男社会のヒップホップ界で、性を前面に出す“小悪魔ビッチ”を確立させたリル・キム

<p>――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!</p>

死してなおヒットを飛ばす、孤高の天才・2パックの人生を振り返る

<p> 2パックは1971年6月16日、レサンセ・パリッシュ・クロックスという名で、ニューヨーク市に生まれた。両親は60年代後半~70年代にアメリカで黒人の民族主義運動を展開していた過激派組織「ブラックパンサー」のメンバーで、彼が生まれる前に破局。シングルマザーだった母は、彼が1歳の時にイスラム教徒の黒人国家主義者ムトゥル・シャクールと結婚し、息子の名も古代インカ語で「輝ける蛇」という意味のトゥパック・アマル、名字も「神に感謝」という意味のシャクールに改名した。彼を妊娠中に服役していたほどブラックパンサーに心酔していた母は、組織の思想や教えを息子に叩き込みながら育てた。母は重度の麻薬依存症だったため暮らしは貧しく、ホームレスシェルターを点々としたり、頻繁に引っ越すなど、不安定な幼少時代を過ごした。</p>

「女性ラッパー=セクシー」を破り、サウンドとラップで成功したミッシー・エリオット

<p> ミッシー・エリオット(ミッシー・“ミスディミーナー”・エリオット)は、1971年7月1日、本名メリッサ・アーネット・エリオットとして、ヴァージニア州ポーツマスに生まれた。とても貧しい家庭で、父から母へのDVが日常的にあったという。そんな悲惨な現実から逃れるため、ミッシーは音楽に没頭するように。作詞作曲もするようになり、「いつか、マイケル・ジャクソンのような有名人になって母親を助ける」と妄想するようになった。</p>

「女性ラッパー=セクシー」を破り、サウンドとラップで成功したミッシー・エリオット

<p> ミッシー・エリオット(ミッシー・“ミスディミーナー”・エリオット)は、1971年7月1日、本名メリッサ・アーネット・エリオットとして、ヴァージニア州ポーツマスに生まれた。とても貧しい家庭で、父から母へのDVが日常的にあったという。そんな悲惨な現実から逃れるため、ミッシーは音楽に没頭するように。作詞作曲もするようになり、「いつか、マイケル・ジャクソンのような有名人になって母親を助ける」と妄想するようになった。</p>

殺人事件、ポン引き、ポルノ映画監督……スヌープ・ライオンの数奇な人生

<p> スヌープ・ライオン(旧ドッグ)は、1971年10月20日、本名カルバン・ブローダスとして、カリフォルニア州ロングビーチに生まれた。勲章を持つベトナム帰還兵である父は、スヌープが生まれる前に母と別れたため、母子家庭で育った。スヌープは学校では問題児だったが、三兄弟の次男として母を助けたいと思う気持ちが強く、新聞やキャンディーを売り、生計を助ける心優しい子だった。母はそんな彼を、スヌーピーに似ているとして「スヌープ」と呼び、かわいがった。5歳で教会の聖歌隊に入り、ピアノを弾くようになったスヌープは、音楽を愛するようになる。また、音楽と同じくらい祖父のことが大好きで、「じいちゃんと一緒にいたいから、よく学校をサボった」と告白している。</p> <p> カリフォルニアのロングビーチというと海岸沿いの町というイメージがあるが、内陸はギャングの抗争が絶えず治安が悪い。祖父は、孫たちをギャングと接触させないようにと必死だった。しかし、スヌープが13歳の時に祖父は他界。教会に通うのをやめ、地元アメフトチームに属し、うっぷんをスポーツで晴らそうとしたスヌープは、チームメイトが次々とギャングに染まっていったことに影響され、15歳でギャングの一員になる。「スポーツ選手か、ミュージシャンか、ギャングメンバーか、それしかなかったからね。ごく自然にギャング入りしたよ」と彼は回想している。なお、10年後、アメフトのチームメイトの半分は服役中か、殺害されているかという状態だったという。</p>

コカインの売人から大成したジェイ・Z、政治家になれない致命的な過去とは?

<p> ジェイ・Zは、1969年12月4日、本名ショーン・コーリー・カーターとして、ニューヨーク州ブルックリンに4人兄弟の末っ子として生まれた。「オハイオ・プレイヤーズ」「テンプテーションズ」など黒人音楽のレコードが常に流れる家に育ったジェイは、幼い頃からクルクル踊り、歌い続ける子だったそうで、音楽が好きだったようだ。6歳の頃、一家はベッドフォード・スタイベサント地区のマーシー公営団地に引っ越した。負けず嫌いのジェイは、バスケもゲームも、学校の勉強も得意で、団地の子どもたちの間で一目置かれる存在になっていった。この団地には黒人低所得階層が住んでいたため治安は最悪で、銃声が目覚まし時計代わりだったとのこと。父親は末っ子のジェイに、劣悪な環境で生き抜くためのノウハウを伝授。親子の絆はとても強かったが、11歳の時、最愛の父は家族の元を去ってしまった。</p>

セルアウト型の音楽を足がかりに、“ビジネスマン”として成功したショーン・コムズ

<p> 「パフ・ダディ」「P.ディディ」「ディディ」のステージネームを持つショーン・コムズは、1969年11月4日、ニューヨーク州ハーレムに生まれた。父親は、映画『アメリカン・ギャングスター』(2007)で主人公として描かれた国際ヘロイン密売人フランク・ルーカスと交流のある麻薬売人で、ショーンが2歳の時にセントラル・パークで射殺された。元モデルの母親は仕事を3つ、祖母は2つ掛け持ちし、ショーンを育てた。12歳で母と共に郊外に移り住んでからは、新聞配達のアルバイトを始め、業者と提携を結ぶなどうまく交渉を重ねた結果、13歳で週に600ドル(約6万円)を稼ぐまでになった。</p> <p> 引っ越してからも、ハーレムの祖母を頻繁に訪ねたショーンは、「友達と遊ぶより、1人でヤンキー・スタジアムの歓声を聞くのが好きだった。自分も歓声を浴びるような人間になりたいと妄想ばかりしていた」とのこと。そんな彼が、音楽に目覚めたのは17歳の時。クリスマスにジェームズ・ブラウンのレコードをプレゼントされ、「歌だけでなく、叫んだり、ライムしたり踊りまくるのも音楽なんだ」と衝撃を受けたのがきっかけだった。ダンスにハマり、通いつめたクラブで歌手のPVにエキストラ・ダンサーとしてスカウトされ、そこで音楽制作の裏方の仕事に魅力を感じるようになったという。</p>

2パック、エミネムをプロデュースした「世界で最も高収入のミュージシャン」ドクター・ドレー

<p> ドクター・ドレーは、1965年2月18日、本名アンドレ・ロメル・ヤングとして、カリフォルニア州コンプトンに生まれ育った。父親はアマチュアで活動するミュージシャン、母親は彼を出産する直前までグループに所属していた歌手。70年代のファンクミュージックに強い刺激を受けながら成長した彼は、ジョージ・クリントンを崇拝するような子どもだったという。ドレーは、わずか4歳の頃から母に頼まれハウスパーティーでDJをするように。「レコードを何枚もダメにされたわ」と、母親は笑いながら振り返っている。</p> <p> 15歳のクリスマスの日、母親からDJミキサーをプレゼントしてもらったドレーは、その魅力に夢中に。「部屋から出てこなくなったの。『ご飯よ』って言っても、『腹減ってないし』って。夜更けにそっと部屋に入ったら、大音量の音楽が流れるヘッドフォンをしながら爆睡してたわ」と母親は回想。部屋をスタジオに改造したドレーは「バイクが欲しいっていうのと一緒だよ。オレの場合、ミキサーだったんだ」と説明している。</p>

世相とニーズを嗅ぎ取る能力に長けたアイス・キューブの半生

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“自分のことを知りすぎてる男”アイス・キューブ

――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!

【今回のレジェンド】
頭のキレのよさで世相とニーズを感知した男
アイス・キューブ

[生い立ち]
 アイス・キューブは、1969年6月15日、本名オシェイ・ジャクソンとして、カリフォルニア州ロサンゼルスのサウスセントラルに生まれ育った。この地区は黒人低所得階層が住む治安の悪い街として恐れられているが、両親は大学の守衛/管理人として真面目に働き、厳しい社会で生き抜くノウハウを子どもたちに教えながら大切に育てた。報道番組が好きな父親の影響で、幼い頃から政治や社会問題に興味を持っていたアイスは、頭も良く、年齢のわりには大人びたクールな子どもだったとのこと。12歳の時に、兄から“冷めた子”という意味でアイス・キューブと呼ばれ始め、この愛称が定着。現在は戸籍上もアイス・キューブに改名している。

ギャングスタ・ラップの父として、バッシングと戦ったアイス-T

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アイス-Tと現妻のココ

――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!

【今回のレジェンド】
ギャングスタ・ラップの父
アイス-T

[生い立ち]
 アイス-Tは、1958年2月16日、本名トレイシー・マロウとして、ニュージャージー州ニューアークに生まれた。アフリカ系アメリカ人の父とフランス人混血クレオールの母親に愛され何不自由なく暮らしていたが、8歳の時に、一緒にテレビを見ていた母親が心臓発作を起こし死亡。その5年後に父親もがんで他界し、13歳で孤児に。親戚中をたらい回しにされたアイスは、最終的にカリフォルニアに住むおばの元へ。だが、その伯母はアイスの児童手当が目当てで世話らしきことはほとんどしなかった。