ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。

ヒット曲なしでも23枚ものアルバムをリリース!! ザ・コレクターズ加藤ひさしが語る32年間の軌跡

 ザ・コレクターズは不思議なバンドだ。1987年にメジャーデビューして以来、アルバムを出すたびに「最高傑作」と称され、ライブは高く評価されてきた。そんな彼らが初めて日本武道館ライブを成功させたのが、バンド結成から31年目となる2017年だった。遅咲きの苦労人と普通なら呼びたくなるところだが、ザ・コレクターズはポップな世界をいつも軽快に歌い、エネルギッシュな演奏を続けてきた。武道館ライブという祭りを終え、次のアクションが注目されていたザ・コレクターズだが、彼ら選んだのはドキュメンタリー映画だった。35年の歴史を終えることになったライブハウス「新宿JAM」を舞台にした映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』の公開を前に、ザ・コレクターズのボーカリスト加藤ひさしが、バンドのこと、映画のこと、そして克服した病気のことまでToo Muchに語った。

──武道館ライブを成功させた後、閉店が決まった「新宿JAM」でライブを行ない、その様子をドキュメンタリー映画に。1万人収容の武道館から、200人入ったら身動きができなくなる小さなライブハウスという振り幅もザ・コレクターズらしさを感じさせます。

加藤ひさし(以下、加藤) 結果なんです。「新宿JAM」でのライブは前もって予定していたわけじゃなかった。「新宿JAM」が2017年いっぱいで閉まるので、何かやってほしいと頼まれ、12月24日を空けていたんです。そのときにはファンミーティングでもできればいいかなぐらいの気持ちでした。それで武道館が終わった後に、フジパシフィックミュージックから映画を撮らないかという話が持ち込まれ、何をやろうかとみんなで考えました。結成30年とか武道館への道なら映画になりやすいんだろうけど、終えた直後でしたからね。

──「武道館ロス」状態だったんですよね。

加藤 そう。大きな祭りを終えた後だから、何をやろうか悩みました。いろいろ考えた結果、「新宿JAM」は俺たちが初めてワンマンライブをやったライブハウスであり、東京モッズシーンのメッカだった。その「新宿JAM」が35年の歴史を終えるというところにスポットライトを当てれば、東京モッズシーンというカルチャーを紹介することができるし、そこから飛び出したザ・コレクターズというバンドを広い世代の人たちに観てもらうことができるなと。そんなときに俺らがデビューした1986年に「新宿JAM」でやったライブの映像が出てきたんです。この日と同じ曲を同じ衣装で演奏すれば、32年前の過去と現在を行き来したタイムマシーン的なことができるなと思った。これなら武道館でのライブ映像より興味深いし、『情熱大陸』(TBS系)よりも断然面白くなる(笑)。このアイデアを川口潤監督に伝えたら、すごく乗ってくれた。

──『さらば青春の新宿JAM』は単なるドキュメンタリー映像ではなく、映像と音楽によるタイムマシーン体験なんですね。武道館という大きな夢を実現させた後、自分たちの足元を見つめ直そうみたいな気持ちもあった?

加藤 いや、それは全然なかった。武道館の後は、Zepp Tokyoあたりをマンスリーでやろうくらいの意欲でしたから。でも映画の撮影のためとはいえ、「新宿JAM」でライブをやることになり、意味が変わってきたんです。閉店ご苦労さまライブをやるつもりだったのが、映画のメインになるライブをやることになり、やる気が変わってきた。あの頃のメンバーは俺とギターの古市コータローの2人だけになってしまったけど、実際にあの小さな「新宿JAM」で歌っていると、いろんなことが思い出されてくるんです。やっぱり、何事も原点ってあるんだなって思った。客との近さとか熱さとか……。フツーだったら、それに辟易していたわけですよ。客との距離は近すぎるし、音楽環境は整っていないし、スピーカーの音はよくなくて、歌いにくい。でも、これが原点なんだと思ったときに、これを忘れたらロックバンドはもうダメだなって、そういう気持ちになったんです。Zeppをマンスリーで満席にすることに、そんなに意味があるのかなぁ、どこだってロックをやればいいじゃないかって。あの頃はでかいホールで演奏することに憧れていたけど、実際にでかいホールで演奏するようになると、そのときの気持ちを忘れちゃうんだよね。

──ザ・フーのアルバム『四重人格』から生まれた英国映画『さらば青春の光』(79年)が公開されたことで、日本にもモッズカルチャーが広まった。加藤さんが映画から受けた影響は大きい?

加藤 でかいですよ。『さらば青春の光』のロードショー初日の1回目の上映から並びました。前売り券を買って、上映の1時間前から並んだ。俺が一番だと思っていたら、俺の前にアイパー掛けてパッソルみたいな原付きに乗ってきたお兄ちゃんがいた。結局、並んだのはアイパーのお兄ちゃんと俺だけだった(笑)。もうすぐ19歳の誕生日だったので、今でも鮮明に覚えている。昔の新宿ピカデリーだったんです。『さらば青春の新宿JAM』も同じ新宿ピカデリーで11月に公開されるなんて、面白いなぁと思いますよ。『さらば青春の光』を19歳のときに観た劇場で、自分たちのドキュメンタリー映画が上映されるなんて、まったく考えもしなかった(笑)。

 

■ザ・コレクターズがロックバンドとして永続してきた秘密

──ステージの上ではカメラに撮られることに慣れていると思いますが、ドキュメンタリー映画の撮影は違うものがあったのではないでしょうか。

加藤 ライブ映像やプロモーションビデオは大量に撮ってきたけど、今回はドキュメンタリーだからね。自宅までカメラが入ったのには、ちょっと戸惑った。でも、俺がどれだけ『さらば青春の光』から影響を受けたかは自宅にカメラを入れて、本棚に資料が並んでいるところを撮ってもらわないと伝わらない。ベスパも新しいのを撮影用にレンタルするんじゃなくて、23歳のときから乗っている自前のヤツで都内を走らないと意味がない。もちろん、ドキュメンタリーにも脚色されたものが入るわけだけど、限りなく素のものを映さないと嘘くさくなるからね。

──そして、古くて狭くて小さな「新宿JAM」でのさよならライブ。武道館でのテンションマックスなライブとは、また違った盛り上がりに。

加藤 違うねぇ。武道館をやったときは「もう、ここ以外ではやらない!」と思ったんだけど、そうじゃないなと。どこでもロックしようよと。やっぱり、「新宿JAM」はザ・コレクターズにとって大切な場所だったんです。86年11月から翌年3月まで連続でワンマンライブやって、お客がだんだん増えていくのをステージから感じ、人気ミュージシャンやレコード会社の人たちが見に来てくれて、メジャーデビューすることになった。「新宿JAM」は特別な場所なんです。

──ザ・コレクターズって本当に不思議なバンドだなと思うんです。誰もが知っているような大ヒット曲は放っていません。でも、ライブは常に高く評価され、アルバムはこれまでにメジャーレーベルから22枚も出してきた。32年間活動を続けてきたザ・コレクターズの原動力はいったい何なんでしょうか?

加藤 それがね、この映画を撮ることで読み取れればいいなと思ったんです。俺自身がいまだにそれが分からないんです。普通はメジャーなレコード会社なら、ヒット曲のないバンドなんか「もう、いいです」とお払い箱になるでしょ。でも、この季節になると、「来年はどうしましょう」と次のアルバムやライブツアーの話になるからね。CDがどのくらい売れているのか、詳しい数字は俺知らないんです。自分でもザ・コレクターズがここまで活動が続いている理由は分かってないんだけど、ひとつ言えるのは自慢じゃないけど、俺らが出すアルバムは全部素晴しいということ。レコード会社もビビってんじゃないの。デビューからずっとキャリーオーバーが続いている状況だから、いつか当たったらエラいことになるぞと(笑)。

──「ネクストブレイクするのは、ザ・コレクターズだ」と、長年言われ続けてきました。

加藤 そうだね。今ふと思ったんだけど、30周年記念のCD BOXは22枚組+DVDという豪華版で、これ3000セット売ったら売り上げが1億円を越えるってコータローが気づいたんです。日本コロムビアの社長も「えっ、このバンドは億を稼ぐのか」と驚いていた(笑)。3000セットにはちょっと届いていないけど、いいところには行っているみたい。じわじわとね。最終的には1億、行きますよ。ヒット曲はなくても億は稼げる!

──ヒットチャートに載らなくても、バンド活動を続けていくことは可能なんですね。

加藤 ロングランで売れればいいんです。ヒットチャートに載るのは最大瞬間風速を出すのが得意な人たちなわけだけど、ザ・コレクターズはそういうバンドとは違うってこと。

──古市コータローさんが劇中で「デビューアルバムが発売されたら、俺たち街を歩けなくなると思ってた」と笑って振り返っていましたが、ファンも同じように思っていました。特に6枚目のアルバム『UFO CLUV』が93年にリリースされたときは、「ついにザ・コレクターズの時代が来た!!」と小躍りしました。

加藤 『UFO CLUV』のシングル曲「世界を止めて」は、大阪ですごく売れたんです。東京でも同じように売れていれば、大ヒットだったんだけど、なぜかそうはならなかった(苦笑)。多分、うちのバンドで大ヒットが生まれたとしたら、『UFO CLUV』のときだったよね。でも、そうはならなかった。だから、逆にバンドは続いているのかもしれない。

──ヒット曲がなかったから、ザ・コレクターズは活動が続いている?

加藤 「世界を止めて」はささやかなヒットだったけど、そのくらいのヒットでも、周囲からは「世界を止めて」みたいな曲をまた作ってくれと数年間言われ続けました。大ヒットしてたら、もっと強く言われるわけでしょ。多分、バンドも壊れちゃうと思うんです。あのくらいのヒットでも、それは感じたし。レコード会社がバンドにヒット曲を求めることは当然だし、間違ってはいないけど、ヒットする曲だけを求め続けられると、バンド間に溝や壁が生じるのも確かだと思う。それはつらいし、バンドは続かないよね。俺らにできることは最高のアルバムを常に作り続けるだけ。そこだけは譲れない。それで裏切ったら、もうザ・コレクターズじゃなくなってしまう。

──32年間ずっとポップで、メジャー感のあるアルバムを作り続けてきました。

加藤 いつでも勝負したいんです。サザンオールスターズみたいな有名バンドにしたい。自分では桑田さんには負けてないつもり。世の中がまだちょっと認めてくれていないだけで(笑)。大ブレイクするつもりで、23枚目のアルバムもこの11月に出したんです。

■時間の流れと共に変わったもの、変わらないもの

──加藤さんが作ったザ・コレクターズの初期の曲は、レイ・ブラッドベリのSF小説やカルト映画『まごころを君に』(68年)などをモチーフにしたユニークな曲が印象的でした。SF小説や洋画から、かなりインスパイアされたようですね。

加藤 とにかく映画や海外のテレビドラマが大好きで、『トワイライトゾーン』とか『ヒッチコック劇場』などを夢中になって観ていました。レイ・ブラッドベリのSF小説もよく読んでいましたね。僕が生まれたのは1960年で、アポロが月面着陸したのが69年、『ウルトラマン』(TBS系)もすでに放映されていたし、あの頃の男の子はみんな宇宙へ飛び出すことに憧れていました。日本のバンドはほとんど聴いてなかったけど、唯一の例外は「四人囃子」。歌詞がぶっ飛んでいて、素晴しかった。「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」は大好きな曲で、同じ趣味のROLLYと2人で「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」をカバーもした。だいたい日本のロックの歌詞って、乱暴で頭が悪そうなのばっかりだったでしょ。そういうのはやりたくなかった。GSのザ・スパイダースとかはシャレた歌詞だったのに、70年代以降の日本のロックはすっごく嫌だった。それで洋楽の歌詞を読んで、「こんないい歌詞なんだ。日本語に置き換えてできないかなぁ」と考えるようになったんです。

──洋楽を聴き始めたきっかけは?

加藤 それはやっぱりビールトズです。14歳のときにビートルズを聴くようになって、日本語の歌詞カードを読むわけです。「レボリューション」の歌詞を読むと「世界を変えるのなら、まず自分を変えよう」とジョン・レノンは言うわけです。あぁ、なんていい歌詞なんだろうと(笑)。キンクスとかの歌詞もすごくよかったし、パンクやニューウェーヴもシャレが効いていたしね。

──バンド活動だけでなく、『ナック』(65年)や『茂みの中の欲望』(67年)といった知る人ぞ知る英国映画も日本に紹介してきました。

加藤 ピチカート・ファイヴの小西康陽くんも映画好きで、一緒に日本公開の後押しをしました。ビートルズが現われ、ブリティッシュ・インヴェイジョンとして英国のバンドは世界へと羽ばたいていったんだけど、その頃の英国映画はあまり評価されていなかったんです。人気バンドがサントラを手掛けたり、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズが主演した『傷だらけのアイドル』(67年)とか、日本で劇場公開されてない面白い映画がまだまだいっぱいあるんです。せっかくなら、劇場で上映したいじゃないですか。80年代から90年代はライブハウスもそうだし、ミニシアターもいろいろあった。今はどんどん消えて、そういった映画を上映するのが難しくなっている。

──この32年間の時代の変化を加藤さんはどう感じていますか?

加藤 変わってなさそうで、ずいぶん変わったかな。でも、自分たちがやっていることはデビューの頃からほとんど変わっていない。32年のキャリアで、23枚のアルバムを出したってことは、ほぼほぼ毎年のようにアルバムをレコーディングしているってこと。自分たちが同じことをずっと繰り返していたら、いつの間にか浦島太郎みたいに世間のほうが変わってしまっていた。機材はアナログから最新のものに変わっていったけど、曲づくりしてライブするという自分たちまでは変わりようがないというか、変わった感を感じることができずにいる。ただ目に映るものだけが変わったように感じるんです。

──「新宿JAM」は取り壊されて姿を消しましたが、あの空間でライブをやっていた熱い想いはずっと消えずに加藤さんたちの心に残っているわけですね。

加藤 うん。でも、その想いもいつか忘れてしまう日が来ると思うんです。でも、似たようなシチュエーションに遭遇して、「あっ、これって新宿JAMで感じたのと同じ気持ちだ」と思う機会がまたあるかもしれない。それがなくなったら、バンドはもう止めたほうがいいよね。

──加藤さんの横にコータローさんがいつもギターを持って立っていることも大きい?

加藤 大きいですよ。自分ひとりでは決められないことも多いけれど、そんなときコータローは「それ、いいじゃん!」のひと言で済ませてくれる。そういう言葉を掛けてくれる存在は大切。俺はソロアーティストにはなれない。どのバンドも同じだと思う。ビートルズのビデオを観てたら、「ヘイ・ジュード」の歌詞をポール・マッカートニーが「オン・ユア・ショルダー」の部分は後で直すからって言っているんだけど、ジョン・レノンは「そこがいいんだよ」って。結局、ポールはそのままの歌詞で歌っているんです。そのビデオ観て、バンドってどこも同じなんだなぁと思った。

■男の厄年がライフスタイルを見直すきっかけに

──映画の終盤、「新宿JAM」でのライブが終わった後、加藤さんは武道館ライブの打ち上げではお酒を呑まなかったことを明かしていましたが、そのことをお聞きしてもいいですか?

加藤 42歳の頃に、パニック障害になっちゃったんです。あぁ、男の厄年はこういう形で訪れるんだなって。2002年から2003年の頃。それで心療内科で薬をもらって、「お酒とは一緒に呑まないで」と言われていたこともあって、アルコールは口にしなくなったんです。酒を呑む元気もそのときはなかったしね。それまでは酒好きだったけど、アルコールを絶って、処方された薬をきちんと服用していたら、半年くらいで体調がよくなった。以前より声もよく出るようになった(笑)。

──ゼロ年代に、社会の息苦しさを感じていたクリエイターは多かったように思います。

加藤 今から振り返ると、2000年くらいから急激にCDが売れなくなってきたんだよね。音楽業界全体が混乱していた。パソコンの普及と関係しているのかもしれないけど、レコード会社や音楽出版社でもリストラが進み、事務所が次々と消えてしまった。すごく嫌な感じだった。要はCDが売れなくなったことに尽きるんだけど、そのことにプレッシャーを感じたミュージシャンもストレスを抱えていた。人間って、こんなふうに倒れるんだなって思ったよ。

──加藤さんは病気がきっかけで、それまでのライフスタイルを見直したわけですね。

加藤 病気のときは、本当つらかった。ライブハウスみたいな狭いところにいると、息苦しくなって、動悸がして、汗が出て……。それで、ライブが始まる20分前に精神安定剤呑んで、ライブが始まる直前まで、外に出て深呼吸して、「よし、行くか」とステージに上がって2時間騒ぎ、ライブを終えてまた外に出て深呼吸……とそんな感じでしたね。でも、俺は歌が歌えたから、まだ症状は軽いほうだった。重い人は人前に出れなくなるらしいからね。今でも地方ツアーのライブが終わったらホテルに直行し、すぐ寝るというストイックな生活を送っています。だいたいツアー中は、必ず喉が潰れるんです。耳鼻咽喉科に行くと「歌うよりもしゃべるほうがよくない」と言われて、ライブ後の打ち上げには行かないようになりました。地方都市だと数年に一度しかライブできないのに、打ち上げでしゃべりすぎて声が出ない状態でライブやったら、ファンに失礼だと思うようになった。1回1回のライブを大事にしていかないとね。

──そんなライブの積み重ねが、32年目のザ・コレクターズになったわけですね。最後に11月にリリースされたばかりのアルバム『YOUNG MAN ROCK』について、ひと言お願いします。

加藤 23枚目のアルバムです。品質保証はわたくし、ザ・コレクターズの加藤ひさしがしております。安心してお聴きください(笑)。

(取材・文=長野辰次、撮影=尾藤能暢)

『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
製作・音楽/THE COLLECTORS
監督・編集・撮影/川口潤
主演/THE COLLECTORS(加藤ひさし、古市コータロー、山森“JEFF”正之、古沢“cozi”岳之 出演/會田茂一、岡村詩野、片寄明人、黒田マナブ、THE BAWDIES、真城めぐみ、峯田和伸、リリー・フランキー、The NUMBERS!ほか
配給/SPACE SHOWERS FILMS 11月23日(金)より新宿ピカデリーほかロードショー
C)2018 The Collectors Film Partners
http://thecollectors-film.com/

●加藤ひさし(かとう・ひさし)
1960年埼玉県生まれ。79年にモッズバンド「THE BIKE」を結成し、当時はボーカルとベースを担当。86年に「ザ・コレクターズ」を結成、ギターの古市コータローが参加。87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビュー。以降、ピチカート・ファイヴの小西康陽がプロデュースした『COLLECTORS NUMBER.5』、SALON MUSICの吉田仁がプロデュースした『UFO CLUV』、ロンドンでレコーディングした『Free』などのアルバムをコンスタントに発表してきた。ザ・コレクターズのほか、矢沢永吉ら多くのアーティストにも楽曲を提供している。2017年には日本武道館での初ライブを成功させた。18年11月7日に23枚目のアルバムとなる『YOUNG MAN ROCK』(日本コロムビア)がリリースされたばかり。