話題のエッセー『常識のない喫茶店』と、『スカートのアンソロジー』に通底するハラスメントにNOを突き付けるための姿勢

 ここはサイゾーウーマン編集部の一角。ライター・保田と編集部員A子が、ブックレビューで取り上げる本について雑談中。いま気になるタイトルは……?

◎ブックライター・保田 アラサーのライター。書評「サイジョの本棚」担当 で、一度本屋に入ったら数時間は出てこない。海外文学からマンガまで読む雑食派。とはいっても、「女性の生き方」にまつわる本がどうしても気になるお年頃。趣味(アイドルオタク)にも本気。

◎編集部・A子 2人の子どもを持つアラフォー。出産前は本屋に足しげく通っていたのに、いまは食洗器・ロボット掃除機・電気圧力鍋を使っても本屋に行く暇がない。気になる本をネットでポチるだけの日々。読書時間が区切りやすい、短編集ばかりに手を出してしまっているのが悩み。

エッセーという気軽に読める形式ながらも芯が通った作品

保田 少し前の話になるんですが、8月に純烈・酒井一圭が『百獣戦隊ガオレンジャー』関連イベントで、女性の役である「ガオホワイト」のお尻を触り共演者にたしなめられて笑いが起きた動画をTwitterに投稿した件ってご存じですか?

A子 サイゾーウーマンでも記事になりました。ツイートには「ガオホワイトの尻」というハッシュタグが付けられるなど、おそらく「ジョークだから問題ない」と判断した投稿だったと思われますが、「セクハラは笑って消費できるもの」という認識自体が問題なんですよね。いつの間にか投稿は削除されていますが……。

保田 ガオホワイトの演者の心中はわかりませんが、仕事上、明らかに「嫌だ」と言いにくい環境でのセクハラを経験している人も多いなか、いまだに「笑えるネタ」として扱われることにあきれたり、トラウマを呼び起こされた人も大勢いるんじゃないでしょうか。そんな人に読んでほしい本が『常識のない喫茶店』(僕のマリ・著、柏書房)です。

A子 ウェブで連載されていた時から、「失礼なお客さんとはケンカしてもいい」「スタッフの判断で、客を出禁にしてもいい」という喫茶店のルールが話題になっていた作品ですね。

保田 著者が勤めているのは「働いている人が嫌な気持ちになる人はお客様ではない」という理念を持つ喫茶店。基本的には個性の強い店長や同僚、同じくらいアクの強い客の観察記であり、著者の濃い“喫茶店愛”が味わえるエッセーです。でも、店員をしつこく誘う男性などセクハラや非常識な行為をやめない客にはその場で「もう来ないでください」と言える環境、出禁にクレームを入れられても守ってくれる店長……率直に「うらやましいな」と思ってしまいました。

A子 9月下旬には、元「バイトAKB」のラーメン店経営者・梅澤愛優香さんが、セクハラ被害などを理由にラーメン評論家の“出禁”を表明したところ、その出禁対象者とおぼしき男性がブログでセクハラをほぼ認めたうえで「梅澤さんの件は、まだまだ良い方ですよ」とちゃかした件もありました(後に当該文言は削除)。嫌がらせを受けても、若い女性は特に、周囲がその深刻度を理解しようとしないケースがあるんですよね。

保田 もともと大企業に勤め、セクハラや理不尽なクレーム対応が重なって心身のバランスを崩した著者の過去もつづられていて、「『違う』と思うことに自分を曲げ続けていると、気づかないうちに尊厳を失う」「自分を殺しながら働くことが社会ならば、そんなところで息をしていたくない」という言葉が説得力を持って響きました。エッセーという気軽に読める形式ながらも芯が通った作品ですので、なにか社会の不条理にモヤモヤしている人に。

保田 もう1冊紹介したい本は『スカートのアンソロジー』(朝倉かすみ・選、光文社)です。スカートを媒介に多彩でイメージ豊かな世界をいくつも旅することができる、読書の醍醐味を満喫できる作品集でした。「老若男女問わず、着たいスカートを穿ける世界」を肯定したいという祈りが込められているような作品が多いです。

A子 “スカートが性犯罪に文字通り牙をむくようになった世界”を書いた「スカート・デンタータ」(藤野可織・著)も気になるし、スカートを“男性しかはけない特権的な衣服”とする架空の民族記録を書いた「スカートを穿いた男たち」(佐藤亜紀・著)もジェンダーを再構築する世界観で面白そうです。

保田 どれも良作ですが、ここでは『常識のない喫茶店』で描かれた「嫌なものを嫌と言える人の強さ」を真裏から見せるような「半身」(吉川トリコ・著)を紹介したいです。

A子 幼少期、短いスカートで下着を見せて踊るCMに出演していた女性・きよみが、一児の母として生きる姿を描いた短編ですね。

保田 幼少期から仕事を始めているので彼女も被害者ですが、きよみは嫌な仕事に嫌と言えずに育った女性なんですね。自分の感情を無視して生きてきたから、周囲の人の感情を推し量ることも苦手で、ママ友や夫から距離を置かれるような言動を頻繁に繰り返してしまう。娘も愛しているけど、どこかで自分の好きにしていいと思っているんです。

A子 自分が母親からそう扱われていたから……現実でも起こり得る、悲しい連鎖ですね。

保田 けれども娘を育てることで、理不尽な環境に置かれていた自身の幼少期に向き合い、何が正しいかはまったくわからないまま、娘は自分と違う道を進んでほしいともがいてもいるんです。終盤、不穏ながらもきよみに「嫌」と言えるかもしれない娘の姿に、希望を映し出す構成が巧みでした。多様な価値観が併存する現代の困難を見据えつつ、もがきながら1ミリでも前へ進むことの美しさが繊細に描かれています。
(保田夏子)

『常識のない喫茶店』

嫌いな客には「いらっしゃいませ」も言わない、タメ口で注文されても無視――世間のルールは通用しない、異色の喫茶店で繰り広げられる日々のエピソードと、スタッフや素敵な客との関わりをつづるお仕事エッセー。

『スカートのアンソロジー』

 朝倉かすみ選出による短編アンソロジー。著者には、朝倉かすみ、北大路公子、佐藤亜紀、佐原ひかり、高山羽根子、津原泰水、中島京子、藤野可織、吉川トリコが名を連ねている。圧倒的に女性が着用することの多い「スカート」をテーマに置くことで、日常生活の傍らにあるジェンダーやフェミニズムに光を当てる作品も多い。

女性の幸せは「不当」なの?/愛情は素晴らしいが、すがって生きるものではない/差別心は「親しみ」の裏返し【サイ女の本棚】

 ここはサイゾーウーマン編集部の一角。ライター保田と編集部員A子が、ブックレビューで取り上げる本について雑談中。いま気になるタイトルは?

◎ブックライター・保田 アラサーのライター。書評「サイジョの本棚」担当。一度本屋に入ったら数時間は出てこない。海外文学からマンガまで読む雑食派。とはいっても、「女性の生き方」にまつわる本がどうしても気になるお年頃。趣味(アイドルオタク)にも本気。

◎編集部・A子 2人の子どもを持つアラフォー。出産前は本屋に足しげく通っていたのに、いまは食洗器・ロボット掃除機・電気圧力鍋を使っても本屋に行く暇がない。気になる本をネットでポチるだけの日々。読書時間が区切りやすい、短編集ばかりに手を出してしまっているのが悩み。

女が連帯し、“不当に”幸せになる『わたしたちに手を出すな』

ライター保田(以下、保田) 私がまずオススメしたいのは小説『わたしたちに手を出すな』です。8月の小田急線刺傷事件に静かに傷つく女性が多いなか、ちょっと無茶な展開でも女性が幸せになる作品を紹介したいなと。

編集A子(以下、A子) 8月6日に起きた、東京・小田急線の車内で男性が乗客を切りつけ、10人が重軽傷を負った事件ですね。「幸せそうな女性を見ると殺してやりたい」「男にチヤホヤされてそうな女性を殺してやりたい」といった供述も注目されました。

保田 容疑者の発言や、その後のネットの反響の一部には、容疑者に共鳴するかのように、「女性は楽をして幸せを得ている」「不当に得たものだから奪われてもいい」という認識が透けて見えるものもあり、こんなにも見える景色が違う場所から言葉を探らなければならないのかという絶望を感じました。『わたしたちに手を出すな』は、現実に起こりえないような展開もある“THEエンタメ”な作品ですが、「女性の幸せは不当である」という世界観に、はっきりと「NO」を突きつけている作品でもあると思います。

A子 あらすじを読みましたが、「夫を亡くした女性リナが、近所の男性に力ずくで性交渉を迫られ、とっさに灰皿で殴ってしまう。『殺してしまった』と思い込み、娘の元に駆け込むが……」って、初めから嫌な予感がしますね……。

保田 その序盤からは想像できないほど、雪だるま式に話が大きくなっていくんです。60歳のリナと孫娘のルシア、ルシアの隣人でリナと同世代の元ポルノ女優ウルフスタインが行きがかり上団結し、マフィアの殺し屋ら男たちから逃げることになる、クライム・ロードムービーのような作品です。

A子 序盤のあらすじや、女性を軸にしたロードムービーという要素が、名作『テルマ&ルイーズ』(1991年)を想起させますね。

保田 『テルマ&ルイーズ』のラストを知っている方なら、私が今こそこの小説を薦めたくなった理由がより伝わるかもしれません。そこかしこに散りばめられた女同士の友情も本作の特徴ですが、もうひとつ、他人からの愛情・関心によって救われようとする登場人物が、ことごとくその期待を裏切られる点も印象的です。リナに迫った男、娘の愛情に期待したリナ、会ったこともない実父へ思いを募らせるルシア……「恋人や家族の愛情は素晴らしいが、すがって生きるものではない」というメッセージが、形を変えて何度も提示されています。

A子 展開を楽しみつつ、精神的な自立を後押しする話でもあるんですね。

保田 原題「A Friends is a Gift you Give Yourself」が示す通り、友情を大事にしつつ、誰かに依存せず生きるウルフスタインたちが痛快で、「実際こうはいかないよ」とは思いつつ、一息で読める1冊です!

保田 小説は直接社会を救うことはできませんが、他者に少しでも何かを伝えたい時に必要になる想像力を養うためにも、必要なものだと思います。というわけで、今回はもう1冊も、小説『短くて恐ろしいフィルの時代』をおススメしたいです。日本では2011年に出版され、8月に文庫版が発売されました。

A子 17年ごろ、本作訳者である岸本佐知子氏がSNSで紹介したことで、話題になった覚えがあります。

保田 国民が1人しか入れないほど小さい「内ホーナー国」と、巨大な「外ホーナー国」を中心に、牧歌的な雰囲気が漂うおとぎ話のような文体でつづられる小説です。登場人物の体は植物や機械などからできていて、造形が独特なので、読者が頭の中で想像する形も色彩も、一人ひとりかなり異なると思います。

A子 同じ作品を読んでも、それぞれ全く違うビジュアルを想像して楽しめるのは読書の醍醐味ですね。その概要を聞くと、かわいらしい話にも聞こえます。

保田 朴訥とした雰囲気のまま、外ホーナー国から内ホーナー国への弾圧が始まり、独裁者フィルを中心に過激化し、独裁国家となる一部始終が描かれます。詩的な世界観の下で、異質な他者は弾圧してよいと結論付ける人々の滑稽さを風刺するというミスマッチさが、この本の魅力を深めています。他人を見下す差別心の萌芽は、「自分に似ている人を親しく思う」という、誰でも持っている自然な心理の裏返しであることが明確に指摘されていてぞっとしました。

A子 抽象化されているからこそ、国を超えて響く強度のある作品になっているんですね。独裁者を歓迎する心理や差別心も、人ごとではなく自身含めて誰の心の内にあるもの――と、言うのは簡単ですが、実際自覚するのは難しい……。

保田 最終的には「創造主」が世界をリセットしてしまうので、『短くて恐ろしい~』で済みますが、国内を見ても世界を見ても、現実では『“短くはない”恐ろしいフィルの時代』が生まれる素地はどこにでもありうると感じます。
(保田夏子)

 マフィアのボスだった夫を亡くし、静かに生きていた老女リナ。言い寄ってきた近所の男性老人を「殺してしまった」と思い込み、娘の元に駆け込んだが冷たく追い返され、途方に暮れていたところを見かねた隣の家の同年代女性・ウルフスタインが手を差し伸べる……。「老女×老女×少女」による逃避行サスペンス。2019年の「アマゾン・ベスト・ブック」に選ばれ、フランスでも「Transfuge」誌の「最優秀翻訳スリラー賞」を受賞。

 『リンカーンとさまよえる霊魂たち』でブッカー賞を受賞したジョージ・ソーンダーズが生みだした、「大量虐殺」を主題にしたおとぎ話。国民が一度に一人しか住めない小さな国と、その国を囲む大国を巡る物語。熱狂的だが何も言っていない演説で民衆に訴える独裁者、その権力に寄生し甘い汁を吸えればよい側近たち、定型句で大衆の興味を煽るマスメディア、問題から目を逸らして団結できない小国……ユーモアと風刺をこめて、現代社会が抱える困難を炙り出す。

ドラマ『アンという名の少女』副読本にオススメ! 斎藤美奈子『挑発する少女小説』氷室冴子『いっぱしの女』

 ここはサイゾーウーマン編集部の一角。ライター保田と編集部員A子が、ブックレビューで取り上げる本について雑談中。いま気になるタイトルは?

◎ブックライター・保田 アラサーのライター。書評「サイジョの本棚」担当で、一度本屋に入ったら数時間は出てこない。海外文学からマンガまで読む雑食派。とはいっても、「女性の生き方」にまつわる本がどうしても気になるお年頃。趣味(アイドルオタク)にも本気。

◎編集部・A子 2人の子どもを持つアラフォー。出産前は本屋に足しげく通っていたのに、いまは食洗器・ロボット掃除機・電気圧力鍋を使っても本屋に行く暇がない。気になる本をネットでポチるだけの日々。読書時間が区切りやすい、短編集ばかりに手を出してしまっているのが悩み。

社会を挑発してきた!? 少女小説の真の魅力

編集・A子 長引くコロナ禍で、定額動画配信サービスが好調みたいですよ。春の調査では、利用率が2年連続で大きく伸びているとか(※1)。保田さんは何か見ています?。

ライター・保田 私は、本と漫画とアイドルで手いっぱいなんです。でも、おすすめ作品は知りたい!

編集・A子 この1年ほどは韓国ドラマが何度目かのブームになってますよね。韓国ドラマもいいんですが、カナダ制作の『アンという名の少女』(Netflix/8月からNHKで再放送)も面白いんですよ! 原作『赤毛のアン』に大胆な解釈を加え、現代版の『アン』として再構築したと、海外ドラマファンの間でめちゃくちゃ評価されています。シーズン3で終了なんですが、ファンは継続嘆願署名150万筆を集めているんですよ。すごくないですか? こういうドラマを見ると、原作読み返したくなる!

ライター・保田 それなら、斎藤美奈子さんの『挑発する少女小説』(河出書房新社)と併せて読むことをオススメします! 『赤毛のアン』をはじめ、『若草物語』『小公女』『あしながおじさん』など世界中で読み継がれている少女向け翻訳小説を読み直し、現代の視点を加えて再解釈を試みる評論集なんです。

編集・A子 書名を聞くだけで懐かしい! でも、どの作品もなんとなく“良妻賢母”を推奨する雰囲気だったような……。

ライター・保田 そう! 現代の視点で見れば保守的な面もあるんです。ただ、著者が「世界中の女性を100年もの間魅了する物語が『女はおとなしく家にひっこんでな』式の後進的かつ差別的な物語であるはずがない」と言う通り、これらの名作は共通して少女に「自分で考える」「世界は広い」「『オンナコドモ』と見下す人とは戦え」と、旧来のジェンダー観から逸脱して生きる少女像を伝えています。

編集・A子 社会を「挑発する少女小説」なんですね。確かに、アンも『若草物語』きってのおてんばジョーも、黙って大人に従うような少女ではなかったはず!

ライター・保田 だからこそ時代や国を超えて、少女を惹きつけ、勇気づける力があるんですよ。斎藤氏による、作品の時代背景、社会情勢を含んだ丁寧な解説で、ジェンダー史の一端をつかむこともできます。

編集・A子 なるほど~。子どもの頃には気づかなかった、新たな発見とともに読むことができそう。

ライター・保田 子どもの頃読んでいた本といえば、私はコバルト文庫を中心に活躍されていた、氷室冴子さんが好きなんです。ちょうど7月に、氷室さんのエッセイ『いっぱしの女』(筑摩書房)が復刊したんですよ!

編集・A子 氷室さんといえば、漫画化された『なんて素敵にジャパネスク』(山内直実、白泉社)やジブリ作品『海がきこえる』の原作者でもありますね。氷室さんが男性記者から「ああいう小説は処女でなきゃ書けないんでしょ」と非常識な取材を受けたエピソードが、ネットでも話題になっていました。

ライター・保田 その話を筆頭に、「いったい世間では三十女にどういうイメージを持っているんだろう」と疑問を持った著者が、日常で感じたことや、当時、社会から女性に向けられていた視線への違和感を自由につづっています。

編集・A子 初版は90年代初めなんですね。日本では、やっと「セクシャルハラスメント」という言葉が使われ始めた時期ですかね。

ライター・保田 本作に通底する女性への信頼や愛情は、今でもストレートに届くと思います。特に、ファンレターに交じって時折届く、性的暴行を想起させる嫌がらせの手紙に「この写真が送られるのは、私でなくてもよかったのだという予感、(略)この写真によって衝撃をうける誰か、つまり女であれば」と、女性としての怒りと無力感を率直につづるエッセイ「それは決して『ミザリー』ではない」。これは、同様の被害を受けているであろう無数の女性、そしてその傷に鈍感でいられる男性に思いをはせていて、現代にも通じる社会構造のうみを明確に描いたものだと感じました。

編集・A子 数年前、駅などで女性だけを選んで体当たりをする「ぶつかり男」の存在が話題になりましたが、女性というだけで受ける嫌がらせや不利益は、現代でもまだ可視化されにくい。SNSが普及したことで、当時より一部の男性の悪意が顕在しやすい時代とはいえますが……。

ライター・保田 そういう意味では、現代のほうが、実感と連帯を持って彼女のメッセージを受け取る読者が多いかも。復刊の意義を感じるエッセイ集でした。

編集・A子  90年代に、30歳を超えて独身で働いた女性の記録としても価値がありそう。普段は意識しないですが、こういった強い向かい風を受け止めた世代の後ろを私たちは歩いているんですね。

ライター・保田 そうなんです。すべての女性に向けられた愛情深い文章を、いろんな人に発見してほしいです。
(保田夏子)

『赤毛のアン』『ハイジ』『長くつ下のピッピ』『ふたりのロッテ』などの名作翻訳少女小説を現代のジェンダー的な視点から読み直し、その立ち位置を見直す評論集。従来の少女小説のイメージを一変させる、共通する「戦う少女像」をあぶり出す。

 1980~90年代に少女小説作家としてベストセラーを多数送り出した氷室冴子。『なんて素敵にジャパネスク』(集英社)は初版で2巻合わせて100万部近く発行されるなど、少女から高い人気を集めた氷室が一般読者向けに書いたエッセイの30年ぶり復刊版。「いっぱし」の年齢・30歳を越えた日々を楽しみつつ、女としてただ社会に在るだけで世間から向けられる視線への違和感をまっすぐに描く。

「自分よりやせてるか・太ってるか」ジャッジ地獄/どういう「おばさん」でありたい?/男の弱音って……【サイ女の本棚】

ここはサイゾーウーマン編集部の一角。ライター保田と編集部員A子が、ブックレビューで取り上げる本について雑談中。いま気になるタイトルは?

◎ブックライター・保田 アラサーのライター。書評「サイジョの本棚」担当 で、一度本屋に入ったら数時間は出てこない。海外文学からマンガまで読む雑食派。とはいっても、「女性の生き方」にまつわる本がどうしても気になるお年頃。趣味(アイドルオタク)にも本気。。

◎編集部・A子 2人の子どもを持つアラフォー。出産前は本屋に足しげく通っていたのに、いまは食洗器・ロボット掃除機・電気圧力鍋を使っても本屋に行く暇がない。気になる本をネットでポチるだけの日々。読書時間が区切りやすい、短編集ばかりに手を出してしまっているのが悩み。

弱音を吐いたら、なめられる?

編集A さて、次の記事で取り上げる本はどれにしようか? そういえば、ジェンダーを特集した「週刊東洋経済」(東洋経済新報社)6月12日号の売れ行きが思わしくなかったんだって。

保田 そのメイン読者層である中高年男性って、「男らしさ」が刷り込まれすぎてて、そもそも男性性の何が問題なのか、わからない人も多いんじゃないかな。

編集A でも、ジェンダーの問題に向き合うことは、男性の救いにもなるはず。無意識に「男らしさ」に縛られて、自分の首を絞めているような男性っているじゃない。もはや“呪い”といってもいいよ。

保田 あっ、『牧師、閉鎖病棟に入る。』(沼田和也、実業之日本社)っていうエッセイで、まさにそんな状況が描かれてるよ。著者は牧師で、幼稚園も運営していた男性なんだけど、経営のストレスなどが重なって対人トラブルを起こし、精神科の閉鎖病棟で過ごすことになる。そこで治療を受けながらさまざまな患者と触れ合って、「男らしい」人生観が変わっていく経過が丁寧に書かれてるんだ。

編集A 近年は『さよなら、男社会』(尹雄大、亜紀書房)、『さよなら、俺たち』(清田隆之、スタンド・ブックス)など、日本社会に巣くう“ホモソーシャル”に切り込んだエッセイも多いよね。男性が不要な呪いに気づくのはいいけど、「男だってつらい!」の大合唱になると、女性としては違和感ありありになっちゃう。

保田 でもこの本は、そのあたりを自覚しているかも。著者は日本国内の自殺者は男性の割合が多い、という統計を引用しながら「これをもってして『女性よりも男性のほうが苦しんでいる』とするのは早計である」「男らしさを内面化してしまった男性は、(わたしもそうであったが、)そもそも自分が死にたい、ああ死ぬなと思うほどに追い詰められるまで、自分が苦しいということすら自覚できない」と自身の療養時を振り返りながら考察していて、一理あるなって。

編集A ちょっと言葉が悪いけど“素直に弱音を吐いたら、なめられる”みたいな意識は、確実に男性に強いよね。

保田 そうなんだよね。「今は誰にでも『今は調子が悪い』といえる」「ひどく傷ついた時は一人で抱え込むことは絶対しないという知恵」を得たとつづられていて、それって、もう義務教育に組み込んでもいいくらい基本的な生きる技術では……と思ったよ。あと、同じ患者として出会った少年たちへの視線が温かくて、つい彼らの将来に思いをはせてしまう。「男らしさ」だけでなく、閉鎖病棟の在り方や、精神疾患を持つ人に抱きがちな偏見を解いてくれる本でもあると思う。

編集A 自分で自分に呪いをかけるのは、女性にもあること。特に多いのは、「やせていなくては」問題。

保田 あるね! でも、「そもそもなぜやせないといけないと思ってるのか?」と根本に立ち返らせてくれる本が、『ファットガールをめぐる13の物語』(モナ・アワド著、加藤有佳織・日野原慶訳、書肆侃侃房)。自他共に認める“ファットガール”だったエリザベスが、少女から社会人になるまでを13編に切り取った連作短編集で、いくつかの仕事や恋愛を経ながらダイエットに成功して結婚して……。

編集A 2016年のギラー賞(カナダの権威ある文学賞)にノミネートされた本なんだね。そのあらすじを聞くと「太った子が見事ダイエットに成功してハッピーエンド!」な話っぽいけど……。

保田 ちょっと違うんだ。主人公エリザベスは、自分自身に「太っている女=人から軽く扱われても仕方ない存在」っていう“呪い”をかけているように私は読んだ。少女時代の友達付き合いや恋愛に彼女の自尊心の低さが垣間見えるんだけど、やせたら高まるのかっていうと、これが全然回復しない。むしろ周りの女性に対して、「自分よりやせてるか/太ってるか」「何を食べているか」のジャッジ地獄にはまってたり、「太っているのに幸福を手に入れた(ように見える)女」の存在が心に引っかかって仕方なかったり。

編集A 最近は「ボディポジティブ」といって、ありのままの体を愛そうという考え方もあるよね。その第一歩は「他人の目を意識する限り、自分の体は居心地が悪い」って認識することだと思う。

保田 そうなの。思い通りにならない自分の体と向き合いながら、延々傷つき続ける主人公を見てると、そもそも人によって太りやすさもやせやすさも違うのに「太ってる=自己管理できてない」と一律に捉える世界のほうがおかしくない? って思わされるんだよ。

編集A 標準体重って、あくまで標準であって、個人の適正体重とは違う場合もあるっていうもんね。

保田 太ってたけど、気の合う親友とマックフルーリー食べながらぐだぐだ笑い合ってた学生時代への嫌悪まじりの憧憬が、年を重ねるごとに甘く輝いていくさまがすごく切ない。多様性を認められる時代だからこそ、どういう体を目指すのかという問題は現代を生きる私たちにとって極めてリアル。あと、余談だけど、試着室のシーンが頻出しているのが楽しい。

編集A 確かに試着室って、「自分の理想の外見」と「現実の容姿」が交錯する象徴的な場所かも。

保田 決して全部が深刻な話ではなくて、試着室での店員の強引な「すっごくお似合いですよー(似合ってない)」の攻防戦とか、「わかるわー」ってくすっと笑えるシーンもたくさんあるので、ぜひ読んでほしいよ!

編集A 体の問題も深刻だけど、女性共有の呪いは「おばさんになってはいけない」だよね。あからさまに言う人は少なくなってるけど、あらゆる方向から巧妙に何重にも刷り込まれてると感じるよ。

保田 そんな意識にストレートに疑義を投げ込んでくるのが『我は、おばさん』(岡田育、集英社)です!

編集A 『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(田中ひかる、光集英社)、『おばさん未満』(酒井順子、集英社)などおばさんを真正面から取り上げた本はあるけど、これは最新版ね!

保田 この本は、本来は「中年の女性」という意味合いにすぎない「おばさん」という言葉に付着している侮蔑の意味合いと向き合いつつ、さっぱりと負のイメージを取り除いて、小説や漫画、映画からバラエティー豊かな中年女性像を提示してくれる。母や妻としてだけではない、ただの「中年女性」を描いた魅力的な作品ってたくさんあったんだな、って気づいたよ。

編集A いわば「おばさん像・古今東西カルチャーツアー」なんだね。この本は興味のあるパートから読めそうだし、次に触れたい作品を新たに知ることもできそうでいいな。

保田 さらに、著者の「どういうおばさんでありたいか」の表明でもある。岡田氏の描く、上の世代と下の世代をつなぐシスターフッドの中継地点としての「おばさん」像、私は素直に格好いいと思えたし、読後は「年を取るのも悪くない」って感じることができたよ。

(保田夏子)

牧師であり幼稚園園長でもあった著者が、医師の判断で精神科の閉鎖病棟に入院することになる。「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた著者が、“ありのままでは生きられない人”と過ごした3カ月を中心に、その後までをつづるエッセイ。

「宇宙はわたしたちに冷たい。理由はわかっている」自分が太っていることを気にしている主人公エリザベス。彼女の高校~成人期までを、連作短編形式で描いた小説集。年を取っても、彼氏がいてもいなくても、太っていてももやせていても、彼女の体のサイズへの意識が途絶えることはない。太っていた彼女は、結婚後にダイエットに取り組み、やせていくが……。

「おばさん」という呼称について侮蔑語ではなく、本来の中年女性の総称として再定義を促すカルチャーエッセイ。「おばさん」が、これまでカルチャーでどのように描かれてきたか、「誰がお手本で、誰が反面教師なのか」を探る。『更級日記』『若草物語』から『乳と卵』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』まで、古今東西の文学・エンタメ作品をひもとき、著者が目指す「おばさん」像を描き出す。

誰も信用できない不安と、家族から受ける屈辱――認知症患者の日常を追体験できる村井理子『全員悪人』の悲しさ

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『全員悪人』(著・村井理子、CCCメディアハウス)


【概要】

 何年も疎遠だった兄の突然の死と、兄の元妻・甥と共に “後始末”に駆け回った日々をつづったエッセイ『兄の終い』(CCCメディアハウス)。同作が大きな反響を呼んだ、翻訳家・エッセイストの村井理子による小説。知らない女性が毎日自宅に上がり込み、何十年も担ってきた家事を取り上げられ、処方された覚えのない薬を飲まされ、夫はロボットになってしまった……。認知症を患った女性視点で、老いや認知症と正面から向き合った短編集。

*********

 『全員悪人』は、誰の身にも起こり得る「老いによる介護」や「認知症」を扱った連作短編集。同様のテーマを扱った小説やエッセイの多くは介護者の視点から描かれているが、本作は全編通して介護を受ける認知症患者の一人称視点でつづられる。記憶があやふやになり誰も信頼できない恐怖や、愛する家族に話を聞いてもらえず、どこかバカにされているような屈辱感――。認知症患者にとって、日常生活は本当に「全員悪人」に見えるのかもしれない、そんな患者の混乱を疑似体験できる小説だ。

「私が何度も同じことを言うだとか、何度も同じ失敗をするだとか、まるで私が認知症患者のように周りは言う。まるで責められているようだ。だから、何をするにも自信がない。何をやっても不安になる。それが怖くて仕方がない」(第二章 パパゴンは悪人――師走)

 本作の「私」は80歳。学生時代は成績優秀で卒業後は銀行に勤め、結婚後は家事育児を一手に引き受けながら華道師範として多数の生徒を抱える、アクティブな半生を送った女性だ。一人息子は結婚し、孫も生まれ、60年連れ添った夫とのどかな晩年を迎えるはずだったが、「あなた」(=義理の娘)と「ケアマネ」と呼ばれる女性が「この家を乗っ取ろうとしている」ことに気づく……。

 認知症により昔の記憶と現在がうまく接続されない主人公にとって、代わる代わる自宅を訪れ家事をしてくれる訪問介護ヘルパーは、台所を奪う「知らない女」であり、自宅の金品を盗んでいく悪人だ。週2回のデイサービスセンター通いを強制する「あなた」や「ケアマネ」も、若い女性スタッフに愛想よく接して自分には嘘をつく夫も、身に覚えのない行動について質問してくる白衣の女も、彼女の世界では“全員悪人”だ。義理の娘との掛け合いなどテンポよく時にコミカルでもあるが、記憶の飛び地に立たされて右往左往する主人公は基本的に孤独で、何もかも信用しにくい不穏な世界を生きている。

 人に対する記憶もあいまいで自信が持てないから、水道業者や「夫の友人」かもしれない男性など、よく知らない相手にはつい話を合わせてしまう。そんな違和感ばかりの日常でたまったストレスが、夫や義理の娘といった信頼できる家族の前で手ひどく暴発してしまう――という老いによる負の循環が、やるせなくもどかしい。

 夫を偽物と決めつけ暴力を振るってしまったり、事故を起こしても車の運転をやめようとしなかったり、嫁や介護士が金品を盗んだと言い張ったりする主人公は、よく聞く認知症の患者そのものだ。しかし、その背景には彼女なりの苦悩と恐怖があり、理不尽な激高は、全員悪人の世界から自身と家族を必死に守ろうとした結果でもある。外部からは理解し難い主人公の言い分を淡々とあぶり出す本作には、認知症を患った高齢者のケアの困難さが、くっきり示されている。それでも絶望だけに終わらないのは、彼/彼女らの心中を少しでも理解しようと願う、著者のタフであたたかい視線が常に感じられるからだろう。

 認知症患者に限らず他者の心は理解できるものではないが、「理解しよう」と想像力を懸命に働かせ、相手に思いをはせることで、おぼろげに見えてくるものはある。それが時に、他者とのコミュニケーションを深めたり、分断を埋める助けになってくれるものだが、今まさに介護を担い疲弊している人々に、被介護者の心中を冷静に推し量れというのは酷な要求だ。『全員悪人』はその労力を、いわば少し肩代わりし、老いや認知症による理不尽な言動を優しく受け止めざるを得ない介護者の痛みや疲れを、少しでも軽減しようと手を差し伸べる強度を持っている。

 そして超高齢化社会を突き進んでいく日本において、介護や認知症にまつわる問題は誰にとっても他人事ではない。今は関わりがなくても、家族や自分自身、地域の問題として、ほとんどの人がいずれ対峙せざるを得なくなるだろう。エンタメ作品としても読みやすい本作は、この問題について触れる第一歩としても適している。ひとりでも多くの人が認知症患者、またその介護者への理解を深めれば、おのずとそのぶん、社会の選択も変わる。高齢者やその介護を担う人々――つまりは私たちが、より生きやすい世界につながっていくはずだ。

(保田夏子)

コロナ禍の今こそ読みたい! 近現代の作家たちの“死生観”から死への「うろたえかた」を見つめ直す『正しい答えのない世界を生きるための死の文学入門』

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『正しい答えのない世界を生きるための死の文学入門』(著:内藤理恵子/日本実業出版社)


【概要】

 “アニメやゲームに育てられてきた”と述べるロストジェネレーション世代の宗教研究者・内藤理恵子氏が、聖書、夏目漱石の『こころ』、コロナ禍でベストセラーとなったカミュの『ペスト』、ドストエフスキーやカフカから、村上春樹や手塚治虫、水木しげる、映画やゲームなど、古典から現代エンタメまで縦横無尽に「死生観」にフォーカスを当てて読解した評論集。

*********

 新型コロナウイルスに世界中が振り回されたこの一年。誰もが人ごととは思えないレベルで日常生活が侵食され、生活の変容を余儀なくされたこの年、環境が変わったり独りの時間が増えたりしたことで、「死」や「命」について世間や身近な人との考えのズレに気づき、平常時には考えてこなかった自身の死生観と向き合った人も多いだろう。

 『正しい答えのない世界を生きるための死の文学入門』は、文学は「鬱々とした死の不安に立ち向かうための『盾』になる」と信じる著者が、普段は敬遠されがちな「死への思索」をフックに、文芸作品や哲学思想がどのように死と対峙してきたかを、ユーモアを込めて親しみやすく提示してくれる評論集だ。さらに、漫画や映画など文学以外の現代エンタメ作品に受け継がれているそれらの思想も読み解き、現代に生きる私たちと縁遠い文豪や哲学者の思想に梯子をかけてくれる、まさに「入門」の1冊となっている。

 漫画家・水木しげるが戦地で自己を保つため『ゲーテとの対話』を携えて前線に立ったエピソードに触れつつ、現代を「古典から死生観を学び直す時期にさしかかっていると思う」と見る著者は、文学に現れる死を、独自の切り口で解釈し、哲学者・宗教研究者ならではの知見を加えて現代の読者に向けて再構築してみせる。

 例えば、第2章では自死した芥川龍之介の著作から、彼がショーペンハウアーを源流とするペシミズム(厭世主義)やキリスト教からどのような影響を受けたかを読み取ると同時に、ショーペンハウアー自身は現実の厭世観を癒やすために、「筋トレ」「睡眠」「美しい人(をベースとした芸術)」を勧めていたことを読者に示す。

 第3章では、夏目漱石『こころ』と村上春樹『7番目の男』(『こころ』のオマージュ作であるともいわれる)の相違を論じつつ、一貫して自決の美学を否定し、「グズグズした生」を肯定する春樹作品の死生観の源流を探る。第8章では、半年後に人類の滅亡が決定している、というシチュエーションで展開されるSFミステリー『地上最後の刑事』(ベン・H・ウィンタース)を取り上げ、「どうせ死ぬのになぜ生きる?」という究極の命題から哲学者・ベルクソンの思想につなげつつ、読者自身の“答え”を促す。

 さらにコラムでは“悪魔(メフィスト)が語る”というスタイルで、カジュアルな語り口で論を補足する。著者自身による、少しゆるめの作品図解イラストなど、折々に挟み込まれた遊び心が「死」という深刻なテーマの箸休めとなりつつ、「死」への不安や怖れなど、いわばネガティブな感情が、芸術の発展に大きく寄与してきた側面もあぶり出していく。

 加えて本書の特筆すべきもう一つのポイントは、中盤以降は新型コロナウイルスの感染拡大下で書かれたことだろう。2020年にあらためて世界的なベストセラーとなったカミュ『ぺスト』から、現代にも通じる不条理との向き合い方を抽出し、ブッツァーティ『七階』やフーコー『監獄の誕生』から、人の生死を管理・監視するシステムが生む連帯感や分断の功罪を鮮やかに示す。コロナ禍で生まれた新たな不安に寄り添うような、まさに今読まれるにふさわしい作品が多く取り上げられている。

 本書には、わかりやすく「正しい死との向き合い方」が書かれているわけではない。タイトルにも明示されているように、それらに「正しい答えはない」のかもしれない。しかし、「死」という暗く深い穴のふちにとどまり、考え続けた人々の思索や想像の歴史から、死に対する「うろたえかた」のバリエーションを知ることはできる。それは、不安を抱えたまま進まざるを得ない人々にとって、歩みを助ける杖のように時に力強い支えになるものだ。

 現代は、魅力的なエンターテインメントにあふれ、過去の文学など手に取らなくても十分生きていける時代だ。しかし激動の時代をくぐり抜け、それでも今に残った古典名作には、個人ではコントロールできない世界的な災いや病、それらからくる死の不安を受け止め、共に生きてくれる強度を携える作品も数多ある。本書は、そんな今日に生きる人々のための作品・作家を見つけるための助けになってくれるだろう。

(保田夏子)

“飯テロ”エッセイ『きょうの肴なに食べよう?』『キッチハイク!突撃!世界の晩ごはん』、日常のなにげない「おうちごはん」が愛おしくなる

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

 どの国に住んで、どんな暮らしをしていても、生きていれば欠かせない「食」。食事は世界共通の楽しみだ。外食もままならないこの時期、自宅で作るなにげない日常の食事とあらためて向き合った人も多いだろう。今回は、海の向こうの“日常の食事”を通して、読後には日々の食事がもっと愛おしくなる“飯テロ”なエッセイ3作を紹介したい。

■『きょうの肴なに食べよう?』(著:クォン・ヨソン、翻訳:丁海玉/KADOKAWA)

【概要】

 韓国の人気女性作家がつづるリアルな韓国の食エッセイ。腸詰め、ギョウザ、ノリ巻き、お粥と塩辛、水冷麺、激辛青唐辛子……。どんな食べ物にも、味の中には人と記憶が潜んでいる。韓国の人気作家が綴る韓国の食エッセイ。

韓国好きは必見の『きょうの肴なに食べよう?』

 『きょうの肴なに食べよう?』は、ソジュ(韓国焼酎)をこよなく愛する韓国人女性作家による、日々の食にまつわるエッセイ。日本でも定番的人気を誇る韓国料理だが、本作に出てくる食事は、韓国料理店に出てくるようなメニューよりもっと日常に根差したものだ。ごく普通の韓国女性が、自宅の冷蔵庫に置いてある食材で作ったり、普段着で出かけるような飲食店で食べる、飾らない食事の様子が季節を追って生き生きと綴られている。

 もともと病弱で偏食家だった著者の食生活は、大人になり酒を覚えたことで急速に発展する。今まで食べられなかったものが、「酒の肴」として愛すべき食材に変わっていったのだ。彼女にとってすべての「家ごはん」(=家で作って食べる食事)は、ソジュをおいしく飲むための酒肴だ。料理好きの著者による派手ではないが豊かな食生活や、食べ物にまつわる思い出はどれも食欲をそそられる。

 美しい大人の女性がかぶりつく、切り分けられていないノリ巻き(キムパプ)、夏場に母を思い出しながら調理する作り置きメニュー、中学生の時に友達とケンカしたまま食べたピビン冷麺とオムク麺、選挙の時だけ必ず作って食べるスルメの天ぷら――日本では聞きなれない料理や食材も頻出するが、著者が食を通して紡ぐ思い出と見知らぬ味は不可分に絡み合い、不思議と鮮やかな印象を残す。韓国料理に詳しくなくても、著者とともに食べたような感覚を覚え、知らず知らずのうちに読者自身が眠らせていた食の思い出も掘り起こしてくれるだろう。

 そんな少女時代の食卓の幸せもふんだんに語りつつ、単純に家庭食の礼賛では終わらないところも本作の魅力だ。「家ごはんの時代」の章では、幼少期に著者の味覚を育ててくれた母親が宗教に傾倒し、戒律によって肉類や香味野菜が食卓から消えた経緯が淡々と綴られる。著者が日々の食卓を再び愛せるようになったのは、20代後半に一人暮らしを始め、半地下の部屋で小さな自分の台所を持つようになってからだ。

「家ごはんは絶対おいしい。そう信じる人は幸せな人に違いないが、正しくはない」と語る彼女にとって、「家ごはん」の幸せはよくある“おふくろの味”を意味しない。そこには自分で食べるものを自身でコントロールする喜びが含まれているから、彼女のエッセイにはからっとした自由があり、国境を越えて普遍的な共感を呼ぶ。食にまつわる甘い思い出も苦い思い出もまとめて、複雑な深い味わいを楽しめる1冊だ。

【概要】

「あなたの家のごはん、食べさせてもらえませんか?」そんなお願いを世界中でくり返し、インターネットや知人を介して世界各地の一般家庭におじゃまして、見て食べて体験した、普段のおうちごはんと人々の暮らしを綴った紀行エッセイ。2017年に単行本化されたものを文庫化に当たり分冊化。エピソードを厳選し、未収録コラムも加えて再編集されている。

 『キッチハイク! 突撃! 世界の晩ごはん』シリーズは、約1年半をかけて世界120都市をめぐった著者が、各国の「ふつうの人が暮らすふつうの食卓」を訪ねて食事を共にした探訪記だ。キッチハイクとは、「旅先の見知らぬお宅を訪ねてごはんを食べる、言語や国籍、宗教の違う人たちと食卓を囲む、いわばキッチンをヒッチハイクする」行為を指す、著者による造語。『アンドレアは素手でパリージャを焼く編』には16カ国、『ソフィーはタジン鍋より圧力鍋が好き編』には15カ国を巡ったエッセイが収録されている。

 世界各地に旅行すれば、その国の名物料理を口にする機会は多いものの、意外と「家庭では何を食べているのか」については知らないことも多い。多くの日本人が普段寿司や天ぷらばかり食べているわけではないように、アメリカでは、ボリビアでは、フィリピンでは、ポルトガルでは……などなど世界各国では日々何が食べられているのか――その実際が、著者の「突撃」によって明らかになっていく。

 モロッコで「タジン鍋は盛りつけ用。だって、時間かかっちゃうもんね」と圧力鍋で調理された料理を供されたり、ブルネイでは無味無臭の水あめのようで、噛んではいけない料理「アンブヤット」に困惑したり、オーストリアの高級住宅地に身構える著者を、全身真っ黄色のスーツを着てレッドブルを持ったハイテンションな男性が出迎えたり――。

 料理も人も、前知識や見た目から連想する先入観通りの時もあれば、イメージを覆すようなケースもある。旅行が続くにつれ著者は次第に「○○人はこんな性質だ」という先入観を外していく。「現地の人と交流して、暮らしのど真ん中を知れば知るほど、『この国はこうだ! この街はどうだ!』なんて、決めつけられなくなる気がする」「先入観や偏見がすべて間違いとは言わないが、事実と異なることは山ほどある。皮肉なことに、目で見て確かめて知れば知るほど、物事をひと言で語れなくなる」という彼の知見は、いくつものエピソードを経て説得力を持って響く。

 「同じ釜の飯を食った仲間は、たとえ一期一会でも、尊く深い絆を得る」と信じる著者のエッセイは、どの頁にも食事を共にするホストへの信頼、そして人間そのものへの愛情が詰まっている。そんな著者だからこそ、時には言葉がほぼ通じない国でも初対面から友人のように迎えられ、なんとなく台所に入って共に料理を作ったり、一晩泊まってしまうほど馴染んでしまうのだろう。

 食事は栄養を補給する行為だが、同時に人間関係を親密にしてくれるコミュニケーションのひとつでもある。いち家庭に、言わば突然飛び込んだ著者と、それを懐深く受け止めた各国の人々が交わす優しさとユーモアに富んだ会話は、食事以上のあたたかさで読者を満たしてくれる。

 コロナ禍で、他人との気軽な会食や海外旅行はしばらく困難な時代になった。けれども、きっと今日も世界中のテーブルにはそれぞれの国の「普通の食事」が並べられていて、私たちの食卓も、その多様な「普通の食事」のひとつだ。本作を読んだ後なら、どんなに今日のメニューがあり合わせで適当だったとしても、何気ない食事の時間を愛おしく感じ、より楽しむことができるだろう。
(保田夏子)

宇佐美りん『推し、燃ゆ』で描かれる、誰かを「推す」ことの不毛さと偶像を尊ぶアイドルファンのリアル

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

『推し、燃ゆ』(著:宇佐見りん/河出書房)

【概要】

 2019年『かか』(河出書房)で文藝賞を受賞しデビュー、20年には同作で三島由紀夫賞を史上最年少で受賞した宇佐見りんの第2作。全力で推していた男性アイドルが、ファンを殴って炎上した。たったそれだけで、ひとりのファンの人生が揺らぎ始めるーー。

*********

「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した」

 アイドルでも声優でも俳優でも、芸能人の「推し」がいる人には端的に伝わる最低な朝の描写から始まる『推し、燃ゆ』(著: 宇佐見りん/河出書房刊)は、男性アイドルを推しながらじわじわと崩れていく女子高生の日常を、高い解像度で書き起こした中編小説だ。

 アイドルグループ「まざま座」のメンバー・上野真幸を見つめ、ブログに記し、彼を“解釈する”ことに全てをささげていた女子高生・あかり。家族とうまくいかず、学校生活もままならない彼女にとって、上野真幸は人生の支柱だった。そんな大切な推しが、暴力行為で炎上。世間に飛び交う雑な“解釈”が推しの人気をあからさまに削いでいく状況に、あかりはかえって身を持ち崩すほど「推し」にのめり込むようになる。高校を退学し、アルバイトを解雇され、十分な自活能力もないまま家族から追い立てられるように一人暮らしを始める中で、「まざま座」の解散が発表される――。

 『推し、燃ゆ』には、アイドルを「推す」ことで前向きになれるような出会いがあったり、奇跡の采配で「推し」と遭遇したりするような、わかりやすいドラマチックな展開は生まれない。それでも、無為に過ごした休日の夕方、荒れた部屋で「推し」だけが輝く虚無、そんな光景に覚えがある人ならこの物語に魅了されてしまうかもしれない。

 本作の最も特徴的な点は、徹底的に主人公・あかりの視点で淡々と語られる独特の文体だ。彼女の興味の向く事象のみが語られるため、「推し」であるアイドル・上野真幸の容貌やちょっとした癖、彼を取り巻くSNSやメディアの動向は細やかに伝わるのに、あかり本人の容姿は髪型すらわからない。頻発する忘れ物やバイト先の居酒屋での混乱などから、彼女が軽度の発達障害を抱えているかもしれないことがおぼろげに伝わってくるが、病院で診断されたというその病名すらなおざりだ。

 推しを思う時の色彩豊かで感傷的な記述も、「今やるべきこと」と「後でやりたいこと」が絡まり、行動の優先順位がなし崩しになってしまう視野狭窄気味な思考の流れも、どちらにもぴったりと沿う文体が、じわじわと引きつっていくような本作の世界観を巧みに主導する。癖になるリズムのある文章で読者を惹きつけた宇佐見氏のデビュー作『かか』(同)に続き、本作においても、映画でも漫画でもない「小説」を読む楽しみを味わわせてくれる。

 ドライブ感のある文体で浮き彫りになるのは、誰かを「推す」という人によっては理解不能な行為の一端だ。「推す」と一口に言っても多種多様で、あかりのように「推しの存在を愛でること自体が幸せ」というタイプもいれば、あかりの友人のように「触れ合えない地上より触れ合える地下」と認知と接触を求める人もいる。

 「推し」を巡る、SNSを通じた交流の生ぬるい温かさも、嗜虐的なアンチの揶揄も、誰かを推した経験のある人ならたいてい見覚えのある光景だろう。そんな「推しを推す」人々とその周辺の描写を通じて、一方的で不毛な「推す」という行為から生まれる、「正とも負ともつかない莫大なエネルギーが噴き上がる」ような瞬間が、角度を変えて何度もすくい取られている。

 推しに対して、「触れ合いたいとは思わなかった」「有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい」と一定の距離を保っていたあかり。「ステージと客席には、そのへだたり分の優しさがある」と思っていた彼女は、一度だけその「へだたり」を越えかけるものの全力で引き返し、その勢いのまま初めて「推し」抜きの自分自身と対峙する。

 全身全霊を傾けていた推しを見つめる力が自らの荒れた心身に向けられた時、彼女が感受した世界は荒涼としたものだ。ヘビーで持て余すような日常生活に、先の見えない未来に、思うままに動かない肉体。不本意でもそれらと死ぬまで一生付き合っていくしかないという現実。それはどんなに絶望に似ていても、しかしやはり希望なのだと私は思う。
(保田夏子)

韓国のベストセラー作家による注目の新刊! 現代社会の不条理と闘う女性たちの「強さ」に励まされる短編小説集『彼女の名前は』

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

■『彼女の名前は』(著:チョ・ナムジュ、訳:小山内園子、すんみ/筑摩書房刊)

【概要】

 韓国で社会現象を巻き起こし、130万部のヒットとなったベストセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(訳:斎藤真理子、筑摩書房刊)で知られるチョ・ナムジュによる短編集。60人余りの“普通の女性”へのインタビューを元に書かれた、日々の暮らしのなかで遭う不条理に声を上げる女性たちの28編の物語。

 

■『文豪春秋』(著:ドリヤス工場/文藝春秋刊)

【概要】

 「芥川龍之介」とノートにびっしり書き込み、芥川賞になりふりかまわず執着した太宰治、女優と中原中也と小林秀雄の三角関係、里見弴の志賀直哉への恋心、孤独と幻想を愛し押し入れにこもった江戸川乱歩——。名だたる文豪たちの知られざる人間くさいエピソードを、『有名すぎる文学作品をだいたい10ページぐらいのマンガで読む。』シリーズ(リイド社)で知られるドリヤス工場氏が描く漫画版文壇事件簿。

***********

 今年、外国語映画として史上初となる『第92回アカデミー賞』作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督は、授賞式のスピーチで、映画を作る際に大切にしている言葉として、賞を競い合った『アイリッシュマン』のマーティン・スコセッシ監督による「最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ」という寸言を挙げた。『パラサイト』と同じ韓国で生まれた短編集『彼女の名前は』(筑摩書房刊)も、まさにそうした作品の一つといえる。

 1人の女性の半生を通じて韓国社会におけるジェンダーの理不尽を描き出し、130万部を超えるベストセラーとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房刊)。その著者であるチョ・ナムジュが実際に幅広い層の女性に取材し、その声を短篇小説にするという試みから誕生したのが本作だ。児童会会長に立候補した少女から、梨花女子大学総長問題やTHAAD配備など韓国で議論を呼んだ社会問題に向き合った当事者まで、職業も生き方も家族環境も異なる28名の女性の声が、小説となって収録されている。ほとんどの作品が1編10ページ未満の掌編で、どこからでも気軽に読み始めやすい。しかしその口当たりは1作1作が重く、ずっしりとしたものだ。

 先述したような韓国特有のエピソードもあるが、格差の拡大、非正規雇用者への扱い、子どもの貧困など本作で女性たちが向き合うほとんどは日本人にとっても他人事ではない。特に、セクハラやマタハラ、共働きでも介護や育児を一手に任されがちな不均衡など、「よくあること」と淡々とつづられていく理不尽は、多かれ少なかれ日本で生きるほとんどの女性にとって「私たちの物語」でもある。ただ本作は「現実ってこんなものだから」と泣き寝入りしたり、ハラスメントをうまくかわすことを「大人のスマートな振る舞い」と称したりするものではない。堂々とした主張や抵抗もあればそっと胸に秘めるひそやかな決意もあるが、どの作品にもこの社会の不合理を変えたいと願う女性の精悍な一歩が込められている。

 そんな理不尽や落胆の苦いエピソードが続く中でひときわ優しく光るのが、女性と女性の連帯と、次の世代への祈りだ。小学生の母親たちは、専業主婦も兼業主婦もグループトークで相談し合い1年中助け合う。階下に住む男性に不法侵入された女性は、警察官にすげない対応を取られる一方で、親身になってくれる大家の女性に助けられる。以前も女性部下を退社させた上司のセクハラを訴えた女性は、不当な中傷に心身を病みながら「訴えたことは今も後悔しているけど、それでも黙ってやり過ごす『2番目の人』になって次の被害者を生みたくない」と闘い続ける。第1章から3章にかけて、20代から70代へと徐々にフォーカスされる女性の年代が上がっていくが、最終章となる4章ではぐっと年齢層が下がり10代の少女が主軸となる。そんな本作の構成が、「次の世代が、より生きやすい世界を」という語り手たちの熱い願いを意識させるものとなっている。

 さざ波がいつか大きなうねりになるように、一人ひとりのつぶやきは小さく無力に思えても、未来へのたすきになると信じて繋いでいくしかない。どこに進めばいいのかわからないような暗闇を歩いているような気持ちになる時、今この瞬間も必死に生きているであろう女性たちの声をすくい上げた本作が、かすかに光る明かりのような役割を果たすだろう。

 アニメ化もされた人気漫画『文豪ストレイドッグス』(原作:朝霧カフカ、作画:春河35/KADOKAWA刊)やゲーム『文豪とアルケミスト』(DMM GAMES)など、文学史に残る作家に着想したコンテンツが幾つか出てきたことで、近年、SNS上では教科書でしかなかなか知られてこなかったような作家の存在感が増している。そんな人気作に登場するキャラクターに負けない、日本近代文学を担った文豪たちの濃い魅力あふれるエピソードを、ユーモアを添えて存分に見せてくれるコミックが『文豪春秋』(著:ドリヤス工場/文藝春秋刊)だ。

 水木しげる氏リスペクトの画風で知られるドリヤス工場氏によって、“乙女ゲームや2.5次元舞台にハマっている文藝春秋社の若手社員が、社内にふらりと出現する菊池寛の昔語りを聞く”スタイルで描かれる本作。文藝春秋社を創業した菊池寛は、人気作家であり、編集者としても「芥川賞」「直木賞」を創設した文壇の中心人物の1人だ。「菊池視線」という体で、太宰治、芥川龍之介、中原中也、中島敦、与謝野晶子、樋口一葉、吉屋信子ら、そうそうたる面々の、良い面も悪い面も含めた人間らしい人となりを示すエピソードがイメージ豊かに紡がれる。

 今でこそ「近代文学」といえば重々しく、真面目な学問としてのイメージも強いが、明治から昭和初期にかけては「小説」という表現ジャンル自体が若く、発展途上で勢いのあった時代だ。本作を通して、その担い手である作家たちも、最先端の芸術・エンターテインメントの送り手として、強い存在感を見せていたことが伝わってくる。

 妻を佐藤春夫に“譲った”谷崎潤一郎、薬物中毒に苦しんだ坂口安吾、「借金の天才」と呼ばれ、借りた金を遊興につぎ込んでいた石川啄木、なまものや埃を過剰に恐れた泉鏡花、長年夫と愛人と同居し続けた岡本かの子、虚飾と嫉妬心に苛まれた林芙美子――。比較的有名なエピソードも多いが、谷崎潤一郎の小説にも登場するある男性と、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』などで知られる脚本家・虚淵玄との関わり、生前ほぼ無名だった中島敦が、なぜ死後に教科書に載るほどメジャーな存在となったかなど、あまり言及されていない秘話も収められている。また、永井荷風が、著作で菊池や文藝春秋社を罵倒したエピソードを取り上げつつ、「まるで文藝春秋がゴシップ雑誌の出版社であるかのような扱いだ」と菊池に憤らせるなど、メタ的な皮肉が効いた小ネタも散りばめられており、幅広い層が楽しめる1冊となっている。

 取り上げられる文豪たちのエピソードは、清廉潔白な人格ばかりとは限らない。ひどく軽率な行動を繰り返したり、取り返しのつかない過ちを犯したりもする。そんな人々から、多くの人の心に豊かな彩りを加える名作が生み出されてきたのも事実だ。何を間違い、どう失敗したかということより、何を生み出し育てたかが、良くも悪くも後世に残っていくものかもしれない。綻びのない人生が良しとされる規律正しい現代ではあるが、過ちや矛盾を抱えつつパワフルに生きた作家たちの姿に、おおらかなパワーを得られる1冊でもある。

(保田夏子)

「偉人」と呼ばれる女性たちの“人間臭い”裏の顔を暴く! 『スゴ母列伝』『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』【サイゾーウーマンの本棚】

――本屋にあまた並ぶ新刊の中から、サイゾーウーマン読者の本棚に入れたい書籍・コミックを紹介します。

 何かを成し遂げたり、優れた物を生み出したことで「偉人」と呼ばれる人々。時代を経るにつれて、成し遂げたものが大きいほどその功績が強調され、偉大な物語にそぐわない言動は排除されるようになり、次第に無味無臭の「聖人性」を帯びてくる。しかし、当時の資料を丹念に追えば、突出した才能を持つ人ほど良くも悪くも人間味にあふれていることが多い。ダイナミックな人間性を知ることで、明日への活力になるような2冊を紹介する。

■『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』(著:ジョージナ・クリーグ、訳:中山ゆかり/フィルムアート社)

【概要】

 「どうしてヘレン・ケラーのようにできないの」と、ヘレン・ケラーと比較され育った視覚障害をもつ著者。ヘレン・ケラーについてのあらゆる本、インタビュー、記事、その他の資料にあたってヘレンの実人生を研究しつくし、「奇跡の人」という偶像ではなく、一人の盲目の女性としてのヘレンの姿をよみがえらせる「創造的ノンフィクション」。

 

■『スゴ母列伝 いい母は天国に行ける、ワルい母はどこへでも行ける』(堀越英美/大和書房)

【概要】

 「いい母は天国に行ける、ワルい母はどこへでも行ける」というサブタイトル通り、完璧ではないかもしれないが、自らの人生に沿わせた育児をした母親たちを紹介する評伝集。岡本かの子、マリー・キュリー(キュリー夫人)、三島和歌子、マリア・モンテッソーリ、黒柳朝、養老静江(養老孟司の母)、山村美紗ら古今東西のパワフルな“母”エピソードが紹介される。

***********

 「奇跡の人」ヘレン・ケラーの知られざる横顔をあぶり出すのは、『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』。

「なぜ、もっとちゃんとヘレン・ケラーのようにできないの?」

「確かにあなたは目が見えませんよ。でも可哀想な小さなヘレン・ケラーは、目も見えなければ、耳も聞こえなかったのですよ」

 視覚障害を抱える著者にとってヘレンは、少女時代から常に引き合いに出され、模範にするべきと教えられてきた「悪霊」だった。そんな彼女に向けた「手紙」というスタイルで、できすぎた美しい物語のように語られがちなヘレンの人生の真実を検証していく。

 冒頭から「あなた(編註:ヘレン)を憎んで成長してきた」と綴られる本書は、対象への負の思い入れを隠さないという点で、一般のノンフィクションや伝記とは一線を画している。公式に残っているあらゆる資料を根気強く読み込み、歴史的事実を踏まえた上で、まるでその場にいたかのような物語を編んでいく「創造的ノンフィクション」であり、 “公式”の情報からその行間にあり得る可能性を活写していく、というスタイルは、ヘレンを対象にした「二次創作」とも言えるかもしれない。

 ヘレンの生涯には、詳細に綴られた伝記や資料でも埋められない“空白”が多数存在している。盗作の嫌疑をかけられた少女時代、理不尽な仕打ちに彼女は本心ではどう感じていたのか。生涯処女であったとされているが、本当に彼女は性行為を経験しなかったのか。ヘレン、サリヴァン、サリヴァンの夫・ジョンという3人で居を共にした共同生活の理由。公式に記録が残っている、年下男性との結婚申請書。ショービジネス興業に加わり、自身を見世物のように扱うことを許した背景。そして、約50年間ほぼ離れることのなかった「先生」アン・サリヴァンとの関係――。その多くはヘレンら本人たちにしかわからず、もはや「正解」があるものではない。それでも著者は、残された資料から考えうるあらゆる物語を想像し、矢継ぎ早にシチュエーションを妄想して畳み掛けるように提示していく。

 ヘレンの「聖女でない部分」をあらわにする、それはともすれば露悪的な行為にも思えるが、著者の執拗な追究で顕在化されるのは、いわゆる“健常者”が障害者に無意識に押し付けがちな聖人性でもある。ヘレンが聖人然と振る舞っていたのは、そのプレッシャーに抵抗するより、いっそ楽だったからかもしれない。彼女への手紙を通して、ヘレンが健常者に向けて無意識に押し込めていた、説明し難いふとした日々の違和感、理不尽な世界への怒りと向き合っていたことに気づいた著者は、彼女への愛憎を次第に自らの内的成熟に昇華させていく。そのさまは、著者の精神的な旅路を共にした読者にも、大きな感動をもたらしてくれるだろう。

 さらにもう一つ本作で特筆すべき点は、「見えない」著者が感受している視覚以外の感覚の圧倒的な情報量だ。香り、触覚、温度、人が動くことで生まれる空気の揺れや振動……著者の表現する世界には、視覚情報に頼りがちな私たちが受け取りそびれている要素が詰まっており、まるで知らない新鮮な世界が広がっている。何かを失ったということは、その代わりに他の何かを得ているということでもある。目が見えないことが「かわいそう」であり「不幸」である、それが事実だとしたら、“目が見える私たち”の無理解がその責任の一端を担っているのだろう。そんなことにも気づかされる一冊だ。

読めば「母親らしく」の呪縛から解き放たれる『スゴ母列伝』

 

 「聖母」という言葉が象徴するように、「母親」という役割にも必要以上に聖人性を求められがちだ。『スゴ母列伝』は、偉人や著名人の「母」という側面に焦点を当て、「聖母」「良い母親」といった言葉ではくくりきれない、知られざる破天荒な育児エピソードを綴る評伝短篇集だ。

 時に教育熱心になり過ぎたり、娘の多感な時期に不倫疑惑で激しいバッシングまで受けるなど、“完璧な母”像からは遠かったものの、生涯娘たちから愛され大切にされたマリー・キュリー(キュリー夫人)。泣きわめく幼い息子(岡本太郎)を、柱にくくりつけて仕事をした小説家・岡本かの子。「未婚の母」として周囲から向けられる冷たい視線を意に介さず子どもと共に遊びまわり、路面電車にダッシュで飛び乗って近所の子どもたちの人気者になる『長靴下のピッピ』の作者・アストリッド――。

 現代においても(当時においても)、一部の人々からは「信じられない」「母親としてありえない」と誹りを受けたであろうアクの強い子育てをしてきた彼女らのエピソードは、品行方正で、子どものために最適な環境を作る「良い母」だけが母親ではないことを示してくれる。

 著者は、「職業人として生きた女性の人生を伝える時、母・妻の部分を強調するのは、フェミニズムの観点からはよろしくない」と前置きしつつ、「妊娠・出産・育児はどんな女性であっても命がけで、多大なリソースを割く大事業である」と、母親としてにじみ出る豊かな個性をつまびらかにし、ユーモアあふれる語り口でそのあり方を肯定していく。

 育児にたった一つの正解はないと頭ではわかっていても、つい「100%正しいお母さん像」を内面化してしまい、理想の母親になれない自分を責めてしまう――そんな人にとっては、「自分は自分にしかなれない」と達観させ、からっと風穴を開けてくれる本になるだろう。
(保田夏子)