「吉原の遊女と皇室の女官は似てる」? “下世話すぎる”昭和の皇室記事を紐解く!【日本のアウト皇室史】

  皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

“下世話すぎる”昭和の皇室記事

――この前、東京・世田谷にある大宅壮一文庫に出かけて、今から70年くらい前の皇室記事を読んだんですけど、かなりびっくりしました。タイトル「禁じられた女 皇居の奥に仕える女官の生態」ってなんだかすごいんですよ。

堀江宏樹(以下、堀江) サイゾーウーマンの編集さんって、大宅壮一文庫に出入りするんですねぇ。熱心でよろしいことです! で、「禁じられた女」かぁ……独身のまま、男性を知ることもなく、御所にて朽ち果てていくケースもあったとかそういう含みを持たせたいのでしょうか。もしくは手出し不可能な「ミカドの女たち」というようなイメージを抱かせたかったのかなぁ。意味深ですね。 

 でも、実際の内容は、小森三千代さんという、戦前戦後の一時期を皇居で「下女(げめ)」として過ごしたことのある女性のインタビュー記事。掲載雑誌を見てみて。1953年10月臨時増刊の「改造」とかいてあります。戦前の「改造」は、現在も発刊している「中央公論」とも張り合うくらい売れた雑誌ですが、この頃は廃刊も間近、発行部数は低迷していました。左翼系の「進歩的な」論調を売りにしていたのですが……。この記事も表向きは「身分の高低で人間を分断するのは、すごく非人間的な行為だ!」という論調をつらぬいているようですが、読み込むと「皇室の私生活をなんとか知りたい!! いわゆる『菊のカーテン』の向こう側に行きたい!!」といった下世話な好奇心がバリバリと感じられる内容なのですね。

――このインタビュー記事は、昭和の大ジャーナリスト・大宅壮一氏が52年に出版した『実録・天皇記』(鱒書房)という本の内容について、女官経験者の女性に真偽を問う、という内容ですね。大宅氏は「吉原の遊女と、皇居の女官が本質的に同じだ」って言い切っていて、それにこのインタビューを受けている小森さんという方も、明確に否定してないのが気になります……。ホントのところ、どうなんでしょうか?

堀江 もともと大宅壮一って「戦後、強くなったものは靴下と日本の女」みたいなことを言ってのける人ですからね。とりあえず「言っとけ」式の、今でいう炎上商法の書き手だと思いますよ。しかも、この記事が出た頃は、まだ赤線が廃止されていないので、吉原の遊女はもっとナマナマしい存在だったはず。確かに時代を下るにつれ、遊女って映画『吉原炎上』に出てくるように、「いくら豪華な衣装を着ていても、しょせんは虐げられた悲しい女たち」、みたいな存在になってしまうんですが、もともとは「フリーランスの女官」というような意味さえありました。まぁ、はるか昔、平安時代の頃の話ですが。遊女とはセクシー産業の女というより、優雅に遊んで暮らせる女というようなニュアンス。でも、彼女たちのそういう雅な生活を支えているのは、男たちの財源なんですね。

――つまり高級愛人業の女性ということ?

堀江 そうそう。想像してくださいな。お姫様として生まれても、生活のスポンサーがいなくなるケース、ありうるでしょ? つまり親が失業したり、早く死んだり、きょうだいが稼げなかったりして。そういった時に、彼女に有力な結婚相手がいなければ、お姫様としての生活が維持できなくなっちゃうんですね。容貌が悪ければ、ほかのお姫様の召使いになるしかないけど、自分に自信があれば、愛人業でもして自力で稼ぐかー! という。それが遊女。

――宮中の女官になるという選択肢もあるのに、根性はないんですか?(笑)

堀江 そうだね(笑)。でもね、平安時代、例えば紫式部とかの時代の上級女官は「女房」って呼ばれるんだけど、彼女たちには雇い主から現金支給がほぼなかった、とも言われている。

――えー! それってアウトなブラック企業と同じじゃないですか

堀江 高価な衣装とかは、仕えているお姫様が着ていたものなどを頂けて、それを現金化することはできるかもしれない。ただ、平安時代の宮廷のキャリアガールなんて見栄えはいいけど、少なくとも効率的に稼げる職場というわけではなかったと言われています。

 後の時代には、パトロンの男性に応援されながら芸能の道を続ける女性たちを、遊女と呼ぶようになりました。「芸能の道=愛人の道」、みたいな生き方になっちゃうんですけどね。そして彼女たちの多くは、女性のリーダーに率いられる形で思い思いのところに住んでいたものの、豊臣秀吉の時代にそれでは「風紀が乱れる」とのことで、一カ所に集められることになった。それが、最初に作られた京都市内の遊郭。そして、この時期以降、男性が遊女たちの統率者になるわけです。まぁね、風紀とかいっても、いろんな女性と一カ所で会える方が男性には楽だからでしょうが(笑)。その後の江戸時代には、遊女たちを男性の都合で一カ所に押し込める傾向が、さらに強くなります。当時の日本で、幕府公認の遊郭は江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町という3つだけで、各地に点在していた遊郭は、存在が黙認されているだけのモグリ営業でした。

 で、話が戻って、大宅氏が言いたかったのは「御所という閉じられた空間の中で、ミカドからいつの日か愛され、お子様を宿す幸福を待ちわびるだけが女官の生活なら、遊郭に閉じ込められ、客を待つだけの遊女と変わらないんじゃないですか~」ということみたい。そもそも江戸時代、幕府が公認した三大遊郭で働く高級遊女の営業イメージは、“大金さえ払えば”会いに行けるお姫様なんですよ。本物のお姫様には庶民は会えないから(笑)、養殖モノのお姫様=遊女で好奇心を満たす、と。

――CDに握手会の参加券を封入している、“会いに行けるアイドル的”な?

堀江 まさに。女官と遊女が同質とは、さすがに言いすぎでアウトという感じはしますけどね。

――さらに、この記事の中で大宅氏は、吉原の中で使われていた「くるわことば(廓言葉)」と、皇居(御所)で使われている「御所言葉」が本質的に同じ、みたいなことを言っているのですが。

堀江 そうですねぇ……。『実録・天皇記』を取り寄せて読んでみましたが、いかにも戦後すぐの時期に書かれた本っぽいなぁと。皇室を侮辱しただけで犯罪になる「不敬罪」が廃止されたのは47年なので、この本が出版された52年といえば、それこそ「“禁じられた”ミカドの後宮を、がっつり書いてみたいんだー!」という、ジャーナリスト魂が燃えたぎってる印象を受けます。

 さて、御所言葉の例を挙げると、われわれ庶民のことは「下方(したかた)」と言いました(笑)。「すましもの」といえば、飲み物じゃなくて「洗濯」。「おつこん」が「酒」。「おかちん」が「お餅」……などなど。確かに、吉原も御所も閉鎖的な社会ゆえに、その構成メンバー同士が小さな世界を作るので、そういう時には、言葉遣いが独特になったりするものです。ただね、安野モヨコの漫画・『さくらん』(講談社)にも出てきたけど、「私」のことを「わっち」というような吉原特有の「廓言葉」は、ナマリがきつい田舎から出てきた女の子が出自を隠すための工夫だったりしたので、御所言葉とは目的が違うかなぁ。一方、御所言葉は「われわれ女官は特別な存在でございます!」という自負だと思うんですよね。

――また、御所内で明治天皇のご側室は、“源氏名”で呼ばれていたと大宅氏は書いています。大正天皇の生母である柳原愛子(やなぎわら・なるこ)さんは「早蕨典侍(さわらびのすけ)」、竹田宮や北白川宮などを生んだ園祥子(その・さちこ)さんは「小菊典侍(こぎくのすけ)」という名前で呼ばれていたとか。このような別称は、“最上位の遊女”を意味する、吉原の「太夫(たゆう)」と同じ意味なのでしょうか。

堀江 これは、明らかに間違いです。そもそも、江戸初期をのぞき、吉原に太夫はいません。正確には最初期の吉原にはいたけど、格式が高すぎたためにお客から敬遠され、絶滅した人種です(笑)。京都の嶋原など伝統を重視する遊郭には太夫の称号は残り、高級遊女の代名詞として“太夫”が用いられました。太夫とは、芸の道を極めた存在に与えられる称号が源流です。現代でもいますよ。太夫と呼ばれるには性別は関係なく、例えば人形浄瑠璃で声を担当している男性の中でも特に“名人”とされる人は「〇〇太夫」と呼ばれますね。

 そこからも推察できると思うのですが、高級遊女のお仕事っていうのは、性を売るというより、芸能なんですわ。理想化された恋の幻想をお客に演じ、魅せてあげる“女優業”なんですね。江戸時代、女性は歌舞伎など舞台に立つことを禁じられていたので、お座敷で台本なし、濡れ場ありのお芝居をしてあげるといったイメージ。だから、高級遊女と遊ぶ代金は高かった……と。くわしくは拙著の『三大遊郭 江戸吉原・京都島原・大坂新町』(幻冬舎)をお読みください。

 で、御所における「早蕨典侍」などの源氏名が、なぜ吉原遊女の源氏名っぽいかというと、江戸城の大奥のマネをしているからなんです。それこそ「瀧山」など、大奥の女中の名前は、〇代目・瀧山というように受け継がれていくものでした。

――歌舞伎役者の名前みたいですね!

堀江 そう、まさにそういう感じ。それに対し、京都時代の御所では女性の実家の名に、女官としての役職をくっつけて、○○典侍というように呼んでおり、特に源氏名はありません。ところが一説に、300人以上いた女官たちが、京都から江戸城・大奥があった場所にお引っ越ししてくると、御所の人々も江戸の大奥の風習を引きついでしまった……という。皇后じきじきの発案だったともいわれますが、それが明治時代以降の女官にも“源氏名風”の名前が反映されたのでした。源氏名風の名前で呼ばれる高級女官たちの仕事は、天皇・皇后両陛下の生活全般を取り仕切ることです。それで月給は250円ほど。かなりの高給取りでした。

――これって、現代の金額で考えると、どれくらいの価値なんでしょうか?(笑)

堀江 現代日本の貨幣価値で月収100万円くらい。当然ですが、国民の平均給与以上です。明治30年の小学校教員のサラリーが月給8円の時代ですよ? 明治期の御所には30人以上の典侍がいたそうです。この記事「禁じられた女」で語っている小森さんは、そういう上級女官たちの身の回りのお世話などをするべく、上級女官たちから自前で雇われていた「下女(げめ)」だったわけです。小森さんのようなスタッフを雇うためにも高給だったのでしょう。
そして、このような高級女官たちの中に天皇と秘密のロマンスを経験、お子様を授かる方もいた……ということなんですね。

――そんなにもお給料が高かったら、志望する女性も多そうですね。

堀江 第二次世界大戦以前の上級女官、もしくは上級女官を目指す人々は、だいたいが公家や武家など身分の高い家に生まれた、若い独身女性です。御所にあがるには、まずツテがなくてはいけません。「叔母がかつて女官としてお勤めしていた」というような“コネ”ですね。御所からお声掛かりを受けた後、臨時採用、試用期間を経て、本採用といった流れ。ヘタしたら、生涯の全てを御所の奥で過ごすことに。女官とは「“秘密”の『菊のカーテン』の向こう側で全人生を送ってもよい」、そういう覚悟なくして就けない仕事だったということですね……。

――そこらへんもなんだか大奥っぽいですね。現代の天皇家の歴史について書かれた本と比べると、『実録・天皇記』はあきらかにスタンスが違うように感じました。

堀江 「戦後のドサクサにまぎれて出しました感」があって、そこらへんはスリリングで面白い。秋篠宮邸に出かけ、悠仁親王に歴史の出張授業も行っている、昭和史研究家で作家の半藤一利氏いわく、『実録・天皇記』は大宅壮一の本の中でも一番、“面白い”のだそうですよ。大宅氏本人にもそう伝えたそうです(笑)。ただ、大宅氏の分析には、戦前は絶対タブーとされてきた天皇の私生活などのテーマをとにかく面白く読んでもらうため、炎上商法に似た「言い捨て」が目立ちます。歴史的な背景はそこまで考察されていない感じはしましたね。

――次回は、11月30日更新予定。「肉食天皇」こと明治天皇時代の御所内での“禁断の人間関係”についてお伺いします。

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。Twitter/公式ブログ「橙通信

「あなたは何もできない」蘇った母の呪縛――老母と暮らす50歳の娘の苦悩

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 あなたは、母親のことが好きですか――? 

 自信を持って「好き」と言える人がどれだけいるだろう。それでも、はっきり「嫌い」と言える人はまだ幸せだ。「母が好きになれない」という思いを抱えながら、母親との距離をうまくとることができずに苦しんでいる娘は少なくない。まして、母親が年老いていくと、否が応でも距離を縮めざるを得なくなる。

 そんな「母娘」の関係を打ち明けてくれたのは、稲村幸助さん(仮名・52)だ。

夫の死後、義父母を見送った妹は無一文で放り出された

 稲村さんは、公認会計士として独立して10年ほど。大きなクライアントも多く、経営は順調だ。二度目の結婚をした15歳年下の妻と、まだ幼い娘がいる。前妻との間にできた娘との関係も良好だ。

 順風満帆と言いたいところだが、ひとつだけ頭を悩ませていることがある。82歳になった母親と妹の真知子さん(仮名・50)との関係だ。

「二人の仲が悪いんです。一緒に住んでいるんですが、まるで高校生の娘に対するように妹の生活に口を出しては、『帰りが遅い』とか『女が飲みに出かけるなんて、とんでもない』とか文句を言ってはケンカになる。そのたびに私が呼び出されて仲裁をしないといけなくなるのが困ったものでして」

 真知子さんは30代で夫と死別した。結婚していたときは、東北地方で夫の両親と同居していたのだが、この夫がどうしようもない“ボンクラ”だったという。

「職も転々とするし、妻子がありながら出会い系サイトに登録する。ギャンブル好きで、借金まで抱えていました。フラっと家を出たまま帰らなくなって1年ほどたったころ、警察から死んだと連絡が来たんです。いわゆる孤独死ですよ。だからそのときも誰も悲しまなかったし、むしろホッとしたくらいなんです」

 それまでも、その“ボンクラ亭主”があてにならないので、一家は舅の収入で暮らしていたという。だから、夫が亡くなっても真知子さんの生活はそれまでと大して変わらなかったし、夫が生きていた頃より平穏な生活を送っていたのだ。

 それからさらに10年ほどの間に、真知子さんは老いた舅姑を献身的に介護して見送った。そこまではよかった。

 ところが、嫁である真知子さんに舅姑の遺産は1円も入らなかった。「ボンクラ亭主が先に死んだことが、こんな結果になるとは」と稲村さんは苦笑する。

 当時、真知子さんには大学生の息子がいた。舅の孫である息子に、大学に通い続けられる程度の遺産が入ったことはせめてもの救いだったが、真知子さんには貯金も生活力もない。これからの生活を考えた稲村さんは、自分と母親が住む関西に戻らないかと提案した。

「母も年を取ってきたので、母のために買ってあったマンションで同居すればいい。そして、母のことを見てくれれば私も安心だと思ったんです」

 稲村さんの母親も、真知子さんほどではないが似たような経緯をたどっていた。父親が亡くなったとき借家住まいだったため、住み続けることができなくなったのだ。そこで稲村さんはマンションを買って、そこに母親を住まわせたというわけだ。真知子さんが同居するくらいの部屋はあるので、そこで暮らせばいいと考えたのだ。

 稲村さんの提案を受け、真知子さんは母親と同居することになった。これで一件落着。母親の老後も安心――と、思った稲村さんだったが……忘れていたのだ。母親の性格を。

「母は昔から『あなたのためだから』と、子どもを自分の言いなりに育ててきました。とにかく常に自分を優先して考える人だったので、子どもを自分の思い通りにしたかったんでしょう。子どもの頃から、習い事も勉強も、進学先も母の言うとおりにしてきたのですが、私は幸か不幸かちょっと出来がよかった。学校や塾での勉強内容が母の手に負えなくなって、母から解放されたんです。そして大学に入学と同時に家を離れたので、母の呪縛から完全に解かれました」

 ところが真知子さんは勉強ができる方ではなかった。そのうえ自己主張したり反抗したりできるような性格でもなかったので、結婚するまでずっと母の敷いたレールを走るしかなかったという。

「『あなたは何もできないんだから』という母の言葉に縛られて、自分でものごとを考えて判断する力がなくなっていったんでしょう。それで、良く言えば辛抱強くなったので、ボンクラ亭主や義父母にも従うことができたともいえるんですが……」

 真知子さんは判断力や生活力が身につかないまま結婚し、夫や義父母が亡くなると住むところもなくなり放り出された。母親の犠牲者だともいえるだろう。

 稲村さんは、そこに救いの手を伸ばした。

 少なくとも、稲村さんはそのつもりだった。

――つづきは11月24日(日)公開

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ

明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
介護施設は虐待が心配――生活が破綻寸前でも母を手放せない娘
父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

“ハプニングバー”好き有名人と不倫――「紅白歌手・Xに会える」と信じたアラフォー女の「ストーカー裁判」

 殺人、暴行、わいせつ、薬物、窃盗……毎日毎日、事件がセンセーショナルに報じられる中、大きな話題になるわけでもなく、犯した罪をひっそりと裁かれていく人たちがいます。彼らは一体、どうして罪を犯してしまったのか。これからの生活で、どうやって罪を償っていくのか。傍聴席に座り、静かに(時に荒々しく)語られる被告の言葉に耳を傾けると、“人生”という名のドラマが見えてきます――。

【#004号法廷】

罪状:ストーカー行為等の規制等に関する法律違反、脅迫
被告人:A美(アラフォー?)

 女性が起こしたストーカー事件……まさにサイゾーウーマン読者が興味津々なテーマじゃないですか!? どうしても席を確保したくて(満席になると法廷に入れません。立ち見不可)、開廷より30分も早く傍聴席へ着席。待ったかいあって、ゴシップ好きにはたまらない“特ダネ”まで仕入れることができました。

<事件の概要>

 被告・A美と原告の「彼」が初めて会ったのは、平成19年(詳細時期不明……)。銀座でホステスをしていたA美のクラブへ、タニマチに連れられて来店した“有名人”が「彼」だった(珍しく原告の名前が伏せられていたのは、なんと「彼」が“芸能人”だから……らしい!)。

 出会ったその夜、アフターでいきなり“ハプニングバー”に連れて行かれ、「彼」にレイプされたA美(過去にも別の男にレイプされたことがあり、それが原因でPTSDを発症したとのこと)。「(A美の)婚約者に(俺たちが付き合っていることを)バラす」と脅されたため、2カ月に1度の頻度で「彼」と会うことに。

 同年12月にA美は結婚、なぜか披露宴には「彼」を招待した。結婚後も、平成24年頃まで「彼」からメールで呼び出され、「招待状で住所を知られていたので、しぶしぶ」年に数回会う関係が続く。「タニマチと『彼』のY県ツアーに同行したら、打ち上げが乱交パーティーになっていてびっくりした」など、A美からは「彼」が音楽関係者であることを匂わせるエピソードがチラホラ。

 平成25年から3年ほど、A美と「彼」は会うことがなかったが、平成28年、A美は愛犬の死をきっかけに、「彼」との連絡を再開。そのとき、お互い既婚者だったものの、A美は「家庭を壊さず、恋人として思いやりながら過ごせたら」という気持ちだったとか。一方「彼」は行きつけの店で、「俺たちダブル不倫なんだ」と堂々と公言していたという。

 この頃は月に3〜4回のペースで「彼」と会い、デート先はハプニングバーやカラオケ、居酒屋、パチスロなどだったと明かすA美。ちなみに、弁護側が提出した証拠には「ハプニングバーの会員証」が6枚もあるとか。A美の証言によると、「彼」は「自分の女がほか(の男)とヤッていて興奮する性癖だから」ハプニングバーによく行く、とのこと。

 さらに「彼」は、A美がハプニングバーで一晩のうちに5人の男とセックスしたら「X(『NHK紅白歌合戦』に出演したこともある国民的ミュージシャン)の楽屋に連れていってやる」と、約束したそう。A美はXの大ファンで、証言台では「Xさんは神様のような存在です!」とハイテンションに。A美は頑張って「彼」からの“課題”をこなし、Xに会うため、「彼」と一緒にわざわざF県まで遠征。しかし、結局Xには会わせてもらえず……。A美は証言台で「ファンレターまで書いたのに……あぜんとしました」と、肩を落とした。

 平成31年(令和元年)に入ってから、A美と「彼」はケンカが増えたそう。「彼」の金払いの悪さや、ハプニングバーでのプレイ強要、ラブホテルから1人で帰ってしまう(当然、料金は出さない)など、ケンカの原因はいろいろあったようだが、A美の中では「Xに会わせてもらえない問題」が尾を引いていた。

 この頃、「彼」とのケンカで泣いてばかりいたというA美は、気分障害で通院。しかし、証言台で「優しいところはありました。メールにいっぱい“ハート”をつけてくれるところとか……」と、「彼」のことをノロケるA美。「(自分が有名人だからといってA美を)捨てませんよ」「ダメ人間だけどずっと一緒にいたい」といったメールを、「彼」はハート付きで送ってきたという。

 そこはかとない“クズ男”感が漂う「彼」ですが、ここまでされても「優しい」と評するA美。どっぷりと“2人だけの世界”に浸かっているようでした。しかし、関係が悪化したことにより、A美は「彼」に“ストーカー”として扱われることに……。

 令和元年5月31日、待ち合わせていたパチスロ店に「彼」が来ない。A美は怒りのメールを送り、「彼」のマンション近くにある「日高屋」で朝まで待つも、返信はナシ。怒りのあまり、以前プレゼントされた白い腕時計を、「彼」の自宅ポストに投げ入れて帰る。6月1日、「彼」は酔いつぶれて昼まで寝ていたとわかり、仲直り。

 6月3日、「彼」が「見たこともないぐらいの暗い顔をしていたので」A美が理由を聞いたところ、「6月1日から妻に口を聞いてもらえない」とのこと。このあたりから、「彼」がよそよそしくなったとA美。メールの“ハート”が減ったどころか、返信そのものが激減したそう。

 6月10日、まもなく行われるXのライブに備え、オールで“一人カラオケ”をしていたが、A美は彼との関係が不安になってマンションの前まで行ってしまう。連絡をしたところ、「彼」からは「帰ってください」という返信が。ショックのあまり、今度は「富士そば」で返信を待っていたら、「彼」から「怖くてもう2人では会えません。警察を呼びますよ」とメールが届く。

 「警察」というワードにさらなるショックを受けたA美は、「『彼』に騙されていた?」と思い至る。ハプニングバーでの痴態など、今まで受けた辱めがよみがえり、A美は「消えたい」という思いにとらわれる。いったん帰宅して数珠と睡眠薬を持ち、再びカラオケの個室にこもって遺書を書いたA美。そして、タクシーで「彼」のマンションへ向かったところ、エントランスで待っていた警官に身柄を確保、勾留された。A美いわく、「別れるなら会って話し合いたいと思っただけ」だったそう。

有名人だから「“お咎め”なし」なのか

 A美は証言台で、「別れ話の代わりに警察に突き出して逃げるのは、有名人だから? 守られて何のお咎めもない」「ペナルティが不釣り合いでは?」と主張していました。この10年間、「彼」が“有名人”であることを配慮して事を公にすることはなかったし、「彼」が街なかで囲まれた時には「違いますよ!」と言って、ファンから守ったこともあったというA美。確かに、傍聴している限りでは、「女性加害者のストーカー事件」というより、「恐妻家のクズ男がセフレ切りに失敗してヘタ打った事案」としか思えません。

 それに、A美の証言がすべて真実であるならば、そもそも「彼」は“レイプ犯”であり、裁かれるべき“被告”ではないでしょうか。「ペナルティが不釣り合いでは?」というA美の素直な疑問に対し、司法はどのような答えを出すのか。芸能ゴシップニュースとしてだけではなく、身近な問題の一つとして、よく考えねばならないと感じます。

 自ら通報したことで裁判になり、“ハプバー好き”が公文書に残されてしまった「彼」。裁判の中で正体が明かされることはありませんでしたが、近いうち、ビッグニュースが舞い込むかもしれませんね。
(オカヂマカオリ)

“ハプニングバー”好き有名人と不倫――「紅白歌手・Xに会える」と信じたアラフォー女の「ストーカー裁判」

 殺人、暴行、わいせつ、薬物、窃盗……毎日毎日、事件がセンセーショナルに報じられる中、大きな話題になるわけでもなく、犯した罪をひっそりと裁かれていく人たちがいます。彼らは一体、どうして罪を犯してしまったのか。これからの生活で、どうやって罪を償っていくのか。傍聴席に座り、静かに(時に荒々しく)語られる被告の言葉に耳を傾けると、“人生”という名のドラマが見えてきます――。

【#004号法廷】

罪状:ストーカー行為等の規制等に関する法律違反、脅迫
被告人:A美(アラフォー?)

 女性が起こしたストーカー事件……まさにサイゾーウーマン読者が興味津々なテーマじゃないですか!? どうしても席を確保したくて(満席になると法廷に入れません。立ち見不可)、開廷より30分も早く傍聴席へ着席。待ったかいあって、ゴシップ好きにはたまらない“特ダネ”まで仕入れることができました。

<事件の概要>

 被告・A美と原告の「彼」が初めて会ったのは、平成19年(詳細時期不明……)。銀座でホステスをしていたA美のクラブへ、タニマチに連れられて来店した“有名人”が「彼」だった(珍しく原告の名前が伏せられていたのは、なんと「彼」が“芸能人”だから……らしい!)。

 出会ったその夜、アフターでいきなり“ハプニングバー”に連れて行かれ、「彼」にレイプされたA美(過去にも別の男にレイプされたことがあり、それが原因でPTSDを発症したとのこと)。「(A美の)婚約者に(俺たちが付き合っていることを)バラす」と脅されたため、2カ月に1度の頻度で「彼」と会うことに。

 同年12月にA美は結婚、なぜか披露宴には「彼」を招待した。結婚後も、平成24年頃まで「彼」からメールで呼び出され、「招待状で住所を知られていたので、しぶしぶ」年に数回会う関係が続く。「タニマチと『彼』のY県ツアーに同行したら、打ち上げが乱交パーティーになっていてびっくりした」など、A美からは「彼」が音楽関係者であることを匂わせるエピソードがチラホラ。

 平成25年から3年ほど、A美と「彼」は会うことがなかったが、平成28年、A美は愛犬の死をきっかけに、「彼」との連絡を再開。そのとき、お互い既婚者だったものの、A美は「家庭を壊さず、恋人として思いやりながら過ごせたら」という気持ちだったとか。一方「彼」は行きつけの店で、「俺たちダブル不倫なんだ」と堂々と公言していたという。

 この頃は月に3〜4回のペースで「彼」と会い、デート先はハプニングバーやカラオケ、居酒屋、パチスロなどだったと明かすA美。ちなみに、弁護側が提出した証拠には「ハプニングバーの会員証」が6枚もあるとか。A美の証言によると、「彼」は「自分の女がほか(の男)とヤッていて興奮する性癖だから」ハプニングバーによく行く、とのこと。

 さらに「彼」は、A美がハプニングバーで一晩のうちに5人の男とセックスしたら「X(『NHK紅白歌合戦』に出演したこともある国民的ミュージシャン)の楽屋に連れていってやる」と、約束したそう。A美はXの大ファンで、証言台では「Xさんは神様のような存在です!」とハイテンションに。A美は頑張って「彼」からの“課題”をこなし、Xに会うため、「彼」と一緒にわざわざF県まで遠征。しかし、結局Xには会わせてもらえず……。A美は証言台で「ファンレターまで書いたのに……あぜんとしました」と、肩を落とした。

 平成31年(令和元年)に入ってから、A美と「彼」はケンカが増えたそう。「彼」の金払いの悪さや、ハプニングバーでのプレイ強要、ラブホテルから1人で帰ってしまう(当然、料金は出さない)など、ケンカの原因はいろいろあったようだが、A美の中では「Xに会わせてもらえない問題」が尾を引いていた。

 この頃、「彼」とのケンカで泣いてばかりいたというA美は、気分障害で通院。しかし、証言台で「優しいところはありました。メールにいっぱい“ハート”をつけてくれるところとか……」と、「彼」のことをノロケるA美。「(自分が有名人だからといってA美を)捨てませんよ」「ダメ人間だけどずっと一緒にいたい」といったメールを、「彼」はハート付きで送ってきたという。

 そこはかとない“クズ男”感が漂う「彼」ですが、ここまでされても「優しい」と評するA美。どっぷりと“2人だけの世界”に浸かっているようでした。しかし、関係が悪化したことにより、A美は「彼」に“ストーカー”として扱われることに……。

 令和元年5月31日、待ち合わせていたパチスロ店に「彼」が来ない。A美は怒りのメールを送り、「彼」のマンション近くにある「日高屋」で朝まで待つも、返信はナシ。怒りのあまり、以前プレゼントされた白い腕時計を、「彼」の自宅ポストに投げ入れて帰る。6月1日、「彼」は酔いつぶれて昼まで寝ていたとわかり、仲直り。

 6月3日、「彼」が「見たこともないぐらいの暗い顔をしていたので」A美が理由を聞いたところ、「6月1日から妻に口を聞いてもらえない」とのこと。このあたりから、「彼」がよそよそしくなったとA美。メールの“ハート”が減ったどころか、返信そのものが激減したそう。

 6月10日、まもなく行われるXのライブに備え、オールで“一人カラオケ”をしていたが、A美は彼との関係が不安になってマンションの前まで行ってしまう。連絡をしたところ、「彼」からは「帰ってください」という返信が。ショックのあまり、今度は「富士そば」で返信を待っていたら、「彼」から「怖くてもう2人では会えません。警察を呼びますよ」とメールが届く。

 「警察」というワードにさらなるショックを受けたA美は、「『彼』に騙されていた?」と思い至る。ハプニングバーでの痴態など、今まで受けた辱めがよみがえり、A美は「消えたい」という思いにとらわれる。いったん帰宅して数珠と睡眠薬を持ち、再びカラオケの個室にこもって遺書を書いたA美。そして、タクシーで「彼」のマンションへ向かったところ、エントランスで待っていた警官に身柄を確保、勾留された。A美いわく、「別れるなら会って話し合いたいと思っただけ」だったそう。

有名人だから「“お咎め”なし」なのか

 A美は証言台で、「別れ話の代わりに警察に突き出して逃げるのは、有名人だから? 守られて何のお咎めもない」「ペナルティが不釣り合いでは?」と主張していました。この10年間、「彼」が“有名人”であることを配慮して事を公にすることはなかったし、「彼」が街なかで囲まれた時には「違いますよ!」と言って、ファンから守ったこともあったというA美。確かに、傍聴している限りでは、「女性加害者のストーカー事件」というより、「恐妻家のクズ男がセフレ切りに失敗してヘタ打った事案」としか思えません。

 それに、A美の証言がすべて真実であるならば、そもそも「彼」は“レイプ犯”であり、裁かれるべき“被告”ではないでしょうか。「ペナルティが不釣り合いでは?」というA美の素直な疑問に対し、司法はどのような答えを出すのか。芸能ゴシップニュースとしてだけではなく、身近な問題の一つとして、よく考えねばならないと感じます。

 自ら通報したことで裁判になり、“ハプバー好き”が公文書に残されてしまった「彼」。裁判の中で正体が明かされることはありませんでしたが、近いうち、ビッグニュースが舞い込むかもしれませんね。
(オカヂマカオリ)

「保育士が1年で5人退職」「子どもが情緒不安定に」ママ友LINEを騒がせた、保育園の一大事

今や日常生活において、かかせないツールとなっているコミュニケーションアプリ「LINE」。かつては子どもの送迎時に、ママたちが立ち話をしているような光景が見かけられたが、時間に追われ忙しく過ごす共働き世帯が増えた今、ママたちのコミュニケーションの場は、LINEのグループチャットになっているという。そんな、ママたちの「グループチャット」から浮き彫りになった、彼女たちの悩みや、苦悩、気になる話題を覗いてみる。

 新聞やニュースなどでたびたび取りざたされている「保育士不足問題」。シフト制のため自由に休みが取りづらく、残業や持ち帰りの作業も多いといい、離職率が高いのだそうだ。一方で、保育士の相次ぐ退職は「不都合ばかりが生じる」と、子どもを預ける側のママの悩みの種にもなっているという。

 奈々子さん(仮名)は、2歳になる女児を都内にある認可保育園に通わせている。この保育園は、1年前に認証から認可に移行した園だという。

「認可に移行したものの、基本的には、0歳児クラスからのお友達と一緒にそのまま園に残ることができました。ただ、保育士さんの入れ替わりが激しく、動揺しています……」

 彼女は、それまで見てもらっていた保育士にも残ってもらいたかったが、さまざまな理由で退職していったと語る。

「認証では、入園にあたり、保育園と保護者が直接契約を結ぶため、園長が入園希望の子どもと保護者を、一人ひとり面接していたんです。しかし、認可になると、直接契約ではなくなるので、これまであまり園にはいなかったような……例えば、すぐ手が出てしまうような気性の荒い子どもなども入園してきて、保育士さんが対応に困るようになったみたいで。また、保育士さん1人で見なければいけない子どもの数が増えたため、それが負担になったのか、退職者が続出してしまいました」

 同園のママ友とのグループチャットは、一時期その話題で持ちきりだったという。

「認可に移行して1カ月で1名、3カ月でまた1名と、1年で5名も保育士さんが辞めていきましたね。うちのクラスの担任を持っていた20代の保育士さんも急に辞めてしまって、ママ友とのチャットは大騒ぎに。結局、ほかのクラスを受け持っていたベテラン女性保育士が、代わりに担任になったのですが、副担任が男性保育士さんだとわかると、またチャットがザワつきました。2歳児はまだおむつ替えの必要があり、またトイレトレーニングの真っ最中なので、『男性保育士にちょっと抵抗を感じる』『低年齢クラスを受け持つとは思わなかったね』と、漏らすママが出てきたんです。園や本人に対しては言えないので、チャットで気持ちを共有していました」

 また、奈々子さんの娘と同じクラスの男児の中には、早生まれのため、自分の気持ちを言葉で表すのがまだうまくできないという子もいたという。彼は、急な担任の変更に戸惑い、毎朝「登園拒否」を繰り返しているそうだ。

「朝になって、子どもを自転車に乗せようとすると『いやー、いやだ』と泣いてぐずるそうです。その子は、指をしゃぶる癖がまだ抜けなかったといいますが、よく見ると爪を噛んでいて、爪がズタボロになっていたとも聞きました」

 ママ友から、「息子がぐずっているのだけれど、どうしよう」というような相談メッセージがたまに送られてくると、奈々子さんは言う。

「また年内に1人保育士を辞めそうなんですよね……。子どもの中には、保育士さんを『もう一人のお母さん』のようにとらえてる子もいます。そんな子にとって、慕っていた保育士さんが突然いなくなるというのは、大きなストレスになるのでは。『担任が変わった』という事情をうまく飲み込めず、じっと椅子に座っていられなくなったり、大声を出すようになったり、情緒が不安定になる子も実際にいるんですよ。年齢が上がれば、そういう傾向はなくなるかもしれないのですが、まずは保育士を辞めない職場環境を作ってもらいたいです」

 都内で2歳になる男児を育児中の満里奈さん(仮名)は、子どもを「家庭的保育事業」と呼ばれる、「保育者一人につき子どもが3人まで」という小規模な保育所に預けている。3歳の誕生日を迎える年には退園しなければならないため、現在は二度目の保活中だという。

「0歳児の時には、希望した園に入れなかったのですが、小規模保育所に空きが出て繰り上げで入園できました。『とりあえず、2歳になったらまた探せばいいや……』と思っていたのですが、小規模保育所の保育者の方がすごく面倒見がよかったので、大型保育園に預けるのが怖くなってきているんです」

 同じように小規模保育所に通っているママ友や、認証から認可保育園への転園を希望しているママ友と、チャットで「満2歳児向けの保活情報」を交換しているそうだ。

「ママ友から、東京都が提供している子育て施設のポータルサイト『こぽる』を教えてもらいました。そこで保育園情報の詳細を見られるのですが、保育士や嘱託医などの平均勤続年数も閲覧できるんです。例えば『保育士:5年』と記入されている園もあれば、『主任保育士』なのに平均勤続年数が『1年』だったり、はたまたまったくの空欄だったりと、かなりバラバラ……。『勤続年数が空欄の園には希望を出さない!』というママ友もいるので、どこの園にしようか迷っています」

 事前に、園の見学を受け入れている施設もあるが、保育士の勤続年数や「入れ替わりが激しいかどうか」はわからない。このような情報開示は、選ぶ側の保護者にとって、「安心して子どもを預けることができる園なのかどうか」の参考になると言える。

「保育園の前を通ると、保育士を募集しているかどうか確認するようになりました。いつも募集中の園だと、せっかく入園させても、すぐに先生が変わるのかなと気になりますね。それをママ友とチャットで情報交換するようにしています」

 保育園の保育士よりは、入れ替わりが少ないといわれる幼稚園教諭。しかし、女性ならではの理由で急な担任の変更もあるという。

 都内で5歳になる男児を育児中の十和子さん(仮名)は、地元の寺院が運営している幼稚園に子どもを通わせている。古くから開園している歴史ある園で、先生たちの年齢層も高く、落ち着いた雰囲気が気に入っていたそうだ。

「年中クラスの副担だった20代の女性が、今年持ち上がりで年長の担任を持つことになって、子どもも喜んでいたんです。しかし、春頃から急な欠勤が目立つようになり、ママ友の間でも『体調不良かな』と話題になっていました。すると、すぐに担任から副担になり、最後は補助という形になって週に数回ほどの勤務になったのですが、どうも妊娠したようだったんです」

 ママたちとのグループチャットでは、先生の休みがちになった当初、「体調不良だとしても、ちょっと無責任じゃない?」などと苦言を呈する人もいたという。

「でもその後、妊娠だとわかると、チャットも穏やかな雰囲気になりました。理由がわからないうちに、先生や園を責めるような内容は送らないようにしようって思いましたね。LINEだと、表では言えない本音を、つい漏らしちゃうこともあるから……」

 保育園で働く側にも事情があるとは理解しているものの、担任の交代や保育士の退職は、預ける側にとっては不安のもととも言える。入園前に保育園の内部情報がわかるような仕組みや、保育士が働きやすい環境づくりを実現してほしいものだが……。
(池守りぜね)

東京五輪「マラソン・競歩」開催地の札幌、夏は本当に涼しいんですか?

 「わざわざ調べるほどじゃないけど、なんか気になる」「知らなくても損しないけど、どうせなら覚えておきたい」……日常にあふれる“素朴なギモン”、ズバッと聞いてきました!

 2020年7月24日~8月9日に開催される、東京オリンピック。競技の一つである「マラソン」「競歩」の開催地について、国際オリンピック委員会(IOC)は10月16日、突然「マラソンと競歩の会場を札幌に移すことを計画している」と言いだし、日本中が混乱している。

 変更が検討された背景には、今年9月27日にカタール・ドーハで行われた『第17回 世界陸上競技選手権大会』の女子マラソンで、深夜スタートにもかかわらず、気温32.7度・湿度73.3%という過酷なコンディションの中、出場選手の4割超が“棄権”する事態に発展したことが挙げられる。今年も猛暑が続いた東京で同じことをやったら、この悲劇が繰り返されると考えたのだろう。エライ人たちがいろいろと揉めたようだが、結局、11月1日に札幌開催が正式に発表された。

 「7・8月の東京、絶対暑いでしょ!」という主張はその通りなのだが、「北海道なら、涼しいんじゃね?」となるのは、ちょっと単純すぎやしないだろうか。今年7月24日~8月9日の札幌市の気温を見ると、最高気温はもっとも低くて25度、もっとも高くて34.2度あり、30度超えの“真夏日”は8日もある。いや、なんか普通に暑そうなんですけど。

 そこで、札幌を中心に活動し、今年8月25日に開催された『北海道マラソン2019』にも参加した、「札幌ランニングチーム side-B」の代表・下山貴弘さんに話を聞いた。

「7月末から8月頭の札幌って、実際暑くないですか?」

下山さん 7月~8月の頭は、札幌も1年で一番暑いときなので、あまり外では走らないという方が多いです。特に最近は湿度も高く、ムシムシしていると感じますよ。『北海道マラソン2019』の練習として、屋外で走りましたが、個人的には決して走りやすい気候ではないと思います。

 や、やっぱりそうなのか……。数字のデータ以上に、現地の声には説得力がある。さらに聞けば、このランニングチームには「東京から毎年『北海道マラソン』に参加している」「東京から転勤して札幌に住んでいる」といったメンバーがいるそう。

――その方々は、「夏の札幌は走りやすい」という印象を持っているのでしょうか?

下山さん 彼らいわく、「真夏の東京で日中に走るのは、命の危険を感じる」そうです。 日の出とともに猛烈な暑さになるので、東京オリンピック期間に外を走るのは、ほとんど無理でしょう。「それに比べれば、札幌の暑さは“ただ暑い”だけ」と言っていました(笑)。

 なるほど、IOCの判断も大間違いではなかったと言えるが、それにしたって「東京に比べればマシ」なだけで、札幌も決して走りやすい気候ではなさそうだ。

 ランナーの方にちょっと話を聞けば、「札幌なら涼しいでしょ!」という考えに至らないはずだが、IOCは彼らになんの相談もしなかったのだろうか? いや、こんなにも大きな組織が、独断と偏見で開催場所をコロコロ変えるはずはあるまい! そこでさらに、IOCのトーマス・バッハ会長が「(マラソンコースの)発着点とする意向を示している」とされた、札幌ドームにも話を聞いてみた。

「7月末から8月頭って、札幌は暑くないんですか?」

札幌ドーム広報担当者(以下、担当者) 東京に比べたら涼しいとは思いますが、感じ方は人ぞれぞれですので……。それにこちらは、天気の専門家ではないので、毎年どれくらいの気温かなどは、把握しておりません。

 ハイ、おっしゃる通り。体感は人それぞれ! 専門家じゃないのでわからない! 終了! ……では質問を変えて、IOCから発着点についての相談があったのかどうか聞いてみた。

担当者 その件に関しては、弊社の方には連絡いただいてないです。

――じゃあ、バッハ会長が勝手に言ってたってことですか?

担当者 わたくしどもには、何もわからないところで話が進んでいる状況です。

――連絡くらいはしてくれるのかと思ってました。

担当者 報道で知りまして、大変驚きました。

 なんとまあ、ひどい話だろう。しかも結局、札幌ドームは「大規模な工事が必要となり、費用や工期の面など」で発着地点にするのは難しいと判断され、大通公園にする方向で、準備が進められているとのこと。振り回されっぱなしの札幌ドームさん、本当にお疲れさまです。

 「マラソン」「競歩」の開催地が変更されたことで、「市として断るべき」「恥知らず」といった“苦情”が、札幌市に届いているという。一切の相談なく勝手に決められたのに、なんで札幌の人たちは、こんなことを言われにゃならないのか……。気候のことは人間にどうすることもできないけど、「来年の札幌は少しでも涼しくなりますように」と願わずにはいられない。
(有山千春)

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心屋仁之助氏・デューク更家氏も出演――スピリチュアルイベント『龍の日』で目撃した一部始終

 誰にでも、心が弱ってしまう時はあります。救いを求める先が、信頼できる家族や友人ではないこともあるでしょう。「こうすれば幸せになる」と語りかける心理カウンセラー、スピリチュアリスト、霊能力者。彼らを見ていると、「私を救ってくれそう」「この人たちのようになれるかも」と、次第にそんな気持ちが膨らみ……ちょっと待って! それ、本当に信じて大丈夫? スピリチュアルウォッチャー・黒猫ドラネコが、無責任なことばかり言っている“教祖様”を、鋭い爪でひっかきます。

 先月、台風や豪雨が全国各地で猛威を振るいました。被害に遭われた方々に、心からお見舞い申し上げます。私が観察している“怪しいスピリチュアル”界隈には、台風が来ると「白龍が来た」などと騒ぐ連中がいます。どうやらここ最近、彼らのトレンドは「龍」のようなのです。

 昔から界隈で人気のあるモチーフではありますが、最近は特によく目につきます。その発端とまでは言い切れませんが、ブームを過熱させたのはおそらく、“ウォーキング健康法”で一世を風靡した、デューク更家氏でしょう。

 昨年11月には、『お金持ちになれたのは龍のおかげ』(宝島社)という著書を出版。“スピ好きカミングアウト”ともいえるこの一冊には、良くも悪くも注目が集まりました。アマゾンの内容紹介によると、デューク氏は「幼いころから『龍』と交信をしていました」とのこと。この本を読めば、「龍を自分の中に呼び込んで、人生が激変」する方法がわかるようです。神秘的な(胡散臭い)魅力と、天災が多かったことの畏れが相まって、この1年でじわじわと「龍」を持ち出す人が増えたと思われます。

 そんなデューク氏は、今月11月3日に東京・銀座の時事通信ホールで行われた『龍の日』なるイベントに出演。フライヤ―を見ると、「龍に興味がある人 龍の運気にあやかりたい人 名前に龍が付く人 龍の地名に住んでいる人 とにかく龍好き!! THE・ハッピーエンターテイメント 2020年に向けてパワーアップ1Day!」と書かれていますが、一体何の目的で開かれたイベントなのかは不明。その他、スピ界隈から絶大な支持を受ける、心理カウンセラー・心屋仁之助氏や、お笑い芸人・楽しんご氏、アニメソング歌手の高橋洋樹氏ら、多種多様なゲストが登場するとの告知も。私としても無視するわけにはいかず(?)、少しだけ会場に潜入してきました。

デューク更家氏の妻は“心屋信者”

 このイベントは、ゲストのトークショーが行われるステージと、物販ブース等がある展示会場に分かれており、展示会場は無料で出入り可能。トークショーは登壇者ごとにチケットを購入する必要があり、全ステージを前方の席(プレミアムシート)で見る場合、ちょうど5万円になる計算です。

 私は午前中のメインステージへ潜入し、デューク氏と心屋氏の“初対談”を見てきました。そこで語られた話によると、デューク氏の奥様が心屋氏の大ファンらしく、お互いに存在を認識していたようです。心屋氏に龍は見えないとのことでしたが、一方で「8歳の頃から見える」と話すデューク氏。さらに、ふくよかなおなかを指さして「ここにも龍がいる。触った人は運気が上がる」と、軽快なトークを展開します。小鳥のような龍の鳴き声、得意な歌謡曲の一節などを披露し、デューク氏は200人以上集まった聴衆を喜ばせていました。

 本当にデューク氏に龍が見えているのか……私には否定も肯定もできませんが、過度にビジネスへ絡めることなく、イベントでの“話術”として使えば、スピ好きな人を大いに楽しませてくれるでしょう。降壇後、彼をロビーで見かけましたが、ファンから握手や撮影を求められても気さくに応じ、残りのステージを見るため椅子を勧めるスタッフに「お客さんの邪魔になるから、後ろのほうで立って見るよ」と優しく告げるなど、いい意味で、そのへんの“教祖様”と風格の違いを感じました。

 さて、ここからが本題です。今回のイベントで私が最も注目したのは、SHINGO氏という男性。なんと肩書は「龍使い」です。SHINGO氏は、14年間勤めた上場企業を過労とストレスにより退社し、高野山奥で「龍神」と出会い、それをきっかけに「龍が視える」ようになったそう。『龍の日』公式サイトのプロフィールを見ると、「最近は自身が『龍』であったことに目覚め、ますます高次元のエネルギー体との共同創造に拍車がかかる」と書かれており、「現在はセミナーや個人セッションを中心に龍のエネルギーを活かして、本来の自分を生きる『真の龍遣い(ドラゴンマスター)』の育成に力を入れている」(すべて原文ママ)と、彼の“活動”も紹介されています。

 いやはや、「龍が視える」という設定まではまだ、スピ好きが食いつくフレーズとしてグッと笑いをこらえられますが、「最近は自身が『龍』であったことに目覚め」「エネルギー体との共同創造に拍車がかかる」というあたりは、さすがにツッコミを禁じ得ません。「最近、運動不足だからジム通い始めてさ~」的なノリで大真面目にこれを言えるのですから、感動すら覚えます。

 ちなみにこの人も、怪しいスピリチュアル界隈御用達の“Ameba公式ブロガー”。ブログ更新を知らせてくれるLINEに登録したところ、「龍と仲良くなれる」方法として、「龍の置物を飾る」「龍に感謝する」といった、誰でも言えそうなメッセージが届いて笑いました。

スピリチュアリスト・happyの「付き人」だった過去

 SHINGO氏は「龍の魔法学校」なるセミナーを開催しており、彼のブログを見ると、「魔法学校の生徒」と輪になって手をつないだり、魔法使いのような衣装を着て生徒の頭に手をかざしたりと、非常に“それっぽい”ことをやっています。なお、今年1月に名古屋で開催された「龍の魔法学校2019」は、午前10時~午後5時の受講で、参加費10万円(税込)。SHINGOさんのブログによると、「さまざまなスピリチュアル能力を1日にして得ることができます」とのことなので、安いと感じる人も、もしかしたらいるかもしれません。

 実はSHINGOさん、「前世が卑弥呼」だという天宮玲桜(あまみやれいか)と、長崎県壱岐市の観光大使を1年足らずで解任されたスピリチュアリスト・happyの“付き人”だった過去があります。この手の人たちって、広~く浅~く繋がるんですよね。2017年1月13日、SHINGO氏は「つきびと終了しました」というタイトルのブログを更新していました。そこには、「3か月弱という短い間で 僕のお金・時間・人間関係すべての価値観が まったく変わってしまった。こんな変化、自分でも想像していませんでした。人生はこんなにも突然変わるということ そして、『世界は自分で創る』って ホントだった、ということを 間近で見せてもらいました」などとつづられており、2人に強く“感化”された様子が伝わります。

 付き人を辞めて約半年後の17年7月、SHINGO氏は「スピリチュアル好きのための龍神サロン」なるコミュニティを立ち上げ、本格的に“教祖様”への道へと進みます。一般的な認知度はほぼゼロ、たった2年の“教祖歴”で『龍の日』のメイン扱いされるとは、さぞ素晴らしい力をお持ちか、世渡り上手のどちらかでしょう。

 改めて言うのもなんですが、「龍」は空想上の生き物です。夢のある言い方をすれば、似たような生き物なら、どこかにいるのかもしれません(SHINGO氏は視たって言ってるし)。こうした“空想上の存在”というのは、「大きなエネルギー」といった曖昧なニュアンスに変換され、都合よく利用されがち。子宮委員長はる(現・八木さや)が「“子宮の声”に従って生きる」などと唱え、局地的に大流行した「子宮系スピリチュアル」と「龍のエネルギー」は、似たようなものだと言えるでしょう。

 別にこれは、「子宮」や「龍」ではなくても、「宇宙人」「ペガサス」「人魚」などなんでもよくて、まだ見ぬ不思議なもの、だけどイメージしやすいものから「力を与えられた」とでも言えば、なんでも“スピっぽく”なってしまいます。こういったモチーフを持ち出せば、特別な力を持っていなくても、誰だって人を導く“ふり”ができる。ネット上での自己発信が達者で、キャッチーなイメージを作り上げた“だけ”の人たちが、実にならないセミナーを開き、高額な商材を購入させているのかもしれません。

 たとえすべてがウソだとしても、“教祖様”にお金を出す人が集まってしまうスピ界隈。人からお金を巻き上げるなら、最初から「龍とか子宮とか宇宙とか不思議で面白いことを言うので、お金を恵んでください!」と素直に言う教祖様のほうが、まだマシだと思いますけどね。

■黒猫ドラネコ
大分県生まれ、大阪を経て東京都内在住の36歳。職業、性別は非公表。身内が「子宮系女子」となって壊れた経験から、怪しいスピリチュアルや自己啓発セミナーなどの監視と注意喚起を開始。本当の趣味はスポーツ観戦、漫画・アニメ鑑賞。3食スイーツでもいい甘党。
Twitter/ブログ「黒猫ドラネコのブログ(仮

「殺害疑惑」「僧侶とセックス」天皇と皇太后をクビになったヤバすぎる親子【日本のアウト皇室史】

  
 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

殺害疑惑で天皇をクビ……ドSすぎる狂王の悲しき人生

――10月22日、「即位の礼」に行われましたね。前回のお話に出てきた「高御座」が、テレビに映し出されるたびに、花山天皇と女官が“セックス”したという強烈なエピソードを思い出してしまいましたが、堀江さんはどのようにご覧になりましたか。

堀江宏樹(以下、堀江) 前日夜から降り続いていた雨が、儀式がはじまったらやみ、虹まで出ましたよね。新帝陛下のカリスマに敬服する思いです。儀式当日まで心配されていた台風20号もいつの間にか温帯低気圧に変わったし、さすがは「日の御子」……。天皇家の血脈、そしてパワーは新帝陛下にも確実に受け継がれているなぁと感じた人も多いのでは。天皇を支えるパワーの源は、ミステリアスな存在に秘められた“カリスマ性”であり、それは理屈とか科学とかでは説明できない“スピリチュアル”な力ですね。

――カリスマ性に問題があった場合、退位につながることはあるのしょうか?

堀江 「狂王退位」という強烈な逸話が残っている、陽成天皇(第57代)のお話は有名。『小倉百人一首』に歌が選ばれる優秀な歌人としての一面と、驚くほど粗野で、不安定な面を兼ね備えた方でした。ちなみに、百人一首をテーマにしたコミックエッセイ・『超訳百人一首 うた恋い。』(メディアファクトリー)では、悪ぶった影のあるイケメンとして描かれているものの、実際は奇行がひどく、裸にした商人を塔に登らせた挙げ句、矢で射殺したり、縄で縛った女官を池に放り込んで溺死させたこともあったそうです。

―――ドSというか、まさに狂王! 「こんな天皇は嫌だ」という大喜利の答えにありそうな奇行の数々……。

堀江 陽成天皇は、生後3カ月で皇太子となり、数え年9歳の若さで天皇に即位します。陽成天皇の母君は、権勢を誇っていた藤原家の“お嬢様”・藤原高子(ふじわらのたかいこ)。母親の藤原家の手厚いサポートあっての幼年即位でしたが、彼の内面は荒んでいたようです。

 先ほどお話したように、暴力的なエピソードをお持ちの陽成天皇ですが、退位させられた理由は、なんと「殺人」。陽成天皇が15歳の時、彼の乳兄弟(ちきょうだい)が、宮中で撲殺されました。乳兄弟とは、陽成天皇の乳母の子。つまり、彼にとっては兄弟のように育てられた存在です。その乳兄弟を殴殺したという嫌疑を、事件現場の状況証拠からかけられたのでした。しかし、周囲からの“忖度”が働き、「犯人捜しはしないけれど……陽成天皇、あなたにはとりあえず退位していただく」ということになりました。つまり「天皇にふさわしくないからクビ」です。その後、亡くなるまでの65年間を、陽成上皇として過ごすのですが、裏を返せば人生の残りの膨大な時間を、無為無策のまま生きていかざるを得なかったのです。

 奇人だった一方で、彼は相当な文化人だったとも言われます。彼の代表歌といえば、『百人一首』にも選ばれた「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」という有名な歌。「筑波山の峰から落ちる水が、たまりたまって川になるように、あなたへの恋心は、積もり積もって淵のように深くなる」といったくらいに意訳しておきましょうか。でも、彼の歌はこの一首が残されているだけで、理由はわからないものの、それ以外は何もありません。

――いっそう闇を感じてしまうエピソードですね。でも、どうしてそんな悲しい結末になってしまったんですか。

堀江 母君・藤原高子から狂気めいた血脈を受け取っていたのかもしれませんねぇ。彼女は、名門武家の一つである「清和源氏」の祖・清和天皇(第56代)の元に、中宮(≒皇后)として嫁ぎます。高子は結婚前から、その美貌を人々に見せつけていたといい、公卿・国司の子女の中から、5人の未婚の少女が選出される「五節(ごせち)の舞姫」に抜てきされました。そして、宮中の儀式・新嘗祭(にいなめさい)で、舞い踊ったそうです。当時、「五節の舞姫」に選ばれることは、とても名誉なことだったといい、権力者の男性の目に止まれば、良縁にも恵まれますからね。その結果、高子は一族の思惑通り、清和天皇の心を射止め、結婚することになりました。ちなみに、そこにいた男性たちは、あまりの彼女の美しさに、熱を出してしまったという、ウソみたいなエピソードも残っています(笑)。

――それだけ美しかったら、男性もたくさん近づいてきそうですね。

堀江 高子は恋愛体質で、“肉食系”だったと言われていますが、こんな逸話が残っているんですよ。結婚後、数え年で16歳になった高子は、8歳年下の清和天皇をほったらかして、「絶世の色男」と言われている在原業平と愛の逃避行をしたんです。つまり、不倫の“駆け落ち”の旅。少年のお相手は退屈だったのでしょう。結局、藤原一族の手で、彼女は連れ戻され、何事もなかったかのように清和天皇の元に送り返されます。そして、成長した清和天皇との間に生まれたのが、後の陽成天皇こと貞明(さだあきら)親王でした。高子は、二条后(にじょうのきさい)と呼ばれ、人々の尊敬を集めるようになったものの、また奇行に走ります。後宮で権力を得た高子ですが、貞明親王を授かった時の祝いの席に、元カレ・在原業平を呼び、親しく接するという、大胆な行動を取るんです。誰もが、恋人同士だったことを知っているんですよ。どこか狂的に見えませんか?

 ちなみに『百人一首』に採用された、在原業平の歌は、その時に詠まれたもの。ここでは、割愛しますが、未練どころか、高子への現役の愛情を感じさせる“熱烈”な恋歌なんです。

――夫・清和天皇から見て、高子はさぞかし扱いにくい妻だったでしょうねぇ。

堀江 資料によると、清和天皇は31歳という若さで、お亡くなりになっています。自由すぎる妻に、ストレスが溜まったのでしょうか。ただ、高子は、陽成天皇のほかにも、重要な皇子たちを生み、清和天皇の血統を次の世代につなげたので、その点では苦労はなかったかもしれません。 
 
 話は少々、脱線しますが、清和天皇は妹の件でも苦労しています。妹・恬子(てんし)内親王は神に仕える“斎宮”として、三重・伊勢で静かに過ごしていました。が、そこに例の在原業平が高子との破局後、傷心旅行で伊勢に訪れ、恬子内親王とデキてしまったのです……。歌物語・『伊勢物語』に出てくるエピソードですが、どうやら実話だったとか。

――妻と妹が、同じ男を好きになるなんて、清和天皇がかわいそうになります。

堀江 しかも、在原業平の色男ぶりに心がざわついた恬子内親王が、美しい10月の朧月夜の深夜に「夜這い」をかけたといいます。歴史学者・角田文衛の緻密な論考もあるので、僕の妄想というわけではありませんよ(笑)。そして、ワンナイトラブの結果、恬子内親王は見事にご懐妊。その子は、学者の家柄である高階家に養子に出され、高階師久(たかしなのもろひさ)として一生を送りました。

――在原業平って、歴史や古文の時間に聞いたことがある名前でしたが、なかなか激しいエピソードを持っている方だったんですね。

堀江 なんせ日本史を代表する色男ですからねぇ。ちなみに高子は、50代の時にも恋愛事件を起こし、その罪によって「廃后」つまり、皇太后を“クビ”にされています。彼女は自分が建てさせた東光寺の座主(代表者)だった善祐(ぜんゆう)といったお坊さん“たち”と男女関係に陥ったそうな。

――複数形!? 高子、50代でも現役バリバリ……。寺を建ててくれたパトロンの皇太后から迫られたら、お坊さんたちも断れないでしょうしね……。お坊さんたちは、どうなってしまったのでしょうか? 

堀江 善祐は伊豆に流刑にされました。当時の感覚でいうと、処刑より一等軽いだけの“重罪”。それにしても高子は、欲望に忠実すぎる人生を送っていますよね。当時の感覚では40代が引退の年齢とされているので、50代はかなりの老女ということになります。「生涯現役」といった感じの、意味“パワフル”と言える、しかしだいぶアウトな一面を、息子・陽成天皇は受け継いだのかもしれませんね。

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。

Twitter/公式ブログ「橙通信

老人ホーム、入居者の“愛人”疑惑の老女――高齢者は“清く正しい”ワケじゃない?【老いてゆく親と向き合う】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 老人ホームにはさまざまな人生があり、人間模様がある。ある有料老人ホームには、入居する男性のもとに、妻ではない女性が毎日通ってくるという。職員たちはその女性のことを男性の家族公認の「愛人」だとうわさしている。その正体とは――?

家族同然。奥さま公認の女性?

 その日訪ねた有料老人ホームには、エントランスからこれまでに見てきたホームにはない猥雑な雰囲気がにじみ出ていた。水槽のあるホームは珍しくないが、このホームの水槽には小学生が川で採ってきたようなザリガニが数匹たたずんでいる。出迎えてくれた女性職員は、夜の街の方が似合いそうな明るい茶色のロングヘアーにロングスカート。エントランスは決して汚いわけではないが、手狭なロビーのすぐ隣には食堂があり、なんとも言えないカオスな感じは家庭的と言えば家庭的。これくらいの方が落ち着くという入居者もいるだろう。合わない人には絶対無理だと思われ、評価は分かれそうだ。

 入居者である会社経営者の男性に、ホームでの生活についてお話を聞かせてもらうことになっていたのだが、職員から「この方は口が重いので、田辺さんという女性に聞いてください。毎日いらっしゃっているので、間もなく見えるはずです」と言われた。

 「ご家族の方ですか?」と聞くと、職員は意味ありげな笑みを返した。

「そうではないんですが、家族同然の方です。ご家族よりも“社長”との付き合いは長く、奥さんやお子さんたちも公認で……」

 え? それって愛人さん? 確かに、世の中ではそう珍しいことではない。これまでホームで出会ったことはなかったが、ホームに入居している高齢者が皆、常に清く正しいわけではないだろう。

 職員によると、この“社長さん”、地区の有力者で、ホーム近くには豪邸を構えているという。頭はしっかりしていて、まだ経営の実権も握っているが、足腰が弱くなってきたためこのホームに入居。会社の関係者や幹部である息子たちもよく訪れている。ただ、奥さんだけは一度も面会に来たことがないという。そのかわり、田辺さんは毎日朝夕2回やって来て、社長の晩酌に付き合って帰っていくのだそうだ。

 まさにカオスなこのホームらしい人間関係ではないか。これまで有料老人ホームの「清く正しい」面しか見てこなかった筆者は、俄然興味を持って田辺さんが現れるのを待った。

 しばらくして、田辺さんが来訪したというので、職員とともに“社長さん”のもとへ行く。

 ……が、この社長、ニコリともしない。だけでなく、挨拶さえ返してくれなければ、こちらの問いかけにも完全無視だ。こんなことは、過去に1回だけあった。こういう男性は、いくら話しかけても、キレられて終わるだけ。社長の機嫌を損ねないことが肝心だ。

 というわけで、そばにいる“愛人”さんに話を聞くことにした……のだが、いわゆる“愛人”さんをイメージしていた筆者、思わず二度見してしまった。

 化粧気もなければ、フェロモンといったものも感じられない。白髪染めの落ちかけたショートカットの小柄な女性。妻公認の愛人というより、“付き添い婦さん”。古い例えで、読者にはおわかりいただけないかもしれない。病院が完全看護でない時代、入院すると家族が泊まり込むか、それが無理なら結構なお金を払って“付き添い婦さん”をお願いしていたものだ。“付き添い婦”を生業(なりわい)とする女性たちは、こうした患者に付き添うため、病院から病院を渡り歩いていたものだ。お金は入るが、病院に泊まり込んでそこで生活するのだから、結構な重労働だった。

 話が脇道に逸れた。愛人にはとても見えない、“付き添い婦さん”のような女性。一時期、世間をにぎわせた“後妻業”とも思えない素朴ないでたちに面食らった。この女性自身が、ホームの入居者だと言ってもおかしくない年齢だ。職員が考えているような愛人関係とはとても思えない。

 あらためてこの女性、田辺さんに話を聞いてみると、20歳の頃から社長のもとで働いて、もう60年になるという。

「80歳になる今も従業員だけど、週に数日、忙しいときだけ会社に行って、あとは毎日朝晩社長のもとへ通って、夕食時には部屋で社長が晩酌するのにお付き合いしているのよ。私? 私はつまみを買ってきて、社長が晩酌するのをそばで見ているだけ。一緒には飲まないわよ」

 聞けば田辺さん、20歳の頃に足を悪くして、それまでの仕事を辞めざるを得なくなり、仕事を探しているときに親戚が社長を紹介してくれて、それから勤続60年。社長とは「家族のような関係」だという。毎週社長のもとに来ると「ただいま」、帰るときには「また来るね」と声をかける。兄のもとに通う感覚なのだそうだ。

 田辺さんの言葉に嘘はないと思えた。

 今にも怒鳴り出しそうな、ご機嫌の悪い社長と60年。家族同然に付き合ってきたとは、よほど社長と波長が合ったのだろう。

「社長には本当によくしてもらってきたの。小さな会社が大きくなる過程を、社長と一緒に見てきたから、社長のことは尊敬しています。今は高齢になり、耳も遠くなって周囲とのコミュニケーションもとれなくなってきたけれど、私の言葉だけは理解できるのよ」

カオスなホームもいいかもしれない

 毎日社長のもとに通う田辺さんは、ホームの入居者ともすっかり顔なじみだという。

「社長の晩酌の時間までは、仲良くなったほかの部屋の方のところにも顔を出して遊んでるの。ここの入居者さんはみんないい人たち。もし社長がいなくなっても、私が元気な間はここに通うと思うわね」

 ああ、これが“カオス”なこのホームの良さなのだろう。居室のドアは開けっ放し。いつでも来訪者を歓迎している。おかずをおすそ分けする下町のような雰囲気が好きな人だけが味わえる、互いの領域に遠慮なく入り込む心地よさ――一見煩わしくも思えるが、少なくとも寂しくはない。

 ずっと独身で、今もホームから徒歩5分のアパートで一人暮らしをしているという田辺さんに、寂しくないのか聞くと、そんなことは思ったこともないというようにかぶりを振った。

「私の人生はずっと人に恵まれてきたの。この年まで仕事も続けられているし、兄弟とも仲良しだから、寂しいなんて感じたこともないわよ。社長もそうじゃないかしら。銀行の人との交渉などもまだ自分でやっているし、息子さんやお孫さんたちもよく来ている。誰かに必要とされるって、いくつになっても大切よね」

 人の幸せって、ひとつのものさしではかれるものじゃあない。80歳になる田辺さんのこれからを心配した自分が、少し恥ずかしい。そして田辺さんは、愛人以上の存在なのかもしれないとさえ思った。ただ、一度もホームに面会に来たことがないという妻との関係だけはよくわからないままだったが。

 さて、あなたはこういうカオスなホームに親を入れたいと思いますか?

坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。 

【老いゆく親と向き合う】シリーズ

介護施設は虐待が心配――生活が破綻寸前でも母を手放せない娘
父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ

【介護をめぐる親子・家族模様】シリーズ

ママ友LINEで「保育園行事のお手伝い」呼びかけも……「既読スルー」にイライラ爆発!

今や日常生活において、かかせないツールとなっているコミュニケーションアプリ「LINE」。かつては子どもの送迎時に、ママたちが立ち話をしているような光景が見かけられたが、時間に追われ忙しく過ごす共働き世帯が増えた今、ママたちのコミュニケーションの場は、LINEのグループチャットになっているという。そんな、ママたちの「グループチャット」から浮き彫りになった、彼女たちの悩みや、苦悩、気になる話題を覗いてみる。

 子どもが幼稚園や保育園に子どもが通うようになると、ほかのママたちと関わりを持つことが避けられなくなる。その一例として、保護者による読み聞かせや近隣の清掃、なかには給食の配膳当番、運動会や生活発表会の行事の手伝い、保護者主催イベントの企画などが挙げられる。そのため保護者同士でその調整や打ち合わせを行わなければいけないのだ。

専業主婦ばかりのグループで疎外感

 澄江さん(仮名・34歳)は、都内で夫と4歳になる女児と暮らしている。もともとは北関東出身だが、現在は、夫の実家がある都心に住んでいるそうだ。パートで週2回ほど短時間働き、子どもを幼稚園に預けているという。

「生活は育児中心。子どもは夫も通っていたという幼稚園に通わせています。なかには親子3代で通っている家もあるくらい、地元では伝統のある幼稚園です。保護者が当番制で園のちょっとしたイベントに参加する機会が多く、例えば4歳クラスになると、ママたちが順番で絵本の読み聞かせを行っています」

 元来、引っ込み思案で人前に出るのが好きではないという澄江さん。この絵本の読み聞かせが苦痛だという。

「子どもたちがはしゃいでしまって、なかなか聞いてくれないんです。慣れているママだと、『こっちを見てね』と言って手遊びをしたり、簡単なわらべ歌を歌ったりと、子どもの興味を引くのが上手なんですが、私は緊張してしまってそんな余裕もなくて、ただ読むだけで精一杯。それなのに、ほかのママから『ちょっと訛っていたね』と、発音まで指摘されてしまって、人前に出るのが怖くなりました……。当番の前日は、ママたちと『明日はどの絵本を選んでいく?』などとLINEで相談したりして、盛り上がっていたのですが、読み聞かせへの苦手意識で、気持ちがついていかなくなっています」

 保育園とは違い、専業主婦が多い幼稚園では、このように平日、保護者が園に駆り出される習慣がいまだに根強く残っているという。澄江さんは「子どもが幼稚園のうちは一緒に過ごす時間を大切にしたい」と思っているため、園と関わりを持てる機会があることを好意的に捉えていたようだが、最近では、LINEで専業主婦のママと当番の話をする中で、「その煩わしさ」を感じることが増えたという。

「うちの園では、読み聞かせ当番のほかに、数カ月に一度ですが、給食の配膳を行う当番もあります。私のように週に何日かだけ働いていると、当番の日に、たまたまパートの日が重なることがあって、そのたびにシフトを変わってもらわねばならないので、正直面倒くさいんです。それに、当番の日になると、本当は家のことがしたいのに……って、ちょっと思ってしまうことも。でも、ママ友のLINEグループは専業主婦ばかりで、当番は当然という雰囲気の中、『ああしよう』『こうしよう』と情報交換をしている状況のため、悩みを共有できないんです。保育園ママの付き合いはサバサバしていると聞くと、そっちにあこがれたりもします」

 一方、保育園に子どもを預けている保護者は共働き家庭が主体。当番などの制度は幼稚園と比べ少ないと言えるが、生活発表会や運動会などの行事の際には、有志で手伝う必要がある。

 来年3月卒園予定の5歳になる女児を育児中の洋子さん(仮名)は、謝恩会の準備が今から憂鬱だと語る。

「この前の運動会では、保育士さんが足りないために、競技の手伝いを保護者たちで行いました。ただ、『下の子がいるから』『フルタイム勤務で忙しいから』という理由で、手伝いを断るママがいてちょっとモヤモヤしてしまいましたね」

 保育園は、幼稚園とは違い、近隣小学校の学区外の利用者も多く、「どうせ保育園までの付き合いだから」と、ママ同士の関係性が希薄なケースもあるという。

「卒園したら付き合いがなくなるという前提なのか、まったく手伝いをしてくれないママもいますよ。ママたちのLINEグループで、さりげなく『誰かできる人はいますか?』と聞いても、既読がつくだけでスルーされがちなんです。こういうのって『当番制』であるべきだと思うのですが、結局、パート勤務のママや、一人っ子のママへの負担が大きくなるばかりで、そういったママたちは、個別のLINEで愚痴を言い合ったりしていますよ」

 保育園のママたちは、「働くママ」が中心とは言え、フルタイムの正社員から、時短勤務の契約社員、家業の手伝いなど、勤務形態はバラバラで、生活時間帯が異なるケースも。都内で3歳になる男児を育児中の恭子さん(仮名)は保護者会役員になり、保護者会主催イベントの企画・運営を行うことになったものの、その相談メッセージを深夜に送ってくるママ友に「困っている」と語った。

「グループ内のA君のママがちょっと非常識で……。深夜0時近くにLINEでメッセージを送ってくるんです。すると、深夜まで起きているほかのママが返信したりして、雑談ならまだしも、そこでイベントの話が進んでしまっていることもあります」

 LINEのメッセージを送る時間帯については、よくネットでも話題に上がる問題だ。その許容範囲に関しては、個人差が激しいという。

「うちは、朝は家族全員で6時過ぎに起きて、夫も8時には家を出ます。子どもが生まれてからは、だいたい午後11時前には寝ているので、0時にメッセージが来たときは、緊急かと思って焦りましたね。今はもう夜は通知を切っていますが、無視するわけにもいかない話題なので……」

 しかし、A君のママのように0時過ぎまで起きているのが当たり前の共働き夫婦も増えている。「A君のママは、ウェブメディアのディレクターで、在宅でも仕事しているらしいんです。深夜でも会社の人から連絡が来るため、部屋も遅くまで明るくしているせいなのか、子どもが寝ないとも言っていました」と恭子さんは、怪訝そうに語った。

 「ママ」とひとくくりにされがちだが、立場や環境は人それぞれで、その傾向はより強まってきている。ママたちのLINEグループチャットで飛び交う、当番制や保護者会役員の話題からは、そのことが如実に伝わってくるようだ。
(池守りぜね)