【ルポルタージュ】氏賀Y太 リョナ・グロとマンガに人生を全振りする男のスケッチ

 入稿は終わった、ひっそりと。

 寒さも一段と厳しくなる予報に、暖かい夏が恋しくなる2018年の2月2日。中目黒のビルにあるオフィスで、編集長の渋谷一功は確かな手応えを感じていた。

 入稿を終えて、ほっとしながらデスクの上に山のように積み上げられた校正紙を整理した。そして、もう一度、表紙が印刷された校正紙を眺めた。

 そこには、こう書かれていた。

「リョナ+ニッチ系アンソロジー エログロスVol.3」

 血塗れの女の身体。その身体から切り落とされ、もはや生命の失われた生首のイラスト。そこには、おどろおどろしい書体で、こう印刷されていた。

「バックリ愛首イリュージョン」

 始まりは、メールのやりとりからだった。

 それは、エロマンガ編集者にとっては、いつもの仕事。一緒に何かの作品を作りたいと思わせる才能と出会った時、その描き手に「あなたに会いたいのだ」と気持ちを伝えるのは、いつもメールだ。今どき大抵のマンガ家は、自分のサイトやSNSアカウントを持っている。それは著者にダイレクトに届く連絡先。手紙をしたためて封書で送るのと、同じくらいに礼儀正しい常識的な手段。

 でも、すぐに「待ってました」と返事をよこすマンガ家なんて、ほとんどいない。だから、編集者はいろんなことを考えながら、待たされる。メールを読んでくれたのだろうか。果たして、返事をくれるのだろうか。返事をくれたとして、いま仕事を受けてくれるスケジュールの余裕があるのだろうか。別の出版社の名前を挙げられて、断りのメールが来たときには、心底がっかりとする。

 それでも、メールを送るのならば、今が絶好のタイミングではないか。確証はないが、渋谷の編集者としての経験から来る勘が、メールを打つ手を止めることはなかった。

「一緒に何かできませんか」

 相手は、自分自身も読者として作品を読んできた描き手。編集者目線だけの文面になってはいないか。いつもより、言葉に気を使わなければならないと思った。幾度か、文章を黙読してから送信ボタンをクリックしようとして、もう一度だけ本文の一行目に書いた名前の文字を確認した。

 普段使っているパソコンには、その名前を、単語登録していた。けれども、万が一間違っていやしないか、気になった。

 そこには、間違うことなくメールの相手の名前が記されていた。

「氏賀Y太」

 早く返事をくれますように……そんな願掛けをしながら送信ボタンをクリックした。

 残念なことに、氏賀はちょうど原稿が多忙な最中だった。だから、メールの返事は忘れた頃になって、ようやく届いた。

 * * *

 これが、氏賀の発案によるリョナ+ニッチ系アンソロジー「エログロス」誕生の発端である。

 氏賀Y太というマンガ家を説明するならば「知る人ぞ知る大御所・ベテラン」という言葉がふさわしいだろう。その名に震える人もいる一方で、広く世間で誰もが読み、飛ぶように作品が売れるタイプの描き手ではない。

 その名前を知る者の、震え方もさまざまだ。

 氏賀の描く作品が収録された単行本には、いずれも出版社が黄色い楕円形に「成年コミック」と文字が刻まれたマークを付ける。いわゆる出版社の自主規制マークというやつである。1996年から用いられるようになったマーク。黄色い楕円がアピールするのは、通例ならば収録されている作品が性的な興奮を得られるエロマンガであるということ。今や、エロマンガは日本のマンガ文化の重要なジャンル。エロマンガを振り出しに、メジャーな作品へと階段を上っていった者は星の数ほど。情熱の温度差はあれども、読者の数も数限りない。

 年齢制限をすることで、さまざま「過激な」描写が入り乱れるエロマンガの世界だが、そうした描写に慣れ親しみ、刺激を求める人々も、氏賀の名前を挙げると、少し顔を曇らせる。

「私は、興奮しないのだが……」それが、氏賀の作品が話題に出た時に、多くの人が添える枕詞だ。まるで、小学校でクラスの本棚に1冊だけ置いてあった幽霊やお化けの話をまとめた、怖い本のような扱い。

 一方で、私もそうだが、ほかに誰も描かない独特の世界観に、性的なものとはまた異なる異質な興奮を見いだす者も少なくない。そう「エログロス」が、創刊から1年足らずで、第3号まで、潰れることなく出版社から発行されるくらいには……。

 その氏賀が描くのは、以前は「猟奇」。今は「リョナ・グロ」という言葉でくくられるジャンルの物語。バイオグラフィーをひもとくと、最初に上梓した単行本は、2000年5月の『毒どく猟奇図鑑』(桜桃書房)。それに先立つ数年前から、氏賀は同人誌や商業誌で次々と作品を発表していた。

 私自身の出会いを記すと、最初に読んだのは1990年代の半ばを過ぎたころだったか。何気なく購入した同人誌で、氏賀の作品を初めて読んだ。「三人の浮浪者」というタイトルの短編は、ゆきずりの少女が、生きたまま解体されて、酒の肴に内臓を食べられていくという不条理な作品。

 あたかもエロマンガの表現の一つのような体裁を取りながら、描かれるのは理不尽で可哀想な死のドラマ。性的なものとは異なる興奮が、そこにはあった。「見てはいけないものを、見てしまった」という禁忌を犯している気分。エロマンガとは違うベクトルの「誰かに見られたらどうしよう」と、部屋に隠し置いておくのすら憚られる感情。それにもかかわらず、何度も読み返してみたくなる迫力が、わずかなページ数の中に渦巻いていた。

 氏賀の作品が、書店に並ぶエロマンガ雑誌でも見かけるようになったのは、それからしばらくしてからだった。進んで好きな作品と絶賛する人はいなかったけれど、何かのはずみに氏賀の名前が出ると、判を押したように「決して好きではないのだが」と前置きして、いかにとんでもない作品であるのかを語るのだった。

 それから、すでに20年あまり。その間、氏賀はエロマンガとも、ホラーともスプラッターともカテゴライズできない独特の世界を描き続けてきた。女性が理不尽に可哀想な目に遭う展開ばかりではない。時には、それを発端に世界の終末の始まりというスケールの大きな作品を描いた。そうかと思えば、巫女が、街で大暴れするパンダと戦うホラーとバトルを組み合わせたような作品も描いた。一貫しているのは、どの作品でも四肢が吹き飛んだり、内臓が飛び出したり、ページいっぱいに血が飛び散り……息をするかのように、当たり前に人が死ぬシーンを描いてきたことだ。その筋を通してきたことで、氏賀はリョナ・グロジャンルの「大御所」になった。

 氏賀の20年あまりの活動の中で、変化はあった。好き嫌いにかかわらず名前を知る人は増えた。一方で、作品を発表する場は少なくなった。2000年代も半ばを過ぎる頃まで、エロマンガ雑誌はもっと幅が広かった。性的興奮を煽る「実用性」の有無とは別に、ほかのジャンルでは掲載できない作品にも発表の機会を与える場にもなっていた。けれども、そうした作品が売上の数字に結びつくことは、ほとんどない。実用性よりも独自性の強い、ニッチな作品を掲載することに誇りを抱いていた雑誌も次々となくなった。今、氏賀の主な作品発表の場は、同人誌。出版社から声がかかって、同人誌で描いた作品が単行本になることばかり。

 一方で、リョナ・グロジャンルも変化した。今は、自身の情報告知ほどしかないが、かつて氏賀の公式サイトは、膨大なコンテンツを持つサイトだった。氏賀の作品に刺激を受けて、イラストを描く者や小説を書き始める者もいた。そうした日常生活では人には話せない興奮を発露し、交流する場としての役割を、氏賀のサイトが担っている時期もあった。その役割も2010年頃には終わったと思って、氏賀はサイトを縮小した。

 そうした興奮を持つ人が減ったのではない。むしろ、増えていた。それと同時に、興奮や情念を発散する場も増えていた。画像や文章を投稿できるpixiv。そして、Twitter。

 そうしたインターネットを用いたサービスが普及する以前から比べると、リョナ・グロ趣味を人には言えないものとして隠す人は、格段に少なくなった。ペンネームやアカウント名。現実とは別のかりそめの人格だとしても、氏賀の描いてきたような世界を「人には言えない」と隠して楽しむ人ばかりではなくなっていた。性的興奮をする者もあれば、人が驚くような、誰も考えつかない苦痛を描くことに喜びを感じる人。あるいは、内に秘めた破滅的な願望を満たそうと欲する者。読者の数だけ受け止め方があり、楽しみ方がある……禁忌の向こうの楽しい世界へと足を踏み入れようとする人は、確実に増えていた。

 そんな世情の変化を見ながら、氏賀は作品を描くだけではなく、自作を実写映画として制作したり、そうしたアンダーグラウンドな作り手を集めた催し「艶惨(ENZAN)」を立ち上げたり、活動の場を広げていた。

 渋谷からのメールが届いたのは、ちょうどそんな頃だった。しばらくして、会いに来てくれた渋谷に、氏賀は自分の考えていることを話した。

《自分以外のマンガ家も日の目を見てほしい……》

 まだ「一緒に何ができるのだろうか。傑作選なのか新作描き下ろしなのか……」と、考えていた渋谷に、氏賀は自身の希望を語った。自分以外の、多くのリョナ・グロをテーマに描いている描き手の作品を集めたアンソロジーをやりたい。発案はしたけれども、氏賀自身が、何がしかをやり遂げたボスザルとして振る舞う気など毛頭もなかった。「ただ……自分もみんなと一緒に楽しみたいのだ」という願いから、導き出されたアイデアだった。

 ネット、例えばTwitterでは「リョナ垢」などと呼ばれる、自身の描いたリョナ・グロをテーマにしたイラストを発表する人もいる。pixivも同様である。けれども、それ以上の描き手となると作品が人の目に触れる機会は限られている。

 人には、20年を超えたベテラン作家のような言い方をされることもある。でも、氏賀自身は、長くやっている意識もない。ただ、ずっと描いていたら、猟奇という言葉が、いつの間にかリョナ・グロへと置き変わっていた。pixivにも、R-18Gというカテゴライズができた。R-18は、作者が18歳未満には見せてはいけないと判断したエッチな作品を示すキーワード。R-18Gはといえば、GはグロのG。すなわち、18歳未満には見せることが憚られるリョナ・グロな作品。そんなタグができるということは、そうしたジャンルの作り手が増えていることの明らかな証左。加えて、そうしたタグをつけた作品を見て「自分もやりたい」と、奮起している人は数限りない。

 でも……氏賀自身が注目され始めた頃と違って、エロマンガ雑誌がリョナ・グロ作品を一種のスパイスのようなものだと考えて掲載してくれる機会もほとんどなくなっている。

 ならば、同人誌はどうか。いくら人が増えたとはいえ、まだ楽しむ人が限られているマイナーなジャンル。いわば、前は10人しかいなかったのが40人くらいになった程度。以前と変わらず、食わず嫌いだったり、自分に正直になれない人は、今なお多い。

 氏賀自身も、決して自分のアンテナを高く張っているわけではない。人の作品を読んで楽しむよりも、自分の作品を描いているのが楽しく、それに時間を割くほうが多い。それでも、長く続けて来た恩恵なのか。pixivやTwitterでは、新しい描き手がフォローをしてくれる。積極的に交流をしたがる性格でもないから、どんな人が描いているのか、人となりはわからない。

《でも……その人たちの作品というのは好きで描いているんだということだけは伝わってくる……》

 ネットでの発表だけでは飽き足らず、同人誌を出している人もいる。けれども、多くの人は発行部数は500部程度。雑誌でいや応なしにでも氏賀の作品が目に飛び込んできた頃から比べると、読者に届く機会はむしろ少ない。そうした中から良作を集めるアンソロジーはどうだろうか……。

 渋谷の編集者としての勘は「これは、いける」と判断した。ただ、同人誌の再録ばかりでは読者の心に響かないかも知れない。だから、氏賀には単行本化することを前提で描き下ろしも依頼した。

 でも、3号目が出る頃には、氏賀の新作を掲載しなくても十分なまでに、迫力のある作品が集まっていた。

《私の夢に賛同してくれたのかはわからない……ただ、作品を寄せてくれたのは、もっとみんなに見てほしいという気持ちがあったからじゃないかと》

 広く名を知られているわけではないが、リョナ・グロのジャンルに限れば優れた描き手たちが幾人も掲載を承諾してくれた。その様子を見て渋谷は、3号目は氏賀の新作を掲載することをやめた。

「だって、すべて掲載したら、氏賀さんの単行本が売れなくなっちゃう……」

 氏賀の数年ぶりの描き下ろしを含めた連作集『Dr.乳児郎の憂鬱』は「エログロス」Vol.3よりも、一足早く2018年1月に単行本になった。

 * * *

 現在47歳になった氏賀の履歴書は、極めてシンプルだ。マンガに関すること以外に、描くべきことは皆無である。カレンダーに書き込まれるスケジュールも同じ。1日の、1カ月の、1年の……ほぼすべての時間を仕事場で一人で過ごす。目が覚めて、気力が充実していれば、そのまま仕事に取りかかる。とりわけマンガを描いている間に、ふっと集中力が抜けてTwitterを始めてみたりだとか、気を散らすことは一切ない。ただ一心不乱に机にかじりついて原稿を描き続ける。

 そのような仕事の仕方だから、体力と精神力は、瞬く間にペンの先から溢れ出て原稿へと移っていく。全力疾走が2時間ほど続けば、電球が切れるかのようにスイッチが落ちる。そのまま2時間ほど横になる。するとまた、体力と精神力はチャージされて、机にかじりつく。規則正しさや効率の良し悪しとは無縁の作業。私が氏賀に時間を割いてもらった日も、最初に目が覚めたのは、朝6時半。それから、全力で仕事をして、スイッチが落ちて一眠りしてからやってきた。

 過酷さと楽しさが入り交じった、マンガを描くこと以外に、氏賀は仕事というものを知らない。わずかな期間、雑誌編集部に出勤していた時期もあるが、それ以外にはバイトすら経験がなく、マンガだけで生きてきた。だから氏賀にとってマンガは、職業ではなく日常。

 息を吸ったり吐いたりしているように、マンガを描くことを止めるのは考えることができない。止めることがあるとすれば、編集者と打ち合わせをしたり、マンガ以外の創作の時間。息抜きといえば、趣味で集めているトランスフォーマーのおもちゃを弄る時くらい。けれども、これも息抜きかといえば違う。やはり、次の創作に向けてエネルギーをチャージしている時間なのだ。

 身体を酷使しても、必死に自分のやりたいことに情熱を注ぐことができるのは、若者の特権だ。誰しも老いからは逃れることはできない。40歳を超えれば、そんな生活はつらくなる。50歳を過ぎて、そんな過酷な生活をしていれば、残された時間のことが頭をよぎり生活を改めようとする。

 元来、氏賀は落ち着いた雰囲気の男だ。人生に焦っている感じは微塵も見せないし、日常に疲れた雰囲気もない。机にしがみつき、身体を動かすことの少ない日常の積み重ねは、身体にまとわりつく脂肪となって現れいる。にもかかわらず、だらしなく薄汚れた感じはない。それどころか、少年のような純真な雰囲気を身にまとっている。口からこぼれる言葉は、常に控えめ。自分の仕事を誇ったり、ここぞとばかりに尊大な主張をすることもない。その佇まいそのものが、迷いのない情熱なのだ。

 生まれたのは、新潟県の雪深い土地だった。精神史の始まりは、小学校5年生の頃である。その頃はまだ新潟県で暮らしていたが、土地の記憶は薄い。覚えているのは、マンガ家になることを最初に意識したのが、新潟県の本屋で買った『ドラえもん』(小学館)だったということだけだ。

《親からもらった小遣いで買ったのが、てんとう虫コミックス(同)の10巻。なぜだか知らないけれど、アホみたいにハマっちゃって……》

 てんとう虫コミックス版『ドラえもん』の10巻は、後に劇場版アニメへと発展した短編「のび太の恐竜」の収録巻である。その作品に魅了されたのか。あるいは、ほかの短編……「人間切断機」「ハリ千本ノマス」「たとえ胃の中、水の中」……何が少年の琴線に触れたのかはわからない。いずれにしても、これが「マンガ家になるぞ」と思った原点だった。

 それまでも、絵を描くことは好きだった。物心がつくころから落書きが好きで「紙と鉛筆だけ渡しておけば、何時間でも放っておいて大丈夫な子どもだ」と、親や親類は感心していたという。

 小学生になってからも、ずっと絵を描くのは好きだった。でも、それはあくまで子どものお遊び。それがマンガへと変化をしたのが、この頃だった。

 単なる落書き遊びが、夢に変化した頃、一家は埼玉県に引っ越した。それがきっかけになったわけではないが、自分でも本格的にマンガのまね事を始めるようになった。落書きではなく、コマ割りをしてマンガのようなものを描こうとした。最初はドラえもんやウルトラマンなど、ありがちなキャラクターを描いていた。ところが、ある時、クラスメイトを登場させてみると、大いにウケた。絵を描いているだけで満足していた少年は、自分のマンガを見てもらうことの楽しさを知った。

 それが、努力に火をつけた。「コロコロコミック」(同)や「週刊少年ジャンプ」(集英社)に掲載されている作品を穴が開くほど何度も読んだ。「いつかは、自分もこの雑誌に描くようなマンガ家になるんだ」と考えて、まねをした。でも、どんなに練習してもできないことがあった。

《小学校6年生くらいの頃でした。ジャンプ編集部に電話したんです。マンガで使われているツブツブのようなものを、どうやって描けばいいのかわからなくて……》

 小学生の素朴な質問に、電話に出た相手は丁寧に答えてくれた。

「それは、スクリーントーンというのを買ってきて貼るんだ。でも、君にはまだ早いから、それを使わないで描いてみなさい」

 結局、中学生になり、我慢できなくなってスクリーントーンを買った。自分のまだ未熟な絵を、雑誌に掲載されている作品のように仕上げることができるようにしなければならない。そう考えて、日々修業を重ねていた。学歴を得て、よい会社に入ることが人生の成功だと考えている世代の両親は、氏賀の努力には無理解だった。

「何を言っても無駄だ。ならこっそりとやろう」

 今となってはバレていたのだと思うが、画材を隠して見つからないようにしながら、修業を続けた。

 高校は、両親も納得する偏差値の高い進学校に進んだ。部員募集のチラシでマンガが描けると書かれていたので、美術部に入った。本来、油絵などを描く部活動のはずなのだが、顧問の教師はほとんど顔を見せておらず、部員の大半はマンガばかり描いている連中だった。勉強もせずにマンガばかりを描く高校生活が始まった。部活ではマンガを描き、帰り道はゲームセンター。帰ってからは、またゲームをやるかマンガを描く日々が繰り返された。

 ある日、学校から帰ると、弟が「今、放送されているアニメが面白い」と薦めてきた。金曜日の午後5時から放送されていた『魔神英雄伝ワタル』(日本テレビ系)だった。これは、面白いと兄弟揃って毎週見ていると、弟が「コロコロコミック」を持ってきた。作品中に登場する魔神を募集しているので、応募したらどうかと勧められた。

《弟が描け描けというので、お前が描けよと思ったけど……弟は絵が描けないので、自分が描いて送ったんです》

 氏賀が描いた魔神「海王丸」のデザインは、読者投票で1位になった。記念品にプラモデルをもらい、作中にも氏賀がデザインした魔神は登場した。けれど、当の本人は喜びよりも「どうしようか」ドキドキするばかりだった。「コロコロコミック」での募集は、主な読者である子どもの世代を対象にしたもの。高校生の自分が募集するのは気が引けて、名前も年齢もごまかしていたからだ。「バレたらどうしよう」と、しばらくは気が気ではなかった。

 そんな高校時代に始めたことが、もうひとつあった。雑誌の読者ページへの投稿である。当時、新声社から発行されていたゲーム雑誌「ゲーメスト」の読者欄に、幾度もハガキを送っていた。ハガキの裏に4コママンガを描き、月に何枚も編集部に宛ててポストに投函した。いつしか常連の投稿者となっていた。

 氏賀は、マンガ家人生の中で、ただの一度も描き上げた原稿を携えて、編集部へ持ち込んだことがない。ただこれだけが、編集部へ出来上がった作品を送るという経験だった。

 ただただ、ひたむきにマンガを描き続ける。それが氏賀のマンガ修業だった。通例、高校生くらいになると、具体的にマンガ家になるための人生設計を考え始める。高校を卒業してから、専門学校に行く、アシスタントをする、出来上がった作品を編集部に持ち込む……。そんなレールを敷く予定を決めるよりも、今、この瞬間にもマンガを描く。明日も明後日も描き続ける。そのことしか、氏賀の頭の中にはなかった。高校生活も後半になると、寝ても覚めてもマンガを描くこと以外、何も考えたくなくなった。進学校であるから、周囲は、自分の成績なら具体的にどれくらいのレベルの大学に入ることができるのか。偏差値を参考にしながらの学校選びがクラスの話題になる。そんな話の輪に入ることなくマンガを描き続ける氏賀の成績は、入学当初よりも、さらに悪くなった。「ちゃんと、高校だけは出たほうがよい」教師の言葉も、氏賀にはまったく響くものがなかった。

《勉強なんかしてる暇があるかーって思って。それで……高校を中退しちゃったんです》

 もう、何者にも邪魔されずにマンガを描くことができる。だが、高校をやめた当初、実家は針のむしろだった。とりわけ、母親はしばらく荒れていた。けれども、そこまで決意を固めた息子の姿を見て、次第に考えを変えて「そこまでやったのだったら、絶対にマンガ家になりなさいよ」と繰り返すようになった。ふと、自分は母親と性格がそっくりなのだと、氏賀は思った。

 * * *

 退路を断ち、本格的にマンガに取り組もうとしていた時、「ゲーメスト」の編集者から連絡が来た。「うちの編集部で働かないか」。これは、マンガ家になる好機かも知れないと思い「働きます」と返事をした。

 最初に任されたのは、ライター仕事だった。「ゲーメスト」が扱っているのは「アーケードゲーム」。ゲームセンターに置いてある業務用のゲーム機の専門誌だ。シューティングゲームや対戦格闘ゲームなど。大勢の若者たちがゲームセンターに集まり、百円玉をつぎ込んでランクを競い合っていた時代。編集部には、全国のハイスコアラーが出入りし、質の高い記事で部数を伸ばしている雑誌だった。その上り調子の雰囲気が、ライターに自由にやらせる余裕を生んでいた。氏賀は、編集者から指示されて、新作ゲームや攻略情報を書くだけでは飽き足らず「カットを描かせて」「4コママンガのページをつくりましょう」と、次々とアイデアを提案した。氏賀の描いた4コママンガは評判がよく、たびたび掲載されるようになった。

 氏賀の提案した記事ページや4コママンガは、読者からも評判がよかった。ただ、原稿料は驚くほどに安かった。そのことを相談したところ、会社が多角経営の一貫で経営していたグッズショップ「まるゲ屋」でのバイトを紹介された。勤めてみると、店員たちは驚くほどに、いいかげんだった。たびたび「今日は、休みたいから……あなたが代わりに出てくれ」と電話がかかってきた。一週間、休みなく働いていると、記事を書いているよりも儲かった。それで、口に糊することができるようになると、もっとマンガを描きたくなった。「ゲーメスト」の中の店の宣伝ページ「まるゲ屋瓦版」にも、自作の4コママンガを描くようになった。

 忙しい日々は数年続いていた。雑誌は上り調子だった。1991年にカプコンが発売した『ストリートファイターII』をきっかけに、対戦格闘ブームが始まると、部数はどんどん伸びていった。92年の秋に入った頃、氏賀の描いていた4コマを気に入っていたゲーム制作会社・アイレムの担当者が「うちの作品のマンガを描いてほしい」と依頼してきた。本誌の付録小冊子にその年の7月に発売されたゲーム『アンダーカバーコップス』を元ネタに描いてほしいというのだった。

 今では、ゲームがマンガになるのは当たり前のこと。でも、当時はそれだけでも話題になった。アニメになっているような作品はあった。けれども、ゲームには人気になってるからマンガ化するという流れは、まだ確立していなかった。ここぞとばかりに、ゲーム本編とはまったくテイストの違うギャグマンガを描いた。『アンダーカバーコップス』は、それまで硬派なゲームを売りにしていたアイレムが、路線を変えて美少女キャラクターを登場させたことで、ゲーマーから賛否両論が飛び交っている作品だった。そこに投入された、ゲーム本編とも異色のマンガは、また話題をさらった。

 これを見た編集者は、すぐに人気ゲームをマンガ化する雑誌「コミックゲーメスト」を創刊することを決めた。すぐにその企画が通る勢いと、読者の支持が、当時はあった。

 こうして氏賀は連載陣に加えられ、マンガ家になった。連載になった『アンダーカバーコップス』や『豪血寺一族2』。氏賀が手がけた作品は、人気作となった。有力な描き手を揃えた雑誌はヒットし、当初の隔月刊から月刊誌へと進化した。でも、氏賀はそこに安住することをよしとせず、離れた。

《パロディは嫌いじゃないんですけど……オリジナルを描きたいという思いがムクムクと出てきて……》

 専属料をもらい、経済的にも安定していた。後に妻となる女性は「コミックゲーメスト」の立ち上げの時に入社してきた、自分の担当編集者だった。公私ともに安定しているはずなのに、そうなればなるほどに、もっと面白いことをやりたくてたまらなくなっていった。

 フラストレーションもたまっていた。後に倒産の理由のひとつになるのだが、新声社は典型的な同族経営の企業だった。まったくゲームもマンガもわからない専務のオバサンが、たびたび現場に口出しをしていた。「オリジナルなんて、だめだめ。あなたは、パロディがいいのよ」まったくマンガのことなど知らないオバサンに訳知り顔で、見当外れなアドバイスをされればされるほど、オリジナルを描きたくてたまらなくなった。そう考えているうちに、自然に縁が切れた。

 * * *

「一般誌で描くことができるマンガ家になろう……」新声社と縁が切れた時には、そう思っていた。でも、一般誌で掲載されるであろうマンガよりも、もっと描きたいものがあった。グロを描きたかった。

 最初に気づいたのは『ドラえもん』にハマっていた小学生の頃だった。来る日も来る日も、ドラえもんの落書きをしていた、ある日……なんとなく、ドラえもんをバラバラにした絵を描いた。自分で描いて驚いた。さっきまで、親友だと思っていたロボットが、単なる鉄くずとなってしまう。いかなる生き物も、魂が失われれば単なるゴミとなってしまうという不条理さに気づいた瞬間だった。

 次に気づいたのは、高校生になりスプラッター映画を見た時だった。当時のスプラッター映画には、お約束のように血塗れの裸の女が登場するシーンがあった。それを初めて見た時に、また興奮を覚えた。

 これまで、エロマンガの枠でリョナ・グロを描いてきた氏賀だが、リョナ・グロで、一度たりとも勃起するような性的興奮を感じたことはない。

《私にとってその興奮は、街を歩いていたら、風が吹いてパンツが見えてしまったようなものなんです》

 勃起から射精へと至る興奮とは別の「とんでもないものを見てしまった」感覚。それが、氏賀のリョナ・グロ観。それを、マンガに描くに至ったきっかけは、もうひとつ。高校生の頃に読んだ、筒井康隆の小説『問題外科』(『最後の喫煙者』新潮社文庫、収録)だった。高校生らしく、筒井や星新一の作品を愛読していた氏賀は、この作品のインパクトに度肝を抜かれた。

『問題外科』は、ただ病院を舞台に2人の医師が遊びで看護婦を解体するだけの、不条理でグロテスクな作品。

《自分は、その影響から逃れることはできなかった……》

 だから、最初にグロマンガを描こうと思った時に、頭に浮かんだのは『問題外科』をモチーフに、その先へといく展開。学校を舞台に授業で少女が解体され、生徒たちに食べられていくという物語だった。マンガのことなど何もわかっていないオバサンに、訳知り顔でアドバイスされたことへのフラストレーション。そのほか、日常の中で身体の中に蓄積されていく<毒>のようなものを作品に叩きつけた。

《世の中、毒にも薬にもならないマンガが多すぎる……だから、自分は毒になってやるよ……そう思って描いたのです》

 出来上がった作品は、同人誌で発表した。同人誌の表紙に『毒どく』とタイトルを刻んだ。

 最初は、ずっと続けるつもりはなかった。その時あったのは反発心だった。ホラーマンガやスプラッター映画のような立ち位置で、筒井康隆のグロテスクな作品のようなものを描きたいと思っていた。エロマンガを描いている気持ちは、かりそめもなかった。いずれ一般誌で描こうと思っていた。今では当たり前のことだが、当時はまだ、エロマンガから一般作品へと舞台を移した描き手が「エロマンガ家のくせに……」と、揶揄される時代だった。自分が描いているのは、グロ。エロは描きたくないけど、グロならいくらでも描きたい。それに、グロマンガなら、いくら描いても烙印を押されることはないだろう……そう思って、次々と作品を描き続けた。でも、同人誌に描くだけでは満足できるはずもなかった。同人誌は未完成の作品であるというスタンスは、この時から一貫していた。

《出版社は、販売して採算が取れる商品と判断して出版しているじゃないですか。でも、同人誌は、作者が出そうと思えば、いつでも、どんなものでも出せますよね。なんでしょう……誰かに認められる段階にならないと、バイオグラフィーに加えてはだめだろうと思っています》

 だから、いくらグロマンガを描いても、発表の場が同人誌である限り、未完成の作品原稿が積もっていくだけ。プロのマンガ家として、どうやって描いていこう。悩みに手を差し伸べたのは、その時には妻になっていた、「コミックゲーメスト」の担当編集。

「だったら、いつも描いているグロマンガでやればいいじゃない」

 その一言で、迷いは吹き飛んだ。そうそう、それなら自分はネタが尽きない。そういうマンガ家人生もありだろう。

 ならば、具体的にどうしよう。そんなことを考えていたら、同人誌即売会に一人の男がやってきた。男は、桜桃書房と刷られた名刺を差し出して、言った。

「うちで描きませんか?」

 商業誌の氏賀Y太が誕生した。

 * * *

 最初の作品掲載の場として与えられたのは、アンソロジー「生贄市場」シリーズだった。月1冊のペースで刊行されるエログロ作品ばかりを集めたもの。全力で次々と作品を描いた。でも、少し困ったことがあった。掲載作の性質上、何がしかの形でセックスシーンが求められた。

《リョナの場合、表現がエロ。だから、セックスシーンは蛇足だと思っているんです》

 それでも、プロとしての矜恃で全力を注いで描いた。そうしていると、また別の出版社から声がかかった。三和出版の月刊誌「フラミンゴ」だ。エロマンガ雑誌でありながら、掲載作の大半はニッチな作品。「エロマンガ界の『ガロ』」とも呼ばれていた雑誌は、氏賀にとってぴったりの舞台。むしろ「なんで、自分には声がかからないのか」と、思っていた雑誌。今度の依頼は、ずっとシンプル。「作家の好きなものを描いて」というのが、編集方針だったのだ。もう、読者の性的興奮なんて考えなくてもいい。

《面白いものを描こうという思いだけ。読者がヌケようがヌケまいが興味ない。ただ好きなものだけを描き続けていました……》

 ホットドックを買いに来た女子高生が、カラシ漬けにされて死ぬ短編。謎のウイルスで少女が血塗れとなり、バンデミックによる世界滅亡を予感させる連作……。

 21世紀に入る頃から、氏賀には仕事の依頼が次々と舞い込んだ。単行本も続々発売された。好き嫌いにかかわらず、エロマンガに親しむ人々は氏賀Y太の名前を知ることになった。

 でも、絶え間なく原稿依頼がある生活は、長くは続かなかった。2000年代も半ばを過ぎると、雑誌からの依頼が減った。自由に描けた「フラミンゴ」は雑誌休刊後、アンソロジー『フラミンゴR』として復活するが、作家に自由に描かせすぎて潰れた。

 雑誌は、どんどん保守的になっていた。どの雑誌も限られたパイを奪い合おうと、冒険的な作品の掲載を嫌うようになっていた。だから、氏賀のような作品を載せる余地はなくなっていた。最後に「好きなように描いてください」と、依頼してきた出版社からは、連載中にワンマン社長の「こんなグロいのを載せるんじゃない。二度と、描かせるな」という鶴の一声で打ち切られた。

 幾人もの編集者に同じことを言われた。

「氏賀さんのマンガが載っているというだけで、フツーのエロマンガを読みたい読者が逃げちゃうんで掲載する場所がないんですよね……」

「でも、一定数、単行本は売れるので単行本を出しません?」

 はみ出している自分が活躍する場は限られている。同人誌で描いた作品をオンラインで販売する。同時に、それを出版社で単行本にしてもらう。そういう形を取らざるを得ないと悟った。

 子どもは成長していた。共働きだから食べるに困ることはなかった。それでも、時代の変化に親しもうとした。天童一斗という別ペンネームで、リョナ・グロを封印した純粋なエロマンガを描くことに挑戦した。

《天童名義の時は、地獄でした……》

 マンガを描いている時は、いつも本気。だから、自分の考えるエロいと思う要素を、これでもかと原稿用紙に叩きつけた。真剣に、自分の考えるエロスで読者を勃起させようと考えた。でも、通用しなかった。全力で描いても、まったく評価は得られなかった。嫌になって、やめようと思った。それより先に、依頼してくる編集者がいなくなった。

 かえって、自分はリョナ・グロを描かなくてはいけないのだという決意は固まった。

 大抵の描き手は、依頼を失い、老いさらばえて朽ち果てていく。かつては売れていたのに、落ちぶれたものだと冷たい視線に晒されることに耐え切れなくなる。何がしかの飲み会や、SNSで大言壮語を吐き、新しく浮上してきた才能に的外れな批評を加えて、やがて誰も近寄る人がいなくなる。でも、氏賀はそうはならなかった。なおも単行本は発売され、現役感を保ったままだ。

《自分は子どもっぽいんで、年を取ってる自覚がないんです。言うたびに笑われますけど、30代半ばまで、ついこないだまで高校生だという感覚がありました。今、47歳になって身体の衰えた感覚はあるけれど、年を取った感覚はありません》

 今もなお意識の中の氏賀は、20代半ばの青年。だから、マンガ家生活を長く続けている感覚もない。一時は芽生えた新しい才能への嫉妬も、若いやつらに虚勢を張りたくなる気持ちもなくなった。

《いろいろな感情と向き合いました。そうしているうちに、人間が不幸になる唯一の理由は、自分が不幸だと思った時なんだと考えるようになりました。突き詰めれば、自分と誰かを比べたら、途端に自分が不幸になる……だから、それはやらないことに決めたんです》

 一人ひとりの描き手には、それぞれの持ち味があり、魅力がある。むしろ、画力のある若い描き手は、自分がさらに進歩するための絶好の素材。自分が劣っているところばかりを比べてなどいられない。

《誰か自分よりも若くて可愛い絵でリョナ・グロを描く人がいたとします。その人と比べて、自分が自信をなくして筆を折ったとしたら……自分のマンガを好きでいてくれた読者に、すごく失礼なことだと思うんです。だから、諦めるのではなく、それぞれに良さがあるのだと考えをまとめたんです。自分と他人を比べた時に生じる劣等感は、一切捨てました》

 * * *

 苦難からの解放の過程で、読者に対する意識も変わった。リョナ・グロを描き始めた当初、氏賀の心は妖刀のように切れ味鋭く、近寄るものをすべて切り捨てようとしていた。自分の作品を愛読してもらう気持ちなど微塵もなく「どうやって読者に嫌われようか」そればかりを考えていた。机にかじりついて、一生懸命描いた作品で、読者がショックを受けてくれればよい……そればかりを考えていた。でも、次第に考えは変わった。

《今は、読者が増えてほしいと思っています。お金が欲しいからではありません。昔は読者にショックを与えたかったけど……今は、ショックを受けながらも読んでほしいんです》

 同人誌が主な新作発表の場となった氏賀だが、甘えや妥協は一切なく、むしろ意識を研ぎ澄ましている。作品発表の場がどうなろうとも、氏賀自身のスタンスは、自分はプロのマンガ家だ。それは、過去から現在まで変わらない。商業誌の仕事が殺到していた頃、一度は同人誌を出すことをやめた。クオリティが下がり、雑なまま出すことが何度か続いたからだ。プロである以上、商業誌の仕事を優先するのは当たり前のこと。コミケの前になり「同人の原稿があるから」と、商業誌の仕事を断る描き手の心は、氏賀には理解できない。そのスタンスには揺るぎがないから、同人誌には手を抜かない。今でも、出版社からの仕事依頼が来て、そちらに時間を割かれるようならば、スッパリと同人誌をやめるだろう。

 興味の範疇も、年を追うごとに広がっていった。いろんなことをやりたい気持ちが募って、リョナ・グロをテーマにしたイベント「艶惨」を立ち上げた。自身も製作に参加して、自作を原作にした映画も2本できた。それも、すべてはマンガのため。

《「艶惨」は、できる限り続けていきたいと思っています。でも、いろんなことをやればやるほど、自分が自分らしくできることは、マンガだと実感しているんです。別に絵がとびきりうまいわけではありません。今風の絵柄を描けるわけでもないけど……自分の一番自慢できることは、マンガだと思っているんです……》

 * * *

 今は家族にも邪魔されずに、仕事場で寝て起きて、メシを食べながらマンガを描いているのが、氏賀の幸せ。

《すごく幸せですよ。24時間、マンガを描くためだけに生きていることができたら》

 幸せな毎日は、次々と読者を驚かせ、魅了するアイデアの泉を掘り当てる。2017年の年の瀬、コミックマーケットに出展した氏賀の新刊『毒どくvol.15 うじほね!』は、新たな試み。これまたニッチなマンガ家として知られる掘骨砕三と、お互いの描き起こした原作を交換して描く試み。掘骨もまた、追随する者のいない特異な描き手。異形や奇形。そんな身体へと変化する男性や女性。獣や人外の生物との相姦。互いに、ほかには誰もできない作品を描いているもの同士が、お互いのネーム、すなわち下書き一歩手前の原作を交換して作品を描き上げてみたらどうなるだろう。それは、自分たちが楽しいだけではなく、読者も興味を持って読んでくれるはずだと思った。

 氏賀は、自身の持ち味を存分に生かしたネームを送った。クラスでも目立つ明るい少女が、根暗な主人公のねじ曲がった愛憎の結果、内臓まで引きずりだされて、可哀想な死を迎える。残酷なのに、どこか笑いのあるようにも見て取れるバッドエンド。

《女が憎くて殺しているのではありませんが……作品の中では、殺したら可哀想なよい子を殺したいのです》

 憎い女よりも可哀想な子のほうが、読者の心に刺さると思っている。だから、今回も、本当に読んでいて可哀想になる、よい子を描いた。

 同じように、掘骨からもネームが送られてきた。やはり、いつもの掘骨の描きたいものが、思いのままに刻まれたネームだった。主人公の少年が、10本足の獣のメス役をやらされて、獣に肛門を犯されるうち、身も心もメスに変わっていく作品。ちゃんと、獣の身体の構造を解説する骨格図までついていた。

 出来上がった同人誌は、12月31日、コミックマーケット最終日に、氏賀のスペースに初めて並べられた。ブースには、本を求めて小さな列ができた。いったいどのような作品に仕上がっているのか。興味を持つ人は多かった。どこか土着的な掘骨の絵柄で描かれる氏賀の原作は、いつもとはまったく異なる残酷さを放っていた。泥臭い色気を持ったヒロインは、まったく救われない。救われないのに、なぜか幸せな物語にも読めた。

 氏賀がペンを入れた掘骨の作品も、幸せに満ちていた。もとより、どんなに異常な展開を描いても必ずハッピーエンドになるのが掘骨の持ち味。その、異常な光景にもかかわらず、登場人物たちは納得し、幸せを噛みしめている。その心情を、氏賀はしっかりと噛みしめて味わいながら描いていた。いかに異常な世界を描きながらも、2人とも、この上なく作品には真摯で、心の綺麗な描き手なのだ。

 実際、私生活での氏賀は極めて常識人だ。子どもが幼かった頃には、働きに出ている妻にかわってPTA活動にも積極的に参加していた。マンガ家というと「ジャンプで描いているのですか?」などと聞かれて面倒くさいので「グラフィックデザイナーです」とは、答えていたが。その子どもには、成人するまで自分の作品を見せたことはなかった。自分が、氏賀Y太であることは一切話さなかった。

《やっぱり、未成年にエロマンガの話はできなかった》

 子どもも親に似たのか、オタク趣味の持ち主に成長した。子どもが二十歳を迎えた時「お前のオタク友達に話したら、変に思われるかもしれない。人に話すかどうかは自分で判断しなさい」と前置きして、自分が氏賀Y太であることを告げた。オタク趣味ゆえに、さまざまな作品を読んでいたからだろうか。思ったほど驚かれはしなかった。

 ずっとマンガを描いていたい氏賀は、子どもができた時には、少し困惑した。「ずっと、自分が面倒をみなくてはいけないのか」。自信のなかった子育てだったが、子どもは存外に真っ当に成長した。でも、ふとした瞬間に氏賀は、不満を感じた。子どもが成人しても、人生の明確な目標を持っていなかったからだ。

「なんのために生まれてきたか、ちゃんと見定めなさい」と何度も子どもに、噛んで含んで聞かせていた。なのに、どうして自分が早々とマンガ家として生きることを決めたように、人生の目的を決めることができないのか。でも、ある時それが当たり前のことなのだと気づいた。世の中の大半は、そういう人間で占められているのだと。この世に生まれた理由に迷いながら、死ぬまで人生を全うすることが大事なのだと。

《なんだろうな……なんのために生まれてきたかわからないのは悪いことじゃない。今は、そう思っています……》

 本人は否定するかも知れないが、こうした人生の経験は、氏賀の作品に確実に反映されている。ニッチなテーマの作品の描き手は、すべてが一本調子になりがちだ。自分の描きたいものは、自ずと洗練されてくる。そうなると、いつも同じシチュエーション、同じ雰囲気のキャラクター、同じ物語の進行。すべて、同じことの繰り返しへと陥る。「エログロス」に作品が掲載された、ある描き手もそうだ。描く作品は、ほかの人には描けないような独特の世界。でも、もう何年も商業誌では見かけず、pixivすらも、ほとんど更新していない。渋谷がコンタクトしてみると、すでにプロのマンガ家として生きることは諦めて、別の仕事についていた。

「30代だと、まだやり直しが利くから。子どもが生まれたりして、いつまでもエロマンガの仕事をやってはいられないと去っていく。こうしたジャンルなら、なおさら……氏賀さんみたいになると、もう戻れないけどね」とは、渋谷の弁。もとより氏賀は、この先もほかの人生など考えてはいない。

《あと、何年くらい描き続けることができるか……。ほかにすることがないから……。もし、筆を折るとしたら、世の中から、もういらないと思われたとき……》

 * * *

 今回、氏賀に会うために、私は埼玉県のある街に出向いた。混雑した電車内で、私は一抹の不安を拭うことができなかった。渋谷は手際よく段取りをして、自分も話を聞きたいので現場に出向くといった。その電話の時に、とても驚くことを告げられていた。

 氏賀の近しい親族が死の床に就いていて、もしかすると日を改めることになるかもしれないというのだった。「もし、その場合は連絡をしますよ」。当日まで連絡はなく、私は予定通りに電車に乗った。

 ただ、電車の中で少し不安になった。人の死を幾度も描いているとはいえ、身内の不幸が近しい人に、死に絡む事柄を聞くことなどできるのだろうか。私の仕事は、いわば覗き屋のようなもの。幾度も人の死を描いている描き手が、近しく親しい身内の死に臨んで、どのような心情なのか。その状況で、作品を描くことができているのだろうか。興味は尽きなかったが、憚りなく聞くことができるかは自信がなかった。

 でも、待ち合わせ場所にやってきた氏賀は、こちらが驚くほど落ち着いていた。ただ、禁煙したと聞いていたのに、ポケットから煙草を取り出したのに気がついた。そのことを指摘すると、氏賀はごく自然な面持ちで、自分の心の内を語り始めた。

《残される身内の心のケアをしなくちゃいけないんで……我慢してやってられないと思って……》

 身内を喪うことは大きな悲しみである。けれども、同時に人間には残酷な一面もある。喪いたくない身内が、死の床についてから1週間、2週間と時が過ぎていくと、気持ちは混乱する。差し迫る死は悲しい。今日なのか明日なのか。いつともわからない日々を過ごすのは、全身を覆い尽くす大きな悲しみが先送りされているように感じてしまうのだ。

 そんな日々の中でも、氏賀の死生観は変わらない。黙々と、マンガを描き続ける日常は続いている。

 氏賀の年齢まで生きていれば、幾度か友人知人、家族親族の死に遭遇したはずだ。そうした時に、当たり前に人が死ぬリョナ・グロを描いていることに、疑問を覚えたことはなかったのか。ふっと浮かんだ疑問を、そのまま言葉にして伝えた。

《マンガ家の悪い癖なんですけど、どんな悲しいことがあっても、この感情……自分の今持っている感情は“使える”と思うんですよ》

 そう言って、目の前のテーブルに置かれたコップの飲み物をゴクリと一口飲んだ。相変わらず、眼鏡の奥の瞳は真剣で、優しそうに輝いていた。

《物書きって、自分の切り売りなので、どんどん自分のマンガの中に練り込んでいるので……弟が死のうが、妹が誰かに捕まって解体されようが、描けますよね》

 それから、またコップを手に取って、飲み物を一口。

 かつてマンガ家になりたかった少年は、マンガ家になった。それから20余年の時を経て、彼は全身でマンガ家になった。

 おおよそ創作活動をする者にとって、自分にはこれしかないのだと、人生のすべてを賭けても惜しくないものを見つけることができるのは幸せだ。

 現在の氏賀と同じ年齢になった時に、どれだけの人が、氏賀のような瞳の輝きを持つことができているのか。
(文=昼間たかし)

■氏賀Y太最新単行本『Dr.乳児郎の憂鬱』はジーウォークより発売中
■「エログロスVol.3」は2月27日発売予定

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【ルポルタージュ】氏賀Y太 リョナ・グロとマンガに人生を全振りする男のスケッチ

 入稿は終わった、ひっそりと。

 寒さも一段と厳しくなる予報に、暖かい夏が恋しくなる2018年の2月2日。中目黒のビルにあるオフィスで、編集長の渋谷一功は確かな手応えを感じていた。

 入稿を終えて、ほっとしながらデスクの上に山のように積み上げられた校正紙を整理した。そして、もう一度、表紙が印刷された校正紙を眺めた。

 そこには、こう書かれていた。

「リョナ+ニッチ系アンソロジー エログロスVol.3」

 血塗れの女の身体。その身体から切り落とされ、もはや生命の失われた生首のイラスト。そこには、おどろおどろしい書体で、こう印刷されていた。

「バックリ愛首イリュージョン」

 始まりは、メールのやりとりからだった。

 それは、エロマンガ編集者にとっては、いつもの仕事。一緒に何かの作品を作りたいと思わせる才能と出会った時、その描き手に「あなたに会いたいのだ」と気持ちを伝えるのは、いつもメールだ。今どき大抵のマンガ家は、自分のサイトやSNSアカウントを持っている。それは著者にダイレクトに届く連絡先。手紙をしたためて封書で送るのと、同じくらいに礼儀正しい常識的な手段。

 でも、すぐに「待ってました」と返事をよこすマンガ家なんて、ほとんどいない。だから、編集者はいろんなことを考えながら、待たされる。メールを読んでくれたのだろうか。果たして、返事をくれるのだろうか。返事をくれたとして、いま仕事を受けてくれるスケジュールの余裕があるのだろうか。別の出版社の名前を挙げられて、断りのメールが来たときには、心底がっかりとする。

 それでも、メールを送るのならば、今が絶好のタイミングではないか。確証はないが、渋谷の編集者としての経験から来る勘が、メールを打つ手を止めることはなかった。

「一緒に何かできませんか」

 相手は、自分自身も読者として作品を読んできた描き手。編集者目線だけの文面になってはいないか。いつもより、言葉に気を使わなければならないと思った。幾度か、文章を黙読してから送信ボタンをクリックしようとして、もう一度だけ本文の一行目に書いた名前の文字を確認した。

 普段使っているパソコンには、その名前を、単語登録していた。けれども、万が一間違っていやしないか、気になった。

 そこには、間違うことなくメールの相手の名前が記されていた。

「氏賀Y太」

 早く返事をくれますように……そんな願掛けをしながら送信ボタンをクリックした。

 残念なことに、氏賀はちょうど原稿が多忙な最中だった。だから、メールの返事は忘れた頃になって、ようやく届いた。

 * * *

 これが、氏賀の発案によるリョナ+ニッチ系アンソロジー「エログロス」誕生の発端である。

 氏賀Y太というマンガ家を説明するならば「知る人ぞ知る大御所・ベテラン」という言葉がふさわしいだろう。その名に震える人もいる一方で、広く世間で誰もが読み、飛ぶように作品が売れるタイプの描き手ではない。

 その名前を知る者の、震え方もさまざまだ。

 氏賀の描く作品が収録された単行本には、いずれも出版社が黄色い楕円形に「成年コミック」と文字が刻まれたマークを付ける。いわゆる出版社の自主規制マークというやつである。1996年から用いられるようになったマーク。黄色い楕円がアピールするのは、通例ならば収録されている作品が性的な興奮を得られるエロマンガであるということ。今や、エロマンガは日本のマンガ文化の重要なジャンル。エロマンガを振り出しに、メジャーな作品へと階段を上っていった者は星の数ほど。情熱の温度差はあれども、読者の数も数限りない。

 年齢制限をすることで、さまざま「過激な」描写が入り乱れるエロマンガの世界だが、そうした描写に慣れ親しみ、刺激を求める人々も、氏賀の名前を挙げると、少し顔を曇らせる。

「私は、興奮しないのだが……」それが、氏賀の作品が話題に出た時に、多くの人が添える枕詞だ。まるで、小学校でクラスの本棚に1冊だけ置いてあった幽霊やお化けの話をまとめた、怖い本のような扱い。

 一方で、私もそうだが、ほかに誰も描かない独特の世界観に、性的なものとはまた異なる異質な興奮を見いだす者も少なくない。そう「エログロス」が、創刊から1年足らずで、第3号まで、潰れることなく出版社から発行されるくらいには……。

 その氏賀が描くのは、以前は「猟奇」。今は「リョナ・グロ」という言葉でくくられるジャンルの物語。バイオグラフィーをひもとくと、最初に上梓した単行本は、2000年5月の『毒どく猟奇図鑑』(桜桃書房)。それに先立つ数年前から、氏賀は同人誌や商業誌で次々と作品を発表していた。

 私自身の出会いを記すと、最初に読んだのは1990年代の半ばを過ぎたころだったか。何気なく購入した同人誌で、氏賀の作品を初めて読んだ。「三人の浮浪者」というタイトルの短編は、ゆきずりの少女が、生きたまま解体されて、酒の肴に内臓を食べられていくという不条理な作品。

 あたかもエロマンガの表現の一つのような体裁を取りながら、描かれるのは理不尽で可哀想な死のドラマ。性的なものとは異なる興奮が、そこにはあった。「見てはいけないものを、見てしまった」という禁忌を犯している気分。エロマンガとは違うベクトルの「誰かに見られたらどうしよう」と、部屋に隠し置いておくのすら憚られる感情。それにもかかわらず、何度も読み返してみたくなる迫力が、わずかなページ数の中に渦巻いていた。

 氏賀の作品が、書店に並ぶエロマンガ雑誌でも見かけるようになったのは、それからしばらくしてからだった。進んで好きな作品と絶賛する人はいなかったけれど、何かのはずみに氏賀の名前が出ると、判を押したように「決して好きではないのだが」と前置きして、いかにとんでもない作品であるのかを語るのだった。

 それから、すでに20年あまり。その間、氏賀はエロマンガとも、ホラーともスプラッターともカテゴライズできない独特の世界を描き続けてきた。女性が理不尽に可哀想な目に遭う展開ばかりではない。時には、それを発端に世界の終末の始まりというスケールの大きな作品を描いた。そうかと思えば、巫女が、街で大暴れするパンダと戦うホラーとバトルを組み合わせたような作品も描いた。一貫しているのは、どの作品でも四肢が吹き飛んだり、内臓が飛び出したり、ページいっぱいに血が飛び散り……息をするかのように、当たり前に人が死ぬシーンを描いてきたことだ。その筋を通してきたことで、氏賀はリョナ・グロジャンルの「大御所」になった。

 氏賀の20年あまりの活動の中で、変化はあった。好き嫌いにかかわらず名前を知る人は増えた。一方で、作品を発表する場は少なくなった。2000年代も半ばを過ぎる頃まで、エロマンガ雑誌はもっと幅が広かった。性的興奮を煽る「実用性」の有無とは別に、ほかのジャンルでは掲載できない作品にも発表の機会を与える場にもなっていた。けれども、そうした作品が売上の数字に結びつくことは、ほとんどない。実用性よりも独自性の強い、ニッチな作品を掲載することに誇りを抱いていた雑誌も次々となくなった。今、氏賀の主な作品発表の場は、同人誌。出版社から声がかかって、同人誌で描いた作品が単行本になることばかり。

 一方で、リョナ・グロジャンルも変化した。今は、自身の情報告知ほどしかないが、かつて氏賀の公式サイトは、膨大なコンテンツを持つサイトだった。氏賀の作品に刺激を受けて、イラストを描く者や小説を書き始める者もいた。そうした日常生活では人には話せない興奮を発露し、交流する場としての役割を、氏賀のサイトが担っている時期もあった。その役割も2010年頃には終わったと思って、氏賀はサイトを縮小した。

 そうした興奮を持つ人が減ったのではない。むしろ、増えていた。それと同時に、興奮や情念を発散する場も増えていた。画像や文章を投稿できるpixiv。そして、Twitter。

 そうしたインターネットを用いたサービスが普及する以前から比べると、リョナ・グロ趣味を人には言えないものとして隠す人は、格段に少なくなった。ペンネームやアカウント名。現実とは別のかりそめの人格だとしても、氏賀の描いてきたような世界を「人には言えない」と隠して楽しむ人ばかりではなくなっていた。性的興奮をする者もあれば、人が驚くような、誰も考えつかない苦痛を描くことに喜びを感じる人。あるいは、内に秘めた破滅的な願望を満たそうと欲する者。読者の数だけ受け止め方があり、楽しみ方がある……禁忌の向こうの楽しい世界へと足を踏み入れようとする人は、確実に増えていた。

 そんな世情の変化を見ながら、氏賀は作品を描くだけではなく、自作を実写映画として制作したり、そうしたアンダーグラウンドな作り手を集めた催し「艶惨(ENZAN)」を立ち上げたり、活動の場を広げていた。

 渋谷からのメールが届いたのは、ちょうどそんな頃だった。しばらくして、会いに来てくれた渋谷に、氏賀は自分の考えていることを話した。

《自分以外のマンガ家も日の目を見てほしい……》

 まだ「一緒に何ができるのだろうか。傑作選なのか新作描き下ろしなのか……」と、考えていた渋谷に、氏賀は自身の希望を語った。自分以外の、多くのリョナ・グロをテーマに描いている描き手の作品を集めたアンソロジーをやりたい。発案はしたけれども、氏賀自身が、何がしかをやり遂げたボスザルとして振る舞う気など毛頭もなかった。「ただ……自分もみんなと一緒に楽しみたいのだ」という願いから、導き出されたアイデアだった。

 ネット、例えばTwitterでは「リョナ垢」などと呼ばれる、自身の描いたリョナ・グロをテーマにしたイラストを発表する人もいる。pixivも同様である。けれども、それ以上の描き手となると作品が人の目に触れる機会は限られている。

 人には、20年を超えたベテラン作家のような言い方をされることもある。でも、氏賀自身は、長くやっている意識もない。ただ、ずっと描いていたら、猟奇という言葉が、いつの間にかリョナ・グロへと置き変わっていた。pixivにも、R-18Gというカテゴライズができた。R-18は、作者が18歳未満には見せてはいけないと判断したエッチな作品を示すキーワード。R-18Gはといえば、GはグロのG。すなわち、18歳未満には見せることが憚られるリョナ・グロな作品。そんなタグができるということは、そうしたジャンルの作り手が増えていることの明らかな証左。加えて、そうしたタグをつけた作品を見て「自分もやりたい」と、奮起している人は数限りない。

 でも……氏賀自身が注目され始めた頃と違って、エロマンガ雑誌がリョナ・グロ作品を一種のスパイスのようなものだと考えて掲載してくれる機会もほとんどなくなっている。

 ならば、同人誌はどうか。いくら人が増えたとはいえ、まだ楽しむ人が限られているマイナーなジャンル。いわば、前は10人しかいなかったのが40人くらいになった程度。以前と変わらず、食わず嫌いだったり、自分に正直になれない人は、今なお多い。

 氏賀自身も、決して自分のアンテナを高く張っているわけではない。人の作品を読んで楽しむよりも、自分の作品を描いているのが楽しく、それに時間を割くほうが多い。それでも、長く続けて来た恩恵なのか。pixivやTwitterでは、新しい描き手がフォローをしてくれる。積極的に交流をしたがる性格でもないから、どんな人が描いているのか、人となりはわからない。

《でも……その人たちの作品というのは好きで描いているんだということだけは伝わってくる……》

 ネットでの発表だけでは飽き足らず、同人誌を出している人もいる。けれども、多くの人は発行部数は500部程度。雑誌でいや応なしにでも氏賀の作品が目に飛び込んできた頃から比べると、読者に届く機会はむしろ少ない。そうした中から良作を集めるアンソロジーはどうだろうか……。

 渋谷の編集者としての勘は「これは、いける」と判断した。ただ、同人誌の再録ばかりでは読者の心に響かないかも知れない。だから、氏賀には単行本化することを前提で描き下ろしも依頼した。

 でも、3号目が出る頃には、氏賀の新作を掲載しなくても十分なまでに、迫力のある作品が集まっていた。

《私の夢に賛同してくれたのかはわからない……ただ、作品を寄せてくれたのは、もっとみんなに見てほしいという気持ちがあったからじゃないかと》

 広く名を知られているわけではないが、リョナ・グロのジャンルに限れば優れた描き手たちが幾人も掲載を承諾してくれた。その様子を見て渋谷は、3号目は氏賀の新作を掲載することをやめた。

「だって、すべて掲載したら、氏賀さんの単行本が売れなくなっちゃう……」

 氏賀の数年ぶりの描き下ろしを含めた連作集『Dr.乳児郎の憂鬱』は「エログロス」Vol.3よりも、一足早く2018年1月に単行本になった。

 * * *

 現在47歳になった氏賀の履歴書は、極めてシンプルだ。マンガに関すること以外に、描くべきことは皆無である。カレンダーに書き込まれるスケジュールも同じ。1日の、1カ月の、1年の……ほぼすべての時間を仕事場で一人で過ごす。目が覚めて、気力が充実していれば、そのまま仕事に取りかかる。とりわけマンガを描いている間に、ふっと集中力が抜けてTwitterを始めてみたりだとか、気を散らすことは一切ない。ただ一心不乱に机にかじりついて原稿を描き続ける。

 そのような仕事の仕方だから、体力と精神力は、瞬く間にペンの先から溢れ出て原稿へと移っていく。全力疾走が2時間ほど続けば、電球が切れるかのようにスイッチが落ちる。そのまま2時間ほど横になる。するとまた、体力と精神力はチャージされて、机にかじりつく。規則正しさや効率の良し悪しとは無縁の作業。私が氏賀に時間を割いてもらった日も、最初に目が覚めたのは、朝6時半。それから、全力で仕事をして、スイッチが落ちて一眠りしてからやってきた。

 過酷さと楽しさが入り交じった、マンガを描くこと以外に、氏賀は仕事というものを知らない。わずかな期間、雑誌編集部に出勤していた時期もあるが、それ以外にはバイトすら経験がなく、マンガだけで生きてきた。だから氏賀にとってマンガは、職業ではなく日常。

 息を吸ったり吐いたりしているように、マンガを描くことを止めるのは考えることができない。止めることがあるとすれば、編集者と打ち合わせをしたり、マンガ以外の創作の時間。息抜きといえば、趣味で集めているトランスフォーマーのおもちゃを弄る時くらい。けれども、これも息抜きかといえば違う。やはり、次の創作に向けてエネルギーをチャージしている時間なのだ。

 身体を酷使しても、必死に自分のやりたいことに情熱を注ぐことができるのは、若者の特権だ。誰しも老いからは逃れることはできない。40歳を超えれば、そんな生活はつらくなる。50歳を過ぎて、そんな過酷な生活をしていれば、残された時間のことが頭をよぎり生活を改めようとする。

 元来、氏賀は落ち着いた雰囲気の男だ。人生に焦っている感じは微塵も見せないし、日常に疲れた雰囲気もない。机にしがみつき、身体を動かすことの少ない日常の積み重ねは、身体にまとわりつく脂肪となって現れいる。にもかかわらず、だらしなく薄汚れた感じはない。それどころか、少年のような純真な雰囲気を身にまとっている。口からこぼれる言葉は、常に控えめ。自分の仕事を誇ったり、ここぞとばかりに尊大な主張をすることもない。その佇まいそのものが、迷いのない情熱なのだ。

 生まれたのは、新潟県の雪深い土地だった。精神史の始まりは、小学校5年生の頃である。その頃はまだ新潟県で暮らしていたが、土地の記憶は薄い。覚えているのは、マンガ家になることを最初に意識したのが、新潟県の本屋で買った『ドラえもん』(小学館)だったということだけだ。

《親からもらった小遣いで買ったのが、てんとう虫コミックス(同)の10巻。なぜだか知らないけれど、アホみたいにハマっちゃって……》

 てんとう虫コミックス版『ドラえもん』の10巻は、後に劇場版アニメへと発展した短編「のび太の恐竜」の収録巻である。その作品に魅了されたのか。あるいは、ほかの短編……「人間切断機」「ハリ千本ノマス」「たとえ胃の中、水の中」……何が少年の琴線に触れたのかはわからない。いずれにしても、これが「マンガ家になるぞ」と思った原点だった。

 それまでも、絵を描くことは好きだった。物心がつくころから落書きが好きで「紙と鉛筆だけ渡しておけば、何時間でも放っておいて大丈夫な子どもだ」と、親や親類は感心していたという。

 小学生になってからも、ずっと絵を描くのは好きだった。でも、それはあくまで子どものお遊び。それがマンガへと変化をしたのが、この頃だった。

 単なる落書き遊びが、夢に変化した頃、一家は埼玉県に引っ越した。それがきっかけになったわけではないが、自分でも本格的にマンガのまね事を始めるようになった。落書きではなく、コマ割りをしてマンガのようなものを描こうとした。最初はドラえもんやウルトラマンなど、ありがちなキャラクターを描いていた。ところが、ある時、クラスメイトを登場させてみると、大いにウケた。絵を描いているだけで満足していた少年は、自分のマンガを見てもらうことの楽しさを知った。

 それが、努力に火をつけた。「コロコロコミック」(同)や「週刊少年ジャンプ」(集英社)に掲載されている作品を穴が開くほど何度も読んだ。「いつかは、自分もこの雑誌に描くようなマンガ家になるんだ」と考えて、まねをした。でも、どんなに練習してもできないことがあった。

《小学校6年生くらいの頃でした。ジャンプ編集部に電話したんです。マンガで使われているツブツブのようなものを、どうやって描けばいいのかわからなくて……》

 小学生の素朴な質問に、電話に出た相手は丁寧に答えてくれた。

「それは、スクリーントーンというのを買ってきて貼るんだ。でも、君にはまだ早いから、それを使わないで描いてみなさい」

 結局、中学生になり、我慢できなくなってスクリーントーンを買った。自分のまだ未熟な絵を、雑誌に掲載されている作品のように仕上げることができるようにしなければならない。そう考えて、日々修業を重ねていた。学歴を得て、よい会社に入ることが人生の成功だと考えている世代の両親は、氏賀の努力には無理解だった。

「何を言っても無駄だ。ならこっそりとやろう」

 今となってはバレていたのだと思うが、画材を隠して見つからないようにしながら、修業を続けた。

 高校は、両親も納得する偏差値の高い進学校に進んだ。部員募集のチラシでマンガが描けると書かれていたので、美術部に入った。本来、油絵などを描く部活動のはずなのだが、顧問の教師はほとんど顔を見せておらず、部員の大半はマンガばかり描いている連中だった。勉強もせずにマンガばかりを描く高校生活が始まった。部活ではマンガを描き、帰り道はゲームセンター。帰ってからは、またゲームをやるかマンガを描く日々が繰り返された。

 ある日、学校から帰ると、弟が「今、放送されているアニメが面白い」と薦めてきた。金曜日の午後5時から放送されていた『魔神英雄伝ワタル』(日本テレビ系)だった。これは、面白いと兄弟揃って毎週見ていると、弟が「コロコロコミック」を持ってきた。作品中に登場する魔神を募集しているので、応募したらどうかと勧められた。

《弟が描け描けというので、お前が描けよと思ったけど……弟は絵が描けないので、自分が描いて送ったんです》

 氏賀が描いた魔神「海王丸」のデザインは、読者投票で1位になった。記念品にプラモデルをもらい、作中にも氏賀がデザインした魔神は登場した。けれど、当の本人は喜びよりも「どうしようか」ドキドキするばかりだった。「コロコロコミック」での募集は、主な読者である子どもの世代を対象にしたもの。高校生の自分が募集するのは気が引けて、名前も年齢もごまかしていたからだ。「バレたらどうしよう」と、しばらくは気が気ではなかった。

 そんな高校時代に始めたことが、もうひとつあった。雑誌の読者ページへの投稿である。当時、新声社から発行されていたゲーム雑誌「ゲーメスト」の読者欄に、幾度もハガキを送っていた。ハガキの裏に4コママンガを描き、月に何枚も編集部に宛ててポストに投函した。いつしか常連の投稿者となっていた。

 氏賀は、マンガ家人生の中で、ただの一度も描き上げた原稿を携えて、編集部へ持ち込んだことがない。ただこれだけが、編集部へ出来上がった作品を送るという経験だった。

 ただただ、ひたむきにマンガを描き続ける。それが氏賀のマンガ修業だった。通例、高校生くらいになると、具体的にマンガ家になるための人生設計を考え始める。高校を卒業してから、専門学校に行く、アシスタントをする、出来上がった作品を編集部に持ち込む……。そんなレールを敷く予定を決めるよりも、今、この瞬間にもマンガを描く。明日も明後日も描き続ける。そのことしか、氏賀の頭の中にはなかった。高校生活も後半になると、寝ても覚めてもマンガを描くこと以外、何も考えたくなくなった。進学校であるから、周囲は、自分の成績なら具体的にどれくらいのレベルの大学に入ることができるのか。偏差値を参考にしながらの学校選びがクラスの話題になる。そんな話の輪に入ることなくマンガを描き続ける氏賀の成績は、入学当初よりも、さらに悪くなった。「ちゃんと、高校だけは出たほうがよい」教師の言葉も、氏賀にはまったく響くものがなかった。

《勉強なんかしてる暇があるかーって思って。それで……高校を中退しちゃったんです》

 もう、何者にも邪魔されずにマンガを描くことができる。だが、高校をやめた当初、実家は針のむしろだった。とりわけ、母親はしばらく荒れていた。けれども、そこまで決意を固めた息子の姿を見て、次第に考えを変えて「そこまでやったのだったら、絶対にマンガ家になりなさいよ」と繰り返すようになった。ふと、自分は母親と性格がそっくりなのだと、氏賀は思った。

 * * *

 退路を断ち、本格的にマンガに取り組もうとしていた時、「ゲーメスト」の編集者から連絡が来た。「うちの編集部で働かないか」。これは、マンガ家になる好機かも知れないと思い「働きます」と返事をした。

 最初に任されたのは、ライター仕事だった。「ゲーメスト」が扱っているのは「アーケードゲーム」。ゲームセンターに置いてある業務用のゲーム機の専門誌だ。シューティングゲームや対戦格闘ゲームなど。大勢の若者たちがゲームセンターに集まり、百円玉をつぎ込んでランクを競い合っていた時代。編集部には、全国のハイスコアラーが出入りし、質の高い記事で部数を伸ばしている雑誌だった。その上り調子の雰囲気が、ライターに自由にやらせる余裕を生んでいた。氏賀は、編集者から指示されて、新作ゲームや攻略情報を書くだけでは飽き足らず「カットを描かせて」「4コママンガのページをつくりましょう」と、次々とアイデアを提案した。氏賀の描いた4コママンガは評判がよく、たびたび掲載されるようになった。

 氏賀の提案した記事ページや4コママンガは、読者からも評判がよかった。ただ、原稿料は驚くほどに安かった。そのことを相談したところ、会社が多角経営の一貫で経営していたグッズショップ「まるゲ屋」でのバイトを紹介された。勤めてみると、店員たちは驚くほどに、いいかげんだった。たびたび「今日は、休みたいから……あなたが代わりに出てくれ」と電話がかかってきた。一週間、休みなく働いていると、記事を書いているよりも儲かった。それで、口に糊することができるようになると、もっとマンガを描きたくなった。「ゲーメスト」の中の店の宣伝ページ「まるゲ屋瓦版」にも、自作の4コママンガを描くようになった。

 忙しい日々は数年続いていた。雑誌は上り調子だった。1991年にカプコンが発売した『ストリートファイターII』をきっかけに、対戦格闘ブームが始まると、部数はどんどん伸びていった。92年の秋に入った頃、氏賀の描いていた4コマを気に入っていたゲーム制作会社・アイレムの担当者が「うちの作品のマンガを描いてほしい」と依頼してきた。本誌の付録小冊子にその年の7月に発売されたゲーム『アンダーカバーコップス』を元ネタに描いてほしいというのだった。

 今では、ゲームがマンガになるのは当たり前のこと。でも、当時はそれだけでも話題になった。アニメになっているような作品はあった。けれども、ゲームには人気になってるからマンガ化するという流れは、まだ確立していなかった。ここぞとばかりに、ゲーム本編とはまったくテイストの違うギャグマンガを描いた。『アンダーカバーコップス』は、それまで硬派なゲームを売りにしていたアイレムが、路線を変えて美少女キャラクターを登場させたことで、ゲーマーから賛否両論が飛び交っている作品だった。そこに投入された、ゲーム本編とも異色のマンガは、また話題をさらった。

 これを見た編集者は、すぐに人気ゲームをマンガ化する雑誌「コミックゲーメスト」を創刊することを決めた。すぐにその企画が通る勢いと、読者の支持が、当時はあった。

 こうして氏賀は連載陣に加えられ、マンガ家になった。連載になった『アンダーカバーコップス』や『豪血寺一族2』。氏賀が手がけた作品は、人気作となった。有力な描き手を揃えた雑誌はヒットし、当初の隔月刊から月刊誌へと進化した。でも、氏賀はそこに安住することをよしとせず、離れた。

《パロディは嫌いじゃないんですけど……オリジナルを描きたいという思いがムクムクと出てきて……》

 専属料をもらい、経済的にも安定していた。後に妻となる女性は「コミックゲーメスト」の立ち上げの時に入社してきた、自分の担当編集者だった。公私ともに安定しているはずなのに、そうなればなるほどに、もっと面白いことをやりたくてたまらなくなっていった。

 フラストレーションもたまっていた。後に倒産の理由のひとつになるのだが、新声社は典型的な同族経営の企業だった。まったくゲームもマンガもわからない専務のオバサンが、たびたび現場に口出しをしていた。「オリジナルなんて、だめだめ。あなたは、パロディがいいのよ」まったくマンガのことなど知らないオバサンに訳知り顔で、見当外れなアドバイスをされればされるほど、オリジナルを描きたくてたまらなくなった。そう考えているうちに、自然に縁が切れた。

 * * *

「一般誌で描くことができるマンガ家になろう……」新声社と縁が切れた時には、そう思っていた。でも、一般誌で掲載されるであろうマンガよりも、もっと描きたいものがあった。グロを描きたかった。

 最初に気づいたのは『ドラえもん』にハマっていた小学生の頃だった。来る日も来る日も、ドラえもんの落書きをしていた、ある日……なんとなく、ドラえもんをバラバラにした絵を描いた。自分で描いて驚いた。さっきまで、親友だと思っていたロボットが、単なる鉄くずとなってしまう。いかなる生き物も、魂が失われれば単なるゴミとなってしまうという不条理さに気づいた瞬間だった。

 次に気づいたのは、高校生になりスプラッター映画を見た時だった。当時のスプラッター映画には、お約束のように血塗れの裸の女が登場するシーンがあった。それを初めて見た時に、また興奮を覚えた。

 これまで、エロマンガの枠でリョナ・グロを描いてきた氏賀だが、リョナ・グロで、一度たりとも勃起するような性的興奮を感じたことはない。

《私にとってその興奮は、街を歩いていたら、風が吹いてパンツが見えてしまったようなものなんです》

 勃起から射精へと至る興奮とは別の「とんでもないものを見てしまった」感覚。それが、氏賀のリョナ・グロ観。それを、マンガに描くに至ったきっかけは、もうひとつ。高校生の頃に読んだ、筒井康隆の小説『問題外科』(『最後の喫煙者』新潮社文庫、収録)だった。高校生らしく、筒井や星新一の作品を愛読していた氏賀は、この作品のインパクトに度肝を抜かれた。

『問題外科』は、ただ病院を舞台に2人の医師が遊びで看護婦を解体するだけの、不条理でグロテスクな作品。

《自分は、その影響から逃れることはできなかった……》

 だから、最初にグロマンガを描こうと思った時に、頭に浮かんだのは『問題外科』をモチーフに、その先へといく展開。学校を舞台に授業で少女が解体され、生徒たちに食べられていくという物語だった。マンガのことなど何もわかっていないオバサンに、訳知り顔でアドバイスされたことへのフラストレーション。そのほか、日常の中で身体の中に蓄積されていく<毒>のようなものを作品に叩きつけた。

《世の中、毒にも薬にもならないマンガが多すぎる……だから、自分は毒になってやるよ……そう思って描いたのです》

 出来上がった作品は、同人誌で発表した。同人誌の表紙に『毒どく』とタイトルを刻んだ。

 最初は、ずっと続けるつもりはなかった。その時あったのは反発心だった。ホラーマンガやスプラッター映画のような立ち位置で、筒井康隆のグロテスクな作品のようなものを描きたいと思っていた。エロマンガを描いている気持ちは、かりそめもなかった。いずれ一般誌で描こうと思っていた。今では当たり前のことだが、当時はまだ、エロマンガから一般作品へと舞台を移した描き手が「エロマンガ家のくせに……」と、揶揄される時代だった。自分が描いているのは、グロ。エロは描きたくないけど、グロならいくらでも描きたい。それに、グロマンガなら、いくら描いても烙印を押されることはないだろう……そう思って、次々と作品を描き続けた。でも、同人誌に描くだけでは満足できるはずもなかった。同人誌は未完成の作品であるというスタンスは、この時から一貫していた。

《出版社は、販売して採算が取れる商品と判断して出版しているじゃないですか。でも、同人誌は、作者が出そうと思えば、いつでも、どんなものでも出せますよね。なんでしょう……誰かに認められる段階にならないと、バイオグラフィーに加えてはだめだろうと思っています》

 だから、いくらグロマンガを描いても、発表の場が同人誌である限り、未完成の作品原稿が積もっていくだけ。プロのマンガ家として、どうやって描いていこう。悩みに手を差し伸べたのは、その時には妻になっていた、「コミックゲーメスト」の担当編集。

「だったら、いつも描いているグロマンガでやればいいじゃない」

 その一言で、迷いは吹き飛んだ。そうそう、それなら自分はネタが尽きない。そういうマンガ家人生もありだろう。

 ならば、具体的にどうしよう。そんなことを考えていたら、同人誌即売会に一人の男がやってきた。男は、桜桃書房と刷られた名刺を差し出して、言った。

「うちで描きませんか?」

 商業誌の氏賀Y太が誕生した。

 * * *

 最初の作品掲載の場として与えられたのは、アンソロジー「生贄市場」シリーズだった。月1冊のペースで刊行されるエログロ作品ばかりを集めたもの。全力で次々と作品を描いた。でも、少し困ったことがあった。掲載作の性質上、何がしかの形でセックスシーンが求められた。

《リョナの場合、表現がエロ。だから、セックスシーンは蛇足だと思っているんです》

 それでも、プロとしての矜恃で全力を注いで描いた。そうしていると、また別の出版社から声がかかった。三和出版の月刊誌「フラミンゴ」だ。エロマンガ雑誌でありながら、掲載作の大半はニッチな作品。「エロマンガ界の『ガロ』」とも呼ばれていた雑誌は、氏賀にとってぴったりの舞台。むしろ「なんで、自分には声がかからないのか」と、思っていた雑誌。今度の依頼は、ずっとシンプル。「作家の好きなものを描いて」というのが、編集方針だったのだ。もう、読者の性的興奮なんて考えなくてもいい。

《面白いものを描こうという思いだけ。読者がヌケようがヌケまいが興味ない。ただ好きなものだけを描き続けていました……》

 ホットドックを買いに来た女子高生が、カラシ漬けにされて死ぬ短編。謎のウイルスで少女が血塗れとなり、バンデミックによる世界滅亡を予感させる連作……。

 21世紀に入る頃から、氏賀には仕事の依頼が次々と舞い込んだ。単行本も続々発売された。好き嫌いにかかわらず、エロマンガに親しむ人々は氏賀Y太の名前を知ることになった。

 でも、絶え間なく原稿依頼がある生活は、長くは続かなかった。2000年代も半ばを過ぎると、雑誌からの依頼が減った。自由に描けた「フラミンゴ」は雑誌休刊後、アンソロジー『フラミンゴR』として復活するが、作家に自由に描かせすぎて潰れた。

 雑誌は、どんどん保守的になっていた。どの雑誌も限られたパイを奪い合おうと、冒険的な作品の掲載を嫌うようになっていた。だから、氏賀のような作品を載せる余地はなくなっていた。最後に「好きなように描いてください」と、依頼してきた出版社からは、連載中にワンマン社長の「こんなグロいのを載せるんじゃない。二度と、描かせるな」という鶴の一声で打ち切られた。

 幾人もの編集者に同じことを言われた。

「氏賀さんのマンガが載っているというだけで、フツーのエロマンガを読みたい読者が逃げちゃうんで掲載する場所がないんですよね……」

「でも、一定数、単行本は売れるので単行本を出しません?」

 はみ出している自分が活躍する場は限られている。同人誌で描いた作品をオンラインで販売する。同時に、それを出版社で単行本にしてもらう。そういう形を取らざるを得ないと悟った。

 子どもは成長していた。共働きだから食べるに困ることはなかった。それでも、時代の変化に親しもうとした。天童一斗という別ペンネームで、リョナ・グロを封印した純粋なエロマンガを描くことに挑戦した。

《天童名義の時は、地獄でした……》

 マンガを描いている時は、いつも本気。だから、自分の考えるエロいと思う要素を、これでもかと原稿用紙に叩きつけた。真剣に、自分の考えるエロスで読者を勃起させようと考えた。でも、通用しなかった。全力で描いても、まったく評価は得られなかった。嫌になって、やめようと思った。それより先に、依頼してくる編集者がいなくなった。

 かえって、自分はリョナ・グロを描かなくてはいけないのだという決意は固まった。

 大抵の描き手は、依頼を失い、老いさらばえて朽ち果てていく。かつては売れていたのに、落ちぶれたものだと冷たい視線に晒されることに耐え切れなくなる。何がしかの飲み会や、SNSで大言壮語を吐き、新しく浮上してきた才能に的外れな批評を加えて、やがて誰も近寄る人がいなくなる。でも、氏賀はそうはならなかった。なおも単行本は発売され、現役感を保ったままだ。

《自分は子どもっぽいんで、年を取ってる自覚がないんです。言うたびに笑われますけど、30代半ばまで、ついこないだまで高校生だという感覚がありました。今、47歳になって身体の衰えた感覚はあるけれど、年を取った感覚はありません》

 今もなお意識の中の氏賀は、20代半ばの青年。だから、マンガ家生活を長く続けている感覚もない。一時は芽生えた新しい才能への嫉妬も、若いやつらに虚勢を張りたくなる気持ちもなくなった。

《いろいろな感情と向き合いました。そうしているうちに、人間が不幸になる唯一の理由は、自分が不幸だと思った時なんだと考えるようになりました。突き詰めれば、自分と誰かを比べたら、途端に自分が不幸になる……だから、それはやらないことに決めたんです》

 一人ひとりの描き手には、それぞれの持ち味があり、魅力がある。むしろ、画力のある若い描き手は、自分がさらに進歩するための絶好の素材。自分が劣っているところばかりを比べてなどいられない。

《誰か自分よりも若くて可愛い絵でリョナ・グロを描く人がいたとします。その人と比べて、自分が自信をなくして筆を折ったとしたら……自分のマンガを好きでいてくれた読者に、すごく失礼なことだと思うんです。だから、諦めるのではなく、それぞれに良さがあるのだと考えをまとめたんです。自分と他人を比べた時に生じる劣等感は、一切捨てました》

 * * *

 苦難からの解放の過程で、読者に対する意識も変わった。リョナ・グロを描き始めた当初、氏賀の心は妖刀のように切れ味鋭く、近寄るものをすべて切り捨てようとしていた。自分の作品を愛読してもらう気持ちなど微塵もなく「どうやって読者に嫌われようか」そればかりを考えていた。机にかじりついて、一生懸命描いた作品で、読者がショックを受けてくれればよい……そればかりを考えていた。でも、次第に考えは変わった。

《今は、読者が増えてほしいと思っています。お金が欲しいからではありません。昔は読者にショックを与えたかったけど……今は、ショックを受けながらも読んでほしいんです》

 同人誌が主な新作発表の場となった氏賀だが、甘えや妥協は一切なく、むしろ意識を研ぎ澄ましている。作品発表の場がどうなろうとも、氏賀自身のスタンスは、自分はプロのマンガ家だ。それは、過去から現在まで変わらない。商業誌の仕事が殺到していた頃、一度は同人誌を出すことをやめた。クオリティが下がり、雑なまま出すことが何度か続いたからだ。プロである以上、商業誌の仕事を優先するのは当たり前のこと。コミケの前になり「同人の原稿があるから」と、商業誌の仕事を断る描き手の心は、氏賀には理解できない。そのスタンスには揺るぎがないから、同人誌には手を抜かない。今でも、出版社からの仕事依頼が来て、そちらに時間を割かれるようならば、スッパリと同人誌をやめるだろう。

 興味の範疇も、年を追うごとに広がっていった。いろんなことをやりたい気持ちが募って、リョナ・グロをテーマにしたイベント「艶惨」を立ち上げた。自身も製作に参加して、自作を原作にした映画も2本できた。それも、すべてはマンガのため。

《「艶惨」は、できる限り続けていきたいと思っています。でも、いろんなことをやればやるほど、自分が自分らしくできることは、マンガだと実感しているんです。別に絵がとびきりうまいわけではありません。今風の絵柄を描けるわけでもないけど……自分の一番自慢できることは、マンガだと思っているんです……》

 * * *

 今は家族にも邪魔されずに、仕事場で寝て起きて、メシを食べながらマンガを描いているのが、氏賀の幸せ。

《すごく幸せですよ。24時間、マンガを描くためだけに生きていることができたら》

 幸せな毎日は、次々と読者を驚かせ、魅了するアイデアの泉を掘り当てる。2017年の年の瀬、コミックマーケットに出展した氏賀の新刊『毒どくvol.15 うじほね!』は、新たな試み。これまたニッチなマンガ家として知られる掘骨砕三と、お互いの描き起こした原作を交換して描く試み。掘骨もまた、追随する者のいない特異な描き手。異形や奇形。そんな身体へと変化する男性や女性。獣や人外の生物との相姦。互いに、ほかには誰もできない作品を描いているもの同士が、お互いのネーム、すなわち下書き一歩手前の原作を交換して作品を描き上げてみたらどうなるだろう。それは、自分たちが楽しいだけではなく、読者も興味を持って読んでくれるはずだと思った。

 氏賀は、自身の持ち味を存分に生かしたネームを送った。クラスでも目立つ明るい少女が、根暗な主人公のねじ曲がった愛憎の結果、内臓まで引きずりだされて、可哀想な死を迎える。残酷なのに、どこか笑いのあるようにも見て取れるバッドエンド。

《女が憎くて殺しているのではありませんが……作品の中では、殺したら可哀想なよい子を殺したいのです》

 憎い女よりも可哀想な子のほうが、読者の心に刺さると思っている。だから、今回も、本当に読んでいて可哀想になる、よい子を描いた。

 同じように、掘骨からもネームが送られてきた。やはり、いつもの掘骨の描きたいものが、思いのままに刻まれたネームだった。主人公の少年が、10本足の獣のメス役をやらされて、獣に肛門を犯されるうち、身も心もメスに変わっていく作品。ちゃんと、獣の身体の構造を解説する骨格図までついていた。

 出来上がった同人誌は、12月31日、コミックマーケット最終日に、氏賀のスペースに初めて並べられた。ブースには、本を求めて小さな列ができた。いったいどのような作品に仕上がっているのか。興味を持つ人は多かった。どこか土着的な掘骨の絵柄で描かれる氏賀の原作は、いつもとはまったく異なる残酷さを放っていた。泥臭い色気を持ったヒロインは、まったく救われない。救われないのに、なぜか幸せな物語にも読めた。

 氏賀がペンを入れた掘骨の作品も、幸せに満ちていた。もとより、どんなに異常な展開を描いても必ずハッピーエンドになるのが掘骨の持ち味。その、異常な光景にもかかわらず、登場人物たちは納得し、幸せを噛みしめている。その心情を、氏賀はしっかりと噛みしめて味わいながら描いていた。いかに異常な世界を描きながらも、2人とも、この上なく作品には真摯で、心の綺麗な描き手なのだ。

 実際、私生活での氏賀は極めて常識人だ。子どもが幼かった頃には、働きに出ている妻にかわってPTA活動にも積極的に参加していた。マンガ家というと「ジャンプで描いているのですか?」などと聞かれて面倒くさいので「グラフィックデザイナーです」とは、答えていたが。その子どもには、成人するまで自分の作品を見せたことはなかった。自分が、氏賀Y太であることは一切話さなかった。

《やっぱり、未成年にエロマンガの話はできなかった》

 子どもも親に似たのか、オタク趣味の持ち主に成長した。子どもが二十歳を迎えた時「お前のオタク友達に話したら、変に思われるかもしれない。人に話すかどうかは自分で判断しなさい」と前置きして、自分が氏賀Y太であることを告げた。オタク趣味ゆえに、さまざまな作品を読んでいたからだろうか。思ったほど驚かれはしなかった。

 ずっとマンガを描いていたい氏賀は、子どもができた時には、少し困惑した。「ずっと、自分が面倒をみなくてはいけないのか」。自信のなかった子育てだったが、子どもは存外に真っ当に成長した。でも、ふとした瞬間に氏賀は、不満を感じた。子どもが成人しても、人生の明確な目標を持っていなかったからだ。

「なんのために生まれてきたか、ちゃんと見定めなさい」と何度も子どもに、噛んで含んで聞かせていた。なのに、どうして自分が早々とマンガ家として生きることを決めたように、人生の目的を決めることができないのか。でも、ある時それが当たり前のことなのだと気づいた。世の中の大半は、そういう人間で占められているのだと。この世に生まれた理由に迷いながら、死ぬまで人生を全うすることが大事なのだと。

《なんだろうな……なんのために生まれてきたかわからないのは悪いことじゃない。今は、そう思っています……》

 本人は否定するかも知れないが、こうした人生の経験は、氏賀の作品に確実に反映されている。ニッチなテーマの作品の描き手は、すべてが一本調子になりがちだ。自分の描きたいものは、自ずと洗練されてくる。そうなると、いつも同じシチュエーション、同じ雰囲気のキャラクター、同じ物語の進行。すべて、同じことの繰り返しへと陥る。「エログロス」に作品が掲載された、ある描き手もそうだ。描く作品は、ほかの人には描けないような独特の世界。でも、もう何年も商業誌では見かけず、pixivすらも、ほとんど更新していない。渋谷がコンタクトしてみると、すでにプロのマンガ家として生きることは諦めて、別の仕事についていた。

「30代だと、まだやり直しが利くから。子どもが生まれたりして、いつまでもエロマンガの仕事をやってはいられないと去っていく。こうしたジャンルなら、なおさら……氏賀さんみたいになると、もう戻れないけどね」とは、渋谷の弁。もとより氏賀は、この先もほかの人生など考えてはいない。

《あと、何年くらい描き続けることができるか……。ほかにすることがないから……。もし、筆を折るとしたら、世の中から、もういらないと思われたとき……》

 * * *

 今回、氏賀に会うために、私は埼玉県のある街に出向いた。混雑した電車内で、私は一抹の不安を拭うことができなかった。渋谷は手際よく段取りをして、自分も話を聞きたいので現場に出向くといった。その電話の時に、とても驚くことを告げられていた。

 氏賀の近しい親族が死の床に就いていて、もしかすると日を改めることになるかもしれないというのだった。「もし、その場合は連絡をしますよ」。当日まで連絡はなく、私は予定通りに電車に乗った。

 ただ、電車の中で少し不安になった。人の死を幾度も描いているとはいえ、身内の不幸が近しい人に、死に絡む事柄を聞くことなどできるのだろうか。私の仕事は、いわば覗き屋のようなもの。幾度も人の死を描いている描き手が、近しく親しい身内の死に臨んで、どのような心情なのか。その状況で、作品を描くことができているのだろうか。興味は尽きなかったが、憚りなく聞くことができるかは自信がなかった。

 でも、待ち合わせ場所にやってきた氏賀は、こちらが驚くほど落ち着いていた。ただ、禁煙したと聞いていたのに、ポケットから煙草を取り出したのに気がついた。そのことを指摘すると、氏賀はごく自然な面持ちで、自分の心の内を語り始めた。

《残される身内の心のケアをしなくちゃいけないんで……我慢してやってられないと思って……》

 身内を喪うことは大きな悲しみである。けれども、同時に人間には残酷な一面もある。喪いたくない身内が、死の床についてから1週間、2週間と時が過ぎていくと、気持ちは混乱する。差し迫る死は悲しい。今日なのか明日なのか。いつともわからない日々を過ごすのは、全身を覆い尽くす大きな悲しみが先送りされているように感じてしまうのだ。

 そんな日々の中でも、氏賀の死生観は変わらない。黙々と、マンガを描き続ける日常は続いている。

 氏賀の年齢まで生きていれば、幾度か友人知人、家族親族の死に遭遇したはずだ。そうした時に、当たり前に人が死ぬリョナ・グロを描いていることに、疑問を覚えたことはなかったのか。ふっと浮かんだ疑問を、そのまま言葉にして伝えた。

《マンガ家の悪い癖なんですけど、どんな悲しいことがあっても、この感情……自分の今持っている感情は“使える”と思うんですよ》

 そう言って、目の前のテーブルに置かれたコップの飲み物をゴクリと一口飲んだ。相変わらず、眼鏡の奥の瞳は真剣で、優しそうに輝いていた。

《物書きって、自分の切り売りなので、どんどん自分のマンガの中に練り込んでいるので……弟が死のうが、妹が誰かに捕まって解体されようが、描けますよね》

 それから、またコップを手に取って、飲み物を一口。

 かつてマンガ家になりたかった少年は、マンガ家になった。それから20余年の時を経て、彼は全身でマンガ家になった。

 おおよそ創作活動をする者にとって、自分にはこれしかないのだと、人生のすべてを賭けても惜しくないものを見つけることができるのは幸せだ。

 現在の氏賀と同じ年齢になった時に、どれだけの人が、氏賀のような瞳の輝きを持つことができているのか。
(文=昼間たかし)

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