文豪と呼ばれる人も、教科書に出てくるような人も、時に傍から好奇の目で見られたり、スキャンダルで世間を騒がせたりした。世間一般の「清く正しい」枠にはまらない側面を見つけてしまうことは、邪道で下世話ではあるが、そういう人間くさい側面から作者や作品に興味が湧いたりすることもある。今回紹介する作品は、そんな業の深い人にお薦めしたい新旧3作品だ。
◆『デンジャラス』(中央公論新社刊/著: 桐野 夏生)
妻・松子、妻の妹・重子、妻の連れ子である義理の娘・恵美子、たくさんの若い女中。人気作家として地位を確立した谷崎潤一郎の家には、彼の気に入った女たちばかりが一緒に住んでいる。谷崎のつくった、小さな理想の王国で、満足して暮らす女たち。そこにある日、「義理の息子の嫁」として、美しく才能のある女・千萬子が加わり、“王国”のバランスが崩れていく――。
桐野夏生氏の新刊小説『デンジャラス』は、幾度となく世間から好奇の目で見られた谷崎の中年から晩年の家庭事情を、大まかな流れは事実を基に、小説として昇華した作品だ。谷崎の代表作『細雪』の雪子のモデルとされる、妻の妹・重子の視点から語られている。
大阪の旧家で育った美人4人姉妹を描いた小説『細雪』は、ノーベル文学賞の最終候補に二度上がったこともある名作長編。主役の1人である三女・雪子は、美しく、一見おとなしいが一癖あるチャーミングな女性として、読者を強く惹きつけた。『細雪』は、雪子の縁談がまとまり、居候していた次女夫婦(モデルは谷崎夫婦)の元を離れるところで幕を閉じるが、明らかに雪子のモデルであった重子は、結婚後もしばしば谷崎家に身を寄せ、疎開を理由に夫と別居した。一時夫の元に戻るものの、夫に先立たれて再び谷崎夫婦と共に暮らすようになる。
そんな重子を挑発するように、深い愛情をかける谷崎。“私は姉の付録”と言い聞かせながらも、重子は姉・松子とともに谷崎の芸術の養分として「実人生が小説に吸いとられていく」喜びを味わっていた。
そんな中、谷崎の意向で別居していた義理の息子が、結婚を機に谷崎家の離れに住むことになる。息子の嫁・千萬子は美しく、気が強く、新しい文化を好む女性だった。千萬子を面白がった谷崎は、やがて特別に寵愛するようになる。息子夫婦が別居した後も、毎日速達を往復させるほど親密になっていく谷崎と千萬子。谷崎は、松子・重子姉妹が嫉妬するさまも、創作の刺激にしている節すらある。そうして出版された『瘋癲老人日記』は、「息子の嫁」に執着する老人の性やフェティシズムが描かれ、晩年の代表作として高く評価されることになる。
妻たちを傷つけてでも、若い千萬子から芸術の刺激を受けようとする晩年の谷崎の執念、「自分たちこそが谷崎のミューズである」というプライドを傷つけられつつも、表面上は取り乱さず、静かに水面下で千萬子を遠ざける策略をめぐらせる松子・重子の老姉妹、谷崎の寵愛を頼りに高価な品々から生活費、住処までも手に入れつつ、決して一線は踏み越えない千萬子。それぞれの業の深さとえぐみが、ドロドロ劇の一歩手前までは表れるが、重子の上品な語り口で決して口当たりは悪くない。そして終盤には、重子が押し殺していた“姉の付録ではない私”が奔流し、谷崎作品の背徳的な雰囲気をも湛える展開を迎える。
事実には沿っていても、内面の真実は当事者たちにしかわからない。あくまでフィクションとして、当時世間から好奇の目で見られた「谷崎一家」の隆盛と静かな終焉が堪能できる。
◆『かの子撩乱』(講談社文庫/著: 瀬戸内晴美 ※瀬戸内寂聴)
そして、谷崎に翻弄された重子たちの姿とリンクしたのは、新刊ではないが、谷崎と同時代に活躍した作家・岡本かの子の生涯を追う評伝小説『かの子撩乱』だ。同作の取材で、かの子の妹・きんは生前のかの子を回想してこう語る。
「ああいう強い個性の芸術家が一人誕生するためには、まわりの者はみんな肥料に吸いとられてしまうのでございましょうか。姉の芸術のかげにはそれはそれはたくさんの犠牲が捧げられております」
谷崎と同時代に活躍した小説家・岡本かの子。今なら、「岡本太郎の母」と言った方が身近に感じられる人が多いかもしれない。急逝したため執筆期間は短いものの、川端康成は「最近もつとも立派な仕事をしつつある作家の一人だ」(原文ママ)と評している。文学に生涯をささげたかの子もまた、小説のために自らが女王として君臨する「王国」をつくり上げ、夫、愛人、書生らと同居していた。きんも、その王国を補助する一員として、時に身の回りの世話をしていた1人といえる。
瀬戸内寂聴氏の『かのこ撩乱』は、ノンフィクションの体を取りつつ、かの子、夫・一平の内面まで深く踏み込んだ、評伝の枠には収まらない作品だ。当事者含む関係者への取材、未発表(当時)だった資料、そしてかの子が憑依したかのような心理描写が精緻に編みこまれ、かの子の生涯を中心に、かの子の夫で、新聞漫画家の第一人者として時代の寵児だった一平、恋人として同居した仁田(仮名)、長男である岡本太郎らで構成された“岡本一家”の流転が描かれる。
晩年の作品自体は高く評価されるものの、私生活や本人の振る舞いについては毀誉褒貶どちらも激しかった岡本かの子。熱狂的に愛されるか、嫌われ敬遠されるか、好悪が極端に分かれる彼女の生涯を簡単に語ることはできないが、最も好奇の目を集めたうわさの1つは「夫と恋人、さらにもう1人の男性との同居」という伝説だろう。
当時、世間からはひそかに男妾と笑われることもあった仁田、垣松(仮名)の2人の男性は、決して経済的に独立できない「ヒモ」だったわけではない。垣松は、岡本家に住み、かの子夫婦の身の回りの世話をしながら、大学で講師を務めていた。戦後には島根県知事を2期務めている人物でもあるが、彼にとっては「自分の一番輝かしい生活だったのは、かの子さんと暮らしていたころ」と語るほど、生涯唯一の時期となった。
仁田も、慶應大学病院の優秀な医師だった。名家の生まれで、「人妻に溺れて男妾になった」と世間から笑われる息子を心配した仁田の母が、岡本家に出向いたものの、むしろかの子を気に入り「この人の元なら」と息子を置いて戻ったエピソードも残っている。かの子の死後、夫の一平としばらく共に暮らしお互いを支えた仁田もまた、かの子と同居した日々が最も華やいでいた時期であると、寂聴氏に語る。そんな2人の目には、「男妾」とあざ笑う世間には見えない景色が広がっているようだ。
かの子は、才能を持った男性たちを思うがままに従えた。それは、谷崎と同じく「芸術」のために必要不可欠だと信じていたからだと分析されている。寂聴氏は、信じるままに生きる暴力的なかの子の純粋さを、「一人の女が、怖しい芸術の魔神に魅入られ、三人の男を奴隷のように足元にふみすえ、その生血をしぼりとり、それを肥料に次第に自分の才能を肥えふとらせていく」(原文ママ)と表現する。
本作は雑誌連載の初出から半世紀がたつが、寂聴氏自身もかの子の魔力に絡め取られているかのような筆致は、いまだ熱くみずみずしい。序盤には、学生時代の谷崎とかの子の交流も描かれる。『デンジャラス』を楽しんだ人に、薦めたい作品だ。
■『諧調は偽りなり(上・下)』(岩波現代文庫/著: 瀬戸内寂聴)
最後に紹介するのは、『かの子』と同じ作者になってしまうが、瀬戸内寂聴氏による評伝小説『諧調は偽りなり(上・下)』。谷崎と1歳違いで、思想家として活動し、アナキストを貫いて惨殺された大杉栄と、その最後の妻となり、大杉と共に殺された伊藤野枝の後半生を描いた作品だ。
伊藤野枝は、女性の手で作られた雑誌「青鞜」の編集部員(後に編集長となる)として活動する中で、大杉と出会う。大杉に惹かれた野枝は、衝動のままに夫と幼い息子を捨て彼の元に身を寄せる。その一連の流れだけでも当時のメディアを軽く騒がせたが、大杉と野枝が広く世間に知られたきっかけは、主に「日蔭茶屋事件」と呼ばれる不倫刃傷沙汰だろう。
大杉は、恋愛流儀として「フリーラブ(特定の恋人をつくらず、それぞれが経済的に独立し、複数と平等に付き合うことを許容し合う関係)」を提唱し、実践した結果、野枝も含めた四角関係に陥り、野枝に嫉妬した愛人・神近市子に刺されている。そもそも「フリーラブ」を提唱している大杉が既婚者であるうえに、大杉も野枝も、大杉を刺した神近の稼ぎに頼って生きていた。おそらく、一般に広く「バカみたい」と思われただろうことは想像に難くない。
この事件に翻弄されつつ、結局、大杉と野枝は事実婚関係を結び、5人の子どもが生まれ、大杉は勉強のために渡欧したものの活動前に投獄され、帰国後は政府に目を付けられながら活動し、野枝と共に殺される――という激動の4年間を濃く描いた本作。2人の前半生を書いた前作『美は乱調にあり』(同)の続編ではあるが、前作を経ていなくても、問題なく読むことができる。
2人の生き方も思想もここでは省くが、個人的には全肯定できるものではない。しかし、思想の是非と人の好悪が一致するとは限らない。政府から危険人物とみなされた2人だが、どちらにも人懐こいところがあり、監視役としてついてくる憲兵に荷物を持ってもらったり、ちょっとした買い物を頼んだりできるような関係を築くようになる。本作には、彼らの愚かなところも容赦なく収められているが、憲兵もついほだされるほどの不思議な魅力も、全編にちりばめられている。思想には否定の立場を取っていても、実際の彼らを目の前にしたら、好意を持ってしまうかもしれない。自然とそう思わせる、彼らの引力が伝わってくる。
大杉栄享年38歳、伊藤野枝享年28歳。2人は関東大震災の混乱に乗じて惨殺された。大杉の葬儀には、思想上は対立する立場の人々も多く参列し、彼の死を悼んだ。野枝の前夫は、「野枝さんにどんな欠点があろうと、彼女の本質を僕は愛している」と追悼文を送った。「畳の上では死ねないだろう」という覚悟の上で生きた2人に、「子どもがいるのに無責任」という言葉も響かなかっただろう。それでも子どもたちはそれぞれ、親の生涯から、自分勝手に生きる代償も、信じた道に殉じる気韻も受け継いで生きたように見える。
伊藤野枝と大杉栄も、谷崎潤一郎も、岡本かの子も、現代で同じ生活を送ったとすれば、当時と同じように、もしくはそれ以上に批判や揶揄を受けることになるだろう。時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、その当時にあって冷蔵庫やソファベッドも使うような谷崎の義妹・重子は一見私たちと地続きで、ひどく遠いとは思えない。
清くない、正しくない、筋が通らないところを踏まえても、たぶん犯罪を犯さない限りは「どれだけ人に迷惑をかけたか」「どれだけ間違ったか」より、「どれだけ人に愛されたか」「何を創造したか」の方が世に残って、時に後世の人を助けることすらある。芸術家でなくても、そんな法則を知っておくことは、おそらく他人への視線を寛容にし、引いては自分自身の生き方を楽にするはずだ。
(保田夏子)














