思ってたのと違う
あらゆる監督作品に「家族愛」テーマを必ずと言っていいほど差し込んでくる巨匠スティーヴン・スピルバーグが送る「初の自伝的作品」(チラシのキャッチより)だけに、最新作『フェイブルマンズ』のチラシや予告編観を見た観客の多くは、こんな内容を期待するだろう。
・普遍的な映画愛とノスタルジックな銀幕ロマンが全開の、スピルバーグ…
あらゆる監督作品に「家族愛」テーマを必ずと言っていいほど差し込んでくる巨匠スティーヴン・スピルバーグが送る「初の自伝的作品」(チラシのキャッチより)だけに、最新作『フェイブルマンズ』のチラシや予告編観を見た観客の多くは、こんな内容を期待するだろう。
・普遍的な映画愛とノスタルジックな銀幕ロマンが全開の、スピルバーグ…
金曜ロードショーの年末企画「クリスマスに見たい映画」、第三弾はクリスマスの映画といえばこれ! 1984年公開、巨匠スピルバーグが製作総指揮を担当したSFコメディ『グレムリン』が金曜ロードショーに初登場。
公開30年以上を越えて尚愛されているキャラクター、‟ギズモ”と正反対の狂暴な怪物‟グレムリン”がクリスマスの街に大騒動を巻き起こす!
使えない物ばかりつくっ…
――巨匠、スティーブン・スピルバーグ監督は、多作であることを差し置いても、多くの戦争をテーマに取り扱ってきた。近年でも『ブリッジ・オブ・スパイ』や『戦火の馬』など精力的に表している。スピルバーグの戦争映画を追いながら、ハリウッドと戦争の一面を見ていこう。
◇ ◇ ◇
ドナルド・トランプが大統領に就任してからというもの、多くの国へ戦闘姿勢を見せているかのようなアメリカ。だが考えてみれば同国は、それ以前からもずっと戦争を続けている。アメリカとは常に、戦争とそれへの批判が渦巻く国でもあるわけだ。
同国では、時にストレートな批判的作品として、そして短絡的なエンタメとしても戦争をテーマにした映画が量産され続けている。そんな中で、ハリウッドで多数の衝撃的な作品を生み出し、かつ数々の称賛や批判を浴びてきたのが、映画監督スティーブン・スピルバーグだ。
映画ファンは別として、その名を聞くといまだ『E.T.』(82年)や『ジュラシック・パーク』(93年)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~08年)といった作品群が、咄嗟に浮かぶ人も少なくないだろう。だが特に近年は、硬派な戦争関連作品を立て続けに放っている。もちろん、監督として半世紀近く活躍しているだけに、“スピルバーグが撮る戦争”にもアプローチやスタイルの変遷がある。
本稿では『スティーブン・スピルバーグ論』(フィルムアート社)『フィルムメーカーズ スティーヴン・スピルバーグ』(宮帯出版社/ともに編著)、『スピルバーグ、その世界と人生』(大久保清朗氏との共訳/西村書店)と、スピルバーグ関連の書籍を手がけてきた映画評論家の南波克行氏のガイドをもとにして、アメリカと戦争の距離感がスピルバーグにどう作用し、戦争をテーマにした映画を創り続けさせてきたのかを探っていこう。
彼のフィルモグラフィを見ると初期は、太平洋戦争を背景にしたコメディ『1941』(79年)や日中戦争時のイギリス人少年の成長ドラマ『太陽の帝国』(87年)ぐらいで、直接戦争をテーマにした作品はそうは多くない。そこには彼の“1946年”という生年と、それゆえの戦争との距離感が大きく関係していると南波氏は分析する。
「当然ですが、彼が生まれたときには第二次世界大戦は終わっていた。太平洋戦争時に無線士として爆撃機B-25に乗り込んで日本軍と戦っていた父親から戦争の話を聞かされていたが、間近でその脅威にさらされていたわけではないんです。だから大戦の話を肉親から聞いていても一種のファンタジーのようにとらえていただろうし、過去の戦争の数々も後付けの歴史として認識していたと思います」
スピルバーグが4歳の頃に勃発した朝鮮戦争は南北分断という状態で休戦となり、米ソ冷戦の両陣営による応酬が“キューバ危機”という一触即発の事態を生むも結局、第3次世界大戦の幕開けになることはなかった。ただ冷戦に関しては、何かしらの“外敵”に対するアメリカ国内の過剰な反応がスピルバーグ少年にも強烈な記憶として焼き付いているようで、「日本軍が真珠湾に続けてロサンゼルスに乗り込んでくる」という思い込みによって米兵たちが半狂乱になった揚げ句に街が壊滅状態になる『1941』という作品で、それを巧みにコメディへと転化させた。そうしたアプローチが確固たるものとなったのはベトナム戦争の頃だ。
「46年生まれだと、青年期がベトナム戦争まっただ中になる世代。スピルバーグも18歳のときに徴兵対象者であることを通知されています。でも、彼は徴兵を逃れるためにカリフォルニア州立大学の英文科に入る。徴兵という危機こそ体験はしましたが、回避したことで戦争と直接的にかかわることがなかった。同じ46年生まれのオリバー・ストーンは、逆に自ら志願したことでベトナム戦争にこだわるようになって『プラトーン』(86年)や『7月4日に生まれて』(89年)でブレイクしているのが対照的で非常に興味深い。かといって、スピルバーグは映画においてはベトナム戦争から目を背けてはいない。批評家の間では『激突!』【1】の主人公は、実はベトナム帰還兵ではないかといわれています。タンクローリーに追われる彼がドライブインのトイレで気を落ち着かせようとするシーンで『なんてこった。まるでジャングルに戻ったみたいだ』と独白する。このジャングルはベトナムの密林のことで、顔を見せないタンクローリーの運転手は藪に隠れて襲いかかるベトコンの暗喩ととらえることができる。また『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97年)でも、草原を進む捜索隊がそこに潜んでいたヴェロキラプトルに下から襲われる場面は、ベトコンによるブービー・トラップの暗喩です。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17年)の冒頭でベトナム戦争の戦闘を直接的に描くまで同戦争に触れてこなかったといわれてきたスピルバーグですが、作品をつぶさに読み解いていくと実はそんなことはない。つまり、ストーンが現実的に描いた(戦争を含めた)世の問題を、スピルバーグはフィクションでもって問いかけてきたんです」
また、スピルバーグはベトナム戦争の反戦運動に身を投じるわけではなかった。さらに世代的に切っても切り離せない、ドラッグやヒッピーのカルチャーにも接近することもなかったという。
「高校の同級生が『彼は反戦運動には興味を持っていなかった』ことを証言しています。フラワー・ムーヴメントやドラッグ・カルチャーにも目を向けず、映画もデニス・ホッパーが監督した『イージー・ライダー』(69年)をはじめとする同カルチャーと関係深いものには興味を持たなかった。どちらかといえば、デヴィッド・リーンやアルフレッド・ヒッチコックに夢中だった。そんな彼が最も関心を寄せていたのが公民権運動です」
スピルバーグの両親は共にユダヤ人。運動が大の苦手で失語症ということもあったが、ユダヤ人であることを理由にクラスメイトからの罵声を常に浴び続ける少年時代を送っていた。さらに、音楽家で英語教師でもあった母親のもとには、ナチスの強制収容所から生還したユダヤ人が生徒として集っており、アウシュビッツ収容所で彫られた囚人番号の刺青を幼いスピルバーグに見せる者もいた。漠然ながらも鮮烈にホロコーストを筆頭にユダヤ人が歩んできた苦難の歴史を学び、さらに自身が受けるいじめで差別が公然と続いていることを知ったのだ。
「スピルバーグが公民権運動に興味を抱いたのは、ユダヤ人に対する人種差別を身をもって感じていたからでしょう。だから、彼が映画で戦争を題材にする際には人種差別、“人類が抱えている不公平”を課題にしています。その最たるものとしての象徴がホロコーストで、スピルバーグの創作におけるバックボーンになっているのは間違いない。先程、『激突!』『ロスト・ワールド/ジュラシック・ワールド』でベトナム戦争を暗喩していると話しましたが、すでに初期の作品からナチスやホロコーストも違う形で表れていると言っていいと思います。それは『JAWS』(75年)の鮫であり、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス・レックスやヴェロキラプトルといった恐竜たちです。彼らに共通する行動パターンは情け容赦がなくて、問答無用で女だろうが子供だろうが襲いかかっていく。ホロコーストの恐ろしさもそれと同じ。ユダヤ人であれば自動的に虐殺する。そしてシステム化することで、誰も勢いを止めることができなくなってしまう。まさにモンスターとして描いたんです」
このように実は映画監督デビュー以来、暗喩という形で戦争とその元凶となる人種差別を訴えてきたスピルバーグだが、ある時期からストレートにそれらを描破するようになる。その転機となったのがナチス党員でありながらホロコーストから1200人ものユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーの実話を描いた『シンドラーのリスト』【2】だ。実は企画自体は82年からあったもので、トマス・キニーリーの原作小説の映画化権を獲得したユニバーサル・スタジオの社長シドニー・シャインバーグから「君がつくらなければいけない映画だ」と強く推されていた。シャインバーグは、同スタジオのテレビ部門の責任者だった頃にスピルバーグの短編『Amblin’』(68年)を観て彼の才能を見抜き、スタジオに招いたユダヤ系の恩人である。当時は正面を切ってホロコーストを描くことに抵抗を感じたスピルバーグであったが、それから10年ほどを経て女優ケイト・キャプショーとの再婚に子どもの誕生と、家族を持ったことでユダヤ人という自身のアイデンティティを改めて深く意識するようになっていた。そんな中で同胞がどのような体験をしてきたのか。その問いと想いは映画でのホロコーストの再現へと繋がり、ポーランド出身の撮影監督ヤヌス・カミンスキーを抜擢して実現に臨む。貨車に押し込まれ、ガス室で苦しみ、気まぐれに射殺されるユダヤ人たちの姿をモノクロの手持ちカメラでとらえた画は、スピルバーグに映画であることを忘れさせて精神的に追い詰めるほどだったという。
同作でアカデミー賞作品賞、監督賞ほか全7部門に輝いた彼は、再びカミンスキーと組んで『プライベート・ライアン』【3】で戦場の悲惨さを観客に追体験させる。徹底した人体破損描写、実銃の銃声を用いた効果音、画面をスモーキーなものにする現像法“銀残し”の活用は、その後の戦争映画の表現を完全に変えてしまった。以降、スピルバーグは実話に基づく作品が目立つようになっていく。
「『シンドラーのリスト』がヒットし映画界からも大衆からも受け入れられたことで、世界や人類の負の摂理みたいなものを直球で撮ることに対して、怖いものがなくなった感じが見えました。さらにスピルバーグはユダヤ人としてのアイデンティティを大事にしていますが、イスラエルの暗殺チームがユダヤ人を殺したパレスチナ・ゲリラに報復する『ミュンヘン』【4】では彼ら側に立つことはせず、イスラエルにも問題があるように描いている。結果的にユダヤ人たちからバッシングされましたが、それも承知の上だったのでしょう。ちゃんと映画で戦っているんです。『リンカーン』でも、法案成立と南北戦争終結のためにリンカーンが“ある嘘”をつく場面をクライマックスに持っていく。どの時代、どの世界にも清廉潔白な正義や平和がないことを訴えている。その根底には、人類の不公平を是正したい強い気持ちがあるからです」
すでに70歳を超えた今でも、戦争や人種差別を描き続けるその姿勢が弱まる様子はまったくない。18年に発表され第90回アカデミー賞で作品賞候補となった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』では、ベトナム戦争をめぐる機密文書をめぐるワシントン・ポスト紙とニクソン政権の戦いを通して、ジャーナリズム・メディアを攻撃するトランプ大統領に対する怒りをぶつけてみせた。いまだトランプによって全世界が翻弄され、彼の人種差別的言動によって銃乱射事件をはじめとするヘイトクライムが引き起こされるなか、彼が次にどのような手を打つのか、注視したい。(月刊サイゾー9月号『新・戦争論』より)
【1】『激突!』(71年)
リチャード・マシスンの短編小説が原作のサスペンス・スリラー。商談のために自動車でカリフォルニアに向かうセールスマンがタンクローリーを追い抜く。するとタンクローリーは執拗に彼の車を追い、命をも奪おうとするが……。もともとはテレビムービーとして制作されたが、完成度の高さからアメリカ以外では劇場公開された。
【2】『シンドラーのリスト』(93年)
ドイツ占領下のポーランドで工場経営に乗り出したナチス党員、オスカー・シンドラー。強制収容所の所長を務めるゲート少尉と懇意になるが、彼の行うユダヤ人虐殺を目の当たりにする。やがて工場で雇うユダヤ人たちにも危険が迫るのを察知し、ある行動に打って出る。本作で悲願であったアカデミー賞監督賞に輝いた。
【3】『プライベート・ライアン』(98年)
ノルマンディー上陸作戦での激戦をくぐり抜けたばかりのミラー大尉の部隊に、ある命令が下される。それはライアンという二等兵を戦場から見つけ出して保護するというものだった。冒頭で繰り広げられるオマハビーチでの死屍累々という言葉だけでは済まぬリアルかつ凄惨な戦闘描写は、戦争映画の表現を一変させることに。
【4】『ミュンヘン』(05年)
1972年ミュンヘンオリンピックの選手村にパレスチナ過激派組織が侵入し、イスラエル人選手団を殺害。イスラエル諜報組織モサドは、暗殺部隊を編成して首謀者抹殺を命じるが……。ラストにワールド・トレード・センターが映し出されるが、同時多発テロに対するアメリカの報復とその泥沼化を訴えているのは明らか。
――巨匠、スティーブン・スピルバーグ監督は、多作であることを差し置いても、多くの戦争をテーマに取り扱ってきた。近年でも『ブリッジ・オブ・スパイ』や『戦火の馬』など精力的に表している。スピルバーグの戦争映画を追いながら、ハリウッドと戦争の一面を見ていこう。
◇ ◇ ◇
ドナルド・トランプが大統領に就任してからというもの、多くの国へ戦闘姿勢を見せているかのようなアメリカ。だが考えてみれば同国は、それ以前からもずっと戦争を続けている。アメリカとは常に、戦争とそれへの批判が渦巻く国でもあるわけだ。
同国では、時にストレートな批判的作品として、そして短絡的なエンタメとしても戦争をテーマにした映画が量産され続けている。そんな中で、ハリウッドで多数の衝撃的な作品を生み出し、かつ数々の称賛や批判を浴びてきたのが、映画監督スティーブン・スピルバーグだ。
映画ファンは別として、その名を聞くといまだ『E.T.』(82年)や『ジュラシック・パーク』(93年)『インディ・ジョーンズ』シリーズ(81~08年)といった作品群が、咄嗟に浮かぶ人も少なくないだろう。だが特に近年は、硬派な戦争関連作品を立て続けに放っている。もちろん、監督として半世紀近く活躍しているだけに、“スピルバーグが撮る戦争”にもアプローチやスタイルの変遷がある。
本稿では『スティーブン・スピルバーグ論』(フィルムアート社)『フィルムメーカーズ スティーヴン・スピルバーグ』(宮帯出版社/ともに編著)、『スピルバーグ、その世界と人生』(大久保清朗氏との共訳/西村書店)と、スピルバーグ関連の書籍を手がけてきた映画評論家の南波克行氏のガイドをもとにして、アメリカと戦争の距離感がスピルバーグにどう作用し、戦争をテーマにした映画を創り続けさせてきたのかを探っていこう。
彼のフィルモグラフィを見ると初期は、太平洋戦争を背景にしたコメディ『1941』(79年)や日中戦争時のイギリス人少年の成長ドラマ『太陽の帝国』(87年)ぐらいで、直接戦争をテーマにした作品はそうは多くない。そこには彼の“1946年”という生年と、それゆえの戦争との距離感が大きく関係していると南波氏は分析する。
「当然ですが、彼が生まれたときには第二次世界大戦は終わっていた。太平洋戦争時に無線士として爆撃機B-25に乗り込んで日本軍と戦っていた父親から戦争の話を聞かされていたが、間近でその脅威にさらされていたわけではないんです。だから大戦の話を肉親から聞いていても一種のファンタジーのようにとらえていただろうし、過去の戦争の数々も後付けの歴史として認識していたと思います」
スピルバーグが4歳の頃に勃発した朝鮮戦争は南北分断という状態で休戦となり、米ソ冷戦の両陣営による応酬が“キューバ危機”という一触即発の事態を生むも結局、第3次世界大戦の幕開けになることはなかった。ただ冷戦に関しては、何かしらの“外敵”に対するアメリカ国内の過剰な反応がスピルバーグ少年にも強烈な記憶として焼き付いているようで、「日本軍が真珠湾に続けてロサンゼルスに乗り込んでくる」という思い込みによって米兵たちが半狂乱になった揚げ句に街が壊滅状態になる『1941』という作品で、それを巧みにコメディへと転化させた。そうしたアプローチが確固たるものとなったのはベトナム戦争の頃だ。
「46年生まれだと、青年期がベトナム戦争まっただ中になる世代。スピルバーグも18歳のときに徴兵対象者であることを通知されています。でも、彼は徴兵を逃れるためにカリフォルニア州立大学の英文科に入る。徴兵という危機こそ体験はしましたが、回避したことで戦争と直接的にかかわることがなかった。同じ46年生まれのオリバー・ストーンは、逆に自ら志願したことでベトナム戦争にこだわるようになって『プラトーン』(86年)や『7月4日に生まれて』(89年)でブレイクしているのが対照的で非常に興味深い。かといって、スピルバーグは映画においてはベトナム戦争から目を背けてはいない。批評家の間では『激突!』【1】の主人公は、実はベトナム帰還兵ではないかといわれています。タンクローリーに追われる彼がドライブインのトイレで気を落ち着かせようとするシーンで『なんてこった。まるでジャングルに戻ったみたいだ』と独白する。このジャングルはベトナムの密林のことで、顔を見せないタンクローリーの運転手は藪に隠れて襲いかかるベトコンの暗喩ととらえることができる。また『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97年)でも、草原を進む捜索隊がそこに潜んでいたヴェロキラプトルに下から襲われる場面は、ベトコンによるブービー・トラップの暗喩です。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17年)の冒頭でベトナム戦争の戦闘を直接的に描くまで同戦争に触れてこなかったといわれてきたスピルバーグですが、作品をつぶさに読み解いていくと実はそんなことはない。つまり、ストーンが現実的に描いた(戦争を含めた)世の問題を、スピルバーグはフィクションでもって問いかけてきたんです」
また、スピルバーグはベトナム戦争の反戦運動に身を投じるわけではなかった。さらに世代的に切っても切り離せない、ドラッグやヒッピーのカルチャーにも接近することもなかったという。
「高校の同級生が『彼は反戦運動には興味を持っていなかった』ことを証言しています。フラワー・ムーヴメントやドラッグ・カルチャーにも目を向けず、映画もデニス・ホッパーが監督した『イージー・ライダー』(69年)をはじめとする同カルチャーと関係深いものには興味を持たなかった。どちらかといえば、デヴィッド・リーンやアルフレッド・ヒッチコックに夢中だった。そんな彼が最も関心を寄せていたのが公民権運動です」
スピルバーグの両親は共にユダヤ人。運動が大の苦手で失語症ということもあったが、ユダヤ人であることを理由にクラスメイトからの罵声を常に浴び続ける少年時代を送っていた。さらに、音楽家で英語教師でもあった母親のもとには、ナチスの強制収容所から生還したユダヤ人が生徒として集っており、アウシュビッツ収容所で彫られた囚人番号の刺青を幼いスピルバーグに見せる者もいた。漠然ながらも鮮烈にホロコーストを筆頭にユダヤ人が歩んできた苦難の歴史を学び、さらに自身が受けるいじめで差別が公然と続いていることを知ったのだ。
「スピルバーグが公民権運動に興味を抱いたのは、ユダヤ人に対する人種差別を身をもって感じていたからでしょう。だから、彼が映画で戦争を題材にする際には人種差別、“人類が抱えている不公平”を課題にしています。その最たるものとしての象徴がホロコーストで、スピルバーグの創作におけるバックボーンになっているのは間違いない。先程、『激突!』『ロスト・ワールド/ジュラシック・ワールド』でベトナム戦争を暗喩していると話しましたが、すでに初期の作品からナチスやホロコーストも違う形で表れていると言っていいと思います。それは『JAWS』(75年)の鮫であり、『ジュラシック・パーク』のティラノサウルス・レックスやヴェロキラプトルといった恐竜たちです。彼らに共通する行動パターンは情け容赦がなくて、問答無用で女だろうが子供だろうが襲いかかっていく。ホロコーストの恐ろしさもそれと同じ。ユダヤ人であれば自動的に虐殺する。そしてシステム化することで、誰も勢いを止めることができなくなってしまう。まさにモンスターとして描いたんです」
このように実は映画監督デビュー以来、暗喩という形で戦争とその元凶となる人種差別を訴えてきたスピルバーグだが、ある時期からストレートにそれらを描破するようになる。その転機となったのがナチス党員でありながらホロコーストから1200人ものユダヤ人を救った実業家オスカー・シンドラーの実話を描いた『シンドラーのリスト』【2】だ。実は企画自体は82年からあったもので、トマス・キニーリーの原作小説の映画化権を獲得したユニバーサル・スタジオの社長シドニー・シャインバーグから「君がつくらなければいけない映画だ」と強く推されていた。シャインバーグは、同スタジオのテレビ部門の責任者だった頃にスピルバーグの短編『Amblin’』(68年)を観て彼の才能を見抜き、スタジオに招いたユダヤ系の恩人である。当時は正面を切ってホロコーストを描くことに抵抗を感じたスピルバーグであったが、それから10年ほどを経て女優ケイト・キャプショーとの再婚に子どもの誕生と、家族を持ったことでユダヤ人という自身のアイデンティティを改めて深く意識するようになっていた。そんな中で同胞がどのような体験をしてきたのか。その問いと想いは映画でのホロコーストの再現へと繋がり、ポーランド出身の撮影監督ヤヌス・カミンスキーを抜擢して実現に臨む。貨車に押し込まれ、ガス室で苦しみ、気まぐれに射殺されるユダヤ人たちの姿をモノクロの手持ちカメラでとらえた画は、スピルバーグに映画であることを忘れさせて精神的に追い詰めるほどだったという。
同作でアカデミー賞作品賞、監督賞ほか全7部門に輝いた彼は、再びカミンスキーと組んで『プライベート・ライアン』【3】で戦場の悲惨さを観客に追体験させる。徹底した人体破損描写、実銃の銃声を用いた効果音、画面をスモーキーなものにする現像法“銀残し”の活用は、その後の戦争映画の表現を完全に変えてしまった。以降、スピルバーグは実話に基づく作品が目立つようになっていく。
「『シンドラーのリスト』がヒットし映画界からも大衆からも受け入れられたことで、世界や人類の負の摂理みたいなものを直球で撮ることに対して、怖いものがなくなった感じが見えました。さらにスピルバーグはユダヤ人としてのアイデンティティを大事にしていますが、イスラエルの暗殺チームがユダヤ人を殺したパレスチナ・ゲリラに報復する『ミュンヘン』【4】では彼ら側に立つことはせず、イスラエルにも問題があるように描いている。結果的にユダヤ人たちからバッシングされましたが、それも承知の上だったのでしょう。ちゃんと映画で戦っているんです。『リンカーン』でも、法案成立と南北戦争終結のためにリンカーンが“ある嘘”をつく場面をクライマックスに持っていく。どの時代、どの世界にも清廉潔白な正義や平和がないことを訴えている。その根底には、人類の不公平を是正したい強い気持ちがあるからです」
すでに70歳を超えた今でも、戦争や人種差別を描き続けるその姿勢が弱まる様子はまったくない。18年に発表され第90回アカデミー賞で作品賞候補となった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』では、ベトナム戦争をめぐる機密文書をめぐるワシントン・ポスト紙とニクソン政権の戦いを通して、ジャーナリズム・メディアを攻撃するトランプ大統領に対する怒りをぶつけてみせた。いまだトランプによって全世界が翻弄され、彼の人種差別的言動によって銃乱射事件をはじめとするヘイトクライムが引き起こされるなか、彼が次にどのような手を打つのか、注視したい。(月刊サイゾー9月号『新・戦争論』より)
【1】『激突!』(71年)
リチャード・マシスンの短編小説が原作のサスペンス・スリラー。商談のために自動車でカリフォルニアに向かうセールスマンがタンクローリーを追い抜く。するとタンクローリーは執拗に彼の車を追い、命をも奪おうとするが……。もともとはテレビムービーとして制作されたが、完成度の高さからアメリカ以外では劇場公開された。
【2】『シンドラーのリスト』(93年)
ドイツ占領下のポーランドで工場経営に乗り出したナチス党員、オスカー・シンドラー。強制収容所の所長を務めるゲート少尉と懇意になるが、彼の行うユダヤ人虐殺を目の当たりにする。やがて工場で雇うユダヤ人たちにも危険が迫るのを察知し、ある行動に打って出る。本作で悲願であったアカデミー賞監督賞に輝いた。
【3】『プライベート・ライアン』(98年)
ノルマンディー上陸作戦での激戦をくぐり抜けたばかりのミラー大尉の部隊に、ある命令が下される。それはライアンという二等兵を戦場から見つけ出して保護するというものだった。冒頭で繰り広げられるオマハビーチでの死屍累々という言葉だけでは済まぬリアルかつ凄惨な戦闘描写は、戦争映画の表現を一変させることに。
【4】『ミュンヘン』(05年)
1972年ミュンヘンオリンピックの選手村にパレスチナ過激派組織が侵入し、イスラエル人選手団を殺害。イスラエル諜報組織モサドは、暗殺部隊を編成して首謀者抹殺を命じるが……。ラストにワールド・トレード・センターが映し出されるが、同時多発テロに対するアメリカの報復とその泥沼化を訴えているのは明らか。
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