“ポスト奥崎謙三”を探し続けた原一男監督の24年ぶりのドキュメンタリー『ニッポン国VS泉南石綿村』

 奥崎謙三が主演した『ゆきゆきて、神軍』(87)を観ていない人は、映画の面白さをまだ半分しか知らないと言っても過言ではないだろう。そのくらい『ゆきゆきて、神軍』は爆裂的に面白い映画だった。世間の法に背いても、自分なりの正義を貫こうとする奥崎謙三の強烈すぎるキャラクター、そんな奥崎を煽るように追い掛ける原一男監督のカメラ、そして予期せぬ展開、暴かれる第二次世界大戦時の深い闇……。その後の多くの映像作家たちに多大な影響を与えたドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』だが、この映画が大ヒットしたことで、原監督自身の人生も大きな影響を受けることになる。奥崎謙三より面白い人間はいないかと探し回り、新作が発表できない日々が続いた。『神軍』の後に撮影した『全身小説家』(94)では、被写体となった作家・井上光晴から「私は奥崎謙三じゃない」とダメ出しを喰らっている。そんな原監督が“ポスト神軍”“ポスト奥崎謙三”として撮り上げた24年ぶりの新作ドキュメンタリー映画が『ニッポン国VS泉南石綿村』だ。

 原監督が取材に8年、編集に2年を費やして完成させた『ニッポン国VS泉南石綿村』は上映時間215分という大長編ドキュメンタリー。2006年に始まった「泉南アスベスト国賠訴訟」の行方を追ったもの。石綿=アスベストは耐火性・耐熱性にすぐれていることから、戦時中は軍事目的、戦後は化学工場などの設備に活用されてきた。だが、アスベストは“静かなる時限爆弾”とも呼ばれ、大量に吸い込むと長い潜伏時間を経て、中皮腫や肺ガンなどを発症する。石綿工場が密集していた大阪府泉南地区はアスベストによって健康を害された元労働者とその家族、周辺住民が非常に多い。危険を伴う仕事であるため、離島出身者や在日朝鮮人の労働者が多く従事していたことも特徴だった。アスベストの害悪を知りながら、経済成長を優先して放置してきた国を相手に訴訟を起こした原告団をカメラは追うと共に、彼ら一人ひとりの生活を丹念に掘り下げていく。

 大阪の下町というロケーションもあって、大阪弁で語られる原告団のそれぞれの人生が実に味わい深い。酸素ボンベを傍らに置き、青春時代の思い出、家族と過ごした記憶、やんちゃだった過去が語られていく。一方の裁判は遅々として進まず、その間にも原告団のメンバーは1人、また1人と他界していく。“静かなる時限爆弾”のタイムリミットが次々と迫っていた。不謹慎なのだが、『泉南石綿村』の前半パートにはスラップスティックコメディを観ているかのようなおかしみがある。戦後、そして高度成長期の日本を支えるために懸命に働き、家族を養い、そして遊びもした泉南地区の人々の生活はそれぞれが愛おしいものだった。石綿工場で働くことで彼らは生き、そして死へと追い詰められていった。『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)では描かれなかったリアルな戦後・高度成長期の日本社会の縮図がそこにはある。おもろうて、やがて哀しき世界をカメラは映し出していく。

 休憩をはさんだ後半は、原監督が動く。国側ののらりくらりした対応に対し、呑気に構える人の善い原告団に業を煮やした原監督は映画の中の登場キャラクターの一員と化して、「このままでいいんですか?」と煽り始める。原監督自身は「決して映画を盛り上げるために煽ったわけではありません。泉南地区にずっと通い続けるうちに原告団に対して連帯意識を感じるようになり、自然と口を挟むようになっただけなんです」と語っているが、原監督の向けたカメラに触発されたかのように原告団の1人である柚岡一禎さんは弁護団の指示とは異なる独断行動をとるようになる。裁判の非情さを訴えた建白書を手に、柚岡さんは警備が厳重な総理官邸へと突入する。

 このシーンを観て、『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三と原監督の関係を思い出す人も多いはずだ。カメラがあることを意識して、奥崎はよりエキセントリックに暴走した。撮る側と撮られる側との共犯関係が『神軍』にはあった。だが、今回の『泉南石綿村』はそこから先が違う。奥崎がどこまでも常規を逸した行動をとったのに対し、柚岡さんは国家の冷徹さに怒りを爆発させるも、振り切った狂気には至らない。弁護団に諭され、原告団の仲間のもとへと戻っていく姿をカメラは収めることになる。

 国家と名もなき人々との闘いを描いた『泉南石綿村』だが、メインテーマとは異なる裏テーマがここに浮かびあがる。奥崎謙三がいた昭和という時代はすでに終わり、今はもう平成の世の中だということを今さらながら知らされる。奥崎のような奇人変人は、現代社会には存在できないのだという事実が、スクリーンの向こう側に透けて見えてくるのだ。

 公開を直前に控えた原監督に会う機会があった。ドキュメンタリー監督として、奥崎謙三という存在は最高の被写体であったことを原監督は認め、奥崎からは『ゆきゆきて、神軍』の続編を撮ってほしいと懇願されていたことを話してくれた。

原一男「奥崎さんのような人物は他にはいないか、ずいぶん探しました。一時期は金嬉老はどうだろうと考え、金嬉老のお母さんに会いに行ったりもしました。でも、金嬉老でドキュメンタリー映画を撮ろうという高揚感にまでは至らなかったんです。奥崎さんからは死ぬ間際まで、『神軍』の続きを撮ってほしいと頼まれましたが、僕はそれを断りました。もし、『神軍2』を撮っていたら、奥崎さんは殺人未遂だけでは済まず、さらに2人3人と襲っていたでしょう。ドキュメンタリーは世間の倫理から外れた世界を描くこともありますが、あまりにも外れすぎると観る側が引いてしまい、表現力を失速させてしまう。それで、『神軍2』は断ったんです。奥崎さんは僕への恨みつらみを持ってあの世へ逝きました。奥崎さんのようなキャラクターはもうどこにも存在しない。そのことに気づくのに、ずいぶん時間を要しました。そんなときに出会ったのが、国を相手に訴訟を起こした泉南の人たちだったんです。奥崎さんとは180度違い、節度を守る善良な人たちでした。これまでの方法論を一度棄て、ドキュメンタリーの基本に立ち返ったのが『泉南石綿村』なんです」

 原監督にとって、ドキュメンタリーの基本=取材対象への愛を持って、時間を惜しむことなく関係を築き、向き合っていくこと(by大島渚)だった。原監督は1945年山口県宇部市生まれだ。炭坑&セメント業で栄えた労働者の町で生まれ育った原監督の、石綿工場で長年働いてきた人々へのシンパシーが『泉南石綿村』からは伝わってくる。さらに言えば、終戦の年に生まれた原監督が、戦後の日本史をドキュメンタリーという形で総括しようとしているようにも感じられる。

原一男「僕もそこに含まれるわけですが、庶民という日本の最下層の人たちにとって、戦後の民主主義がどのように結実化、結肉化しているのかに向き合ってみたかったんです。どんな作品に仕上がるのか見当もつかずに撮影を始めたのですが、この作品をこのタイミングで撮れたことは自分にとっても非常によかった。ドキュメンタリー監督としてぐるりと1周して、2周目のスタートをこの作品で切ることができたように思えるんです。さて2周目はどうすると考えているところです」

 最後にもうひとつ。原監督の『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』は原監督にとって父親世代にあたる奥崎謙三、井上光晴を取材対象にしていた。私生児として生まれた原監督は、戦争で出征したまま消息の途絶えた父親の記憶をいっさい持っていない。これまでの原監督のカメラは、父性的な存在を追い求めているような印象を受けたが……。

原一男「確かに僕は父性コンプレックスというものをずっと持っていました。父親の名前も、素性も知らないまま、この年齢になりました。2本だけですが、今村昌平監督の現場に付いたこともあります。父親世代の人を見ると、擦り寄ってしまいたくなる衝動があるんです(笑)。父性的な人に教え導いてほしいという想いがあるんでしょうね。あの奥崎さんに対してさえ、父性的な親近感を瞬間的に感じることがありましたから。この映画を完成させたことで、父性コンプレックスから解き放たれたか? それはどうでしょう。本当に解き放たれたのかどうかは、長い時間を経ないと分からないでしょうね。でも、『泉南石綿村』を撮り終えたことで、新しいスタート地点に立てたという実感はあります。『神軍』が公開されて昭和が終わり、『泉南石綿村』が完成して平成が終わろうとしている。因縁めいたものを感じますね」

 最高の被写体だった奥崎謙三がこの世を去り、父性を感じさせる映画監督も稀になった。時代は変わった。それでも、まだ昭和時代から残された問題は少なくない。原監督が『泉南石綿村』の撮影よりも前から取材を始めていた水俣病問題もそのひとつだ。カメラを手にした原監督の闘いは、これから2周目に突入しようとしている
(文=長野辰次)

『ニッポン国VS泉南石綿村』
監督・撮影/原一男 製作・構成/小林佐智子
編集/秦岳志 整音/小川武 音楽/柳下美恵 制作/島野千尋
製作・配給/疾走プロダクション 3月10日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
(c)疾走プロダクション
http://docudocu.jp/ishiwata

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これは金城哲夫が見た夢の世界の続きなのか? 人口問題を解決する理想郷綺譚『ダウンサイズ』

 円谷プロが製作した往年の人気特撮ドラマ『ウルトラQ』(TBS系)の中でも、強烈に印象に残っているエピソードがある。伝説のシナリオライター・金城哲夫が脚本を書いた第17話「1/8計画」がそれだ。人類の人口があまりにも増え過ぎたため、人間を1/8サイズに縮めようという国家プロジェクトを題材にした内容だった。ナメゴンやケムール人といった怪獣や宇宙人は登場しないが、小さくなった人間の目には通常サイズの人間が巨大モンスターに映るという不気味さがあった。子どもたちに悪夢的恐怖を与えた「1/8計画」だが、マット・デイモン主演映画『ダウンサイズ』では、よりスケールアップした形で、より詳しくミニチュア化された世界が描かれる。果たしてミニチュア化された新世界は、人類にとってユートピアだろうか、それともディストピアなのだろうか。

 マット・デイモンは『プロミスト・ランド』(12)などごく普通の米国市民役がよく似合う俳優だ。ハンサムすぎず、身長も178cmと高過ぎない。『ボーン・アイデンティティー』(02)から始まるアクション映画「ボーン」シリーズは地味で平凡そうな男が、実は凄腕の工作員だったという設定がドラマを盛り上げた。そんなマット・デイモンが『ダウンサイズ』で演じる主人公ポールは、作業療法士という非常に地味な役柄だ。

 ネブラスカ州オハマで暮らすポール(マット・デイモン)は作業療法士として、様々な職場を回っては、体を酷使する労働者にストレッチ方法を教えたり、1日中パソコンを使うデスクワーカーに正しい姿勢をアドバイスしたりしている。若い頃のポールは医者になるつもりで医大に進んだが、母親の介護のため大学中退を余儀なくされた。以来、毎日マジメに働いているが、収入は限られていた。妻オードリー(クリステン・ウィグ)との仲は悪くないものの、狭い実家を出て、広い新居に移り住もうという夫婦の夢は到底叶えられそうにはなかった。

 そんなとき、高校時代の同窓会に夫婦で参加したポールとオードリーは、意外な姿になった旧友と再会する。同窓生のデイヴ(ジェイソン・サダイキス)は奥さんと共に13cmのミニサイズになって現われたのだ。これは人類を縮小化することで、食料問題、資源問題、さらには廃棄物問題を一挙に解決しようという国際的な大プロジェクトだった。志願者は今なら格安料金でダウンサイズ手術を受けることができ、その上わずかな資産で大豪邸が手に入り、税金の支払いも今後は免除されるという。どう転んでもこれから上流階級の仲間入りすることはできない人間たちにとっては魅力的なプランだった。デイヴはダウンサイズ化された世界がいかに素晴しいかを熱心にポールに語った。意を決したポールとオードリーは、夫婦で13cmサイズになる手続きを進める。

 これまでの人生は挫折感でいっぱいだったポールだが、ダウンサイズ化された新世界なら人生をリセットでき、今ある心細い資産を倍増させることができる。一方、ダウンサイズ計画を快く思わない人間もいる。「税金を払わない人間に、選挙権や人権は認められるのか」という中傷がポールの耳にも入ってくる。ダウンサイズ化してしまうと、二度と元のサイズには戻れないことに躊躇する人間も当然いる。誰かにとってのユートピアは、別の誰かにとってのディストピアとなってしまう。ポールのダウンサイズ化手術は無事に済んだ。戸惑いながらも、ポールは新世界に順応していくことになる。

 本作を撮ったのは、米国ネブラスカ州出身のアレクサンダー・ペイン監督。定年退職した仕事人間がそれまで生きてきた人生を見つめ直す『アバウト・シュミット』(02)やインチキめいた懸賞金の知らせに応じる父子のロードムービー『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(13)など、米国中流階級の人々の生活をペーソスたっぷりに描いてきた。今回のようなSF設定はちょっと珍しい。小津安二郎や黒澤明などの日本映画を敬愛するペイン監督が『ウルトラQ』を観たかどうかは明言されてないが、本作の最初のコンセプトを考え出した脚本家ジム・テイラーとその弟でアソシエイト・プロデューサーのダグラス・テイラーあたりが『ウルトラQ』を観ていた可能性はありそうだ。でも『ウルトラQ』が元ネタかどうかということよりも、1960年代に金城哲夫が思い浮かべたユートピア計画が、ペイン監督ら現代のハリウッドのクリエイターたちによって、どれだけリアリティーのある世界として構築されたかということに興味が湧いてしまう。

 一見すると、いいこと尽くめの理想郷のように思えるダウンサイズワールドだが、そこで暮らす人々は必ずしも聖人君子ばかりとは限らない。ポールの隣人となるドゥシャン(クリストフ・ヴァルツ)とその仲間マリス(ウド・ギア)は闇ビジネスで私腹を肥やしている。脚の不自由なアジア人のノク・ラン・トラン(ホン・チャウ)は母国で反政府活動に参加していたため、懲罰として強制的にダウンサイズ化させられていた。理想世界と思えたのは最初だけで、体がダウンサイズしたように、人間が内面に抱える悪意や悲しみもまたダウンサイズ化して新世界には蔓延していた。

 物語の後半、ポールはそれまで暮らしていた米国のダウンサイズ化された街「レジャーランド」を離れ、ドゥシャン、マリス、トランたちと北欧のコロニーへと旅立ち、思いがけない事態に遭遇する。ノルウェーにあるコロニーはダウンサイズ計画が始まって最初に誕生したコミュニティーであり、そこそこ歴史があり、そこで暮らす人々の意識も先進的だった。近い将来、人類が滅亡することを予測し、オリジナルコロニーの人々は「ノアの方舟」計画を準備していた。人間がダウンサイズされたことで、空間や物質のスケールが変わっただけでなく、ダウンサイズ人間は体内時計の進み方も速いらしい。オリジナルコロニーでは、人類はすでに幼年期の終わりを迎えようとしていた。

『ウルトラQ』の「1/8計画」は、ナレーターの石坂浩二が「古い文献によると巨石文化時代の人類は身の丈18mあったが、誰の手によって、どうして小さくなったのかは謎のままである」と最後に告げて幕を閉じる。もしかすると『ダウンサイズ』が描いている世界は、旧人類の物語なのかもしれないし、現人類が滅亡した後の新人類の物語なのかもしれない。ミニチュア化された世界の神話時代、そしてミニ人類の誕生とその終わりを時計を早回ししながら見ているような、奇妙な面白さが本作にはある。
(文=長野辰次)

『ダウンサイズ』
監督/アレクサンダー・ペイン 脚本/アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー 
出演/マット・デイモン、クリステン・ウィグ、クリストフ・ヴァルツ、ホン・チャウ、ウド・ギア、ジェイソン・サダイキス、ニール・パトリック・ハリス、ローラ・ダーン
配給/東和ピクチャーズ PG12 3月2日(金)より全国ロードショー
C)2018 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
http://downsize.jp

 

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選挙での獲得票数と信仰心のあつさは比例する!? 公明党と創価学会の内情を描く問題作『息衝く』

 東京の西郊外にぽつんと建つ田無タワーは、明日の天気を予報することで知られている。日没後にライトアップされたタワーが青色だと雨、黄緑だと曇り、紫色だと晴れになる。木村文洋監督の映画『息衝く(いきづく)』には、田無タワーが度々映し出される。タワーを見上げれば、少なくとも明日の空模様だけは知ることができる。寄る辺なき者たちの不安げな心情が、そこには感じられる。いつまでも続く経済不況に加え、震災や原発事故、そして右傾化する社会……。『息衝く』は明るい未来を予測することができずにいる今の社会状況を、政治、宗教、家族など様々な視点から見つめたドラマとなっている。

 今の日本の政治を、多くの人はおかしなものだと感じている。震災後、自滅していった民主党政権に代わって、再び自民党が与党となり、安倍内閣による長期政権が続いている。だが、その政権を支えているのは選挙で安定した強さを発揮する公明党であり、その公明党は巨大な宗教組織「創価学会」によって支えられている。かつて野党時代の公明党は福祉政策や世界平和を訴えていたが、与党となったことで立場が大きく変わってしまった。自民党も公明党も学会員も含め、みんな違和感を感じながらも、走り出した列車を誰も止めることができずにいる。今さら口を出すことも憚れる、裸の王さま状態の政権に将来を委ねなくてはならない日本社会の不透明さ、変えようのない現実に対するジレンマが、『息衝く』のモチーフとなっている。

 物語は1989年から始まる。核燃料再処理工場の誘致が決まった青森県六ヶ所村から母親に連れられて上京してきた少年・則夫は、最初に声を掛けてきた2歳年上の大和、大和と幼なじみの慈と仲良くなり、完成したばかりの田無タワーを眺めていた。3人の子どもたちのことを、父親代わりの森山(寺十吾)がいつも見守ってくれていた。大和は「よだかの星は、ここから見えますか?」と森山に尋ねる。童話『よだかの星』を書いた宮沢賢治が熱心な法華経の信者だったように、森山や3人の子どもたちも法華経の信者だった。彼らは宗教団体「種子の会」に所属していた。「よだかの星を一緒に探そうか」という森山の返事に、子どもたちは嬉しそうにうなずいた。

 それから25年の歳月が流れた。則夫(柳沢茂樹)と大和(古屋隆太)は「種子の会」の信者として過ごしていたが、世の中はずいぶんと変わった。「種子の会」を母体にした政治団体「種子党」は与党政権に付いていたが、すでに独自色は失われ、政権にしがみつく存在となっていた。信者たちの間でカリスマ的な人気を誇った森山は国会議員として活躍したものの、10年前の自衛隊派遣問題をきっかけに政界を辞め、則夫たちの前からも姿を消していた。大和も則夫も父親のように慕っていた森山が失踪したことにショックを受けたが、「種子党」幹事長の金田(川瀬陽太)は次の選挙に協力するよう大和、則夫に要求する。家族や職場のことで悩みを抱える大和と則夫は、自分たちの手で社会を変えようと選挙運動に尽力するが、選挙終了後、彼らはさらに厳しい現実を直視するはめに陥る──。

 青森県出身の木村文洋監督は、六ヶ所村の核燃料再処理工場で働く青年とその婚約者を主人公にした社会派ドラマ『へばの』(08)で長編監督デビューを飾った。その後、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の幹部・平田と女性信者との逃亡生活にインスパイアされた『愛のゆくえ(仮)』(12)も撮っている。今回の『息衝く』は、青森ロケを敢行した『へばの』を公開した直後に「原発関連の施設のある地元だけの問題で終わらせずに、加害者であり、また被害者でもある日本人全体の立場から作品を撮らなくては」と思い立った企画だ。途中、東日本大震災が起こり、完成するまで10年近い歳月を要した。木村監督も含めて5人の脚本家たちによる共同作業を経て、様々な視点を盛り込んだ群像劇となっている。「種子の会」の強い繋がりや、選挙の投票日に会員たちがみんなで懸命に祈祷する様子などは、木村監督自身が大学時代に「創価学会」に入っていたときの体験をもとにしたものだ。

木村監督「もともと宗教に関心があり、青森から京都大学に進学した際に知人に勧められて創価学会に入会したんです。投票日にみんなで祈祷しているシーンは、僕が学生時代に見た光景です。選挙での獲得票数が信仰心のあつさと比例するという考え方は多分、今も続いているはずです。僕は映画サークルの活動が次第に忙しくなったこともあって、1年で集まりには参加しないようになりましたが、孤独な人間にとって居場所が用意されていることはすごく心地のよいこと。僕が入信した1990年代はもうそれほどではなかったと思いますが、創価学会が信者数を大きく増やした60年代や70年代は、地方から都会に上京してきた次男や三男、頼る相手のいない出稼ぎ労働者たちにとっては大切なコミュニティとして機能していたはずです。学会員の知人との交流は今も続いていますし、マジメに宗教活動している学会員も少なくないと思います。でも、マジメに活動している人ほど、今の政治状況には悩んでいるように感じるんです」

 劇中で描かれている「種子の会」「種子党」は、創価学会と公明党をモデルにしたものだが、本作は宗教&政治タブーを扱うことで安直に話題づくりを狙ったものにはなっていない。大きな矛盾を抱え、葛藤しながらも、前へ進まざるをえない今の日本の社会状況を象徴する存在として描かれている。

木村監督「原発が経済的にも非合理なものであることはすでにみんな気づいているのに、日本では地方の独占企業である電力会社の力が強く、また中央の人間も原発を止めたがらない。こういった状況を変えるには、従来とは異なる価値観を持った人たちが増え、声を上げていくことが重要だと思うんです。異なる価値観をつくるために、宗教関係者にも、脱会者にも、何より自分の帰属体が分からない人にこそ、そこを考えてほしいんです。この映画が公開されることで、政治や宗教についてもっと普通に話し合えるような空気になればいいなと思うんです」

 物語のなかば、則夫と大和はシングルマザーとなっていた慈(長尾奈奈)と再会する。やがて3人は、子どもの頃のように「よだかの星」を探す旅に向かう。そして、3人は変わり果てた「よだか」と遭遇することになる。カリスマ的指導者に依存することなく、どうすれば明日を信じることができるのか。田無タワーが告げる天気予報と違い、この映画が投げ掛ける問いの答えは容易には見つからない。
(文=長野辰次)

『息衝く』
監督/木村文洋 脚本/木村文洋、桑原広考、中植きさら、杉田俊介、兼沢晋 音楽/北村早樹子
出演/柳沢茂樹、長尾奈奈、古屋隆太、木村知貴、齋藤徳一、GON、小山雄貴、片方一予、中村卓也、岡村まきすけ、遠藤隼斗、野口雄介、申瑞季、首くくり拷象、小宮孝泰、西山真来、坂本容志枝、川瀬陽太、寺十吾
配給/team JUDAS 2017 2月24日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
c) team JUDAS 2017
http://www.ikiduku.com/

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美少女人魚たちのストリップショーに目が釘付け!! 背徳感溢れる官能系ミュージカル『ゆれる人魚』

 未知なる性感帯を探り当てられたような、自分では気づいていなかった性癖を暴かれたような、そんなエロティックな喜びがある。ポーランド映画『ゆれる人魚』は、これまでちょっと観たことのないタイプの官能系ホラーミュージカルだ。美しい裸体をくねらせる人魚姉妹のストリップ&歌唱シーンに、思わず骨盤の奥のあたりが疼き始めてしまう。背徳感溢れる92分間の映像世界に、すっかり身も心も虜になってしまう。

 本作の主人公となるのは、セイレーン伝説で知られる2人の人魚たちだ。かつて人魚は、美しい歌声で船乗りたちを惑わし、次々と船を沈めては船乗りたちの肉をむさぼり喰ったと欧州では言い伝えられてきた。そんな恐ろしい伝説を持つ人魚姉妹が近現代のポーランドに現われ、都会のナイトクラブでステージデビューを果たすことになる。シルバーとゴールデンという名の美しい人魚姉妹は、自慢の歌声でたちまちナイトクラブの人気者となっていく。人魚姉妹は歌い、踊る。男たちを喰い殺したいという願望を優しい笑顔で隠しながら。

 人魚姉妹のシルバー(マルタ・マズレク)とゴールデン(ミハリーナ・オルシャンスカ)が、とても魅力的だ。名前はシルバーだが金髪の姉はイノセントタイプ、妹のゴールデンはブルネットヘアにクールなルックスで、それぞれ男心を掻き立てる。海から陸に上がった人魚姉妹は人間の姿に変身しているが、ナイトクラブの支配人(ジグムント・マラノヴィッチ)が2人を丸裸にしてボディチェックをすると、シルバー&ゴールデンの下半身には女性器もヘアもアヌスも存在しないことが分かる。2人の下半身は人間に変身したときだけの仮の姿だからだ。ところが、この美少女たちに少量の水を垂らすと、2人は我慢できずにヌメヌメとした元の人魚の姿に戻ってしまう。人間ならざるものたちの妖しい姿に、ますます惹き付けられてしまう。

 夜も更け、いよいよナイトクラブでのステージが幕を開ける。2人の美少女シルバー&ゴールデンのデビューライブに、ウォッカを片手にした客たちは大喜びだ。ちなみにこの映画の時代&舞台設定は1980年代のポーランドの首都ワルシャワ。当時のポーランドは共産政権時代末期にあたり、普段は質素な生活を強いられていた市民たちは週末のナイトクラブでのみ自由を謳歌した。

 70~80年代のノリのいい欧米のディスコサウンドが生演奏される中、シルバー&ゴールデンは楽しげに歌い踊る。そしてすっぽんぽんとなり、ステージ中央に置かれた巨大水槽へ飛び込み、人魚姿を披露する。美少女たちのこの大イリュージョンを、観客たちは大歓声で讃えまくった。共産時代のアンダーグランドカルチャーが、当時のポーランドを知らない人間にはとても新鮮なものに映る。ロシアやドイツなど強国の支配に抑圧され続けたポーランド市民の歪んだ欲望と人魚姉妹の妖しさとがスパークしたライブステージに、観る者は禁断の喜びを覚えずにはられない。

 こんな妖艶な人魚姉妹を、男たちが放っておくはずがない。姉シルバーはバックバンドの若いベーシスト(ヤーコブ・ジェルシャル)とたちまち恋に堕ちていく。アンデルセンの童話『人魚姫』のような、甘いラブロマンスが奏でられることに。一方のゴールデンは人間の男を毛嫌いしており、自分に近づく男たちを誰もいない場所に呼び出しては、エロい妄想で頭がいっぱいな男の首筋に鋭い牙で噛み付く。返り血を浴びたゴールデンは元の人魚の姿に戻り、本能の赴くまま毒ウツボのような長い下半身を気持ちよさげにくねらせる。ステージではぴったり息の合ったデュエットを披露するシルバー&ゴールデンだが、2人の性格はまるで正反対だった。

 本作で長編デビューを飾ったアグニェシュカ・スモチンスカ監督は、1978年のポーランド生まれの女性監督。母親が経営するナイトクラブのバックステージで少女期を過ごし、そんな彼女自身の大人の世界を垣間みた鮮烈な記憶をベースにした幻想譚となっている。主人公のシルバー&ゴールデンはセイレーン伝説やアンデルセン童話などの旧来の人魚イメージをまとっているが、異なる性格の人魚姉妹はその皮を一枚剥ぐと、中からは大人の女になる直前の“少女”という名のリアルモンスターが現われる。少女はその清純な魅力で男たちを虜にしてしまうが、同時に男たちを憎み、殺意すら抱いている。その相反する少女の二面性こそがシルバー&ゴールデンという人魚姉妹に姿を変え、ステージで歌い、そして踊っているのだ。少女の寿命はとても短い。そのことを知っている彼女たちは、男の新鮮な肉を喰らうことで妖しい魅力を保ち続けている。

 ストーリーとは直接関係はないが、バックバンドのバンマス格にあたるドラマー(アンジェイ・コノプカ)と歌手のクリシア(キンガ・プレイス)が、初ステージを控えたシルバーとゴールデンにアドバイスするひと言が印象的だ。

「ライブで100%の力を発揮することは大事。でも、200%の力は発揮するな」

 多くの新人たちが一瞬の閃光を放ち、そして消えていったステージを見届けてきたベテランの2人らしい、味のある言葉ではないか。この映画を観た者は多分、シルバーかゴールデンのどちらかに100%惚れてしまうだろう。だが、200%の力で恋をするのはやめたほうがいい。200%の力で恋をすると、もう二度と後戻りできないようになってしまうから。
(文=長野辰次)

『ゆれる人魚』
監督/アグニェシュカ・スモチンスカ
出演/キンガ・プレイス、ミハリーナ・オルシャンスカ、マルタ・マズレク、ヤーコブ・ジェルシャル、アンジェイ・コノプカ 
配給/コピアポア・フィルム R15+ 2月10日より新宿シネマカリテほか全国ロードショー中
C)2015WFDIF, TELEWIZJA POLSKA S.A, PLATIGE IMAGE
http://www.yureru-ningyo.jp

 

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“ニッチェ”江上と“美巨乳”筧美和子が女優覚醒!? 吉田恵輔監督の毒演出が冴える近親憎悪劇『犬猿』

 吉田恵輔監督のオリジナル脚本による新作『犬猿』が面白い。『純喫茶磯辺』(08)では新人時代の仲里依紗、『さんかく』(10)では“えれぴょん”こと元AKB48の小野恵令奈の小悪魔的な魅力を存分に引き出してみせるなど、演技キャリアのない若手女優の転がし方が抜群にうまい監督なのだ。今回の『犬猿』ではお笑いコンビ「ニッチェ」の江上敬子、リアリティー番組『テラスハウス』(フジテレビ系)で人気者になった筧美和子をメインキャストに抜擢。まるで似てない姉妹役を演じるこの2人に、実力派俳優の窪田正孝と新井浩文が兄弟役で絡み、痛くておかしなアンサンブルが繰り広げられていく。

 舞台となるのは小さな印刷工場。出版不況にデジタル化が進み、印刷工場の経営はかなり厳しい。そんな中、病気で倒れた父親から受け継いだ工場を、長女の由利亜(江上敬子)は何とか切り盛りしていた。ガムシャラに働く姉・由利亜とは対照的に、妹の真子(筧美和子)はのほほんとした性格で、ルックスの良さと巨乳を売りにして、芸能活動に励んでいる。とはいえ、たまにあるグラビア撮影だけでは食べていけず、普段は姉が経営する工場に勤めている。職場で愛想を振りまくだけの真子のことをお得意さんはちやほやするため、由利亜は面白くない。当然ながら、姉妹仲はあまりよろしくない。

 堅物の由利亜だが、取引先である印刷会社の営業マン・和成(窪田正孝)にだけはとことん甘い。和成に気に入られようと、和成が持ってくる無茶な予算やハードな納期も、由利亜は笑顔でずっと請け負ってきた。和成を食事に誘いたい由利亜だが、奥手な性格なため、なかなか言い出せずにいる。見かねた真子が「食事に行きましょうよ」と姉に代わって切り出すが、自分もちゃっかり同席し、食事の席で一方的に盛り上がってしまう。マジメな姉は妹の要領のよさを、妹は姉のプライドの高さをお互いにうとましく感じている。

 一方の和成も家族のことで頭を悩ませていた。刑務所に入っていた兄・卓司(新井浩文)が出所し、和成のアパートで居候を始めたからだ。卓司はすぐに暴力を振るい、金銭感覚にも乏しく、定職に就くことができずにいる。和成の部屋にデリヘル嬢を呼ぶなど、やりたい放題だった。鼻つまみ者の卓司だったが、意外なことに輸入したダイエット食品が大当たり。高級車を乗り回し、親の借金を代わりに返済するなど、急に羽振りがよくなる。兄のようなヤクザ者にはなりたくない一心で、地道にサラリーマン生活を送ってきた和成にとって、兄の成功は面白くない。普段は温厚な性格の和成だが、同僚から「大丈夫? 人を殺しそうな顔をしているよ」と冗談まじりで声を掛けられ、ハッとしてしまう。ここらへんの繊細な芝居が、『僕たちがやりました』(フジテレビ系)の窪田正孝はとてもうまい。

 身近すぎる存在だから、余計に目障りに感じてしまう兄弟・姉妹間のナイーブな関係を、吉田監督は実にシビアかつコミカルに描いていく。小太り体型の姉・由利亜と違ってナイスバディな妹・真子だが、お勉強方面はさっぱり苦手。海外の映画に出演するチャンスが回ってくるが、英語が話せないためにほぞを噛むはめになる。職場や家族の中で常に必要とされている姉のことを妬ましく感じてしまう。姉がぞっこんなことを知りつつ、和成とホテルに行く関係となる。姉が欲しがっているものは、ついつい自分も欲しくなってしまうのだ。適度な距離感のある姉&弟、兄&妹と違って、同性同士の兄弟・姉妹はどうしても競争相手という意識が働いてしまう。大人になっても、その関係は続くことになる。ちなみに吉田監督はお姉さんがいるが、男兄弟は不在。兄のいる佐藤現プロデューサーの体験談や、なかにし礼の自伝的小説『兄弟』などを参考にしているそうだ。

 デビュー当初から、オリジナル脚本による『純喫茶磯辺』『さんかく』といった傑作コメディを放ってきた吉田監督。その後は東映で『ばしゃ馬さんとビッグマウス』(13)、東宝で『銀の匙 Silver Spoon』(14)とメジャー系での仕事が続いたが、森田剛が連続殺人&強姦魔を大熱演した前作『ヒメアノ~ル』(16)で本来の毒気を取り戻し、監督としてステージをひとつ上げた感がある。『さんかく』でも、ひとりの男(高岡蒼佑)をめぐる姉妹(田畑智子、小野恵令奈)の諍いが描かれたが、今回の『犬猿』は姉妹のみならず、兄弟間の生死に関わる葛藤も関わり、よりバージョンアップした人間模様が描かれている。

 吉田恵輔作品は、若い女の子に対するフェティシュな目線も面白さのひとつ。『さんかく』では焼肉を食べた後の小野恵令奈の髪の匂いを高岡蒼佑がうれしそうに嗅ぐという変態チックなシーンが笑いを呼んだ。今回、吉田監督のターゲットとなったのは筧美和子だ。ずっと想いを寄せていた和成を妹の真子にかっさらわれ、由利亜は親戚が集まった新年の食事会の場で怒りを静かに爆発させる。家族や親族がまったりと過ごしているお茶の間で、由利亜はみんなの人気者・真子が出演している最新のDVDを流す。海外で撮影してきたこのDVD、いわゆる「着エロ」と呼ばれるもの。真子のマシュマロのようなボディが、男の手でマッサージされ、揉みしだかれる様子がテレビに映し出される。家族や親戚には内緒でこっそり出演した際どい「着エロ」DVDを見られ、真子は恥ずかしくてたまらない。筧美和子のリアクションは自然だし、悪意をむきだしにする江上敬子の表情もいい。吉田作品のコメディシーンには、近親者ゆえの妬み、嫉み、憎悪、コンプレックスといった本音が見え隠れし、非常に味わい深い。

 一緒にいると必ずケンカになってしまう兄弟・姉妹だが、身内以外の人間から兄や姉のことを悪く言われると、ついムキになって反論してしまう。同じ親から生まれ、同じ物を食べ、同じ環境で育ったため、どんなに似てない兄弟や姉妹でも、根っこの部分ではどうしようもなく通じるものを持っている。その根っこの部分こそが、憎たらしくて愛おしい。自分にとって最大の理解者でありながら、ちょっと油断すると足を引っ張りかねない天敵でもある。兄弟、姉妹ほど面倒くさい存在はいない。
(文=長野辰次)

『犬猿』
監督・脚本/吉田恵輔
出演/窪田正孝、新井浩文、江上敬子、筧美和子、阿部亮平、木村和貴、後藤剛範、土屋美穂子、健太郎、竹内愛紗、小林勝也、角替和枝
配給/東京テアトル 2月10日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー
(c)2018「犬猿」製作委員会
http://kenen-movie.jp

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これは映画館で体感する超リアルな降霊実験だ!! 現世と異界とを結ぶ試み『霊的ボリシェヴィキ』

 現代科学ではまだ証明されていないオカルトパワーによって社会革命を遂行し、新しい世界を創ろう。“霊的ボリシェヴィキ”という耳慣れない言葉を分かりやすく翻訳すれば、こんな感じだろうか。霊的ボリシェヴィキとは、人気オカルト雑誌「ムー」(学研プラス)に多大な影響を与えた神道霊学研究家・武田崇元が提唱した言葉であり、オウム真理教の麻原彰晃も感化されたのではないかと噂されている。古来より日本では言葉には霊力が宿るとされてきたが、そんな言霊感たっぷりな霊的ボリシェヴィキという言葉に魅了された映画人が、『女優霊』(95)や『リング』(98)の脚本家として著名な高橋洋だった。彼がメガホンをとった映画『霊的ボリシェヴィキ』は、ホラー映画界に革命をもたらしかねないほどの恐ろしさに満ちあふれている。

 推理小説『シャーロック・ホームズ』シリーズやSF小説『失われた世界』で知られる作家アーサー・コナン・ドイルだが、晩年はオカルト研究に没頭した。発明王トーマス・エジソンは、霊界との通信機を開発することに熱中している。ナチスドイツを率いたアドルフ・ヒトラーも、オカルト研究に並々ならぬ興味を示した。知識人ほどオカルトにハマりやすく、人間の死後の世界、異界について調べたくなってしまう。高橋洋監督による『霊的ボリシェヴィキ』もまた、映画製作という手法を使って、あの世の存在について探ろうとする。劇場の照明が消え、暗闇が客席を覆い、やがてリアルな恐怖が我々の足元に向かってひたひたと迫り寄ってくる。

 町はずれの廃工場らしい奇妙な施設に、7人の男女が集まってきた。この集まりを主宰した霊能者・宮路(長宗我部陽子)によって、招かれた“ゲスト”たちが身に付けていたお守りなどの宗教アイテムは回収される。会場にはICレコーダーではなく、アナログのカセットレコーダーが用意されていた。霊障があると、デジタル機器はすぐに使えなくなってしまうためだ。おごそかな空気の中、ひとりひとりがかつて遭遇した自身のオカルト体験を語り始める。ここに集まった男女は、みんな何らかの形で“あの世”に触れた過去があった。選ばれし者たちによって、濃度の高い「百物語」、こっくりさんを思わせる降霊実験が行なわれようとしていた。

 最初の語り部となったのは、屈強そうな体格の男性・三田(伊藤洋三郎)。彼は元刑務官であり、何人もの死刑囚が死刑執行される様子を見送ってきた。その中でも忘れられない死刑囚がいるという。その死刑囚は自分の処刑日が来たことを察知するや、独房の中で頑なに抵抗を続けた。あまりにも暴れ回るので、催涙弾を独房の中に撃ち込み、警棒で殴りつけ、ようやく死刑台へと連れ出すことができたが、どうしてあの死刑囚はあそこまで死を恐れたのか分からないと三田はいう。三田がそう話し終わった瞬間、どこからか怪しい男の笑い声が廃工場内に響き渡る。ゲストが恐ろしい話をする度に、廃工場内の霊気が高まり、確実にあの世がこちらへと近づいていた。薄暗い劇場で観ている我々の足元、いや首筋にまで黒い影が忍び寄っているのではないか。そんな恐怖に駆られ、思わずぞっとしてしまう。

 この集いの目的をよく知らずに由紀子(韓英恵)は恋人の安藤(巴山祐樹)に連れられて参加していたが、彼女は幼い頃に“神隠し”に遭ったという特殊な体験をしていた。無事に発見された由紀子だが、神隠し中のことはまるで覚えておらず、それ以来ずっと奇妙な違和感を感じながら生きてきた。鏡を覗くと、何か不思議なものが映っているような気がしてならないのだ。やがて由紀子が自分の体験を話す順番が訪れるが、それまで明るかった窓の外が急に暗くなってしまう。高まった霊気によって、廃工場内の時間の流れまで狂ったらしく、あっという間に日が沈んでしまった。由紀子たちは廃工場に隣接する宿泊所に泊まり、不気味な夜が過ぎていく。翌日、由紀子はいよいよこの集いの本当の目的、霊的ボリシェヴィキを体験することになる。

 Jホラーブームを巻き起こした『女優霊』や『リング』シリーズの脚本を手掛けた後、高橋洋は自身で監督も務め、より先鋭化されたホラー映画を撮るようになった。藤井美咲、中村ゆりが出演した『恐怖』(09)では、人間の脳の側頭葉にあるシルビウス裂に刺激を与えることで人為的に遊体離脱を起こすという実験に取り憑かれた脳科学者(片平なぎさ)の狂気が描かれた。本作もまた、常規を逸した心霊実験をシミュレーションしたものとなっている。刑務官だった三田や神隠しに遭った由紀子たちがそれぞれ語るエピソードは、実際にあった出来事や高橋監督自身の記憶をベースにしたものばかりだ。キャストが集まっての初めてのホン読み(脚本の読み合わせ)は、「まるでそれ自体が降霊実験のようだった」とスタッフが語るほどの緊張感に満ちていたという。

 本作は映画ではない。あの世とは何か、生きた人間が異界を知覚することができるものなのかを証明しようとする、観客参加型の心霊実験となっている。上映時間は72分と短いが、身の毛のよだつ一夜を過ごしたかのような濃厚な恐怖体験を味わうことになる。人間が感じる恐怖とはどこから生まれてくるものなのか? その恐怖の源泉を、高橋監督は映画を通して探ろうとする。本作が製作された2017年は、奇しくもロシア革命から100年というメモリアルイヤーだった。多大な血が流れた社会革命から101年、高橋監督は映画館の暗闇の中で、新しい革命を試みている。
(文=長野辰次)

『霊的ボリシェヴィキ』
監督・脚本/高橋洋
出演/韓英恵、巴山祐樹、長宗我部陽子、高木公佑、近藤笑菜、河野知美、本間菜穂、南谷朝子、伊藤洋三郎
配給/『霊的ボリシェヴィキ』宣伝部 2月10日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
C)2017 The Film School of Tokyo
https://spiritualbolshevik.wixsite.com/bolsheviki

 

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野生動物を狩る“トロフィーハンティング”の実態! キリンが解体される現代のモンド映画『サファリ』

 これは現代の首狩り族の物語だ。現代の首狩り族は肌がとても白く、高性能ライフルを持ち歩き、シマウマやヌーといった野生動物を見つけては安全な距離から仕留めてみせる。野生動物の死体を前にした記念写真を誇らしげに撮った後は、束の間の休暇を終えて遠い母国へと帰っていく。戦利品となる野生動物の首や剥ぎ取られた毛皮は、現地人によってきれいに加工され、後ほど輸送されるか、現地にて保管されることになる。ハンティングを主宰する白人オーナー宅は、野生動物たちの剥製ですでにいっぱいだ。ドキュメンタリー映画『サファリ』は、裕福な欧米人たちの高貴な趣味である“トロフィーハンティング”の実態を明らかにしていく。

 アフリカの草原に棲息するライオンやキリンなどの野生動物は狩猟が禁じられていると思いきや、それはかつて狩りを行なうことで生活の糧としていた地元住民に対してのみ。バカンスに来た欧米人たちが数百万円もの料金(動物の希少度によって料金は変動)を支払えば、狩猟は合法的に許可される。狩猟地帯では白人ガイドが付きっきりで獲物となる野生動物を探し、撃つ場所や引き金を引くタイミングまで教えてくれる。しかも、客が仕留めた瞬間、「やった! 大物だ! あんたは誇りだ!」とヨイショまでしてくれる。生きた標的を倒した客は恍惚感に酔いしれ、その間にも白人ガイドの助手をしている地元スタッフが雑草を刈り、死体を動かし、記念写真が撮りやすいように整える。ヌー、ウォーターバック、シマウマたちが次々とトロフィーハンティングの餌食となる。カメラはその様子を淡々と映し出していく。

 本作を撮ったのは、ケニアを舞台にした『パラダイス:愛』(12)などで知られるオーストリア在住の国際派監督ウルリヒ・ザイドル。野生動物たちが狩られるトロフィーハンティングに対し、ザイドル監督が否定的なことはスクリーン越しに伝わってくる。でもなぜ、欧米人は中世の貴族的な狩猟行為を好むのか。その謎を、ザイドル監督のカメラはあぶり出そうとする。白人ハンターは主張する。「我々がお金を払うことで、発展途上国の人々は経済的に潤うことになる。両者にとって有益ではないか」と。まだ幼い面影を残す若いハンターは言う。「年老いた動物や病気の動物がいなくなることで、彼らの繁殖の役にも立っているんだ。ハンティングは動物たちにとっての救済みたいなものだよ」。

 アフリカ諸国へトロフィーハンティングを目的に訪ねるハンターたちの数は年間1万8,500人。アフリカ諸国の収益は年間217億円にもなる。そのため、どの国も積極的にハンティングの許可を出している。収益金は野生動物の保護費に回すというのが建前だが、実際は関係者たちが私服を肥やしているというのが実情らしい。

 アフリカを舞台にした本作を観て思い出すのは、クリント・イーストウッド監督&主演作『ホワイトハンター ブラックハート』(90)だ。『ホワイトハンター』でのイーストウッドは、ハリウッド黄金期の大監督ジョン・ヒューストンに扮している。ヒューストンは冒険活劇『アフリカの女王』(51)の撮影のためにアフリカ南部を訪れるが、巨大なアフリカゾウを狩ることに夢中になっていく。黒人差別やユダヤ人叩きをとことん嫌うリベラリストのヒューストンながら、地上でもっとも高貴な生き物であるゾウを自分の手で仕留めたいという願望から逃れられなくなってしまう。野生動物を狩ることはこの世の罪であることを認めながら、「許可書さえ買えば、誰でも犯せる罪だ。だからこそ、その罪を犯してみたくなる」と心の中に渦巻くドス黒い衝動を抑えることができない。

 ジョン・ヒューストン、そしてクリント・イーストウッドの心の中でとぐろを巻く黒い欲望の正体に、本作のカメラは迫っていく。アフリカゾウは姿を見せないものの、大草原きっての優雅さを誇る大きなキリンが倒されるシーンが後半には待っている。かつては神獣扱いされていたキリンが絶命する瞬間、スクリーンの中の空気は巨大な神木が切り倒れたかのように、おごそかなものになる。だが、空気が凝縮したのは一瞬であり、仕留めた白人ハンターと彼が同伴した美しい妻が満足げな表情で記念撮影を始め、空気はどんよりと弛緩していく。彼ら白人ハンターの普段の職業は本作では明かされないが、トロフィーハンティングに関する資料を読むと、裕福な欧米人、特に医者が多いとある。医者たちは多くの人々の命を救った手で、ライフルを握り、大草原で生きる高貴な野生動物たちを狩っているわけだ。

 カメラはさらにトロフィーハンティングの暗部へと進んでいく。すでに冷たくなった野生動物はトラックに乗せられ、プレハブ風の小屋へと運び込まれる。解体作業に従事するのは地元の人々だ。シマウマの縞模様の毛皮は剥ぎ取られ、大地を駆った頑強な脚は斬り落とされる。そしてキリンはお腹を割かれ、大きな大きな内臓が取り出される。狩りを終えた白人ハンターたちが必要なのは勝利者トロフィーとしての猛獣たちの首、角、毛皮だけであり、残された肉塊は解体作業で汗を流した地元スタッフへの報酬として与えられる。余計なナレーションによる解説はなく、黒い肌をした地元民が黙々と肉をほおばる姿が流れるのみである。白人ハンターたちが雄弁なのに対し、彼らは冷たい視線でカメラをただじっと見つめ返す。

 これは現代の首狩り族の物語だ。多くの欧米人は、心の中に首狩り族を飼っている。そして年に一度か二度のバケーションの際に、心の中の首狩り族を異境の大草原で解き放ってみせる。文明社会から解放された喜びに溢れ、首狩り族は実弾を込めた祝砲を次々と撃ち続ける。心の中に首狩り族を飼っているのは、欧米人だけではない。きっと日本人の心の中にも、黒い衝動は隠されているはずだ。
(文=長野辰次)

『サファリ』
監督/ウルリヒ・ザイドル 脚本/ウルリヒ・ザイドル、ヴェロニカ・フランツ
配給/サニーフィルム 1月27日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラム、2月3日(土)よりシネ・リーブル梅田ほか全国ロードショー
WDR Copyrights(c)Vinenna2016
https://www.movie-safari.com

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野生動物を狩る“トロフィーハンティング”の実態! キリンが解体される現代のモンド映画『サファリ』

 これは現代の首狩り族の物語だ。現代の首狩り族は肌がとても白く、高性能ライフルを持ち歩き、シマウマやヌーといった野生動物を見つけては安全な距離から仕留めてみせる。野生動物の死体を前にした記念写真を誇らしげに撮った後は、束の間の休暇を終えて遠い母国へと帰っていく。戦利品となる野生動物の首や剥ぎ取られた毛皮は、現地人によってきれいに加工され、後ほど輸送されるか、現地にて保管されることになる。ハンティングを主宰する白人オーナー宅は、野生動物たちの剥製ですでにいっぱいだ。ドキュメンタリー映画『サファリ』は、裕福な欧米人たちの高貴な趣味である“トロフィーハンティング”の実態を明らかにしていく。

 アフリカの草原に棲息するライオンやキリンなどの野生動物は狩猟が禁じられていると思いきや、それはかつて狩りを行なうことで生活の糧としていた地元住民に対してのみ。バカンスに来た欧米人たちが数百万円もの料金(動物の希少度によって料金は変動)を支払えば、狩猟は合法的に許可される。狩猟地帯では白人ガイドが付きっきりで獲物となる野生動物を探し、撃つ場所や引き金を引くタイミングまで教えてくれる。しかも、客が仕留めた瞬間、「やった! 大物だ! あんたは誇りだ!」とヨイショまでしてくれる。生きた標的を倒した客は恍惚感に酔いしれ、その間にも白人ガイドの助手をしている地元スタッフが雑草を刈り、死体を動かし、記念写真が撮りやすいように整える。ヌー、ウォーターバック、シマウマたちが次々とトロフィーハンティングの餌食となる。カメラはその様子を淡々と映し出していく。

 本作を撮ったのは、ケニアを舞台にした『パラダイス:愛』(12)などで知られるオーストリア在住の国際派監督ウルリヒ・ザイドル。野生動物たちが狩られるトロフィーハンティングに対し、ザイドル監督が否定的なことはスクリーン越しに伝わってくる。でもなぜ、欧米人は中世の貴族的な狩猟行為を好むのか。その謎を、ザイドル監督のカメラはあぶり出そうとする。白人ハンターは主張する。「我々がお金を払うことで、発展途上国の人々は経済的に潤うことになる。両者にとって有益ではないか」と。まだ幼い面影を残す若いハンターは言う。「年老いた動物や病気の動物がいなくなることで、彼らの繁殖の役にも立っているんだ。ハンティングは動物たちにとっての救済みたいなものだよ」。

 アフリカ諸国へトロフィーハンティングを目的に訪ねるハンターたちの数は年間1万8,500人。アフリカ諸国の収益は年間217億円にもなる。そのため、どの国も積極的にハンティングの許可を出している。収益金は野生動物の保護費に回すというのが建前だが、実際は関係者たちが私服を肥やしているというのが実情らしい。

 アフリカを舞台にした本作を観て思い出すのは、クリント・イーストウッド監督&主演作『ホワイトハンター ブラックハート』(90)だ。『ホワイトハンター』でのイーストウッドは、ハリウッド黄金期の大監督ジョン・ヒューストンに扮している。ヒューストンは冒険活劇『アフリカの女王』(51)の撮影のためにアフリカ南部を訪れるが、巨大なアフリカゾウを狩ることに夢中になっていく。黒人差別やユダヤ人叩きをとことん嫌うリベラリストのヒューストンながら、地上でもっとも高貴な生き物であるゾウを自分の手で仕留めたいという願望から逃れられなくなってしまう。野生動物を狩ることはこの世の罪であることを認めながら、「許可書さえ買えば、誰でも犯せる罪だ。だからこそ、その罪を犯してみたくなる」と心の中に渦巻くドス黒い衝動を抑えることができない。

 ジョン・ヒューストン、そしてクリント・イーストウッドの心の中でとぐろを巻く黒い欲望の正体に、本作のカメラは迫っていく。アフリカゾウは姿を見せないものの、大草原きっての優雅さを誇る大きなキリンが倒されるシーンが後半には待っている。かつては神獣扱いされていたキリンが絶命する瞬間、スクリーンの中の空気は巨大な神木が切り倒れたかのように、おごそかなものになる。だが、空気が凝縮したのは一瞬であり、仕留めた白人ハンターと彼が同伴した美しい妻が満足げな表情で記念撮影を始め、空気はどんよりと弛緩していく。彼ら白人ハンターの普段の職業は本作では明かされないが、トロフィーハンティングに関する資料を読むと、裕福な欧米人、特に医者が多いとある。医者たちは多くの人々の命を救った手で、ライフルを握り、大草原で生きる高貴な野生動物たちを狩っているわけだ。

 カメラはさらにトロフィーハンティングの暗部へと進んでいく。すでに冷たくなった野生動物はトラックに乗せられ、プレハブ風の小屋へと運び込まれる。解体作業に従事するのは地元の人々だ。シマウマの縞模様の毛皮は剥ぎ取られ、大地を駆った頑強な脚は斬り落とされる。そしてキリンはお腹を割かれ、大きな大きな内臓が取り出される。狩りを終えた白人ハンターたちが必要なのは勝利者トロフィーとしての猛獣たちの首、角、毛皮だけであり、残された肉塊は解体作業で汗を流した地元スタッフへの報酬として与えられる。余計なナレーションによる解説はなく、黒い肌をした地元民が黙々と肉をほおばる姿が流れるのみである。白人ハンターたちが雄弁なのに対し、彼らは冷たい視線でカメラをただじっと見つめ返す。

 これは現代の首狩り族の物語だ。多くの欧米人は、心の中に首狩り族を飼っている。そして年に一度か二度のバケーションの際に、心の中の首狩り族を異境の大草原で解き放ってみせる。文明社会から解放された喜びに溢れ、首狩り族は実弾を込めた祝砲を次々と撃ち続ける。心の中に首狩り族を飼っているのは、欧米人だけではない。きっと日本人の心の中にも、黒い衝動は隠されているはずだ。
(文=長野辰次)

『サファリ』
監督/ウルリヒ・ザイドル 脚本/ウルリヒ・ザイドル、ヴェロニカ・フランツ
配給/サニーフィルム 1月27日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラム、2月3日(土)よりシネ・リーブル梅田ほか全国ロードショー
WDR Copyrights(c)Vinenna2016
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知らなかったでは済まない人種差別の深すぎる闇! 警官が丸腰の市民を虐殺した史実『デトロイト』

 スプリームス、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダーら人気アーティストを擁したモータウン・サウンドは、広く多くの人に愛され続けている。自動車の街(モーター・タウン)デトロイトが発祥の地であり、白人向けのポップスと黒人音楽であるソウルミュージックを融合させたモータウンは、自動車産業で栄えたデトロイトを象徴する文化だった。だが、1972年にはモータウンはLAへとレーベルを移し、80年代には日本車ブームの煽りを受け、デトロイトは次第に活気を失っていく。クリント・イーストウッド監督が『グラン・トリノ』(08)で描いたような荒廃した街へと変わってしまう。米国を代表する大都市だったデトロイトは、どのようなきっかけで坂道を下り始めたのか? キャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト』は、その元凶となった“デトロイト暴動”の真相をリアルに描き出している。

 1967年に起きたデトロイト暴動は死者43名、負傷者1,100人以上に及んだ大規模暴動だった。この事件の引き金は、92年に起きたロス暴動と同じく“人種差別”をめぐる軋轢だった。自動車産業の発展は南部を離れた黒人層などの安い労働力の流入を招き、そのことを嫌った白人層が街を出たため、都市中心部の空洞化、スラム化が進んでいた。白人警官たちは街に新たに住み始めた黒人たちを蔑視し、ことあるごとに警察犬をけしかけ、警棒で殴りつけた。ベトナム戦争から帰還した黒人兵を慰労するパーティーの場で、両者の遺恨が爆発する。警察の横暴な取り締りに対し、黒人たちは投石や白人が経営する店への放火で応じた。たちまち街は戦場さながらの大混乱に陥り、ミシガン州兵が出動する騒ぎに発展していく。

 大晦日の『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時』(日本テレビ系)でダウンタウン浜田が扮していたのは、『ビバリーヒルズ・コップ』(84)に主演していた頃のエディ・マーフィーだった。『ビバリーヒルズ~』でのエディ・マーフィーは、デトロイト市警所属の不良あがりのはみだし刑事という役どころ。デトロイト暴動のさなか、このデトロイト市警が犯した大問題が「アルジェ・モーテル事件」である。デトロイト市警の白人警官たちは、アルジェ・モーテルに泊まっていた無抵抗の黒人男性たちを次々と射殺している。モーテルにいた黒人男性客のひとりが、道路で待機していた州兵に向かって悪戯心でおもちゃの拳銃を鳴らしたため、「スナイパーが潜んでいる」と勘違いした白人警官たちが雪崩れ込み、モーテルに偶然居合わせた客たちは恐怖のドン底を味わう。

 キャスリン・ビグロー監督は、イラク戦争を舞台にした『ハート・ロッカー』(08)ではいつ作動するかわからない爆破装置の解除にあたる米軍爆弾処理班の命懸けの作業を、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)ではビン・ラディン一家が米軍特殊部隊によって殺戮される様子を、息が詰まるほどの超リアリズム演出で再現してみせた。本作でもアルジェ・モーテルで起きた白人警官たちによる尋問という名の虐待行為を、40分間にわたって延々と描く。実際に事件現場に居合わせたサバイバーたちの証言をもとに、“薮の中”を照らし出してみせる。

 アルジェ・モーテルに駆け付けた白人警官クラウス(ウィル・ポールター)は普段から差別的言動が問題視されていたが、暴動で人手が足らずに現場へ駆り出されていた。おもちゃのピストルを鳴らしただけなのに、大騒ぎになったことにビビった黒人青年カール(ジェイソン・ミッチェル)が逃げ出そうとするのを見て、クラウスは背後から問答無用で射殺してしまう。だが、モーテル内をいくら探しても、本物の銃はどこにもない。クラウスは落ち着いた仕草で、カールの死体の横にナイフを置く。「ナイフで襲ってきたので、仕方なく撃った。正当防衛だった」と言い訳するためだ。無政府状態となった街では、暴力だけが正義だった。

 この日、デトロイトきっての大劇場でステージデビューを果たす予定だった男性グループ「ドラマティックス」のリードボーカルであるラリー(アルジー・スミス)も、このモーテルにいた。ステージを成功させれば、モータウン・レーベルのお偉いさんに認められ、メジャー契約できるはずだった。だが、ラリーの思い描いていたアメリカンドリームは、はかない夢で終わってしまう。暴動の余波でステージが中止となり、さらに混乱を避けるために逃げ込んだモーテルで次々と黒人客が殺される現場に立ち会ってしまう。白人のために、もう歌は歌えない。そう思わせるほど、白人警官たちによる暴行は陰惨さを極めていた。

 その夜、地獄の恐怖を味わったのは黒人客だけではなかった。モーテルに泊まっていた若い白人女性のジュリー(ハンナ・マリー)とカレン(ケイトリン・デヴァー)もまた辱めを受ける。モーテルの一室で白人女性が若い黒人と一緒にいたことが、クラウスたち白人警官には許せなかったのだ。だが、これはクラウスの個人的な感情ではなかった。米国南部では「ジム・クロウ法」という州法が1960年代前半まで定められており、黒人と白人との結婚や性行為は禁じられ、白人が利用するホテルやレストランに黒人が入ることも許されていなかった。ジム・クロウ法は人種隔離を公然と認めた悪法であり、また白人が顔を黒塗りして演じた大衆演劇「ミンストレル・ショー」の中での無知な黒人キャラクターの名前がジム・クロウだった。日本人タレントのブラックフェイス・パフォーマンスに欧米人が顔をしかめるのは、このことを連想させるからだ。

 悪戯がきっかけで根深い差別意識が首をもたげ、さらには事件を口封じするために、モーテルに泊まっていた黒人たちは血祭りにされていく。事件に巻き込まれるのを嫌って、現場にいた州兵たちはさっさと引き揚げていった。近くのスーパーマーケットの警備員をしていた黒人男性のディスミュークス(ジョン・ボイエガ)は、この事態を最小限に食い止めようと努めるが、逆に殺人罪の濡れ衣を着せられるはめに陥る。裁判になれば、クラウスたち白人警官はもう安泰だった。裁判所の判事も陪審員たちも、みんな白人。黒人を射殺した白人警官に有罪判決が下ることはまずなかった。

 リンカーン大統領による奴隷解放宣言が1862年。それから約100年後の1964年に公民権法が成立し、悪法ジム・クロウ法はようやく廃止される。だが、依然として差別意識は残り、デトロイトほか各地で暴動が起きてしまった。公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師は、デトロイト暴動の翌年1968年に貧困階級の白人男性に射殺されてしまう。キング牧師は「私には夢がある。いつの日か、私の幼い子どもたちが肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が」という有名な言葉を残したが、その夢は依然として叶えられてはいない。

 デトロイト暴動後、「ドラマティックス」は地元のモータウンではなく、別のレーベルからメジャーデビューを果たす。だが、メジャーデビューしたメンバーの中に、リードボーカルだったラリーの姿はなかった。ラリーは商業音楽の世界で歌うことをやめ、教会のゴスペルシンガーとして活動することになる。ラリーにとって、音楽は神に捧げるための神聖なものだった。1967年の夏に起きた暴動は、ラリーの人生を、そしてデトロイトという街そのものを大きく変えてしまった。
(文=長野辰次)

『デトロイト』
監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール
出演/ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイコブ・ラティモア、ジェイソン・ミッチェル、ハンナ・マリー、ケイトリン・デヴァー、ジャック・レイナー、ベン・オトゥール、ネイサン・デイヴィス・ジュニア、アレックス・スミス、デヴィッド・ケリー
配給/ロングライド 1月26日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
C)2017 SHEPARD DOG, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
http://www.longride.jp/detroit

 

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知らなかったでは済まない人種差別の深すぎる闇! 警官が丸腰の市民を虐殺した史実『デトロイト』

 スプリームス、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダーら人気アーティストを擁したモータウン・サウンドは、広く多くの人に愛され続けている。自動車の街(モーター・タウン)デトロイトが発祥の地であり、白人向けのポップスと黒人音楽であるソウルミュージックを融合させたモータウンは、自動車産業で栄えたデトロイトを象徴する文化だった。だが、1972年にはモータウンはLAへとレーベルを移し、80年代には日本車ブームの煽りを受け、デトロイトは次第に活気を失っていく。クリント・イーストウッド監督が『グラン・トリノ』(08)で描いたような荒廃した街へと変わってしまう。米国を代表する大都市だったデトロイトは、どのようなきっかけで坂道を下り始めたのか? キャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト』は、その元凶となった“デトロイト暴動”の真相をリアルに描き出している。

 1967年に起きたデトロイト暴動は死者43名、負傷者1,100人以上に及んだ大規模暴動だった。この事件の引き金は、92年に起きたロス暴動と同じく“人種差別”をめぐる軋轢だった。自動車産業の発展は南部を離れた黒人層などの安い労働力の流入を招き、そのことを嫌った白人層が街を出たため、都市中心部の空洞化、スラム化が進んでいた。白人警官たちは街に新たに住み始めた黒人たちを蔑視し、ことあるごとに警察犬をけしかけ、警棒で殴りつけた。ベトナム戦争から帰還した黒人兵を慰労するパーティーの場で、両者の遺恨が爆発する。警察の横暴な取り締りに対し、黒人たちは投石や白人が経営する店への放火で応じた。たちまち街は戦場さながらの大混乱に陥り、ミシガン州兵が出動する騒ぎに発展していく。

 大晦日の『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時』(日本テレビ系)でダウンタウン浜田が扮していたのは、『ビバリーヒルズ・コップ』(84)に主演していた頃のエディ・マーフィーだった。『ビバリーヒルズ~』でのエディ・マーフィーは、デトロイト市警所属の不良あがりのはみだし刑事という役どころ。デトロイト暴動のさなか、このデトロイト市警が犯した大問題が「アルジェ・モーテル事件」である。デトロイト市警の白人警官たちは、アルジェ・モーテルに泊まっていた無抵抗の黒人男性たちを次々と射殺している。モーテルにいた黒人男性客のひとりが、道路で待機していた州兵に向かって悪戯心でおもちゃの拳銃を鳴らしたため、「スナイパーが潜んでいる」と勘違いした白人警官たちが雪崩れ込み、モーテルに偶然居合わせた客たちは恐怖のドン底を味わう。

 キャスリン・ビグロー監督は、イラク戦争を舞台にした『ハート・ロッカー』(08)ではいつ作動するかわからない爆破装置の解除にあたる米軍爆弾処理班の命懸けの作業を、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)ではビン・ラディン一家が米軍特殊部隊によって殺戮される様子を、息が詰まるほどの超リアリズム演出で再現してみせた。本作でもアルジェ・モーテルで起きた白人警官たちによる尋問という名の虐待行為を、40分間にわたって延々と描く。実際に事件現場に居合わせたサバイバーたちの証言をもとに、“薮の中”を照らし出してみせる。

 アルジェ・モーテルに駆け付けた白人警官クラウス(ウィル・ポールター)は普段から差別的言動が問題視されていたが、暴動で人手が足らずに現場へ駆り出されていた。おもちゃのピストルを鳴らしただけなのに、大騒ぎになったことにビビった黒人青年カール(ジェイソン・ミッチェル)が逃げ出そうとするのを見て、クラウスは背後から問答無用で射殺してしまう。だが、モーテル内をいくら探しても、本物の銃はどこにもない。クラウスは落ち着いた仕草で、カールの死体の横にナイフを置く。「ナイフで襲ってきたので、仕方なく撃った。正当防衛だった」と言い訳するためだ。無政府状態となった街では、暴力だけが正義だった。

 この日、デトロイトきっての大劇場でステージデビューを果たす予定だった男性グループ「ドラマティックス」のリードボーカルであるラリー(アルジー・スミス)も、このモーテルにいた。ステージを成功させれば、モータウン・レーベルのお偉いさんに認められ、メジャー契約できるはずだった。だが、ラリーの思い描いていたアメリカンドリームは、はかない夢で終わってしまう。暴動の余波でステージが中止となり、さらに混乱を避けるために逃げ込んだモーテルで次々と黒人客が殺される現場に立ち会ってしまう。白人のために、もう歌は歌えない。そう思わせるほど、白人警官たちによる暴行は陰惨さを極めていた。

 その夜、地獄の恐怖を味わったのは黒人客だけではなかった。モーテルに泊まっていた若い白人女性のジュリー(ハンナ・マリー)とカレン(ケイトリン・デヴァー)もまた辱めを受ける。モーテルの一室で白人女性が若い黒人と一緒にいたことが、クラウスたち白人警官には許せなかったのだ。だが、これはクラウスの個人的な感情ではなかった。米国南部では「ジム・クロウ法」という州法が1960年代前半まで定められており、黒人と白人との結婚や性行為は禁じられ、白人が利用するホテルやレストランに黒人が入ることも許されていなかった。ジム・クロウ法は人種隔離を公然と認めた悪法であり、また白人が顔を黒塗りして演じた大衆演劇「ミンストレル・ショー」の中での無知な黒人キャラクターの名前がジム・クロウだった。日本人タレントのブラックフェイス・パフォーマンスに欧米人が顔をしかめるのは、このことを連想させるからだ。

 悪戯がきっかけで根深い差別意識が首をもたげ、さらには事件を口封じするために、モーテルに泊まっていた黒人たちは血祭りにされていく。事件に巻き込まれるのを嫌って、現場にいた州兵たちはさっさと引き揚げていった。近くのスーパーマーケットの警備員をしていた黒人男性のディスミュークス(ジョン・ボイエガ)は、この事態を最小限に食い止めようと努めるが、逆に殺人罪の濡れ衣を着せられるはめに陥る。裁判になれば、クラウスたち白人警官はもう安泰だった。裁判所の判事も陪審員たちも、みんな白人。黒人を射殺した白人警官に有罪判決が下ることはまずなかった。

 リンカーン大統領による奴隷解放宣言が1862年。それから約100年後の1964年に公民権法が成立し、悪法ジム・クロウ法はようやく廃止される。だが、依然として差別意識は残り、デトロイトほか各地で暴動が起きてしまった。公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師は、デトロイト暴動の翌年1968年に貧困階級の白人男性に射殺されてしまう。キング牧師は「私には夢がある。いつの日か、私の幼い子どもたちが肌の色ではなく、人格の中身によって評価される国で暮らすという夢が」という有名な言葉を残したが、その夢は依然として叶えられてはいない。

 デトロイト暴動後、「ドラマティックス」は地元のモータウンではなく、別のレーベルからメジャーデビューを果たす。だが、メジャーデビューしたメンバーの中に、リードボーカルだったラリーの姿はなかった。ラリーは商業音楽の世界で歌うことをやめ、教会のゴスペルシンガーとして活動することになる。ラリーにとって、音楽は神に捧げるための神聖なものだった。1967年の夏に起きた暴動は、ラリーの人生を、そしてデトロイトという街そのものを大きく変えてしまった。
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『デトロイト』
監督/キャスリン・ビグロー 脚本/マーク・ボール
出演/ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター、アルジー・スミス、ジェイコブ・ラティモア、ジェイソン・ミッチェル、ハンナ・マリー、ケイトリン・デヴァー、ジャック・レイナー、ベン・オトゥール、ネイサン・デイヴィス・ジュニア、アレックス・スミス、デヴィッド・ケリー
配給/ロングライド 1月26日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
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