“恐怖”と“不安”の炎上に意味はある? 小籔千豊の「人生会議」ポスター問題

 厚生労働省が制作した『人生会議』のPRポスターがなかなかの勢いで炎上した。患者団体や遺族から大きな批判を呼び、予定されていた自治体へのポスター発送は中止。ホームページへのPR動画の掲載も見合わせることになった。ポスターに起用された芸人の小籔千豊氏は、出演したテレビ番組で「責任を感じる」などとコメントしているようで、気の毒といえば気の毒な話ではある。確かにポスターで見せた小籔氏の“死人っぷり”はなかなかのインパクトがあったが、何か悪いことをしたわけではないし、そkに責任を感じる必要もないだろう。ただ、この人生会議の普及啓発事業を吉本興業が4,070万円で委託契約していたなんて話を聞くと「ほう、またまた行政にがっちり食い込んでうまいことやってますな」という気分にさせられることもまた事実。なんだかんだで厚生労働省、吉本興業に対する風当たりは強いものとなった。

そもそも物議を醸した「人生会議」とは何なのか?

 そもそも人生会議とは何なのか。厚労省によると「もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組」のこと。要するに、自分が死ぬときにどのような対応を望むのか、ちゃんと事前に話し合っておきましょうね、という啓発活動だ。こうした取り組みは国際的に「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」と呼ばれている。この認知度をより高め、普及させていくために厚労省はAPCの“愛称”の公募を行い、去年11月30日に“人生会議”という名称を使うことを選定・決定したそうだ。ちなみに、この11月30日は「いい看取り・看取られ」の意味で“人生会議の日”になったそうだ。その感覚もちょっとどうかと思う。小籔氏はこの愛称“人生会議”の選定委員にもなっていた。

 問題のポスターは、病院着を着た小籔氏が鼻に酸素吸入チューブをつけた姿でベッドに横たわり、家族に自分の思いを伝えられなかった後悔を明かして「人生会議しとこ」と呼びかけている。コピーは以下の通り。

“まてまてまて
俺の人生ここで終わり?
大事なこと何にも伝えてなかったわ
それとおとん、俺が意識ないと思って
隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど
全然笑ってないやん
声は聞こえてるねん。
はっず!
病院でおとんの
すべった話
聞くなら
家で嫁と子どもと
ゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く
言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな
「人生会議」しとこ

命の危機が迫った時、
想いは正しく伝わらない”

 ポスターは全体的に青白い色調で、小籔氏の顔色も悪い。表情も奇妙に歪んでいる。体に重ねられた心電図のような波形は徐々に小さくなって平坦になり、小籔氏の手には家族らしき人の手が添えられている。もろに“死”のイメージを全面に打ち出していて、冒頭でも触れたように非常にインパクトの強いビジュアルだ。ただ、このネガティブで強烈な印象と比して、その“心の声”は妙に軽い。「死の床で父親のすべった話を聞かされて恥ずかしい」と言われたところで笑えるはずもなく、このバランスのいびつさが、ポスターを見た人になんとなく居心地の悪さを感じさせるのだろう。見た人にインパクトを与える意図があったのだとすれば、それは成功しているが、そのインパクトの強さゆえに多くの人から批判を浴びる結果になってしまった。

 報道やTwitterなどをざっと見てみるだけで、「患者、家族、当事者への配慮を欠いている」「遺族を傷つける可能性がある」「APCを誤解させる」「脅しとも取れる内容」「不安を煽る」「死を連想」「お笑いは不必要」「ふざけすぎ」など、さんざんな言われようである。まあ、確かに現在進行系で闘病中の患者やその家族、あるいは病気やケガで家族を亡くしたばかりの遺族が見たら、いい気持ちはしないだろう。その強烈な死のイメージにショックを受け、不安や恐怖、憤りを感じる人もいるかもしれない。その一方で、「考えるきっかけになる」「メッセージが伝わる」「ポスター批判は表現の抑圧」「ギリギリを攻めている」「当たり障りのないポスターなら見向きもされない」など、ポスターについて肯定的な意見やポスター批判に対する批判も数多く見られる。

 人生会議に対する批判には、終末期医療や延命治療を放棄させることで医療費削減の画策しているなんてものもあるが、それはさすがに穿ち過ぎだろう。結果として医療費の削減につながることを想定していたとしても、APC自体はその意義が周知され、普及されていくべきだと思う。自分の死について考えることはあっても、その死に方について人と話し合う機会はあまりない。人生の最終局面で心残りがないようにするために自分がどのような死を迎えたいか、家族や恋人、友人といった人々と思いを共有するために話し合いをしておくことは大切なことだし、いざというときにも役立つはずだ。

 問題はこのポスターがそうした重要性を訴え、啓発につながるものになっているかどうかだ。

 ポスターを批判するコメントのなかにはストレートに「小籔が嫌いだからイヤ」などと感情的な嫌悪をポスター批判に一緒にしているものもあって、「そりゃあんまりだ」と思ったのだが、これは意外と今回の炎上の本質を突いているかもしれない。念のため先に言っておくが、小籔氏のルックスや属性、芸人としてのスタンスにはまったく関係ない。ここで言及したいのは、ポスターを見た人に沸き起こる感情と、ポスターの内容紹介でも少し触れた小籔氏の“表情”だ。
眉間にしわが寄り、睨むような視線はまっすぐにこちらを見つめ、口角は鋭く上がっているが、そこに“笑み”はまったくうかがえない。なんとも絶妙な表情だ。

 怒りや悲しみ、喜びといった“情動”はたやすく人に伝染する。人間の脳にはミラーニューロンと呼ばれる神経細胞があり、無意識のうちに目の前の相手の感情を読み取って影響を受ける。つまり、楽しそうな笑顔を浮かべている人が目の前にいたら、自然と自分のなかにも「楽しい」という感情が湧いてくるということだ。もちろん、悲しみや怒りなども同様に影響を受ける。

 では、ポスターの小籔氏の表情にはどのような感情を読む取ることができるだろう。笑っているのでもなければ、怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。要は「何を感じているのかわからない」のである。正体がわからないものに直面したとき、多くの人は不安や恐怖を感じる。このポスターを見たときの「なんかいやな感じがする」という“感じ”は、小籔氏の絶妙な“死”の表現が呼び起こしているのではないだろうか。もちろん、これは直観的な反応なので「とくに何も感じない」という人もいる。だから、この感覚的なレベルでは議論は当然噛み合わない。

 ネガティブな感覚を呼び起こす表現が悪いわけではない。しかし、啓発ポスターとしてメッセージを広く伝え、何かしらの行動を促すような役割を期待されているケースでは話は別だ。今回のポスターの目的は「自分の死に向き合って、それを家族や大切な人と話し合っておこう」という呼びかけであり、そうした習慣の認知の向上、普及の拡大だ。しかし、今回のポスターを見たときに強く訴えかけてくるのは、人生会議の大切さ、有益さではなく、全体を覆う圧倒的な“死”のネガティブイメージだろう。

 これは誰がどう見ても思いがけない突然の死を嘆く臨終の場面だ。そこに「こういう後悔のある死に方をしないために人生会議をしましょうね」という意図が込められているのだろうが、果たしてその意図は有効に働くのか。認知神経科学者ターリ・シャーロットの著書『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』を読むと、どうやら今回のポスターはあまりうまい手法とはいえないようだ。

 本書に紹介されている認知神経科学の実験によると、将来的に何かを失ったり、後悔したりするなど、「報いを受けるかもしれない」という警告は、人を行動に駆り立てるよりも、逆に「何もしない状態」にしてしまうことが多い。これは脳が何か悪いことを予測したとき、直感的に凍りついたり、退かせたり、放棄したりする“ノー・ゴー反応”を引き起こすからだという。逆に人を行動に導こうとするのであれば、“ご褒美”となる何かしらの喜びやポジティブなものを予期させるほうがうまくいくそうだ。つまり、人生会議の啓発ポスターは死の恐怖や不安を煽り、いざという後悔を警告するのではなく、人生会議をしておくことで受けられる恩恵をアピールするべきだったのだ。もちろん、“死”が前提の題材である以上、それが難しいものであることは承知しているが、そこはクリエイターとしては腕の見せどころだったというものだろう。こうして他人が後からゴチャゴチャいうのは簡単だということも承知しているけれど。
 こうして炎上したことによって、人生会議の存在を知ったという人は多いだろう。それは認知の向上という点では意味があったのかもしれない。しかし、人の頭に残るのは「“炎上案件”としての人生会議」だろう。そうしたネガティブな印象は簡単に拭えない。このポスターの影響で制作側の意図通りに「よし、人生会議やってみようか」と思う人はほとんどいないのではないだろうか。結果、誰も得をしていない。

 今回のポスター問題に限らず、今の社会は恐怖と不安のキャンペーンで満ちている。ポジティブな未来を期待させるものはなく、どこもかしこも暗い未来の暗示と「そうなるのが嫌なら……」という脅しと警告ばかりだ。そんな薄ら寒い空気のなかで多くの人は凍りついている。日本人の幸福度なんて、そりゃ低くなるだろうという話だ。

(文=堀田功)

卓球・水谷隼を晒し者にした “女性週刊誌”は恐喝グループの片棒を担いだのか!?

 これでようやくプレーに集中できるようになるだろうか。

 警視庁池袋署は20日までに卓球界のエース・水谷隼から金銭を脅し取ろうとしたとして、恐喝未遂の疑いで、駒澤大学3年の沢野祐輝容疑者、同鈴木瞬容疑者、アルバイトの女の3人を逮捕した。

「水谷と女がホテルでキスしたとして、『お子さんも家族もいて有名人なので週刊誌に載ると思います。お金を支払ってほしい』などとLINEでメッセージを送信し金銭を脅し取ろうとした疑いです。水谷サイドの説明によるとそれ以外にも電話で、数百万円を要求されたこともあったといいます。女は5月ごろ、当時働いていたラウンジで水谷と知り合い、7月に女と交際していた沢野容疑者がLINEの履歴から2人がやりとりしているのを知り、鈴木容疑者と金を脅し取ろうと計画。鈴木容疑者が週刊誌の知り合いを沢野容疑者に紹介したようです」(スポーツ紙記者)

 その週刊誌というのが、某女性週刊誌だったと思われる。同誌は9月下旬の発売号で『卓球王子水谷準選手の“禁じられた恋”の話』として女の告白を掲載。それによると、水谷が女を気に入ったことで2人は電話をすれば1時間話すほどの仲となり、女は妻子のいる水谷との関係に不安を抱きながらも、ある日、水谷にホテルへ誘われる。そこでキスされてベッドに押し倒されたものの、一線は越えなかったという内容でした」(週刊誌記者)

 しかし、結果的に件の女性週刊誌は恐喝の片棒を担ぐことになったとも言える。

「似たようなケースで、先日発売された『週刊文春』(文藝春秋)にて、ZOZO前社長の前澤友作氏が秘書に応募した女性と男女の仲になったことから生じたトラブルを報じています。女性が週刊誌に暴露することをほのめかしたことで、前澤氏はそれを阻止しようとし、女性は前澤氏と話した結果、『なんか色々と良い事を言われました。文春さんに出たら、それはしないと言うので、とりあえず2人で会って、色々契約しようと思いました』と文春に掲載を見送るよう要請した。

 しかし、掲載を見送り、前澤氏が女性に金銭を払えば恐喝が成立することになり、日本を代表する経営者である前澤氏の採用を巡るトラブルを報じる公共性、公益性は十分あるとして、文春は掲載に踏み切りました。しかし、今回の女性週刊誌の場合、妻子がいる身で未成年とキスしたとはいえ、合意のうえでホテルに行っていることから、元TOKIO・山口達也の未成年への強制わいせつ事件ともニュアンスは違うとも思われますが、水谷自身にも否があったことは明らか。ただ、水谷側から被害届が出ていたにもかかわらず恐喝していた側の言い分をまんま掲載し、水谷を晒し者にしたのは、いささか問題があったのではないでしょうか」(前出の記者)

 スクープ欲しさにこうした情報に飛びつくのはマスコミの性だが、メディア関係者は他山の石とするべきだろう。

卓球・水谷隼を晒し者にした “女性週刊誌”は恐喝グループの片棒を担いだのか!?

 これでようやくプレーに集中できるようになるだろうか。

 警視庁池袋署は20日までに卓球界のエース・水谷隼から金銭を脅し取ろうとしたとして、恐喝未遂の疑いで、駒澤大学3年の沢野祐輝容疑者、同鈴木瞬容疑者、アルバイトの女の3人を逮捕した。

「水谷と女がホテルでキスしたとして、『お子さんも家族もいて有名人なので週刊誌に載ると思います。お金を支払ってほしい』などとLINEでメッセージを送信し金銭を脅し取ろうとした疑いです。水谷サイドの説明によるとそれ以外にも電話で、数百万円を要求されたこともあったといいます。女は5月ごろ、当時働いていたラウンジで水谷と知り合い、7月に女と交際していた沢野容疑者がLINEの履歴から2人がやりとりしているのを知り、鈴木容疑者と金を脅し取ろうと計画。鈴木容疑者が週刊誌の知り合いを沢野容疑者に紹介したようです」(スポーツ紙記者)

 その週刊誌というのが、某女性週刊誌だったと思われる。同誌は9月下旬の発売号で『卓球王子水谷準選手の“禁じられた恋”の話』として女の告白を掲載。それによると、水谷が女を気に入ったことで2人は電話をすれば1時間話すほどの仲となり、女は妻子のいる水谷との関係に不安を抱きながらも、ある日、水谷にホテルへ誘われる。そこでキスされてベッドに押し倒されたものの、一線は越えなかったという内容でした」(週刊誌記者)

 しかし、結果的に件の女性週刊誌は恐喝の片棒を担ぐことになったとも言える。

「似たようなケースで、先日発売された『週刊文春』(文藝春秋)にて、ZOZO前社長の前澤友作氏が秘書に応募した女性と男女の仲になったことから生じたトラブルを報じています。女性が週刊誌に暴露することをほのめかしたことで、前澤氏はそれを阻止しようとし、女性は前澤氏と話した結果、『なんか色々と良い事を言われました。文春さんに出たら、それはしないと言うので、とりあえず2人で会って、色々契約しようと思いました』と文春に掲載を見送るよう要請した。

 しかし、掲載を見送り、前澤氏が女性に金銭を払えば恐喝が成立することになり、日本を代表する経営者である前澤氏の採用を巡るトラブルを報じる公共性、公益性は十分あるとして、文春は掲載に踏み切りました。しかし、今回の女性週刊誌の場合、妻子がいる身で未成年とキスしたとはいえ、合意のうえでホテルに行っていることから、元TOKIO・山口達也の未成年への強制わいせつ事件ともニュアンスは違うとも思われますが、水谷自身にも否があったことは明らか。ただ、水谷側から被害届が出ていたにもかかわらず恐喝していた側の言い分をまんま掲載し、水谷を晒し者にしたのは、いささか問題があったのではないでしょうか」(前出の記者)

 スクープ欲しさにこうした情報に飛びつくのはマスコミの性だが、メディア関係者は他山の石とするべきだろう。

炎上した『あいちトリエンナーレ表現の不自由展』の裏側で、参加作家が対応する「コールセンター」が見た希望

 今年開催された国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』に出店された『表現の不自由展・その後』(以下、不自由展)は、国民的な議論を呼んだ。

 各地の美術館で展示拒否の憂き目にあった作品を集めたこの展示。中でも、「昭和天皇の肖像写真を燃やした」映像を使った大浦信行の『遠近を抱えて part2』や、従軍慰安婦をモチーフにした『平和の少女像』に対しては、日本への「ヘイト作品」として非難の声が上がった。

 では、この騒動に巻き込まれる形となった他の参加アーティストは、どんな目線で、現場を見ていたのだろうか。

 今回のあいちトリエンナーレに参加作家としてクレジットされていた演出家の高山明氏は、これまで、宗教施設、モニュメント、難民収容施設跡地などをめぐりアジアと東京との知られざる関係を可視化する『東京ヘテロトピア』、そして、シリアを始めとする各地から逃れてきた難民たちを「教授」にした講義をマクドナルドで開催する『マクドナルド放送大学』など、普通は劇場で行われる既存の演劇の枠組みを逸脱する作品を生み出してきた人物。

 いったい、彼はどのような視線から、この騒動を見ていたのか。そして『不自由展』の一時閉鎖を受けて彼が開設した、アーティストが電話応対をするコールセンター『Jアートコールセンター』には、いったいどんな声が寄せられたのだろうか。

大村知事も政治利用をしている

──高山さんは、今回のあいちトリエンナーレにアーティストとして参加しただけでなく、『不自由展』をめぐる騒動を受け、アーティストが開設するコールセンター『Jアートコールセンター』を開設しました。まず、発端となった『不自由展』についてはどのように考えられていたのでしょうか?

高山:不自由展に関しては、あの枠組み自体が「検閲」をしているように感じました。今回、たとえば、東京都現代美術館から撤去を要請された会田誠さんの『檄』は、芸術監督の津田大介さんから展示してほしいと要望していたにも関わらず、『不自由展』実行委員会からの反対によって断られている。また、『不自由展』には美術館による検閲の対象とされがちなエログロも含まれていません。その意味で「政治的なプロパガンダ」が目指されているように感じたことも事実です。

 実際に『不自由展』も目にしましたが、これをやっても社会の分断はより深まるだけだし、断絶を煽るだけなのではないか。作品を見た後に自分の考えが変わったり、対話の可能性が広がることもないのではないか。『不自由展』に対しては、そんな疑問を持ちましたね。そしたら案の定炎上した。あれじゃ炎上するに決まってます。

──高山さんとしては決して賛成できる展示ではなかった、と。しかしその一方で、展示再開に向けた活動を積極的に展開していましたよね。いったいなぜ、疑問を持った『不自由展』の再開を訴えたんでしょうか?

高山:『不自由展』をあいちトリエンナーレがピックアップすることの是非はともかく、一回オープンした以上、作品を守り切るのが展覧会でしょう。外からの圧力で閉じてしまうことは許されません。だから、僕もアーティスト有志による「ReFreedom_Aichi」の運動に参加し、展示再開に向けて動いたんです。

──高山さんにとって、『不自由展』の評価と、展示を閉鎖することとは全く別なんですね。

高山:はい。自分の価値観や好みによってあの展示に賛成できなくても、それを内容が問題だからといって閉鎖することは許されない。だから、展示を再開させたいと心から思いました。

──この問題はアートの問題から、官邸を含めた行政の問題へと広がり、国民的な議論を巻き起こしました。こうした動きについてはいかがでしょうか?

高山:「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と発言した菅義偉官房長官、座り込みのパフォーマンスをした河村たかし名古屋市長はもちろん、大村秀章愛知県知事だって政治利用をしていると思います。

──政治利用……。菅官房長官や河村市長はトリエンナーレに対して敵対的な立場でしたが、あくまでもトリエンナーレ側だった大村知事の「政治利用」とは?

高山:彼だって政治家であり、各国政府や世界に対して表現の自由をアピールする「あいち宣言(プロトコル)」も知事の名においてつくられようとしています。今回の動きは彼にとっての政治に直結するものであり、アーティストは自分たちの言動が政治利用されないように注意をしていました。また、「ReFreedom_Aichi」のアーティストは、津田さんとサポートし合ういい関係を築けましたが、「不自由展を閉じる」という判断を下したことで、批判的な考え方をするアーティストも多かったんです。

 そもそも、個々のアーティストの間でも、意見は異なっています。『不自由展』について「あの状況では閉鎖は仕方ない」という人もいるし「つっぱねてやるべき」という人もいる。アーティストごとに考えが異なるという意味では、現に「ReFreedom_Aichi」に加わった日本人作家の中でも、藤井光さんは展示再開に向けた圧力をかけるためにボイコットをしています。

──この騒動を受け、高山さんは設立した「Jアートコールセンター」を設立しました。どのようにして、アーティストが電話を受けるコールセンターという取り組みに至ったのでしょうか?

高山:今回、あいちトリエンナーレにおいて『不自由展』が一時的に閉鎖された理由が、電凸による攻撃でした。あいちトリエンナーレだけでなく、スポンサーや他の関連施設などにも多くの脅迫電話が来て、それを受ける県の職員が疲弊してしまった。そこで、この展示を閉じざるを得ないという判断が下されたんです。僕自身、かつて電話による脅迫を受けていたことがあり、その大変さはよくイメージできます。

『不自由展』の展示再開を目指していくにあたって、何をやればいいのかと考えた時に「参加アーティストが展示に対する抗議の電話に電話応対をできないか」という発想が浮かんできました。そもそも、抗議の電話を受けていた県の職員は当事者ではありません。彼らがアーティストの撒いた種を全部引き受けて、長い人は3時間も罵倒されっぱなし。電話口では自分の意見を言えないし、名前を言わなきゃいけない、そして自分からは電話を切ることもできません。これは暴力以外の何者でもないですよね。

 そこで、県の職員に「電話応対をしたい」と相談したところ、ありがたい申し出だけれども、職員でないと電話応対はできないという回答でした。

──そもそもは、県にかかってくる講義の電話を、本当にアーティストが受けるという構想だったわけですね。

高山:はい。そこで、現実として電話応対をすることは不可能でも「作品」としてコールセンターをやることは可能だろう、と考えました。ただし、作品として発表した場合、それは「遊び」のように受け取られてしまい、誰も電話をかけてこないことも考えられる。そこで、「合同会社Jアートコールセンター」を設立し、「作品」でもあり、会社が行う「事業」でもあるという意味を与えたんです。作品にしないことによって、相手もこちらも本気度が上がります。

──ところで、『Jアートコールセンター』は、一見すると「高山明の作品」とは見えない形になっていますよね。いったい、なぜこのような形を選んだのでしょうか?

高山:フランクフルトで初演し、六本木アートナイトでも行った、難民の講義をラジオで受講できる「マクドナルドラジオ大学」もそうですが、半分作品でありつつも、本当に都市の一機能になる。そのような方向に自分のプロジェクトを展開していきたいという欲望があります。しかし、作家性や作品性を保ち続けると、アートの範囲内にとどまってしまい、社会のリアルな機能にはなりづらいですよね。

今回、多くの作家がボイコットをして作品を引き下げましたが、それを撤回することが県や事務局にプレッシャーになると思っているからボイコットをしたのだと思います。もちろん、それが一定の効果を果たした側面もありますが、僕はそもそも「作品」という枠組みを信じていない。というと嘘になりますが、作品であることに甘んじたくない。そこで、「作品」から外れた形で「コールセンター」をつくったんです。

怒りのあまり電話口で泣く人々

──では今回、このコールセンターは、どのように運営されたのでしょうか?

高山:まず、「Jアートコールセンター」の場合、県の職員ではないので個人の責任で電話を取ることができるし、意見を言うこともできるし、途中で切ってもいい。電凸に対する「サンドバッグ」になる必要はないという取り決めを作りました。

 オペレーターとして参加したのは、あいちトリエンナーレの参加アーティストを中心に、キュレーター、ギャラリストといった人たち、総勢29人。一番多く電話を受けたのは、キュンチョメのナブチくんでしたね。『不自由展』の出展者からも、チン↑ポム、白川昌生さん、大橋藍さん、小泉明郎さんが参加してくれました。

──そこには、実際にはどのような声が寄せられたのでしょうか?

高山:数としては1週間の活動期間で、717件の電話がかかってきました。ただし、1日3~5人で応対して、また1件の電話が1~2時間に及ぶのも珍しくないことから、実際に取れたのは350件程度でした。

 寄せられた抗議の中でも、いちばん多かったのが「昭和天皇の肖像写真を燃やした」映像を含む大浦信行さんの『遠近を抱えて part2』についてでした。「天皇の肖像写真を燃やす」という行為に対して、ひたすら怒っている電話が多かった。中には、怒りのために泣いていたり、声を震わせていたりする電話もありました。

 一方、いわゆる「ネトウヨ」のような人からもかかってきました。しかし、彼らはこちらの意見を言うと、すぐに切ってしまったり、ネットに転がってる言葉を繰り返すだけだったり、「薄っぺら」というのが正直な印象。だから、何も感じなかったんです。ただ、本当に怒っている人の声は、聞いているこちらも痛いし向き合わなければいけないと感じさせられました。

──今回のあいちトリエンナーレは『情の時代』というテーマでしたが、まさに電話に応対するアーティストを刺激するような「情」があったんですね。では、そのように、本当に怒っている人に対して、どのように向き合ったのでしょうか?

高山:大した人数を受けたわけじゃありませんが、話を聞くしかありません。最初の30分くらいは、こちらの意見も述べずにひたすら聞く。相手の言葉は感情的な怒りなので、話は繰り返していきます。すると、だんだんとトーンが変わってきて、こちらの意見を話せる雰囲気が出てくる。もちろん、そうやって話しても、全く意見を聞かず、ここまでコミュニケーションができないのか……と絶望してしまうような人もいます。しかし、中には聞いてくれるひともいるんです。その結果、「屁理屈」と言われたり、「違う」と否定されたりするのですが、少なくとも僕が話す時間はくれました。

 そこには、何の意見の一致もありません。しかし、自分の意見を言えて、相手の意見も受け止められたことに対して僕自身は「快感」といったらおかしいかも知れませんが、心から「話ができてよかった」と思えたんです。僕が受けた中では、だいたい、3割くらいの人は、こちらの話にも耳を傾けてくれましたね。

──高山さんにとっては、意見が一致することが重要ではなかった?

高山:当初は、「議論」をして、意見の一致を目指していくためにコールセンターをつくった部分もあります。でもそうじゃなかった。意見が異なる相手を「説得しなくていい」と思うと、意見の交換が成り立つ。同じテーブルに乗せられる。

 意見が一致することは、実は重要ではない。それよりも、異なる意見が同じテーブルに乗ること、それこそが救いであり希望なのではないか。もしかしたら、このようなあり方を「公共」と言うのではないかと感じました。

──今回の騒動によって、多くの人々から、『不自由展』に対して「税金を使う」という部分に大きな疑問の声が集まりました。そのような声に対して、アーティストとしては、どのように感じているのでしょうか?

高山:とても線引きが難しい問題ですよね……。

 僕個人としては、社会は一個の身体であると思っています。それを健全に保っていくためには、マイノリティに向けた表現、あるいはマジョリティの基準では不快なものも必要になる。それが、時に毒のように、時に薬のように作用するのが芸術だと考えています。

 無菌室に入れ、不快なものを排除していくと社会は弱くなっていく。それは歴史が証明しており、いちばんのいい例がファシズムです。マイノリティや不快なものを排除していくことによって、最後は社会全体が崩壊する。排除されていた側はもちろん、排除していた側もみんな不幸になってしまう。社会の健全さを保つためには、毒もいれなければならない。だから、たとえ多くの人に不快を与える芸術であっても、公金を使って社会の中に育んでいく必要があると考えています。

──社会という身体を維持していく上では、マジョリティにとっては不快で毒にもなる芸術が必要である、と。

高山:そう。それに「公共の利益になるかどうか」を判断するには、時間的な問題もあります。短期的には「毒」のように感じられても、長期的には「薬」になるものはたくさんある。長期的な視野に立って見ていかなければ、芸術作品は成り立たないんです。その意味で、この件を受けて助成要綱を改正し「公益性で不適当なら助成取り消し」とした文化庁の決定に対しては真っ向から反対します。

──今回、多くの海外から招聘された作家が自作をボイコットしました。国際的な目線から見て、日本のアートはどうなっていくと思いますか?

高山:最初にボイコットをしたのは、韓国や南米など、海外の作家たちでしたよね。日本のアーティストは「なぜボイコットをしないのか?」という批判を受け、「失望した」とも言われました。海外のアーティストは「検閲は絶対に反対」という考えのもと、よくも悪くも原理主義的で純粋な方向がスピーディに推し進められていった。

 彼らの行動は最大限尊重します。しかし、そんなに単純な話には思えなかったし、今回のような「日本的な検閲」に対しては、国際的なスタンダードは通用しない。その中で、日本のアーティストの多くは対話をし、連帯が生まれ、つながりを待ちながら粘り強い交渉をしていきました。過去、展覧会において、一度閉鎖されたものが空いたことはありません。それなのに、不自由展の再開が達成された。こんなドラマはないですよね。

──原理主義的になるのではなく、交渉し、対話を重ねたからこそ再開が可能になった。

高山:もちろん、アーティストだけではなく、大村知事、津田芸術監督、県職員、事務局、キュレーター、アーティスト、全部が展示再開に向けて動き、粘り強く活動した。ボイコットによるプレッシャーも、うまく機能した。対立し、断絶を深めるのではなく、対話と交渉を重ねる。

 そんな発想は、欧米が中心となっているアートの世界で理解されるのには時間がかかりますが、この強みを理解してほしいと思います。異なった考えの人々が互いを排除せずにやっていけること、そんな日本的あるいはアジア的な発想は、日本のアートが持つ、とても大きな魅力なんです。

 ただし、そんな姿勢が現実の政治に対してどこまで有効かはわからないし、有効でない可能性の方が高い。それは今後、あいちトリエンナーレという場所から離れて日本のアート全体が考えていくべき課題であると考えています。

高山 明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。2002年、演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)を結成。実際の都市を使ったインスタレーション、ツアー・パフォーマンス、社会実験プロジェクトなど、現実の都市や社会に介入する活動を世界各地で展開している。近年では、美術、観光、文学、建築、都市リサーチといった異分野とのコラボレーションに活動の領域を拡げ、演劇的発想・思考によって様々なジャンルでの可能性の開拓に取り組んでいる。

おむすびころりんクレーターってなに? やくみつるの流行語大賞“ねじ込み”に批判殺到

 むしろ「流行しなかった語大賞」では?

 11月6日、ユーキャンの新語・流行語大賞のノミネート語のノミネート語、30項目が発表された。

「にわかファン」「ONE TEAM」「あな番」「スマイリングシンデレラ/しぶこ」「上級国民」「令和」「タピる」「「ホワイト国」「闇営業」などが挙がるなか、多くの人が首をひねったのが、「おむすびころりんクレーター」という聞きなれない言葉。どうやら、惑星探査機はやぶさ2が作ったクレーターの愛称のようだが、選考委員のやくみつるが『Live NEWS It!』(フジテレビ系)』で語った「ノミネートの理由」に批判が飛び交っている。

「やくは、『これ私がねじ込んだんです。はやぶさ2の話題はもてはやれたんですけど、その後の言葉が定着してないと。ここに(おむすびころりんクレーターを)入れることによってそういう言葉もあったんだねと認知してもらう効果もあるわけですよね』とコメント。みずから“流行っていない”ワードであることを認めていました」(芸能ライター)

 これには、ネット上でも「それ流行語じゃねーよな」「聞いたこともない」「流行してないものを選んだとゲロする選定委員」「全く世間とかけ離れてるし、やくみつるの私物化」「これに何も言えない他の選考委員もゴミ」などと、ブーイングの嵐となっている。

「やくといえば、昨年ノミネートされていた『ご飯論法』を知らないというダウンタウン・松本人志に、『流行と言うよりは新語と解釈して頂ければ結構』と説明。『“奈良判定”をぶち込んだのは私』と、“ねじ込み”を告白しています。過去に『トリプルスリー』『神ってる』という野球用語が大賞になった際にも、やくの“ゴリ押し”だと批判され、『トリプルスリーって何?』のほうが流行したほどです。流行っていなくても選考委員の意向でなんとでもできるなら、『流行語大賞』に意味があるのかという声が強まってくるかもしれません」(前出・芸能ライター)

 ガチで選考するのであれば、今年の流行語大賞は木下優樹菜絡みの「タピオカ」「おばたん」「事務所総出」 のどれかが妥当?

ラップ調、ニックネーム……日刊スポーツ「侍ジャパン記事」がスベリまくり!

 4年に一度のラグビーW杯の次は、4年に一度の野球最強国決定戦「世界野球プレミア12」。開幕戦での薄氷を踏むような勝利に、思わず「大丈夫!?」と不安になった侍ジャパンだが、2戦目は危なげなく完勝。無事、2次ラウンド進出を決めた。

 その裏で、「本当に大丈夫?」と心配が止まらない野球の話題があった。侍ジャパンの初戦が行われた5日、日刊スポーツがちょっと(というかだいぶ)おかしい記事を2本立て続けにアップしたのだ。

▼「侍開幕投手の山口俊、Free Styleでかます」
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911050000007.html

 大事な大事な開幕戦に挑もうという日本の背番号18・山口俊の話題について、「独断と偏見で、勝手にラップ調で、ぶちかましてみました。行くぜ、東京、つかむぜ、頂上」と、まさかのラップ調で記事に仕立てたのが問題作その1。

 直前の強化試合において、投手陣で唯一打ち込まれたのが山口。だからこそ、ファンからすれば「調子はどうだ?」「調整はうまくいっているのか?」と不安になるところ。だが、そんな「選手の最新情報」を伝えようという気概も感じない記事構成に愕然とするばかり。

 しかも、オチで用意されていた文言は、「防ぐぜ、インベーダー。You Know? 俺が日の丸ディフェンダーだ」……いやいや、野球で「ディフェンダー」は使わないでしょ!とツッコまずにはいられなかった。

 この記事、何が問題かといえば、山口の情報が伝わらないばかりか、山口自身がスベっているように感じてしまうこと。取材を受けた結果がこんな文章だったとして、次にまたメディアの取材を受けようと思ってくれるだろうか?

 そしてこのラップ記事以上に問題作が次の記事だ。

▼「侍28人/ニッカンがニックネーム付けてみました」
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911050000098.html

 大規模なスポーツイベントの際、メディアが選手に「ニックネーム」「キャッチフレーズ」をつけるのは常套手段。一方で、メディア側の“勝手につける行為”自体を嫌う層も少なくない。

 筆者自身もどちらかといえば好きではないが、「ニックネーム」「キャッチフレーズ」の必要性はわかっているつもりだ。たとえば、TBSが中継する『世界陸上』の場合、海外選手にキャッチフレーズがあったおかげで目線付けができた、というケースも確かにある。

 ただ、今回の日刊スポーツのニックネーム、これはさすがにあり得ない。全選手「コレジャナイ感」満載で、とにもかくにもダサすぎるのだ。これはもう、実際にファンの間で広めていこう、とか、今後の記事でも使っていこう、という考えもなく、ただただ炎上狙いでやったとしか思えない悪質さが垣間見える。

 文字にするのも恥ずかしいのだが……、外崎修汰(西武)につけた「場所を選ばず奏でるリンゴスター」を例に見ていこう。

 愛称なのに長すぎる、という減点要素は一旦、置いていこう。プレースタイルが連想しにくい、という減点要素もあるがひとまず忘れよう。それ以上にこのニックネームが問題なのは、外崎であれば「アップルパンチ」というすでに市民権を得ている愛称があるにもかかわらず、それを無視していること。ファンが親しみを込めて使う呼び名をないがしろにするって、一体なんなのだろう?

 前述した『世界陸上』のニックネームをどのようにつけているのか、以前、陸上中継に携わるTBS局員に話を聞いたことがある。パッとすぐ思いつくものもあれば、なかなかしっくりくるものがなく、何度も企画会議にかけ、実際にその呼び名を叫ぶことになるアナウンサーとも協議を重ねながら、ようやくひとつのニックネームが生まれることも……といった“生みの苦しみ”について語ってくれた。

 一方のニッカンはどうだろう? これ、明らかに野球をよくわかっていない記者に「オフシーズンだからちょっとやってみろ」と書かせたようにしか思えないのだ。仮に野球取材歴の長い記者だとしたら、その審美眼を疑わざるを得ない。と同時に、 “世界野球”と銘打った大会への報道姿勢として、あまりにも失礼ではないだろうか。

 先日閉幕したラグビーW杯があれほど盛り上がったのは、世界最高の技とパフォーマンス、本気のぶつかり合いという「ラグビー最高峰の面白さ、素晴らしさ」をそのまま味わうことができたからだ。

 超一流アスリートの本気のパフォーマンスは、ヘタな脚色も味付けも一切不要。最高の食材はそのまま味わうのが一番うまい、という日本料理を堪能するような喜びがあった。

 そんなスポーツ本来の楽しみ方を知った直後に、この記事ですか……。世間とのズレこそが、一番の問題点なのかもしれない。

(文=オグマナオト)

ラップ調、ニックネーム……日刊スポーツ「侍ジャパン記事」がスベリまくり!

 4年に一度のラグビーW杯の次は、4年に一度の野球最強国決定戦「世界野球プレミア12」。開幕戦での薄氷を踏むような勝利に、思わず「大丈夫!?」と不安になった侍ジャパンだが、2戦目は危なげなく完勝。無事、2次ラウンド進出を決めた。

 その裏で、「本当に大丈夫?」と心配が止まらない野球の話題があった。侍ジャパンの初戦が行われた5日、日刊スポーツがちょっと(というかだいぶ)おかしい記事を2本立て続けにアップしたのだ。

▼「侍開幕投手の山口俊、Free Styleでかます」
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911050000007.html

 大事な大事な開幕戦に挑もうという日本の背番号18・山口俊の話題について、「独断と偏見で、勝手にラップ調で、ぶちかましてみました。行くぜ、東京、つかむぜ、頂上」と、まさかのラップ調で記事に仕立てたのが問題作その1。

 直前の強化試合において、投手陣で唯一打ち込まれたのが山口。だからこそ、ファンからすれば「調子はどうだ?」「調整はうまくいっているのか?」と不安になるところ。だが、そんな「選手の最新情報」を伝えようという気概も感じない記事構成に愕然とするばかり。

 しかも、オチで用意されていた文言は、「防ぐぜ、インベーダー。You Know? 俺が日の丸ディフェンダーだ」……いやいや、野球で「ディフェンダー」は使わないでしょ!とツッコまずにはいられなかった。

 この記事、何が問題かといえば、山口の情報が伝わらないばかりか、山口自身がスベっているように感じてしまうこと。取材を受けた結果がこんな文章だったとして、次にまたメディアの取材を受けようと思ってくれるだろうか?

 そしてこのラップ記事以上に問題作が次の記事だ。

▼「侍28人/ニッカンがニックネーム付けてみました」
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911050000098.html

 大規模なスポーツイベントの際、メディアが選手に「ニックネーム」「キャッチフレーズ」をつけるのは常套手段。一方で、メディア側の“勝手につける行為”自体を嫌う層も少なくない。

 筆者自身もどちらかといえば好きではないが、「ニックネーム」「キャッチフレーズ」の必要性はわかっているつもりだ。たとえば、TBSが中継する『世界陸上』の場合、海外選手にキャッチフレーズがあったおかげで目線付けができた、というケースも確かにある。

 ただ、今回の日刊スポーツのニックネーム、これはさすがにあり得ない。全選手「コレジャナイ感」満載で、とにもかくにもダサすぎるのだ。これはもう、実際にファンの間で広めていこう、とか、今後の記事でも使っていこう、という考えもなく、ただただ炎上狙いでやったとしか思えない悪質さが垣間見える。

 文字にするのも恥ずかしいのだが……、外崎修汰(西武)につけた「場所を選ばず奏でるリンゴスター」を例に見ていこう。

 愛称なのに長すぎる、という減点要素は一旦、置いていこう。プレースタイルが連想しにくい、という減点要素もあるがひとまず忘れよう。それ以上にこのニックネームが問題なのは、外崎であれば「アップルパンチ」というすでに市民権を得ている愛称があるにもかかわらず、それを無視していること。ファンが親しみを込めて使う呼び名をないがしろにするって、一体なんなのだろう?

 前述した『世界陸上』のニックネームをどのようにつけているのか、以前、陸上中継に携わるTBS局員に話を聞いたことがある。パッとすぐ思いつくものもあれば、なかなかしっくりくるものがなく、何度も企画会議にかけ、実際にその呼び名を叫ぶことになるアナウンサーとも協議を重ねながら、ようやくひとつのニックネームが生まれることも……といった“生みの苦しみ”について語ってくれた。

 一方のニッカンはどうだろう? これ、明らかに野球をよくわかっていない記者に「オフシーズンだからちょっとやってみろ」と書かせたようにしか思えないのだ。仮に野球取材歴の長い記者だとしたら、その審美眼を疑わざるを得ない。と同時に、 “世界野球”と銘打った大会への報道姿勢として、あまりにも失礼ではないだろうか。

 先日閉幕したラグビーW杯があれほど盛り上がったのは、世界最高の技とパフォーマンス、本気のぶつかり合いという「ラグビー最高峰の面白さ、素晴らしさ」をそのまま味わうことができたからだ。

 超一流アスリートの本気のパフォーマンスは、ヘタな脚色も味付けも一切不要。最高の食材はそのまま味わうのが一番うまい、という日本料理を堪能するような喜びがあった。

 そんなスポーツ本来の楽しみ方を知った直後に、この記事ですか……。世間とのズレこそが、一番の問題点なのかもしれない。

(文=オグマナオト)

小池百合子都知事の急所を唯一突いた、テレビ朝日・玉川徹のコメント力

 11月1日、国際オリンピック委員会(IOC)、東京都、大会組織委員会、国の4者によるトップ会談により、2020年東京五輪のマラソン・競歩を札幌市で開くことが正式決定された。

 IOCがこの計画を突然発表した10月16日以降、小池百合子東京都知事はテレビ番組を行脚するなどして東京開催を訴えたものの、合意はできないがIOCの決定は妨げない「合意なき決定」という肩透かしの結論となった。 久々の”小池劇場”が繰り広げられた中、コメント力で異彩を放ったのが『羽鳥慎一のモーニングショー』(テレビ朝日)のレギュラーコメンテーター・玉川徹氏。

 50歳代後半になる玉川氏はテレビ朝日の正社員。だが社員コメンテーターに求められる「バランス」など意に介さず、「攻め」の姿勢が人気を博し、「週刊文春」(文藝春秋)の『2018年 好きなキャスター・コメンテーター』の7位にランクインした。

 上位6人は羽鳥氏らキャスターばかりだから、実質的にコメンテーターとしてはナンバー1の人気である。テレビ朝日関係者が解説する。

「彼はもっぱらワイドショーの制作に携わってきましたが、空気を読まないタイプで、社員に求められる地味な取材やマネジメントには不向き。社内に居場所がなかったのが正直なところです(苦笑)。年齢も年齢なので、硬派な問題を追及する『玉川総研』のコーナーを持たせたところブレイク。2015年にスタートした『羽鳥~』で、レギュラーコメンテーターに抜擢されました」

 他局からの評価も上々だ。

「好き放題言ってるように見えて、スポンサーや差別用語といった『地雷』を回避している。さらに、出世と無縁、バツ1独身、後退気味の髪、といった”負け組”の印象も視聴者に親しまれる要因でしょう」(テレビ局プロデューサー)

 そんな手練れの玉川氏だから、小池氏の急所の突き方も心得ていた。

 IOC調整委員会が始まる10月30日朝には「(立候補ファイルに、組織委が資金不足になれば東京都が補填すると書かれてあることを受け)そういうふうな契約書も小池さん、知ってるわけでしょ。知った上で、東京都は払いませんってテレビでしゃべっていいんですかね」

 31日には「情緒的ですよね」とぶった切り、「(東京都外で開催する競技に都が費用を負担していることから)今回だけは出しませんよっていうのは、なんの理屈で今回だけは出せないってなるんですか?」

 決着が見えてきた11月1日には「私はここまで都知事としてやりました、さぁ次の都知事もね、みたいな感じ」と、小池氏の言動を「パフォーマンス」と喝破したのだった。

 一方、『とくダネ!』(フジテレビ系)MCの小倉智昭氏は「小池応援団」と化し、精彩を欠いた印象だ。

 10月25日に小池氏が生出演した際は「道筋として許せない」などお追従のオンパレード。11月1日には「(札幌は)決して映像的には美しいコースではないと思いますよ」とコメントして、北海道民の反発を買ってしまった。

 ところでこの小池氏、『羽鳥~』の番組出演はNGだとか。

「小池氏は、石原慎太郎・元都知事と豊洲市場問題でバトルを繰り広げた2017年1月、コメンテーターとして出演している石原氏の次男・良純氏を念頭に『別人格とはいえ、コメンテーター選びにこそ違和感あり』とツイッターで攻撃した過去があります。(都政担当記者)

 ここはひとつ、小池氏と玉川氏の直接対決を是非見たいものだが……。

テレ朝『スーパーJチャンネル』やらせ問題でテレビ業界がフリースタッフを「身体検査」へ

 テレビ界の不都合な真実が続々と明るみに出るかもしれない。

 3月にテレビ朝日で放送された報道番組『スーパーJチャンネル』で“やらせ”があったことが発覚。同局は謝罪に追われた。

「問題となったのは同番組内の企画『業務用スーパーの意外な利用法』。業務用スーパーをあえて利用する個人客の人間模様を描く内容で、客として登場した5人が番組スタッフである男性ディレクターの知人だった。このディレクターは外部から派遣されてきており、その上司やテレビ朝日のデスクらも交えて3回のプレビューが実施されたものの、不自然な演出には気が付かなかったといいます」(芸能ライター)

 とはいえ、早河洋会長らが役員報酬1カ月分の10%を返上するなどの処分に発展したことで、同局は制作会社やフリーディレクターに対する「身体調査」を強化する構えだという。

「報道番組だけでなく、バラエティー番組や情報番組についても同じです。とりわけ、企業やお店の取材に関しては癒着やキックバックがなかったか、念入りに調べているようです。こうした不祥事が起こりうる背景には、テレビ局側の制作費削減というのも遠因にある。今まで50万円で作っていたものを30万円で作れと言われても、制作会社やフリーディレクターは拒めない。そのため、『楽して作る』か『裏金を作る』という方向に走る土壌が生まれるというわけです。テレ朝の動きを見て、今後は他局も同様の調査を行うでしょうから、やましいことがあるスタッフは戦々恐々となっているでしょうね」(制作会社関係者)

 TBSでもバラエティー番組『消えた天才』や『クレイジージャーニー』のやらせが発覚しており、テレビ界はこれまで以上に番組作りの見直しを迫られそうだ。

テレビ朝日『スーパーJチャンネル』のやらせ問題、関係者による隠ぺい疑惑まで浮上!

 10月21日、テレビ朝日の亀山慶二新社長の定例会見が東京・六本木の同局で行われ、今年3月15日放送の報道番組『スーパーJチャンネル』でやらせがあったことについて謝罪した。

「やらせがあったのは同番組の情報企画『業務用スーパーの意外な利用法』でのこと。店に訪れる個人客の人間模様を描くのが趣旨で、男性1人、女性4人の計5人の客が登場。大量の焼きそばやブロッコリーなどを購入したのだが、5人とも番組の男性ディレクターの知人だった。ディレクターは事前に取材日程を教え、店では初対面を装っていたといいます」(週刊誌記者)

 早河洋会長と当時の角南源五社長が1カ月間、報酬を10%カットする処分となったが、テレビ関係者は「発表は時期早々だった」と言ってこう続ける。

「まだ余罪がある可能性が高いと見られています。テレ朝によれば、10月4日夜に匿名の情報提供があり、7日に検証プロジェクトを立ち上げて事実関係の調査を進めてきたとのこと。しかし、漏れ伝わってきた話では、実は放送直後からすでにやらせを告発するタレコミがあり、関係者はシラを切って隠ぺいしようとしていたというのです。問題のコーナーを担当したディレクターは派遣会社から来たスタッフで、昨年3月から企画を担当し、これまで13本を手掛けていますから、この1件だけと考えるほうが不自然。全てをチェックしないで発表したとすれば、上層部はまた謝罪する羽目になるでしょう」

 バラエティならいざしらず、報道番組でのやらせだった意味は大きい。テレ朝幹部は『報ステは大丈夫なんだろうな』と、看板番組の『報道ステーション』についても神経をとがらせているようだが、果たしてこれで収束するのだろうか。