切迫する生活と死の気配が官能的な空気を作る、異色の恋愛小説『じっと手を見る』

■『じっと手を見る』(窪美澄、幻冬舎)

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 6月の雨の中、樹海近くの町の古びた一軒家でのひそやかな情事から始まる小説『じっと手を見る』(幻冬舎)。富士山を望む小さな町で、介護士として忙しく働く日奈を中心に、4人の男女の視点で、それぞれの恋や執着が巡る連作短編集だ。恋愛小説では避けられてしまうことの多い、老いや生活感が恋愛と深く絡まり合い、色濃く、官能的に仕上げられている。

 幼いころに両親を亡くし、学生時代に唯一の肉親だった祖父も失った日奈は、老朽化した家に一人で暮らし、「年寄り相手に大変な仕事して、休みになったらモール行って、ユニクロとか無印で服買って、なんたらフラペチーノとかばっかり飲んで」いる生活を淡々と続けている。元恋人で、なにかと世話を焼きに来る介護士仲間の海斗を横目に、職場で取材を受けたことをきっかけに知り合った、東京に住む「宮澤さん」と初めて恋に落ち、町を飛び出す――。

 日奈や海斗が住む小さな町にあるのは、さびれた商店街に、人がにぎやかに行き交う大型ショッピングモール。体もメンタルも削られる重労働を誠実にこなして、贅沢は望めないが、不自由なく生きていくことができる。それは、地方や郊外にありふれた光景だろう。

 「親父たちはまだ夢見られたよな、ぎりぎり。俺たちには、それすら許されない。失敗したら絶対に浮き上がれない」と語る海斗と、東京・港区の裕福な家庭に生まれ、似たような育ちの妻を持ち、何回でも失敗できる“余裕”を持っている宮澤は対照的な存在だ。人生の全てが丁重にお膳立てされ、生きている実感がぼんやりとしている宮澤は、若くて可愛いのにきつい仕事を選んで、黙々と地味な生活を続けられる日奈に、否応なく惹かれていく。しかし、彼が惹かれた日奈の生命力は、唯一の肉親を亡くしてさえも立ち止まることを許されない、穏やかだが切迫する生活の裏返しにある力でもある。それは、幸か不幸か、おそらく宮澤には一生得ることのできないものだ。

 一方で海斗は、日奈への思いを引きずったまま、やたら自分に絡んでくる胸の大きな同僚・畑中と体を重ね、関係を深めていく。介護する老人に平然と胸を触らせ、口の悪い物言いで職場の女性陣から嫌われがちな畑中だが、彼女主観の短編(「水曜の夜のサバラン」)を経たあとでは、彼女の寂しい生い立ちや、老いて弱っていく人々に冷たくできない不器用な一面が浮き彫りになってくる。

 どんな登場人物も、一つの身体の中に愚かなところと美しいところを抱えながら生きている。そして、どんな生き方をしていても、いずれは必ず死という1点で結ばれる。そんな当たり前だが厳しい世界観を自然に漂わせている本作だが、同時に恋愛が上手くいかない人、間違ってしまった人も柔らかく許容している。ふだん恋愛小説を苦手だと感じている人にも薦めたい一冊だ。

■『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック 女子刑務所での13ヵ月』(パイパー・カーマン、駒草出版)

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 オンラインストリーミングサービス「Netflix」の人気ドラマシリーズ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』の原作である本書は、アメリカの裕福な家庭で育ち、名門女子大を卒業した女性・バイパー が、若い頃同性の恋人に頼まれて犯してしまった麻薬取引の罪で逮捕され、刑務所で過ごした体験を回想して大ヒットしたノンフィクション・エッセイだ。犯罪に手を染めた経緯から、10年後に起訴され、裁判・刑務所入ってから出所するまでの濃厚な日々を、真摯に、かつユーモアたっぷりに振り返っている。

 彼女が最も長く過ごした刑務所・ダンブリーは、基本的に軽犯罪を犯した女性が集められる施設だ。そのため警備は非常に緩く 、食堂での調理や施設の設備修理、刑務所を出入りする囚人の送迎(!)まで、囚人たち自身によって行われている。弁護士から「周りを信用するな」と言われ、当初は右も左もわからないまま、注意深く他人と距離を取っていたバイパーだが、自主的に囚人たちが整えた新人受け入れ態勢の下で優しく受け入れられ、次第に信頼できる人物を探し当て、これまで触れ合ってこなかったようなタイプの囚人とも深い人間関係を紡ぐようになる。

 一言で囚人といっても、そのバックグラウンドはさまざまだ。キッチンでおいしいパンを焼き、夜は静かに読書をするジャマイカ出身のナタリー、多くの女性の尊敬を集めるシスター、囚人を集めて定期的にヨガクラスを開くジャネット、男性から女性に性転換したトランスジェンダーの美女ヴァネッサ、そして、バイパーが逮捕されるきっかけを作った元恋人のノラ……まるで映画やドラマを見るように、個性的な女性たちが次々に登場する。

 本作は、不当な嫌がらせをしてくる看守、恒常的にウジのわいている不衛生なシャワールーム、現実には役に立たない社会復帰プログラムなど、刑務所生活の実態や問題点を浮き彫りにする実録ルポであり、自身の犯した罪と向き合う内省的なエッセイである。しかし一方で、誰かが誕生日を迎えればにぎやかに祝い、出所するときには手作りのカギ編みベストをプレゼントし惜しみながら別れ、土曜の夜にはキッチンでおいしいカレーやハンバーガーを作ってもらったりする、微笑ましい回想記でもある。

 女子校の寮生活を描いたかのようなエピソードを通して、バイパーは、全囚人がどうしようもない悪党というわけではなく、生まれ育った家庭環境などから犯罪を選択せざるを得なかっただけの不幸な女性が大勢いることを自然と伝えてくる。生まれたときから公平ではない世界を、どうとらえていくべきなのか、考えさせられるエッセイだ。

■『ババア★レッスン』(安彦麻理絵、光文社)

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 『ババア★レッスン』は、そのインパクト大のタイトルの通り、48歳になる著者が「いいババア」になるための道筋を探り、目標となる先輩ババア像を模索する、ポジティブでパワフルな加齢にまつわるエッセイだ。「ババア」という言葉は、侮蔑語として使う場合があるため、言葉だけで不快感や抵抗を覚える人もいるかもしれないが、そんな人にこそ読んでほしい本でもある。

 ここで使われる“ババア”は揶揄ではない。著者は「ババア」という言葉に面白さや人間味を含めた、ポジティブな意味合いを込め、少しでも浸透することを狙っている。「40過ぎたらみなババア」というざっくりした定義の下、ババアの恋とセックス、ババアの趣味、ババアのダイエット、海外のババア事情などについてつづり、さらにはババア観を広げてくれる映画、本、海外のコメディ番組まで紹介する。

 「どんなふうに年を取りたいか」と問われた時の女性の回答の定番は、著者が言うように「縁側でひなたぼっこをしてる、可愛いおばあちゃん」だろう。さらに著者自身も憧れていたという「宇野千代」さんも定番の1人と言える。そんな定番以外のロールモデルを求める著者が「81歳の現役DJ」スミロック氏を材した章は、異様な熱気がこもっている。深夜1時にクラブイベントに参加する彼女のパワフルな活躍と言動に触れれば、 “わけのわからない”活力が湧いてくるだろう。

 加齢と気持ちの折り合いがつかない中年以降の女性はもちろん、まだ10~20代なのに、つい「ババア」を自称してしまう、年齢の鎖にガチガチに縛られた女性たちにも読んでみてほしいエッセイだ。
(保田夏子)

舞台俳優への暴走するガチ恋と、整形後のリアルな日々――生々しい女の欲望を描いた2作を紹介

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

■『りさ子のガチ恋 俳優沼』(松澤くれは、集英社)
risakonogachikoi 「ガチ恋」とは、「タレントやアイドルなど遠い存在に、ファンの域を超えて本気で恋をしている状態」のこと。アイドルや若手タレントを応援するファンの広がりとともに使われるようになった言葉だ。小説『りさ子のガチ恋 俳優沼』は、架空の2.5次元舞台(『政権☆伝説』、略して『伝ステ』)を軸に、“ガチ恋”する方とされる方、両方の光と影に深く踏み込んでいる異色作だ。

 もともと、舞台公演として昨年上演され、その異様なリアリティーが一部で話題を集めた本作。2.5次元舞台『伝ステ』で主演を張る俳優・翔太の熱心なファンで、全公演に通い詰め、こまめにファンレターや高価なプレゼントを贈る26歳の地味な会社員女性・りさ子。翔太の後輩格で、この舞台を足掛かりに本気で売れたい俳優・秋山。そして、翔太との関係をSNSで“匂わせ”てファンを煽るアラサーのグラビアアイドル・るる。小説版では、主にこの3人の視点を交互に連ねながら、単なる業界のあるある暴露やオタクへの揶揄に終わらない、人間模様が繰り広げられる。

 序盤で描かれるりさ子の日常は、俳優オタクのみならず、アイドルなど芸能界隈のオタクにとっては、どこかで見かけたことがあるリアルなものばかりだ。「舞台終演後に、オタ友で居酒屋に集まり、関係者でもないのに『千秋楽お疲れさまでした!』と乾杯する」「自分だけに向けられた(はずの)ファンサービスに舞い上がる」という滑稽ながらもほほ笑ましい一面から、「常連オタクのファッション批判&すっぴん批判」「お金を出さない茶の間(在宅)オタクを下に見る現場オタク」「SNSの裏アカウントで共演俳優を批判」などのほの暗い面まで、オタクの生態が裏も表も容赦なく晒されていく。

 りさ子の描写を身近に感じた人なら、翔太の後輩俳優・秋山の視点、グラビアアイドル・るる視点からのパートも興味深く読むことになるだろう。人気俳優と密着した写真をSNSに投稿して腐女子層の開拓を狙う秋山、俳優との交際を匂わせることで心を満たすグラドル・るる。俳優同士で交わされるファンについての残酷な軽口や、共演者の足の引っ張り合い、ユルユルの恋愛模様も、著者・松澤くれは氏が舞台演出家・脚本家であることも手伝って、強い説得力をもって立ち上ってくる。

 一見、良心的なファンだったりさ子は、「るるが、翔太の私物をSNSに投稿する」「翔太が急に2人掛けソファーを購入する」「特定班により、行きつけのお店が一致する」などとディテールが重なって明らかになる2人の親密な関係や、とあるショックな出来事で、直接2人を別れさせるべく暴走を始める。ガチ恋オタクがうっすら持っている、“推しに自分の思いをぶつけたい”“匂わせ女に思い知らせてやりたい”という暗い願望を実現するモンスターと化すりさ子。しかし、直接思いをぶつけるということは、同時に、タレント側の本音をぶつけ返されることでもある。

 ファンと芸能人、現実では相まみえることのない本音がむき出しになり、平行線をたどる2者の間で浮き彫りになるのは、“ガチ恋”という矛盾した情熱の正体だ。「ガチ恋」とは「タレントを、本気で好きになること」ではある。けれども、見たくない相手の本心は、見せてほしくない。聞きたくない本心を語るくらいなら、完璧に騙してほしい。心の底では相手を「ガチの人間」だと思っていないからこそ、気兼ねなく、衝動のままに好意をぶつけられる存在として愛しているのだ。

 直接向き合ってどす黒い思いを絞り出したりさ子と、真剣に返答した翔太の間には、恋人・るるにも入り込めない特別な関係性が確かに生まれている。それにもかかわらず、現実の翔太の思いを受け止めてしまったりさ子の情熱は、憑き物が落ちたようにうせてしまうし、その流れは読者にも自然に見えてしまう。「相手も自分と変わらない人間である」と気づいた先に広がる、荒涼とした世界に、りさ子がどう立ち向かうのか――。彼女の最後の選択は、ホラーのようで、皮肉なほど現実的でもあるのだ。

■『自分の顔が大キライ』(長谷川ケイ、イースト・プレス)

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 『りさ子~』に負けず劣らず、ストレートなタイトルが付けられた『自分の顔が大キライ』は、タイトル通り、幼い頃から容姿に強いコンプレックスがあった著者が、整形手術を受け、美しくなり、大きく変わった半生を振り返ったコミックエッセイだ。

 10代・20代で自分の顔に満足している、という女性はほんの一部かもしれない。どんなにかわいくても、もっとかわいくなりたいと思っているし、容姿に自信が持てないなら、なおさら不満とコンプレックスだらけだ。かわいい女性をひいきする上司を見たり、見知らぬ男に「ブス」と気まぐれに悪意を投げつけられたりしたときの、「私がかわいければ、こんなに悲しい思いをすることはないのに」という感情は、多少の差はあれど、容姿にコンプレックスがある女性なら誰でも味わうものだろう。コンプレックスを克服しようと、著者は「整形モニター」という手段を使って、エラを削り、二重になり、目頭を切開し、鼻筋を整えるという大がかりな整形手術を受け、美人に生まれ変わる。

 実際に手術を受けたときの経過や痛み、事後のケアについても回想されているが、本作で大きく割かれているのは「整形で美しくなった女性の、人生のその後」だ。

 21歳という若さで整形し、ハーフと間違えられるほど美しくなった著者は、男女問わず優しくされ、褒められ、バイト先や通りすがりの男性にも「かわいい」と声を掛けられるようになる。明らかな周囲の変化がうれしい半面、声を掛けてくる男性に「外見で真っ先に寄ってくる人は 逆にいえば私の外見を罵倒した人によく似ている気がする」と複雑な思いを抱き、うまく接することができない。さらに、美しさに嫉妬し嫌がらせをする女性も現れ、整形前より人付き合いに不器用になっていく。次第に、自分よりさらに美しい女性だけでなく、美しくなくてもコミュニケーション力の高い女性を羨望するようになってしまう。

 不特定多数にモテたり、容姿を武器にチャンスを広げたい時、整形はかなり有効な手段になるだろう。しかし著者は、自分に自信を持ち、真剣な恋愛や対等な人付き合いをしたいだけだったことに気づく。そこに美しい容姿は、(美しいに越したことはないが)必須ではない。むしろ必要なのは、コミュニケーション力だ。仕事や読書を通してゆっくりと自信をつけた著者は、信頼できる男性に出会い、結婚して穏やかな日々を過ごすようになる。

 「整形でかわいくなりさえすれば、人生がうまくいく」と思っている人にとって、本書で描かれる「整形はスタートラインにすぎない」「誰にでも愛される雰囲気をまとっていたり、ノリが良かったりと、美貌では太刀打ちできない魅力を持った女性がいる」という現実は、耳に痛いものだろう。ただ、「結局、中身が大事だ」という彼女の言葉も、整形という行動を経た上での結論であり、「整形前の私が聞いたらきれいごとにしか聞こえなかっただろう」「前の顔には戻りたくない」という言葉の端々には、“私にとって、整形は正解だった”という潔い自己肯定が垣間見える。整形する道も、整形しない道も、どちらにしろ自分で選んだ道を、“正解”にしていくしかないのかもしれない。
(保田夏子)

イギリス最下層の人々に重なる、遠からぬ日本の将来像『花の命はノー・フューチャー』

 新生活を始める人が多いこの時期。進学や就職はもちろん、20代半ば、30代を超えてから新たな環境に身を置く人もいるだろう。今回は、20代後半から海外に飛び込んだ人のエッセイを紹介する。

『ロンドン・デイズ』(小学館文庫/著: 鴻上 尚史)
rondondays

 新天地で迷い、早くも苦戦している人にオススメしたい本が、39歳(当時)にして1年間ロンドンに留学した日々を記したエッセイ『ロンドン・デイズ』だ。

 ロンドンの名門演劇学校に、特例の生徒として入学できることになり、短期留学を決めた演出家・鴻上尚史氏。学校から「語学力不足が妨げになることがあれば、授業参加を即時中止する」と条件が出ているため、事前に英語学校にも通うものの、入学当初は周りが話していることの半分も実はわからない。階級や出身が違うだけでも理解しにくいほど異なる英語の洪水を、機転とユーモアで乗り越える日々がつづられる。

 ある程度の地位を得た中年以降に、国籍も世代も異なる知らない人々と、母国語以外の言語で勉強する。それは、心身ともに消耗するハードな日々だろう。大失敗して悔しい夜を過ごしても、学校に隕石が落ちないかな、とまで思っていても、次の日がやって来る。無意識に「どこの出身だろうが、英語は話せて当然」というプライドを持つ英語圏の人々を相手に、無事に1年間乗り切り、同級生たちとも親しくなったのは、著者が、うまくはない英語でもその場を笑わせることで相手の心を緩ませ、信頼を勝ち取っていたからであろう。

 留学時期は1997年と古いが、世界各国から集まった若い俳優志望者たちに混ざり、ピチピチの黒タイツを身につけ日本の中年男性が奮闘する日々の、ユニークな輝きは古びていない。海外留学に興味はなくても、春から新たな環境に立ち向かっている人なら、笑って読みながら、明日を生き抜くための気力を蓄えられる1冊だ。

『花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION』(ちくま文庫/著: ブレイディみかこ)

hananoinotihamain 『ロンドン・デイズ』と同じく、2000年前後でのイギリスに暮らす日々がつづられた『花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION』は、イギリス最貧困地域の“保育士ライター”として知られるブレイディみかこ氏の初エッセイを復刻した1冊。31歳(当時)で2度目の渡英を果たした後、保育士を務める前に執筆したエッセイが中心で、現在からの書き下ろしのエッセイも加えられている。

 イギリスでも特に「失業者および生活保護受給者の割合が例外的に高い」ブライトン地域に住む著者が、ワーキングクラスエリアから見える、“英国”の実際をスーパーハードボイルドに活写する本書。格差は広がり、失業者は増え、下層クラスは公共サービスや医療を満足に受けられず、若者は小銭稼ぎに犯罪に走る。スポーツ観戦とお酒とセックスでストレスを晴らす。会話にはFワードが頻出して、上品な人は鼻持ちならず、いわゆる典型的な“いい人”は、そうそう出てこない。それでも、彼女の周りにいるのはチャーミングな人々ばかりだ。良くも悪くも、清廉潔白を求められがちな日本の空気に慣れきっていると、ちょっとだらしなかったり、ズルかったりすることと、“いい人”は両立しないと思ってしまうきらいがあるが、人は簡単に「白」「黒」と分けられるものではないのだ。

 ただ、そんな人を評して「清濁併せのんだ」と言えば聞こえがいいが、実際は選択の余地なく、のみこまざるを得ない環境に生まれた人がほとんどだろう。これは英国の話だが、日本も遠からず似たような道をたどるようにも見える。それでも生まれたからには、したたかに笑って生きるしかないという視点は、現実の混沌に目をつぶるより、はるかに健全だ。そして、それでもやりきれない人間に、音楽とお酒は平等に優しい。
(保田夏子)

 

イギリス最下層の人々に重なる、遠からぬ日本の将来像『花の命はノー・フューチャー』

 新生活を始める人が多いこの時期。進学や就職はもちろん、20代半ば、30代を超えてから新たな環境に身を置く人もいるだろう。今回は、20代後半から海外に飛び込んだ人のエッセイを紹介する。

『ロンドン・デイズ』(小学館文庫/著: 鴻上 尚史)
rondondays

 新天地で迷い、早くも苦戦している人にオススメしたい本が、39歳(当時)にして1年間ロンドンに留学した日々を記したエッセイ『ロンドン・デイズ』だ。

 ロンドンの名門演劇学校に、特例の生徒として入学できることになり、短期留学を決めた演出家・鴻上尚史氏。学校から「語学力不足が妨げになることがあれば、授業参加を即時中止する」と条件が出ているため、事前に英語学校にも通うものの、入学当初は周りが話していることの半分も実はわからない。階級や出身が違うだけでも理解しにくいほど異なる英語の洪水を、機転とユーモアで乗り越える日々がつづられる。

 ある程度の地位を得た中年以降に、国籍も世代も異なる知らない人々と、母国語以外の言語で勉強する。それは、心身ともに消耗するハードな日々だろう。大失敗して悔しい夜を過ごしても、学校に隕石が落ちないかな、とまで思っていても、次の日がやって来る。無意識に「どこの出身だろうが、英語は話せて当然」というプライドを持つ英語圏の人々を相手に、無事に1年間乗り切り、同級生たちとも親しくなったのは、著者が、うまくはない英語でもその場を笑わせることで相手の心を緩ませ、信頼を勝ち取っていたからであろう。

 留学時期は1997年と古いが、世界各国から集まった若い俳優志望者たちに混ざり、ピチピチの黒タイツを身につけ日本の中年男性が奮闘する日々の、ユニークな輝きは古びていない。海外留学に興味はなくても、春から新たな環境に立ち向かっている人なら、笑って読みながら、明日を生き抜くための気力を蓄えられる1冊だ。

『花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION』(ちくま文庫/著: ブレイディみかこ)

hananoinotihamain 『ロンドン・デイズ』と同じく、2000年前後でのイギリスに暮らす日々がつづられた『花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION』は、イギリス最貧困地域の“保育士ライター”として知られるブレイディみかこ氏の初エッセイを復刻した1冊。31歳(当時)で2度目の渡英を果たした後、保育士を務める前に執筆したエッセイが中心で、現在からの書き下ろしのエッセイも加えられている。

 イギリスでも特に「失業者および生活保護受給者の割合が例外的に高い」ブライトン地域に住む著者が、ワーキングクラスエリアから見える、“英国”の実際をスーパーハードボイルドに活写する本書。格差は広がり、失業者は増え、下層クラスは公共サービスや医療を満足に受けられず、若者は小銭稼ぎに犯罪に走る。スポーツ観戦とお酒とセックスでストレスを晴らす。会話にはFワードが頻出して、上品な人は鼻持ちならず、いわゆる典型的な“いい人”は、そうそう出てこない。それでも、彼女の周りにいるのはチャーミングな人々ばかりだ。良くも悪くも、清廉潔白を求められがちな日本の空気に慣れきっていると、ちょっとだらしなかったり、ズルかったりすることと、“いい人”は両立しないと思ってしまうきらいがあるが、人は簡単に「白」「黒」と分けられるものではないのだ。

 ただ、そんな人を評して「清濁併せのんだ」と言えば聞こえがいいが、実際は選択の余地なく、のみこまざるを得ない環境に生まれた人がほとんどだろう。これは英国の話だが、日本も遠からず似たような道をたどるようにも見える。それでも生まれたからには、したたかに笑って生きるしかないという視点は、現実の混沌に目をつぶるより、はるかに健全だ。そして、それでもやりきれない人間に、音楽とお酒は平等に優しい。
(保田夏子)

 

仲良し・不仲では片付かない「女同士」の関係、でも「女の敵は女」じゃない3冊

 ひと言で「女同士の関係」といっても、そのバリエーションは無限にある。「女同士はドロドロしてる」「女の敵は女」と思っている人には見えない世界が描かれた3冊を紹介したい。

『いのち』(講談社/著: 瀬戸内 寂聴)

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 95歳、瀬戸内寂聴の小説『いのち』を読んだら、やっぱり「女同士はドロドロしている」と思う人もいるかもしれない。ただ、少なくとも寂聴にとってそのドロドロは、飛び込んで泳ぐ価値のある大河だ。

 河野多惠子と、大庭みな子。ともに1960年代に芥川賞を受賞し、その後同時に女性初の芥川賞選者となった2人は、自他ともに認めるライバルだった。双方と深く交流のあった瀬戸内氏が、2人のエピソードを軸に半世紀以上にわたる交流を振り返る。「長編小説」と打たれているが、寂聴本人の目線で、ほとんどが実名で記されているため、エッセイや回想録のように読む人も多いだろう。

 長年酒席を共にした友人の話を聞くような、人懐っこい寂聴の語り口でつづられるエピソードの数々は、どの組み合わせをとっても三者三様にチャーミングだ。寂聴の自殺未遂を助けた河野、病に倒れた大庭の気迫にのまれ、全速力で走った当時70代の寂聴、本人のいないところで大庭の小説を絶賛するのに、「大庭には言わないで」と口走る河野――。時に性的嗜好など、きわどい話に踏み込んでも下品にならず、老いて病に倒れても良い意味で人間くさい一面が活写されている。

 深く対立しながらも、同時に文学的才能を認め合う理解者でもある玉虫色の関係。少年漫画のように爽やか一辺倒ではないが、熟成したお酒のように味わい深いものがある。本来、人付き合いは「仲良し」「不仲」とひと言で片付けておく方が楽だが、半世紀以上、どちらも入り混じったまま据え置いて関係を継続できたのは、精神的な体力があり、かつ精神的に成熟しているからこそだろう。

 『いのち』という言葉は、寂聴が愛し、深く研究した作家・岡本かの子の生涯をかけたテーマとなった単語だ。おそらく寂聴の作家生活にとっても大事な言葉が冠された本書は、「早く私もあちらへ行き、三人で一晩中喋り明かしたい」「あの世から生れ変っても、私はまた小説家でありたい。それも女の」と終盤で結ばれる。いのちを削ってでも味わいたい仕事、人間関係、そういうものを私たちはいくつ紡げるのだろうか。

『完璧じゃない、あたしたち』(ポプラ社/著: 王谷 晶)

kannpeki307  映画でも小説でも漫画でも、女性は恋愛ものが大好き、ということになっている。しかし、恋愛に限らず、そもそも人間同士の感情の交歓や揺れに女性は惹きつけられているのかもしれない。そう思わせるのが、“女と女の関係”をテーマにした23編の短編小説を収めた『完璧じゃない、あたしたち』だ。友情はもちろん、親子関係も、他人同士が一瞬すれ違ったような交流も、女性同士の恋愛も、さまざまなバリエーションが詰められている。

 都会でも田舎でもない場所で、安いお弁当を売って暮らす女が、近所の女の“才能”を発見する『北口の女』。「趣味:セックス」を公言できない女子が同志を見つけて浮き立つ『ヤリマン名人伝』。学生時代に遠巻きに見ていた女子と、同窓会で再会して初めて向き合う『タイム・アフター・タイム』。友情と恋愛と性愛の曖昧な揺らぎを描写した『Same Sex, Different Day.』。どれもが、女と女が交錯したことで、それぞれの人生の行き先が少し変わっていく局面を切り取っている。

 出会いや別れ、もしくは恋愛や独立など、大きな決断や行動をした瞬間は忘れがたい。でも、たいてい大きな変化の前には小さなきっかけがあるのに、時の流れに押し流されて忘れてしまっている。著者の短編は、そんな誰もが記憶の底に沈めているさりげない瞬間も詩的に掬いあげてくれている。1編1編は短く気軽に読めるが、テキスト量以上に精神的な潤いを足してくれる1冊だ。

『サトコとナダ 1』『サトコとナダ 2』(星海社/著: ユペチカ)
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 現在もWEB連載中の『サトコとナダ』は、米国の大学に留学した日本人のサトコが、サウジアラビア出身のムスリム美女・ナダとルームシェアを始める4コマ漫画。『ダ・ヴィンチ 次にくるマンガ大賞(WEB部門)』で4位に入った、コミックエッセイ風のフィクションだ。

 日本で生まれ育つと、深く信仰する宗教を持たないのが普通のこと。同様に、サウジアラビアに生まれれば、ムスリムであることが普通だ。イスラム教にあまり触れてこなかった平均的な日本人・サトコの視点を通して、ムスリム女性の日常を見ることで、イスラム教の一面を知ることができる。サトコもナダも、留学生の立場からアメリカのライフスタイルにも触れるため、イスラム教との違い、アメリカとの違いと、複数のベクトルで「異文化」に触れていくことになる。

 近年のヒットコミックの定番、「異文化交流あるある」ジャンルとして非常に楽しめる本作だが、2巻からは特に、サトコとナダの友情物語としての側面にも焦点が当てられている。「普通」は食い違うが、おいしいものを食べ、オシャレを楽しんで、笑い合う普遍的な生活を通して、徐々に2人が互いを“人生に現れた新種の異邦人”としてではなく、信頼できる対等な友人として関係を深めつつある。そんなところにも注目して、続きを楽しみに待ちたい。
(保田夏子)

 

ピンとこなかった海外、「裏日本」に心酔――旅する人の“視座”を感じる旅行記3冊

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン(サイ女)読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。今月は、遠くても、近くても、どこか旅行に行きたくなる3冊を紹介。

『こういう旅はもう二度としないだろう』(幻冬舎/銀色夏生)

kouiutabiha 『こういう旅はもう二度としないだろう』は、子育てがひと段落した銀色夏生が、しばらく行くことのなかった海外旅行に挑戦する紀行エッセイ。約半年の間に怒涛の勢いで、ベトナム、ニュージーランド、スリランカ、インド、イタリアと、5つの団体ツアーにほぼ1人で参加している。

 1カ国目、「準備運動」として選ばれたベトナム・ホイアン4泊5日の旅は、3人組グループと、おじさん1人と、著者の5人が参加する小規模なツアー。世界遺産をめぐり、マッサージを受け、旧市街や遺跡を散策する。市街の活気あふれる様子や自然などの描写から、それなりに旅情を感じているように読めたが、帰国後「楽しいことは一つもなかった」と言い切る潔さに、つい笑わされてしまう。楽しんでなかったのかよ! と、思わず突っ込みを入れつつも、団体ツアー特有のマイペースに過ごせないもどかしさや、知らない他人と行動を共にする息苦しさには、共感する人も多いだろう。

 そんなベトナムツアーの後も、明らかに個人行動が好きそうなのに「なんとなくおもしろいかもしれない」という理由で、参加者全員が集会所に寝袋持参で雑魚寝するニュージーランドのスピリチュアルなツアーに参加したり、仏教に特別の興味はないのに「カネコさん(添乗員)の感じがよさそう」という理由で、スリランカの仏教美術ツアーに参加したりと、直感でかなりディープなところに突っ込んでいき、「こういう旅はもう二度としないだろう」と収束する。最後のイタリア旅行を除けば、ほぼ「ピンとこなかった旅についての旅行記」という、ちょっと面白くなさそうなテーマにもかかわらず、するすると読めるのは、大げさに褒めたり貶めたりしない著者のニュートラルな視線が、かえって旅先の情緒を際立たせているからだろう。

 また、本書は旅行記であると同時に、ツアーに参加した人々の観察記でもある。ディープなテーマを持ったツアーに参加する人は、やはり独特のパーソナリティがある。そんな参加者にも、切れ味のよい観察眼が向けられているが、その視線は品良く、冷静だ。時に、苦手そうに思えた人物との出会いが、最終的には「よい出会いだった」と転がることもあると、思い出させてくれる。

 著者にとって、本書でつづられた半年は「家族のためではなく、本当に自分の好きなものを選ぶ」という感覚を取り戻す過程だったのかもしれない。「二度としない旅」を、著者の視線で追体験するうちに、読者自身も自分にはどんな旅が向いているか思いを馳せたくなるだろう。そして、多分「合わない旅」になるとしても、とりあえず実行したくなる。著者も言うように、どんな旅も「もう一度繰り返したくてもできない旅」でもあることは間違いない。

『裏が、幸せ。』(酒井 順子/小学館文庫)

uragasiawase 人気エッセイスト・酒井順子が、“日本海側の日本=裏日本”の魅力に焦点を当てたエッセイ『裏が、幸せ。』。「裏」という言葉には「大切なものがある場所、高貴な方がおられる場所」という意があることを示し、日本海側の風土や文化について、敬愛をこめて考察している。

 山陰本線、能登、丹後や若狭――東京に生まれ育ち、日本中を旅行してきた著者が衝撃を受けた旅行先は、必ず日本海側だったという。本書では、金沢や出雲大社などの日本海側でもメジャーな観光地だけでなく、鳥取や新潟、富山や秋田など、あまり知られているとはいえない土地の魅力もたっぷりと語られている。さらに、作家・泉鏡花や水上勉の特質、田中角栄の生涯を追うことで、日本海側に住む人々の気質にも迫る。

 美しい風景や質の高い小売店が当たり前のように日常に溶け込み、「都道府県幸福度ランキング」では常に上位に食い込む「裏日本」に、著者は「北欧っぽい資質」を見ている。“観光面では、裏日本は東京を目指さなくてもいい”という視座による、「陰や湿度や静寂や人の少なさ」に重点を置いた日本海側の紹介は、派手でない落ち着いた旅を求める人に役立つものとなるだろう。

 前情報なしの旅行ももちろん楽しいが、旅先の土地にまつわる雑学や知見は、時に目の前の光景をより色鮮やかにする。そんな旅行の1つの楽しみ方を、感じさせてくれる1冊だ。

『温泉天国』(アンソロジー/河出書房新社)

onsentengoku 『温泉天国』は、川端康成や小川未明、井伏鱒二といった文学史に名を残す作家から、つげ義春、村上春樹、角田光代ら人気作家・漫画家、著名人の温泉にまつわる名エッセイ32篇を集めた1冊。春夏秋冬、北海道から九州、海外までさまざまな温泉の思い出が、いきいきと活写されている。

 アンソロジーの良いところは、多種多様な名文が一冊で楽しめるところ。本書にも、国内に限られるが、近代から現代まで幅広い作家が収められている。混浴で出会った16~17歳の少女の肢体をやたら事細かく綴る太宰治、千人風呂で潜水艦遊び(水面から出した局部に手拭いを投げる)をやったら楽しかろうと夢想する北杜夫――などなど、短いエッセイでもそれぞれの作家らしいエッセンスが詰まっていて、次に読みたい作家を探すのにも適している。また、角田光代や松本英子がユーモアをこめて振り返る「親孝行で母を温泉旅行に連れて行ったら母が口うるさい(けど楽しい)」というエピソードは、女性ならではの共感しやすい一篇かもしれない。読んでから温泉に向かうもよし、旅行中に読むもよし、気楽に楽しめる1冊だ。
(保田夏子)

「私にとって恐ろしき存在」江戸川乱歩と横溝正史、知られざる“少年漫画”的な友情

 新年を迎えて、新たな世界を広げたい人へ、本がもっと楽しくなる「読書が捗る本」2冊を紹介したい。

『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社/著:中川 右介)
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 『怪人二十面相』シリーズなどで知られる江戸川乱歩と、『八つ墓村』など「金田一」シリーズで知られる横溝正史。どちらも、戦前・戦後にかけて大衆から熱い支持を受けた探偵小説家だ。両氏の作品を読んだことはなくても、探偵役の主人公が「江戸川」「金田一」と名付けられているような漫画を知らない人はほぼいないだろう。小説に限らず、映画や漫画、アニメなど、日本のミステリージャンルには乱歩と横溝両氏が生み出した作品群の影響が、まだまだ色濃く残っている。

 日本の探偵小説界をけん引したこの2人が、友人であり、かつ編集者としてお互いの創作活動を支え、時に苦言も呈するライバルであり続けたことは、あまり多くの人に知られていない。『江戸川乱歩と横溝正史』は、そんな2人の濃密な交友関係に焦点を当て、出会いから最期までどのように影響し合ったか、当時の資料や書簡を丹念に追った評伝だ。

「横溝正史君は私にとって恐ろしき存在である。(略)誰の批評よりも彼の批評が、私には一番ギクンとこたえるのだ」(乱歩)
「『負けるもんか。負けるもんか』とよく言ってましたよ。髭を剃りながらでも顔を洗いながらでも、ご不浄いきながらでもね。しょっちゅう乱歩さん、乱歩さんでしたね」(横溝の妻・孝子の回想)

 通説では、晩年には不仲説もある2人の関係。しかし、本書の丁寧な研究と解説により、乱歩も横溝も、自らが「探偵小説」というジャンルのトップランナーである自負を持ちつつ、お互いを稀有な伴走者として認めていたことがうかがえる。同好の士であるだけに、互いの新作を誰よりも楽しみにしてサポートしながらも、作品に粗があれば指摘せずにはいられなかったのだろう。単純に外野か仲良し/不仲と決めつけるのは難しいが、「二人は互いに相手に読ませようと思って探偵小説をかいていたのではないか――という仮説を唱えたくなるくらい、濃密な関係」であることが垣間見える。

 本書は、両作家のファンでなくても、まるで少年漫画のような2人の関係性自体をエンタメとして、神様の采配の妙を感じつつ楽しむことができるユニークな評伝だ。さらに、乱歩と横溝を中心に据えながら、講談社、早川書房、角川書店(現KADOKAWA)などなど、戦前戦後に立ち上げられた出版社の興亡史であり群像劇にもなっている。作家・編集者ともに濃いキャラクターの面々が織りなす人間ドラマを堪能してしまえば、改めて両氏の名作群に手を伸ばしたくなってしまうだろう。

『洋子さんの本棚』(集英社文庫/著: 小川洋子・平松洋子)
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 岡山県出身、ほぼ同世代で長女として生まれ、18歳で上京して、文筆業を選んだ「洋子さん」2人。『洋子さんの本棚』は、さまざまな共通点のある小説家・小川洋子とエッセイスト・平松洋子が、愛する本を語りながら、人生を振り返る対談集だ。

 「少女時代」「思春期」「家を出た時」「出会い」「老いと死」というテーマに沿って、それぞれが影響を受けた本を持ち寄り、語り合う。子どもの頃に読んだ本や、変化を乗り切ったときに読んだ本についての会話は、自然とその人の考えをあらわにし、相手との距離を密にする。対談を通して、最初は探るような会話をしていた“2人の洋子さん”が徐々に親密になっていく過程を楽しみつつ、時に読者も、自身が忘れていたような本との出会いの記憶を掘り起こされることになるだろう。

 2人が振り返る、文学少女だった子ども時代、思春期に感じた母への違和感、自意識過剰だった思春期。多くの人が経験する普遍的な悩みに、両氏がどのように向き合い、昇華してきたのかが、ユーモアにまぶされた会話から緩く見えてくる。どの世代の女性が読んでも、人生に立ち止まってしまったとき、決して重たくはなく、そっと寄り添ってくれる本を提示してくれる。
(保田夏子)

 

 

レシピ本やグルメ本には書かれない「食べること」3冊――食を支える“生活感”の魅力

 普段意識することはないが、人の体は自分で食べたものでできている。手足も血液も脳も、五感も思考も食べるもので左右される。食の世界を広げることは、生き方を広げることにつながるのかもしれない。そんな、食の世界を広げるきっかけになる本3冊を紹介する。

『おじさん酒場』(亜紀書房/著:山田 真由美、イラスト:なかむらるみ)ijisann1101

「いい酒場にはいいおじさんがいる」

 そんなフレーズを合言葉にした『おじさん酒場』は、酒場で見つけた“気になるおじさん”観察を通して、主に首都圏(たまに大阪)の大衆酒場25軒を紹介するエッセイだ。特に、客同士の距離も近く、人との交流も楽しみの一部になり得る大衆酒場の魅力を、“おじさん”の姿を肴に伝えている。

 おいしそうに酒を飲み、店員とも客とも上機嫌で話すおじさん、男同士2人の世界で抱擁し合うおじさん、消えゆく思い出の酒場をイラストで記録するおじさん、ハイボールの炭酸の強さについて製造会社まで把握して講義してくれるおじさん――。どのおじさんも、「カッコいい」「粋」という言葉では、はみ出してしまうチャーミングな人間臭さがある。コラム1編1編が、そんな個性豊かな男性の鮮やかなスケッチになっていて、なかむら氏のイラストも合わせて、名も知らないおじさんの佇まいが酒場の空気と共に立ち上ってくる。

 著者は最後に「毎回、いい出会いに恵まれたわけではない。むしろ、不発に終わることのほうが多かった」と言うように、本書に取り上げられたおじさんはやはりどこか特別で、見知らぬ人との距離感が絶妙だ。親しげに話しかけてきても、飲み方を押し付けたり無理やり距離を詰めたりはしない。そんなスマートなおじさんを常連に掴まえているような居酒屋は、確かに大人の酒呑みに愛される店になるのだろう。

 おじさん観察だけではなく、店自慢のメニューや店主の個性、お酒の品ぞろえもさりげなく紹介され、大衆酒場初心者にも優しいガイドになっている本書。何より、口コミサイトではなかなかわからない、その居酒屋を好む人々の雰囲気が伝えられている。入ってみたいけれども、つい店の前で躊躇してしまうような初心者にとっては、食の世界を広げてくれる1冊になるだろう。

『野食のススメ 東京自給自足生活』(星海社新書/著: 茸本 朗)yasyoku1101

 『野食のススメ 東京自給自足生活』も、読むだけで、これまで日常の景色の一部にすぎなかった街路樹の植え込みや川の風景に、違った視点を加え、新たな世界を見せてくれる1冊だ。

 「野食」とは「野外の食材をとって食べる」こと。首都圏でも利用できる採集・捕獲できる食材を紹介し、素材を生かす調理法、法律上の注意までも指南してくれる本。スーパーに売っている食材だけでなく、ドライモリーユ茸、トリュフ(に近い種類)、手長エビなど、少しいい店で買うような食材も、都心近くで収穫・捕獲できることに驚かされる(もちろん密漁に当たらない、法律の範囲内でのガイドになっている)。

 本書のコンセプトは「都心で無理なく続けられる自給自足指南」。その点で、単に「変わったもの・ゲテモノを食べて、紹介する」という本とは一線を画している。しかし、魚介類や植物のみならず、アオダイショウやウシガエル、コオロギなど、一歩引いてしまうような食材の採取から最適な調理法、味や食感の描写も豊富で、まず読み物として一級の面白さがある。人気コミック『ダンジョン飯』(KADOKAWA)や『ゴールデンカムイ』(集英社)が好きな人なら、それらの“現代東京版”としても楽しめるだろう。

 そして、発見と失敗を繰り返しつつ、野生の食材をベースに、ラーメン、カップケーキやぜんざいまで作ろうと挑戦を重ねるレポートは、遠くまで出掛けているわけではないのに、非日常で味わうような冒険心にあふれている。料理も、1種の“創造”であることを思い出させてくれる本だ。

『世界のおばあちゃん料理』(河出書房新社/著: ガブリエーレ・ガリンベルティ)obachan1101

 「どんな料理を作り、食べるか」は、確実にその人の一面を象徴する。『野食のススメ』と同じく、そんなことを感じさせてくれる『世界のおばあちゃん料理』は、世界50カ国・58の家庭料理が掲載されたレシピ集だが、目次にずらりと並んでいるのは、各国の女性の名前。この本で紹介されているのは、著者が世界中を旅している中で訪れた“普通の家庭のおばあちゃん”の得意料理だ。各レシピには、食材や料理と共に、58人のおばあちゃんが、普段使っている台所やリビングで、写真を撮られている。

 77歳、夫を亡くし1人で暮らすノルウェーのシノーヴェさんは、キョツパ(牛肉と野菜のスープ)を作りながら、趣味のピアノや絵画について語る。62歳、丘の上にある家に住んでいるモロッコのエイジャさんは、家族が畑で働く様子を見下ろしながら、庭におこした火で鶏肉のタジンを作る――。得意料理や今好きなことについて語る彼女たちのインタビューや写真を通して、単なるレシピ以上に各国の風土や家庭の日常がありありと描かれている。

 おばあちゃんたちは、それぞれふっくらした二の腕や、ムラのある日焼けした肌を思い思いの装いで飾り、自室で笑顔を見せる。その背後に見えるキッチンもさまざまで、変色したまな板、端の焦げたミトンや洗い物が雑然と重ねられたキッチンも多い。そんな、一般的なレシピ本ではそっと除かれがちな生活感が、かえって写真の趣を深めているのは、インタビュアーであり、カメラマンでもある著者の温かい視線が感じられるからだろう。

 掲載された料理は高級料理ばかりではないし、オシャレでもないかもしれないが、1レシピ4ページの中に詰められた、各国それぞれの生活感を堂々とまとった女性と食卓の写真は、カラフルで、活力に満ちている。

 世界には、好きな服を好きなように着て、得意料理を得意げに振る舞うおばあちゃんがたくさんいる。それは、日本だと「ばあさん」「ババア」なんていうふうに呼ばれたりもするが、いつか、願わくば自分もそういうババアになりたい……と、大げさながら生きる希望が湧いてくる本である。
(保田夏子)

レシピ本やグルメ本には書かれない「食べること」3冊――食を支える“生活感”の魅力

 普段意識することはないが、人の体は自分で食べたものでできている。手足も血液も脳も、五感も思考も食べるもので左右される。食の世界を広げることは、生き方を広げることにつながるのかもしれない。そんな、食の世界を広げるきっかけになる本3冊を紹介する。

『おじさん酒場』(亜紀書房/著:山田 真由美、イラスト:なかむらるみ)ijisann1101

「いい酒場にはいいおじさんがいる」

 そんなフレーズを合言葉にした『おじさん酒場』は、酒場で見つけた“気になるおじさん”観察を通して、主に首都圏(たまに大阪)の大衆酒場25軒を紹介するエッセイだ。特に、客同士の距離も近く、人との交流も楽しみの一部になり得る大衆酒場の魅力を、“おじさん”の姿を肴に伝えている。

 おいしそうに酒を飲み、店員とも客とも上機嫌で話すおじさん、男同士2人の世界で抱擁し合うおじさん、消えゆく思い出の酒場をイラストで記録するおじさん、ハイボールの炭酸の強さについて製造会社まで把握して講義してくれるおじさん――。どのおじさんも、「カッコいい」「粋」という言葉では、はみ出してしまうチャーミングな人間臭さがある。コラム1編1編が、そんな個性豊かな男性の鮮やかなスケッチになっていて、なかむら氏のイラストも合わせて、名も知らないおじさんの佇まいが酒場の空気と共に立ち上ってくる。

 著者は最後に「毎回、いい出会いに恵まれたわけではない。むしろ、不発に終わることのほうが多かった」と言うように、本書に取り上げられたおじさんはやはりどこか特別で、見知らぬ人との距離感が絶妙だ。親しげに話しかけてきても、飲み方を押し付けたり無理やり距離を詰めたりはしない。そんなスマートなおじさんを常連に掴まえているような居酒屋は、確かに大人の酒呑みに愛される店になるのだろう。

 おじさん観察だけではなく、店自慢のメニューや店主の個性、お酒の品ぞろえもさりげなく紹介され、大衆酒場初心者にも優しいガイドになっている本書。何より、口コミサイトではなかなかわからない、その居酒屋を好む人々の雰囲気が伝えられている。入ってみたいけれども、つい店の前で躊躇してしまうような初心者にとっては、食の世界を広げてくれる1冊になるだろう。

『野食のススメ 東京自給自足生活』(星海社新書/著: 茸本 朗)yasyoku1101

 『野食のススメ 東京自給自足生活』も、読むだけで、これまで日常の景色の一部にすぎなかった街路樹の植え込みや川の風景に、違った視点を加え、新たな世界を見せてくれる1冊だ。

 「野食」とは「野外の食材をとって食べる」こと。首都圏でも利用できる採集・捕獲できる食材を紹介し、素材を生かす調理法、法律上の注意までも指南してくれる本。スーパーに売っている食材だけでなく、ドライモリーユ茸、トリュフ(に近い種類)、手長エビなど、少しいい店で買うような食材も、都心近くで収穫・捕獲できることに驚かされる(もちろん密漁に当たらない、法律の範囲内でのガイドになっている)。

 本書のコンセプトは「都心で無理なく続けられる自給自足指南」。その点で、単に「変わったもの・ゲテモノを食べて、紹介する」という本とは一線を画している。しかし、魚介類や植物のみならず、アオダイショウやウシガエル、コオロギなど、一歩引いてしまうような食材の採取から最適な調理法、味や食感の描写も豊富で、まず読み物として一級の面白さがある。人気コミック『ダンジョン飯』(KADOKAWA)や『ゴールデンカムイ』(集英社)が好きな人なら、それらの“現代東京版”としても楽しめるだろう。

 そして、発見と失敗を繰り返しつつ、野生の食材をベースに、ラーメン、カップケーキやぜんざいまで作ろうと挑戦を重ねるレポートは、遠くまで出掛けているわけではないのに、非日常で味わうような冒険心にあふれている。料理も、1種の“創造”であることを思い出させてくれる本だ。

『世界のおばあちゃん料理』(河出書房新社/著: ガブリエーレ・ガリンベルティ)obachan1101

 「どんな料理を作り、食べるか」は、確実にその人の一面を象徴する。『野食のススメ』と同じく、そんなことを感じさせてくれる『世界のおばあちゃん料理』は、世界50カ国・58の家庭料理が掲載されたレシピ集だが、目次にずらりと並んでいるのは、各国の女性の名前。この本で紹介されているのは、著者が世界中を旅している中で訪れた“普通の家庭のおばあちゃん”の得意料理だ。各レシピには、食材や料理と共に、58人のおばあちゃんが、普段使っている台所やリビングで、写真を撮られている。

 77歳、夫を亡くし1人で暮らすノルウェーのシノーヴェさんは、キョツパ(牛肉と野菜のスープ)を作りながら、趣味のピアノや絵画について語る。62歳、丘の上にある家に住んでいるモロッコのエイジャさんは、家族が畑で働く様子を見下ろしながら、庭におこした火で鶏肉のタジンを作る――。得意料理や今好きなことについて語る彼女たちのインタビューや写真を通して、単なるレシピ以上に各国の風土や家庭の日常がありありと描かれている。

 おばあちゃんたちは、それぞれふっくらした二の腕や、ムラのある日焼けした肌を思い思いの装いで飾り、自室で笑顔を見せる。その背後に見えるキッチンもさまざまで、変色したまな板、端の焦げたミトンや洗い物が雑然と重ねられたキッチンも多い。そんな、一般的なレシピ本ではそっと除かれがちな生活感が、かえって写真の趣を深めているのは、インタビュアーであり、カメラマンでもある著者の温かい視線が感じられるからだろう。

 掲載された料理は高級料理ばかりではないし、オシャレでもないかもしれないが、1レシピ4ページの中に詰められた、各国それぞれの生活感を堂々とまとった女性と食卓の写真は、カラフルで、活力に満ちている。

 世界には、好きな服を好きなように着て、得意料理を得意げに振る舞うおばあちゃんがたくさんいる。それは、日本だと「ばあさん」「ババア」なんていうふうに呼ばれたりもするが、いつか、願わくば自分もそういうババアになりたい……と、大げさながら生きる希望が湧いてくる本である。
(保田夏子)

猫島もJ2リーグもキーワードは“よそ者”――自分の知らない日本と出会う2冊

 家と会社、家と学校など、日々同じ場所への往復を繰り返していると忘れそうになるが、自分の住んでいるところだけが日本ではない。今回は、「猫」「サッカー」と、1つのテーマをもって日本各地を取材した人々の視点を通して、日本各地の現在と、地域おこしを成功させるヒントが発見できるノンフィクションを紹介する。

『にっぽん猫島紀行』(イースト新書/著: 瀬戸内みなみ)

 「徒歩で一周できるくらい小さくて、人より猫の方が多いといわれるような島」、いわゆる“猫島”。『にっぽん猫島紀行』は、北海道から沖縄まで猫島10島を巡り、島に住む人々のさまざまな思いを取材した紀行レポだ。

 CNNが「世界六大猫スポット」と紹介した相島(福岡)や田代島(宮城)、アートの島としても知られる男木島(香川)、17人の住民に対して約70匹の猫が暮らす志々島(香川)――。どの島についても、猫についてだけではなく、その島の史跡や美味しい食べ物を愛らしい猫の写真とともに伝えている。猫好きなら、単純に日本各地の「猫島」の雰囲気を知るガイド本にもなるだろう。

 その一方で著者は、全国各地の「猫島」が多かれ少なかれ抱えている猫島の「ジレンマ」にも丁寧に迫る。国内外から、猫を目当てに押し寄せる観光客は、マナーを守る者ばかりではない。そもそも猫が好きではない住民もいれば、観光地化を望まない住民、猫は好きでも、増えすぎてケアしきれない猫たちへの対処法で意見が分かれることもある。「島」という小さなコミュニティにおいて、激しい対立や感情的な摩擦はご法度と言ってもいい、できれば避けたい問題だろう。

 しかし、そんなデリケートな課題と向き合ってでも、高齢化、過疎化で消えゆく島の歴史や伝統をつないでいくために、若い世代を呼び込む手段の1つとして、「猫島」という個性を活用しようと試みる自治体や住民たちもいる。

 成功しつつある島の試みを例に挙げながら、結びとなる章で語られる「地域おこしには『よそ者、若者、バカ者』が必要」「外部からの刺激が重要なきっかけになる」という考察は、近い将来、より大きな規模で同じ課題に直面するであろう“大きな島国”日本にとって、他人事ではない知見でもある。

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『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版/著: 宇都宮徹壱)

 地域振興には“よそ者が必要”と語る『猫島紀行』と、意外にもリンクする(かもしれない)ルポタージュが、北海道から九州までのサッカークラブを取材した『J2&J3 フットボール漫遊記』だ。

 メディアで取り上げられる「サッカー」といえば、主には日本代表チームの試合や、海外で活躍するスター選手の活躍、Jリーグやその他の大規模な大会などを思い浮かべる人がほとんどだろう。しかし本書は、熱心なサッカーファン以外はなかなか触れる機会のない全国のJ2、J3クラブ(※2012~17年当時)の本拠地を巡って、経営陣や選手、サポーターに取材した1冊だ。

 長年全国各地のクラブの現状を取材している著者は、“クラブが急速に発展する局面で共通する要素”について語る。東京で公認会計士を務めていた男性が代表になり、瞬く間にJ2昇格を視野に入れるまで駆け上がった鹿児島ユナイテッドFCを例に挙げつつ、地域クラブの発展には“『黒船』となり得る余所者の存在”が不可欠であると見る。J2に降格した静岡の清水エスパルスが、それまで前例のなかった“外様(静岡とゆかりのない)”社長や監督の就任を受け入れて、1シーズンで復活を果たしたエピソードなども、この証左と言える。

 試合の観戦記というより、各地のサッカークラブの取材当時の現状に触れ、どんな経緯でJリーグを目指し、スタッフ陣は何を目指しているかという点に重点が置かれている本書。取材を受けた北海道から鹿児島までの18チームは、十分なスポンサードを受けられるわけではない。予算や人手が限られる中で、Jリーグという「上」を目指す各地の人々の挑戦や苦楽が凝縮して描かれているからこそ、あまりサッカーになじみがない読者にとっても、ドラマ性の高いドキュメンタリー群像劇として楽しむことができる。

 サッカーに詳しくなくても名前は知っているようなスター選手や有名監督も、地元に密着した身近な選手やスタッフも、同じフィールドに立って勝敗を競う面白さがそこにはある。著者が指摘するように、サッカー観戦は、ニュースなどで見るよりずっと身近な娯楽として日本に定着しつつあるのだろう。元からサッカーを好きな人はもちろん、まったく知らなかったとしても、つい、自分の地元のサッカーチームについて調べてみたくなる。
(保田夏子)