あの「バブルの女帝」を獄中で介護してました――老人ホーム化する刑務所事情

 覚せい剤の使用や密売などで逮捕起訴され、通算12年を塀の中で過ごした後、その経験を基にさまざまな活動を続ける中野瑠美さんが、女子刑務所の実態を語る「知られざる女子刑務所ライフ」シリーズ。

■行き場がなく、ムショで年を重ねていく人は多い

 最近は「障害」ではなく「障碍」と書く傾向もあるのだと、初めて知った瑠美です。

 私には、かわいいかわいい息子たちがいてますが、最近はホンマ子どもが減りましたね。私は子どもがたくさんいて、お年寄りが元気に長生きできる社会がいいと思うのですが、これからどうなっちゃうんですかねえ。もちろん、ムショの少子高齢化も例外ではありません。若い刑務官が不足する一方で、お年寄りの収容者はどんどん増えていて、ムショはすでに老人ホーム化しているのです。

 ちょっと前ですが、生活保護をもらえなくて、下関駅に火をつけて有罪判決を受けたおじいさんが84歳で出所されました。なんと放火の前科が10件だそうです。知的障碍があって、「行くところがなくて火をつける→ムショ」の繰り返しで、人生の半分以上を獄中で過ごされたとか。今は牧師さんが面倒を見ておられるそうで、よかったですね。

 このおじいさんの例は極端としても、行き場がなくてムショに入って年を重ねていく人は多いです。障碍があって働けないとなると、もう懲役しかないというのもあります。

 私が務めた和歌山や岩国の刑務所では、体が不自由な方も一緒に作業していました。こういう人たちは障碍が軽めなんでしょうが、夜は独居房でしたね。起床時の布団上げから洗濯や掃除、食器洗いなどはスピードが勝負の「戦場」モードですから、障碍があると「足手まとい」とされて、イジメに遭ってしまうからです。

■ホリエモンもムネオさんも高齢者を介護

 「懲役」とは、「所定の作業」を行わせる刑罰で、皆さんのイメージは工場でいろんなもの(刑務作業品ですね)を作ったりする感じかと思いますが、ほかにも施設内の清掃、受刑者や刑務官の食事の用意、差し入れされてくる図書の整理なんかも「作業」となります。そして、障碍者や高齢の受刑者の介護というのもあります。これは誰にでもできるわけではなくて、受刑者の作業としては格上なんですよ。ホリエモンこと堀江貴文さんや鈴木宗男さんもムショでは介護をしたはったそうです。元国会議員の山本譲司さんが書かれた本『獄窓記』(新潮社)には、刑務所内での介護の体験をシモの世話のことまで生々しく描かれていると編集者さんから聞きました。

 そして、もちろん私も担当しましたよ、介護(ちょっと自慢)。若い人はご存じないでしょうが、大阪・ミナミにあった料亭「恵川」のおかみさんだった尾上縫(おのうえ・ぬい)さんの介護を長く担当していました。

 80年代不動産バブルも今は昔となりましたが、当時の尾上さんは料亭や雀荘の経営の傍ら株で稼ぎ、「北浜の天才相場師」と言われてました。占いで株の値動きを予想して、「NTT株が上がるぞよー!」というとホンマに上がったとかで、銀行関係者など「信者」もたくさんおられたそうです。

 もちろんバブル崩壊で大損されるわけですが、銀行を騙したとして、まさかの「巨額詐欺事件」に発展します。銀行からの借り入れは約2兆8000億円だったそうですが、フツー料亭のおかみさんに、そんなに貸しますかねえ。縫さんもよくはないけど、やっぱり銀行が悪いと思いますよ。

 ネット情報によりますと、獄中で破産手続きをされた時は、負債総額4300億円で、個人としては史上最高額だそうです。そして、「懲役12年」の判決が確定したのは21世紀になってからで、2003年4月でした。いかんせん被害額がハンパないので、調べることもようけあったからでしょうが、1930年生まれですから、当時もう73歳ですよ。そこから12年て、ため息が出ますよね。私がお世話をさせていただいた頃は、もうお一人では何もできない状態でした。ずっと一緒だったこともあり、私は縫さんが好きでしたね。「養女においで」とも言われました。

 縫さんは、元気な時には毎晩拝んでおられました。そして、私の肩をたたいて「ミーサンが降りてきはったで。ちゃんと守ってもらうように言うたから、安心しいや」と言ってくれました。ミーサンとは「巳さん」で、蛇の神様ですね。「三輪そうめん」で有名な奈良の大神(おおみわ)神社などにおまつりされています。関西ではメジャーだと思うんですが、ご存じでしょうか。

 初犯ですから仮釈放もあったようで、ひっそりと出所されて14年頃に亡くならはったそうです。思い出して、また会いたくなりました。合掌。

中野瑠美(なかの・るみ)
1972年大阪・堺市生まれ。特技は料理。趣味はジェットスキーとゴルフ。『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)や『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)などへの出演でも注目を集める。経営するラウンジ「祭(まつり)

あの「バブルの女帝」を獄中で介護してました――老人ホーム化する刑務所事情

 覚せい剤の使用や密売などで逮捕起訴され、通算12年を塀の中で過ごした後、その経験を基にさまざまな活動を続ける中野瑠美さんが、女子刑務所の実態を語る「知られざる女子刑務所ライフ」シリーズ。

■行き場がなく、ムショで年を重ねていく人は多い

 最近は「障害」ではなく「障碍」と書く傾向もあるのだと、初めて知った瑠美です。

 私には、かわいいかわいい息子たちがいてますが、最近はホンマ子どもが減りましたね。私は子どもがたくさんいて、お年寄りが元気に長生きできる社会がいいと思うのですが、これからどうなっちゃうんですかねえ。もちろん、ムショの少子高齢化も例外ではありません。若い刑務官が不足する一方で、お年寄りの収容者はどんどん増えていて、ムショはすでに老人ホーム化しているのです。

 ちょっと前ですが、生活保護をもらえなくて、下関駅に火をつけて有罪判決を受けたおじいさんが84歳で出所されました。なんと放火の前科が10件だそうです。知的障碍があって、「行くところがなくて火をつける→ムショ」の繰り返しで、人生の半分以上を獄中で過ごされたとか。今は牧師さんが面倒を見ておられるそうで、よかったですね。

 このおじいさんの例は極端としても、行き場がなくてムショに入って年を重ねていく人は多いです。障碍があって働けないとなると、もう懲役しかないというのもあります。

 私が務めた和歌山や岩国の刑務所では、体が不自由な方も一緒に作業していました。こういう人たちは障碍が軽めなんでしょうが、夜は独居房でしたね。起床時の布団上げから洗濯や掃除、食器洗いなどはスピードが勝負の「戦場」モードですから、障碍があると「足手まとい」とされて、イジメに遭ってしまうからです。

■ホリエモンもムネオさんも高齢者を介護

 「懲役」とは、「所定の作業」を行わせる刑罰で、皆さんのイメージは工場でいろんなもの(刑務作業品ですね)を作ったりする感じかと思いますが、ほかにも施設内の清掃、受刑者や刑務官の食事の用意、差し入れされてくる図書の整理なんかも「作業」となります。そして、障碍者や高齢の受刑者の介護というのもあります。これは誰にでもできるわけではなくて、受刑者の作業としては格上なんですよ。ホリエモンこと堀江貴文さんや鈴木宗男さんもムショでは介護をしたはったそうです。元国会議員の山本譲司さんが書かれた本『獄窓記』(新潮社)には、刑務所内での介護の体験をシモの世話のことまで生々しく描かれていると編集者さんから聞きました。

 そして、もちろん私も担当しましたよ、介護(ちょっと自慢)。若い人はご存じないでしょうが、大阪・ミナミにあった料亭「恵川」のおかみさんだった尾上縫(おのうえ・ぬい)さんの介護を長く担当していました。

 80年代不動産バブルも今は昔となりましたが、当時の尾上さんは料亭や雀荘の経営の傍ら株で稼ぎ、「北浜の天才相場師」と言われてました。占いで株の値動きを予想して、「NTT株が上がるぞよー!」というとホンマに上がったとかで、銀行関係者など「信者」もたくさんおられたそうです。

 もちろんバブル崩壊で大損されるわけですが、銀行を騙したとして、まさかの「巨額詐欺事件」に発展します。銀行からの借り入れは約2兆8000億円だったそうですが、フツー料亭のおかみさんに、そんなに貸しますかねえ。縫さんもよくはないけど、やっぱり銀行が悪いと思いますよ。

 ネット情報によりますと、獄中で破産手続きをされた時は、負債総額4300億円で、個人としては史上最高額だそうです。そして、「懲役12年」の判決が確定したのは21世紀になってからで、2003年4月でした。いかんせん被害額がハンパないので、調べることもようけあったからでしょうが、1930年生まれですから、当時もう73歳ですよ。そこから12年て、ため息が出ますよね。私がお世話をさせていただいた頃は、もうお一人では何もできない状態でした。ずっと一緒だったこともあり、私は縫さんが好きでしたね。「養女においで」とも言われました。

 縫さんは、元気な時には毎晩拝んでおられました。そして、私の肩をたたいて「ミーサンが降りてきはったで。ちゃんと守ってもらうように言うたから、安心しいや」と言ってくれました。ミーサンとは「巳さん」で、蛇の神様ですね。「三輪そうめん」で有名な奈良の大神(おおみわ)神社などにおまつりされています。関西ではメジャーだと思うんですが、ご存じでしょうか。

 初犯ですから仮釈放もあったようで、ひっそりと出所されて14年頃に亡くならはったそうです。思い出して、また会いたくなりました。合掌。

中野瑠美(なかの・るみ)
1972年大阪・堺市生まれ。特技は料理。趣味はジェットスキーとゴルフ。『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)や『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)などへの出演でも注目を集める。経営するラウンジ「祭(まつり)

いまバブル文化がウケる理由は? ディスコは「盆踊り」、ペンシルスカートは「ボディコン」

 肩パットバキバキの真っ赤なスーツとソバージュヘアという強烈なビジュアル、そして、バブルをキーワードにしたネタを繰り出す女性ピン芸人の平野ノラが大ブレークしているが、1980年代後半のバブルの頃に一世を風靡したカルチャーが、再び注目を浴びている。

■ディスコ時代は、盆踊り感覚で同じダンスを楽しんだ

 平野がブレイクした理由を「ディスコの人気再燃など、バブル文化復活の兆しが追い風になった」と分析するメディアもある。そうしたリバイバルブームの中でも大きな盛り上がりを見せているのがディスコだ。東京タワーのディスコイベントをはじめとした催しが成功しているが、その中心にいるのは40代以上の大人たち。2月に放送された『マツコ会議』(日本テレビ系)で六本木の伝説のディスコ「マハラジャ」に潜入した際も、懐かしいダンスを楽しんでいたのはアラフォー、アラフィフのバブル謳歌組だった。

 ブームから30年近くたった今、再び彼らがディスコに通う理由を、『ディスコの力』(PHP研究所)の著者で、ディスコブーム再燃の立役者のひとりであるDJ OSSHY氏はこう分析する。

「団体戦を楽しんでいるという感じでしょうか。個人戦よりも“団体金”の喜びの方が大きい、みたいな。抽象的な言い方ですが、あの頃は『ダンスフロアでの一体感に安心感を得ていた時代』であるといえます。それは、踊りであり、手拍子であり、聞きたい曲をリクエストカードに託す思いであったり、みんなで誕生日の人を一緒にお祝いするひと時であったり……。ディスコ時代は、楽曲に“振付”がある曲がたくさんありました。だから盆踊り感覚で、『この曲はこの踊り』『このサビでこの手拍子』のような“お約束”があって、みんなで同じ遊び方をした。それが楽しかったんです」

 90年代以降は個が尊重される時代になり、十人十色、多種多様なニーズに対応する店舗やDJスタイルのクラブに移行していった。OSSHY氏によると、クラブは「俺の選曲を聴け!」的な、上から目線のスタイルが主流だという。

「ディスコは、お客様が踊ってくれてナンボの評価です。だから、DJは『サービス精神』が前提で、お客さんのリクエストに応えていました。カッコ良くてとんがったクラブに行って卑屈に低姿勢で過ごすより、気持ちよくサービスしてくれるディスコの方が、居心地がいいのかもしれませんね」(同)

■若い世代は、バブルを冷静に半笑いで楽しんでいる

 ディスコの復活を歓迎しているのは大人世代だが、それはある意味、懐古ともいえる。また、たとえば最近は、太い眉毛がメイクの主流とはいえ、バブル期のような極太の眉をしている若い女性はいない。ライターでバブル時代研究家のDJGB氏は、若い世代にとってのバブルはコミュニケーションのキーワードなのだと話す。

「現在30歳以下の方々は、生まれて以降『景気がいい時代』がほとんどなかったわけで、バブル時代の現象が新鮮に映るのは当然です。加えて、当時を知る世代には“思い出補正”もあり、語られるのは楽しかったことばかり。若い世代にとっては、『バブルの頃ってホントにこうだったんですか?』という問いが、上の世代とコミュニケーションをとるきっかけとしても、便利なんだと思います」

 また、「こうした回帰ブームは、今回が初めてではない」とDJGB氏は語る。

「まさにバブル絶頂の90年には、その名も『おやじGALS』というグループが『平成スーダラ節』という曲を発売しています。原曲の『スーダラ節』の発売が61年ですから、今回のバブルブームと同じく、約30年周期です。『世代をまたいで話題にできる』のがブームですからね。ただし若い世代は、冷静に、半笑いで楽しんでいるように見えます。バブルファッションが“ウケている”のは事実ですが、決してリバイバルしているわけではないですよね。本気で平野ノラさんの『肩掛けケータイ』『太い眉毛』『肩パット』がおしゃれでカッコイイと思っている人は、まずいないですし(笑)」(DJGB氏)

■父親や母親が着ていた洋服を、娘が着ることも

 ブームは巡る。さまざまな分野で共通して言われている言葉だ。バブル期そのままの文化が復活したわけではないが、ファッション界では当時のブームを受け継いでいるアイテムもあるという。

「最も象徴的なのは、ペンシルスカートだと思います。昔はタイトスカートと言いましたけどね(笑)。ひざ丈のものが主流ですが、体のラインをあらわにするシルエットは、ボディコンの語源であるボディ・コンシャス(体を意識した)のコンセプトに沿ったものです。ボディコンを扱っているブランドもいまだにあって、通販を中心に、意外に売れているようですよ」(ファッションブランド代表)

 そのほかにも86年の映画『トップガン』で流行したフライトジャケットはデザインを今風にして、さらに、バブル絶頂期に注目されたケミカルウォッシュのジーンズも、“ダサかわいい”アイテムとして受け入れられているという。

「バブル期に青春時代を過ごした父親や母親が着ていた洋服を、現代風のコーディネイトにアレンジして、娘が着ることも増えているようです。2015年には、おニャン子クラブが衣装として使い、80~90年代に一世を風靡した、水兵のロゴがトレードマークのブランド『セーラーズ』が復活し、タレントの千秋さんが着たのがきっかけで、順番待ちになるほどの人気です。形を変えながらも、バブル文化は受け継がれているといえると思います」(同)

 バブルを懐かしむ世代と面白がる世代、楽しみ方は年齢によって異なるとはいえ、日本が元気だった時代を象徴する当時の文化、アイテムは、世代を超えて人を惹きつけるパワーを持っているようだ。
(Kazuhiko Inose)

取材協力:
ライター・バブル時代研究家DJGB Twitter Facebook
DJ OSSHY 公式HP

いまバブル文化がウケる理由は? ディスコは「盆踊り」、ペンシルスカートは「ボディコン」

 肩パットバキバキの真っ赤なスーツとソバージュヘアという強烈なビジュアル、そして、バブルをキーワードにしたネタを繰り出す女性ピン芸人の平野ノラが大ブレークしているが、1980年代後半のバブルの頃に一世を風靡したカルチャーが、再び注目を浴びている。

■ディスコ時代は、盆踊り感覚で同じダンスを楽しんだ

 平野がブレイクした理由を「ディスコの人気再燃など、バブル文化復活の兆しが追い風になった」と分析するメディアもある。そうしたリバイバルブームの中でも大きな盛り上がりを見せているのがディスコだ。東京タワーのディスコイベントをはじめとした催しが成功しているが、その中心にいるのは40代以上の大人たち。2月に放送された『マツコ会議』(日本テレビ系)で六本木の伝説のディスコ「マハラジャ」に潜入した際も、懐かしいダンスを楽しんでいたのはアラフォー、アラフィフのバブル謳歌組だった。

 ブームから30年近くたった今、再び彼らがディスコに通う理由を、『ディスコの力』(PHP研究所)の著者で、ディスコブーム再燃の立役者のひとりであるDJ OSSHY氏はこう分析する。

「団体戦を楽しんでいるという感じでしょうか。個人戦よりも“団体金”の喜びの方が大きい、みたいな。抽象的な言い方ですが、あの頃は『ダンスフロアでの一体感に安心感を得ていた時代』であるといえます。それは、踊りであり、手拍子であり、聞きたい曲をリクエストカードに託す思いであったり、みんなで誕生日の人を一緒にお祝いするひと時であったり……。ディスコ時代は、楽曲に“振付”がある曲がたくさんありました。だから盆踊り感覚で、『この曲はこの踊り』『このサビでこの手拍子』のような“お約束”があって、みんなで同じ遊び方をした。それが楽しかったんです」

 90年代以降は個が尊重される時代になり、十人十色、多種多様なニーズに対応する店舗やDJスタイルのクラブに移行していった。OSSHY氏によると、クラブは「俺の選曲を聴け!」的な、上から目線のスタイルが主流だという。

「ディスコは、お客様が踊ってくれてナンボの評価です。だから、DJは『サービス精神』が前提で、お客さんのリクエストに応えていました。カッコ良くてとんがったクラブに行って卑屈に低姿勢で過ごすより、気持ちよくサービスしてくれるディスコの方が、居心地がいいのかもしれませんね」(同)

■若い世代は、バブルを冷静に半笑いで楽しんでいる

 ディスコの復活を歓迎しているのは大人世代だが、それはある意味、懐古ともいえる。また、たとえば最近は、太い眉毛がメイクの主流とはいえ、バブル期のような極太の眉をしている若い女性はいない。ライターでバブル時代研究家のDJGB氏は、若い世代にとってのバブルはコミュニケーションのキーワードなのだと話す。

「現在30歳以下の方々は、生まれて以降『景気がいい時代』がほとんどなかったわけで、バブル時代の現象が新鮮に映るのは当然です。加えて、当時を知る世代には“思い出補正”もあり、語られるのは楽しかったことばかり。若い世代にとっては、『バブルの頃ってホントにこうだったんですか?』という問いが、上の世代とコミュニケーションをとるきっかけとしても、便利なんだと思います」

 また、「こうした回帰ブームは、今回が初めてではない」とDJGB氏は語る。

「まさにバブル絶頂の90年には、その名も『おやじGALS』というグループが『平成スーダラ節』という曲を発売しています。原曲の『スーダラ節』の発売が61年ですから、今回のバブルブームと同じく、約30年周期です。『世代をまたいで話題にできる』のがブームですからね。ただし若い世代は、冷静に、半笑いで楽しんでいるように見えます。バブルファッションが“ウケている”のは事実ですが、決してリバイバルしているわけではないですよね。本気で平野ノラさんの『肩掛けケータイ』『太い眉毛』『肩パット』がおしゃれでカッコイイと思っている人は、まずいないですし(笑)」(DJGB氏)

■父親や母親が着ていた洋服を、娘が着ることも

 ブームは巡る。さまざまな分野で共通して言われている言葉だ。バブル期そのままの文化が復活したわけではないが、ファッション界では当時のブームを受け継いでいるアイテムもあるという。

「最も象徴的なのは、ペンシルスカートだと思います。昔はタイトスカートと言いましたけどね(笑)。ひざ丈のものが主流ですが、体のラインをあらわにするシルエットは、ボディコンの語源であるボディ・コンシャス(体を意識した)のコンセプトに沿ったものです。ボディコンを扱っているブランドもいまだにあって、通販を中心に、意外に売れているようですよ」(ファッションブランド代表)

 そのほかにも86年の映画『トップガン』で流行したフライトジャケットはデザインを今風にして、さらに、バブル絶頂期に注目されたケミカルウォッシュのジーンズも、“ダサかわいい”アイテムとして受け入れられているという。

「バブル期に青春時代を過ごした父親や母親が着ていた洋服を、現代風のコーディネイトにアレンジして、娘が着ることも増えているようです。2015年には、おニャン子クラブが衣装として使い、80~90年代に一世を風靡した、水兵のロゴがトレードマークのブランド『セーラーズ』が復活し、タレントの千秋さんが着たのがきっかけで、順番待ちになるほどの人気です。形を変えながらも、バブル文化は受け継がれているといえると思います」(同)

 バブルを懐かしむ世代と面白がる世代、楽しみ方は年齢によって異なるとはいえ、日本が元気だった時代を象徴する当時の文化、アイテムは、世代を超えて人を惹きつけるパワーを持っているようだ。
(Kazuhiko Inose)

取材協力:
ライター・バブル時代研究家DJGB Twitter Facebook
DJ OSSHY 公式HP

「キャバ嬢としての全盛期が忘れられない」夜の世界から足抜けできなかった女たちの今

 夜の商売で働く女性たち。彼女たちはそれぞれに事情を抱え、本当はやめたいのにやめられずにいる……などというのは昔の話。ヘルスなどの射精産業には暗い裏事情を持つ女性たちもいるというが、キャバクラ嬢たちの中には、至ってカジュアルに夜の世界で働いている女性たちも多い。

■キャバクラを辞めた後は株を始めたり、会社を立ち上げる子

「こないだ昔なじみの黒服がぼやいていましたよ。指名もついて、さあこれから稼いでくれるぞ! って期待していた子が、『彼氏ができたから辞める』ってLINEで送ってきたってね(笑)。それからひと月もたたないうちに別の店で働いているってうわさを聞いて、その店に行ったという客に聞いたら『彼氏と別れたから復帰した』って笑って話していたそうです。店は売れっ子のキャストがひとり抜けたら、けっこうダメージを受けるんですけどね」

 そう話すのは、かつてキャバクラを経営し、今でも店にドレスやスーツを販売する外商として夜の世界に関わるM氏。長年この世界で生きているM氏を慕うキャバクラ関係者は多く、そんな愚痴を聞くのも仕事のうちだ。

「キャバ嬢が店を辞める理由としてよく聞くのは、彼氏がらみですね。彼女が客とはいえ他の男とLINEやメールのやり取りをし、仲良く話をしているのに焼きもちを焼いてしまうんだとか。目端の利く子の中には、キャバ嬢として働いている間に人脈をつくったり、いろんな知識を身につけたりして、店を辞めた後は株を始めたり、会社を立ち上げる子もいます。どんな会社かって? よく聞くのはペット関連です。ペットを飼っているキャバ嬢は多いから、その延長でビジネスを始めるみたいです」

■夜の商売の門戸は広くなっているから、働き口に困らない

 M氏によれば、キャバで働くのは20代。できれば20代半ばまでで足を洗いたいと思っているキャバ嬢が多いという。キャバを抜けた後の身の振り方は結婚、企業の一般職への就職などさまざまだが、中には夜の世界にどっぷりつかり、抜け出せなくなる子も多い。

「見た目が若ければ年齢をごまかして働くこともできるし、ただ若いだけの子より、アラサーくらいの落ち着きのある子の方がいいっていう客もいますからね。30代、40代になっても熟女キャバクラがあるから、働く場所には困らない。太っている子を雇うポチャ専の店もありますしね。夜の商売の門戸は広くなっているから、働き口に困らないという『いい面』がある反面、抜け出せなくなるという『悪い面』もあるんです。選ぶのは本人の自由だから、私がとやかく言うことじゃありませんが、歩けなくなるくらい酒を飲んで、泣きながら愚痴を言っている子を見ると、『ああ、辞めた方が体にもいいのにな』と思います。気楽に働いているように見えても、指名や売り上げなど、彼女たちもいろんなプレッシャーと戦い続けていますから」

 そういうキャバ嬢たちを見ていると、M氏は若かりし頃の顧客だった、キャバレー嬢たちを思い出すという。バブル真っ只中で羽振りの良かった頃、景気よく金を使ってくれた彼女たちも、バブル崩壊による景気の低迷、それに伴い夜の世界も大箱のキャバレー全盛からキャバクラがメインとなっていく中で、ひとり、またひとりと夜の世界から足を洗っていったというが……。

「たまに商売で顔を出す店にね、バブルの頃からの顔なじみがいるんです。キャバレー、キャバクラ、スナックと流れて、今はまたキャバレーに戻ったそうです。あのドラマ、『キャバすか学園』(日本テレビ系)でしたっけ? 全国のキャバクラを渡り歩いているっていう子(小嶋陽菜演じる「こじはる」)が出てきましたが、あの子みたいに、いろんな土地の店を渡り歩いているベテラン嬢は意外といるんですよ」

■自分にとっての“一番いいとき”を忘れられない

 しかし、かつてのキャバレー全盛時代のような収入は望むべくもなく、時給は1,000円ちょっとと、アルバイトや一般職のパートの時給とそれほど変わらない。なぜ、収入の高さというメリットがないのに、夜の世界にこだわるのだろうか?

「ちょっと前に、あるAV女優のドキュメントを見たんですが、売れっ子のときはトップアイドル並みの待遇を受けていたけど、人気が落ちてからは、複数の女優が出演する、ひと山いくらみたいな扱いの作品しかオファーが来ないんだそうです。それなのに辞めない理由を聞かれると、『また昔みたいになりたい』と答えていました。上ったはしごの先から降りられなくなったというのかな? ちやほやされて、はしごを上ったけど、人気がなくなったからとはしごを外されたら、落ちるしかないですよね? そうなったらほとんどの人はあきらめるけど、自分にとっての“一番いいとき”を忘れられず、支える足場がないのに、そこにしがみついてしまう人間もいます。夜の世界から抜けられなくなった女性たちは、『自分にはこの仕事しかできない』と口を揃えて言うのですが、良き時代をいまだに忘れられずにいるのかもしれません」

 自分が一番輝いていた瞬間。「本人にとっての武勇伝」をいい年になっても自慢げに話す男が多いように、それを忘れられないのは女も同じなのかもしれない。夜の世界にこだわるのは本人の自由だ。しかし、M氏はベテラン嬢たちのどこか疲れた背中を見ると、なんともやるせない気持ちになるという。

板東英二脱税騒動、テレビ局編成から「ワイドショーで触れるな」のお達し

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『るるぶ そこ知り 特捜!板東リサ
ーチ』/JTBパブリッシング

 元プロ野球選手でタレントの板東英二(72)の個人事務所が、名古屋国税局に修正申告を求められていたことが発覚した。それ以来、公の場に一切姿を見せていない板東は、「一体何を考えているのだろうか?」と関係者の間で物議を醸している。

 指摘されたのは、2011年8月期までの7年間に、テレビ制作・企画会社に架空の外注をしたように装い、約7,500万円の所得隠しをしていたことだ。重加算税を含めて、すでに約2,800万円の追徴金を支払っているが、ほかにも「倒産した自動車販売会社に貸し付けた金額が回収できなかった」と見せかけるなど、かなり悪質な手口だ。税金は7年前までしか遡れないが、その前から始まっていたとしたら、脱税の根は深い。さらに板東といえば、芸能界一の財テクを自他共に認めていた時代もあったが、バブル崩壊後は、偽装牛肉事件の当事者らとの癒着問題や、法の華・福永法源受刑者との関係で名前が出たこともあり、疑惑はいっそう深まるばかりだ。