野際陽子に匹敵する逸材?――いつも『宇垣美里』に恋してるッ

『宇垣美里』

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2月5日、TBSアナウンサー宇垣美里が、「アフター6ジャンクション」(TBSラジオ)にて、3月末での退社を発表。「怒りの退社、フルヌード」という報道にも「なるわけねーし。バカか」と言及。怒って脱ぐのはダチョウ倶楽部の竜ちゃんぐらいだよね。(写真/共同通信)

 仕事柄、テレビはわりと見るほうだ。なんなら各局満遍なくチェックしている自負もあった。だがどうやら私は、知らぬ間に「TBSを見ない大人」になってしまったようである。

 ごめん、嘘ついた。正直ドラマは見てるわ。『逃げ恥』とか『大恋愛』とか。泣いたり悶えたりしながら。正確には「TBSのバラエティや情報番組を見ない大人」ということである。 土曜の夜、文字通り8時にテレビの前に集合し「志村うしろ!」と叫んでいたあの頃、まさか自分が 「TBSを見ない大人」になるなんて想像もしていなかった。

 その傾向に気づいたのは、3月末でTBSを退社する宇垣美里アナウンサーの存在である。この娘、私のことを知る第三者がハッキリと言い当てることができるくらい、私が好きなタイプである。にもかかわらず、最近までまったくのノーマークであった。いや、存在は知ってたよ。カワイくて、ブリッ娘で闇キャラの娘でしょ。ちょくちょくネットニュースに取りあげられていたもの。でもね、そこ止まりだった。おじさん、動くウガッキーを見ていなかった。元来、一目惚れをしないタイプの私は、ネットニュースの画像だけでは興味が惹かれなかったのである。やはり人間というのは、見た目、声、話し方、所作等々、そういったすべての要素が合わさって初めて魅力が発揮されると思うのだ。

 では、なぜ彼女の魅力に気づけなかったのか? それは私がTBSの番組を見ていなかったからだ。思い返せば田中みな実も、私が意識しだしたのは、彼女がフリーになって他局の番組に出始めた頃である。

 ここで「私がTBSのバラエティーや情報番組を見ない理由」といったテレビウォッチャーみたいなことを書くつもりはない。それはもう「たまたま」としか言いようがなく、TBSは何ひとつ悪くないからだ。ただ、今言えることは間違いなく「宇垣に出会えてよかったー!」ということである。「地球に生まれてよかったー!」ぐらいのテンションで。これ、織田裕二ね。世界陸上の。TBSつながりで。

 なんにしろ、ウガッキーもフリーになれば他局での露出が増えるわけで、私も「こりゃ春から忙しくなるぞ」(テレビを見るのが)といった心持ちだ。一部でアナウンサーとしての経験が乏しく、タレントとしても厳しいといった声があがっているが、まったくの杞憂である。そもそも本人がアナウンサーというカテゴリーに執着しているわけでもなく、また世間の需要としては、下手なタレントよりも高いと個人的にはにらんでいるからだ。

 その証拠に、ネット検索をしていると、AVなどのエロ画像に女優やアイドルの顔を貼りつけるアイコラ画像にぶちあたることがある。さまざまな有名人のアイコラがアップされているわけだが、中には本物と見紛う精巧なものもあれば、「切り絵か」と思うような雑なものが多いのも事実。その中にあって、ウガッキーのアイコラは比較的レベルが高いものが多い。これは、アイコラ職人の彼女に対する熱量、さらに彼女自身の“どんなエロも乗りこなしてしまう”ポテンシャルの高さによるものだと推測される。そこへきて、本人は「水着にはならない」と宣言。やすやすと大衆のニーズにはこたえない“もったいぶらせ感”を出すあたり、すでに自分の見せ方をわかっていらっしゃる。思わず指を銃の形にして「POW! POW! POW!」と叫んでしまいそうだ。

 先輩である田中みな実は、フリー転身後に自身の心の闇に気づき、それをメディアで吐露しつつ、折り合いをつけてきたあたりから人気に火がついた。その点、ウガッキーは早々に己の闇と向き合ってきたおかげで、すでに折り合いをつけている感じだ。ほかにも元日テレの脊山麻理子アナは、フリー転身後、隠していた“パリピキャラ”をいきなり解禁したため、周囲がついていけず、本人も若干迷走気味となっている。だが、この点においてもウガッキーはすでに自分のキャラを周知させることに成功している。このように、先人がフリー後に通ってきた苦悩や葛藤をすでに消化しているウガッキーに死角はないのである。

 昨今のフリーアナウンサーは、女優業やバラエティもこなすため、もはやタレントと言っても差し支えない。にもかかわらず、視聴者の印象としては“アナウンサー”とカテゴライズされる不思議な存在だ。本来はそれでいいのだが、ウガッキーには、そんな枠に収まらない活躍を期待したい。フリーアナの大先輩・野際陽子が、世間からアナウンサーという印象を完全にかき消し、女優としてその人生をまっとうしたように。そう、宇垣美里は、平成の野際陽子になる逸材なのである。あっ、平成も終わるのか。じゃあ、新野際陽子とかで。新加勢大周みたいな感じでさ。野際陽子も加勢大周もTBSのドラマによく出てたしね。やっぱTBSはドラマやで。

西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
今後はTBSを意識的にチェックしていくつもりの40代独身男性。すでにフリーで二児の母だけど、元TBSの枡田絵理奈アナウンサーもカワイイよね。

【五所純子/ドラッグ・フェミニズム】ラッパー・なかむらみなみが抱く麻薬で壊れた母の肖像(前編)

――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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神奈川県藤沢市の辻堂をレペゼンするなかむらみなみ。母が逮捕されたという引地川沿いを案内してくれた。(写真/草野庸子)

「川にすべての記憶がつながってる」

 神奈川県藤沢市、引地川に沿って歩く。上流の山寄りの町で、人が埋められた景色を見た。母が逮捕されたのは、河口にほど近い平坦な道だった。家から逃げて歩いたのも、路上生活のあてを探したのも、この川に沿った。何度となく川を行ったり来たりした。

「川が好き。線路も好き。ずっと向こうの知らないところまで続いてるから、どこかへ行ける気がして」

 流れるから川はいい。ねえ誰か、私をどこかへ連れてって。海のほうから潮風が吹きつける。きゃらきゃらと笑いながら彼女は顔を襟にうずめる。

 なかむらみなみがTENG GANG STARRというラップ・ユニットでデビューしたのは2015年。デビュー曲「NO MERCY」で、みなみは自身の経験をもとにしたリリックを歌った。

「私のママは元プッシャー タクシー蹴飛ばすクラッシャー ママは男つくって4回目にしてダルクに搬送」

 みなみの母は現在、薬物など依存症の回復支援施設に入所している。母と娘はこの10年ほど会っていない。

「お母さんのこと大好きです。明るいところ、強いところ、友達が多いところ、自由なところが好き。あと、オムライスがめちゃくちゃ美味しい。ただ、これは母が依存症になる前の話です」

 みなみの母・典子は、芥川賞作家の父と美術教師の母のもとに生まれた。辻堂にある典子の家では数世帯の親戚が集まって暮らし、典子は親戚じゅうから将来を期待されていた。しかし一転、典子は孤立する。高校で大麻を売ったことが発覚したのだ。職員室に呼び出された典子は、教員である母の前で疑惑を追及された。母は娘が反抗する様子を同僚たちの前で突きつけられた。この醜聞に親戚たちは恥じ入った。そして典子を恥の塊のように遠ざけた。

 典子と一也が恋をする。出会った場所は辻堂海岸のすぐそばにある、おでんセンター。若者たちの溜まり場だった。ふたりとも走り屋のチームに属し、海辺の子らしくサーフィンに親しんでいた。娘が生まれると海にちなんだ名前をつけた。

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辻堂駅から車で10分ほど南下すると、相模湾に面した砂浜が現れる。(写真/草野庸子)

「私、本名は美波なんです。でもまったく泳げないんですよ。自己紹介でこれ言うと笑ってもらえるんですよね」

 結婚して実家を出て、典子がみなみを産んだのは20歳のとき。2年後に息子を産み、まもなく離婚。夫婦で栽培した大麻は、きれいさっぱり片付けた。典子は2人の子どもを抱え、辻堂よりも山寄りの町にアパートを借りる。

「私が小学校に入るまで、3人で転々としました。アパートに住めてたのはいいほうで、お金がなくなると車中泊です。子どもって普通、夜が朝に変わる瞬間を見たことないですよね。朝日が上がってから家でゆっくり目覚めるじゃないですか。私は車の中から毎日朝焼けを見てて、その空の様子を保育園で喋ったら同級生に不思議そうな顔をされてびっくりした。その頃住んでたのは夜の店がいっぱいある町で、治安もあまりよくなかったかな」

母にやらされた酒と煙草と薬

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なかむらみなみが幼い頃、母はキャバクラで働き、薬物売買にも手を染めた。(写真/草野庸子)

 典子は昼の仕事を終えると、夜は娘と息子を連れてキャバクラに出勤する。子どもたちを更衣室に座らせれば、同僚たちがかわるがわる遊んでくれた。酒に強い典子は客に酔い潰されることがなく、典子自身もそれが誇りだった。キャバクラの上階にはホストクラブが、そのまた上階にはニューハーフバーがあり、すべて系列店だったせいか、店の垣根を越えてみんなが子どもに優しい。恋人のホストは保育園の迎えを手伝ってくれたし、店長は大理石のフロアで子どもを遊ばせ、トイレットペーパーの先端を三角に折るママゴトを子どもにあたえてくれた。

「ある夜、系列店の元締めみたいな男の人が来て、店から家への送迎車に全員乗せられました。車は山道に入っていって、着いた先で、ぼこぼこに歪んだ顔が地面から突き出てました。店長さんが縦に埋められてたんです。助けに行ったのか見せしめだったのかわかんないですけど、翌日には店長が替わってましたね。ちょうど昨日『アウトレイジ 最終章』を観て、同じようなシーンがあったから驚きました。でも、あんなきれいに埋められないですよ。人が手で掘った穴はもっとでこぼこしてる。『店長さん、どうなったの?』ってキャバ嬢たちに訊いても、『ねえ、どうしたんだろうね』とか『そんな人いたっけ』とかとぼけられちゃって。でもお母さんは、テーブルで誰かがコップを割ったりしたら『おい、首まで埋められっぞ!』とかふざけて言うんですよ。私はおかしくて笑ってましたけど、周りは凍りついてましたね。母は私と同じでお調子者なんです」

 店の元締めは、薬物取引の元締めでもあって、典子は売買に精を出す。家があろうとなかろうと、薬を売るのは車の中と決めていた。お気に入りのピンクのMRワゴンは、ブルーの好きな母に反発して選んだものだ。車だけじゃない、家も服も何もかも典子はピンクを選んだ。自分は運転席に、客は助手席に座らせる。ときには後部座席に子どもを座らせたまま、客を出迎えた。わきまえのない客が来て、助手席から手を伸ばして乳房を触ろうとする。そんなときは遠慮なく罵声を浴びせて殴ってやった。「ウチをナメんな」という言葉がきまって口から出た。軽んじられることだけは耐えられなかった。

「家の電話の横にカラフルな錠剤がいっぱいあって、ラムネみたいでかわいかったんですよね。『元気が出るおくすりだよ』って母から言われてました。今思うと、たぶんモーリー(MDMA)ですね。それが悪いものだってわかってなかったから、私は保育園でべらべら喋っちゃって、お母さんからめっちゃ怒られたりしました。でもお母さん、そんなに悪い気はしなかったんじゃないかな。

 今で言うバカッターですけど、お母さんは私に酒を飲ませたり煙草を吸わせたりして、それをケータイで写真に撮って友達に見せびらかしてました。薬もありましたね。母はすごく楽しそうで、私も楽しかったんですよ。わあい、お母さんと一緒に遊んでる、いえーい! って感じで。母が薬と酒と煙草をやらせるのは私だけで、弟にはやらせませんでした。弟は生まれたときに肺炎をこじらせて、片方の肺を切除してるんです。だから無茶させなかったんでしょうけど、私だけ特別に愛されてる気がしてうれしかった。小さい頃から金髪にしてくれて、ド派手な服を着せてくれて。私は他の子たちとは違う特別な人間なんだ。そう信じてこれたのは、母のおかげです」

 女の子はかわいい。この子にはウチのできなかったことを思いきりさせてやる。好きなことをめいっぱいやらせれば、この子はきっと何かを見つける。ウチだって本当は何かを見つけられたはずだ。男の子はわからない。かわいがり方がわからない。この子はウチがいなくてもうまくやる。そんな気がする。夫婦で大麻を育てたのも、一人で薬を売りだしたのも、もともとこの子の医療費を稼ぐためだった。他に恋人つくって別れたのはおたがいさまだけど、離婚したとたん無責任に放り出しやがって。少しは金持ってこい。誰かウチを最後まで愛してみろ。どいつもこいつも馬鹿のひとつおぼえみたいに通り過ぎやがって。なんだこれ。

よみうりランドで遊んだ“知らない人”との日曜日

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冬の冷たい潮風が吹きつける辻堂海浜公園で、母との思い出を振り返るなかむらみなみ。(写真/草野庸子)

「保育園の頃からわりと長く住んだ2DKのアパートがあって、お母さんの部屋と子ども部屋で分かれてました。お母さんには決まった恋人がいたけど、そうじゃない男の人がよくお母さんの部屋に来てました。体を売ってたんですよね。数えきれないくらい来てたし、いつものことだったから、その頃はなんとも思いませんでした。

 日曜日になるとときどき、お母さんから『今からよみうりランドに遊びに行ってきな』って言われました。知らない人が家に迎えに来て、電車を乗り継いで。「入場するときは“お父さん”って言うんだよ」とか「『この人は誰ですか』って訊かれたら“お母さん”って答えるんだよ」って念を押されてました。そんな場面なかったですけどね。ただ、ジェットコースターって身長制限があるじゃないですか。職員から『お父さん、お子さんの身長は何センチですか』って訊かれて、一緒に行ってたおじさんが答えられなくて、気まずかったです。手をつないでアトラクションをまわって、アイスとか買ってもらって、楽しかったですよ。でも、しつこく頬っぺた触られたり抱っこされたりして、ちょっと気持ち悪かったです。また電車に乗って家に帰って、子ども部屋で一緒に寝ることもありました。お母さんは外出してるか、隣の部屋にいました。どの人も1回きりで、2度と会うことなかったです。

 後になって、学校で“知らない人にはついていかない”と習ったときに、急に怖くなりました。それが危ないことだって、私は知らなかったんです。母は平気で私を“知らない人”に渡して、一日じゅう遠くを連れ歩かせて、あれはなんだったんだろうって。そのへんの人をシッターがわりにしたのか、養子にでも出すつもりだったのか、新手のビジネスでもやろうとしたのか……いろいろ考えてみたけど、謎です。大人への不信感と、身体的な接触への不快感がこみあげてきました。お母さんが嫌いになりました」

 お前らにわかってたまるかよ。酒に強く、飲んだ直後でも猛スピードで正確に車を転がしていた典子が、一杯の酒でろれつが回らなくなり、誰かれかまわず喧嘩腰で歯向かうようになった。もう酒だけじゃなかった。酒をぐいぐい飲み、薬をがんがん食い、男にどんどん溺れた。いや、調子のいいときは料理だってしてみせる。オムライスに歓声を上げる子どもたちの顔だって、うれしい。この子たちさえいればウチは満足だとすら思う。でも、なぜかいきなり調子が崩れる。くやしい。恋人の甘い言葉にまみれて、腹を空かせた子どもには気づかないふりして、何もかも忘れきって、部屋に引き籠もりたい。いくら部屋を分けたところで、子どもの声が頭に刺さってくる。手近にあった洗濯カゴを子どもたちに向けて投げる。素早くよけた子どもの頭上をかすめ、洗濯カゴはテレビに命中して画面を割り砕く。さっき男と買ってきたばかりの最新型の亀山モデルだ。こんなことばかりだ。みんなウチをナメやがって。

「気づいたら、カッコいいお母さんが消えてました。みるみる痩せて変わっていった。なんか老化とは違って、体は萎んでるのに妙なエネルギーが暴発しまくる感じで。これは違うなって、子どもながらに思いました」

 娘が小学校に入学して、典子は辻堂の実家に近いアパートに移り住んだ。もう家に帰る気が失せていた。恋人の家に入り浸り、家にいてもほとんど自室から出ない。典子の留守に気づかれたか、大きすぎる物音を訝られたか、隣人がしょっちゅう通報し、週に1度は警察や児童相談所がやってくる。そのたびに実家から母がやってきて、ウチから娘を引き剥がそうとする。手放してたまるかよ。腕をもぎとろうとしたら娘が泣き叫んだ。息子の姿はない。息子は夜のうちに実家に電話して、ひとりで避難したそうだ。窓から逃げたってお姫様かよ。でも、それもそうだ。ウチは娘に手を上げることはなかったが、息子のことはよく殴った。たぶんもう限界なんだと思う。

(つづく)

※なかむらみなみさんを除き、人物の名称はすべて仮名です。

(写真/草野庸子)

五所純子(ごしょ・じゅんこ)
1979年生まれ。文筆家。映画や文芸を中心に執筆。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)がある。

以前の連載記事は下記のリンクから読むことができます
【第一回】ダンサー・君島かれんの野良知性
【第二回】ゴミ収集員【真弓】の物語(前編)
【第三回】ゴミ収集員【真弓】の物語(後編)
【第四回】【向精神薬】をパステルに包む彼女
【第五回】【解離症】の中で得た金と薬と3人の神

アジアン旋風を巻き起こす〈88rising〉世界戦略の真実

――アメリカをはじめ世界の音楽市場で、アジアにルーツを持つラッパーやシンガーを続々とバズらせている〈88rising〉というレーベル/YouTubeチャンネル。その日本公演があった1月、CEOのショーン・ミヤシロを直撃し、アジアン旋風を巻き起こした背景、そして日本についても話を聞いた。

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〈88rising〉東京公演におけるハイヤー・ブラザーズのライブ。「WeChat」(中国版LINEともいわれる「微信」の英語名)という曲でアジアの若い客たちが熱狂していた。

 1月10日、お台場のライブハウスZepp Tokyo。そこで行われていたのは、アメリカの音楽レーベルであり、クルーであり、YouTubeチャンネルでもある〈88rising〉の初の日本公演だ。リッチ・ブライアンやハイヤー・ブラザーズといった所属アーティストのエネルギッシュなライブには大いに魅了されたが、なによりバラエティ豊かな客層に驚かされ、そして戸惑いを感じたのだった――。

 公演はまず、その後のアーティストのライブでバックDJも務めていたドン・クレズによる、2018年の米ヒップホップのヒット・チューン・メドレーというべきDJプレイでスタート。すると、シャイな日本人客だけでは考えられないほど、客が各曲のフック(サビ)を大合唱していたのである。ただし、こうした光景は、例えばLAの人気ラッパー、タイラー・ザ・クリエイターの来日公演でも見られたものではあった。なぜなら、日本に住む欧米の観客が多く集まるからである。しかし、この日、中国は 成都出身のラップ・グループであるハイヤー・ブラザーズのライブが始まり、メンバーが中国語で観客をあおると、ドン・クレズのDJの際と同じくらいか、それ以上の勢いでフロアから中国語のレスポンスがあったのだ。

 そう、フロアを埋めていたのは欧米のキッズではなく、中国をはじめとしたアジア圏の国々出身の10代・20代とおぼしき観客たち。彼らは思い思いの服装をしていたが、アメリカのラッパーなどが発信源となっているストリート・ファッションの最先端モードを共有しており、華やかな空気を醸し出していた。そんな若者たちでごったがえすフロアに身を置くと、前からは中国語、後ろからは韓国語が聞こえ、日本ではないどこかにいるようにさえ感じてしまった。

 いや、中国や韓国からの観光客、コンビニで働くベトナム人実習生など、街中にもアジアの人々はすでにたくさんいるではないか、という意見があるかもしれない。だが、いわゆる嫌中・韓ムードが依然として漂い、日本において彼らはどこか殺伐とした視線を浴びせられている。そんな状況に比して、この日は〈88rising〉の音楽を通じてピースフルな“アジア”の一体感が生みだされていたのだ。

インドネシアの少年がラップする動画の衝撃

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〈88rising〉を率いるCEOのショーン・ミヤシロは日系アメリカ人。英語での取材となった。

 では、〈88rising〉とは一体なんなのか――。そんな疑問を持つ本誌読者も多いことだろう。そもそもそれは、アメリカの人気メディア「VICE」のダンス・ミュージック専門サイト「Thump」を運営していた日系アメリカ人のショーン・ミヤシロによって2015年に設立された。当初は〈CXSHXNLY〉という名で韓国系アメリカ人ラッパーのダムファウンデッドやオケイションなどのマネジメントを行っていたが、ミヤシロは“すべての移民のため”のミュージック・コレクティブをつくるために立ち上げたという。〈CXSHXNLY〉は16年に新たにYouTubeチャンネルとして〈88rising〉をスタートし、自身がかかわるアーティストに限らず多種多様なジャンルのビデオをアップするようになった。

 そして、一気に〈88rising〉に注目が集まるきっかけとなった動画がYouTubeに上がる。それが、今回も来日していたリッチ・ブライアン(当時の名義はリッチ・チガ)が自主制作したミュージック・ビデオ(以下、MV)「Dat $tick」(16年)だ。これまでヒップホップのイメージがまったくなかったインドネシア人の当時16歳の少年が、ピンクのポロシャツに半ズボン、ウェストポーチという姿で、ヒップホップのトレンドであるアグレッシブなトラップ・ビートに乗せて、「Man, I don’t give a fuck about a mothafuckin’ po(警察なんてクソくらえだ)」とアメリカのギャングのごとくラップする――。こうした何重もの“想定外”をはらんだ動画は世界中に驚きを与えた。

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バックステージでライブに備えるハイヤー・ブラザーズ(上)、リッチ・ブライアン(右下)、オーガスト08(左下)。

〈88rising〉はこのMVにいち早く目をつけ、アメリカの有名ラッパーたちにそれを見せて感想を述べてもらう、いわゆるリアクション・ビデオを制作。強面のラッパーたちがコミカルにしか見えないリッチ・ブライアンの姿に本気で興奮し、賞賛するそのビデオが後押しとなり、「Dat $tick」のバズはさらに膨張した。こうして本国のラッパーしかなかなか受け入れないアメリカのヒップホップ界にも届き、MVの再生回数は現在までに1億回を超えている。さらに、〈88rising〉はリアクション・ビデオに登場したベテラン・ラッパー、ゴーストフェイス・キラーらをフィーチャーした「Dat $tick」のリミックス・バージョンMVまでスピーディにつくり上げ、世界中の音楽業界から注目を浴びることになったのだ。

 この経験をもとに、ミヤシロ率いる〈88rising〉は、多種多様なビデオをアップするよりも、アジア圏のアーティストを発掘するという方向性をより強く打ち出していくことになる。中国一のヒップホップ都市といわれる成都出身のハイヤー・ブラザーズや、大阪で生まれた日本とアメリカのハーフで、18歳で渡米してからYouTuberのFilthy Frankとして人気を得ていたJojiなどを、次々とアメリカのアーバン・ミュージック・シーンに送り込んでいった。その後も、インドネシアのNIKIや、アフリカン・アメリカンでありながらLAのコリアンタウン出身のシンガーであるオーガスト08などがレーベルに参加。昨年に至っては、Jojiのデビュー・アルバム『Ballads 1』が、アジア人で史上初となるビルボードR&B/ヒップホップ・チャートの1位を獲得するなど、その勢力を着実に拡大している。

アジアのヒップホップが米国で認められにくい理由

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今回の日本公演に出演し、〈88rising〉アメリカ・ツアーにも帯同した日本人ラッパーのKOHH。

 ライブの前日に話を聞くことができたミヤシロは、この4年間について「手当たり次第とりあえずやってみようという姿勢で始めたけど、成功するにつれて〈88rising〉をより良くしていきたいという責任感が生まれてきた」と振り返る。

 つまり、当初から“アジア”を強く打ち出すという今の形を想定していたわけではないのだが、“成功”のきっかけとなったリッチ・ブライアンについて次のように話す。

「『Dat $tick』はいい曲だったけど、アメリカ人にはジョークみたいに感じてしまった部分もあったんだ。ラッパーのリアクション・ビデオがあって、その後にリリースした『Glow Like Dat』(17年)でようやくちゃんと評価されたと思う」

 なるほど、いかにもアジア人/アジア系に見えるリッチ・ブライアンがアメリカのギャングのようなリリックを歌う「Dat $tick」は、「俺たちの文化をバカにしてるのか?」とアフリカン・アメリカンの反発を招くこともあった。一方で、「Glow Like Dat」では等身大の少年らしい恋心をラップし、それによってアーティストとして正当に評価されたのである。

 この背景として、アメリカにおける人種の問題にも着目しなければならない。例えば17年、インド系のラッパーNAVが「アフリカン・アメリカンのラッパーだけでなく、自分たちもNワードを使用する権利がある」と発言した際、大きな批判を受けた。というのも、“ニガ”などのNワードは、アメリカの奴隷制度時代に白人が黒人を蔑視する意味で用いた言葉がルーツにあり、現代ではアフリカン・アメリカンだけが使う俗語であって、それ以外の人種が使うのはタブーだからだ。このような人種間の複雑な関係性があることもあって、アジア人/アジア系のアーティストがアメリカのヒップホップというゲームの内部には存在しないとみなされる風潮は根強い。

「アジアのヒップホップがアメリカでうまく受け入れられるのは、本当に難しいことなんだ。どれだけラップや曲が良くても、アジアというだけでほかの人種から叩かれたりするしね」

 だからこそ、アメリカのヒップホップ・シーンに風穴を開けた〈88rising〉は、アジアの本国にいる者以上にアメリカに住むアジア系移民に対して、大きくてポジティブなインパクトを与えたのではないだろうか。

 さらに、そんな〈88rising〉に限らず、アメリカではさまざまなジャンルでアジアン旋風が巻き起こっている。周知の通り18年、K-POPの防弾少年団(BTS)がビルボード・アルバム・チャートで1位を獲得した。BLACKPINKも彼らに続く存在として認知を高めている。また、同年、主要キャストにアジア系の俳優だけを起用した映画『クレイジー・リッチ!』(原題『Crazy Rich Asians』)が、全米で異例の大ヒットを記録した。

「あの映画はとても重要だと思っているんだ。アジア系の観客の動員があったことで、全米規模のヒットにつながったんだからね」

 K-POPについては「〈88rising〉とは方向性が違う音楽」と述べつつも、ミヤシロは各領域で自身のレーベルと同期したような動きが起きていることを歓迎しているようだった。

新しいアジアの波に乗れずにいる日本

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リッチ・ブライアンのヒットにより、〈88rising〉は世界的に注目されるように。

 以上のようにアメリカではアジアン・ムーブメントが一定の広がりを見せているわけだが、そんな中で日本の音楽はどのような立ち位置にいるのか? 〈88rising〉ともっとも密接な関係にある日本人アーティストといえば、今回の日本公演に出演し、昨夏アメリカでの〈88rising〉ツアーにも帯同したラッパーのKOHHということで間違いないだろう。

「彼はロック・スターみたいな存在だ。だけど、誠実だし、賢くて優しいし、人間的にすごく優れている。だから誰でもKOHHのようになれるわけじゃない」

 ミヤシロがこのように絶賛するKOHHは、2010年代に頭角を現した天才R&Bシンガー、フランク・オーシャンの楽曲「Nikes」(16年)に参加したことがある。

「フランク・オーシャンが認めたアーティストってことは、“ただのイケてるヤツ”じゃなくて、“かなりイケてるヤツ”なんだよ」

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ハイヤー・ブラザーズのライブ中のMCで、メンバーのMaSiWeiが中国語でフロアに語りかけると、中国語の歓声が上がった。

 しかし、KOHHのほかにミヤシロから挙がった日本人アーティストの名前は、宇多田ヒカルだけだった。とはいえ、「具体的な名前は覚えていないけど、日本には心に刺さるアーティストがたくさんいる」と話し、日本の音楽のリサーチを怠っているわけではなさそうだ。「たまたま聴いてイイなと思った音楽を拾っていくのが俺のスタイル」と述べるように、これまで発掘してきたアーティストたちとの出会いで構築された網の中で、たまたまKOHH以外の日本人アーティストに出くわす機会が少なかったのかもしれない。

 なお、KOHHといえば、韓国人ラッパーであるキース・エイプのMV「It G Ma」(15年/その後、キース・エイプは〈88rising〉に所属)にフィーチャリングで参加し、このMVがバイラル・ヒットしたことで、アメリカをはじめ海外のヒップホップ・シーンで名前が知られるようになった。ミヤシロは「KOHHは俺たちのコミュニティにいたから、発掘することができた」と話すが、“俺たちのコミュニティ”とは要するにアメリカのヒップホップ界のことだろう。〈88rising〉はまさに、グローバルなポップスの中心地となっているそのシーンと、アジア系のコミュニティをつなげるような存在にフォーカスしてきたことで、新しい場所を獲得できた。しかし、このスペースに日本人アーティストは入っていっているのだろうか――。冒頭で述べた〈88rising〉のライブで感じた戸惑いとは、“新しいアジア”を観ることができた単純な喜びと、そこから“日本”がすっと抜け落ちてしまっているかもしれないという不安が入り混じったものだったのだ。

 もっとも、日本の音楽業界は長らく自国のマーケットばかりに目を向けてきた。そのため、それぞれのキャラクター性を生かしながらも、グローバルな音楽トレンドを消化/昇華している〈88rising〉の面々のような若いアーティストが登場しづらいのかもしれない。しかし、〈88rising〉の日本公演により、“新しいアジア”の波を強烈に認識させられたアーティストや業界関係者、リスナーは少なからずいるだろう。この波を追うにせよ、もしくはまったく別の角度から独自の道を歩むにせよ、アジア各国やその先に広がるグローバルなシーンを音楽活動の視野に入れる者は徐々に増えていくのではないか。そして、いつか日本の多くのアーティストが今回のライブのような光景を生みだす日が訪れるかもしれない。

(取材・文/和田哲郎)
(写真/西村 満)

和田哲郎(わだ・てつろう)
編集者、ライター。ヒップホップをはじめとした音楽やファッションなど、世界の最先端カルチャーに関するニュースを配信するウェブメディア「FNMNL(フェノメナル)」を運営。wardaa名義でDJとしても活動。

【五所純子/ドラッグ・フェミニズム】かずきが解離症の中で得た金と薬と3人の神

――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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 高層タワーの街は空の高さを意識させられ、人は玩具のように小さい。新宿副都心のホテルのロビー、約束の時間より20分早く、彼女は太い柱の陰に座っていた。うつむいて物思いに耽っているようでも、うなだれているようでもあった。

 普段はロリータファッションに身を包むが、「今日は初対面の人に話をするので、そぐわないと思って」。レース編みの白いカーディガンに、黒のミニドレス、ストラップパンプス。誰の気も引かず、誰の気も逆撫でしない、誰でもない服装を選んだ。

 名前は“かずき”。本名は“りつこ”。幼稚園の頃から一人称は“僕”で、10歳のときに「たぶん僕はかずきだ」と思った。女性であることに拒否感があったが、どうしようもないことだと受け入れた。現在19歳の大学生。

 かずきは3人の神と出会った。

 1人目の“神様”は合気道の師匠。香川で200人の門下生を抱える大道場に、生まれつき心臓の弱かったかずきを丈夫にしようと両親が入塾を決め、4歳から通いはじめた。

「師匠は父よりも父みたいな存在でした。『道場の子たちはみんな家族だ』、それが師匠の口癖でした。

 40人くらいの塾生を並ばせて、なかでも成績優秀な先輩に対して『俺が死ねと言ったら死ねるか』と、師匠が問いただした場面をよく憶えてます。子どもを使ったパフォーマンスですね。いかに自分が忠誠を尽くされているかを見せびらかして、威信を保っていたんでしょう。先輩は『死ねます』と答えました。次に、『お前はどうだ』と僕が訊かれました。師匠は僕がためらうのを期待してたと思うんです。でも僕は『死ねます』って答えました。別にいつ死んでもいいし、大好きな師匠のためだったら全然死ねたので。『嘘をつくな』と怒鳴られました。

 道場はバチバチの体育会系で、完全に年功序列、体罰も当たり前です。『はっきりものを言え。お前と話しとるとイライラする』とよく言われました。僕が主将を務めたときは、『お前がいなかったら○○が主将になれたのに』『みんながお前についてきたかったとでも思うのか』と……。

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かずきは小学生の頃からリストカットを始め、腕を噛みちぎったこともある。(写真/草野庸子)

 僕はみんなのことが大好きなんですよ。師匠のことも、先輩たちも後輩たちも。だけど、僕は死んだほうがいいのかな、と思うようになりました。極端ですよね。小学生のときはリストカットを知らなかったので、ハサミで手首を切ってました。中学生のあるとき、気づかないうちに腕を噛みちぎって、目覚めたら口の中に肉片が残っていて。両親は僕を病院に連れていきました。それまでは不眠や頭痛の治療で脳神経外科から睡眠薬を処方されていたんですけど、このとき精神科で解離性障害だと病名がつきました。いまでも記憶がすっぽり抜け落ちたり、日常で現実感がなかったりします。

『かずきはつらくて自傷をしながらも、主将をやり抜いたんだぞ』。中学を卒業する頃、師匠が道場で褒めてくれました。みんなに自傷がバレて恥ずかしかったけど、幸せでした。神様にやっと認めてもらえたから。

 あの頃のことは合気道しか憶えていません。それ以外は靄がかかってます」

 醒めるかずきは神に心酔し、眠るかずきは神を拒絶していた。高校生になると、しだいに道場から足が遠のいた。すると自傷もおさまった。

 道場と入れ替わるように、スナックなどでアルバイトを始めた。16歳が客の接待業務をし、飲酒をする。違法行為だとかずきは理解していた。「大学に行くのはいいけど、学費は自分で出してね」。前々から両親に言い含められていたため、高校在学中に進学費用を稼がなければいけないと考えていたのだ。

「姉が医大に入りました。僕より姉にお金をかけたほうが先行投資として正しいと思います。姉に劣等感ですか?ないです。お姉ちゃんはすごいですもん。僕が姉の犠牲ですか? そんなふうに考えたことないです。うちは仲良し家族ですよ。昨日もLINEグループで父が実家の猫の写真を送ってきて、みんなで『かわいいね』って返事しあいました」

 バイト先の店長に言い寄られた。かずきは恋愛やセックスにさほど興味がなかったが、「人生の必修科目っぽいじゃないですか。やらなきゃいけないのかなと思って」。45歳の人と交際していると母に話したら、「意味がわからない」と号泣された。泣き虫の45歳の恋人を慰めたら、「包容力がある」と褒められた。

“ビッチ”“援交女”などと噂を立てられ、居心地の悪くなったかずきは高校を中退する。成人式に喪服で行ってやろうと考える程度には噂の発信源を恨んでいるが、当時のかずきは同級生を低能集団だと見下していたので、おあいこだとも思っている。

過剰処方する精神科医と愛人契約を結んだ

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いわゆる姫カットのかずきは、自分のことを“僕”と呼ぶ。(写真/草野庸子)

「人が少なくて閉塞感の強い地元を離れたくて、東京の大学を受験しました。それと、このままだと最終学歴が中卒なので、大卒の経歴が欲しかったです」

 18歳で上京、通学しやすい新宿に家を借り、歌舞伎町のキャバクラでアルバイトを始めた。学費も家賃も食費も光熱費も通信費も遊興費も医療費も健康保険料も住民税もすべて自分で稼ぐ生活が始まった。そこで、かずきは2人目の“神様”に出会う。

「キャバクラの女の人ってみんな綺麗でお話が上手ですごいんです。僕は前髪パッツンや姫カットが落ち着くんですけど、男性客のウケが悪いので封印して、お話をがんばって、それでもお客さんに選ばれない。自分が嫌になること、不安になること、忘れたいことがどんどん増えていきました。

 また自傷するようになったので精神科に、自宅にいちばん近い個人医院に行きました。双極性障害、対人恐怖症、ADHD(注意欠如・多動症)と診断されて、精神安定剤のセニラン、抗うつ剤のデプロメール、あと頓服で抗不安剤のデパスが処方されました。薬を飲んだら驚くほど調子がよくなって、僕なんかでも生きてていいような気がしてきました。

 しばらくして、『診察代は安くないし、お金が大変でしょ。連絡先を教えてくれたら、暇なときに相談に乗るよ』と医師が言ってくれました。問診で僕のことを隅々まで話してましたから、不自然には感じませんでした。感激しました。薬を処方してくれるだけでも尊いのに、僕を健康にしてくれる神様が現れた、と。

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薬を処方する精神科医の愛人になると、解離性障害が再発した。(写真/草野庸子)

 LINEを交換して個人的に連絡をとりはじめると、『月20万(円)で俺と付き合わないか』と言われました。医師は40歳の独身男性です。彼は最初のうち、僕のことを“彼女”“恋人”と言ってましたけど、あるとき“愛人”と口を滑らせました。『絶対、誰にも言わないで』と口止めされてましたし、愛人契約なんだろうなとわかってたつもりですが、『好きだよ。君は何もしなくていいよ。そのままでかわいいよ』という言葉を真に受けたかったのかもしれません。優しさの先にはセックスが用意されてたんですよね。

 月20万以外に、化粧品とか服とか、僕がかわいくいられるための物を買ってくれました。じきに20万が30万に増えて、僕ももっと差し出さなきゃいけないと考えました。誰かが好きと言ってくれたら、“じゃあ、僕も好き。こんな体でよければどうぞ”と思うんです。どうして“体”か、ですか? 体以外に僕が差し出せるものって、なにか他にあります? 心とかですか?

 セックスの最中は首をよく絞められました。週に1~2回、会うのはかならず彼の家です。僕のバイトが終わる明け方から、彼の出勤時間まで。休日は深夜に呼び出されました。僕がLINEを返すのが遅れると、興奮した彼が僕の家に乗り込んできました。

 薬は欲しいと言えばなんでもくれて、デパスとマイスリーとレンドルミンをよくもらってました。この頃から解離が再発しました。10針縫うほど深く腕を切って、初めて自分の骨を見たのもこの時期です。骨ってほんとに白いんですね。他人事みたいですか? 記憶がないから、他人の惨状を見てるみたいなんですよ。

 彼の家にいたあるとき、僕が『もうやだ』と叫びながら壁に頭を打ちつけはじめたそうです。それで、彼は僕に鎮静剤を打ったというんですね。目が覚めたら注射器がありました。病院で使ってる薬でしょうけど、なぜ彼の家にあったのか、どういう薬剤なのか、わかりません。僕はだんだん薬がないと生活できなくなってました」

 過剰処方で患者を“薬漬け”にして“常連客”にする精神科医は、医療業界でも評判が悪い。まして女を囲うためになど悪質すぎる。のちに愛人契約を解消して病院を移ると、新しい医師は控えめに言った。「前の先生、ちょっと薬が多いかな」。病院を替えてから、かずきの記憶は飛びにくくなった。医師の愛人だった4カ月間、ずっと意識が朦朧としていたことに気がついた。

新しい居場所を求めて地下アイドルの輪へ

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現在、19歳の大学生であるかずきの恋人は、地下アイドルのライブで出会ったサラリーマン。(写真/草野庸子)

「別れ話をしたら、瓶で殴られたり蹴られたりしました。泣きながら『お前だけは俺のことわかってくれると思ってたのに』って、精神科医と患者の立場が逆ですよね。この人も僕の神様じゃなかった。彼がうずくまってる間に置き手紙をして逃げました。

 愛人契約は悪いことだと思わないですけど、かなり危険をともなうとわかりました。どれだけお金に困っても、もう二度とやりません」

 自己否定感が和らぐものは「薬、お酒」。好きなものは「アイドル」。3人目の“神様”雛方ゆんあの名前を口にした途端、かずきは破顔した。声が柔らかく上ずり、目尻が溶けそうなほど下がった。

「愛人契約で得たお金で会いに行くなんて、ゆんちゃんに顔向けできませんでした。みんながんばって働いてるのに、僕が稼いだお金は汚かったから。ゆんちゃんはかわいくて清くて優しくて、みんなのことを癒やしてくれます。ゆんちゃんだけが僕の神様です。

 神様というのは導いてくれる人のこと。だから、神様の言うことは絶対です。僕は自分の人生に責任をとる自信がなくて、正しい生き方を見せてくれる人を求めてるんでしょうね。師匠も医師も神様じゃなかった。結局、師匠は子どもに甘えて、医師は僕に依存してましたから。

 ゆんちゃんのおかげでやっと居場所を見つけられました。道場と違ってファンの人たちはおっとりしてるし、今度こそ疑似家族になれる、と。

 ゆんちゃんはいわゆる“地下アイドル”で、ファンの人数は限られてます。ライブもほとんどが男性で、女性は2~3人。LINEグループが20人くらいで、そのうち現場でよく会う数人で遊びに行きました。ゆんちゃんは僕たちを愛してくれて、僕たちはゆんちゃんを愛していて、この輪をみんなで大切にしています。輪は強いです。

 だから誰にも言えなかったんですけど、ファングループの人から『かずきちゃんのことが好きになっちゃった。付き合ってほしい』と次々に言われてしまって。僕に優しくしてくれたのは家族だからじゃなくて、その先にセックスがあったからなんだね、と。断るとすごく傷つく人たちですし、僕なんかが傷つけてしまうのも何様なんだという気がして。僕が輪を乱した。もう神様にも会いに行けない。それを考えだすと苦しくて、解離が起きてしまうんです」

 雛方ゆんあのライブは、アイドルとファンが一体化して“ここにあるもの”を信じるという宗教性すらあった。その統制が頼もしくも煩わしくもある。さらにアイドルというシステムは、マトリョーシカのように女子を小さく模造化して取り込む力学をもつのか。アイドルサークル内アイドル、あるいは“雛方ゆんあ”の代理を求められたかずきは、“神”のつくった世界を守るために、トラブルを黙って処理する。“世界”の矛盾が皺寄せる。

「僕はメイドカフェで十分」と、かずき自身のアイドル願望は縮小して保たれる。歌舞伎町のキャバクラを辞め、現在は秋葉原のメイドカフェで働く。家賃8万、医療費・薬代3~4万。毎月金が足りず、キャバクラと医師の手当で貯めた金を取り崩す日々。ライブで出会ったサラリーマンの恋人が、日々の出費をさりげなく払ってくれるのがありがたい。大学にはもう行っておらず、退学届を出すつもりだ。

「薬は増える一方で、どんどんやめられなくなってます。こんな奴が生きてると思うとイラッとします。強くなりたいです」

(つづく)

※人物の名称は仮名です。

(写真/草野庸子)

五所純子(ごしょ・じゅんこ)
1979年生まれ。文筆家。映画や文芸を中心に執筆。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)がある。

以前の連載記事は下記のリンクから読むことができます
【第一回】ダンサー・君島かれんの野良知性
【第二回】ゴミ収集員【真弓】の物語(前編)
【第三回】ゴミ収集員【真弓】の物語(後編)
【第四回】【向精神薬】をパステルに包む彼女

マリファナの“収穫量”を増やすテクと“天敵”の急襲

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 カナビス(マリファナ)を自宅で栽培している人たちと会話をすると、もっともよく出てくる言葉が“yields(収穫量)”。カナビスを育てているときに水のpH(水素イオン指数。液体の酸性・アルカリ性の程度を表す尺度のこと)を測ったり、サプリを与えたり、様々なケアをするのも、すべてバッズ(大麻の花芽)の収穫量を増やすためなんです。

 カナビスが数週間育ったときに、そんな収穫量を増やすために実行する最初のテクニックといえば“トッピング”。カナビスの生長を促進させるための方法のひとつで、カナビスの主軸となる枝の先端をカットすることにより、脇芽の生長を促します。この手法は、日本でももともと盆栽などで用いられ、“芽摘み”や“摘心”と呼ばれているようですね。

 カナビスは多くの植物と同じように、頂点芽優勢と呼ばれる性質があるんです。要するに、茎の一番頂点の芽を優先的に生長させ、それにより下の脇芽の生長を抑えようとします。そのため、茎の先端にある芽を取り除くことで、脇芽に成長ホルモンを集中させ、花芽が付く枝を増やし、カナビスのバッズの収穫量が増える、というわけです。トッピングを行わずにカナビスを自然に任せて栽培すると、主軸が一本だけ生長し、その一本の枝からしかバッズは収穫できません。でも、トッピングをすれば、切った主軸が枝分かれして脇芽が生長し、バッズを収穫できる枝が増える。また、脇芽に光と空気を当てることになるので、そこからバッズが発生しやすくなリます。ただし、カナビスに4つから5つの節(茎から葉が生えている箇所)ができてから行うのが理想的です。その前に行ってしまうと、回復力が遅くなり、生長が遅くなってしまうようなんですね。

 そんなトッピングというテクニックを初めて使用する私たちは、カナビスを切るのがなんだかもったいないと思っていましたが、前回ご紹介したハイドロポニックス店(水栽培の園芸屋)の店長アンディにも、収穫量を増やしたかったら絶対にカットしたほうがいいと念を押されました。私たちが育てているフリーダという名のカナビスは、すでに5つ以上の節ができてしまっているので、早めにトッピングをしたほうがいいとのことです。そこで、家に帰ってから、ついにトッピングすることを決意。主軸となっている茎の頂点にある芽を見つけ、その少し下の節に脇芽があることを確認すると、トップの芽を園芸用ハサミで大胆にカットしました。アンディいわく、このときに茎を少し残しておくことがポイントだそうです。

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バッズの収穫量を増やすために、カナビスの頂点にある目をハサミでカット。

 それから1週間くらいすると、カナビス全体の生長が格段に早くなりました。トッピングした芽の下にある枝が成長しているのもわかりますし、節や枝も太くなったんです。つまり、一本の主軸の枝だけではなく、植物全体に栄養とエネルギーが送られるようになったわけです。こうしてバッズの収穫量が増えていくのでしょう。

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芽をカットしたら、節や枝が太くなってきた。

 実は、トッピングにはもうひとつ目的があります。それが、カナビスの高さをコントロールすること。私たちが使っているテントは5フィート(1.5メートル)の高さがあり、その中に太陽の代わりとなるLEDのグロウライトを吊るすのですが、栄養成長期の間は、カナビスのてっぺんからライトまでの距離を大体24インチ(60センチ)ほどに保たなければなりません。それ以上近くなってしまうと、カナビスの葉っぱが日焼けし、変色してしまうんです。そしてバッズが発生する生殖成長期に入ると、さらにカナビスが伸び、その際にバッズが日焼けすると使い物にならないので、なるべくカナビスの背丈を短く保つ必要があります。しかし、この情報を知ったのがちょっと遅く……。トッピングをもっと早くしておけばよかったと後悔してしまいました。

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カナビスの頂点からライトまでの距離を保つためにも、トッピングは必要。

 ともあれ、トッピングをした後、枝が長く成長し始めたので、“ロー・ストレス・トレーニング(LST)”を行うことにしました。このテクニックは、枝を指先で曲げたり、園芸用の針金を使ったりして矯正することで、カナビスの背丈をコントロールし、すべての枝に満遍なく光を当てて、バッズが発生する箇所を増やそうというものです。これも日本の盆栽で昔から使われているようですが、LSTを行わないと、カナビスの中央に光が行き渡りづらく、枝が垂直に伸びるので、グローライトに近づきすぎてしまいます。そこで、すべての枝が大体同じ背丈になるように、長くなりすぎた枝を選び、そこに針金をくくり付けて優しく曲げながら、枝に付けた針金の反対側をプランターの脇にクリップで取り付けます。このとき、枝を傷つけないために、ソフトタイプの針金を使うことが重要。こうして枝を曲げて矯正すれば、枝全体に光が当たるので、枝の先端だけではなく全体にバッズが発生しやすくなるようです。

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このような針金を用いたLSTを行うことで、枝全体に光が当たる。

 このLSTを行った直後、針金を取り外しても枝は曲がったままですが、1日たつとまた光に向かって成長していくのがわかります。ただ、まだカナビスが若く、枝が曲げやすいときにLSTを行うほうが、枝を損傷したり折ったりする可能性が低いですね。また、枝に針金をくくり付ける際は、主軸の近くだと硬いので、なるべく柔軟性のある箇所を選んだほうがベター。そして、バッズを成長させるための生殖成長期に入ると、カナビスの背丈が倍になることもあるので、その期間中もLSTは持続しなければなりません。

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LSTを行う場合、針金を付けるのは柔らかい枝が望ましい。

 この時期、葉っぱを観察していて、白い斑点が付いた葉っぱがいくつかあることに気づきました。加えて、いくつかの葉っぱには、カタツムリが通ったかのような銀色っぽい跡もあったのです。

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葉っぱに白い斑点や銀色の跡が見られるが……。

 最初はなんともないと思って放っておいたのですが、アンディに写真を見せたところ、「これは“thrips”だ! すぐに駆除したほうがいい」と言われました。“thrips”とは、吸汁性の極小害虫であるアザミウマのこと。カナビスの天敵で、葉に穴を開け、そこから養分を吸い出し、銀色の跡を残していくそうです。どうやって家の中にこんな怖い害虫が入り込んだのかは見当もつきませんが、アンディに天然物由来の「Monterey Garden Insect Spray」という殺虫剤を勧められました。これに含まれるスピノサドと呼ばれる土壌細菌は、アザミウマをはじめ毛虫、蚊、ハダニ、アリ、ミバエといった害虫を駆除するのに効果的である一方、人間、動物、環境にとっては低負荷とのこと。そんな殺虫剤を水と一緒にスプレーボトルに入れて、カナビスの葉っぱの外側と内側、茎などに満遍なく噴射してみました。すると、1週間ほどで虫の問題は解決しましたね。

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購入した殺虫剤「Monterey Garden Insect Spray」とスプレーボトル。

 しかし、心配になったのは白い斑点以外にもありました。ところどころ葉脈間が黄色くなっていることにも気づいたのです。

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今度は葉脈間が黄色くなったが……。

 再びアンディに相談したところ、「おそらくマグネシウムが不足している」とアドバイスされました。そして、彼の勧めでマグネシウム欠乏症に効果的な「Botonaicare Cal-Mag Plus」という液体サプリを19.50ドルで購入。カナビスに水をあげる際、カルシウム、マグネシウム、鉄分を含むこの液体を5ミリリットルほど混ぜたところ、2週間ほどで問題は解決しました。なお、このサプリは花芽形成の時期に入っても与え続けるとよいそうです。

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液体サプリ「Botonaicare Cal-Mag Plus」を使うと、葉脈間の黄色は消えた。

 かようにトラブルにも見舞われましたが、この後、ついにグロウライトの明暗スケジュールを12時間の光、12時間の闇に切り替え、生殖成長期を促すことになります。ちゃんとバッズが発生するのか、心配でもあり、楽しみでもありますね。

カナ夫&カナ子(かなお&かなこ)
東京出身、ロサンジェルス在住のフリーライターとカメラマン夫妻。音楽、アート、エンタテインメントの世界に長年関わってきたのに、これまで大麻は一度も吸ったことがなかった珍しい2人。ストレス、腰痛などを改善するべく、40代からカナビス(大麻)を健康目的で使用するようになる。カナビスの苗を知人からもらったことをきっかけに、現在栽培中。

マリファナの“収穫量”を増やすテクと“天敵”の急襲

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 カナビス(マリファナ)を自宅で栽培している人たちと会話をすると、もっともよく出てくる言葉が“yields(収穫量)”。カナビスを育てているときに水のpH(水素イオン指数。液体の酸性・アルカリ性の程度を表す尺度のこと)を測ったり、サプリを与えたり、様々なケアをするのも、すべてバッズ(大麻の花芽)の収穫量を増やすためなんです。

 カナビスが数週間育ったときに、そんな収穫量を増やすために実行する最初のテクニックといえば“トッピング”。カナビスの生長を促進させるための方法のひとつで、カナビスの主軸となる枝の先端をカットすることにより、脇芽の生長を促します。この手法は、日本でももともと盆栽などで用いられ、“芽摘み”や“摘心”と呼ばれているようですね。

 カナビスは多くの植物と同じように、頂点芽優勢と呼ばれる性質があるんです。要するに、茎の一番頂点の芽を優先的に生長させ、それにより下の脇芽の生長を抑えようとします。そのため、茎の先端にある芽を取り除くことで、脇芽に成長ホルモンを集中させ、花芽が付く枝を増やし、カナビスのバッズの収穫量が増える、というわけです。トッピングを行わずにカナビスを自然に任せて栽培すると、主軸が一本だけ生長し、その一本の枝からしかバッズは収穫できません。でも、トッピングをすれば、切った主軸が枝分かれして脇芽が生長し、バッズを収穫できる枝が増える。また、脇芽に光と空気を当てることになるので、そこからバッズが発生しやすくなリます。ただし、カナビスに4つから5つの節(茎から葉が生えている箇所)ができてから行うのが理想的です。その前に行ってしまうと、回復力が遅くなり、生長が遅くなってしまうようなんですね。

 そんなトッピングというテクニックを初めて使用する私たちは、カナビスを切るのがなんだかもったいないと思っていましたが、前回ご紹介したハイドロポニックス店(水栽培の園芸屋)の店長アンディにも、収穫量を増やしたかったら絶対にカットしたほうがいいと念を押されました。私たちが育てているフリーダという名のカナビスは、すでに5つ以上の節ができてしまっているので、早めにトッピングをしたほうがいいとのことです。そこで、家に帰ってから、ついにトッピングすることを決意。主軸となっている茎の頂点にある芽を見つけ、その少し下の節に脇芽があることを確認すると、トップの芽を園芸用ハサミで大胆にカットしました。アンディいわく、このときに茎を少し残しておくことがポイントだそうです。

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バッズの収穫量を増やすために、カナビスの頂点にある目をハサミでカット。

 それから1週間くらいすると、カナビス全体の生長が格段に早くなりました。トッピングした芽の下にある枝が成長しているのもわかりますし、節や枝も太くなったんです。つまり、一本の主軸の枝だけではなく、植物全体に栄養とエネルギーが送られるようになったわけです。こうしてバッズの収穫量が増えていくのでしょう。

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芽をカットしたら、節や枝が太くなってきた。

 実は、トッピングにはもうひとつ目的があります。それが、カナビスの高さをコントロールすること。私たちが使っているテントは5フィート(1.5メートル)の高さがあり、その中に太陽の代わりとなるLEDのグロウライトを吊るすのですが、栄養成長期の間は、カナビスのてっぺんからライトまでの距離を大体24インチ(60センチ)ほどに保たなければなりません。それ以上近くなってしまうと、カナビスの葉っぱが日焼けし、変色してしまうんです。そしてバッズが発生する生殖成長期に入ると、さらにカナビスが伸び、その際にバッズが日焼けすると使い物にならないので、なるべくカナビスの背丈を短く保つ必要があります。しかし、この情報を知ったのがちょっと遅く……。トッピングをもっと早くしておけばよかったと後悔してしまいました。

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カナビスの頂点からライトまでの距離を保つためにも、トッピングは必要。

 ともあれ、トッピングをした後、枝が長く成長し始めたので、“ロー・ストレス・トレーニング(LST)”を行うことにしました。このテクニックは、枝を指先で曲げたり、園芸用の針金を使ったりして矯正することで、カナビスの背丈をコントロールし、すべての枝に満遍なく光を当てて、バッズが発生する箇所を増やそうというものです。これも日本の盆栽で昔から使われているようですが、LSTを行わないと、カナビスの中央に光が行き渡りづらく、枝が垂直に伸びるので、グローライトに近づきすぎてしまいます。そこで、すべての枝が大体同じ背丈になるように、長くなりすぎた枝を選び、そこに針金をくくり付けて優しく曲げながら、枝に付けた針金の反対側をプランターの脇にクリップで取り付けます。このとき、枝を傷つけないために、ソフトタイプの針金を使うことが重要。こうして枝を曲げて矯正すれば、枝全体に光が当たるので、枝の先端だけではなく全体にバッズが発生しやすくなるようです。

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このような針金を用いたLSTを行うことで、枝全体に光が当たる。

 このLSTを行った直後、針金を取り外しても枝は曲がったままですが、1日たつとまた光に向かって成長していくのがわかります。ただ、まだカナビスが若く、枝が曲げやすいときにLSTを行うほうが、枝を損傷したり折ったりする可能性が低いですね。また、枝に針金をくくり付ける際は、主軸の近くだと硬いので、なるべく柔軟性のある箇所を選んだほうがベター。そして、バッズを成長させるための生殖成長期に入ると、カナビスの背丈が倍になることもあるので、その期間中もLSTは持続しなければなりません。

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LSTを行う場合、針金を付けるのは柔らかい枝が望ましい。

 この時期、葉っぱを観察していて、白い斑点が付いた葉っぱがいくつかあることに気づきました。加えて、いくつかの葉っぱには、カタツムリが通ったかのような銀色っぽい跡もあったのです。

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葉っぱに白い斑点や銀色の跡が見られるが……。

 最初はなんともないと思って放っておいたのですが、アンディに写真を見せたところ、「これは“thrips”だ! すぐに駆除したほうがいい」と言われました。“thrips”とは、吸汁性の極小害虫であるアザミウマのこと。カナビスの天敵で、葉に穴を開け、そこから養分を吸い出し、銀色の跡を残していくそうです。どうやって家の中にこんな怖い害虫が入り込んだのかは見当もつきませんが、アンディに天然物由来の「Monterey Garden Insect Spray」という殺虫剤を勧められました。これに含まれるスピノサドと呼ばれる土壌細菌は、アザミウマをはじめ毛虫、蚊、ハダニ、アリ、ミバエといった害虫を駆除するのに効果的である一方、人間、動物、環境にとっては低負荷とのこと。そんな殺虫剤を水と一緒にスプレーボトルに入れて、カナビスの葉っぱの外側と内側、茎などに満遍なく噴射してみました。すると、1週間ほどで虫の問題は解決しましたね。

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購入した殺虫剤「Monterey Garden Insect Spray」とスプレーボトル。

 しかし、心配になったのは白い斑点以外にもありました。ところどころ葉脈間が黄色くなっていることにも気づいたのです。

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今度は葉脈間が黄色くなったが……。

 再びアンディに相談したところ、「おそらくマグネシウムが不足している」とアドバイスされました。そして、彼の勧めでマグネシウム欠乏症に効果的な「Botonaicare Cal-Mag Plus」という液体サプリを19.50ドルで購入。カナビスに水をあげる際、カルシウム、マグネシウム、鉄分を含むこの液体を5ミリリットルほど混ぜたところ、2週間ほどで問題は解決しました。なお、このサプリは花芽形成の時期に入っても与え続けるとよいそうです。

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液体サプリ「Botonaicare Cal-Mag Plus」を使うと、葉脈間の黄色は消えた。

 かようにトラブルにも見舞われましたが、この後、ついにグロウライトの明暗スケジュールを12時間の光、12時間の闇に切り替え、生殖成長期を促すことになります。ちゃんとバッズが発生するのか、心配でもあり、楽しみでもありますね。

カナ夫&カナ子(かなお&かなこ)
東京出身、ロサンジェルス在住のフリーライターとカメラマン夫妻。音楽、アート、エンタテインメントの世界に長年関わってきたのに、これまで大麻は一度も吸ったことがなかった珍しい2人。ストレス、腰痛などを改善するべく、40代からカナビス(大麻)を健康目的で使用するようになる。カナビスの苗を知人からもらったことをきっかけに、現在栽培中。

小松菜奈や石原さとみも選ばれたけど……選考委員は謎のアメリカ人ひとり!?「世界で最も美しい顔100人」

――毎年、年末になると「世界で認められた日本の美人たち!」と声高々に、「世界で最も美しい顔100人」というランキングが紹介されているが、実はこれに喜んでいるのは日本のメディアだけだった!?

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このランキングの価値を爆上げしてくれたティラーヌ・ブロンドー。

 国際的なミス・コンテストよりも、日本人に知られている美人番付といえば「世界で最も美しい顔100人(The 100 Most Beautiful Faces)」だろう。

 昨年は女優の小松菜奈や石原さとみ、TWICEの日本人メンバー・サナなどがランクインしたことから、ワイドショーやウェブメディアで盛んに取り上げられた。

 このランキングは1990年から毎年発表は行われており、2010年に佐々木希が日本人として初めて選ばれたことで、日本でも注目を集めるようになった。

 しかし、その実態は「TC Candler」という中年のアメリカ人映画評論家が「読者から提案を受けた内容を幅広く調べ、主観的にまとめたもの」で、発表形態もYouTubeや自身のSNSだけ。つまり、彼自身は美の権威でもなんでもないのだ。ちなみに、TC Candler.comやTC Candlerに関するウィキペディアのページが存在するのも「日本語版」だけで、他の言語のページはない。さらに10年に佐々木希が選出された背景も白人種以外の人種もランキングに入れることで多様性を持たせるためらしい。選出基準もただのTC Candler氏の気まぐれだと思うと、公平性もへったくれもない。

 そんなTC Candler氏だが、プロの映画評論家(professional film critic)と謳ってはいるものの、主な活動は自身のブログや「IMDb」という映画やドラマのインターネット事典で映画のレビューを書くことだけ。これって、単に映画好きのブロガーであって、プロとは言えないのでは……? そして、驚くべきことに映画批評は16年にやめてしまい、今はこのランキングが専業らしい。いよいよ何者でもなくなってきている(ちなみに、14年に日本語で自身のウィキペディアができたことをフェイスブックで喜んでいたため、試しに本誌取材班がツイッターでインタビューのオファーをしてみたものの、返事はなかった)。

【是永 瞳】酸素マスクも拳銃も取り扱える!? 大分から来た高身長の空手ガール!

【拡大画像はグラビアギャラリーでご覧いただけます。】

――愛らしい笑顔と空手で鍛えた美脚が魅力的な173cmの彼女は、空手と同様に女優道も極めていく!?

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(写真/岩澤高雄)

「まさか、自分が野村周平さんに酸素マスクを付けるなんて思わないじゃないですか! 現場は本当に緊張の連続です」

 そう熱っぽく語るのは女優の是永瞳。現在、放送中のドラマ『僕の初恋をキミに捧ぐ』(テレビ朝日系)では、野村周平演じる主人公・垣野内逞の担当看護師である向井早苗役を演じている。

 2016年にオスカープロモーション主催の「第1回ミス美しい20代コンテスト」で4万人の中から1位に輝いた彼女は、現在に至るまでに『ドクターX~外科医・大門未知子~』や『ハゲタカ』(共にテレビ朝日系)など、人気ドラマに立て続けにレギュラー出演を果たし、女優としての道を突き進んでいる。だが、芸能界デビューした当初は自分が女優になるとは思っていなかったという。

「私は背が高いからモデルかな、って。でも、東京に来て演技のレッスンを受けてみると、すごく面白くて、この道を極めたいなと思うようになりました」

 そんな女優道を極める彼女は、小学生の頃から空手一筋の黒帯所持者でもある。デビュー前は筋肉がついていて、体重が今より20㎏も多かったというから驚きだ。

「でも、空手は演技のレッスンと並行して続けていて、東京に来てから3段に合格したんですよ! いずれはアクションもできる女優になりたいですね。最近はアクションのレッスンで、拳銃の取り扱い方を学びました」

 その実力を買われて「TOKYO2020オリンピック空手スペシャルアンバサダー」に就任するなど活動領域は幅広い。順調に女優活動を続けているようにみえるが、故郷である大分県への恋しさもある。

「東京は人が多すぎるし、いまだに新宿の乗り換えはわからない……。あと、刺身醤油がないのも困りますね。だから、刺身醤油とかぼす風味のタバスコ『かぼすこ』は、今も実家から送ってもらっています」

 高身長のすらっとしたクールな見た目とは裏腹に、天真爛漫な回答を返してくれる。そんな彼女の今年のプライベートでの目標は?

「スキューバダイビングの資格を取りたいです。あと、お気に入りの水着を買ったのに、着られずじまいなので今年は海外の大きな海とかで遊びたいなぁ。やりたいことばっかりです!」

【拡大画像はグラビアギャラリーでご覧いただけます。】

(文/園田菜々)
(写真/岩澤高雄)

是永 瞳(これなが・ひとみ)
1995年7月15日生まれ、大分県出身。12歳から空手(糸東流)を始め、今は3段。その力強さと173㎝の高身長を買われてか、『池波正太郎時代劇 光と影』(BSジャパン)では「力持ちの大女がほかの女性を次々と投げ飛ばす」というヒロイン役を演じた。

【是永 瞳】酸素マスクも拳銃も取り扱える!? 大分から来た高身長の空手ガール!

【拡大画像はグラビアギャラリーでご覧いただけます。】

――愛らしい笑顔と空手で鍛えた美脚が魅力的な173cmの彼女は、空手と同様に女優道も極めていく!?

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(写真/岩澤高雄)

「まさか、自分が野村周平さんに酸素マスクを付けるなんて思わないじゃないですか! 現場は本当に緊張の連続です」

 そう熱っぽく語るのは女優の是永瞳。現在、放送中のドラマ『僕の初恋をキミに捧ぐ』(テレビ朝日系)では、野村周平演じる主人公・垣野内逞の担当看護師である向井早苗役を演じている。

 2016年にオスカープロモーション主催の「第1回ミス美しい20代コンテスト」で4万人の中から1位に輝いた彼女は、現在に至るまでに『ドクターX~外科医・大門未知子~』や『ハゲタカ』(共にテレビ朝日系)など、人気ドラマに立て続けにレギュラー出演を果たし、女優としての道を突き進んでいる。だが、芸能界デビューした当初は自分が女優になるとは思っていなかったという。

「私は背が高いからモデルかな、って。でも、東京に来て演技のレッスンを受けてみると、すごく面白くて、この道を極めたいなと思うようになりました」

 そんな女優道を極める彼女は、小学生の頃から空手一筋の黒帯所持者でもある。デビュー前は筋肉がついていて、体重が今より20㎏も多かったというから驚きだ。

「でも、空手は演技のレッスンと並行して続けていて、東京に来てから3段に合格したんですよ! いずれはアクションもできる女優になりたいですね。最近はアクションのレッスンで、拳銃の取り扱い方を学びました」

 その実力を買われて「TOKYO2020オリンピック空手スペシャルアンバサダー」に就任するなど活動領域は幅広い。順調に女優活動を続けているようにみえるが、故郷である大分県への恋しさもある。

「東京は人が多すぎるし、いまだに新宿の乗り換えはわからない……。あと、刺身醤油がないのも困りますね。だから、刺身醤油とかぼす風味のタバスコ『かぼすこ』は、今も実家から送ってもらっています」

 高身長のすらっとしたクールな見た目とは裏腹に、天真爛漫な回答を返してくれる。そんな彼女の今年のプライベートでの目標は?

「スキューバダイビングの資格を取りたいです。あと、お気に入りの水着を買ったのに、着られずじまいなので今年は海外の大きな海とかで遊びたいなぁ。やりたいことばっかりです!」

【拡大画像はグラビアギャラリーでご覧いただけます。】

(文/園田菜々)
(写真/岩澤高雄)

是永 瞳(これなが・ひとみ)
1995年7月15日生まれ、大分県出身。12歳から空手(糸東流)を始め、今は3段。その力強さと173㎝の高身長を買われてか、『池波正太郎時代劇 光と影』(BSジャパン)では「力持ちの大女がほかの女性を次々と投げ飛ばす」というヒロイン役を演じた。

嵐・活動休止と、ファンが追い詰めた”アイドル”大野智・休業のワケ

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 NHKのニュース番組がトップで扱うほどの衝撃だった。人気アイドルグループ「嵐」が2020年末を持って活動休止を発表した。1月27日(日)夜8時から開いたメンバー5人の会見には200人近い報道陣が集まった。その内容は「解散ではなく活動休止。そこに至る経緯は理路整然としていて違和感もなく突っ込む材料はありませんでした」と報道陣からの評価も上々。翌日の報道も嵐を賛辞するものが目立った。2年前のSMAP解散騒動とはまさに対照的だった活動休止の発表。その舞台裏を探る。

 メディアの選考報道で独立騒動が発覚したSMAP。クーデターとも取れるメンバー5人の行動をメディアは事前にスクープした。これをきっかけに5人はテレビで公開謝罪という形を取らされた挙句、メンバーは空中分解するように木村拓哉・中居正広の2人がジャニーズ事務所に残留。香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎の3人は事務所を退所し、独立の道を選んだ。解散の会見もなく、解散までのビジネスも頓挫。今も3人と事務所の間には埋めきれないミゾが残ったまま、真相は藪の中となった。

 この事件をきっかけに「ブラック企業」のレッテルまで張られたジャニーズ事務所。今回の嵐の休養宣言もSMAP解散と決して無縁ではないだろう。「一度何事にも縛られず、自由な生活をしてみたかった」と2年前からリーダーの大野智(38)が考え始めたのが休養の引き金だった。芸能関係者が話す。

「先輩のSMAPと事務所とのトラブルを間近で見ていたことで、自分たちは事務所に縛られた自由の効かないアイドルと再認識したはず。このまま人気の続く限り嵐のメンバーとして活動を続ければ、不自由な生活はまだ続く。アイドルと言ってもすでに年齢は30代後半に突入。結婚も含め将来設計を考える時期に入った。一人の男としての自由を得るには、アイドルからの卒業しかない。そう考えて普通です。ただ、それを実行に移すことができずに、ずるずるとアイドルを続けてしまうのが現実。大野はそこに気づいたのでしょう」

 大野にはさらに伏線もあった。2015年、モデルとの熱愛が写真誌で発覚した。すでに半同棲と報道され話題になったのも束の間、大野は仙台のコンサート会場でジャニ担記者に熱愛を詫び、自然消滅するように破局したと伝えられた。テレビ関係者が話す。

「人気絶頂の嵐にとって一番のタブーは恋人の存在。熱愛が報じられる度に熱烈なファンからは“別れろ”“もう応援しない”といった抗議が殺到する。個人の問題がグループ全体の人気にも影響する。大野も別れさせられたというほうが正しい」

 30過ぎた男が恋愛すらままならない。アイドルの宿命とはいえ、もやもやした気持ちが残ったとしても不思議はない。

「ジャニーズも以前より結婚は自由になったとはいえ、グループと個人による。木村拓哉は別格扱いでしたが、他のメンバーは誰も結婚していないように、結婚しても大丈夫、仕事や人気にそう影響しないと判断した者から結婚は許される。事務所の屋台骨を支える嵐はまだ結婚を許されるわけがない」(事情通)

 恋愛すらも自由にできない。何事にも縛られない自由な生活という願望の根底にあるものだ。

 個人なら独立など身の振り方は自由に選択できるが、グループの一員にしてリーダー。責任がある。さらに事務所への恩義を考えれば、メンバーだけでなく事務所の意向も汲む必要がある。それがメンバーとの話し合いと、事務所との間の話し合いによる折衷案だったという。芸能関係者の話。

「ジャニーズ事務所は原則、解散を避ける。解散すればもし再結成する時に理由が必要になる。活動休止なら嵐というグループは存続することになり、またなにかのきっかけでいつでも復活が可能。東山紀之の少年隊も3人での活動はありませんが、存続している。V6ら他のグループも個人の活動が中心でグループ活動はないが、存続させている。嵐も同じスタイルで、数年後に復活することもできるという可能性を秘めている」

 他のグループに倣い、嵐も個人活動をしながらグループを継続させる方法はあったが、あえて休止にした背景には大野の強い思いがあった。メンバーのうち櫻井翔はキャスター、二宮和也、松本潤は役者。相葉雅紀はタレントとしてすでに一本立ちしつつあるが、大野は役者としてもタレントとしても個人活動は際立ったものがない。テレビ関係者は、「大野は役者としても特別演技が上手いわけでもないし、タレントや司会者としてやれる器量もない。個人として伸び悩んでいるのが現状。大野自身もわかっていることでしょう。それが最近はタレントとしてのモチベーションにも影響していて、少しやる気を失っていたという話も伝え聞きます」という。

 仲の良さも人気の秘訣の嵐だが、仲良しでも個人単位となれば最もそばにいるライバル。役者になってもタレントになっても比較される。

 ならば一度、芸能人そのものをリセットする。

「大野は絵や釣りが好き。芸能界よりも趣味を生かした仕事に従事するのでは」と将来的には芸能界から引退する可能性もあるという。人気メンバーの1人の意見でグループが活動休止。前代未聞のことが続くジャニーズ内に起きた新たな改革が起きている。

(以下、次回―)

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。