かまいたち山内が『華大さんと千鳥くん』で見せる毎回SNSが荒れるかき回し力

 現役お笑い芸人が、バラエティ番組の”ここに気付くとより面白くなる所”を分析してレポート!

 今回取り上げるのは関西テレビ・フジテレビ系で毎週火曜夜10時から放送されている『火曜は全力!華大さんと千鳥くん』での、かまいたち山内健司さんの”かき回し力”に注目した。

 かまいたちさんと言えば2020年から今年、最もレギュラー・冠番組を増やした芸…

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新垣結衣「妊娠は2022年以降!?」報道の裏事情―ビールCMにまつわる出演女優のタブー

 新垣結衣がCMキャラクターをつとめ、全国発売した「アサヒ生ビール」缶。28年ぶりの復活ということで、一時休売となるほどの人気を集めているが、新垣の起用は、彼女にとって初となるビールCMということも話題化に拍車をかけている。その一方で、ビールCMに出演することで「新垣の妊娠は一年契約の更新時期以降ではないか?」という報道が。なぜこんな声があがっているのか?

「広告業界では、アル…

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楽天×ビックカメラの「楽天ビック」で16万円のパソコンを安くゲット! 「分割手数料無料」でショッピングローン利用者の強い味方に

――2年で1,300万円以上溶かし、現在借金は●00万円の“買い物狂い”のライターが、苦しくも楽しい「散財」の日々を綴ります。

 最近、私のパソコンがなーんか調子悪い。「ピーッ」って異音がすることもあれば、マウスで選択した範囲が勝手に解除されたり、中途半端に選択できなかったりするの。調べてみたところ、パソコンの寿命っていうのは5年くらいらしいんですが、私の場合、1日8時間以上フルでパソコンを使っているせいか、どうやら5年ぴったりで具合が悪くなったらしい。そんなわけで、パソコンの買い替えを検討し始めました。

 今、使っているのが、 CPU(パソコンの「頭脳」にあたるパーツのこと)は「Core i7」、メモリ容量は「8GB」のダイナブック。めっちゃサクサク動くからこの性能には満足しています。つまり、このスペックと同様のパソコンなら何でもいいのよ。ネットショッピングするほうが、家電量販店で買うより安く済むことは知っていたので、早速「楽天」で検索!

 すると……!! 「core i7」「8GB」で14万円のものを見つけました。おうおうおうおう、いいんじゃない!? ポイントも2万円分ついちゃうみたいよ!? でも、試しに「Yahoo!ショッピング」も見てみたら、さらに安いものも見つけました。ポイント分を差し引くと、実質10万円くらいで買えるパソコンを見つけちゃったのです!! ぬあーんてこったあ!!!!

 私が今のパソコンを買った5年前は、20万円近くしたのよ。それなのに、半額近くのお金で買えちゃう時代がきちゃうなんて……!!!!!! 家電の進化はすさまじいのお。しかし、10万円という金額を前にしても、私の食指はあまり動きませんでした。だ、だってえ……あたい、現金持ってないのよお。

  そう、「パソコンが欲しい」というのは切実なんだが、金はないのだよ。

 普通の人ならそこで「金がないから諦めるかあ」となるのかもしれない。しかし、私は引き下がらない!!!!!!!!!! あたしには、「楽天ビック」がついているのだ!!!!!!!!!!

 説明しよう。楽天ビックとは、楽天とビックカメラが運営する家電ECサイトである。楽天ビックで家電を買う場合、なんと!! オリコのショッピングローンが使えるのだ!! 

 それも36回払いまで無金利!! あああん、あたし、ショッピングローンって大好き!! 分割手数料無料万歳っ!!!! 手数料ナシで分割払いできるなら、何も怖いものはありません。私は「せっかくだから、ちょっといいやつ買っちゃおう」という気になり、パソコンのスペックを調べ始めました。

 詳しい人の話によると、パソコンのなかで重要なのがメモリ、CPU、ハードディスク。CPUとは「仕事をする自分」メモリは「仕事をする机」、ハードディスクは「書籍などを飾る本棚」のようなものなんだって。

 あたし(CPU)が、本棚(ハードディスク)からいろんな本を出して、机(メモリ)の上で広げて見ながら資料をつくる、みたいなイメージ。つまり、机(メモリ)がいっぱいになっちゃうと作業できなくなっちゃうので、一度引き出し(ストレージ)に戻して、出してを繰り返さなくちゃいけなくなるんだって。逆に机が広かったり、あたしの頭がよかったり、本棚に本が充実していれば、それだけサクサク仕事ができるってわけ!! 決めたっ!! あたくし、8GBじゃなくて、倍の16GBの容量のパソコンを買いますわっ!!!!!!!!!!

 ショッピングローンならなーんにも怖くない。パソコンは16万円くらいしたけど、楽天カードで1,6000円分のポイントがあったので全額ぶっこみ計算したところ、36回払いで月4,000円くらいで購入できることがわかりました。ブラッボー!!!! 月々4,000円なんて、ちょろっと1回飲みに行く程度のお金じゃないの!! ほほほほほ、あたしゃなんて買い物上手なのかしら。

 そんなわけで、現金でポーンと買い物するよりは高くなっちゃいましたが、希望のパソコンがすんなり買えて、ほくほくしている千葉N子です。よ~し、おニューのパソコンでがっりがり仕事するわよお!!!!!!!!!!

■今回の出費 ダイナブックのノートパソコン 14万4,000円

松坂桃李と古田新太の男泣きで魅せる! 狂った運命の歯車が突き刺さる映画『空白』

 俳優・松坂桃李の役作りは、最近ますます凄みを増している。

 そう感じさせるのには役の幅広さの中に、ある共通する魅力があるからだ。しかもそれがすべて同じ演技に見えるというわけではなくて、全く異なるキャラクターの中に(松坂の本質にあると思われる)人間らしさを感じとることができる点だ。

 例えば、現在公開中の『孤狼の血 LEVEL2』では、主人公・日岡を演じている。前…

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『スイング・ステート』くせ者司会者ジョン・スチュワートがアメリカ選挙システムを強烈風刺!

 2020年、共和党のドナルド・トランプと民主党のジョー・バイデンが争ったアメリカ大統領選挙は、新型コロナウイルスの影響もあり、郵便投票を取り入れて大混乱を招いたことで、かつてない長期間に渡る選挙戦となった。

 日本でもその様子は連日報道され、日本人がここまで感心を示した大統領選も珍しい。アメリカの政治に感心のない人でも、票取りゲームのようなアメリカ選挙の仕組みと見て、まるでエ…

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「お母さんの顔を見ると気持ち悪くなる」と言われたオーストラリア女性、子どもたちが今どこにいるのかわからない

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第5回 キャサリン・ヘンダーソンさんの話(後編)

前編はこちら

「『あなた犯罪者じゃないのに、なぜ2年間も子どもたちに会えないの?』と、私の国の友人たちから言われます」

 そう嘆くのは、高校生の娘と中学生の息子、2人の子どもを持つ、キャサリン・ヘンダーソンさん。彼女の祖国、オーストラリアでは共同親権、共同養育が当たり前、別れた後に子どもに会えなくなる母親は約1%にすぎないという。

 彼女はなぜ、遠い日本の地で、わが子と生き別れになってしまったのか――。後編では、生き別れになってしまうまでのことを聞く。

子どもに会えなくなるなんて、思ってもみなかった

――日本には戻ったんですか?

 もちろん。私は学校で働いていて、生徒たちに対する責任がありますから。そのまま子どもとオーストラリアに住むことは考えませんでした。もしオーストラリアでそれをやると、アブダクション(誘拐)と見なされて罰せられます。でも今思えば、弁護士事務所に行くことを彼に予告してしまったのは、失敗でした。

――なぜ予告したんですか?

 離婚する気はなかったし、嘘はつきたくなかった。それに「隠すべきではないな」って思ったんです。そもそも私、離婚しない方法を考えるために、弁護士事務所に行くつもりでしたし。でも彼は、私の予告を宣戦布告と捉えたんでしょう。このままだと、キャサリンに子どもを連れていかれてしまうと。

――彼は、どんな手を打ってきたんですか?

 私が弁護士事務所を訪れる前日の18年1月17日、「明日、弁護士事務所に持っていってください」と敬語で言われて、記入済みの離婚届を渡されました。その届の親権者は私になっていました。

――とすると、その離婚届は使わなかったんですね。使っていたら、子どもたちの親権は、あなたのものだったのでは?

 そうなんです。でも私、そのとき、離婚する気がなかったし、日本の単独親権制度の怖さがよくわかっていなかった。まさかその後、会えなくなるなんて思ってもみなかった。だから、区役所に提出しなかった。

――では、彼が子どもたちを連れ去ったのはいつですか?

 その前に彼は離婚協議書の草案を作成して、私に渡しました。そこには、養育費の金額とかの条件がいろいろ書いてあった。彼が作った草案に私が目を通して修正した後、2月21日に承認しました。そして、その後すぐ、私が仕事から帰ってきたら、彼が家からいなくなっていました。何も言わずに。彼の荷物もない。数日前に「これが新住所」と記されたメールが届いただけ。

――そのとき、子どもたちは連れ去られたのですか?

 いえ、子どもはまだ家にいました。だから、次の日から、私ひとりで子どもの世話をしなければならなかった。それで、私の母が子育てを手伝うために、オーストラリアから来てくれました。

――それから彼とは、どんな関係だったんですか?

 次の週は息子の誕生日だったので、「家族4人でレストランに出かけましょう」と提案しました。すると、彼は来ました。でも、その食事は本当につらかった。私たちを捨てた彼とは会いたくなかった。彼が許せなかった。

――それでも、子どもたちのために頑張ったんですね。その後は? レストランでお別れしたんですか?

 私たち3人の車に無理やり、彼が乗り込んできて一緒に家に帰ろうとした。「俺の家に帰るだけなのに何が悪いんだ。キャサリンが俺に指図することはできない」って言って。でも、私、我慢した。息子の誕生日なのに、ケンカするところを見せたくなかったから。

――迷惑に感じたでしょう?

 そう思った。だって彼、その日、午後10時半を過ぎても帰らなかったんですよ。私は翌日学校があるから早く寝たかったし、鍵をかけたかった。だけど、帰ってくれなかったので、寝られなかった。

――で、その後の彼は?

 子どもたちに会いに、週3回のペースで来るようになりました。

――それは意外な展開です。

 子どもたちと一緒に出かけたり、なぜか息子と2人でシャワーに入ったり。その上、使用済みの自分のタオルを、「これ俺のタオル」だと言って置いていったり。

――帰るのも遅いのですか?

 そうなの。私は朝が早いから、早く帰ってほしかった。だけど、彼は「これは俺の家だ」と言って、別居先の家になかなか帰っていかない。だから、子どもが宿題できなかったりしたこともしばしばあった。

――彼が何をしたいのか、わからなくなってきました。

 4月、彼は行動を起こしました。別居をやめて戻ってきて、私と子どもたちの仲を引き裂く工作を始めたんです。まだ母がいるときに。そして私がいないときに、いろいろと私の悪口を言って、子どもたちが私を嫌いになるようにしていたんです。

――片親疎外(PAS)ですね。でも、子どもたちと一緒に住んでいるなら、効果が薄いのでは?

 そうでもなかった。毎日毎日、私の悪口を言われ続けると、子どもたち、信じるようになった。親子関係は良好だと思っていたので、気がついたときはショックだった。

――いつ気がついたんですか?

 毎年8月、子どもたちを連れてオーストラリアに行っていたんですが、その年、出発の1カ月ほど前に息子にこう言われました。「マミーに連れ去られるから行けない。パパが裁判を起こしたら2年かかる。そうすると私たちはパパに2年間会えなくなる」って。

――それはショックですね。

 そのとき、私は「連れ去り」とは何かを知りませんでした。まだ8歳の息子がなぜそんな言葉を知っているのかなと思い、「連れ去りって何?」と聞いたんです。すると息子は「わからない」って。そばにいた娘は、やりとりを見て、「まずい」という表情をしました。2人に彼が「連れ去り」の話をしたのだと思います。

――ひどいですね。

 当時、父がアルツハイマーにかかっていて心配だった。だから、子どもたちをオーストラリアに連れていって、顔を見せたかった。でも、子どもたちは彼の言葉を信じてしまって、一緒に帰ってくれなかった。悲しかった。でもどうしようもない。だから、私ひとりで、2週間ほどオーストラリアに帰りました。

――引き離すことに彼は必死ですね。

 そうなの。もしオーストラリアで同じようなことをすれば、彼が親権を失います。別れても、共同で責任をもって養育するのが当然だから。もし相手の合意を得ずに子どもを連れていったら、実子誘拐として罰せられます。

――オーストラリアでは、離婚はどのように進められるのですか?

 例外を除いて1年間、離婚する前に別居しなければならない。それが法律で決まっている。その間に、しっかりとした話し合いが行われるんです。その間に、考え直したり、お金のことを決めたり、養育計画を作り上げたりする。そうした決まり事を経たあと、弁護士とかに見せにいってOKが出たら、やっと離婚できる。オーストラリアは親権のことを何年か前に「ぺアレント・レスポンシビリティ(親責任)」とした。親が子どもに対して責任を持つ。だから、子どもから逃げることはできない。

 日本では紙一枚だけで離婚できるから、責任を取らなくても離婚ができる。親権のことも紙一枚で決められてしまう。オーストラリアでは、親権のない親が子どもに会えなくなっても知らんぷり、という日本の離婚制度とは全然違う。

――彼が子どもたちを実際に連れ去ったのはいつですか?

 私がオーストラリアから戻って約8カ月後の19年4月16日、彼に子どもたちを連れ去られました。

――その日の経緯を教えてください。

 私が朝起きて職場に行って、夕方自宅に帰ってきたら、全部なくなっていました。テレビ、電子レンジ、炊飯器、車、ソファ。全部なくなりました。お皿、コップ、鍋、ポット。全部なくなっていた。それに子どもたちもいなくなっていた。

――1日でそういうことができるのは、あらかじめ計画してないと無理ですね。

 でも裁判では、子どもは14歳と10歳で、まだ未成年だから連れ去りじゃない、それに物を持ち出すのは犯罪ではないと判断された。私の許可なしに盗んだのに。

――日本人として申し訳ない。

 彼だけじゃなくて、裁判所や日本の法律が、私を悪い目に遭わせている。

――そもそもビジネスで忙しくなったんだったら、彼には子どもを育てる時間もないじゃないですか? 行動が矛盾しているように思います。

 そうなの。彼が本当にやりたかったのは、自由な時間を持つこと、ビジネスをすることでしょ? でも子どもを連れ去って、子どもの世話をしなくちゃならなくなった。だから、今はそれができなくなった。それに家族を壊してしまって、子どもたちや私を傷つけた。男として父親として、完全な失敗。子どもに自分のお母さんを嫌いにさせるのってすごい。本当に恥ずかしい。全然尊敬できない。

――彼は、なぜ子どもたちをあなたに会わせることを、そんなに拒否するのでしょうか? 会わせたほうが楽なのではないかと思いますが。

 「キャサリンが家庭を壊した犯人だから、キャサリンが悪い。だから、子どもと会う資格がない」というストーリーを彼は裁判で言い、子どもにも家で言い続けました。だから、私に会わせるとストーリーが壊れる。それが嫌。もし私に会わせたら、「お母さんはあなたたちを愛してるよ」っていうことを、子どもたちが思い出すでしょう。そうすると、2人は母親と一緒に住みたがる。それを恐れて、完全に私と会わせないようにしている。私が本当はいい母親だから、こういう状態になったんだと思います。

――その後、どうなりましたか?

 20年11月に判決が出て、親権者は彼になりました。連れ去りしたこと、片親疎外をしたことを罪に問うことはできなかった。それとは別に、面会交流の調停で、後日、ビデオレターを見せることが決まっていました。

――そのビデオレターは、どんな内容だったのですか?

 私から子どもたちに向けたメッセージで、長さは20分間です。そのビデオレターを、私の弁護士が子どもたちにオンライン(Zoom)で見せる予定でした。

――子どもたち、喜んだでしょう?

 いいえ。Zoomにつながった子どもたちの反応は、そうではありません。娘が私の弁護士に「私たちには見る義務があるのですか?」と言ったんです。弁護士が「別に」と答えると、娘は「私たちは見るのを拒否します。私たちはビデオを見たくない。お母さんの顔を見ると、気持ち悪くなるから」と言って、ビデオレターの視聴を拒否されてしまいました。Zoomにつないでいたのは、たったの10分間でした。

――言わされてるようですね。

 20年12月の調停で、調停委員にこう言われました。「子どもが嫌がっているなら、面会は無理です。子どもたちは、あなたに会わなくても大丈夫。子どもの将来を考えて、会いにいくのを遠慮してください」と。そうして、「今後、面会交流はなし」という判断が出た。私はすごくショックを受けて、足がゼリーみたいにグニャグニャになって、立って歩くことすらできなくなった。そのとき、待合室で2時間ぐらい泣きました。

 21年1月、追い打ちをかけるように、彼のほうから通知が来た。そこには、次のように書いてあった。婚姻費用(離婚前に配偶者と子どもたちに払う生活費)を払え。4人で住んでいた家から1週間以内に立ち退けと。1月にその手紙が来て、その後、ショックのあまり体調を崩し、約7週間、家から出られなくなった。

 3月になってようやく、家を出られるようになった。だけど、通勤中にパニック状態になって、たどり着けなかったり。学校に着けたとしても、その途端にすごくストレスを感じて、保健室で休んでいたりしました。「生きているのは嫌。子どもがいない人生はいらない」って、そういうことばかり考えてしまう。

 オーストラリアにある自殺防止の公共電話サービスに電話したり、カナダのカウンセラーにオンラインで相談に乗ってもらったり、漢方薬で症状を抑えたりしていて、今はこうしてやっとインタビューに答えられるようになった。

――子どもたちとは、まったく会っていないのですか?

 3月に、息子の小学校の卒業式に参加しました。私と校長先生といい関係をつくっていたので、それができた。でも、息子の入学した中学校がどこかは知らない。今はどこにいるのかすらわからない。

――今後、どうやって生きていきますか?

 今は、私が何をやっても、子どもに会うことができない。連絡先がわかっても、会うのを拒否されるでしょう。となると、子どもの気持ちの変化を待つしかない。でも、このようなインタビューを、たまたま子どもたちが見つけて読めば、私が何を考えていたかを知ることができるでしょ? そうすれば私の気持ちをわかってくれるし、きっと会いに来てくれる。私はそれを信じている。

(西牟田靖)

クレジットカードの引き落とし額が300万超え! 後からボーナス払い変更可の「ビューカード」が散財生活の救世主に!?

――2年で1,300万円以上溶かし、現在借金は●00万円の“買い物狂い”のライターが、苦しくも楽しい「散財」の日々を綴ります。

 おお、神よ……。あたいの物欲はいつになったら収まるのでしょうか……。この間も、「もうジュエリーはこれっきり!!」と思って、私は聖地・Kataokaジュエリーの店舗へと足を踏みいれたのです。ところがっ!!!!

 お店に入ると、それはそれは可愛いパライバトルマリンのリングがちょこんと座っており、あたしはこのリングを持ち帰らずにはいられなかったってわけ。そのリングの額、なんと73万円………。ああん、バカバカバカ!! 本当にバカ!!!! あたしゃねえ、本来は夏冬のボーナス2回払いで、計45万円のピアスを買いに来ていたのよ。1回分の支払い額は20万ちょっとだと思ったから、「それなら借金に追加してもなんとかなるかあ」と思っていたのよ!!

 それを……っ、73万円一括払いってあんた!! これじゃ、母にあたしがすんごい額の借金してることがバレちゃうじゃないのよ~~~~!!!! そう、皆さま。忘れていないでしょうか。私は一度破産した女なんですよ。

 あれはえーと、4月のことだったかしら。1カ月のカード請求額が250万円を超え、あたしゃ真夜中に母の顔色をうかがいに行ったのです。母は「250万貸して!!!」と叫ぶ娘に怒りまくりつつも、どうにかこうにか250万円の借金を認めてくれたのです。ところが……。

 あれから数カ月でもうあたしゃあ30万円のリングを買い、13万円のバッグを買い、今回73万円のリングを買い……。どうにかこうにか稼ぎまくって250万円のデッドラインを超えないようにしていたんですが、ついに終わりを迎えました……。8月のボーナス払いで引き落とされる額、〆て320万円也。このコラムを書いている7月某日、ああああああああ、来月が怖いよおお~~~~~!!!!!!!!!!

 どうしよう、どうしよう、嗚呼、どうしよう。本当にシャレにならないくらいにヤバいのに、あたしといえば、「ボーナス払いをあとから選択できる」と巷でうわさの「ビューカード」に申し込みにいってましたからね……。マジ馬鹿よ。このコラムをもし母に見つかったら、母に首根っこ掴まれてカードを全部ジョキンジョキンと切られるわ……?

 そうそう、この情報を知らない方のために言いますが、「ビューカード」は、Suica一体型クレジットカードで、会計時に一括払いで決済しても、あとからボーナス払いに変更できるらしいんです。

 つまり、ボーナス払いが選択できないお店でも、とりあえずビューカードで決済すれば、あとからボーナス払いにできちゃうってわけ!!

 って、話を戻すと、あたしゃそのビューカードで死地に足を踏み入れようとしてるんですよね……へへ……。嗚呼、だめよ、N子。だめだめ。ステディにもこの間、約束したばかりなんですよ。

「あたしゃもうカードは使わないよッ!! 欲しいものはお金を貯めて買う!!!!」

 そう宣言したのです。嗚呼、でもでも、可愛いピアスしたいのおおおおおおおお~~~~~~!!!! ピアスホールが完成するまでになんとしてもKataokaさんのピアスが欲しい……。その額、45万円也。どうせ支払いが12月になるんなら、7月に買っても9月に買っても同じことでしょう?

 あああああ、やっちまう……!! たぶんあたしはやっちまう……!!!! 母には「私、本当にお金ないの! だから月10万円の返済でなんとかして~~!!」と言っていますが、あたしの給料は今、ちょこっとだけ余裕があるのよ……へへへ。一生懸命営業したおかげで、あたしゃ今、けっこう小金持ちなわけ。

 だから、だからさ……。やっぱピアス欲しいのよ!!!! そんな私は今、現在。私はビューカードの審査を待っている状況です。無事審査が通れば、間違いなく今後の散財の救世主となってくれるはず! 今後、「ピアス買ったった~~~!!」って記事が出たら、「あいつやりやがったな」って思ってちょうだい。くれぐれも……ステディにはナイショよ……。

結婚15周年の記念日に離婚を切り出されたオーストラリア女性、日本人の夫とは家事の分担や仕事のことで行き違い、家庭内別居に

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第5回 キャサリン・ヘンダーソンさんの話(前編)

「『あなた犯罪者じゃないのに、なぜ2年間も子どもたちに会えないの?』と、私の国の友人たちから言われます」

 そう嘆くのは、高校生の娘と中学生の息子、2人の子どもを持つ、キャサリン・ヘンダーソンさん。彼女の祖国、オーストラリアでは共同親権、共同養育が当たり前、別れた後に子どもに会えなくなる母親は約1%にすぎないという。
https://aifs.gov.au/publications/parenting-arrangements-after-separation

 彼女はなぜ、遠い日本の地で、わが子と生き別れになってしまったのか――。前編では、夫との仲に亀裂が入るまでを聞く。

10代の頃から日本人や日本のカルチャーに親しんでいた

――もともと生まれたのは、どちらですか?

 1970年、オーストラリアのメルボルン生まれ。結婚して移住するまでの間、基本的にずっとそこに住んでいました。私がティーンエイジャーだった80年代、日本人はすでに珍しい存在ではありませんでした。日本から転校してきたヒロコと友達になったり、弟の交換留学で、和歌山から来た男の子が、うちに数週間ホームステイしたり。また、祖母が日本人に生け花を習っていたりもしました。日本のカルチャーもいろいろ入ってきていて、漫画の『AKIRA』を弟がよく読んでいました。

――その後、日本との付き合いは何かありましたか?

 メルボルンで大学に進学して、生理学や生化学を専攻しました。大学では日本語も勉強していて、21歳のとき、ワーキング・ホリデーで日本に7カ月住みました。働いたのは群馬の温泉ホテル。当時は日本語がカタコトでした。

 帰国後、大学院に入り、教師になるために教育学や日本の文化について学びました。大学院を出る頃には、日本語をある程度マスターしていて、その頃、駐在員の家族に英会話をレッスンしていました。

――夫となる男性とは、いつ知り合ったんですか?

 大学院を卒業した後、公立学校で日本語と理科の教師になりました。97年のことです。彼とは、その年に会いました。友人から、「友達に日本人がいるけどどう?」って言われて、紹介されました。そのとき、私、思ったんです。「日本語の勉強になるし、会ってみようか」って。それで実際に会って話してみたら、すぐに仲良くなり、デートをするようになりました。

――どんな人なんですか?

 私より年は2つ下で大阪出身。大学で機械工学を勉強して、いったんは就職しました。しかし、その会社は転勤が1年に3回あり、低いレベルの仕事しかさせてもらえない。そんなひどい会社だったので、辞めたそうです。私と会ったときは、英会話の学校に通って、英語の勉強をしていました。彼が格好いいなって思ったのは、英語が話せなくても自信を持っていたこと。英語が話せないのに、一緒に行ったレストランで、支払い時の店員とのやりとりを私にお任せしなかった。

――彼と結婚するまでは、どのように過ごしていましたか?

 知り合った翌年の98年、一緒に住み始めました。彼はオーストラリアに家族がいないので、お付き合いしていた5年間、私の家族が彼のサポートをしていました。

――5年一緒に住んだ後、なぜ結婚したのですか?

 1年間、彼はシドニー、私はメルボルンで暮らしました。というのも、彼、シドニーで仕事が決まったんです。そこは日本人の人材を探している会社。面接に行ったら採用になりました。一方、私は国際交流基金の奨学金をもらうことが決まっていて、「2カ月休んで日本に行ってもいい」と職場も言ってくれていた。そんな状況なのに、「奨学金はいらないので辞めます。シドニーで彼と一緒に住みます」って言いにくいじゃないですか?

――それで1年、仕事の都合で別居した後、結婚したんですね?

 そうです。彼がシドニーに住み始めた後、「結婚しよう」という話になりました。結婚式は両方の国でしました。2002年7月にオーストラリアのワイナリーで、友達数人とお互いの両親を呼んで、式を挙げました。そして10月には大阪のお寺で結婚式を挙げて、結婚届を出しました。その後、日本で暮らし始めました。彼の会社は東京にも支社があるから、「日本に住みましょう」と私が提案した。すると彼がOKした。

――当然、一緒に日本に移住したんですよね?

 そうです。でも、タイミングがバラバラでした。仕事の関係で私だけ一足先に、03年1月に東京へ引っ越しました。仕事はALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)。都内の学校に派遣されて英語を教えていました。彼は4月にシドニーから東京へ転勤してきて、一緒に住み始めた。

家事や子育ての分担意識の違い

――お子さんが生まれたのはいつですか?

 03年12月のクリスマスに2人でオーストラリアへ行ったときに妊娠したみたい。だから娘は、MADE IN オーストラリア(笑)。娘を産んだのは04年9月で、私は34歳でした。小学3~4年生までは日本で、その後、オーストラリアに戻るというプランを当時は考えていた。そうすれば言葉も文化も両方の国のことを学べるから。でも、その考えは実現しなかった。

――彼は、子育てにどのぐらい関わったんですか?

 彼自身、「自分の父親をはじめとする、ほかの日本の男性よりも、ずっと自分はやっていた」と思っていたことでしょう。しかし、私の基準からすると、ずいぶん水準が低い。もちろんイーブンイーブンではなくて、私のほうがたくさんやっていた。

――なぜ、そんなに意識が違うのでしょうか?

 彼の母は専業主婦で、父は週に6日働いていた。彼の父と比較したら、確かに彼はやっている。一方、私の母は小学校の教師として働いていて、両親共働き。だから、イーブンでやるのが当たり前だった。

――具体的には、どんな割り振りだったのですか?

 保育園の送り迎えは日によって違っていた。彼がやっていたのは食べものの買い物、料理、朝に洗濯物を干す。帰宅後は、自分のシャツにアイロンをかけていた。でも、トイレットペーパー、ハンドソープ、シャンプー、歯磨き粉、洗剤がなくなっても補充はしなかった。子どもの予防接種も、私に任せっぱなしだった。

――2人の関係がギクシャクし始めたのは、いつ頃ですか?

 09年に生まれた息子が15年、小学校に入学した。そのぐらいの年齢になれば、いったん子育てが落ち着いて、2人で過ごせる時間が取れると思っていた。でも彼の考え方は違っていて、「会社員を続けながら、自分の会社を作りたい」という考えだった。

 2人とも働いているし、東京には誰も親戚がいない。 それに子どもが2人もいる。だから、彼が新しくビジネスを始める余裕はないと思っていた。だから私は彼に条件を出した。「受け持っている生徒たちの試験が毎年11月にある。始めるなら、せめて試験が終わってからにしてください。会社を作るための準備で人に会いに行ったりして夜遅くなるのなら、あらかじめ説明してください」と。

――彼は条件を守りましたか?

 いいえ。私の生徒たちの試験が行われる11月より2カ月も早い9月に、彼は会社を始めてしまいました。

――彼は約束を破ったんですね。

 しかも、年明けの1月には、夜中の2時になっても帰ってこないのが通常になった。そうしたことが続いて、私は不安で寝られなくなった。

――2人の子どもは、まだ小さいですものね。

 そうなんです。それに私、日本人じゃないから、地震に慣れていない。11年の東日本大震災の揺れは、本当に怖かった。そのとき、あの地震から4年がたっていたけど、「また揺れたらどうしよう」って、ずっと思ってた。だから余計に不安が大きくなった。

――彼に注意はしたんですか?

 1月になって言いました。「出かけるときに、どこに行っているか教えてください」と。すると彼、従ってくれたり、聞き入れてくれるんじゃなくて、むしろ怒って言いました。「キャサリンは、オレのことをコントロールしようとしている」と。そして、その後、彼は私のOKがないまま、ずっと帰ってこなくなった。だから私、不安で寝られなくなってしまったし、仕事にも出られなくなった。なのに、彼は私を無視した。

――彼が経営していたのは、何の会社なんですか?

 ワインの輸入販売、コンピューター関係の相談とか。業務内容はバラバラ。収益は上がっていなかった。確定申告は毎年行っていましたけどね。

――なぜそんなに、彼は新しいビジネスにこだわったんでしょうね?

 彼はそのときミッドライフクライシス(中年の危機)だったのかも。今までの人生は「自分の思い通りにいかなかった」と思い込んでしまった。だから、突然、新しいことを始めた。それが新しいビジネスだった――。私はそう解釈した。だとすれば、しばらく静かに待ってあげたら落ち着いていくと思った。

――彼は落ち着いた?

 いいえ。ますますひどくなった。例えば、一家で車でお出かけしたとき、靴を履かずに靴下のまま運転をしたり、それまで吸っていなかったタバコを41歳になってから吸い始めたりもした。ヘンでしょ?

――確かにヘンですね。それで、その後、関係はどうなったんですか?

 2年間、ずっと関係はよくなかった。彼は毎月、1週間大阪に出張していて、私や子どもたちに秘密で、若い女性と交際しているようでした。LINEのメッセージに証拠が残っていた。

――キャサリンさんの体調はどうでしたか?

 どんどん悪くなっていった。不眠症になってしまって、学校に働きに行っても保健室で寝かされることが普通になった。

――お子さんとの関係はどうだったんですか?

 私たちの親子関係は良いほうだったと思います。だからもし、平等に離婚の調停をしていたら、私が親権者となる可能性が高かった。日本人ではないけども日本語が話せる、学校の教師。日本に長く住んでいる。悪くない母親。すると、彼が子どもたちの親権を得るためには、連れ去りという選択しかなかった。

――彼が離婚したいと言いだした経緯を話してもらえますか?

 15年、16年と2人の関係はよくなかったけど、17年になると少し関係が落ち着いてきていた。ミッドライフクライシスを乗り越えたんじゃないか、という手応えが、そのとき私にはありました。だから私、彼に提案しました。「出張から帰ってきたら、10月の結婚記念日を一緒にお祝いしましょう」と。彼が承諾したので、レストランのコース料理を予約しました。彼の出張の都合で数日遅れの日に。

――それは、どんなお店ですか?

 荻窪のスペイン料理店です。当日、子どもを残して2人きりで、バスで行きました。そのとき、私、結婚15周年を記念した贈り物を用意していたんですよ。

――それは素敵ですね。贈り物は何だったんですか?

 ギフトセットの箱に入った、クリスタルのワイングラスです。ペアで1万円もする高級なグラス。

――2人でごちそうを食べて、記念日を祝ったのですね。それでプレゼントは渡したんですか?

 いいえ。それどころではなくなりました。というのも食事の途中、突然、「離婚したい」と切り出されたんです。私はショックを受けて、固まりました。私が黙っていると、彼は「帰ろう」って言って、席を立ちました。

――コース料理なら、まだ出てきていない料理もあるでしょう?

 そうなんです。私たちの修羅場を見て、レストランのスタッフがパニックになりました。すごく困っていて、「メインディッシュのプレートがこれからです。どうしましょう?」と相談されました。すると、彼はさっさと会計を済ませて、店を出ていきました。

――ひどすぎますね。無理やり、関係を壊そうとしているフシすら感じます。それで、その後の家庭生活はどうなりましたか?

 家庭内別居です。それまでは、2人でダブルベッドに寝ていたけど、レストランで「離婚したい」と言われてから、彼は子ども部屋で布団で寝ていた。その後の11月と12月、本当につらかった。

――その後は?

 年が明けた後、子どもたちを連れて、オーストラリアへ戻りました。

    ***

 これは国をまたいだ別居なのか、それとも一時的な帰国なのか……。

(後編へつづく)

『レミニセンス』はコロナ禍では他人事じゃない「想い人への執着」の映画だった

 2021年9月17日より、映画『レミニセンス』が公開される。

 本作の監督・脚本はドラマ『ウエストワールド』で高い評価を得たリサ・ジョイ、その夫でもあり『ダークナイト』(08)や『インターステラー』(14)では共同脚本も手がけたジョナサン・ノーランが製作を務めている。

 予告編の印象やパッと見のビジュアルから、そのジョナサン・ノーランの兄であるクリストファー・ノ…

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メルカリで見た定価64万円のバングルが、店員さんの“粋な計らい”で15%オフに!? 1日で130万円散財の危機を回避できたワケ 

――2年で1,300万円以上溶かし、現在借金は●00万円の“買い物狂い”のライターが、苦しくも楽しい「散財」の日々を綴ります。

 東京っちゅー街は怖い街だよ。欲望の街だよ。今まで「ジュエリーはもう買わない! 欲しいものがないんだもん!」と思っていたのに、あたしゃ大好きな「Kataoka」でパライバのリングを購入。

 その帰りに、今度は「AbHeri(アベリ)」のバングルに魅せられてしまったんだから……。

 「AbHeri」は、Kataokaを手掛けるジュエリーデザイナー・片岡義順さんが立ち上げたブランド。フリマアプリを通して出会った友達・Mちゃんが「『quarant'otto(クアラントット)のお店に行きたい!』と言うので、Kataokaのお店を後にした我々は、早速移動。クアラントットのお店に着くと、Mちゃんはインコのリングが欲しかったそうで、熱心に店員さんと話し始めました。手持無沙汰の私は、そろ~っと隣にあるアベリの店舗へ。

 マスクを着けていましたし、店舗を訪れるのは年に1回もないくらいだったので、そこらへんの通行人を装って店に侵入したのですが、ショーウィンドウに飾られたリングを食い入るように見つめる私を見た店員さんが、ふいに話しかけてきました。

店員さん「アベリには以前もいらっしゃいましたか?」

「はい……。でも、私、家が遠いので、店舗に来たのは数回です。あの……地元が岩手なので」

店員さん「もしかして……千葉さんですか?」

 なぜわかるの~~~~~!?!?!?!?!? 恐るべし、優秀過ぎる、アベリの店員さん。数回しか店に来たことのない客の名前まで覚えるとは!!!!!!!!!! 「どうしてわかったんですか!?」とギョッとしていると、「顔と声でなんとなく……」と店員さん。そんなバカな。すごすぎる。 

 しかし、知っていただけていると知り、私も饒舌になり、それからKataokaの話で盛り上がりました。購入してきたリングを見せ、「素敵ですよね~~」と2人ではしゃぎ、アベリさんのリングも見せてもらうことに。

 そのときです。ショーケースに飾ってあるバングルに、私のアンテナがビュキューーーンと反応しました。そのバングルは昔々、メルカリで見たことのあるもの。当時は「けっ! イエローゴールドなんていらねえわ!」と思いスルーしたのですが、同じ形のシャンパンゴールドのバングルが飾られていました。間近で見るとめちゃくちゃ可愛い……。ああ、メルカリで買っておけばよかった……!! 今になって悔やまれるゥ~~~!!!!

「この子はすごく可愛いですよ。ぜひ着けてみてください」

 そう店員さんに促され、バングルを着けてみると、それはそれは豪華で金の重みもずっしりしていて、一目で「欲しい~~~!!」となりました。

 しかし、あたしゃねえ、さっきKataokaさんで73万円も散財してきたばっかりなのよ……。今、このバングルを買う余力はさすがにないわ……。そう正直に伝えると、店員さんは「では、カードに品番をお書きしましょうか?」と聞いてくれました。

 ななななんて至れり尽くせりなの~~~~~!?!?!?!?!? カードに品番を書いてくれたのみならず、店員さんは15%割引の優待券まで付けてくれました。有効期限は9月27日。その日までなら15%オフ。つまり、定価で64万円ほどするバングルが、54万円くらいで買えるそうです。

 ぐむむむむ……!!!! ああん、欲しいよおおおおおおお!!!!!!!! その後、Mちゃんもクアラントットでの物色が終わり、一緒に喫茶店に入りました。Mちゃんはインコのリングを目当てにクアラントットに行ったものの、実際に見てみたところ、ほかのリングが良いということになったそうです。そのリングは1点ものでしたが、オーダーしてイチから作ることもでき、好きな中石を選んだり、持ち込むことも可能だそう。

Mちゃん「今すぐ買わなくても大丈夫そう。年内は12%割引の優待券も使えるし」

「そのリングいくらなの?」

Mちゃん「74万円だったかな?」

「高っ!!!!!!!!」

Mちゃん「さっき73万円のリング即買いしてた人が言う!?(笑)」

 た、確かにそうだった……。Kataokaさんのリングというと、あたしにとっては夢の国価格、ディズニー価格みたいな気持ちになっちゃうのよね。他店のリングで20万円くらいの感覚なの、Kataokaさんの70万円って。

 にしても、あたしたちってほんとジュエリーマニアよねえ。車を100万で買うって言われたら「え!! 高い!!」って思っちゃうのに、ジュエリーに100万ならまあそういうもんかって思えちゃうんだもん。

 そんな話をしつつ会計をしに行ったところ、Mちゃんが「あたしのほうがちょっと高いから、先に払うね!」と言いました。あれ? 頼んだものって同じケーキセットじゃ……。

 そう思っていると、Mちゃんは会計を終え、「ここは私が出すよ!」と言いました。「私、N子さんに全然“課金”できてないし。N子さん、すごい買い物してるし」

 なななななななななんですって~~~~~!?!?!?!?!? ちょっと聞きました!? 奥様!!!! あたしに課金って!!!!!!!!!!(涙)

 Mちゃん……、なんていい子なんだ……。私は丁寧にお礼を言うと、必ず今度会った時にはお茶をごちそうしようと誓いました。そんなわけで、たくさんの幸せな時間を過ごし、ステディと合流。ステディに今日会ったことをいっぱい話、結婚記念(?)の指輪も見せ、その後、外苑前のイタリアンのお店に向かいました。は~~、幸せじゃ~~~!!!!!!!!!! このまま時間が止まればいいのに。そしてカードの支払いが一生来なければいいのに……。