【甲斐まりか】女性ファッション誌を席巻する人気モデルのハイスペックすぎる経歴

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――数多のビューティー・ファッション誌に登場し、語学に堪能な才色兼備! 持ち前のチャレンジ精神で切り開く新しい世界とは?

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(写真/河西遼)

 バスの後部座席で物憂げな表情を浮かべる美女は、美容雑誌「VoCE」(講談社)などでモデルを務める甲斐まりか。今年リニューアルを迎えた化粧品ブランド「dejavu」で、イメージキャラクターを務めているため、CMなどで彼女を見かけた読者も多いかもしれない。

 彼女は父の仕事の都合で幼少期をマレーシア、小学生時代をタイで過ごした後、ドイツに移り、中学・高校を卒業。インターナショナルスクールで学生時代を送り、大学は親元を離れてスコットランドの名門エジンバラ大学に進学した才女だ。

「大学3年生の頃、慶應義塾大学に1年間留学したときに少しフリーランスモデルのバイトをしていたことで、今の事務所からスカウトを受けました。パリの大学院へ進むつもりだったので一度は断ったんですが、1年飛び級していたこともあり、『私、なんか生き急いでいるな』と思って。広告関係の仕事を目指して大学で国際ビジネスやマーケティングを学んでいたんですが、モデル経験も生かせるかなという思いもあり、卒業後、本格的にモデルの仕事を始めました」

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もしかしたら新たなジャンルになるかも……マニアックでは済まされない! 奇妙な動画タグ10選!

――「Pornhub」や「XVideos」といったポルノ動画サイトで視聴することができるヤバい動画のタグを厳選! 社会的に死にたくなければ、このページは会社で開くな!

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独立記念日に愛国ファック

「4th of July」
4th of July=7月4日は米国の独立記念日である。このタグが付けられた動画は、星条旗をあしらった衣装で行為に及んでいるものが多く、ある意味では愛国的なタグともいえる。他にもメキシコの祝日「シンコ・デ・マヨ」や、ドイツの「オクトーバーフェスト」など祝日や季節をテーマにした動画は結構多い。

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どうしてディルドが付いてるの?

「Yoga Ball」
バランスボールをポルノに応用する手法は、もともと日本のAVから持ち込まれたものだという。しかし、バランスボールそのものにディルドを生やし、それを「ヨガボール」と名付けてしまうのは海外独自の進化といえよう。ヨガ要素どこだよ。人気商品のようで、欧米版アマゾンでは品切れ状態が続いている。

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萱野稔人と巡る【超・人間学】「宇宙生物学と脳の機能から見る人間」(後編)

――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。(前編はこちら)

今月のゲスト
吉田たかよし[医学博士]

多彩な経歴を持つ吉田たかよし氏をゲストに迎えた対談後編。生命の起源とエントロピー、人間特有の高度に発達した脳と癌の意外な関係、全世界的な脳のネットワーク拡大における危惧とは――。

萱野 前回の最後に、吉田先生は生命を生み出したのは“環境の多様性”だとおっしゃいました。それは具体的にはどういうことでしょうか?

吉田 この宇宙ではあらゆるところで常に“エントロピー”が増大しています。水に角砂糖を入れたら砂糖水になりますが、その砂糖水は角砂糖と水に戻ることは絶対にありません。これは「秩序があるものは、やがて秩序が崩壊して、乱雑な方向にしか進まない」というエントロピー増大則で、宇宙を支配している物理法則です。それを考えると生命は不思議な存在です。生きている限り生物は秩序を維持していますし、生命の進化も乱雑とは正反対の方向に進んでいます。これはエントロピー増大則に真っ向から反していることです。では、私たちがどのように生命活動を維持しているかというと、食べ物というエントロピーが低いものを摂取して、エントロピーの大きい便を排泄するという、エントロピーの差を利用しているわけです。人体のエントロピーが増大しなくても、その周囲の環境を含めた全体としてはエントロピーが増大している。宇宙全体を見ても、そんな存在は生命だけなんです。つまり、生命の本質はエントロピーの偏りといっていいし、環境がすべて一様な状態からは絶対に生命は誕生しません。

萱野 その場合、生命とは、エントロピーの低さと高さを利用して、環境の中にそれまで存在しなかった秩序をみずから創造・維持する働きとして定義できるかもしれませんね。

萱野 吉田先生の著書で知ったのですが、生物の中で人間だけが「癌にかかりやすい」という特徴を持っているんですね。これは「人間とは何か」を考える上で、とても興味深いポイントだと感じました。

吉田 確かに癌にかかりやすいというのは、人間ならではの特徴のひとつです。地球上に酸素が増えたことで生物は、酸素のエネルギーを使って細胞を爆発的なスピードで増殖させる能力を手にしました。しかし、人間の体内に入った酸素の一部は活性酸素と呼ばれる不安定で反応性の高い物質となり、細胞膜や遺伝子を傷つけて、細胞が無限に増殖する癌を抑制する機能を壊してしまうのです。人間は大きく発達した脳が大量に酸素を消費するため、それだけ体内の活性酸素の量も増えてしまって癌の発症を助長しているわけです。

萱野 一般には、人間の長寿化が、癌の高い発症率の原因とされています。ただ、遺伝子がかなりの部分で人間と共通するチンパンジーの場合、人間が健康管理を行って高齢になるまで生きたとしても、癌の発症率は人間と比べて低いそうですね。

吉田 はい。チンパンジーが癌で死亡する確率はわずか2パーセントで、人間の場合、例えば日本人だと癌で死亡する割合は約30パーセントにのぼっています。この差は活性酸素の量だけでは説明できません。考えられる原因は、また脳に関わるものなのですが、“脂肪”なのです。人間の脳は膨大な情報を効率よく処理するために神経を脂肪(脂質)で覆うことで絶縁体にしており、実際、人間の脳は約6割が脂肪でできているんです。この脳の絶縁体としての脂肪を作るために、人間は進化の過程で脂肪酸を合成する高性能な酵素を獲得しました。癌細胞はその仕組みを利用することで、通常の細胞なら増殖できない低酸素状態でも、脂肪さえあれば増殖することができます。つまり、人間は脳を発達させるために獲得した酵素の働きによって、癌細胞を増殖させる能力も高めてしまったのです。

萱野 人間は、高性能な脳を手に入れることと引き換えに、癌にかかりやすくなってしまったと。

吉田 人間中心主義的に考えると、脳が大きくなって高度に発達したことは全面的に長所だと思ってしまいますが、生命全体で考えると脳が大きいことは、それだけ大量のエネルギーを消費して餓死のリスクが高まるため、大きな短所ともいえるんです。むしろ、生命進化の王道としては小さくできるものなら極力小さくしたほうがいい。ただ、約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分岐して以降、人類にとって癌のリスクよりも知恵を使って食べ物を得るメリットのほうが圧倒的に大きかった。人間であっても高齢になるまで癌になる可能性は低く、寿命の短かったかつての人類には大きな問題にはならなかったのです。高度な脳の機能で長寿を手にした現代人が癌に苦しめられるというのは、なんとも皮肉なことだと思います。

萱野 人間が長生きできるようになったことは人類社会の“進化”ではありますが、それによって人間は高性能な脳のリスクも大きくしてしまったんですね。

吉田 脳が発達したがための問題ということでいえば、人間の“精神”や“意識”も重要です。人間という生命を物質的な側面から見ることも大事ですが、心療内科医として私はこちらも見落としてはいけないと思います。人間の精神構造ということに関しては、まだその糸口しかわかっていませんが、心の病の治療を通し、日々、人間の“精神の危うさ”みたいなものを実感しています。例えば、鬱病などメンタルの病から回復するプロセスの中で、患者の人格がまったく違うものになっていく。こうしたことは何度も経験していることなんですね。一番衝撃を受けたのは、私が医学生の頃です。とてもお世話になっていた大学教授が髄膜炎になって、人格が一変しました。教授は素晴らしい知性と人格の持ち主で、私も大変尊敬していましたが、入院中は性的に下品な冗談をのべつ幕なしに言うようになって、突然踊りだすような奇行を繰り返すなど、まったく違う人間のようになっていました。これは髄膜炎の症状のひとつで、病気が治ればまた元に戻ったのですが、人格や精神というものは、揺るぎなく絶対的なものではないと、そのとき実感しました。

萱野 身体の状態によって、人格や精神もまったく変わってしまうということですね。

吉田 ところで、萱野先生は“幽体離脱”を体験されたことはありますか?

萱野 ありません。それはどのような感覚ですか?

吉田 正しくは“体外離脱体験”というのですが、自分の意識が体から抜け出て第三者的な視点で外から自分を見るような感覚です。私はこれまでに2回、体験しています。一度目はNHKのアナウンサー時代、テレビ番組の「シャチと仲良くなる」という企画があったのですが、その撮影でシャチに投げ飛ばされて頭を強打してしまったんです。そのとき、体外離脱を経験しました。とても生々しくリアルで、ほとんど信じていなかった超常的な現象について「あってもおかしくない」と感じるようになったのですね。それから人生観が一変して「死ぬまでにこの世に何かを残したい」という意識が芽生え、結果的に政治家を目指して加藤紘一先生の第一秘書になりました。その当時は加藤先生を総理大臣にして、ゆくゆくは自分も……と本気で考えていましたよ。

萱野 頭を強打する、という身体への刺激によって、世界観そのものまでもが変化してしまったと。

吉田 その後、脳の頭頂葉と後頭葉が隣接する“角回”という部位を刺激すると体外離脱体験が起こることがあるという研究論文を読んだのです。そこで試しに自分で角回に磁気刺激を行ってみたところ、シャチに投げ飛ばされたときとまったく同じ体外離脱体験が起き、それで再び人生観が変わってしまいました。最初の体外離脱も超常的な神秘体験などではなく、脳が生み出した幻想に過ぎなかったのだと悟って。それ以降、良くも悪くも自分の人格、自我といったものも、装置としての脳が生み出している現象に過ぎないという冷めた感覚がずっとあります。

萱野 確固とした自我や人格というものは、脳が生み出した虚構に過ぎないのではないか、ということでしょうか?

吉田 そういった自己イメージや世界観を作り出す自我そのものが、私には疑わしいものに感じられます。先ほどもお話ししましたが、鬱病の治療前後で別人のように人が変わることは珍しくありません。メンタルの病を抱えていない人でも、体調が悪くなれば憂鬱になるし、何か嫌なことがあればイライラもします。そういうときの自分と楽しいことがあってワクワクしているときの自分、その2つは果たしてまったく同じ自分であるといえるのか、そういう疑問があるのです。

萱野 意識は身体の状態によって変わり得ると同時に、環境によっても変わりますよね。具体的な環境の変化と意識への影響についてはさまざまな研究がありますが、環境によって意識や考えが変わるというのは経験的にも多くの人が納得することだと思います。その点で言えば、自我や意識を作り出す脳は単体で完結しているわけではありません。それは身体を通じて外の環境ともつながりながら、意識や精神といったものを生み出しています。

吉田 人間の脳は“外側”とのフィードバックで機能している装置なんですよ。この脳の外側には、体内と体外の2つがあります。私たちの世界で注目されているのは“情動末梢説”と呼ばれるもので、人間の原始的な感情=情動は脳で自動的に発生するものではなく、“末梢”で起こる反応が先にあるというものです。末梢とは、頭蓋骨に収まっている脳を“中枢”と呼ぶのに対し、その外側を指すものです。

萱野 具体的にはどういうことでしょうか?

吉田 この分野の研究でエポックメイキングだったのは、“デュシェンヌ・スマイル”です。これは口元を上げるだけじゃなく、目尻が下がってシワができる笑顔のこと。この表情を意識的に作ると、たとえ作り笑顔であっても、表情筋の変化が脳にフィードバックされて、本当に“楽しい”という感情が後から生まれるんです。また、逆に目尻のシワをなくそうと眼輪筋にボトックス注射をすると、望んでいた美容効果を得られたのに、表情筋が動かないために楽しいという感情が生まれにくくなって、鬱が生じやすくなるという研究論文も発表されています。つまり、人間の感情は脳だけで創られているのではなく、末梢からのフィードバックも大きな役割を果たしているんですね。私のクリニックでも、鬱病患者に対し身体の動きのフィードバックを重視した運動療法を行い、大きな治療効果が出ています。

萱野 もう一方の“体外”からのフィードバックは、どのようなものとして考えられますか?

吉田 人間の脳はコンピューターにたとえられることが多いですが、どちらかというとスマートフォンに近いと私は考えています。単体で情報処理を行うマシンではなく、他者とのコミュニケーションツールであるスマートフォンのように、人間の脳は無意識のうちに周りの人間の脳と相互のネットワークでつながり合って働いているということです。例えば、今私がこうして話していることは、萱野先生が目の前にいて、こちらの話に頷いたり、表情を変えたり、手を動かしたりする挙動のひとつ一つに私の脳が反応し、それが話の展開や口調にまで影響を与えてアウトプットされているわけです。この周囲の人間とのフィードバックというのは脳にとって非常に重要なんです。例えば何かのきっかけで引きこもりのように他者と関係を断った状態になると、脳と脳が無意識のうちに行っていた他者とのネットワークが働かなくなり、脳が隔絶されてしまうので、引きこもりから抜け出せなくなってしまうのです。

萱野 悩んでいる人に対して「考え方を変えよう」とアドバイスする人がいます。「もっとポジティブに考えようよ」といったように、ですね。でも自分の考え方はそう簡単に変えられません。自分の考えを変えるためには、まずは行動を変えなくてはならない。行動を変えれば感情や意識も変わってきます。もちろんその行動には、よく笑うといった些細なことから、日常の習慣や他者とのコミュニケーションも含まれます。そういった点からも、脳が機能的に身体や環境とつながってフィードバックを重ねているということがよくわかりますね。ただその場合、脳の境界はどこにあると考えればいいでしょうか?

吉田 解剖学的には中枢神経が脳で、末梢神経は脳ではないと区別されます。これは単純に物理的な位置による定義ですが、機能としての脳の境界は、厳密に言えばどこにも存在しないと私は考えています。表情筋のような身体の動きも情動を生み出している以上、機能的には脳と一体化しているとしていいのではないでしょうか。そして、自分の周囲にいる他者も互いの脳に影響を与え合う意味では、ネットワークでつながった脳の一部になっています。突き詰めて考えれば、現代はインターネットで世界全体がつながったひとつの脳ともいえるでしょう。

萱野 その点で言うと、望遠鏡でもテレビでも、パソコンでもインターネットでも、テクノロジーとは脳がみずからの機能を拡張するために生み出したものだと考えることもできそうですね。それを通じてさらに脳はフィードバックの範囲を広げている、と。

吉田 そうです。相互作用によるフィードバックこそが脳の本質です。脳そのものも統一されたひとつの器官ではなく、大きく分けると自我を作っている前頭前野や原始的な感情を司る大脳辺縁系、さらにその中には扁桃体、海馬など、いくつもの部位が相互作用することで情報処理をして、全体としての意識を創り上げています。そういう意味で考えると、今の私と萱野先生は明らかに強い情報の伝達をし合っているわけで、今この瞬間は萱野先生の脳は私の脳の一部であり、私の脳は萱野先生の脳の一部になっているといえるんです。これは人間の脳にとりわけ顕著な特徴なんですね。

萱野 他者も含めた環境とのコミュニケーションが、人間の脳の本質だということですね。

吉田 他者とのコミュニケーションがインターネットとSNSの普及によって急激に広がり、質量とも大きく変化してきたことに私は一抹の不安を感じています。実際、SNSによって人間のエゴや妬みが増幅していることを検証している論文も数多く出ていますが、それも必然ではないかと。現代社会のネットを介したコミュニケーションは、人間の本来の姿から逸脱していくように感じるし、その延長線で進んでいって人間は大丈夫なのか危惧しています。

萱野 確かに現代は、他者とのコミュニケーションにこれまでにない負荷がかかっている時代だといえるかもしれません。上の世代と比べても、今の若い世代は他者とのコミュニケーションに多大な配慮を注いでいます。今後、そのストレスに人間の脳はどこまで耐えられるのか。大学で学生と接していても、メンタルで悩んでいる人はとても多い。

吉田 “メンタル面での不調”まで広げたら、現代人の9割はなんらかの形で精神的な悩みを抱えているのではないでしょうか。それは文明のあり方として正しいのか疑問を感じますし、近い未来に人類を揺るがすような大きな問題が起こるのではないかと強い危機感を持っています。

萱野 それだけ脳は他者とのコミュニケーションから大きな影響を受けるということですね。

吉田 人間のコミュニケーションは、本来、言語だけによるものではありません。表情や声のトーン、身振り手振りや匂いまで、さまざまな要素が複雑に絡んでいるものです。そのすべてが大なり小なり脳の相互作用を生み出してバランスをとっています。今の社会に不安を感じる最大の要因は、ネットによる限られた情報伝達が支配的になっているために、脳が本来持っている多様な機能がとても偏った状態に歪められていることです。私はそこに、底知れない危うさを感じます。

(月刊サイゾー11月号より)

吉田たかよし
1964年生まれ。医学博士。受験生専門の心療内科「本郷赤門前クリニック」院長。受験医学研究所代表。東京大学大学院工学系研究科卒業後、NHKに入局。その後、東京大学大学院医学研究科・医学博士課程修了。加藤紘一元自民党幹事長の公設第一秘書、東京理科大学客員教授も歴任。主な著書に『受験うつ』(光文社新書)、『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議 』(講談社現代新書) など。

萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。

(写真/永峰拓也)

萱野稔人と巡る【超・人間学】「宇宙生物学と脳の機能から見る人間」(後編)

――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。(前編はこちら)

今月のゲスト
吉田たかよし[医学博士]

多彩な経歴を持つ吉田たかよし氏をゲストに迎えた対談後編。生命の起源とエントロピー、人間特有の高度に発達した脳と癌の意外な関係、全世界的な脳のネットワーク拡大における危惧とは――。

萱野 前回の最後に、吉田先生は生命を生み出したのは“環境の多様性”だとおっしゃいました。それは具体的にはどういうことでしょうか?

吉田 この宇宙ではあらゆるところで常に“エントロピー”が増大しています。水に角砂糖を入れたら砂糖水になりますが、その砂糖水は角砂糖と水に戻ることは絶対にありません。これは「秩序があるものは、やがて秩序が崩壊して、乱雑な方向にしか進まない」というエントロピー増大則で、宇宙を支配している物理法則です。それを考えると生命は不思議な存在です。生きている限り生物は秩序を維持していますし、生命の進化も乱雑とは正反対の方向に進んでいます。これはエントロピー増大則に真っ向から反していることです。では、私たちがどのように生命活動を維持しているかというと、食べ物というエントロピーが低いものを摂取して、エントロピーの大きい便を排泄するという、エントロピーの差を利用しているわけです。人体のエントロピーが増大しなくても、その周囲の環境を含めた全体としてはエントロピーが増大している。宇宙全体を見ても、そんな存在は生命だけなんです。つまり、生命の本質はエントロピーの偏りといっていいし、環境がすべて一様な状態からは絶対に生命は誕生しません。

萱野 その場合、生命とは、エントロピーの低さと高さを利用して、環境の中にそれまで存在しなかった秩序をみずから創造・維持する働きとして定義できるかもしれませんね。

萱野 吉田先生の著書で知ったのですが、生物の中で人間だけが「癌にかかりやすい」という特徴を持っているんですね。これは「人間とは何か」を考える上で、とても興味深いポイントだと感じました。

吉田 確かに癌にかかりやすいというのは、人間ならではの特徴のひとつです。地球上に酸素が増えたことで生物は、酸素のエネルギーを使って細胞を爆発的なスピードで増殖させる能力を手にしました。しかし、人間の体内に入った酸素の一部は活性酸素と呼ばれる不安定で反応性の高い物質となり、細胞膜や遺伝子を傷つけて、細胞が無限に増殖する癌を抑制する機能を壊してしまうのです。人間は大きく発達した脳が大量に酸素を消費するため、それだけ体内の活性酸素の量も増えてしまって癌の発症を助長しているわけです。

萱野 一般には、人間の長寿化が、癌の高い発症率の原因とされています。ただ、遺伝子がかなりの部分で人間と共通するチンパンジーの場合、人間が健康管理を行って高齢になるまで生きたとしても、癌の発症率は人間と比べて低いそうですね。

吉田 はい。チンパンジーが癌で死亡する確率はわずか2パーセントで、人間の場合、例えば日本人だと癌で死亡する割合は約30パーセントにのぼっています。この差は活性酸素の量だけでは説明できません。考えられる原因は、また脳に関わるものなのですが、“脂肪”なのです。人間の脳は膨大な情報を効率よく処理するために神経を脂肪(脂質)で覆うことで絶縁体にしており、実際、人間の脳は約6割が脂肪でできているんです。この脳の絶縁体としての脂肪を作るために、人間は進化の過程で脂肪酸を合成する高性能な酵素を獲得しました。癌細胞はその仕組みを利用することで、通常の細胞なら増殖できない低酸素状態でも、脂肪さえあれば増殖することができます。つまり、人間は脳を発達させるために獲得した酵素の働きによって、癌細胞を増殖させる能力も高めてしまったのです。

萱野 人間は、高性能な脳を手に入れることと引き換えに、癌にかかりやすくなってしまったと。

吉田 人間中心主義的に考えると、脳が大きくなって高度に発達したことは全面的に長所だと思ってしまいますが、生命全体で考えると脳が大きいことは、それだけ大量のエネルギーを消費して餓死のリスクが高まるため、大きな短所ともいえるんです。むしろ、生命進化の王道としては小さくできるものなら極力小さくしたほうがいい。ただ、約700万年前にチンパンジーとの共通祖先から分岐して以降、人類にとって癌のリスクよりも知恵を使って食べ物を得るメリットのほうが圧倒的に大きかった。人間であっても高齢になるまで癌になる可能性は低く、寿命の短かったかつての人類には大きな問題にはならなかったのです。高度な脳の機能で長寿を手にした現代人が癌に苦しめられるというのは、なんとも皮肉なことだと思います。

萱野 人間が長生きできるようになったことは人類社会の“進化”ではありますが、それによって人間は高性能な脳のリスクも大きくしてしまったんですね。

吉田 脳が発達したがための問題ということでいえば、人間の“精神”や“意識”も重要です。人間という生命を物質的な側面から見ることも大事ですが、心療内科医として私はこちらも見落としてはいけないと思います。人間の精神構造ということに関しては、まだその糸口しかわかっていませんが、心の病の治療を通し、日々、人間の“精神の危うさ”みたいなものを実感しています。例えば、鬱病などメンタルの病から回復するプロセスの中で、患者の人格がまったく違うものになっていく。こうしたことは何度も経験していることなんですね。一番衝撃を受けたのは、私が医学生の頃です。とてもお世話になっていた大学教授が髄膜炎になって、人格が一変しました。教授は素晴らしい知性と人格の持ち主で、私も大変尊敬していましたが、入院中は性的に下品な冗談をのべつ幕なしに言うようになって、突然踊りだすような奇行を繰り返すなど、まったく違う人間のようになっていました。これは髄膜炎の症状のひとつで、病気が治ればまた元に戻ったのですが、人格や精神というものは、揺るぎなく絶対的なものではないと、そのとき実感しました。

萱野 身体の状態によって、人格や精神もまったく変わってしまうということですね。

吉田 ところで、萱野先生は“幽体離脱”を体験されたことはありますか?

萱野 ありません。それはどのような感覚ですか?

吉田 正しくは“体外離脱体験”というのですが、自分の意識が体から抜け出て第三者的な視点で外から自分を見るような感覚です。私はこれまでに2回、体験しています。一度目はNHKのアナウンサー時代、テレビ番組の「シャチと仲良くなる」という企画があったのですが、その撮影でシャチに投げ飛ばされて頭を強打してしまったんです。そのとき、体外離脱を経験しました。とても生々しくリアルで、ほとんど信じていなかった超常的な現象について「あってもおかしくない」と感じるようになったのですね。それから人生観が一変して「死ぬまでにこの世に何かを残したい」という意識が芽生え、結果的に政治家を目指して加藤紘一先生の第一秘書になりました。その当時は加藤先生を総理大臣にして、ゆくゆくは自分も……と本気で考えていましたよ。

萱野 頭を強打する、という身体への刺激によって、世界観そのものまでもが変化してしまったと。

吉田 その後、脳の頭頂葉と後頭葉が隣接する“角回”という部位を刺激すると体外離脱体験が起こることがあるという研究論文を読んだのです。そこで試しに自分で角回に磁気刺激を行ってみたところ、シャチに投げ飛ばされたときとまったく同じ体外離脱体験が起き、それで再び人生観が変わってしまいました。最初の体外離脱も超常的な神秘体験などではなく、脳が生み出した幻想に過ぎなかったのだと悟って。それ以降、良くも悪くも自分の人格、自我といったものも、装置としての脳が生み出している現象に過ぎないという冷めた感覚がずっとあります。

萱野 確固とした自我や人格というものは、脳が生み出した虚構に過ぎないのではないか、ということでしょうか?

吉田 そういった自己イメージや世界観を作り出す自我そのものが、私には疑わしいものに感じられます。先ほどもお話ししましたが、鬱病の治療前後で別人のように人が変わることは珍しくありません。メンタルの病を抱えていない人でも、体調が悪くなれば憂鬱になるし、何か嫌なことがあればイライラもします。そういうときの自分と楽しいことがあってワクワクしているときの自分、その2つは果たしてまったく同じ自分であるといえるのか、そういう疑問があるのです。

萱野 意識は身体の状態によって変わり得ると同時に、環境によっても変わりますよね。具体的な環境の変化と意識への影響についてはさまざまな研究がありますが、環境によって意識や考えが変わるというのは経験的にも多くの人が納得することだと思います。その点で言えば、自我や意識を作り出す脳は単体で完結しているわけではありません。それは身体を通じて外の環境ともつながりながら、意識や精神といったものを生み出しています。

吉田 人間の脳は“外側”とのフィードバックで機能している装置なんですよ。この脳の外側には、体内と体外の2つがあります。私たちの世界で注目されているのは“情動末梢説”と呼ばれるもので、人間の原始的な感情=情動は脳で自動的に発生するものではなく、“末梢”で起こる反応が先にあるというものです。末梢とは、頭蓋骨に収まっている脳を“中枢”と呼ぶのに対し、その外側を指すものです。

萱野 具体的にはどういうことでしょうか?

吉田 この分野の研究でエポックメイキングだったのは、“デュシェンヌ・スマイル”です。これは口元を上げるだけじゃなく、目尻が下がってシワができる笑顔のこと。この表情を意識的に作ると、たとえ作り笑顔であっても、表情筋の変化が脳にフィードバックされて、本当に“楽しい”という感情が後から生まれるんです。また、逆に目尻のシワをなくそうと眼輪筋にボトックス注射をすると、望んでいた美容効果を得られたのに、表情筋が動かないために楽しいという感情が生まれにくくなって、鬱が生じやすくなるという研究論文も発表されています。つまり、人間の感情は脳だけで創られているのではなく、末梢からのフィードバックも大きな役割を果たしているんですね。私のクリニックでも、鬱病患者に対し身体の動きのフィードバックを重視した運動療法を行い、大きな治療効果が出ています。

萱野 もう一方の“体外”からのフィードバックは、どのようなものとして考えられますか?

吉田 人間の脳はコンピューターにたとえられることが多いですが、どちらかというとスマートフォンに近いと私は考えています。単体で情報処理を行うマシンではなく、他者とのコミュニケーションツールであるスマートフォンのように、人間の脳は無意識のうちに周りの人間の脳と相互のネットワークでつながり合って働いているということです。例えば、今私がこうして話していることは、萱野先生が目の前にいて、こちらの話に頷いたり、表情を変えたり、手を動かしたりする挙動のひとつ一つに私の脳が反応し、それが話の展開や口調にまで影響を与えてアウトプットされているわけです。この周囲の人間とのフィードバックというのは脳にとって非常に重要なんです。例えば何かのきっかけで引きこもりのように他者と関係を断った状態になると、脳と脳が無意識のうちに行っていた他者とのネットワークが働かなくなり、脳が隔絶されてしまうので、引きこもりから抜け出せなくなってしまうのです。

萱野 悩んでいる人に対して「考え方を変えよう」とアドバイスする人がいます。「もっとポジティブに考えようよ」といったように、ですね。でも自分の考え方はそう簡単に変えられません。自分の考えを変えるためには、まずは行動を変えなくてはならない。行動を変えれば感情や意識も変わってきます。もちろんその行動には、よく笑うといった些細なことから、日常の習慣や他者とのコミュニケーションも含まれます。そういった点からも、脳が機能的に身体や環境とつながってフィードバックを重ねているということがよくわかりますね。ただその場合、脳の境界はどこにあると考えればいいでしょうか?

吉田 解剖学的には中枢神経が脳で、末梢神経は脳ではないと区別されます。これは単純に物理的な位置による定義ですが、機能としての脳の境界は、厳密に言えばどこにも存在しないと私は考えています。表情筋のような身体の動きも情動を生み出している以上、機能的には脳と一体化しているとしていいのではないでしょうか。そして、自分の周囲にいる他者も互いの脳に影響を与え合う意味では、ネットワークでつながった脳の一部になっています。突き詰めて考えれば、現代はインターネットで世界全体がつながったひとつの脳ともいえるでしょう。

萱野 その点で言うと、望遠鏡でもテレビでも、パソコンでもインターネットでも、テクノロジーとは脳がみずからの機能を拡張するために生み出したものだと考えることもできそうですね。それを通じてさらに脳はフィードバックの範囲を広げている、と。

吉田 そうです。相互作用によるフィードバックこそが脳の本質です。脳そのものも統一されたひとつの器官ではなく、大きく分けると自我を作っている前頭前野や原始的な感情を司る大脳辺縁系、さらにその中には扁桃体、海馬など、いくつもの部位が相互作用することで情報処理をして、全体としての意識を創り上げています。そういう意味で考えると、今の私と萱野先生は明らかに強い情報の伝達をし合っているわけで、今この瞬間は萱野先生の脳は私の脳の一部であり、私の脳は萱野先生の脳の一部になっているといえるんです。これは人間の脳にとりわけ顕著な特徴なんですね。

萱野 他者も含めた環境とのコミュニケーションが、人間の脳の本質だということですね。

吉田 他者とのコミュニケーションがインターネットとSNSの普及によって急激に広がり、質量とも大きく変化してきたことに私は一抹の不安を感じています。実際、SNSによって人間のエゴや妬みが増幅していることを検証している論文も数多く出ていますが、それも必然ではないかと。現代社会のネットを介したコミュニケーションは、人間の本来の姿から逸脱していくように感じるし、その延長線で進んでいって人間は大丈夫なのか危惧しています。

萱野 確かに現代は、他者とのコミュニケーションにこれまでにない負荷がかかっている時代だといえるかもしれません。上の世代と比べても、今の若い世代は他者とのコミュニケーションに多大な配慮を注いでいます。今後、そのストレスに人間の脳はどこまで耐えられるのか。大学で学生と接していても、メンタルで悩んでいる人はとても多い。

吉田 “メンタル面での不調”まで広げたら、現代人の9割はなんらかの形で精神的な悩みを抱えているのではないでしょうか。それは文明のあり方として正しいのか疑問を感じますし、近い未来に人類を揺るがすような大きな問題が起こるのではないかと強い危機感を持っています。

萱野 それだけ脳は他者とのコミュニケーションから大きな影響を受けるということですね。

吉田 人間のコミュニケーションは、本来、言語だけによるものではありません。表情や声のトーン、身振り手振りや匂いまで、さまざまな要素が複雑に絡んでいるものです。そのすべてが大なり小なり脳の相互作用を生み出してバランスをとっています。今の社会に不安を感じる最大の要因は、ネットによる限られた情報伝達が支配的になっているために、脳が本来持っている多様な機能がとても偏った状態に歪められていることです。私はそこに、底知れない危うさを感じます。

(月刊サイゾー11月号より)

吉田たかよし
1964年生まれ。医学博士。受験生専門の心療内科「本郷赤門前クリニック」院長。受験医学研究所代表。東京大学大学院工学系研究科卒業後、NHKに入局。その後、東京大学大学院医学研究科・医学博士課程修了。加藤紘一元自民党幹事長の公設第一秘書、東京理科大学客員教授も歴任。主な著書に『受験うつ』(光文社新書)、『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議 』(講談社現代新書) など。

萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。

(写真/永峰拓也)

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――翻訳物として初めて世界的なSFの賞であるヒューゴー賞を受賞した「三体」をはじめ、もはや世界的に評価されるようになった中国SF。さらには映画やゲームのジャンルに至るまで活発化している作品群には、中国の体制批判とも解釈できそうな内容も……。

中国ではここ数年、SFが大ブームに

 もはや現金が不要なほど、電子決済が当たり前になり、屋台や物乞いですらスマホでお金をやり取りする。さらに、高度な顔認証技術で信号無視まで街頭のカメラで監視。個人をスコア化して、優良市民とそうでない市民は受けられるサービスに差が生じる社会システムが構築されようとしている……。

 などなど、日本でもさまざまに報じられる中国の急速なIT化は、まさに『ブレードランナー』や『マイノリティ・リポート』といったSF映画の世界が現実となりつつあるような感すら受けるが、その中国では、人々の想像力がさらに先を見据えようとしているかのように、ここ数年、SFが大ブームになっている。

 その中国のSFブームを代表する作品が、先頃邦訳が出版された、劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)の『三体』(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳・早川書房)。今回邦訳されたのは、『三体』『黒暗森林』『死神永生』の三部作からなるうちの第一部だが、中国では三部作が合わせて2100万部という驚異的な大ベストセラー。翻訳された英米でも100万部以上を売り上げ、2015年には英訳版が翻訳物としてもアジア圏の作品としても初めて、代表的なSFの賞であるヒューゴー賞を受賞。オバマ前大統領やフェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグも賞賛したという話題作である。

 この『三体』が巻き起こした、中国でのSFブームについて、早川書房の担当編集・梅田麻莉絵氏が次のように話す。

「中国でもずっと以前からSF小説は描かれていましたが、子どもや一部のマニアが読むものという受け止められ方をされていました。それが、翻訳物初のヒューゴー賞受賞、つまり世界的に認められたということで、中国政府としても国を挙げて中国SFを発展させようという気運が高まっています。現在、SF大会(ファンや関係者が集まるSFのイベント)は中国中が注目する一大イベントとして、現代的な立派な会場で行われ、来場者には、親と一緒に来た小さい子どもや、若年層が多いのも特徴です」

 ちなみに、『三体』の第二部『黒暗森林』では、日本人の登場人物が、中国でも「宇宙の三国志」として人気の『銀河英雄伝説』の主人公のひとり、ヤン・ウェンリーのセリフを引用するシーンがあるのだが、18年には北京において『銀河英雄伝説』の作者の田中芳樹と『三体』の劉慈欣の対談も、盛況のうちに行われたとのことである。

 さて、このたび刊行された『三体』。物語は、主人公の女性天体物理学者・葉文潔が、少女時代に60年代からの文化大革命の混乱の中で父親を殺されるエピソードから始まる。人間の愚かしさに絶望した彼女は、辺境の軍事基地に赴任するのだが、そこで宇宙から送られてきた謎の信号を受信することになる。

 一方、現代。ナノマテリアル開発者の汪淼は、「三体」という超現実的なVRゲームの世界に招かれる。そこでは、3つの太陽を持ち、恒紀という比較的平穏な気候の時代と、乱紀という厳しい気候の時代が、規則性を持たずに入り乱れて、文明の発生と滅亡が繰り返されていた。「三体問題」とは、3つの星が引力で引き寄せ合うと、どういう動きを示すかという物理学上の命題で、その解法は地球人の物理学でもいまだに解明されていない……。

 これ以上のネタバレは未読の読者の興を削がないように差し控えるが、全宇宙的なスケールの物語の中に、最新の科学技術から中国の古典までが織り込まれた物語は、一度読んだだけでは理解しきれないくらいの奥深さである。

 書評家で翻訳家の大森望氏は、中国語は専門ではないが、英訳と中国語の原文を参照しながら、最新のSFに相応しい日本語にするという、本作の翻訳の中心的な役割を果たした。大森氏が言う。

「中国SFの邦訳では、80年にサンリオSF文庫から出た老舎の風刺小説『猫城記』のような例もありますが、本格SFの長編に限れば『三体』が初めてでしょう。でも、これが中国SFの典型かというと、必ずしもそうではない。今の中国SFで、劉慈欣はやはり突出した存在だと思います。『三体』が世界的に大成功したことで、他の作家も「『三体』みたいなのを書いてくれ」と言われるみたいですが、なかなか書けるものではない。劉慈欣は、最新の科学技術や宇宙論、量子論を取り入れながら、ものすごくぶっ飛んだことも平気で書く。『三体』の最後のほうに出てくる、ある秘密兵器的なものとか。ほとんどギャグじゃないかと思うような、そういうトンデモSF的な要素と、すごくシリアスで文学的な描写が平然と同居しているのが特徴です。英語圏でも日本でも、今こんなSFを書く人はいない。『三体』は、本格SFの伝統があまりない中国だからこそ生まれた怪作とも言えます」

 一方で、『三体』には、中国で60年代から70年代にかけて、資本家や文化人が糾弾された文化大革命という、中国現代史上の大事件が、物語の重要な要素として登場する。邦訳では、文化大革命時のエピソードは冒頭に登場するが、実は中国で最初に単行本化されたバージョンでは、その箇所は、物語の途中に回想のような形で挟み込まれていた。

 ところが英訳版では、雑誌連載時と同じく、その箇所が冒頭になっている。本来、作者が意図していたのはそちらの構成だったということで、邦訳もその構成を採用している。
 中国語版で文化大革命を冒頭に持ってくることを避けたのは、政府当局を刺激するのを避けたかったからではないかとも推測されるが、真意は不明だ。なお、発電所でエンジニアをしながらSF小説を書き始めたという経歴の劉慈欣は63年生まれで、文化大革命の時代を記憶している世代である。

 従来、英米にはほとんど紹介されていなかった中国SFが、多く英訳されるようになったのは、中国系アメリカ人のSF作家、ケン・リュウの功績が大きい。『紙の動物園』(早川書房)など、自身のSF小説を数多く執筆する傍ら、ケン・リュウは中国SFの翻訳も多く手がけた。そのケン・リュウが編者となって、複数の作家による中国SFの優れた短編を集めたアンソロジーが『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)である。

 中国では、経済成長の一方で格差社会化も進むと共に、IT技術の進歩を背景とした、高度な監視社会が現実のものとなりつつある。『折りたたみ北京』には、そんな現代中国をSFの形を借りて風刺したとも取れそうな作品が多く収録されている。

 例えば表題作である、景芳(ハオ・ジンファン)の『折りたたみ北京』では、北京は富裕層が住む第一スペース、中間層が住む第二スペース、貧困層が住む第三スペースに完全に分断されており、定刻が来ると地面が回転して収納された人たちが眠りにつくのだが、第一スペースの住人には午前6時から翌朝6時までの時間が割り当てられているのに対し、第三スペースの貧困層は午後10時から午前6時の夜間に活動しなければならない。

 第一スペースと第三スペースは物価も生活様式も完全に別世界であり、お互いの住人たちはほとんど交流することはない。これを読む欧米や日本の読者は、農村と都市、富裕層と貧困層の格差が広がる中国の現実のことが、必然的に頭をよぎるだろう。

 また、これも同書に収録されている馬伯庸(マー・ボーヨン)の『沈黙都市』という短編では、社会は極めて厳格な言論統制社会となっており、言ってはならない言葉が決められる状態からさらに進んで“言ってもよい”と許可された言葉しか話してはいけないことになっている。

 ネットは国から与えられたIDでしか書き込むことはできず、口元にはフィルター付きマスクを装着させられ、発する言葉もすべて国家に監視されている。

 周知のように、実際の中国も、言論統制の強い社会であり、ネットではグーグルやフェイスブックといった外国のサービスは使うことができず、百度や微博といった国産のプラットフォームでは、政府批判ができないよう、厳しい監視が行われている。89年の天安門事件について書き込むことは最大級のタブーであり、事件が起こった八九六四(89年6月4日)という数字も検索することができないというのは、よく知られている。

 これらの作品については、SFの形を借りた社会批判であると読み解くこともできそうで、日本人としては、ついそのような読み方をしてしまいたくなるだろう。

 だが、『折りたたみ北京』の編者のケン・リュウは、同書の冒頭にある解説で、そのように中国SFを中国社会への批判のメタファーだと解釈したい、という誘惑に対し、読者は抵抗してほしい、と書いている。いわく「中国の作家の政治的関心が西側の読者の期待するものと同じだと想像するのは、よく言って傲慢であり、悪く言えば危険なのです。中国の作家たちは、地球について、単に中国だけではなく人類全体について、言葉を発しており、その観点から彼らの作品を理解しようとするほうがはるかに実りの多いアプローチである、と私は思います」とのことである。

 この点について、前出の大森望氏は、このような見方を述べる。

「中国のSF作家たちが、政治的な意図はないと言うのには、2つの意味があるような気がします。ひとつは、せっかく今のところ自由に書けているのに、体制批判だと取られたら不自由になってしまうから、余計なことは言わないでくれ、と。もうひとつは、劉慈欣が典型ですが、自分はSFが好きでSFを書いているのであって、SFを何かの道具に使っているわけではない、ということですね」

 とは言いながら大森氏は、特にアメリカの読者は『三体』の第二部以降の展開に、中国とアメリカの技術競争のメタファーを読み取った人が多かったようだ、とも付け加える。アメリカでは、現代中国を理解するためのツールとしても、『三体』はよく読まれたという経緯があったようだ。

 折しも、トランプ政権と習近平体制の間では、中国の携帯電話メーカー、ファーウェイをめぐる貿易摩擦が緊張を増している。また、先頃は香港で、中国へ刑事事件の容疑者を引き渡す「逃亡犯条例」の改正案の撤回を求めた大規模なデモが発生。また、新疆ではウイグル人に対する厳しい弾圧が行われているなど、中国SFにそういった政治問題を読み取ろうとするか、それとも純粋にSFとしてだけ楽しむかは、読者個々人によって分かれるところだろう。

 中国人たちに天安門事件の思い出をインタビューした『八九六四「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)など、中国を取材した多くの著作がある安田峰俊氏は、中国人の心象風景についてこのように話す。

「日本人には、文明が進歩するとかえって悪いことが起こる、と警鐘を鳴らす考えがかなり強いと思うのですが、中国人にはあまりそういう考えはないんです。ほとんどの人は、この20~30年で中国が急速に豊かになったことを素直に喜んでいる。格差社会といっても、貧しい人たちだって10年前と比べれば、確実にボトムアップしているので、昔と比べたら今のほうがいい、と思っている人がほとんどでしょうね。また、日本人はまだ弱者や高齢者に合わせようという考えが多少はありますが、トップを走る人を基準にして、皆でそこに追いつこうとしているのが、今の中国の基本的な生き方であり、社会の仕組みになっているんです」

 そうすると、文明が進歩すると悲惨な未来が待っているという類いの、一部のディストピア的な中国SFは、別に国家批判ではなく、単なる想像力の楽しみ、センス・オブ・ワンダーとして読むのが正しいのだろうか。

 さて、ここまで中国におけるSF小説を見てきたが、ここでSF映画に目を転じてみよう。近年、『オデッセイ』や『メッセージ』など、ハリウッド産のSF映画のストーリーにおいて、中国が重要な役回りを果たすことが非常に多くなっている。最近のハリウッド映画は、アリババなど、中国資本から資金提供を受けることも多く、また、中国人が関わっているとなると、中国での観客動員に拍車がかかるため、このような例が増えていると考えていいだろう。とはいえ、これらはあくまでアメリカ人が作ったハリウッド映画であったのだが、今年、スタッフもキャストもほとんどが中国人の純中国産SF映画が、春節中の興行収入約330億円という、驚異的なヒットを記録した。

『流転の地球』という邦題で、現在Netflixでも配信されているその映画は、『三体』の著者である劉慈欣の短編が原作だが、キャラクター、ストーリーは原作とは大幅に異なる。映画では、太陽膨張の危機から逃れるため、地球全体を遠い宇宙に移動させる、という壮大かつトンデモなプロジェクトが行われている未来を舞台に、中国人たちが地球の危機を救うために奮闘するさまが、ハリウッドにも引けを取らないCG技術で展開される。

 全体的に中国人の誇りをくすぐる中華バンザイなストーリーではあるが、地上が荒廃していても、人工知能による交通違反減点システムが生真面目に機能していたり、放り込まれた留置所の看守に、主人公の祖父が賄賂として、長年収集したアダルトVRソフトを渡そうとしたり、何やら中国社会への風刺とも取れそうなシーンも多い。未来の地下都市なのに、中国文化の伝統はしっかり守られているあたりも含め、「中国でもSF大作は作れるぞ!」といった、中国SF界の躍進を感じさせる。

 SFといえば、ゲームもSF要素の強いジャンルであり、最近は中国産のスマホゲームが日本語版でリリースされて、日本でも人気を博すようになっている。

『ドールズフロントライン』は、『少女前線』という中国版のタイトルが日本では商標登録の関係で使用できず、この名前になったのだが、日本アニメの作風そのままのイラストに、声優まで日本人を使っており、日本産のゲームと比べてもまったく遜色のないクオリティである。兵器を美少女化したキャラクターには、機械生命体の戦術人形という設定がなされており、SF的にも目端の利いた作品となっている。

 中国産スマホゲームは、ほかにも『アズールレーン』『荒野行動』などが人気を博しており、これからも新たなタイトルが続々日本に上陸しそうである。SF小説では、際立って注目されているのは劉慈欣ひとりであるものの、多くの作家がそれに続いており、また映画やゲームといったさまざまなジャンルに裾野を広げつつある中国SFは、中国の体制を批判する人にもそうでない人にも、見過ごすことのできない存在感をさらに増す勢いがある。日本人は、中国人は日本の文化の後追いをしているようなイメージをいまだに持っているかもしれないが、実はすでに中国文化は日本を飛び越えて、アメリカを始め世界で注目されるまでに成長していたのだ。(サイゾー8月号『中韓(禁)エンタメ大全』より)

世界が注目する上海ファッションウィークとは? ドルガバ炎上後もブランド進出!中国ファッション界の急成長とリスク

――近年、上海ファッションウィークに出展するブランドは中国国内/国外問わず増え続け、世界的に通用し得るハイセンスな国産ブランドが頭角を現している。しかし一方で、ドルチェ&ガッバーナのPR動画が大炎上し、中国市場を一瞬にして失うという出来事もあった。そんなこの国のファッション界の実態を見ていこう。

一瞬にして巨大な中国市場を失ったD&G

 2018年11月、ドルチェ&ガッバーナ(以下、D&G)が上海で開催を予定していた大型ファッションショーが中止となった。原因は公式インスタグラムで公開されたショーのPR動画。アジア系女性が箸を使い、ぎこちない様子でピザやスパゲッティなどを食するという内容で、箸を「棒」と表現するなど「アジア文化を冒涜している」としてすぐさま炎上。さらに、D&Gのデザイナーであるステファノ・ガッバーナ氏が、抗議に対して公式インスタグラムで「君は僕が炎上を恐れていると思っているのかい」などと挑発し、ショーに出演予定だった女優チャン・ツィイーなど多くの有名人が続々と不参加を表明した(ガッバーナ氏は後に「アカウントが乗っ取られた。現在、弁護士が対応中だ。私は中国と中国文化を愛している。このようなことが起き、非常に残念だ」と釈明)。結果、ショーが中止となっただけでなく、同ブランドの商品が中国のECサイトや百貨店などから撤去される――つまり、D&Gは中国市場を失ったのである。

 なお、報道によると、D&Gの本国イタリアにおける17年度の売上高はたった24%。一方で、「日本を除いたアジア地域」は30%にのぼる。その大部分は、現在44店舗を展開している中国が占めているという。『ラグジュアリーブランディングの実際』(海文堂出版)などの著書がある早稲田大学ビジネススクールの長沢伸也教授は、D&Gの騒動について次のように解説する。

「イタリアのブランドであるD&Gは、これまでもたびたびシチリアピザを食べる女性モデルなどの広告を展開してきました。その流れもあって、軽いジョークのつもりでPR動画を制作したのでしょう。それが思いがけず炎上してしまった。慌ててしまったのか対応が遅く、不適切だったため、さらに炎上。ジョークのつもりでも、ブランド全体の3割の売り上げが一瞬で吹っ飛んだのだから代償は大きい。現在も中国国内の店舗は閑散としているそうです。政治的・文化的な文脈が絡む炎上なので、立ち直るには早くても人々が騒動を忘れてしまう3年、長ければ世代が入れ替わる10年はかかると思われます」

 ほかのラグジュアリーブランドも、そんなD&Gの騒動を見て気を引き締めたのではないだろうか。というのも、「ラグジュアリーブランド全体においても、売り上げのおよそ3割を中国人による購買(購買地は中国国内外を問いません)が占めている」(長沢氏)からだ。

「なかでも1992年にいち早く中国に進出したルイ・ヴィトンは、北京、上海、深セン、広州といったいわゆる一級都市はもとより、それに次ぐ二級都市や、さらに小さな都市にも店舗を展開しています。あるいは、プラダは11年に香港証券取引所に上場し、生産も中国で進めて、中国シフトをアピールしました。ただ、“メイド・イン・チャイナ”の商品がブランディング的に裏目に出たため、ここ4~5年は顧客が離れてしまい、ようやく下げ止まった印象です。また、07年にはフェンディが万里の長城でショーを行い、19年にはカルティエと北京の故宮博物院が共同で特別展を開催するなど、各ブランドとも中国マーケットを重視し、中国文化に敬意を表するイベントを開催しています」(同)

 ちなみに、二級都市と呼ばれる杭州は日本人にはマイナーな都市かもしれないが、同地の高級百貨店「杭州大厦购物城」は、17年時点における中国のデパートの中で「北京SKP」に次ぐ2位の売り上げを誇る。もちろんこの建物には、ルイ・ヴィトン、エルメス、カルティエ、ディオール、フェンディなどが出店している。

 ただし、中国国内でのラグジュアリーブランド品の価格は関税や消費税、さらに贅沢税がかかっているため、日本に比べて20%程度も割高である。それゆえに、日本の銀座をはじめ国外のあちこちで、中国人観光客がブランド品を爆買いする様子が見られるわけだ。

 ともあれ、ブランド品消費の中心となっているのが、“80后”と呼ばれる80年代生まれの層である。しかし、36年間にわたる一人っ子政策を取ってきた結果、中国は日本以上に深刻な少子高齢化が予想されている。中国社会科学院によると、17年に約10億人いた15歳から64歳までの生産年齢人口が、50年には約8億人に減少し、60歳以上の高齢者に関しては50年までに総人口の3分の1=約5億人にのぼると見られているのである。

「そのため今後、消費が落ち込むことは予測できます。そこでブランド側は、少子高齢化と消費の成熟化が進む日本でいかに対応するか、今のうちにノウハウを身につけておくことが求められます」(同)

 当然ながら、日本のアパレル企業も中国市場を無視しているわけではない。だが、ここ数年、中国に進出した企業の多くは競争の激化で苦戦しているようだ。ピーク時に300店を展開し、上海の繁華街である南京東路にファッションビルを開業していたイトキンは、16年に完全撤退。13年のピーク時に589店あったハニーズホールディングスも、18年に撤退した。好調なのは、進出は02年と後発ながら、20年度には中国全土に1000店体制を構築するというユニクロくらいである。

 こうした状況も確かにあるが、ファッション感度の高い一部の中国のバイヤーから、日本の先端をいくインディーズブランドに注目が集まっている。このきっかけとなったのが、ファッションショーや見本市、ショールームが開催され、中国全土から毎回約5万人のファッション業界関係者が訪れる「上海ファッションウィーク」(03年に初開催)だ。
「3~4年前は数えるほどしか出展していなかった日本のブランドですが、今年3月末~4月頭に開催された『上海ファッションウィーク2019AW』には120以上が出展したと報じられています。それだけ日本のブランドが中国で評価されているということもありますし、日本の市場がファストファッション中心で、プロダクトアウト(消費者のニーズよりもデザイナーの理念や創造性を優先する方法)のブランドにとってツラい状況になっているため、上海ファッションウィークへの期待が高まっているということでもある。すぐに大きなビジネスにつながらなくても、毎回新しい中国各地のバイヤーと出会えるので、2回、3回と続けて出展するブランドが多いですね」

 こう語るのは、上海を拠点に日本のブランドの中国進出を支援するKMT inc.代表の兒玉キミト氏。特に地方都市の需要が伸びているという。

「一級都市はブランドやセレクトショップが増えすぎて飽和状態ですし、東京やニューヨークへの直行便も多く、バイヤーは東京コレクションやニューヨークファッションウィークに直接行ってしまう。そうした環境ではない重慶、成都、西安、烏魯木斉などのバイヤーのエネルギーを強く感じます。情報や物量が多い一級都市とはファッションに対するリテラシーも違うので、それほど知名度が高くないインディペンデントブランドでも、バイヤーが気に入りさえすれば受け入れられる可能性が高い。しかも、中国は人口が多いので、一部の人に受け入れられるだけでも十分商売になる点が魅力となっています」(兒玉氏)

 また、日本からの出展ブランドが急激に増加した背景には、通信速度の向上とインターネット利用者の増加が関係しているのではないかと兒玉氏は分析する。中国で4G回線のサービスが始まったのが、13年末から14年にかけて。15年に総人口に対するネット利用者の割合が50%を超え、海外のファッションメディアにアクセスするようになるなど、地方都市に至るまで若者のファッションセンスが大きく向上した。ECサイトも日本以上に浸透しており、ネットショッピング大手「天猫(Tモール)」「京東商城(ジンドン)」のほか、「YOHO!(ヨーホー)」というサイトがストリート系では圧倒的人気を誇る。もともとファッション誌からスタートした「YOHO!」は、メディア、小売、イベントの3つを事業の柱として業績を伸ばしている。

「ただ、中国ファッション市場で気をつけるべき点は、やはり偽物。今年6月、上海に旗艦店を出していたフェイクブランドのシュプリーム イタリアが、本家シュプリームの働きかけにより中国での登録商標を抹消されたばかり。こうした点は日本よりトラブルが多いですね。また、バイヤー側が日本と比べると成熟しておらず、経営スキルが高くないケースが多々ある。そのあたりは取引先となったときに注意しておかないと、経営が突然傾いて損失を被る可能性もあります」(兒玉氏)

 そんなリスクがありつつも、日本を含めたさまざまな国外ブランドが中国市場を狙っているわけだが、中国発のブランドも負けじと成長し、今後は世界に打って出るケースが増えてくるかもしれない。中国の若手デザイナーを取材するファッション・ジャーナリストの倉田佳子氏は、このように語る。

「上海ファッションウィークの開催期間中に行われる、国内の若手デザイナーや新興ブランド(下段コラム参照)をフィーチャーしたショー『LABELHOOD(レーベルフッド)』は毎回、上海当代芸術博物館やTANKといった十分な広さのある大型美術館を会場として使い、大がかりに開催しています。ショーのフロントロウには、欧米のショーでも見かけるような有名メディアの編集長や人気ブロガーらが招待ではなく、自発的に取材に来ていますね。中国国内のみならず、海外からも注目されていることがよくわかりますよ」

 前出の兒玉氏も中国ブランドや人材に着目している。

「やはり資本力があるので、海外進出は大いにあり得ます。実際、スポーツアパレルブランドの李寧(リーニン)はニューヨークでショーを開催し、その話題を受けて中国国内でも『海外でウケている』と購買者が増加、業績を回復させています。これからも、ブランディングという意味で欧米に打って出ようと考えるブランドは増えるでしょう。とはいえ、海外進出には財力だけでなく、ファッションに関する知識やスキル、センスなども磨く必要があるわけですが、その点では、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズやニューヨークのパーソンズ美術大学、日本の文化服装学院など世界のファッション名門校で中国の留学生が増加している。このように海外留学を経験してから中国で働く若者たちは“海亀”と呼ばれ、期待されていますね」(兒玉氏)

 しかし、「LABELHOOD」のファウンダー/ディレクターであるターシャ・リュウに取材したことがある前出の倉田氏は、こうした留学一辺倒の教育システムに疑問を呈する。

「海外のファッションスクールに行く前段階としての塾が中国国内に何校もあるのですが、そこを経て留学するとなると、トータルの学費はかなりかかる。つまり、国内の学校で優秀な人材を十分輩出できる日本と違い、中国には留学させられる経済力のある家庭の子女でないとファッションデザイナーになれない、という暗黙の了解が染み付いているのです。留学から帰国した後、家族経営をして家族に還元するという価値観もいまだに根強く残っていますが、ターシャは金銭面を第一条件とせずに、純粋にクリエイションを重んじる学生を育てられる安定した環境を整備すべく動き始めているようです」(倉田氏)

 上海ファッションシーンにカネが飛び交い、熱気を帯びているといっても、文化としての成熟はもう少し先のことかもしれない。しかし、変化は速い。中国のファッション界が猛スピードで成長し続けているのは間違いない。

「『LABELHOOD』は単に若手のブランドを業界内に紹介するのみならず、演出面で一般客を楽しませるために工夫をするなど、クリエイション全体を成長させようという気概を感じます。その上で、国外へのプロモーション活動に積極的に取り組み、スポンサーを集め、長期的なビジネスとしても成り立たせようとしているんです。そこに、服として魅力あるブランドがもっと増えていけば、海外でもより面白い展開を見せるのではないでしょうか。また、デザイナーだけでなく、メディアという面でもWeChatを中心に発信する個人がブランドのプレスリリースをそのまま記事にするなど未熟な部分があるので、批評の環境が整備されれば相乗効果でファッション界が底上げされていくと思います。いずれにしろ、成長の速度がスゴいので、今後が楽しみですね」(倉田氏)

“メイド・イン・チャイナ”がオシャレの象徴になる日は、目の前に来ている。(サイゾー8月号『中韓(禁)エンタメ大全』より)

【五所純子/ドラッグ・フェミニズム】父親の異なる3人の子と暮らせないSM嬢・環がドラッグで試す自制心

――覚醒剤、コカイン、大麻、向精神薬……クスリに溺れる女たちを嗤うのはたやすい。だが、彼女らの声に耳を澄ませば、セックスやジェンダーをめぐる社会の歪みが見えてくる。これは、文筆家・五所純子による“女とドラッグ”のルポであり、まったく新しい女性論である。

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タトゥーが大胆に入っているSM嬢の環。その口ぶりは明るい。(写真/草野庸子)

「だって戒めでしょ。クリーンな娘がジャンキーの母について語るって、母親に罰を与えてるようにしか読めない。他の女の子も暗くて悲しい話ばっかり。私はそんな書かれ方されたくない。私みたいに明るいジャンキーだっているよ。まぁでもね、薬は悲しい話が多いし、私も昨日は暗かった。ロヒプノール【註1】50錠飲んで集中治療室に入ったこともある。でもだからさ、ここに出てくる女の子には過ちだって思ってほしくない。糧にしてほしい。そのためにも私が強く明るく生きてくことだと思ってる」

 46歳の環が大腸の手術をしたのは1年前。はじめて人生の残り時間を逆算し、はっきりと思った。「私には愉しむ権利がある」。病と付き合っていく自分を奮い立たせる宣戦布告のようなもの。

「私は懲りてないし、やめるつもりもない。黙ってても世論は動いていて、そのうち日本でも大麻は合法化されるだろうね。でも、風当たりは強いでしょ。意識改革のための犠牲者にだったら喜んでなるよ。私はジャンヌ・ダルクになりたい」

 ここまで言って環は少しだけ声を落とした。「この店は息子の学校が近いから、ママ友がよく来るの。まぁ、こんなに刺青入ってて隠れようもないけどね」と気を取り直して笑う。環は話しながらよく鼻を触った。

「はじめての薬物は?」という定番の質問には「16歳のときにアメリカで大麻」とカッコつけてきた環だが、実のところは曖昧だ。「たぶん15歳の原宿で、回ってきた大麻を吸ったのが最初だった気がする」。薬に興味があるというより、輪に溶け込みたい一心だったと、いまならわかる。

「ホコ天帰りに大勢で居酒屋に行って、煽るように飲んでは吐いて、道端でパンツ丸出しで寝てたのね。それがセクシーだって勘違いしてた。無防備だよね。10代って自分の魅力がまだわかんないでしょ。だから自分を大事にするより世間を知りたい、世間を知るために自分を利用してもいいって気張っちゃう。若さゆえの無知って武器だし、私はそういう子が大好き。でも痛い目にも遭って、女の子は賢くならざるをえない。オトコは懲りない、学習しない、人のせいにする。オンナは顧みる、後悔する、己のせいにする」

 自責自罰の回路から飛び出して笑う。それが力業の割り切り方だということもわかっている。だから彼女はますます笑う。陰気な自省を吹き飛ばすように盛大に笑ってみせる。

アメリカ留学中に受けた〈レイプまがい〉体験

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世界第2位の映画大国に自由はない! 突如公安が乗り込んできて検閲! 中国映画1兆円市場・真の良作

――映画の本場アメリカに迫る勢いで世界随一の映画大国になりつつある中国。しかし、そこには政府による「検閲」という他国にはない事情が横たわっている。この検閲をくぐり抜けるべく、かつて若手映画人たちは死闘を繰り広げていたが……。

 2018年、中国における映画の興行収入は609億元(約9700億円)を記録した。12年には、日本と同程度の2000億円強という市場規模だったものの、わずか6年でその規模は5倍近くに急拡大。世界最大の映画大国である北米の1兆2000億円を抜き去るのも時間の問題とみられている。

 そんな映画大国に成長した中国の映画産業において、いまだ大きな壁として横たわっているのが「検閲」という制度。グーグルやフェイスブック、ツイッターといったサイトへのアクセスを遮断しているインターネット上の検閲は有名だが、映画においても、検閲によって暴力描写や同性愛描写、そして天安門やチベットをはじめとする政治問題などを描くことは徹底的に禁止されている。

 いったい、中国における映画検閲とはどのような仕組みになっているのだろうか? そして、映画関係者は、どのようにして厳しい検閲をくぐり抜けているのだろうか?

 検閲に触れる前に、まずは、中国映画産業の現状について確認してみよう。

 かつては中国の庶民にとって贅沢な娯楽であった映画鑑賞だが、近年の急速な経済成長に伴う生活水準の向上によって、観客の数も爆発的に増加。特に、ここ数年は全国あちこちにシネコンが建設され、スクリーン数は中国全土で6万にまで膨れ上がっている。この数字は、アメリカの4万スクリーンを抜き去り世界一。このような同国の「映画バブル」はすでに、日本でも話題となっている。作品別の興行収入では、1位を獲得した中国映画『オペレーション:レッド・シー』は36・5億元(約589億円)、外国映画でも『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』が23・9億元(約386億円)『ジュラシック・ワールド/炎の王国』が16・9億元(約273億円)というまさにケタ違いの興行成績をあげており、このうち、中国国外の映画会社に対しては興収の25%を分配する取り決めが行われている。

 そんな爆買いならぬ「爆見」状態の中国の映画市場に対して、ハリウッドの映画関係者は熱視線を注いでいる。近年製作された映画のうち少なくない作品が中国市場に食い込むために、さまざまな方法を駆使しているのだ。『映画は中国を目指す─中国映像ビジネス最前線─』(洋泉社)などの著書がある北海学園大学教授・中根研一氏は中国映画に対するハリウッドの姿勢を次のように解説する。

「以前はハリウッド映画において、中国人俳優は端役程度の存在として起用されることが多かったのですが、近年は、ストーリーにしっかり絡んだ役柄で登場することが増えていますね。16年1月に中国企業、大連万達グループに買収されたレジェンダリー・ピクチャーズが制作を手がけた『パシフィック・リム:アップライジング』ではジン・ティエン、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』ではチャン・ツィイーといった中国人女優が作品の中でも重要なキャラクターを演じ、中国の観客に対してアピールをしているほか、マーベル・シネマティック・ユニバースでは、初のアジア系スーパーヒーローを主人公とする『シャン・チー』を準備しています。ハリウッドの中にある出演者の民族的多様性を重視する流れにも後押しされ、主要登場人物としての中国人俳優の起用がかつてよりも明らかに多くなっていますね。

 また、作品の内容だけでなく、中国国内で展開されるプロモーション活動も、以前に増して活発化しています。19年だけでも、『デッドプール2』、『アベンジャーズ/エンドゲーム』、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』、『Xメン/ダーク・フェニックス』といった大作映画の監督やキャストが映画の公開前に訪中し、サービス過剰なほどさまざまな話題作りのイベントに積極的に参加。また、昨年大ヒットを記録した『アクアマン』や、今年公開の『スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム』などは、本国よりも早い封切り日を設定しています」

 しかし、中国市場に参入しようともくろむ外国映画の前に立ちはだかるのが、中国政府が設定する「映画輸入制限」という制度。中国では、年間に上映される外国映画の本数が当局によって決められており、18年に公開されたのはわずか40本。10年代を通じてその数は徐々に拡大傾向にあるものの、他国に比較すると、ほとんどその門戸は開かれていない。

 また、この映画輸入制限本数については政治的な状況にも大きく左右され、近年の規制緩和の流れがいつ途絶えるかは定かではない。

「日中間が領土問題に揺れた13~14年には、日本映画が公開されませんでした。また、16年、韓国がTHAADミサイル配備を決定すると、中国政府は韓国文化の輸入規制を実施し、ドラマや映画の放送・上映ができなった過去もあります。現在、輸入制限は規制緩和の方向に動いていますが、今後、政府間の関係が緊張すれば特定の国の映画を輸入規制によって排除するといった対策をとることも十分にあり得るでしょう」(前出・中根氏)

 日本やアメリカのような国家とは異なり、伸長する中国映画市場の背景には、国家の思惑が強く影響する。トランプと習近平が繰り広げる貿易戦争を、映画関係者はヒヤヒヤした目で見つめているのだ。

 そんな「政府の思惑」が、輸入規制以上にダイレクトに反映されるのが検閲制度だ。

 中国では、すべての映画に対して検閲が義務付けられており、「暴力描写」「同性愛描写」「オカルト表現」「公序良俗に反する描写」「政治的にデリケートな問題」といった項目で問題があると見なされると、削除や修正指示が出され、従わなければ制作や上映は許可されない。中国国内で製作された映画はもちろん、中国国内で上映される外国映画も検閲の対象となっており、昨年世界的な大ヒットを記録した『ボヘミアン・ラプソディ』は公開こそされたものの、同性愛についての描写がすべてカットされてしまった。同様に、数々の映画が検閲によって上映禁止や修正処理という苦汁をなめてきたのだ(※コラム参照)。

 東京フィルメックスのディレクターであり、中国の映画祭でもコンペティション審査員を務めている市山尚三氏は、中国の検閲事情を次のように語る。

「中国では、検閲の基準が明文化されておらず、上映禁止になったとしても『技術的な問題』としか発表されません。おそらく、内部では基準があるはずですが、一般には公開されていないんです。その結果、検閲の基準は、検閲委員会に集められた審査員によって、あるいは検閲を受ける都市によってもまちまちという状況になっています。

 今年のカンヌ国際映画祭に出品されたディアオ・イーナン監督『ザ・ワイルド・グース・レイク』の劇中には、バイクに乗っているキャラクターの首がヘルメットごと吹き飛ぶという残酷描写がありました。日本ならばR指定を免れないそんな描写が含まれているにもかかわらず、中国では検閲を通過している。おそらく、この映画を担当した検閲委員会の基準が緩かったのでしょうね」

 そして昨年、そんな検閲制度をめぐって、大きな変更があった。これまで、国家新聞出版広電総局に属していた検閲を担当する部署「国家映画局」が、共産党中央宣伝部の管轄下へと移行したのだ。この制度改変によって割を食ったといわれるのが、『HERO』や『LOVERS』『初恋のきた道』といった作品で知られる中国映画の巨匠チャン・イーモウ。今年のベルリン国際映画祭で、その事件は勃発した。

「これまでの検閲は、映画界の実情を知っている人間が窓口を担当していたため、『カンヌに出品することが決まったので、早く委員会を招集して検閲を行ってほしい』といった融通は利いていた。しかし、共産党宣伝部が窓口になることで、そんな融通すらも難しくなってきているようです。

 今年5月、チャン・イーモウの作品『ワン・セカンド』がベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品される予定だったものの、直前になって“技術的な問題”から、上映が取りやめになったと発表されました。チャン・イーモウはこれまで、文化大革命を扱った『活きる』が許可を得る前にカンヌ映画祭で上映されたため、その後の国内での公開が禁止されてしまうなど検閲によって辛酸をなめてきた人物。検閲制度の事情は知悉しているはず。そんな彼の作品も、新たな検閲制度を前に、上映中止という事態に陥ってしまったんです。

 ただ、検閲そのものの基準が変更されたのかについては、まだ定かではありません。今後、どのような作品が出てくるかによって、現在の基準が明らかになってくるのではないかと思います」

 インターネット上の検閲に目を移せば、中国国内での規制は年々厳しくなっており、これまで抜け道となっていたVPNの使用も危ぶまれている。今後、共産党政権が映画産業に対してもこれまで以上に強い規制をかけていくという流れは十分に考えられるだろう。

 では、中国の映画作家たちは、そんな検閲に対抗するために、どのような手段を取っているのだろうか?

 90年代以降、中国では「独立電影」と呼ばれるインディーズ映画が製作されてきた。検閲を受けない代わりに、中国国内の映画館における上映を諦め、自主的な上映会や、国外の映画祭への出品といった方法に活路を見いだしてきたこのシーンは、デジタル機器の発達も相まって、00年代以降急速に盛り上がっていった。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得したジャ・ジャンクーや、天安門事件を描いた『天安門、恋人たち』を未検閲のままカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品したことから5年間の活動禁止処分を受けたロウ・イエ、これまでカメラが入ったことのない中国の精神病院内部を映した『収容病棟』などで知られるワン・ビンなど、国際的な映画祭で活躍する監督たちもこのシーンの出身だ。

 しかし、シーンが盛り上がりを見せるにつれて、当局は独立電影に対しても厳しい目を向けるようになる。特に、その弾圧が強まっていったのが、11~12年にかけて。北京インディペンデント映画祭は開催前日に当局によって中止を言い渡された。また、別の映画祭では突如公安が乗り込んできて検閲を要求したり、映画祭を中止にする代わりに会場となる地域一帯を停電にするといった、他国では考えられない妨害を繰り返した。

 そんな当局による執拗な圧力が成功したのか、ここ数年、独立電影シーンの存在感は徐々に薄れつつあるという。また、独立電影が下火になった一因として前出・市山氏は、「当局の圧力だけではなく、中国映画のバブル的な状況も関係があるのではないか」と指摘する。

「近年の映画バブル的な状況は、独立電影の作家たちをも変えつつあります。資金があふれている中国では、無名の作品であっても制作資金を集めやすい環境になっており、1億円の製作費を集めることも可能です。また、乱立するネット配信企業がコンテンツを探しているため、配信契約を結べば最低3000万円を保証するといった条件が提示されることも珍しくない。ただ、出資を受けるためには検閲を通して一般公開をすることによって資金を回収するのが条件となります。そんな状況が、独立電影の映画監督たちに検閲から自由になるために無理して自己資金で映画を製作するよりも、検閲を受ける代わりに資金的な自由を獲得してクオリティの高い映画づくりを優先させる流れを生んでいるのではないか。映画をめぐる環境の変化も、独立電影が勢いをなくしていった一因でしょうね」

 検閲に対抗するのではなく、あえて体制の監視下に入って映画づくりを行う道を選んでいる中国の若手映画監督たち。では、今後、中国において体制に抵抗するような作品はますます生まれにくくなってしまうのだろうか? そんな疑問に対して、前出の中根氏は、こんな兆候に一筋の光明を見いだす。

「近年、商業映画の中でも、これまで描くことがタブーとされてきた中越戦争(79年に勃発した中国とベトナムの戦争。事実上、中国軍の敗退)を描いた『芳華―Youth―』や、コメディながら実際の事件をモチーフにして中国国内における高額薬の問題を描いた『ニセ薬じゃない!』といった社会派の作品も検閲を通過し、興行的にもヒットしています。目の肥えてきた観客がこのような作品を求め、積極的に評価するようになれば、今後も骨太なテーマを持つ作品が上映されていくのではないでしょうか」

 とはいえ、検閲の枠組み内で活動する以上、天安門事件やチベット問題など、国家の根幹を揺るがす事件をテーマとした作品を制作することは絶対に不可能であり、同性愛を直接的に描くことも現状では難しいだろう。

 不明瞭な基準による検閲制度のもとで、拡大の一途をたどる中国の映画産業。これを支配する中国政府の意向が、全世界の映画産業に大きな影響を及ぼしていくのも時間の問題だ。

悲劇のヒロインは再起できるか?――『山口真帆』がいるだけで

『山口真帆』

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元NGT48の山口真帆が事務所を研音に移籍し、再スタートを切った。例の暴行事件で悲劇のヒロインのイメージだったが、ここへきて「嘘をついていた」的な情報が出てきている。事件の全貌は複雑だから各自検索してね。知ってる前提で書きますよ。今回は。

 元NGT48の山口真帆が、暴行事件のなんやかんやで事務所を移籍し、女優として再スタートを切った。

 移籍後初のメディア出演がラジオで、しかも特に縁もゆかりもない番組『Skyrocket Company』(TOKYO FM)という矢沢永吉ばりの「Why? なぜに…」な出だしではあったが、コレを聴いた人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。

 厳しいことを言えば、現時点で彼女を心底応援しようと思っているのは、もとからのファンぐらいだろう。大半は「大変だったね。がんばってね」と道端で声をかけてくるおばちゃん程度の熱量だ。実際、私もそのクチだった。だが、番組を聴いて態度を改めねばという思いに駆られた。

 落ち着いたホワンとした話し方。笑い方が「アハハ」ではなく「ウフフ」なのも良い。一生懸命トークしようとするものの、空回りしてしまういじらしさ。正直、この時点で顔はうろ覚えだったが、声だけで十分ひきつける魅力がそこにはあった。

 ただ、悲しいかな私のような新規ファンがいまいちノリきれないのは、ここへきて暴行事件の真相がよくわからなくなってきたという点にある。現在、NGT48の事務所AKSは、逮捕されたものの不起訴となった男性ファン2人に対して訴訟を行っている。その中で被告が「山口とは以前から“つながり(私的交流)”があった」などと供述。こうなってくると彼女が主張していた事件の構造そのものが変わってきてしまう。AKSの吉成夏子社長も「山口が嘘をついている」的な発言をしており、週刊文春も社長のコメントや事件直後の山口と犯行グループたちとの話し合いの音声データを公開するなど、悲劇のヒロインから一転させるかのような情報が、続々と出てきているのだ。

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萱野稔人と巡る【超・人間学】「宇宙生物学と脳の機能から見る人間」(前編)

――人間はどこから来たのか 人間は何者か 人間はどこに行くのか――。最先端の知見を有する学識者と“人間”について語り合う。

今月のゲスト
吉田たかよし[医学博士]

今回のゲストは受験生専門の心療内科クリニック院長の吉田たかよし氏。NHKアナウンサー、政治家秘書、宇宙生物学、脳科学の研究者など、多彩な経歴を持つ吉田氏に生命の進化、人間の脳について問う。

“はやぶさ2”と生命の起源

萱野 吉田先生は東京大学大学院で、宇宙全体の観点から生命の成り立ちを考察する“宇宙生物学”を研究された後、医学部に再入学して医師免許を取得されました。NHKアナウンサーや政治家の秘書としても活躍され、現在は受験生専門の心療内科クリニックを開業されています。こうした極めて多岐にわたる経歴から吉田先生が「人間とは何か」についてどのようなお考えを持っているのかを、今回はおうかがいしたいと思います。まずは時事的なトピックでもありますし、小惑星探査機“はやぶさ2”の話から始めさせてください。

吉田 よろしくお願いします。

萱野 はやぶさ2が地球近傍小惑星“リュウグウ”の地下物質サンプルの採取に成功しました。このニュースは「生命の起源に迫ることができるかもしれない」と話題を呼んでいますが、そもそも宇宙の小惑星の地下物質と生命の起源がどうして関係があるのか、疑問に思う人も多いのではないかと思います。この点からご説明いただいてよろしいでしょうか?

吉田 まず、地球上に存在している生命を構成する最も基本的な物質は、水とアミノ酸です。

萱野 この2つが、生命が誕生するための根源的な必要条件であるということですね。

吉田 この2つがあれば、生命誕生の最低限の条件はクリアできます。まず、水は宇宙の至るところに存在しています。彗星は“汚れた雪だるま”なんていわれているように、ほとんどが凍った水でできていて、太陽の熱で溶けるから尾ができるのです。ですから、問題になるのはアミノ酸がどこから来たのか、ということになります。

萱野 アミノ酸といえば、結合して“タンパク質”を作るもの、というイメージがありますが。
吉田 アミノ酸から作られるタンパク質が、生物の“細胞”を構成するために最も重要な物質なんです。地球上で生きている生命はすべて、アミノ酸を組み合わせて作られた精密機械ともいえます。このアミノ酸がどこで生まれたのかという問題は、昔からさまざまな議論になってきました。かつて有力だったのは、アミノ酸は原始地球で生成されたとする説。1953年のアメリカの化学者ミラーの実験によるものです。この実験では原始地球の大気の成分とされるメタン、アンモニア、水素、水の混合気体に雷を再現する放電を行い、数種類のアミノ酸の合成に成功したんです。しかし、後に原始地球の大気にメタンやアンモニアが含まれていなかったことがわかり、ミラー説は怪しくなってきました。そこで、アミノ酸は地球ではなく、宇宙空間で合成されたのではないかという説が浮上してきます。それが何らかの方法で地球に運ばれて生命のもとになった、ということですね。私も東大工学部にいた頃、野辺山宇宙電波観測所で牡牛座暗黒星雲から飛んでくるマイクロ波の中にアミノ酸が合成される化学反応の痕跡を探すという研究プロジェクトに参加していました。しかし、アミノ酸の検出は大変難しく、これまで誰も成功していません。

萱野 宇宙空間でアミノ酸が合成されたと考えられる理由には、どのようなものがありますか?

吉田 太陽系にアミノ酸が存在する間接的な証拠はたくさん見つかっています。例えば、宇宙から飛来した隕石からもアミノ酸が見つかっています。隕石の表面には地球のアミノ酸が付着してしまっているのですが、隕石の内部からもアミノ酸が発見されているので、これは宇宙にアミノ酸が存在するという証拠のひとつです。とはいえ、隕石の内部で見つかったアミノ酸は微量なので、実験中の混入も完全には否定できません。ですから、はやぶさ2が持ち帰ってくる“リュウグウ”の地下物質が重要になるのです。もし、そこからアミノ酸が見つかれば、それはアミノ酸が太陽系に存在するという決定的な証拠になります。さらに、46億年前に太陽系ができたとき、地球などの惑星は誕生時のエネルギーでドロドロに溶けていますから、当然アミノ酸も壊れてしまっています。しかし、リュウグウなどの太陽から離れた小惑星は太古の状態をとどめているため、その地下物質からアミノ酸が検出されれば、アミノ酸は太陽系よりもさらに古いということになります。ということは、地球と同じタイプの生命が宇宙のさまざまな場所に存在していてもおかしくないわけです。そこにロマンがあるんですね。

萱野 水とアミノ酸が宇宙の至るところに存在しているのであれば、環境さえ整えば、どこでも生命が誕生する可能性はあるということですね。では、地球上の生命は、どのようなステップを経て生まれたと考えられるでしょうか?

吉田 まず細胞を再生産することができる能力を持つことを原始的な生命の定義としましょう。その誕生には複数の説がありますが、有力なのは、まず生命が誕生する前段階として細胞の原型となる“コアセルベート”という小さな袋状のものができたという説です。そこにアミノ酸が取り込まれて酵素ができ、膜の外のものを取り込む代謝の機能が生まれ、何らかの偶然でタンパク質の鋳型となる遺伝物質RNAが細胞に含まれて、再生産が行われるようになった――この生命誕生のプロセスが行われた場所として有力視されているのが、海底の“熱水鉱床”です。

萱野 熱水鉱床とは具体的にはどのようなところですか?

吉田 海底の火山活動によって熱水が噴き出し、そこに含まれる成分が冷却されて沈殿している鉱床です。ここでは水が高温高圧によって超臨界という特別な状態になっており、アミノ酸が自動的に結合することも可能です。さらに、熱水鉱床から少し離れたところでは水の温度は一気に下がっていて、この極端な温度差をエネルギー源に利用して生命が誕生したと考えられているのです。

萱野 その熱水鉱床と同じような条件が整えば、地球以外でも生命誕生の可能性はあり得るわけですね。

吉田 例えば木星の衛星エウロパには広大な海があり、海底には熱水鉱床が広がっているといわれています。そのほかにも、かつての火星や土星の衛星タイタンにも生命が誕生し得る環境があり、そう考えると、太陽系に限っても、地球以外に原始的な生命が存在する可能性は低くないでしょう。ただ、地球に誕生した生命の場合は、当初こそ熱水鉱床の熱をエネルギーにしていましたが、やがて光合成という太陽エネルギーを利用するシアノバクテリアが登場し、光合成によって地球上に酸素が増えると、今度は酸素を細胞の分裂に利用する生物が誕生――と進化を遂げていったんですね。ここでちょっとおうかがいしたいのですが、萱野先生はいわゆる“宇宙人”は存在すると思いますか?

萱野 地球外に生命が存在する可能性はあっても、人間のような高度な知性を持った生物が存在するかどうかはまったく別の話なのではないでしょうか?

吉田 そうです。地球外に生命が存在するということを、一足飛びに知的生命体が存在することと同一視してしまう人は案外多いのですが、これは全然違う話なんですね。地球上に生命が存在するのは必然だと思いますが、人間が存在するのは奇跡中の奇跡といってもいいぐらいの偶然が重なった結果だといえます。例えば、もし月がなかったとしたら、人間は地球上に存在していないでしょう。

萱野 月がなければ、地球に生物はいても、人間までは進化しなかったということですか?
吉田 月の潮汐力によって大陸まで潮が押し寄せて地殻を削った結果、ナトリウムが海に溶け出して“塩水”という環境ができあがりました。人間の体はナトリウムイオンを使って神経や筋肉をコントロールしていますが、それは生命を育んだ海水に由来しています。もし、月がなかったらこのような進化はあり得なかった。この海水の環境を作ることになった月も、太陽系ができたばかりの約45億年前、地球に原始惑星が衝突した“ジャイアント・インパクト”のときの破片が集まってできたものとされています。太陽の寿命自体があと50億年程度といわれていますが、もし月がなかったら、人類の誕生はそれまでに間に合っていなかったでしょう。

萱野 原始的な生命が誕生した約38億年前から人類の誕生まで長い時間がかかりましたが、その間には宇宙の成り立ちに関わる偶然もあったということですね。その過程をひと言で表すなら、何といえるでしょうか?

吉田 それは破壊と創造の連鎖だと思います。その意味で最も大きな影響を与えたのは“木星”の存在でしょう。

萱野 木星ですか?

吉田 木星の位置が絶妙なんです。この木星の距離が近すぎても遠すぎても、今の人類は存在しなかったと思います。人類が誕生するに至った最も大きな分岐点は、6500万年前にユカタン半島沖に隕石が落ちて恐竜が絶滅したことです。それまで恐竜に見つからないよう夜中にコソコソと活動していた哺乳類が活動領域を広げるようになり、急激に進化していきました。その頂点に立っているのが人類といえるわけです。それ以前にも何度か、隕石やそのほかの環境の変化によって地球上の生物は大量絶滅して、リセットされています。生物の進化には適度な間隔のリセットが必要なんですね。その中で人類にとって最も重要なリセットが6500万年前の隕石だったのです。もし木星の軌道がもっと外側だったら、木星の重力の影響が少なくなるため、地球に頻繁に隕石が降ってくることになります。6500万年前に恐竜がリセットされたことが哺乳類にとっては幸運だったわけですが、その後に同規模の隕石が降ってこなかったことも大きい。もし、降ってきていたら、そのときは哺乳類がリセットされて、また違う種が台頭していたはずです。ただし、高度な知性を獲得するには6500万年という年月が必要なので、リセットが頻繁だと、いつまでたっても高度な知性には到達できないはずです。逆に木星の軌道がもっと内側だったら、木星の重力に引っかかるので、6500万年前の隕石は降ってこなかった可能性が高い。そうすれば、今でも恐竜が地球を支配していたかもしれないし、少なくとも哺乳類が台頭する時代はもっと遅くなっていたはずです。

萱野 木星と地球との距離が人類誕生の大きな鍵となっているなんて、ものすごく壮大な生命観ですね。ところで、そうした隕石の落下による環境の激変も含めて、人類の誕生に至る生命の進化の過程というのは、複雑化の過程として考えられるものでしょうか?

吉田 単純に見える生物が複雑なシステムを作り上げていることはよくありますから、人間が最も複雑な生物であるとは断定できませんが、約40兆という細胞の数だけ見れば、それだけ複雑化しているということは間違いないでしょう。そしておっしゃる通り、環境の変化による大量絶滅は地球上で何度も起こっていて、その後に生まれた生物は確かにより複雑化しています。シアノバクテリアの登場によって原始地球にはなかった酸素ができましたが、当時の生き物にとって酸素は有毒でしたから、数多くの種が死に絶えました。しかし、今度はエネルギー効率のよい酸素を呼吸に利用する生物が生まれてきたのです。古生代にはカンブリア大爆発が起きて生物は一気に多様化しましたが、P-T境界で大量絶滅があって、その後の中生代で恐竜と哺乳類が誕生しています。環境の激変による大打撃で淘汰され、生き残った種が新たな環境に適応するために新たな体の仕組み、生きていく仕組みをより複雑化させるほうに進化していったといえます。

萱野 複雑化の結果として、地球上の生物はかなり多様化しました。ただその一方で、地球上の生命は水とアミノ酸から生まれたことを考えると、むしろ生物全体で共通しているところも多いのではないでしょうか?

吉田 これもまたびっくりすることなんですが、地球上のあらゆる生物の細胞の構造、働きは、基本的にすべて同じ。極論すると地球上の生物は“一種類”しかいないともいえます。バクテリア、原生生物、菌類、植物、動物、人、すべて細胞が生きる基本的な仕組みは共通しているんですね。

萱野 私が吉田先生の著作『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』を読んで面白いと感じたのは、そのような基本的な仕組みのもとで人体を説明していくところでした。原子のレベルにおける基本的な仕組みから生命を論じていく宇宙生物学を見れば、人間も他の生物と変わらないという視点をとても斬新に感じました。

吉田 生命を化学的な反応から見れば、もちろんすべての生物は同等ですよね。人間だから特別な地位を与えるようなことはありません。ただ、そこには人間の“精神”や“心”という観点が欠落しています。例えば哲学者が人間を語るときは、そういった人間の確固たる意思や精神性といったものを前提にしているのではないですか?

萱野 そこは哲学者によっても変わってきますね。人間の意思や精神性を重視する哲学者がいる一方で、人間の身体や物質性を重視する哲学者もいます。両者の違いを端的に言うと、人間は信じるから祈るのか、それとも祈るから信じるのか、という違いです。私自身はどちらかといえば後者の立場です。人間の精神性はとりあえず“カッコ”に入れて、まずは“存在”としての人間がどういったものなのかというところから考えていこうという立場ですね。

吉田 それは、哲学者としては一般的な考え方なのでしょうか?

萱野 必ずしもメジャーとはいえないかもしれません。やはり中世以降のヨーロッパの哲学はキリスト教神学の発展と切り離せませんし、基本的に哲学は人間中心の学問として進展してきましたから。ただ、スピノザやハイデガー、フーコーなど、そうではない哲学の系譜も一方にはあって、そこでは逆に、人間中心の視点を一度“カッコ”に入れることではじめて「人間とは何か」を明らかにできると考えられています。

吉田 なるほど。「人間とは何か」という問いは、立場によって答えが変わってきますよね。1000の立場があれば、1000の答えがある。そして、“人間という物質”は間違いなく存在しているわけですから、その物質がどうなっているのかという側面を見る意味は大きいでしょう。
萱野 そうした吉田先生の視点には、人間中心の哲学を破壊するだけのインパクトがあると私は感じました。すべての生命を同じ仕組みのもとで見た場合、人間を特別な存在と見ることはできなくなりますよね。

吉田 物質として見た場合はそうしないと成り立ちません。

萱野 その上ではじめて、人間と他の生物の違いとは何かを考えることに意味が出てきます。その場合、その違いはやはり“環境の違い”ということになるのでしょうか?

吉田 私は“環境の多様性”こそが生命を生み出した本質だと思います。

(次号に続く)

吉田たかよし
1964年生まれ。医学博士。受験生専門の心療内科「本郷赤門前クリニック」院長。受験医学研究所代表。東京大学大学院工学系研究科卒業後、NHKに入局。その後、東京大学大学院医学研究科・医学博士課程修了。加藤紘一元自民党幹事長の公設第一秘書、東京理科大学客員教授も歴任。主な著書に『受験うつ』(光文社新書)、『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議 』(講談社現代新書) など。

萱野稔人
1970年生まれ。哲学者。津田塾大学教授。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。主な著書に『国家とは何か』(以文社)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『社会のしくみが手に取るようにわかる哲学入門』(小社刊行)など。

(写真/永峰拓也)