中学受験塾のトップに君臨……「神童」と呼ばれた息子が、最難関私立でつまずいてしまったワケ

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 中学受験は数字がモノをいう世界。中高一貫校は“偏差値”という数字で明確に上位校から下位校までがランキングされている。さらに受験生たちは、毎月行われるテストの点数でクラス分けされ、塾によっては席までもが、成績順で決められているのだ。

 このように、好むと好まざるにかかわらず、塾内には数字によるヒエラルキーが存在する。つまり、超難関校を目指す一番上のクラスが、その塾の校舎内では格付け上位になるわけだ。

 当然、一番上のクラスの、そのまたトップ層に君臨している児童は、小学校内でも、塾内でも“神童”という名を欲しいままにしている。そのため、たいていの子たちは「自分は天才・秀才である」というプライドを保ったまま、最難関校に入学していくのだ。

 健君(仮名)も、そういう“神童”の一人だった。健君は幼い頃から、音楽教師の母、美恵子さん(仮名)の影響でピアノを始め、さらに英会話、水泳、公文式と、さまざまな習い事をしていたそうだが、利発で聡明、練習熱心ということもあり、どの習い事でも、先生方に「筋がいい」と褒められていたという。

 やがて、小学4年生になった健君は中学受験塾に入塾した。もちろん、健君の努力もあり、卒塾するまで、最上位クラスの1番に君臨し続けたという。

 そして、最難関と呼ばれる中学に無事に合格。意気揚々と中学生活をスタートさせたが、健君はその後、ある壁にぶつかったという。

 中1の時は、それでも楽しそうに通っていたらしいのだが、中2に進級し始めたあたりから、健君に元気がなくなってきたのを、美恵子さんは感じ取っていたという。

 やがて1学期の期末考査が行われたが、成績は見るも無残。夏休み明けの2学期になると、健君は登校することができなくなったそうだ。

 美恵子さんが「原因はイジメなの?」と聞いてみるものの、健君は「違う」と力なく答えるだけで、布団を被って寝てしまう。体調不良かと疑い、内科医に連れていくも、「問題なし」という診断結果で、美恵子さんはほとほと困ってしまったという。

 美恵子さんいわく「朝からずっと沈んでいて、夕方近くになると、ようやく元気になる」という“謎の病”を発症したかのようだったとのこと。しかし、カウンセラーの先生のところに行っても原因はわからなかったそうだ。

 そして健君は学校に行けないまま、中2の3月を迎えることになった。そんな中、健君の従弟に当たる大学生の勇気君(仮名)がやって来て、健君を東南アジア旅行に誘ってくれたという。

「健、暇なら、俺に付き合え!」

 旅が趣味でもある勇気君は、自転車で日本1周旅行をしたり、北米大陸をキャンピングカーで縦断したという人物。一人っ子の健君にとっては兄貴分である。久しぶりに会う真っ黒に日焼けした勇気君に魅せられたのか、健君は意外にもあっさりと了承し、2人は機上の人となったのだそうだ。

それから約1カ月あまりたった後、健君が帰国。身長を追い抜かれたことに美恵子さんは、まず驚いたという。

「どうだった?」と聞く美恵子さんに、健君は「土埃舞う道で市井に生きる人たちの喧騒を聞いていた」と答えたらしい。

そして、健君は中3に進級、何事もなかったかのように、クラスに復帰した。

 なぜ息子は、再び学校へ行けるようになったのか。不思議でたまらなかった美恵子さんは、勇気君に「健の心境の変化を教えて」と尋ねたらしいが、笑顔で「さあね、中2病を抜けたんじゃねえの?」としか答えてくれず。真相は藪の中かぁ……と思っていたという。

 それから、5年の年月が流れ、健君は難関私立大学に入学。そんなある日、筆者に「あの時の原因がわかった!」と、美恵子さんからの連絡が入ったのだ。

なんでも、健君から、ポツリとこんな話をされたのだという。

「俺、ずっと井の中の蛙だったんだと思う。子どもの頃、結構ピアノがうまかったじゃん? だから、『合唱祭の伴奏は絶対、俺が選ばれるだろう』と思ってたんだよ。でもうちのクラス、ピアノ弾ける奴なんか山ほどいて、しかも有名コンクールで表彰されてる奴もいてさ。しかもそいつに、勉強でも負けてて、もう何やっても勝てないんだよ。あの頃、上には上がいるってことが、結構ショックだったんだ」

 幼稚園から小学校時代、全てにおいて“神童”扱いされてきた健君には、相当なるプライドがあり、そのおかげで、日々努力ができていたそう。しかし、中学校に入ったら、周りは神童だらけ。必死に努力して、その地位をキープしてきた自分とは違い、彼らは本当の天才だといい、しかもそんな同級生がそこらにゴロゴロいる環境に、ドンドンと自分の価値を見失っていく思いだったそうだ。

 美恵子さんは健君が自分のことを「井の中の蛙」と表現したことで、全てに合点がいったという。

「健は、あの学校の中で天狗の鼻をへし折られたんです。でも東南アジア旅行で、自分のいる世界は狭すぎるって気付いたみたい。随分と大人になってくれたと思います……」

 今、健君は1年間の海外留学に向けて準備中だと聞いている。

「もう最悪です」中学受験生の母が語るコロナ禍の悲劇……自宅はゲーム天国、悲惨なテスト結果に“虚しさ”も

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 新型コロナウイルスの大流行は、私たちの暮らしに大変な災禍をもたらしているが、それはまた、中学受験の分野においても史上初めてというほどの混乱を招いた。

 今現在においても、授業は配信のみ、模試は自宅で受験などという塾もあり、各校舎によっても対応はバラバラ。例年であれば、中高一貫校の合同説明会も花盛りの季節であるが、全て中止。当然、学校ごとの学校説明会もウェブが主流だ。

 こういう現況下にあるので、特に小学6年生の親は不安を隠せない。今回はこのコロナ禍で、小6生の中学受験生親子がどのように過ごしてきたのかをレポートしてみたい。

 恵理子さん(仮名)は5人家族。会社員の夫との間に、小6生の達樹君(仮名)と小学1年生の弟、さらに保育園児の妹がいる。

 4月に緊急事態宣言が発令されると、恵理子さんの夫はリモートワークになり、達樹君の小学校も塾も休校措置が取られた。当然、弟も妹も休校、休園。恵理子さん自身は介護職ということで、普通に出勤という毎日だったそうだ。

 恵理子さんは疲れ切った表情でこう訴えた。

「もう最悪です。2月までは達樹もやる気満々で、志望校に向かって頑張っていたんです。でも、主人との巣ごもり生活ですっかりやる気を失ってしまって……」

 恵理子さんいわく、夫は今まで家事はおろか、子育てにもまったく参加してこなかったほどの仕事人間。それが、突然のリモートワークで3人の子の面倒をみることになり、頭を抱えてしまったそうだ。

「最初はZoom会議の時に、下の子たちを静かにさせる目的で、ゲーム機を与えたみたいなんです。今まで、やらせていなかった反動なのか、私が気づいた時には、達樹も含めて、子どもたちは“ゲームやり放題”の状況になっていました」

 恵理子さんが夫に「塾が休校だから、きちんと計画通り勉強をやらせてほしい」と頼んでも、「わかった、わかった」と言うだけ。夫は子どもが自分に迷惑をかけず、静かにしていてくれるほうを優先させたため、「自宅はゲームとYouTube天国になった」という。

 「塾も最初は動画配信だけで、課題もチェックされなかったため、達樹はまったくやっていなかったんです。当然、塾での学習内容は一切身についていませんでした。そうこうするうちに、自宅で参加する塾のテストがあったんですが、考えられないほど悲惨な結果で……。達樹は、もうすっかりやる気をなくしてしまい、主人も『やる気がないヤツに受験は不要』と言い出して、ウチはもう中学受験から撤退すると思います。今まで、私は何のためにあんなに頑張ってきたのかと思うと、全てが虚しくなりますね……」と恵理子さんはうなだれていた。

 一方でこんな話もある。祥恵さん(仮名)は、今回のコロナ禍は逆に良い出来事になった面もあるという。

 専業主婦である祥恵さんは、夫と小学6年生の佳祐君(仮名)、小学4年生の妹の4人家族。医師である夫は、新型コロナウイルスを自宅に持ち込みたくないという理由から、病院が用意した寮で寝泊まり。この4カ月ほど、まったく会えていない状態だそうだ。

 祥恵さんはコロナ禍の日常生活について次のように語る。

「毎日、LINE電話を通して主人とは顔を見ながら会話しています。逆に今まで、こんなに話をしたことあったかな? っていうくらい、家族で会話するようになりました」

 メディアなどを通し、盛んに「医療従事者に感謝をしよう」というムーブメントが起こっていた影響もあり、佳祐君は父親の仕事に関心を持ったとのこと。医師という仕事のやりがいや、新型コロナウイルスとはどのようなものか、これから世界がやるべきことなどを、LINE電話で直接父親に尋ねていたという。

 祥恵さん夫婦が驚いたのは、その翌日に、佳祐君が「ウイルスと細菌、真菌(カビ)の違い」を自力で調べて、そのノートを見せてくれたことだそうだ。

「主人が一番、喜んでいました。『勉強っていうのは、自分が「知りたい! わかりたい!」と望んで行うものだから、それを自発的にやれたことは素晴らしい!』って、佳祐をすごく褒めたんです。多分、面と向かってだったら言えてないかもしれません。画面越しっていうのが、我が家にはすごく良かった気がするんです」

 佳祐君の今の夢は新薬開発の科学者になることだそうだ。目標ができたので、「やるべきことはやる!」と言い、塾が休校の間は“復習”の時間に充てて、苦手分野の課題に取り組み、かなりの手応えを感じるようになったらしい。

「主人も、子どもに会いたくても会えない状況下なので、いつも以上に丁寧に子どもたちの質問に答えています。特に佳祐とは“男同士の話”にみたいに盛り上がることもあって、佳祐はこの数カ月で、より一層、父親を尊敬したみたいです。受験は運もあるので、志望校に合格するかどうかはわかりませんが、このコロナ禍は、我が家にとっては、災い転じてなんとやらで、逆にありがたく思う面もあります」

 この数カ月は、誰にとっても想像を超える大混乱の日々であったが、2人の母の話を聞いて、それにどう対応していくのかも、人それぞれなのだなと感じた。

医者になるための中学受験で挫折! 大学受験“全滅”、専門学校へ進んだ「開業医の息子」の反抗

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 どの親も、我が子には幸せになってほしいし、我が子の自立を願っていると思うが、もしかしたら、我が子に中学受験を経験させようという親の中には、その思いが強すぎる人もいるように感じる。

 そういった親は、例えば、前年度の東大合格実績を参考にして、子どもの受験校を決めるといった行動に出やすい。我が子の大学進学は当然のことと捉え、少しでも世間で名が通っている大学に行かせるほうが、子どもの人生に有利に働くという計算が成り立つからだと思われる。このように、中学校選びの基準が、難関大学への合格実績に左右されていることはまぎれもない事実なのだ。

 一方で、就職までを考えて、我が子に中学受験をさせる親は少ない。これは、有名大学のパスポートを手にさえすれば、我が子の望む道に近づくだろうという胸算用があるからで、就職先は子どもが自分が選ぶもの、もっと言うと、大学卒業後の道は子ども自身が切り拓くものだという意識があるのだろう。逆に言えば、親の仕事は「大学受験まで」と捉えている人たちが多いのだ。

 ただし、例外の職業がある。それは医者だ。我が子を医者にさせたいと親が願っている場合、大学卒業後も見据えて、「医学部に強い中高一貫校」を選択するケースはとても多い。もちろん、子どもが12歳の時に描く「将来の夢」と18歳の時に描く「将来の夢」は違って当たり前だが、こういう親はとりあえず我が子を「医者のレール」に乗せておこうとするのだ。

 斗真君(仮名)の場合もそうだった。斗真君の家は、東北地方で祖父の代から開業医を営んでいる家庭。斗真君は長男であったため、幼い頃より、親族全員から「大きくなったらお医者さん」という期待を背負って成長した。

 やがて、中学受験を考える年齢に差し掛かると、当然のように週4日、家庭教師が来る生活になり、志望校も父親が決めたという。すなわち、全国の中でも医学部に強いと定評のある中高一貫校順に、志望校のラインナップを組んでいたのだ。

 斗真君は、その中にあった東京の私立中高一貫校に入学したが、自宅からは通えないため、母親と一緒に上京し、学校近くの賃貸マンションに暮らし始めた。つまり、父親とは別居という、逆単身赴任のような状態で通学するようになったのだ。

 それなりに学校生活は楽しかったらしいが、難関校の厳しさとも言うべきか、やがて斗真君いわく「落ちこぼれ」になってしまったそうだ。その学校では、落ちこぼれた者への救済措置として、補講が行われているものの、放課後に実施されるため、楽しみにしていた部活には、事実上行けなくなってしまったらしい。

 さらに、焦った母親によって、またしても家庭教師が付けられ、斗真君の生活はほとんどが「勉強時間」になったという。

 やがて、高1の秋を迎え、文理選択をすることになった。当然、斗真君の親は「理系」を推すのだが、肝心の斗真君は「文系」にしたいと言い出したため、親子の間に亀裂が入ったのだ。

 「数学が苦手なので、理系は嫌だ!」という斗真君と、「何がなんでも医者に!」という父親との言い争いは、文理選択〆切日を大幅に過ぎても終わらなかったそうだ。すると、父親は最終手段として、斗真君に「理系を選ばなければ、生活費と授業料を止める。お前は中卒として生きていくんだな」と告げたらしい。

 そこで、やむなく斗真君は理系選択をしたという。

 そして、2年が過ぎ、大学受験が行われた。多くのクラスメイトが順調に医学部合格を果たす中、斗真君は全滅。医学部どころか、受験校全てが不合格になってしまったそうだ。

 斗真君の父親は「医学部は3浪くらいまでなら、ゴロゴロいる! 斗真ももう1年、頑張れば絶対に医学部に行ける!」と言ったらしい。

 今度は医学部受験に強いという予備校に入るのだが、母親が祖父の介護で実家に帰ってしまったこともあり、結局、その予備校にはほとんど通わなかったそうだ。

 そして、また受験シーズンがやって来たが、斗真君はどこの大学も受けなかったという。激怒する父親とは顔を合わせたくはなかったらしいが、祖父が「顔を見せてくれ」と言ってきたため、久しぶりに帰省したそうだ。

 その際、祖父が「斗真、そう言えば、お前は小さい時から、何になりたいとかいう夢を言ったことがなかったな……。言ったことがないのではなく、じいちゃんたちが言わせなかったんだな。悪かったな……。斗真、お前は何になりたいんだ?」と語りかけてくれたので、斗真君は「料理人になりたい」と生まれて初めて、自分の夢を口にしたという。

 父親とは、そのまま疎遠になってしまったそうだが、祖父母の援助で、斗真君は料理の専門学校を卒業。尊敬する料理長がいる洋食屋さんで修行の日々を送っている。

 先日、斗真君は体が弱ってしまった祖父のためにコンソメスープを作って、病院に持って行ったらしいが、祖父母がとても喜んでくれたという。

 斗真君は当時のことを次のように振り返る。

「もし、あの時、おじいちゃんが『何になりたいのか?』と聞いてくれなかったら、僕は今頃、引きこもりになっていたかもしれません。どうせ、何を言っても、この家では通用しないって思っていたんですよ。でも、今になってみれば、自分が勝手にそう思い込んで、殻に閉じこもって反抗してただけかもしれません」

 そばにいた斗真君のお母さんがこんな話を教えてくれた。

「あのポットに入ったコンソメスープね、実はお父さんにも飲ませたの。そしたら、お父さん、『意外とうまいな』ですって。よかったわね、斗真」

 斗真君の戸惑ったような、はにかんだような笑顔が印象的だった。

公立の高校受験組に負ける! 中学受験突破の息子が「中だるみ」「夜10時まで帰らず」……母の焦り

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 我が子に中学受験をさせる理由の一つに「6年間をのびのびと過ごしてほしいから」というものがある。

 中高一貫校に入学すれば、高校受験を受けなくて済むので、友達とゆっくり友情をはぐくめるし、好きな部活にもトコトン打ち込める。このような「充実の6年間」を期待して入学させるのである。

 ところが、親というものは時に自分勝手な存在だ。「のびのび」してもらいたいからこそ、中高一貫校という選択をしたのに、いざ、本当に子どもがのびのびしすぎると、余計な口を挟みたくて仕方がない病におかされる。要するに、成績に口やかましくなるのである。

 仁美さん(仮名)も、突然、急変した母親の一人である。

 一人息子の一翔君(仮名)が入学した中高一貫校は、自由闊達な校風で知られる学校だ。同校は生徒指導において、どちらかと言えば、面倒見がいいというよりも、本人が自覚するのを「待つ」という方針を取っている。

 念願叶って、志望校に入学した一翔君は、早速、生物部に入部し、大好きな昆虫採集に明け暮れた。暇さえあれば、学校敷地内の雑木林を駆け巡って、虫取りに情熱を傾けていたのだ。

 ところが、これは進学校に通う生徒にとってつらい点でもあるのだが、教科の学習はドンドン進む。

 中1の夏休み前は、テストの順位が学年で2桁だった一翔君も、中2の秋には、下から数えたほうが早い順位となり、指名補習(教師が成績の悪い生徒を指名し、補修に参加させること)の常連になっていた。

 中3になると、学校からはやんわりと「このままいくと、高校への進学基準に引っかかる可能性がある」と言われる始末。焦ったのは仁美さんだ。一翔君を無理矢理、補習塾に突っ込むことにしたのだが、今度はその塾の先生から、電話がかかってくるようになったという。

「一翔君が来ていませんが、今日は欠席ですか?」

 なんと一翔君は、補習塾をサボって、相変わらず昆虫採集に励んでいたのだ。仁美さんは怒り狂い、一翔君に向かって、こう叫んだという。

「いい加減にしなさい! 塾をさぼって、何をやっているの? 高校に上がれなかったら、どうするつもり?」

 一翔君は「別に(構わない)」と言っただけで、自室にこもってしまった。聞けば、近所の公立組は高校受験の準備に余念がないという。実際、たいていの子は、夜の10時まで塾で勉強をしているものだ。

 さらに、仁美さんは、公立中に通う一翔君と同学年の子を持つお母さんに、近所で出くわした際、「一翔君の学校はレベルが高いから、うらましいわ。ウチなんか、こないだようやく英検準2をパスしたとこなの。一翔君なら、もう英検2級も取ってるでしょう? 本当にまったく、嫌になっちゃうわ……」と言われて、愕然としたという。

 仁美さんが、その場を作り笑顔で必死に切り抜けるしかなかったのは、一翔君が準2どころか、3級にも合格していなかったからだ。

「公立組の子たちは、中学受験の勉強をしていない分、誰もが英語塾に通って、英語の学力を高めていたんだわ……。あんなに大変な中学受験を乗り越えたのに、このままだと、中だるみのせいで、公立の高校受験組に負けてしまう!」

 以降、仁美さんは一翔君の姿が視界に入るたびに、口うるさく「課題はやったの?」「もうすぐ試験でしょ?」というプレッシャーをかけ続けたという。

 そんな、ある日のこと。一翔君が学校に行ったまま帰って来ないという事件が起きた。時刻は夜の10時過ぎ。仁美さんは慌てて学校に連絡し、先生たちも心当たりを探してみるということになったそうだ。

 しかし、ほどなく、ひょっこりと一翔君が同級生と共に部室に現れたという。なんでも、カブトムシを捕まえるために、雑木林で夢中になっていたのだそうだ。

 後日、お騒がせのお詫びに学校を訪れた仁美さんは、担任の先生から笑顔でこう言われ、再び仰天したという。

「お母さん、ご心配はよくわかりますが、一翔はバカじゃありません。高校へ上がる基準についても十分わかっているはずです。もっと一翔を信用して、長い目で見てやってくれませんか?」

 しかし、仁美さんは負けじと応戦したそうだ。

「でも、一翔は(高校進学基準に当たる)英検3級にも受かっていませんし……。無事に高校に進学できるかどうかもわからないんですよね? 虫取りに夢中になっている場合じゃないです!」

 そんな仁美さんの心からの叫びに対し、担任の先生は穏やかに、でもきっぱりと「一翔はやれる子です。英検もまだ受験回が残っています。僕は一翔を信じてますよ」とおっしゃったと聞く。

 その後、一翔君はどうなったかというと、次の英検で見事3級に合格し、補習の課題もクリアして、どうにか併設高校への進学資格を獲得した。一方で、高校に入っても、相変わらず虫取りに余念がなく、昆虫採集ハイシーズンには仲間と共に野山を駆け回るような生活を送っていたそうだ。

 ところが、そうこうしているうちに高3を迎え、部活を引退すると、一翔君は人が変わったかのように、受験勉強に励むようになったという。

 そして、その冬、見事に第一志望校の国立大学に入学した。筆者が一翔君に当時のことを聞いたところ、彼は「行方不明事件を起こした中3のとき、担任の先生に『一翔、オマエ、わかってんだろ? スイッチは自分で押せよ!』と言われたんです。だから、高3の部活引退後に、『時期が来た』と思って、自分で押しました」と笑顔で教えてくれた。

 さすがは中高一貫校、思春期の子の扱い方には優れているとつくづく感心する。親にとって至難の業である「待つ」という行為は、子どもの成長に大事なことなのだ。

小6で中学受験「撤退」まで視野に……「ご褒美を欲しがる」息子に、母親がブチ切れたワケ

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 中学受験生を持つ親御さんを悩ませる問題に「ご褒美で釣ることの是非」がある。例えば、「テストで●点以上取ったら、ゲームを買ってあげる」といったものがそれに当たるが、私の結論を先に言えば「釣れ!」だ。人間は「鞭」ばかりでは働き続けることができない生き物、適度な「飴」は必要でしょうという考えからだ。

 もちろん、子ども自身が勉強の楽しさを知り、自発的に学習し、成績を上げ、見事、志望校合格となれば一番よいとは思う。しかし、このようなお子さんは極めて稀である。ならば、どうするか? 「ご褒美作戦GO!」だ。ただし、釣り方にもコツがある。

 米ハーバード大学のローランド・フライヤー教授が行った大規模実験に根拠がある。約3万6,000人の児童・生徒を、「学力テストの成績がよくなったらお小遣いをあげる」という「アウトプット(成果)」に対してご褒美を与えるグループと、「本を読んだり、宿題をしたらお小遣いをあげる」という「インプット(投入)」に対してご褒美を与えるグループに分けて、それぞれの学力向上を調査したのだ。結果は、アウトプットよりインプットのほうが学力向上に効果ありだったという。

 識者たちはこの結果をもとに、概ね下記2点について「ご褒美が子どもの学力向上に有効的」と解説することが多い。

1.アクションを起こしやすいもの
 「本を読み終える」だけでご褒美がもらえるという単純な工程は、子どもにわかりやすい。逆に「成績を上げる」ということは、複雑な工程を経るものであると同時に、そもそも「やり方」がわからないので、挫折を招きやすい。

2.短期でご褒美にありつくもの
 「成績が上がったらご褒美」というのは、ご褒美にたどり着くまで、大抵の場合、時間がかかる。学力テストや学期末の成績判明には少し時間がかかるからだ。反対に「本を読んだらご褒美」であれば、子どもは、すぐにご褒美にたどり着くことができるので、モチベーションも上がる。

 親はつい「今度の模試で偏差値が50を超えたら、誕生日にゲーム機を買ってあげる!」という約束をしてしまいがちだが、この実験結果によると、「1時間、この問題を解いて自分で丸付けしたら、すぐにお菓子をあげる」と約束するほうが効果的というわけだ。

 しかし、口で言うのは簡単であるが、なかなか思うようにいかないのは世の常なのかもしれない。

 中学受験生の母である沙織さん(仮名)も、この「ご褒美」問題に悩まされている一人だ。息子である小6の悠馬君(仮名)は、志望校には入りたいという思いはあるものの、お世辞にも意欲的とは呼べない状態で、「なかなか勉強してくれない」という。そこで沙織さんはご褒美作戦を実行することにしたそうだ。

 それは、悠馬君が塾の宿題をやり終えたら、100円のお小遣いをあげるというもの。なぜこのようなルールを設定したかというと、沙織さんは先輩母たちから

・次の模試で良い点を取ったら、お小遣い1,000円あげる
・今度の塾のクラス変更で上のクラスに上がれたら、ゲームソフトを買ってあげる

というような、遠い結果に対するご褒美を設定しても、子どものやる気は出ない、さらに子どもに「成績なんて上がらないし、どうせ買ってくれないんでしょ」という“不戦敗”の気持ちまで呼び覚ましてしまうので、逆によろしくないというアドバイスをもらっていたからだ。

 沙織さんは言う。

「最初はうまくいっていたんです。張り切って、100円をもらいに来ましたね。でも、そのうちに、ご褒美がないと何もしないようになってしまったんです。そもそも、塾の宿題は『やって当たり前』であって、ご褒美がないとやらないという態度に、私はモヤモヤしていました」

 さらに、味をしめた悠馬君は、「欲しいカードが150円だから、150円に値上げしてくれ!」と言うようになったそうだ。

「自分で言い出しておいてなんですが、悠馬の態度にブチ切れてしまって……。ご褒美欲しさが先に立って『とにかくやればいいんでしょ?』みたいな態度にしか見えないんですよ。問題もすっごくいい加減にやっていて、算数の筆算なども、段ズレを起こすほど汚く、そのせいで間違えるほどでした」

 そこで、沙織さんは前言撤回。お小遣い制度をなくしたそうだが、今度は悠馬君の不信感を招き、今現在、冷戦中。塾も休校の今、沙織さんは中学受験からの撤退も視野に入れているという。

 冒頭で、「ご褒美作戦GO!」とは言ったものの、ご褒美というのは非常に難しい、いわば禁じ手とも言えるものなのかもしれない。ご褒美が有効に働く時もある一方で、むやみに釣ろうとすると逆効果になってしまうことがあるからだ。

 ご褒美は「インプット(=日々の課題)に力を入れればアウトプット(=試験)でよい結果を残せる!」という目標達成のために利用するもの。これを早い段階から親子で理解しておくことが、「ご褒美問題」の一つの解決法ではないかと思っている。

中学受験に母の出番は「ないない」!? わが子全員、トップ私立から東大へ……「スーパー母」の実態

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 筆者は長く、中学受験の取材を続けている関係で、我が子が大学生、社会人に成長したという「卒母」(わが子の中学受験を終えた母親)の女性たちとも話をする機会に恵まれている。

 その中には、トップ私立中高を卒業したわが子が「全員、東大」あるいは「全員、医大」「全員、海外有名優秀大学」という、まるで後光が射すがごとくの「スーパー母」がたくさん存在する。そういう母たちに、子育てについて興味津々で話を聞くと、どうも二通りのタイプが存在するような気がするのだ。

 一つは「子どもが突然変異」タイプ。ある母は「いやだ! 子ども二人が揃って東大って言っても、私は何もやってないわよ~。上は勝手にやってたし、下は気付いたら東大に行ってた!」と抜かしおった。

 意外にも、心からそう認識しているようで、決して謙遜ではなさそうだ。この子らは親の学歴云々というよりも、そもそも生まれ持った「地頭」が猛烈に良い。幼い頃から、一を聞いて十ではなく千を知るタイプなのだと思う。つまり「天才」「神童」と呼ばれる子たちなのである。

 こういう子を持つ母にインタビューすると、かなりの確率で、次のように言われる。

「中学受験に母の出番? ないない! うちの子はいつも事後報告よ。小さい頃から、自分のことは自分で決めてたし、私が口を出すまでもなかったわ」

 子どもを怒鳴りまくって、過呼吸になるかと思いながら子育てをしていた筆者は、ただ「恐れ入りました」と首(こうべ)を垂れるしかないのである。

 もう一つは「人生実践型」タイプ。一言で言えば、このタイプの母親は賢い。もちろん学歴も職歴も高い人が多いのであるが、それよりも、何と表現すればよいだろう、「賢い生き方をしている」という感じなのだ。

 例えば、彼女たちはいろんなことに博学だ。そして頭でっかちではなく実際に手を動かし、頭で考え、トライ&エラーを重ねながらも正解値を求めるような人が多い。

 ある母は、新型コロナウイルス感染が拡大するこの非常時に、こんなことをしていた。

「どこに行っても手指消毒薬がないじゃない? それで、思ったの! ないなら、作っちゃえ! って(笑)」

 そして、もともと自宅にあったアルコール製剤とキサンタンガム(増粘多糖類)などで「手ピカジェル」を完成させたらしい。以前から思っていたが、こういう母の元で育つと、子どもたちは嫌でも理系に進み、研究者になる子が少なくない。

 このように、行動力も知識欲も旺盛な人は、どんな子どもにも必ず訪れる「なぜ? どうして?」期に、“喜び爆発”で対応していたように感じる。もともと知っていることであれば、間髪入れずに答えるし、万が一知らなければ、ネットがない時代であっても、子どもと一緒にさまざまな調べものをし、「正解」にたどり着いて、そのことを心から喜ぶ……こうした親子のやりとりは、中学受験においてもプラスに働くに違いないのだ。

 紅子さん(仮名)も、筆者が「すごいなぁ」と思う母である。彼女のお子さんは二人とも、名門私立中高、そして東大を卒業しているが、紅子さんの場合は「どうせ学ぶなら、資金力がある東大がいいのでは」という理由で、子どもを東大に行かせようと思ったのだそうだ。

 「子どもたちが小さな頃は、“夢中になれるもの探し”に、とことん付き合った」と言う紅子さん。例えば、子どもがどんぐり拾いに興味を示したら、とことんどんくりに向かい合う。数を数えてみたり、より遠くに飛ぶどんぐりはどういう形状のものかを予測して実践してみたり、切断して顕微鏡で中身を見てみたり、お風呂に浮かべてみたり……ついにはどんぐりの木を育てようとしたらしい。「試行錯誤したけど、木は発芽もしなくて、結果は失敗(笑)」と紅子さんは茶目っ気たっぷりに笑う。

「夢中になる対象物は、兄弟でも違うから、そこは慎重に見極めてたわね。最もいけないことは親が勝手に『これは良くて、これはダメ!』っていうようなジャッジを下さないってことかな? 本人が興味を示した物に対して、私もとことん付き合うって感じ?」

 では、紅子さんは、子どもたちが小学生だった頃、教科の学習をどうサポートしていたのだろうか?

「とにかく、すっごくよく子どもの話は聞いた。絶対に『あとでね』とは言わないようにしたの。子どもに『あと』はないのよ。例えば、親に国語の教科書を読んでサインをもらってくる宿題があったとして、『ママ! 聞いて!』っていう瞬間を逃したら、もう読むテンションはだだ下がりよね。だから、何をしてても手を止めて、真剣に聞いて、真剣に良いところを評価するようにしたの。それで、『その内容はつまりどういうことを言ってるかママに教えてくれる?』って教えてもらっていた。ほかの教科も同じね。中学受験の時もそうだった。それに子どもの話を聞くことは、子どもが高校生になっても続けてたわ。数学とかは、もはや私には理解不能だったけど、お兄ちゃんが『数式の美しさ』を力説した時は、その気持ちだけ共感してたのよ(笑)」

 筆者の元には、中学受験後を見据えた母親から「子どもを東大に入れたいのだけど、どのような英才教育を施したらいいのか?」というような質問も舞い込む。実際、そういう類の謳い文句で塾や教材を手がけている業者さんもある。

 しかし、第3者が施す英才教育や早期教育よりも、子どもが小さいうちは「これ、楽しいね!」「これ、面白いね!」という生の経験をたくさん用意してあげるほうが、子どもにのびしろが生まれる気がする。

 人生で起こる、あれやこれやを全力で不思議がり、楽しんできた親は、やはり、子育ても面倒くさがらずに、とことん楽しんでいる。もちろん、親として、「子育て戦略」であえてやっている面もあるだろうが、結果として、このような親の子どもは、高学歴であることが多いなぁという実感があるのだ。

中学受験に失敗、「絶対人に言えない学校」に入学――心が折れた優等生は「再生」できるのか

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 受験は数字の世界だ。「1点」が受験生の明暗を分けることも普通に起こる。例えば、同じ学校を受けたA君とB君が、入試で1点差だったとして、2人に学力の差はないに等しくても、A君は合格、B君は不合格となる場合がある。なんともシビアな世界なのだ。

 もう一つ、受験生たちを追い詰める「数字」が存在する。塾がランキングしている学校格付けである。大学受験ならば、生徒それぞれの志望学部や学科が違うために、「偏差値が高ければ高いほど良い大学」とはならない傾向があるが、中学受験はいまだに「偏差値が高い=価値ある学校」という刷り込みがなされやすいので、それが子どもの心を蝕むケースが出てくることが問題なのだ。例えば、本来想定していたよりも偏差値の低い学校にしか受からなかったとき。「偏差値」の刷り込みをされた子どもは「なぜこんな価値のない学校に……」と心を荒ませることがある。

 この連載は、「中学受験を通して見る親子関係」がテーマだが、この問題においては、学校側の「子どもを再生させる力」も問われるように思う。今回はちょっとした番外編として、ある元中学受験生と、その子が入学した学校の校長先生の話をつづってみたい。

「塾の下位クラスをバカにしていた」優等生のつまずき

 かつて中学受験生だった山田未希さん(仮名)も、「偏差値が高い=価値ある学校」という刷り込みの「被害者」だったのかもしれない。彼女の通っていた塾では、クラス分けは成績順、座席も成績順。指定された席が教室の後方ならば、翌月は下位クラスに“格下げ”となる可能性がある“崖っぷち”状態を指したという。未希さんは成績上位クラスに所属していたが、そこでは選民意識がはびこっており、下位クラスの子たちをバカにする習慣があったのだそうだ。

 室長の「最低でも〇中学以上でなければ勝者とは呼べない!」という鼓舞によって、クラスの士気は一気に高まり、受験本番を迎えたと聞く。そして結果が出た。

 クラスのほとんどの子たちが「ここならば納得」という学校に合格を決めた中、未希さんのみが「絶対人に言えない学校」にしか合格が取れなかった。結局、塾主催の祝勝会も欠席し、家に引きこもったという。

 そして、4月が訪れ、未希さんは「絶対人に言えない学校」というY学院に入学した。その制服を着ていることを近所の誰にも知られたくない一念で、人がまだまばらな早朝に家を出て、開門時間に合わせて登校するという日々を送っていたのだ。

 そんな未希さんだが、ある日の早朝、学校の門に到着すると、後ろから来た人に話しかけられたそうだ。

「おはよう、山田さん! 今朝も一番乗りだね!」

 振り返った彼女は仰天したという。なぜならば、その声の持ち主が、校長先生だったからだ。思わず口から出た言葉は「え? なんで私の名前を知ってるんですか?」。すると校長先生はニコニコしながら「そりゃ、知ってるよ。この学校の大事な生徒だもん!」と言ったという。

 それを契機に、未希さんと校長先生は毎朝、短い会話を交わすようになっていく。ある日の早朝、校長先生は未希さんを校長室に招き入れてくれたそうだ。「僕はね、学校に着いて、仕事をする前に自分で紅茶を入れて飲む習慣があるんだよ。杉下右京みたいでしょ(笑)? え? 知らない? そっか、中学生は『相棒』は見ないか(笑)」と、紅茶をご馳走してくれたという。

 未希さんは、当時のことを次のように振り返る。

「なんていうか、校長室があったかい雰囲気だったんです。紅茶の湯気の向こうに校長先生がニコニコしてらして……。私、なんだかわからないんですけど、泣いちゃったんですよね」

 校長先生は、嫌々Y学院に通っていた未希さんの心情を知っていたのか、こんな話をしてくれたんだそうだ。

「人生って思い通りに行かないことも多いよね。今朝も僕は、バスがギリギリで行っちゃって、悔しい思いをした(笑)。でも、僕はね、そんな時は“楽しいこと探し”をするんだよ。晴れたから気持ちいいなとか、今日の学食のランチは何かな? とかね。そんなことを考えてるうちに、バスに乗り遅れたことは忘れてることに気付くんだよ」

 それからというもの、未希さんは時々、クラスメイトと一緒に校長室を訪ねるようになったという。中3になったある日、校長室で友達が「最初は、私、この学校、すっごく嫌だったんです。だって、第1志望じゃないし。なんで私はこんな学校にいないといけないんだろうって……」と本音をぶちまけたことがあったそうだ。

「さすがに私は慌てて、友達を止めようとしました。だって、校長先生に直接そんなことを言うなんて、失礼すぎるっていうか……。でも、校長先生は、いつものようにニコニコしながら『うんうん、そうか、そうか』っておっしゃっていました」

 しかし、友達は「でも、今は未希や〇〇や〇〇って親友もできて、部活もすっごく楽しくて、校長室でお菓子も食べられるから(笑)! 私、本当にこの学校に入って良かった!」と続けたという。

「そしたら、校長先生が『お菓子! うん、大事だね(笑)』って大笑いしながら、『好きになってくれてありがとね。僕も君たちが大好きだよ』って言ってくれたんですよね……。私、その時、思ったんです。『私、この学校が好き!』って。ウチの先生たちって、成績で生徒を見ないし、いつも『君たちはそのままで価値がある』という態度で、私たちを認めてくれるんです」

 その時、校長先生は思い出したように「そう言えば、山田さんの登校時間が段々と遅くなって(笑)、僕は朝、密かにどっちが一番乗りかを競ってたんだけど!」と未希さんに尋ねたという。

 未希さんは笑顔で「もう、早く来る必要がないんです。もう『近所の人に制服姿を見られたくない』とは思いません。この制服、私の誇りなんで」と答えると、校長先生は、細い目を一層細くして「うんうん」と頷いていたという。

 実はこの校長率いるY学院は、子どもの「再生工場」の異名を持つ学校の一つである。

 さらに3年の月日が流れた。未希さんはこの学校に戻ってくることを誓い、この春から国立大学の教育学部に入学することが決定している。

中学受験専門塾に「日に3回」通い、温かい弁当を届け続けた母――その息子が「高校進学」できなかったワケ

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 中学受験は「親子の受験」と呼ばれている。最近では母親も父親も学校説明会や塾の保護者会に積極的に参加するので、「一家の受験」とでもいう様相を呈しているが、それでも、今も主流は母と子の二人三脚である。

 母たちは、小学生である子どものお世話することが「当然」であるがゆえに、ある問題を抱えやすい。それは「子どもの自立を阻害してしまう」ということである。今回は「子どもの自立」というテーマで、中学受験の負の側面の一つを語ってみたい。

息子のためなら「何でもする!」完璧な母に

 朱美さん(仮名)は専業主婦。一人息子の真斗君(仮名)のためならば「何でもする!」というくらい、完璧な母を目指していたそうだ。

 真斗君は都内でも中学受験率が高い小学校に通っていたため、本人も小学4年生になった時点で中学受験専門塾に通い始めた。

 朱美さんは真面目な性格ゆえに、「塾の仰せのまま」というような暮らしを始める。例えば、室長が「プリント管理は親の仕事です」と保護者会で告げようものならば、真斗君には一切やらせずに、自分で完璧なプリント管理を行う。また、塾の担任が「このオプション講座を取った方がいい」と言えば、真斗君に聞くこともせずに、即座に申し込むといった具合だ。

 もちろん、塾へ届けるお弁当も栄養を考慮したもので、しかもオーガニック素材。さらに「冷めたものはおいしくなかろう」との母心から、真斗君を塾に送り届けた後、一度自宅に戻り料理をして、再び、休み時間に合わせて温かいお弁当を持っていくという徹底ぶり。もちろん、その後、あらためてお迎えにも行くのだ。このように、朱美さんの生活全てが、真斗くんと中学受験を中心に回っていた。

 もちろん家でも、真斗君が勉強に集中できるように、最大限の努力をしていたという朱美さん。真斗君ができそうなお手伝い……例えば、靴を並べる、お箸をテーブルに並べる、食べ終わった食器を流しに運ぶなどといった類いも、一切やらせなかったという。

「真斗の志望校はS中学。この学校に憧れを抱いていたのは私ですが、真斗も『いいよ』と言うものですから、それを叶えるためには、勉強以外のことで時間を取ってはいけないと思っていたんです」

 家でのスケジュールも、全て朱美さんが取り仕切り、自宅学習中はストップウォッチ片手に時間管理を徹底していたそうだ。当然のことながら、ゲームは禁止、視聴するテレビ番組も朱美さんが全てを決めていたという。

 さらに、朱美さん自身が、地方の公立トップ高校からの有名私大出身者ということもあり、真斗君の自宅学習に付き合うことを日課としていたのだそうだ。

「真斗は私と一緒に勉強することを嫌がりませんでした。しかも、とても素直な子なので、私の解き方ややり方に異議を主張することもまったくなかったです」

 そんな3年間を過ごした真斗君は、無事S中学に進学した。初めの頃こそ、真斗君は張り切って学校生活に取り組んでいたのだが、徐々に補習に呼ばれるようになり、いわゆる「深海魚」という成績下位が定位置となってしまったという。

 焦った朱美さんは真斗君に部活を辞めさせ、家庭教師を付けて、赤点回避に全力を尽くそうとした。しかし、成績はまったく上向く気配はなかったという。

 そうこうしている内に、真斗君は中学3年生に進級したが、ある日、朱美さんは担任の先生から呼び出され、こう告げられた。

「このままの状態ですと、真斗君には併設高校への進学は認められないでしょう」

 中高一貫校であっても、学力的に進学基準に満たないとみなされた場合は、高校へは上がれない。さらに朱美さんは、担任の先生からの次の言葉に、ショックを受けたそうだ。

「真斗君の場合、学力不足もありますが、それより何より『自発的に何かをやる』という意思に著しく欠けるということが問題です」

 つまり真斗君は、全てのことにおいて「指示待ち」の受け身でいるというのだ。勉学も含め、自分でやらなくてはならないことに対してやる気を見せず、誰かが何かをしてくれるのが当然といった素振りでいるので、「友人関係にも心配な面がある」とのこと。

 先生が「何をしたいのか?」と聞いても「わからない」と答えるため、「自由闊達、積極的な子を育てることに定評がある本校では、逆に伸びないのではないか?」などと言われたそうだ。

 朱美さんはため息をつきながら、自身の行動を顧みた。

「宿泊学習の時に、真斗がメガネを忘れてしまったので、私が現地まで届けたことがあるんです。そう言えば、事前の保護者会で『お母さんたちは、お子さんに構わないであげてください』と言われていたんですが、メガネなしでは、いくらなんでも不自由だろうと思ってしまって……。私のこういうところが、真斗をダメにしてしまったんでしょうか……」

 真斗君はその後どうなったのか。中学3年生の秋、担任の先生から、進路に関していくつかの選択肢を示され「どうしたいか?」と聞かれたというが、真斗君が「どうでもいい」と答えたために、「やる気の欠如」として、結局、併設高校の入学許可が下りなかったという。

 朱美さんいわく、真斗君は「ママの好きにすれば?」と言うだけで、何のアクションも起こしおらず、今現在、S中学は卒業したものの進路は決まっていない。

 子どもに代わって、できることは何でもやってあげたいという母心は、わからなくはない。子どもの目の前に石があったら、転ぶ前に取り除いてあげたいというのも母心だろう。しかし、いつまでも母が子どもの盾で居続けることは不可能だ。子どもと親は別人格。やがては親の元から自立させなければならない。しかし、中学受験がきっかけとなって、手を徐々に放すというタイミングを失う母は意外と多い。

 中学受験にはこういう負の側面があることを指摘しておきたい。

中学受験終了後に「死にたい」と葛藤――滑り止め不合格で、本命校を「受けさせなかった」母の自責

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 今年度の中学受験が滞りなく終了した。毎年、本番前後には、私の元に中学受験生の母たちからお悩み相談が殺到する。もちろん、終了後は多くの人がうれしい報告を寄せてくれるが、中には「死にたい」とまで思い詰める母の便りが届くこともある。

 彼女たちは子どもの受験結果が望むものとは違いすぎて、意気消沈しているのだが、受験というものは、志望校への思いが強ければ強いほど、報われなかったダメージが大きいのだ。

本命校A中学の本番を受けなかった親子

 かつて私に「死にたい」と訴えた麻友さん(仮名)のケースはこうだった。一人息子である純君(仮名)は小学校4年生からの受験勉強を経て、中学受験を経験した。麻友さんも夫も経験者ではなかったこともあり、受験勉強の日々が、こんなにも過酷であるとは思ってもみなかったそうだ。

「この3年間、純には好きな野球も無理矢理やめさせて、受験一辺倒の生活をさせてしまいました。全てはA中学合格のためだったんです。でも……」

 純君は、インフルエンザのために1月受験校を不戦敗。体調は戻ったものの、受験本番の空気を経験できぬまま2月1日からの本番に突入したという。

 結果は次の通りだった。

2月1日午前B中学(偏差値56)不合格/午後C中学(偏差値50)不合格
2月2日午前D中学(偏差値55)不合格
2月3日午前B中学(偏差値58)不合格
2月4日午前E中学(偏差値54)不合格
2月5日午前B中学(偏差値62)不合格
2月6日午前F中学 (偏差値45)合格

 8戦1勝6敗、1不戦敗。

 私は聞いた。「あれ? 本命のA中学は3日が受験日だったよね? 受けなかったの?」と。すると麻友さんは嗚咽しながら、こう繰り返した。

「私のせいです。私のせいなんです。もう、死んでしまいたい……」

 つまり、こういうことだ。本命校だったA中学(偏差値64)の受験日は3日だけ。模試でのA中学への合格確率は40%くらいで、過去問10年分での勝率は五分五分だったという。一方で、B中学の合格確率は80%を超えており、過去問の感触もかなり良かったのだそうだ。そこで、麻友さんは、「早いうちにB中学から合格をもらい、さらにB中学より偏差値が低いC中学、D中学にも余裕で合格し、弾みをつけて、3日の本命A中学に挑む」というスケジュールを組んだという。

 ところが、その歯車は、1日午後に受けたC中学の当日発表から狂い出す。まさかの不合格を抱えたまま、2日D中学を受験した後に、1日午前に受けたB中学の不合格を知り、さらに当日発表のD中学不合格が判明した。

「1日からの2日間で、塾から太鼓判を押されていた学校に続けて3校落ちたんです……。その翌日の3日は本命のA中学なのに、純は泣き続けていて、とても受けられるような状態には思えませんでした」

 塾も安全策を考えて、3日は「B中学2回目受験」を強く推してきたという。迷いに迷ったそうだが、やはり、ここは塾の進言を聞くことにして、A中学受験をやめ、再びのB中学に挑むも、結果は不合格。

「一番、きつかったのは3日の夜に純が『もう、どこも受かる気がしない』と言って、ご飯も食べずに寝たことです……。あれだけA中学を目指して頑張ってきたんですから、結果はダメでもA中学を受けさせるのが親の務めだったのではないか? って……。私が上手に誘導できなかったばかりに、後悔しか残らない受験になってしまいました。もう純には合わせる顔がありません」

 合格切符というものは、これほど手にすることができないものか、と嘆くほどの受験になったが、純君は結果、6日のF中学に合格。麻友さんは手で涙を拭いながら、こう漏らした。

「私は言ったんです。『F中学、合格おめでとう!』って。でも、純はまったく喜んでいなくて、私としても1回も行ったこともない学校だったので、正直、まったくうれしくなかった。今も『ああ、ここなのか……。頑張った結果がここなのか……』って思いしかなくて、もう、いっそ死んでしまいたいって思うんです」

 純君は「F中学には行かない。公立中学にも行かない」と言って、塞ぎ込んでいるとのことだった。目の前で「死にたい」と繰り返す麻友さんに、筆者はこんな助言をした。

「死ぬのはいつでもできるから、死ぬ前にF中学に行って、先生を呼び出して、私の伝言を渡してくれないか?」

 後日、麻友さんは、その走り書きを持ってF中学に行ってくれたみたいだ。その後、純君はF中学に入学した。

 あれから早くも6年の歳月が流れた。先日、F中学の校長先生にお会いした際に、純君の話が出た。

「彼は部活も頑張りましたし、学園祭でも実行委員として盛り上げてくれました。本人の努力もあって、推薦で慶應に入りました。りんこさん、あなたとの約束は果たしましたよ(笑)」

 私が麻友さんに渡した走り書きは「校長先生。再生工場、期待してます。純君をよろしくお願いします」というものだったと記憶している。

 私立中高一貫校にはそれぞれ校風があり、それに憧れて受験するのは、とても良いことだ。憧れの学校に入学できたら素晴らしいことだと思う。しかし、哀しいかな、第1志望合格者は、「5人に一人」と言われるほど狭き門なのである。

 思いが届かなかった時、母は責任を感じて「死んでしまいたくなる病」に罹患しやすいのだ。立ち直るには正直、時間薬が必要だが、もし、心のどこかで助けを必要としているのであれば、同じような経験をした元中学受験生の母、あるいは私のように、数多くの事例を知っている人に「(死にたいくらい)つらい」と言ってみよう。

 私はこの20年あまり、「死にたいくらいつらい」という母に、数多くお目にかかってきたが、その経験から言わせてもらうならば「雨が降った方が地は固まる」のである。なぜならば、どの私立中高一貫校も、伊達に存在しているわけではないから。たとえ志望校ではなくとも、縁のあった学校で腐らずに頑張ることにより、子どもの人生は開けると思っている。

中学受験でミラクル合格! 月額20万円“課金”で偏差値アップ、「勝ち組親子」が入学後に見た地獄

 “親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。

 今年の中学受験もほぼ終了。今年は首都圏で6万人が入試を突破したという。その中には万々歳の結果に大満足している親子も多くいるだろう。

 それはそれで、大変めでたいことなのであるが、意外とこの「めでたさ」は長くは続かないということも、今後、中学受験を考えるご家庭は考慮に入れておいた方が良い。

 なぜならば「勉強するために学校はある」からである。「中学受験で勉強は上がり!」という気持ちで入学すると、その後、親子ともどもつらくなってしまう現実があるからだ。それが実力不相応校である場合はなおのこと。今はまだ「めでたさ」に浸る時期ではあるが、今回はあえて苦言を呈したい。

 ご承知のように、受験界には偏差値というものがあり、中学受験も例外ではない。つまり、上位校・中堅校・下位校という序列が明確にある世界。これはあくまで“難易度”という尺度で見た数字であるのだが、この数字の高さを「幸せのパスポート」と信じて疑わない家庭がある。

 塾でも成績別でクラスを編成していくため「数字が全て」という思考に陥りやすく、すると、上位校が勝ち組で、その他は負け組という認識になってしまうの。一度、こういう思考にはまると、その先には底なし沼が待っていることもあるので注意が必要だ。

 彩子さん(仮名)もそんな思考の波にのまれた一人であった。

 彩子さんの夫、また夫親族も皆、高学歴で高収入。彩子さんの一人息子の龍平君(仮名)のいとこたちは、全員が高偏差値校の中高一貫校に通学していた。彩子さん自身は中堅大出身であるが、夫親族に対して勝手に学歴コンプレックスを持っていたという。

「夫からも夫親族からも、龍平の受験に関してプレッシャーをかけるような言葉は何もありませんでした。でも、私は龍平を『トップ校に入れなければ!』と勝手に思い込んでいたんです……」

 しかし、龍平君の偏差値は思うように上がっていかない。中学受験専門塾でのクラスも、5年生の半ばまで、5クラス中最下位クラスだったという。

 焦った彩子さんは、龍平君をこの塾に加え個別塾にも通わせたものの、下から2番目のクラスに上がっただけで6年生を迎えたそうだ。

 さらに「どうにかせねば」と思い詰めた彩子さんは、プロ家庭教師に週3回自宅に来てもらうことに。中学受験に関する経費は月額で20万円を突破したという。

 彩子さんは当時を振り返り、「なんでそこまでしたんですかね」とため息交じりに漏らす。

「あの時はもう止められない状況でした。実際、お金をかけたら龍平の成績が急にアップするようになって、偏差値も40台前半から、ごくたまにですが、60近くまでいくようになったんです」

 その調子のまま迎えた受験本番も絶好調で、龍平君はチャレンジ校としていたトップ校Sに入学を決めた。

「もう有頂天でしたね、私は……。これで龍平の未来は安泰だと、私たちは勝ち組だと思いました」

 ところがトップ校S中学は甘くはない。入学直後から「勉強するのは当たり前」という空気に満ちていたという。授業は先生のオリジナルプリントで進むことが多く、しかも進度が速い。これに加え、毎日、山のように宿題を与えられるので、その日、その日の授業をしっかり聞いて、大量の課題をきちんと提出しなければ、アッという間に「多重債務者」状態――複数の教科で“わからないことだらけ”になるのだそうだ。

 龍平君は、中1の夏休み明けには、早くも「落ちこぼれ」の自覚を持ったためか、元気がない様子だったという。

 加えて、学校から「このままでは進級できない」との“警告”が入る。彩子さんは焦り狂い、「トップ校落ちこぼれ生徒専門の塾」に龍平君を入れて、どうにか進級させようと足掻いていた。

 そして中1の終わり頃。その塾の先生から電話があり、「龍平君が最近、塾に来ないので、来る気がないなら退塾してほしい」と言われたそうだ。

 絶望に打ちひしがれた彩子さんは、その夜、遅くに帰って来た龍平君を問い詰める。

「なんで塾に行ってないの? このままだと、龍平は高校に上がれないよ! 恥ずかしいと思わないの!?」

 その言葉がスイッチになったがごとく、龍平君はそこら中の物を壁に投げつけて、こう叫んだという。

「もう、うんざりなんだよ! 勉強、勉強って! てめぇ、嘘つきやがって! 『Sに入ったら、楽しいよ! 苦しいのも(中学受験の)今だけだからね!』って言ってたの、誰だよ!てめぇの言うことなんて誰が聞くか!」

 そして、そのまま自室に引きこもってしまったらしい。

 彩子さんは物が散乱したことよりも、昨日まで自分のことを「ママ」と呼んでくれていた我が子が、獣のような目で「てめぇ」と呼んだことがショックだったという。

「考えてみればそうですよね。Sは私立中学の中でも、高偏差値の子が行く学校。つまり、自学自習ができ、自分のやるべきことが自分でわかっている子が行く学校なんですよ。龍平はまだそれができる段階ではなかった。プロ家庭教師による“詰め込み”という付け焼刃の勉強で、たまたまミラクル合格をしただけだったということを、もっと理解しておけば、こんなことには……」

 龍平君はほとんど学校には行っていなかったため、併設高校への進学は認められなかった。あれから10年近くの時が流れた。今も龍平君はほとんどの時間を自室で費やしていると聞いている。