところが「中田らしさ」だと愛情をもって表現したのだろう。

 アイデア力にすぐれているかもしれないが、仕事が粗かったり、浅い決断を連発して人に迷惑をかけることもある中田タイプと、爆発的な業績はないかもしれないが、芸人としての実績があって、人格が円満な藤森タイプ。どちらの人と「仕事をしたい」と思うかといえば、一般的には、後者の藤森タイプではないだろうか。どんな仕事をするかはわからないが、藤森は厳しい芸能界を、なんとなーく、らくーに渡っていくような気がしてならない。

華原朋美、『アウト×デラックス』で“爆弾発言”連発! どれだけメンタルを心配されても……「彼女は引退すべきではない」理由

 歌手の華原朋美が、4月1日放送の『アウト×デラックス』(フジテレビ系)に出演し、“爆弾発言”を連発した。

 華原の人生は、まさに山あり谷ありといえるだろう。公私ともに親密な関係であった小室哲哉プロデュースで、90年代を代表する歌姫としてその名を轟かせるも、小室との別れをきっかけに転落。自殺未遂、薬物依存など、週刊誌を騒がせる騒動を起こし、2007年には当時の所属事務所を契約解除に。しかし12年には、再び芸能活動を再開。事務所と再契約を結んで、CD発売や全国ツアーなど、精力的に歌手活動に邁進していた。

 しかし、18年に、飯田グループホールディングス会長・森和彦氏の不倫関係をスクープされると、一気に雲行きが怪しくなる。翌年には、外資系企業勤務の一般男性との間に子どもを授かったと発表するも、結婚をしないまま、シングルマザーの道を歩むことになった。

 そして20年には、ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子のトラブルが勃発。同時期に、華原は事務所から契約解除されたことも発覚し、一部ではその原因が「精神安定剤や睡眠導入剤の乱用」であると報じられた。華原は一連の騒動を受け、YouTubeで高嶋と事務所社長に対する謝罪動画をアップしたが、声を震わせ、涙を流す彼女に、ネット上では「メンタル面が心配」「芸能界とは距離をおいたほうがいい」との声が飛び交ったのだった。

 しかし、華原はテレビの世界に戻ってきた。『アウト×デラックス』では、現在、金欠であることを明かし、「いやー、金が全てっすよ」と本音を吐露。自身のYouTubeチャンネルで、月100万円ほどの稼ぎはあるものの、高級ブランドのアイテムをつい買ってしまうため、食事は納豆と白飯という質素なものだと話していた。また元カレである小室についても、「別れが近づくにつれて(作る曲が)雑になっていく」と言いたい放題で、ネット上の実況掲示板は大盛り上がりだったようだ。

 表舞台から姿を消しても、不死鳥のように舞い戻ってくる華原。そんな彼女に対し、「完全引退」を勧める声も根強いが、ライターの仁科友里氏は、かつて連載「女のための有名人深読み週報」にて、「引退をすべきではない」と断言していた。「健康的に病む姿をファンに見せてほしい」と語る理由とは……華原がテレビ復帰を果たしたいま、同記事を再掲する。
(編集部)

(初出:2018年7月19日)

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私は私の幸せを考えたいな・・・華原朋美としてではなく」華原朋美
(華原朋美インスタグラム、7月15日)

 確固たる地位を築いた芸能人が、「芸能界を辞めたい」と漏らすことは時々ある。例えば、とんねるず・石橋貴明の妻である女優の鈴木保奈美は、“トレンディードラマの女王”と呼ばれていた頃、雑誌のインタビューで、繰り返し「スーパーと家の往復で幸せになれるタイプ」「辞めたい」と話していた。そして保奈美は、石橋との結婚で本当に芸能界を引退してしまう。あれだけの売れっ子でありながら、大々的な引退興行は行わないまま引退しただけに、「無理やり辞めた」印象が残った。

 3人の子どもを出産、育児に専念していた保奈美だが、10年後に再び芸能活動を開始している。保奈美だけでなく、引退を表明した芸能人が臆面もなく戻ってくることは多い。なんのかんの言っても、芸能人というのは「人に見られないと死んでしまう病気」に近いものにかかっているからではないだろうか。

 芸能人の誰もが、見られたい、前に出たいと思うからこそ、諍いが起きる。精神的なストレスも相当なもので、神経の細い人に向かない職業とも言える。が、不安定な人だけが持つ華も、人々を魅了すると思う。例えば、『スター誕生!』(日本テレビ系)史上、最高得点で合格した中森明菜。3枚目のシングル「セカンド・ラブ」でオリコン1位を獲得するなど、トップアイドルとして上り詰め、デビュー前からファンだったという近藤真彦と交際を始めるも、関係がこじれて自殺を図る。ここから長い低迷が始まるのだ。

 明菜の旬は、デビューした1982年から89年、テレビに出まくっていたおおよそ7年間。その後、テレビで姿を見ることも少なくなり、新曲も定期的に発売されることはなくなって現在に至る。数字だけで言えば、歌手として沈黙している時間の方が長いのに、ファンは愛想を尽かさない。明菜がディナーショーを開くとチケットはすぐに売り切れるというのが、その証拠だ。不安定さや不器用さで愛されるのもスターの証拠である。

 華原も明菜と同じく、不安定さやダメさが魅力の芸能人ではないだろうか。深夜番組ではしゃいでいたB級アイドルが、時代の寵児的な大物プロデューサー・小室哲哉に見初められ、トップアイドルへ。しかし、いい時は長く続かず、小室の心変わりによりポイ捨てされたといわれている。自殺未遂、薬物依存など絵に描いたような転落を経験し、2009年に事務所を解雇。番組名は失念してしまったが、華原がボイトレと称して、カラオケボックスで一人練習する姿はまるで素人のようで、全盛期を知る身としては切なかった。

 しかし12年、華原は事務所と再契約して、ライブを開けることになり、その様子を『NEWS ZERO』(日本テレビ系)が密着していた。会場に足を運ぶのは、往年のファンはもちろん、“ご新規さん”も結構な数含まれていたという。そのうちの1人である女性は、「自分も華原さんと同じ年で、就職難とかいろいろ経験してつらい思いをしたので、応援したくなった」などと話していた。華原の姿や歌声を自らの人生と重ね合わせたということだろう。その女性は、不安定な華原を否定しないし、不安定さを直してほしいとも思っていないようだったし、華原を応援することで、自分を励ましているようにも感じられた。明菜も華原も、活動が安定しないという意味でファンを裏切っている。しかし、ファンはそのあたりを織り込み済みなような気がする。裏切りが最大の絆になる。これもスターの特性だろう。

 音楽業界全体が厳しいので、その活躍ぶりは全盛期とは比べようがないものの、華原は全国ツアーができるまでに復活を果たした。めでたしめでたしと言いたいところだが、そこで“裏切り”を忘れないのが、またスターらしい。「フライデー」(講談社)が、華原の不倫疑惑を報じたのだ。相手は、30歳年上の一部上場企業会長で、華原のコンサートのスポンサーも務める人物。妻帯者なので、恋愛関係であれば不倫にあたる。

 相手が70代男性ということもあって、盛り上がることはなかったが(これが30代の妻子あるイケメン俳優が相手だったら、大バッシングされたことだろう)、華原はインスタグラムに意味深なメッセージを寄せた。スタッフやファンに支えてもらい、応援してもらい、幸せだと書いた上で、「でも・・・そろそろ・・・私は私の幸せを考えたいな・・・華原朋美としてではなく」と結んだのだ。芸能界引退を暗示していると解釈することもできるこの発言の後、華原がTwitter、インスタグラムなど自身が持っているSNSを閉鎖することを発表。活動休止、もしくは引退説が濃厚になってきた。

 “華原朋美が華原朋美を辞める”、つまり芸能界を引退して一般人になるということだが、無理だと私は思う。冒頭で述べた通り、芸能人は「人に見られないと死んでしまう病気」にかかっているように思うからだ。華原の言う「私の幸せ」が何を指すかわからないが、死ぬよりつらいであろうどん底を味わいながらも、芸能界と縁が切れないところに、華原の芸能界との相性の良さを感じるのだ。

 本人は気づいていないだろうが、不倫相手とされた会社会長が、華原を“応援”してくれたのだって、彼女が芸能人だから。社長が華原のスポンサーとなったのは、転落した歌姫を救うタニマチ的な行為にプライドをくすぐられた可能性はある。何が言いたいかというと、芸能人は芸能人であることを辞められないのだから、自分から引退など言い出さない方がいいと、私は思うのだ。

 ミリオンセラーを飛ばさなくてもいい、テレビでいつまでも未練がましく元カレの話をしていてもいい。ヤバくなったら、休んでもいい。華原の芸能人としての仕事とは、不安定を隠さず、歌い続けること。健康的に病む姿をファンに見せてほしい。壊れそうで壊れない、華原の繊細さや意外な強さが、彼女の最大の魅力なのだから。

Kōki,、ヴァレンティノCM炎上をスルー……木村拓哉と工藤静香の娘に必要なのは「自分の言葉」で語ること?

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「お庭の桜がもう散り始めました」Kōki,
(インスタグラム、3月31日)

 芸能界は今、変わり目を迎えているのではないか。

 「寄らば大樹の陰」という諺のように、かつては「大きな事務所に所属している芸能人は安泰」という雰囲気があった。現在の基準でいえば「コンプライアンス違反」的な行動を取っても、業界に影響力のある事務所に所属していれば、お咎めなしのなあなあで終わってしまうこともあったように思う。スキャンダルを追いかけるはずの週刊誌もなぜか沈黙したり、報じるにしても、ごく表面をなぞるだけということもあった。

 しかし、今の時代、そう簡単にいかないだろう。コンプライアンスが強化され、テレビ局は問題を起こした芸能人を敬遠するようになっている。

 一般人とて油断はならない存在になった。ほとんどの人がスマホを持っているから、芸能人の“秘密”に遭遇した場合、録音や録画して証拠を確保することが可能だ。ひと昔前は、一般人が週刊誌にタレこんでも無視される可能性もあったが、今はSNSがあるので、シロウトでも情報をバズらせることができる。

 それに、かつて何かしでかした芸能人に突撃するのは、芸能マスコミという限られた職種の人の仕事だったし、一般の視聴者が芸能人に意見を言う場合は、テレビ局への電話や投書という手間ひまをかけなければならなかった。しかし、SNSがある今、一般人は芸能人に匿名で、直接“文句”をつけることが簡単にできてしまう。

 こうした状況を見るに、昔は有名になればなるほど、ある程度の無茶をしても許されるという特権があったかもしれないが、今は有名人だからこそ、ささいなスキャンダルが許されない時代を迎えたといえるのではないだろうか。

 こんな時代の芸能人は、トラブルに巻き込まれないように行動するのはもちろんのこと、もし何かあったときに、自分の言葉で説明できる能力が求められると思う。

◎Kōki,は、ヴァレンティノCM炎上に触れたほうがよかった

 木村拓哉と工藤静香の娘で、モデルのKōki,が、出演したヴァレンティノOのイメージ動画をめぐって批判にさらされている。着物の帯を思わせるような布の上をKōki,が歩いていたことから、「帯を踏むとは日本文化への冒涜」という批判の声が上がった。ヴァレンティノは「あれは着物の帯ではない」と説明して、動画を削除したが、批判の声はやんでいない。

 Kōki,が歩いた布が和柄なのであって、「帯」を踏みつけたと私は感じなかったが、Kōki,に対して、その演出を拒否すべきだったのではないかという声が上がっている。炎上したニュースで、“悪者探し”が延々と行われるのはよくあること。そのとばっちりを食らってしまったのであって、私はKōki,に責任があるとは思わない。

 Kōki,はモデルであって、演出に関しての責任者は別だろう。演出を含めて動画の全ての出来をこれでよいと判断した監督、さらにこれを世界に公開したヴァレンティノに責任があり、Kōki,を責めるのはお門違いだと思う。

 そんな中、巻き込まれてしまったKōki,は「お庭の桜がもう散り始めました」と、インスタグラムにこの件と関係ないピースフルな画像をアップしている。Kōki,の母・静香も、週刊誌などの報道にいちいちコメントするほうではなかったから、その方針を真似ているのかもしれない。しかし、週刊誌は1週間で店頭から消えるが、ネットは同じ話題を引っ張ることが可能である。Kōki,も、自分の言葉で、言える範囲でこの件に触れてもよかったのではないか。

 ヘタなことを言うと、かえって炎上すると言う人もいるだろう。しかし、Kōki,に今一番足りないのは、自身の発言による「炎上力」であるように思えてならない。木村と静香を親に持ち、知名度と美貌に恵まれ、世界的スーパーブランドのアンバサダーを務めるKōki,。ひと昔前なら、こういう「日本のセレブ」的な芸能人はもてはやされたと思うが、今はそういう恵まれた完璧な人よりも、キャラが立っていたり、どこか抜けていたり……ともすると、炎上しかねない人のほうが好まれるのではないか。

 正論でも暴論でも、すっとぼけたことでもいい。Kōki,が自分の言葉で語ることで、彼女を身近に感じる人も増えて、注目度は増すように思う。Kōki,の姉・Cocomiは、ホワイトデーに配る「虫クッキー」をインスタグラムに公開して話題になった。セレブの娘がグロいクッキーを作って配るという「あえて変なことをする」キャラは斬新といえるだろう。固定ファンがつきやすいのは、Kōki,よりCocomiではないか。恵まれすぎているからこそ、「あえて、自分を汚す」演出が、この家の娘たちには必要に思える。

◎Kōki,は、自分の売り方を自分で探す時期

 Kōki,はインターナショナルスクール出身で、英語が堪能だそうだ。日本の芸能界から世界デビューを見据えての静香の教育方針だったのかもしれないが、モデルとして世界でやっていこうとするのなら、アジア人はどうしても体格面でハンディがある。そんな中Kōki,は、中国でも活動を始め、ファッション誌や大手企業の広告に起用されているそうだ。人口が多いアジア圏に売って出るのは名案だろう。しかし、中国でも大人気の「木村拓哉」の娘ではなく、Kōki,個人として今後も仕事を取っていこうとするのなら、したたかな中国人に渡り合える発言力は必要不可欠だ。

 Kōki,はかつて「BVLGARI AVRORA AWARDS 2018」にブルガリ・アンバサダーとして登場し、「どんな女性になりたいか」という質問に対し、「母のような女性になりたい。いつも私のことを考えていてくれて、ものすごく大好き」と答えている。静香が最強の味方であることは疑う余地はないが、静香の従来のやり方が、いつまでも通用するわけでないのも事実。18歳を迎えたKōki,は家族と仲良くしつつ、自分の売り方を自分で探す時期に来ているのかもしれない。

Kōki,、ヴァレンティノCM炎上をスルー……木村拓哉と工藤静香の娘に必要なのは「自分の言葉」で語ること?

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「お庭の桜がもう散り始めました」Kōki,
(インスタグラム、3月31日)

 芸能界は今、変わり目を迎えているのではないか。

 「寄らば大樹の陰」という諺のように、かつては「大きな事務所に所属している芸能人は安泰」という雰囲気があった。現在の基準でいえば「コンプライアンス違反」的な行動を取っても、業界に影響力のある事務所に所属していれば、お咎めなしのなあなあで終わってしまうこともあったように思う。スキャンダルを追いかけるはずの週刊誌もなぜか沈黙したり、報じるにしても、ごく表面をなぞるだけということもあった。

 しかし、今の時代、そう簡単にいかないだろう。コンプライアンスが強化され、テレビ局は問題を起こした芸能人を敬遠するようになっている。

 一般人とて油断はならない存在になった。ほとんどの人がスマホを持っているから、芸能人の“秘密”に遭遇した場合、録音や録画して証拠を確保することが可能だ。ひと昔前は、一般人が週刊誌にタレこんでも無視される可能性もあったが、今はSNSがあるので、シロウトでも情報をバズらせることができる。

 それに、かつて何かしでかした芸能人に突撃するのは、芸能マスコミという限られた職種の人の仕事だったし、一般の視聴者が芸能人に意見を言う場合は、テレビ局への電話や投書という手間ひまをかけなければならなかった。しかし、SNSがある今、一般人は芸能人に匿名で、直接“文句”をつけることが簡単にできてしまう。

 こうした状況を見るに、昔は有名になればなるほど、ある程度の無茶をしても許されるという特権があったかもしれないが、今は有名人だからこそ、ささいなスキャンダルが許されない時代を迎えたといえるのではないだろうか。

 こんな時代の芸能人は、トラブルに巻き込まれないように行動するのはもちろんのこと、もし何かあったときに、自分の言葉で説明できる能力が求められると思う。

◎Kōki,は、ヴァレンティノCM炎上に触れたほうがよかった

 木村拓哉と工藤静香の娘で、モデルのKōki,が、出演したヴァレンティノOのイメージ動画をめぐって批判にさらされている。着物の帯を思わせるような布の上をKōki,が歩いていたことから、「帯を踏むとは日本文化への冒涜」という批判の声が上がった。ヴァレンティノは「あれは着物の帯ではない」と説明して、動画を削除したが、批判の声はやんでいない。

 Kōki,が歩いた布が和柄なのであって、「帯」を踏みつけたと私は感じなかったが、Kōki,に対して、その演出を拒否すべきだったのではないかという声が上がっている。炎上したニュースで、“悪者探し”が延々と行われるのはよくあること。そのとばっちりを食らってしまったのであって、私はKōki,に責任があるとは思わない。

 Kōki,はモデルであって、演出に関しての責任者は別だろう。演出を含めて動画の全ての出来をこれでよいと判断した監督、さらにこれを世界に公開したヴァレンティノに責任があり、Kōki,を責めるのはお門違いだと思う。

 そんな中、巻き込まれてしまったKōki,は「お庭の桜がもう散り始めました」と、インスタグラムにこの件と関係ないピースフルな画像をアップしている。Kōki,の母・静香も、週刊誌などの報道にいちいちコメントするほうではなかったから、その方針を真似ているのかもしれない。しかし、週刊誌は1週間で店頭から消えるが、ネットは同じ話題を引っ張ることが可能である。Kōki,も、自分の言葉で、言える範囲でこの件に触れてもよかったのではないか。

 ヘタなことを言うと、かえって炎上すると言う人もいるだろう。しかし、Kōki,に今一番足りないのは、自身の発言による「炎上力」であるように思えてならない。木村と静香を親に持ち、知名度と美貌に恵まれ、世界的スーパーブランドのアンバサダーを務めるKōki,。ひと昔前なら、こういう「日本のセレブ」的な芸能人はもてはやされたと思うが、今はそういう恵まれた完璧な人よりも、キャラが立っていたり、どこか抜けていたり……ともすると、炎上しかねない人のほうが好まれるのではないか。

 正論でも暴論でも、すっとぼけたことでもいい。Kōki,が自分の言葉で語ることで、彼女を身近に感じる人も増えて、注目度は増すように思う。Kōki,の姉・Cocomiは、ホワイトデーに配る「虫クッキー」をインスタグラムに公開して話題になった。セレブの娘がグロいクッキーを作って配るという「あえて変なことをする」キャラは斬新といえるだろう。固定ファンがつきやすいのは、Kōki,よりCocomiではないか。恵まれすぎているからこそ、「あえて、自分を汚す」演出が、この家の娘たちには必要に思える。

◎Kōki,は、自分の売り方を自分で探す時期

 Kōki,はインターナショナルスクール出身で、英語が堪能だそうだ。日本の芸能界から世界デビューを見据えての静香の教育方針だったのかもしれないが、モデルとして世界でやっていこうとするのなら、アジア人はどうしても体格面でハンディがある。そんな中Kōki,は、中国でも活動を始め、ファッション誌や大手企業の広告に起用されているそうだ。人口が多いアジア圏に売って出るのは名案だろう。しかし、中国でも大人気の「木村拓哉」の娘ではなく、Kōki,個人として今後も仕事を取っていこうとするのなら、したたかな中国人に渡り合える発言力は必要不可欠だ。

 Kōki,はかつて「BVLGARI AVRORA AWARDS 2018」にブルガリ・アンバサダーとして登場し、「どんな女性になりたいか」という質問に対し、「母のような女性になりたい。いつも私のことを考えていてくれて、ものすごく大好き」と答えている。静香が最強の味方であることは疑う余地はないが、静香の従来のやり方が、いつまでも通用するわけでないのも事実。18歳を迎えたKōki,は家族と仲良くしつつ、自分の売り方を自分で探す時期に来ているのかもしれない。

みちょぱは工藤静香に似ているけれど……「男を立てる」だけでは通用しない、彼女が“令和の時代”をうまく泳げる理由

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私が面倒を見る」みちょぱ(池田美優)
「女性セブン」(小学館、2021年4月8日号)

 時代が変わるにつれ、それまで“当たり前”とされてきたことが変わる。例えば一昔前、独身女性芸能人の「結婚できない理由」を検証する番組はたくさんあったが、今は皆無といってもいいだろう。もし今、こんな番組を放送したら、「結婚するもしないも、個人の自由」「女性蔑視」として、炎上することは必至である。

 それでは、世の中が一気に変わるかというと、そうでもないようだ。2月16日放送の『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)では、人気コーナー「格付けしあう女たち」で、「男を見る目が無さそうな女」というテーマのもと、女性タレントたちが互いを格付けしあい、一般人投票によるランキングを予想していた。

 そんな同コーナー内で、バカリズムは、朝日奈央を「誰にでも抱かれる危険性がある」とイジッていた。独身であれば、誰と関係を持っても問題ないはずだが、これは「女性は、多数の人と性的な関係を持つのは、よろしくない」という考えがあるからこその指摘ではないだろうか?

 結婚もセックスもプライベートな事柄だから、法を犯さないかぎり、他人がそのあり方を定義することはできない。「独身であることを笑うのはおかしい」という考え方は徐々に浸透しつつあるが、同じプライベートでも、女性が性的に自由であることには抵抗を抱く人が多いのだろう。これは、「世の中は少しずつ変わってきているものの、変わっていないこともたくさんある」の証拠ではないだろうか。

 だとすると、芸能人も、昔と同じキャラクターでは生きられないが、あまりに先鋭的だと、拒否感を抱かれる可能性がある。つまり「ちょうどよく今風でありながら、保守性を持つ」ことが求められるが、その条件を一番満たすのは、ギャルタレント・みちょぱ(池田美優)ではないだろうか。

 ギャルタレントは、オジサンオバサンに若者文化を教える役割を担っている。漢字が読めないなど、知識量は少なく、大御所にタメ口をきいたり、一見非常識だが、相手の話をさえぎったり、話の腰を折ったりするような、相手の見せ場を減らす非礼は働かない。これができるのは、頭の回転が速いからだろう。ファッションと知識量の差こそあれど、「相手を立てる」という意味で、ギャルタレントと女子アナは似ていると思う。

 みちょぱのすごさは、共演者も認めている。『アメトーーク!』(同)の「みちょぱスゴイぞ芸人」回で、みちょぱは陣内智則に「玄人から見てわかるうまさ」「同じ言葉を2回使わない、上をいく言葉を選ぶ」、ずん・飯尾和樹には「相づち手助け名人」と、高く評価されていた。

 このほかにも、オアシズ・大久保佳代子に「ジジイを転がしている感を見せずにアシストができる、あれができるって最高級のホステスですよ」、飯尾に「オジサンは話聞いてくれて、自分に興味を持ってくれるのがうれしいわけじゃないですか」、かまいたち・山内健司に「下ネタに対する線引きが絶妙」と言われていたことから考えると、セクハラを嫌がらず、男を立てるという“男転がし”のスキルも評価されているといえるだろう。

 上記の芸人だけでなく、みちょぱはとんねるず・石橋貴明にも好かれているようだ。『情熱大陸』(TBS系)が石橋に密着した際、みちょぱが楽屋挨拶に来ていたが、石橋は「かわいいね」とかなり好意的に迎えていた。

 この時にふと思ったのが、みちょぱは令和の工藤静香ではないかということ。細身の体、ロングヘア、少したれ気味の目など、ルックスがどこか似ている気がする。それに往年の静香も、みちょぱと同じか、それ以上に男性ウケがよく、石橋には“姫”と呼ばれていた。

 それに、「男を立てる」ところも似ている。静香は『ザ・ベストテン』(同)で、「好きな人には絶対口答えしない」「夫に浮気をされるのは、(妻に)魅力がないから」というような“男ファースト”発言を連発しており、こうしたヤンキーもしくはホステス的な男性へのホスピタリティは、彼女の特徴といえるだろう。

 しかし、ジェンダーフリーを求める令和の世では、工藤のように、男を立てる「だけ」では、通用しない。みちょぱは、こうした時代をうまく泳ぐ術を心得ているのだ。

 例えば、みちょぱは筋トレに励み、うっすら腹筋が割れるようにボディメイクしているが、SNSに水着姿をアップしたところ、「男が思ういい体を完全に間違えている」といったリプライがついた。みちょぱは「男にいい体と思われたくてこの体になってない グラビアもやらないから自己満です」と、自分の体が「男のため」でないと説明した。

 女性芸能人の場合、一般人と違って、まんべんなく、一人でも多くの人好かれるほうがいいはず。特に若い女性芸能人は男性に支持されるほうが、仕事の幅も広がるだろう。それでも、自分から「男にいい体と思われたくてこの体になっていない」と発言するのは、非常に「今風」なのではないか。

 みちょぱは、恋愛においても静香より現代風になっている。「女性セブン」2021年4月8日号(小学館)が、みちょぱの熱愛を報じた。相手は大倉士門。もともとはジャニーズ事務所に所属する関西ジャニーズJr.の一員だったそうだ。その後は、「Popteen」(角川春樹事務所)の読者モデルになり、「好きな男の子モデル」アンケートで1位を獲得したこともあるが、大倉は今年に入って所属事務所を辞め、フリーに。何かと大変そうな彼を見て、みちょぱが「私が面倒を見る」と親公認で同棲を始めたそうだ。

 静香は、昭和から平成にかけて「恋多き女」として知られ、田原俊彦、少年隊・植草克秀、光GENJI・諸星和己など、時代を代表する男性スターと浮名を流してきた。偶然、時代の寵児と交際したのか、それともトップを取った男が静香の好みなのかは不明だが、当時、一流の男性と交際することは、女性の株を上げることにもつながった。対してみちょぱはとりあえず、彼氏のステイタスにこだわりがないようだ。

 有吉弘行との共演が多いみちょぱは、工藤的な昭和、平成の慣例でいうのなら、トップを取った有吉との交際を望み、付き合っていてもおかしくない。しかし、実際の恋人は、自分より知名度の劣る男性であり、しかも「面倒を見る」形での交際を選んだ。

 少し前なら、女性のほうが男性より知名度もしくは収入が上の交際である場合、「騙されてない?」「大丈夫なの?」「ダメな男が好きなの?」と見る人もいたと思う。しかし令和の世では、年上のスターと交際するより、よっぽど好意的に受け止められるのではないか。この恋が成就しようと、そうでない結果を迎えようと、「芸能人として」のみちょぱの評価は揺るがないだろう。

 売れる芸能人は独特の勘の良さ、もしくは無意識の引きの強さを持っているように思うが、みちょぱはギャルでなくなっても安泰のような気がする。ただ、男に尽くすのはほどほどにして、ますます仕事を頑張ってほしい。