人類史上最大の“タブー”に挑んだ男の実録映画!! 伝統文化と合理性との狭間を生きる『パッドマン』

 禁忌/タブーの語源を知って、驚いた。タブーとは、ポリネシア語で「月経」を意味するタプ(tapu)がその語源となっていた。ポリネシア地方に限らず、世界中で月経は古くからタブー扱いされてきた。会話にすることも憚れ、「あれ」「女の子の日」などと今でも呼ばれている。インド映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』は、そんな人類史上最大のタブーに果敢に挑んだ実在の男性を主人公にしたヒーロー物語となっている。

 日本でも月経は“穢れ”と見なされ、タブー扱いされてきた。生理中は神社を参拝するべきではないなど、タブー視する習慣は現代でも根強く残っている。古くから神々への信仰が日常生活と密接に結びついてきたインドの地方部では、なおさらその傾向が強い。『パッドマン』の物語は2001年から始まるが、主人公ラクシュミは月経を頑なにタブー視する周囲の偏見と日夜闘い続けることになる。

 インドの田舎町で暮らすラクシュミ(アクシャイ・クマール)は美人で慎ましい妻・ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)との結婚式を終え、幸せの絶頂だった。町工場に勤めるラクシュミは、タマネギを刻むたびに涙を流す妻のために自動野菜切り機を考案。また、妻と一緒に乗れるように自転車を2人乗りに改造するアイデアマンだった。妻を喜ばせることがラクシュミのいちばんの幸せだった。

 新婚中のラクシュミは、しばらくして不思議な出来事に遭遇する。食事の時間になっても、妻・ガヤトリは奥の部屋に入ったまま姿を見せようとしない。いつもは同じベッドで眠っているのに、なぜか一人で廊下で寝ようとする。体の具合が悪いのかと思って、ラクシュミが手を伸ばすと、極度に嫌がる。ガヤトリは生理中で、男性と一緒に食事をすることも、同じ部屋で寝ることも禁じられていたのだ。一緒に暮らしている実母や未婚の妹たちもそうやって過ごしてきたことを、男のラクシュミは結婚したことで初めて認識する。

 合理的に物事を考えるラクシュミには、月経に関する風習は納得できないことが多かった。いちばん気がかりなのは、妻が生理の処理に汚れた古布を使っていることだった。市販されている生理用ナプキンは高価すぎると、妻は使おうとしない。それならばとラクシュミは閃く。安くて衛生的な手づくりナプキンを、妻にプレゼントしようと。ここからラクシュミは異常なまでの情熱を燃やし始める。漏れが生じる、ジャストフィットしないなど自家製ナプキンは難問が山積みだった。研究のために多くの女性にモニターになってほしいと声を掛けるラクシュミは、町内ですっかり変態扱いされるはめに。男が生理に関して興味を持つことがおかしいというのだ。愛する妻さえも「恥をかくことは、死ぬことよりつらいわ」という言葉を残して実家へと帰ってしまう。

 挫折を乗り越えてこそ、真のヒーロー誕生である。妻に去られ、町で噂の変態男となってしまったラクシュミは、より本格的にナプキン研究に取り組み始める。生理用ナプキンは綿ではなくセルロースファイバーで作られていることを、米国のメーカーに問い合わせることで初めて知る。欧米にはナプキン製造機が存在するが、輸入するのは容易ではない価格だった。ラクシュミは持ち前のDIY精神で、安価なナプキン製造方法を発案する。問題は男性のラクシュミが作ったナプキンを、どうやって女性たちに使ってもらうかだった。デリーの大学に通う知的な女性パリー(ソーナム・カブール)はラクシュミのナプキンを気に入り、製造&販売に協力する。パリーのナイスアシストによって、ラクシュミのお手頃価格のナプキンはインドだけでなく世界各国で大評判となっていく。

 本作を撮り上げたのは、インド生まれの主婦が英語を学ぶことで明るく社交的になっていく姿を描いた『マダム・イン・ニューヨーク』(12)の女性監督ガウリ・シンデーの夫であるR・バールキ監督。『マダム・イン・ニューヨーク』ではプロデューサーを務めていた。『マダム・イン・ニューヨーク』は旧態依然としたインド社会を風刺コメディ化していたが、インド生まれの英雄談『パッドマン』は男性視点による女性賛歌ムービーだと言えるだろう。

 インド映画らしく、美女たちが歌い踊るミュージカルシーンの華やかさに魅了される。ヒンドゥー教ならではのお祝いやお祭りの場面も多数あり、昔ながらの血縁や地縁がインドの田舎町ではしっかり息づいていることが分かる。ナプキンが原因で別居することになるラクシュミとガヤトリの夫婦だが、それまではインドの神々に見守られながら心豊かな生活を送っていた。だが、神々と共生する世界には、理不尽なタブーも少なからず存在する。月経タブーは本来は感染症を防ぐなどの意味合いがあったはずだが、いつの間にか女性を蔑視する妄信的なタブーとなってしまっていた。

 ラクシュミの作った廉価なナプキンによって、インドの女性たちは生理中も仕事を休まずに済むようになった。それだけでなく、ナプキンの製造と販売を女性たちが請け負うことで、新しい雇用を生み出すことにも繋がった。パッドマンことラクシュミは、多くの女性たちを月経タブーから解放しただけでなく、経済的にも自立させることになったのだ。ナプキンの普及に尽力してくれたパリーへの感謝の気持ちを込めて、ナプキンの商品名を「パリー(妖精)」と名付けるラクシュミだった。一方、実家で暮らしていた妻・ガヤトリにも夫の成功談が伝わり、ラクシュミを変態扱いしていた人々は態度を豹変させることになる。

 洗練された都会育ちのパリーはIT大国となった現代インドの象徴、古風で奥ゆかしい妻・ガヤトリは悠久なるインドの歴史そのものだろう。頭の固い保守的な男性社会を笑い飛ばし、女性たちの社会進出を祝うハレやかな映画『パッドマン』。タイプの異なる2人の美女の狭間で、ラクシュミは最後にどんな決断をするのだろうか。
(文=長野辰次)

『パッドマン 5億人の女性を救った男』
監督・脚本/R・バールキ
出演/アクシャイ・クマール、ソーナム・カプール、ラーディカー・アープテー、アミターブ・バッチャン
配給/ソニー・ピクチャーズエンタテイメント 12月7日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
http://www.padman.jp/site/

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人類史上最大の“タブー”に挑んだ男の実録映画!! 伝統文化と合理性との狭間を生きる『パッドマン』

 禁忌/タブーの語源を知って、驚いた。タブーとは、ポリネシア語で「月経」を意味するタプ(tapu)がその語源となっていた。ポリネシア地方に限らず、世界中で月経は古くからタブー扱いされてきた。会話にすることも憚れ、「あれ」「女の子の日」などと今でも呼ばれている。インド映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』は、そんな人類史上最大のタブーに果敢に挑んだ実在の男性を主人公にしたヒーロー物語となっている。

 日本でも月経は“穢れ”と見なされ、タブー扱いされてきた。生理中は神社を参拝するべきではないなど、タブー視する習慣は現代でも根強く残っている。古くから神々への信仰が日常生活と密接に結びついてきたインドの地方部では、なおさらその傾向が強い。『パッドマン』の物語は2001年から始まるが、主人公ラクシュミは月経を頑なにタブー視する周囲の偏見と日夜闘い続けることになる。

 インドの田舎町で暮らすラクシュミ(アクシャイ・クマール)は美人で慎ましい妻・ガヤトリ(ラーディカー・アープテー)との結婚式を終え、幸せの絶頂だった。町工場に勤めるラクシュミは、タマネギを刻むたびに涙を流す妻のために自動野菜切り機を考案。また、妻と一緒に乗れるように自転車を2人乗りに改造するアイデアマンだった。妻を喜ばせることがラクシュミのいちばんの幸せだった。

 新婚中のラクシュミは、しばらくして不思議な出来事に遭遇する。食事の時間になっても、妻・ガヤトリは奥の部屋に入ったまま姿を見せようとしない。いつもは同じベッドで眠っているのに、なぜか一人で廊下で寝ようとする。体の具合が悪いのかと思って、ラクシュミが手を伸ばすと、極度に嫌がる。ガヤトリは生理中で、男性と一緒に食事をすることも、同じ部屋で寝ることも禁じられていたのだ。一緒に暮らしている実母や未婚の妹たちもそうやって過ごしてきたことを、男のラクシュミは結婚したことで初めて認識する。

 合理的に物事を考えるラクシュミには、月経に関する風習は納得できないことが多かった。いちばん気がかりなのは、妻が生理の処理に汚れた古布を使っていることだった。市販されている生理用ナプキンは高価すぎると、妻は使おうとしない。それならばとラクシュミは閃く。安くて衛生的な手づくりナプキンを、妻にプレゼントしようと。ここからラクシュミは異常なまでの情熱を燃やし始める。漏れが生じる、ジャストフィットしないなど自家製ナプキンは難問が山積みだった。研究のために多くの女性にモニターになってほしいと声を掛けるラクシュミは、町内ですっかり変態扱いされるはめに。男が生理に関して興味を持つことがおかしいというのだ。愛する妻さえも「恥をかくことは、死ぬことよりつらいわ」という言葉を残して実家へと帰ってしまう。

 挫折を乗り越えてこそ、真のヒーロー誕生である。妻に去られ、町で噂の変態男となってしまったラクシュミは、より本格的にナプキン研究に取り組み始める。生理用ナプキンは綿ではなくセルロースファイバーで作られていることを、米国のメーカーに問い合わせることで初めて知る。欧米にはナプキン製造機が存在するが、輸入するのは容易ではない価格だった。ラクシュミは持ち前のDIY精神で、安価なナプキン製造方法を発案する。問題は男性のラクシュミが作ったナプキンを、どうやって女性たちに使ってもらうかだった。デリーの大学に通う知的な女性パリー(ソーナム・カブール)はラクシュミのナプキンを気に入り、製造&販売に協力する。パリーのナイスアシストによって、ラクシュミのお手頃価格のナプキンはインドだけでなく世界各国で大評判となっていく。

 本作を撮り上げたのは、インド生まれの主婦が英語を学ぶことで明るく社交的になっていく姿を描いた『マダム・イン・ニューヨーク』(12)の女性監督ガウリ・シンデーの夫であるR・バールキ監督。『マダム・イン・ニューヨーク』ではプロデューサーを務めていた。『マダム・イン・ニューヨーク』は旧態依然としたインド社会を風刺コメディ化していたが、インド生まれの英雄談『パッドマン』は男性視点による女性賛歌ムービーだと言えるだろう。

 インド映画らしく、美女たちが歌い踊るミュージカルシーンの華やかさに魅了される。ヒンドゥー教ならではのお祝いやお祭りの場面も多数あり、昔ながらの血縁や地縁がインドの田舎町ではしっかり息づいていることが分かる。ナプキンが原因で別居することになるラクシュミとガヤトリの夫婦だが、それまではインドの神々に見守られながら心豊かな生活を送っていた。だが、神々と共生する世界には、理不尽なタブーも少なからず存在する。月経タブーは本来は感染症を防ぐなどの意味合いがあったはずだが、いつの間にか女性を蔑視する妄信的なタブーとなってしまっていた。

 ラクシュミの作った廉価なナプキンによって、インドの女性たちは生理中も仕事を休まずに済むようになった。それだけでなく、ナプキンの製造と販売を女性たちが請け負うことで、新しい雇用を生み出すことにも繋がった。パッドマンことラクシュミは、多くの女性たちを月経タブーから解放しただけでなく、経済的にも自立させることになったのだ。ナプキンの普及に尽力してくれたパリーへの感謝の気持ちを込めて、ナプキンの商品名を「パリー(妖精)」と名付けるラクシュミだった。一方、実家で暮らしていた妻・ガヤトリにも夫の成功談が伝わり、ラクシュミを変態扱いしていた人々は態度を豹変させることになる。

 洗練された都会育ちのパリーはIT大国となった現代インドの象徴、古風で奥ゆかしい妻・ガヤトリは悠久なるインドの歴史そのものだろう。頭の固い保守的な男性社会を笑い飛ばし、女性たちの社会進出を祝うハレやかな映画『パッドマン』。タイプの異なる2人の美女の狭間で、ラクシュミは最後にどんな決断をするのだろうか。
(文=長野辰次)

『パッドマン 5億人の女性を救った男』
監督・脚本/R・バールキ
出演/アクシャイ・クマール、ソーナム・カプール、ラーディカー・アープテー、アミターブ・バッチャン
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人気漫画家・押見修造の思春期の体験を映画化! 苦い青春『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

 自分が心の中で感じたこと、考えたことを完璧に話すことができる人はこの世界にどれだけいるのだろうか。うまい言葉を見つけ、誰かに伝えようとすればするほど、サイズの合わない靴を履いてしまったような違和感を覚えてしまう。映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、『アバンギャルド夢子』『惡の華』(講談社)などで知られる人気漫画家・押見修造が10代の頃に吃音症に悩んだ実体験をベースにした同名コミック(太田出版)の実写化作品だ。コンプレックスを抱えた思春期の少年少女たちが傷つきながらも成長していく姿を、真摯に描いた作品となっている。

 大島志乃(南沙良)は入学したばかりの高校1年生。新しいクラスでさっそく一人ずつ自己紹介することになるが、志乃は自分の名前を言えずにいた。ずっとひとりで自己紹介の練習をしてきたが、クラスメイトが見ている前ではどうしても言葉が詰まってしまう。焦るあまり、「……志乃、大島です」と名乗ってしまう。母音が特に言いづらいのだ。志乃が吃音症であることを知らないクラスメイトたちは爆笑する。サイアクの高校デビューだった。

 自己紹介でつまずいてしまった志乃は、普段の授業でも発言できなくなってしまう。担任の教師(山田キヌヲ)は志乃を呼び出し、「緊張しているのかな? 名前くらい言えるようになろうよ。がんばって」と励ます。志乃はがんばっているが、どうがんばっても心で思っていることが口に出来ないから苦しいのだ。昼休みにひとりでお弁当を食べていた志乃は、同じクラスの加代(蒔田彩珠)が休み時間はいつもイヤホンをして音楽を聴いていることに気づく。志乃と違って孤高さが漂い、かっこいい。声を掛けられずに志乃がもじもじしているのを見て、加代はぶっきらぼうに「しゃべれないなら、書けばいいじゃん」とメモ帳とペンを渡す。これがきっかけで、志乃は加代の自宅に遊びにいくようになる。

 加代はロック好きで、ギター演奏に熱中していた。志乃にせがまれた加代は「絶対に笑うなよ」と念を押してから、ギターを手に歌い出す。加代はかなりの音痴だった。加代の意外な一面を知った志乃は、思わず表情を緩めてしまう。このことが加代の逆鱗に触れた。音痴であることは、音楽を愛する加代にとってのトラウマだったのだ。加代はギターを投げ捨てて、「帰れ!」とマジ切れしてしまう。志乃はせっかくできた初めての友達を失ってしまった。

 本作は乃木坂46のショートムービー「天体望遠鏡」やミュージックビデオ「無口なライオン」などを手掛けてきた湯浅弘章監督の長編デビュー作。これまで美少女アイドルたちのキラキラした輝きを映像に収めてきた湯浅監督だが、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』はキラキラと輝けない高校生たちの苦くて、かっこ悪い物語だ。リアルな青春ものにするため、湯浅監督はメインキャストをオーディションで決めている。志乃役の南沙良は、三島有紀子監督の『幼な子われらに生まれ』(17)で義父役の浅野忠信を相手に迫真の親子ゲンカを演じてみせた。加代役の蒔田彩珠も、是枝裕和監督の『三度目の殺人』(17)で福山雅治の娘を好演し、これからが楽しみな逸材だ。

 将来性豊かな南沙良と蒔田彩珠だが、どちらも本作が初めての映画主演。吃音や音痴に悩む主人公たちの繊細な内面にどうアプローチすればいいのか戸惑う2人に対し、湯浅監督は細かい演技指導はしないという立場を貫いた。2人は本気で悩み、日々のシーンを手探りで演じていくしかなかった。加代が音痴なことをつい笑ってしまった志乃は、路上で大号泣しながら謝る。自分がコンプレックスで苦しんでいるのに、他人のことを笑うなんてサイテーだ。志乃役を演じる南沙良は涙と鼻水が滝のように流れ落ちるのを手でぬぐうこともせず、言葉にできない感情を爆発させる。役と本人がシンクロしていく瞬間を、我々は目撃することになる。

 和解した志乃と加代はバンドを組んで、秋の文化祭出場を目指す。うまくしゃべることはできない志乃だが、歌を歌うことは平気だった。しかも、澄んだ声の持ち主だった。バンド名は「しのかよ」。夏休みの間、2人は度胸づけのために、隣町まで出掛けて路上演奏することを日課にした。「しのかよ」がバンドとして成長していく様子を、原作よりも映画はたっぷり時間を割いて描いていく。ロケ地となった静岡県沼津市の海沿いののどかな風景の中で、不器用な2人の少女がゆっくりと友情を育んでいく姿が無性に愛おしく思える。

 無為な日々を過ごしていた女子高生たちが、文化祭に向けて張り切っちゃう青春ストーリーといえば、山下敦弘監督の『リンダリンダリンダ』(05)が思い浮かぶが、香椎由宇やペ・ドゥナたちがブルーハーツのお気楽コピーバンドだったのに比べ、近年の青春映画はハードルが高い。劇場アニメ『心が叫びたがってるんだ。』(15)がオリジナルのミュージカルを上演するように、「しのかよ」もオリジナル曲で文化祭のステージに立とうとする。加代が作曲、志乃が作詞して歌うという、加代が考えたプランだった。加代という親友ができたことに充分満足している志乃に、これは重荷だった。さらに志乃の吃音をクラスで真っ先に笑った男子の菊地(萩原利久)がバンドに入れてほしいと懇願してくる。お調子者に見える菊地だが、空気をいつも読めず、中学時代はイジメに遭っていた。「しのかよ」の路上演奏を見て、感激したというのだ。文化祭が近づくが、志乃と加代の間にビミョーな距離が生じていく。10代の彼女らにとって、このビミョーな隙き間は大きな溝となってしまう。

 原作コミックのあとがきを読むと、押見修造は中学2年のときに吃音に悩み、言いたいことが口にできない内向的な性格になったと述べている。だが、そのお陰で他人の表情や仕草から内面を読み取る能力が発達し、蓄積した想いを漫画執筆へと昇華できるようになったと思春期の悩みをポジティブなものへと転嫁している。新作アニメ『未来のミライ』が7月20日(土)から公開される細田守監督も、子どもの頃は吃音でうまくしゃべることができなかったそうだ。ロックバンド「オアシス」のノエル・ギャラガーも吃音をわずらっていたらしい。吃音症でなくても、心で思っていることをうまく言えずにいる人は多いはず。情感豊かな人なら、なおさらだろう。多分、言葉ではうまく表現できない複雑な想いを形にして解放するために、音楽や映画や漫画は存在するんだと思う。

 どんなに笑われても、かっこ悪くても、どうしても誰かに伝えたい想いがある。美少女アイドルたちの輝きを数多く撮ってきた湯浅監督は、そんなテーマの輝けない物語を自分の長編デビュー作に選んだ。表現者たちの想いが『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』には込められている。
(文=長野辰次)

『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
原作/押見修造 脚本/足立紳 監督/湯浅弘章
出演/南沙良、蒔田彩珠、萩原利久、小柳まいか、池田朱那、柿本朱里、中田美優、蒼波純、渡辺哲、山田キヌヲ、奥貫薫
配給/ビターズ・エンド 7月14日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
(c)押見修造/太田出版(c)2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会
http://www.bitters.co.jp/shinochan

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