GUCCIが偽ブランド品をサンプリング! “ブート・クチュール”の複雑化する最尖端

――ブランドのロゴを勝手に使い、自己流にアレンジした“ブート・クチュール”と呼ばれるアイテムが、最近ファッション界でイケてるという。しかし、“偽ブランド品”とは何が違うのか? ファッションと法律の両観点から、その最新状況と是非を整理してみたい。

 “ブート”とは、“Bootleg(ブートレグ)=海賊版、密造品”のこと。それらを自分流に解釈して仕立てる(=クチュール)ことを指した“ブート・クチュール”なる言葉がある。“オート(=高級)クチュール”とは真逆といえるものだが、近年、ファッション界でこのブート・クチュールが注目を集めている。しかも、悪い意味ではなく“良い意味”において、である。

 2018年夏、グッチは30年前のブート品をサンプリングした「グッチ〔ダッパー・ダン〕コレクション」(84ページ写真上)を発売した。ダッパー・ダンとは、1980年代から90年代初めにかけてカルト的人気を誇った、ニューヨーク・マンハッタン出身の黒人テイラーだ。独学で服づくりを学び、ハーレムにショップを開くと、グッチ、フェンディ、ルイ・ヴィトンなどハイブランドのモノグラムを全面にプリントしたファブリックやレザーを密造。およそそのブランドの製品とは思えない独自のスタイルを生み出し、ブルゾンやスーツなどをオーダーメードで仕立てた。もちろんブランド側には許可を取っていない違法ビジネスだったが、黒人のヒップホップ・スターやアスリートたちにとって彼のアイテムを着用することがある種のステータスになっていた。

 ところが88年、彼の顧客だったプロボクサー、マイク・タイソンとライバルのミッチ・グリーンがダッパー・ダンの店で暴行事件を起こす。この事件はテレビや新聞で大きく報道され、ダッパー・ダンの存在やブート・クチュールも世間に露呈してしまう。これが原因でブランド側がこぞって彼を訴え、92年、ダッパー・ダンの店は閉店に追い込まれた。

 ヒップホップのクラシック(名盤)のひとつとされている、エリック・B&ラキムのアルバム『Paid in Full』(1987年)。このジャケットで2人が身にまとっていたのも、ダッパー・ダンが手がけたブート・クチュールだった。
 ファッションジャーナリストのA氏は、ダッパー・ダンについてこう評する。

「単にブランド名をプリントしただけのコピー品は、アジアを中心に世界で流通していますが、自身のテイラーの技術を駆使したクリエイティブなブートという意味で、彼は異質でした。サンプリングの仕方にしてもひねりが効いていて、同時代のヒップホップ文化と完璧にリンクしていたといえます」

 そこに注目したのが、2015年にグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任したアレッサンドロ・ミケーレだ。17年6月に発表した18年クルーズコレクションには、袖が大きく膨らんだファージャケットが登場。これが、ダッパー・ダンがかつてデザインしたジャケットに似ているとインスタグラムのアカウント「Diet Prada」(87ページのコラム参照)で指摘されて、話題となった。ほどなくアレッサンドロ・ミケーレは、このジャケットはダッパー・ダンへの“オマージュ”とソーシャルメディアで説明。その後、同年9月にはダッパー・ダンを17年秋冬シーズンのメンズのテーラリングキャンペーンモデルに起用し、18年にはオーダーメードでメンズウェアを仕立てるダッパー・ダンのアトリエをオープンした。そして、18年秋冬コレクションではダッパー・ダンとコラボレーションした先述の「グッチ〔ダッパー・ダン〕コレクション」を発表するに至ったわけだ。すなわち、本家がニセモノをリスペクトした上にフィーチャーするという、複雑な事態が起きたのである。

■ストリートにすり寄るハイブランドの魂胆

 似たような動きはほかのブランドでもないことはない。ニューヨークで1994年に創業した、ストリートブランドのシュプリームは、2000年にルイ・ヴィトンのモノグラムを全面に配したスケートボードデッキを販売したが、ルイ・ヴィトン側からクレームを受け、発売から約2週間で販売中止となってしまった。ところが17年、シュプリームはルイ・ヴィトンと正式にタッグを組み、ウェアやバッグ、財布、iPhoneケースなど限定コラボ商品を販売した。

 とはいえ、今や世界的な人気を誇るシュプリームと、30年前に密造屋の烙印を押されて表舞台から姿を消したダッパー・ダンとでは、衝撃度が大きく違う。

「当時のダッパーはニューヨークのハーレム限定のスターデザイナーであり、欧米のファッション業界ではほとんど知られていなかったはずです。でも、2010年代に入ってから、70~80年代のヒップホップをディグる動きが顕著になって、当時のヒップホップのファッションの重要人物として、注目を集めるようになりました。Netflixがドラマ『ゲットダウン』やドキュメンタリー『ヒップホップ・エボリューション』といった70年代の黎明期から90年代の黄金期までヒップホップの変遷をたどる番組を配信したのも、大きく影響していると思います」(A氏)

 加えて、それ以前にハイブランドがストリートブランドにすり寄ってきたことも背景にある。例えば2008年、リカルド・ティッシ(現バーバリーのチーフ・クリエイティブ・オフィサー)がジバンシィのメンズ・クリエイティブ・ディレクターに就任し、数シーズンにわたってストリートスタイルに大きな影響を受けたコレクションを発表。また同時期、世界的ラッパーのカニエ・ウェストは、従来のストリートスタイルにハイブランドをミックスしたスタイルを好むように。そして09年、ルイ・ヴィトンがそんなカニエのデザインによるスニーカーを発売。以降、さまざまなハイブランドが、ストリート・カルチャーにインスパイアされたコレクションを発表したり、ストリートブランドとのコラボを盛んに行ったりするようになった。顧客とのタッチポイントの多様化、購買ニーズの多様化が進む時代、各ブランドはこうして顧客の若返りを目指したのである。その試みが功を奏し、2010年代半ばになると、ハイブランドとストリート色の強いアイテムを組み合わせる“ラグジュアリーストリート(ラグスト)”が大流行した。

 こうした流れの一要素として、ブート・クチュールもとらえられるだろう。実例としては、16年にデビューし、新世代のポップ・アイコンとして注目されるLA在住の17歳の歌姫ビリー・アイリッシュは、しばしばアーティストのTsuwoopによるルイ・ヴィトンのモノグラムを使ったブート・クチュールを着て公の場に登場(85ページ写真)。なおTsuwoopは、ルイ・ヴィトンだけでなくグッチやシャネル、フェンディのロゴやモノグラムを勝手に派手な色使いにアレンジして仕立てたストリートウェアやスニーカーを次々と発表。それらの画像はインスタグラムの自身のアカウントでアップしているが、それらを公式に販売しているかどうかは明らかになっていない。

「アメリカではそうしたブートのファッションが非常に盛り上がっています。お金で買えないもの、自分だけの一点ものを求める傾向が世界的に強まっていることも、一要因としてあるでしょう」(同)

■シュプリームのロゴをバグらせて刺繍する

 ブートとは文脈が異なるが、日本のファッション業界では“サンプリング”や“オマージュ”の動きが盛ん。過去の銘品を参照して別の物を生みだしたり、別の方法で作り変えたりする手法である。

「2018年度のLVMHプライズを受賞したダブレットの井野将之は、過去の銘品をサンプリングして新しいものに作り変える発想と技術力が、世界から高く評価されています。オマージュという手法では、東京・浅草をベースに活動する革製品のブランド、エンダースキーマのオマージュラインが代表例。誰もが知るスポーツブランドの名作スニーカーを、ヌメ革で手工業的なアプローチで製作していて、こちらも高い評価を受けています。17年からは“公式二次創造物”と銘打ち、アディダスと正式にコラボレーションを実現させました。これは、本当に画期的なことだと思います。洋服やシューズのデザインはある程度出尽くしているので、こうしたリスペクトのあるサンプリングやオマージュの手法は、今後ますます盛んになっていくでしょう」(同)

 また、スタイリストの小山田孝司氏は、日本におけるある種のブート・クチュールの発展形について、こう話す。

「ファッション・デザイナー/アーティスト、Nukeme(ヌケメ)のグリッチ刺繍シリーズは、コンピュータミシンに読み込ませる刺繍データを意図的に破損させて刺繍することで作品化しています。14年にはサンリオとコラボレーションし、キャラクターをグリッチ刺繍の手法で制作したTシャツを伊勢丹新宿店で販売しました。キャラクターの取り扱いに非常に敏感といわれるサンリオが、わざとキャラクターの形を崩したりしている商品にOKを出したのは画期的でしたね」

 そんなNukemeは17年、GraphersRock名義でも活動するアートディレクター岩屋民穂との合作展「Dear Supreme, Dear PLAY」を開催。2人が特に思い入れが強いシュプリームのボックスロゴとコム デ ギャルソンの「PLAY」ラインのハートロゴを、グリッチ刺繍した作品を展示した。いずれも、正規店で購入した“本物”の上から、グリッチ刺繍したロゴを叩きつける、という手法で制作。つまり、単なるブートではなく、オリジナルを用いたカスタムなのだ(画像1枚目)。

「さらに、ブランド品以外の模刻まで行われることもあります。例えば、ジュエリーブランドのDO NOT DOは、硬貨を模したペンダントやリングを制作していますね(86ページ写真上)」(小山田氏)

 もっとも、通貨偽造罪は無期懲役または3年以上の懲役(20年以下)と重罰に処されるが、「ペンダントの場合、本物の硬貨とデザインは同じでありながら、安価な素材から高価な素材へ変更し、図柄自体も反転させている」(同)という。

■ZARAパクリ事件がもたらしたインパクト

 通貨偽造罪はともかく、「例えばブランドのロゴを商標権者の許可なく使って商品を販売すれば、日本法では商標権侵害となる」と弁護士法人プラム綜合法律事務所の梅澤康二弁護士は話す。

「商標は、商標となるロゴやマークなどと、その用途となる商品やサービスである指定商品・指定役務がセットで登録されています。例えば、あるブランドが『衣料品にこのロゴを使用する』と登録した場合、別の事業者が衣料品やこれに類する商品に勝手に同じロゴを使用することは商標権侵害に。この場合、権利者は当該侵害行為を行う者に、商標の使用差止めや損害賠償を求めることができます。また、こうした商標権侵害が組織的・営利的に行われるなど悪質なケースであれば、民事とは別に刑事事件として立件されることも。仮に刑事事件で起訴されて有罪となれば、その行為類型にもよりますが、もっとも重い場合は10年以下の懲役、もしくは1000万円以下の罰金刑、またはその併科となる可能性があります(法人が併せて処罰される場合の罰金額は、最大3億円とされています)。このような商標権侵害については、販売行為だけでなく、販売目的で所持・譲渡する場合も取り扱いは同様」(梅澤氏)

 また、ロゴを改変した場合には、著作権侵害に当たる可能性もあるという。

「個人的な趣味の範囲内で著作物であるロゴにアレンジを加える程度であれば、これが権利侵害となるかは別として、ことさら責任追及を受ける可能性は高くないかもしれません。しかし、企業側はブランド価値の維持のために、ロゴやマークの権利にある程度のコストをかけているのが通常。そのため、『単なるオマージュだから』と気軽にタダ乗りして販売利益を得ることを是認すると、企業はそうしたコストをかけることに躊躇し、登録を前提とする商標制度自体が崩壊するかもしれません。そのため、“オマージュ”という理由は権利侵害を正当化する理由にはなり得ないでしょう。なお、インターネットが発達した現代では、グレーゾーンと思える事象も。例えばブート・クチュールを着た姿をSNSに投稿することなどがあり得ます。こうした行為が商標の使用、そのほか商標権侵害行為となるかは慎重な判断を要すると思われます。他方で、ブート・クチュールを着た投稿で“オシャレな人”として知名度を得た上で、別の営利行為につなげるケースも考えられるので、これを規制の対象外と言い切るのもどうかと思います」(同)

 なお、日本では18年7月、アメリカで買い付けたグッチやシャネルなどの古着のブート品59点を、販売目的で所持していた古着店の店主ら2人が逮捕されている。警視庁によると、約3年前から古着店においてブート品の販売が目立つようになったという。とはいえ、ブランド側はパクられるばかりでなく、パクることもある。

「もともと、ファッション業界は引用に対して寛容でした。アートや建築からの引用は一般的な商法ですし、近年は“文化の盗用”という言葉で批判されることも多くなっていますが、少数部族の民族衣装を取り入れることも多かった。また、業界内では“抜く”という隠語で、優れたブランドの洋服のパターン(設計図)をそのままパクるということも公然と行われていました。18年に日本のブランドのザ・リラクスが、同社が販売するモッズコートをZARAが模倣して販売したとしてザラ・ジャパンを提訴し、ザラが敗訴することがありましたが、この事例は“抜く”という行為が違法であることを認めた画期的な判決だったと思います」(同氏)

 ただ、ファッションにおいて偽物、ブート、オマージュ、サンプリング……といった分類の境界線はやはり見えづらいところがある。また、ここまで見てきたように、オリジナルがブート(的表現)をさらにサンプリングしたりする複雑な状況にもなっている。その上、個人レベルの創作物もSNSで簡単に発信できる今、新たなグレーゾーンが生じ、問題は一層ややこしくなっているため、この先、ブート・クチュールの定義と意義がまた変化していくのかもしれない。(月刊サイゾー6月号『令和時代の(新)タブー』より

(写真:1枚目、5枚目/小濱晴美)

(スタイリング:画像1枚目のキャップ、5枚目のジュエリー/小山田孝司)

GUCCIが偽ブランド品をサンプリング! “ブート・クチュール”の複雑化する最尖端

――ブランドのロゴを勝手に使い、自己流にアレンジした“ブート・クチュール”と呼ばれるアイテムが、最近ファッション界でイケてるという。しかし、“偽ブランド品”とは何が違うのか? ファッションと法律の両観点から、その最新状況と是非を整理してみたい。

 “ブート”とは、“Bootleg(ブートレグ)=海賊版、密造品”のこと。それらを自分流に解釈して仕立てる(=クチュール)ことを指した“ブート・クチュール”なる言葉がある。“オート(=高級)クチュール”とは真逆といえるものだが、近年、ファッション界でこのブート・クチュールが注目を集めている。しかも、悪い意味ではなく“良い意味”において、である。

 2018年夏、グッチは30年前のブート品をサンプリングした「グッチ〔ダッパー・ダン〕コレクション」(84ページ写真上)を発売した。ダッパー・ダンとは、1980年代から90年代初めにかけてカルト的人気を誇った、ニューヨーク・マンハッタン出身の黒人テイラーだ。独学で服づくりを学び、ハーレムにショップを開くと、グッチ、フェンディ、ルイ・ヴィトンなどハイブランドのモノグラムを全面にプリントしたファブリックやレザーを密造。およそそのブランドの製品とは思えない独自のスタイルを生み出し、ブルゾンやスーツなどをオーダーメードで仕立てた。もちろんブランド側には許可を取っていない違法ビジネスだったが、黒人のヒップホップ・スターやアスリートたちにとって彼のアイテムを着用することがある種のステータスになっていた。

 ところが88年、彼の顧客だったプロボクサー、マイク・タイソンとライバルのミッチ・グリーンがダッパー・ダンの店で暴行事件を起こす。この事件はテレビや新聞で大きく報道され、ダッパー・ダンの存在やブート・クチュールも世間に露呈してしまう。これが原因でブランド側がこぞって彼を訴え、92年、ダッパー・ダンの店は閉店に追い込まれた。

 ヒップホップのクラシック(名盤)のひとつとされている、エリック・B&ラキムのアルバム『Paid in Full』(1987年)。このジャケットで2人が身にまとっていたのも、ダッパー・ダンが手がけたブート・クチュールだった。
 ファッションジャーナリストのA氏は、ダッパー・ダンについてこう評する。

「単にブランド名をプリントしただけのコピー品は、アジアを中心に世界で流通していますが、自身のテイラーの技術を駆使したクリエイティブなブートという意味で、彼は異質でした。サンプリングの仕方にしてもひねりが効いていて、同時代のヒップホップ文化と完璧にリンクしていたといえます」

 そこに注目したのが、2015年にグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任したアレッサンドロ・ミケーレだ。17年6月に発表した18年クルーズコレクションには、袖が大きく膨らんだファージャケットが登場。これが、ダッパー・ダンがかつてデザインしたジャケットに似ているとインスタグラムのアカウント「Diet Prada」(87ページのコラム参照)で指摘されて、話題となった。ほどなくアレッサンドロ・ミケーレは、このジャケットはダッパー・ダンへの“オマージュ”とソーシャルメディアで説明。その後、同年9月にはダッパー・ダンを17年秋冬シーズンのメンズのテーラリングキャンペーンモデルに起用し、18年にはオーダーメードでメンズウェアを仕立てるダッパー・ダンのアトリエをオープンした。そして、18年秋冬コレクションではダッパー・ダンとコラボレーションした先述の「グッチ〔ダッパー・ダン〕コレクション」を発表するに至ったわけだ。すなわち、本家がニセモノをリスペクトした上にフィーチャーするという、複雑な事態が起きたのである。

■ストリートにすり寄るハイブランドの魂胆

 似たような動きはほかのブランドでもないことはない。ニューヨークで1994年に創業した、ストリートブランドのシュプリームは、2000年にルイ・ヴィトンのモノグラムを全面に配したスケートボードデッキを販売したが、ルイ・ヴィトン側からクレームを受け、発売から約2週間で販売中止となってしまった。ところが17年、シュプリームはルイ・ヴィトンと正式にタッグを組み、ウェアやバッグ、財布、iPhoneケースなど限定コラボ商品を販売した。

 とはいえ、今や世界的な人気を誇るシュプリームと、30年前に密造屋の烙印を押されて表舞台から姿を消したダッパー・ダンとでは、衝撃度が大きく違う。

「当時のダッパーはニューヨークのハーレム限定のスターデザイナーであり、欧米のファッション業界ではほとんど知られていなかったはずです。でも、2010年代に入ってから、70~80年代のヒップホップをディグる動きが顕著になって、当時のヒップホップのファッションの重要人物として、注目を集めるようになりました。Netflixがドラマ『ゲットダウン』やドキュメンタリー『ヒップホップ・エボリューション』といった70年代の黎明期から90年代の黄金期までヒップホップの変遷をたどる番組を配信したのも、大きく影響していると思います」(A氏)

 加えて、それ以前にハイブランドがストリートブランドにすり寄ってきたことも背景にある。例えば2008年、リカルド・ティッシ(現バーバリーのチーフ・クリエイティブ・オフィサー)がジバンシィのメンズ・クリエイティブ・ディレクターに就任し、数シーズンにわたってストリートスタイルに大きな影響を受けたコレクションを発表。また同時期、世界的ラッパーのカニエ・ウェストは、従来のストリートスタイルにハイブランドをミックスしたスタイルを好むように。そして09年、ルイ・ヴィトンがそんなカニエのデザインによるスニーカーを発売。以降、さまざまなハイブランドが、ストリート・カルチャーにインスパイアされたコレクションを発表したり、ストリートブランドとのコラボを盛んに行ったりするようになった。顧客とのタッチポイントの多様化、購買ニーズの多様化が進む時代、各ブランドはこうして顧客の若返りを目指したのである。その試みが功を奏し、2010年代半ばになると、ハイブランドとストリート色の強いアイテムを組み合わせる“ラグジュアリーストリート(ラグスト)”が大流行した。

 こうした流れの一要素として、ブート・クチュールもとらえられるだろう。実例としては、16年にデビューし、新世代のポップ・アイコンとして注目されるLA在住の17歳の歌姫ビリー・アイリッシュは、しばしばアーティストのTsuwoopによるルイ・ヴィトンのモノグラムを使ったブート・クチュールを着て公の場に登場(85ページ写真)。なおTsuwoopは、ルイ・ヴィトンだけでなくグッチやシャネル、フェンディのロゴやモノグラムを勝手に派手な色使いにアレンジして仕立てたストリートウェアやスニーカーを次々と発表。それらの画像はインスタグラムの自身のアカウントでアップしているが、それらを公式に販売しているかどうかは明らかになっていない。

「アメリカではそうしたブートのファッションが非常に盛り上がっています。お金で買えないもの、自分だけの一点ものを求める傾向が世界的に強まっていることも、一要因としてあるでしょう」(同)

■シュプリームのロゴをバグらせて刺繍する

 ブートとは文脈が異なるが、日本のファッション業界では“サンプリング”や“オマージュ”の動きが盛ん。過去の銘品を参照して別の物を生みだしたり、別の方法で作り変えたりする手法である。

「2018年度のLVMHプライズを受賞したダブレットの井野将之は、過去の銘品をサンプリングして新しいものに作り変える発想と技術力が、世界から高く評価されています。オマージュという手法では、東京・浅草をベースに活動する革製品のブランド、エンダースキーマのオマージュラインが代表例。誰もが知るスポーツブランドの名作スニーカーを、ヌメ革で手工業的なアプローチで製作していて、こちらも高い評価を受けています。17年からは“公式二次創造物”と銘打ち、アディダスと正式にコラボレーションを実現させました。これは、本当に画期的なことだと思います。洋服やシューズのデザインはある程度出尽くしているので、こうしたリスペクトのあるサンプリングやオマージュの手法は、今後ますます盛んになっていくでしょう」(同)

 また、スタイリストの小山田孝司氏は、日本におけるある種のブート・クチュールの発展形について、こう話す。

「ファッション・デザイナー/アーティスト、Nukeme(ヌケメ)のグリッチ刺繍シリーズは、コンピュータミシンに読み込ませる刺繍データを意図的に破損させて刺繍することで作品化しています。14年にはサンリオとコラボレーションし、キャラクターをグリッチ刺繍の手法で制作したTシャツを伊勢丹新宿店で販売しました。キャラクターの取り扱いに非常に敏感といわれるサンリオが、わざとキャラクターの形を崩したりしている商品にOKを出したのは画期的でしたね」

 そんなNukemeは17年、GraphersRock名義でも活動するアートディレクター岩屋民穂との合作展「Dear Supreme, Dear PLAY」を開催。2人が特に思い入れが強いシュプリームのボックスロゴとコム デ ギャルソンの「PLAY」ラインのハートロゴを、グリッチ刺繍した作品を展示した。いずれも、正規店で購入した“本物”の上から、グリッチ刺繍したロゴを叩きつける、という手法で制作。つまり、単なるブートではなく、オリジナルを用いたカスタムなのだ(画像1枚目)。

「さらに、ブランド品以外の模刻まで行われることもあります。例えば、ジュエリーブランドのDO NOT DOは、硬貨を模したペンダントやリングを制作していますね(86ページ写真上)」(小山田氏)

 もっとも、通貨偽造罪は無期懲役または3年以上の懲役(20年以下)と重罰に処されるが、「ペンダントの場合、本物の硬貨とデザインは同じでありながら、安価な素材から高価な素材へ変更し、図柄自体も反転させている」(同)という。

■ZARAパクリ事件がもたらしたインパクト

 通貨偽造罪はともかく、「例えばブランドのロゴを商標権者の許可なく使って商品を販売すれば、日本法では商標権侵害となる」と弁護士法人プラム綜合法律事務所の梅澤康二弁護士は話す。

「商標は、商標となるロゴやマークなどと、その用途となる商品やサービスである指定商品・指定役務がセットで登録されています。例えば、あるブランドが『衣料品にこのロゴを使用する』と登録した場合、別の事業者が衣料品やこれに類する商品に勝手に同じロゴを使用することは商標権侵害に。この場合、権利者は当該侵害行為を行う者に、商標の使用差止めや損害賠償を求めることができます。また、こうした商標権侵害が組織的・営利的に行われるなど悪質なケースであれば、民事とは別に刑事事件として立件されることも。仮に刑事事件で起訴されて有罪となれば、その行為類型にもよりますが、もっとも重い場合は10年以下の懲役、もしくは1000万円以下の罰金刑、またはその併科となる可能性があります(法人が併せて処罰される場合の罰金額は、最大3億円とされています)。このような商標権侵害については、販売行為だけでなく、販売目的で所持・譲渡する場合も取り扱いは同様」(梅澤氏)

 また、ロゴを改変した場合には、著作権侵害に当たる可能性もあるという。

「個人的な趣味の範囲内で著作物であるロゴにアレンジを加える程度であれば、これが権利侵害となるかは別として、ことさら責任追及を受ける可能性は高くないかもしれません。しかし、企業側はブランド価値の維持のために、ロゴやマークの権利にある程度のコストをかけているのが通常。そのため、『単なるオマージュだから』と気軽にタダ乗りして販売利益を得ることを是認すると、企業はそうしたコストをかけることに躊躇し、登録を前提とする商標制度自体が崩壊するかもしれません。そのため、“オマージュ”という理由は権利侵害を正当化する理由にはなり得ないでしょう。なお、インターネットが発達した現代では、グレーゾーンと思える事象も。例えばブート・クチュールを着た姿をSNSに投稿することなどがあり得ます。こうした行為が商標の使用、そのほか商標権侵害行為となるかは慎重な判断を要すると思われます。他方で、ブート・クチュールを着た投稿で“オシャレな人”として知名度を得た上で、別の営利行為につなげるケースも考えられるので、これを規制の対象外と言い切るのもどうかと思います」(同)

 なお、日本では18年7月、アメリカで買い付けたグッチやシャネルなどの古着のブート品59点を、販売目的で所持していた古着店の店主ら2人が逮捕されている。警視庁によると、約3年前から古着店においてブート品の販売が目立つようになったという。とはいえ、ブランド側はパクられるばかりでなく、パクることもある。

「もともと、ファッション業界は引用に対して寛容でした。アートや建築からの引用は一般的な商法ですし、近年は“文化の盗用”という言葉で批判されることも多くなっていますが、少数部族の民族衣装を取り入れることも多かった。また、業界内では“抜く”という隠語で、優れたブランドの洋服のパターン(設計図)をそのままパクるということも公然と行われていました。18年に日本のブランドのザ・リラクスが、同社が販売するモッズコートをZARAが模倣して販売したとしてザラ・ジャパンを提訴し、ザラが敗訴することがありましたが、この事例は“抜く”という行為が違法であることを認めた画期的な判決だったと思います」(同氏)

 ただ、ファッションにおいて偽物、ブート、オマージュ、サンプリング……といった分類の境界線はやはり見えづらいところがある。また、ここまで見てきたように、オリジナルがブート(的表現)をさらにサンプリングしたりする複雑な状況にもなっている。その上、個人レベルの創作物もSNSで簡単に発信できる今、新たなグレーゾーンが生じ、問題は一層ややこしくなっているため、この先、ブート・クチュールの定義と意義がまた変化していくのかもしれない。(月刊サイゾー6月号『令和時代の(新)タブー』より

(写真:1枚目、5枚目/小濱晴美)

(スタイリング:画像1枚目のキャップ、5枚目のジュエリー/小山田孝司)

【片山慎三】衝撃作『岬の兄妹』監督が推薦!――今の韓国映画の原型!? 60年前のサスペンス

――近年『新感染』『神と共に』など、国内でもメガヒット作を連発している韓国映画。そして、『冬のソナタ』ブームから15年近く経った現在も根強いファンをつけている韓流ドラマ。傑作揃いの韓国エンタメ作品群から、韓流の目利き達が独特の視点で映画・ドラマの深奥を語る。

■片山慎三(映画監督)

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1981年、大阪府生まれ。ポン・ジュノ監督の『母なる証明』(09年)や山下敦弘監督の『マイ・バック・ページ』(11年)などに助監督として参加。今春公開された自主制作映画『岬の兄妹』が話題を呼び、ロングラン上映されている。

 僕が韓国映画から学んだことはたくさんありますが、一番は「表現にブレーキをかけない」ということですかね。不快に思われるようなシーンも、しっかりと描く。『岬の兄妹』を撮るときも、それを意識していました。

 韓国とのつながりでいうと、オムニバス映画『TOKYO!』(08年)の撮影でポン・ジュノ監督と知り合ってから、1年ほど韓国に滞在して助監督として手伝ったこともありましたが、もともと僕が韓国映画を見始めたきっかけは『シュリ』からですね。

 この頃の作品で印象に残っているのが、イ・チャンドン監督のデビュー作『グリーンフィッシュ』【10】です。映画の終盤でヤクザの愛人と恋愛関係になった主人公が、銃で撃たれて殺されてしまうのですが、被弾して車のボンネットに倒れかかり、窓ガラス越しに吐く息の曇りが徐々に薄くなっていくという、死に至る演出がうまい。

 一方でタブー破りといったら、民主化闘争を描いた『1987、ある闘いの真実』など、実在の事件を題材にした作品は面白いですね。特にキム・ギドク監督の助監督だったチャン・チョルスの『ビー・デビル』【11】はヤバいです。ある女性がソウルから生まれ故郷の島に戻った際に、島に残っていた幼なじみの女性が旦那からDVを受けていたり、島民の慰み者にされていたことを知ります。長い間、島民たちに虐げられてきた女性は島から脱出しようとするのですが、その間にこれまで彼女をイビってきた姑や旦那に復讐していくんです。味噌を塗りたくって殺したりなんかもします。こう聞くと、キワモノ映画のように思われそうですが、作中ではちゃんと人間模様が描かれているので面白いです。

インテルが逃げ出した次世代半導体が鍵 使用電力火力発電所数億個分! 電力格差を生むエネルギー問題

――5Gの導入でますます期待が高まるIoT社会の到来。多くの企業が日夜技術を発展させまた、それをメディアが喧伝しており、一般人でもなんとなく新しい社会の到来に期待を寄せるようになってきた。ところが、社会の技術的な発展のそばには常に、それを阻む“重大な問題”が横たわっているのだ。

 今やAI(人工知能)というキーワードは、子どもからお年寄りまで広く知られる「常用語」として定着した感がある。技術そのものに対する認識の幅はあるだろう。それでも、「人間のように判断し、仕事や生活をサポートしてくれる便利なプログラム」という理解は、共有され始めて久しい。

 AIに対する人々の期待は、2019年以降もさらに高まる気配だ。世界的に影響力を持った調査会社Gartnerは19年のITトレンド予測を発表しているが、その中で「一般企業および家庭においてAIの導入が本格化。その進化が加速していくことは確実」としている。このような指摘は、世の中がAIに強い期待を寄せている証拠のひとつとなるはずだ。

 ところで、AIが今後どのように発展するのか、またどのような能力を持ち、どのように社会を変えていくのかについて、ここで長々と言及するのは避けたい。というのも、「世界を変えるAI!」的な話題やニュースは巷に溢れている。それよりもここで問題としたいのは、「高度なAIは、本当に世の中に普及するのか」というある意味、流行ムードに水を差す“タブー論”だ。実はあまり深く言及されないが、AIには多くの課題が山積している。たとえば、その代表的なもののひとつに「消費電力」の問題がある。

■関係者は知っていたアルファ碁の消費電力

 AIの消費電力の問題を考える上で最もわかりやすい例としては、囲碁AI「アルファ碁」がある。アルファ碁は韓国のイ・セドル棋士、中国の柯潔棋士など、世界の名だたる名人を撃破し続けてきた、グーグル・ディープマインド社が誇る「世界最強の囲碁AI」だ。技術的な面での称賛ばかりが目につくが、勝敗という結果の裏側にまで注意して目を向けてみると、意外な事実が浮き上がってくる。日本で言えば将棋の羽生善治九段に相当する有名人であったイ・セドル棋士の敗北を受けて、韓国では「アルファ碁ショック」が起きた。多くのメディアが人間とAIの未来について議論し始めたのだが、その中に文化日報による次のような指摘があった。

「アルファ碁は約1202個の中央処理装置(CPU)、176個のグラフィックス処理装置(GPU)を使用する。このようなシステムを稼働するためには、単純計算で約170kW(17万W)の電力(1202×100W+176×300W)が必要となる。人間の脳が約20Wで稼働するのと比較すると膨大な非効率性がある」(著者翻訳)

 このアルファ碁の消費電力について日本経済新聞は「25万ワット」としており、やや計算結果に違いがある。それでも、数千~数万人分の人間の脳のエネルギーを消費するとする結論で共通している。果たして、この数字を考慮した際にAIが人間に勝ったといえるだろうか。アルファ碁は、棋士たちとの対戦の日々を経ながら電力消費の効率を上げるべく研究が進められている。しかし、ごはん一杯、もしくはチョコレートを摂取すれば活動可能な人間の脳のレベルには到底至っていない。今後、アルファ碁レベルのAI(それでも囲碁しかできない)が一般社会に普及すると仮定するならば、世界は深刻な電力不足に陥ること必至だ。

 ソウル大学エネルギーシステム工学部教授で、国際エネルギー経済学会の副会長を務めるホ・ウニョン氏も、メディアへの寄稿文で次のように書いている。

「2040年にはコンピューターが処理しなければならない演算量が、現在の量の約1万倍に達すると予測されている。処理するために半導体が使用するエネルギーは1027ジュール。これは火力発電所があと(世界に)数億個ないと供給できないエネルギー量だ」

 また、ITに詳しいビジネスコンサルタント、クロサカタツヤ氏は「個人的見解」と前置きした上で次のように話す。

「ディープラーニングが取り扱う対象は画像、音声と推移してきている。これらはいわゆる非定型データと呼ばれており、それまでデジタル化されてきたデータより取り扱いや処理する際の効率性が悪い。次に利用が広がると予想されるのは動画ですが、これは1秒間であっても画像の何十倍もデータ量があります。それら画像、音声、動画の処理だけ考えたとして、AIが使われるシチュエーションが社会的に増えていけば、コンピューティングパワーのニーズが減ることはない。むしろ将来的に桁が上がっていくと予測されています。いずれ、世界的にコンピューティングパワーもそれを稼働させる電力も足りなくなるというシナリオは、十分にあり得る話でしょう」

 クロサカ氏によれば、コンピューターの演算量増大によるコンピューティングパワーの不足、消費電力問題というのは、かねて業界内では課題として議論されてきたという。

「膨大な演算を行う施設としてはデータセンターがありますが、電力が満たせたとしても、ものすごい熱が発生してコンピューターの処理能力が低下してしまうという問題があった。冷却のためにエアコン入れたとしても結局電力を消費するので、“寒いところにつくる”という、冗談のような本当の話になった」

 データセンターが置かれている状況は、将来的に多くのAIが稼働する社会の様相を先取りしているともいえそうだ。いずれにせよ、「データセンターのような状況は序の口」(クロサカ氏)であって、これからさまざまな技術が登場するにつれ、計算パワーやエネルギーの限界がますます近づくはずである。

 補足までに、「コンピューターによる膨大な演算」を必要とするAI以外、もしくはAIと併用されるテクノロジーは枚挙に暇がない。IoTやVR技術を駆使して製造プロセスや産業用ロボットの動きをデジタル上に再現する「デジタルツイン」、3D制作など「高度なグラフィック処理」、「量子コンピューティング」「ゲーム開発」「各種シミュレーション」と、今後期待されている技術のほとんどが、大規模な演算、すなわち強力なコンピューティングパワーと、それに付随する膨大なエネルギーや電力を必要とするのだ。

 しかも、高度なAIが必要とされる分野はさらに増えていく。典型例は「自動運転」だ。自動運転は車載カメラから取得されたデータだけでなく、道路状況や天気、またユーザーの個性や趣味嗜好などあらゆるデータを収集・演算・処理することが念頭に置かれている。世界的に自動運転が普及した際、一体どれほどのコンピューティングパワーおよび電力が消費されるのか。おそらく、誰も想像ができていないはず。加えて、日本のAI研究関係者からは次のような指摘もある。

「正直、現在のAIはまだAIと呼べる代物ではありません。高度なIT技術と表現したほうが正しい。世界的に今後、自律的な思考・判断を行う本来の意味でのAIの研究が進んでいくでしょう」

 この自律的なAIとは、ドラえもんを思い浮かべればイメージしやすいかもしれない。自らの判断で人間をサポートするAIというテーマは「技術的に可能なのか」という議論もあるが、仮に実現したとしたらその演算量は相当なものであり、電力消費量は想像もできないほど膨大なものになる可能性がある。

「AI×電力」という問題は、格差と直結するという識者もいる。韓国・仁荷大学校新素材工学科のチェ・リノ教授だ。その主張は、高度なAIが各家庭に普及するとしたら電気使用量も膨らむはずで、貧富の差がそのまま情報取得の格差につながるというものだ。電気代を払える人、そうでない人の間に「デジタルデバイド」が生まれるかもしれないというわけだ。

■ エネルギー問題を解決する次世代半導体開発の行く末

 AIによる膨大な電力消費を回避する道としては、次世代半導体(コラム詳細)など電力消費を最小化する新しいハードウェアおよび技術の登場が待たれている。とはいえ、ソフトウェアが進歩するスピードに比べると、それらの発展スピードには限界がある。

「コンピューター技術の歴史は、ハードウェアの限界に挑戦する歴史。ソフトウェアとして本当に先端的な技術は、常にハードウェアの性能の限界に触れてきた。代表的なものとして『ムーアの法則』と呼ばれる技術発展の法則があり、これまで指数関数的に半導体の性能が上がっていくことで、なんとかソフトウェアの発展スピードに振り落とされずに済んだ。ですが今後はどうなるかわかりません。というのも、ムーアの法則も落ち着いてきた。この“ムーア”とは、インテルの設立者のひとりゴードン・ムーア氏を指しますが、そのインテル自体が『さあどうする』という段階にまできてしまっている」(クロサカ氏)

 19年4月、インテルが5G用のモデムチップ事業から撤退するという報道があった。これは、アップルとクアルコムの間に起こっていた知的財産に関する紛争が終結したことを受け、インテルのモデムチップ採用の拡大が見込めなくなったことが理由だとされている。確かにそのような一面もあるのだろうが、クロサカ氏は「5Gのデータ量を処理しながらユーザーに満足してもらえるようなモデムチップを開発することが、採算などを考慮すると不可能だったのではないか」と異なる視点から解釈する。つまり、世界の半導体開発を牽引してきたインテルでさえ、“ハードウェア技術の壁”にぶち当たっているという分析である。

 この状況は、モノづくり大国・日本の価値が改めてフィーチャーされる機会になるのではないかとも考えられるが、日本の状況はさらに深刻なようだ。あるIoTの技術研究者は次のように話す。

「日本には頭が良い研究者が多く、理論的なアプローチは得意です。しかしながら膨大なデータを持っているわけではないので、理論を実際に検証しながら新しい技術を製品レベルにまで落とし込むことができていない。特に半導体に関しては設計ができる人がほぼいなくなってしまった状況。残念ながら“モノがつくれる国”ではなくなってきてしまっている」

■電力以外にも壁……まだまだ不可知なAI

 さて、AIの電力消費問題を解決してくれる、新しい技術の登場の先行きはまだまだ不透明だ。翻って考えれば、コンピューティングパワーや電力のコストが見合わないため、一般に普及させることが難しいAI技術というのも、そのうち相次いで登場してくるのだろう。そしてAIには、電力消費以外にも課題がある。「説明可能性」がそのうちのひとつだ。

 ディープラーニングなど話題のAI技術には、大量のデータを学習した機械が自ら推論・判断結果を導き出すという特徴がある。高精度である一方、処理するデータがあまりに膨大な量にいたるなどの理由から、人間側がAIの推論・判断過程を追うのが困難になるという限界がある。端的に言うと「AIがなぜそう判断したのか」がわからず、また「判断の過程や根拠もわからない」のだ。

 このAIの「説明不可能性」すなわち「ブラックボックス問題」は、普及を阻む壁となっている。たとえば医療現場で、AIが患者の病気を推論・判断したとしよう。そこで、人間の医師が判断過程を理解できなければ患者に説明することができない、というわけだ。

「そもそも、人間の思考や判断過程にブラックボックスが存在しないかと問われれば、答えは『否』。しかし、ビジネスの現場においては、説明できないAI技術は導入できないという不信や反発が存在するのです」(前出・AI研究関係者)

 このように全人類の希望を背負っているかのようにうたわれるAIだが、実際には問題が山積しているのだ。

 そう考えると、「AIが人間を楽にしてくれる」という楽観論も「人間の仕事を奪う」というディストピア論も、あまり現実的ではない。少なくとも10~20年は、人間は忙しいままだろう。むしろ、そういう話題をけしかける報道があったとしたら、なにかしらの意図を疑ったほうがよさそうだ。

(月刊サイゾー6月号『令和時代の(新)タブー』より)

取り調べで黙秘しても保釈可能 裁判前に依存症治療施設で教育! 薬物犯罪で逮捕された後の戦術

――しばしばニュースとなる著名人の薬物事件。とかく逮捕された瞬間ばかりがクローズアップされがちだが、その後、薬物犯罪で逮捕された者が不起訴処分や執行猶予判決を得られるよう、弁護士が繰り出す“戦術”があるという。ここでは、薬物自体の是非はさておき、一般的にはあまり知られていないその方法を取り上げてみたい。

 2019年3月12日、ミュージシャンで俳優のピエール瀧がコカイン使用の容疑で逮捕され、4月2日、東京地検に麻薬取締法違反の罪で起訴された。芸能人の薬物事件の場合、もっとも大きく報道されるのは逮捕の瞬間であり、次に話題に上るのは第1回公判が始まったときであろう。しかし、この逮捕から裁判までの間には弁護人を介して不起訴処分や無罪判決、あるいは執行猶予を得ようとする動きが当然ある。ここでは、あまり表に出ない薬物事件における逮捕後の“戦略”について見ていきたい。

 まず、薬物事件を含む刑事事件では基本的に逮捕→勾留→起訴→裁判という手続きを踏むが、どのタイミングで弁護士とコンタクトを取るのが一般的なのだろうか? グラディアトル法律事務所の藤本大和弁護士は、こう話す。

「薬物事犯の場合は所持、使用、販売、輸入など容疑により警察の初動も変わりますが、多いのは所持で、大体、職務質問で発見されて現行犯逮捕になる。逮捕されると48時間、もしくは最大で72時間は警察署の留置所に入れられ、その間に行われる弁解録取という手続きで、被疑者に対して弁護人選任権が告知される。つまり、『あなたには弁護士を呼ぶ権利があります』と告げられます。一般的に弁護士が介入する最初のタイミングは、そこですね」

 このとき、被疑者は留置されている警察署のある都道府県の弁護士会に登録する当番弁護士か、知り合いの弁護士がいればその人を呼んでもらえる。そして48時間(または72時間)を過ぎると、今度は勾留期間に入る。

「被疑者の勾留は、『逃亡及び罪証隠滅の恐れ』の有無で判断されます。薬物事犯では罪証隠滅が容易で、覚せい剤だとトイレに流せば済む。ゆえに、ほぼ勾留が認められ、勾留中はやはり罪証隠滅を防ぐ目的で弁護士以外との接見が禁止される可能性が高い。なお、勾留期間は10日間で、さらに最大10日間の延長が可能。つまり、被疑者は逮捕時の留置と合わせて最大で23日間は警察に身柄を拘束され、その間に取り調べやガサ入れが行われます」(藤本氏)

 このときの弁護士の大きな役割は、被疑者の家族にすぐに連絡することだ。

「なぜなら不起訴や裁判後の執行猶予を狙うには、被疑者の身元を引き受けたり、薬物依存症の治療施設への入所や通所の手続きをしたりする人間が必要だからです。それができるのは、外にいる家族や近親者だけなんです」(同)

■違法な職質で得た薬物は裁判で証拠にならない

 また、いち早く弁護士を呼ぶのは別の意味でも重要であると、薬物事件に詳しい弁護士のA氏は語る。

「刑事事件全般において被疑者は最大で23日間身柄を拘束されますが、逆に言えば弁護人としては23日間しか裁判の準備ができない。しかも、起訴されたら99%以上の確率で有罪になるといっていい。ということは、裁判で無罪を勝ち取るよりも、不起訴にして釈放させるのが理想的なんです。そのための準備期間は1日でも多くあったほうがいいんです」

 さらに言えば、逮捕前の職務質問の段階で弁護士を呼ぶことも有効だそうだ。

「職務質問は、任意の捜査なので応じる必要はないんです。ただし、合理的な理由もなしに断ると、それが逮捕要件になって逮捕状が出てしまうこともある。よって、従わざるを得ない場合もありますが、職質における身体検査は服の上から触れるだけで、ポケットの中に手を突っ込んだりしてはいけません。また、『車の中を見せてください』という場合でも、ドアの隙間から車内を見渡す程度ならいいのですが、勝手にダッシュボードを開けたりするとガサ入れになる可能性が高いので、捜索差押え令状を取らなくてはならない」(A氏)

 しかし、実際にはこのような職質も行われている。

「警察官は法律の専門家ではないので、それが違法であると認識していないことも多い。また、職質される側も『そういうものなんだろう』と思ってしまう。そこで違法性を的確に指摘できるのは弁護士しかいないんです。だから職質を受けたときに、電話で知り合いの弁護士に相談したり、ネットで検索してすぐに動ける弁護士に来てもらったりするのは、違法な捜査を未然に防ぐことにもなります」(同)

 そして、違法な捜査があったときこそ弁護士の出番だという。

「職質中に警察官が違法に車のダッシュボードを開けて、そこから覚せい剤が出てきたとします。でも、違法な捜査で収集された証拠は裁判では使えません。そもそも犯罪の立証責任は検察官にあるわけで、彼らがもっとも恐れるのは十分な証拠を揃えられないこと。その意味では、勾留中の取り調べで黙秘を貫くというのもまた有効です」(同)

 被疑者や被告人には黙秘権があるのは広く知られている。しかし一方で、黙秘権を行使すると、心象が悪くなり、量刑が重くなったり、本来付くはずだった執行猶予が付かなくなったりするかもしれない……という不安も残る。

「警察官も『しゃべらないなら実刑だぞ』とよく言うんです。でも、そもそも警察にそんな権限はありません。起訴権限は検察官にしかないし、量刑は裁判所が決めるものですから。私に言わせれば、警察官が取り調べでいろいろ聞いてくるということは、まだ十分な証拠が揃っていない可能性があることを意味します。であれば、被疑者はわざわざ証拠を与えてやる必要はない。だから、もっとも強力な弁護は被疑者に一切しゃべらせないことなんです。証拠が足りなければ裁判で勝てません。検察官が気にするのは有罪にできるか否かであり、もし無罪になればキャリアに傷がつきますから、裁判をしないという判断に傾く。つまり、不起訴になる可能性が出てくる」(同)

 事実、警察側も弁護士が被疑者と接見する前、逮捕直後に自白を取ろうとするという。ゆえに一刻も早く弁護士を呼ぶべきであり、弁護士が来るまでは一切しゃべらないことが得策なのだ。

■起訴されてから自白すればいい

 また、先ほどA氏は「証拠不十分であれば、不起訴になる可能性が出てくる」と言ったが、それこそ例示されたような違法捜査などがなければ、現実的には薬物事件で不起訴を獲得するのは非常に難しいという。

「覚せい剤の自己使用などは、ほぼ間違いなく起訴されます。ただし初犯であれば、覚せい剤の単純使用なら懲役1年6カ月の執行猶予3年、大麻の単純所持なら懲役6カ月の執行猶予1年と、ほとんどは執行猶予が付く」(前出・藤本氏)

 なお、起訴になるか不起訴になるかは、原則として勾留期間が満期を迎えるまでに決定される。そして起訴された場合は、被疑者勾留から、勾留期限のない被告人勾留に切り替わる(被告人勾留の期限は2カ月だが、以降は1カ月ずつ更新されることが認められ、更新回数に制限はない)。そんな長期間も勾留されてはたまらないので、保釈を求めることになる。

「刑事訴訟法では、罪証隠滅や逃亡の恐れがなければ原則として保釈は認められます。特に薬物事犯の場合、大体、所持で現行犯逮捕されているので、容疑を認めないというのが難しい。だから基本的には保釈は下りやすい」(前出・A氏)

 では先述のように、勾留中の23日間、黙秘を貫いても保釈は降りるのか?

「勾留期間が満期を迎えて起訴された瞬間から、被疑者は被告人になります。これは単に名前が変わるのではなく、立場が変わる。つまり、被疑者は取り調べの対象ですが、被告人は裁判で争う権利を憲法上与えられた当事者。よって、起訴されて被告人になったら取り調べに応じる必要はなくなり、そこで初めて『起訴されたし、しょうがないから自白しますよ』と言うことも可能。そうすることで、勾留中の取り調べで一切の情報を与えないまま保釈になることも可能です」(同)

 ただし、保釈されても、被告人は自由に動けるわけではない。

「保釈のために、まず身柄を引き受ける人――『裁判所には私が責任を持って出頭させます』と言う人の誓約書を弁護人は用意。また、我々は『制限住居』という言い方をしますが、実家で薬物を使っていた人なら、保釈中は叔父の家などに住んでそこから出ないようにしてもらうとか、移動時も必ず叔父を同行させるとか、携帯電話を取り上げるといった条件をつけた上で保釈してもらいます。いずれも、罪証隠滅と逃亡の可能性を消すための措置です」(藤本氏)

■依存症の治療を受けて刑務所に入る理由を消す

 そして、この保釈中に裁判で戦うための準備を整えることになる。

「薬物事犯における裁判の戦い方は実はワンパターンで、基本は先ほど述べたように薬物依存症を治療する施設に通所・入所してもらうことです。ただ、これは薬物使用の容疑を認めた上で治療を受けることになるので、あくまで執行猶予を狙う戦略。保釈決定から第1回公判までは約2カ月ありますので、その間に治療プログラムに参加し、可能であれば医師に『真摯に治療に取り組んでいて、依存症を克服しようという気概がうかがえる』といった旨の意見書も書いてもらう。それと並行して、家族や恋人、信頼できる友人などに『もし執行猶予が付いたら、私が毎回病院に付き添います』と一筆書いてもらう。被告人を支えてくれる人の有無は裁判所もよく見るので、近親者の協力を得ることも大事です」(同)

 しかしながら、薬物依存症の治療プログラムを受けるということは、薬物への依存を認めることになる。この点は裁判で不利にはならないのか?

「正味の話、依存性はほぼ認められる傾向なので、量刑にはあまり関係しないと考えています。例えば1回しか覚せい剤を打ったことがない人の場合、依存性があるかないかと問われれば『1回だけなら依存性はないのでは?』と答える人も多いでしょう。でも、裁判所は『回数は関係ない。薬物をやりたいと思った時点で依存している』という考え方をするので、そこで争っても意味がない」(A氏)

 それよりも、注目すべきは刑法の目的そのものだとA氏は言う。

「刑法が人権を侵害してまで罰を与える理由は2つあります。ひとつは犯した罪を償わせるため。もうひとつは、犯罪を繰り返さぬよう刑務所に入れて“教育”するためです。この教育に相当するのが依存症の治療であって、そこをクリアできれば刑務所に行く理由がひとつ消えるわけです。治療以外にも、NA(ナルコティクス・アノニマス)という自助会に参加させてもいい。ここには被告人の想像を超える悲惨な薬物依存症患者がたくさん来るので、たいていの人は『ショックを受けた。もうクスリはやめる』と言うんです。これも教育が施されているというアピールになります」(同)

 ちなみに、治療施設にはどのようなものがあるのか?

「東京都であれば、小平市のNCNP病院(国立精神・神経医療研究センター)に薬物依存症外来があり、ここは絶対に外せません。というのも、現在の刑務所内で行われている薬物依存症の治療プログラムをつくっているのが、このNCNPだからです。要するに、刑務所で受けるプログラムを前倒しで受けているのだから、刑務所での教育は必要ないというロジックが成立する。ただ、小平は都心からは少し遠いし、週1回の治療を半年かけて行うというのが基本プログラム。仮に私が裁判官だったら、『週1回じゃ足りないよね?』と思うんですよね。よって、週1で小平に通わせつつ、23区内のクリニックなど、より近場にある施設に毎日のように通わせます」(同)

 NCNPで治療の質を担保し、近場のクリニックで量を稼ぐというわけだ。

「それプラス、可能であれば夜は自助会にも出る。そうすることで、裁判所に対して『これ以上の教育を刑務所で施せますか?』という問いかけにもなります。ただ、初犯の人であれば、NCNPだけでも十分でしょう」(同)

 また、16年に「刑の一部執行猶予制度」が施行されたことにも注目すべきである。

「同制度は見かけ上は仮釈放に近くて、要は、刑務所には入ってもらうけれど、刑期より早めに出してあげるんです。なぜこの制度ができたかというと、特に薬物依存は、薬物がある社会で依存を克服しないと、本当に克服したことにならないから。つまり、刑務所内では薬物が手に入らないからやらないだけで、やろうと思えばやれる環境でやめられなければ意味がない。だから、早めに出所させて様子を見るんです。これは、薬物依存からの回復に向けた活動の重要性を改めて法律が認めたことにほかならない」(同)

 よって、今後もシャバでの“教育”は、薬物事件の裁判では重視され続けるというのがA氏の見立てだ。

 ここまで見てきたように、逮捕されてからの戦術にはいくつかのセオリーがある。転ばぬ先の杖として、知っておいて損はないはずだ。

(月刊サイゾー6月号『令和時代の(新)タブー』より)

 

利尿を促進するクスリをブチ込む! パクられる前に駆け込む“解毒病院”の実態

――薬物常用者たちが逮捕を避けるために訪れる“解毒病院”なる場所があるという。そこでは、どんな治療が行われているのか――。実態を見ていこう。

 違法薬物の使用容疑で逮捕されるのは、多くは職務質問からの警察署での任意の尿検査、もしくは警察が裁判所に令状を請求した上での強制採尿で陽性反応が出た場合だ。この尿検査をクリアするためには、体から薬物を抜いておく必要がある。そこで薬物常用者たちが利用するのが“解毒病院”である。

「東京都内でメジャーなのは、23区東部のSと西部のA。この2つの病院が両横綱で、どちらも医者に『肝臓が悪い』と言えば“解毒”してくれます。具体的には、強力ネオミノファーゲンシー(通称:強ミノ)とグルタチオンを点滴してもらう。これらは肝臓の働きをよくする薬で、要は利尿を促進するだけなんですけど、体からクスリが抜けるとされています」

 そう語るのは、暴力団関係者で覚せい剤常用者でもあるB氏。彼によれば、自分でこうした薬の点滴を打つ“解毒セット”も手に入るという。

「それは生理食塩水と点滴チューブ、トンボ針、強ミノとグルタチオンのアンプルのセット。以前はKという薬局で、“Kのババア”と呼ばれる女性が売ってました。東京だけじゃなく、関東中の不良や売人が買いに来てたんですけど、客がベラベラしゃべるから売るのをやめちゃった。でも、ババアはいい人だから、今でもKに電話をかけて、『解毒セットがほしいんだけど』って言うと、『私はもうやってないから』と首都圏の他県にある違う薬局の電話番号を教えてくれます」

 さらに、最近ではいわゆる美容クリニックでも“解毒”は可能なのだそうだ。

「美容クリニックのコースにあるアルコールのデトックス点滴とか注射が、それなんです。だから今は、ずいぶん楽になりましたね。以前はやましい病院に行って『肝臓が悪い』みたいな隠語を使っていたのが、今は普通の美容クリニックで『いやぁ、昨日ちょっと飲みすぎちゃって』とか言って堂々と強ミノとグルタチオンの点滴を打てるので」

 では、“解毒”の費用はいかほどか?

「2000円から1万円超と開きがあります。美容クリニックは保険が利かないから、港区とかにある金持ちババア相手のクリニックだと高くつきますね。一方、病院は保険が利くから、例えば23区西部にあるNなんかは800円で済む」

 こうした“解毒”はどんな薬物にも有効だが、主な客層は覚せい剤の常用者だという。それは覚せい剤が日本でもっともメジャーな違法薬物だからでもあるが、別の理由もある。

「都内の警察が使っている尿検査の簡易キットが、覚せい剤と大麻にしか対応してないからです。つまりコカインの常用者がそのキットで尿検査を受けても何も出ないから、解毒の必要がない。だから最近はコカインがはやってるんです。ただ、例外的に麻布署だけは以前から5種類の薬物(大麻、ヘロイン、MDMA、覚せい剤、コカイン)に対応したキットを使っているんですけど、ピエール瀧の事件もあり、今後は新宿署もそれを取り入れるとか」

 もしこの動きが都内全域に広まれば、覚せい剤以外の薬物ユーザーも“解毒病院”に殺到することになるのか……。

(月刊サイゾー6月号『令和時代の(新)タブー』より)

日本のおバカYouTuberがかわいく見えちゃう? 海外のお騒がせインフルエンサー列伝

 海外では企業のデジタルマーケティングにSNSで話題のインフルエンサーを起用する「インフルエンサー・マーケティング」が巨大市場になりつつある。一方で、倫理観の欠如から、騒ぎに乗じたり巻き込まれたりで炎上し、“フォロワー”も“広告主”も騙すようなインフルエンサーが出現し始めていて……。世間を騒がせているSNS世代の有名人6名を紹介!(※フォロワー数は4月8日現在)

●全米を震撼させた裏口入学

オリヴィア・ジェイド(米国)

フォロワー数:インスタグラム/約140万人

YouTube/約190万人

 今年の3月、不正な手段で子どもを一流大学に入学させていたとして『フルハウス』に出演していたロリ・ロックリンが逮捕されたが、その愛娘で現在19歳のオリヴィア・ジェイドはインフルエンサー。入学当初「大学に入ったらスポーツの試合を見に行ったり、遊んだりしたい。勉強はあんまり興味がない」と、語る動画を投稿したことで炎上したが、裏口入学が発覚したのでまた炎上。

●昔の人種差別動画のせいでピンチ

ピューディパイ(スウェーデン)

フォロワー数:インスタグラム/約1600万人

YouTube/約9200万人

 YouTubeのチャンネル登録者数世界第2位のゲーム実況者。その影響力は絶大で、17年に反ユダヤ主義的な動画を投稿したことで「YouTube Red」(当時)の配信をキャンセルさせられるも、新たな広告主がすぐに見つかったほど。しかし、ニュージーランドのモスク襲撃事件の犯人がピューディパイのチャンネル登録を勧めていたため、現在「奴のYouTubeチャンネルを削除しろ」と、署名運動が行われている。

●ついに「地球平面説」信者に!?

ローガン・ポール(米国)

フォロワー数:インスタグラム/約1600万人

YouTube/約1800万人

 富士の樹海で遺体を撮影して世界中から批判されたローガン・ポールだが、事件後もネズミの死体をスタンガンで撃ったりと、動画投稿は続け、昨年の年収は16億円。3月には地球平面説を信じるコミュニティに潜入し、嘲笑する動画を公開したところ、1週間後にツイッターで「信者たちに強盗に入られた」と、何者かからの襲撃被害にあったことを報告していた。

●実は黒人ではありませんでした

エマ・ホールバーグ(スウェーデン)

フォロワー数:インスタグラム/28万人

YouTube/約3万人

 見た目は黒人系の女性だが、実は彼女、とあるツイッターの投稿によって濃いめのファンデーションを塗った白人女性ということが発覚。黒人になりすまして利益を得る「black fishing」だと、批判の声が上がった。ただ、本人は「肌の色が理由で広告やスポンサーシップ契約を得たことはないし、そうした仕事もすべて私のファッションセンスやメイクのスキルを買われて得たもの」と反論し、今も写真を投稿している。

●第2のFyre Festivalが発生?

タナ・モンゴー(米国)

フォロワー数:インスタグラム/約300万人

YouTube/約400万人

 ラッパーとしても活動するタナ・モンゴーは、世界中のYouTuberが集結する「VidCon」というイベントと同じ時期に、彼女自身の名を冠した「TanaCon」という、別のイベントを開催。しかし、人が集まりすぎて炎天下の会場外に長蛇の列ができてしまい、参加者からの批判が殺到。また、VIPチケットを購入した者には記念品の入ったギフトバッグが提供されたのだが、中に入っていたのはシールとコンドームだけだった。

●PRするからタダでホテルに泊まらせて

エル・ダービー(英国)

フォロワー数:インスタグラム/15万人

YouTube/約20万人

 当時、YouTubeで約9万人のフォロワーを持っていた彼女は、とあるホテルに「PRするからタダで宿泊させてほしい」とメールを送るが、オーナーはブチ切れ。彼女からのメールを晒して宿泊を拒否。逆ギレしたエルはホテルを非難する動画を公開し、炎上。騒動がきっかけでエルのフォロワー数は20万人近くに増え、焼け太ることができたが、ホテルから「宣伝費」として、およそ7億円の請求書を送りつけられた。

(月刊サイゾー5月号『情弱ビジネスのカラクリ』より)

日本のおバカYouTuberがかわいく見えちゃう? 海外のお騒がせインフルエンサー列伝

 海外では企業のデジタルマーケティングにSNSで話題のインフルエンサーを起用する「インフルエンサー・マーケティング」が巨大市場になりつつある。一方で、倫理観の欠如から、騒ぎに乗じたり巻き込まれたりで炎上し、“フォロワー”も“広告主”も騙すようなインフルエンサーが出現し始めていて……。世間を騒がせているSNS世代の有名人6名を紹介!(※フォロワー数は4月8日現在)

●全米を震撼させた裏口入学

オリヴィア・ジェイド(米国)

フォロワー数:インスタグラム/約140万人

YouTube/約190万人

 今年の3月、不正な手段で子どもを一流大学に入学させていたとして『フルハウス』に出演していたロリ・ロックリンが逮捕されたが、その愛娘で現在19歳のオリヴィア・ジェイドはインフルエンサー。入学当初「大学に入ったらスポーツの試合を見に行ったり、遊んだりしたい。勉強はあんまり興味がない」と、語る動画を投稿したことで炎上したが、裏口入学が発覚したのでまた炎上。

●昔の人種差別動画のせいでピンチ

ピューディパイ(スウェーデン)

フォロワー数:インスタグラム/約1600万人

YouTube/約9200万人

 YouTubeのチャンネル登録者数世界第2位のゲーム実況者。その影響力は絶大で、17年に反ユダヤ主義的な動画を投稿したことで「YouTube Red」(当時)の配信をキャンセルさせられるも、新たな広告主がすぐに見つかったほど。しかし、ニュージーランドのモスク襲撃事件の犯人がピューディパイのチャンネル登録を勧めていたため、現在「奴のYouTubeチャンネルを削除しろ」と、署名運動が行われている。

●ついに「地球平面説」信者に!?

ローガン・ポール(米国)

フォロワー数:インスタグラム/約1600万人

YouTube/約1800万人

 富士の樹海で遺体を撮影して世界中から批判されたローガン・ポールだが、事件後もネズミの死体をスタンガンで撃ったりと、動画投稿は続け、昨年の年収は16億円。3月には地球平面説を信じるコミュニティに潜入し、嘲笑する動画を公開したところ、1週間後にツイッターで「信者たちに強盗に入られた」と、何者かからの襲撃被害にあったことを報告していた。

●実は黒人ではありませんでした

エマ・ホールバーグ(スウェーデン)

フォロワー数:インスタグラム/28万人

YouTube/約3万人

 見た目は黒人系の女性だが、実は彼女、とあるツイッターの投稿によって濃いめのファンデーションを塗った白人女性ということが発覚。黒人になりすまして利益を得る「black fishing」だと、批判の声が上がった。ただ、本人は「肌の色が理由で広告やスポンサーシップ契約を得たことはないし、そうした仕事もすべて私のファッションセンスやメイクのスキルを買われて得たもの」と反論し、今も写真を投稿している。

●第2のFyre Festivalが発生?

タナ・モンゴー(米国)

フォロワー数:インスタグラム/約300万人

YouTube/約400万人

 ラッパーとしても活動するタナ・モンゴーは、世界中のYouTuberが集結する「VidCon」というイベントと同じ時期に、彼女自身の名を冠した「TanaCon」という、別のイベントを開催。しかし、人が集まりすぎて炎天下の会場外に長蛇の列ができてしまい、参加者からの批判が殺到。また、VIPチケットを購入した者には記念品の入ったギフトバッグが提供されたのだが、中に入っていたのはシールとコンドームだけだった。

●PRするからタダでホテルに泊まらせて

エル・ダービー(英国)

フォロワー数:インスタグラム/15万人

YouTube/約20万人

 当時、YouTubeで約9万人のフォロワーを持っていた彼女は、とあるホテルに「PRするからタダで宿泊させてほしい」とメールを送るが、オーナーはブチ切れ。彼女からのメールを晒して宿泊を拒否。逆ギレしたエルはホテルを非難する動画を公開し、炎上。騒動がきっかけでエルのフォロワー数は20万人近くに増え、焼け太ることができたが、ホテルから「宣伝費」として、およそ7億円の請求書を送りつけられた。

(月刊サイゾー5月号『情弱ビジネスのカラクリ』より)

萱野俊人と巡る【超・人間学】ーー「化石人類から見える人間の根源」(後編)

(前編はこちら)

――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。(月刊サイゾー7月号より)

今月のゲスト
更科 功[分子古生物学者]

萱野稔人の新連載企画。前号に引き続き、分子古生物学者の更科功氏をゲストに招いて“人類の進化”を論じ合う。更科氏は“一夫一婦制”が人類を特有の方向に進化させたという。その真意は――!?

■進化を促進させた一夫一婦制

萱野 前回の最後で更科さんはこうおっしゃっていました。「(人類において)オス同士の争いが減っていったことと直立二足歩行の進化が同時に起きたことを説明することができる仮説がひとつだけあって、それが“一夫一婦制”です」と。

 チンパンジーの場合、群れのなかでオスもメスも複数の相手と交尾をしますよね。ですので、生まれてきた子の父親は誰かわからず、子は群れのなかで育っていく。これに対して、人類はオスとメスが一対一のつがいとなって子を生み、そのつがいが子を育てる“一夫一婦制”のなかで進化してきた、ということですか?

更科 もちろん、チンパンジーのような多夫多妻から人類がすぐに完全な一夫一婦制になったわけではありません。最初は集団の中に一夫一婦的なつがいが少しいるだけでいいんです。例えば、一匹のオスが複数のメスと交尾をして何人もの子を作っていたとしても、あるとき「これは自分の子だ」とわかる子がいて、自分の子に優先的に食べ物を持ってくる。そういう行動をとるオスが集団内に数頭できるだけでかまわないんです。

萱野 オスが浮気をしなくなったということではなくて、どの子が自分の子かわかるようになることが重要なんですね。そもそも“浮気”は一夫一婦制が確立してから生まれた概念なので、順序が逆ですし。

更科 チンパンジーのような多夫多妻の場合は、発情している数少ないメスに多くのオスが集中します。それでオス同士の争いが起きるわけです。そして、メスもオスを基本的には誰でも受け入れる。ですから、子どもの父親はわかりません。しかし、完全ではないとしても一夫一婦的なつがいができることによって、全体としてはオス同士の争いは減りますよね。その形質が自分の子に受け継がれていくことで一夫一婦制が広がって、オス同士の争いはさらに減っていきます。その結果として、犬歯の縮小を説明することができるのです。

萱野 集団のなかで特定のオスが特定のメスと安定的な関係を維持するようになり、それが集団内で互いに承認されるようになって、オス同士の争いが減っていったということですね。

更科 他の霊長類でも一夫一婦制に近い生態をとっている種もありますが、大抵はオスとメスが孤立して二匹だけで生きている。集団内でオスとメスがペアを作っているのは人類だけなんです。それは今おっしゃったように、その関係性が集団全体で承認されているといってもいいでしょう。

萱野 集団内で特定のオスとメスの関係が承認されていけば、オス同士のメスをめぐる争いも減っていく。その結果、犬歯の縮小が進んでいったと。では、そのことは直立二足歩行と、どう関係するのでしょうか?

更科 直立二足歩行は先ほども言ったように自分の生存には不利な進化です。ですから、チンパンジーのように誰が自分の子かわからない状態だったら、直立二足歩行は進化しません。他人かもしれない子に食べ物を運ぶよりは、自分で食べてしまったほうが得なわけですから。自分にとって損な行動が進化する可能性があるのはひとつだけ。それは自分の子が他の子より生き残る可能性が高まる場合です。そのためには自分の子が判別できなくてはいけない。一夫一婦制であれば自分の子がわかりますから、その子のために食べ物を運んでくる意味があります。そうして育った子は、直立二足歩行で自分の子に食べ物を運ぶという形質を受け継ぎます。一夫一婦制が生まれることによって、直立二足歩行と犬歯の縮小というふたつの進化がいっぺんに説明できるのです。

萱野 なるほど。となると、一夫一婦制が人類の進化に果たした役割はきわめて大きいですね。

更科 そうです。現代に生きる私たちが特定の相手に愛情を感じてパートナーにしようとすることが、一夫一婦制が進化してきた証拠ではないでしょうか。チンパンジーだったら、同じような年齢と健康状態であれば相手を選びません。しかし、人間は違う。それは人類が一夫一婦制的な形質を受け継いできたからだと思います。

■人類の進化と暴力の減少

萱野 とても興味深いのは、人類が進化してきた初期の段階ですでに、現在の人間社会における結婚や家族の原型があらわれているということです。こうした人間関係のあり方は、進化論的にいっても、人類の根源的な社会形態だと考えてもいいのかもしれません。

更科 チンパンジーも食べ物を分け合うことはありますが、それは仲間に要求されて仕方なく分け前を与えるだけです。人類のようなパターンは他の霊長類には見られない行動です。

萱野 例えば同じ類人猿でもボノボはとても平和な種として知られていますが、なぜ人類のような進化が生まれなかったのでしょう。

更科 ボノボもチンパンジー同様に多夫多妻の群れを作りますが、争いが起こりそうになると性器をこすり合わせるなどして緊張を解きます。争いが起きることがあっても、殺し合いになるようなことはまだ観察されていないようですし、チンパンジーやゴリラと比べてかなり平和な種であることは間違いないでしょう。しかし、それでも大きな犬歯が発達しています。進化の過程において使わないものにエネルギーを費やすのは不利なので、牙は使われなければ人類のように縮小するはずです。ボノボでは争いが起こること自体がまれかもしれませんが、それでも牙は使う争いのなかで進化をしてきたということでしょう。逆にいえば、人類はそんなボノボよりも平和な生き物ということです。

萱野 同じ類人猿でも、種によってオス同士の争いの激しさが違う。その違いはどこからくるんでしょうか?

更科 考えられるうちのひとつは、オスと交尾ができる発情期のメスの比率です。チンパンジーはメスが発情していないと交尾ができませんが、ボノボの場合は疑似発情期というものがあって、メスは発情期でなくても交尾をすることができるのです。チンパンジーでは群れの5~10頭のオスに対して発情しているメスの割合は1頭ですが、ボノボの場合は2~3頭のオスにメス1頭という割合です。ゴリラはその中間ぐらい。私たちヒトには発情期はありませんが、初期人類でも発情期がなくなっていた可能性があります。そうであれば、初期人類もヒトと同じように男女比は1対1に近くなっていたのではないでしょうか。このオスに対して交尾できるメスの比率は、チンパンジー、ゴリラ、ボノボ、人類と、オス同士の争いが激しい種の順と相関しているのです。

萱野 結局、オスは自分の子を少しでも多く残すために、生殖機会をめぐって他のオスと争う。人類における一夫一婦制はオス同士の争いを減少させると同時に、オスに自分の子を残す安定的な方法を提供したのかもしれませんね。

更科 基本的に自然選択というものは、「多くの子を生んだほうが残る」ことが原則です。走るのが速い、力が強い、知能が高いといった特性も進化に有利に思われがちですが、究極的には“子の数”だけが問題なんです。走る速さや知能の高さは、子の数には直結しませんよね。しかし、直立二足歩行で子に食べ物を運ぶという行動は子の生存率を高めるわけですから、子の数と直結します。これは自然選択ではものすごく強く働くわけです。

萱野 相乗的な効果になりますよね。最初は一夫一婦制は群れの一部で成立していただけかもしれないけれど、そちらのほうが子を多く残せるのであれば、同じように一夫一婦制のもとで自分の子に食べ物を運ぶ個体がどんどん増えていく。と同時に、オス同士も争いを減らして集団の結束を強めていくことになりますから、それも生存には有利に働く。

更科 それぞれが自分の利益と欲望のために争うよりも、長期的に見れば争いが少なくて平和なほうが理にかなっているわけです。もちろん、進化そのものはそういった“理想”を考慮するはずもなく勝手に進んでいくものですが。人類の場合でも争いが減って集団が大きくなることで、結果的に他の種からの防衛力も高まることにつながり、それも進化を促進させたのでしょう。もちろん、人類同士で争いがなくなったわけではなく、ネアンデルタール人でもホモ・サピエンスでも殺し合いをした痕跡は見つかっています。ただ、化石として出てくる証拠を比べると、かなり少ない。死亡率を推定するのは難しいのですが、約700万年の人類の歴史を見てみると、同種間の争いは減少傾向にあったと思われます。ただ、グラダナ大学のホセ・マリア・ゴメス氏の論文「人類における致死的暴力の系統的起源」で紹介されていますが、数千年前からそれが再び増えてきたという研究もあるんですね。

■人類の本性は暴力的なのか!?

萱野 非常に興味深い研究です。人類のあいだで農耕が始まった時期が約1万年前ですね。もしこの研究の内容が妥当なものだとすれば、人類は進化の過程で平和な関係を築いてきたにもかかわらず、農耕社会に入ることによって暴力性を高めたと考えることも可能です。日本の場合でも、縄文時代の人間の化石からは他の人間によって殺された痕跡はあまり出てこないが、農耕が始まった弥生時代以降の化石からは一気にその痕跡が増える、という研究もあります。果たして人間の暴力性は、農耕以降の社会制度によって高められたのかどうか。かつてマルクス主義は、狩猟採集社会から農耕社会になったことで支配関係が生まれ、国家の原型が形成され、それによって戦争もなされるようになったと考えました。他方で、マルクス以前の哲学者では、本性として人間は暴力的な傾向を宿していると考える人も少なくありません。

更科 例えばホッブズの社会契約説では、無政府状態では人間は常に争いを起こすと言われていますよね。実際、現代でも無政府状態に陥ると略奪が起きたりします。化石からは人類の本性であるとか支配関係というものは当然見えてきませんが、オス同士の争いが減ってきたことは間違いないと考えられます。それと1万年前以降の人類同士の暴力が増えてきたということが私のなかではうまくつながらないんです。ただ、殺し合いをするということは、それによって得られるものがあるということですよね。つまり、何か奪えるものがなければ、大規模な殺し合いは起きない。

萱野 おっしゃる通りだと思います。その日の獲物ぐらいしか奪うものがなければ、他の集団と戦争をするメリットはありません。農耕以前は人間の数も少ないし、他の集団と接触することも少なかったでしょうから、集団同士の戦争のような争いはほとんど起こらなかったのではないでしょうか。それが農耕社会になると、ストックされた収穫物や家畜だけでなく、土地さえもが奪い合いの対象となる。また、農耕によって人口も増えましたから、食料を生産したり調達したりする土地も手狭になり、他の集団と接触する機会も増え、近接の集団とテリトリーをめぐる争いが起こるようになったのかもしれません。マルクス主義の学説をどこまで認めるかという問題とは別に、人類社会のあり方が進化することによって、暴力が大規模に組織化されるようになったという側面は確かにあると思います。人間は農耕社会が始まってから、問題解決の手段として暴力を用いることがもっとも早くて有効だということを、社会制度を作りながら学んでいったのかもしれません。

更科 確かに暴力がもっとも手っ取り早いかもしれない。

萱野 チンパンジーのオスがメスをめぐって殺し合うのも暴力ですし、人間が政治の世界で従わないものを処罰したり戦争をしたりするのも暴力です。人類は進化の過程でメスをめぐって殺し合うような暴力を集団内で減らすことには成功した。それは、そのほうが子を残すには有利だったから。しかし、農耕社会以降の大規模な定住社会になると、集団のなかで従わない人間を処罰したり他の集団と戦争をしたりするために組織的に暴力を用いるほうが、自分たちの子を残すには有利になった。そんなふうに暴力をめぐるベクトルが、約1万年前に大きく変化したのかもしれませんね。

更科 人類が進化の過程で抑えてきたのは主にメスをめぐる争いなので、現代の戦争のような暴力とはまた違いますよね。チンパンジーはメスの取り合いで日常的に殺し合いをしていますが、人間はさすがにそんなことはありません。そのレベルでは、人類はチンパンジーと比べて平和な種だともいえます。

■人間の新たな傾向性の分岐点

萱野 更科先生は、文明が人類の暴力性を高めたと考えますか?

更科 新たな暴力性を付け加えたという感じではないでしょうか。人間の殺人はチンパンジーの殺し合いと比べて圧倒的に少ない。チンパンジーのオスの3~5割は、それで死にますから。人間の戦争のような暴力は、身近な人ではなく、基本的に遠くの人を殺すものですよね。古代の人類は、そもそも自分たちの集団の外にいる遠くの人を、ほとんど認識することはできませんでした。そういう意味でも、戦争のような暴力は、人類にとっては新しい行動なのかなと思います。

萱野 有史以降の人間社会を観察すると、そこには一貫して「仲間は殺すな」「敵は殺せ」というふたつの傾向性があることがわかります。仲間や身内を守るために結束して敵と戦う。仲間や身内のあいだでは暴力を排除する傾向性を発揮しているのですが、自分たちに対立する敵に対しては容赦なく暴力を行使する傾向性があるのです。さらには、集団のメンバーであっても、その連帯を破壊する裏切り者や犯罪者は徹底的に排除してきた。こうした、仲間や身内のなかで団結して平和と生存を維持するという意識は、ひょっとしたら数百万年前の人類から私たちに受け継がれてきたものかもしれません。

更科 それが文明という新しい環境にさらされることによって人類に新たな暴力性を付け加えたと考えると、うかつに「古代の人類は本質的に平和だったのに、現代は……」みたいに二極対立で考えるのはあまり意味がないですね。

萱野 現在の人間が生きている環境は、古代の人類が直面していなかったものですからね。

更科 文明が始まってから人類が別の生物に進化したわけではないですが、環境が変化したことによって性質も変わってきたと。

萱野 人間の経済活動の規模が大きくなるにつれて、人口も増え、地球が狭くなったということもあるでしょうね。かつてチンパンジーと人類の共通祖先が暮らしていた森林が狭くなったのと同じように。

更科 視点を変えてみれば、共通祖先からチンパンジーと人類が分岐したのと同じようなことが、今まさに起きているのかもしれません。

萱野 森林から追い出された種が人類に進化していったように、地球が狭くなることによって新しい進化が人類に起きるかもしれないと。今がその淘汰と進化の分かれ目になっている可能性があるというのは、人類史を俯瞰することで初めて得られる視点ですね。

更科 功
1961年生まれ。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。東京大学大学院理学系研究博士課程修了。専門は分子古生物学。『化石の分子生物学――生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)で第29回講談社科学出版賞を受賞。その他の著書に『絶滅の人類史――なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)、『進化論はいかに進化したか』(新潮選書)など。

萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。

萱野俊人と巡る【超・人間学】ーー「化石人類から見える人間の根源」(後編)

(前編はこちら)

――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。(月刊サイゾー7月号より)

今月のゲスト
更科 功[分子古生物学者]

萱野稔人の新連載企画。前号に引き続き、分子古生物学者の更科功氏をゲストに招いて“人類の進化”を論じ合う。更科氏は“一夫一婦制”が人類を特有の方向に進化させたという。その真意は――!?

■進化を促進させた一夫一婦制

萱野 前回の最後で更科さんはこうおっしゃっていました。「(人類において)オス同士の争いが減っていったことと直立二足歩行の進化が同時に起きたことを説明することができる仮説がひとつだけあって、それが“一夫一婦制”です」と。

 チンパンジーの場合、群れのなかでオスもメスも複数の相手と交尾をしますよね。ですので、生まれてきた子の父親は誰かわからず、子は群れのなかで育っていく。これに対して、人類はオスとメスが一対一のつがいとなって子を生み、そのつがいが子を育てる“一夫一婦制”のなかで進化してきた、ということですか?

更科 もちろん、チンパンジーのような多夫多妻から人類がすぐに完全な一夫一婦制になったわけではありません。最初は集団の中に一夫一婦的なつがいが少しいるだけでいいんです。例えば、一匹のオスが複数のメスと交尾をして何人もの子を作っていたとしても、あるとき「これは自分の子だ」とわかる子がいて、自分の子に優先的に食べ物を持ってくる。そういう行動をとるオスが集団内に数頭できるだけでかまわないんです。

萱野 オスが浮気をしなくなったということではなくて、どの子が自分の子かわかるようになることが重要なんですね。そもそも“浮気”は一夫一婦制が確立してから生まれた概念なので、順序が逆ですし。

更科 チンパンジーのような多夫多妻の場合は、発情している数少ないメスに多くのオスが集中します。それでオス同士の争いが起きるわけです。そして、メスもオスを基本的には誰でも受け入れる。ですから、子どもの父親はわかりません。しかし、完全ではないとしても一夫一婦的なつがいができることによって、全体としてはオス同士の争いは減りますよね。その形質が自分の子に受け継がれていくことで一夫一婦制が広がって、オス同士の争いはさらに減っていきます。その結果として、犬歯の縮小を説明することができるのです。

萱野 集団のなかで特定のオスが特定のメスと安定的な関係を維持するようになり、それが集団内で互いに承認されるようになって、オス同士の争いが減っていったということですね。

更科 他の霊長類でも一夫一婦制に近い生態をとっている種もありますが、大抵はオスとメスが孤立して二匹だけで生きている。集団内でオスとメスがペアを作っているのは人類だけなんです。それは今おっしゃったように、その関係性が集団全体で承認されているといってもいいでしょう。

萱野 集団内で特定のオスとメスの関係が承認されていけば、オス同士のメスをめぐる争いも減っていく。その結果、犬歯の縮小が進んでいったと。では、そのことは直立二足歩行と、どう関係するのでしょうか?

更科 直立二足歩行は先ほども言ったように自分の生存には不利な進化です。ですから、チンパンジーのように誰が自分の子かわからない状態だったら、直立二足歩行は進化しません。他人かもしれない子に食べ物を運ぶよりは、自分で食べてしまったほうが得なわけですから。自分にとって損な行動が進化する可能性があるのはひとつだけ。それは自分の子が他の子より生き残る可能性が高まる場合です。そのためには自分の子が判別できなくてはいけない。一夫一婦制であれば自分の子がわかりますから、その子のために食べ物を運んでくる意味があります。そうして育った子は、直立二足歩行で自分の子に食べ物を運ぶという形質を受け継ぎます。一夫一婦制が生まれることによって、直立二足歩行と犬歯の縮小というふたつの進化がいっぺんに説明できるのです。

萱野 なるほど。となると、一夫一婦制が人類の進化に果たした役割はきわめて大きいですね。

更科 そうです。現代に生きる私たちが特定の相手に愛情を感じてパートナーにしようとすることが、一夫一婦制が進化してきた証拠ではないでしょうか。チンパンジーだったら、同じような年齢と健康状態であれば相手を選びません。しかし、人間は違う。それは人類が一夫一婦制的な形質を受け継いできたからだと思います。

■人類の進化と暴力の減少

萱野 とても興味深いのは、人類が進化してきた初期の段階ですでに、現在の人間社会における結婚や家族の原型があらわれているということです。こうした人間関係のあり方は、進化論的にいっても、人類の根源的な社会形態だと考えてもいいのかもしれません。

更科 チンパンジーも食べ物を分け合うことはありますが、それは仲間に要求されて仕方なく分け前を与えるだけです。人類のようなパターンは他の霊長類には見られない行動です。

萱野 例えば同じ類人猿でもボノボはとても平和な種として知られていますが、なぜ人類のような進化が生まれなかったのでしょう。

更科 ボノボもチンパンジー同様に多夫多妻の群れを作りますが、争いが起こりそうになると性器をこすり合わせるなどして緊張を解きます。争いが起きることがあっても、殺し合いになるようなことはまだ観察されていないようですし、チンパンジーやゴリラと比べてかなり平和な種であることは間違いないでしょう。しかし、それでも大きな犬歯が発達しています。進化の過程において使わないものにエネルギーを費やすのは不利なので、牙は使われなければ人類のように縮小するはずです。ボノボでは争いが起こること自体がまれかもしれませんが、それでも牙は使う争いのなかで進化をしてきたということでしょう。逆にいえば、人類はそんなボノボよりも平和な生き物ということです。

萱野 同じ類人猿でも、種によってオス同士の争いの激しさが違う。その違いはどこからくるんでしょうか?

更科 考えられるうちのひとつは、オスと交尾ができる発情期のメスの比率です。チンパンジーはメスが発情していないと交尾ができませんが、ボノボの場合は疑似発情期というものがあって、メスは発情期でなくても交尾をすることができるのです。チンパンジーでは群れの5~10頭のオスに対して発情しているメスの割合は1頭ですが、ボノボの場合は2~3頭のオスにメス1頭という割合です。ゴリラはその中間ぐらい。私たちヒトには発情期はありませんが、初期人類でも発情期がなくなっていた可能性があります。そうであれば、初期人類もヒトと同じように男女比は1対1に近くなっていたのではないでしょうか。このオスに対して交尾できるメスの比率は、チンパンジー、ゴリラ、ボノボ、人類と、オス同士の争いが激しい種の順と相関しているのです。

萱野 結局、オスは自分の子を少しでも多く残すために、生殖機会をめぐって他のオスと争う。人類における一夫一婦制はオス同士の争いを減少させると同時に、オスに自分の子を残す安定的な方法を提供したのかもしれませんね。

更科 基本的に自然選択というものは、「多くの子を生んだほうが残る」ことが原則です。走るのが速い、力が強い、知能が高いといった特性も進化に有利に思われがちですが、究極的には“子の数”だけが問題なんです。走る速さや知能の高さは、子の数には直結しませんよね。しかし、直立二足歩行で子に食べ物を運ぶという行動は子の生存率を高めるわけですから、子の数と直結します。これは自然選択ではものすごく強く働くわけです。

萱野 相乗的な効果になりますよね。最初は一夫一婦制は群れの一部で成立していただけかもしれないけれど、そちらのほうが子を多く残せるのであれば、同じように一夫一婦制のもとで自分の子に食べ物を運ぶ個体がどんどん増えていく。と同時に、オス同士も争いを減らして集団の結束を強めていくことになりますから、それも生存には有利に働く。

更科 それぞれが自分の利益と欲望のために争うよりも、長期的に見れば争いが少なくて平和なほうが理にかなっているわけです。もちろん、進化そのものはそういった“理想”を考慮するはずもなく勝手に進んでいくものですが。人類の場合でも争いが減って集団が大きくなることで、結果的に他の種からの防衛力も高まることにつながり、それも進化を促進させたのでしょう。もちろん、人類同士で争いがなくなったわけではなく、ネアンデルタール人でもホモ・サピエンスでも殺し合いをした痕跡は見つかっています。ただ、化石として出てくる証拠を比べると、かなり少ない。死亡率を推定するのは難しいのですが、約700万年の人類の歴史を見てみると、同種間の争いは減少傾向にあったと思われます。ただ、グラダナ大学のホセ・マリア・ゴメス氏の論文「人類における致死的暴力の系統的起源」で紹介されていますが、数千年前からそれが再び増えてきたという研究もあるんですね。

■人類の本性は暴力的なのか!?

萱野 非常に興味深い研究です。人類のあいだで農耕が始まった時期が約1万年前ですね。もしこの研究の内容が妥当なものだとすれば、人類は進化の過程で平和な関係を築いてきたにもかかわらず、農耕社会に入ることによって暴力性を高めたと考えることも可能です。日本の場合でも、縄文時代の人間の化石からは他の人間によって殺された痕跡はあまり出てこないが、農耕が始まった弥生時代以降の化石からは一気にその痕跡が増える、という研究もあります。果たして人間の暴力性は、農耕以降の社会制度によって高められたのかどうか。かつてマルクス主義は、狩猟採集社会から農耕社会になったことで支配関係が生まれ、国家の原型が形成され、それによって戦争もなされるようになったと考えました。他方で、マルクス以前の哲学者では、本性として人間は暴力的な傾向を宿していると考える人も少なくありません。

更科 例えばホッブズの社会契約説では、無政府状態では人間は常に争いを起こすと言われていますよね。実際、現代でも無政府状態に陥ると略奪が起きたりします。化石からは人類の本性であるとか支配関係というものは当然見えてきませんが、オス同士の争いが減ってきたことは間違いないと考えられます。それと1万年前以降の人類同士の暴力が増えてきたということが私のなかではうまくつながらないんです。ただ、殺し合いをするということは、それによって得られるものがあるということですよね。つまり、何か奪えるものがなければ、大規模な殺し合いは起きない。

萱野 おっしゃる通りだと思います。その日の獲物ぐらいしか奪うものがなければ、他の集団と戦争をするメリットはありません。農耕以前は人間の数も少ないし、他の集団と接触することも少なかったでしょうから、集団同士の戦争のような争いはほとんど起こらなかったのではないでしょうか。それが農耕社会になると、ストックされた収穫物や家畜だけでなく、土地さえもが奪い合いの対象となる。また、農耕によって人口も増えましたから、食料を生産したり調達したりする土地も手狭になり、他の集団と接触する機会も増え、近接の集団とテリトリーをめぐる争いが起こるようになったのかもしれません。マルクス主義の学説をどこまで認めるかという問題とは別に、人類社会のあり方が進化することによって、暴力が大規模に組織化されるようになったという側面は確かにあると思います。人間は農耕社会が始まってから、問題解決の手段として暴力を用いることがもっとも早くて有効だということを、社会制度を作りながら学んでいったのかもしれません。

更科 確かに暴力がもっとも手っ取り早いかもしれない。

萱野 チンパンジーのオスがメスをめぐって殺し合うのも暴力ですし、人間が政治の世界で従わないものを処罰したり戦争をしたりするのも暴力です。人類は進化の過程でメスをめぐって殺し合うような暴力を集団内で減らすことには成功した。それは、そのほうが子を残すには有利だったから。しかし、農耕社会以降の大規模な定住社会になると、集団のなかで従わない人間を処罰したり他の集団と戦争をしたりするために組織的に暴力を用いるほうが、自分たちの子を残すには有利になった。そんなふうに暴力をめぐるベクトルが、約1万年前に大きく変化したのかもしれませんね。

更科 人類が進化の過程で抑えてきたのは主にメスをめぐる争いなので、現代の戦争のような暴力とはまた違いますよね。チンパンジーはメスの取り合いで日常的に殺し合いをしていますが、人間はさすがにそんなことはありません。そのレベルでは、人類はチンパンジーと比べて平和な種だともいえます。

■人間の新たな傾向性の分岐点

萱野 更科先生は、文明が人類の暴力性を高めたと考えますか?

更科 新たな暴力性を付け加えたという感じではないでしょうか。人間の殺人はチンパンジーの殺し合いと比べて圧倒的に少ない。チンパンジーのオスの3~5割は、それで死にますから。人間の戦争のような暴力は、身近な人ではなく、基本的に遠くの人を殺すものですよね。古代の人類は、そもそも自分たちの集団の外にいる遠くの人を、ほとんど認識することはできませんでした。そういう意味でも、戦争のような暴力は、人類にとっては新しい行動なのかなと思います。

萱野 有史以降の人間社会を観察すると、そこには一貫して「仲間は殺すな」「敵は殺せ」というふたつの傾向性があることがわかります。仲間や身内を守るために結束して敵と戦う。仲間や身内のあいだでは暴力を排除する傾向性を発揮しているのですが、自分たちに対立する敵に対しては容赦なく暴力を行使する傾向性があるのです。さらには、集団のメンバーであっても、その連帯を破壊する裏切り者や犯罪者は徹底的に排除してきた。こうした、仲間や身内のなかで団結して平和と生存を維持するという意識は、ひょっとしたら数百万年前の人類から私たちに受け継がれてきたものかもしれません。

更科 それが文明という新しい環境にさらされることによって人類に新たな暴力性を付け加えたと考えると、うかつに「古代の人類は本質的に平和だったのに、現代は……」みたいに二極対立で考えるのはあまり意味がないですね。

萱野 現在の人間が生きている環境は、古代の人類が直面していなかったものですからね。

更科 文明が始まってから人類が別の生物に進化したわけではないですが、環境が変化したことによって性質も変わってきたと。

萱野 人間の経済活動の規模が大きくなるにつれて、人口も増え、地球が狭くなったということもあるでしょうね。かつてチンパンジーと人類の共通祖先が暮らしていた森林が狭くなったのと同じように。

更科 視点を変えてみれば、共通祖先からチンパンジーと人類が分岐したのと同じようなことが、今まさに起きているのかもしれません。

萱野 森林から追い出された種が人類に進化していったように、地球が狭くなることによって新しい進化が人類に起きるかもしれないと。今がその淘汰と進化の分かれ目になっている可能性があるというのは、人類史を俯瞰することで初めて得られる視点ですね。

更科 功
1961年生まれ。東京大学総合研究博物館研究事業協力者、明治大学・立教大学兼任講師。東京大学大学院理学系研究博士課程修了。専門は分子古生物学。『化石の分子生物学――生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)で第29回講談社科学出版賞を受賞。その他の著書に『絶滅の人類史――なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)、『進化論はいかに進化したか』(新潮選書)など。

萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。