過酷な受験戦争が生んだ、中国の「教育アプリ」の進化

――あまりにも速すぎるデジタルテクノロジーの進化に、社会や法律、倫理が追いつかない現代。世界最大の人口14億人を抱える中国では、国家と個人のデータが結びつき、歴史に類を見ないデジタルトランスフォーメーションが進行している。果たしてそこは、ハイテクの楽園か、それともディストピアなのか――。

■作業幇(ゾウイエバン)

2014年に、中国の小中高校生向けに、宿題の写真をスマートフォンでアップロードすると、その「解き方」を探してくれるアプリとして誕生した。またオンライン上で1対1の学習指導などをおこなってくれる有料サービスなども備えている。もともと百度(バイドゥ)から生まれたが、スピンアウトして有力ベンチャーキャピタルから出資を受けて、現在はユニコーン企業(時価総額1000億円以上の未上場企業)のひとつに数えられている。

「中国の受験戦争は、比喩じゃありません。本当の戦いなんです」

 2019年6月7日朝、北京市内の空気はいつもよりも張り詰めていた。何しろこの日は、中国全土の高校3年生たちが、これからの人生を大きく左右することになる大学入試の統一試験「高考」を受験する日だからだ。

 たまたま取材のために北京に滞在していた私は、受験会場に足を運んで、たくさんの受験生たちがやってくる様子を眺めに行った。同行してくれたのは、中国の最高学府である清華大学大学院生の夏目英男さん(23)だ。

 今年は1031万人の生徒がこの一発勝負のテストに挑み、どの大学に入学できるかが決まる。超名門の清華大学や北京大学、浙江大学を頂点にして、場合によってはわずか1点の差で、14億人の学歴ヒエラルキーにおける位置づけが決まってしまう。

学歴社会の中国では受験生たちへのプレッシャーも大きい

 ちなみに学歴社会で知られる中国にとって、ことさら受験生たちが受けるプレッシャーは半端なものではない。

 さらに日本の大学受験よりも過酷なのは、中国には私立大学という選択肢が事実上ないことだ。いわゆる東京大学や京都大学などの国立大学に落ちても、慶応大学や早稲田大学に行けばいい、という「逃げ道」がほとんどないという。

 会場まで、両親がマイカーで送りにくるケースも多い。そしてお弁当を抱えて、会場の外で待機して、我が子の奮闘を祈っているのだ。

「もう6年前に受験したのですが、この日が来ると、反射的に緊張しますね」

 自身も留学生向けの高考を経験している夏目さんによれば、中国には高校生活のすべてをこの日のために捧げている生徒が、たくさんいるのだという。誰もが知っている名門校は、衡水市(河北省)にある「衡水中学校」だ。

 全寮制のこの高校では、まるで牢屋のように鉄格子がはまった部屋で、起床から就寝まで、分刻みで勉強のスケジュールが組まれている。ランチタイムを過ごす食堂で、テキストを読みながら行列している姿は、中国でも賛否両論あるという。

 しかし、一流大学に合格すれば、出自に関係なく大きなチャンスがつかめるのも事実。そのタフな戦いのために役立つのが、ものすごいスピードで進化している中国の「教育アプリ」だ。

 中国のエドテク(教育テクノロジー)に詳しい人が、一様に注目株として名前を挙げるのが、作業幇(ゾウイエバン)というスマートフォンのアプリだ。

 14年に始まったこのサービスは、K12(幼稚園から高校)の子どもたちが、あらゆる学習をすることができるモバイルプラットフォームだ。
 このサービスが面白いのは、人工知能を使った「宿題の解き方」を教えてくれる機能。例えば数学のプリントで、わからない問題があったら、すかさずスマホのカメラで撮影をすればいい。

 そうすると自分が悩んでいる問題と、似たような問題をデータベース上から自動的に探し出してくれて、どうやれば解くことができるのかという「解き方」をアドバイスしてくれるのだ。だから数学が苦手でも、このアプリを片手に理解を進めることができる。

 さらにこのアプリを通して、動画によるオンライン授業であったり、1対1の家庭教師サービスであったり、リアルタイムで質問をすることができる「バーチャル塾」のようなサービスも展開されている。

 日本の子どもたちの多くは塾にせっせと通っているが、ここ中国では、スマートフォンを使ってオンラインレッスンを受けることが当たり前になっているという。

「合計ユーザー数は1.3億人以上、毎月利用しているアクティブユーザーも9000万人に上っています。信じられない人数です」と、同社に出資している、投資ファンドのレジェンドキャピタルの幹部は証言する。

 同じように、ユニークな教育アプリは数多く誕生している。

 さらに巨大なエドテク企業となっているのが、猿補導(ユェンフーダオ)だ。あらゆる科目のオンライン授業を、スマートフォン上で受けることができるこのサービス。教師のキャラクターや難易度もさまざまだ。

 アプリを開いてみると、トップ大学を目指している生徒に向けた「オンライン夏期講習」の受講者を募集していた。7月13日から20日にかけて8日間、午後7時から9時までのライブストリーミング講座は、合計で299元(約5000円)で参加できる。

 ひとりあたりの授業料は高くはないけれども、すでにこの授業は1241人(6月8日時点)もの受講者が集まっており、単純計算で500万円近いレッスン料が集まることになる。

 授業が始まると、スマホ画面の横いっぱいにホワイトボードが広がり、そこに数式や解き方などが次々と書き込まれてゆく。

 また右端上には教えている先生のライブ映像が、右端下にはチャット形式で生徒たちとのやり取りが表示される。

 それぞれの先生には受講者からのレビューコメントがついており、「前回110点だったテストの成績が、先生の授業を受けてから134点に上がりました!」といった声が並んでいる。

 まさにオンラインショッピングや、オンライン動画といったモバイル時代のビジネスが、そのまま受験勉強に「応用」されている印象だ。

 夕日が沈む頃、中国全土の高考の初日を終えた生徒たちが、それぞれの家族らと共に自宅に帰ってゆく。この日のことは、大学受験をしたあらゆる中国人にとって、忘れがたい1日になるようだ。

 教育は国家100年の計にあり、とは昔からよく言われたことだ。中国では2000年代前半まで、大学への進学率は、10%前後だったといわれる。それが近年、30%から40%にまで上がっている。

 しかし今でも、北京や上海などの都市部と、地方都市などでは、教育をめぐる環境格差が大きいのが実態だ。だからこそテクノロジーを駆使した、スマートフォンを使った学習アプリが、次々に生まれてきている。

 例え良い教師や学校になかなか恵まれない環境にあったとしても、教育アプリをつかえば中国全土の名門校の「過去問」などが手に入り、オンライン授業であれば地理的なハンディキャップも埋めることができるのだ。

 また今回は紹介することができなかったが、オンラインのみならず、リアルな学校空間もテクノロジーによって進化をつづけている。例えばカメラによる顔認識の技術を使って、いま生徒がどのくらい授業に集中しているのか、といった状況をデジタル的に分析することができるサービスなども登場しているという。

 筆者が勤めるNewsPicksにも、中国出身の女性エンジニアの同僚がいる。30代前半の彼女も上海にある全寮制の高校で、朝から晩まで、3年間にわたって勉強をしたのだという。いきさつがあって、大学は日本の理系大学としてはトップの東工大に進学した。

「勉強ばかりの高校生活を送ったので、日本の大学入試は楽勝でした」

 良いか、悪いかではなく、中国にはこうした過酷な受験レースで勝ち上がった人たちがいる。その頭脳は、長期的にこの国の競争力になるに違いない。(月刊サイゾー7月号より)

後藤直義(ごとう・なおよし)
1981年生まれ。青山学院大学文学部卒。毎日新聞社、週刊ダイヤモンドを経て、2016年4月にソーシャル経済メディア『NewsPicks』に移籍し、企業報道チームを立ち上げる。グローバルにテクノロジー企業を取材し、著書に『アップル帝国の正体』(文藝春秋)など。

累計5400万部、50年超黙殺されてきた創価学会・池田大作の『人間革命』本としての評価は?

――創価学会の池田大作名誉会長による『新・人間革命』が昨年完結を迎えた。同シリーズは毎年ベストセラーになることから、学会員ではなくともその存在は知られているが、この本の「物語」や「商品」としての出来はどんなものだったのだろうか?

『人間革命』は第二代会長・戸田城聖の激動の半生と、教団立ち上げまでを第三代会長・池田大作が書き上げた。

 出版取次大手の日販とトーハンが発表した、今年上半期のベストセラー本。昨年9月に他界した女優・樹木希林の『一切なりゆき』(文藝春秋)が両社のランキングで総合1位に、『樹木希林 120の遺言』(宝島社)も日販3位に入り、話題になった。

 一方、その陰に隠れている印象を受けるのが、両ランキングで総合2位にランクインした『新・人間革命 第30巻 下』(聖教新聞社)である。これは国内最大の新宗教団体「創価学会」の池田大作名誉会長が、「聖教新聞」で25年近くにわたり毎日連載していた日本史上「最長の新聞小説」の最終巻だ。

自己啓発本を50倍くらい濃くした読まれ方

 1965年元日号~93年まで「聖教新聞」に連載された『人間革命』は、戦時中に牢獄に入れられた第二代会長の戸田城聖が出獄するシーンから物語が始まり、戸田の死後、若き山本伸一(=池田大作)が創価学会の第三代会長に就任して広宣流布の使命を引き受けることで終わる。

「『人間革命』は創価学会の真実の歴史が描かれた物語としてだけではなく、若き山本伸一や周囲の会員たちの奮闘の姿を通して、自らの悩みや苦しみの解決策を読みとっていくという、自己啓発本を50倍くらい濃くした読まれ方がされています。自らの悩みをぶつけながら同書を読み、仏法という教えの一端を涙ながらに理解し、実践していく……。これは『身読』と呼ばれ、会員として推奨される読み方のひとつとされています」とは、現役の学会員。

 続編の『新・人間革命』は、会長に就任した山本がハワイに訪れて世界広布を開始するところから始まり、最終巻では長年対立してきた日蓮正宗の迫害から会員を守るために会長を辞任。その後、反転攻勢をかけて、日蓮正宗から破門されるが、それを「魂の独立」として捉え、青年たちに「創価三代の師弟の魂を受け継いでもらいたい」と訴えて、完結を迎える。

 同書は創価学会という組織の中で、どのような機能を果たしてきたのだろうか? 戦後日本の宗教史を専門とする創価大学名誉教授の中野毅氏は、こう語る。

「もともと『人間革命』は第二代会長の戸田が始めた連載小説のタイトルであり、さらに『人間革命』という言葉自体は、戦後最初の東京大学総長である南原繁が、卒業生へ祝辞などで使った言葉でした。南原は、戦後の日本は政治も社会も大きく変わる必要があるが、最も重要なのは日本国民の精神的変革であり、そのためには(キリスト教信仰に基づく)精神革命、『人間革命』が必要だと説きました。それに対して戸田は『キリスト教で真の人間革命はできず、日蓮の仏法でしか人間革命はできない。実際に自分はそのことを、身をもって体験した』という思いから、自身の小説のタイトルにしたようです。それを引き継いだのが池田第三代会長による『人間革命』『新・人間革命』です。同書は折伏(布教活動)などにも活用されてきましたが、いまや創価学会の中心的聖典となったとも言えます。特に『新・人間革命』は今を生きている一般の会員が会長と共に物語に登場して描かれることから、池田会長への信頼感や親近感、師弟不二の感情や使命感を高める『参加型の聖典形成』という重要な働きもあったと思います」

 他方で出版流通の側面から同書を見てみると、65年に第1巻がミリオンセラーになったのを皮切りに、書店では毎年、確実に大口で売れる商品として非常に魅力的な存在となっている。ある出版関係者はこう語る。

「『人間革命』はひとりの購入者が20~30冊注文することもあり、個人商店でも100~200冊近くは売れます。さらに大型書店は棚に揃えるために置くこともありますが、同書は通常の委託販売とは違って、買い切り【註:返品しないことを条件に仕入れる商品】扱いのため、消化率100%で『広辞苑』(岩波書店)の売れ方に近いですね」

『新・人間革命』は第三代会長・池田大作が広宣流布のために行ってきた海外での活動と、学会員たちの活躍を描いた生きる教典。

 それでは、肝心の物語としての出来はどうだったのだろうか? ドストエフスキーや宮沢賢治に関する著作の多い文芸評論家の清水正氏は、次のように評する。

「日蓮大聖人の教えを世界に向けて広宣流布していくうえで、池田氏や学会員が苦難を乗り越える過程が書かれていますが、小説の名を借りた布教のためのルポルタージュのようでもあり、いわゆる文学とは違いますね。ある意味で池田氏がかつて日本正学館【註:戸田城聖が経営していた出版社】に勤めていた頃に手がけた、子ども向けの偉人の伝記から一歩も出ていない。伝記に『この偉人は実は好色だった』などと書かないわけですが、同じように『人間革命』も『陽と陰』でいうところの『陽の側面』しか描かないんです。しかし、『陰の側面』という、その抑圧された問題こそが文学的には重要で、自己の問題として正面から向き合い、掘り下げないといけない。外部の問題として、他人のせいにしている限りは文学にはなり得ません。ドストエフスキーは善と悪、神と悪魔が永遠に決着のつかない戦いをしている姿を小説という形で描いている。しかし、『人間革命』にはそういったものは描かれていません。離反した幹部たちとの確執であったり、池田氏を殺そうとした人たち……。そういった事件や出来事を、自分の内部の問題として、ちゃんとえぐり出して小説の中に描いていれば文学になるんですよ」

『人間革命』は歴史小説と題して一般流通しているが、学会員の経典・布教用の出版物としても機能しているため、ネガティブなことは書けない。創価学会が世界的に発展するさまを描いた『新・人間革命』では池田氏の神格化がさらに進んで、いよいよ「陽の側面」ばかりが強調されている節もある。こうした点は学会内部で、どのように考えられているのか?

「『人間革命』『新・人間革命』は中心的な当事者である池田会長が書く創価学会の歴史であり、第三者が書いた歴史ではない。そのため、多くの学会員は『創価学会の正史』として受け止めていますが、同書にも書かれているように、むしろ創価学会の『精神の正史』です。また、『新・人間革命』が91年の日蓮正宗からの分離後に発刊されたことからも、この本は創価学会が日蓮仏教の正統な後継集団であることを証明し、池田氏の会長としての役割や判断を正当化する目的もあったと言えるでしょう」(中野氏)

 ところで、『新・人間革命』の物語が現在まで続かずに00年代で終わったということで、巷で噂されている池田氏の健康状態によるところなのかと勘ぐってしまうが、実は全30巻で完結することは連載当初から決まっていたことでもある。一方で、死活問題なのが、これまで同書を販売することで潤っていた出版業界だ。

「どの書店も今年の11月の前年比は、確実に下がります。月商1000万円の店舗で毎年200冊売り上げていた場合だと、おおよそで20万円、2%の影響です。そもそも、ひとつの書店で100冊以上売れる本というのは『ワンピース』(集英社)ぐらい。コミックでは『ワンピース』の刊行があるかないかで、前年比5~10%くらい変わることもありますが、『人間革命』が分類される社会・宗教ジャンルだと前年比50%を切る可能性もある。ということは、毎年11月に確実に発売されていた『人間革命』は『ワンピース』以上に安定していたのかもしれません。そのため聖教新聞社で、取次向けに行われた最終巻の説明会では、『新しい書籍もそのうち……』という話もあったらしいのですが、何か出してもらわないと先行きは不安ですね」(前出・出版関係者)

 独自の出版文化ができているようだが、『人間革命』と『新・人間革命』は文庫版・ワイド版を合わせ、18年時点で累計5400万部発行されてきた事実は確かだ。しかし、我々は『人間革命』を読み生きてきた数百万の人々のことを知らないまま、平成を終え、令和を迎えてしまった。

 沈黙のベストセラーがない、令和時代の出版業界と創価学会はこの先どうなるのだろうか。(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

LGBTペンギンを棚から外せ! 米国で禁書扱いされる創作童話・児童文学

――前記事では海外での童話の規制事情を紹介してきたが、実は創作童話や児童文学の締め付けも厳しいみたいで……。

 何百年も前の童話の中には今の価値観だと許されないような表現や描写もあるだろう。その結果、前記事でも紹介したような排除運動が起きているわけだが、憂き目にあっているのは童話だけではない。

 米国では図書館や学校に対して行政ではなく、保護者がクレームを申し立て、特定の地域だけで禁書にされた創作童話や児童文学がある。わかりやすいのは、人種差別的だという『ハックルベリー・フィンの冒険』や、反キリスト教的だとしてやり玉に挙げられていた『ハリー・ポッター』シリーズだろう。一方で、イマイチよくわからない理由で禁書に指定された本もある。

 例えばディズニー映画でもおなじみの『クマのプーさん』は06年にカンザス州の一部地域において「動物が人間の言葉を話すという表現は神への侮辱」という理由で、禁書になっている。また、カンザスつながりでいえば『オズの魔法使い』は「子どもに無利益であり、子どもを臆病にさせる」という理由で、シカゴやテネシーなどの図書館や学校で禁止されたこともある。

 さらに、ニューヨークの動物園で赤ちゃんペンギンを育てる2羽の雄ペンギンの実話を描いた『タンタンタンゴはパパふたり』(日本語版・ポッド出版)という絵本は、05年の出版以降、多くの保守的な地域で「LGBTQIA+コンテンツだから」という理由で禁書となった。ちなみに、シンガポールでは14年に国立図書館で破棄処分されている。

 そして昨年も同じような理由で、『にじいろのしあわせ~マーロン・ブンドのあるいちにち~』など、LGBT理解と個性の尊重を訴える児童書や絵本が何冊も禁書扱いされた。「宗教」や「教育」という名目なのかもしれないが、大人の思惑で子どもたちから本を取り上げていいのだろうか。

――学校や図書館から童話を取り上げる動きはスペインに限ったことではない。ここでは各地で行われている童話の追放運動を見ていこう。

●ディズニー版ですらNGなの?

カタール

2016年、SEKインターナショナル・スクール・カタールという私立学校に通う生徒の保護者が、学校の図書館に置いてあったディズニー版『白雪姫』は「性的な描写を連想させ、イラストや文章が教育上好ましくない」という理由(どのシーンかは不明)で、カタール最高教育審議会(SEC)にクレームを申し立て、SECは学校側に本を撤去するように命じた。「The Guardian」紙によると、性的、もしくは品位を欠くという理由で、コンテンツに検閲が入ることはカタールでは珍しくないという。


●「相手の同意なしのキス」は有害

イギリス
 

2017年、ニューカッスルの学校に通う息子が借りてきた『いばら姫』を現代版に描いた児童文学を見た保護者が、同書で描かれている「眠っていて意思表示ができない女性にキスをするという行為は、『相手の同意なしに性的行為に及ぶ』というレイプの根本的問題と重なる」として、学校の教材から外すべきだと主張。ツイッターでも問題のページを開いた写真と「#MeToo」のハッシュタグを用いて問題提起したが、彼女のクレームに対しては多くの反対意見が上がった。


●行政が主導して童話を排除?

オーストラリア 

2017年、メルボルンがあるビクトリア州政府は、学校や幼児教育にジェンダーバイアスを見直す教育プログラムの一環として、教室内にあるおもちゃや絵本の中に、男女のステレオタイプを助長するようなものがあれば排除すると、一部報道で伝えられた。このプログラムが実行されることで『シンデレラ』、『美女と野獣』、『ラプンツェル』などの童話が教室から撤去されると問題視されたが、州政府は「童話を締め出すことはあり得ない」と説明した。


●そもそも禁書が多すぎる!

米国各地 

上のコラムでもいくつか紹介しているが、米国では図書館に対して、「この本を置くな」と市民団体からクレームが寄せられたり、学校が指定する課題図書にも「こんな本を子どもに読ませるな」と保護者が噛みつくことがあり、これまでに数多くの本が禁書扱いされてきた。童話もご多分に漏れず、90年にはカリフォルニア州の2つの校区で『赤ずきん』の「子どもなのにワインを持っている」イラストが問題視されて禁書となった。(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

昔話が図書館から消える! 『美女と野獣』は性差別的な物語!? ポリコレ的にNGな童話の世界

――『赤ずきん』、『シンデレラ』、『いばら姫(眠れる森の美女)』……誰もが知っている定番の童話に、ポリティカル・コレクトネスの波が迫っている。4月18日付の「The Guardian」紙の報道によると、このほどスペイン・バルセロナにある複数の学校で、「ジェンダーに関する固定観念や、差別的な要素が含まれる本」を図書室から排除する動きが進んでいるという。

 ある学校では、委任を受けた調査団体が幼児向けの蔵書約600冊を精査。登場人物の発言内容と役回りを1冊ずつ調べ上げた結果、約200冊について「教育的な価値がない」との判断を下した。海外ニュースサイト「The Local」のスペイン版によると、その中には『赤ずきん』、『シンデレラ』、『いばら姫』、『美女と野獣』といった、メジャーなタイトルも含まれている。こうした童話で描かれる女性は「勇者である男性の救助を待っている存在」として描かれることが多く、それが男女のステレオタイプを助長してしまうと問題視されているようだ。

「幼児は身の回りに起こることすべてを吸収します。そのため、この時期に性差別的な固定観念に触れると、それを当たり前のものとして受け取ってしまう」というのが、調査団体の主張。しかし、その一方で前出の「The Local」が取材したある図書館職員は「古典文学には独自の価値があり、検閲は危険な行為。行き過ぎたポリティカル・コレクトネスは、守るべきフェミニズムの価値観をかえって傷つけかねない」と、警告している。

 本稿では、このようにポリティカル・コレクトネスで排除されていく童話の現状を、識者の意見を交えながら明らかにしていきたい。

スペインの判断は童話を理解していない

 まず、今回スペインで下された判断について、グリム童話の専門家はどのように考えているのだろうか? 梅花女子大学大学院教授・武庫川女子大学名誉教授・日本ジェンダー学会会長の野口芳子氏はこう語る。

「スペインでの出来事については、『何を考えているんだ!』という思いです。確かに、ジェンダーは時代や社会によって変わるもので、求められる『男らしさ』と『女らしさ』も変わっていきます。だからといって、過去のジェンダー観が反映されている物語や昔話を排除すると、ジェンダーを歴史的に理解する機会を子どもから奪うことになります」

 過去を否定するのではなく、理解することが重要ということだが、そもそもジェンダーに限らず、童話や昔話というものは常に身近な教訓の教科書でもあった。野口氏は『赤ずきん』を例に挙げ、次のように解説する。

「1697年にシャルル・ペローがまとめた『赤ずきん』が収録されている『教訓をともなった昔話』は、当時のフランス国王・ルイ14世の姪に捧げられたものです。ペローの『赤ずきん』は最後に赤ずきんが狼に食べられて終わりますが、彼は19歳の貴族の令嬢に向けて『若い娘が知らない男の言葉に耳を貸すと、食べられてしまうよ』という、自身の身を守るための『教訓(モラリテ)』が付いた『昔話』を書いたのです」

 時代がくだり19世紀、『グリム童話集』に収録された『赤ずきん』は、口承で語り継がれた性的な部分を削除し、より教育的な側面が強くなったという。

「ドイツのグリム兄弟に『赤ずきん』を伝えたのは、ハッセンプフルーク家という良家の娘たちでした。一家はフランス移民で、父親が州知事を務めるくらいでしたから、貴族向けに書かれたペローの昔話も知っていたはずです。しかし、グリム兄弟の『赤ずきん』の内容はペローとは異なります。グリム版では祖母と娘が食べられて終わるのではなく、猟師によって救出される話になっているのです。さらに、その経験を生かして、今度は祖母と2人で狼をやっつけるという、後日談も入れています。つまり、悪い狼にやられた経験を生かして、やり返した娘と祖母の話として提供されているのです。この後日談は初版から入っており、あとで書き加えられた話ではありません。要するに主人公の成長、イニシエーションを語る昔話としての『赤ずきん』が提供されているのです。というのも、グリム兄弟の『赤ずきん』の想定されていた読者層は貴族ではなく、市民だったからです」(同)

 このように伝承を改変し、良いしつけを意図した一般市民の近代的な価値観に合わせて描かれていたはずの物語が、21世紀に入ると教育現場から排除される可能性も出始めたというわけだ。それでは、スペインの調査団体は、こうした物語の本質を理解していないということなのだろうか?

「(調査団体が批判している)『男による女の救出』とか『女は男に頼らないといけない存在』といったメッセージは、そもそも『赤ずきん』にはないのです。フランスのロワール地方に流布している口承のバージョンでは、赤ずきんは狼に食べられるのではなく、知恵を絞って狼を出し抜きます。人狼(ブズー)に食べられそうになると『おしっこがしたい』と言って家の外に出て、逃げられないように狼によって足に結ばれた紐を、赤ずきんはスモモの木に結びつけて、一目散に逃げます。騙されたと気づいた狼は追いかけますが、間に合いません。ここでは赤ずきんは無知で騙されやすい少女などではなく、知恵を絞って狼を出し抜く賢明でたくましい娘です。つまり、生産者である中世の農民の姿が反映されているのです。近代の消費者としての女性には『おとなしく、従順で、かよわい』ジェンダーが求められますが、中世の生産者としての女性は『賢く、勇敢で、したたかな』ジェンダーが求められています。このように昔話を読むことで、ジェンダーは『時代によって社会によって変遷する』ということが学び取れます。それによって、その時代のジェンダー観に縛られることなく、『もっと自由に生きていいのだ』という、気持ちを子どもが感じ取ることこそが、本当のジェンダー教育ではないでしょうか。だから、今のスペインの動きは間違っていると思います」(同)

 グリム童話研究の第一人者から、手厳しい声が上がるスペインの判断。『昔話にみる悪と欲望――継子・少年英雄・隣のじい』(青土社)などの著作を持つ、千葉大学名誉教授の三浦佑之氏もこの動きに批判的だ。

「出版されたのは過去のものなんだから、それをあろうことか、図書館が進んで『ダメな本です』と、喧伝するのは非常に良くない。童話に限らず、図書館はあらゆる本を提供する場所で、利用者は読みたい本を自由に選ぶ権利がありますから、本来であれば、たとえ殺人を教唆するような内容であっても、過去の本はすべて公開するべきでしょう。その一方で、子ども向けの本は教育と密接に関わりますから、物語の内容が教育上よろしくないという理由で規制がかかったり、時代によって新しい装いを取ったりということは、しばしば行われてきました。特に戦後は、戦前までの教科書に使われていた物語が禁止とされました。太平洋戦争後、GHQによって検閲された『桃太郎』はいい例ですよね。このように物語を排除する、あるいは、残酷な表現はやめて、もっとやさしい内容に書き換えるといったことは、いつの時代も行われてきたと思います」

『桃太郎』は戦時中、その内容から軍国主義の普及とスローガンに利用され、「桃太郎が真珠湾を攻撃する」というアニメまで制作されたが、その結果として戦後は教科書から消えてしまった。書き換えに関しても今回、スペインで排除の対象となったグリム童話も、前述したようにさまざまな口承をグリム兄弟が市民道徳に合うよう“調整”し、不純な性描写や残酷描写を取り除いた結果、今でも世界的に親しまれる作品になった。また、現在、絵本や児童書として市場に出回っている昔話は、今の価値観にアップデートされたものがほとんどだろう。
「多くの昔話は作者がいるわけでもないし、決まった形が定められているわけでもない。そのため、口伝によってバリエーションが増えて、変わっていくんです。変わっていくというのは、面白く変わっていくこともあれば、前述の『桃太郎』のように政治的な意図をもって変えられることもあり、誰かの都合によって変えられることもある。しかし、基本的には、そういった流れを淘汰できる物語だけが残っていくわけですから、今回のスペインのように一方的に昔話を規制するのはあってはならないことです」(同)

 今回のスペインにおける動きは世界中で報道され、議論を巻き起こしている。しかし、このようなポリティカル・コレクトネス的な観点に基づく童話の規制運動は、90年代から欧米諸国でたびたび起こっていた。

 例えば1990年には米国・カリフォルニア州の教育関係者が『赤ずきん』をやり玉に挙げ、結果として2つの校区で禁止される出来事があった。問題視されたのは「おばあちゃんへの贈り物に含まれていたワイン」である。具体的には、未成年にアルコールを扱わせたこと、狼がワインを飲み干して顔を赤くする描写などが「教育上よろしくない」とされた。

 さらに米国では92年にも、グリム童話の名作『ヘンゼルとグレーテル』に対し「魔女の品位を貶めている」と、クレームがついた。しかも、声を上げたのは自称「魔女」の女性。いわく、「この物語は『魔女を殺し、その所有物を盗んでも問題はない』という考えを植えつける」「魔女は子どもを食べたりしないし、黒帽子に長い鼻といったイメージも実態とは異なる」とのこと。さすがに、この訴えは黙殺されたが、地元の小学校ではヘンゼルとグレーテルを殺人罪の被告とした模擬裁判が行われるなど、思わぬ反響があった。

 近年では2017年、SNS上で「#MeToo」ムーブメントが盛り上がる中、イギリスの主婦が『いばら姫』の、王子による目覚めのキスを問題視。「禁止しろとまでは言わないが、(自分の息子が属する)小学校低学年のカリキュラムからは除外すべき」と、提言して炎上騒ぎとなった。この『いばら姫』について、野口氏はこう語る。

「グリム版のキスによる目覚めには性的な意味ではなく、口から生命を吹き込むという意味があるのです。西洋昔話では『キス』は精神的な愛を意味し、肉体的な『性交』を意味するものではありません。フランスのペロー版『眠れる森の美女』では、王子はキスをせず、姫と性的関係を持ちます。イタリアのバジレ版『太陽と月のターリア』では、妻帯者の王は眠っているターリアを犯して妊娠させます。『あまりに美しいので、愛の果実を摘み取った』と詩的な文章で書かれていますが、要はレイプしたのです。このバージョンを問題視するのならまだしも、グリム版のキスを問題視するのは見当違いです。グリム兄弟は結婚前に妊娠出産する南欧の『眠り姫』バージョンを、結婚後に出産する北欧の『いばら姫』バージョンに改変したのです。それによってグリム童話は広く市民社会に受け入れられてきたのです」

 木を見て森を見ず、とはまさにこのことである。このように物語の本質を理解しないまま、表面的な部分だけを見て排除してしまうのは、文化の破壊ともいえるのではないだろうか?

「童話や伝承の中に今の常識では理解できない部分はあったとしても、それを拒否するとか、なくしてしまおうとすることは許されないでしょう。例えば日本には『瓜子姫』という、ウリから産まれた瓜子姫が天邪鬼に連れ去られて木に吊るされる、あるいは殺されてしまうといった内容の民話がありますが、この物語は今の時代からすると、完全に児童虐待であり、堂々と人前で話せるものではないと思います。しかし、『こんな小さな女の子がなぜ、むごたらしく死ななければならない?』といったように、その時代の中で少女の置かれていた立場といったことを考えるには、この物語はひとつのヒントにはなるかもしれない。もっと強引に言えば、現代の女性に対する性差別を考える、ひとつのきっかけを与えるかもしれません」(三浦氏)

 前出のスペインの調査団体も、6~12歳の小学生児童については「物語を批評的に分析する能力が備わっており、性差別的な要素に自ら気づくこともある。本はそういった学びの機会を与える」と、一定の理解を示している。だが、スペインで起きたような童話排除の動きは今後、世界にも波及するのだろうか?

「スペインの場合でも図書館がどういう経緯でこの判断に至ったのかは、ニュースなどでは詳しく書かれていませんが、子どもにどういう物語を与えればいいのかは人によって立場が違うし、『この本やめよう』となったら、その時点で図書館に入らないわけですから、ないとはいえない。知らないところで、見えない規制は、すでに行われているのではないでしょうか。図書館運営の中心になってくるのは司書ですから、彼ら/彼女らの判断によるところが大きくなりそうですね。とはいえ、誰かが決まった形を作るよりも、自然のなりゆきに任せるのが本来の昔話のあり方なんじゃないでしょうか? みんなが面白いと思ったものが後世に語り継がれていくわけで、『これはダメ、これはOK』というのは、誰かが上から決めるものではないと思います」(同)

 ポリティカル・コレクトネスを重視するのも、ひとつの時代の流れではある。しかし、それにかこつけて臭いものに蓋をするような対応は、過去だけでなく未来あるいは書物そのものをも冒涜する行為であることは肝に銘じておくべきだ。(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

昔話が図書館から消える! 『美女と野獣』は性差別的な物語!? ポリコレ的にNGな童話の世界

――『赤ずきん』、『シンデレラ』、『いばら姫(眠れる森の美女)』……誰もが知っている定番の童話に、ポリティカル・コレクトネスの波が迫っている。4月18日付の「The Guardian」紙の報道によると、このほどスペイン・バルセロナにある複数の学校で、「ジェンダーに関する固定観念や、差別的な要素が含まれる本」を図書室から排除する動きが進んでいるという。

 ある学校では、委任を受けた調査団体が幼児向けの蔵書約600冊を精査。登場人物の発言内容と役回りを1冊ずつ調べ上げた結果、約200冊について「教育的な価値がない」との判断を下した。海外ニュースサイト「The Local」のスペイン版によると、その中には『赤ずきん』、『シンデレラ』、『いばら姫』、『美女と野獣』といった、メジャーなタイトルも含まれている。こうした童話で描かれる女性は「勇者である男性の救助を待っている存在」として描かれることが多く、それが男女のステレオタイプを助長してしまうと問題視されているようだ。

「幼児は身の回りに起こることすべてを吸収します。そのため、この時期に性差別的な固定観念に触れると、それを当たり前のものとして受け取ってしまう」というのが、調査団体の主張。しかし、その一方で前出の「The Local」が取材したある図書館職員は「古典文学には独自の価値があり、検閲は危険な行為。行き過ぎたポリティカル・コレクトネスは、守るべきフェミニズムの価値観をかえって傷つけかねない」と、警告している。

 本稿では、このようにポリティカル・コレクトネスで排除されていく童話の現状を、識者の意見を交えながら明らかにしていきたい。

スペインの判断は童話を理解していない

 まず、今回スペインで下された判断について、グリム童話の専門家はどのように考えているのだろうか? 梅花女子大学大学院教授・武庫川女子大学名誉教授・日本ジェンダー学会会長の野口芳子氏はこう語る。

「スペインでの出来事については、『何を考えているんだ!』という思いです。確かに、ジェンダーは時代や社会によって変わるもので、求められる『男らしさ』と『女らしさ』も変わっていきます。だからといって、過去のジェンダー観が反映されている物語や昔話を排除すると、ジェンダーを歴史的に理解する機会を子どもから奪うことになります」

 過去を否定するのではなく、理解することが重要ということだが、そもそもジェンダーに限らず、童話や昔話というものは常に身近な教訓の教科書でもあった。野口氏は『赤ずきん』を例に挙げ、次のように解説する。

「1697年にシャルル・ペローがまとめた『赤ずきん』が収録されている『教訓をともなった昔話』は、当時のフランス国王・ルイ14世の姪に捧げられたものです。ペローの『赤ずきん』は最後に赤ずきんが狼に食べられて終わりますが、彼は19歳の貴族の令嬢に向けて『若い娘が知らない男の言葉に耳を貸すと、食べられてしまうよ』という、自身の身を守るための『教訓(モラリテ)』が付いた『昔話』を書いたのです」

 時代がくだり19世紀、『グリム童話集』に収録された『赤ずきん』は、口承で語り継がれた性的な部分を削除し、より教育的な側面が強くなったという。

「ドイツのグリム兄弟に『赤ずきん』を伝えたのは、ハッセンプフルーク家という良家の娘たちでした。一家はフランス移民で、父親が州知事を務めるくらいでしたから、貴族向けに書かれたペローの昔話も知っていたはずです。しかし、グリム兄弟の『赤ずきん』の内容はペローとは異なります。グリム版では祖母と娘が食べられて終わるのではなく、猟師によって救出される話になっているのです。さらに、その経験を生かして、今度は祖母と2人で狼をやっつけるという、後日談も入れています。つまり、悪い狼にやられた経験を生かして、やり返した娘と祖母の話として提供されているのです。この後日談は初版から入っており、あとで書き加えられた話ではありません。要するに主人公の成長、イニシエーションを語る昔話としての『赤ずきん』が提供されているのです。というのも、グリム兄弟の『赤ずきん』の想定されていた読者層は貴族ではなく、市民だったからです」(同)

 このように伝承を改変し、良いしつけを意図した一般市民の近代的な価値観に合わせて描かれていたはずの物語が、21世紀に入ると教育現場から排除される可能性も出始めたというわけだ。それでは、スペインの調査団体は、こうした物語の本質を理解していないということなのだろうか?

「(調査団体が批判している)『男による女の救出』とか『女は男に頼らないといけない存在』といったメッセージは、そもそも『赤ずきん』にはないのです。フランスのロワール地方に流布している口承のバージョンでは、赤ずきんは狼に食べられるのではなく、知恵を絞って狼を出し抜きます。人狼(ブズー)に食べられそうになると『おしっこがしたい』と言って家の外に出て、逃げられないように狼によって足に結ばれた紐を、赤ずきんはスモモの木に結びつけて、一目散に逃げます。騙されたと気づいた狼は追いかけますが、間に合いません。ここでは赤ずきんは無知で騙されやすい少女などではなく、知恵を絞って狼を出し抜く賢明でたくましい娘です。つまり、生産者である中世の農民の姿が反映されているのです。近代の消費者としての女性には『おとなしく、従順で、かよわい』ジェンダーが求められますが、中世の生産者としての女性は『賢く、勇敢で、したたかな』ジェンダーが求められています。このように昔話を読むことで、ジェンダーは『時代によって社会によって変遷する』ということが学び取れます。それによって、その時代のジェンダー観に縛られることなく、『もっと自由に生きていいのだ』という、気持ちを子どもが感じ取ることこそが、本当のジェンダー教育ではないでしょうか。だから、今のスペインの動きは間違っていると思います」(同)

 グリム童話研究の第一人者から、手厳しい声が上がるスペインの判断。『昔話にみる悪と欲望――継子・少年英雄・隣のじい』(青土社)などの著作を持つ、千葉大学名誉教授の三浦佑之氏もこの動きに批判的だ。

「出版されたのは過去のものなんだから、それをあろうことか、図書館が進んで『ダメな本です』と、喧伝するのは非常に良くない。童話に限らず、図書館はあらゆる本を提供する場所で、利用者は読みたい本を自由に選ぶ権利がありますから、本来であれば、たとえ殺人を教唆するような内容であっても、過去の本はすべて公開するべきでしょう。その一方で、子ども向けの本は教育と密接に関わりますから、物語の内容が教育上よろしくないという理由で規制がかかったり、時代によって新しい装いを取ったりということは、しばしば行われてきました。特に戦後は、戦前までの教科書に使われていた物語が禁止とされました。太平洋戦争後、GHQによって検閲された『桃太郎』はいい例ですよね。このように物語を排除する、あるいは、残酷な表現はやめて、もっとやさしい内容に書き換えるといったことは、いつの時代も行われてきたと思います」

『桃太郎』は戦時中、その内容から軍国主義の普及とスローガンに利用され、「桃太郎が真珠湾を攻撃する」というアニメまで制作されたが、その結果として戦後は教科書から消えてしまった。書き換えに関しても今回、スペインで排除の対象となったグリム童話も、前述したようにさまざまな口承をグリム兄弟が市民道徳に合うよう“調整”し、不純な性描写や残酷描写を取り除いた結果、今でも世界的に親しまれる作品になった。また、現在、絵本や児童書として市場に出回っている昔話は、今の価値観にアップデートされたものがほとんどだろう。
「多くの昔話は作者がいるわけでもないし、決まった形が定められているわけでもない。そのため、口伝によってバリエーションが増えて、変わっていくんです。変わっていくというのは、面白く変わっていくこともあれば、前述の『桃太郎』のように政治的な意図をもって変えられることもあり、誰かの都合によって変えられることもある。しかし、基本的には、そういった流れを淘汰できる物語だけが残っていくわけですから、今回のスペインのように一方的に昔話を規制するのはあってはならないことです」(同)

 今回のスペインにおける動きは世界中で報道され、議論を巻き起こしている。しかし、このようなポリティカル・コレクトネス的な観点に基づく童話の規制運動は、90年代から欧米諸国でたびたび起こっていた。

 例えば1990年には米国・カリフォルニア州の教育関係者が『赤ずきん』をやり玉に挙げ、結果として2つの校区で禁止される出来事があった。問題視されたのは「おばあちゃんへの贈り物に含まれていたワイン」である。具体的には、未成年にアルコールを扱わせたこと、狼がワインを飲み干して顔を赤くする描写などが「教育上よろしくない」とされた。

 さらに米国では92年にも、グリム童話の名作『ヘンゼルとグレーテル』に対し「魔女の品位を貶めている」と、クレームがついた。しかも、声を上げたのは自称「魔女」の女性。いわく、「この物語は『魔女を殺し、その所有物を盗んでも問題はない』という考えを植えつける」「魔女は子どもを食べたりしないし、黒帽子に長い鼻といったイメージも実態とは異なる」とのこと。さすがに、この訴えは黙殺されたが、地元の小学校ではヘンゼルとグレーテルを殺人罪の被告とした模擬裁判が行われるなど、思わぬ反響があった。

 近年では2017年、SNS上で「#MeToo」ムーブメントが盛り上がる中、イギリスの主婦が『いばら姫』の、王子による目覚めのキスを問題視。「禁止しろとまでは言わないが、(自分の息子が属する)小学校低学年のカリキュラムからは除外すべき」と、提言して炎上騒ぎとなった。この『いばら姫』について、野口氏はこう語る。

「グリム版のキスによる目覚めには性的な意味ではなく、口から生命を吹き込むという意味があるのです。西洋昔話では『キス』は精神的な愛を意味し、肉体的な『性交』を意味するものではありません。フランスのペロー版『眠れる森の美女』では、王子はキスをせず、姫と性的関係を持ちます。イタリアのバジレ版『太陽と月のターリア』では、妻帯者の王は眠っているターリアを犯して妊娠させます。『あまりに美しいので、愛の果実を摘み取った』と詩的な文章で書かれていますが、要はレイプしたのです。このバージョンを問題視するのならまだしも、グリム版のキスを問題視するのは見当違いです。グリム兄弟は結婚前に妊娠出産する南欧の『眠り姫』バージョンを、結婚後に出産する北欧の『いばら姫』バージョンに改変したのです。それによってグリム童話は広く市民社会に受け入れられてきたのです」

 木を見て森を見ず、とはまさにこのことである。このように物語の本質を理解しないまま、表面的な部分だけを見て排除してしまうのは、文化の破壊ともいえるのではないだろうか?

「童話や伝承の中に今の常識では理解できない部分はあったとしても、それを拒否するとか、なくしてしまおうとすることは許されないでしょう。例えば日本には『瓜子姫』という、ウリから産まれた瓜子姫が天邪鬼に連れ去られて木に吊るされる、あるいは殺されてしまうといった内容の民話がありますが、この物語は今の時代からすると、完全に児童虐待であり、堂々と人前で話せるものではないと思います。しかし、『こんな小さな女の子がなぜ、むごたらしく死ななければならない?』といったように、その時代の中で少女の置かれていた立場といったことを考えるには、この物語はひとつのヒントにはなるかもしれない。もっと強引に言えば、現代の女性に対する性差別を考える、ひとつのきっかけを与えるかもしれません」(三浦氏)

 前出のスペインの調査団体も、6~12歳の小学生児童については「物語を批評的に分析する能力が備わっており、性差別的な要素に自ら気づくこともある。本はそういった学びの機会を与える」と、一定の理解を示している。だが、スペインで起きたような童話排除の動きは今後、世界にも波及するのだろうか?

「スペインの場合でも図書館がどういう経緯でこの判断に至ったのかは、ニュースなどでは詳しく書かれていませんが、子どもにどういう物語を与えればいいのかは人によって立場が違うし、『この本やめよう』となったら、その時点で図書館に入らないわけですから、ないとはいえない。知らないところで、見えない規制は、すでに行われているのではないでしょうか。図書館運営の中心になってくるのは司書ですから、彼ら/彼女らの判断によるところが大きくなりそうですね。とはいえ、誰かが決まった形を作るよりも、自然のなりゆきに任せるのが本来の昔話のあり方なんじゃないでしょうか? みんなが面白いと思ったものが後世に語り継がれていくわけで、『これはダメ、これはOK』というのは、誰かが上から決めるものではないと思います」(同)

 ポリティカル・コレクトネスを重視するのも、ひとつの時代の流れではある。しかし、それにかこつけて臭いものに蓋をするような対応は、過去だけでなく未来あるいは書物そのものをも冒涜する行為であることは肝に銘じておくべきだ。(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

刑務所で食らった本とは? A-THUGとBESが激白するラッパーの“獄中読書”

――先ごろ、再始動した伝説的ヒップホップ・グループのSCARS。リーダーのA-THUGと重要メンバーのBESは刑務所に服役したことがあるが、収監中にどのような読書をしていたのだろうか――。獄中で喰らった本たちについて、2人が赤裸々に語る!

 “言葉”を生業とするラッパー。その中には刑務所にブチ込まれることになった者も少なくない。“塀の中”といえば、世間の情報が限りなくシャットアウトされているはずだが、そうした環境で彼らはどのようにして本に触れ、そこに書かれた言葉に何を感じたのか――。

 折しも、2000年代のいわゆるハスリング(ドラッグ売買を意味するスラング)・ラップ・ブームを牽引した伝説的グループ、SCARSが再始動した今、そのメンバーであり、“諸般の事情”により複数回の服役経験があるA-THUG(以下、A)とBES(以下、B)に話を聞かないわけにはいかない。ストリートの現実をラップし、数々のパンチラインでヘッズをうならせてきた2人のリリシストに、“獄中の読書”体験を語ってもらった。

「XXL」まで読める! 収監中にゲトれた雑誌

A BES君は何回刑務所に行ったんだっけ?

B 2回かな。最初に入ったときは「シャバに戻ったら派手に稼いでやる」って思ってたけど、2回目はさすがに心が折れた。もう2度と行きたくない。

A 何がそんなにキツかったの?

B やっぱ、雑居(房)での人間関係だね。些細なことで足をすくおうとしたり、しょうもない見栄を張ってマウンティングしてきたり。そういうクソめんどくせぇヤツらとかかわりたくなかった。トニー君(A-THUGの別称)は4回入ってるんだよね?

A うん。初犯のときの刑務所は雑居にいたけど、再犯以降はほとんど独居(房)だった。確かに、雑居はめんどくさいよね。整理整頓もちゃんとしなきゃいけないし、初犯だとオナラやゲップするときは申告して「失礼しました」って言わなきゃいけないから。でも、独居はそういうのは全然ないから、靴下とかそこらへんに脱ぎ捨ててたもん(笑)。

B 俺の場合、雑居はウザかったけど、部屋長が本当に優しい人でね。だから、その人の刑期が終わるまで残って、見送った後に独居に移った。刑務所って問題のある人間が集団生活してるから、そのへんはオヤジ(刑務官)たちも臨機応変に対応してるみたい。独居では本を読むようになったな。あと、雑誌も。
 

A 雑誌は意外と読めるよね。拘置所や刑務所の面会所に売店があるから。俺は「週刊プレイボーイ」(集英社)が好きだった。娯楽から社会の動きまで、いろんな記事が載ってて面白い。

B どの施設にも雑誌や書籍を取り寄せる目録があって、雑誌は好きなヤツが結構読めるよね。でも、買うためには当然金が必要。刑務作業ですずめの涙程度の金はもらえるけど、あんなんじゃ全然足りない。

A そうそう。だからシャバの仲間から差し入れてもらえる金が重要になってくる。一回に受け取れる本の冊数は決まってるけど。差し入れだと、俺がいた月形刑務所では海外の雑誌も読めたよ。施設によっては読めない場合もあるけど、「XXL」みたいなヒップホップ雑誌を読めたこともある。

B 注文できる雑誌は刑務所によって違うけど、基本的にヤクザ系や刺青系はダメ。最初は「実話時報」(休刊)くらいだったけど、2回目のときは「実話ナックルズ」(大洋図書)、「週刊実話」(日本ジャーナル出版)もダメって言われた。あと、エロ本も。規制がどんどん厳しくなってるみたい。

A マジで!? 「べっぴんDMM」(現「月刊FANZA」)ももうダメなのかな? 298円で安いから、大人気だった。性犯罪で捕まるヤツが増えたから、エロ本も見れなくなったのかも。だとしたら、懲役が懲役の首を絞めてるようなもんだ……。

B 俺は差し入れてもらったヒップホップ系ファッション誌の「411」(休刊)をよく読んだ。いっぱいウェアやスニーカーが紹介されていて、売ってる店や値段も書いてあったから、眺めるだけで楽しかった。

A 「シャバに出たら、これ買いたいなぁ」ってね。そういう意味では、俺らは恵まれてたと思うよ。ほとんどの受刑者はシャバに仲間がいなくて、差し入れなんてしてもらえないんで。俺は中にいたとき、友達が「FREE A-THUG」って言ってくれてるのを知って、スゲー感動したのを覚えてるよ。だって、中には身寄りのいない人たちもいっぱいいるからさ。

A そういう金がない人たちは、よく官本を借りて読む。

B 官本っていうのは、施設が貸してくれる本だよね。わかりやすく言えば図書館みたいなシステムだけど、蔵書量としては本棚レベルって感じかな。でも、量は施設によって違う。あと、官本は基本的には拘置所や刑務所にしかないけど、本が読める留置場もたまにある。

A ここでパクられてからの流れを簡単に説明しておくと、まず警察署の留置場に入れられる。その後、起訴された場合、保釈の許可が下りたら一回シャバに出られるけど、そうじゃないと裁判が終わるまで3〜4カ月は拘置所にいなきゃいけない。で、裁判で実刑判決が下ると、どの刑務所に入るか決める分類センターに行かされて、面接がある。

B 留置場、拘置所、刑務所はどこも朝6時か6時半に起床。留置場だと昼間は結構ゴロゴロできるけど、拘置所だとそうもいかない。ものすごく細かい規則がたくさんあって、少しでも違反すると懲罰。刑務所の場合、昼間は刑務作業がある。自由時間は夕方5時くらいからで、消灯は夜9時。

A 娯楽はテレビ、ラジオ、読書って感じ。本は購買部、目録で取り寄せ、差し入れ、官本のどれかで手に入れる。ただ、官本は古い本が多いかも。その中だと、ケータイ小説の『Deep Love』(スターツ出版)を読んだ。
B どの施設にも官本の目録があって、読みたい本の番号と自分の番号を書いて提出すると、「掃夫」っていう役割の懲役が部屋まで持ってきてくれる。一回に借りられるのは大体3冊までかな。で、受刑者が施設の本を全部読みきっちゃうと、「官本交換」といって新しい本棚が来る。500冊とか。交換する時期は施設で違うけど、俺がいたところは2週間に1回くらいだった。

A 川越少年刑務所にいたときは、手塚治虫のマンガを読んだよ。『ブラック・ジャック』(秋田書店)、『ブッダ』(潮出版社)、『火の鳥』(朝日新聞出版)とか。特に『ブッダ』は全巻読んで超感動した! あと、『火の鳥』のどのエピソードか忘れたけど、「若い頃はマリファナ吸って、クラブに行って女の子をナンパしろ」って書いてあった(笑)。

B 『ブッダ』は全巻揃ってなかったなぁ。俺は『ゴーマニズム宣言』(扶桑社)を読んでみたんだけど、難しすぎて全然わかんなかったわ。

A わかんないといえば、村上春樹。官本で読んだけど、マジでどこが面白いのかさっぱりわかんねぇ!

B 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮文庫)とかの人でしょ? 頭がおかしくなりそうになって、途中でぶん投げた(笑)。

A それだったら、映画とミュージカルが有名な『アニー』【1】なんかを読んだほうがいい。アニーって人生をめっちゃストラグル(もがく)しててさ。あれを読んで、信念を曲げずに生きることの大切さを学んだ。最後にすごく幸せなことが起こるし、イイ本だね。

B 本は差し入れてもらうことも多いよね。

A うん、俺は映画の原作本をいっぱい差し入れてもらったな。『スカーフェイス』『カリートの道』『ブロウ』みたいなギャングものが多かったけど、映画『スラムドッグ$ミリオネア』の原作である『ぼくと1ルピーの神様』【2】も読んだ。インドの悲惨なゲトーで育った少年がクイズ番組でとんでもない賞金をゲトる話だけど、俺も川崎のストリートでサバイブしてきたから、かなりグッときた。

B 俺が印象に残ってるのは、シュン君(DJ/トラックメイカーのONE-LAW)が差し入れてくれた『ヘルズ・キッチン』【3】。登場人物の男がいろいろやらかして刑務所に入るんだけど、そこでレイプされちゃうシーンがあってね。そしたら俺が入ってるときに、おっちゃん同士でヤッて懲罰受けた人たちがいてさ。それはレイプじゃないんだけど、リアルに感じて衝撃を受けたよ。

A それはエグいなぁ……。

B エンタメ系もわりと読んだね。伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』【4】とか。違うスキルを持った4人の犯罪者が強盗をやる話なんだけど、基本的には会話劇でさ。テンポがいいから、スゲー読みやすい。ひとつのトピックに対して4人それぞれが違う視点を持ってるのが面白かった。あと、馳星周の『生誕祭』【5】もよかったね。

A 昔、新宿でバーテンやってて、映画にもなった『不夜城』(角川文庫)を書いた人だよね?

B そうそう。『不夜城』の原作は暴力描写がスゴいけど、『生誕祭』のテーマは暴力じゃなくて欲望。80年代後半の東京が舞台で、主人公はもともと六本木のディスコの黒服なんだ。バブル時代の東京でいろんな人と知り合って、地上げでものスゴい大金を動かすようになる。

A 普通に面白い系だと、都市伝説の本をよく読んだな。ちなみに、俺はオバケも宇宙人もまったく信じてないんだけど、横浜拘置所にはマジでオバケが出る! あそこの独居に入ると、耳鳴りはスゴいし、何度も金縛りに遭った。もちろん体は疲れてないのにね。霊感なんて全然ないんだけど、あの独居だけはもう行きたくない……。

B 音楽系の本もちょくちょく読んだね。例えば、ボブ・マーリーの奥さんのリタ・マーリーが書いた『ボブ・マーリーとともに』【6】。ボブ・マーリーって聖人みたいなイメージがあるけど、意外とゲスいこともやらかしてる人なんだなって思った。

A そうなんだ(笑)。でも俺、ボブ・マーリーの詩集『バイブス ボブ・マーリィの波動』(宝島社)には結構パワーもらったよ。

B そういうのを読んで、獄中でリリック書いたりした? 俺は無理だった。少なくとも雑居じゃ書けない。イラついて全然集中できない。

A ちゃんとしたリリックじゃないんだけど、本を読んで気になったフレーズはノートにメモってたよ。50セントの『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』【7】って自伝小説に書いてある、「夜明け前は一番暗い」とかね。「冬の寒いなか路上で夜中にクラック【註:アメリカの貧困地区で蔓延したクラック・コカインのこと】を売っても、時給8ドルで働いてるマックの店員より稼げないことはある」という一文も、スゲー共感した。ほかには『タルムード』【8】にもインスパイアされたんだけど、知ってる?

B 知らないなぁ。

A ユダヤ教の聖典で、人生の究極みたいなことしか書いてないんだ。「たとえ右手がなくなったとしても、左手でできることを考えろ」「足がなくなっても、首があることに感謝しろ」とかね。人生っていろいろつまずくじゃん。でも、そんなんで気持ちを持ってかれちゃうのはダセーぞってことが、延々と書かれてるんだよ。

B なるほど。やっぱ、ムショにいるときはアガる本がいいね。そういう意味では、日本人がアメリカの刑務所に入ってチカーノ・ギャングになった『KEI チカーノになった日本人』【9】とか、日系2世のアメリカ人がイタリアン・マフィアの大幹部にまで登り詰めた『モンタナ・ジョー マフィアのドンになった日本人』(小学館)みたいな自伝、ノンフィクションが超面白かったよ。まあ、どっちも俺とはスケールが違いすぎて、あそこまでタフにはなれないんだけど。

A 結局、シャバにいたって人は裸一貫で生きてかなきゃいけないってことなんだよ。「GUNS AND BUTTER」っていう黒人のことわざがあってさ。“BUTTER”は富の象徴で、金とかドラッグみたいに持ってるとイキがれるもの。けど、いざというときに身を守ってくれるのは“GUN”なわけじゃん。つまり、人生は戦いってことだと思うんだ。暴力的になれってことじゃなくてね。俺は刑務所の読書でそういう人生のヒントを得た。
B でも、俺はもう2度と入りたくないな……。

A そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない? ムショも社会のシステムのひとつにすぎないから。俺の趣味はイリーガルなものばかりだから、またキャッチされるかもしれない。けど、俺らはこのシステムで生きていくしかないわけで。

B トニー君は本当に強い人だよね。だから、前向きに考えられるし、逆境をチャンスに変えられると。ドラッグで壊れちゃったこともある俺はそこまで強い人間じゃないけど、信念だけはしっかり持たなきゃいけないと思ってる。それはムショの中で学んだし、こうしてトニー君と本の話をしても強く感じた。

A BES君も『タルムード』を読みなよ。SCARSのメンバーとして、一緒に生きていこう。Live for everything, die for nothing!(月刊サイゾー7月号『ヤバい本150冊』より)

A-THUG(エーサグ)


1980年、川崎市川崎区生まれ。2000年代、SCARSのリーダーとして頭角を現わす。その後、ソロ・アルバム『BRIGHT SON!!』などを発表。最新作はEP『PLUG』。近年は、KNZZやKILLA EAT、DJ J-SCHEMEと共にDMF(DAWG MAFIA FAMILY)としても活動している。

 

 

 

 

 

BES(ベス)

1978年、東京生まれ。SWANKY SWIPEのメインMCとして活動を始め、SCARSに加入。2007年に「UMB」で準優勝に輝き、08年発表の1stソロ・アルバム『REBUILD』は高く評価された。近作に『CONVECTION』、ISSUGIとの『VIRIDIAN SHOOT』がある。


 

 

 

 

 

◇◇◇

 

【1】『アニー』
トーマス・ミーハン/三辺律子訳/あすなろ書房(14年)
11歳の孤児の少女アニーが孤児院を抜け出し、まだ見ぬ両親を探しにいく。苦難の連続を乗り越えた先で、アニーを待つものとは――。そんな超人気ミュージカルの小説版が、こちら。


 

 

 

【2】『ぼくと1ルピーの神様』
ヴィカス・スワラップ/子安亜弥訳/ランダムハウス講談社(06年)
舞台はインド。孤児ラムはクイズ番組で難問を正解し、超高額賞金を獲得するが、不正が疑われて逮捕。ラムはなぜ難問に答えられたのか? 映画『スラムドッグ$ミリオネア』の原作。


 

 

 

【3】『ヘルズ・キッチン』
ジェフリー・ディーヴァー/澁谷正子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫(02年)
主人公ペラムは、放火犯として逮捕された老婦人の無実を証明するため、真犯人を探す。ニューヨークのヘルズ・キッチンを舞台に、ギャングや孤児など土地に根づいた人間が登場。


 

 

 

【4】『陽気なギャングが地球を回す』
伊坂幸太郎/祥伝社文庫(06年)
それぞれ違うスキルを持った4人が銀行強盗を実行。見事成功したかのように見えたが、逃走中に「売上」を横取りされてしまう。映画を観ているかのようなスピード感ある文体が特徴の本作は、著者の出世作である。


 

 

 

【5】『生誕祭』
馳星周/文春文庫(06年)
80年代後半、バブル全盛期の東京。六本木のディスコでバイトする彰洋は、幼馴染みの麻美と偶然再会し、若き不動産屋の美千隆を紹介される。彰洋は美千隆に影響され、地上げで大金を動かす楽しさを知ってしまう。


 

 

 

 

【6】『ボブ・マーリーとともに』
リタ・マーリー/山川真理訳/河出書房新社(05年)
ボブ・マーリーの妻リタ・マーリーの自伝。夫であるボブを「レゲエの神様」ではなく、ひとりの人間として見た彼女の貴重な証言が綴られる。妻しか知り得ないボブの意外な逸話もアリ。


 

 

 

【7】『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』
50セント/江口研一訳/青山出版社(06年)
「9発の銃弾を撃ち込まれた男」こと50セントの自伝小説。ニューヨーク・クイーンズのゴロツキだった彼が、ラッパーとして成り上がる過程が描かれる。書名は自身の大ヒット作から。


 

 

 

【8】『タルムード入門Ⅰ』
A・コーヘン/村岡崇光訳/教文館(98年)
ユダヤ教徒の信仰、生活の基になっているといわれる聖典『タルムード』。もともとはラビ(僧侶)が『旧約聖書』をさまざまな角度から解釈した対話を記録したものとされる。本書をはじめ、解釈本が多数刊行されている。


 

 

 

【9】『KEI チカーノになった日本人』
KEI/東京キララ社(09年)
FBIの囮捜査で捕まったKEIはLAの刑務所に服役した。獄中でたったひとりの日本人として孤立した彼は、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)・ギャングのボスと運命的に出会う。そうした壮絶な半生の記録である。

ジャニーズ大混乱!関ジャニ∞解散説&錦戸退所騒動舞台裏

突然求心力を失ったジャニーズの今後は?

――関ジャニ∞だけでなく、TOKIOや山下智久などの退所も噂されるジャニーズ事務所。さまざまな情報が錯綜する一方で、これまでは事務所側の圧力とメディア側の忖度が相まって、こうした報道がなされることも少なかった。今やタブーではなくなりつつあるジャニーズの、崩壊の行方と今後の再生に注目が集まっている。

ジャニーズ大混乱!関ジャニ∞解散説&錦戸退所騒動舞台裏の画像1
売れない時代には、地方のライブハウスめぐりなどをして、共に研鑽を積んでいた関ジャニ∞のメンバーたち。輝かしい時代は、うつろいゆく……。

 創業者でありゴッドファーザーであったジャニー喜多川氏の死去や、独禁法の疑いで公正取引委員会から注意を受けるなど、事務所の存続そのものに激震が走っているジャニーズ事務所。

 そんな中で、最近とみに叫ばれているのが、“関ジャニ∞の5大ドームコンサートツアーの最終日となる9月3日の東京公演で、グループの解散が発表されるのでは”というニュースだ。

 すでに今年の3月に「週刊文春」(文藝春秋)が、錦戸亮がグループの解散を主張し、脱退も辞さない状態であることを報じた。それ以降、ジャニーズ事務所の不振と共にこの話題はファンをもやもやさせてきたが、さらに7月14日にツアー初日である札幌で行われたあいさつが、「錦戸や大倉忠義らの脱退」や「グループの解散」を匂わせるものだったとして、ファンや芸能記者たちの間で一斉に確信めいた話として語られるように。以降、9月の最終公演を待つ形となっている。

 あるエンタメ雑誌の記者は語る。

「関ジャニ∞のメンバーが、解散を含めた件で大モメしており、すでに再起不能なほどに関係が悪化していることは事実のようです。私もあるメディアでインタビューを依頼されていたんですが、突然中止になりました。仲がいいジャニーズの担当者に理由を聞いてみたんですが、『お察しください』という回答のみ。言外を勘ぐるに、メンバー間の仲が悪くて一緒に現場に居合わせられないということなのかなと思っています」

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求められるのは気遣いのできる国民性?――『奈々子』が一番大事

『藤崎奈々子』

求められるのは気遣いのできる国民性?――『奈々子』が一番大事の画像1

タレント・藤崎奈々子が『今夜くらべてみました』の生放送で結婚を発表。その日はフィギュアスケート選手アリーナ・ザギトワがゲストだったものの、結婚発表に重きを置いた演出に批判が続出。藤崎とザギトワ、「どっちが人気者かくらべてみました」ということだったのだろうか。

 7月24日放送の『今夜くらべてみました』(日本テレビ系)で、結婚を発表した藤崎奈々子。ところが、その演出方法について批判が殺到している。この日は“緊急生放送”と銘打ち、「千葉に住む有名人が結婚発表」などと煽り、番組後半まで引っ張った挙げ句、出てきたのが藤崎奈々子ということで肩透かしをくらった人が多かったのだろう。若い人にいたっては「藤崎奈々子って誰?」という声もあり、しかも、ロシアのフィギュアスケート選手アリーナ・ザギトワがゲスト出演しているにもかかわらず、ゲストそっちのけで結婚発表に時間を割いた構成に不満の声が上がった。

 だが、ちょっと待ってほしい。スポーツに一切興味のない私から言わせてもらえば、むしろ「ザギトワって誰?」という話であって、そんな天然記念物の鳥類みたいな名前の人は知らないのである。だったら若かりし頃に好きだった藤崎奈々子のほうに興味がある。確かに既に“過去の人”感はあって「あまり見ない」という点では、彼女のほうが天然記念物っぽくはある。

それに、私ですら彼女が今何でメシを食っているのかはわからない。ただ「老後に2000万円ないと生きていけない」などと言われ戦々恐々としている日本で、なんだかわからないけど食えているというのは、実に頼もしいではないか。

【五所純子/ドラッグ・フェミニズム】倉庫作業員・チヒロの一刻一秒の自立と麻薬

――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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中学時代、チヒロが援デリで頻繁に利用したラブホテル。(草野庸子/写真)

 国道の向こう岸に錆びた虹が浮かぶ。東京近郊にある歓楽街のはずれ、ラブホテルの窓は暗幕が張られ、室内の光を漏らさない。チヒロは14歳のときに働いていた“職場”を見上げる。辺りの空気が重くならないように、肩をすくめて軽く笑った。

「いまは倉庫作業の仕事をしてます。時給1150円、週5フルタイムで残業35時間。女子少年院を出てから働いてるので、2年目かな」

 Tシャツにジーンズにサンダル、チヒロは仕事帰りにラフな服装で現れた。眼鏡越しに化粧映えのしそうな顔立ちがあるが、ほとんど素顔で取り繕うところがない。はきはきと話し、どんな質問も逸らさず、自分を大きく見せようとも小さく見せようともしない。

「もとは外面がいい奴だったんですよ。お母さんとそっくり。表面的にはいい家族で、年に何度もディズニーランドに行ってたし、私も小学校のときは超成績優秀でした。でもお父さんが浮気してて、お母さんは離婚して仕事始めて子ども育てて。『私が何か悪いことした?』が口癖で、自分と同等の苦労を子どもに強要しがちな人で、よく怒ってました。だから私、嘘つくのと逃げるのが上手になりました」

 母の携帯電話のなかで父は“バカ”という名で登録されていた。母も子もそれを見て笑った。あのとき母と一緒に苦しんであげればよかった、とチヒロは言う。父には親近感を覚えない。

「グレる子って先生に反抗するじゃないですか。私、ルールを破ることは多かったけど、先生とうまくやる子でした。小さな先生みたいな気になって、同級生に上からもの言ってましたね」

 日和見主義は子どもでも嗅ぎ分ける。クラスの中心役を気取ったチヒロは、どのグループにも属せず孤立する自分にふと気づいた。有能さや生真面目さはそれだけでは人間関係で逆効果になることがある。「手のひらを返したみたい」に人が離れた日のことを、チヒロはどんな薬物体験よりも逮捕劇よりも、いちばん重大事のように語った。

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――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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中学時代、チヒロが援デリで頻繁に利用したラブホテル。(草野庸子/写真)

 国道の向こう岸に錆びた虹が浮かぶ。東京近郊にある歓楽街のはずれ、ラブホテルの窓は暗幕が張られ、室内の光を漏らさない。チヒロは14歳のときに働いていた“職場”を見上げる。辺りの空気が重くならないように、肩をすくめて軽く笑った。

「いまは倉庫作業の仕事をしてます。時給1150円、週5フルタイムで残業35時間。女子少年院を出てから働いてるので、2年目かな」

 Tシャツにジーンズにサンダル、チヒロは仕事帰りにラフな服装で現れた。眼鏡越しに化粧映えのしそうな顔立ちがあるが、ほとんど素顔で取り繕うところがない。はきはきと話し、どんな質問も逸らさず、自分を大きく見せようとも小さく見せようともしない。

「もとは外面がいい奴だったんですよ。お母さんとそっくり。表面的にはいい家族で、年に何度もディズニーランドに行ってたし、私も小学校のときは超成績優秀でした。でもお父さんが浮気してて、お母さんは離婚して仕事始めて子ども育てて。『私が何か悪いことした?』が口癖で、自分と同等の苦労を子どもに強要しがちな人で、よく怒ってました。だから私、嘘つくのと逃げるのが上手になりました」

 母の携帯電話のなかで父は“バカ”という名で登録されていた。母も子もそれを見て笑った。あのとき母と一緒に苦しんであげればよかった、とチヒロは言う。父には親近感を覚えない。

「グレる子って先生に反抗するじゃないですか。私、ルールを破ることは多かったけど、先生とうまくやる子でした。小さな先生みたいな気になって、同級生に上からもの言ってましたね」

 日和見主義は子どもでも嗅ぎ分ける。クラスの中心役を気取ったチヒロは、どのグループにも属せず孤立する自分にふと気づいた。有能さや生真面目さはそれだけでは人間関係で逆効果になることがある。「手のひらを返したみたい」に人が離れた日のことを、チヒロはどんな薬物体験よりも逮捕劇よりも、いちばん重大事のように語った。