滝沢カレンが国語のお勉強! 『NHK高校講座』の絶妙すぎるキャスティング

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滝沢カレン インスタグラムより(@takizawakarenofficial)
「四字熟語とか、とにかく字が好きで生まれてきたから」  四字熟語や本を読むのが好きであることを伝えたいがゆえに、飛躍した表現で訳がわからなくなってしまうのが、いま“変な日本語”で注目を浴びるモデルでタレントの滝沢カレンだ。  たとえば、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)の「THE絶景(美食)遺産」は、破壊的なナレーションで番組屈指の人気コーナーとなっている。  原稿を読めば、漢字の読みはもとより、カタカナの読みもおぼつかない。即興で実況をすれば、「○○とでも言うのでしょうか」とか「あの日がウソのように~」「まるで○○かのような」といった、おそらく彼女がカッコいいと思っている言い回しを駆使して、その間に挟まれる突拍子もない比喩や語彙が、そのアンバランスさを際立たせている。  父親がウクライナ人で母親が日本人のハーフ。だから、外国育ちで日本語がたどたどしいのかと思いきや、そうではない。東京のど真ん中に生まれ、ずっと日本で育ったというのだ。  それを説明する際も「生まれたのはずっと日本ですよ。日本に生まれて今も日本に……。だから日本人として生まれてきたようなものですよ」と、たどたどしい。  そんな滝沢が、なんと今年度から『NHK高校講座』(Eテレ)の生徒役に起用されたのだ。教科は「ベーシック国語」。国語を基礎から学ぼうというものである。実に見事なキャスティングだ。 『NHK高校講座』のキャスティングは侮れない。例えば、昨年度制作された「美術Ⅰ」にはアーティストのシシド・カフカ、ITのことを勉強する「社会と情報」には、パワーポイントを駆使したプレゼンテーションを得意技に持つプロレスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンが起用されている。民放の一歩先行く人選だ。さらに、これはラジオだが、「保健体育」に壇蜜という、これ以上ない抜群のキャスティングも行っている。  今年度では、ほかに「物理基礎」に斉藤由貴を起用。斉藤に物理のイメージはないが、その初回のテーマは「ヨーヨーはなぜ戻ってくるのか?」。  娘役の福本莉子が「押し入れから、こんなのが出てきた」と某スケバンの刑事が使っていた柄のヨーヨーを持ってくると、「なんの因果か、懐かしいわね」と母親役の斉藤が答える。「やってみせてよ」と娘が促すと、斉藤は「ダメダメ。私がヨーヨーを持つと、誰かを必ず傷つけてしまうから……」と言うのだ。完全に遊んでいる。  その極めつきといえるのが、滝沢を起用した「ベーシック国語」なのだ。  教師役は、日本語学者の金田一秀穂。アシスタントには、オウムに扮したナイツの土屋伸之。「今日から1年間、あらためて国語を勉強していくけど、今の気持ちは?」と土屋が問うと「あんなに学校に通っていたのに、全然なんの気もなく、いつも国語の授業を受けてたから、それが今ではすごく引っかかってます……気持ち残りです」と早速、カレン節。すかさず「心残り、ね?」と土屋がフォローした。  番組では、滝沢にプチドッキリを仕掛け、ドラマの偽オーディションを敢行。彼女にセリフを読ませると、番組の思惑通り、「眺望」を「ぜんぼう」、「献上」を「こんがん」、「修繕」を「じゅうぜん」と読み間違えてしまう。  そんな滝沢に「この顔に悪い人はいない!」と評された金田一が、優しく漢字の仕組みを教えていくのだ。  例えば「献」は、分解して「犬」の部分だけを見ると、正しい読み方のヒントが隠されていると。  ちなみに彼女がなぜ「献」を「こん」と読んだのかといえば、「献立」の「こん」だからだという。適当に言っていたわけではなかった。どちらかといえば、特殊な読み方のほうを知っていたのだ。  そう、彼女の日本語がチグハグなのは、その知識のアンバランスさにある。その上で、ほかの「おバカ」タレントと一線を画するのは、彼女は自分を賢く見られたいという強い思いがあるからだ。だから、難しい文語的な言い回しをする。けれど、使い慣れていないし、ちゃんと意味を理解していないから、それがおかしなことになってしまう。そうした意識と知識のズレが、新鮮さと絶妙な面白さを生んでいるのだ。  僕ら視聴者は勝手なものだ。国語の授業に悪戦苦闘する彼女を見て楽しみながらも、こうして勉強していくことで、滝沢の魅力が損なわれてしまうのではないかと思ってしまう。このまま、知識を身につけず、変なままでいてほしいと思ってしまうのだ。  けれど、そんな心配は無用だったのかもしれない。  金田一からの教えを受け、晴れ晴れとした表情の滝沢に、土屋がこの日の授業のポイントを総括するように言う。  すると、驚愕の答えが返ってきた。 「ずばり、漢字は書き順から!」  まったくそんな話はしていないのに!  これには金田一も「素晴らしい!」と苦笑いするしかなかった。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

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『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文藝春秋)

滝沢カレンが国語のお勉強! 『NHK高校講座』の絶妙すぎるキャスティング

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滝沢カレン インスタグラムより(@takizawakarenofficial)
「四字熟語とか、とにかく字が好きで生まれてきたから」  四字熟語や本を読むのが好きであることを伝えたいがゆえに、飛躍した表現で訳がわからなくなってしまうのが、いま“変な日本語”で注目を浴びるモデルでタレントの滝沢カレンだ。  たとえば、『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ系)の「THE絶景(美食)遺産」は、破壊的なナレーションで番組屈指の人気コーナーとなっている。  原稿を読めば、漢字の読みはもとより、カタカナの読みもおぼつかない。即興で実況をすれば、「○○とでも言うのでしょうか」とか「あの日がウソのように~」「まるで○○かのような」といった、おそらく彼女がカッコいいと思っている言い回しを駆使して、その間に挟まれる突拍子もない比喩や語彙が、そのアンバランスさを際立たせている。  父親がウクライナ人で母親が日本人のハーフ。だから、外国育ちで日本語がたどたどしいのかと思いきや、そうではない。東京のど真ん中に生まれ、ずっと日本で育ったというのだ。  それを説明する際も「生まれたのはずっと日本ですよ。日本に生まれて今も日本に……。だから日本人として生まれてきたようなものですよ」と、たどたどしい。  そんな滝沢が、なんと今年度から『NHK高校講座』(Eテレ)の生徒役に起用されたのだ。教科は「ベーシック国語」。国語を基礎から学ぼうというものである。実に見事なキャスティングだ。 『NHK高校講座』のキャスティングは侮れない。例えば、昨年度制作された「美術Ⅰ」にはアーティストのシシド・カフカ、ITのことを勉強する「社会と情報」には、パワーポイントを駆使したプレゼンテーションを得意技に持つプロレスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンが起用されている。民放の一歩先行く人選だ。さらに、これはラジオだが、「保健体育」に壇蜜という、これ以上ない抜群のキャスティングも行っている。  今年度では、ほかに「物理基礎」に斉藤由貴を起用。斉藤に物理のイメージはないが、その初回のテーマは「ヨーヨーはなぜ戻ってくるのか?」。  娘役の福本莉子が「押し入れから、こんなのが出てきた」と某スケバンの刑事が使っていた柄のヨーヨーを持ってくると、「なんの因果か、懐かしいわね」と母親役の斉藤が答える。「やってみせてよ」と娘が促すと、斉藤は「ダメダメ。私がヨーヨーを持つと、誰かを必ず傷つけてしまうから……」と言うのだ。完全に遊んでいる。  その極めつきといえるのが、滝沢を起用した「ベーシック国語」なのだ。  教師役は、日本語学者の金田一秀穂。アシスタントには、オウムに扮したナイツの土屋伸之。「今日から1年間、あらためて国語を勉強していくけど、今の気持ちは?」と土屋が問うと「あんなに学校に通っていたのに、全然なんの気もなく、いつも国語の授業を受けてたから、それが今ではすごく引っかかってます……気持ち残りです」と早速、カレン節。すかさず「心残り、ね?」と土屋がフォローした。  番組では、滝沢にプチドッキリを仕掛け、ドラマの偽オーディションを敢行。彼女にセリフを読ませると、番組の思惑通り、「眺望」を「ぜんぼう」、「献上」を「こんがん」、「修繕」を「じゅうぜん」と読み間違えてしまう。  そんな滝沢に「この顔に悪い人はいない!」と評された金田一が、優しく漢字の仕組みを教えていくのだ。  例えば「献」は、分解して「犬」の部分だけを見ると、正しい読み方のヒントが隠されていると。  ちなみに彼女がなぜ「献」を「こん」と読んだのかといえば、「献立」の「こん」だからだという。適当に言っていたわけではなかった。どちらかといえば、特殊な読み方のほうを知っていたのだ。  そう、彼女の日本語がチグハグなのは、その知識のアンバランスさにある。その上で、ほかの「おバカ」タレントと一線を画するのは、彼女は自分を賢く見られたいという強い思いがあるからだ。だから、難しい文語的な言い回しをする。けれど、使い慣れていないし、ちゃんと意味を理解していないから、それがおかしなことになってしまう。そうした意識と知識のズレが、新鮮さと絶妙な面白さを生んでいるのだ。  僕ら視聴者は勝手なものだ。国語の授業に悪戦苦闘する彼女を見て楽しみながらも、こうして勉強していくことで、滝沢の魅力が損なわれてしまうのではないかと思ってしまう。このまま、知識を身につけず、変なままでいてほしいと思ってしまうのだ。  けれど、そんな心配は無用だったのかもしれない。  金田一からの教えを受け、晴れ晴れとした表情の滝沢に、土屋がこの日の授業のポイントを総括するように言う。  すると、驚愕の答えが返ってきた。 「ずばり、漢字は書き順から!」  まったくそんな話はしていないのに!  これには金田一も「素晴らしい!」と苦笑いするしかなかった。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

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関ジャニだからできた? 『関ジャム』という、マニアックでポップな音楽番組

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『関ジャム 完全燃SHOW』テレビ朝日
「この曲を初めて聴いた時に“ピコ太郎はヤバい奴なんやな”っていうのは、DJのみんなは感じたはずなんです」  音楽プロデューサーのtofubeatsは、昨年大ブレークしたピコ太郎の「PPAP」について、こう語った。 「TR‐808」、通称「ヤオヤ」によるカウベルの音が使われていることに着目し、絶賛したのだ。それは、『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)での一幕だった。この放送は大きな反響を呼んだ。 『関ジャム』は、関ジャニ∞がホストを務める音楽番組である。地上波の音楽番組というと、熱心なポップスファンや、番組MCのファンを除けば、たいていはゲストに出演するアーティスト目当てで見る場合が多いだろう。実際、僕も好きなアーティストが出る時だけ、この番組を見ていた。だが、昨年あたりから、企画自体に惹かれる放送が多くなってきた。  たとえば、昨年1月10日、ゲスの極み乙女。が登場。放送は、あのスキャンダル発覚直後。正直、ゲスな興味半分で見ていた。だが、そんな見方を吹き飛ばすほど、面白い企画をやっていたのだ。  番組では、彼らが普段やっている曲作りを現場で再現するという。支配人の古田新太がテーマをその場で提示すると、川谷絵音がすぐにそれに合った歌詞を次々とスマホに打ち込んでいく。そして、バンドのメンバーと短い言葉のやりとりだけで、即興で曲を作っていくのだ。リアルタイムでハイクオリティな曲ができていく様子は鳥肌モノで、一流アーティストのすごみを、まざまざと見せつけたのだ。  この回以降なのか、『関ジャム』は、楽曲のスゴさや作り方など、よりマニアックな視点をゲストが解説するというような企画が急増していく。そのどれもが、興味深い未知の世界のものだった。かつてゲスト目当てで見ていた番組が企画目当てとなり、それで見た回が毎回面白いから、ついには毎週欠かさず見る番組になった。  人は知らないことを知るほど、知らないことが増えるものだ。なぜなら、今まで、知らないことすら気づいていなかったことを知るからだ。そのことで、まだ未知の世界があることを知るのだ。 『関ジャム』が素晴らしいのは、ひとつの企画で特に面白いと感じた部分、もっと知りたいという部分をすかさず次の企画にして、知りたいという欲求をつなげていることだ。冒頭に挙げたtofubeatsのピコ太郎への賛辞は、「売れっ子音楽プロデューサーが本気で選んだ 2016年のベスト10」という企画の1シーンだった。  そこで、「ヤオヤ」やら「カウベル」といった、僕のように音楽に疎い者にとっては聞き慣れない単語を持ち出しながら解説するtofubeats。「分からない」「知らない」からといって、伝わらないわけではない。むしろ、だからこそ、なんだかスゴそうだというワクワク感があった。  そして、『関ジャム』は、そうした視聴者の知りたいという欲求をくみ取り、3月19日放送回に、ピコ太郎の“プロデューサー”古坂大魔王、ドラマー・電子パーカッショニストのMASAKing、電子楽器メーカー開発担当の高見眞介の3人をゲストに迎え、「PPAP」を電子音楽の側面から徹底解剖したのだ。  たとえば、テンポ。「PPAP」は、1秒間に何拍あるかを示すBPMが136だという。このテンポにするまでに、何度も試行錯誤を繰り返した。笑ってもらうためには、歌詞がハッキリ聞き取れなければならない。  これまでヒットしたお笑い系の楽曲は、たいていがBPM120~140だという。小島よしおの「そんなの関係ねぇ」はBPM128、どぶろっくの「もしかしてだけど」はBPM124と具体的に例を挙げながら示していく。  さらに、実際にBPM150にした「PPAP」と違いを比べてみせ、そのテンポだとリズムが強調され、歌詞が入ってこないことを実証するのだ。  ほかにもイントロや曲の最後の音へのこだわりや、歌詞をより聴かすための曲作りの工夫などを明かしていく。  極めつきは、スマホで聴かれることを想定して、あえて音にディストーション(ひずみ)をかけ、“よごし”を加えることで高音質ではなくしたというこだわり。このことによって、スマホのような小さなスピーカーでも狙い通りの音を聴いてもらえるようにしたというのだ。 「これ作るまでに2年ぐらいかかった」 と古坂は言う。  いみじくも聴いていたゲストが「こんなに深いものが詰まっているとは、全然思っていなかった」と感心し、「これから笑えなくなりそう」と言った。  これは、よく言われることだ。裏側のこだわりなどを知ることで、鑑賞の邪魔になってしまうという意見だ。  もちろん、そういう側面がないとは言わないが、逆にそうした緻密なこだわりを知れば知るほど、よりくだらなさが増して笑えるという面もあるのではないだろうか? 通常の音楽もそうだ。それを知ることによって、聴きどころが増えていく。知らないことを知るというのは、最高のエンタテインメントでもあるのだ。  今、テレビはどこかで聞いたような情報であふれている。それは、マニアックな知識など、視聴者は求めていないと思われてしまっているからだろう。けれど、本当に知りたいのは、当然ながらそれまで知らないことだ。  確かに、マニアックなだけだと、閉塞的なものになってしまう。けれど、『関ジャム』の強みは、関ジャニがホストをしていることだ。  音楽にあまり詳しくない人の視線も、プレイヤーとしての視点もある。さらにバラエティの経験も豊富。テンポの良いやりとりで、番組を軽やかにしている。それは、まさにジャムセッションのようだ。  つまり、マニアックな知識を、関ジャニを通すことでポップな形に変換している。 『関ジャム』は、関ジャニだからこそできる、唯一無二の音楽番組なのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

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『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文藝春秋)

『フリースタイルダンジョン』モンスターたちの“危機感”と、ぶつかり合う価値観が証明するヒップホップの多様性

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『フリースタイルダンジョン』テレビ朝日
「お前のスタイルが王道になっちまうんだったら 今後バトルの熱は相当冷める それが正義だって言うHIP HOPシーンなら 俺は抜いた刀をそっと収めるよ」  ライム至上主義の“隠れモンスター”FORKが美しい韻を踏む。  それに対し、パンチラインを最優先するチャレンジャー・NAIKA MCが返す。 「そっと収めて帰れよじゃあ 別に韻だけじゃなくても勝ち上がる」 「確かに韻はヤバい でも何もできなくてもできることを証明したい」  韻とパンチライン。まさにスタイルとスタイルのぶつかり合い、“スタイルウォーズ”だった。  3rdシーズンのREC5に突入した『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)。このシーズンからは3人のチーム制になったが、REC5の最初のチャレンジャーは「TEAMパンチラインフェチズ」。  その名の通り、巧みに韻を踏むよりも強烈なパンチラインを優先するNAIKA MC、崇勲、TKda黒ぶちの3人だ。 『フリースタイルダンジョン』は、フリースタイル(即興)のラップバトル番組。チャレンジャーは、般若をラスボスとする7人のモンスター(&隠れモンスター)と対戦し、5つのステージをすべて勝利すると賞金100万円がもらえるというルールだ。  前回の収録であるREC4は5チームが挑戦したが、放送はわずか3週。なぜなら、モンスターが圧倒したからだ。初戦でサイプレス上野が敗れた以外は、モンスター側がすべて勝利した。  そこには、現在のフリースタイルブームともいえる状況へ、そのブームを牽引しているといって過言ではないモンスターたちの危機感があったのではないだろうか?  地道に続けられていたフリースタイルバトルの大会や『BAZOOKA!!!』(BSスカパー!)の「高校生ラップ選手権」を経て、地上波の『フリースタイルダンジョン』が盛り上がったことで、フリースタイルバトルは、ひとつのブームとなった。  昨年の「ユリイカ」6月号(青土社)が「日本語ラップ」特集で、「サイゾー」同号が「ニッポンのラップ新潮流」、「クイック・ジャパン」(太田出版)が「フリースタイル」特集と、カルチャー誌がこぞって特集したことが象徴的だ。ちまたでは、僕のようなニワカのファンがあふれ、バラエティ番組などでも、たびたび芸人やタレントがフリースタイルの真似ごとをやっているのを見かけるようにもなった。もちろん、それは裾野を広げるという意味では素晴らしいことだろう。  だが、ブームは燃え上がると途端に冷めてしまうというのは、歴史が証明している。REC4のライブコーナーに登場したCreepy NutsのR-指定は、新曲「助演男優賞」を歌った後、真剣なまなざしでMCを始める。  R-指定はモンスターの中にあって、圧倒的な勝率を誇る現在のフリースタイルバトルシーンを象徴する男だ。バラエティ番組などでも、その代表として登場する機会が多い。 「昔からフリースタイルしてる人間として、今こうやってブームになって『お前らブームに乗ったな』とか言われるのって、すごい複雑」 と、R-指定は切り出した。自分たちは、昔から同じことをしているだけだと。 「手のひら返したように寄ってくるんですけど、俺が卑屈なのか、全部疑ってしまうんですよね。『よっしゃ、俺らの時代来た!』なんて思ってる奴は(いない)。ここに出てる全員、危機感とか複雑な思い抱えてやってます」 「ブームが来て、ブームが去って、カメラがなくなっても雑誌が来なくなっても、やることは一緒です」  そう宣言して、ブームが終わった後、どうなるのかを描いた「未来予想図」を歌うのだった。 「真っ先に槍玉あげられんの俺かな?」という物哀しいフロウは、聴く者の胸に深く突き刺さった。  チャレンジャーが圧倒されたREC4の後のREC5。チャレンジャー「TEAMパンチラインフェチズ」にも、モンスターたちが抱く危機感は伝播し、彼らの心に火をつけたのかもしれない。  最初のステージはお互いに2人で戦う「2 on 2」。崇勲、TKda黒ぶち組が、モンスターの漢 a.k.a GAMI、サイプレス上野組をクリティカル(審査員5人全員一致)で破って、次のステージに勝ち進んだ。  第2ステージは「1 on 1」。そこで勝負の舞台に上がったのが、「TEAMパンチラインフェチズ」のリーダー・NAIKA MCと隠れモンスター・FORKだった。  NAIKA MCの勢いに1本目を落としたFORKは、再び美しいライムを重ねて応戦する。 「俺らはライムで切り開いていくオリジナリティ つまり自己流  ハンドルとHIP HOPは遊びがなきゃ 事故る  事故ったら最後 保険はきかねぇ  自賠責に入ってても 次回席はねえんだよ  2階席で見とけ 時代劇みたいには いかねえんだよ」  これに対しても、NAIKA MCはあくまでもスタイルを変えず「時代劇役者以上に役者」「別に事故んねえよ 問題ない シートベルトして安全に韻踏んでるだけのお前とは違う」などと返していく。  1対1となり、ついに最後の3本目。 「韻というのは 韻と韻の間を埋める言葉への愛だ そこのセンスにHIP HOPがあんだ」  巧みに韻を踏みながら語る、FORKのHIP HOP論。 「韻で表現の自由が固まっちまうなら 俺はそれに踏まれたかねえ 俺の影を踏むなよ アンタの負けになるぜ」  そう返すNAIKA MCのラップもまた、HIP HOP論だ。  最後に、FORKが返す。 「このライム そう全て自由が生まれる 知らねえ ライムするのはHIP HOPっていう理由だ」  審査員長のいとうせいこうも「素晴らしいHIP HOP論」とうなった極上のバトル。ブームで終わらせてたまるかという、思いのこもったような熱い戦い。  ぶつかり合う価値観は逆に、いかにHIP HOPが多様で自由なのかを証明していた。その自由さと多様さこそが、一過性のブームで終わらせないための大きな武器となるはずだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

『フリースタイルダンジョン』モンスターたちの“危機感”と、ぶつかり合う価値観が証明するヒップホップの多様性

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『フリースタイルダンジョン』テレビ朝日
「お前のスタイルが王道になっちまうんだったら 今後バトルの熱は相当冷める それが正義だって言うHIP HOPシーンなら 俺は抜いた刀をそっと収めるよ」  ライム至上主義の“隠れモンスター”FORKが美しい韻を踏む。  それに対し、パンチラインを最優先するチャレンジャー・NAIKA MCが返す。 「そっと収めて帰れよじゃあ 別に韻だけじゃなくても勝ち上がる」 「確かに韻はヤバい でも何もできなくてもできることを証明したい」  韻とパンチライン。まさにスタイルとスタイルのぶつかり合い、“スタイルウォーズ”だった。  3rdシーズンのREC5に突入した『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日系)。このシーズンからは3人のチーム制になったが、REC5の最初のチャレンジャーは「TEAMパンチラインフェチズ」。  その名の通り、巧みに韻を踏むよりも強烈なパンチラインを優先するNAIKA MC、崇勲、TKda黒ぶちの3人だ。 『フリースタイルダンジョン』は、フリースタイル(即興)のラップバトル番組。チャレンジャーは、般若をラスボスとする7人のモンスター(&隠れモンスター)と対戦し、5つのステージをすべて勝利すると賞金100万円がもらえるというルールだ。  前回の収録であるREC4は5チームが挑戦したが、放送はわずか3週。なぜなら、モンスターが圧倒したからだ。初戦でサイプレス上野が敗れた以外は、モンスター側がすべて勝利した。  そこには、現在のフリースタイルブームともいえる状況へ、そのブームを牽引しているといって過言ではないモンスターたちの危機感があったのではないだろうか?  地道に続けられていたフリースタイルバトルの大会や『BAZOOKA!!!』(BSスカパー!)の「高校生ラップ選手権」を経て、地上波の『フリースタイルダンジョン』が盛り上がったことで、フリースタイルバトルは、ひとつのブームとなった。  昨年の「ユリイカ」6月号(青土社)が「日本語ラップ」特集で、「サイゾー」同号が「ニッポンのラップ新潮流」、「クイック・ジャパン」(太田出版)が「フリースタイル」特集と、カルチャー誌がこぞって特集したことが象徴的だ。ちまたでは、僕のようなニワカのファンがあふれ、バラエティ番組などでも、たびたび芸人やタレントがフリースタイルの真似ごとをやっているのを見かけるようにもなった。もちろん、それは裾野を広げるという意味では素晴らしいことだろう。  だが、ブームは燃え上がると途端に冷めてしまうというのは、歴史が証明している。REC4のライブコーナーに登場したCreepy NutsのR-指定は、新曲「助演男優賞」を歌った後、真剣なまなざしでMCを始める。  R-指定はモンスターの中にあって、圧倒的な勝率を誇る現在のフリースタイルバトルシーンを象徴する男だ。バラエティ番組などでも、その代表として登場する機会が多い。 「昔からフリースタイルしてる人間として、今こうやってブームになって『お前らブームに乗ったな』とか言われるのって、すごい複雑」 と、R-指定は切り出した。自分たちは、昔から同じことをしているだけだと。 「手のひら返したように寄ってくるんですけど、俺が卑屈なのか、全部疑ってしまうんですよね。『よっしゃ、俺らの時代来た!』なんて思ってる奴は(いない)。ここに出てる全員、危機感とか複雑な思い抱えてやってます」 「ブームが来て、ブームが去って、カメラがなくなっても雑誌が来なくなっても、やることは一緒です」  そう宣言して、ブームが終わった後、どうなるのかを描いた「未来予想図」を歌うのだった。 「真っ先に槍玉あげられんの俺かな?」という物哀しいフロウは、聴く者の胸に深く突き刺さった。  チャレンジャーが圧倒されたREC4の後のREC5。チャレンジャー「TEAMパンチラインフェチズ」にも、モンスターたちが抱く危機感は伝播し、彼らの心に火をつけたのかもしれない。  最初のステージはお互いに2人で戦う「2 on 2」。崇勲、TKda黒ぶち組が、モンスターの漢 a.k.a GAMI、サイプレス上野組をクリティカル(審査員5人全員一致)で破って、次のステージに勝ち進んだ。  第2ステージは「1 on 1」。そこで勝負の舞台に上がったのが、「TEAMパンチラインフェチズ」のリーダー・NAIKA MCと隠れモンスター・FORKだった。  NAIKA MCの勢いに1本目を落としたFORKは、再び美しいライムを重ねて応戦する。 「俺らはライムで切り開いていくオリジナリティ つまり自己流  ハンドルとHIP HOPは遊びがなきゃ 事故る  事故ったら最後 保険はきかねぇ  自賠責に入ってても 次回席はねえんだよ  2階席で見とけ 時代劇みたいには いかねえんだよ」  これに対しても、NAIKA MCはあくまでもスタイルを変えず「時代劇役者以上に役者」「別に事故んねえよ 問題ない シートベルトして安全に韻踏んでるだけのお前とは違う」などと返していく。  1対1となり、ついに最後の3本目。 「韻というのは 韻と韻の間を埋める言葉への愛だ そこのセンスにHIP HOPがあんだ」  巧みに韻を踏みながら語る、FORKのHIP HOP論。 「韻で表現の自由が固まっちまうなら 俺はそれに踏まれたかねえ 俺の影を踏むなよ アンタの負けになるぜ」  そう返すNAIKA MCのラップもまた、HIP HOP論だ。  最後に、FORKが返す。 「このライム そう全て自由が生まれる 知らねえ ライムするのはHIP HOPっていう理由だ」  審査員長のいとうせいこうも「素晴らしいHIP HOP論」とうなった極上のバトル。ブームで終わらせてたまるかという、思いのこもったような熱い戦い。  ぶつかり合う価値観は逆に、いかにHIP HOPが多様で自由なのかを証明していた。その自由さと多様さこそが、一過性のブームで終わらせないための大きな武器となるはずだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

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『人生でムダなことばかり、みんなテレビに教わった』(文藝春秋)

逃れられない母娘関係の呪縛……『お母さん、娘をやめていいですか?』が描く、“愛情”という名の暴力

逃れられない母娘関係の呪縛……『お母さん、娘をやめていいですか?』が描く、愛情という名の暴力の画像1
『お母さん、娘をやめていいですか?』|NHK ドラマ10
「ママには超能力があるんだと思う。だって、離れていても、私が困っているのがわかる」  時に親友のように、時に恋人のように仲がよい母娘。  娘は、仕事や恋愛の状況、悩みを逐一報告し、母はそれに丁寧に答えていく。母も娘も、お互いが誰よりも相手が自分をわかってくれる存在だと認め、誰よりも自分が相手のことをわかると自負している。  そんな蜜月の関係の危うさを描いたのが『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK総合)だ。  娘・美月を波瑠が、母・顕子を斉藤由貴が演じている。親子役がとてもしっくりくる2人だ。  斉藤は『はね駒』(1986年)、波瑠は『あさが来た』(2015年)と、ともに朝ドラの主演を演じた2人が同じNHKドラマで母娘を演じているという関係性も面白い。  この母娘は、ともに朝ドラヒロインのように「善良」な人だ。基本的に明るく前向きで、相手のことを思いやっている。この2人の関係性を、ドラマでは繰り返し描いている。  たとえば、新築する家の壁紙とフローリングを画像で確認するシーンだ。 「これって、お願いした色?」 と聞き返す母は、頬に手を当て、何やら考えあぐねている。何か不服なことがあるときのクセらしい。  そんな様子の母を見て、娘は言う。 「思ったより、濃くない?」 「そう、ママもそう思う」  2人の意向を受け、業者が少し薄い色に替えると、母が満足げな顔をする。  それを見た娘は、すかさず言うのだ。 「うん、いい! 私、こっちのほうが好き!」 「そう? みっちゃんがそう言うのなら、そうしようか」  母は、娘を思いやって自分の意見を主張せず、娘の好みに合わせようとする。娘は、母を思いやって母の意見を先回りしてくみ取り、自分の意見のように主張する。そうして母は、娘の意見として、自分の思い通りに事を運んでいく。そこに、娘の本当の好みは入っていない。母の好みをくんだ上での好みだ。  ここでのポイントは、どちらもまったく悪気がないことだ。むしろ、お互いにお互いを思いやり尊重し、“共犯関係”が成立している。  そんな2人がひとりの男性と出会うことによって、その関係性に歪みが生じてくる。  彼女たちが家を新築する際、担当となった現場監督・松島(柳楽優弥)である。  母が人形作りのアシスタントをしているのも、子どもを自分の分身=人形のように扱うメタファーだろうし、この家族が家の新築を始めたのも、これから彼女たちの関係性を再構築するメタファーだろう。それを“指揮”することになるのが、松島なのだ。  彼は、持ち前の人懐っこさと積極性で、2人の間に入り込んでいく。  最初に彼に好感を持った母は、「なんかお似合いね」「(松島を)デートに誘っていいわよ」と美月に提案する。  娘は困惑するが、母に勧められたから渋々了承するのだ。  母娘の関係性に亀裂が入ったのは、このデートが発端だった。  そこで娘は、母が2人を尾行している姿を見てしまう。 「超能力がある」みたいに自分のことをわかってくれるのは、実は母が彼女を尾行したり、日記を盗み見たりして監視していたからだったのだ。動揺する娘に、彼は「もっと自分の好みを主張したほうがいい」と諭す。「自分の好みを言っている」と反論する彼女に、彼はこう返す。 「僕も母の顔色ばっかり見る子どもだったんで、君のことが全部わかる」  お互いがお互いを「全部わかる」と思い合う関係。それは一見、幸福だが、一皮むけば恐怖にほかならない。気持ちなんて、自分にだってわからない。にもかかわらず、愛情さえあれば相手の気持がわかる、と錯覚してしまう。 「全部わかる」は、「そんなはずじゃない」に一瞬で変容する。自分が思っている相手の像とは違う言動を目にしてしまったら、「そんなの、本当のあなたではない」と思ってしまう。  それは愛情の暴力だ。そこに「愛しているから」とか「思いやっているから」という“正義”が入っているから、たちが悪い。  悪気のない正義ほど、強く、怖いものはないのだ。お互いがお互いを好きすぎることから生じる歪み。それはあまりにも切なく、恐ろしい。ホームドラマであり、母娘の“ラブ”ストーリーであり、サイコ・ホラーかのようでもある。  母娘は、ついにぶつかり叫び合う。 「あなたの気持ちをこの世で一番大事に思っているのは、ママなのよ!」 「それ、私の気持ちじゃない!」  彼女たちの大きな目が、震えている。  そう、このドラマは目が印象的なドラマだ。みんな目が強い。斉藤由貴の常に狂気をはらんだ目と、波瑠の常に何かに戸惑っているような目、そして、柳楽優弥の力強く見据えているようで、どこかくすんでいる目。  第3話以降、母の「暴走」が本格化していくという。そのとき、彼女たちの目は、どのように変化していくのだろうか? (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

逃れられない母娘関係の呪縛……『お母さん、娘をやめていいですか?』が描く、“愛情”という名の暴力

逃れられない母娘関係の呪縛……『お母さん、娘をやめていいですか?』が描く、愛情という名の暴力の画像1
『お母さん、娘をやめていいですか?』|NHK ドラマ10
「ママには超能力があるんだと思う。だって、離れていても、私が困っているのがわかる」  時に親友のように、時に恋人のように仲がよい母娘。  娘は、仕事や恋愛の状況、悩みを逐一報告し、母はそれに丁寧に答えていく。母も娘も、お互いが誰よりも相手が自分をわかってくれる存在だと認め、誰よりも自分が相手のことをわかると自負している。  そんな蜜月の関係の危うさを描いたのが『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK総合)だ。  娘・美月を波瑠が、母・顕子を斉藤由貴が演じている。親子役がとてもしっくりくる2人だ。  斉藤は『はね駒』(1986年)、波瑠は『あさが来た』(2015年)と、ともに朝ドラの主演を演じた2人が同じNHKドラマで母娘を演じているという関係性も面白い。  この母娘は、ともに朝ドラヒロインのように「善良」な人だ。基本的に明るく前向きで、相手のことを思いやっている。この2人の関係性を、ドラマでは繰り返し描いている。  たとえば、新築する家の壁紙とフローリングを画像で確認するシーンだ。 「これって、お願いした色?」 と聞き返す母は、頬に手を当て、何やら考えあぐねている。何か不服なことがあるときのクセらしい。  そんな様子の母を見て、娘は言う。 「思ったより、濃くない?」 「そう、ママもそう思う」  2人の意向を受け、業者が少し薄い色に替えると、母が満足げな顔をする。  それを見た娘は、すかさず言うのだ。 「うん、いい! 私、こっちのほうが好き!」 「そう? みっちゃんがそう言うのなら、そうしようか」  母は、娘を思いやって自分の意見を主張せず、娘の好みに合わせようとする。娘は、母を思いやって母の意見を先回りしてくみ取り、自分の意見のように主張する。そうして母は、娘の意見として、自分の思い通りに事を運んでいく。そこに、娘の本当の好みは入っていない。母の好みをくんだ上での好みだ。  ここでのポイントは、どちらもまったく悪気がないことだ。むしろ、お互いにお互いを思いやり尊重し、“共犯関係”が成立している。  そんな2人がひとりの男性と出会うことによって、その関係性に歪みが生じてくる。  彼女たちが家を新築する際、担当となった現場監督・松島(柳楽優弥)である。  母が人形作りのアシスタントをしているのも、子どもを自分の分身=人形のように扱うメタファーだろうし、この家族が家の新築を始めたのも、これから彼女たちの関係性を再構築するメタファーだろう。それを“指揮”することになるのが、松島なのだ。  彼は、持ち前の人懐っこさと積極性で、2人の間に入り込んでいく。  最初に彼に好感を持った母は、「なんかお似合いね」「(松島を)デートに誘っていいわよ」と美月に提案する。  娘は困惑するが、母に勧められたから渋々了承するのだ。  母娘の関係性に亀裂が入ったのは、このデートが発端だった。  そこで娘は、母が2人を尾行している姿を見てしまう。 「超能力がある」みたいに自分のことをわかってくれるのは、実は母が彼女を尾行したり、日記を盗み見たりして監視していたからだったのだ。動揺する娘に、彼は「もっと自分の好みを主張したほうがいい」と諭す。「自分の好みを言っている」と反論する彼女に、彼はこう返す。 「僕も母の顔色ばっかり見る子どもだったんで、君のことが全部わかる」  お互いがお互いを「全部わかる」と思い合う関係。それは一見、幸福だが、一皮むけば恐怖にほかならない。気持ちなんて、自分にだってわからない。にもかかわらず、愛情さえあれば相手の気持がわかる、と錯覚してしまう。 「全部わかる」は、「そんなはずじゃない」に一瞬で変容する。自分が思っている相手の像とは違う言動を目にしてしまったら、「そんなの、本当のあなたではない」と思ってしまう。  それは愛情の暴力だ。そこに「愛しているから」とか「思いやっているから」という“正義”が入っているから、たちが悪い。  悪気のない正義ほど、強く、怖いものはないのだ。お互いがお互いを好きすぎることから生じる歪み。それはあまりにも切なく、恐ろしい。ホームドラマであり、母娘の“ラブ”ストーリーであり、サイコ・ホラーかのようでもある。  母娘は、ついにぶつかり叫び合う。 「あなたの気持ちをこの世で一番大事に思っているのは、ママなのよ!」 「それ、私の気持ちじゃない!」  彼女たちの大きな目が、震えている。  そう、このドラマは目が印象的なドラマだ。みんな目が強い。斉藤由貴の常に狂気をはらんだ目と、波瑠の常に何かに戸惑っているような目、そして、柳楽優弥の力強く見据えているようで、どこかくすんでいる目。  第3話以降、母の「暴走」が本格化していくという。そのとき、彼女たちの目は、どのように変化していくのだろうか? (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから