覚醒剤事件から復帰後初ツアーを開催中のASKAにファンがキツイ一言「もっと痩せて出直してきてほしい」

この11月、ASKAがコンサートツアー「ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」をスタートさせた。全国9都市で11公演が行われる同ツアーは、ASKAにとって約5年ぶりのステージだ。

 2014年、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたASKAは、懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を受けた。執行猶予が明けたのは、2018年10月。その後、音楽活動を本格的に再開し、10月にはベストアルバム『Made in ASKA』『We are the Fellows』を同時リリースしている。

 ツアー初日となる11月5日の東京国際フォーラム ホールAでのステージには、朝の情報バラエティ番組『ビビット』(TBS系)のカメラが入り、テリー伊藤による独占インタビューが行われた。今回のツアー、そして『ビビット』でのインタビューについて、ファンはどんな気持ちを抱いているのだろうか?

「ファンとの大切なやり取りが……」
IKKOのモノマネで不信感を抱いたSさん(40)

 ツアー初日を受けた報道では、初めの3曲を歌い終えたASKAが「おまたせ~」「お約束の大ボケ~」「まぼろし~」とIKKOのモノマネをしたことが話題となった。実はこの発言が、ファン的にはひんしゅくものだったと話すのは、40歳の女性Sさん(ファン歴26年)だ。

「ASKAはコンサートのとき、必ず2~3曲歌った後に『待たせたね~』ってあおるのがお決まりだったんですよ。ファンはそれを聞くと一気に盛り上がって『キャー!』ってなるんです。ファンにとっては大切なやり取りなのに、今回はあの言い方……。

 あの事件で、ファンはすごく傷ついたんですよ。ASKAのファンは、みんなASKAのことをひとりの男性として熱狂していた女性がほとんど。それをあんな形で裏切っておいて、『ファンのこと傷つけて、悪かったと反省しているのかな?』って不信感でいっぱいになりました」

 そもそもASKAがノリノリでIKKOのモノマネをする姿自体、見たくなかったとSさんは話す。

「いまさらIKKOのモノマネをするセンスにもドン引きですよね。本人は『控室でウケたからやった』とか喜んでましたけど、あんなこと絶対昔だったらしなかった。単なるサムいおじさんに成り下がって、ファンとしてはこれ以上堕ちていかないでという気持ちです」(同)

2018年10月に発売されたアルバム『Made in ASKA』(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)「ひとりの大人なら、まず謝罪だろ」
事件に対して誠実に向き合う姿が見たかったCさん(45歳)

「一番不満だったのは、謝罪の言葉がなかったことです」と話すのは、45歳の女性Cさん(ファン歴27年)だ。

「今回のコンサートは、再スタートのための大事なステージだったはず。それなのに、『ありがとう』の言葉はあっても、謝罪の言葉はありませんでした。ひとりの一人前の大人なら、第一声はまず謝罪だろ、と。『迷惑をかけて申し訳なかった』とファンに一言謝ってほしかった。

 テリー伊藤さんのインタビューでは、覚醒剤について、『出会ってしまった』『最初は覚せい剤だって知らなかった』みたいな言い方をしていましたよね。販売枚数が伸びない、ライブの動員数が伸びないといったことからの“逃げ”だったのではなどともいわれているけれど、そうではない、と……。言い訳がましいですよね」

 Cさんは、さらに辛辣な言葉を続ける。

「だいたい、あんなシャープじゃないビジュアルで表舞台に出てくるなんて、ファンを馬鹿にしてますよ。老けるのは仕方ないし、もともと筋肉質でムチムチになりやすい人だというのはわかってるんです。でも、以前はシュッとした見られるビジュアルをキープしていて、50歳手前でもものすごくカッコよかったのに……。

 ASKAのこと、本当に大好きだったんです。あんなに好きだった人だからこそ、社会人として自分の起こした事件に誠実に向き合ってほしかった。あんな回答をされては、苦しかったんだろうなという同情や、クリエイターだからしょうがないなんて気持ちは、一切湧きませんでしたね」(同)

 

「ファンが求めているのはオケではなく、バンド形式のステージ」
チャゲアスでのライブが見たかったHさん(37歳)

 復帰第一弾のツアーがオーケストラバックだということに不満を持つファンもいる。37歳の女性Hさん(ファン歴23年)だ。

「オーケストラバックのツアーは、以前も開催されてはいるんです。ASKA自身、過去に現地の交響楽団と共演するアジアツアーを回ったりもしていますし、CHAGE and ASKAとしてもアンプラグドツアーをしたこともあります。

 でも、復帰ツアーがオーケストラバックというのはちょっと……。ASKAのファンは、CHAGE and ASKAでファンになり、バンド形式のライブを楽しんできた人たち。だから、ファンが求めているのはやっぱりバンド形式のライブなんですよ」

『ビビット』の報道では、涙を流すファンの姿もとらえられていた。しかしHさんは「その気持ちもわからないではないけど、ASKAに対しては『すごい』とも『このツアーに行きたい』とも思わない」と、あくまでドライだ。

「オーケストラバックのステージって、ファンも一緒にのるというより、どうしてもファンは歌を“拝聴するだけ”の立場になってしまうじゃないですか。このタイミングだとそれが、自己満足っぽく感じられてしまうんですよね。『YAH YAH YAH』『SAY YES』みたいなヒット曲をやるなら、ヘンにカッコつけずに、ファンも慣れ親しんだライブ形式で演奏して、バーンと盛り上げてくれるほうが、ファンだって絶対うれしいはずですよ」(同)

 2019年2月からは、発売中のベストアルバム『Made in ASKA』を引っ提げてのライブツアー「ASKA CONCERT TOUR 2019 Made in ASKA – 40年のありったけ – 」が、全国14カ所で開催される(追加公演も開催予定)。Hさんは、「こちらには行ってみたい」と語る。

「興味本位で観ておきたいとかじゃないんです。あんな事件があった以上、昔みたいに純粋にはしゃぐことはできないですし、常に『悲しいな』と思いながら聴いているとは思います。けれど、やっぱり昔からのファンとして、ちゃんと1回は生で聴いておきたいって気持ちはあります。

 だって、薬物犯罪は繰り返す人も多いと聞きますし、実際2016年に再逮捕もされちゃいましたよね(こちらは嫌疑不十分で不起訴)。今後、ASKAの身にまた何かあったり、そうじゃなくても本人が『活動しない』なんて宣言しちゃったら、もう肉眼では一生彼を観られなくなってしまうんですよ。どういう形であれ、ASKAが活動していて自分が生きているうちに、一度はステージを目に焼き付けておきたいなとは思うんです。なにより……昔の曲はやっぱり、本当にイイんです。すごいんですよ。ASKAは、才能がある人なんですから」(同)

 彼女たちの言葉のはしばしから感じられたのは、“愛した男”に裏切られた苦しみ、人間としてこれ以上堕ちてほしくないという切実な願い、そしてその才能をどこかで信じ続ける気持ち。彼女たちが再びASKAを愛する日は、やって来るのだろうか。

(文/左 団扇)

水道民営化は確実に失敗する! 成功の見込みが薄い法律をなぜ安倍政権は通そうとするのか

 11月27日、いまだ生煮え状態の出入国管理法改正案を衆議院で強行採決した安倍政権だが、さらにもうひとつ、国の根幹に関わる重要法案を、まともな議論もないまま成立させようとしている。

 11月22日から水道の民営化を押し進める水道法改正案が参議院厚生労働委員会で審議入りしているが、今国会で強行採決されるのではと見られている。

 水道法改正案は7月の通常国会ですでに衆議院を通過。野党からは反対意見が出ていたが、わずか8時間で可決してしまっている。

 国民の「命」に直接関わる法案であり、与野党できちんと議論したうえで問題点を洗い出すべきだが、いつも通り安倍政権にそのような姿勢は見られない。

 そもそも、なぜ水道事業を民営化させる必要があるのか?

 政府はその理由について「高齢化社会が進み人口が減少していくなか、水道事業で得られる収入も減少し、人材も不足していく恐れがある」「高度経済成長期に整備された水道管が耐用年数を迎えている」といったことから、水道事業に民間の力が必要であるとしている。

 しかし、民営化でそのような目的が達成されるかは甚だ疑問。水道を民営化させている国や地域は世界中いたるところにあるが、すでに失敗している前例が山ほどあるからだ。

 巷間指摘されている通り、世界を見れば水道事業はもはや「民営化」ではなく、「民営化したものを再公営化」する動きが主流となっている。再公営化に踏み切ったのは、過去15年間で37カ国235都市にもおよんでいる。なかには、水道会社に多額の違約金を払ってまで再公営化したケースまであるのだ。

水道民営化にともなうトラブルは世界各地で起きている
 11月2日に日本公開されたマイケル・ムーア監督最新作『華氏119』でも、水道民営化をめぐる問題が描かれている。マイケル・ムーア監督の故郷であるミシガン州フリント市は、水道民営化でトラブルが起きた場所のひとつだ。

 パソコンメーカー・ゲートウェイの元会長であるリック・スナイダー州知事(実業家から政治家に転身したという点でトランプ大統領と同じキャリアを歩んでおり、実際トランプ大統領とも親しい)は水道事業を民営化させた。

 それまでフリント市は五大湖のひとつであるヒューロン湖を水源としていたのだが、2014年にコストカットのためフリント川に水源が切り替わる。これが大問題を引き起こした。フリント川は汚染された川だったからだ。

 『華氏119』では、水源が切り替わった直後にフリント市の住民が撮影したホームビデオの映像が流されるが、お風呂の蛇口をひねると茶色い泥水が流れ出す様子はショッキングである。

 

 問題はこれだけではない。フリント川から流れ込む汚い水は、水道管の腐食を急速に進め、フリント市の水道水に水道管の鉛が流れ込んでしまった。その結果、鉛中毒になってしまう子どもが多く現れる。鉛中毒は脳障害などの健康被害をおよぼす恐れがあり、住民たちは訴訟やデモを起こしたが、水道管を交換する見込みなどは立たず、現在まで問題は解決できていない。

先進国、開発途上国問わず、水道民営化は失敗事例だらけ
 今国会では、民営化によって水道料金が上がるのではとの指摘がなされているが、その通りとなったのがフランスのパリである。

 パリは1985年から、水道事業の給水(ヴェオリア・ウォーター社とスエズ社)や、水質管理(SAGEP社)を民間会社に委託しているが、結果として起きたのは水道料金の大幅な値上げ。1985年から2009年の間に265%も水道料金が上がったという。

 その水道料金激増の背景には裏があった。パリでは、会社が情報を開示しないことで、公の機関が技術面での監視や査定ができなくなっていき、年次報告書では7%の利益が上がっていると報告されていたのに、実際は15%から20%の利益が上がっていた。また、30%もの収益が企業内留保金に消えたというデータもあるという。値上げした水道料金が、民間企業の懐に消えていたのである。

 こういった経緯を経て、パリでは水道事業の再公営化がなされ、2010年からは水道公社が直営体制で水道事業を担うことになった。

 この他にも、南アフリカでは、民営化後に貧困層を中心に1000万人が水道を止められたことで、汚染された川の水で生活せざるを得なくなる人が続出し、コレラで亡くなる人も多く出た。また、南米のボリビアでも、民営化による水道料金の値上げで水道を止められる人が続出、住民が反対運動を起こして政府と衝突し、デモで死者まで出ている。

 このように、先進国、開発途上国問わず、世界各国で問題が続出している水道事業の民営化。こういった先例を見る限り、日本が今、水道民営化に乗り出しても同じ轍を踏むのは確実だが、なぜ安倍政権はリスクを承知で水道事業の民営化をゴリ押ししようとしているのか。

なぜそこまで水道民営化にこだわるのか?
 そのヒントとなる指摘が、11月29日の参議院厚生労働委員会でなされた。安倍政権と「ウォーター・バロン(水男爵)」「水メジャー」と呼ばれる多国籍企業の関係が疑われたのだ。

 

 日本の水道民営化は、所有権は公的機関に残したまま、運営業務の権利を民間に任せる「コンセッション方式」をとる。その際、運営業者は、ヴェオリア社、スエズ社などの多国籍企業になることが確実視されている。大規模な水道業のノウハウをもち、実務に耐えうる力をもっているのはそういった企業だからだ。

 前述の厚生労働委員会で、社民党の福島瑞穂氏は、内閣府民間資金等活用事業推進室に、ヴェオリア社日本法人からの出向職員が勤務している点を指摘。「この法案で最も利益を得る可能性がある水メジャーの担当者が内閣府の担当部署にいる。利害関係者がいて公平性がない」と述べた。

 この構図に、なぜ反対意見を振り切ってまで、安倍政権が水道民営化を強行したいのかの理由が、すべて現れている。

 水道事業の民営化が世界各国でうまく行っていないのは、利益をあげることを最優先する民間事業ではおろそかにされてしまう部分こそが、水道事業において大切なことだからだ。

 水質管理や水道管の補修などは直接利益に結びつくことではない。むしろ、コストカットの対象となりがちな部分である。しかし、水は人々の「命」に直接関わってくるもので、お金にはならなくてもきちんとした管理を行っていくことが必要だ。そういった面では民間企業ではなく、国や地方自治体などが担うほうがうまくいく。

 こういったことは他国の先行事例を見れば火を見るより明らかだ。それにも関わらず、まともな議論をすることもなく水道法改正案を押し進める安倍政権は、自分たちの金儲けのためならば、国民の命などどうでもいいと思っているとしか思えない。

どうしてテレビはこの問題を扱わなかったのか
 そして、この問題を通して改めて浮き彫りになったのは、メディア、特に、地上波のテレビのひどさだ。

 衆議院での可決時はこの問題についてまともに報じることはなかったし、参議院で審議入りしてからも、各局のニュース番組やワイドショーはカルロス・ゴーン容疑者の話ばかり。ここ数日になってようやく取り上げ始めたが、時すでに遅しの感は否めない。

 もしも、夏の通常国会の時点からきちんとこの問題を取り上げて国民的議論になっていたら、なにか変わっていたかもしれないが、そんな「if」の話をしても仕方がない。

 日本は水道水が安全に飲める数少ない国として知られてきたが、このままいけば、それが昔話になる日もそう遠くないだろう。

(倉野尾 実)

小室圭さんと眞子さま、「借金返済しない」貫くなら破談やむなし

 秋篠宮殿下が11月30日に53歳の誕生日を迎えられた。これにあたって、11月22日、秋篠宮同妃両殿下による記者会見が行われたが、そこでのお言葉が大きな話題を呼んでいる。

 記者会見では、長女・眞子さまと小室圭さんの結婚に関して、質問が及んだ。秋篠宮さまは、小室さんに関する様々な報道について「私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております」と、耳にしてらっしゃる様子だ。小室さんからの連絡は「2、3カ月に一度くらい」「時々もらうことがあります」と語られた。

 そして、眞子さまと小室さんの今後について、次のように言及された。

 「これは娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし」

 「二人にも私は伝えましたが、やはり今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません」

 「そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀(のうさいのぎ)というのを行うことはできません。私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります」

 今の状況では眞子さまと小室さんの結婚に多くの人が納得し喜んでくれるとは言い難く、この現状が変わらなければ納采の儀は行えない、と秋篠宮さまは考えられているようだ。これまで多くの週刊誌記事が、秋篠宮さまの胸中を推測してきたが、秋篠宮さまが明確にご自身の言葉で語られたのは初めて。

 秋篠宮さまのお答えの中にある『それ相応の対応』とは、小室さん母子に、借金トラブルへの対応を求めているということに他ならない。「相手側の対応」、「やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る。それが『相応の対応』の意味です」と、秋篠宮さまは丁寧に説明されている。

 

400万円は借金か贈与か、という問題の焦点
 眞子さまと小室さんの婚約内定会見が行われたのは昨年9月3日だった。昨年11月、秋篠宮さまが52歳の誕生日を迎えるにあたって行われた記者会見で、秋篠宮さまは小室さんについて「非常に真面目な人だというのが第一印象」「その後も何度も会っておりますけれども、その印象は変わっておりません」「また、娘の立場もよく理解してくれている」と語られていた。婚約内定者としての小室さんは、この時点では好印象だった。

 しかし、それから程なくして一部週刊誌が小室さんの母・佳代さんの金銭トラブルについて報じ、状況は一変。発端となったのは、佳代さんの元婚約者である男性が、佳代さんに頼まれ小室さんの学費として400万円以上「貸した」と主張し、しかし小室さん母子は「あれは贈与」と解釈しており借金を否定している、という報道だった。

 以来マスメディア、そして世間の小室さん母子に対する風当たりは非常に強くなり、現在も続いている。今年2月には、宮内庁が眞子さまと小室さんの納采の儀をはじめとする結婚関係の儀式を延長すると発表。8月には、小室さんがアメリカの弁護士資格取得のため、3年間の予定で渡米。小室さんが渡米する前の6月には、小室さん母子が秋篠宮邸を訪れ、眞子さまと秋篠宮ご夫妻の話し合いの場をもうけた、と複数の週刊誌が報じていた。

 小室さん渡米後も、小室さん母子に批判的な報道は止む気配がなく、秋篠宮さまが53歳の誕生日に際しての会見で、眞子さまと小室さんの結婚について公に向けてどのように語られるのか、注目が集まっていた。

借金を返済しない正当な理由があるなら、小室さんにはそれも説明の義務が
 この一年、連日のように小室さんに関する週刊誌報道は続いており、秋篠宮さまも言及されていたように、世間ではこの結婚騒動に否定的な見方がほとんどとなっている。到底、祝福ムードではない。気がかりなのが、眞子さま自身のお気持ちだ。

 「週刊文春」12月6日号(文藝春秋)では、眞子さまは「延期発表以降、ご両親が一項に結婚に賛成してくれないことに違和感を持たれており、自室にこもり、ご両親とコミュニケーションが上手く取れていない状態が続いている」と宮内庁関係者の証言を掲載した。

 「女性自身」12月4日号(光文社)でも、やはり宮内庁関係者の証言として、「金銭トラブルではない」と言い張る小室さん母子に秋篠宮さまは「問題がないならば会見を開いて説明を」と繰り返し要望したが、小室さんはそれに応じず、誠実な説明もないまま渡米したとあった。「度重なる“裏切り”に、この縁談を『すぐにでもやめたい』というのが秋篠宮さまの本音」だが、眞子さまは小室さんへの思いが断ち切れず今も連絡を取り合われ、しかし「秋篠宮さまや希子さまがご結婚についての話題をお出しになると、眞子さまは口を閉ざして“拒絶”される」とある。

 それを裏付けるかのように、11月22日の記者会見で、秋篠宮さまは、眞子さまのご様子について「私は、最近はそれほど娘と話す機会がないので、よくわかりませんけれども、公の依頼されている仕事、それは極めて真面目に取り組み、一所懸命行っていると思います」と語らている。かねがね仲の良い父娘として知られていた秋篠宮さまと眞子さまだが、現在は積極的なコミュニケーションを取られていないのであろうか。

 

 眞子さまは小室さんから様々な報道についてどのように聞いているのかについて、秋篠宮さまは「これは事実とは違うことだ、ということについて説明」があったことはあるが、「ただそれについて、じゃあ何か行動を今するのかどうか。その様子については、連絡からうかがうこと、知ることは私はできておりません」と語られ、そういったお言葉からは、『相応の対応』をしない小室さんへの不信感も表れている。要するに、小室さんは口をつぐまず、「事実」を公式にアナウンスすることが求められているのだ。

 また、紀子さまも眞子さまへの心配を語られた。

 「昨年の夏から様々なことがありました。そして折々に私たちは話合いを重ねてきました。そうした中で昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は大変心配でした。しかしこのような中でも長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました」

 「長女は美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。小さい時からこのように一緒に芸術に触れたり、語り合ったりする時間を持ってきましたが、今以前にも増してこのように長女と過ごす時間をとても大切に感じています。家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は長女の眞子が愛おしくかけがえのない存在として感じられ、これからも長女への思いは変わることなく大切に見守りたいと思っております」

 眞子さまと小室さんが今も「結婚したい」という気持ちに変わりがないのであれば、小室さんには、秋篠宮ご夫妻にせめて誠実な説明をすることが望まれる。これは決定的なことだと明らかになった。小室さん母子に関する報道の中には、その過去を根掘り葉掘り暴き、人格を貶めるだけのものも多く、印象操作がひどかったことは間違いない。しかし少なくとも、トラブル化している借金問題に関しては、返済しない正当な理由があるのか、また返済するとしたらどのようにして支払うかなど、説明しなければならない。

 一度失われた信頼を回復するのは、容易なことではないだろうが、小室さんが眞子さまのことを思うのであれば、決して避けて通れない道である。そして佳代さんの元婚約者が「借金」だと主張する金銭の返済もまた、避けることはできないだろう。ここまで問題が膨らんでしまった今、「贈与」で押し通すとしたらそれは破談を意味する。

 納采の儀などの結婚関連の儀式が延期になって10カ月が過ぎたが、このままなし崩しに月日だけが流れていくようでは、眞子さまが気の毒でならない。

吉澤ひとみ被告の「おつまみ物色」は悲劇? 私生活を追い回せば断酒治療には悪影響

酒気帯び運転でひき逃げをしたとして、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の罪で起訴された元モーニング娘。の吉澤ひとみ被告。その初公判が、今月29日に東京地裁で開かれた。吉澤被告は起訴内容を認め、検察側は懲役2年を求刑している。

 吉澤被告は今年の9月6日、仕事へ向かうため酒に酔った状態で自動車を運転。赤信号を無視して交差点に進入し、男女2人をひき逃げしたとして逮捕された。なお、被害者2人は軽症であった。

吉澤ひとみ被告「本当に申し訳ない」
 検察側の供述では吉澤被告は事件当日、午前0時まで自宅で缶酎ハイ3本と焼酎2杯を飲んで1時半ごろに就寝したという。その後6時51分ごろに車を発進させ、6時57分ごろに事故を起こした。

 また事件後、吉澤被告は夫とLINEのやり取りをしたそうで、吉澤被告が「人をひいた」と伝えると夫は「救急車を呼ぶように」と返信したという。

 被告人質問で吉澤被告は、当初、飲んだ酒の量を缶酎ハイ3本だけと説明したことに対して、「その場で頭に浮かんだのが缶酎ハイ3本だったから」と説明した。事故直後にその場から立ち去った理由は「パニック状態になっていたから」と釈明し、「被害者の方、多くの関係者の方に迷惑をかけ本当に申し訳ないと思っています」と鼻をすすりながら謝罪の弁を述べた。

 なお、吉澤被告は事故の同月の28日に芸能界引退を発表しているが、注目の裁判だっただけに多くの報道陣が傍聴券を求め、傍聴席の倍率は75倍ほどになっていたようだ。

 

吉澤ひとみ被告の私生活を追い回す週刊誌が怖い
 さて、今月27日発売の「女性自身」(光文社)は、今月20日に吉澤ひとみ被告が都内の高級デパートで食料品を買っていたと報じていた。

 吉澤被告は釈放後、断酒治療のため東京郊外の療内科専門病院に入院していたというが、現在はすでに退院しているという。

 同誌記事には、デパートでは母親と共に、漬け物、スナップエンドウ、揚げ物といった酒のつまみといわれるような食材を買っていたとある。「酒断ちを誓ったにもかかわらず」としているが、上記のような食材を購入しただけでは酒を飲んだかどうかはわからない。また、黒いロングブーツにミニスカート、耳には複数のピアスをつけていたなど、服装についても事細かに記載されている。

 同誌では、デパートでの買い物や目立つ服装から「反省の色がない」「断酒治療を怠っている」という見解を示しており、ただの食料品購入がまるで「悲劇」であるかのような論調だが、そうした行動または外観から「反省」を推測することなどできるだろうか。そもそもマスコミが私生活を追い回すこと自体、彼女に相当なストレスをかけ、断酒治療の妨げに繋がるだろう。

 事故により怪我をした被害者の方に対して罪を償う必要はあるにせよ、それは当事者間の問題である。吉澤被告はすでに芸能界を引退した身でもあるが、私生活においても息を潜めて世間の視線を意識し続けなければならないのだろうか。そして運転しないのであれば、酒を飲むかどうかは彼女や家族、医療関係者らの判断によるだろう。それを「世間の目」が監視する必要があるのか甚だ疑問だ。

LGBTはカミングアウトすべき? すべきでない?

 最近、ツイッター上で、性的指向に関するカミングアウトについて、否定的に語る意見と、それに対する批判が飛び交っていた。私が目にした否定的な意見は、主に次のような主張だ。

「『LGBT活動家』は、当事者に『カミングアウトすべきだ』と言い過ぎている、カミングアウトを考えている人はそのことによるリスクを十分に考えるべき、カミングアウトにより自分は楽になるかもしれないがそれで相手が重荷を背負うことになることも考え慎重にならなくてはいけない」

 それに対して、いろんな人がそれぞれの観点から批判していた。まず冒頭の「活動家は」が曲解であるということは共通した批判だったと思う。LGBTの人たちが社会でより顕在化した方がいいと思い活動している人たちでも、基本的に「カミングアウトをしたいと思った人がしやすい社会を」、ということを言っているのであって、その人の置かれている状況を全く考えずにむやみやたらに勧めている人を私は知らない。

 私自身、約10年前に『カミングアウト・レターズ』(太郎次郎社エディタス)を友人と編集し、今年『カミングアウト』(朝日新聞社出版)を出版したが、どちらでも、誰かが誰かにカミングアウトすべき、すべきでないとは言えないという立場で書いている。

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 しかし「LGBT運動家」の曲解より私が気になるのは「カミングアウトのリスクを考えるべき」「相手にとって重荷になる」という二つの否定的な語りだ。というのも、こうしたカミングアウトの見方は、人を完全に個別化し、共感や共苦といった人がつながる回路を閉ざしてしまうような、ある人間観、コミュニケーション観に基づいているからだ。

 それは、伝える側が自分の中だけで考え、自分の中だけで生まれた欲求に動かされ判断し、相手に一方的に自分の情報を自分の中にあった感情とともに手渡すというものだ。

 その後、情報を受け取った側もまたその人だけでその情報を背負う。このイメージは、まずカミングアウトを、それがおこなわれる文脈から完全に切り離しているし、人は互いに完全に独立した個で、分離独立して存在していると考えている。しかし、そのイメージは、現実の人間やコミュニケーションとかけ離れていると私は思う。

背景と関係性の中で起きるカミングアウト
 コミュニケーションというものは基本的にそうだと思うのだが、カミングアウトには、それが生じる社会的な背景、個人的な関係性があり、それを抜きにして語ることはできない。

 社会的背景は、例えば「同性のことが好きである」ということを言わない場合には、基本的に異性が好きであることを前提として話がされるということであったり、異性を好きな人が、それにまつわる話――心を寄せている人の話、付き合っている人の話、結婚相手の話、好きなタイプの人の話――を家族や友人、同僚としながら、それによって関係性を深めていたりすることである。あるいは、異性愛という性的指向が、結婚という形で制度化されているが、同性愛はそうではないことも重要な背景の一つだ。

 そうした生活の中で、自分の性的指向を言いたいという思い、異性愛者のふりをすることが嫌になる感情といった気持ちが生じても、それは当然なことだ。しかしまた、同性を好きなことを否定的に語る言葉への出会い、あるいはそうしたことは隠すべきという価値観を自分の中に取り入れる中で、伝える気持ちが起きないということも、また同じく当然のことである。

 一方、個人的な関係とは、ある年齢になってくると親から異性との結婚を期待する声が聞かれたり、あるいはプレッシャーをかけられたりすることなどがある。異性との付き合いが全くないがゆえに孤独なのではと心配している親に、自分には同性パートナーがいるのだと伝えたいという思いも個人的な関係性だ。また、自分のパートナーと関係性を伝えておかなければ、どちらかに何かあった場合に困ると考えることもあるだろう。

 こうした個人的な関係のありようがひとりひとり違うし、社会的な背景の取り入れ方も皆違うので、どういう決断をするかは、とても複雑な流れの中にある。その複雑さを前にして、慎重であれとも、ぜひやるべきとも一般化して言うことはできない。

 だが、どういう社会的な価値観が広がっていくほうがいいか、ということを考えることはできる。私は、社会全体によりカミングアウトしやすいような価値観が広がっていってほしいと思っている。そして、個人的関係も社会の中に埋め込まれているのだから、そうなれば、個人関係でも言いやす関係が増えていくと考えている。そういう社会を目指すことは、したくない人はしなくていい、ということと矛盾しない。

 また、カミングアウトをしやすい価値観が広がる社会は、カミングアウトを受け止めやすい社会でもある。もし、カミングアウトを重荷と感じる人が多いなら、そう感じる人が少ない社会をつくっていこうと考えるほうが希望があるのではないだろうか。

 

共有するものとしてのカミングアウト
 カミングアウトは人と人がどういう風に関係を築いているか、ということを考えさせるきっかけにもなる。それは人間観、コミュニケーション観そのものとつながっている。

 『カミングアウト・レターズ』の冒頭に収められているのは、ゲイである正志さんとお母さんの往復書簡の中で、正志さんはこう書き記している。

 それまでの二十年みたいに、俺がゲイやってことを知られたくないって理由だけで、俺なりに幸せなこと/悲しいこと/嬉しいことも分けあえず生きる人生を続けるのは嫌やったから。
 俺が、母さんと父さんに完璧に嘘をついて生きていけるほど、器用やない限り。
 俺は男が好きになるように生まれた。でも、それは小さな違いなだけで、俺が幸せになれへんこととは違う。俺はそれなりに幸せやったりもする……他の人と同じように。時々は俺もつらいかも知れへん。他のみんながそうであるように。
 そういう話も家族としたいと思う自分がおった。親子でも分けあえなくてもええことも、きっとあるんやろうけど、俺は、俺が幸せやということを、分からせてやりたかった。

 ゲイであることを知られたくないことが、なぜ、「幸せなこと/悲しいこと/嬉しいことも分けあえず生きる」ことになるのか。

 まず、大切な恋人やパートナーとの関係とともに日々のことを話す、話さない、ということを思い浮かべる人が多いだろう。私もそうだ。しかし、私がイメージするのはそれだけではない。お互いがゲイであることがきっかけとして知り合った大切な友人たちのこともある。そして、その人たちと一緒に楽しく過ごした時間についての話、厳しい状況で助けてもらったことへの深い感謝の思い、その友人が病気をしているときの不安、また、時に辛く悲しい永別のこと。それらは、実際に私自身が経験してきたことだ。

 もちろん、こうしたことを話すか話さないかが大きな意味を持つのは、家族との関係だけではない(家族に対してそういう親密な思いを抱かないという人もいるだろう)。友人との関係でも言えることだ。

 私たちは、様々な人との間にさまざまな物や事を共有して、関係性をつくり、親密なネットワークをつくり、コミュニティ、社会をつくっている。個人と個人の関係では、お互いのことに関する情報、感情などの共有が関係性をつくっていく。

 それが人と人との間の、とても一般的な関係性の築かれ方だ。その中で、異性を好きなことは共有することが当たり前なのに、同性を好きなことは共有するのが難しいという社会状況はいびつであることは確かだ(しかし、それと個々人が最終的にどう判断するのがいいかは別の問題である)。

変化する/させるものとしてのカミングアウト
 カミングアウトは、ひとりひとり異なる背景と関係性の中で生じ、共有される。しかし共有されたことも、関係も固定的なものではない。伝えられた相手が、最初はつらく感じたり、怒りをもって受け止めたりしたが、時間をかける中で変わっていくことも多い。

 『カミングアウト』に収めた8つのカミングアウトストーリーの中にも、そうした変化が記されているものがいくつもある。

 ゲイのかつきさんは、カミングアウトをめぐって激怒した彼氏のお母さんの話を何時間にもわたって聞かされる場面に直面することになる。しかし、誠実で真摯な言葉かけをすることでお母さんからの理解を得た。秀夫さんは、ゲイであることをカミングアウトした後、お母さんと衝突したものの、時間を経てお互い歩み寄ることができた。裕子さんは、娘のえまさんからレズビアンであるということを聞き、悲しみにくれる時間を過ごすが、その後、そのことをしっかり受け止め、家族に伝える役割を果たしていった。

 そうした体験談が教えてくれるのは、カミングアウトをどう受け止めるか、ということに関する変化だけでなく、人と人との関係中での衝突や摩擦、共感、共苦などを経て人はお互いに変化していくということだ。

 もちろん、カミングアウトをきっかけに関係が悪化してしまい、そのままということもありえる。それは否定しない。ただ、強調しておきたいのは、カミングアウトをしたことがどういう意味を持つかは、それまでに長いプロセスがあるのと同じく、その後も長い時間が経ってみないとわからないことが多い。そして、その意味を変えるための働きかけもできる。

 人と人は何かを共有すること、その中でともに変化していくことによって、自他の間に明確な線引きができない存在になっていく。そうして、個=孤に閉ざされずに生きる。誰ともつながっていく必要があるわけではないけれど、そうしたつながりが広がることが、個人も社会も豊かにする。

 カミングアウトは、そうした、人がどうやってつながっているのかということを改めて気付かせてくる行為でもある。

ジュード・ロウとエディ・レッドメインが困惑した日テレ『シューイチ』のヤバい質問

 『ハリー・ポッター』のスピンオフシリーズである『ファンタスティック・ビースト』の最新作『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』が11月23日に日本公開された。それに伴い、舞台挨拶などのため出演俳優らが来日。そのなかでも、ジュード・ロウとエディ・レッドメインは各局のワイドショーにも出演している。

 11月25日放送『シューイチ』(日本テレビ系)もそのひとつだったのだが、番組でのインタビューで出された質問に対して現在批判の声が渦巻いている。

 安村直樹アナウンサーが担当したジュード・ロウとエディ・レッドメインへのインタビューコーナーでは、まず『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』についての軽い紹介をした後、いきなり映画とは何の関係もないこんな質問が飛び出した。

「『シューイチ』女性メンバーのなかで映画デートに行くなら誰がいいか?」

 安藤アナは、片瀬那奈、笛吹雅子アナウンサー、西村まどか、岩田絵里奈アナウンサーの4人の顔写真が載ったフリップを取り出しながらこの質問を投げかけたのだが、当然、ジュード・ロウとエディ・レッドメインが彼女たちのことを知っているわけもない。

 困ったジュード・ロウは、取り敢えず写真だけで安易に選ぶことを避け、「どういう人か詳しく教えてください」と返答。安藤アナは「ナナはアウトドアが好き」「マサコはチーズと赤ワインが好き」「マドカはお天気キャスター」「エリナは新人」と、一言だけ彼女たちのパーソナリティーを説明し、その数少ないヒントだけを頼りに2人は「一緒に映画デートに行きたい相手」を選ぶことになった。

 結果的にエディ・レッドメインは「お天気の話をしてみたい」との理由で西村まどかの名前を挙げ、ジュード・ロウは「チーズと赤ワインが好きだって言うから。嫌いな人はいないでしょう?」と言いながら笛吹雅子アナを選んだ。ただ、コーナーが終了してしまう前にエディ・レッドメインは「でも、ナナとエリナもみんなで一緒に行きましょう!」と大人なフォローを入れた。

 これを見たファンからは<余計な気を遣わせるな><こんなんならもう来て欲しくない申し訳なくて>といった声が起きている。

 

ジュード・ロウとエディ・レッドメインに出された質問の問題点
 『シューイチ』インタビューでの質問には問題点がいくつもあった。まずは、フリップに載った顔写真だけで「デートの相手」を選ばせようとしたこと。ジュード・ロウが「どういう人か詳しく教えてください」と言っていなければ、そのまま一切の説明もないまま、顔の写真のみで選ぶことになっていただろう。それはルッキズムへの批判的な眼差しがあまりにもなさすぎる。

 そもそも、「男性がデート相手の女性を選ぶ」という女性差別的な構造を前提としていること自体ポリティカル・コレクトネス的に問題を多く含んでいる。ジュード・ロウとエディ・レッドメインは番組の空気を壊さないために一応は質問に答えてくれたが、回答を拒否されてもおかしくない問題だろう。

 そして、「デートに行く相手」を「女性」にだけ限定して話を進めている点にも問題がある。

 相手のセクシャリティーを決めつけて話をする態度は、もはやメディアが取るべき姿勢ではない。

 欧米の俳優たちのなかには所与のジェンダーに囚われない生き方をメッセージとして発信する人も増えており、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』出演者のなかでも、クリーデンス・ベアボーン役を演じるエズラ・ミラーは、自らのセクシャリティーを「クィア」と表現して、一般的なジェンダーの枠にはおさまらない人生を歩んでいると公言している。もしも『シューイチ』のインタビューの席にエズラ・ミラーがいたら、確実に微妙な空気になっていただろう。

 ジュード・ロウとエディ・レッドメインは終始にこやかに対応し、『シューイチ』の用意したインタビューの空気を壊さないようにしていたが、番組の用意した質問が質問であっただけに、ジュード・ロウとエディ・レッドメインはかなり気を遣った感がある。

 『シューイチ』が出した質問は、日本のワイドショーやバラエティ番組ではおなじみのもの。『シューイチ』だけに限らず、同様の質問は日本の俳優相手にも日常的に出されているものだが、ジュード・ロウとエディ・レッドメインの例が象徴的なように、相手が海外スターになると、その感覚が「時代遅れ」であることが炙り出される。

アリアナ・グランデの反応が示した「ブスネタ」の取り扱い
 同じような出来事が、2016年4月13日放送『スッキリ』(日本テレビ系)でもあった。この日の放送では歌手のアリアナ・グランデがゲスト出演していた。近藤春菜(ハリセンボン)の容姿が「マイケル・ムーア監督やシュレックに似ている」という持ちネタで、アリアナ・グランデのことを笑わせようとしたのだが、アリアナ・グランデは笑うどころか、近藤を慰めるような言葉をかけたのだ。

 

 この日の放送では、まず司会の加藤浩次(極楽とんぼ)がアリアナ・グランデに対して「(近藤の顔を指しながら)会ったことあるんじゃない? 映画監督でさ」と定番のフリをやり、近藤が「マイケル・ムーア監督じゃねぇよ!」とツッコむくだりをつくった。しかし、アリアナ・グランデは笑わない。通訳が説明しても笑わない。加藤が近藤を指さしてもう一度「マイケル・ムーア監督(に似てる)」と言うが、アリアナ・グランデは「今日初めて会いました」と返答した。

 マイケル・ムーアでダメならと、今度は「シュレックじゃねぇよ!」をやらせるが、アリアナ・グランデはやはり笑わなかった。それどころか「シュレックだと思いませんでしたよ、すごくかわいい!」と発言したのだった。

 アリアナ・グランデはCM中、近藤に対して「あなたは本当にマイケル・ムーアに似てないから。私が約束する」と声を掛けたという。これは、「身体的特徴で笑いをとる」という、日本のバラエティ番組では現在でも盛んに使われている古典的な笑芸のテクニックが、現在のポリティカル・コレクトネスにそぐわなくなっていることを端的に示す事例である。

メディアは早急にジェンダー感覚を更新すべき
 以上の2例からでも、日本のメディアがいかにジェンダー感覚を更新しないままコンテンツ製作を続けているかがよくわかる。

 こういった話が出ると「なんでもかんでも欧米的価値観に合わせる必要はない」といった反発が必ず起こるが、メディア(特に地上波テレビ)内でのコミュニケーションのあり方は、市井の人々が営む日常でのコミュニケーションのあり方に大きな影響をおよぼすものだ。

 このまま欧米とのジェンダー感覚がズレていったまま時代が進むのは、視聴者の人生に悪影響しかもたらさないのではないか。

 旧来通りの感覚でコンテンツ製作を行うのは楽かもしれないが、そういう怠惰な姿勢が許されない時代にもう突入していることをメディアは自覚すべきだろう。

(倉野尾 実)

年収1000万円でもマンションが買えなくなる? 首都圏マンションはもはや異常事態

ここ数年、首都圏のマンション価格が高騰している。

 それでも多くの人が何とかマンションを買えているのは、空前の低金利によって月々のローン返済額が低く抑えられているからである。

 量的緩和策がもたらした異常な低金利が終了したその時には、年収1000万円でも首都圏でマンションを買うのは困難になっている可能性が高い。

マンションやクルマの価格は上昇一直線
 世の中はデフレの大合唱だが、それは身の回りにある一部の商品の動向に過ぎない。マンションやクルマといった高額商品の価格はデフレなど関係なく一直線に上昇している。

 不動産経済研究所の調査によると、2018年上半期における新築マンション(首都圏)平均価格は5962万円だった。2010年の価格は4716万円だったので、8年間で何と1200万円も上昇したことになる。

 マンションと異なりクルマは平均価格の算出が困難だが、トヨタ自動車の決算から1台あたりの価格を推定すると、2018年は約300万円、2010年は260万円だったので、15%以上値上がりしている。

 デフレにかかわらずマンションやクルマの価格が上昇しているのは、資材価格がグローバルで高騰しているからである。クルマの製造やマンションの建設には、人件費に加えて多額の原材料費が必要となる。

 日本経済は過去20年間ずっと横ばいが続いているが、その間、諸外国はGDP(国内総生産)を1.5倍から2倍に拡大しており、物価もその分だけ上昇している。原材料費は世界共通なので、日本だけクルマやマンションを安く売るということはできないのだ。マンションの場合には人手不足もあり建設費も高騰している。

 給料が上がらないのに、マンションやクルマの価格が上昇する現象は、経済が弱体化している日本にとっては避けて通ることができない現実といえる。

 だがマンション価格が大幅に上がっているにもかかわらず、不思議なことに新築マンションはまだ売れ続けている。都心に建設されるタワーマンションの一部は、富裕層がセカンドハウス向けに購入したり、外国人が投資目的で購入したりしているが、これは全体のごく一部である。

 これほど林立しているタワマン物件を購入している人の大半は自己居住目的である。多くの消費者がマンションを購入できているのは、量的緩和策による「異常」な低金利のおかげといってよい。

 

年収1000万円でもマンションを買えなくなる?
 日銀が量的緩和策を実施して以来、日本の金利は低下の一途を辿っており、マイナス金利政策の導入で金利はほぼゼロ水準まで低下した。

 一部のリッチな人はキャッシュでマンションを購入するかもしれないが、マンション購入者の大半は住宅ローンを利用している。住宅ローンの返済には利子が含まれるので、実際に消費者が負担する金額はマンションの購入代金プラス利子となり、低金利が続けばその分だけ消費者の負担は減ることになる。

 2010年に30年の固定金利で4716万円のマンションを買った時の返済総額(元本+利子)は約7200万円、現時点で5962万円のマンションを買った時の返済総額は7700万円と計算できる。マンション価格が1200万円も上がっているのに、返済総額が500万円しか増えていないのは超低金利の影響である。

 日本では低金利が長く続いているせいか、この環境が当たり前だと思っている人が多いが、これほどの低金利は「異常事態」であることを理解しておく必要がある。

 日銀の量的緩和策はそろそろ限界に近づきつつあり、債権市場では長期金利がジワジワと上昇を開始している。もし金利が以前の水準まで戻ってしまえば、消費者の負担は一気に増大する。

 先ほど首都圏の新築マンションの平均価格は5962万円と述べたが、金利が2010年の水準まで戻った場合、返済総額は何と9200万円にもなる。わずか8年前の水準に金利が戻っただけで、ここまで支出総額は跳ね上がってしまうのだ。ここまで金額が大きくなると、世帯収入が1000万円でも、首都圏で新築マンションを購入することは、もはや非現実的な領域に入ってくる。

オリンピック後も首都圏の不動産は暴落しない
 一方で郊外の一戸建てや駅から遠い物件など、利便性が低い物件の価格は暴落している。つまり近年の不動産市場では、都心部など利便性が高いエリアの物件価格は高騰が続き、利便性が低いエリアの価格は下落するという二極分化が鮮明になっていることがわかる。

 こうした動きの背景にあるのは、総人口の減少とそれに伴う都市部への人口流入である。

 人口減少といっても、すべてのエリアで一律に人口が減るわけではない。人口が減るとコミュニティを維持できない地域が出てくるので、過疎地域に住む人は都市部に移動することになる。人口減少社会においては、過疎地域での人口減少と都市部への集中化が同時進行するのだ。

 専門家の一部はオリンピック特需が終了する2020年以降には不動産価格が暴落すると予想している。だが、首都圏マンションの価格高騰が人口動態の変化によるものだとすれば、このトレンドは長期にわたって継続することになる。もしそうなら、オリンピック後もマンション価格はそれほど下がらないかもしれない。

 今後も価格が維持されると仮定した場合、首都圏でマンション購入を検討している人は、非常に悩ましい状況に置かれることになる。最大の懸念材料はやはり金利動向だろう。

 

金利の上昇がダメ押しとなる?
 住宅ローンには大きく分けて固定金利型と変動金利型の2種類がある。これに加えて最近では、一定期間は固定金利で、その後、変動金利に移行するという固定期間選択型も増えている。

 固定金利型の場合、返済期間中の金利は変わらないので、仮に金利が上昇しても月々の返済額が増えることはない。だが変動金利型の商品は、金利が上昇した場合、その分だけ返済額が増えてしまい、金利水準次第では一気に家計を圧迫する可能性がある。ギリギリで住宅ローンを組んでいる人は、最悪の場合、返済不能という事態もありえるだろう。

 以前は、銀行が提供する住宅ローンの多くが固定金利型だったが、最近はほとんどが変動金利型となっている。今、銀行に行って住宅ローンのカウンターに黙って座れば、銀行員はほぼ間違いなく変動金利(もしくは固定期間選択型)の商品を勧めてくるだろう。なぜなら、銀行側は将来、金利が上がると予想しているからである。

 これから住宅ローンを変動金利で組む人は、今後の金利動向を予想するという、かなり難しい「賭け」を要求される。しかも、マンション価格の上昇で借り入れ総額も増えているので、資金に余裕がなければ家計が破綻するリスクも増大してしまう。

 若い世代の中には、持ち家は諦め、一生賃貸でよいと考える人が増えているが、便利な場所に住むことを前提にするならば、それも1つの選択肢だと筆者は考える。

 以前は高齢になると家を借りられないという問題があったが、人口減少が進めば不動産のオーナーにとっては空き家問題が極めて深刻になってくる。高齢者にはトラブルが多いという理由だけで、賃貸を拒否し続けることができるオーナーはそれほど多くないだろう。

 どうしても持ち家を取得したい人は、狭めの中古マンションに的を絞ったほうがよい。利便性は高いものの、それほど街のブランドが高くないエリアを選べば、まだリーズナブルな物件は残っているはずだ。

ZOZO社長はパートの給与を引き上げるべきか――「富裕層への課税」「貧困層への福祉」平行線の議論

11月18日の『カンニング竹山の土曜The NIGHT』(AbemaTV)に、ZOZOTOWNを運営する株式会社ZOZOのコミュニケーションデザイン室長・田端信太郎氏と、生活困窮者の相談や支援を行うNPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典氏が生出演し、富裕層への課税や労働問題について公開討論を繰り広げた。

 先月、田端氏と藤田氏はTwitter上で大激論を展開していた。きっかけは、10月4日、株式会社ZOZOの前澤友作代表取締役社長によるツイートだ。

<2016年度77億円、2017年度34億円、2018年度70億円(予定)。個人での国内における所得税や住民税などの納税額です。買い物もするけど、税金もしっかり納めております。これからももっと稼いでいっぱい買い物して、いっぱい納税します!>

 これに藤田氏は意見した。

藤田氏<ZOZOTOWN前沢社長のように、普通は開示しないから見えないだけで、年収が一億円を超える富裕層は就労収入ではなく、株や不動産、運用による資産収入が大半。いわゆる「不労所得」であり、ここに課税強化しなければ社会保障は回らないし、消費税増税の合意も形成されない。税が安すぎるよ>

 すると田端氏が<いっそのこと「不労所得」とやらは税率100%にしたら?とか具体的な税率の提案が欲しいですねー>とリプライを送り、田端氏と藤田氏によるTwitter上での大激論が勃発。

藤田氏<「経済力ないヤツは子どもを産むな」から「経済力なくても産まれた子どもはみんなで支えるよ」に変われないなら、そんな国は無くなった方が未来の人類、子どものためだと思う>

田端氏<これ要するに「貧乏人の子沢山」でもオッケー!!ってことでしょ?女性の皆さん、どう思います???>

藤田氏<もう現代日本では「貧乏人の子沢山」は死語だし、現実に多子世帯は高所得者が多いというのは様々な論者が指摘していますよ。低所得世帯への再分配を強めないと世帯形成は困難になっています。対談以前に社会構造の理解で噛み合わない気がします。ZOZOには人が他にいないのでしょうか?>

 

田端氏<現実がそうなら、日本の少子化を救うには、高所得者の子沢山を増やすしかないですが、それに対しては藤田さんはNOなんですよね?じゃあ、どうやって日本の少子化を解決なさるおつもりなのでしょう?>

 このような具合で両名の議論は続き、前澤氏が<田端さん、ツイッターだともう追いきれないから、この藤田さんって方と公開討論してよ。見れたら見るから>と提案。その後も非正規労働者の時給をめぐって、田端氏と藤田氏の議論は続いた。

 

富裕層への課税案と強い反発
 そして11月18日、前澤氏の提案に便乗する形で、『カンニング竹山の土曜The NIGHT』が田端氏と藤田氏をゲストに招き、公開討論が実現。田端氏、藤田氏のみならず、パーソナリティを務めるカンニング竹山も今回のテーマについて自らの考えをぶつけた。

 主なテーマは以下4つだった。

1)富裕層にはもっと課税するべきなのか?
2)最低賃金を上げるべきなのか?
3)ZOZO前澤社長の月旅行について
4)貧富の差は広がっているのか?

 討論冒頭、まず藤田氏は「今の富裕層の税金・保険料負担は非常に軽い」と主張する。

藤田氏「日本の高齢化率は27.3%と世界トップにもかかわらず、社会保障が極めて足りず、介護、年金など、困っている人たちへの支給が足りない。かなり厳しい生活をしている人たちがいる中で、基本的に社会は助け合いの仕組みだから、(お金を)持っている人たちがある程度負担していかないと社会が回らない。持っている人たちが払うことが基本的に必要で、(法律で)金額を一応提示してくれてはいるが、昔は今の時代より税率が高かった。金融資産取引への税率は、他の国と比べると課税される金額が少ない。社会保障の財源はないし、高齢者は多いし、こういった人たちが税金を払うのは当たり前」

 すると田端氏は、“鉄の女”と呼ばれたかつてのイギリスの首相・マーガレット・サッチャーの「お金持ちを貧乏人に引きずりおろしたところで、貧乏人がお金持ちになれるわけじゃありません」という言葉を挙げ、藤田氏の主張は「富裕層が持っているものを奪えばいい」という暴論ではないかと反論。課税するならば「ちゃんと国会で議決を経て、多数派の同意を得て」すべきと主張した。

 ここで“富裕層の定義”について議論が及び、田端氏はこう言う。

田端氏「僕は相続(への課税)すればいいと思っている。それは相続には自分の努力とは関係ないから。でも前澤さんとかソフトバンクの孫さんみたいに、一代で自分の努力で作った人から奪えばいいというのは、おかしくないですか? 俺はお金持ちのバカ息子、バカ娘からはどんどん巻き上げたらいいと思う。だって本人の努力じゃないんだもの。だけど、孫さんや前澤さんみたいに一代で自分の力で築いた人の資産をなぜ奪う必要があるんですか? 脱税しているわけじゃない。税金は議会で決まるんだから、民主的な決定に基づいて今の税法だって決まっているわけだから、それは今の日本国の大多数の人がそれをOKしているわけだから」

 これに藤田氏は、政治家への献金は富裕層にしかできず、「ひとり一票」は建前であると反論。また藤田氏は「一世代で努力をしたから稼いでるんだっていうのは、『努力』は誰がしたのかを議論すべき」と言う。

藤田氏「努力したのは(社長らに)稼がせてあげた労働者の人たちであり、基本的に会社は労働者が稼いで頑張って努力して、それを株主や役員に配当するわけだから。今の社会は労働者に還元されていない」

田端氏「前澤さんの貢献はゼロなのか? 役員報酬を適正だと決めるのは社員ではなく株主。社員の声が弱いというのであれば、それは社員の不満がないから」

 すると藤田氏は、ZOZOの非正規労働者たちからの「時給が安い」「儲かっているとは思えない賃金の水準」という声を紹介し、ZOZOに限らず「上場企業の正規と非正規の待遇差がすごい」、「儲かっているなら賃金を出そうよ」と訴える。

 これについても田端氏は、経営者側の理屈で反論した。

田端氏「労働基準法で業績不振を理由とした賃下げは禁じられており、赤字だから時給や給料を下げることは無理。経営者の立場とすれば、黒字だとある程度は(賃金を)上げられるが、景気変動で赤字になっても下げることはできない。ZOZOは5年前に比べて正社員の平均年収が24%上がっている」

藤田氏「正社員だけ? 派遣は? 非正規の時給を上げよう」

田端氏「非正規の方だって、今、都心の牛丼屋さんの時給は1400~1500円するわけだから、時給上げたいんだったらそっちいけばいいだけじゃない。給料上げたいんだったら他に選択肢がある」

 

「給料が低いなら転職すればいい」
 転職という選択肢に話が及ぶと、どこまでも社会的弱者の立場に立つ藤田氏は「(他の仕事に)行けない事情だってある」とするが、田端氏には理解ができないようだった。

藤田氏「今労働者に対する分配率が極めて低くなっている。アベノミクス効果もあり大体の企業がそこそこ儲かっていて、景気もいい。企業の業績も上がっているのに、このままの賃金水準だと、労働分配率が低く、労働者に支払われる賃金が低く、個人消費が伸びず、経済も伸びず、物価も上がらない。経済全体にとっても賃金を上げなきゃいけない状況。大企業は非正規雇用の賃金を上げ、背中を見せてほしい。問題は、労働者の4割にあたる非正規雇用」

田端氏「いや、特に都心では、サービス業の給料は、正社員の給料より、時給のアルバイト、パートのほうがはるかに上がっている。賃上げは賛成だが、最低賃金はどんな企業にも適用されるから、それで潰れる中小企業もある。そんなに職場が嫌だったら、いくらでももっと高い賃金のところあるじゃない」

藤田氏「そんなに職場を転々と変えられない。転々と変えたら、経歴に傷が付く。転職って簡単じゃない」

 まだ議論は平行線だ。田端氏は「最低賃金があること自体は否定しない」が、「実際1000円分の働きしてない人もいるかもしれない」「頑張ったって価値がなければ給料払うに値しない」と手厳しい。価値のない人間は斬り捨てていく姿勢なのだろう。

 カンニング竹山も、議論に参戦した。竹山は売れっ子芸人であり、「努力して稼げるようになった人間」との自負があるだろう。

カンニング竹山「ものすごく才能がある働ける人と、働けない人とを、『平等だから』と(賃金を)一緒にしちゃうと、ものすごく働ける人がやる気なくす部分もあるんじゃない。それはやっぱり給料を分けなければいけない」

藤田氏「能力に差があったり、ある程度の格差はしょうがない。でも格差が開きすぎている」

田端氏「日本の所得税って実効税率でいうと、年収800万~900万以下の人は、払っているお金より、国から受けているサービスのほうが多い。高齢化社会なら、高齢者の中で資産持っている人いっぱいいる。所得税は45%で限界」

カンニング竹山「個人的な意見だけど、稼いで何が悪いという世の中じゃないとおかしいような気がする。そうじゃなければ共産主義になればいいじゃないかと思う。収入よりも社会保障を受けている人が日本は圧倒的に多い」

 すでに富裕層は、社会保障を多く支払い、低所得者への福祉に貢献しているとの見方だ。藤田氏は将来的にいっそう高齢化する日本社会の社会保障を懸念しており、「富裕層の税率を引き上げてほしい。株取引で20%しか日本は課税されない」とあらためて訴えた。

田端氏「今生きてる高齢者じゃない人にとって、高齢化している日本って別に自分の責任でも何でもない。だから高齢化しているからって税金上げろって言われても(富裕層としては)納得感ゼロ。そうだとしたら僕は海外行ってもいい」

カンニング竹山「あまりに税率を上げすぎると、株取引に興味がなくなっちゃう」

藤田氏「30~40%に上げません? 他の国はやっている」

 まだまだお互いの考えは交わらない。

 

努力不足の貧困層が、努力した富裕層から「奪う」構図?
 田端氏とカンニング竹山は、努力して富を築き上げた人間から「奪うな」と主張する。それは、「努力もしてない底辺の奴ら(貧困層、社会的弱者)が、努力をした人間たちから奪う」ように捉えている節があるからだろう。

カンニング竹山「起業してものすごくお金持ちになった人も、簡単になったわけじゃないと思う。実はものすごく裏で努力したり、みんなが寝ているときに寝ないで努力したり。で、それでお金を得ているわけじゃないですか。その人たちは金持ちになった理由がもちろんあると思うんですけど、(税負担を上げると)金持ちになるのが損みたいにもなると思うんです」 

 一方の藤田氏は、努力すれば誰でも金持ちになれるわけではないし、努力できる/努力が実を結ぶ環境というもの自体が平等ではないことに言及していく。

藤田氏「まず、金持ちになる前提条件がまずないと金持ちにはなれないんです。たとえば社会から義務教育を受けたり、病気になったら医療を受けたりとか、社会から色々と恩恵を受けるわけです。それって税金です、基本的には。だから色んな恩恵を受けて、努力ができて、大成したと。大成したらちゃんとそれ応分のお返しを社会にしなければならない」

カンニング竹山「貧困層でなかなか教育を受けられない人もいるけど、貧困層でもものすごい自分で勉強してうまく頑張っているやつもいますよね。そこはいつも目を向けてくれないじゃないですか、なかなか。そこじゃなくて、この子は貧困だからダメなんだ、仕事がないんだって、お前らの中にも頑張って出世したやついくらでもいるぜって思うんです。その辺はどう説明なさるんですか」

藤田氏「圧倒的多数が失敗しちゃうし、なかなか大成できないし、お笑いの業界と同じだと思います。そういった人たちに社会保障として支給したり、再分配ですね」

カンニング竹山「実際、分配することによって、また甘えちゃってやらない人もいますよね。貧困層で難しいと思うのは、確かに社会保障しなければならないし、助けなければならないし、働ける環境作らなければいけないけど、実際1個1個見てみると『そりゃあんた、なかなかそれダメだよ』って人も結構いる。個人的な意見だけど、NPO団体とか真面目に助けている人もいっぱいいるんだけど、それ逆に火に油注ぐじゃないけど、逆に立ち直れなくなってない? 甘えてる人いっぱいいるじゃんってこともあると思うんだけど」

藤田氏「そういう人もいる、甘えている人も一定数はいる。日本って甘えていると食えない社会なんです。社会保障もらえるって言っても極めて少ない金額しかもらえないし、基本的に働くことをがんばろうとみんなやっているわけなんですね。賃金が低すぎて、がんばってる人も儲からない、ちゃんとした暮らしができない」

 しかし田端氏は、低賃金の仕事にしかつけないのも自己責任だと言う。

田端氏「賃金が低いのって一方的に労働者が正しくて、資本者側が悪いんですか?」

藤田氏「まあそうは言わない、今、労働組合も弱いし……」

田端氏「じゃあやっぱ労働者のせいもあるわけですよね?」

藤田氏「労働者の人たちがちゃんと賃上げ要求するとか、『がんばったんだからちゃんとお金出して』という要求も以前と比べて弱くなっている。だから頑張って働いている人も頑張ってない人も基本的にはあまり報われない」

田端氏「頑張ってて不満だったら別の会社に行ったり、転職したり、時給の安いところから高いところに……」

藤田氏「そんな簡単に転職できない」

田端氏「何で転職できないの? 職業選択の自由って憲法に書いてあるよ」 

 ここで田端氏の言う「労働者のせいもある」というのは、「労働者が権利を主張しないせい」との意味ではなく、「労働者の能力が低いせい」ということだろう。

 

「がんばれない奴は甘え!!」竹山がヒートアップ
 ここで視聴者の42歳男性からのメールが紹介された。労組の強い会社と労組のない会社、どちらも経験したというこの男性は、田端氏の意見に賛同する。<世の中俗に言うブラック企業ばかりではありません。時給1500円の仕事、2000円の仕事、たくさんあります。待遇や労働環境に不満があれば社会や環境、企業のせいにして交渉やデモなんかに時間を費やすのではなく、自らのスキルアップに時間を費やし、いつでも転職やステップアップできるように備えるべき。学歴、職歴関係ありません。ちょっとした意識の差です。極端な話全員の意識がそうなれば企業も低賃金や長時間労働や低賃金で雇うようなことはできなくなると思いますし、そのほうが社会や企業を変えるよりもてっとり早いのではないでしょうか>

 そして竹山は、「一般論だと思いますけど」と前置きし、日本は恵まれた国だと説いた。

カンニング竹山「日本という国はね、なんだかんだ文句言っても、餓死して死ぬって何人かいますけどそこまでじゃないですよね。働こうと思えば、言ったら何の仕事でも、とりあえず金が要ると、働こうと思えば何だってできる国だと思うんです。世界各国見るとそうじゃない国なんかめちゃめちゃあるんです。今日の夜飯食えない国だっていっぱいあるんです。僕は、自分が生活できている云々関係なく、なんかやっぱりそこにちょっとこう甘えじゃないけど、何言ってんのこの人って人も世の中、結構いると思うんです。だから藤田さんたちの活動でそういう人たちを助けるみたいになるけど、もちろんそういうところも必要だけど、(支援を)やり過ぎているところもあるんじゃないかって思ったりしているんです」

 藤田氏は、「全体的に社会保障も給付弱いし、NPOの数も少ないし、日本はキリスト教もないし、助けてくれる人ってまずそんなにいない」と反論。すると竹山が“自己責任論”でヒートアップしていった。

カンニング竹山「でも自力じゃないですか人間て。自力でないと困ったって助けてくれる人誰もいないですよね」

藤田氏「でも病気になったらどうします? 病気になったりとか、介護が必要になったら」

カンニング竹山「だからそうならないため今自分で勉強します。自分が病気になった時にどうしたらいいのかって言うのは今のうちからちゃんと勉強します。何も知らないでいきなり倒れてって人世の中にいっぱいいますよ。でもそれは勉強してないからでしょ先に、なんぼでも 勉強する機会あった」

藤田氏「辛辣だなあ」

カンニング竹山「だって今調べられますよね。自分が身体ヤバくなったら介護必要になったら、自分が住んでいる町内で何があるのか、自分が住んでいる区役所に何があるのか調べることできますよね。そこ調べること辛辣ですか」

藤田氏「情報を得られるかどうかっていうのも、地方だったりとかパソコン環境だったりとか色んな」

カンニング竹山「だから僕はそれが甘えだって言うの! 情報なんか日本で腐るほど得られる、北海道から沖縄まで情報得られないところないよ今っ! ないでしょ今っ! 40代で情報得られないのどこ?」

藤田氏「40代はネット環境広がってますから。いろんな環境在りますよね。全部恵まれない環境にある者も」

カンニング竹山「誰ですかどんな人ですか? 日本人で今」

藤田氏「虐待を受けて育つとか、ブラック企業を転々とするとか、うつ病になるとか」

カンニング竹山「病気は簡単には言えないけど、ブラック企業転々としている人と取材で会ったけど、でも話してみると『お前そこダメだぜ』っていう。なんでそこチョイスしたの? 前も失敗してるじゃんって」

田端氏「考えずに、何回も二回も三回もブラック企業入っちゃう奴がブラック企業を生かしているんですよ」

カンニング竹山「ちいと自分で考えろ、NPOやり過ぎ。がんばんない奴はいっぱいいる、がんばんないバカいっぱいいる。優しくしすぎ」

田端氏「自分の椅子は自分で作ればいい。今って資本金千円で会社作れるし」

カンニング竹山「俺は20代の頃、寝ずに頑張った。人ってそんなもんなんじゃないの?」

藤田氏「それは成功できる条件があったんです。企業が払うべきものを払っていないことを問題にしている」

田端氏「いや、最低賃金は守っている」

 最終的な番組の結論は、「賃上げは自分次第」「他人に期待している暇があったらまず自分から動け」というものだった。

 努力して勝ち組のポジションを手に入れたと自負するカンニング竹山や田端氏と、到底「がんばればできる」で片付けられない環境の人もこの日本に数多く存在していると主張する藤田氏。それぞれが見ている世界はあまりにも違うことがわかった。そして、政治家も企業経営者も、この国の指針を定めることのできる人々はほぼ、前者だろう。格差社会という言葉をしみじみ痛感する放送となった。

 落伍者を切り捨て、充分な福祉を提供しない社会であったら、そのままやがて社会全体が沈没していくと考えられる。そうなる前に手を打つべきだが、前者に属する人々には、切実に福祉を必要とする人々の姿がそもそも見えないのかもしれない。

BTS“原爆騒動”やTWICE“慰安婦騒動”から見えてくる、日韓有名人の「愛国マーケティング」を問う

 BTS(防弾少年団)の“きのこ雲Tシャツ事件”が、大きな波紋を呼んでいる。さらに最近では、騒動がTWICEの“慰安婦Tシャツ問題”にまで飛び火。韓国のアイドルに対する憎悪ともいうべき感情が、メディアやSNSを通じて日本国内で拡散している。一方、韓国のメディア(右も左も含めた複数のメディア)も、反論に血眼だ。自国スターの正当性を証明するためか、あるいはおもしろ半分なのか定かではないが、続報の報道に熱を上げている。

 BTSのメンバーが、“きのこ雲Tシャツ”を着た背景やいきさつは、さまざまなメディアですでに報じられているので割愛したい。端的に結論づけるならば、BTSのメンバーおよび所属事務所、マネージャー、またTシャツのデザイナーを含めて、関係者がひとり残らず全員「無知」だったの一言に尽きる。

 韓国人にとって、1945年の日本の敗戦はすなわち「植民地からの解放」を意味する。Tシャツをデザインしたデザイナーは愛国者のふりをしたくて、その解放(=終戦)をもたらした象徴として、原爆のイメージをTシャツにプリントしたのだろう。

TWICE公式ホームページより ただ、米国による人類史上最悪の災禍ともいうべき原爆の投下は、罪のない多くの日本人ばかりか、多くの朝鮮半島出身者の命も奪った。双方の被害者の家族や親族は、その歴史がもたらした傷を癒やすため、また過去に打ち勝つために、70年以上が経過した現在でも、地道な反核兵器活動を続けている。

 BTS関係者らは、今も連綿と続くそのような歴史や人の痛みを知らず、想像もできず、つまりは「無知」であるにもかかわらず、「おれ、歴史をよく知ってる愛国者だろ?」といった“ノリ”でTシャツを制作・着用したことは想像に難くない。本当に国や民族を愛し歴史を知っているのであれば、原爆投下が人類全体に招いた悲劇をより深く理解しているはずだし、安易にあのようなTシャツを着用などしなかったはずだ。

韓国の犯した“罪”にもまた目を向けてこそ
 従軍慰安婦問題もまたしかりである。1990年代に被害者が名乗り出るまで、慰安婦問題は歴史の闇に葬られてきた。そして、その葬る作業には、日本政府だけでなく、韓国政府も加担してきたという歴史的事実がある。慰安婦Tシャツを着て日本の歴史認識が間違っていると非難したり、慰安婦被害者の方々のために支援金を集めることは悪いことではないだろう。個人の主張や活動として存分にやればいい。しかし、自国の政府の責任を追及しないのであればフェアではないだろう。

 また韓国軍は、朝鮮戦争時やベトナム戦争時に、多くの女性たちをレイプしたり、従軍慰安婦として慰みものにしてきたという歴史的事実も明らかになっている。それら「韓国軍慰安婦問題」を勇気を持って告発した韓国の女性記者に直接話を聞いたこともあるが、元ベトナム派兵軍人団体に襲撃され、自国に住めなくなってさえ、今なお問題の解決に向けて戦い続けているのだという。

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 自国・他国を含めた戦争犯罪に対して非難の声を上げるのであれば説得力もあろうが、都合よく、自分たちのこうむった痛み(正確には、韓国アイドル自身は被害の当事者ではないだろう)だけに「目を向けなければならない」と主張することは、臆病なことであり、偽善以外の何ものでもない。

「韓国では、竹島や慰安婦問題、また植民地など日本との歴史問題に関して発言する芸能人は、世間から『偉い』『考えを持っている』ともてはやされる傾向があります。そういう芸能人たちは、愛国テイナーとも呼ばれていて、2010年代前半から増え続けていますね」(韓国の芸能事情に詳しい通訳関係者)

 愛国テイナーたちも最初は、善意や正義で主張や行動を起こしてきたのだろう。しかし現在の状況を見る限り、偏狭なナショナリズムや軽薄な歴史観を振りかざしているだけにしか思えない。

 また、意識的にか無意識かは不明だが、一部の韓国のアイドルは、歴史の痛みに寄り添うふりをしながら、実際には「愛国」や「正義」を人気や支持を集める手段にしつつ、自身のマーケティングを行っている節もある。いわば「反日マーケティング」である。これらは、歴史や政治に無関心であるよりタチが悪い。なぜならば、被害をこうむった当事者たちを冒涜・利用する行為だからだ。

 

世界に蔓延する偏狭なナショナリズム
 さらなる問題は、この「反日マーケティング」の相似形ともいうべき現象が日本でも起き始めていることだ。数年前、出版業界では「嫌韓ブーム」が起きたが、最近ではその手法が日本の政治家、文化人(特にご高齢の方々)らの人気取りの手段として稼働し始めている。いわば「嫌韓マーケティング」の登場である。

 あえてここで個人名を挙げることはしないが、それら日本の著名人たちの投書やSNSへの書き込みは、いずれも“きのこ雲Tシャツ”並みに低俗で、人の痛みに寄り添えない、事実も想像力も欠如したものとなっている。彼らの文面を見る限り、BTSの“きのこ雲Tシャツ”を躍起になって批判する政治家や文化人の大半は、原爆の被害者団体の声に真摯に耳を傾けたり、活動を手伝ったりしたこともないはずである。にもかかわらず、フォロワーや支持者からは「偉い」「さすが」というようなニュアンスでもてはやされている。日本と韓国では、気持ちが悪い、まったく同じ問題が起きているのだ。

 もう少し話を広げるならば、自国中心主義および偏狭なナショナリズムは、今や米国や欧州など世界的に蔓延し始めている。裏を返せば、日韓で起きている現象は、現代の世界的な世相を反映したものなのかもしれない。

 いずれにせよ、ひとつだけ確かなのは「愛国をかたる人間に、真の愛国者はいない」ということだ。これは、歴史が証明していることである。キレイごとになるかもしれないが、こういう時代だからこそ、「愛国マーケティング」にだまされない、人と人のつながりや好奇心、想像力、そして思いやりを忘れないことが大事なのではないだろうか。そういう意味では、無知なアーティストたちの歌よりも、ゴールデンボンバーの「恋人は韓国人」がおすすめだ。

(取材・文/河 鐘基)

煮えたぎる鍋に従業員の顔突っ込み大火傷、鉄パイプで殴打…明らかな暴行を「遊び」「悪ふざけ」と弁解する会社

「週刊新潮」2018年11月29日号(新潮社)が、渋谷区にある芸能プロダクションの社長である20代男性が、「熱湯が入ったしゃぶしゃぶの鍋に従業員の顔を突っ込む」パワハラをはたらいたと報じている。

 同誌によると事件が起きたのは、2015年12月に行われた会社主催の忘年会。社長は被害者の男性従業員に対して、「クライアントさんもいるんだから面白いことやれ。鍋に頭、突っ込めよ」と指示したと、被害男性は供述している。

煮えたぎる鍋に顔をつけ、上から押さえつける
 「デイリー新潮」では、男性が鍋に顔を突っ込む証拠動画も公開。男性が鍋に顔を突っ込んだのは計2回で、周囲のカウントダウンと共に男性が沸騰する鍋に顔をつけ、その頭を他の人物が手で押さえつけるという状況が3秒ほど続いた。きわめて危険な行為である。周囲からは笑い声が聞こえるが、これのどこか面白いのだろうか。

 記事によれば相当、酒が入っていたようで、被害男性の記憶も定かではないというが、被害男性の顔面は皮膚が真っ赤にただれ、救急外来を受診。診断結果は、Ⅱ度の火傷で、後遺症や傷跡などが残る可能性もある怪我であった。記憶があいまいであっても、この証拠動画からは何が起こっていたのか一目瞭然だ。

 この被害男性は日常的に社長からパワハラを受けており、給料をもらえないことや坊主にさせられることもあったといい、精神的に追い詰められていたようだ。事件が起こった忘年会当日も、鍋に顔を入れろと言われただけでなく、多量の酒を一気飲みすることも強要されたと述べている。

 被害男性は「自分が事務所に入れたタレントもいる」という責任感から、なかなか会社を辞めることができなかった。しかしイベント運営をめぐって理不尽な借金を背負わされたことがきっかけとなり、退職したという。

 「週刊新潮」はこの芸能プロダクションを訪問し、社長に動画を見せたうえでコメントを求めているが、社長はその場での回答は避け、後日「悪ふざけであった」「日常的なパワハラも事実でない」という旨の文書を送付したそうだ。

 

 記事では会社名も含め匿名で報じられており、ネット上では複数の芸能事務所の名前が憶測で上がる“犯人探し”が繰り広げられているが、同誌関係者によれば「ものすごく小さい、名前の知られていない芸能事務所というか制作代理店のような会社。ネームバリューがないため匿名で報じた」とのことだ。しかし非常に悪質な事件であることは間違いない。

社員を鉄パイプで殴打も「自ら望んだ罰」と説明
 暴行を“遊び”、あるいは“罰だった”と主張する例は後を絶たない。最近では“鉄パイプ”で従業員を殴打する動画も流失した。

 今月初旬、従業員がロープで手首を吊るし上げられ、上司に鉄パイプで殴打されている動画がネット上に流出した。動画には会社名と殴打している人物の本名が明記されており、『ビビット』(TBS系)は、その会社の社長へ取材を実施していた。

 社長は「動画は昨年社内で撮影されたもの」と認めたが、「ふざけてやったんですよ。叩かれている男がね」と供述。「よその従業員に対してトラブルを起こして、話し合ったけど収まらなかったと」「それで<私が罪を受けますから4回だったら叩いてくれ>と言ったと」と、叩かれている男性が自ら罰を受けることを望んだと主張した。

 また、慰謝料として殴打した上司から被害男性へ60万ほどの金銭が支払われており、既に和解したとも社長は述べていたが、「被害者の男性自らが望んだこと」にもかかわらず、「慰謝料を支払って和解した」という流れには違和感が強い。

福岡にある会社でも「従業員がふざけてやったこと」と弁解
 福岡県にある運送会社「大島産業」では、勤務時間内に男性従業員が温泉に入ったとして、同僚らが男性に対して「髪の毛をバリカンで剃る」「高圧洗浄機で水をかける」「川の中へ入るように命令し、川から上がってきた男性にロケット花火を連射する」などの暴行をはたらいた。

 その光景は文章や写真で会社のブログに残っており、被害男性は会社に対してパワハラがあったと告訴。しかし裁判で会社は、パワハラを全面的に否定し「頭を丸刈りにしたのは男性が皮膚の病気にかかっていたから」「高圧洗浄機は男性が自らふざけて浴びている」「ロケット花火は男性が戦争ごっこをやろうといった」と、原告がふざけて自らやったことと弁明した。

 結局、福岡地裁は会社に対して、被害男性に1500万円の支払いを命じる結果を出したが、それでも会社は納得しておらず、起訴の意向を示していた。

 

“ふざけ”や“パワハラ”で済まない暴行の罪
 「週刊新潮」記事で告発した男性は、損害賠償の請求や被害届の提出も視野に入れているという。

 どの会社も “ふざけでやった”と主張しているが、言い訳でしかない。仮にやる側にとって“遊び”であっても、やられる側にとっては相当な苦痛であり、パワハラという言葉を当てはめることさえ生温いだろう。

 傷害事件として立件されてもおかしくない、数々の暴行動画。会社という組織内で起こっており、社長や上司といった立場の人間がその権力を乱用し、部下にあたる社員の心身を傷つけている点では確かにパワーハラスメントだが、それだけでは済まない。どんな場面であっても暴力が許されることはない。