博多っ子のソウルフードを生み出した夫婦の実話! 特許申請はしないこだわり『めんたいぴりり』

 福岡の名産品として人気の「からしめんたいこ」だが、歴史はそう古くはない。「ふくや」の創業者・川原俊夫がめんたいこを売り出したのが昭和24年(1949)。日韓併合時代の釜山で生まれ育った俊夫が、子どもの頃に食べていたタラコのキムチ漬けを独自にアレンジしたものだった。最初はなかなか売れなかったが、北海道産のスケトウダラの新鮮な卵を使うことで食感がグレードアップ。昭和50年(1975)の山陽新幹線の開通によって、全国区へと人気が広まった。B級グルメなれど、熱々の白いご飯の上に乗せたピンク色のめんたいこには、どこか汎アジア的なスケールの大きな風味が漂う。福岡のローカルタレントから全国区の人気タレントとなった博多華丸の初主演映画『めんたいぴりり』は、多くの人に愛されるB級グルメを生み出した“のぼせもん”の男と、その家族を描いた実話ベースの物語だ。

 映画『めんたいぴりり』は2013年に福岡のローカル局・テレビ西日本でオンエアされた連続ドラマ『めんたいぴりり』のその後を描いたものとなっている。DVD化されているので、ぜひ『めんたいぴりり』第1部・釜山編を観てほしい。本作の主人公となる海野俊之(博多華丸)とその妻・千代子(富田靖子)の青春時代から戦争体験を描いたもので、ローカルドラマと思えないほどクオリティーが高い。釜山で生まれ育った俊之と千代子は国籍は日本だが、日本本土には足を踏み入れたことがなかった。海の向こうの福岡には「博多山笠」と呼ばれる伝統の祭りがあることを知り、まだ見ぬ祖国に憧れを抱きながら2人は大人へと成長した。

 結婚した俊之と千代子は満州国で暮らし始めるが、俊之は兵役召集され激戦地となった沖縄戦線へと送られる。満州に残された千代子は、参戦したソ連軍から逃げるように子どもの手を引き、1年がかりで引き揚げ船に乗船。俊之とは終戦後の福岡でようやく再会を果たす。焼け野原状態だった福岡の中洲で、一家は小さな食料品店を営み始める。

 テレビドラマ版『めんたいぴりり』釜山編は波瀾万丈だったが、映画『めんたいぴりり』は俊之たち一家と従業員たちが織り成すほのぼの系ホームドラマとなっている。俊之が試行錯誤しながら開発したからしめんたいは徐々に知られ始め、俊之の味を真似たライバル業者が現われる。特許申請や商標登録すればいいのに、俊之はまったく無頓着だ。「めんたいこは、たかがお総菜ばい」と、同業者の石毛(柄本時生)に製造方法を教えてしまう。周囲の人々は俊之のお人よしぶりを嘆くが、俊之の特許申請はせず、訪ねてきた人には無料で作り方を教えるというオープンソースな姿勢が、後に大きな花を咲かせることになる。次々とめんたいこを売り出す業者が続き、からしめんたいは福岡を代表する名産品へと育つことになる。釜山生まれの俊之は、生粋の博多っ子よりも気っ風のいい博多っ子だった。

 沖縄戦からの帰還兵だった俊之は、戦後の自分の命は拾い物だと考えていた。お金儲けすることよりも、大陸から引き揚げてきた妻と子どもたちも受け入れてくれた福岡という街に役立つことができれば、それが喜びだった。従業員たちを食べさせることでカツカツなのに、台風で家を失った元博多人形師の丸尾(でんでん)たちを家に泊め、朝から酒を呑んでドンチャン騒ぎする。なじみのホステスのキャサリン(中澤裕子)のいるキャバレーでも気前よく散財する。家計をやり繰りする千代子はいつも頭を抱えていた。

「俺のめんたいこを食べた人には、みんな幸せになってほしか」と俊之が願いを込めて作っためんたいこは、キャバレーの客や西鉄ライオンズの選手たちにも知られ、やがて店は大繁盛することに。だが当然ながら、めんたいこを食べた人みんなが幸せな人生を歩めるわけではない。長男・健一(山時聡真)の小学校の同級生・英子(豊嶋花)は両親がおらず、アルコール依存症の叔父に引き取られてビンボー暮らしを強いられている。遠足に参加するための新しい靴もリュックもない。「幸せになる魔法のめんたいこを食べたのに、どうして私は幸せになれないの」と英子は泣く。俊之は自分ひとりの力では、不幸を生み出す社会をどうにもすることができないことを痛感する。

 現実の「ふくや」もかなりユニークな会社だ。「ふくや」の社員はPTAや町内会の役員に選ばれると特別手当てが支給され、授業参観や運動会などの地元のイベントに積極的に参加することが奨励されている。企業として利潤を生み出すだけでなく、従業員たちが暮らしている町そのものを明るく活性化させることを社風としている。創業者の精神を今も受け継いで、からしめんたいこの製造・販売に励んでいる。トヨタ自動車のような大企業ではないものの、博多っ子気質を感じさせる「ふくや」は福岡の人たちから愛されるブランドとなっている。

 劇中の千代子は夫のことを「この、のぼせもんが!」と、たびたび罵倒する。“のぼせもん”とは、目の前のことに熱中しすぎてしまう直情型人間のことを揶揄した福岡のローカルスラング。福岡には前後の見境なく、突っ走ってしまう“のぼせもん”気質の人間が多く、家族や周囲の人間はその尻ぬぐいで苦労するはめになる。ちなみに「ふくや」の包装紙に印刷されている音符のフォルテのような形をした「F」の文字は、創業者・川原俊夫の妻・千鶴子と初代番頭・焼山徳重が50年前に考案したデザインをベースにしたものだ。よき理解者たちに支えられ、俊之はその生涯を“のぼせもん”として過ごすことができた。「みんなを幸せにしたい」と願っていた男は、実はいちばんの幸せものだった。
(文=長野辰次)

映画『めんたいぴりり』
原作/川原健 脚本/東憲司 監督/江口カン
出演/博多華丸、富田靖子、斉藤優(パラシュート部隊)、瀬口寛之、福場俊策、井上佳子、山時聡真、増永成遥、豊嶋花、酒匂美代子、ゴリけん、博多大吉、中澤裕子、髙田延彦、吉本実憂、柄本時生、田中健、でんでん
配給/よしもとクリエイティブ・エージェンシー 1月18日(金)より新宿バルト9ほか全国ロードショー
C)2019めんたいぴりり製作委員会
http://piriri_movie.official-movie.com/

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“男はつらいよ”がボリウッド映画になった!? 感涙作『バジュランギおじさんと、小さな迷子』

『男はつらいよ』シリーズの主人公・寅さんが迷子の女の子と出逢い、彼女の家を探して旅を続ける。インド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』のストーリーを、思いっきりざっくり説明するとそんな感じだ。“インドの寅さん”ことバジュランギおじさんは、根っからのお人よし。たまたま自分になついた女の子を連れて、インドの首都デリーから国境を越えてパキスタンまで700kmの旅をすることになる。行く先々で毎度のように大騒ぎを起こすが、最後にはみんなが“インドの寅さん”のことが大好きになる。お正月くらい、こんな映画を観てもいいんじゃないかという気にしてくれる、踊りあり、笑いあり、ホロリありの感涙作なのだ。

 寅さんが柴又帝釈天(もともとはヒンドゥー教の武神)で産湯に浸かったように、バジュランギおじさん(サルマン・カーン)も信心深い。ヒンドゥー教徒である彼は、孫悟空のモデルとも言われる猿の神さま・ハヌマーンを信仰している。浅草の雷門みたいなところで、ハヌマーンを讃えて踊っていたバジュランギを見て、迷子の女の子ヒシャーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)は「この人は絶対にいい人!」と直感。バジュランギの後をついていく。困ったバジュランギは、ヒシャーダーを警察に預けようとするも、彼女は口が不自由なため警察はまともに対応しようとしない。幼いヒシャーダーを放っておくこともできず、ひとまず下宿先へと連れて帰ることに。

 下宿に戻ったパジュランギはびっくり。クリケットの国際大会のテレビ中継を大家一家と一緒に観戦していたところ、ヒシャーダーはパキスタンチームが得点すると大喜びする。ヒシャーダーはパキスタン人だった。しかも、ヒシャーダーがモスクで祈りを捧げていたことから、イスラム教徒であることも発覚。国籍も宗教も異なるヒシャーダーの家を探そうとしていた自分のおめでたさに、愕然とするバジュランギだった。

 寅さんにマドンナがいるように、バジュランギにも想いを寄せている美女がいる。下宿先の大家の娘ラスィカー(カリーナ・カプール)に男としての度量の大きさを見せようと、「ハヌマーンさまが見守ってくれるさ」と何の手掛かりもないままヒシャーダーを連れてパキスタンへ向かうことに。しかも、諸事情あって旅券もお金もないまま、パキスタンに密入国する。インドからのスパイに違いないとパキスタン警察に追われるバジュランギは、冒険を楽しむかのようにニコニコ顔のヒシャーダーの手を引いて、珍道中を繰り広げるはめになる。

“インドの寅さん”バジュランギは、旅を続けることでいろんなことを学んでいく。パキスタン警察から逃れるためにモスクの中に隠れようとするが、扉の前で一瞬ためらう。バジュランギは敬虔なヒンドゥー教徒だからだ。イスラム教の礼拝堂に、他教徒が足を踏み入れていいものかと。そんなバジュランギを、老司祭は「モスクはあらゆる人を歓迎します。誰でもいつでも入れるよう、モスクの扉は鍵が掛かっていないんです」と温かく迎え入れる。バジュランギが旅に出ることなくインドで平穏に暮らしていれば、ずっとそのままだっただろう、イスラム教徒やパキスタン人に対する誤解や偏見が少しずつ消えていく。そして、その分だけ、ヒシャーダーの故郷へと近づくことになる。

 インドの人気俳優サルマン・カーンは、アクション映画『タイガー 伝説のスパイ』(12)でも本作を撮ったカビール・カーン監督とタッグを組んだ。『タイガー 伝説のスパイ』はサルマン・カーン扮する凄腕のスパイ・タイガー(寅さん)が、パキスタンの女スパイと禁断の恋に陥るというラブロマンスものだった。印パ戦争やカシミール紛争など争いが絶えない隣国パキスタンとの政治問題を、一般市民レベルでより掘り下げて考えてみたのが『バジュランギおじさんと、小さな迷子』だと言えそうだ。

 もともと宗教は慈悲の心で他者と接することを説いていたはずなのに、いつの間にか神さまの呼び名の違いや形式の違いを咎め、争いが起きるようになった。ヒンドゥー教の熱心な信者だったバジュランギが、イスラム教徒のヒシャーダーと仲良くなったように、もっと大らかでズボラでもいいんじゃないだろうか。インド版『男はつらいよ』を見ながら、そんなことを考える。

 マッチョなアクションスターとして人気だったサルマン・カーン。本作でもインド相撲クシュティーを披露する場面があるが、これまでとは違った父性を感じさせる抱擁力のあるキャラクターに挑戦した。困っている人、泣いている子どもを見つけたら、自分のことは後回しにしてしまうイノセントな存在だ。サンマン・カーンやカビール監督が、『男はつらいよ』を観たことがあるかどうかは分からない。でも、寅さんが旅先でバジュランギおじさんと出逢ったら、きっと言葉の壁を軽~く乗り越えて意気投合し、朝まで呑み明かすことだろう。騒ぎすぎて、とんでもないことになるはずだ。『男はつらいよ』の公開50周年となる2019年正月に、インドから粋な客人が現われたことを歓迎したい。
(文=長野辰次)

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』
製作・監督・脚本/カビール・カーン
出演/サルマン・カーン、ハルシャーリー・マルホートラ、カリーナ・カプール、ナワーズッディーン・シッディーキー
配給/SPACEBOX 1月18日(金)より全国順次ロードショー
C)Eros international all rights reserved.C)SKF all rights reserved.
http://bajrangi.jp

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“酒田大火”というタブーを映画で払拭する試み。地方が豊かだった記憶『世界一と言われた映画館』

 客席が暗くなり、「ムーンライト・セレナーデ」が流れる。しかし、スクリーンには映像は映し出されない。「おや、映写ミスかな」と思ったが、それは早とちりだった。映画評論家・淀川長治が「世界一の映画館」と評した、山形県酒田市にあった映画館「グリーン・ハウス」の劇場演出を模したものであることに、本編が始まってから気づくことになる。「グリーン・ハウス」では客席にまだ着いていない観客を急かすような開演ブザーは鳴らず、代わりにジャズのスタンダードナンバーが静かに流れた。人口11万人の北国の港町にあった洋画専門のロードショー館は、観客に極上の映画体験を味あわせてくれる特別な空間だった。

 1950年に本格オープンした「グリーン・ハウス」は、酒田市民にとって自慢の劇場だった。ところが、1976年10月29日に地元消防組合の消防長1名が殉職、3300名が被災した酒田大火が発生し、「グリーン・ハウス」は焼失。この大火の火元は、「グリーン・ハウス」内で起きた漏電だったとされている。以来、「グリーン・ハウス」の跡地に映画館が建てられることはなかった。地元の人々にとっての大切なハレの場は、一転して口にすることが憚れるタブーとなってしまった。山形県天童市在住の佐藤広一監督が撮り上げたドキュメンタリー映画『世界一と言われた映画館』は、「グリーン・ハウス」を愛した人たちを訪ね歩き、同館の記憶をスクリーン上に蘇らせる。タブー視されていた存在を、映画によって再評価しようという試みである。東京から遠く離れた地方都市にかつて華やかな文化が咲き誇っていたことに、映画を観た我々は驚きを覚えることになる。

 佐藤監督が本作を撮るきっかけとなったのが、「グリーン・ハウス」の支配人だった佐藤久一の評伝『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(講談社)だ。2008年に発刊されたこの本によると、「グリーン・ハウス」の玄関は当時の地方都市には珍しい回転ドアとなっており、水洗トイレも導入されていたとある。清掃は隅々まで行き届き、ホテルのようなゴージャスさだったようだ。観客が快適に映画を鑑賞できるよう、あらゆる配慮が施されていた。フィルムの本数が限られていた時代にあって、アラン・ドロン主演作『太陽がいっぱい』(60)は東京の封切り館と同日公開だった。東京の配給会社も、「グリーン・ハウス」を特別視していたことが分かる。

 世界一の映画館の支配人だった佐藤久一は、相当なアイデアマンだった。客席数500席の大スクリーンに加え、二階には家族やグループが貸し切りで楽しめる「特別室」や「家族室」を設け、久一のお気に入りの旧作を低料金で上映するミニシアター「シネサロン」もあった。シネコンを先取りする複合施設だった。上映作品を解説した小冊子「グリーン・イヤーズ」が毎月発行され、観客たちは読むのを楽しみにした。佐藤監督のインタビューに、かつて「グリーン・ハウス」に通い詰めたファンたちは、一階に併設されていたカフェ「緑館茶房」からいつもコーヒー豆のいい香りが漂っていたこと、「ムーンライト・セレナーデ」が流れると次第に客席の照明が落ちて、緑色の緞帳が開いていった思い出をうっとりした表情で語る。映画館の思い出が、場内に漂っていた匂いや開演前に流れていた音楽というのも面白い。

 やはり酒田市を舞台にしたドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』(現在公開中)の主人公である大正15年(1926)生まれの現役バーテンダー・井山計一氏も、佐藤監督のインタビューに応えている。佐藤久一と仲のよかった井山氏が酒田市で経営しているバー「ケルン」から、「グリーン・ハウス」にバーテンを派遣していた時期もあったという。稼ぎどきであるはずの週末には、地元の演奏家たちを招いてのライブイベントが度々開かれた。「グリーン・ハウス」は単なる映画館ではなく、酒田の人々にとっての社交場であり、そして東京と遜色ない最新の情報発信スポットでもあった。

 緑館と名づけられたこの映画館のことを知れば知るほど、支配人だった佐藤久一がどんな人物だったのか気になってくる。昭和5年(1930)生まれの久一は、地元の酒造メーカー経営者の長男として不自由のない幼少期を過ごした。新しいものに対する目利きに優れ、センスのよさを父親に買われ、日大芸術学部を中退した久一は、20歳にして「グリーン・ハウス」の支配人に就任。酒田という地方都市にありながら、「世界一の映画館」を育て上げた久一だが、それだけでは満足できなかった。1964年、既婚者だった久一は電話交換手だった女性と駆け落ち同然に上京。映画評論家・荻昌一の勧めで“東洋一”と呼ばれた日生劇場に勤めるも、3年後には酒田に本格的な洋食を広めようと帰郷してフランス料理店を開業する。採算を度外視して、食材選びと客への細心のサービスに努めた久一のフランス料理店は東京や大阪でも評判となり、丸谷才一、開高健、山口瞳らが絶賛する名店として知られることになる。

 仕事と恋にあらん限りの情熱を注いだ佐藤久一の生涯は、地元の山形放送でラジオドラマ化され、そのとき久一役を演じたのが2018年2月に急逝した大杉漣だった。久一の生き方にシンパシーを覚えたことから、大杉は『世界一と言われた映画館』のナレーションも引き受ける。現在の酒田市には常設の映画館がないため、地元でのお披露目上映ができずにいた『世界一と言われた映画館』だったが、大杉は自身のバンドのライブと兼ねる形で、この映画の上映イベントを酒田市で開いている。このときのイベント費用は、大杉が出演していた『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の「ゴチになります!」で得ていた賞金が充てられたことを、佐藤監督は教えてくれた。

 1976年、佐藤久一は「グリーン・ハウス」の経営からすでに離れていたが、フランス料理店の入っていたビルの屋上から酒田大火を見つめることになった。晩年の久一はフランス料理店の累積する赤字とアルコール依存に悩まされ、67歳でその生涯を終えている。映画とフランス料理を通して酒田市に大きく文化貢献した久一を顕彰しようという動きが彼の死後にあったが、酒田大火の火元が「グリーン・ハウス」だったことがネックとなり実現しなかったようだ。それほど、「グリーン・ハウス」=佐藤久一というイメージが強かった。

 地元の由緒正しい寺院で行なわれた佐藤久一の葬儀の際にも、「ムーンライト・セレナーデ」が流れたという。仕事に恋に、そして映画に、飽くなきロマンスを求めた男たちがいた。そんな彼らを鎮魂するかのように、「ムーンライト・セレナーデ」の甘いメロディが客席へと流れていく。

(文=長野辰次)

酒田大火というタブーを映画で払拭する試み。地方が豊かだった記憶『世界一と言われた映画館』の画像4

『世界一と言われた映画館』
語り/大杉漣 プロデューサー/髙橋卓也 監督・構成・撮影/佐藤広一
配給/アルゴ・ピクチャーズ 1月5日(土)より有楽町スバル座ほか全国順次公開
c)認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画際
http://sekaiichi-eigakan.com/

『YUKIGUNI』
監督/渡辺智史 撮影/佐藤広一 ナレーション/小林薫
配給/有限責任事業組合いでは堂 1月2日よりポレポレ東中野、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
http://yuki-guni.jp/

ポジティブ思考で非モテ系が超絶美女に大変身!? 幸せになる秘訣『アイ・フィール・プリティ!』

 録音された自分の声を聞いて、愕然とした覚えはないだろうか。自分のことは自分がいちばん知っていると思いがちだが、自分自身を客観視して認識することは難しい。映画『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』の主人公レネーもそうだった。自分の容姿に自信が持てずにいたレネーだが、美容整形することもなく、誰もが振り返る超絶美女へと大変身を遂げる。一体、何が彼女を変えてしまったのだろうか。

 レネー・ベネット(エイミー・シューマー)は、ぽっちゃり体型の独身OL。オシャレには関しては敏感で高級コスメ会社に勤めているものの、本社ビルからずいぶん離れた雑居ビルの地下室でネットユーザーからのクレーム対応に追われている。彼氏はおらず、終業後は同じく非モテ系の女友達とくだを巻く日々だった。こんな冴えない生活から脱出してやると意気込んだレネーは、シェイプアップ目指してジム通いをスタート。ところがエアロバイクを懸命に漕いでいたレネーは、とんでもない事故に遭遇してしまう。

 エアロバイクから転倒して頭を強打したレネーは、鏡に映った自分を見てびっくり。なんと超絶プロポーションの美女に生まれ変わっているではないか。実はこれ、本人がそう思っているだけ。実際のレネーは以前とまるで変わっていない。ところが「私、すごい美女に変身しちゃったわ!」と思い込んだレネーは、それまでの消極的だった生き方を改めて、スーパーポジティブな人生を歩み始める。

 自分の容姿に自信満々なレネーは、本社ビルの受け付け係に立候補。モデル並みの美人社員ぞろいの本社ビルの中で、ぽっちゃり体型で、しかも全身からハッピーオーラをダダ漏れさせているレネーは瞬く間に注目の的になる。美しくなることに憧れる平凡な女の子の感覚を持ち合わせているレネーは、生まれつきセレブな美女たちにはないフレッシュなアイデアを次々と提案し、“美のカリスマ”として知られる社長のエイヴリ(ミシェル・ウィリアムズ)のお気に入りとなる。さらにはクリーニング店で偶然一緒になった草食系男子のイーサン(ロリー・スコヴェル)から口説かれたと勘違いし、一方的にデートの約束を決めてしまう。頭を打って以来、レネーの人生はバラ色だった。

 ジャド・アパドー監督の毒舌コメディ『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』(15)が大ヒットしたエイミー・シューマーが、本作でもぽっちゃり体型を活かしたチャーミングな女性像を演じている。最大の見せ場は、イーサンとレネーとのデートシーンだ。デート先のビアホールでは“ビキニコンテスト”が開かれており、レネーは飛び入りで参加することに。Tシャツをまくり上げたレネーはお腹のお肉をたぷたぷさせながら、ステージ狭しとセクシーダンスを踊りまくる。レネーの最高な弾けっぷりに、イーサンだけでなくホール中のみんなの目が釘付けになってしまう。

 汗だくになって踊るレネーを見ていた初対面の男が、イーサンに話し掛ける。「高速道路で車がパンクしたとき、一緒にいたいのはあんな子だよ」と。ステージに並ぶビキニ姿の若い美女たちよりも、自分のすべてをさらけ出して一途に踊るこのぽっちゃり女子のことが堪らなくラブリーに思えてきてしまう。

 恋愛は、それこそ思い込みの産物だ。米国のロマンティックコメディには思い込み、勘違いをネタにした作品が少なくない。ファレリー兄弟の『愛しのローズマリー』(01)では、女性を外見でしか判断できない小デブ男(ジャック・ブラック)が催眠術によって体重130kgの女性(グウィネス・パルトロー)を絶世の美女と思い込んで猛アタックした。『イエスマン“YES”は人生のパスワード』(08)では、自己啓発セミナーに通う主人公(ジム・キャリー)がどんなときも「イエス」と答えることで、ズーイー・デシャネルと出逢うことになる。『スコルピオンの恋まじない』(01)では、犬猿の仲の男女(ウディ・アレン、ヘレン・ハント)が催眠術によって熱愛関係に陥る。これらの作品を観ていると、恋愛とは一種の自己催眠ではないのかという気がしてくる。

 本作の面白さは、主演のエイミー・シューマーが変身前と変身後をCGなどで加工することなく、本人がまったくそのまま演じているところ。姿はまるで変わっていないのに、頭を打った後は自分を美女だと思い込み、堂々と恋も仕事も大成功を収めていく。さらに自信を深めたことで、彼女の周囲にはイケメンやセレブたちが集まるようになっていく。コンプレックスから解放され、他者から愛される喜びを知ったヒロインは、ますます輝きを増し、本来の才能を発揮し始める。ここらへんの展開は、レディー・ガガ主演の話題作『アリー/スター誕生』(現在公開中)ととてもよく似ている。お笑い版『スター誕生』だとも言えるだろう。

 自分の体型を気にせず、いつも明るいレネーを見て、多くの人たちは勇気づけられる。草食系のイーサンは職場で「ホモっぽい」とからかわれていたが、レネーと付き合うようになって他人の視線が気にならなくなった。社長のエイヴリは甲高い自分の声にコンプレックスを長年抱いていたが、人生を満喫しているレネーと話していると、些細なことで悩んでいる自分がバカらしく思えてしまう。レネーにはコンプレックスをその人の個性へと反転させてしまう大らかな魅力に溢れていた。

 物語は後半、お約束どおりの展開が待っている。シンデレラ姫と同じように、レネーもまた魔法が解けることになる。自分が元のぽっちゃり体型に戻ってしまったことを嘆くレネーはアパートに閉じ篭り、会社にも出社せず、恋人のイーサンとも会おうとしなくなる。周囲の人間はレネーがなんでそんなに落ち込んでいるのか、さっぱり理解することができない。外見で判断されることに悩まされ続けてきたレネーだが、実は外見にいちばん囚われていたのはレネー自身だったことが分かる。

 いじけた表情のレネーも、また愛らしい。コンプレックスに悩む姿も含めて、彼女自身なのだ。自分自身を愛することができれば、世界はほんの少し扉を開けてくれる。シンプルだけど、大切なことをNYで暮らすこのぽっちゃり女子は教えてくれる。大いに笑わせ、最後にホロリとさせてくれる。うさん臭い自己啓発セミナーに通うよりは、ずいぶんとリーズナブルでお得な映画ではなだろうか。
(文=長野辰次)

『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』
監督/マーク・シルヴァースタイン&アビー・コーン
出演/エイミー・シューマー、ミシェル・ウィリアムズ、エミリー・ラタコウスキー、ナオミ・キャンベル
配給/REGENTS 12月28日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
(c) MMXVIII Voltage Pictures, LLC. All rights Reserved.
http://ifeelpretty.jp

モンスターを生み出したのは18歳の少女だった!! “怪物たち”が目覚めた夜『メアリーの総て』

 フランケンシュタイン・コンプレックスという言葉がある。神のような創造主になることに憧れた人間が科学の力で新しい生命を創造するが、生まれてきた新しい生命体に恐怖を覚えてしまうという屈折した心理を現わしている。イギリスの古典的ホラー小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』から生まれた言葉であり、ロボット・遺伝子操作・原子力エネルギーといった現代科学の産物は、どれもフランケンシュタインの怪物の末裔たちと言えるだろう。創造主の愛情を感じることなく、この世に生命を授かった怪物たちはそれでも生きていかなくてはならない。

 1818年に刊行された『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』の著者はメアリー・シェリー。執筆時18歳の女性であり、その処女作の内容があまりにも衝撃的すぎたため、彼女の名前は初版本にクレジットされることが許されなかった。エル・ファニング主演作『メアリーの総て』(原題『MARY SHELLEY』)はメアリー・シェリーの生涯を追うことで、彼女が産み落したフランケンシュタインの怪物の正体を解き明かしている。

 映画『メアリーの総て』の主人公であるメアリー(エル・ファニング)は、墓場を愛する少女だった。メアリーが墓場好きなのには理由があった。人影の少ない墓場は、静かで思索するには最適な場所だった。また、メアリーの母親ウルストンクラフトはフェミニズムの先駆者として知られていたが、メアリーを産んですぐに亡くなった。記憶にない母親への思慕からメアリーはしばし墓場に佇み、現実世界と異界との狭間を漂うことを楽しんだ。

 メアリーの父親ウィリアム・ゴドウィンも著名な作家だったが、妻ウルストンクラフトが亡くなった後は、再婚して書店を営んでいた。メアリーは継母とは折り合いが悪く、家の中に居場所のないメアリーはますます墓場で過ごす時間が長くなっていく。

 そんな墓場好きなメアリーは墓場で恋に墜ちる。スコットランドで知り合ったロマン派の若き詩人パーシー・シェリー(ダグラス・ブース)が、メアリーを追ってロンドンまで訪ねてきたのだ。墓場で愛を確かめ合うパーシーとシェリーだったが、3歳年上のパーシーには妻と子どもがいた。しかし、障害があればあるほど恋愛は燃えるもの。16歳だったメアリーは父親の家を飛び出し、パーシーと駆け落ち。若い2人は世間のモラルに従うよりも、情熱に身を捧げる人生を選んだ。シェリーの奔放な生き方に共感する、継母の連れ子クレア(ベル・パウリー)も2人と行動を共にする。

 恋の炎が激しく燃え上がるのは、当然ながら最初だけ。一緒に暮らし始めると詩人であるパーシーには経済力がなく、裕福な実家からの資金援助に頼る身だったことが分かる。さらに“自由恋愛”を謳うパーシーと義妹クレアとの関係がどうも怪しい。夢見た甘い新婚家庭とはまるで異なる現実生活だったが、そんな中でシェリーは長女を出産。愛情を一途に注ぐ対象を見つけたシェリーだったが、長女は生後間もなく病死してしまう。借金取りに追われるパーシーにせっつかれ、冷たい雨の中を夜逃げしたことが原因だった。メアリーは18歳ながら、身も心もすっかりボロボロとなる。

 メアリーが作家になる大きな転機が訪れた。各国を渡り歩く流浪の生活を送っていたパーシーとメアリーは、スイスのレマン湖に滞在中だった詩人バイロン卿(トム・スターリッジ)の別荘で世話になることに。義妹クレアは、このときバイロンの愛人となっていた。血の繋がりのないクレアだが、シェリーの人生に影響を与え続ける不思議な存在だ。別荘にはバイロンの他に、彼の侍医であるジョン・ポリドリ(ベン・ハーディ)もいた。

 暇を持て余していたバイロンはメアリーたちを集め、「百物語」よろしく一人ひとりが恐怖物語を披露する創作ゲームを持ち掛ける。ホラー文学史上名高い「ディオダディ荘の怪奇談義」だ。この夜に語られた恐怖のイメージの断片が組み合わさり、異界への扉が開くことになる。この夜以降、メアリーは見世物小屋で見た怪しい生体電気実験をベースにした『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を1年がかりで執筆。また、ポリドリは『吸血鬼』(『The Vampyre』)を書き上げる。モンスター界の人気アイコンであるフランケンシュタインの怪物と吸血紳士は同じ夜に、それぞれメアリーとボリドリの頭の中に生命の種を宿していたのだ。

 フランケンシュタインの怪物は、幾つもの死体を繋ぎ合わせた人造人間だが、本作を観るとその正体がよく分かる。メアリーを産んだ直後に亡くなった母親への思慕と母の命を奪ってしまったことへの罪悪感、作家である父親への敬意と反発心、責任感のない夫への不信感と断ち切れない情、そして生後すぐに亡くなった長女をもう一度蘇らせたいという強い母性と倫理を犯す背徳感……。相反するそれらの要素が組み合わさることで、人造人間フランケンシュタンの怪物はこの世に誕生することになった。

 ポリドリが創作した『吸血鬼』も、ポリドリとバイロン卿との関係性を反映させたものだった。自由奔放な性生活を送ったバイロン卿の侍医を務めたポリドリだが、彼は同性愛者として日陰の人生を歩んでいた。吸血鬼が闇の世界でしか生きられないという設定には、性的マイノリティーには市民権が認められていなかった時代の社会背景が大きく影響していた。

 本作を撮ったのはハイファ・アル=マンスール監督。サウジアラビア生まれの初の女性監督だ。長編デビュー作『少女は自転車にのって』(12)は、厳格なイスラム社会で暮らす少女が自由と自立の象徴である自転車を手に入れようと奮闘する物語だった。19世紀初頭の欧州ではすでに産業革命が始まっていたが、科学の進歩に比べて社会はまだまだ保守的だった。自分が自分らしくいられる居場所を求め続けたメアリーとポリドリに、ハイファ監督は寄り添うように本作を撮り上げている。フェミニズム視点、LBGT視点による怪物誕生譚だと言えるだろう。

 親の愛情を知らずに産まれた不遇の子という、フランケンシュタンの怪物に与えられた属性は、手塚治虫の人気漫画『鉄腕アトム』やリドリー・スコット監督のヒット作『エイリアン』(79)の前日談『プロメテウス』(12)など数多くの作品に受け継がれていく。ポリドリが書き上げた『吸血鬼』も、ベラ・ルゴシ主演作『魔人ドラキュラ』(31)からスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)まで世界中で大増殖していく。

 人間が抱える孤独感がモンスターを産み落し、自分の分身であるモンスターに人間は怯えることになる。フランケンシュタイン・コンプレックスは人類が存続する限り、永劫的に続くことだろう。
(文=長野辰次)

『メアリーの総て』
監督/ハイファ・アル=マンスール 脚本/エマ・ジェンセン
出演/エル・ファニング、ダグラス・ブース、ベル・パウリー、トム・スターリッジ、スティーヴン・ディレイン
配給/ギャガ PG12 12月15日よりシネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
(c) Parallel FilmsStorm) Limited / Juliette Films SA / ParallelStorm) Limited / The British Film Institute 2017
https://gaga.ne.jp/maryshelley/

 

ゴミを宝物に変える夢のドキュメンタリー映画! 人生をアップサイクルする『旅するダンボール』

 路上に捨てられた廃棄物が、価値の高いものに生まれ変わる。リサイクルやリユースのさらに上をいく“アップサイクル”という概念になるらしい。ドキュメンタリー映画『旅するダンボール』の主人公・島津冬樹氏は世界各国を旅して、様々な段ボールを拾い集めている。段ボールアーティストと呼ばれる島津氏の手によって、使い古しの段ボールは財布、名刺入れ、パスケースなどに変身していく。段ボールを集めては作り、さらにワークショップを開いて作り方を広める一連のプロジェクトは「Carton」と名付けられ、「Carton」の製品は世界各地で静かな人気を集めている。

 都内乃木坂にある国立新美術館のスーベニアフロアへ行ってみた。海外の有名アーティストのグッズと共に、島津氏が作った段ボール製の長財布もオシャレにディスプレイされている。段ボールに印刷されたパッケージデザインがそのまま財布のアクセントとなっており、チープさと不思議な温かみを感じさせる。値段は1万円と安くはないが、海外からのツーリストが東京のお土産によく買って帰るそうだ。無価値の段ボールをブランド品に変えてしまうという発想が面白い。映画『旅するダンボール』は、段ボールに魅了された島津氏のユニークな人柄を映し出していく。

 1987年神奈川県藤沢市で島津氏は生まれた。子どもの頃から収集癖があり、近くの海岸で拾ってきた貝殻で標本箱を自作した。キノコにも興味を持ち、手描きのキノコ図鑑も編纂している。モノを集めるという行為を楽しむのと同時に、標本箱や図鑑を作ることでその魅力を他の人と共有することにも喜びを見出していた。子どもの頃のそんな体験が、段ボールアーティストとしての原点となっているようだ。

 多摩美術大学に進んだ島津氏は、学園祭のフリーマーケットで初めて段ボール製の手づくり財布を出品。定価500円の財布はすぐに売り切れた。段ボール製財布のユニークさは、就職活動でも効果を発揮する。大手広告代理店の役員面接日を間違えて大遅刻した島津氏だが、役員から気に入られてアートディレクターとして入社することになる。段ボール製財布と同様に、彼自身の気取らない純朴な人柄も、人を惹き付ける独特な魅力があるようだ。

 超難関の人気企業にクリエイティブ職で就職できたにもかかわらず、島津氏はわずか3年で退職してしまう。その退職理由がまた彼らしい。「段ボールを集め、財布を作る時間がないから」。自分がやりたいことをやる。そんなシンプルさが段ボールアーティスト・島津冬樹のモットーだ。アウトドア用品のメーカーとコラボした野外イベントでは、段ボール製グッズと物々交換することで食べ物をゲットする。うれしそうな島津氏の顔をカメラはクローズアップする。段ボールアーティストは、貨幣経済のシステムにも束縛されずに生きている。彼は根っからの自由人だ。そんな彼がお金を収める財布づくりに情熱を注いでいるのもおかしい。矛盾さえも包み込んでしまう、大らかさが段ボールと段ボールアーティストにはある。

 島津氏は海外でも財布づくりのワークショップを開き、惜しみなくそのノウハウを多くの人たちに広めている。まるで折り紙の鶴を折るように段ボールで財布を作り出す島津氏の手つきを見て、外国人たちは驚き、そして島津氏にアシストされて完成させた自前の財布を手にして大喜びする。段ボールでつくられた財布はきっと大切に使われることだろう。そんな一期一会な出逢いを、決して英語が堪能ではない段ボールアーティストは心から楽しんでいることをカメラは伝える。

 段ボールをめぐるこの風変わりなドキュメンタリーは後半、意外なことに感動のドラマが待っている。国内の青果市場を物色していた島津氏は「徳之島フレッシュPOTATO」という段ボールと出逢ってしまった。手描きのレタリングとジャガイモを擬人化したユルキャラに、何とも言えない味わいがある。島津氏はこの段ボールに激しい愛情を感じ、どうしようもなくこの段ボールを作った人に会いたくなってしまう。

 ジャガイモの生産地である鹿児島県徳之島に向かうつもりだった島津氏だが、調べてみると長崎県に出荷され、諫早市の選別工場で段ボールに詰められていることが分かった。長崎県にまで飛んだ島津氏は、この段ボールを作ったデザイナーは熊本県在住なことを知る。旅を続ける中でいろんな人たちと知り合い、さらに段ボール工場を見学した島津氏は、いよいよ憧れの段ボールデザイナーと対面することに。詳細はドキュメンタリー映画を観てもらいたいのだが、それは段ボールを愛する者同士の幸せな邂逅の瞬間となった。島津氏は「段ボールは温かい」という言葉を何度か口にするが、段ボールを作り、愛する人たちもまた同じように温かかったのである。

 島津氏は日常生活に溢れた段ボールという鉱脈を見つけ、段ボールアーティストとして世界的に活躍することになった。『旅するダンボール』はそんな島津氏と出逢うことで、多くの人たちが段ボール愛に目覚めていく物語だ。本作を撮った岡島龍介監督もその一人らしい。カメラを持って島津氏を追い掛けるうちに、段ボールと島津氏の魅力に気づいていった。そして当の島津氏自身も、広がっていく段ボール愛に包まれていく。

 映画を観ながら、ふと考える。もしかしたら段ボール以外にも、意外な鉱脈が日常生活の中に眠っているのかもしれないと。世間的には無価値なものを、世界にひとつしかない宝物に変えてしまう。そんな夢のようなドキュメンター映画は、現在日本各地を旅している真っ最中だ。
(文=長野辰次)

『旅するダンボール』
プロデューサー/汐巻裕子 監督・編集/岡島龍介 撮影/岡島龍介、サム・K・矢野 音楽/吉田大致 VFX/松元遼
出演/島津冬樹 ナレーション/マイケル・キダ
配給/ピクチャーズデプト 12月7日よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿ピカデリーほか全国順次公開中
c) 2018 pictures dept. All Rights Reserved
http://carton-movie.com/

 

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人類史上最大の“タブー”に挑んだ男の実録映画!! 伝統文化と合理性との狭間を生きる『パッドマン』

 禁忌/タブーの語源を知って、驚いた。タブーとは、ポリネシア語で「月経」を意味するタプ(tapu)がその語源となっていた。ポリネシア地方に限らず、世界中で月経は古くからタブー扱いされてきた。会話にすることも憚れ、「あれ」「女の子の日」などと今でも呼ばれている。インド映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』は、そんな人類史上最大のタブーに果敢に挑んだ実在の男性を主人公にしたヒーロー物語となっている。

 日本でも月経は“穢れ”と見なされ、タブー扱いされてきた。生理中は神社を参拝するべきではないなど、タブー視する習慣は現代でも根強く残っている。古くから神々への信仰が日常生活と密接に結びついてきたインドの地方部では、なおさらその傾向が強い。『パッドマン』の物語は2001年から始まるが、主人公ラクシュミは月経を頑なにタブー視する周囲の偏見と日夜闘い続けることになる。

 インドの田舎町で暮らすラクシュミ(アクシャイ・クマール)は美人で慎ましい妻・ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)との結婚式を終え、幸せの絶頂だった。町工場に勤めるラクシュミは、タマネギを刻むたびに涙を流す妻のために自動野菜切り機を考案。また、妻と一緒に乗れるように自転車を2人乗りに改造するアイデアマンだった。妻を喜ばせることがラクシュミのいちばんの幸せだった。

 新婚中のラクシュミは、しばらくして不思議な出来事に遭遇する。食事の時間になっても、妻・ガヤトリは奥の部屋に入ったまま姿を見せようとしない。いつもは同じベッドで眠っているのに、なぜか一人で廊下で寝ようとする。体の具合が悪いのかと思って、ラクシュミが手を伸ばすと、極度に嫌がる。ガヤトリは生理中で、男性と一緒に食事をすることも、同じ部屋で寝ることも禁じられていたのだ。一緒に暮らしている実母や未婚の妹たちもそうやって過ごしてきたことを、男のラクシュミは結婚したことで初めて認識する。

 合理的に物事を考えるラクシュミには、月経に関する風習は納得できないことが多かった。いちばん気がかりなのは、妻が生理の処理に汚れた古布を使っていることだった。市販されている生理用ナプキンは高価すぎると、妻は使おうとしない。それならばとラクシュミは閃く。安くて衛生的な手づくりナプキンを、妻にプレゼントしようと。ここからラクシュミは異常なまでの情熱を燃やし始める。漏れが生じる、ジャストフィットしないなど自家製ナプキンは難問が山積みだった。研究のために多くの女性にモニターになってほしいと声を掛けるラクシュミは、町内ですっかり変態扱いされるはめに。男が生理に関して興味を持つことがおかしいというのだ。愛する妻さえも「恥をかくことは、死ぬことよりつらいわ」という言葉を残して実家へと帰ってしまう。

 挫折を乗り越えてこそ、真のヒーロー誕生である。妻に去られ、町で噂の変態男となってしまったラクシュミは、より本格的にナプキン研究に取り組み始める。生理用ナプキンは綿ではなくセルロースファイバーで作られていることを、米国のメーカーに問い合わせることで初めて知る。欧米にはナプキン製造機が存在するが、輸入するのは容易ではない価格だった。ラクシュミは持ち前のDIY精神で、安価なナプキン製造方法を発案する。問題は男性のラクシュミが作ったナプキンを、どうやって女性たちに使ってもらうかだった。デリーの大学に通う知的な女性パリー(ソーナム・カブール)はラクシュミのナプキンを気に入り、製造&販売に協力する。パリーのナイスアシストによって、ラクシュミのお手頃価格のナプキンはインドだけでなく世界各国で大評判となっていく。

 本作を撮り上げたのは、インド生まれの主婦が英語を学ぶことで明るく社交的になっていく姿を描いた『マダム・イン・ニューヨーク』(12)の女性監督ガウリ・シンデーの夫であるR・バールキ監督。『マダム・イン・ニューヨーク』ではプロデューサーを務めていた。『マダム・イン・ニューヨーク』は旧態依然としたインド社会を風刺コメディ化していたが、インド生まれの英雄談『パッドマン』は男性視点による女性賛歌ムービーだと言えるだろう。

 インド映画らしく、美女たちが歌い踊るミュージカルシーンの華やかさに魅了される。ヒンドゥー教ならではのお祝いやお祭りの場面も多数あり、昔ながらの血縁や地縁がインドの田舎町ではしっかり息づいていることが分かる。ナプキンが原因で別居することになるラクシュミとガヤトリの夫婦だが、それまではインドの神々に見守られながら心豊かな生活を送っていた。だが、神々と共生する世界には、理不尽なタブーも少なからず存在する。月経タブーは本来は感染症を防ぐなどの意味合いがあったはずだが、いつの間にか女性を蔑視する妄信的なタブーとなってしまっていた。

 ラクシュミの作った廉価なナプキンによって、インドの女性たちは生理中も仕事を休まずに済むようになった。それだけでなく、ナプキンの製造と販売を女性たちが請け負うことで、新しい雇用を生み出すことにも繋がった。パッドマンことラクシュミは、多くの女性たちを月経タブーから解放しただけでなく、経済的にも自立させることになったのだ。ナプキンの普及に尽力してくれたパリーへの感謝の気持ちを込めて、ナプキンの商品名を「パリー(妖精)」と名付けるラクシュミだった。一方、実家で暮らしていた妻・ガヤトリにも夫の成功談が伝わり、ラクシュミを変態扱いしていた人々は態度を豹変させることになる。

 洗練された都会育ちのパリーはIT大国となった現代インドの象徴、古風で奥ゆかしい妻・ガヤトリは悠久なるインドの歴史そのものだろう。頭の固い保守的な男性社会を笑い飛ばし、女性たちの社会進出を祝うハレやかな映画『パッドマン』。タイプの異なる2人の美女の狭間で、ラクシュミは最後にどんな決断をするのだろうか。
(文=長野辰次)

『パッドマン 5億人の女性を救った男』
監督・脚本/R・バールキ
出演/アクシャイ・クマール、ソーナム・カプール、ラーディカー・アープテー、アミターブ・バッチャン
配給/ソニー・ピクチャーズエンタテイメント 12月7日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
http://www.padman.jp/site/

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人類史上最大の“タブー”に挑んだ男の実録映画!! 伝統文化と合理性との狭間を生きる『パッドマン』

 禁忌/タブーの語源を知って、驚いた。タブーとは、ポリネシア語で「月経」を意味するタプ(tapu)がその語源となっていた。ポリネシア地方に限らず、世界中で月経は古くからタブー扱いされてきた。会話にすることも憚れ、「あれ」「女の子の日」などと今でも呼ばれている。インド映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』は、そんな人類史上最大のタブーに果敢に挑んだ実在の男性を主人公にしたヒーロー物語となっている。

 日本でも月経は“穢れ”と見なされ、タブー扱いされてきた。生理中は神社を参拝するべきではないなど、タブー視する習慣は現代でも根強く残っている。古くから神々への信仰が日常生活と密接に結びついてきたインドの地方部では、なおさらその傾向が強い。『パッドマン』の物語は2001年から始まるが、主人公ラクシュミは月経を頑なにタブー視する周囲の偏見と日夜闘い続けることになる。

 インドの田舎町で暮らすラクシュミ(アクシャイ・クマール)は美人で慎ましい妻・ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)との結婚式を終え、幸せの絶頂だった。町工場に勤めるラクシュミは、タマネギを刻むたびに涙を流す妻のために自動野菜切り機を考案。また、妻と一緒に乗れるように自転車を2人乗りに改造するアイデアマンだった。妻を喜ばせることがラクシュミのいちばんの幸せだった。

 新婚中のラクシュミは、しばらくして不思議な出来事に遭遇する。食事の時間になっても、妻・ガヤトリは奥の部屋に入ったまま姿を見せようとしない。いつもは同じベッドで眠っているのに、なぜか一人で廊下で寝ようとする。体の具合が悪いのかと思って、ラクシュミが手を伸ばすと、極度に嫌がる。ガヤトリは生理中で、男性と一緒に食事をすることも、同じ部屋で寝ることも禁じられていたのだ。一緒に暮らしている実母や未婚の妹たちもそうやって過ごしてきたことを、男のラクシュミは結婚したことで初めて認識する。

 合理的に物事を考えるラクシュミには、月経に関する風習は納得できないことが多かった。いちばん気がかりなのは、妻が生理の処理に汚れた古布を使っていることだった。市販されている生理用ナプキンは高価すぎると、妻は使おうとしない。それならばとラクシュミは閃く。安くて衛生的な手づくりナプキンを、妻にプレゼントしようと。ここからラクシュミは異常なまでの情熱を燃やし始める。漏れが生じる、ジャストフィットしないなど自家製ナプキンは難問が山積みだった。研究のために多くの女性にモニターになってほしいと声を掛けるラクシュミは、町内ですっかり変態扱いされるはめに。男が生理に関して興味を持つことがおかしいというのだ。愛する妻さえも「恥をかくことは、死ぬことよりつらいわ」という言葉を残して実家へと帰ってしまう。

 挫折を乗り越えてこそ、真のヒーロー誕生である。妻に去られ、町で噂の変態男となってしまったラクシュミは、より本格的にナプキン研究に取り組み始める。生理用ナプキンは綿ではなくセルロースファイバーで作られていることを、米国のメーカーに問い合わせることで初めて知る。欧米にはナプキン製造機が存在するが、輸入するのは容易ではない価格だった。ラクシュミは持ち前のDIY精神で、安価なナプキン製造方法を発案する。問題は男性のラクシュミが作ったナプキンを、どうやって女性たちに使ってもらうかだった。デリーの大学に通う知的な女性パリー(ソーナム・カブール)はラクシュミのナプキンを気に入り、製造&販売に協力する。パリーのナイスアシストによって、ラクシュミのお手頃価格のナプキンはインドだけでなく世界各国で大評判となっていく。

 本作を撮り上げたのは、インド生まれの主婦が英語を学ぶことで明るく社交的になっていく姿を描いた『マダム・イン・ニューヨーク』(12)の女性監督ガウリ・シンデーの夫であるR・バールキ監督。『マダム・イン・ニューヨーク』ではプロデューサーを務めていた。『マダム・イン・ニューヨーク』は旧態依然としたインド社会を風刺コメディ化していたが、インド生まれの英雄談『パッドマン』は男性視点による女性賛歌ムービーだと言えるだろう。

 インド映画らしく、美女たちが歌い踊るミュージカルシーンの華やかさに魅了される。ヒンドゥー教ならではのお祝いやお祭りの場面も多数あり、昔ながらの血縁や地縁がインドの田舎町ではしっかり息づいていることが分かる。ナプキンが原因で別居することになるラクシュミとガヤトリの夫婦だが、それまではインドの神々に見守られながら心豊かな生活を送っていた。だが、神々と共生する世界には、理不尽なタブーも少なからず存在する。月経タブーは本来は感染症を防ぐなどの意味合いがあったはずだが、いつの間にか女性を蔑視する妄信的なタブーとなってしまっていた。

 ラクシュミの作った廉価なナプキンによって、インドの女性たちは生理中も仕事を休まずに済むようになった。それだけでなく、ナプキンの製造と販売を女性たちが請け負うことで、新しい雇用を生み出すことにも繋がった。パッドマンことラクシュミは、多くの女性たちを月経タブーから解放しただけでなく、経済的にも自立させることになったのだ。ナプキンの普及に尽力してくれたパリーへの感謝の気持ちを込めて、ナプキンの商品名を「パリー(妖精)」と名付けるラクシュミだった。一方、実家で暮らしていた妻・ガヤトリにも夫の成功談が伝わり、ラクシュミを変態扱いしていた人々は態度を豹変させることになる。

 洗練された都会育ちのパリーはIT大国となった現代インドの象徴、古風で奥ゆかしい妻・ガヤトリは悠久なるインドの歴史そのものだろう。頭の固い保守的な男性社会を笑い飛ばし、女性たちの社会進出を祝うハレやかな映画『パッドマン』。タイプの異なる2人の美女の狭間で、ラクシュミは最後にどんな決断をするのだろうか。
(文=長野辰次)

『パッドマン 5億人の女性を救った男』
監督・脚本/R・バールキ
出演/アクシャイ・クマール、ソーナム・カプール、ラーディカー・アープテー、アミターブ・バッチャン
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貧困層がサバイブできるのはもはや裏社会のみ!? 犯罪映画『ギャングース』が描く格差社会の実情

 今の日本は真っぷたつに分断されている。年収300万円は貧しいと考える上界、年収300万円なんて夢の生活だと感じる下界とに分かれている。上界の人々には、下界は存在しないに等しい。だが、下界で暮らす人間はどんなにがんばっても、安定した収入を得ることはできず、健康で文化的な生活を送り、家族を養うなんて夢のまた夢の物語だ。『SRサイタマノラッパー』(09)でブレイクした入江悠監督の最新作『ギャングース』は、下界のさらに下界の最下層でもがき苦しむ若者たちを主人公にしている。

 サイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)の3人は、まっとうに働きたくても、働くことができない。身分証がなく、身元保証人もおらず、携帯電話もないので派遣業務に登録することも叶わない。そもそも、彼らには家族も家もない。子どもの頃からネグレクトやDVに遭い、普通の10代が中学や高校に通っている間は、少年院で過ごしてきた。少年院を出ても、どこにも彼らの居場所はない。

 こんな最下層生活から何とか脱出したいとサイケたち少年院の同窓生3人組が思いついたのは、資材窃盗団や振り込め詐欺グループのアガリを奪うことだった。何も正義の味方を気取っているわけではない。犯罪者たちをターゲットにすれば、警察に通報される心配がないからだった。

 道具屋の高田くん(林遣都)から裏社会の情報をもらい、サイケが作戦を考え、少年院で工具の使い方を学んだカズキ、車の運転が得意なタケオがそれぞれの才能を活かすことで、防犯システムをかいくぐり、犯罪グループが集めた裏金をいただく。目標額はひとり当たり1,000万円。それだけあれば、裏社会から足を洗い、表の世界でまっとうな仕事に就くことができるはず。サイケたちはそんな夢を思い描きながら、犯罪者専門のタタキ(強盗)稼業に精を出す。

 本作の原作は、漫画誌「モーニング」(講談社)で2013年~17年に連載された『ギャングース』。それまでの不良少年漫画とは異なり、貧困層の少年たちの育った家庭環境や彼らの生業となる犯罪の手口がとても微細に描写されているのが特徴だった。『最貧困女子』(幻冬舎新書)や『老人喰い』(ちくま新書)などのルポルタージュで知られる鈴木大介氏が11年に出版した『家のない少年たち』(太田出版)を『ギャングース』のベースにしていることが大きい。

『家のない少年たち』を読むと、裏社会でサバイブするサイケたちは、現実世界に実在する生身の人間であることが分かる。裏ツールを専門に扱う道具屋の高田くんも『家のない少年たち』に登場する。人気コミックの実写化とは気軽には呼べない、生々しい息づかい、骨が軋むような痛みが、映画版『ギャングース』の端々からも感じられる。

 本作を撮った入江監督は、埼玉県を舞台にした『サイタマノラッパー』から始まる“北関東三部作”で地方都市でまともな職に就くことができずにいる若者たちのもどかしさを切々と描いてきた。ゼロ年代の日本映画を代表する記念碑的作品となった『サイタマノラッパー』だが、10年の歳月が流れ、社会状況はますます厳しい方向へと向かっている。『ギャングース』の劇中、振り込め詐欺カンパニーの番頭・加藤(金子ノブアキ)は「国の借金を俺たちに押し付けた高齢者たちの蓄えから、ほんの100万~200万円を引き出し、経済に流通させてやっているんだよ」と詭弁を弄する。まともな仕事が得られない若者たちには、それが正論に聞こえてしまう。経済格差は、人間のモラルさえも引き裂いてしまう。

『サイタマノラッパー』のニートな主人公・IKKUは、ラップを興じるときだけは苦い現実を忘れ、TOMやMIGHTYら仲間と繋がることができた。でも、少年院で育ったサイケたちには、学歴もなければ音楽を楽しむ素養もない。キャバ嬢のユキ(山本舞香)たちからカラオケを勧められても、大塚愛の大ヒット曲をデュエットすることすらできなかった。

 そんなサイケたち3人が、ささやかな幸せを感じる瞬間がある。ひと仕事を終え、みんなで牛丼を食べているときだけは、ホッとすることができる。少年院では肉料理が出ることは稀だった。家もなく、家族もなく、定職もない3人だが、一緒に牛丼を食べている時間だけは、家族で過ごすような温かさを味わうことができた。300円~400円で手に入るどんぶり一杯の幸せが、“家のない少年たち”にとっての最高の贅沢だった。

 41歳のときに脳血栓を発症し、裏社会中心のルポライターから文筆家となった鈴木大介氏だが、今でも貧困問題から目を離すことができずにいる。『貧困世代』(講談社現代新書)などの著者・藤田孝典氏との対談で、以下のように語っている。

鈴木「私は1973年生まれですが、私たち団塊ジュニア世代でさえ、今の若い世代の困窮状況を正しく理解できていないと思います。われわれの世代は就職氷河期と重なりましたが、それでも少なくとも就労経験の基礎を積むことになる20代までに、努力すれば報われるという期待感があったし、仕事を選ばなければ食べていくだけのことができました。ところが今の若い貧困層には、努力しても楽になれない、一歩つまずくと本当に食べていけなくなるという強い不安と失望感があります。それほどの萎縮感のなかで育った世代は、近代日本全体にとっても未体験なのだと思います」(「潮」18年6月号)

 映画『ギャングース』では、サイケたち3人は半グレ集団を束ねる裏社会のトップ・安達(MIYABI)を直接タタくことで、一攫千金を狙う。最下層からの脱出を目指し、体を張って闘う3人。入江監督が大好きなジャッキー・チェン映画の世界だ。ジャッキー、サモハン・キンポー、ユン・ピョウが巧みな連係プレーを見せた『プロジェクトA』(83)のような派手なアクションシーンがクライマックスを飾る。社会の底辺で這いつくばって生きる3人が、映画スターのように輝く。

 漫画版『ギャングース』の最終巻(第16巻)では、サイケはその後勉強に打ち込み、不動産ビジネスで成功を収めることになる。また、母子家庭専門住宅をチェーン展開させる。カズキが愛した妹・アヤミは、政治家となって、日本社会の改革に取り組む。現実世界で生きるサイケたちは、漫画のラストシーンを読んで、どう感じただろうか。どこかの映画館に入って、スクリーンの中で活躍する自分たちを観て喝采を送っただろうか。それとも、漫画を読む余裕も映画館に行く暇もないままだろうか。日本社会を分断する社会格差はますます大きなものとなり、セーフティーネットなき谷間に多くの人々が今も呑み込まれつつある。
(文=長野辰次)

『ギャングース』
原作/肥谷圭介、鈴木大介 脚本/入江悠、和田清人 監督/入江悠
出演/高杉真宙、加藤諒、渡辺大知、林遣都、伊東蒼、山本舞香、芦那すみれ、勝矢、般若、菅原健、斉藤祥太、斉藤慶太、金子ノブアキ、篠田麻里子、MIYABI 
配給/キノフィルムズ R15+ 11月23日よりロードショー中
C)2018「ギャングース」FILM PARTNERSC)肥谷圭介・鈴木大介/講談社
http://gangoose-movie.jp/

 

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武器が目覚めさせる、人間の秘めたる暴力衝動!! 村上虹郎主演作『銃』vs池松壮亮主演作『斬、』

 研ぎ澄まされた日本刀の美しさに魅了される人は少なくない。また、洗練された機能美に満ちた拳銃にも人を惹き付ける不思議な力が宿っている。村上虹郎主演作『銃』(公開中)と池松壮亮主演作『斬、』(11月24日公開)は、どちらも人を殺傷する能力を持つ武器に引き寄せられる若者を主人公にした注目作だ。人間の中に潜む暴力衝動と、その内なる衝動を具現化する媒体との関係性を描き出している。

 村上虹郎、広瀬アリス、リリー・フランキーらが出演した『銃』は、芥川賞作家・中村文則の作家デビュー作を、武正晴監督がモノクロ映像とカラー映像を巧みに使い分けることで、拳銃を初めて手にした若者の揺れる感情を臨場感たっぷりに映し出してみせた。武監督はブレイク作『百円の恋』(14)で自堕落女(安藤サクラ)がボクシングを身に付けることで鮮やかに変身していく過程を描いたが、本作でも村上虹郎は拳銃を手に入れたことで大きな変身を遂げる。

 主人公のトオル(村上虹郎)は大学の授業を受けるだけの毎日に退屈していたが、ある夜から世界が一変する。雨が降る晩、トオルは河原で1人の男性の死体を見つけ、近くに拳銃が落ちていることに気づく。雨に濡れた拳銃は外灯に照らされて鈍い光を放ち、手に心地よい重さを感じさせた。トオルは警察に通報することなく、拳銃をアパートに持ち帰り、じっと眺めたり、手入れをすることが楽しくて仕方なくなる。

「実弾入りの銃を俺は持っている」という意識が、トオルの性格を変えていく。温厚な人物が車のハンドルを握った途端にスピードを出すことに取り憑かれるように、トオルの内面もどんどん変わっていく。友人に誘われた合コンでもいつになく強気で、お持ち帰りされたトースト女(日南響子)とのSEXに興じる。まるで拳銃と同化したかのように、旺盛な性欲を吐き出すトオルだった。

 同じ大学に通うユウコ(広瀬アリス)は、トオルの内面的変化に気づいて心配するが、拳銃を隠していることを誰にも話せないトオルの中で暴力衝動は日に日に溜まっていく。トオルを職務質問した刑事(リリー・フランキー)は「あなたは人を撃ちたくなる」と予言し、その言葉どおりとなる。トオルの撃つべきターゲットが決まった。アパートの隣室で、いつも息子を虐待しているDV女(新垣里沙)だ。拳銃のトリガーを引く標的を見つけたことで、トオルはかつてない興奮と緊張感を味わうことになる。

 池松壮亮と蒼井優が共演した『斬、』は、インディーズ映画の雄・塚本晋也監督が初めて手掛けた時代劇だ。江戸時代末期の農村が舞台。浪人の杢之進(池松壮亮)は磨き上げた剣の腕を世に役立てたいと考えている。農家の娘・ゆう(蒼井優)たちの畑仕事を手伝いながら、ゆうの弟・市助(前田隆成)を相手に木刀での稽古に汗を流していた。ある日、物静かな侍・澤村(塚本晋也)が神社の境内で別の侍を一撃で斬り倒す現場を、3人は目撃する。澤村の見事な剣筋に魅了された杢之進と市助は、澤村から動乱の京都でひと旗挙げようと誘われ、それに応じる。出発を直前に控え、血気盛んな市助は流れ者の源田(中村達也)を頭とする浪人集団と諍いを起こし、取り返しのつかない事態を招いてしまう。

 村上虹郎演じるトオルは拳銃を手にしたことで実弾を発射したくて堪らなくなるのに対し、池松壮亮演じる杢之進はかなり剣の修業を積んでおり、無益な殺生は避けたいと考えている。一度でも自分の中の暴力衝動を解き放ってしまうと、元の自分には戻れなくなってしまうことを自覚しているからだ。杢之進は自分の中に淀んだ衝動が溜まってくと、こまめにオナニーすることで自分をコントロールしようとする。理性と性欲と暴力衝動とがバランスを取り合う形で、物語は進んでいく。

 時代劇設定の『斬、』は、塚本監督の代名詞であるSFパンクムービー『鉄男』(89)の兄弟作と言える内容だ。『鉄男』の気弱な主人公(田口トモロヲ)は金属に肉体を侵蝕され、暴力衝動に身を任せた別人格へと変身してしまう。主人公が変身するきっかけを与えたのは、謎の男・ヤツ(塚本晋也)だった。『斬、』でも塚本晋也演じる“剣の達人”澤村が、杢之進を別人格へと変身させる。これからの戦乱の世でひと旗挙げるには、生ぬるい理性を抱えたままでは不可能だからだ。理性の留め具を外された杢之進の中から、とてつもなくおぞましいものが姿を見せることになる。

 国内外の多くのクリエイターに影響を与えた『鉄男』の時代劇バージョンとも呼べる『斬、』だが、塚本監督の前作『野火』(15)をよりミニマムに絞り込んだ作品にもなっている。戦争映画『野火』では戦場という過酷な状況の中で追い詰められた人間が否応無しに変貌していく姿をまざまざと描き出してみせた。今回は一人の人間の中に、戦争という地獄を呼び寄せる因子が隠されていることを塚本監督は暴き出してみせる。池松壮亮の鍛えられた肉体の中から現われるものは、いったい何だろうか。

 武器があるから人間は暴力衝動に駆られるのか、それとも訓練を積めば暴力衝動はきちんと制御することができるのか。核ミサイルを搭載した米軍爆撃機に出撃命令をくだす衝動から逃れられない『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(63)のようなキチガイ司令官が現実世界に現われないことを願う。
(文=長野辰次)

『銃』
原作/中村文則 脚本/武正晴、宍戸英紀 監督/武正晴
出演/村上虹郎、広瀬アリス、日南響子、新垣里沙、岡山天心、後藤淳平、中村有志、日向丈、片山萌美、寺十吾、サヘル・ローズ、山中秀樹、リリー・フランキー
配給/KATSU-do、太秦 11月17日よりテアトル新宿ほか全国ロードショー中
c)吉本興業
http://thegunmovie.official-movie.com/

『斬、』
監督・脚本・撮影・編集・製作/塚本晋也
出演/池松壮亮、蒼井優、中村達也、前田隆成、塚本晋也
配給/日本映画社 11月24日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国公開
(c)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
http://zan-movie.com/

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