限界を見た姑の介護、それでも「最期まで本当にいい姑でした」と語る胸中とは?

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 東野晴美さん(仮名・51)は、アルコール依存症で暴力をふるう父親と、東野さんを常に監視する母親との関係に悩んできたが、結婚後はわだかまりもなくなっていた。父親は長年のアルコールがたたり、ほとんど寝たきりになっていたが、晩年に離婚した母親が10年も介護をして看取った。

(前回:アル中で寝たきりになった父と、10年の介護

 父親の死後、レビー小体型認知症になった姑を自宅に引き取って介護していた義姉だったが、夜中に幻覚が見えて叫ぶなどの症状に疲れ果ててしまう。「助けてほしい」と言われた東野さんは、これまでかわいがってくれた姑を義姉とともに介護しようと腹をくくった。

「ご飯を食べさせてもらえない」と言われても許せた

 東野さんはレビー小体型認知症について勉強し、週の半分ずつ義姉と交代で姑を介護することにした。

 義母は毎日デイサービスに通い、夕飯まで食べて戻ってくる。介護するのは夜だけだろう、と言うのは認知症介護の実態を知らない人の言葉だ。その夜が大ごとだった。

 「助けて!」と大声を出して暴れる。定期的に体位交換しなければならない。肺炎を繰り返していたため、痰の吸引も必要だった。義姉が東野さんに助けを求めたのも無理はない。覚悟して介護をはじめたものの、日中は仕事をしている東野さんにとって、夜ほとんど眠れないのはこたえた。

「私のこともわからなくなっていて、単なるヘルパーだと思っていたようです。でも、時々『晴美ちゃん、どこにいる?』と私のことを探している姿を見ると、義母の中に私の存在はちゃんとあるんだと思えました。安定しているときには、『私は幸せ』と笑ってくれる。だから『ご飯を食べさせてもらえない』と言われても許せたんです」

 しかし睡眠時間がほとんど取れなくなって、東野さんの疲れは限界に達していた。

「とうとうある夜、義母の痰が溜まり、喉がガラガラ鳴って、ブクブク泡が出ているのにも気づかず寝入ってしまったんです。異常に気付いた夫が、隣室から電話をかけて起こしてくれたので、大事に至らずにすみましたが」

 夫は何をしているのか? と疑問を抱く人もいるだろう。先の記事で触れたように東野さんの夫は障害を持っているため、母親の介護をするのは不可能だったのだ。

 こうして東野さんは何とか介護の担当日を乗り越え、義母はその翌日義姉の家に移った。そして、翌日からまた東野さんの家に行くというその夜に亡くなった。

「義母は私が限界だとわかってくれて、うちに来る前に亡くなったんだと思います。最期まで本当にいい姑でした」

 東野さんも義姉も介護をやりきって、悔いはなかった。義母に関しては――

 介護の過酷さを嫌というほど味わった東野さんだったが、これで介護は終わりにはならなかった。

 認知症になった母親を引き取ることになったのだ。同居していた妹が母親の異変に気がついた。

「同じものをたくさん買っていたようで、病院に連れていったところ認知症だとわかりました。そのうえアル中であることが判明したんです」

 あれほど、父親のアルコール依存症で大変な思いをした母親が同じ病気に。東野さんは大きな衝撃を受けた。

 東野さんにも、思い当たるフシがなかったわけではない。母親は、父親が元気だったころから一緒に晩酌していた。父親の死後、母親が「飲むとだらしなくなるな」と感じてはいたものの、さすがにアルコール依存症とまでは考えていなかったという。

 当の母親も、「夫と同じアルコール依存症」と言われたショックは大きかったようだ。それでも、すぐに酒をやめることはできなかった。依存症なのだから、当然といえば当然なのだが。

 アルコール依存症が原因で認知症の症状がひどくなったのかどうかはわからないが、母親は被害妄想が激しかった。

「ものを置き忘れたり、なくしたりしては、妹を泥棒扱いして責め立てたようです。それでとうとう妹が精神的に参ってしまいました」

――続きは2月7日公開

 

息子と会えないのは、魂を引き裂かれたようにつらい――嫌われても調停を続けて、母親の存在を示す

『子どもを連れて、逃げました』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第1回 高橋芽衣子さん(仮名・51)の話(後編)

息子と会えないのは、魂を引き裂かれたようにつらい――嫌われても調停を続けて、母親の存在を示すの画像1職場で出会った3歳上の小柄な男性と1年ほど付き合い、妊娠し、結婚した高橋さんは、出産前後に夫に対して違和感を覚え始める。子どもが生まれてからは、人の話を聞かない、切れやすい、超クレーマーといった本性が、徐々に現れてきた。東日本大震災をきっかけに、別れが決定的になる。

前編はこちら:「給料が少ない」と偽っていた夫、子どもが生まれてから、超クレーマーな本性があらわに!

「お父さんとお母さん、どっちがいい?」

――「こいつは人として本当に終わってる!」と思ったというのは、どういうことですか?

 東日本大震災直後の、2011年3月20日ぐらいだったかな。三越の食堂で並んでたんです。すると、彼は勝手に順番を抜かして前に出ちゃった。当然のことながら、抜かされた人から「なんで抜くんだ」って言われて、それに対して「お前が行かないからだよ!!」って怒鳴ったんです。相手はたまたま前が空いてることに気がつかなかっただけなのに、声をかけもせず。それを見て、なんでこんなことでもめるんだろうってあきれました。

 それにね、計画停電が呼びかけられてるのに、彼はそれに逆らうように、電気を無駄遣いするわけですよ。「俺は東電に対して協力する気なんかない!」とか言って、冷房を最低温度の16℃に設定して。おかげでその月の電気代は2万円を超えてしまいました。東電には協力しなくていいから私に協力してよと思いましたが、言っても聞き入れてくれなくて……その無駄遣いにあきれちゃって、「私、もう無理」って思って、家庭内別居を始めました。そのときから、私は向こうの実家には行かなくなりました。

――家庭内別居になったとき、彼と子どもの付き合い方は、どういう感じだったんですか?

 子どもは、甘やかされるほうに行っちゃいますからね。するとね、夜遅くまで父親と一緒に起きて甘いものとかバクバク食べちゃって、ついには小児生活習慣病予備軍になっちゃったんです。それで、子どもは夜は私と一緒に寝ましょうというふうになったんです。それは小学5年生のときでした。

 その後、中学受験をするってことで、受験勉強を始めたんです。でもね、夜更かししてたし、週末は彼の実家に連れてっちゃうしで、本気で勉強しなかったんです。そんなので合格するはずがないですよね。

――それで、家庭内別居から今に至る経緯は、どのような感じなんですか?

 後から思えば、中学受験の前から、連れ去るための準備を着々と重ねていたようです。2013年の3月11日だから、息子が小6の終わりのとき、彼は私がいる前で、息子に「お父さんとお母さん、どっちがいい?」って聞いたんです。すると、息子は「お父さん」って言うわけ。それって、事前に息子に聞いてるんです。「お母さんのところに行ったら、お父さんは一生会わない」って、彼が息子に言った上で聞いてるんですよ。だったら、両方会えるほうを選びますよね。

――残酷ですね。

 それだけじゃないです。その日以来、息子を実家に通わせ始めたんです。息子は下校して、いったん帰宅してから、友達と遊んだり、塾などの用事を済ませたりした後、電車で30分のところにある彼の実家に通うようになりました。

 当時、向こうは着々と引き離し工作を進めていたんです。おかしいなと思ったのは、息子にこう言われたからです。「僕がこの家にいると、僕の魂が赤ちゃん返りするって言われた」と。「誰に言われたの?」と聞いたら、彼の姉でした。

 その後、お義姉さんから電話がかかってきたことがあったので、聞いたんです。すると、「私、そういうの、見えるんだよね」って平然と言うんです。それを聞いて私、「ほんとこの人たちやばいわ」って思いました。驚愕しました。

――誰かに相談はしたんですか?

 区の法律相談とか女性センター、子どもセンターみたいなところ、あちこち行きました。どうすれば息子との関係を絶たないで済むかということを聞きたくて。だけど、対応策を聞くことはできなかった。その代わり、「離婚したくないってことを演じて伝えたらどうですか」とか、「まずは婚姻費用調停を申し立てなさい」とか言われました。「DVだから逃げなさい」と言われて、シェルターに入るよう強めに勧められるのかと思ってたので、意外でした。

――その後、息子さんは公立中学へ行きますよね。そのときも彼は父親の実家へ通っていたのですか?

 そうです。毎日通っていました。放課後、息子は毎日、電車で彼の実家に通うんです。それで夜まで向こうで過ごした後、彼と一緒に帰って来ていました。そのうち息子は「PASMOに入れるお金ちょうだい」って言ってくるわけ。でも息子のお願いはむげにできない。だからお金をあげちゃうわけ。本当は嫌でした。

――引き離しを止められなかったんですか?

 翌月の4月半ば、双方の親と私たちで、話し合いを持ったんです。私は、本心ではなかったけど、向こうの親に対して「やり直したい」と言いました。でも、彼のお母さんが承諾しなかった。ただ、毎日通わせることだけは、子どもの生活が大変だから、しばらくやめるということで話がつきました。

 それから少しの間、母子2人で過ごしました。というのも、話し合いの後、ゴールデンウィークの時期に夫が家を出ていったんです。「疲れたから実家に帰って静養したい」って言って。私からしたら「どうぞどうぞ」って感じ。その時期は、母子2人ですごく楽になりました。

 とはいっても、私は息子と2人で寝たりはしませんでした。その直前まではお父さんと一緒に寝ている子だったんだけど。「中学生だから1人で寝なさい」と言って、自分の部屋を与えました。

――でも、平穏は戻らなかった。

 そうです。裏で彼が自分の姉に相談して、着々と引き離し工作を進めていたんです。そして実際、ゴールデンウィークの前に、離婚調停の書面が来ていました。私は弁護士とか心理の専門家に相談しなきゃと思って、いろいろ調べました。そして、離婚と子どもの関係について詳しい大正大学の青木聡先生にたどり着きました。でも、すぐには先生本人に会えなくて、引き離しには間に合わなかった。息子は着の身着のまま、荷物は持たずに連れていかれました。

――引き離すにあたって、学校が変わるといったこともあったんですか? 中学には入学したばかりですよね。

 越境通学するようになりました。息子に指一本でも触れさせないよう、彼や義父が学校の中まで送り迎えするようにしたんです。そんな異例なことを承諾してもらうため、彼と義父母が、そろって学校に挨拶に行ったそうです。彼の出勤時間から逆算すると、息子は通学時間の1時間前以上前に通学していたはず。

――「遠いから、元の家がいい」と息子さんは言わなかったんですかね?

 それはわからない。でも、少なくとも1学期の間は、息子とやりとりできていました。私はPTAに入って、月に1〜2回の学校公開(授業参観など)には必ず参加していたし、行けば毎回会っていた。そのとき、息子は私のことを拒絶はしなかったんです。逆に父親が見ていないのを確認して私に話しかけてきました。学校自体は、この件に関わりたくないようでしたけど。

――離婚調停の申立書が4月に届き、夫と息子さんが5月に家を出ていったということですけど、その後の流れというのは?

 申し立てられた離婚調停に出席する前に、上申書を100枚ぐらい書いて出したんです。これこれこういうひどい目に遭って……という感じで。息子を取り戻すために、弁護士を立てて、面会交流・円満調停の申し立て、監護者指定と子の引渡しと、引渡し前の保全処分という3点セットを、6月末ごろに申し立てました。

――それ以降の、息子さんとの交流はどうなってるんですか?

 引き離されてしばらくは、一緒に暮らしてはいないし、学校以外では会えなかったけど、関係は良好でした。7月に双方代理人がついて、調停やその前の保全、審判など、改めて家裁で話が始まり、正式な面会交流みたいな感じで会うようになると違ってきました。その年の夏休み中の8月、元夫の代理人弁護士の事務所で、第1回の面会交流が行われました。その場には、息子と私、双方の弁護士、そして夫がいました。

 私が一方的に話しかけて、若干息子が反応するみたいな感じでした。百面相したりしたら、息子は我慢できなくてプッと笑う。そんな感じで感情のやりとりができたんです。面会交流が終わって私が事務所を出た後、息子が号泣したそうです。すると、後日元夫側の弁護士が「お母さんが嫌だったから号泣した」という文面を含んだ書面を送ってきたんです。

 こっちは「子どもとの良好な関係の証拠」を書面で出す。でも、そうすると次に会うときはいろいろ制限され、さらにその次の面会では、子どもはまったくしゃべらなくなり……。「子どもと私の関係は壊れていません」と主張すればするほど、関係を壊されていったんです。親権や監護権は、引き離された後の「監護の継続性」を理由に、裁判所から突っぱねられました。そうして、子どもを取り戻すことができなかったんです。

――裁判や調停は、まだ続いているんですか?

 訴訟としては最後かもしれませんが、地裁で面会交流妨害についての損害賠償請求訴訟を彼と義父、彼の姉に対して起こしました。月に2回会うと取り決めて、そこから増やしていこうって思ってたんですが、妨害されてしまった。

 元夫がカウンセリングを受けること、子どもの情報を私と共有することといった取り決めは、中学校時代こそ死守しました。だけど、離婚が成立した直後の高校2年生の4月以降、まったく会えなくなりました。最高裁まで引き延ばしたんですが。

 ちなみに、私に養育費を払わせろという調停を起こし、私に支払えという審判を出してもらったのですが、私からの養育費の受け取りをずっと拒絶されています。息子については「大学に行った」ということしかわからない。元夫は「子どもが言いたがらない」って言っていますね。

――調停や裁判はどのぐらい行ったのですか? その結果、一度でも会うことができたりしたんですか?

 会えなくなってから、まず取り決めを守るように裁判所から履行勧告してもらいましたが、だめでした。その後は面会交流調停を2回やって取り下げ、親権者変更も1回やって取り下げました。養育費調停もやった。でも、一度も会うことはできなかった。そうこうしているうちに息子も20歳になってしまいました。

――子どもに会えない親はよく、「子どもが大人になって、自分の意志で会いに来てくれたら……」と、希望を込めて言いますけど、息子さんから会いに来ることはあったりしたんでしょうか?

 母親である私に、息子が自分から会いにきたことは今のところ一度もありません。といいますか、彼の両親が強硬なので、彼らが生きている限り絶対会わせようとしない。それに息子から会いに来ることもないでしょう。望みが薄い状態ですが、それでも私はずっと息子に関わっていくつもりです。関わることをやめた途端、「お母さんはお前を見捨てた」って言うに違いないですから。嫌われてもいいので、存在を示し続けます。やめたからといって関係が改善するとは、絶対思えない人たちなので。

――女性って自分のおなかを痛めて産んだという経験があるから、男性よりも自分の子どもへの思い入れが強いと思うんですよ。もしかすると、同じ引き離しでも女性のほうがつらいのでは?

 すごくつらいです。魂が引き裂かれたように。ただ、私はとりあえず12歳までは面倒が見られたわけじゃないですか。だから幼い子と引き離された人たちと比べて少しだけましだと思っています。

 自分が息子を連れて行けば、こういう目に遭わなかったのかもしれない。だけど、それは息子に対する虐待だと思っていたので、自分からはできなかった。それにもし、私のところに息子がいたとしたら、向こうは息子との縁を本当に切ったと思う。今、息子と会えないのは、つらいし苦しい。本当なら、彼の家の近くに住めば息子に会えるかもしれない。でも、それをやったら精神を病んじゃうと思う(笑)。やれる範囲で、子どもに対してのアクセスは続けていくつもりです。

(西牟田靖)

【セレブの年越し画像集】ジャスティン・ビーバー「夫婦で散歩」マライア「恋人とリゾート」カーディ・Bほか

 世界中の多くの人々にとって「最悪の年」だった2020年。年末年始は「新型コロナウイルス感染症が終息しますように」「1日も早く以前の日常に戻りますように」という願いを胸に、静かに過ごした人が多かったようだ。いつもは派手で豪華なニューイヤー・カウントダウンを楽しむセレブたちも、今年はステイホーム派がほとんどだったが、大金をかけて感染症対策をバッチリした上で、リゾート地で新年を迎えたセレブもいた。誰もがみな、コロナ禍の中で思い出に残るニューイヤーを迎えたようだ。

「給料が少ない」と偽っていた夫、子どもが生まれてから超クレーマーな本性があらわに!

『子どもを連れて、逃げました』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第1回 高橋芽衣子さん(仮名・51)の話(前編)

「私のところに息子がいたとしたら、彼(父親)は息子との縁を本当に切ったと思う。今、息子と会えないのはつらいし苦しいけど、彼と息子との縁が切れなかったのはよかったと思う」

 高橋芽衣子さんは言う。考古学者である彼女は3つ以上の大学で非常勤講師を務め、忙しい生活を送っている。その一方、体を動かすことにも積極的だ。

「(子どもを?)連れ去られた直後、メンタルをやられて、5キロ痩せちゃって。それで「離婚は体力だ」と悟ってジム通いを頑張ったり、その後マラソンを始めたり。また、仕事に打ち込んだりするようにもなりました。だってどうにもならないのに、どっぷりそのことばかり考えてたら、つらいもん」

 快活で精力的な芽衣子さんが、子どもと引き離されて8年。その子は今年20歳の成人式を迎えた。自分から子どもを連れて出なかったのは、彼女のやさしさ故のことだ。しかし、なぜ夫は母親から子どもを奪ったのか?

私の話をよく聞いてくれた

――まずは、元夫との出会いについてお聞かせください。

 某博物館で非常勤職員として働きながら、大学院に通っていたときだから、私が30歳になる前。職場には博物館の専門職員が6人と、役所から出向してきた事務職員が4人。元夫は後者で、年は私よりも3つ上。

――職場結婚だったんですね。彼はどういう人でしたか?

 私が長身だからっていうのもあるけど、私より背が低くて、ブルース・ウィリスみたいに生え際が微妙な人。チビでハゲだから見た目はイマイチ。でも、彼、親思いのいい人だったんです。というか、当時はそう信じ切っていました。

――なんでまた彼を選んだのですか?

 職場内で、人付き合いに問題のある同僚がいたんです。お互い、その人にいきなり激高されることがしばしばあったので、「ああいうのは嫌だよね」って話してるうちに、「ああいい人だな」って思うようになりました。当時、彼は私の話をよく聞いてくれたんです。

――その後、プロポーズでもされたんですか?

 付き合い始めて1年後ぐらいに、妊娠したんです。私、結婚願望がまったくなかった。だけど、子どもは欲しかった。だから結婚せずにひとりで育てるか、それとも結婚するべきか、生まれるほんの直前まで本当に迷いに迷って……。最終的には、生まれてくる子どものことを考えて、入籍を選びました。

――出産はどのように?

 彼は「立ち会うのは絶対嫌だ」と言っていたので、私も「分娩室に来て」とは言わなかった。だから彼は、分娩室ではなくて外で待っていました。でも、いいんです。私は相手に行動を強制する人間ではないので。

――その後、愛は深まっていったんですか?

 それがね、生まれるまでの同棲していた時期から、すでに「ちょっと違うかも」っていう側面が見え始めていたんです。話を、よく聞いてくれなくなっていったんです。そして結婚したら、もっとひどくなって、話が通じなくなってしまった。

――産前産後の彼の態度はどうでしたか? その時期の態度を引きずる女性は多い気がします。

 確かに、その時期、大いに違和感を覚えた出来事がありました。出産前に私がお金を出して8人乗りのミニバンを新車で買っていたんです。自分たち家族3人だけじゃなくて、双方の家族も乗せる目的で。納車が産後になったんですけど、最初に乗せたのが、私と赤ちゃんが退院して家に帰るときじゃなくて、彼の家族だったんです。

――芽衣子さんが乗る前に、勝手に彼が先に乗っていたということですか?

 退院前に、彼が自分の家族を乗せて、息子が生まれた2〜3日後ぐらいに病院に来たんです。それだけじゃないですよ。出産費用の支払いも、私の自腹だったんです。あれっていったん立て替えた後に、自治体から補填されるでしょ。とはいえ、彼が率先して払ってくれてもいいじゃないですか。そんな感じで、産前産後に、いくつか違和感を覚えたんです。

――どういう違和感ですか?

 出産後、1カ月は、私と息子はすぐ近くの私の実家にいました。なので、彼も家に来るというか、ご飯を食べに来る。

――彼は、率先して子育てをしましたか?

 職場の関係で当時、そんなに早くは帰ってこられなかったので、基本、育児はせず、私の母が作ったご飯を食べに寄り、息子の顔を見て帰るだけでした。だけど、たまに早く来られたときは私の実家だけど、息子をお風呂に入れたり、おむつを替えたりはしていました。

――1カ月後に、3人で住み始めてからはどうでしょう?

 当時、私は自宅にずっといて、大学院の論文を書きながら子育てをしていました。出産当時、別の博物館に転籍していたのですが、産後もそこに籍を残しながら。一方、彼は公務員で役所内で職場異動していました。残業がないときは、帰ってきてから息子をお風呂に入れていました。そして毎週末、彼は息子を見せるため、自分の実家に帰っていました。そこに私もついていきました。

――彼は、そこそこ貢献していたと。

 まあね。ご飯を作れないのはそのままで私任せでしたが、お風呂に入れるとか、オムツ替えとかは全然やってましたよ。

 それより家計が問題でした。私は博物館のポストは3年きりだったので、産後1年とかで収入のアテはなくなるんです。とはいっても、彼は頼れない。「給料が少ない」ということしか言わず、給与明細すら見せてもらえなかったんです。

 家賃(車庫込みで月15万円、3DK)と4万円のみしか入れてくれなかったので、月々、家計がすごく大変でした。離婚裁判で、実際は月に20万円以上、自分の好きなように使っていたとしか思えないようなお給料をもらっていたことがわかったときには愕然としました。

――彼と仲が悪くなっていったのは、経済的なことが一番の問題だということですか?

 というよりも、経済的なことについての話し合いができない――ということ。ほんと一切話し合いができなくて、1日こういうことがあったという報告もなくて、私も途中で諦めて子どもの話しかしなかった。あと、子どもが生まれてから、徐々に本性が現れてきたというか。人の話を聞かないとか、実は彼自身も切れやすかったとか……というのが少しずつあらわになっていきました。

――例えば?

 最近よく、あおり運転の報道があるじゃないですか。あれと同じ。車に乗っていて、実際そういうこともあったし。レストランで料理に髪の毛が入ってたりとかしたら、もう店員を罵倒ですよね。子どもが生まれるまでは、そういう本性はほとんど出さなかった。けど、次第に超クレーマーということがあらわになって。だから、店員に向かって「店長呼べ」って絡み始めたりするのを見て私はあきれるしかなかった。

――芽衣子さんへの暴力はありましたか? ギャンブルとか飲酒といったものはどうですか?

 彼にDVは無理。少林寺拳法やっていたらしいけど、私より小柄だし。だからカッとはするけど、シュンとしていましたね。ギャンブルにはまってた形跡もないし、お酒は体質的に飲めない。ただ彼は秋葉原が大好きで、電気部品とかをなぜか、2つずつ買うんですよ。服もそうだし、脚立とかわけのわからないテーブルもそう。あとね、買ったものを忘れるんですよ。それで何回も同じものを買ったりしていました。

――そのほか、嫌な点はあったんでしょうか?

 他者との関わりがないんです。結婚生活中、友達という人に会ったことがない。とにかく社交性がないんです。彼の実家に行っても、子どもを地元の公園に遊びに連れていったりすることは一切ない。学校の行事も、私に言われればようやく行くけど、自分からは行かなかった。

――彼の子育ての方針は、どのようなものでしたか?

 息子に対しては超甘やかします。欲しいというものはなんでも買い与えてたし、自分が保育園に送るぐらいだったら休ませちゃってた。あと気になったのは、夜更かしですね。仕事で自分が帰ってきたときに息子が起きてるっていうのがうれしかったみたいで、息子は毎日夜更かし。それがずっと続きました。それで私が注意したら、「自分が大丈夫なんだから、子どもも大丈夫だろ」って。そうやって夫が夜更かしさせるから、朝、息子が起きられなくて。

――元夫に対して、向こうの両親はどういうふうに接していたんですか?

 母親も彼も、お互いの名前を“ちゃん付け”で呼んでいましたね。彼は「お母さん」と呼ばない。母親は息子に家事とかを全然させない。そうやって、彼自身が甘やかされて育ったので、料理にしろ、ほかの家事にしろ、ほとんどしなかった。夜更かしの原因もそう。「寝る時間は人それぞれだから」って言って、義母は夜更かしを容認していました。それを聞いて諦めました。

――とすると、家事・育児は、すべて芽衣子さんが?

 洗濯だけは、彼もやってましたね。でも洗濯機に、洗剤を適量の倍も入れるんですよ。お金入れないくせに、浪費だけはするんです。

――芽衣子さんの話しか聞いていないので、余計にそう思うのかもしれませんが、彼のいいところが全然見えてきません。

 私のほうは全部オープンだったんだけど、彼のほうは閉じてる。家を建てたとき、そのことを痛感しました。家のガラスを、ほぼ全部すりガラスにしたんです。普通のガラスは3階の部分のみ。外が見えないから、すごく息が詰まりました。でも、彼の実家もそうなんです。なぜそうなったかというと、自分たちの「信仰」を、よそから見られたくなくて、隠していたからかもしれません。

――とすれば、連れ去られたことの直接の原因というのは、その「信仰」に関係しているんですか。

 いや、それよりもまず彼と話し合えない状況がずっと続いていたということが問題の背景にあったんです。あとなんといっても、引き金になったのは東日本大震災。あのとき「こいつは人として本当に終わってる!」と思ったんです。

(後編につづく)

(西牟田靖)

5万のバッグ購入直後、セールで半額に! 2.5万を取り返そうと奔走も、メルカリで見つけたニットでまさかの大損害!?


――2年で1,300万円以上溶かし、現在借金は●00万円の“買い物狂い”のライターが、苦しくも楽しい「散財」の日々を綴ります。

「お正月セール」。毎年毎年その存在はわかっているのに、つい忘れてしまい、12月の半ばくらいにとち狂って冬物を買い漁ってしまうのは私の恒例行事……。今年も私はやらかしましたよ。5万円オーバーのバッグを買ってしまったのです。

 ポイントで4万5,000円くらいで購入できたので、「10月くらいからずっと欲しかったし、いっか!」と思って購入したものの、なななななんと、バッグが到着した数日後に「お正月プレセール」だかで半額になりやがったのです。くうう~~~~~!!!!

 届いたばかりのバッグを返品して、もう一度買ってやろうかとも思いましたが、梱包はビリッビリに破いた後だったので後の祭り……。私は「2万5,000円、2万5,000円……」と呪詛のように繰り返し、頭を抱えました。取り返したい。なんしても取り返したい……!! 2万5,000円を合法的に取り返すためには、2万5,000円以上割引きされているものを購入するしかない(?)。私はそう合点し、猛然とセール品を探し始めました。

 いつもお世話になっているベイクルーズストアで、「ドゥーズィーエムクラス」の商品を検索検索!! すると、ちょうど欲しかったニットの「good vibe ワンピース」を発見しました。えーとお値段は、……5万2,800円の30%オフで3万6,960円?

 どう考えても、5万円以上のワンピースなんて高いですし、ふだんの私なら「けーっ! 1~2年で着られなくなるニットにそんな値段払えるかよお!」と思うのですが、今は「2万5,000円を取り返さねばならない」という特殊なメガネをかけている状態。「ふんふん、1万5,000円安く買えるのか……」と割引率にばかり目がいき、私はそのワンピースのレビューを見始めました。

 すると、びっくりするくらいの高評価がついていました。「丈はふくらはぎ下くらいでバランスよく、リブですがつかづはなれずの絶妙なフィット感で、リラックス感はありつつでもほっこりしない理想的なワンピ」「形がキレイ! 色味も良い! 最高です♪」「ノーマークの商品でしたが店舗へ行く先々で顔見知りのスタッフさん達から絶対に似合うとオススメされ、試着だけ……と言いながら着たら最後」etc。ううむ、あたしゃこういうレビューに弱いのよ。

 特に絶賛されていたのは、ホワイトのワンピース。しかし、ホワイトはもうすでに売り切れていて、残るはブラックとブラウンのみ。私は「形がいいなら、ブラックがいいわ」と思い、あまり悩まずにカードを切りました。

 え? なんでそんなに躊躇なく3万7,000円もの金を払ったのかって? へへ……ベイクルーズストアはボーナス払いができるから夏まで支払わなくても大丈夫なのよ。まあ、実際に夏になったら私は、今この判断をした私自身にブチ切れながら支払いをするんだろうけどね……? へへ。実質0円(!?)でワンピースを注文したわ。さーて、残り1万円分はどこで買おうかね。

 懐が全然痛んでいない(と錯覚している)私。今度はフリマアプリを開くことに。もしや……と思って先ほど注文したばかりのワンピースのホワイトを検索してみると、なんとあっさりと発見しました……!! 値段もちょうどいい!! さすがフリマアプリ。恐るべし。

 数々のレビューを見てすっかりホワイトに心動かされていた千葉N子。頭の中では、「とりあえずブラックが届いた後、丈感を見てから購入しなさい」と至極まっとうなことを自分に言い聞かせるのですが、その一方で「今すぐ買わなきゃほかの人に買われちゃうかもしれないじゃないのさ、フンガー!!」とも思います。ええい、迷ったら買うのよ! あたしゃそういう女よ!!

 そんなわけで、「2万5,000円」を得したい一心で2着のニットワンピースを購入。到着をドキドキして待ち構えていたいたのですが、数日後に届いたニットワンピースは丈感もよく、67キロのわがままボディでも、太って見えない絶妙なシルエットでした。わーい!! 賭けにかったわい!! 最の高!! 私はすばやくタグを切り、さっそくそのニットワンピースを着て、彼とのデートに出かけました。

 しかし、数時間後……。

 「か、かゆい……!!」私は首元のむずがゆさに違和感を感じました。ウール100%のこのニットワンピース。着た瞬間は特になにも思わなかったのですが、長時間着ていると首回りがチクチクしてきたのです。NOOOOOOOOO!!!!!!

 嗚呼、もうタグを切っちまったよ、あたしゃ……どうすればいいんだよ。2万5,000円得したいがために衝動買いで買ったワンピース2着だけど、よく考えたら、バッグもあわせてトータル9万円近く使ってるじゃねーかよ。まさか私、また馬鹿な事しちゃった……? その現実に気づいたとき、私の頭はスーッと冷たくなりました。こ、これは……、負け込んだのを取り返そうとして金を突っ込み、結果、大損こいたギャンブラーと一緒ではないのか!! うわーん!!!!

これぞ脚本家・北川悦吏子の真骨頂! 『半分、青い。』からさらにパワーアップした『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』をホメゴロス!

テレビ・芸能ウォッチャー界のはみ出し者、佃野デボラが「下から目線」であらゆる「人」「もの」「こと」をホメゴロシます。

【今回のホメゴロシ!】日テレ水10ドラマ『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』における「シェフの気まぐれサラダ」っぷり

 脚本家はしばしば、料理人に喩えられることがある。まず描こうとする題材や、作品を通じて訴えたいメッセージがあり、これが「メイン食材」だ。そしてその“食材”を生かすために創意工夫を凝らし、出来上がった作品が「料理」にあたる。だから、同じような題材を扱うドラマでも“料理人”のセンスによって、その味(内容)はまったく異なってくるし、“食材”をどう料理するかが料理人の技術であり、腕の見せどころというわけだ。

 現在、水曜10時枠で放送中の連続ドラマ『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』(日本テレビ系)が何かと話題だ。北川悦吏子脚本のドラマといえば、2018年放送の連続テレビ小説『半分、青い。』(NHK総合)が前作にあたるが、その作品性と作家性について書いた拙稿において、筆者は脚本家・北川悦吏子氏を「神」と呼んだ。ところで、聖書における「天地創造」は言ってみれば「素粒子という最小単位の素材をどう組み立て、形にするか」という神の創意工夫であり、アダムとイブに最初の選択を迫るツールも木の実だけに、極論すれば、神とは偉大なる“料理人”である……そんなやや強引なこじつけで、本稿では北川神のことを気持ち新たに「北川大シェフ」と呼ばせていただく。

『半分、青い。』を“凌駕する”出来栄えの最新作

 さて、『半分、青い。』から3年、今作『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』はどんな進化を遂げているのか。『半分〜』では自らの病気、子育て、母娘関係など、脚本家の半生をヒロイン・鈴愛(永野芽郁)と、その母・晴(松雪泰子)の姿に色濃く投影してポエティックにつづった「半分、自伝。」ともいうべき構造になっていた。『ウチ彼』もまた、どの登場人物も大シェフがしゃべっているように聞こえるという“北川テイスト”たっぷりだが、前作よりも主要人物の「依り代」感がパワーアップしている。

 というのも、Wヒロインの一人、母・水無瀬碧(菅野美穂)の職業を小説家に設定してあるものの、「物書き」という括りでは大シェフに同じ。もう一人のヒロインである娘の空(浜辺美波)は、漫画やアニメに造詣が深いいわゆる「オタク」で、これまた自身の娘と同じ。娘のことを「君」と呼ぶ“トモダチ母娘”の関係性、港区住まい、娘の自転車のサドルが高いetc.……大シェフがTwitterやインタビューで語る、自らの状況とそっくりなのである。いよいよこれは「半分」どころの話ではなく、「9割、自伝。」ではないか。

 当然『半分、青い。』との共通点も多い。まず、片言・ぶつ切りの話し方や「〜だ」「〜なのか?」など、吹き替え版『E.T.』のような台詞使い。『半分〜』では鈴愛だけだったが、『ウチ彼』では碧と空、母娘揃ってこの口調である。大シェフの日常ツイートを見れば、これらは北川母娘の普段の会話を色濃く反映させたものであることがわかる。プライムタイムのテレビという大舞台で日記を書く軽やかさ。さすがトレンディドラマで大天下をとった大シェフである。

 『半分〜』では律(佐藤健)が、『ウチ彼』ではゴンちゃん(沢村一樹)が担う、ヒロインの幼なじみであり「お助けおじさん」的キャラクターが存在するのも同じだ。大シェフが中学生の頃から大ファンだといい、『半分〜』に鈴愛の祖父・仙吉役で出演した中村雅俊はゴンちゃんの父・俊一郎役で続投。息子に次いで「お助けおじさん・その2」的な存在だ。つまり大シェフの依り代である碧は、(大シェフが思う)“イケメン”父子二代から「褒めて支えて慰めて」をやってもらっているという格好である。また、『半分〜』では律の実家、『ウチ彼』では碧の実家について、「昔は皇室御用達の写真館だった」という設定が2作連続でお目見えする。よっぽど大シェフお気に入りの小ネタなのだろう。

「お母ちゃんの中には3つのあんたも、5つのあんたも、13歳のあんたも、全部いる」

 これは『半分〜』で晴が鈴愛に向けた台詞。

「ここには、この家には、3つのあんたも、9つのあんたも、みんないるから」

 こちらは『ウチ彼』で碧が空に向けた台詞だ。おそらく大シェフが実の娘に抱く思いをストレートに書き表したのだろう。普通の脚本家なら、「思い」や「体験」という“原料”があるなら、それを技術で加工しアレンジを加えて、普遍化ないしは登場人物の言葉として成立させるだろう。だから元は同じ“原料”だったとしても、まったく違う一皿(シーン)となって視聴者に供されるものだが、「普通とは違うのだよ、普通とは」とばかりに、灰汁抜きしていない素材の味わいをそのまま出す大シェフの潔さに痺れる。

 大シェフによる恒例のイニシエーションも両作品で行っている。『半分〜』ではカエル柄のワンピースを永野芽郁に授け、『ウチ彼』では大シェフ大のお気に入りのブランド、TOGAのニットを浜辺美波に授けた(こちらは《あげたわけではない。衣装貸し出し。》とのこと)。おいでやす小田なら「断れるか〜〜〜ッ!!!!」とマンキンのツッコミを入れるところだろう。ちなみにこれに絡めて、碧が空に向けた「そのニット、永野芽衣が紅白で着てたTOGAだよね」という、内輪ノリの最たる台詞がある。テレビのこちら側は「それ必要あります?」という気持ちでいっぱいになるが、私物を貸し出してまでこの台詞が書きたくてしょうがなかったようだ。

 このように、『半分、青い。』と『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』では、場所を移転して店内の雰囲気は変われど、相変わらず同じ“食材”をネタケースに並べてあるといった風情だ。大シェフが90年代前半以前の感性で集めた大ネタ・小ネタに、調理も加工もほぼ施さず、ワイルドに盛り付けて「うちはこだわりの食材使ってるんで、塩(食卓塩)だけでいってください」とばかりにドーンと客前に出す「大シェフの気まぐれサラダ」。この自信と大胆さは賛仰に値する。

 さらに今作では、これらの「おなじみネタ」に加え、「えっとねえ、あのねえ、ヒロイン(≒私)はねえ、菅野美穂でねえ、麻布十番の商店街に生まれ育ってねえ、老舗写真館を畳んだ両親はスイスに行って山の写真を撮って暮らしててねえ、仕事でもプライベートでもイケメンに囲まれてねえ」と、大シェフの気分がアガるトッピングをメガ盛りにしてあり、いつまでも少女の心を忘れない大シェフによる夢小説のような味わいが、より強まっている。

 北川大シェフといえば、

《私はリサーチしないよ。極力。しても一回。なぜなら、想像の翼を折るから。》
《過剰な取材や、人と話すことは、しないようにした。その時、自分の感じることに集中しようとした。そこが、起爆装置。》
《いつもドラマや映画を作るために、リサーチをしているだろう、情報にアンテナを張るだろう、と言われますが、皆無です。てか、徹底して、一切、入れない。》

 とTwitterで語るように、取材をせず、関連資料も調べずに、内から湧き出るインスピレーションとフィーリングだけでホン(脚本)を書くことでおなじみだ。いやー天才ですよね。そして、他者の意見を多少参考にする場合も、

《ママ友に連絡しまくる私。生きた情報が欲しい!持つべきものは、ママ友!》
《ママ友情報、すごいっ。ありがたい。生きた情報。》

 と、ママ友や近しい友人知人、岩井俊二、家族の話にだけ耳を傾けるようだ。半径数メートル領域内でのヒアリングと、あとは、もはや常態化しているTwitterでのファンからのリプライによる“ネタ集め”。これらが大シェフの“気まぐれ下ごしらえ”の全てだ。

 「時流にキャッチアップしないわ調べないわ作劇」の結果として、第2話で、空が大学の同級生で隠れオタクの光(岡田健史)に言った「何で(カラオケで)米津玄師歌うの? 『ジャパリパーク』(『けものフレンズ』の主題歌)歌えばいいじゃん」という台詞が登場した。この「米津玄師=ウェイ系が歌うもの」と決めてかかった台詞に、SNSやネットでは総ツッコミが上がった。周知の通り、米津はかつて「ハチ」という名義で初音ミクを用いた楽曲を多数制作し、ニコニコ動画に投稿してその才能が知れ渡った逸材だ。つまり、オタク票を稼いでのキャリアスタートだったのだ。数多のタイアップをこなし、大メジャーとなった現在でも、彼を「オタクの星」のようにとらえているファンは少なくない。

 米津はその顕著な例だが、文化・芸術・芸能においてメインとサブの境目がシームレスになって久しい。というか、メインカルチャー/サブカルチャーという区別すら、すでに機能していないのかもしれない。多様化した今日では、人も物も「いずれの要素も兼ね備える」というケースが増えている。まあしかし、「根明」と「根暗」の二元論が支配していた80年代前半にキャンパスライフを謳歌し、脚本家として“華々しい”キャリアを積み、「恋愛の神様」と呼ばれて長年“万能感”にひたり続けてきた大シェフとしては、「オタク問題がデリケート? 知るかよ」ぐらいのノリなのだろう。常人ならば、こんなにツッコミの入りやすいテーマ、 よほど入念に調べる気概がなければ扱わないところ、娘と岩井俊二へのヒアリングだけで挑む “ベテラン”の風格。いやはや、あっぱれというほかない。

《私、新聞を三日分、一度も開かず捨てました、この前。暗に新聞取るのやめたい、と思ってます。》
《私は、恐ろしいものはあまり見られないです。テレビ。ニュースとかでも。》
《次から次へと情報が。流れるプールで溺れ死にしたくないので、ある時から、ショッタアウトするようになった。》(※原文ママ)

 今年で還暦を迎える大シェフは、いっさい社会に目を向けていないことを折に触れ吐露している。たいがいの脚本家や作家は、たとえ若い頃に「君と僕、あなたと私の世界」といった内向きの作品を書いていたとしても、年齢と経験を重ねるにつれ、視点と書きたいテーマが外へ、社会へ、マクロへと拡がっていくものだ。年を追うごとにこれだけ作品が私小説化、というか日記化する脚本家は他に類を見ない。

 内に向くなら向くで、自己との対峙の結果生まれるものを作品に昇華しているのかと思いきや、大シェフの場合、視点がミクロ化すればするほど脳内がそのまま転写されたような作品内容になるわけで、『半分、青い。』同様、『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』は心理学のテキストとしても非常に有用だ。『ウチ彼』を見ていると、大シェフが何に興味があり、何に無関心か、他者とどう関わり、何を羨望し、何を見下し、どうやって自己肯定感を保持しているかがよくわかる。この険しい時代、多くの脚本家が「見た人が、ひいては世の中が少しでも前向きになる一助となれば」という願いを込めてドラマを作っている中、徹頭徹尾「私がこうされたい! こう見られたい!」を書く脚本家も稀有だ。

 しかし、言ってみればこれが大シェフの“作家性”であり、こういったテイストを好む視聴者も少なからずいるのだろう。多様性、多様性。まさしくワン&オンリー、稀代の大シェフの、ますます“気まぐれサラダ”化するドラマ作りに、今後も着目したい。

<欄外註>
※《 》内はTwitterでの北川氏本人の発言。原文ママ。

20万のエルメスのシルバーバングルが温泉で真っ黒に! 汚れ落としの強い味方・重曹を試した先に待っていた、悲惨な結果


――2年で1,300万円以上溶かし、現在借金は●00万円の“買い物狂い”のライターが、苦しくも楽しい「散財」の日々を綴ります。

 このコラムを熟読している皆さんは、「千葉N子にフィアンセがいる」ということは周知の事実だと思いますが、もう一回確認のために言いますね? 私、フィアンセがいるんです!!!!!! 思い返せばアラフォー婚活はマジできつかった……。精神・肉体ともにぼろっぼろになり、とある掲示板に「恋愛とかもういいから気軽にご飯食べたり、映画行って感想言い合えたりする友達が欲しい」と長文で愚痴を書いたところ、今の彼氏から「僕もそう思います」ってコメントが届いたことが知り合ったきっかけでした。そう考えたら、婚活でボロッボロになったのも、意味のあることだったんだなあ……と思うわけで。ほんと、「塞翁が馬」であります。

 さて。そんなわけでこの世の春を満喫していた私に、彼が昨年、「温泉旅行に行こうよ!」と誘ってくれました。彼氏と旅行!! 温泉旅行!! なにそれ、そんな素敵なもの行ったことない!! 行き先は、紅葉シーズンまっただなかの硫黄がすごく強い温泉。温泉の周りは硫黄の匂いがすごいということを聞き、「ほほ~、そりゃあ、効能がありそうじゃあ」と私は嬉々として快諾しました。

 旅行当日。「今日身に着けるジュエリーは何にしましょうかねえ」とジュエリーボックスを覗いた私は、今日の灰色コーデに合わせて、エルメスの「トゥアレグバングル」とシルバーのリングをごろごろ指につけ、出発しました。シルバーは温泉には弱いって聞くけど、ま、部屋に置いとけば大丈夫っしょ! とあまり深く考えていなかったのです。

 しかし、この考えが甘かった……。というか硫黄を舐めきっていた……。旅行2日目、ルンルン気分で山を下り、レストランで食事をしていたときのことです。ふと手元に視線を落とした私は、『太陽にほえろ!』のジーパン刑事のように「なんじゃこりゃあ~~~!!!!」と叫びました。バングルが真っ黒!!!!!!!! リングも真っ黒!!!!!!!! あんなにキレイな銀色だったシルバーのジュエリーが、たった1日でまっくろけに……。部屋の中に置いていただけなのに。うそやろ~~~~!!!!

 とはいえ、私はすぐに気持ちを切り替えました。たしかシルバーは、重曹でキレイになるってばっちゃんが言ってたことを思い出したのです。重曹だ!! 重曹を買って帰ろう!! そして彼の家に着くや否や、グラグラとお湯を沸かし、重曹を入れた鍋にバングルと指輪を投入。これでつるっとキレイになるはず~! と目を輝かせながら鍋の中を覗き込みました。

 お、銀色になってる! 素晴らしい!! でもなんだろう。黒いカスみたいなものがいっぱい浮いてきたんだけど、これって何……? バングルについた垢的なもの……? 私は恐る恐るバングルを引き上げてみました。そして次の瞬間、目玉がビヨヨヨヨーーーンと飛び出ました。バングルの彫りの黒い色が全部とれちゃっていたのです!!!! マジかよーーーー!!!!!!!!!!!!

 やっすいシルバーリングならいざ知らず、20万円で購入したバングルが無残な姿に……。確かに銀色には戻りましたが、なんかぼやけた白っぽい銀色だし、黒い彫りがはげちゃったことで、重厚感がなくなっちゃったし……。こ、これはもうトゥアレグバングルではないのではないのか――!?!?!?

 私は泣きそうになりながら、いつもお世話になっているジュエリー工房にLINEを送りました。「大変です、親方!! トゥアレグバングルが汚くなっちゃいました!!」と。すると、「新品仕上げをすれば、彫りの黒さも元に戻せますよ」とのこと。なにそれ、今すぐやってえ! お金はいくらでも払いますゥ!!

 そんなわけですぐにお直しに出し、1週間ほどでキラッキラの新品のような状態になって戻ってきてくれました。お値段2万4,200円也。いやあ……お金はかかりましたが、ほんと良い勉強になりました。そうよ、あたいはジュエリーの勉強をするために身をもって実験しているの。今回の2万4,000円も、授業料ってヤツよ……ふふ……。

 皆さんも、シルバージュエリーのお取り扱いにはくれぐれもお気を付けてください。ちなみに、一緒に温泉に着けていったK18の時計とプラチナのネックレスは、まったく問題なく、キラッキラのままでした!

ママ友LINEの怖いやりとり……保育園職員のコロナ感染疑惑、「最近◯◯先生見かけない」と犯人捜しが勃発!

今や日常生活において、かかせないツールとなっているコミュニケーションアプリ「LINE」。かつては子どもの送迎時に、ママたちが立ち話をしているような光景が見かけられたが、時間に追われ忙しく過ごす共働き世帯が増えた今、ママたちのコミュニケーションの場は、LINEのグループチャットになっているという。そんな、ママたちの「グループチャット」から浮き彫りになった、彼女たちの悩みや、苦悩、気になる話題を覗いてみる。

 新型コロナウイルスの影響で、私たちの生活が変わらざるを得なかった2020年。年が明け、新たな気持ちで1年をスタートしようと思った矢先、主要都府県に緊急事態宣言が発令された。子どもを持つママたちは、この事態をどのように過ごしているのだろうか。

子どもの保育園でまさかの陽性。「誰が検査を受けた?」で盛り上がるグループチャット

 介護施設に事務として働いている千里さん(仮名)は、3歳になる女児を家からほど近い保育園に通わせている。彼女の娘が通う保育園には、約80人ほどの園児が保育されているそうだ。

「うちの園は、園庭もあり区内でも大型の保育園。コロナ禍以前は、一時保育の園児も預かっていたので、多いと90人以上の園児が在園していました。去年から感染防止のため、食事の時は園児を一席置きに座らせたり、ソーシャルディスタンスに気をつけていたそうです。日中もマスクを着用して過ごしていますが、子どもたちはじゃれあったり、抱き合ったりと距離が近いので、常に感染が不安でしたね」

 昨年末、娘を通わせている保育園の職員が、PCR検査で陽性と診断されたという。

「まさかうちの保育園で……と驚きました。最初は、PCR検査を受ける職員がいるという話が聞こえてきたのですが、すぐにママ友グループチャットで『誰だろう』『〇〇先生、最近見ないかも』と、誰が検査を受けたのかの推測が始まったんです」

 検査結果が出るまでは、グループチャットではこの話題で持ちきりだったそうだ。

「そもそも陰性かもしれないし、もし陽性だったとしても、誰でもなる可能性がある状況だけに、犯人捜しのように『誰が検査を受けたのか』を騒ぎ立てるのはどうなの? と思いました。なので私はそのやりとりにはレスをせず、読むだけにしていたんです。でも、周りのママ友たちの様子を見て、“もしも自分が体調を崩して、検査を受けたら……”を想像すると、ちょっと怖くなりましたね」

 職員が検査を受けたという話が浮上してから数日後、保育園を通じて「陽性だった」という連絡があったという。

「陽性だった職員は、少し前から欠勤をしていて自宅待機だったため、濃厚接触者の数も少なく、園舎を消毒すると、すぐ保育が再開しました」

 初めての事態に、ママ友とのグループチャットでは、「子どもをいつから預けるか」というメッセージが飛び交ったという。

「私は介護施設で働いているため、感染には人一倍、気を使っています。でも、仕事は休めないので、保育園が開園するとすぐに預けました。ママ友の中には、『心配なのでしばらく休ませます』といって、様子を見ている家もあり、判断に困りましたね」

 今回の緊急事態宣言は、前回とは異なり、保育園をはじめ、学校の休校措置もない。年が明けてから依然として、コロナ禍の収束が見えないだけに、ママたちには感染の不安が常につきまとい、ピリピリしているようだ。

 都内で2歳になる男児を育児中のしのぶさん(仮名)は、緊急事態宣言下の今、子どもを保育園に預けることに罪悪感を覚えるという。

「私は、保険会社に勤務しているのですが、顧客情報管理のため、どうしても出勤が避けられないんです。週に1〜2度ほど完全リモートワークの日があり、その時は、息子を保育園に預けず、家でみています。仕事のオンライン会議などは静かにしてもらうのが大変ですが、それでもまだ安心感があります」

 しのぶさんいわく、今回の緊急事態宣言は、前回のように経済活動を抑制する動きが活発ではないため、「仕事も休めず、生活が中途半端な状態になっている」とのこと。

「私の住んでいる区は、コロナ感染者の情報をサイトに載せているんですが、それを見ていると、保育園や小学校でも少人数ではあるものの、陽性者が出ています。いつ感染してもおかしくない状況なのに、仕事も休めず、自由にリモートワークも選べないため、子どもを保育園に預けなければならない。私も夫も、実家は地方なので頼れる人もいませんし、“もし感染したらどうしよう”と思って、夜中に泣いてしまったこともあります」

 しのぶさんは、「ママ友付き合いも、コロナの影響で変わった」と語る。

「ママ友の中には、外出を必要最低限にして、食料もネットショッピングで買って済ませているという人がいます。そんなママに、都心まで電車で通勤しているとは言いづらいんです。ママ友とのグループチャットでは、土日に遠出ができないので、『今から公園に行きます』というような、“近場で会いませんか?”という誘いが増えたんですが、もし私が感染者で、ママ友やその子どもにうつしてしまったらと思うと、なかなか行けませんよね」

 保育園からは、在宅で子どもを見られる場合は、利用を控えてほしいというアナウンスがされた。

「前回の緊急事態宣言は、出勤は重役のみという措置だったので、私はずっとリモートワークしていました。子どもも家で過ごしていたので、感染の不安はなかったんです。今回は、会社側も出勤してほしいというし、だとしたら保育園に預けなければいけないし。いくら個人で感染予防をしても、毎日『感染したらどうしよう』と頭によぎります」

 しのぶさんは、常に感染予防に気をつけながら生活することで、ストレスが倍増。彼女の息抜きは、寝る前にママ友とメッセージを送り合うことだそう。

「この前、仲が良いママ友と作った少人数のグループチャットで、『何かあったら、お互い助け合いましょう』と送り合いました。身近に、そういう存在があるだけでも落ち着きますね。あるママ友から『本当は保育園に預けたくないけれど、夫も私も仕事が休めず、仕方なく……』というメッセージが来て、『私だけじゃなかった』と、ほっとしました」

 今回の緊急事態宣言下で浮かび上がってきたのは、「仕事が休めず、テレワークも不可能で、子どもを預けなければならない」というワーママの実情。もしも自分や子どもが感染すると、預け先の職員、園児たちも濃厚接触者になる可能性があり、さらなる感染拡大の懸念があると考えると、ワーママがどれほどの不安に晒されているかが理解できるだろう。

 まだ、確実な感染予防策が見当たらない中、同じような境遇のママ友同士で、不安を共有することにより、少しでもストレスから解放されるのを願うばかりだ。

アル中で寝たきりになった父と、10年の介護ーー離婚しても見捨てなかった「母の意地」

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。母親との関係に苦しむ東野晴美さん(仮名・51)の話を続けよう。

 東野さんは、アルコール依存症で暴力を振るう父親と、東野さんを常に監視する母親との関係に悩んできた。大学入学を機に実家から出ても母親の監視は続いたが、結婚するとようやく解放され、子どもを連れてたびたび帰省するくらい母親へのわだかまりはなくなっていたのだが――。

前回:「長女の私に、とにかく厳しかった」監視する母とアル中だった父――老いた親を前に、娘の本心は

離婚しても父を介護したのは母の意地?

 その頃、父親は長年のアルコールが原因でほとんど寝たきりになっていた。

 実家は昔自営業で敷地内に倉庫があったので、そこを父の部屋にして、母親が食事を運んだりトイレの世話をしたりしていたという。

「父は体がきかなくなっても酒はやめられず、ヘルパーさんに来てもらっても怒鳴りつけてクビにしたり、デイサービスに行ってもケンカして行けなくなったりと、家族以外に介護してくれる人はいなかったんです」

 東野さんが、孫を連れて里帰りしていたのも、孫を見れば父親の機嫌が良くなり、母親や妹の負担を少しでも減らせるだろうという気持ちがあったからだ。

 それにしても、ずっと父親から暴力を振るわれていた母親が、最後まで父親を見捨てなかったのが不思議だ。

「それが、父が亡くなる2〜3年くらい前に、籍を抜いたんです。母はずっと『離婚する』が口癖でした。私たちはそのたびに『すればいいじゃない』『もう私たちも家族を持って、子どもも生まれたんだから、離婚しても何の心配もないでしょ?』と言っていたんです。それで、最後の最後に実行したというわけです。父は離婚届にハンコは押したものの、荒れていましたね……。ただ、それでも母は家を出て行くこともせず、介護を続けたんです。母の意地だったのかなと思います」

 夫婦の関係は、傍から見るほど単純ではない。結局、母親は父親を10年介護し、看取ったのだった。

義母の介護「助けてほしい」

 父親の死から5年ほど後、九州で一人暮らしをしていた姑が認知症になった。「レビー小体型認知症」だった。アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症と並んで“三大認知症”と呼ばれており、「知らない人がいる」「虫がはっている」など、実際にはいないものが見える幻視などの症状が特徴的だ。

 東野さんの隣の市に住んでいる義姉が、「どうしても私が母を見てあげたい」と東京に呼び、自宅に引き取った。

「九州から、半分だまして連れてきたようなものです。でも義姉にも仕事がありました。幻覚が見えて夜中に叫び出したりする義母を一人では介護できなくなって、私に『助けてほしい』と言ってきたんです」

 東野さんには、姑にかわいがってもらったという思いがあった。

「姑には一度もイヤな思いをさせられたことがありません。ずっと遠く離れて暮らしていたこともあり、嫁として姑に何もしてやれなかったので、こうなったら義姉に付き合おうと腹をくくりました」

 東野さんは、義姉と週の半分ずつ交代で姑を介護することにした。

――続きは1月31日公開

 

「鳥貴族」パクり系列「鶏のジョージ」、真骨頂は「1人OK」食べ飲み放題にあった! 大量閉店でも踏ん張れ、モンテローザ!

酒飲みになにかと嘲笑されているモンテローザの素敵なところを、勝手に探求していく当連載。今回は、都内に数店舗展開している激安チェーン居酒屋、鶏のジョージで泥酔してきました。

モンテローザ8軒目:鶏のジョージ

 鶏のジョージは、鶏料理を名物に、フード、アルコール全て280円均一(税別・季節のメニューを除く)の激安酒場。焼鳥などをメインにしつつ、居酒屋の定番メニューが揃います。

 しかし、この鶏のジョージ、メニューからコース、サービスまで、モンテローザ系列の豊後高田どり酒場とほぼ同じなんです。だから、ダサい店名くらいしかオリジナリティはないのですが、とはいえほかのモンテローザ系酒場よりはコスパがいいので、利用する価値はあると思います。

 さて、鶏のジョージの真髄はズバリ食べ飲み放題コースです。中でも「3時間制女子会食べ飲み放題」は、2,800円でアルコールと全メニューが“3時間”食べ飲み放題という、驚異のコスパ。女子だけでなく、男性は3,300円、小学生は1,400円、小学生未満は無料……と要するに誰でも利用できる、お得なコースです。

 「2時間食べ飲み放題」は、男女問わず2,800円。いずれも、+200円で生ビールや日本酒も飲み放題にすることが可能です。

 鶏のジョージのパクリ元は、鳥貴族です。そんなトリキも「トリキ晩餐会」という2時間食べ飲み放題2,980円のコースを実施しているのですが、4人からの利用というハードルの高さ(ネット予約限定で、期間限定1人対応の試みあり)。しかも、事前予約しなければならないのがやや手間です。

 また、すかいらーく系列のしゃぶ葉は一部店舗で平日ディナーのみ、3時間3000円(税込)でアルコールとしゃぶしゃぶ、サラダバー、寿司などが食べ放題という神がかったサービスを行っているのですが、こちらも2名〜の利用で前日予約という条件付き。

 このように、大体の食べ放題飲み放題コースは事前予約が必要で、複数人からの利用しかできないことが多いのです。

 しかし、鶏のジョージは当日予約なしで、1人からでも利用が可能(店舗による)。3時間食べ飲み放題の「女子会」コースも、女子会と謳っていますが1人での利用が可能で、会食がはばかられるこのご時世にぴったり。Free Wi-Fi完備なので、1人で食べ飲み放題を堪能しながら、オンライン飲み会をしてもOK。

 バイキング形式などではなく、ゆったり席に座って3時間、酒と食事が配膳されるのですがら、ホスピタリティを考えるとお得ではないでしょうか。

 鶏のジョージの単品は、鳥貴族同様、アルコール、料理すべて均一価格(一部の品、鍋や季節の料理を除く)。しかも、鳥貴族は現在298円均一に対して、鶏のジョージは280円と18円下回ります。

 しかし食べ物の味は、いわゆるモンテローザクオリティ。鳥貴族ほどのうまさは期待できません。とはいえ、食べ放題なので多少ハズレメニューに当たったところで、大損した気持ちにはならず、せっかく全メニュー食べ放題なのですから、むしろ、普段は注文を躊躇する地雷っぽい品を試してみるのも一興なのです。

 例えば、単品注文だとなるべくハズレを引きたくないので、お得な鶏もも肉の一枚焼き(280円、単品は以下同)をオーダーしますが、食べ放題なら激辛野菜タンメンみたいな、チャレンジメニューに挑むのもあり。まあ、そうやって頼んだものの、ただ辛いだけで旨味が感じられず残念でしたが……。

 モンテローザの料理をそこまでがむしゃらに食べたくない、とにかく飲みたいという人には、120分1,000円の単品飲み放題がオススメ。こちらも予約不要で当日1人から利用できます。

 ケチりたいなら、お代わり自由の塩ダレキャベツを。メニュー名の通り、お代わり仕放題です。さらに、お通しのポップコーンもお代わり自由なので、この2皿をひたすらチビチビツマミながら、2時間単品飲み放題を行使すれば会計1,560円。

 個人的に好きなつまみは、鳥貴族の人気メニューを丸パクリしている「ふんわり山芋鉄板焼」。鳥貴族より18円安く、味付けも悪くないです。

 モンテローザは、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、東京都内の61店舗を閉店することを1月15日に発表しました。その数、都内337店舗のうちの2割弱に当たるそうです。

 まずくて高い……と不満を漏らしながらも、なんだかんだ通っているモンテローザ。閉店されてしまうと、文句も言えなくなります。今回は、少しでもお店の足しになればと、テイクアウトメニューも注文。鶏もも肉の一枚焼きと、鶏の唐揚げを持ち帰りました。

 自宅で酒のアテにしてみましたが、完成から時間が立つと油がベタついて残念な風味に……。やっぱり店内で出来たてを食べたいので、どうかコロナに負けず踏ん張ってほしいです!

鶏のジョージ:総評

味 ★★☆☆☆
品数 ★★★☆☆
雰囲気 ★☆☆☆☆
コスパ ★★★★☆
また行きたい度 ★★★☆☆