最凶宇宙人と性悪少女のほっこり系SFドラマ!“東映特撮”へのオマージュ『サイコ・ゴアマン』

 サイコーにゴキゲンなSF映画が、カナダからやってきた。その名は『サイコ・ゴアマン』(原題『PG(PSYCHO GOREMAN)』)。笑いとバイオレンスと社会風刺が、絶妙にブレンドされたエンタメ作品だ。主人公は田舎町で暮らす幼い兄妹。ある日、兄妹は奇妙な宇宙人と遭遇し、日常からはみだした刺激的な日々が始まるというもの。藤子・F・不二雄ワールドやスピルバーグ監督の『E.T.』(1982)などを…

続きを読む

ドイツ市民600万人を虐殺する実録報復ドラマ! ユダヤ人が結成したナチ狩り部隊『復讐者たち』

 ホロコースト映画の多くは、ゲットーや強制収容所に送り込まれたユダヤ人たちが次々と虐殺されるシーンが再現される。第二次世界大戦中に大量虐殺されたユダヤ人は600万人以上におよぶと言われている。だが、ユダヤ人はただ黙ってナチス兵に殺されるだけだったのだろうか? ドイツ&イスラエルによる合作映画『復讐者たち』(英題『PLAN A』)は、これまでのホロコーストものとは一線を画す実録サスペンス映画だ…

続きを読む

“密告社会”で芽生えた恋愛感情は成就するのか? 台湾発のホラー映画『返校 言葉が消えた日』

 恐ろしい悪夢から目覚めると、そこは現実の世界だった。だが、現実の世界は悪夢よりもさらに恐ろしかった。台湾で2019年に大ヒットし、映画賞を総なめした『返校 言葉が消えた日』は、生々しいリアリティーを感じさせるホラー映画だ。日本人が観てもどこかノスタルジックな気分になる、1960年代の台湾の高校に通う少年少女たちの純真さが悲劇を引き起こすことになる。

 本作がモチーフにしている…

続きを読む

男尊女卑社会に鉄槌を下す孤高のバッドナース!医大の闇『プロミシング・ヤング・ウーマン』

 もうすぐ30歳になる独身女性のキャシーは、かつては医大生だった。学内でも成績優秀で、将来は一流の医者となり、輝かしい未来が待っているはずだった。だが、ある事件をきっかけにキャシーは大学を中退。その後、彼女は女を性欲の吐け口としてしか見ない男たちに怒りの鉄槌を下すことになる。今年の米国アカデミー賞で脚本賞を受賞した『プロミシング・ヤング・ウーマン』(原題『PROMISING YOUNG WO…

続きを読む

令和日本は「鎖国」状態が続いたままだった!? 難民申請をめぐるドキュメント『東京クルド』

 日本は今も鎖国状態が続いている。そう言うと、あなたは笑うだろうか。「江戸時代じゃあるまいし。東京オリンピックも始まるじゃないか」と否定するだろうか。もちろん、大手メディアは世界各国から選ばれた五輪選手たちの活躍を、連日にわたって伝えるに違いない。だが、その一方では日本の難民申請に対する法務省の難民認定率は0.53%(2020年)に過ぎず、入管こと出入国在留管理庁の収容所に入れられた外国人た…

続きを読む

“愛に生きる女”高岡早紀が連続殺人鬼を怪演!! 劇場版『リカ 自称28歳の純愛モンスター』

「雨宮リカ、28歳です」

 高岡早紀が笑顔でその台詞を口にするたびに、死体の数は増えていった。東海テレビ制作、フジテレビ系列で2019年に放映された深夜ドラマ『リカ』は、連続殺人鬼役の高岡早紀の怪演ぶりが話題を呼んだ。自称28歳、独身の元看護師・雨宮リカが新しい愛を求める劇場版『リカ 自称28歳の純愛モンスター』が全国の映画館で公開中だ。TV版以上に、よりグロテスクに、よりおか…

続きを読む

消耗品ではない、アニメーションの豊かな可能性 新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

  異例のロングランヒットを記録し、現在も地方での上映が続いている片渕須直監督の劇場アニメ『この世界の片隅に』の公開スタートから3年。2時間9分あった上映時間が2時間48分に増え、再構成されたのが『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』だ。新シーンが加わったことで、すでに『この世界の片隅に』を観ている人も新しい解釈が楽しめる、新作映画となっている。上映時間は長くなったが、決して冗漫さは感じさせない。

 広島市出身の漫画家・こうの史代が2007年から09年にかけて「漫画アクション」(双葉社)で連載した『この世界の片隅に』は、広島市の海苔農家で育った平凡な女の子・すずが軍港として栄えた呉市へと嫁入りし、戦争のさなかに自分の居場所を築いていく過程を描いたもの。片渕監督は時代考証に徹底的にこだわり、戦時下におけるリアルな日常アニメという特異なジャンルに仕立ててみせた。高畑勲監督の薫陶を受けた片渕監督ならではの労作だった。

 情報量の多い原作コミックをぎゅっと凝縮したようだったオリジナル版『この世界の片隅に』だったが、カット数が増えたことで、絵を描くこと以外は何の取り柄もない新妻・すず(声:のん)の慎ましい日常生活が、より穏やかでユーモラスなものとなった。原作のダイジェストではなく、劇場アニメとしての独自のリズム、独特のコクのようなものが生じているように感じられる。

 オリジナル版とのいちばん大きな違いは、白木リン(声:岩井七世)をめぐるエピソードが大幅に増えた点だ。オリジナル版では割愛されていたが、遊郭に勤めるリンとすずの夫・周作(声:細谷佳正)との間には、かつて男女の関係があったことが明かされる。すずとリン、すずと周作との関係性は、オリジナル版に比べて大きく変わることになる。周作はリンとの結婚を考えていたことをすずは知ることになり、自分はリンの代用品なのかと周作への怒りの感情をたぎらせる。おっとりした印象が強かったすずだが、内面では激しい感情の起伏があったことが分かる。

 周作をめぐって三角関係にあるものの、すずは幼年期を一緒に過ごしたような懐かしさを感じさせるリンのことは憎めずにいる。嫁ぎ先での自分の居場所、役割を探し続けるすずに対し、リンは「子どもでも、売られてもそれなりに生きとる。この世界に居場所はそうそうのうなりゃせんよ」という言葉を投げ掛ける。貧しい家に生まれ、体ひとつで生き延びてきたリンだからこその台詞だ。すずとリンだけでなく、リンと同じ遊郭で働くテルちゃん(声:花澤香菜)とも、すずは束の間のガールズトークを咲かせることになる。

 ガールズトークのシーンは、どれも秀逸だ。リンやテルちゃんとのガールズトークが加わったことで、すでに描かれていた周作の母・サン(声:新谷真弓)、周作の姉・径子(声:尾身美詞)、すずの妹・すみ(声:潘めぐみ)たちとのガールズトークもより際立つものとなった。戦時下の女性たちは不自由を強いられていたが、その分だけ彼女たちは土地にしっかりと根を下ろして生きようとする。女たちのたくましさが、とても愛おしい。

 だが、すずがようやく見つけた居場所は、米軍が投下した爆弾によって、簡単に吹き飛ばされてしまう。すずが最初に仲良くなった径子の娘・晴美(声:稲葉菜月)は、すずの右手と一緒にこの世界から消えてしまう。「この世界に居場所はそうそうのうなりゃせんよ」と話していたリンさえ、花見で出会ったのが最期となった。そして、8月6日。すずの故郷・広島市に新型爆弾が投下される。戦争は、爆弾は無慈悲に、すずが愛したものたちを奪い去ってしまう。

 物語の終盤、右手を失い、得意の絵を描くことも、家事を果たすこともできなくなったすずの頭を、“白い手”が空中からにゅっと現れて、優しくなでる。原作コミックやオリジナル版にも登場した“白い手”は、どうやらすずが空襲で失った右手らしい。でも、オリジナル版の劇場公開、テレビ放送、そして『さらにいくつもの片隅に』と何度も観ているうちに、この“白い手”はもっと深い意味を持つもののように思えてきた。宙に浮かんだ“白い手”は、すずが右手を失わずに済んだ、もうひとつの世界を示唆するものではないだろうか。

 すずが右手を失っていなければ、幼い晴美も無事に生きていたかもしれない。だが、逆に晴美は生き残り、すずが吹き飛んでいた可能性もある。どちらが幸か不幸か、秤で比べることはできない。結局のところ、人間はいくつかの偶然が重なって見つけた居場所で生きていくことしかできない。タイトルバックで描かれた白いタンポポの綿毛のように。

 日本政府が「クールジャパン」として後押しするアニメ産業は、近年ますます華やかなものとなっている。今の日本の映画界は、アニメ作品によって支えられているといってもいいだろう。だが、どんなに企画開発やアニメーションづくりに手間暇を費やしても、劇場公開が終わり、ソフト化された後は、忘れ去られてしまう作品がほとんだ。二次元の世界にアニメーターたちが汗水流して命を吹き込んだアニメーションが、単なる消耗品となってしまっている現状がある。

 今回の『さらにいくつもの片隅に』の試みは、常に新しい情報、新しい刺激を求め続ける消費社会への、片渕監督なりの闘いのように思えてならない。すずの失った右手が、片渕監督を『さらにいくつもの片隅に』へと導いたのではないだろうか。

 この世界には、さまざまな片隅が存在し、それぞれの片隅がお互いを認め合うことで、この世界は成り立っている。そのことに気づいた瞬間、自分のいる世界はとても豊かなものになる。それぞれの世界が豊かなら、戦争をする必要もない。片渕監督の作品は、そんな当たり前のことに気づかせてくれる。

 ひとつの物語を、違った視点を交えて繰り返し味わうことで、新しい発見が生まれ、より豊かな物語へと熟成されていく。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の劇場公開は、そんな贅沢な楽しみ方を観客が体験する場となっている。

(文=長野辰次)

『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
原作/こうの史代 監督・脚本/片渕須直 音楽/コトリンゴ
声の出演/のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、花澤香菜、澁谷天外配給/東京テアトル 12月20日(金)よりテアトル新宿、渋谷ユーロスペースほか全国公開
(c)2019 こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
公式サイト<https://ikutsumono-katasumini.jp

働くほど不幸になるシステムっておかしくない? 非正規雇用者を襲うアリ地獄『家族を想うとき』

 真面目に働けば働くほど、生活は苦しくなり、幸せが遠のいていく。矛盾した話だが、それが今ある格差社会の現実だ。休みなく働き続けても、暮らしはまるで楽にならず、身も心もボロボロになってしまう。社会派映画の巨匠ケン・ローチ監督の最新作『家族を想うとき』(原題『Sorry we missed you』)は、下流層から抜け出そうと努める平凡な家族を襲う悲劇を描いたシビアな作品となっている。

 主人公は英国のニューカッスルで暮らすターナー家の家長であるリッキー(クリス・ヒッチェン)。これまで多くの現場で肉体労働に従事してきたリッキーは、このまま誰かにこき使われるだけの人生はごめんだと、一念発起して個人事業主になることを決意する。リッキーが選んだ業種は、宅配ドライバーだ。大手宅配サービス会社とのフライチャンズ契約だが、自分の力量次第で大きく稼ぐことができるという。ネットショッピング全盛の今、仕事はいくらでもあった。

 リッキーの妻・アビー(デビー・ハニーウッド)は、パートの介護士をしている。リッキーは業務用のバンを購入するためのローンを組み、アビーがそれまで使っていた愛車は手放すことになる。「2年間我慢して働けば、念願のマイホームが手に入る」というリッキーの言葉に渋々ながら従うしかなかった。各地に暮らす高齢者や障害者たちの自宅を訪問するのにアビーはバスを利用することになり、1日の多くを移動時間に奪われてしまう。

 リッキーは朝早くから宅配便の集配所へと向かい、1日14時間、無遅刻無欠席で働き続ける。宅配便は届ける時間が細かく指定されており、道路の混雑や駐車スペースがなかったなどの言い訳は許されない。あまりの忙しさにトイレに行く暇もなく、車内に用意した尿瓶で用を足すしかなかった。一方のアビーも、厳しい状況に追い込まれる。痴呆症の高齢者に、アビーの家庭の内情は理解してもらえない。移動時間を考えると、どうしても手際よく仕事を進めなくてはならないのだが、相手は感情を持った人間であり、流れ作業で済むものではない。高齢者も障害者も自分の本当の家族のつもりで接してきたアビーは、つらい日々を過ごすことになる。

 リッキーは個人事業主として親会社とフライチャンズ契約を結んでいるわけだが、個人事業主とは名ばかりで、さまざまなルールで縛られている。そのルールを破ると、ペナルティーを支払わなければならず、その日の売り上げはまるで残らない。個人事業主なので、仕事で使っているバンの経費やメンテナンス料は自分で払う必要がある。リッキーが病気やけがをしても、仕事を休むことは許されない。もし、休むのなら自分で代わりのドライバーを見つけなくてはならず、さもないと違約金が生じることになる。

 両親が家にいる時間がほとんどなく、その影響が子どもたちに現れることになる。長男のセブ(リス・ストーン)は高校を休みがちになり、壁への落書き“グラフティー”に夢中になっていく。12歳の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)は、不眠症になってしまう。子どもたちの問題で、リッキーとアビーは口論が絶えない。家族のために懸命に働いているリッキーとアビーだが、2人が頑張って働けば働くほど、家族はバラバラになり、どんどん不幸になってしまう。

 電通で起きた過労自死事件がきっかけとなり、日本でも「働き方改革」が進むようになったものの、正規雇用の社員たちを対象にしたものがほとんどだ。非正規雇用の労働者たちは、その恩恵には与ることは少ない。リッキーのような個人事業主には、労働組合もない。相談できる仲間もおらず、毎日を綱渡りのように生き延びるしかないリッキー。そのしわ寄せが、妻のアビーや子どもたちに向かうことになる。勤勉に働き、慎ましく暮らしてきたターナー家は、一家そろってアリ地獄に陥ってしまった。英国だけでなく、日本でも現実に起きている非正規雇用者をめぐる悲劇である。

 以前は優等生だった長男のセブだが、真面目に学校を卒業しても父と同じような道をたどることになるのかと思うと、ますます反抗的になっていく。ギスギスしたターナー家に明るさをもたらしてくれるのは、末っ子のライザ・ジェーンだ。この子はとても純真で心が優しく、土曜日は父親の運転するバンに同乗して、宅配作業のお手伝いをする。娘が一緒なので、リッキーはいつも以上に張り切って働く。このシーンは本当にほほえましい。その日のターナー家は、久しぶりに一家全員で夕食を楽しむことになる。

 ところが、そんな家族の温かい光景が、さらなるトラブルを招くことに。リッキーが家族をバンに乗せていることが、顧客から親会社へと通報される。リッキーに圧力を掛けるのは親会社だけではなく、当たり前のように宅配サービスを享受している我々消費者もまたこのー家を苦しめていた。業務用の車に本人以外の人間を乗せることは業務違反になると、リッキーは警告される。リッキーはすべて親会社の言いなりにならざるを得ず、もはや何のために働いているのか、生きているのか分からなくなってしまう。リッキーは現代社会の奴隷そのものだった。

 社会を円滑に動かし、人々を平等に扱うはずのシステムがひとり歩きし、いつの間にかシステムそのものが人間を支配するようになってしまった。セブが学校で問題を起こし、親会社から派遣されている現場管理者のマロニー(ロス・ブリュースター)に仕事を早退させてほしいとリッキーは頼むが、答えはNOだった。マロニーは個人的な事情にいっさい左右されないことで、親会社の決めた流通システムを守ってきた。ひとりのドライバーの事情で、そのシステムを止めるわけにはいかないのだとマロニーは冷たい表情で語る。システムの中において、リッキーたちドライバーも、システムを管理するマロニーも、もはや人間ではなくシステムを動かすための歯車のひとつでしかなかった。

 社会福祉の問題点を訴えた前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)を最後に引退するつもりだったケン・ローチ監督だが、英国だけでなく世界中で広がる格差社会の劣悪な現状を見逃すことができなかった。20年間にわたって配管工の仕事をしてきたクリス・ヒッチェンら無名の俳優たちをオーディションで選び、これまで同様に本作もリアルなドラマに仕上げている。舞台となる集配所に集まる宅配ドライバーたちは、現役ドライバーか元ドライバーたちだ。ルールに厳格な鉄仮面マロニーを演じたロス・ブリュースターは、現役の警察官とのこと。なるほどと思わせる配役となっている。

 システムをつくった人間たちが、逆にシステムに支配されてしまっている。間違ったシステムの中で人間らしく生きようとすると、当然ながらボロボロになってしまう。おかしいものはおかしいと誰かが叫ばないと、いつまでも間違ったシステムの中で走り続けなくてはならない。量販店の名ばかり管理職は休日返上で働き続けて体を壊し、身も心も酷使する宅配ドライバーたちはわずか数年後には転職を余儀なくされる。フライチャンズ 契約を結んだ親会社に休むことを認められなかったコンビニ店長は自死へと追い込まれ、残された家族は多額の借金を背負わされた。叫びたくても、言葉にすることができずにいる労働者とその家族はもっともっと多い。

 1936年生まれ、83歳になるケン・ローチ監督は、そんな彼らの言葉にならない声をすくい上げ、観る者の心に響く作品に仕上げてみせている。願わくば、ふだん映画を観ない方たちにもご覧になってほしい。
(文=長野辰次)

『家族を想うとき』
監督/ケン・ローチ 脚本・ポール・ラヴァティ
出演/クリス・ヒッチェン、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター、ロス・ブリュースター
配給/ロングライド 12 月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開(c)Joss Barratt, Sixteen Films 2019
https://longride.jp/kazoku/

夢のスーパーカーを開発した男のトンデモ人生! 仕事のためなら手も汚す『ジョン・デロリアン』

 この人がいなかったら、大人気SF映画はずいぶんと違ったものになっていたに違いない。そう思わせるのが、天才的自動車エンジニアとして活躍したジョン・デロリアンだ。そう、彼の名前がつけられた「デロリアン」は、わずか8000台しか生産されなかった幻の名車。SF映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)に登場するタイムマシンのベース車として、広く知られることになった。劇映画『ジョン・デロリアン』(原題『Driven』)は、ジョン・デロリアンを主人公にした実録ドラマ。だが単なる偉人伝ではなく、夢を実現するためなら自分の手を汚すことも厭わなかった裏の顔にもスポットライトを当てている。

 ジョン・デロリアンは1925年の米国デトロイト生まれ。フォード社で働いていた父親はアルコール依存症で、決して裕福ではない家庭で育った。ゼネラルモーターズ社に入ったジョンは、スポーツカーの名車として親しまれることになるポンティアックGTOを生み出し、大成功を収める。ポンティアック・ファイアーバードの開発も彼が指揮した。1960年代に人気を博したマッスルカーの生みの親だった。

 ジョンは40代の若さでゼネラルモーターズの副社長に就任し、次期社長と目される。誰もが羨むような年収と地位を与えられながらも、彼はあっさりと退職。大企業の経営者になることよりも、エンジニアとしてまったく新しいコンセプトの新車を開発する道を選ぶ。新車「DMC-12」こと「デロリアン」のドアは横ではなく、上下に開き、両ドアが開いた様子はまるで翼を広げているよう。洗練されたデザインを含め、未来を先取りした夢の車だった。

 映画『ジョン・デロリアン』はジョンがゼネラルモーターズを去り、デロリアン開発に熱中していた1977年から始まるドラマとなっている。本作をよりユニークなものにしているのは、カリフォルニアの豪邸で暮らすジョン(リー・ペイス)の隣人であるジム・ホフマン(ジェイソン・サダイキス)の視点から描いているというところだ。

 アメリカンドリームの体現者であるジョンは颯爽とした容姿に加え、成功を収めた後も新車開発という夢を追い続けている。絵に描いたようなカッコいい男だ。小型飛行機の操縦士ジムは、引越し先のお隣がジョン・デロリアン宅だと知って驚く。ジョンは気さくな性格で、家族ぐるみでの交流が始まった。ジョンの豪邸で開かれるパーティーにもお呼ばれするようになるが、付き合ううちにジョンのセレブとしての表の顔とは異なる裏の顔もいろいろと知ることになる。

 自信家のジョンは、ビジネスマンとしても大胆だった。デロリアンを生産するための工場を、武力紛争の真っ最中だった北アイルランドに建設する。イギリス政府からの助成金を狙ってのものだった。夢の車デロリアンの生産がついに始まるが、高価すぎて売れ行きは思わしくない。資金繰りに困ったジョンは、隣人のジムに助けを求める。ジムは裏社会の大物モーガン(マイケル・カドリッツ)との繋がりがあった。モーガンとのドラッグビジネスでひと稼ぎし、急場を凌ごうとジョンは考えていた。

 ジョンの華やかな生活を隣家から眺めていたジムの心の中に、これまで感じたことのない不思議な感情が湧き上がってくる。ジョンにドラッグの売人であるモーガンを紹介すれば、ジョンからは感謝される。もちろん、それだけでは済まない。ジョンの秘密を知ること、つまりは有名セレブの殺生与奪権をジムは握ることになる。小型飛行機で世界各地を飛び回ってきたジムは、副業でドラッグの運び屋も兼ね、またFBIと司法取引した情報屋でもあった。かの有名なジョン・デロリアンが裏社会の大物モーガンとドラッグビジネスで通じていることをFBIに伝えれば、一大スキャンダルになる。ジムは密かな快感に酔いしれる。

 キラキラと輝いているものに憧れ、それと同時に嫉妬し、その輝きを穢してやりたい、自分の手で破壊してみたい。人間にはそんな暗い欲望が、心の奥に潜んでいる。2008年6月に起きた「秋葉原無差別殺傷事件」、2019年7月に起きた「京都アニメーション放火事件」も、キラキラと輝く世界に憧れた男の心の中に芽生えた狂気が生み出した惨劇だった。日本で起きた大量殺人事件とは状況は異なるが、常に誰かの命令に従って生きてきたジムの心の中にも、ジョンの築いた夢の世界を壊してみたいという気持ちが膨れ、抑え切れなくなってしまう。

 このように紹介すると後味の悪い犯罪ドラマだと思われるだろうが、コメディ映画『なんちゃって家族』(13)に主演したジェイソン・サダイキスは小心者のジムを人間味たっぷりに好演。自分のことを信頼しているジョンをFBIに売るかどうか、最後の最後まで悩むことになる。また、ジムは根っからの悪人ではないことを理解しているジムの妻・エレン(ジュディ・グリア)の存在も大きい。明るい性格のエレンが、夫・ジムをしっかりと支えている。秋葉原や「京都アニメーション」で凶行に走った犯人たちにも、心の支えになってくれる人がひとりでもいれば、あの惨劇は防げたのではないだろうか。

 ジョン・デロリアンは、夢の車を生み出し、自動車史に名前を残した。一方のジム・ホフマンは名声にも財産にも縁はなかったが、妻と子どもには恵まれた。名声や財産よりも、ずっと大切なものをジムは手に入れていたのだと思う。

(文=長野辰次)

『ジョン・デロリアン』
監督/ニック・ハム 脚本/コリン・ベイトマン 共同脚本/アレハンドロ・カーピオ
出演/リー・ペイス、ジェイソン・サダイキス、ジュディ・グリア、イザベル・アレイザ、マイケル・カドリッツ、エリン・モリアーティ、コリー・ストール
配給/ツイン 12月7日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
(c) Driven Film Productions 2018
http://delorean-movie.jp

 

ネトフリ“全裸監督”は序章にすぎなかった!? 借金50億円からの脱出『M 村西とおる 狂熱の日々』

 

 2019年の流行語大賞に“全裸監督”と“表現の不自由”は、なぜノミネートすらされなかったのだろうか。自粛、忖度がはびこり、“表現の不自由”な国となった日本において、Netflixオリジナルドラマ『全裸監督』は黒船級のインパクトを与えた(参照記事)。業界の常識にとらわれずに、裏本やAVの世界でのし上がっていく村西とおるのギラギラとした生き様が、山田孝之の熱演を介してパソコン画面から伝わってきた。

 村西がAV界で成功を収め、絶頂期を迎えたところで、Netflixオリジナルドラマ『全裸監督』全8話は終わりを迎えた。村西が率いたビデオメーカー「ダイヤモンド映像」は、年収100億円を稼ぎ出したという。だが、それだけでは、村西とおる伝説のごく一部分にしか触れていないことになる。バブル経済が弾け、「ダイヤモンド映像」は倒産。「空からスケベが降ってくる」をキャッチフレーズに、衛星放送事業に手を出した村西には多額の負債が残った。借金総額は50億円。年収100億円から借金50億円生活へ。ものすごい落差だ。

 バブル崩壊後、多くの人が借金に追われて失踪し、命を絶った。ドラマの原作となった『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版)には、村西も闇金に手を出し、自殺を強要されたことが記されている。死の淵を何度も覗くことになった村西だが、それでも彼は今も生きている。ドキュメンタリー映画『M 村西とおる 狂熱の日々』には、そんな村西が借金まみれになりながらも懸命に再起をはかる姿が記録されている。

 本作のベースとなっているのは、あるVシネマのお蔵入り状態となっていたメイキング映像だ。1996年8月。借金50億円を抱え、どん底状態にあった村西は起死回生を狙って、北海道へと旅立つ。業界初となるDVDでの上映時間4時間をこえる超大作Vシネマをロケ撮影し、同時に35本のヘアヌードビデオを撮ろうとする。撮影期間は2週間。このときの様子を追ったメイキング映像は、ベータテープで120本にも及んだ。この未公開映像を編集し、2017年時の村西へのインタビューなどを新たに加えて、構成したものとなっている。

 村西は夏の北海道が大好きだった。北国の夏はとても短いが、そんなはかなさを村西は愛していた。また、北海道は村西が「北大神田書店」という裏本の販売網をつくって村西伝説の第一章を生み出した出発点でもある。思い入れの強い北海道での復活を、村西は考えていた。

 北海道の広々とした大草原を、40人近い全裸の女の子たちが列をつくって歩き、馬跳びをし、童謡を合唱する。異様な光景である。しかも、ヘアヌードビデオの撮影と同時に、超大作Vシネマも監督しなくてはならない。だが、脚本はまだ白紙状態。あまりにも無謀な強行軍だった。

 おそらく、絶頂期の村西だったら、こんな無茶なスケジュールでも乗り切ってみせただろう。才能とパワーみなぎる村西のもとには、知性と淫乱さのギャップが魅力だった黒木香、巨乳ブームを巻き起こした松坂季実子、メガネ美女の野坂なつみ、アイドル級のルックスを誇った桜樹ルイ……といった逸材が次々と集まった。だが、今回の北海道ロケのために掻き集められたヌードモデルたちは、どうもパッとしない。現場が寒々しいのは、北海道の気候のせいだけではなかった。

 撮影現場の雰囲気は最悪だった。全裸姿で草原を歩かせられていたモデルたちは、プロ意識が薄く、撮影スケジュールがグダグダなことに文句をつける。黒木香は「圧倒的な才能には屈服するしかありません」と村西のことを評したが、以前のような神通力は村西から失われている。Vシネマの脚本がまとらず、徹夜続きだった村西はブチ切れてしまう。撮影現場だけでなく、宿泊先のホテルにも気まずい空気が流れる。結局、村西の気に入らないモデルたちは退場を命じられる。そのことからスタッフ間にも亀裂が生じ、現場のテンションはますます下がっていく。まさに泥沼状態、負のスパイラルだった。

 ヘアヌードビデオの撮影がうまく進まず、Vシネマもトラブルが続出する。クランクイン直前になって、男優の配役が入れ替わり、メインキャストから外された男優は東京へ帰ると言い出す。撮影本番では女優の直前で止まるはずだった劇車のブレーキが効かず、女優を轢いてしまう大アクシデントに見舞われる。現場はもうトラブルの連続。それでも村西はカメラを回すことを諦めようとしない。

 ヌードモデルたちを引き連れた村西は、人里離れた渓流を登っていく。このシーンで流れるBGMは、ワーグナー作曲「ワルキューレの騎行」だ。村西が『地獄の黙示録』(79)のカーツ大佐(マーロン・ブランド)に思えてくる。どんなにボロボロの落ち目のAV監督でも、村西はこのヘアヌードビデオとVシネマの撮影現場を仕切る最高責任者であり、絶対的な権力を持つ王さまなのだ。王さまに逆らう者は容赦なく、王国から追放される。でも、体を張って王国のために尽くす女の子には、王さまは優しい言葉でねぎらうことを忘れない。Vシネマの撮影では、村西はアイパッチ姿の悪役を楽しげに演じてみせる。裸の王さま、ここにあり。50億円もの借金を抱えている男とは、到底思えない。

 お蔵入り状態のメイキング映像の存在を知り、一本のドキュメンタリー映画に仕立てたのは、『アジアの純真』(09)や『いぬむこいり』(17)などエッジの効いたインディーズ映画を放ってきた片嶋一貴監督。アダルト業界で脚光を浴びた村西とは、直接的なつながりはない。それゆえに客観的な立場から、村西という男の面白さ、タフさを浮かび上がらせていく。

 北海道でさんざん苦労した超大作Vシネマは『北の国から 愛の旅路』というタイトルで何とか完成するも、50億円という多額の借金の前では焼け石に水だった。このシーンで、甘粕正彦の辞世の句が紹介される。

「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」

 甘粕正彦は「満州国」建国の際に暗躍した軍人。ベルナルド・ベルトリッチ監督作『ラストエンペラー』(87)では、坂本龍一が甘粕役を演じたことでも知られている。甘粕は満州映画協会(満映)の理事長を務めた映画人でもあったが、終戦直後の1945年8月20日に服毒自殺を遂げた。幻の満州国をつくった男と幻のアダルト帝国を築いた男の生き様を、片嶋監督は映画の中でクロスさせてみせる。

 軍人とAV監督とではジャンルがまるで異なるが、どちらも途方もないスケールの夢を抱き、それを実現しようと試みた。誰にも忖度することなく形容するならば、2人は大のロマンチストだった。幻に終わった王国のことを想うとき、人は少しだけセンチメンタルになる。

 映画の終盤、インタビューに答える現在の村西のコメントが奮っている。あの丁寧な口調で、村西はこう振り返る。

「50億の借金を抱え、前科7犯の私が言うとお叱りを受けそうですが、本当にラッキーな人生だったなと思います」

 幸せな人生を送った人は、実は人生の半分しか楽しんでいない。なぜなら、幸福と不幸の両方を体験しなければ、本当の人生を味わったことにはならないからだ。絶頂とどん底の両方を満喫した村西は、人生という名のフルコースを味わい尽くした男だといえるだろう。

 70歳を過ぎた村西は、まだ再起を諦めていない。バブル期にある中国で、アダルト産業を興すという野望を抱いているそうだ。村西はアダルト版「満州国」の建国を夢見ているのかもしれない。

(文=長野辰次)

 

『M 村西とおる 狂熱の日々 完全版』
監督/片嶋一貴 プロデューサー/丸山小月
出演/村西とおる、本橋信宏、玉袋筋太郎、西原理恵子、高須克弥、松原隆一郎、宮台真司、片岡鶴太郎、卑弥呼、桜樹ルイ、乃木真梨子、野坂なつみ、沙羅樹、松坂季実子、黒木香
配給/東映ビデオ R15+ 11月30日(土)よりテアトル新宿、丸の内TOEIほか全国順次公開
(c)2019 M PROJECT

※11月30日(土)丸の内TOEI2、12月7日(土)福岡中洲大洋映画劇場、12月13日(金)アースシネマズ姫路、12月14日(土)テアトル梅田、12月15日(日)名古屋シネマスコーレにて、村西とおる舞台挨拶ツアーを予定。https://m-kyonetsu.jp