“ボンバー”中澤佑二、サッカーから別競技のコーチに転身発表でサポーターが衝撃

 視聴者には衝撃と笑撃をもって迎えられたようだ。

 12月16日放送の『news zero』(日本テレビ系)に、元サッカー日本代表の中澤佑二が登場した。

 中澤は2006年と2010年のW杯に出場、国際Aマッチ110試合は歴代4位。その髪型から“ボンバーヘッド”の愛称で親しまれた。今年1月に引退したばかりなだけに当然、今回はサッカーの解説でもするのかと思いきや……。

「番組では2028年のロス五輪でラクロスが採用される可能性があるとして、日本代表の美人選手・多賀麻文を紹介しました。視聴者はなぜ、中澤が呼ばれたのか疑問でしたが、なんと現在は女子ラクロス部のコーチとして活動していることが明かされたのです。娘が学校でラクロス部に入ったことで興味を持ち、引退後、毎日通って球拾いをしていたことからコーチとして招かれたそう。最初はフィジカル面などラクロス以外の部分を教えていたのが、今では戦術的な部分も教えられるようにまでなっている。番組でサッカーとラクロスどちらが面白いか聞かれて、『ラクロスです』と即答していたのは笑ってしまいましたけど」(スポーツライター)

 サポーターからも「ボンバーがいるからサッカーの話題かと思ってワクワクしてたのに まさかのラクロスだった!」「中澤ラクロスなんかい!笑笑」とのツッコミが入ったが、海外に目を向けると、競技変えした有名アスリートは多いという。

「サッカー選手でいえば、2002年日韓W杯ではその端正な顔立ちから一躍人気者となり、その後はJリーグでもプレーした元トルコ代表のイルハン・マンスズは、フィギュアスケーターに転身。元ウクライナ代表のアンドリー・シェフチェンコは、引退の翌日にゴルファーになっています。また、横浜、広島、西武を渡り歩いた元プロ野球選手の木村昇吾はクリケットに転向。現在はクリケットの日本代表にも名を連ねています」(前出・スポーツライター)

 早くからラグビーに目を付け、今年のW杯では甘い汁を吸った日本テレビ。今度はラクロスに目を付け、中澤を囲い込もうとしているのかもしれない?

2年前までは大バッシング……横浜F・マリノスが優勝できた理由とは?

 2019年のJ1リーグは、横浜F・マリノスの優勝で幕を閉じた。そんなマリノスに対し、多くのメディアから称賛の声が上がっている。守備的なサッカーばかりのJリーグの中で、アンジェ・ポステコグルー監督が志向するポゼッションサッカーは一線を画しており、「結果ももちろんだが、内容が素晴らしい」と賛辞が送られているのだ。

 しかし、マリノスといえば、2年前までは大バッシングを受けていた。17年、エリク・モンバエルツ監督の戦術や若手起用で出場機会が減った中村俊輔が移籍したことで、マリノスのフロントに対し、ファンやメディアから批判の声が上がった(参考記事1)。さらに、翌18年にはポステコグルー監督を招聘したフロントに対し、「どうやってチームが強くなっていくのかイメージを描けなかった」というコメントを残して背番号10番の主将・齋藤学も移籍。2年続けてサポーター人気のある選手が移籍したことで、またまた矢面に立たされた(参考記事2)。

「ほとんどのサッカーライターたちは、選手コメントのみで記事を構成します。そのため、選手の移籍に関する記事は、どうしてもフロントに批判的なものばかりになります。そしてサポーターは、そのまま記事に乗っかる。記事ではフロントが目指すビジョンに言及されていないですし、サポーターのリテラシーも低い。だから、フロントへの大バッシングにつながるんです」(サッカージャーナリスト)

 確かに、モンバエルツ監督の若手起用は成功だった。彼に見いだされた喜田拓也は今季のキャプテンを務めるまでに成長し、J1リーグ走行距離ナンバー1のスタミナでチームを支えた。また、俊輔は移籍以降、マリノスでのパフォーマンスを超える活躍を見せられていない。それは齋藤も同様だ。

 ただし、モンバエルツ監督と選手のコミュニケーションがうまくいっていなかったのは事実で、戦術も守備に重きが置かれ、退屈な部分もあった。若手が育ったことを受け、マリノスのフロントは、世代交代の改革からチーム戦術の構築に進む。そこで、オーストラリア代表にポゼッションサッカーを導入し、チームに軋轢も生まなかったポステコグルー監督に白羽の矢が立った。そして、初年度で攻撃を構築し、2年目で中盤の守備を整え、優勝という結果を出した。まさにフロントが描いたロードマップ通りである。

 大バッシングを受けてもブレず、改革を推し進めたマリノスの功績こそ、評価されるべきであろう。

(文=TV Journal編集部)

ジュビロ磐田、松本山雅に続いてJ2降格するのはサガン鳥栖で確定?

 J1リーグ最終節を前にして、ジュビロ磐田と松本山雅FCのJ2降格が決定した。磐田は2014年以来2度目で、松本山雅は16年に続いての降格となった。この2チームの降格は妥当なのだろうか? サッカーライターに聞いた。

「資金面でいうと、今季の降格候補は、大分トリニータ、湘南ベルマーレ、松本山雅の順でした。ですが、大分は就任4年目の片野坂知宏監督のサッカーが根付いています。同じく湘南も曺貴裁監督のサッカーが根付いていたのですが、パワハラ騒動から順位が下がり、まだ残留を確定はできていない。一方、松本山雅も就任8年目の反町康治のサッカーが根付いてはいるのですが、前述の2チームと違って、攻撃のアイデアがないんです。基本的に縦一本サッカーに、選手のタレントで得点を取る。エース・前田大然に海外移籍された時点で、攻撃のバリエーションは皆無となりました」

 確かに、松本山雅の最終節前までの総得点はたったの20点。リーグワーストである。前回の降格時にはフロントがすぐに反町監督に続投を要請したが、今回はまだ動きがない。サポーターからは続投を望む声が上がっているが、松本山雅をJ1に定着させるためには、得点の機会を作れる監督を招聘すべきだろう。

 とはいえ、資金力が低い松本山雅の降格は致し方ない部分もある。一方、磐田には中位程度の資金力があり、選手も松本山雅よりそろっている。なぜ降格してしまったのか?

「14年シーズン途中で就任した名波浩監督はJ2に落ちたチームの守備を整備し、1年半でJ1に昇格させました。当初はワントップのジェイ・ボスロイドのパワーと高さを生かしたサッカーをしていましたが、ジェイが各クラブにマークされると、それを剥がすだけの攻撃の幅を持たせられず。17年に中村俊輔らを獲得して戦力を補強し、個人のタレントを生かすサッカーにしましたが、ハマれば点を取れるものの、選手のパフォーマンスの波に左右されるチームになってしまい、18年にも残留争いに巻き込まれています(参照記事)。今季も総得点は28点で、松本山雅に続く低さです。選手というよりも監督の問題が大きく、フベロ監督をもう少し早く就任させていれば、残留できていたはずです」(同)

 いずれにしろ、今季のJ2降格は総得点が少ないチームという傾向が見えてくる。松本山雅、磐田に続いて総得点が少ないのは、最終節の勝敗で命運が決まるサガン鳥栖と浦和レッズの32点である。数字だけを見れば、降格するのは、清水エスパルスでもなく、湘南でもなく、鳥栖か浦和になりそうだ。が、浦和は失点も少なく、レギュレーション的にアドバンテージがある。同総得点でも、数字的に不利なのは鳥栖のようだ

(文=TV Journal編集部)

J1昇格の横浜FC、カズ筆頭にベテランだらけ「リアルおっさんず」のベンチ事情

 サッカーJ2の全日程が終了し、三浦知良が所属する横浜FCの13年ぶりのJ1昇格が決定。異例の“おっさん軍団”が来季はJ1で戦うことになる。

 22チームがホーム・アンド・アウェーで試合を戦い、全42試合を消化するJ2は、“世界一過酷”とも言われるリーグ。そこでJ1に自動昇格できる切符をつかんだのは横浜FCだった。2007年にJ1に昇格した際は、4勝26敗とJ1常連クラブとの圧倒的な力を見せつけられて1年で降格。その後J2でも下位に甘んじていたが、昨年3位と巻き返し、今シーズンは2位で昇格を決めた。そんなチームを支えたのが、他に例を見ない年齢構成の布陣だ。フリーのスポーツライターがいう。

「横浜FCの特徴は、経験豊富な選手が非常に多いことです。J2は、熱心なサッカーファンでないと知らない選手が大半なのが当たり前ですが、横浜FCには三浦知良を筆頭に、中村俊輔、南雄太、松井大輔、伊野波雅彦など、W杯経験者や日本代表経験者がゴロゴロおり、2011年に柏でMVPに輝いたレアンドロ・ドミンゲスもいます。

 ただ、見ての通り、年齢も非常に高く、三浦が52歳、中村が41歳、南が40歳、松井が38歳、伊野波が34歳で、助っ人のレアンドロ・ドミンゲス、イバ、ヨアンピンも30代半ばですから、平均年齢の高さはかなりのものです。かつては城彰二、久保竜彦、大黒将志がいた時期もありますし、旬が過ぎても知名度があって客を呼べる選手を取るのが1つのスタイルとして定着しています」(スポーツライター)

 Jリーガーの選手寿命は短く、平均在籍年数は2~3年、平均引退年齢は25~26歳だ。その一方で三浦知良は、横浜FCだけで15年、来年には53歳となる。気になる“キングカズ”の去就はどうなるのか? 週刊誌のスポーツ担当記者がいう。

「ずっとJ2にいた横浜FCが三浦知良を切らなかったのは、ひとえに“カズ”の広告効果でしょう。通常ならJ2のチームなどめったに話題になりませんが、カズなら試合に出ただけでもニュースになりますし、もし点でも取れば、NHKの19時のニュースでも報じられますから、ベンチの1枠を埋めるぐらいの価値は十二分にあります。来季はJ1昇格で注目度は一気に増しますし、経営判断としても、ここでクビにする選択肢はないでしょう。昇格後のインタビューを見ると、本人はやる気満々ですし、開幕前に“今季でラスト”と宣言すれば客も呼べますから、J1を花道に引退コースじゃないですか」(スポーツ担当記者)三浦知

 来季はJ1でカズダンスを踊る姿が見られるかも?

浦和レッズACL完敗でも、大槻監督続投……フロントが忘れた「2年前の失敗」

 

「コテンパンにやられてしまった」

 試合後、浦和レッズの槙野智章がこうコメントしたように、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦のアルヒラル(サウジアラビア)戦は、完全なる力負けだった。

 アウェイでの決勝第1戦を0-1で落とした浦和は、第2戦ではアルヒラルにゴールを奪われず、かつ最低でも1点は取らなければいけない。ホーム・埼玉スタジアムに詰めかけた6万人弱の観客の後押しを受け、立ち上がりこそ順調だった浦和だが、22分、興梠(こうろき)慎三の突破からチャンスを決められず、試合は徐々にアルヒラルペースに。プレッシングをかわせず、攻撃の形をまったく構築できない。守備も受け身に回り、攻撃に強みがあるはずの関根貴大のポジションは下がり、ボールを受けても前向きなプレーができないという負のスパイラルにはまってしまった。

 74分に2戦合計0-2となる失点を喫した時点で、ほぼ負けは確定したようなものだった。この日の浦和に、3点を取るパワーは皆無だった。それを物語るように、このゴールが決まった直後、早めの帰り支度をする人たちが散見された。

 なぜ、第2戦も第1戦と同じような(参照記事)展開になってしまったのか?

「浦和の大槻毅監督は、守備の構築や選手たちのモチベーションを上げるのは得意ですが、攻撃のアイデアがある監督ではない。ACLを勝ち抜けたのも、同大会でデュエル(1対1の勝率)がナンバー1のエヴェルトンとナンバー2の槙野の粘り強さがあったから。一方で攻撃はカウンターのみで、興梠のキレに頼ってきました。決勝第2戦は得点を奪わなければいけない試合にもかかわらず、シュート数自体が6本しかなかった。数字以上の惨敗でした」(サッカージャーナリスト)

 しかし、敗戦が決まった直後、浦和の立花洋一社長は大槻監督に来季の続投オファーを出したと報道されている。さすがに、中村修三GMら強化部は総入れ替えするようだが、新たにGMに就任するのは、大槻監督の元でGKコーチを務めた土田尚史氏だというから開いた口がふさがらない。大槻監督への続投要請もびっくりだが、部下が上司になるという謎人事には狙いがまったく見えてこない。いったい浦和フロント陣は何を考えているのか?

「サポーターのウケを重視しているとしか思えないですよね(苦笑)。大槻監督はサポーターから『組長』と親しまれていますし、土田さんも人気があります。しかし、両者共に、日本のトップクラブの重職に就くほどの実績はありません。土田・大槻体制に期待をするサッカージャーナリストは皆無といっていいのではないでしょうか。あるとすれば、土田GMが、大槻監督を見切って、新たな監督を連れてくるか、もしくは大槻監督のために世界レベルのアタッカーを連れてくるか。いずれにしろ、来季の浦和の命運は土田GMにかかっています」(同)

内容はボロボロでも、ACLの実績やファンのウケで続投を要請する――。浦和といえば、2017年にも監督vs選手の確執が問題となった(参照記事)。フロント陣は、たった2年前の失敗を忘れてしまったのだろうか?

(文=TV Journal編集部)

サッカー日本代表”65年ぶりの大失態”で森保一監督に不信感「ハリル解任前くらいヤバイ」

 サッカー日本代表が65年ぶりの大失態を見せてしまった。なんとホーム開催の国際Aマッチ「キリンチャレンジカップ2019」ベネズエラ戦で、前半のうちに4失点を喫してしまったのだ。1954年、日本サッカー黎明期以来の大惨事である。

 もちろん、相手がフランスやブラジルであれば、4失点も致し方ない。しかし、今回はW杯にも出場したことのないベネズエラである。決して格下ではないが、日本がW杯で同組になったとすれば、勝ちを狙わなければいけない。そんな相手に4失点ということもあり、森保一監督への不満の声が爆発した。

 たとえば、元日本代表でサッカー解説者の宮澤ミシェル氏は「おいおい早く日本も4-3-3にして、人数を合わせてあげてくれよ、何処で何で崩されてるか解るだろう、相手が強いわけだから、横幅も空きすぎだろう、前を向いての守備をさせてあげてくれよ!」(原文ママ)とツイートしている。宮澤氏がここまで強い口調でのツイートをするのは珍しく、しかも試合中だった。いかに森保監督率いる日本代表がボロボロだったかが伝わってくる。そして、多くのサッカー関係者たちが宮澤氏に同調している。

「ベネズエラ戦だけでなく、この1週間、日本代表は散々でした。ベネズエラ戦前のW杯アジア予選のキルギス戦は、2-0で勝利したものの、超格下相手に弱点を突かれました。決定機も作られ、引き分けでもおかしくない内容だった。さらに、その後に行われたU-22日本代表も、コロンビアに0-2と敗戦。しかも数字以上の惨敗で、決定機はおろか、攻撃の形すら作れなかった。『ハリル監督解任前くらいヤバイ』なんて声も上がってますよ」(サッカーライター)

 この声に連動するように、ベネズエラ戦翌日、ほぼすべてのメディアが日本代表を糾弾した。選手たち自身も批判はやむなしと感じていたようで、MF柴崎岳は「僕の責任」と反省を口にしている。誰がどう見ても、森保監督の采配はズタボロだった。

 ただ、ここでひとつ疑問が生じてくる。なぜ森保監督は日本代表監督に就任したのか? 日本サッカー協会(JFA)は、森保監督に何を期待していたのだろうか?

「森保監督の強みは守備です。世界的にも珍しいミハイロ・ペトロビッチ監督(現:北海道コンサドーレ札幌)の攻撃的な3-4-2-1システムをサンフレッチェ広島時代に引き継ぎ、守備のエッセンスを加えることで、4年間で3度のリーグ制覇という偉業を達成。そのサッカーを期待され、2017年10月にU-22代表監督に就任ししました。そして、翌年のロシアW杯で西野朗監督が成功すると、JFA幹部から『後任も日本人がいい』という声が上がり、日本代表監督も兼任することに。しかし、森保監督は、日本代表ではU-22の戦術は封印。口癖は『西野スタイルをベースに』であり、具体的にどのようなサッカーを描いているかわからない。守備の堅固さはありましたが、その守備も、メンバーが替わっただけで崩壊してしまったことに危機感を覚えています」(同)

 守備の得意な森保監督が、ベネズエラ相手に修正できないままに4失点を喫した。この事実が、「森保監督の言う“西野スタイル”とはなんなのか?」と、関係者の懐疑心を生んでいる。来月行われるEAFF E-1 サッカー選手権の結果と内容次第で、解任論がブチ上がりそうだ。

(文=TV Jorunal編集部)

サッカー日本代表”65年ぶりの大失態”で森保一監督に不信感「ハリル解任前くらいヤバイ」

 サッカー日本代表が65年ぶりの大失態を見せてしまった。なんとホーム開催の国際Aマッチ「キリンチャレンジカップ2019」ベネズエラ戦で、前半のうちに4失点を喫してしまったのだ。1954年、日本サッカー黎明期以来の大惨事である。

 もちろん、相手がフランスやブラジルであれば、4失点も致し方ない。しかし、今回はW杯にも出場したことのないベネズエラである。決して格下ではないが、日本がW杯で同組になったとすれば、勝ちを狙わなければいけない。そんな相手に4失点ということもあり、森保一監督への不満の声が爆発した。

 たとえば、元日本代表でサッカー解説者の宮澤ミシェル氏は「おいおい早く日本も4-3-3にして、人数を合わせてあげてくれよ、何処で何で崩されてるか解るだろう、相手が強いわけだから、横幅も空きすぎだろう、前を向いての守備をさせてあげてくれよ!」(原文ママ)とツイートしている。宮澤氏がここまで強い口調でのツイートをするのは珍しく、しかも試合中だった。いかに森保監督率いる日本代表がボロボロだったかが伝わってくる。そして、多くのサッカー関係者たちが宮澤氏に同調している。

「ベネズエラ戦だけでなく、この1週間、日本代表は散々でした。ベネズエラ戦前のW杯アジア予選のキルギス戦は、2-0で勝利したものの、超格下相手に弱点を突かれました。決定機も作られ、引き分けでもおかしくない内容だった。さらに、その後に行われたU-22日本代表も、コロンビアに0-2と敗戦。しかも数字以上の惨敗で、決定機はおろか、攻撃の形すら作れなかった。『ハリル監督解任前くらいヤバイ』なんて声も上がってますよ」(サッカーライター)

 この声に連動するように、ベネズエラ戦翌日、ほぼすべてのメディアが日本代表を糾弾した。選手たち自身も批判はやむなしと感じていたようで、MF柴崎岳は「僕の責任」と反省を口にしている。誰がどう見ても、森保監督の采配はズタボロだった。

 ただ、ここでひとつ疑問が生じてくる。なぜ森保監督は日本代表監督に就任したのか? 日本サッカー協会(JFA)は、森保監督に何を期待していたのだろうか?

「森保監督の強みは守備です。世界的にも珍しいミハイロ・ペトロビッチ監督(現:北海道コンサドーレ札幌)の攻撃的な3-4-2-1システムをサンフレッチェ広島時代に引き継ぎ、守備のエッセンスを加えることで、4年間で3度のリーグ制覇という偉業を達成。そのサッカーを期待され、2017年10月にU-22代表監督に就任ししました。そして、翌年のロシアW杯で西野朗監督が成功すると、JFA幹部から『後任も日本人がいい』という声が上がり、日本代表監督も兼任することに。しかし、森保監督は、日本代表ではU-22の戦術は封印。口癖は『西野スタイルをベースに』であり、具体的にどのようなサッカーを描いているかわからない。守備の堅固さはありましたが、その守備も、メンバーが替わっただけで崩壊してしまったことに危機感を覚えています」(同)

 守備の得意な森保監督が、ベネズエラ相手に修正できないままに4失点を喫した。この事実が、「森保監督の言う“西野スタイル”とはなんなのか?」と、関係者の懐疑心を生んでいる。来月行われるEAFF E-1 サッカー選手権の結果と内容次第で、解任論がブチ上がりそうだ。

(文=TV Jorunal編集部)

浦和レッズ、アジア制覇に黄色信号! アルヒラルに痛恨の敗戦、戦犯は誰?

 アウェイの地、サウジアラビアで行われたAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第1戦でアルヒラルに0-1で敗れた浦和レッズ。ホームで行われる第2戦に2点差以上で勝利すれば文句なしに優勝となるのだが、今回の敗戦は痛恨だとサッカーライターは明かす。

「今季の浦和レッズは、J1リーグ戦で31点しか奪えていない。これはワースト3に入る数字です。そんな攻撃力のなさでもACLを勝ち進めたのは、耐えに耐えてカウンター一発で得点してきたから。第2戦、アルヒラルは得点を奪う必要がないので、前に出てこない。カウンターしか策のない浦和がアクションを起こし、得点を取れるか微妙すぎます」

 確かに第1戦は、立ち上がりからアルヒラルに8割ボールを持たれながらも、17分には関根が決定的なシュートを放つ。このゴールが決まっていれば、いつものパターンに持ち込めたかもしれない。しかし、いつものカウンター一発が決まらないと、後半は防戦一方に。60分にアルヒラルに先制点を奪われてからは、シュートチャンスどころか、攻撃もままならなかった。得点を奪えないことよりも、ゴールを守れなかったことのほうが問題といえるかもしれない。では、今までは耐えてきた守備陣が、なぜこの試合では完封できなかったのか?

「ゴールシーンを見れば一目瞭然ですが、GKの判断ミスです。日本はGKに優しいところがあり、失点をGKのミスとして糾弾しない風潮があります。以前はGKを厳しく批評するメディアもありましたが、日本が初のワールドカップ出場をつかんだ1998年頃に、川口能活氏が旧知のライターにGK批判記事への激しい不満をぶつけ、それをファンが支持したこともあり、メディアも弱腰になっている。批判が必要というわけではなく、厳しい批評の目にさらされてプレーすることで、プレッシャーに耐えられるようになる。ポジションは違いますが、本田圭佑が最たる例ですよね」(同)

 確かに、J1リーグのGKは外国人に頼っているのが現状だ。1億円を超える年俸を手にしている名古屋グランパスのミチェル・ランゲラック、川崎フロンターレのチョン・ソンリョン、セレッソ大阪のキム・ジンヒョンをはじめ、3分の1以上のJ1チームのGKが外国籍選手である。そういった状況だけを見れば、日本人GKのレベルが下がっているのは、甘い空気に慣れたからともいえるかもしれない。

 第1戦敗戦後、GK福島春樹は「予測不足で僕の判断ミス。経験も足りなかった。どっしり構えれば失点は防げた」と自戒も含め、ミスを認めている。選手に厳しい舞台での経験を積ませるためにも、メディアは厳しく批評すべきだろう。

(文=TV Jorunal編集部)

FIFAでは大活躍も……中田英寿がJFAと距離を置く理由とは?

  元日本代表MF中田英寿氏が10月31日、公式インスタグラムを開設。「スイス・チューリッヒで行われた国際サッカー評議会(IFAB)の会議に出席」というコメントと共に、3枚の画像がアップされた。

 現役引退後も何かと話題に上ることが多い中田氏だが、それは日本だけの話ではない。たとえば、今年のバロンドール(仏サッカー専門誌「フランス・フットボール」が創設したヨーロッパの年間最優秀選手に贈られる賞)候補に韓国のソン・フンミンが選出されているが、同誌は韓国サッカー界のレジェンド、パク・チソンではなく「中田を思い出す」という見出しの記事を掲載。というのも、中田氏はバロンドールの対象が欧州出身選手以外にも広がってから初めてリストに名を連ねた選手だからだ。

 2017年にはアジア代表としてIFABの諮問委員に任命され、FIFAからは「バロンドール授賞式」や「ベストイレブン表彰式」のプレゼンターとしても招集されるなど、すっかり“日本の顔”となっている中田氏だが、なぜか日本サッカー協会(JFA)関連で名前が挙がることはない。いったいなぜなのだろうか? サッカー関係者に訊いた。

「まず前提として、村井満氏が14年にチェアマン就任後、Jリーグがベンチャー企業のように柔軟になってきているのとは対照的に、JFAは膠着し、お役所化しています。15年にFIFAから組織の不透明さを指摘され、やっと会長選挙を取り入れたくらいですから。そんな中、中田氏は08年6月に有名選手を集めてサッカー親善マッチ『+1 FOOTBALL MATCH』を主催。日産スタジアムに6万人以上を集めるビッグイベントとなりましたが、これが『チャリティーという表看板とは裏腹に、かなりの収益を上げた』としてJFAの逆鱗に触れた。この件がきっかけで、JFAは中田氏と距離を置くようになりました」

 10年3月には、当時日本代表監督だったザッケローニ氏と中田氏の対談がTBSの企画で実現したが、その際、JFAハウス(日本サッカー協会ビル)が使わせてもらえなかったり、22年サッカーW杯招致のアンバサダーに名前が挙がるも、JFA側がNGを出したと伝えられたこともあった。

 また、中田氏が対談番組などに出演すると、共演者から「協会(JFA)と仲が悪いから」などとイジられる姿もよく見かける。

「中田氏サイドはJFAとの確執について何も口にしませんが、『現役時代の知人に著名な監督が多くいるので、(JFAが)言ってくれれば交渉するのに』とこぼすなど、やきもきしている様子。ただ、JFAと関わらなくても活動の場はいくらでもあるわけですから、わざわざ自分から関係修復に動くつもりもないのでは?」(同)

 日本のサッカー発展のために存在しているはずのJFAが、職員のプライドのために、中田氏の存在を無視する――。なんとも日本のお役所らしい組織である。

(文=TV Journal編集部)

「中国サッカーの故郷」で政治や差別に翻弄される少数民族…“朝鮮族”をつなぐサッカー文化

――政府からのトップダウンで強化を推し進めている中国サッカー。多額の金を投入し世界中から強力選手を買いあさるその裏には、「中国サッカーの故郷」と呼ばれる土地に住む少数民族たちの奮闘があった。

 金満主義が染みついた中国プロサッカー界にも「清浄地域」は存在する。資金難に苦しみながらも成績に恋々とせず、フェアプレーを徹底し中国サッカーファンに新鮮な衝撃を与えた「延辺富徳FC」がそのひとつだ。中国北東部、朝鮮半島と接する延辺朝鮮族自治州をホームとし今年の2月まであったそのチームは、その構成メンバーのほぼ全員がコリアン系中国人である『朝鮮族』の選手で構成されていた。また延辺とは中国国内で、公式的に朝鮮族住民による「民族自治」が行われている地域。日本統治時代の旧満州では「間島」と呼ばれており、近代以降の日本とも密接なかかわりを持つ地域でもある。そこに根差した朝鮮族サッカーチームの活躍は、中国における少数民族の多様性を国内にアピールすると同時に、同国サッカーのあり方に大きな影響を与えてきた。

中国サッカー界では「サッカーの故郷」と呼ばれる地域

 1910年の日韓併合前後に満州に移住し始めた朝鮮人移民は、現在の広州市や深セン市がある中国東南部の広東地域の住民と共に、大陸で最も早く近代サッカーを経験した集団となった。サッカーの流入と普及が早かった地域だけに、この両地域はサッカー中国代表に最も多くの選手を送るほどに。中国サッカー界では、「サッカーの故郷」と呼ぶほどなのだ。

 日本帝国統治下の在満朝鮮人社会においてサッカーは、村・学校・地域の行事として発展し、民族的なイベントへと昇華していった。そして新中国の樹立後も、延辺自治州で誕生したチームが、吉林省を代表して全国大会で次々と好成績を収めていき、65年には全国サッカーリーグトップレベルの「甲級連盟戦」で初優勝を果たした。ところが、その翌年から文化大革命が本格化。中国体育界では、サッカーはもとより全てのスポーツが、ほとんど“オールストップ”する事態を迎えることになる。

 文化大革命終了後の78年、鄧小平の改革開放宣言をきっかけとして、スポーツにおける対外交流が活発化していく。
 92年には中国サッカー協会が北京・紅山口で会議を開き、プロサッカーリーグの発足を公式に計画。2年の準備過程を経て、日本でJリーグが発足してから約1年後の94年、中国プロサッカーリーグ(1部の甲Aリーグと2部の甲Bリーグ)がスタートする。

 延辺朝鮮族自治州のサッカーチームも、中国プロサッカーリーグの発足メンバーとして、甲Aリーグに参加するようになった。今やグローバル企業として成長した、韓国・サムスンやヒュンダイグループが初期スポンサーとなり、中国市場で徐々に知名度を高めていく。97年には元韓国代表監督・崔殷澤の指揮の下、リーグ4位という好成績を収め、朝鮮族社会を熱狂の渦に巻き込んだ。このように、92年の中韓国交正常化以降、韓国社会とのつながりも、プロサッカーを通じて現れるようになる。

 しかしプロリーグの進展と共に、マジョリティである漢族でさえあり得ないと思うような、「黒いホイッスル」と呼ばれる露骨な辺境少数民族チームへの差別的な判定が相次ぎ、2000年には2部リーグへの降格を余儀なくされる。さらに1軍チームが浙江省の杭州緑城FCに売却されるなど、朝鮮族ファンの心に忘れられない傷を残す事態が続く。その後、ユースやリザーブ選手らによってチームは再編されたが、01年から14年まで、3部と2部リーグを転々とする歳月が続いた。いわば“暗黒期”と今でも呼ばれる時期が続くことになるのだが、それでもファンたちはチームを見放さなかった。

 転機となったのは15年シーズン。元韓国代表のヘッドコーチを務めていた朴泰夏監督の就任が、そのきっかけとなる。同シーズンに延辺富徳FCは、圧倒的な強さを見せ2部リーグで王座を奪還。悲願だったスーパーリーグ昇格を達成した。朝鮮族社会は、再び胸が沸き立つ瞬間を迎えたわけだ。今やグローバル化の進展により、人口183万人のうち大半が韓国、日本、欧米国家に分散している朝鮮族の人々は、WeChatなどSNSのグループチャットを通じて連絡網を築き、一丸となって故郷のチームを応援する文化を広めている。

 また延辺のスーパーリーグへの昇格を陰から支えたのは、15年度からメインスポンサーとなった、中国屈指の保険会社「富徳生命人寿保険」による投資も無視できない。長年にわたって、資金の調達に苦しんでいた延辺のために、吉林省のトップポストの党書記が直接、広東省の企業である富徳グループに連絡したのだ。実はサッカーの国際レベル化を強く進める習近平政権発足以降、中国の財界に対してはサッカーの発展にある程度の貢献が求められる雰囲気があり、このパートナーシップも電撃的に実現したのだ。

 こうしてスーパーリーグ初年度は、スポンサーから約40億円の予算を獲得。総合順位9位という無難な成績でシーズンを終了した。他のチームに対して目立つ動きではないが、朝鮮族中心のチームの中で文化理解とコミュニケーションに全く差し支えのない、3人の韓国代表出身の選手をチームに迎え入れたのが功を奏した。しかし、延辺サッカーをめぐる好調の波は長続きしない。政治問題で富徳グループのオーナーである張峻が「失踪」したといううわさがたち、その後16年末には既成事実となる。その結果17年度から予算が大幅に削減され、チームも降格圏を脱出することが叶わなかった。

 ただ、2部リーグの優勝から再びのスーパーリーグ降格までの3年間は、チームにとって、また朝鮮族社会にとっても大きな影響を与えた年月となった。故郷を離れている朝鮮族は、週末に居住地の地元の飲食店に集まり、酒を酌み交わしながら、愛する地元チームをあらん限りの声で応援した。本来であれば、一生会わないかもしれない同郷の人々が、サッカーを通じて北京やソウル、東京、ニューヨークなど移民先の都市で互いに知り合うことになった。そこで新しいネットワークが次々と構築されたのだ。オンライン空間では、サッカーをはじめ、民族共同体への懸念や政治、経済など多方面にわたる議論が活発に交わされる。政治的な主張が公式的にはもはや不可能な中国社会の中で、サッカー文化が新たな自己を表現したり、多様な言説を生む有効な「媒体」となっていたのだ。

 さて、そんな朝鮮族の人々の期待の星であり、民族的団結の中心でもあった「延辺富徳FC」は19年2月、スポンサーの巨額の税金滞納を理由に、自治州政府から急遽チームを解散させられることになった。公式的には、クラブが払うべき選手たちの所得税の未納問題が取り上げられているが、地方政府の権限でチームを温存させる可能性は充分に残っていたし、「なぜ解散までしなければならなかったのか」と不可解に思うファンは少なくない。サッカーが少数民族である朝鮮族のアイデンティティーを鼓舞するという政治的理由から解散が強行されたといううわさもあるが、本当の理由は謎のままだ。

 チーム解体と共に、他のクラブに移籍した地元選手や、延辺から北京国安、広州恒大などビッククラブに移籍し、中国代表にも選ばれている朝鮮族選手(現在4人)たちは試合を楽しむ人たちに新たな希望を生んでいる。そして朝鮮族自治州のサッカー協会はこの間、3部リーグチームの再整備を宣言。地元チームの再建を望む人々は、海外団体と共に連携を図り、国内外で人脈や資本を集めている。代表的なのは5月中旬、日本人コーチの派遣や日本システムによるユース育成の強化を考案し、J1・湘南ベルマーレの関係者と延辺を訪問した在日朝鮮族サッカー協会の事例を挙げることができる。

 少数民族チームの栄光と解散。しかし、朝鮮族のサッカーストーリーは終わっていない。文化資本として定着したサッカー文化を捨てることは共同体の解体であるという考え方が、広く共有されているからではないだろうか。サッカーが紡ぐ民族の歴史が、中国のサッカー史の中にもあるのだ。(サイゾー8月号『中韓(禁)エンタメ大全』より)

洪 龍日(Yongil HONG)
1984年中国東北部延辺生まれ。2009年来日。東京大学大学院総合文化研究科・博士課程に在学。大学院ではスポーツ社会学、文化人類学、政治学を専攻している。日本国内問題と国際的なイシューを交えた移民問題、コミュニティ研究、地域社会論などを研究テーマとしている。在日朝鮮族サッカー協会の実務にも従事。