日本社会に根付いた「弱者を笑う文化」をあぶり出す五輪――とんねるずの“事件”&太田光の“小山田擁護”に見る「間違った男らしさ」

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人> 
「子どもって残酷じゃないですか」爆笑問題・太田光
『サンデージャポン』(TBS系、7月18日)

 オリンピック、本当にやるんですね。

 新型コロナウイルスのワクチン接種はスムーズに進んでいるとは言い難く、東京の新規感染者数は2,000人に迫っている。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、テレビの取材に対し、8月の第1週には過去最多の3,000人まで感染者が増え、医療体制が逼迫すると予測した。オリンピック関係者の感染拡大防止策として採用される「バブル方式」の不備も指摘されていて、個人的にはオリンピックを開催している場合ではないと思うが、まぁ、いろいろオトナの事情があるのだと推察する。

 問題になっているのは、新型コロナウイルス対策だけではない。オリンピック・パラリンピックの開会式の楽曲担当に任命されたミュージシャン・小山田圭吾が、学生時代に同級生の障害者いじめを雑誌に告白していたことから、オリパラに関わるのはふさわしくないとの声がネットから上がった。

 小山田は過去に、いじめを武勇伝のように語っていた。1994年1月号「ROCKIN’ ON JAPAN」(ロッキング・オン)では、「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。喰わした上にバックドロップしたりさ」「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイデアを提供するだけ(笑)」、95年8月号の「Quick Japan」(太田出版)では、「マットの上からジャンピング・ニーパッドやったりとかさー」「掃除ロッカーの中にいれて、(中略)みんなでロッカーを蹴とばすんですよ」。ここまで来るといじめの範疇を越えて、犯罪にあたるのではないか。オリンピック憲章はあらゆる差別を否定しているだけに、小山田のような過去を持つ人物が適任なのかという意見がSNS上で湧き上がり、7月19日に辞任した。 
 
 その前日18日、太田は『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、小山田の所業を言語道断としつつも、「子どもって残酷だから」と擁護するようなことを述べた。出演者全員が小山田を責める側に回ったら、番組として成立しない。小山田本人ならまだしも、血縁者にまでバッシングが及んでいることから考えても、太田が擁護するようなポジションを取ったことは、番組的には正解だろう。しかし、子どもであっても、ここまでのいじめはする人はごくわずかだろうし(いるならば、適切なケアを受けたほうがいいと思う)、ましてや良識を持った大人なら、いじめを武勇伝的に語ることのおろさかを知っているはずだ。そう考えると、「子どもだから」という太田のフォローには疑問が残る。

 なお、太田は20日深夜放送のラジオ『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)にて、「俺の言葉が大勢の人を傷つけた」と『サンジャポ』での発言について反省の弁を述べ、「小山田圭吾の存在を許した環境も含めて考えないと、ちゃんとした判断はできないんじゃないか、ということを俺は言いたい」と主張していた。

 それにしても今回のオリンピック、要職にある人物の辞任が特に目立つ。

 2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)で、森喜朗五輪組織委員会前会長が「女性っていうのは競争意識が強い」「私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。(中略)我々は非常に役立っております」と発言。これが女性蔑視に当たると批判され、辞任した。 
 
 翌3月には、電通出身のクリエイターで開閉会式の演出総括を担当していた佐々木宏氏が、開会式にタレント・渡辺直美をブタに見立てた演出プランを提案していたことがわかり、辞任。そして、開会式前日の7月22日、橋本聖子組織委員会会長は、開会式演出担当の元お笑い芸人・小林賢健太郎氏が、過去にユダヤ人の大量虐殺をコントの一部でネタにしていたことを理由に解任した。 
 
 小林の解任が妥当かどうか、個人的には議論の余地があると思うが、それ以外の3人がその職にふさわしかったとは、私は思わない。彼ら3人は仕事の実績があるからこそ、オリンピックの名誉職にノミネートされたのだろうが、一方で著しく人権意識に欠けている。それでは、この3人だけが極悪非道な“悪人”かと聞かれたら、それも違うように思う。なぜならば、一個人の問題以前に、日本社会に女性や障害者など「弱者を笑う文化」が根付いていると感じるからだ。

 3人ともその世界では権威ある立場で、社会的強者のポジションにあるから「笑われる側」ではない。社会的強者なので、誰に気遣うこともなく「いつものように」思ったことを言ったのだろうが、今回はなんだかものすごく怒られてしまった。「なんでみんな、そんなに怒ってるの?」というのが、彼らの本音ではないかと推察する。

 小山田のいじめ発言はTwitterなどで個人としてなされたのではなく、出版社が発行した雑誌を通してされている。これはまさに、「悪気のなさ」が社会全体に広がっていたことの表れだろう。本来なら「これはヤバい」とストップをかけるべき編集者がそれをせず、小山田のいじめを武勇伝的に掲載する判断をしてしまっている。つまり、一部の企業で働く人たちの間にも「弱いものを笑う」意識が広がっていたということだ。

 そして彼ら3人は男性で、共通して「間違った男らしさ」があるように思う。そもそも、「その性らしさ」とは何か。答えは人によって無数にあるだろうが、私の考えは「慣例、もしくは自分に与えられたと感じる役割を自発的に演じるサービス精神」のことだと思う。男性の場合、女性と比べて体が大きく、腕力でも勝ることが多いため、「男性は強いもの、もしくは強くあるべき」という固定観念が生まれるとする。これを手っ取り早く成し遂げる方法の一つに挙げられるのは、「自分より弱い人を見つける」ことではないだろうか。しかし、これは「間違った男らしさ」につながると思うのだ。

 小山田発言がなされた90年代、私は大学生だった。サブカル方面に詳しいほうではなかったので断言はできないが、その時代には総じて「強者が弱者にひどいことをして笑う」風潮があったように思う。 

  爆笑問題と同世代のとんねるずが、1985年に起こした“カメラ転倒事件”をご存じだろうか。『オールナイトフジ』(フジテレビ系)に出演していた石橋貴明が移動式カメラに抱き着くと、そのまま横倒。1500万円するカメラはダメになったというエピソードだ。今だったらネット上に苦情が続出するだろうが、石橋はこの一件をのちに『石橋貴明のたいむとんねる』(2018〜20年、同フジテレビ系)で、悪びれることなく武勇伝的に語っていた。「無茶なことをやるのが男らしさ」という意識があったのではないだろうか。

 また、石橋の相方・木梨憲武は『大竹まことゴールデンラジオ!』(文化放送)に出演した際、「そういうことをどんどん望んでくれる時代だった」と、自分たちの意志というよりも、ある程度ビジネス的な感覚で意図的に「ひどいこと」をしていたと思わせる発言をしている。とんねるずだけでなく、テレビ業界に「ひどいことをされた側を笑う」構図があったのだろう。
 
 とんねるずは冠番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコント内で、高島彩ら女子アナウンサーや女性タレントに頻繁にセクハラをしていた。もちろん、テレビ内でやっていることだから、事前の打ち合わせはあるだろう。なので「不意打ちで逃れられない」といった意味での悪質さはなかったと思われる。しかしポイントは、男性が「強者」とされる世界で、「弱者」の女性を対象にセクハラをして、世間を笑わせようとしていたことだ。これもまた、「男らしさの証明」でもあったのではないだろうか。
 
 クリエイターの場合、加えて「ひどいことや悪いことをするのは、才能の証し」とみなす風潮もあったように感じている。まじめに創作活動にいそしむよりも、おかしな武勇伝を作るほうが「凡人とは違う」「才能があってすごい」という印象を手っ取り早く与えることができ、社会的な評価や地位を得やすかった記憶がある。

 今回は「間違った男らしさ」を持つ社会的強者の男性ばかり問題になったが、女性が社会的強者になり「弱者にひどいことをして笑う」場合もないとはいえない。90年代から弱者は「才能があるからしょうがない」「あの人はやんちゃだから」とひたすら許容を求められ、こうした価値観のまま国際的イベントに参加した結果が、相次ぐ辞任につながったといえるのではないか。

 オリンピックは、日本にはびこる「間違った男らしさ」や「弱者を笑う文化」をあぶり出しているように見える。唯一希望があるとすれば、SNSを通して「それはおかしい」と声を上げる人が増えていること。多くの人が生命の危険にさらされながらオリンピックをやること自体、社会的強者の考えのような気がするが、とりあえず、無事に終わることを祈るしかない。 

「自己肯定感」は褒められても高まらない? 峯岸みなみ&田中みな実の「結婚して自信を持ちたい」発言は“ちょっと違う”と思うワケ

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<今回の有名人>
「私、自己肯定感低いっていうか」元AKB48・峯岸みなみ
『グータンヌーボ2』(関西テレビ)7月13日

 Twitterをやっていると、よく目にする「自己肯定感」という言葉。「自己肯定感を高める」ための書籍は書店にも多く置かれているので、今は自己肯定感ブームなのだろうが、果たしてこの言葉の正しい意味を知っている人は、どれだけいるだろうか?

 7月13日放送の『グータンヌーボ2』(関西テレビ)に出演したタレント・峯岸みなみは、結婚したい理由の一つとして「自己肯定感が低い」ことを挙げていた。「自分で自分をほめるとか、自分を認めてあげるという作業がめちゃ苦手なんですよ」「だから、常に近くにいて『素敵だよ』『カワイイよ』『一番だよ』って言ってくれる人と生涯共にできたらなって願望はあって」と発言していた。文脈から考えると、峯岸の言う「自己肯定感が低い」とは、「自分に自信が持てない」ことであり、だからこそ、ほめてくれる人と結婚して、「自信を持ちたい」と思っているのだろう。

 しかし、「自己肯定感」というのは、心理学的に言えば「自分は優れた存在だと思う、自分に自信を持つ」ことではないそうだ。むしろその反対で、「社会的に優れていない自分、ダメな自分も受け入れる」ことを指すという。峯岸のように「自分のダメな部分を他人にほめてもらうことで自信がつき、自己肯定感が高まる」と信じている人は多いだろうが、これは本来の意味とは少し違う。誰かにほめてもらわずとも、「欠点を含めて自分自身を肯定的に受け止める」ことができれば、自己肯定感があるということだ。

 具体的に、どういう状態を「自己肯定感が高い」と言うのだろうか。精神科医・水島広子氏は『小さなことに左右されない「本当の自信」を手に入れる9つのステップ』(大和出版)において、「一人でいても、誰かから評価してもらなくても、安定した温かい気持ちになれること」「自分はこれでよいのだ」「自分は存在する価値があるのだ」と感じることと定義している。

 例えば、オリンピックの陸上競技で、金メダルを獲得した選手がいたとしよう。ある時、その人がケガをして、二度と走ることができなくなってしまった。もうオリンピックにも出られないし、メダルを取ることもできない。所属していた実業団はやめないといけないかもしれないし、収入も下がるだろう。そうすると、他人からはほめられず、社会的に優れた存在でもなくなるが、それでも「私はこれでよいのだ」と思える状態を、「自己肯定感が高い」と言うのではないか。

 だとすると、峯岸のような方法で自己肯定感を高めようとする時の盲点が見えてくる。「ダメな自分をほめてくれる人がいなくなったら、また自信がなくなる」可能性をはらんでいることだ。「〇〇がいれば、自信が持てる」という“条件付き”の自信や自己肯定感は、ホンモノではないといえるだろう。

 また、同番組MCの田中みな実は、「子どもにとって母親は自分だけだから、めちゃくちゃ子どもがいることで、自己肯定感が高まるかもよ」と発言していたが、彼女も自己肯定感の意味を誤解しているような気がする。小さい子どもは親がいないと生きていけないので、子どもから無条件に必要とされることで、自己肯定感が高まると考えているようだが、上述した通り、「○○だったら」という条件つきで成立する自信はニセモノであり、自己肯定感も高まらないだろう。なので、母親になれば自己肯定感が高まるという田中の理論は、ちょっと違うのではないか。

 その一方で、一般的に「自己肯定感は親から子に与えられるもの」だと言われている。子どもは成長するにつれて活動範囲が広くなり、当然、失敗したり、周囲と軋轢を起こしたりすることもある。そういうときに、家庭が“安全基地”の役割を果たし、「外で何があっても、家に帰れば安心だ」という気持ちになれば、子どもは「失敗しても大丈夫」と思えるようになるはずだ。しかし、親が「失敗は許さない」「これくらいできないようでは、うちの子とは認めない」と言わんばかりの接し方をすると、子どもは「○○ができないと、親から愛してもらえないんだ」と解釈し、自己肯定感が低くなるとされる。

 とはいえ、世の中に完璧な人間がいないとするのなら、完璧な親もいない。そんな親が与える自己肯定感も完璧ではないと考えると、「自己肯定感が低い」というのは、誰にでもあてはまることではないか。「自己肯定感が低いから、生きづらい」「自己肯定感が低いから、恋愛がうまくいかない」という人は多いし、それはあながち間違ってはいないと思うが、これが自己分析だとしたら、少々雑といえるだろう。峯岸や、彼女と同じような悩みを持つ人にとって大切なのは、自己肯定感が高いか低いかではなく、自己肯定感が低いことで、具体的にどんな問題が起きるのか、客観的に考えられることではないか。

 例えば「仕事でミスをした。私は自己肯定感が低いから、すぐに“自分はダメだ”と思ってしまう」と悩む人もいるだろう。その時に、自分について考えるのではなく、「○○先輩はできる人だけど、本当にミスをしていないのか?」「ミスをしないとしたら、なぜなのか?」と視点を外に向けることは、客観的な考えの一つのあり方だ。先輩から学んでミスを減らすことができたら、「自己肯定感が低いから、“自分はダメだ”と思ってしまう」率は下がるだろう。「人の振り見て我が振り直せ」ということわざは、客観の基本である。

 最近は「自己肯定感は高ければ高いほどいい」というブームを感じるが、自己肯定感が仮に低いとしても、客観性さえあれば補えると思うのだ。

 自己肯定感が低い人にこそ、向いている職業というものもあり、その代表が芸能界などの人気商売ではないかと思う。

 芸能人は一部の大御所を除いて、常に数字を出すことがを求められる。峯岸は、自己肯定感が低いエピソードとして、「人に評価をゆだねるっていう人生を歩んできちゃって」と発言していたが、これが人気商売の基本原則だろう。「私は数字を持っていないけれど、そんな自分も受け入れています」と言う人は、カネを生み出さないので、人気商売には確実に向かない。

 「AKB選抜総選挙」という、少女を極限に追いこんでCDを売るやり方は好きではないが、ファンの評価に身をゆだねるしかない場所で戦い抜いてきた峯岸は、自己肯定感は低いのかもしれないが、同時に非常に芸能人に向いている気がする。その点を客観視できれば、自分を認められ、自己肯定感も上がるのではないか。田中に「暗い」と言われていた峯岸だが、そこも大いなる個性。がんばって活躍していただきたいものだ。

視聴者は「こじるり型エンタメ」を求めている? 小島瑠璃子の熱愛&破局報道から考える「タレントの好感度」と「テレビ業界」

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<今回の有名人>
「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」小島瑠璃子
『グータンヌーボ2』(関西テレビ)7月6日

 SNSが構築されて、テレビ番組の制作は却ってやりにくくなったのではないかと思うことがある。

 自分たちの作った番組が視聴者にどう受け止められているのかとか、タレントに関するイメージや好感度など、SNSを使えばすぐに調べることができるから、便利であることは間違いない。しかし、その意見を書いた人のほとんどは匿名である。顔や名前のようなパーソナルデータが明らかになっている場合、辛口の意見を言うにしても、おのずと自制が利く。しかし、自分が誰なのか知られることはなく、ある意味、完全にプライバシーが守られた状態での意見は、必要以上に物言いがきつくなる可能性はあるだろう。

 それを制作側が“視聴者の声”と真に受けてしまうと、自分たちの作りたいものが作れなくなってしまうのではないだろうか。これはテレビに出演する芸能人も一緒で、SNSでの声を恐れるあまり、テレビに出ることすら怖くなることもあるかもしれない。

 今はテレビだけがタレントの活動場所ではなく、YouTubeやネット配信の番組もある。これらは「見たくて見る」視聴者が多いため、好意的な意見も出やすい。対するテレビは、一家だんらんの時間にたまたまついていたとかで、「見たくなくても見てしまう」場合もあり、その結果、不満も出やすいと思う。こう考えると、今の時代にテレビに出るというのは、「わざわざSNSで攻撃されるリスクを引き受ける」こととかなり近いといえるのではないか。だとすると、これからの時代にテレビに出る芸能人は「メンタルが強いこと」が必須となるだろう。

 しかし、「何を言われても気にしない」というように、SNSの存在を一切スルーする意味での「メンタルが強い」だけでは、テレビタレントとして不十分だ。視聴者の興味をひきつけてSNSを盛り上げるサービス精神を持ちつつ、SNSでの意見には耳を傾けないという強さが求められるのではないか。

 その際のポイントは、いかに視聴者をイライラさせられるかにあると思う。なぜなら、マジメな話やイイ話よりも、人をイラつかせる話のほうがSNSではコメントが集まりやすいからだ。コメント数が増えれば、その番組や芸能人に注目が集まるだろう。中には明らかに見当違いなコメントもつくかもしれないが、そこで怒ったり、傷ついたりしてはいけないと考える。傷つくことが増えると、テレビでのふるまいに制限がかかってしまうからだ。たとえて言うのなら、たき火に至近距離から油を注いで火を大きくしつつ、自分は決してやけどはしないという、高度で繊細、かつ危険な技を求められているように思う。それをやすやすとやってのけるのが、タレント・小島瑠璃子(以下、こじるり)だろう。

 先月、こじるりは交際していた漫画家・原泰久氏との破局を発表した。小学館が運営するニュースサイト「NEWSポストセブン」が2人の交際を報じたのは、2020年7月。こじるりは原氏の大ヒット漫画『キングダム』(集英社)の大ファンであり、共演したことから交際が始まったというが、基本的には好意的に受け止められるはずの熱愛報道に、イライラ要素を持ち込んでしまうのが、こじるりのスゴさではないだろうか。

 こじるりが振りまくイライラ要素は、主に3つある。

◎イライラ要素その1:「不倫略奪」疑惑

 原氏といえば、彼のツイートなどから愛妻家かつ子煩悩というイメージがあったが、知らぬ間に離婚していた。しかし、「ポスト」の報道が出た時点では、原氏の離婚時期や、こじるりとの交際がいつ始まったのか明らかでなかったために、「こじるりは不倫していた?」「略奪なのでは?」といった臆測が広がってしまった。

◎イライラ要素その2:「略奪の略奪」疑惑

 同年8月に「週刊文春」(文藝春秋)が報じたところによると、実は原氏、前妻と婚姻関係にあった2018年頃から元アイドルAさんと不倫をしており、Aさんは原氏と本気で再婚するつもりで婚約者とも別れ、芸能界も引退したそうだ。原氏は19年に離婚したものの、Aさんと再婚はせず。この後、こじるりと出会って交際がスタートしたとされている。

 原氏は独身になったわけだから、誰と交際しようと自由だが、「鳶に油揚げをさらわれる」ということわざのとおり、こじるりが横入りして、一番おいしい部分を持って行ったというイメージを持つ人もいるだろう。

◎イライラ要素その3:交際順調アピール

 「週刊ポスト」(小学館)に、原氏の体に密着する姿をたびたび撮られているこじるり。何度も言うが、独身者同士の恋愛に問題はない。しかし、不倫や略奪疑惑が完全に払しょくできたわけではないし、原氏にはお子さんもいるのだから、「静かに交際しておけ」と思う人もいるだろう。それでも、今年3月に『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)に出演した際には、「霊感のある人に見てもらったら、寝室に中国の兵士が奥まで並んでいると言われた」と自ら発言し、司会の明石家さんまに「キングダムだな~!」とツッコませるなど、交際順調アピールともとれる言動をとり、イライラした人も少なくないだろう。

 しかし、ここでまさかの破局。不倫や略奪の疑惑を持たれるような恋愛でついたイメージを拭い去りたいのか、今回の『グータンヌーボ2』(関西テレビ)に出演した際、こじるりは「今はスッキリ」と前向きな姿勢をアピールし、結婚願望があることも明かしたのだが、やはり、ここでもイライラ要素を投下してしまう。

 トーク中、「交際する前にセックスをするか?」という話題になり、こじるりは「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」と発言する。こじるりは現在27歳で十分大人だから、そういう判断もあるだろうし、こういう思い切ったことを言えばネットニュースが飛びつくだろう、というサービス精神を発揮したのかもしれない。

 しかし、「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」と明言してしまうことは、原氏とも「交際する前から体の関係があった」と言っているようなもので、結果的に、不倫の疑いを自ら濃くしていないだろうか。

 原氏は20年9月に自身のTwitterで、離婚の時期を同年3月だったとしている。一方、「ポスト」が2人の交際を報じたのは、同年7月。つまり、20年4月以降にこじるりが原氏と交際を始めたのなら、不倫ではないということになる。だが、「付き合う前にいたしますね。いたさないと付き合えないですね、逆に」という発言を真に受けるのなら、こじるりは20年4月より前に「いたした」疑惑も浮上し、不倫の可能性がゼロとは言えなくなる。

 そもそも2人は、原氏の離婚前から接点がある。19年1月放送の『世界ふしぎ発見!』(TBS系)で、『キングダム』の大ファンであるこじるりは原氏と対談を果たし、彼の仕事場も訪問。この収録のときから、原氏が離婚する20年3月の間に「いたした」可能性もあるだろう。それで付き合うと判断したのなら、こじるりは不倫をしていたことになる。真偽はともかくとして、視聴者にその可能性を感じさせれば、「ほら、やっぱり不倫じゃないか!」とイライラ要素をふりまいてしまうだろう。でも、これがこじるり流の“おもてなし”、もしくは“存在意義”というものだと、私は思うのだ。

 これからのテレビは「ねぇ、あなた、なんで叩かれてるかわかってる?」と問い詰めたくなるくらい、面の皮が厚い、もしくは打たれ強い人でないと出られなくなる気もする。正直なところ、こじるりは視聴者からの好感度は高くないだろうし、今後、劇的にイメージアップする可能性も低い。けれど、「良いイメージを持ち、好感度は高いほうがいい」という発想そのものが、「テレビはメディアの王様で、タレントは好感度を上げてCMに出て稼ぐべき」という旧時代的な考え方ではないかと思うのだ。

 商品の宣伝なら、SNS上のインフルエンサーに頼んだほうが費用も安く、効果も出る時代、イライラするけどつい見ちゃう、そしてまたイライラするという“こじるり型のエンタメ”こそ、今のテレビ業界に求められているような気がしてならない。

メイプル超合金・安藤なつは、“モラハラ妻”と決めつけられない? 山田花子、虻川美穂子「オンナ芸人の夫」の“共通点”を読み解く

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「家族にはギャラは支払えないってさ」メイプル超合金・安藤なつ
「デイリー新潮」6月29日

 お笑いコンビのメイプル超合金・安藤なつが離婚調停中であることを、ニュースサイト「デイリー新潮」が報じている。安藤といえば、2019年に6歳年下の一般人男性と交際3カ月でスピード結婚したことが話題になったが、どうやらうまくいかなかった模様。今時、離婚したくらいで世間はたいして驚かないが、夫の知人なる男性の証言によると、離婚の原因は安藤の超束縛と金銭面での厳しさだという。

 「新潮」の記事に沿って、夫の知人が挙げた具体例をまとめると、以下の7つになる。
(1)夫が知人と食事に行くときは、相手の連絡先を安藤に申告しなければならない。
(2)家賃の支払い負担は、安藤と夫で6:4。生活費は折半だが、たまに安藤が食事を作ったときは、夫に食費が請求される。安藤は断固として夫に収入を教えない。
(3)アメリカの歌手・リゾの日本語版PVに夫婦で出演。2人にギャラが支払われると聞いていたが、安藤は「家族にはギャラは支払えないってさ」と言い、いつまでたっても渡してくれない。
(4)夫が安藤の仕事を“手伝う”と、安藤自作の「お食事券」が渡される。これは外食したときに、安藤が支払いをしてくれる“金券”のようなもの。
(5)夫は安藤から車検の費用2万円を預かったが、実際は1万円で済んだ。浮いた1万円を安藤に返すのを忘れていたら、「犯罪者」呼ばわりされた。
(6)一緒に食事をしたことがある芸能人について、夫が「あの人、元気かな? また一緒にごはんに行きたいね」と言うと、安藤は「私を利用して近づきたいのか」と怒る。そのため、芸能人の友達が作れなかった。
(7)安藤にドライブレコーダーをチェックされるから、車に乗りにくくなった。

 売れっ子芸能人である安藤と、介護職の男性では、収入差があることは想像に難くない。これらのエピソード「だけ」で判断するなら、安藤はモラハラ妻にも感じられるが、エピソードの「前」に何があったのかは書かれていない。たとえば(5)の例は、夫が「たまたま」返金を忘れたのか、それとも返金を忘れることが「前にもあった」かどうかで、受ける印象は違ってくる。そのあたりが不明瞭だから、安藤をモラハラ妻と決めつけるのはいかがなものかと思う。

 オンナ芸人と夫婦のカネ問題といえば、山田花子が思い出される。10年5月にトランペット奏者の福島正紀氏と結婚した花子は、13年1月放送の『お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)に出演した際、「夫からキス1回1,000円、エッチ1回10万円を要求される」と明かした。また、15年10月放送の『快傑!えみちゃねる』(関西テレビ)で、花子は福島氏の仕事を「儲からない」と断言しながら、トランペット教室を開くために100万円以上かけてホームページを整備した上、高級なハンドクリームやリップクリームを使っているなどと、私生活を暴露。「私は安いのを使ってるのに」と、愚痴をこぼしていた。

 関西はお金についてあけすけに語る文化があるため、花子は「あえて」そういう話をしたのだろう。しかし、対等な立場でするはずの行為に金銭を要求したり、高級志向だったりと、夫がカネに固執しているようなエピソードは、視聴者にとって屈託なく笑える話だと私は思えなかった。

 オンナ芸人の夫婦で問題になるのは、カネだけとは限らない。北陽・虻川美穂子の夫はイタリア料理店のオーナーシェフ・桝谷周一朗氏だが、バラエティー番組『はねるのトびら』(フジテレビ系)で虻川から公開プロポーズをするなど、よくテレビで見かける夫婦でもある。2人が仲良しならば共演もアリだろうが、バラエティー番組で明かされるエピソードから考えると、そうとも思えない。

 たとえば、虻川が枡谷氏と手をつなごうとしても拒否されるとか、勝負下着を着けていても無視といったエピソードのほか、虻川の料理やファッションセンスにダメ出ししている枡谷氏の姿を見て、「この人は、本当に虻川を愛しているのか?」と思った視聴者は少なくないだろう。桝谷氏は虻川との結婚後、昔から大ファンだったという明石家さんまと何度か共演を果たしているが、大興奮するその姿からは、「芸能人と結婚して、芸能人とお近づきになりたい」といった思いがあるように感じた。

 幸い、花子も虻川もお子さんに恵まれ、夫婦円満にやっているようだが、2人の夫の「カネや芸能界の人脈に固執する姿」は、安藤の夫に共通する部分があるのではないだろうか。(3)のエピソードで考えると、ギャラがもらえないことから、夫は「安藤はカネに汚い」と思っているようだが、私に言わせると、ちょっと考えが甘い。

 日本のファッション雑誌でたまたま安藤を見かけて気に入り、オファーしたというリゾだが、彼女はグラミー賞にノミネートされるほどの実力者なので、PVに出演するならば、本来はオーディションが必要だったかもしれない。例えば、ドキュメンタリー映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(09年)では、マイケル・ジャクソンの後ろで踊るために、世界中からダンサーが集まり、オーディションを受ける姿が収録されている。しかし、介護職に就く一般人の夫は、そうしたオーディションを受けていないはずだ。それなのになぜ、夫にもPV出演のオファーが来たかというと、「安藤なつの夫」だからだ。安藤のおかげで出演できたことをわかっていないから、夫は「家族にギャラを支払えない」と言われたことを「不当」だと感じるのだろう。

 (6)のエピソードも同様で、食事会で芸能人と出会い、楽しい時間を過ごせたことで「友達になりたい」と舞い上がったのかもしれないが、それは「安藤なつの夫だから、良くしてもらった」可能性は否めない。「安藤なつの夫」というポジションにいるから受けられる恩恵や、相手の気遣いを考えず、「またご飯に行きたい」と友達のように言ってしまう夫は、ちょっと世間知らずで強欲な部分があるのではないか。

 オンナ芸人の活躍の幅は広がり、女優業や執筆業への進出も目覚ましい。有名になれば収入も社会的地位も得られるが、こうなると、有名人の夫になって「自分も有名になりたい」という野心を持ったり、「いい生活ができそう」と企んだりして、オンナ芸人を狙う一般人男性はどんどん増えることだろう。女性の経済力をあてにした結婚が悪いものだと私は思わない。

 しかし、その場合は、ある“義務”を背負う覚悟が必要になるだろう。世の社長夫人の多くが控えめにふるまうのは、本人の性格もあるだろうが、「夫あっての自分」ということをわきまえているからではないか。「女性有名人の配偶者」となり、なんらかの恩恵に浴したいと思うなら、男性も「妻あっての自分」であることを理解して、「妻を立てて、控えめにふるまう」ことはマストだろう。

 安藤だけでなく、オンナ芸人の皆様におかれましては、気を付けて相手を選んでいただきたいものだ。

秋篠宮ご夫妻と国民に「謝らない」小室佳代氏は、話が通じない? 小室圭氏と眞子さまの結婚問題が「解決しない」理由を探る

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「息子は全部自分で決めてやるタイプなんです」小室佳代氏
「週刊文春WOMAN」2021年夏号(文藝春秋)

 フジサンケイグループ生みの親、鹿内氏一族について書かれた『メディアの支配者』(講談社)を読んだ。北海道・寒村に生まれた鹿内信隆氏がいかにしてのし上がり、フジサンケイグループのトップとして強権を振るうようになったかが描かれている。信隆氏は美術品のコレクターとしても知られ、箱根にある「彫刻の森美術館」を開くなど、美術に造詣が深かった人物だ。同書ではその理由を、鹿内家にある“狙い”があったからではないかと推測している。

 フジテレビは、“文化芸術のノーベル賞”といわれる「高松宮記念世界文化賞」の授賞式を同局地上波で放送するなど、積極的に“応援”しているが、この賞は財団法人日本美術協会が主催しており、戦前から皇族方が総裁を務められている。文化芸術を口実に、鹿内家は日本最高のブランド・皇室とお近づきになりたかったのではないか、と著者は分析しているのだ。

 そして、同じような思惑を感じさせる親子が、今、皇室を揺るがしている。秋篠宮家のご長女・眞子さまとの結婚問題の渦中にいる、小室圭氏と小室佳代氏だ。

 眞子さまと小室氏は2017年9月に「ご婚約内定会見」を行ったものの、その後、週刊誌によって小室家のさまざまな疑惑が報じられ、18年2月に宮内庁が結婚延期を発表。これから2人はどうなるのか、いまだに先が見えない。だからこそ、国民の関心が高いのだろう。毎日のように眞子さまと小室氏について報じられた記事が、ネット上にアップされる。

 たとえば、今年6月16日配信の「デイリー新潮」は、「小室圭さん、納采の儀の費用が“払えない” 秋篠宮家ご負担案が浮上していた」とスクープ。庶民の結納にあたる「納采の儀」を行うにあたり用意すべき品を示された際に、小室氏が「こんなにかかるんですか?」「母子家庭ということもあって、金銭的な余裕がなく……」と答えたため、秋篠宮さまが費用を肩代わりするおつもりだったというもの。

 この記事が「Yahoo!ニュース」に転載されると、8,000件以上のコメントが集まり、「破談にすべきだ」「俺たちの税金を1円も使うな」といった怒りの声も書き込まれた。眞子さまと小室氏のニュースは、通常のニュースと比べるとコメント数が桁外れに多く、不快感があらわになっているものばかりだと感じる。

 確かに、今の小室氏は叩きやすい。大手銀行に勤めている間に眞子さまにプロポーズしたが、結婚の意志が固まると退職。小室氏は国際弁護士になるために猛勉強しているようだが、「今年30歳になるのにまだ定職についていない」という見方をする人もいるだろう。さらに「週刊女性」(主婦と生活社)が報じた、母親である佳代氏と元交際相手の間で起こった400万円もの金銭トラブルや、今年4月に小室氏が発表した説明文書の中で繰り返された「借金ではないから、払わない」「借金じゃないのに、借金と言われて傷ついた」といわんばかりの文章を読めば、状況証拠的に「眞子さまの一時金目当て」「ロイヤルブランドを利用している」など、「小室家が皇室に近づくための結婚」と見て批判する人がいてもおかしくない。

 こうして「カネに汚い親子」というバイアスがかかってしまっている今、小室氏親子は世論に対してとても不利だ。

 たとえば、「週刊文春」20年12月17日号(文藝春秋)は、佳代氏が元婚約者に「次回は代官山ASOでキャビアのパスタを是非!」「今年は圭の大好きな恵比寿ウェスティンHの『龍天門』でお祝いDinnerしたく」というメールを送ったと報じている。2人が当時恋人同士であったことを考えると、佳代氏のおねだりがそれほどおかしな話だと私は思わないが、高級店の名前が上がっていることから、「ほら、やっぱりブランド好きでカネがかかる!」と見る人のほうが多かっただろう。

 しかし、佳代氏と元婚約者については、金銭トラブルを円満に解決できなかったことが問題のはずであり、それがいつのまにか「カネに汚い佳代氏」という“虚像”が作りあげられ、一人歩きし続けているように私には思える。

 その佳代氏について、「週刊文春WOMAN」2021年夏号(同)は「小室佳代さん密着取材一年」というタイトルで、同誌記者とのやりとりを掲載した。取材当初は頑として記者の取材に答えようとしなかった佳代氏だが、記者に子どもがいることがわかると、笑顔で会話を交わすようになったとか。小室氏親子については、マスコミで“一卵性母子”や“佳代さんの操り人形”と書かれることも多いが、佳代氏は「息子は全部自分で決めてやるタイプなんです」「(圭氏は)中学でインターナショナルスクールに進学することも自分で決めました」と語り、自身は過干渉な母ではないと主張している。

 また、佳代氏本人に対する報道については、「誤った話が広まるのは本当に苦しい。一つ一つ訂正してもキリがないくらい」「二年ほど前には周りの人たちに『さようなら』と別れを告げて、いなくなろうとしたんです」など、間違った報道によって精神的に追い込まれ、命を絶とうとしたかのように思える発言もしている。さらに、元婚約者からは突然婚約破棄を言い渡され、それまで総額400万円の支援を受けていたため「清算はどうすればいいんですか」と聞いたところ、元婚約者から「差し上げたものです」と言われていたのに、それから1年後に「お金の返済を求めるお手紙」が届き、衝撃を受けたと告白。「話が膨らみすぎてしまって、信じてもらえないかもしれませんが、これが本当の話です」と話していた。

 交際していた恋人が、別れた後に「あの時のカネを返せ」と言うのはよくあることだろうし、そのあたりの問題は法律の専門家にゆだねるしかない。物事はどこから見るかで印象は違ってくるので、佳代氏から見て「間違った報道」がなされているのも事実だろう。当事者のみが真実を知っている以上、小室氏親子が本当に「カネに汚い」かどうかは第三者にわからず、報道や世間が作り上げた虚像の部分もあるのではないだろうか。

 しかしその一方で、小室氏親子には、独特の話の通じなさがあるようにも感じた。

 「週刊文春WOMAN」に掲載されなかった可能性もあるが、佳代氏は記事の中で「お騒がせして申し訳ない」というニュアンスの発言をしていない。眞子さまに対しては、「ご心労をおかけして本当に申し訳なく思っています」と言ったものの、秋篠宮ご夫妻には言及せず、国民に対する言葉も見当たらない。

 警察のお世話になるような「悪いこと」をしていないのだから、謝る必要はないと思っているのかもしれないが、自分のせいで愛する息子の結婚にブレーキがかかり、眞子さまや秋篠宮ご夫妻までバッシングにさらされ、「皇室不要論」を主張する国民まで現れた状況を考えれば、本心は別として、大人であり、親でもある立場から、エクスキューズ的な一言があってもいいのではないだろうか。「法に触れたわけではないから、謝らない」「でも、自分が傷ついたことは主張する」のは、小室氏の説明文書とそっくりで、話の通じなさは「よく似た母子」に思えて仕方ない。

 オトナの世界では、「やりたいことをやるには、義務も果たす」のが暗黙のルールだ。上述したように、小室氏は結納の費用がかさむとわかった際、「母子家庭ということもあって、金銭的な余裕がなく……」と発言したようだが、その言い分が通るのは学生時代までだろう。一般的に、自活すべきとされる年齢をすでに超えており、幸いにして高い教育を受けているわけだから、眞子さまと結婚したいなら、仕事をして結納金を貯めるのは、小室氏の義務のようなものである。「母子家庭だから」という言い訳は通らないだろう。

 週刊誌などで報道されている通り、小室氏は早くに父親を亡くし、母子家庭で育った。もしかしたら、母子ともども肩身の狭い経験や、心もとない思いをしたことがあったかもしれない。そうだとしたら、お気の毒なことだと思うが、それは同時に「個人的な事情」でもある。どの家族にも事情はあるわけで、「母子家庭」を伝家の宝刀のように振りかざす小室氏親子は、思考回路が自己中心的すぎやしないだろうか。

 秋篠宮さまご夫妻や国民は、金銭トラブルの解決を求めているのに、この親子は常に、自分たちの事情と気持ちを訴えている。それでは当然、ご結婚問題はいつまでたっても解決しない。2人に悪気はないのだろうが、やはり「言っても言っても話が通じない人」に思えてしまうのだ。

 親と子は別人格だが、一緒にいる時間が長い分、思考回路や行動パターンが似てしまうのは否めない。親から刷り込まれた“常識”が良くも悪くも壊れるのは、社会に出てさまざまな人の価値観に触れたときだろう。社会人になった子どもが「うちの親って常識あると思っていたけど、そうでもないな」と気づいても、それは親に対する批判ではなく、成長の証しととらえるべきだと思う。

 しかし、小室氏は新卒で入った銀行を辞めてしまい、その後はアルバイトや学生生活を送っているため、同世代と比べて、社会人経験が圧倒的に少ないはずだ。こうなると、親である佳代氏の基準やルールの中で生きるしかなく、結果的に、一般社会から浮いてしまう。眞子さまはプリンセスなので、世間を知らないのは当たり前だと思うが、このままでは、眞子さまと小室氏親子の3人は“世間知らずスリートップ”として、日本からどんどん孤立していくだけではないか。

 子どもが経済的に親から独立すると、自然に親の精神的傘下から逃れようとすることも多い。佳代氏の個人的な人となりは別として、30歳を迎えようとする子どもが母親の価値観で行動しているなら、あまりに情けない。小室氏は一刻も早く社会に出て、佳代氏から学んできた“常識”を壊すべきだろう。

清原和博、「ベストファーザー賞」に異論はないが……“同じ罪”でも「ベストマザー」になれない酒井法子に思うこと

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「一番悪い父親が…」清原和博
清原和博公式Twitter、6月15日

 元プロ野球選手の清原和博が、日本生活文化推進協議会などが主催する「ベスト・ファーザー賞in関西」を受賞した。これは関西にゆかりがあり、“明るく楽しい家庭づくりやユニークな子育てをしているお父さん”に送られる賞で、清原が「挫折の中でも2人の息子に向き合い再起を果たそうと前向きに生きている」ことが授賞理由だという。清原は授賞式が行われた6月15日、自身のTwitterに「一番悪い父親が…。感謝しか出て来ない」と投稿し、恐縮する様子を見せていた。

 清原は2016年に覚醒剤取締法違反で逮捕され、懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。一時期、2人のお子さんと交流は途絶えていたようだが、19年3月に再会を果たす。長男が大学野球部に入ったこともあり、「父子鷹なるか?」とマスコミの注目を集め、その姿を見守る清原について、好意的に伝えるネットニュースもよく見かけるようになった。

 順調に社会復帰しているように見える清原だが、薬物というのはそう甘いものではないらしい。清原の公式YouTubeチャンネル「清ちゃんスポーツ」では、現在も手の震えや耳鳴り、不眠などの後遺症に悩んでいることを明かすなど、薬物と完全に手を切ることの難しさを語ったこともある。

 一歩間違えば悪い方向に行ってもおかしくない、まだ不安定な状態の清原を「ベストファーザー」と言うのはおかしいと思う人もいるだろう。清原がどんな父親かを決める権利があるのは2人のお子さんだけだが、父親が警察のお世話になってハッピーな思いはしないだろうから、子どもたちの心を傷つけた清原を「ベストファーザー」と呼ぶのはいささか無理があるように思う。

 しかし、この賞に限らず、“ベスト〇〇”というのは商業的なイベントである側面は否めない。そうなると、「ベストファーザー賞」の場合は「真面目に働く、名もない市井のお父さん」よりも、その年に注目を集めた人や、旬な有名人に賞を与えて、「ベスト○○賞」そのものの知名度を上げる狙いもあるのではないだろうか。

 主催者側だけでなく、受賞者にとっても得があるはずだ。ネット上で「清原は賞を辞退すべきだ」という意見を見たが、人前に出る商売の人は「〇〇賞受賞」のような肩書は多いほうがいいし、こういう賞が次の仕事につながる可能性もある。ビジネス的な観点でいえば、少しでもイメージアップを図りたいはずの清原が辞退するのは損だろう。

 なので、清原が「ベストファーザー賞」をもらうことに異論はないが、ここで考えてしまうのは「父親の役割とは何か?」ということである。その前に、清原と同じように覚醒剤で逮捕された子持ち芸能人のケースに触れたい。

 覚醒剤で逮捕された有名人といえば、女優・酒井法子が思い浮かぶ。酒井に限らず、違法薬物で逮捕される芸能人はたくさんいるが、酒井の場合、“失踪”が印象的だった。

 2009年、酒井の夫だった自称プロサーファー・高相祐一が、覚醒剤所持の現行犯で逮捕される。現場にかけつけた酒井も任意で尿検査を求められたが、「絶対に嫌です」と拒否。「子どもを預けているから」との理由でその場から去り、そのまま行方がわからなくなった。

 芸能人の夫が覚醒剤所持――。これだけでも、マスコミが大騒ぎすることは目に見えており、酒井の失踪後、世間では「自殺をはかろうとしているのではないか?」という見方も出てきたが、その後、警察は家宅捜索で酒井の自宅から覚醒剤と吸引器具を押収。こうなると、酒井は夫の逮捕にショックを受けて“失踪”したのではなく、体内から覚醒剤の成分を抜くために“逃亡”しているという見方が強くなった。結局、酒井は弁護士に付き添われて警察に出頭し、逮捕。裁判で懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決となる。

 現在、酒井の執行猶予はとっくに明けているが、コンプライアンスに厳しい昨今、芸能界への復帰は簡単なことではない。とはいえ、今はテレビに出ることだけが芸能活動という時代でもないのだ。今年5月に個人事務所「株式会社スマイル」を立ち上げ、YouTubeチャンネルを開設した酒井は、タレントとして新たな地盤を固めようとしているのだろう。また、同6日配信のニュースサイト「AERA.dot」のインタビューでは、社会人になる長男が酒井のYouTube動画を見て「あーでも、めっチャ、カッコ良かったよ。がんばれ」と、応援してくれたエピソードも語られている。

 再犯することもなく、個人事務所を立ち上げて再出発、さらに息子を社会人になるまで育て上げた立派なお母さんだと思うが、そんな酒井を評価して「ベストマザー賞」を送ろうという動きは、今のところない。同じ罪を犯しても、清原は許され、酒井は許されない。それは酒井が「母親なのに」罪を犯したからではないだろうか。

 「ベストマザー賞」といえば、清原の元妻でモデルの亜希は、2011年5月に「第4回ベストマザー賞」を受賞している。この賞は、清原が受賞した「ベスト・ファーザー賞in関西」とは違う団体が運営する賞なので、選考基準は違うことも考えられるが、ここでどうしても気になることがある。

 賞を受賞する前の亜希は、お子さん2人を超名門小学校に入学させ、自身も08年から10年までファッション誌「STORY」(光文社)のカバーモデルを務めるなど、公私ともに絶好調だったといえるだろう。こうした活躍が評価されて「ベストマザー賞」に選ばれるのは当然とも思えるが、これは「子どもも自分も一流でなければならぬ」という、母親にかけられた“圧”の裏返しに感じる。

 対する清原は、覚醒剤で逮捕される前から、不倫報道や入れ墨の問題などで週刊誌をにぎわせてきた。16年2月発売の「週刊ポスト」(小学館)によると、清原の右腕には上を向いた2匹の龍が彫られていて、これは「2人の息子を思ってのもの」だと書かれているが、本当に息子さんのためを思うなら、入れないほうがよかったのではないか。

 やんちゃをしても「前向きに生きている」ことが父親の役割なのに対して、母親は「夫や子どもを大成させ、自分も美しくある」ことがマスト。薬物依存症と戦う清原のことは応援したいが、その一方で、「父親と母親に求められるものの違い」にちょっと首をかしげたくなるのも事実である。

太田光は「パワハラ」、有吉弘行は「いい先輩」? 対照的な“後輩指導”に学ぶ、年長者の「無難な選択」

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<今回の有名人>
「パワハラだって思われるのは、まだその人の表現力が足りないんだよ」爆笑問題・太田光
『太田伯山ウイカの「はなつまみ」』(テレビ朝日系、6月2日深夜)

 人気バラエティ番組『「ロンドンハーツ』」(テレビ朝日系)で「後輩にちゃんと慕われている? 相思相愛ウラ取りグランプリ」というコーナーがあった。オアシズ・大久保佳代子やFUJIWARA・の藤本敏史ら中堅芸人は、本当に後輩からに好かれているのか確かめる企画だ。ここで明らかになったのは、先輩芸人から後輩芸人に対しての“気遣い”である。

 「芸人の世界は縦社会」だと言われることもあるが、この企画を見ると、先輩も後輩に結構気を使っている。大久保は「先輩面というか、恩着せがましい感じで接しない」と話していたし、藤本は「お笑いの話はあえてせず、おいしい店に連れて行く」と明かしていた。

 しかし、後輩たちは数多くいる先輩のうち、この2人を「一番いい先輩」に認定しなかった。藤本に関しては、お笑いの話をしないため、「学ぶことがない」という後輩の意見もあったし、彼がチョイスする名店の食事も、特にありがたいと感じていなかったようだ。対して「お世話になっている先輩」として最も名前が挙がったのは、有吉弘行。毒舌で知られるタレントだけに意外な気もするが、有吉は後輩の出演した番組をよく見ていて、褒めてくれるのだという。こうした意見を聞き、当の本人は「後輩の話を聞いて、ずっと笑っているだけ」と話していた。

 有吉のケースから考えると、

・仕事の話を聞いてくれて、ダメ出しや否定ではなく褒めてくれる人
・「いつも自分を気にかけている」と感じさせる人

 これが現代の「いい先輩像」といえるのではないだろうか。

 有吉自身、『進め!電波少年』(日本テレビ系)の出演を機に人気者になるも、すぐにブームは去り、ぱったり姿を見せなくなった。しかし、品川庄司・品川祐を「おしゃべりクソ野郎」と呼んだことが話題になり、芸能人にあだ名をつける芸で再ブレーク。今ではバラエティ番組で引っ張りだこの存在だ。ほかにも、「這い上がるにはADに気を使え」など、地獄を見た有吉だからこそ語れる話もあり、くすぶっている後輩芸人たちにとって、有吉以上の相談相手はいないように思う。

 しかし、有吉は単なる“いい人”ではない。『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)で、ある時、若い世代のスタッフなどには「注意をしない」という話になり、共演のマツコ・デラックスは「嫌われたくない」「自分が損だから」と、その理由を語っていた。これはつまり、スタッフや芸人など、自分より目下の世代に正すべきところがあっても、彼らはあえてスルーしているのだろう。 

 またそれは一方で、「求められていないことは言わない主義」とも考えられるだろう。『ロンドンハーツ』を見る限り、後輩は先輩に「あれはダメだ」と言われたら、それが芸に対するダメ出しだとしても、自分の人格を否定されたように受け止める人が多かったように思う。だとすれば、有吉のように「ダメ出しはしない」のは賢明な判断なのかもしれない。

 一方で、爆笑問題・太田光が、有吉とは対照的な後輩指導について明かしていた。

 6月2日深夜放送の『お願いランキング!』(テレビ朝日系)の水曜コーナー「太田伯山ウイカの『はなつまみ』」に出演した弘中綾香アナウンサーが、テレ朝のいち社員として、仕事の一つである「後輩育成」の難しさを吐露した。自身は新人時代に「こんなんじゃダメだとか、もっとやれとかスパルタ」な指導を受けてきたが、今の時代に同じことをやるとパワハラだと言われかねないので、どこまで注意すればいいのかわからないそうだ。

 これに対し、太田はある経験談を披露。解散が決まった後輩芸人に「解散するならネタを見せてみろ」と要求した太田は、「ここはこう(やれ)」などと6時間にも渡って指導をしたという。太田は善意で後輩を指導したのだろう。「これは技術指導だから、パワハラにはならないわけ」と主張したが、共演者であるタレント・ファーストサマーウイカは「パワハラに取る人いますよ」、神田伯山も「俺も横で聞いてて、パワハラだと思ったもん」と同意してみせた。

 太田は「パワハラだって思われるのは、まだその人の表現力が足りないんだよ」とも語っており、教える側に卓越した能力があれば、受け手はパワハラだと取らないと考えているようだ。しかし、私も太田の指導はパワハラだと思った。後輩がそれを求めていたのならまだしも、もう解散すると決意した芸人に、今さら指導してどうなるのか。後輩もいくら太田の善意だとはいえ、指導を「もう結構です」とは言えないだろう。

 一方、芸能界で「とにかく売れたい」と思う人なら、先輩のアドバイスを求め、基本的には受け入れるはずだ。また、太田のファンならば、仮に解散や引退が決まっていても、太田に直接指導してもらえるのは夢のような話で、キツいことを言われてもパワハラとは取らないと思う。要するに太田は、「後輩に求められていること」がわかっていなかったのではないか。

 とはいうものの、先輩のどんな言葉でもパワハラだと感じやすい受け手がいることも事実だろう。「自分について考えてばかりいる人」や「相手のことを考えられない人」が、それに当てはまると思う。

 芸能界は努力したからといって、それが必ず報われる世界ではないが、「売れたいけれど、売れない」時の対策として考えられるのは、「相手を研究すること」だろう。仕事をもらえる人と自分の違いを比較したり、仕事を与える側(番組のプロデューサーなど)はどんな芸が好きか、何を求めているのかを分析することで、自分の足りない部分を補強するのだ。

 けれど、「自分について考えてばかりいる人」や「相手のことを考えられない人」は、それができない。「私は売れていない、だからやめよう」でも「私は売れていないけど、まき返すぞ」でもなく、「売れていない私、かわいそうな私」というふうに、私の評価、私の価値みたいなものばかりを気にするので、次の手を打てない。

 この状態に陥ると、先輩の“指導”は“ダメ出し”にしか聞こえず、「傷つけられた」「パワハラだ」と思うのではないだろうか。売れていない自分を俯瞰で見られるかどうかがポイントで、客観性がない人はパワハラに敏感なのだと思う。

 こうして整理すると、先輩が後輩に求められていることを理解せず、しかもその後輩が「自分について考えてばかりいる」「相手のことを考えられない」タイプである場合、あらゆるハラスメントにつながっていくことがわかる。

 その結果、有吉のように「ダメ出しはしない」のが、先輩として最も無難な選択肢になるのだろう。 

 芸人や料理人など、職人気質な世界は上下関係が厳しく、一昔前まで、ある意味パワハラは当たり前だった。その代わりと言ってはなんだが、師匠は弟子の将来や生活設計にある程度の責任を持った。だからこそ、弟子は師匠についていくのだと思う。しかし、今はそんな濃密な人間関係は好まれないし、お金や時間を使って人を育てることを、責任が重く割に合わない行為とみなす年長者も増えている。

 そんな時代に若い人を指導しようと思ったら、注意すべきは“善意”ではないだろうか。おそらく太田は善意で後輩を指導したのだろうが、実はこれが一番厄介で、善意ゆえに歯止めが利かないし、周囲も指摘しにくい。指導をするなら、「相手の人生に責任を取る」くらいの覚悟がないといけないのかもしれない。

熊田曜子の発言だけで、夫を“悪者”と決めるのは不公平? 「夫婦はどっちもどっち」だから“悪口”は難しいと思うワケ

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「すべて事実です」熊田曜子
本人直筆コメント、5月31日

 若かりし頃のビートたけしが、写真週刊誌「フライデー」(講談社)編集部を襲撃したことがある。

 当時、既婚者だったたけしは、妻とは違う女性と交際しており、その女性に対して同誌が強引な取材を行ったとして、たけし軍団の若手芸人を連れて編集部に押しかけた。その結果、傷害事件に発展し、たけしは懲役6カ月、執行猶予2年の判決を受けている。

 世間では、報道(言論)に対し、暴力で報復するのは民主主義に反するとたけしを叩く声が上がっただけでなく、編集部の強引な取材方法にも非難が集まった。そんな中、マスコミはたけしの実母・北野サキさんにコメントを取りに行ったが、彼女は「あんなどうしようもないやつは、死刑にしてください」という返答で、報道陣を爆笑させたという。

 自分の息子を死刑にしたい母親は、そうそういないだろう。「本来なら、かばうはずの身内が、死刑でもいいと思うほど怒っている」と突き放すことで、「お母さん、そこまで言わなくても……」と世間のたけしに対する溜飲を下げさせたのだと思う。実際、のちにたけしが「あんなことを言ってひどい」とサキさんに抗議すると、「ああ言わないと収まらなかった」と、愛ゆえの行動だと説明したそうだ。

 サキさんのコメント力はたいしたもので、たけしの前妻・北野幹子が不倫騒動を起こした際は、押し寄せたマスコミに対し「夫婦のことは、どっちがいいとか悪いとかない」と、今度は息子であるたけしも、その妻の幹子も責めない発言をした。

 なぜフライデー襲撃事件の時は息子を強く責め、妻の不倫は責めないのか。フライデー襲撃の事件は明らかに法律違反で、警察のお世話になる案件だし、被害者も存在するから、罰を与える必要がある。しかし、不倫の場合はそうではない。

 確かに、妻の不倫はいいことではないが、のちに報道された通り、たけし自身も妻子がいる身でありながら、“恋愛”をやめてはいなかった。家庭を顧みない夫の行為が妻を傷つけ、ひいては不倫の遠因となった可能性はゼロとはいえないだろう。「夫婦のことは、どっちがいいとか悪いとかない」というサキさんの言葉は、「たけしも幹子も、どっちもどっち」の意味だと思われる。

 しかし、離婚の場合は少し話が違ってくる。タレントたちは夫婦関係を解消する際、「相手が悪く、自分にまったく非がない」と言いたいのが本音ではないだろうか。特に女性タレントの場合、ひと昔前なら、離婚するとオファーが減ることもあったが、今は「離婚しても健気に頑張るシングルマザー」といったイメージがつけば、それを仕事に生かすこともできる。なので、夫婦間がうまくいかなくなると「夫のひどい仕打ち」を匂わせるタレントは多い。

 熊田曜子も、その一人だろう。『ノンストップ!』(フジテレビ系)に出演した際、干渉してくる義母の存在や、夫が手の込んだ料理を作っても食べないことを明かしていた(夫は手の込んだ料理よりも、刺身やサラダなど「切っただけ」の料理を望んでいるそうだ)。ネット上では「面倒くさい姑」「モラハラ夫」といった意見も見られたが、熊田の発言だけを聞いて判断するのは、いかがなものかと思う。

 断っておくが、「妻は義母や夫の言うことに従うべき」と言いたいのではない。熊田の義母や夫にもそれぞれ言い分はあるはずだし、熊田が明かしたエピソードの前後に何があったかもわからない。一般人である義母や夫は、熊田ほどメディアでの発言権が強くないことを考えると、彼らを一方的に“悪者”だと決めつけてしまうのは、アンフェアではないかと思うのだ。

 熊田といえば、雨が降っていた休日に3人のお子さんを連れて出かけた都内某所の児童館で、「大人1人に子ども2人まで」というルールのために入室を断られたとオフィシャルブログに書いて炎上したことがある。児童館の場所を正確に書いていること、また、雨が降っていることを書き添えるあたり、ちょっと“責めグセ”があるのではないか。発信力のある熊田が児童館の場所を明記すれば、そこにクレームをいれる人もいるだろうし、「雨が降っていた」という言葉には、「雨で大変な中、わざわざ出かけたもかかわらず」というニュアンスがにじんでいるような気がする。

 熊田の失望もわかるが、児童館の職員はルールに基づいた仕事をしたまでで、この対応が「悪い」とは言えないだろう。もちろん、子どもを連れて行った熊田もまったく悪くない。自分と相手がいることだと、「自分(相手)が正しい、相手(自分)が悪い」と、つい白黒つけたくなることは多いが、実際は「自分も正しい(間違っている)、相手も正しい(間違っている)」というケースは多くあり、それは夫婦関係において最も生じるのではないかと思うのだ。

 熊田夫婦の関係は悪化の一途をたどっていたようで、5月18日、顔を叩かれたとして熊田が110番通報し、夫は暴行罪で逮捕された。熊田は被害届を取り下げず、双方が弁護士を立てて話し合いをしているとの報道も出たため、離婚は時間の問題だと思われた。

 そんな中、6月1日発売の「フラッシュ」(光文社)は、「夫の長年の友人」の話として、夫が熊田に暴力をふるったきっかけは、彼女の不倫を疑ったからであり、またその“暴力”も、熊田が被っていた布団をひきはがした瞬間に、手が顔に当たってしまった“偶然”だと話していた。

 くしくも、この報道がネットニュースとして配信された5月31日に、熊田は離婚を発表。「報道されております通り、令和3年5月18日の深夜、私が夫から暴行を受けたこと、身の危険を感じた私が警察に連絡したこと、駆けつけて下さった警察官に夫が逮捕されたこと、私がこの件について被害届を提出したことなどはすべて事実です」「夫からの暴力行為は今回が初めてではなく、夫が帰宅する時間が近づくと恐怖を感じようになってしまっており、そのような状態でこれ以上婚姻生活を継続することは難しい」とつづっている。もちろん、暴行の事実があったなら、それは許されることではないが、自身の不倫疑惑報道が出てしまうと、“不倫疑惑の妻”と“暴力夫”という、「どっちもどっち」な印象が強くなるだろう。

 これまで沈黙を守ってきた熊田の前夫だが、離婚して他人になってしまえば、ある意味自由に発言できるはず。本人が語らなくても“知人”の話として、今後、熊田に関する真偽ないまぜのネガティブ報道が出てくる可能性は否めない。これまではメディアにおいて熊田の発言権が強く、義母や前夫の愚痴を聞いた世間は、彼女に共感や同情をしていた。しかし、今回の離婚を経て「どっちもどっち」になったことで、前夫の声も熊田の声と同等に届くようになるだろう。

 そうすると、たとえ間違った情報であっても、イメージに傷がついて痛手を負うのは、世間にその姿を知られていない一般人の前夫ではなく、タレントである熊田のほうではないか。

 夫の悪口といえば、タレント・上沼恵美子のお家芸だが、彼女は「夫のいいつけに従って、仕事をする範囲は西は姫路、東は京都まで」「三歩下がって歩く」「夫とケンカしたときは、自分が必ず謝る」ことを自分に課していたという。ここまで徹底して“夫と妻の関係”を世間に提示するからこそ、テレビ局勤務の一般人である夫の愚痴をこぼしても、実生活に支障をきたさず、かつ「あれは芸です」と煙に巻くこともできるのだろう。

 夫の悪口は共感を集めやすいテーマかもしれないが、実は相当な腕を必要とするもの。熊田ほかママタレ各位は、簡単に手を出してはいけない領域だと肝に銘じるべきかもしれない。

田中みな実は、なぜ「怒られたくない」のか? 完璧な自分のウラにある「異様に怖がる」気持ちを読み解く

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「私を怒らないでください」田中みな実
『グータンヌーボ2』(5月25日、関西テレビ系)

 若い世代の女性と話していると、「自分は職場で嫌われている」「自分は仕事ができない」と感じている人が多いことに気づく。なぜそのように思うのかと聞くと、「怒られたから」と彼女たちは言う。

 仕事でミスなり不手際があって、先輩に「間違っていたよ」とか「直しておいてね」と指摘される。それが彼女たちにとっては「叱責」や「否定」に感じるということだろう。それでは、「叱責と指摘の境目は何?」と聞くと、彼女たちは口ごもってしまう。

 誰だって怒られるのは嫌に決まっている。しかし、仕事をしている以上、ミスは避けられず、そうなると先輩や上司はそれを注意しないわけにはいかない。仕事のミスにかこつけて、人格否定をしてくる人もいるので注意は必要だが、いちいち「怒られた」「嫌われる」と思っているのだとしたら、生きにくくないだろうか。

 しかし、当たり前のことだが、若い世代の全員が「怒られた」と落ち込むわけではない。「怒られた」と落ち込む人と「これは指摘だ」と自分を正せる人の境目はどこか? その答えをくれるサンプルのような人を見つけた。フリーアナウンサー・田中みな実である。

 5月25日放送の『グータンヌーボ2』(関西テレビ系)に出演した田中は、「人生で一番怒られたときは?」というトークテーマに対し、「怒られると不本意な気持ちになる」「私を怒らないでくださいと書きたい」「異性にも怒られたくないし、ちょっと指摘されたりすると『えっ』ってなっちゃう」とし、その理由について「(子どもの頃から)怒られてこなかった」と話している。

 今は「怒らない育児」や「ほめて育てるという考え方」が浸透しているので、「怒られたことがないから、怒られることが必要以上に怖い」という自己分析は正しいと思う。さらに田中の場合、TBSの女子アナとして明石家さんまら大物芸能人にかわいがられてきた“実績”がある。芸能人や周囲にチヤホヤされている分、彼女に非があったとしても、それを指摘して面倒なことになるのを避け、言葉を飲み込んでしまう先輩や上司もいたかもしれない。

 けれど、「怒られる」ことを恐れる原因が「怒られ慣れていない」ことだけかというと、そうとも思わない。というのも、この番組で、彼女の「怒り」に対する不公平さがよく見えたからだ。

 同番組の冒頭、田中は歌手・中島美嘉、元NMB48・吉田朱里と鼎談していた。田中は中島について「私の青春」「大好きで大ファン」と語る。田中は番組MCであるから、ゲストを迎える側の立ち位置といえるだろう。だから、基本的にはゲストに気持ち良く話してもらうことが仕事なはずだし、大ファンのアーティストなら相手を敬いつつ、面白い話も聞き出せるはず……と思いきや、実際の田中は割と失礼であった。

 中島が「初めまして」と頭を下げるが(実際は、田中が局アナ時代にインタビューをしているので、初めてではない)、田中は頭を下げない。中島が美容に関して教えを乞えば「割とズボラですか? メイクとか」「やらなさそうなイメージ」と決めつけるなど、どこか「上から目線」なのだ。

 極めつけは、10年前に会った時の中島を「姿勢が、こう」と猫背で前かがみの姿勢で示し、その後に「今のほうがピンとしている」と補足していたが、わざわざこの場でその話を明らかにする意味はあるのだろうか? ここでのポイントは、カメラが回っているわけだから、中島は田中に指摘できないことである。

 そもそも、田中の感覚は不思議だ。番組MCの俳優・満島真之介は若かりし頃、有名演出家・蜷川幸雄氏の作品に出演したときに、蜷川氏の話が長かったこともあって眠くなり、大きなあくびをしてしまったそうだ。それが蜷川氏に見つかり、「俺はあくびされるような演出家になったのか~」と激高され、座っている椅子を投げられたという。このエピソードに対し、田中は「どうかと思うもんね」と満島の態度に疑問を呈していたが、上述した通り、自分だって結構失礼なことをやっている。

 田中といえば、いろいろなメディアで「マネジャーが頻繁に変わる」と報じられてきた。4月27日配信の「東スポWeb」には、ある芸能関係者の話として、「田中さんがある番組に出演した際、ドアを閉めているにもかかわらず、田中さんの楽屋から『本当にこの企画をやる意味がありますか?』とプロデューサーを責める声が聞こえてきた」話が報じられていた。「ドアを閉めているにもかかわらず」というあたりから、大声を出していたと予想することができるだろう。

 芸能界の場合、数字を持っている人が勝ちだから、田中のような売れっ子が周囲に強めに当たったとしても、スタッフは慣れっこのはず。スターのご機嫌をうまく取って、結果を出させるのもスタッフの仕事のうちだろうが、この話のポイントは、「怒られるのが嫌いな田中が、他人のことは責める」ことではないだろうか。

 「怒られることを恐れる人」というと、おとなしくて、怒られないかいつもビクビクしている「気弱な人」をイメージするかもしれないが、田中の場合「自分が他人を怒らせることや他人を怒ることはOKだが、他人が自分に同じことをするのは嫌」なわけで、つまり「他人に厳しく、自分に甘い」というやつではないだろうか。「自分は完璧だ、ちゃんとやっているのに怒られるはずがない」と思うからこそ、怒られるのを異様に怖がっているように見える。

 そして、田中のようなタイプは「自分が正しい」と思っているため、それが小さな「指摘」だったとしても、自分の行いに口を出されると「怒られた」「嫌われた」と捉え、ショックを受けるのではないか。これがまさに、「怒られた」と落ち込む人と「これは指摘だ」と自分を正せる人の差であり、境目だと思う。

 仕事ではどうしても上下関係が発生するが、自分が上でも下でも「お互いさま精神」があるかないかで、人間関係は変わってくる。怒られた時に「ある程度はお互いさま」と思える人は、自分が一方的に責められたような気にはならないはず。しかし、「自分に甘く、正しいと思っているタイプ」は、怒られると「私を侮辱した」という考えにつながり、「私は嫌われている」と落ち込むのではないか。

 もっとも、謙虚な田中みな実なんて面白くない。彼女はどんどんこの路線を突き進んでほしい。しかし、市井の田中みな実ファン、特に会社員の女性は、ここをマネると「面倒くさいオンナ」になる危険性があるから、くれぐれも注意してほしい。世の中に田中みな実は一人で十分なのだから。

久代萌美アナウンサーは、夫の“不倫”を認めざるを得ない!? 有村昆の“不倫未遂”から考える、芸能人と一般人の上下関係

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「いけなかったんかい」久代萌美アナウンサー
『ワイドナショー』(フジテレビ系、5月16日放送)

 有名人の「メイク動画」をご存じだろうか。

 有名人が使用しているスキンケア、メイクアイテムを紹介しながら、すっぴんの状態から顔を作っていくものだ。それぞれのメイク哲学やこだわりを知れるのが楽しくて、つい見てしまうが、この動画に時々「プチプラコスメを使っていて、好感が持てる」という視聴者のコメントがつくことがある。

 これはおそらく「有名人で高収入のはずなのに庶民感覚を忘れず、一般人と同じようにプチプラコスメを使うことに好感を抱く」ということだろう。かつて芸能人とは「憧れるもの、マネするもの」だったが、今は「自分と同じように見えること」が人気を博す要素になる時代なのではないか。高級ブランドに身を包んだモデルばかりが登場する女性誌は、そりゃ軒並み苦戦を強いられるだろう。

 こうした傾向を見るに、「芸能人は一般人より上の立場」という時代は終わったといえる。不倫報道ひとつとっても、“芸能人>一般人”という図式が壊れたと感じる。「週刊文春」(文藝春秋)がタレント・ベッキーの不倫を報じたのは2016年。世間が大いに盛り上がったからか、以降、「文春」をはじめとした週刊誌は不倫を多数報じるようになるが、16年より前の不倫、つまりベッキー前と、16年以降のベッキー後では、不倫報道に大きな違いがある。

 ベッキー後の不倫では、アンジャッシュ・渡部建の「多目的トイレ不倫」や、リオデジャネイロオリンピック競泳銅メダリスト・瀬戸大也に見られるように、有名人男性と一般人女性との不倫という組み合わせが目立つようになり、世間のバッシングも強くなった。

 なぜベッキー前に、有名人男性と一般人女性の不倫が話題にならなかったのか。それは「有名人男性は女遊びをするのが当たり前」という昭和的感覚があったからだと思う。

■「芸能人は一般人より上」の時代が終わり、痛い目に遭った有村昆

 時々、男性向け週刊誌で「私を抱いた有名人」という記事を見かけるが、告発した一般人女性は全て仮名であり、関係したことを裏付ける証拠は何も掲載されていなかった。

 また、あまり知名度のない芸能人女性が同様のインタビューに答える場合は、記事と共にヌードが掲載されることもあった。より注目を集めるための判断だろうが、これを「単なる売名」だと思った読者もいるだろう。そこからブレークした芸能人女性を私は知らないが、それは、世間が女性に対して「遊ばれるのは、女として恥」という固定観念を強く持っていたからではないか。

 しかし、17年にSNS上で起こった「#Me Too運動」以降、女性たちが性的な搾取にNOをつきつける動きが広がっていく。今やほとんどの人がスマホを持つので、相手が誰であろうと、不倫や性加害の証拠を押さえることは可能。週刊誌も一般人からのタレコミを歓迎する時代だ。この変化についていけず、昔の常識で、「芸能人は一般人より上なので、女性と気軽に遊べる」と思っている男性は痛い目に遭うだろう。

 映画コメンテーターの有村昆もその一人かもしれない。有村は“不倫未遂”を5月14日発売の「フライデー」(講談社)に報じられた。コンセプトバーで働く女性をSNSで見つけてアプローチし、連絡先を交換してラブホテルに行くことは成功したが、関係を持てなかったという。報道を受けて、所属事務所は有村の芸能活動休止を発表した。

 まさかこんなオオゴトになろうとは、有村は予想していなかっただろうが、もう今はそういう時代だから、芸能界で生きていこうと思うのなら、流れについていくしかない。

 しかし、有村以外にもついていけない人はいるようだ。

■久代アナは、夫と一般人女性の不倫を認めざるを得ない!?

 5月16日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、有村の話題を扱った。ゲストのAマッソ・加納愛子は「自分が有村さんの結婚相手だったとしたら、未遂で記事が出るのが一番ハズイですね。いけてないんやって。不倫しようとしたし、モテへんのかいって」「モテへんやつと夫婦になってんのかい」「自分の価値もちょっと落ちる」と語り、スタジオに笑いが起きた。新婚の久代萌美アナも「まったく同じ意見ですね」「奥さんとしては結果オーライに見せかけて、でもいけなかったんかいっていう複雑な気持ち」と話し、やはり共演者は笑っていた。

 Aマッソ・加納と久代アナは、なぜ「最後までやってこい」と不倫を奨励するのか。それは「『有名人男性なら、一般人女性ぐらいいけるはず』と一般人を下に見ている」「男性は女性からモテたほうがかっこいい」「男性の遊びは武勇伝」という昭和的感覚があるからではないか。スタジオに笑い声が起きたのは、「最後までやってこい」とばかりの男性に都合の良い言いぐさを、男性出演者が好意的に受け止めた証拠のように感じた。

 2人のその価値観は、芸能界もしくはテレビの世界で働く中で培われたのだと想像するが、注意が必要なのは新婚の久代アナだ。彼女の夫は、人気YouTuber「北の打ち師達」のはるくんである。「有名人男性は女遊びをするのが当たり前」「一般人女性が相手ならいける」と久代アナに刷り込まれているとしたら、夫が一般人女性と不倫するのを、認めなくてはいけないことにならないか。

 久代アナは理系の学部出身であり、『ワイドナショー』でたびたび「論理的に考えるタイプ」と自己分析している。であれば、男性の言うことをまるごと聞いていればいいという考えから脱却し、ぜひ自分の置かれている環境を、冷静に見ていただきたいものだ。