みなさんこんばんは、宮下かな子です。
連載お休みしてしまい、ご心配をおかけしました。自宅療養を経て宮下、元気に回復しました!
年明けから感染者数が急激に増加し、周囲でも陽性者が出始めていたので、遂に私も……という感じでした。高熱が数日続き食事も辛く、インフルエンザでも胃腸炎でも食欲がなくなることなどなかった私にとっては異例の事態でした。年末年始に跨いでいた作…
みなさんこんばんは、宮下かな子です。
連載お休みしてしまい、ご心配をおかけしました。自宅療養を経て宮下、元気に回復しました!
年明けから感染者数が急激に増加し、周囲でも陽性者が出始めていたので、遂に私も……という感じでした。高熱が数日続き食事も辛く、インフルエンザでも胃腸炎でも食欲がなくなることなどなかった私にとっては異例の事態でした。年末年始に跨いでいた作…
皆さんこんばんは、宮下かな子です。
2021年も残りわずか、いかがお過ごしですか。現在ようやくコロナ感染者数は落ち着いてきましたが、今年は緊急事態宣言が長引いたり、そんな状況下で東京オリンピックが開催されたり、新たな変異株が現れたりと、去年に引き続き非常に不安定な年だったかと思います。感染者の数字が大きくなっていくことにも徐々に見慣れていき、夏は都内感染者5000人越えなん…
皆さんこんばんは、宮下かな子です。
他社ではございますが、最近久しぶりにグラビア誌に掲載して頂きました! 2年前サイゾーの表紙をやらせて頂いたのが最後のグラビアだったので、そこから約2年ぶり。
先々週掲載して頂いた「週刊SPA!」(扶桑社)の〝みうらじゅん×リリーフランキーのグラビアン魂〟に呼んで頂くのは2回目だったのですが、今回なんと、リリーさんが物語を作…
皆さんこんばんは、宮下かな子です。
隔週で配信しておりますこの連載、なんと今回で1周年を迎えました!読んでくださいまして本当にありがとうございます。
キネマ旬報ベスト・テン第1位の作品から選出するという決め事を作り、今回で26作品を紹介してまいりましたが、エンタメ要素よりは社会性の強い重厚な作品が多いため、「きゅんきゅんする韓ドラ観たいよ~」なんて思いながら…
皆さんこんばんは、宮下かな子です。
100冊に絞るとまではいきませんが、順調に、家にある本の整理が進んでいます。
改めて再読してみたり、手放すものもあったり。高校生の頃から読了本を記録しているサイトがあるのでその時の感想の記録と比較してみると、かなり変化があって面白い。そのサイトの記録によると、私は8年間で約600冊の本を読んできたらしいです。マンガも含まれ…
みなさんこんばんは、宮下かな子です。
天赦日と一粒万倍日が重なった先月15日のラッキーデー、数年ぶりにお財布を買い替えたのですが、そのお財布で最初にお買い物した観葉植物のガジュマルが今、とてつもない勢いで成長しています。葉っぱの枝の部分が右肩上がりにおそらく10センチほど伸びました。何だか縁起が良いですね。突然雨が降り出したり、安定しない空模様が続いていますが、植物にとって…
1919年(大正8)年に創刊され、2019年7月に100周年(!)を迎えた世界最古の映画雑誌「キネマ旬報(じゅんぽう)」。その創刊から現在までの歴史を記した『キネマ旬報物語』が刊行された。著者は掛尾良夫。1978年から2013年まで同誌を発行するキネマ旬報社に在籍し、編集長も務めた人物だ。
ちなみに、私(稲田)はキネマ旬報社の親会社に2002年から2008年まで、当のキネマ旬報社に2008年から2012年まで在籍していた。2011年には掛尾の著書『「ぴあ」の時代』の編集も担当したので、立場上、本書には並々ならぬ因縁がある。
本書には、3つの大きな読ませどころがある。
ひとつは、雑誌「キネマ旬報」と併走する国内映画業界の状況史として。これはもう、純粋に勉強になる。ネットでググってもたやすくは出てこない1920~30年代の興行事情、日本における外国映画の立ち位置の変遷、各時代の映画人や映画ファンの性向などが、古い資料や豊富なバックナンバーをひもときながら、克明に語られる。40代のこわっぱライター(私)からすれば、知らないことだらけだ。
これに比べると、WEBの映画興行ビジネス記事でよく見かける「シネコン登場以降のスクリーン数の変遷」やら「製作委員会方式の功罪」やら「邦高洋低/洋高邦低傾向」等、ここ20~30年スパンの興行分析は、実に“近視眼的”に見えて仕方ない。
ふたつめは、古参映画人の間でたまに話題になる、キネマ旬報社の社長が総会屋(!)だった時代の白井佳夫編集長解任(1976年)、およびルポライター・竹中労の連載打ち切りについて。業界内では俗に「キネマ旬報事件」と呼ばれているものだ。
白井佳夫編集長体制について、掛尾は称賛を惜しまない。白井が推し進めた映画評論家以外の作家や政治家を起用したジャーナリスティックな企画、誌上での論争セッティング、読者の誌面参加促進などを、掛尾は高く評価する。
その白井時代、竹中が「キネマ旬報」に連載していたのが「日本映画横断」「日本映画縦断」だ。竹中といえば、昭和を代表する“反骨のルポライター”。10代で共産党に入党(のちに党員資格剥奪)、山谷で肉体労働者経験、過激な労組活動で逮捕歴アリと、なかなの筋金入りだ。
当時のキネマ旬報社社長は、文藝春秋社を創設した菊池寛の通い書生からはじまり、戦後は財界のフィクサーとして暗躍した上森子鐵(かみもり・してつ)。彼がなぜ白井を解任したのか、竹中の連載はなぜ打ち切りになり、その背景には何があったのか、そもそもなぜ総会屋が出版社の社長なのか。掛尾はその経緯を丁寧に解説する。
「キネマ旬報事件」のくだりはドキュメンタリータッチのルポとしても、よくできている。存命関係者のコメントも、おそらくは掛尾と当事者との関係性でしか引き出せないものだ。長らく映画業界人の間で語り継がれてきた同事件に、別の視座と印象を与えている点は大きな功績。Wikipediaへの項目追加を切に願う。
3つめは、キネマ旬報社が角川書店傘下から映画配給会社のギャガ傘下に移った2002年以降、親会社のMBOやらベンチャーキャピタルの介入やらに翻弄・蹂躙されまくったキネ旬の“ドナドナ”状態(♪かわいい子牛 売られてゆくよ)に対する、掛尾の無念な想い。
「世界最古の映画雑誌」と言えば聞こえはいいが、掛尾はキネマ旬報社という会社が一貫して「編集と経営のバランスが常に課題であった」として、その時々の経営陣のミスジャッジや能力不足を暗に指摘する。たびたび襲う経営難やカネのトラブルが“人災”によるものであったことも、行間から読み取れるのだ。
その“不具合”が加速度的に進行したのが、2002年以降である。経営陣のひとりとして渦中にいた掛尾の、親会社やベンチャーキャピタルに対する困惑、脱力、嘆き、憤り、無念はいかほどのものであったか。「キネマ旬報社がギャガの傘下に入ることには強烈な違和感があった」「この決定(当時の親会社フットノートとキネマ旬報社の合併)を私は本当に悔やんだ。(中略)キネマ旬報社は小規模だからこそ、どんな苦境も乗り越えてきた」といった言葉からは、苦しい胸の内が推し量られよう。
当時はまさに私(稲田)が、フットノート(前身はギャガの子会社)に在籍していた時期。そして「フットノート(“脚注”の意)」は社内公募によってつけられた社名だが、発案者は誰あろう私である。その後同社がキネマ旬報社と合併したことにより、この社名はたった4ヶ月で消滅した。なんというか、酒が呑みたい。
なおキネマ旬報社は、掛尾が退職した2013年頃からの緊縮体制が限界を迎え、2017年、新たな株主を得て経営体制が一新された。
400ページ超の労作。決して読みやすい本でも、快適な読後感が約束される本でもない。しかし、映画産業に少しでも関わる者、出版に少しでも関わる者ならば、本書の内容を完全な他人事にすることはできないだろう。
映画産業の端っこで駄文をしたためる身として、出版人のはしくれとして、元キネ旬社員として、読了した瞬間の気持ちはズバリ、「胸が詰まる」であった。
読み終えて、改めて疑問が湧く。
これほどの大著ながら、掛尾編集長時代の誌面や編集方針についてほとんど触れられていないのは、どういうわけか。そもそも、400ページのうち350ページ付近でようやく「創刊60年(1979年)」にたどりつき、以降の40年間はかなり駆け足でしか語られない。特にギャガ傘下になってから(2002年~)は20ページ程度しか割かれておらず、その間の編集長体制についても、ほとんど言及されない。
このバランスの悪さはやはり気になる。在籍中の現役社員に対する配慮と忖度なのか、まだ評価を固めるほど時が経っていないということなのか。あるいは――。
表紙に記された副題「前途は遥けく、行路難く」が、今さらながら身に染みる。本書が「キネマ旬報」に連載された原稿の書籍化にもかかわらず、刊行元がキネマ旬報社ではない別の出版社である、という痛々しい事実も含めて。
嗚呼、酒が呑みたい。
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