夜の仕事をするシングルマザーと虐待の関係——“事件予備軍”が生まれる背景

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第20回 渡辺しずかさん(仮名・24歳)の話(後編)

 前編でインタビューした渡辺しずかさんの紹介者(30代・男性)に、横浜の風俗事情について聞いた。

■虐待やネグレクトしてる親に限って、警戒感が強い

――今回、渡辺しずかさん以外のシングルマザーの方はみなさん取材NGだったんですよね。
そうですね。とにかく警戒されました。お店に顔を出すたびに取材の話をしたんですが、全滅ですね。ネグレクトとか虐待をしてそうな子に限って、すごく警戒心が強くて。普段、話をしてる子とかも、取材の話を切り出した時点で「いや、私無理なんで」って感じでした。――キャバクラで働いてる女の子って、どんな子たちなんですか?

 30代の子は少なくて、20代半ばよりは下の子が多いです。中には10代後半の子もいます。子持ちの子も、珍しくないですよ。結婚してなくて、シングルで育ててる子が多いかな。

――女の子たちはなぜシンママになるんですか?

 従業員の女の子から直接聞いたり、女の子の派遣先の店で聞いたりした話ですが、お客さんと行きずりで行為に及んで、妊娠・出産するケースがあるんです。そうした場合、子どもへの愛着はあっても、実の父親が誰かわからなかったり、育てる自信が持てなかったりします。

――シンママになる女の子に傾向はあるんでしょうか?

 年齢が下がれば下がるほど、ひどい親が増えるってのがありますね。家族計画とかもちろんない。言ってみれば若さの暴走。子どもを作ったこともそうだし、夫婦けんかの延長で DVを受けて、子どもと一緒に逃げたりとか、育てていても虐待したりとか。世間で言われてる通り、やはり再婚後の虐待が多いかな。2010年の大阪の虐待事件のような、どうしようもない親も中にはいますよ。そういう虐待とかネグレクトとかをしてそうな子に限って、警戒感が強かった。

――紹介して下さった渡辺さんの話と大分違いますね。

 比べるまでもないですが、渡辺さんはずいぶんしっかりしているほうです。

――事前に聞いていたプロフィールと異なり、渡辺さんは結婚はしていなかったし、母親は離婚じゃなくて病死でした。

 そうだったの? あれ、話と違うなあ。

――話を戻します。虐待とかネグレクトしそうな子どんな母親ですか?

 気が強くて、人に相談しない子が多い。そういう子は、全部自分で決めちゃうんですよ。離婚とかも、すぐにパンと決めてしまって。今後どうしていくとか、将来のための羅針盤など何も持たず、計画とかは何もないままで離婚して、シングルマザーという穴に簡単に飛び込んでしまうんです。すると不幸が連鎖するというか、負のスパイラルに入り込んじゃうんですよね。再婚せず、誰にも相談しない結果、子どもを家に置き去りにしたり、再婚したらしたで、子どもが継父から虐待されたりとか。

――ネグレクトはなぜ起こるんでしょう。典型的なパターンはあったりするんですか?

 仕事が終わった後、女の子同士で飲みに行くことがあるんです。そのとき誘われて断れず、ついて行く。そうしたことが重なって、結果的にネグレクトの状態になるというケースは実際にありますね。それで私が心配して「早く子どものところに帰ってあげたら」って言ったら、説教に聞こえるみたいで、嫌がられます。

――寮生活している子たちはどうでしょう?

 両親が離婚してしまっている子が大半。親が自分で面倒を見きれないということで、キャバクラやホスト、風俗嬢の子らのためのマンションというか寮に入れちゃうんですよ。子どもに「すぐに入りなさい」とか言って入れちゃって、それを子離れと錯覚しちゃう。そんなケースが、ちょっと多い気がしました。

――とすると、まだ10代とかですよね。それは一種の養育の放棄ですね。

 そう言えますね。

――もともとそういう子って、非行に走ってた子が多そうですね。

 その通りです。家出したり、覚醒剤をやったりタトゥー入れたりしている子も多いです。結婚してる子は、ほとんどいないです。シングルマザー、水商売の方、不良外国人。そんな人たちが多いですね。

――寮の建物というのは、どんな感じなんですか? 店側が一棟全部借り上げたりしてるんですか?

 そうです。いわゆる繁華街とかにありますね。そこはかなり評判がよろしくないところ。というか、そういう場所にあるマンションはキャバクラやホストの寮である可能性が高いかな。都会の繁華街であっても、平均的に家賃がすごく安いです。普通の人は住みたがらないので。少し治安が悪いのを我慢すれば、安いから学生さんには人気ですね。でも実際、ヤクザ同士の抗争とかもあります。

――そういうところに住んでいるってことは、夜の仕事に就くわけですよね。そうすると、子どもを預けたりできないんじゃないですか?

 大きいお店には託児所があるんです。グループ会社としてキャバクラの経営とかもやっているところって、 オーナーが暴力団とかそういうイメージがあると思うんですけど、普通の昼の企業の人たちが経営しているケースが多いんですよ。だから意外としっかりしている。だけど、そういうところの託児所は、保育料がべらぼうに高い。

――中には、高い保育料を払えない子もいるのでは?

 そういう子とか、寮に入らず郊外に住んでる子とかは、自宅に子どもを置き去りにしてます。先ほども触れた2010年に子どもが2人餓死したケースがありましたけど。そりゃ起こるよなあって感じ。あれに片足踏み込んでますよ。

――虐待や餓死といったケースを実際、目の当たりにしたことはありますか?

 さすがに餓死はありませんが、虐待やネグレクトについては証拠をつかんだことが何度かあります。それに話にはよく聞きます。例えば、雇ってる女の子たちが仕事に出ている間、彼女たちの子どもを預かって面倒を見ることがあるんです。そのとき、子どもたちの状態を見て、傷を見つけることがありますね。あと送迎のために彼女たちの家へ立ち寄ったとき、荒れた状態の部屋を見たりすることもあります。また、彼女たちの親と話して、実態を教えられることもあります。

 子どもが殺されちゃうような虐待よりも、事件にならないだろうなというレベルの虐待がまん延していますよ。それはネグレクトも含めてですけどね。多いのは、彼氏とか水商売仲間のいたずら。幼児にタバコを吸わせたり、お酒飲ませたり。そんなのばかり。そういうことを知るたびに頭痛がしますし、頭にきますよ。それ以外に、叩く殴る罵倒する、いたずらをするぐらいはいくらでもある。

――「この女の子は虐待しそう」と話をして感じたりするものですか?

 仕事柄、かなりコミュニケーションは取るようにしています。一緒に酒を飲んで話したりするんですが、そのとき子どもの話を一切しなかったりします。それで、こちらから聞いてみても、警戒して話してくれませんね。そういう女の子はインスタに子どもの写真がまったくなかったり、そもそもインスタに鍵がかかってて見れなくなってたりします。そういった女の子は虐待を疑います。実際にそうした話は、この業界では耳にしますから。

――警戒しているのは虐待やネグレクトを疑われるからと言い切れるんですか?

 ネグレクトをしていたり、虐待している女の子は、親とか親戚、友人たちといった周りの人たちから、すでにいろいろ注意されているので、話題に出すこと自体、嫌がるし、場合によっては怒り出す女の子もいます。

――注意したり、やめるよう説き伏せたりするんですか?

 そういう若いシンママたちにどうやって接するかっていう、その距離感は本当に難しい。少しでも注意したり叱ったりすると、逆ギレしてすぐに離れていっちゃうので。それまで、どれだけ僕を信用していたとしても。それで縁が切れてしまったら、子どもの安否など知りようがなくなりますから。個人的に気がかりなので、薄い線でつながりを持っていますけど。こちらの顔色を察して LINE をブロックされたりとかということは何度もあります。

――本当はそういう方たちに話を伺いたかったんですけど、難しいですね。

 出てこないですからね。わかってますよね、あの子たちも。

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 男性の言葉に、私は暗澹とした気持ちになった。事件予備軍である若い親たちと、どうやって接していくのか。その手かがりとなるアイディアを、私はまるで持ち合わせていなかったのだ。

 もちろんこうした悲惨なケースは一部の子たちなのだろう。大半は渡辺さんのように真面目に生きている。そのことは間違いない。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

「子どもの父親はキャバクラの客」出産を知らせず、未婚で育てるシングルマザー

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第20回 渡辺しずかさん(仮名・24歳)の話(前編)

 8年前、大阪で、2人の幼児の遺体がマンションの一室で発見されるという痛ましい事件があった。風俗嬢の母親はシングルマザーで、子どもを置き去りにして男と遊び回っていたと報じられていた。

 そうした母親はごく一部だろう。シングルマザーの大半はなんとかやりくりして、自分の子どもたちを必死に育てているのではないだろうか。

 この連載では主に30~40代のシンママたちを中心に話を聞いてきた。しかし、風俗や水商売の仕事をしながら子どもを育てている母親の話は聞いていない。そこで私は、そうした女性たちにパイプを持つ、ある男性に、誰か紹介してもらえないかとお願いした。すると男性は後日、「1人だけ話をしてもいいという子がいるよ」と連絡してくれた。その女性は、離婚歴があり、子どもが1人いるキャバクラ嬢。彼女が高校生のときに両親が離婚。以後、父親と暮らしていたという。家庭が荒れる中で、少しやんちゃなこともしたと話を聞いていた。

 20代のその女性は、どのような経緯でシングルマザーになったのか? 現在に至るまでに、紆余曲折を繰り返してきたのだろうか?

■キャバクラ嬢をしながら子育てなんか難しい

 その女性は、ある日の夕方に横浜市内某所の寂れた喫茶店を指定してきた。約束の時間を少し過ぎ、子どもを乗せた自転車で現れたのは、丸顔でおっとりとした雰囲気の、派手さのない、どちらかというと地味な女性だった。

「お待たせしました」

 それが今回、お話を伺う、渡辺しずかさんであった。

 彼女と話していくうち、前出の男性に聞かされていた話と食い違っている点に徐々に気がつくことになる。最初に疑問を感じたのは、職業についてであった。

――キャバクラで働いていると聞きました。

 キャバクラの仕事は、20歳の頃から出産直前までやってました。だけど今はもう辞めてますよ。だって、夜にキャバクラ嬢をしながら子育てなんか難しいですよ。

――キャバクラで働いていた時、仕事はどんな感じだったんですか?

 キレイなヒラヒラのドレスを着て、お客さんと一緒にお酒を飲んだり、お話をしたり、毎晩そんな感じです。お客さんがお酒を頼んでくれたら、その分、マージンがもらえました。割合的にそんなに多くはなくて、5割よりは少なかった。

――店の外でお客さんと会ったり、同伴で出勤したりとか、そんなことはありましたか?

 確かに、お客さんからのお誘いはありましたね。店を通さずに会いたがるお客さんが多いんです。中には気持ちの悪い人もいて、店の外で待ち伏せされたこともあります。それで私、断り切れなくて、誘いに乗ってしまったことも何度かありました。

――ほかには、どんな女性が働いていたんですか?

 シンママの子は何人かいて、その中に、DVを受けて子どもと一緒に逃げたっていう子もいましたね。その子に、どのぐらい話を聞いたか? わざわざそれ以上は聞けないですよ。お店の寮に住んでる子もいましたね。私は住んだことないので、中がどうなってるとか、詳しいことは知らないですけど。

――では、結婚して離婚した男性について、話を聞かせてください。その男性とは、いつ知り合って、いつ結婚されたんですか?

 いえ……。そもそも結婚してません。

――えっ! 離婚歴のあるシングルマザーじゃないんですか……。お子さんの父親は?

 店の外で会っていた、キャバクラのお客さん。たぶんサラリーマンなんだろうけど、はっきりとは知りません。家庭を持っていたかとか、子どもがいるかとか、そういったことは今となってはわからないです。関係を持った日以降、彼に連絡はしていません。

――大事な父親なのでは? 子どもに会わせてもらえず、悲しんでいるかもしれませんよ。

 関わりたくないんです。あんな人に関わり続けるぐらいなら、養育費なんていりません。彼には出産したこと自体、伝えてません。自分に子どもが生まれたことや、その子が育っていることを彼は知りません。

――でも、子どもにとっては、血を分けた親なのでは?

 今後、彼に実の父親として会いにきてほしいとか、そんなことは別に望みませんから。

――……なるほど。では話を変えましょう。妊娠がわかったのはいつですか?

 21歳の頃です。病院に行った時には、もう妊娠9カ月だっていうじゃないですか。それまで、つわりらしいつわりはなかったし、おなかが膨らんでいることにも気がつきませんでした。びっくりしちゃって。実家の家族には、すぐに言いだせなかった。言ったら父親とか兄とかに反対されるって思ってましたから。だけど何日か後に、意を決して打ち明けたんです。そしたら意外なことに、全然反対されませんでした。キャバクラはすぐに辞めて、実家に戻って、出産に備えました。

――赤ちゃんが生まれた時の様子を教えてください。

 おなかが痛いなと思って、お風呂に入ってみたんです。ところが全然痛みがひかない。そこで父親に「おなかが痛い」って伝えたら、「子どもが外に出たがってるんだ。今から病院行ってこい!」って強い調子で言われて、すぐにタクシーに乗って病院に行って診てもらいました。すると、もう子宮口が開いている状態。まもなく分娩室に運ばれちゃって、気がついたらシュッと生まれてきた。それでも病院に着いてから生まれるまでは、4〜5時間かかりましたね。私もともと結婚願望と出産願望、両方あったんですけど、順番が逆になっちゃいましたね(笑)。

――生まれた直後は、どのように過ごしていましたか?

 1週間入院して、その後は、助産所みたいなところで1カ月ぐらい過ごしました。そこでは、助産師とかが授乳の仕方とか、育て方をいろいろ教えてくれたり、赤ちゃんの世話をしてくれたりしました。だから、生まれた直後でも15分おきに母乳を飲ませるとか、眠れなくてつらいとか、そういうことはありませんでした。まあ、そうなっていても大丈夫だったかも。もともと私、我慢強い体質ですから。

――そこを出てからは、どうされたんですか?

 実家に戻りました。先ほど話した父親のほかに、兄が住んでいます。母はいません。

――不仲で離婚されたんですよね。

 いえ、母は、私が高校を卒業した後、がんで亡くなってしまいました。

――事前に聞いていた話と、ことごとく食い違いますね。それはともかく、生い立ちとか家族関係について話してもらえますか? 出身は横浜ですか?

 いえ、神戸です。私がまだ小さい頃、神戸で震災が起こって、それを機に一家で横浜に引っ越したそうです。震災の記憶は全然ないですね。なんで横浜だったのかも聞いてないです。横浜には別に親戚はいませんし、なんででしょうね。父親は昔も今もトラックの運転手なので、単に仕事があったからじゃないですかね。心機一転ってことで。

――出身地も違いましたね。お父さんはどんな人ですか?

 コンビニに食材を運ぶトラックの運転手。夜中に出て行って昼前に帰ってくる。頑固で言い方が強い人。怒鳴ったりはしないけど、怒らせると怖いかな。普段は手は出ないけど、一回、包丁を振り回されたことがあったな。あのときは振り回した挙げ句、投げつけられました。当たりはしなかったけど(笑)。

 そんな父親だから、母は普段、いろいろと我慢していたんだと思います。パートをしてたんですが、私が中学生のとき、がんが発覚しました。それ以来、3年以上、入退院を繰り返しました。

――母親が弱っていくことで、しずかさんが荒れたりはしなかったんですか?

 その間、生活が大変になったとか、気持ちが落ち込んだり、生活が荒れたりしたことはなかったですよ。女の私がやんなきゃって思って、母の代わりにちょくちょく家事をやっていました。

――偉いですね。それで、お母さんが亡くなった時の様子を教えてください。

 保育の専門学校に通っていて、当時は一人暮らしをさせてもらってました。授業かバイトかで外出してて、実家からの連絡に気がつくのが遅れちゃって、母親の死に目には会えませんでした。亡くなったとき、母はまだ40代。母のことを思い出すと、今でも泣きそうになります。その後、学校を中退して、キャバクラで働くようになりました。その点においては、荒れたという言葉にちょっと相応しいのかな。

――ところで、今はどんな生活なんですか?

 住まいは実家なので楽です。だけど、子育て自体は父も兄も手伝ってくれません。ほとんど私一人でやってるので、その分、大変かな。言い方が悪いですけど、男の人は子育てが全然できなくて、叱るだけですよね。

 今、付き合ってる彼氏がいるんですが、彼も父や兄と同様、子どもの面倒が全然見られない。おむつを替えるのですらダメで、見ててもどかしいです。だから「もういい。私自分でやる」って言って私がやっちゃう。

――じゃ、息子さんを、ほぼ1人で育ててきたと。息子さんは2歳とのことですけど、今までかなり大変だったでしょう。

 いや、そうでもないですよ。ずっと完全母乳ですし。保育園には1歳になる手前で預け始めました。こちらは東京とかに比べると、すぐ入れます。保活とかあり得ないです。それで、いま昼間はファストフード店で働いています。

 息子の日々の成長を見るのが、何より楽しみです。息子が初めて立ったときは感動しましたよ。最近は、夜泣きはしなくなりましたし、こちらの言っていることを理解していてすごいなと思います。例えば「ゴミをポイしてきて」って言うと、ちゃんと捨ててきてくれるし、「戸を閉めて」と言うと、カチッとなるまでちゃんと閉めてくれますし。

 とにかく、かわいくてたまらない。顔がまん丸なのでみんなに「ポチャポチャだね」って言われます。私の小さい頃に瓜二つと言っていいぐらいに、よく似ています。

――(写真を見る)かわいいですね。こんな子がいたら、そりゃ楽しいでしょう。それで、今後はどのように考えていますか?

 結婚は、機会があればしたいです。子どもがいても許してくれる人ならぜひ。でも、今の彼氏とはしないと思います。私がしたいと思わないので。

――今後もし、子どもが大きくなって、「お父さんは誰?」と聞かれたらどうしますか?

 「亡くなった」とか「蒸発した」とか、そういうふうに言うと思います。「いる」とは言わないつもりです。

 後編は、渡辺さんを紹介してくれた、風俗業界に顔が利く男性に、風俗へ勤めるシングルマザーの姿について聞く。
(後編へつづく)

娘はパパに会いたがっているが、元夫は「娘に会いたい」と言ってこない

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第17回 寺田倫子さん(仮名・29歳)の話(後編)

 知人の紹介で出会った、くまのプーさんみたいな5歳年上の男性に一目惚れ。笑いのツボが合うところも好きになった理由だった。2人の子を連れて出て行った前妻と彼の離婚が成立した後、同棲を始めた途端にモラハラ男だったことが発覚。しかし、妊娠がわかり、結婚、出産した。その後も変わらない態度に我慢できなくなり、役所に相談してDVシェルターに身を寄せた。

(前編はこちら:くまのプーさんみたいな彼に一目惚れ! 実は“モラハラ男”で出産後、シェルターへ避難)

■DVシェルターから母子生活支援施設へ

――DVシェルターへは、どうやって行ったんですか?

 すべての窓が覆われた車で連れて行かれました。携帯は預けさせられるので、場所の確認もできません。だから、どこに連れて行かれたのかわからないんです。それこそ関西にあることしかわからない。ひどい暴力夫から命からがら逃げてきたママさんなんかは、どこにいるのか絶対バレちゃマズいじゃないですか。もしかすると探偵に頼んで場所を特定して、追いかけてくるかもしれないですから。だから秘匿は仕方ないです。

――シェルターは、どんなところでしたか?

 テレビのある個室をあてがわれます。3食バッチリ付いていて、おむつとかも全部常備されていて、お金は一切かからない。入所していたのは、せいぜい3組ほど。入れ替わりは激しかったです。連絡先の交換は禁止。あちこちにアザがあるのを隠してるお母さんが、けっこういました。それでも子どもたちは割と健全でしたし、お母さんも一見普通の人たちでした。

――以前この連載でお聞きした中に、シェルター生活の不自由さについて不満を話していた人がいました。

 私もすごく嫌でした。1カ月間、本当に牢屋かなって思いました。携帯は没収されましたし、外出は禁止。だから本当に何もできない。娘は食事が合わなくて、ずっと下痢をしていたんですよ。なのに「栄養士が考えている食事なんやから、そんなはずあらへんよ」「これはごっつい体にええから」と言われて看護師さんが見張っている目の前で飲べたり食んだりさせられました。買い物をお願いしても全部却下でしたし。電話するにしても、施設内の公衆電話。スタッフが見ている中での電話です。外出禁止ですから、仕事をしていても辞めなきゃならないし、子どもたちも保育園や学校に行かせられない。そんな環境。うちの子はまだ3歳だったので問題なかったんですが、小学生は勉強室で自習してましたね。

――そうですか。やっぱり逃げるために、いろんなことが制限されるんですね。

 本当なら2週間がリミットなんですけど、結局1カ月いました。その間に次の行き場所を決めるんですが、私が母子生活支援施設(母子施設)に行くと言わなかったので、出してもらえなかったんです。私の場合、彼は追ってこないから大丈夫だったのに。

――母子施設は、DVシェルターと比べると何が違いますか?

 住むところがタダで、スタッフが支えてくれるという点で共通していますが、母子施設は母子の自立を促すための施設です。1階に受付を兼ねた事務所があり、そこにスタッフがいて、入所者の将来をサポートしてくれます。心理士とか診療士、保育士などもいました。働きに出る間、子どもを預かってもらいました。仕事ですか? 今は週5回、家事代行業スタッフとして9時~5時で働いています。

 DVシェルターと違うところは、自由だということですね。携帯を持っていてもいいし、ネットもできるし、午後10時までなら外出ができる。食事は出ないから、自炊しなきゃいけないし、働かなきゃいけない。母子の自立を支援する施設なので、貯金をしないといけないとか、仕事のシフトを全部申請しないといけないとかということもあります。あと嫌なのは、人は呼べませんし、外泊は禁止。恋愛禁止。男性と会っていたとか、そういった理由で何人か退所させられてます。若い子とかが。

――母子施設の住み心地はどうですか?

 今で1年。あと1年で退所します。相変わらず自由は制限されていますが、夫と暮らしていたときよりは断然幸せかな。彼と暮らしていたときは、家に帰ると常に嫌な上司がいるような感じでしたから。

――すでに離婚は成立したのでしょうか?

 去年の春、調停を起こしました。離婚と親権、養育費です。調停をするにあたって、「弁護士なんていらない」って思ってたんですが、支援措置の件でお世話になった役所に強く勧められて、紹介された弁護士に、結局お願いすることになりました。調停も最初のうちは気を使って、弁護士の主張に合わせていたんです。慰謝料ウン百万円を請求したりとか、面会交流を極力しないよう調節したりとか。だけど途中からは、私のやりたいようにやりました。

――どういうことでしょうか?

 「慰謝料はいらない」って言いましたし、面会については、調停委員に「時間制限なくやってくれて構いません」って言いました。だって、弁護士のやってることって一般論すぎるんですよ。私や彼に当てはまらないってことが多々ありました。これじゃ、解決しないですよ。弁護士さんとは相談してるふりはしてたけど、調停の本番では全然違うことを言ったんです。弁護士泣かせの依頼者ですよね。

――それで、どのように決着したんですか?

 私には彼の行動がわかってたので、予測して動いて、最後は和解です。親権は私、養育費は毎月ウン万円。慰謝料はなし。面会は無制限。

――では、彼と娘さんは、しょっちゅう会ってたりするんですか?

 いや、まったく会ってません。彼が「会いたい」と言ってこないんです。そのことは、彼の前回の離婚後の行動で、だいたい想像はついてましたけどね。

――彼は、前妻の子たちとも会ってなかったんですか?

 私と結婚しているとき、前妻と電話で、子どもたちに会うか会わないかの話をしていたことがありました。それで1回ぐらいは長女と会ったのかな。だけど、それ1回きりだったみたい。こちらに娘が生まれてからは、向こうには養育費を払うだけで一度も会いに行ってませんから。

■自分の実父との再会

――ところで話は戻りますが、その後、寺田さんご自身のお父様とは会えたんですか? ご自身が1人で育ててみて、父親がいないことでの大変さとか、いろいろ考えることがあったりするのかなって推察するんですが。会うことで、ご自身が別れた夫と会わせるべきか考える参考にしようとか、思ったりしなかったんですか?

 いえ、会うのは会ってますけど、それは子どもを産む前のことです。5年前に、突然「会ってみようかな」って思い立って、20年ぶりに会いました。それまで会いたいと思う気持ちはみじんもなかったし、生きてるか死んでるかということすら、関心もなかったのに。なんででしょうね。

――自分自身は何者なのか、というアイデンティティを追求しようとしたのでしょうか?

 単純に好奇心です。どこにいるのかわからないけど、本気を出せば会えるんじゃないかなと思って、父方の祖母に電話をしたんです。そうしたら実は居場所を知ってて、泣きながら「会ってくれるんか。許してるんか」って。「いや、私は恨みとかあらへんから」って返事をしました。そのことを母に言ったら「私は全然反対もしない。(父親に)会ったら、『ひどいことをされたけど、恨んでへんから』って伝えておいて」って言われました。

――会ったときに、何を思いましたか?

 父はジャージ姿。太って年取ったなぁって思いました。私に会うということを聞かされていなかったみたいで、自然体な感じで、「おうおう、びっくりするがな。なんやおまえ、お母さんやなくて俺のほうに顔が似てるやん」って。逆に私のほうが感極まっちゃって泣いちゃった。本当にいたんだ。会おうと思えば、人って会えるんだなっていう、そっちの感動ですごく泣きました。とにかく父は穏やかでニコニコしてました。だから人に信用されるし、誰にでも好かれる。ギャンブルさえなければね。そんな人だから、母もなかなか別れなかったんでしょう。父とは今もLINEで連絡取り合ってますよ。

――話を、ご自身の結婚に戻します。子どもを、元夫と会わせてもいいと思ってるんですか?

 もちろん。彼が「会いたい」って言ってくれれば、全然会わせます。娘は父親のことはすごく好きですし。彼が抱っこしてる写真とか動画を見せると、娘はすごく喜びます。「パパ、大好き。パパに会いたいなー」みたいなことを気軽に言うんです。

――元夫のほうから、「子どもに会わせてほしい」と連絡してきたことはありますか?

 1回だけありました。だけどそのとき、今のところで週5で働いてたし、土日に会わせて娘に熱を出させたくないと思って、「年末まで待ってください」って返事をしました。するとそれ以来、「会いたい」という連絡はないです。養育費は、ちゃんと毎月振り込んでくれてますけどね。

――今までの話を聞いていると、今後、面会実現の望みは薄そうな気がします。

 娘に会ってほしいので私、「パパに会いたいな」って娘が言ってる映像を彼にメールで送ったりしています。父親だという自覚はしてほしいですから。でも難しいでしょうね。もし今後、彼の気が変わって、「会いたい」と言ってきたら、もちろん会わせます。彼が私よりも素晴らしい子育てができるんだったら、別に親権もいらないし、それで暮らしていけるんだったら、全然そっちでもいいですよ。私だって自由な時間が欲しいですし。

――やり方次第で面会も可能なんですね。

 別居している父親の方々が「子どもに会えない」と嘆いているようですけど、やり方次第。もうちょっと相手に配慮すれば会えますよ。相手の都合とか、会えない理由とかを自覚してないだけ。それこそ「手が足らないときは預かる」とか言えばいいんですよ。

 支援措置を受けて、DVシェルターへと移り住むことと、夫と子どもを会わせないこととは関連していないのだ。いったんDVシェルターへ避難したとしても、子どもを会わせたいと思う親も中にはいる。周囲の援助者は、別れたから会わせたくないだろうと忖度せずに、もっとひとりひとりの気持ちをくみ取るべきではないだろうか。元夫は元夫で責任を放棄せず、娘に会うべきだ。倫子さんの元夫が娘と会ってくれることを、私は切に祈っている。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

娘はパパに会いたがっているが、元夫は「娘に会いたい」と言ってこない

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第17回 寺田倫子さん(仮名・29歳)の話(後編)

 知人の紹介で出会った、くまのプーさんみたいな5歳年上の男性に一目惚れ。笑いのツボが合うところも好きになった理由だった。2人の子を連れて出て行った前妻と彼の離婚が成立した後、同棲を始めた途端にモラハラ男だったことが発覚。しかし、妊娠がわかり、結婚、出産した。その後も変わらない態度に我慢できなくなり、役所に相談してDVシェルターに身を寄せた。

(前編はこちら:くまのプーさんみたいな彼に一目惚れ! 実は“モラハラ男”で出産後、シェルターへ避難)

■DVシェルターから母子生活支援施設へ

――DVシェルターへは、どうやって行ったんですか?

 すべての窓が覆われた車で連れて行かれました。携帯は預けさせられるので、場所の確認もできません。だから、どこに連れて行かれたのかわからないんです。それこそ関西にあることしかわからない。ひどい暴力夫から命からがら逃げてきたママさんなんかは、どこにいるのか絶対バレちゃマズいじゃないですか。もしかすると探偵に頼んで場所を特定して、追いかけてくるかもしれないですから。だから秘匿は仕方ないです。

――シェルターは、どんなところでしたか?

 テレビのある個室をあてがわれます。3食バッチリ付いていて、おむつとかも全部常備されていて、お金は一切かからない。入所していたのは、せいぜい3組ほど。入れ替わりは激しかったです。連絡先の交換は禁止。あちこちにアザがあるのを隠してるお母さんが、けっこういました。それでも子どもたちは割と健全でしたし、お母さんも一見普通の人たちでした。

――以前この連載でお聞きした中に、シェルター生活の不自由さについて不満を話していた人がいました。

 私もすごく嫌でした。1カ月間、本当に牢屋かなって思いました。携帯は没収されましたし、外出は禁止。だから本当に何もできない。娘は食事が合わなくて、ずっと下痢をしていたんですよ。なのに「栄養士が考えている食事なんやから、そんなはずあらへんよ」「これはごっつい体にええから」と言われて看護師さんが見張っている目の前で飲べたり食んだりさせられました。買い物をお願いしても全部却下でしたし。電話するにしても、施設内の公衆電話。スタッフが見ている中での電話です。外出禁止ですから、仕事をしていても辞めなきゃならないし、子どもたちも保育園や学校に行かせられない。そんな環境。うちの子はまだ3歳だったので問題なかったんですが、小学生は勉強室で自習してましたね。

――そうですか。やっぱり逃げるために、いろんなことが制限されるんですね。

 本当なら2週間がリミットなんですけど、結局1カ月いました。その間に次の行き場所を決めるんですが、私が母子生活支援施設(母子施設)に行くと言わなかったので、出してもらえなかったんです。私の場合、彼は追ってこないから大丈夫だったのに。

――母子施設は、DVシェルターと比べると何が違いますか?

 住むところがタダで、スタッフが支えてくれるという点で共通していますが、母子施設は母子の自立を促すための施設です。1階に受付を兼ねた事務所があり、そこにスタッフがいて、入所者の将来をサポートしてくれます。心理士とか診療士、保育士などもいました。働きに出る間、子どもを預かってもらいました。仕事ですか? 今は週5回、家事代行業スタッフとして9時~5時で働いています。

 DVシェルターと違うところは、自由だということですね。携帯を持っていてもいいし、ネットもできるし、午後10時までなら外出ができる。食事は出ないから、自炊しなきゃいけないし、働かなきゃいけない。母子の自立を支援する施設なので、貯金をしないといけないとか、仕事のシフトを全部申請しないといけないとかということもあります。あと嫌なのは、人は呼べませんし、外泊は禁止。恋愛禁止。男性と会っていたとか、そういった理由で何人か退所させられてます。若い子とかが。

――母子施設の住み心地はどうですか?

 今で1年。あと1年で退所します。相変わらず自由は制限されていますが、夫と暮らしていたときよりは断然幸せかな。彼と暮らしていたときは、家に帰ると常に嫌な上司がいるような感じでしたから。

――すでに離婚は成立したのでしょうか?

 去年の春、調停を起こしました。離婚と親権、養育費です。調停をするにあたって、「弁護士なんていらない」って思ってたんですが、支援措置の件でお世話になった役所に強く勧められて、紹介された弁護士に、結局お願いすることになりました。調停も最初のうちは気を使って、弁護士の主張に合わせていたんです。慰謝料ウン百万円を請求したりとか、面会交流を極力しないよう調節したりとか。だけど途中からは、私のやりたいようにやりました。

――どういうことでしょうか?

 「慰謝料はいらない」って言いましたし、面会については、調停委員に「時間制限なくやってくれて構いません」って言いました。だって、弁護士のやってることって一般論すぎるんですよ。私や彼に当てはまらないってことが多々ありました。これじゃ、解決しないですよ。弁護士さんとは相談してるふりはしてたけど、調停の本番では全然違うことを言ったんです。弁護士泣かせの依頼者ですよね。

――それで、どのように決着したんですか?

 私には彼の行動がわかってたので、予測して動いて、最後は和解です。親権は私、養育費は毎月ウン万円。慰謝料はなし。面会は無制限。

――では、彼と娘さんは、しょっちゅう会ってたりするんですか?

 いや、まったく会ってません。彼が「会いたい」と言ってこないんです。そのことは、彼の前回の離婚後の行動で、だいたい想像はついてましたけどね。

――彼は、前妻の子たちとも会ってなかったんですか?

 私と結婚しているとき、前妻と電話で、子どもたちに会うか会わないかの話をしていたことがありました。それで1回ぐらいは長女と会ったのかな。だけど、それ1回きりだったみたい。こちらに娘が生まれてからは、向こうには養育費を払うだけで一度も会いに行ってませんから。

■自分の実父との再会

――ところで話は戻りますが、その後、寺田さんご自身のお父様とは会えたんですか? ご自身が1人で育ててみて、父親がいないことでの大変さとか、いろいろ考えることがあったりするのかなって推察するんですが。会うことで、ご自身が別れた夫と会わせるべきか考える参考にしようとか、思ったりしなかったんですか?

 いえ、会うのは会ってますけど、それは子どもを産む前のことです。5年前に、突然「会ってみようかな」って思い立って、20年ぶりに会いました。それまで会いたいと思う気持ちはみじんもなかったし、生きてるか死んでるかということすら、関心もなかったのに。なんででしょうね。

――自分自身は何者なのか、というアイデンティティを追求しようとしたのでしょうか?

 単純に好奇心です。どこにいるのかわからないけど、本気を出せば会えるんじゃないかなと思って、父方の祖母に電話をしたんです。そうしたら実は居場所を知ってて、泣きながら「会ってくれるんか。許してるんか」って。「いや、私は恨みとかあらへんから」って返事をしました。そのことを母に言ったら「私は全然反対もしない。(父親に)会ったら、『ひどいことをされたけど、恨んでへんから』って伝えておいて」って言われました。

――会ったときに、何を思いましたか?

 父はジャージ姿。太って年取ったなぁって思いました。私に会うということを聞かされていなかったみたいで、自然体な感じで、「おうおう、びっくりするがな。なんやおまえ、お母さんやなくて俺のほうに顔が似てるやん」って。逆に私のほうが感極まっちゃって泣いちゃった。本当にいたんだ。会おうと思えば、人って会えるんだなっていう、そっちの感動ですごく泣きました。とにかく父は穏やかでニコニコしてました。だから人に信用されるし、誰にでも好かれる。ギャンブルさえなければね。そんな人だから、母もなかなか別れなかったんでしょう。父とは今もLINEで連絡取り合ってますよ。

――話を、ご自身の結婚に戻します。子どもを、元夫と会わせてもいいと思ってるんですか?

 もちろん。彼が「会いたい」って言ってくれれば、全然会わせます。娘は父親のことはすごく好きですし。彼が抱っこしてる写真とか動画を見せると、娘はすごく喜びます。「パパ、大好き。パパに会いたいなー」みたいなことを気軽に言うんです。

――元夫のほうから、「子どもに会わせてほしい」と連絡してきたことはありますか?

 1回だけありました。だけどそのとき、今のところで週5で働いてたし、土日に会わせて娘に熱を出させたくないと思って、「年末まで待ってください」って返事をしました。するとそれ以来、「会いたい」という連絡はないです。養育費は、ちゃんと毎月振り込んでくれてますけどね。

――今までの話を聞いていると、今後、面会実現の望みは薄そうな気がします。

 娘に会ってほしいので私、「パパに会いたいな」って娘が言ってる映像を彼にメールで送ったりしています。父親だという自覚はしてほしいですから。でも難しいでしょうね。もし今後、彼の気が変わって、「会いたい」と言ってきたら、もちろん会わせます。彼が私よりも素晴らしい子育てができるんだったら、別に親権もいらないし、それで暮らしていけるんだったら、全然そっちでもいいですよ。私だって自由な時間が欲しいですし。

――やり方次第で面会も可能なんですね。

 別居している父親の方々が「子どもに会えない」と嘆いているようですけど、やり方次第。もうちょっと相手に配慮すれば会えますよ。相手の都合とか、会えない理由とかを自覚してないだけ。それこそ「手が足らないときは預かる」とか言えばいいんですよ。

 支援措置を受けて、DVシェルターへと移り住むことと、夫と子どもを会わせないこととは関連していないのだ。いったんDVシェルターへ避難したとしても、子どもを会わせたいと思う親も中にはいる。周囲の援助者は、別れたから会わせたくないだろうと忖度せずに、もっとひとりひとりの気持ちをくみ取るべきではないだろうか。元夫は元夫で責任を放棄せず、娘に会うべきだ。倫子さんの元夫が娘と会ってくれることを、私は切に祈っている。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

くまのプーさんみたいな彼に一目惚れ! 実は“モラハラ男”で出産後、シェルターへ避難

OLYMPUS DIGITAL CAMERAわが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第17回 寺田倫子さん(仮名・29歳)の話(前編)

「彼が『会いたい』って言ってくれれば、全然会わせます。娘は父親のことはすごく好きで、彼が抱っこしてる写真とか動画を見せるとすごく喜ぶんです。『パパ、大好き。パパに会いたいなー』みたいなことを気軽に言うんです」

 家事代行業の寺田倫子さんは話す。DVシェルターに逃げた後、現在は近畿地方にある母子生活支援施設(母子施設)で暮らしている。夫のDVが理由で逃げたはずなのに、なぜ彼女は娘を会わせたいと話すのか?

■知人夫婦の紹介で出会った彼は、思いっきりタイプで一目惚れ

――まず、寺田さんご自身は、どのような家に育ったのでしょうか?

 会社員の父と料理家の母、その3人兄妹の三番目(次女)として、兵庫県に生まれました。だけど私が9歳のとき両親は離婚しました。原因は父親のギャンブルです。普段は優しい人なんですが、お札を見ると人が変わっちゃうんです。会社のお金に手をつけて競馬場に向かってしまうらしくて。何回も仕事を辞めさせられ、その都度、刑務所に入りました。

――それは、さすがに離婚しますよね。

 その後、母が再婚しました。自給自足生活を求めて、一家で瀬戸内海の離島に移住することになりました。私が14歳のときです。新しい父はろくに働かない。しかも毎日1時間以上は正座させられて説教されました。そういう環境に6年耐えたんですが、我慢の限界でした。20歳のとき、1人で神戸に引っ越したんです。そして飲食の仕事などをしていました。

――旦那さんとは、いつ知り合ったんですか?

 神戸に住み始めて3年後だから、今から6年前です。知人夫婦に「めっちゃ落ち込んでる人がおるんやけど、一緒に飲みに行かへんか?」って言われたのがきっかけ。5歳年上の、カー用品会社の営業。出会いにはまったく期待せず、軽い気持ちで飲みに行きました。目の前に現れた彼は、物腰が柔かな、くまのプーさんみたいな、背のちっちゃい、チビデブ。思いっきりタイプだったんで、私、一目惚れしてしまいました。

――どんなことを話したんですか?

 彼、奥さんに子どもを連れて出て行かれたってことで、沈んでいました。「子どもたちと離れたんは、ごっつい悲しい。そやけど会うてもしゃあない。向こうにも生活があるやろうから」と言って、浴びるように酒を飲んでいました。

――連絡先の交換はしましたか?

 私が「携帯電話の番号を教えてくれへん?」と言うと「教えられる状況ちゃうねん」って断られました。それで私、彼の携帯を奪って「あんたの携帯に、うちの連絡先入れとくから」って言って、携帯番号を彼の携帯に登録して返しました。その後、私の携帯から彼の携帯に電話をかけて、ワン切りしました。そこまでやった上で翌日、メールしたら、ちゃんと返事が来ました。それからまたすぐに会って、お付き合いを始めました。

――見た目が好みだったこと以外に、彼のどこが良かったんですか?

 “おなかを抱えて笑っていたい”ということを、私、人生の一番大切な要素にしてるんです。その点、彼は最高です。今まで会ってきた男性の中で一番、笑いのセンスがありましたから。会話ひとつとっても笑いを取ろうとしましたし、笑いのツボが一緒。漫才とかコントとかの番組を見て、一緒に笑ってくれたりもしました。

――彼と前妻との間に離婚が成立してから同居を始めたそうですが、生活はラブラブでしたか?

 そんなはずないですよ。というのも彼、モラハラ野郎だったんです。家事は一切しないのに、「台所が汚い」「きれいに掃除しとけ」「夕飯のおかずが少ない。なんで3品以上ないねん」とか、一方的にダメ出ししてくるんです。

――嫌気が差して同居を解消するとか、そんなことは考えなかったんですか?

 事実、同居先の家から出て1人暮らしを始めたこともありました。すると途端に彼、すごく優しい調子の懇願口調のメッセージを送ってきたんです。「もうせえへんから。お願いやから帰って来て~」って。そこには「家建てて、そこで倫子がやりたいって言ってたカフェをやったらええやん」とも書いてありました。甘い言葉に釣られて、私、戻ったんですよ。すると彼、自分が言ったことをすっかり忘れちゃったみたいで、毎日きついダメ出しをされました。家を建てる話? そんなの最初から考えてなかったんじゃないですか。しかも、気がついたら妊娠していました。

■妊娠9カ月のとき突き飛ばされた

――妊娠したときはうれしかったですか?

 むしろ最悪。「あー、どうしよう?」っていう感じ。不安しかない。でも彼に言ったら「よかったな」って本心から言ってる感じ。ガッカリですよ。もともと結婚願望なんて私ゼロでしたし。別れようかどうか考えてるうちに、おなかはどんどんと膨らんでくるでしょ。妊娠5カ月ぐらいで諦めて入籍しました。子どもがいるのに結婚をしていないと、制度上いろいろとややこしいので。

――妊娠したことで、彼の態度は変わりましたか?

 妊娠する前と変わりません。というか、態度はむしろひどくなっていきました。妊娠9カ月のときなんて、突き飛ばされましたからね。

――最低ですね。

 だけど、私は私で健康オタクなので、おなかが大きくなっても体の負担が全然なくて、平気と言えば平気でした。それに胎動で、おなかを内側から押されたりすると、もうかわいくてしょうがなくて。どんどん産むのが楽しみになってきました。

――その後、無事に出産されたんですね。生まれた直後の生活は、どうだったんでしょうか?

 より大変になりました。出産5日後に退院し、その日から、家事だけでなく育児もやりましたから。彼は午後6時ぐらいには帰ってくるんですが、いつものダメ出し。しかも自分は何もしないんです。炊事中、火を使ってて手を離せないのに、「(子どもが)ウンチしてるで。早くオムツ替えてや」って叫ぶだけで、おむつは替えてくれませんでしたから。

 それに子どもが生まれたことで、新ルールが加わったんです。例えばお風呂。3人一緒じゃないと怒るんです。しかも、入る時間は彼の気分次第。あと、きつかったのが就寝です。同じ部屋で寝てたんですけど、彼、毎晩ゲームに熱中してて、朝方の3時まで寝ないんです。しかも、赤ん坊は隣に置いておかせるんです。寝付かせ? そんなのやってくれるはずがないですよ。それでいて朝は、私のほうが彼よりも早く起きてないと怒られます。睡眠時間は毎日、3時間ぐらいでしたね。

――家計はどうだったんですか?

 お金はたくさん稼いできてて、別れる頃には年収1,000万円を超えてました。その割には、生活費と食費で月に4万円しか渡してくれなくて、毎月、全然足りませんでした。というのも、前妻との子ども2人に養育費を払ってたので、給料に対して家に入れる額が少なかったんです。当然、私の小遣いはありません。

――子どもと一緒に家を出て行く決定打になったきっかけがあったのでしょうか?

 「役所に相談したら?」と助言してくれる友人がいて、実際、役所に相談に行ったんです。すると「あなたの旦那さんの振る舞いはDVに相当します。DVシェルターに入ってください」と言われました。「支援措置」※というのがありまして、それを利用させてもらいました。夫が住所を調べようとしても役所の方でブロックしたり、彼が接近してきたとき、警察にすぐに電話がつながるようになっていたりするんです。あと、親権を父親と記して離婚届を勝手に出しても受理しないように、取り計らってもくれるんです。

※支援措置――正式にはDV等支援措置という。DVやストーカー行為を行う加害者が被害者の居所を探索することを防止し、被害者保護を図るための措置。いったん、この措置が取られると、DV加害者がDV被害者の住民票や戸籍を閲覧しようとしても、管轄の市区町村が制限して見られなくなる。被害を受けたという申し立てを行えば、ほぼ自動的に受理され、住所などがブロックされる。緊急性の高いDVでなければ本来、支援措置はとられないはずだが、現状はというと、しっかりとした調査もなしに、安易にDVと決めつけることが常態化している。これもそのケースにあたると筆者は考える。

――子どもを連れて家を出た後、すぐにDVシェルターに入ったんですか?

 いえ。それどころか、DVシェルターには入る気がなかったんですよ。携帯を取り上げられたり、友達に会えなかったり、生活をすごく制限されると思ったし、生活保護の対象になるというようなことを言われて、それもすごく嫌だったんです。だったら関係修復したほうがいいかと思って、彼と何日か話し合いました。ところが彼、私の言うことを全然聞いてくれないんです。一緒にやっていくのは無理だと諦め、DVシェルターへ行く腹づもりができました。

――子どもを連れて行かれたり、住所がブロックされたりして、彼はどう思ったんでしょうね?

 最初は、すごく怒ったんじゃないですかね。でも、もうそのときは会えないようになっているので、怒りたければ怒ればっていう感じ(笑)。だけど今は、恨んでるというより、反省してるんじゃないですか。2回目ですからね。もう言い逃れができないですよ。

 寺田さんは結婚して3年後に、関西某所にあるDVシェルターに身を寄せた。
(後編につづく)

2人の息子を連れ去った夫を略取誘拐罪で刑事告訴! その後、子どもを取り戻して離婚

singlemother16b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第16回 有井なみさん(仮名・30代前半)の話(後編)

 アルバイト先の仲間とでき婚。しかし、夫は口だけで、育児や家事を手伝ってくれない。3年後、2人目の子が生まれるも、そんな状況は変わらず、夫婦仲は悪くなっていく。義母によるお金の無心、夫の浮気、そして義母や義兄夫婦も含めた夫側の計画的な「息子連れ去り事件」により、2人の子と離れ離れになってしまった。さらに、通帳や銀行印、マンションの権利書、車まで、夫たちに取られてしまったのだった。

(前編はこちら)

■夫らを未成年者略取誘拐罪で刑事告訴

――その後の生活は、どんな感じだったんですか?

 精神的にどん底で、睡眠薬や精神安定剤が欠かせませんでした。日常生活に対しても無気力になり、心にぽっかり穴があいてしまったようでした。そのとき励ましてくれたのが、担当してくれた弁護士です。相談に行ったところ、「あなたがしっかりしてないと親権は取れない」と言われたんです。私、はっとして、以後は行動を改めました。子どもたちがいつ帰ってきてもいいように、日々の生活のリズムを崩さないよう頑張ったんです。精神安定剤などの薬にしても、お医者さんにお願いして減らしていきました。

――長男は幼稚園に通っていたはずですが……。

 連れ去られた次の日には、Hの実家近くの幼稚園へ入園手続きが取られていました。転園先を突き止めて、電話したら「そんな子はいませんし、知りません。もう電話しないでください」とのこと。おそらく義母が「実母に虐待を受けていました。もし実母から電話がかかってきても、子どもに取り次いだり、連絡先を教えたりしないようにしてください」と伝えたんでしょうね。

――裁判※1などはやったんですか?

 子どもを返してほしいということで、家庭裁判所で審判を起こしたんです。それに加えて未成年者略取誘拐罪で刑事告訴し、警察に告訴状を受理してもらいました。

※1 審判と裁判――どちらも家裁が審理した結果を当事者に下すという共通点がある。審判は非公開で口頭弁論もないまま審判が下るが、裁判は公開されていて口頭弁論の末、判決が下るという違いがある。

――刑事告訴ということは、Hさんや義母たちは警察へ出頭させられたんですか?

 そうなんです。H、義母、義兄らを告訴したので、彼らは被疑者として、取り調べを受けました。

――Hさん側は、何か申し立てていたんですか?

 連れ去りの半年後、相手方から離婚調停の申立書が届きました。それと同時に夫からはよりを戻したい旨のメールと、結婚記念日のプレゼントが届きました。

――結婚記念日のプレゼントって、何が入っていたんですか?

 おそろいのパジャマです。夫と私の名前が刺繍されていました。

――離婚調停の申立書と結婚記念日のプレゼントが同時に届くって、なんだか気味が悪いですね。それで、調停でHさん側はどんなことを主張してきたんですか?

 「母親が子どもを殺そうとした」とか、「統合失調症で危ないから子どもに会わせられない」とか「虐待した」とか。あることないこと、すごくひどいことを書かれました。すべて義母が書いていたみたいです。

――連れ去ったとはいえ、実際に子どもを育てているHさん側のほうが、立場が強そうに見えますね。

 だけど、私のケースは調査官が本当によく冷静に見てくださる方で、子どもたちとの面会を実現するべく、すごくうまいことやってくれました。

――有井さんが最初に審判を起こしてから、子どもと会わせてもらうまでに、どのぐらいかかったんですか?

 3カ月です。審判や調停の期日はだいたい1カ月に1回なので、時間がかかるんです。その間は、義母や義兄の妻が子どもたちにずっと、ありもしない私の悪口を吹き込んでいたみたいです。「ママが包丁で刺そうとしたけど助けてあげたからね」「ママに会ったらパパに会えなくなっちゃうよ」「ママに会ったら殺される」とか。そんなことを寝る前に義母から毎晩言われていたようです。

――最初の面会は、どのようにして行われましたか?

 今後も会わせていいのかを見る、試行面会というものです。裁判所の面会用の部屋で、30分だけ行われました。マジックミラー越しに、部屋の外から調査官などが様子を見ているんです。同じ部屋で、まずはHと子どもたちが過ごしていて、そこからHだけが退席して私と私の両親が入り、その後、両親が退席して、私と子どもたちだけになります。私と子どもたちだけで過ごしたのは、5分にも満たない時間でした。

――子どもたちの様子はどうでしたか?

 会ったとき、長男は、私と目を合わせようとすらしませんでした。下の子は風邪じゃないのに風邪薬でも飲まされてるのか、目がとろんとしてた。普通だったら「わー、ママ!」とか言って駆け寄ってくるはずなのに。それでも、私の膝にちょこんと座ってくれました。

――やっぱり覚えててくれてるんですね。上の子も寄ってきたんですか?

 いえ。下の子の様子を見て、「ママに触ったら敵になっちゃうから」って、泣きそうになりながら叫んだんです。義母たちが毎晩、“なみ=ひどい母親”というイメージを植え付けた成果ですね。長男は、片親疎外症候群(PAS)※2にかかっていたんです。

※2 PAS――子どもが片方の親(多くの場合は同居親)の影響を受けて、正当な理由なく、もう片方の親(別居親)との交流を拒絶する事態【青木聡・大正大学心理社会学部臨床心理学科教授】

――そんなことを言われて、パニックになりませんでしたか?

 別居親の団体に相談に乗ってもらっていたので、気構えはできていました。だから私、「大丈夫だよ、そんなことないよ。何があっても、2人のこと大好きだからね」って優しく言えました。

 その後、審判や調停を行っていく中で、月1回という面会の取り決めがなされる。有井さんは2人の息子に会うために、毎週末、義父母や元夫が住んでいる茨城県西部へ出かけるようになる。

 向こうは面会させたくないから、直前で『インフルエンザにかかった』とか言いだしたりするんです。そんなの仮病に決まってます。向こうの家までは片道2時間半以上。しかも、キャンセルされることもままありました。それでも毎週行って、何回かに1回、数時間だけだけど会えたんです。

 離婚調停※3が裁判へと移行していく過程で面会交流のルールが変わり、子どもたちと泊まりで会えるようになる。それは、家裁の調査官が有井さんと子どもたちの面会の必要性を調停の中で主張してくれた結果だった。義母たちが連れ去って1年。初めて1週間の面会を実施しているとき、有井さんのもとに吉報が届く。子の監護者指定が決定し、親権が有井さんに確定したのだ。

※3 調停――調停委員を間に挟み、当事者同士の話し合いによって解決を図る手続き。

 義実家から裁判所の人たちや警察官が、子どもたちを強制的にうちへ連れてくるというのだけは避けたかった。家裁のほうで、そうならないよう1週間の面会中に、親権が確定するようにしてくれたんです。

――相手は、すんなりと子どもの引き渡しに応じてくれたんですか?

 義母サイドが「刑事訴訟を取り下げてくれたら、引き渡す」という条件を出してきたんです。それで最終的にはまとまりました。ずっと警察の取り調べを受けるのは、心理的にキツイでしょうからね。親権が確定してから1カ月ほどした後に、ようやく離婚が成立しました。親権確定と同時でなかったのは、財産分与などの条件を決める必要があったからです。

 父親Hさんから母親である有井さんへ、大人の都合で住むところを転々とさせられる子どもたちの心の負担がなるべく少ない形で、決着したのだ。

――その後はどういうふうにして、子ども2人との生活を作り上げていったのですか?

 それがすごく不思議なことに、子どもたちが私の家で暮らすということが決まった時点で、長男のPASが突然、バキッと全部解けたんです。

――えっ? それはどういうことでしょうか?

 義実家で暮らしていた時は、緊張していて「義実家の人たちに嫌われないように」とか、「自分の居場所はここだから、ここで暮らしていかなきゃいけない」と、たくさん気を使って過ごしていたんだと思うんですけど、「今日からここで暮らすんだよ。今まで暮らしてきたおうちに戻ってきたよ」って言った瞬間に「ママー」って言って甘えてきてくれました。

――長男に態度を変えた理由を聞きましたか?

 あるとき1回だけ、「ママのこと嫌いって言ってたことあったよね。覚えてる?」って聞いたんです。すると涙を流しながら「本当は思ってなかった」って、喉を震わせるようにして言っていました。間で板挟みになってつらかったんでしょう。だけど自分の身を守るために、自己防衛の究極の手段だったんだろうなって。そんな大事なことも言えないし、自分の感情を殺さなきゃいけない環境なんてよくないと思ったので、逆に引き取ることになったときには、これからも「パパのことが好き」ってちゃんと言えるよう、Hに積極的に会わせるつもりでした。

――元夫のHさんに会わせたいということですか?

 もちろんです。面会交流ってお互いのためでもあるけど、でも一番は子どものため。私に会わせないようにしたから、今度は逆に、私がHには会わせない――なんていうふうにはしたくない。子どものことを真剣に考えたら、「パパに会いたい!」という気持ちを隠さなくてもいい環境、会いたい時に会える環境を作ることが大切なんじゃないかと思いました。

――離婚後、Hさんとお子さんたちは、どのように会わせているんですか?

 Hはその後も実家に住んでいて、面会のたびに東京に来ました。一緒に遊びに行ったりとか、4人でプールに行ったり、ご飯食べに行ったりとかしたんです。その後、彼が私たちのすぐ近所に引っ越してきたので、それ以降は、しょっちゅう遊びに来たり行ったりするようになりました。子どもたちも、Hのところに泊まりに行ったりするようになったんです。

――現在も面会は順調に行えていますか?

 ところが彼、再婚しちゃったんです。再婚する少し前から、全然会ってくれなくなりました。それどころか、メッセージですら、なかなかこなくなりました。下の子が私のLINEから「パパ元気ですか? いつ遊べますか?」ってメッセージを送っても、最近は既読スルーです。後で知ったんですが、再婚相手との間に子どもが生まれたそうなんです。

――Hさんが再婚したということを、子どもたちは知っているんですか?

 それを言うべきか、すごく迷いました。「パパとまた結婚してほしい」って、ずっと言われていたので。だけど本人から「今度、再婚することになりました」と聞いた時点で、2人には伝えました。

――子どもたちの反応は?

 下の子はまだ幼くて、ひょうきんな性格なので「へえ、そうなんだ。また離婚するかもね」って、明るい声で平然と言いました(笑)。一方、上の子はボロボロと涙を流して「ママが早くパパと結婚しなかったから、ほかの女の人と結婚しちゃったんでしょ。ママがいけないんだよ!」って言いました。

――それは傷つけちゃいましたね。

 でも、泣いて吹っ切れたみたい。「パパとまた結婚して」とは言わなくなったし、一緒に外に出て歩いていると、「ママ、あの人と結婚したら?」って、全然知らない人を指さして言うようになりました。

――子どもなりに、前向きに考えてるんでしょうね。会いたい気持ちはあるはずなのに。

 そうなんです。パパが大好きですからね。心の中では傷ついてると思います。

――では、有井さん自身は今後、再婚する気はありますか?

 離婚した直後は、また結婚なんて怖いし、こりごりだし、考えられないと思っていましたが、今は子どもたちを受け入れてくれる方がいて、その方のことを子どもたちも受け入れてくれるなら、今度こそ幸せな家庭を作りたいなと、前向きな気持ちになってきました。

 激動の体験を経てトラウマを抱えながらも、前向きに生きている有井さん。そんな彼女のマジックショーを私は今後、見に行きたいと思っている。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

相思相愛だったはずの夫との仲を義母に引き裂かれ、2人の息子を連れ去られた

OLYMPUS DIGITAL CAMERA『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第16回 有井なみさん(仮名・30代前半)の話(前編)

「自分で言うのもなんですけど、私の人生って激動すぎると思いません? 『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が全然、鬼だと感じない。“私の姑の方が鬼だったよ!”って言いたいです」

 マジシャンの有井なみさんはそう話す。現在、9歳と6歳の2人の息子と一緒に暮らしているが、一時は、その子どもたちを連れ去られ、ひとりぼっちになっていたという。そんな有井さんが“激動すぎる”と話す体験を伺う前に、まずは元夫との出会いについて話してもらった。

「関東のやや郊外にあるベッドタウンで育ちました。美術大学卒業までは、ずっと実家住まい。マジックは小さいときからやっていて、美大に通っていたときのバイトも新宿のマジックショップでした。元夫のHはバイト仲間でした」

■最初は相思相愛のラブラブカップルだった

――Hさんは、どんな方ですか?

 温和な性格で、怒ったところを見たことがなく、行きたいところややりたいことを私に押し付けてきたりもしない。それどころか私の好みをくみ取って、先回りして選んでくれる。そんな彼を、私は好きになっちゃったんです。相思相愛。周りから見たらベッタリくっついてるラブラブのカップルって感じだったんでしょうね。

――完璧な関係じゃないですか?

 ところが、付き合っているうちに嫌な部分が出てきた。1つは誰かに依存したい体質だってこと。あともう1つは、彼がマザコンだということです。母親と毎日とりとめのない内容のメールのやりとりをしていていましたし、半熟のゆで卵の作り方をわざわざ電話して聞いてみたり、母親に耳かきをやってもらってるっていう話を自分からしたりするんです。

 Hさんと2年付き合った頃、有井さんは妊娠していることに気付く。それを機会に2人は結婚し、関東の郊外にある賃貸マンションで同居を始めた。今から10年前のことだ。

――子どもが生まれたらどうするかといった気構えはあったんですか?

 ベビー用品をそろえたり、育て方を本やネットで調べたりしました。2人して話し合ったりもしましたよ。それで生まれる直前になって、彼はこんなことを私の両親の前で言ったんです。「洗濯とか掃除は、昼空いてる私が全部やります」って。

――頼もしい約束ですね。彼は昼の時間が空いているんですか。それで実際、やってくれたんですか?

 いいえ。赤ちゃんが生まれても、朝から夕方まで寝てて、何もしてくれないんです。というか、約束したこと自体忘れてるんですよ。

――それはひどいですね。

 赤ちゃんが全然おっぱいを飲んでくれなくて、毎日夜泣きしてたんです。昼は昼でお世話をしなきゃならない。だから私、その頃は慢性的な寝不足でした。一方で、彼は昼間ずっと寝てて、掃除や洗濯はまったくやらないんです。だから結局、私がやってました。そんな感じでずっと寝不足のまま、育児も家事もすべて私がこなしてたせいか、心身共に追い詰められちゃって、「離婚」という言葉が頭に浮かびました。

――では、全然、子どもの面倒は見てくれなかったのですか?

 家に友達が遊びに来るとか、そういう人目があるところでは、オムツを替えてくれたり、抱っこしたり、あやしたりしてくれました。だけど、普段、家では家事や育児を全然やってくれなかったです。

――3年後には2人目の男の子が生まれたんですよね? その頃、上のお子さんはどこかに預けたりしたんですか?

 私も彼も、日中は家にいて夕方から仕事ということが多いため、保育園だとほとんど一緒に過ごす時間がなくなってしまうと思い、上の子は幼稚園に入れて、下の子は仕事のある日だけ、区の一時保育を利用していました。

 2人の子どもを育てたり、家事や仕事をこなしたりと、有井さんは日々奮闘した。一方でHさんは、そんな彼女に、恋人時代のような気遣いを見せることができず、2人は徐々に親密さを失っていく。さらに彼らの仲を決定的に引き裂いたのは、義母の存在であった。

――お義母さんに何かされたのですか?

 3カ月に1回とか、ひどいときなんか毎月、お金の無心をされました。それに応じてHがお金を貸すんですが、一度も返してもらったことがありません。それどころか義母はまったく悪びれずに、「お母さんがパチンコで勝ったお金で、全部リビングを模様変えしたのよ」とか「はい、これプレゼントよ」などと平気で言うんです。

――金遣いが荒そうですね。

 金銭感覚が普通じゃなかった。自己破産をしたことがあり、“パチンコ狂い”なんです。親戚から借金しまくっていて、返してない。私たちの結婚式に親戚が来てくれなかったのは、借金踏み倒しが原因だってことは式の後に知りました。

――その後も、お金を貸し続けたんですか?

 下の子が2歳になった頃。さすがに堪忍袋の緒が切れまして、Hにはっきり言ったんです。「これ以上、私に無断でお金を貸さないで。このままじゃ、破産しちゃう。もし次、勝手にお金を貸したら離婚するよ」って。「わかった、もうしない」とHは言ってくれました。ところが1カ月後、またお金を貸しちゃったんです。「こないだ約束したのに!」って怒りながら、記入してあった離婚届を彼に渡しました。すると、1週間後に、彼が家からいなくなりました。

――ダブルショックですね。

 急性ストレス障害になってしまいました。記憶はなくすし、眠れないし、気力が湧かない。しかも人間不信。もちろん最低限の子育てはするんですけど、無気力で無感情になってしまったんです。子ども2人抱えて、彼は消息不明。もう茫然自失です。たまたま彼のSuicaが出てきたので、履歴を確認しました。すると、特定の駅とマジックのレッスン場との間を往復してることがわかりました。彼は浮気してたんです。

――では、彼は家を出て行ってから、浮気してる女の家にいたんですか?

 いえ。いたのは実家でした。振られちゃったみたいで、義母がかくまっていたんです。それで私、子どもたちを連れて、車で義父母が住んでいる茨城県西部まで行きました。すると到着した途端、義母に罵倒されました。「子どもを殺す気か! この人殺しが」って。そのとき、私、睡眠薬や安定剤を飲んでいて、本当は車を運転しちゃいけない状態だったんです。でも心配して、薬を調整して必死になって会いに行ったのに、あんまりじゃないですか。だからそのとき、「これはもうない。離婚しよう」って心の中で決意したんです。

――そこからすぐに離婚とはならなかったんですか?

 いや、それどころかHから「別れたくない」ってメールで連絡がありました。

――意味がわかりません。

 愛人に振られちゃったから、私とはやっぱり別れたくないって思ったみたいです。つまり彼は、どこかに居場所があればいいし、一緒にいられれば、誰でもよかったのかなと思います。

――その後は、彼とよりを戻したのですか?

 子どもたち2人が、自宅マンションから連れ去られました。有利に離婚を進めるため、義母が入念な計画を作り上げて実行したんです。

――連れ去られたのにシングルマザーって、話がつながらないですが……。順を追って話してもらえますか?

 茨城県西部の義実家から帰ってきてしばらくしたある日の深夜、義母から電話がかかってきたんです。「おじいちゃん(Hの祖父)が亡くなったから、お通夜に来なさい」って。どう答えていいいのか困っていると、「あんたは来なくてもいい。今すぐに、子どもたちだけでもこっちによこせ」って。「絶対行きません」と言って私、電話を切りました。

 その後、しつこく何度も電話がかかってきましたが、出ませんでした。お葬式はおじいちゃんのことを思うと心苦しかったけど、結局出ませんでした。連れて行ったら最後、子どもたちと離ればなれになるかもしれないって思ってましたから。

――それから、どうなったんですか?

 1週間後、義母たちが突然やってきました。私たち母子が住んでるマンションに。ほかにHや義兄夫婦も一緒という大所帯でした。それで来るや否や、部屋の入り口で、義母がひとりわめき始めたんです。「お前は統合失調症だ。子どもたちがかわいそうだから連れていく」って。ちなみに、統合失調症というのは根も葉もない大嘘です。「私は子どものことを愛してます!」って興奮して言い返しました。すると「そんなふうに怒るから、息子(H)だって家にいるのが嫌になったのよ」って、私が何か言うたびに、怒らせようとして揚げ足を取るんです。

――その間、義兄夫婦は何をしていたんですか?

 私が義母とやり合ってる間に、子どもたちを連れ出していきました。義兄たちに息子2人は懐いていますから、全然警戒はしません。そのまま、ついていったんです。「やめてください。子どもたちを無理やり連れていくとか、本当にやめてください」って叫んで抵抗しようとしたんですけど、義母に突き飛ばされてしまって。その隙に、子どもたちは連れていかれました。

――Hさんは、どうしていたんですか?

 外で私と義母が揉めている間に、家の中で、私の通帳やら銀行印やらマンションの権利書や現金、車の鍵といった大事なものを物色して、かばんの中にどんどんと詰め込んでいたようです。

――その後、有井さんは、どういう行動を取られたのですか?

 翌日、警察へ相談に行きました。すると警察は、「まだ離婚していないんだから、盗難ではありません。一切何の犯罪でもありません」って言うんです。そんな警察の対応を夫側は百も承知の上の犯行だったんです。ひどいでしょ。しかも、私が警察に行っているその日のうちに、子どもたちの住所変更などの手続きを済ませてしまったんです。車もいつの間にか持っていかれて、気がついたときには、すでに名義変更されていました。

 用意周到な義母たちの仕打ちによって、有井さんは大事なものすべてを失ってしまった。その最たるものが、2人の息子たちであった。

(後編へつづく)

「俺は利用された」ナルシストの元夫は子どもへの愛情がなく、親子の縁は切れてしまった

singlemother15b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(後編)

 子どもが欲しくて白人男性とデキ婚したものの、夫はお坊ちゃん育ちで、世の中の常識がわからないまま大人になったような人だった。徐々にプライドは高いが、ケチな夫の姿が明らかになっていく中、妊娠8カ月の頃に浮気が発覚。前妻がDV妻だったという嘘が発覚すると同時に、自分も警察官の前で「DV妻」呼ばわりされてしまう。

(前編はこちら)

■「男も育児をするべき」という気持ちだけはあった

――妊娠中に浮気の現場を発見し、警察を呼ばれた後、どうなったんですか?

 臨床心理士のところへ2人で行って、カウンセリングを受けました。私と夫、それぞれ1人ずつ事情を話したんですが、元夫は「置物を全部なぎ倒したりして、家で暴れまくった。あいつはDV妻なんです」などと話したそう。もちろん私は否定しました。「物を壊したり暴力を振るったりしたことは一度もないです」と。警察官同様、すぐに察したようで、治療ターゲットは元夫になりました。すると彼は「僕、先生のこと大好きですよ」と、味方につけようと必死になっていましたね。

――出産は問題ありませんでしたか?

 元夫には「外国人専用の病院で産め」って言われました。でも、そんなときまで格好をつける気はありません。まして私にとって英語は母国語じゃないし、金額だって無駄に高い。「普通の病院で産む」って宣言して、実際、そのようにしました。元夫は立ち会ってくれました。そういうわかりやすく感動的な部分は好きなので。涙? もちろん流していました。

――育児はしてくれたんですか?

 アメリカの大学や大学院を出た元夫だけに、表面上はリベラルを自負しているんです。それで、「男も育児をするべき」という気持ちだけはあったみたい。おむつを替えたりとかミルクをあげたりとか、何かと甲斐甲斐しくやってくれましたよ。だけど、ちょっと大きくなっちゃうとだめ。子どもに自我が出てきて、自分のコントロールが利かなくなる。それが嫌だったみたい。だから、ちょっと大きくなったら、すごく突き放していて、厳しすぎると感じました。

――結婚して子どもができると、仕事との兼ね合いとか、育児の労力という点で大変ですよね。

 私が楽になるようなアシストならよかったんですが、彼の提案って私の求めていない、むしろ邪魔で足手まといなものが多かった。覚えているのは、子どもを保育園に入れようと必死になっていたときのことです。私は仕事を休んで手続きに行く予定を立てていました。ところが元夫は私のそんな努力をくみ取らず、いきなりヨーロッパ旅行の予定をボンとぶち込んできたんです。なんの相談もなく。「俺が休みを取れるのは、ここだけだから」って。それで私、「ちょっと待って、行けるわけないでしょ。保育園の手続きとか、患者さんの予約が入ってるんだから」と返しました。

 すると、「お前も、前の妻と同じだ。俺が必死で休みを取って計画したのを、お前は何ひとつ喜ばないのか。いつもそういう女性に出会うんだ、俺は」って、また被害者モードに入って、ふてくされるんです。

――離婚するまでの経緯を教えてください。

 子どもが2歳になる手前で別居しました。きっかけは、彼が突然、会社のトップをクビになってしまったことです。外資系は、責任者であろうが、いきなり辞めさせるんです。おそらく原因は彼自身にあるはずなのに、「お前が支えないからだ。妻として内助の功が足らないからだ」って言うんです。

――リベラルとか言ってるのに“内助の功”だなんて、矛盾していると思わないんですかね?

 だから彼は、ダブルスタンダードなんです。表面はリベラルだけど、すごく差別的で封建的。それと、彼が独特なのは、自分に酔ってるというか、絵に描いたようなナルシストだってことです。

――そこから別居へは、どうつながるんですか?

 クビになって以来、元夫は落ち込んで、ずっと家にこもっていました。ある日、2歳の誕生日が近くなった頃、子どもが元夫におもちゃを持って近寄っていったことがありました。遊んでほしくて、子どもは「パパ」って話しかけた。すると元夫は「ハァ」ってため息をついて、顔をしかめたまま、子どもを相手にしないんです。異様な様子に、途端に子どもがビビってしまって……。

 それを見て「これはやばい。お父さんの機嫌を一生懸命取ろうとする子どもになっちゃう。子どもの情緒が育たなくなる」と思ったんです。それで私、彼に言いました。「病院でうつ病だと判断されて薬をもらってきたようだけど、これを機会にしっかり療養したほうがいいよ。子どもがチョロチョロいたら、あなたが休まらない。あなたのメンタルの回復のため、一度離れよう」って。すると、夫は「そうだね、ありがとう」と言って、すぐに引っ越していってくれました。

――別居だけで、離婚はしなかったんですか?

 私は「子どものためによかれと思って」という気持ちもあるけども、「うつ病と診断された彼の心が休まらないから」という理由もあった。まずは別居して修復していこうと思っていたんです。

――出て行った後は、どうなりましたか?

 別居してから離婚するまでの2年間は、子どもを彼に会わせていました。月1回のペースで。うつであまり無理をさせられないので、毎回3〜4時間から、長くても半日ぐらい。ボウリングに行ったり、一緒に公園に行ったり、食事に行ったり。子どもが行きたそうな場所を優先して出かけていました。あくまで、子どもに付き合ってあげているという感じですね。

――お子さんと2人きり?

 いえ、私も同席していました。彼は子どもの世話ができない人だから、むしろ私に来てほしかったんです。別居しているから顔を見たくないというわけでもないし、子どもの面会についての連絡は普通に取り合っていました。別居中でも、子どもはお父さんのことを好きでしたよ。たまに会うだけなら、彼の機嫌の悪いところも見ないですし。

――別居を経て修復できなかったのはなぜですか?

 「俺がクビになって使いものにならなくなったら、捨てる女なんだ」と彼の中で、いつの間にか話がすり替わってしまったようだから。そのうち「お前に追い出された」という恨みを、直接私にメールでぶつけてくるようになりました。それで最終的には「あの親子(私と母)が俺を追い出した。あいつらは子どもが欲しかっただけで、俺は利用された。捨てられた」というふうに、さらに母も彼の怒りの対象となりました。

――どういう手続きを経て別れたんですか?

 彼の方から「離婚届を出して別れよう」と、メールで連絡してきました。会ってみると、彼の怒りのオーラがすごかった。ここで説得して撤回させようとしても、また大げんかになる――。そう思ったら、面倒くさくなっちゃって、離婚に同意して、届を書いて押印しました。彼のメンタルが回復せず、破局に至ったことは、とても残念でした。

――彼は離婚届を書きながら、ずっと怒ってたんですか?

 いえ。いざ印鑑を押すというとき、「あの子に会えなくなると、俺は……」とか言って涙を流しました。そのとき、彼の本性がわかっていたので、「この人は、泣きたいときに泣けるんだ」ってあきれながら見てましたね。

――その後はどうですか?

 元夫から、完全に音沙汰がなくなりました。子どもはかわいそうに、しばらくは父親を恋しそうにしていました。

――慰謝料とか養育費はどうしましたか?

 彼がドケチだってことは常々感じていましたから、最初から諦めていました。絶対、慰謝料も養育費も無理だと。だから最初からもう何も言わなかったです。私がラッキーだったのは、多くのシングルマザーが直面する経済的な問題がなかったことです。

――彼は「子どもに会いたい」と言ってこないんですか?

 一度もない。むしろ、電話してもガチャ切りされるぐらいです。今や何の興味もないみたい。だから親権問題とか、残念ながら私は個人的にはまったく悩んだことがないし、彼から面会交流したいという要望すら一切ないんですよね。おそらく自分の子どもに対して愛情もないんだと思います。というか、ないとしか思えないです。親子の縁は、実質的には切れてしまってます。

――離婚を経て、いま彼に対してどう思いますか?

 不安感が募る妊娠中とか、子どもを産んだ直後の狂乱状態とかの大変な時期に、元夫を支えることは無理でした。だからその頃、「もうあなたとはやっていけない」と強く言って、彼をはじいてしまった。その点は後悔しているし、申し訳ないという気持ちが残っています。とはいえ、再婚すべく話し合いたいとは思わないですけどね。それとは別に、離婚後も、元夫と定期的に子どもを会わせたり、元夫としての彼との関係を築いたりということはしたかった。

――子どもに会わず、彼は何をしてるんですか?

 風のうわさによると、私と別れた後、結婚し、また離婚したみたいなんです。だからバツ3か4なのかな。前妻に加え、私のことも「妻からDVを受けた」って、付き合う女性たちに言ってるんでしょう。

――お子さんはお父さんに会いたがりますか? また小松さんが、お父さんのことをお子さんに伝えることはあるんですか?

 子どもはいま9歳で、「全然会いたいと思わない」って言ってます。もうちょっと成長して10代の後半とか20代とかになって、ちゃんと父親と話がしてみたいってことで本人がアプローチしたとしても私は止めません。そのとき子どもには「あなたに会ったら、パパは間違いなく涙を流すと思う。『パパは、ずっと会いたいと思ってた』って間違いなくやるから。だけど、それは演技だから」とは言っておくつもりです。そうじゃないと、騙されちゃいますから。

西牟田靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(角川学芸出版)『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)など。最新刊は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

<取材協力者募集>
この連載の取材にご協力いただける方を募集しています。夫と別居または離婚して子どもを育てているお母さん、子どもと夫との面会状況についてお話をお聞かせいただけると幸いです。下記フォームよりご応募ください。

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「俺は利用された」ナルシストの元夫は子どもへの愛情がなく、親子の縁は切れてしまった

singlemother15b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(後編)

 子どもが欲しくて白人男性とデキ婚したものの、夫はお坊ちゃん育ちで、世の中の常識がわからないまま大人になったような人だった。徐々にプライドは高いが、ケチな夫の姿が明らかになっていく中、妊娠8カ月の頃に浮気が発覚。前妻がDV妻だったという嘘が発覚すると同時に、自分も警察官の前で「DV妻」呼ばわりされてしまう。

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■「男も育児をするべき」という気持ちだけはあった

――妊娠中に浮気の現場を発見し、警察を呼ばれた後、どうなったんですか?

 臨床心理士のところへ2人で行って、カウンセリングを受けました。私と夫、それぞれ1人ずつ事情を話したんですが、元夫は「置物を全部なぎ倒したりして、家で暴れまくった。あいつはDV妻なんです」などと話したそう。もちろん私は否定しました。「物を壊したり暴力を振るったりしたことは一度もないです」と。警察官同様、すぐに察したようで、治療ターゲットは元夫になりました。すると彼は「僕、先生のこと大好きですよ」と、味方につけようと必死になっていましたね。

――出産は問題ありませんでしたか?

 元夫には「外国人専用の病院で産め」って言われました。でも、そんなときまで格好をつける気はありません。まして私にとって英語は母国語じゃないし、金額だって無駄に高い。「普通の病院で産む」って宣言して、実際、そのようにしました。元夫は立ち会ってくれました。そういうわかりやすく感動的な部分は好きなので。涙? もちろん流していました。

――育児はしてくれたんですか?

 アメリカの大学や大学院を出た元夫だけに、表面上はリベラルを自負しているんです。それで、「男も育児をするべき」という気持ちだけはあったみたい。おむつを替えたりとかミルクをあげたりとか、何かと甲斐甲斐しくやってくれましたよ。だけど、ちょっと大きくなっちゃうとだめ。子どもに自我が出てきて、自分のコントロールが利かなくなる。それが嫌だったみたい。だから、ちょっと大きくなったら、すごく突き放していて、厳しすぎると感じました。

――結婚して子どもができると、仕事との兼ね合いとか、育児の労力という点で大変ですよね。

 私が楽になるようなアシストならよかったんですが、彼の提案って私の求めていない、むしろ邪魔で足手まといなものが多かった。覚えているのは、子どもを保育園に入れようと必死になっていたときのことです。私は仕事を休んで手続きに行く予定を立てていました。ところが元夫は私のそんな努力をくみ取らず、いきなりヨーロッパ旅行の予定をボンとぶち込んできたんです。なんの相談もなく。「俺が休みを取れるのは、ここだけだから」って。それで私、「ちょっと待って、行けるわけないでしょ。保育園の手続きとか、患者さんの予約が入ってるんだから」と返しました。

 すると、「お前も、前の妻と同じだ。俺が必死で休みを取って計画したのを、お前は何ひとつ喜ばないのか。いつもそういう女性に出会うんだ、俺は」って、また被害者モードに入って、ふてくされるんです。

――離婚するまでの経緯を教えてください。

 子どもが2歳になる手前で別居しました。きっかけは、彼が突然、会社のトップをクビになってしまったことです。外資系は、責任者であろうが、いきなり辞めさせるんです。おそらく原因は彼自身にあるはずなのに、「お前が支えないからだ。妻として内助の功が足らないからだ」って言うんです。

――リベラルとか言ってるのに“内助の功”だなんて、矛盾していると思わないんですかね?

 だから彼は、ダブルスタンダードなんです。表面はリベラルだけど、すごく差別的で封建的。それと、彼が独特なのは、自分に酔ってるというか、絵に描いたようなナルシストだってことです。

――そこから別居へは、どうつながるんですか?

 クビになって以来、元夫は落ち込んで、ずっと家にこもっていました。ある日、2歳の誕生日が近くなった頃、子どもが元夫におもちゃを持って近寄っていったことがありました。遊んでほしくて、子どもは「パパ」って話しかけた。すると元夫は「ハァ」ってため息をついて、顔をしかめたまま、子どもを相手にしないんです。異様な様子に、途端に子どもがビビってしまって……。

 それを見て「これはやばい。お父さんの機嫌を一生懸命取ろうとする子どもになっちゃう。子どもの情緒が育たなくなる」と思ったんです。それで私、彼に言いました。「病院でうつ病だと判断されて薬をもらってきたようだけど、これを機会にしっかり療養したほうがいいよ。子どもがチョロチョロいたら、あなたが休まらない。あなたのメンタルの回復のため、一度離れよう」って。すると、夫は「そうだね、ありがとう」と言って、すぐに引っ越していってくれました。

――別居だけで、離婚はしなかったんですか?

 私は「子どものためによかれと思って」という気持ちもあるけども、「うつ病と診断された彼の心が休まらないから」という理由もあった。まずは別居して修復していこうと思っていたんです。

――出て行った後は、どうなりましたか?

 別居してから離婚するまでの2年間は、子どもを彼に会わせていました。月1回のペースで。うつであまり無理をさせられないので、毎回3〜4時間から、長くても半日ぐらい。ボウリングに行ったり、一緒に公園に行ったり、食事に行ったり。子どもが行きたそうな場所を優先して出かけていました。あくまで、子どもに付き合ってあげているという感じですね。

――お子さんと2人きり?

 いえ、私も同席していました。彼は子どもの世話ができない人だから、むしろ私に来てほしかったんです。別居しているから顔を見たくないというわけでもないし、子どもの面会についての連絡は普通に取り合っていました。別居中でも、子どもはお父さんのことを好きでしたよ。たまに会うだけなら、彼の機嫌の悪いところも見ないですし。

――別居を経て修復できなかったのはなぜですか?

 「俺がクビになって使いものにならなくなったら、捨てる女なんだ」と彼の中で、いつの間にか話がすり替わってしまったようだから。そのうち「お前に追い出された」という恨みを、直接私にメールでぶつけてくるようになりました。それで最終的には「あの親子(私と母)が俺を追い出した。あいつらは子どもが欲しかっただけで、俺は利用された。捨てられた」というふうに、さらに母も彼の怒りの対象となりました。

――どういう手続きを経て別れたんですか?

 彼の方から「離婚届を出して別れよう」と、メールで連絡してきました。会ってみると、彼の怒りのオーラがすごかった。ここで説得して撤回させようとしても、また大げんかになる――。そう思ったら、面倒くさくなっちゃって、離婚に同意して、届を書いて押印しました。彼のメンタルが回復せず、破局に至ったことは、とても残念でした。

――彼は離婚届を書きながら、ずっと怒ってたんですか?

 いえ。いざ印鑑を押すというとき、「あの子に会えなくなると、俺は……」とか言って涙を流しました。そのとき、彼の本性がわかっていたので、「この人は、泣きたいときに泣けるんだ」ってあきれながら見てましたね。

――その後はどうですか?

 元夫から、完全に音沙汰がなくなりました。子どもはかわいそうに、しばらくは父親を恋しそうにしていました。

――慰謝料とか養育費はどうしましたか?

 彼がドケチだってことは常々感じていましたから、最初から諦めていました。絶対、慰謝料も養育費も無理だと。だから最初からもう何も言わなかったです。私がラッキーだったのは、多くのシングルマザーが直面する経済的な問題がなかったことです。

――彼は「子どもに会いたい」と言ってこないんですか?

 一度もない。むしろ、電話してもガチャ切りされるぐらいです。今や何の興味もないみたい。だから親権問題とか、残念ながら私は個人的にはまったく悩んだことがないし、彼から面会交流したいという要望すら一切ないんですよね。おそらく自分の子どもに対して愛情もないんだと思います。というか、ないとしか思えないです。親子の縁は、実質的には切れてしまってます。

――離婚を経て、いま彼に対してどう思いますか?

 不安感が募る妊娠中とか、子どもを産んだ直後の狂乱状態とかの大変な時期に、元夫を支えることは無理でした。だからその頃、「もうあなたとはやっていけない」と強く言って、彼をはじいてしまった。その点は後悔しているし、申し訳ないという気持ちが残っています。とはいえ、再婚すべく話し合いたいとは思わないですけどね。それとは別に、離婚後も、元夫と定期的に子どもを会わせたり、元夫としての彼との関係を築いたりということはしたかった。

――子どもに会わず、彼は何をしてるんですか?

 風のうわさによると、私と別れた後、結婚し、また離婚したみたいなんです。だからバツ3か4なのかな。前妻に加え、私のことも「妻からDVを受けた」って、付き合う女性たちに言ってるんでしょう。

――お子さんはお父さんに会いたがりますか? また小松さんが、お父さんのことをお子さんに伝えることはあるんですか?

 子どもはいま9歳で、「全然会いたいと思わない」って言ってます。もうちょっと成長して10代の後半とか20代とかになって、ちゃんと父親と話がしてみたいってことで本人がアプローチしたとしても私は止めません。そのとき子どもには「あなたに会ったら、パパは間違いなく涙を流すと思う。『パパは、ずっと会いたいと思ってた』って間違いなくやるから。だけど、それは演技だから」とは言っておくつもりです。そうじゃないと、騙されちゃいますから。

西牟田靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(角川学芸出版)『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)など。最新刊は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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妊娠中にエリート夫の浮気現場に遭遇! 警察の前で「DV妻」呼ばわりされ……

singlemother15a『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(前編)

「結婚前、夫は前妻にDVを受けたと言っていたので、『残念な人に当たっちゃったね』と言って慰めていました。ところが、彼は自分の浮気が発覚したとき、私のことを『こいつはDV妻』と言いだし、警察の前で嘘をついたのです」

 歯科医の小松めぐみさんはそう話す。小松さんは妊娠がわかって結婚し、子どもが2歳のときに別居。離婚したのは子どもが4歳のときだったという。彼女はいったいなぜ夫から「DV妻」と言われたのか? なぜ2年も別居をしていたのか?

■彼のことは“何か変だな”と思いつつ、目をつぶって結婚

――旦那さんとは、どのようなきっかけで出会ったのですか?

 実はそれまでの7年間、別の男性と一緒に住んでいました。彼とはすごく仲が良かったし、人として尊敬もしていましたが、彼はどうしても子どもを欲しがらなかった。当時、私は30代半ば。「このままいくと、子どもがいない人生になっちゃうな。子どもが産める相手を見つけよう」って思ったとき、信用できる知人から男性を紹介されました。「前の奥さんに恵まれなかったんだけど、中身はすごくいい人だから」って。それが元夫。会ってみたら、子どもを作ることに反対しなかった。それで、早まって結婚してしまったんです。

――どんな人ですか?

 背がスラッとした、絵に描いたようなハンサム。両親は欧米人だけど、彼は日本生まれの日本育ち。両親の都合で中学校から大学院までは英語圏に住んでいたので、バイリンガル。大学と大学院では1人暮らしをしていて、就職のタイミングで日本に戻ってきたらしい。会社では早くから出世していて、そのうちにヘッドハンティングされて、外資系の会社の上層部を転々としていたみたいです。

――まさに典型的なセレブですね。結婚前にデートはしたんですか?

 1年弱お付き合いして、その間に妊娠がわかりました。いわばデキ婚です。子どもが産みたいという前提だったので、彼のことは“何か変だな”と思いつつも、目をつぶって結婚しました。

――夫として相容れない部分があったのですか?

 元夫はDV被害者としてメディアに出たことがあって、そのとき「妻が台所のお皿を全部割って暴れた」とコメントしたそうです。実際、日常生活でもそういう話はしていました。「この風景を見ると前の妻を思い出してつらい」と言って急に泣きだしたりするんです。私はあっけにとられつつ、「残念な人に当たっちゃったね」と言って慰めるしかなかった。

――そのときは、彼のことを信じてたんですか?

 信じていました。彼が嘘をついてるなんて、当時は知る由もなかった。仕事柄、さまざまなタイプの患者と付き合いますので、人と接することには慣れています。だけど彼は両親が外国人で、「自分のアイデンティティはどこだ」という悩みを抱えていました。私はそれまで彼のような人とあまり接したことがなくて、日々一緒に暮らす中でも、彼の人間性を見抜けなかったんです。

――「嘘をついてる」とすると、DVというのは彼の被害妄想なんでしょうか?

 自分自身の思い込みを本当のことだと、記憶をすり替えてしまうんでしょう。彼自身、私にすごく攻撃を受けたという感覚は本当でしょうから。

――どういうことですか?

 例えば、トイレットペーパーが芯だけになって、そのままになってたときのこと。「切れたら自分で交換して」と言ったら顔色が変わったということがありました。あのとき、彼は、私のお願いに傷ついてしまったみたい。

――なぜそれで傷つくのか、理解できないです。

 彼はエリート家系の育ちで、いわゆるお坊ちゃん。お手伝いさんがこまごまとした世話は完璧にやってくれるけど、しつけはしない。だから、世の中の常識がわからないまま大人になったんです。

――大学に入ってからは、ずっと1人暮らしだったんですよね。

 いえ。彼のそばには、常に女がいたんです。大学生や大学院生のときだって、1人暮らししているとはいっても、付き合ってる女性にすべての家事をやってもらってたし、その後もずっとそうです。彼は典型的なハンサム男ですから、女が途切れなかった。誰かにやってもらってたから、生活をするための常識が身につかなかった。だからこそ、私に注意されただけで傷ついたんです。

――わからないんだったら、聞けばいいだけなのに。

 アメリカの教育を受けて、リベラルを自負してるんです。だから上っ面では進歩的。だけど根の部分では「白人の自分は、黄色人種の妻より偉い」って思い込んでて、自然と私を見下してた。刃向かいはしないけど、いちいち偉そうでした。例えば、ケンカしたときに「俺は台所の床も拭いたし、トイレットペーパーも替えたぞ。なのに何が不満なんだ」って、わざわざ勝ち誇るように言うんです。「自分の家なんだから、やって当然でしょ」って言い返したら、「うーん」とか言って頭を抱えてました。プライドは高いけど、打たれ弱い人なんです。

――子どもが生まれる前に、こういった家庭を作っていきたい、という理想像はあったんですか?

 子どもをインターナショナルスクールに入れて、国際感覚が身につくように育てていこうとは言っていました。だけど実務的な話になると「海外旅行やパーティーに連れていって、君たちを楽しませてあげる。僕は頑張って働くから、支えてね」などと言って、肝心なルールの取り決めの話から逃げちゃうんです。

――なんだかフワフワしてますね。

 妻は、人形のようなお飾りでいてほしいってこと。外の人たちに自慢できる肩書だったり学歴だったり見た目だったりを、彼は私に求めていた。

――例えば、どんなことですか?

 政財界の重鎮が出席するというパーティーに招待されたときのことを思い出します。招待状が届いた途端に、「ドレスを見に行こう」と言って、六本木の高級ブティック街に連れていかれました。「これ似合うよ」と勧められて、何十万、いや何百万円もするドレスを次々と試着させられました。

――それで買ったんですか?

 それが、彼は払ってくれないんですよ。戸惑って「買ってくれないの?」って聞いたら、やれやれとあきれた様子。「そうやって女たちは、みんな俺のお金をあてにするんだ」と、いきなり悲劇のヒーロー気取りです。「わかった。じゃあ買わなくていい」って言ったら「安っぽいドレスじゃおかしいよ。みんなすごいドレスで来るんだから」と必死になって引き留めて私に買わせようとする。結局、買わずに、成人式のときの振袖でパーティーに行きましたけどね。

――家計は、どうしていたんですか?

 家賃は全部彼が払っていましたけど、それ以外はうやむやでしたね。私自身、稼ぎがあったし、出産休暇に入っても貯蓄がありましたから、彼の収入を頼りにする必要がなかった。彼はその点、甘えてましたね。ドケチなので。

――妊娠中は、どうだったのですか?

 妊娠8カ月の頃、一悶着ありました。その頃、私は土日に、車で30分のところにある実家へ帰っていましたが、実家から戻ってくると誰か知らない人が家に入ってる気配があって、「これは絶対、女を連れ込んでるな」と踏んだんです。それで私、その次の週末、実家に帰ったと見せかけて、前触れもなく自宅に戻り、解錠して中に入ってみました。すると案の定、家の中に知らない女がいるじゃないですか。「これ、どういうこと!?」と私は言いました。もしかすると、ドスが効いた声だったかもしれません。

――旦那さんは悲劇のヒーロー気取りですか?

 いえ。力ずくで私を家から追い出そうとしました。私はおなかが大きい状態です。抵抗して暴力を振るわれたり、転んだりしたら大変なことになる。そう思って、引っ張られるままずるずると、靴を履いていない状態で玄関の外に出されました。それで元夫は何をトチ狂ったのか、「なんで勝手に来たんだ! 警察を呼ぶぞ」って大声を出す。ところが私は、「呼びたいなら呼べば。私、暴力も何も振るってないし。何の落ち度もないってことを警察に説明できるから」と言って動じない。引くに引けなくなった彼は警察を呼びました。

 駆けつけた警察官2人に元夫は、「家の中に仕事関係の女性がいるけど、仕事の打ち合わせなんです。なのに、浮気と勘違いした妻が、家の中で暴れ狂ってしまったんです。お巡りさん、こいつはDV妻なんです。早く逮捕してください」と、興奮した様子で言うのです。それに対して私は「暴れてませんよ。家の中を見てきてください。争った形跡はないはずですよ」と言いました。

 2人の警察官は、膨らんだ私のおなかを見て状況を察し、そのうち1人が元夫に向かって冷静に言いました。「あなた被害者なんでしょう? まずは被害届を出してくれますか? でないと何もできないですよ」と。一方、私には、「奥さん、一旦、この場を離れたほうがいいですよ」と言うんです。私は警察官の助言に従って、実家へと帰りました。

(後編へつづく)