松本人志が財務省トップのセクハラ問題に「ハニートラップないかな?」

 4月22日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、財務省の福田淳一事務次官を巡るセクハラ問題を取り扱った。その中で番組MCのダウンタウン松本人志(54)が、この騒動の内訳を「セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1」だと私見を述べ、「女性記者がノリノリだったか、イヤイヤだったか」に焦点をあてるという素っ頓狂な見方を示した。山崎夕貴アナウンサー(30)は「うーん、考えにくいと思います」と否定したが、その他の出演者は容認していた。

 「週刊新潮」(新潮社)の報道を起点に、拡大し続けているこの騒動。同誌は財務省の福田淳一事務次官によるセクハラについて、複数の女性記者たちからの証言を掲載した。報道があった12日、麻生太郎財務相は、「(福田氏に)きちんと緊張感を持って対応をするようにと、訓戒を述べたということで十分だと思っている」と述べ、財務省として詳しく調査する予定もなく、早急に収束させようとしていた。翌13日にも麻生氏は、「事実だとするなら、それはセクハラという意味ではアウトだ」「あの種の話はいまの時代、明らかにセクハラと言われる対象」としつつも、福田氏の能力を評価しているとして、改めて処分はしないという考えを示した。

 その後、13日午後になって新潮社が運営するwebメディア『デイリー新潮』が、福田氏のものとされる「今日ね、今日ね……抱きしめていい?」などのセクハラ発言が録音された音声データを公開。週末を挟んだ16日、財務省は福田氏への聞き取り調査の内容などをまとめた「福田事務次官に関する報道に係る調査について」と題した文書を発表し、報道内容について否定した。さらに同文書で、福田氏からの聴取だけでは事実関係の解明は困難であることを理由に、記者クラブ加盟各社に対し、各社内の女性記者に調査協力を求めた。「セクハラ被害者は名乗り出なさい」ということである。

 この財務省の対応には、複数の弁護士たちや、全国の新聞社と通信社の労働組合『新聞労連』などが「人権侵害にあたる」と抗議。そして18日夕方、福田氏は唐突に辞任を表明したが、職責を果たしていくことが困難な状況になったためと説明し、セクハラ行為についてはあらためて否定した。

 さらに事態が動いたのは18日夜。『報道ステーション』(テレビ朝日系)において、テレビ朝日社員が福田氏からセクハラを受けていたことがわかったと明らかにし、19日午前0時にテレビ朝日の篠塚浩取締役報道局長が会見を開いたのだ。篠塚局長は「当社は福田氏による当社社員を傷つける数々の行為と、その後の対応について、財務省に対して正式に抗議する予定です」と明言。一方で、社員から相談があったにもかかわらず自社で報じようとしなかったテレ朝を糾弾する声も出ている。

 こうした一連の動きを受けて、『ワイドナショー』がどの立場を取ったかといえば、結局、「セクハラというけど、男と女の問題」と矮小化しているようで非常に残念だった。まず、MCの東野幸治(50)が、コメンテーターの石原良純(56)に話を振る。

石原「あの発言をしててもセクハラじゃないっていう人もいると思います。あんなの聞けばセクハラだって思うじゃないですか。でもあの人(福田氏)は本当にセクハラじゃないと思ってるかもしれないよ」
山崎アナ「女性は被害に遭われたと言っている」
石原「女性はそう思ったかもしれないが」

 女性がどう思ったかというより、客観的に石原良純も「あんなの聞けばセクハラだって思う」のであれば、福田氏がどう意図していたかは“セーフ/アウト”の判断基準にならないのでは。また、女優の佐藤仁美(38)もゲストコメンテーターとして出演していたが、「(女性記者がセクハラ被害に遭っていたという)一年半の間、どうしてたんだろうなと。何も言えない女子で我慢していたのかもしれないけど、普通だったらもっと早く言う」と的外れなコメント。

 そして松本人志の見解はこうだった。

「僕はね、福田さんっていう人は、エロの塊みたいなおっちゃんですよ。だから、セクハラは、僕はセクハラだと思いますよ。思うんですけど、だったら、そんなエロの塊のようなおっちゃんに、女性記者1人を一年半に渡って、それ(取材)をなぜさせたのかって、させた側の責任はどうなっていくんだろうかと思うんですよ。

テレ朝さんは、いやいやそれは違うセクハラがすべてなんだって言うんだけど、でもそこに行かせたんだったら、これはパワハラじゃないのか、ということになってくると僕は思うんですね。でもテレ朝さんがいやパワハラじゃないと言うんだったら、女性は自ら前のめりにこの一年間、取材をしてきたのか。そうなったらなったで、これはハニトラじゃないのか、ってことになってくる。

どれも全部1本じゃないと思う。ですので、私の見解としましては、セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ(ハニートラップ)1でどうですか。このあたりで皆さん手ぇ打たないですか?」

 スタジオは笑いに包まれるが、フレームの外から山崎アナが「ハニトラ入りますか?」とぽつりと発した声が聞こえた。松本はこれに反応。

松本「うーーーん、でもねえ、ハニトラないかな?」
山崎アナ「うーん、考えにくいと思います」
松本「もしくはこの女性が、ほんとに最初からイヤでイヤでしょうがなかったっていうことになってきたら、これはもう、(セクハラ6:)パワハラ4になりますよね」
山崎アナ「でもパワハラに関しては、上司からたとえば“この人を取材するように”っていう担当が決められちゃったら、嫌なことがあってもすぐに上司にあげる(報告する)のは、自分の中で責任感があったらなかなかできないと思うんですよね。だから上司に言われたからパワハラっていうよりも自分の中でなんとかしようと……」

 ゲストコメンテーターのピアニスト清塚信也(35)は、「現段階で提供されている証拠(音声データ)だけでは、これ以上議論のしようがない」という立場をとり、松本もこれに乗っかった。

清塚「いま出ている情報でなびきすぎじゃないか。みんな政治家嫌いだなっていうのが僕の感想。あれくらいの音声データの証拠は誰でも作れる。その可能性はある。
僕はセクハラは絶対ダメだと思うし、福田さんは気持ち悪いと思う。脈がないのに追っている男性って僕いちばん嫌い、痛いと思うんですけど、それは置いといて。今の状況で、ワイドショーやニュースは『本当だとしたら』って前提。だとしたら、っていう議論は意味なくないですか。この証拠だったら、もうちょっと冷静でいいんじゃないですか」
松本「僕もそう思う、あの音声データはあまりに断片的で」

そう言いつつ、断片的な音声データで議論を進めているのは『ワイドナショー』もまったく同じだ。

 最後に、石原良純が「取材の可視化を進めていくと、もう取材はできなくなるのでは」と、記者がスクープを取りづらくなる懸念を指摘。すると松本は、「女性記者はずっとじゃあノリノリやったってことですか? それかイヤイヤだったんですか? それか途中で心が折れたんですか?」と、またも頓珍漢なことを言い出した。

東野「出てる情報では(女性記者の心境は)わからない」
弁護士「それは女性記者に聞き取らないとわからない」
佐藤仁美「難しい~」

と、このような形で、『ワイドナショー』財務省セクハラ騒動に関する議論は終わったのだが、この騒動、女性記者が「ノリノリで取材していたか/イヤイヤだったか」を知る必要があるのだろうか?

 松本人志自身が何をもって「ハニートラップ」と定義しているのかは不明だが、おそらく、女性記者がノリノリで果敢に福田氏へ取材を挑んでいたとしたら、一年半もその行動を続けておきながら「セクハラだった」と告発するのは“ハニートラップ”のようなものである、という見方がそこにあるのだろう。そして、イヤイヤ取材していたのに上司が訴えを聞いてくれず取材に行かされ続けたとしたら「パワハラ」という見方だ。

 性暴力事件に際して「女性から誘ってきたくせに、男がノッたら手のひらを返された」という見方をする人びとは少なくない。たとえばハリウッドの著名プロデューサーが、映画出演などの条件と引き換えに女優に性行為を迫った一連の事件についても、日本のワイドショー番組では「女優が体を武器に監督やプロデューサーに迫る“枕営業”だってあるじゃん」と話をすりかえるケースが目立った。

 ここでは男女間のセクハラに限定するが、こうした「でも女が誘ったのかもしれないじゃん」という論調には、次のように申し上げたい。「女性から誘われても、男性にはNOという権利がある」。たとえ女性が、権力を持つ男性に「映画主演の座をくれるなら、あなたと寝てもいい」「情報をくれるなら、仲良くしてあげてもいい」と迫ったとしても、権力を持つ男性がそれを断ればいいだけのことだ。

 今回の事件でいえば、福田氏が女性記者から一対一で取材を受けていたとして、女性記者は福田氏から情報を引き出すことが仕事であり福田氏の機嫌を損ねることは出来かねる立場にあるため、まず圧倒的にその場でのパワーバランスは福田氏が強く、権力を持つ側といえる。

 そして(清塚氏のコメントにあるようにあくまでも“福田氏の発言が事実であれば”だが)、強く拒絶できる立場にない女性記者に対して一連の性的な発言を繰り返したこと自体は、彼女が「イヤだったかどうか」にかかわらず、紛れもなくセクシャル・ハラスメントにあたる。福田氏が複数の女性記者を“自分がセクシャルな話をしてもいい相手”と認識していたであろうことが問題ではないのか。

 ただ、『ワイドナショー』をはじめ、今回の騒動に対する多くのタレントコメンテーターや識者の声をさらうと、誰彼かまわず“自分がセクシャルな話をしてもいい相手”と認識し、自他の境界線をはっきり引けない大人があまりに多いことにも気付かされる。

 麻生太郎財務相は、「嫌なら男の記者に代えればいい。ネタをもらえるかもと思ってついて行ったんだろう」と発言した。“セクハラされるのが嫌なら、担当記者から外れろ”ということだ。ネット世論にも、「報道各社は、わざわざ美人記者に官僚や政治家の取材を担当させて、色仕掛けでネタをとらせているくせに被害者ぶるな」という論調がある。いずれも言語道断だ。女性記者に対して官僚らが「セクハラしない」ことが第一である。取材担当が美人記者でも美人でない記者でも男性記者でも、「セクハラ出来る相手か否か」に関わらずに向き合うのがせめて人として当然のことだと考えてほしい。

ハッテン場で強盗殺人後に自殺……元極妻が語る、元ヤクザ「夜回り組長」の哀しき末路

 今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。

■強盗殺人事件で逃走中に、別の事件を起こして自殺

「イシハラさんがハッテン場で人を殺してトンで(逃げて)るってウワサ、聞いてます?」

 昨年の暮れ頃に、オットの若い衆だったサブちゃん(仮)から聞かれたことがありました。「ハッテン場」がわからない方は、ググってくださいね。

「イシハラさんて?」
「夜回り組長の……」
「ああ、石原伸司さん……。不良の更生支援してるんじゃなかったっけ?」
「最近はカネに困ってたみたいです。自分の知り合いも、カネ貸してました」
「ふうん……」

 その時はそんな話だったのですが、単なるウワサのようでもあり、正直スルーしていました。でも4月になって、この石原さんが強盗殺人を犯して逃走中に、別の傷害事件を起こし、自殺していたことが報道されて、びっくりしました。

■浮浪児からヤクザ、そして作家へ

 私は石原さんとは面識はなかったのですが、元ヤクザで作家活動をされているということで、知り合いの記者さんからご本をいただいたことがありました。幼少期はいわゆる浮浪児(今でいうストリートチルドレン)で、銀座のホステスさんに拾われて読み書きを習ったそうです。

 今は私を含めて浮浪児を見たことのない人のほうが多いでしょうが、古参の親分衆の中には浮浪児だった方も結構います。たとえば2013年に死刑が執行された熊谷徳久受刑者はヤクザではありませんが、終戦直後に浮浪児として育ち、多くの事件を起こして死刑判決を受けました。自分の本名も知らなかったそうです。

 浮浪児だった石原さんに、読み書きを教えてくれたホステスさん……。なんか話ができすぎで、どこまで本当か微妙でしたが、石原さんと懲役で一緒だったことのあるサブちゃんは、石原さんが毎日本を読んで、小説を書いているのを見ています。

 「掃除とかはよくさぼるけど、キホンは気のいいオッサンで、『読み書きは大事だ。オレは作家になるんだ』って言ってました」とサブちゃん。

「でも当時から『両刀』をカミングアウトしていたんで、みんな引いてましたね」
「えー! 閉鎖空間で、その発言はないわ」 

 それはさておき、ムショはヒマなので、仕方なく読書をする人は多いのですが(私のオットもそうでした)、石原さんはもともと本がお好きで、才能もおありだったのでしょう。出所されてからは作家としてデビューされ、ご著書も何冊か出されていますし、ご自身の経験を生かしてか「夜回り組長」として少年少女たちの更生支援を続けておいででした。

 ご本人をモデルにした映画(『逢えてよかった。』)も製作されていますし、テレビや雑誌でご活躍をご覧になった方も多いでしょうね。それに、歌舞伎町で夜回りをしていた石原さんに声をかけられ、編集者を紹介されてライターになった方もいらっしゃいます。私の周囲にもファンこそいませんが、特にディスる人もいませんでした。

 とはいえ世間様は不良や元不良には冷たいですから、冷淡に見る方も多かったと思います。そして、最悪の結果となってしまいました。

■生活保護も受給していた

 石原さんは、それなりにご活躍だったと思うのですが、なんでこんなことになってしまったのでしょうか?

 4月17発売の「週刊アサヒ芸能」(徳間書店)によると、石原さんは妹さんが亡くなって生活できなくなったそうで、去年くらいから記者さんたちにもお金を借りてたんですね。でも、サブちゃんが聞いてきた話では、生活保護は以前から受けていたそうです。

 元不良が生活保護を受ける例は結構ありますし、贅沢しなければ生活できるはずなのですが、実際には難しいのでしょう。アサ芸の記事には、最後に住んでいたアパートに「コワモテ」が訪れていたとありました。コワモテ……。借金取りですね。そのコワモテから逃げるために、ハッテン場に潜伏していたのでしょう。

 一方で、石原さんの事件には「愛欲絡み」のウワサも消えません。報道によれば、絞殺された被害者さんが着ていたガウンには体液(!)もついていたそうですね。殺すつもりはなくて、単なる「首絞めプレイ」だったということでしょうか。いずれにしろ、ヤクザの最期は哀しいものです。

 被害者さんとともに、石原さんにも合掌させていただきます。来世は安らかな人生を送れますように。

アラーキーのファンだった、と過去形で語れるか

 写真家のアラーキーが好きで、写真集もいくつか持っている。先日、彼の長年のミューズと呼ばれたモデルのKaoRiさんが「#metoo」の声を上げたが、彼女がモデルの作品も好きだった。KaoRiさんに続けて声を上げた女優の水原希子さんを映したアラーキーの写真も、こんなに素晴らしい女性がいるんだろうかと思うくらいには魅力的に思えてしまう。

 でも、自分が好きだと思う作品がだれかの性的な傷つきによって出来ていたと思うと、やっぱり衝撃を受ける。正直、これまで自分が性暴力の加害者になる可能性なんて考えたことがなかった。#metooのいくつかの告発についても、ひどいなと思うけれど自分の体験を問われるようなことはほとんどなかった。自分はセクハラなんてしないし、合意のない性行為だって無関係の人間だ。そう思っていたけど、ちがったみたい。

 さらに、こんなことは、はじめてアラーキーの写真を手に取った高校生の頃からうっすら分かっていたような気もする。無数の女たちの裸を撮って、私写真と称して本人の意図しない瞬間まで発表する。そのやり方に暴力性がないわけがなかったし、写真に呪われて、印刷した紙の中にとじこめられて、たくさんの人が嘘にされていくプロセスこそが、彼の作品の魅力だった。その作風自体、ジャンル自体がもう成り立たないのだという問題提起が現在なされている。きっと、それは受けいれるべき事実なのだろう。

 高校生の頃、予備校の帰りに書店のコーナーに何度も足を運んでは、ビニールカバーのついていないアラーキーの作品を眺めるのが好きだった。学校の図書館にいれてもらえるのは猫を映した『愛しのチロ』(平凡社)程度。妻との結婚から別れを描いた『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社)は結局お小遣いで買った。

 こういうことを回想するにつけ、自分が慣れ親しんだアニメなり漫画なりを暴力の視点から見直すことは、それなりの痛みを引き起こすものだなということは実感する。ちょっと前に、「子どもの頃に大笑いして見ていた『保毛尾田保毛男』が今になって誰かを傷つけていたと言われるなんて、きれいだと思って眺めていたお花畑を機銃掃射されるみたい」と述べている人のインタビューが朝日新聞の記者によって書かれていたが(この記事自体には反吐が出た)、その人が主張する「向き合うしんどさ」だけは、自分もわかるなぁと思う部分はある。そして、ファンにそんな思いをさせないことがクリエイターの役割だとも改めて思う。

 もっぱらの悩みは、家にあるアラーキーの写真集をどうするかだ。前と同じようには見られない。だけど、ファンだった、と過去形にするのもなんだか自分に嘘をついているような気がしてしまう。世界中の彼のファンが同じようにモヤモヤすべし、というのが告発を受けての誠実なリアクションとも思えるが、さてはて、どうしようか、これ。

水原希子のPR動画ツイートにまたヘイトスピーチ 拡散したまま信じ込まれている「デマ」

 水原希子(27)に対するヘイトスピーチが続いている。今年3月に水原希子が「ディオール(Dior)」のビューティアジアアンバサダーに就任したことが発表され、4月上旬より美容雑誌「マキア(MAQUIA)」(集英社)のオンラインサイトでは、水原希子とディオールの美白スキンケア用品「ディオール スノー」シリーズのスペシャルコラボ動画を配信している。それに関連して、4月3日にマキア編集部のTwitterアカウントが動画をツイートしたところ、そのツイートに「かわいい在日だな~!」「日本人ではないよね」「日本の血が入ってないからかなぁ」といったリプライが寄せられている。

 こうしたレイシズム(民族差別)の発露は、昨年、水原がサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」のCMに出演した際も同様だった。当時、サントリーのPRツイートには、投稿日から数日の間に、民族差別的、性差別的なヘイトに満ちたリプライが相次いだのだ。その多くは彼女がコリアンルーツであることを嫌悪する内容であり、今回も同様だ。

 水原希子は、父親がアメリカ人、母親が韓国人で、アメリカ国籍を持つモデルだ。アメリカで生まれ、兵庫県で育った。そんな彼女のルーツをさして「日本人じゃないのに日本人のふりをしている」と糾弾する人々がいるのだ。さらに、「水原希子自身が『私は日本人ではない』と言っていた」というデマも拡散され、浸透してしまった。

 この「水原希子自身が『私は日本人ではない』と言っていた」というデマは、2016年に彼女がネット上にUPした動画からきている。水原希子はInstagramで友人の現代美術家が投稿した写真(天安門に中指を突き立てている)に「いいね!」を押したことで中国のユーザーから非難され、そのことについて謝罪動画をオンラインに投稿。

 その動画において彼女は、「父親がアメリカ人、母親が韓国人」という多国籍なルーツにあることを語り、それゆえに「民族差別などすべきじゃないと思っている。だから自分は中国を侮辱する意図を持っていない」という主張を述べた。この主張が、どういうわけか「反日感情で怒りを向けている中国のネットユーザーに対して、『私は日本人ではないので許してください』と訴えた」と曲解され、デマとして残り続けている。

 水原希子の主張は一貫しており、ぶれてはいない。TwitterやInstagramでのオリジナルな発言、インタビュー記事などでの発言を見る限り、世界平和を祈り、特定の属性を持つ人々を貶めず、マイノリティの権利が担保されることを彼女は望んでいる。

 別に水原希子が清らかな心の聖人君子だなどと言いたいわけではないし、素顔なんてわかりようもない。ただ、彼女に関する明らかなデマを拡散し、信じ込んで、民族差別や性差別を繰り返す行為には全く正当性などないことを覚えておいてほしい。

関ジャニ∞・錦戸亮、瑛太から“暴行報道”――現場目撃者が語る「馬乗り」「ボコボコ」の真相

関ジャニ∞・渋谷すばるが、グループ脱退とジャニーズ事務所退所を発表して、世間に衝撃が走る中、まったく同時期、錦戸亮にも、今後の芸能活動に不穏な空気が立ち込めるような“疑惑”が浮上していた。4月20日発売の「フライデー」(講談社)が、瑛太と同席した酒の席でイザコザを起こし、錦戸が暴力を振るわれていたと報じたのだ。

 記事によれば、渋谷が関ジャニ∞からの脱退を決めた4月10日に、“事件”は起こったとのこと。深夜、東京・恵比寿の高級ラウンジに数名の男性らと一緒に訪れた錦戸と瑛太は、女性店員らと共に飲酒。誌面には、その際の店内の写真も掲載されている。

「2人とも、テキーラやイエーガーを飲み干して、かなり酔っていたそう。そんな中、錦戸が、何を思ったのか『ファックポーズ』を見せながら、瑛太をからかい始めたといいます。直後、瑛太は錦戸を殴りつけ、倒れ込んだところに馬乗りになって、さらに『2発や3発ではない』回数、鉄拳を見舞ったと、同誌は伝えています」(芸能ライター)

 この一部始終は、「目撃者」による証言で、その後、瑛太は同席者に羽交い締めにされ、何とかその場は収まったという。同誌はさらに、店を別々に後にする両者や、後日瑛太に直撃取材を行った際の様子も激写している。

「もし錦戸サイドが被害届を提出すれば、警察沙汰になりかねない事案だけに、『フライデー』を読んだ警視庁関係者も興味を示しているそうです。現在放送中のNHK大河ドラマ『西郷どん』で、メインキャストを務める2人だけに、今後の動向に各方面から注目が集まっています」(同)

 しかし、当日一行が座っていたのは個室ではなく、ほかの客と同じ一般席だったという。別の席にいた一般客から、「瑛太は絶対に暴力は振るっていない」という証言が得られた。

「泥酔して椅子から転げ落ちてしまった錦戸を、瑛太が立ち上がらせようとしていたように見えました。一般席で周囲の目もあるため、瑛太は、同席者たちにウザ絡みを続ける錦戸に苦々しい表情をしていましたが、『馬乗り』や『ボコボコに殴った』なんてことは絶対にない。そして錦戸の泥酔ぶりに呆れた瑛太が先に店を出て、その後、錦戸も『とんでもないことをしてしまった』と、かなり落ち込んでいる様子でした」(同)

 「フライデー」側で証言している「目撃者」は、マスコミ関係者の間で、「店員ではないか」とみられているというが……。

「瑛太が錦戸を立ち上がらせようとしているところを、馬乗りに見間違えたのかもしれません。でも、瑛太は絶対に手を出していないし、錦戸も後日の記者会見で、ケガをした様子もなかった。証言者が、記事内容を面白くするために、話を盛ってしまったのでは」(同)

 なお、ジャニーズ事務所はこの件について、静観を決め込んでいるようだ。

「暴行の事実がないのであれば、被害者もいなければ事件性もない。むしろ、どちらが悪いかといえば悪酔いした錦戸ですし、話が大きく広まれば、彼が恥をかくだけです。先頃から、2人は『西郷どん』の撮影現場で、共演シーンを和気あいあいと演じていましたし、とてもイザコザを起こした直後とは思えません」(芸能プロ関係者)

 当日は錦戸にとって、20年近くを共にした渋谷との“離別”が決まった日。そのせいもあって、つい酒に溺れてしまったということだろうか。事件性こそなかったにせよ、こうしたファンを不安にさせる報道が出てしまうこと自体、決して起こさないでもらいたいものだ。

『名探偵コナン』劇場版がまたしても爆発的大ヒット! ファンが離れても戻ってくる”物語構成力”

 4月13日から公開がスタートしたアニメ映画『名探偵コナン ゼロの執行人』が、公開3日間で動員128万9,000人、興収16億7,000万円という超ロケットスタートを切った。これはシリーズ最高興収の68.9億円を記録し、17年の邦画興収ランキングでトップに輝いた前作『名探偵コナン から紅の恋歌(ラブレター)』をも上回る勢い。このままいけば2年連続で『名探偵コナン』が邦画ランキングを制する可能性もある。

 『名探偵コナン』は1994年から『週刊少年サンデー』(小学館)にて漫画連載がスタートした長寿連載。1996年にはすでに日本テレビ系にてアニメ放送もスタートしており、実に20年以上続く息の長いコンテンツだが、なんと劇場版シリーズは今、5作連続で興行収入記録を更新中。まだまだ人気が衰えないどころか、いっそう上昇し続けているのだからすごいの一言だ。

 昨年4月、『BuzzFeed News』が実施した映画プロデューサー陣へのインタビューで、「コナンファンは卒業しない」と理由を推測していた。『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『アンパンマン』など長寿アニメは他にも様々あるが、『名探偵コナン』がそれらと明らかに違う点は、一話完結に近い事件モノでありながら、本筋のストーリーもずっと続いていることだ。そのため、たとえファンが離れたとしても、物語で重要な展開が起こると「何事だ?」と戻ってくるのではないか……という読みである。

 確かにその「出戻り現象」が、2009年公開の劇場版第13作『漆黒の追跡者(チェイサー)』で起こっている。物語のカギを握る“黒の組織”が登場する同作は、それまでシリーズ興収最高記録を誇っていた劇場版第6作『ベイカー街(ストリート)の亡霊』の記録を更新。以後、物語の重要人物・赤井秀一の秘密が明かされた劇場版第18作『異次元の狙撃手(スナイパー)』、人気キャラクター・怪盗キッドが登場した劇場版第19作『業火の向日葵』なども立て続けに大ヒット。そして再び“黒の組織”が登場した劇場版第20作『純黒の悪夢(ナイトメア)』は、シリーズ最高興収記録を約20億円もアップさせる興収63.3億円を打ち出した。

 今回の劇場版『ゼロの執行人』も大人気キャラクター・安室透の秘密に迫る作品であり、驚異的な記録を上げているのも納得がいく。

 また、『名探偵コナン』だけに限らずアニメ映画が好調な傾向にある。2017年の邦画興収ランキングは、トップ10のうち6つがアニメ映画。実写作品だけで見ても、1位は小栗旬(35)主演の『銀魂』で漫画原作のコンテンツだった。2016年は『君の名は。』が圧倒的1位で、邦画実写では『シン・ゴジラ』が1位、小栗旬主演の『信長協奏曲』が2位となっていた。うーん、コナンもすごいが小栗旬も相当すごい。

 2015年も邦画ランキングは1位『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』、2位『バケモノの子』とアニメ映画が上位を独占。今年は『銀魂2(仮)』『検察側の罪人』『孤狼の血』『劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』など話題の実写映画が控えているが、3月から公開中の『映画ドラえもん のび太の宝島』も一カ月で興行収入44.4億円を突破し、新シリーズ最高の興収を達成している。『ドラえもん』や『名探偵コナン』といったアニメ映画が邦画興収ランキングを独占する状況は今年もまだ続くかもしれない。

(ボンゾ)

欅坂46・平手友梨奈が映画『響 -HIBIKI-』で初出演抜擢、プレッシャーによる体調不良に懸念も「彼女しかいない」

 9月14日公開の映画『響 -HIBIKI-』で、主演に欅坂46の平手友梨奈(16)が抜擢されたことが発表となった。平手友梨奈が映画に出演するのは同作が初めてで、ファンは「大抜擢じゃないか!」「てち! 絶対見るよ!」と祝福のメッセージを送っている。

 しかし平手友梨奈の体調問題は未だ気にかかる。欅坂46は2015年に結成、翌2016年に「サイレントマジョリティー」でCDデビューしてから一気に人気アイドルグループの頂点へ駆け上がったが、それを牽引したのは間違いなく、中心に立つ平手友梨奈のカリスマ的存在感によるところが大きいだろう。そのぶん、彼女が背負うプレッシャーも尋常でなかったことは想像に難くない。欅坂46では6thシングル「ガラスを割れ!」まで、平手友梨奈が6作連続でセンターを務めている。

 平手友梨奈は愛知県出身だが、欅坂46にのオーディションに合格してから東京で寮生活を送る。しかし昨年4月あたりからステージを観たファンにも体調不良を心配されるようになり、特に「不協和音」をステージで披露すると明らかに体調を崩し、夏のツアーやイベントでは欠席を繰り返していた。昨年末の『第68回 NHK紅白歌合戦』ではパフォーマンス後にステージで崩れ落ちている。紅白では鈴本美愉、志田愛佳も倒れており、3人は過呼吸のような状態に陥ったという。

 さらに平手の体調不良は今年に入ってからも続いており、ライブやグループでの音楽番組出演も欠席が目立つ。1月13日に行われた「『風に吹かれても』発売記念 全国握手会」、および握手会後のミニライブも平手友梨奈は不在。さらに平手は同月、右腕の上腕三頭筋損傷で全治1カ月という診断を受け、1月31日~2月1日に予定されていた欅坂46の初の日本武道館公演は、姉妹グループである「けやき坂46(ひらがなけやき)」公演に振り替えられた。そして春、4月6日から3日間に渡って開催された欅坂46の2周年ライブにも平手は姿を現さなかった。

 3月4日放送『シブヤノオト』(NHK)で欅坂46が6thシングル「ガラスを割れ!」を初披露した際も、センターの平手友梨奈を欠いたパフォーマンスとなった。3月9日放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)も同様で、いずれも今泉佑唯(19)と小林由依(18)の“ゆいちゃんず”がWセンターを務めている。

 こうした状況にありながら、初の映画主演ということで、平手友梨奈にさらなる重圧がのしかかってしまうことが危惧されている。

 ただし平手友梨奈の状態については『響 -HIBIKI-』監督の月川翔氏も認識しており、映画の公式サイトに寄せたコメントで「主演に平手友梨奈さんの名前が挙がったとき、リスクの大きい選択だと思いました。現場が止まるかもしれないし、大変そうだ、と正直思いました」と、覚悟を告白。一方で「それを何百倍も上回る期待感で、平手さんが演じる響を見たいと思いました。響役を表現する上で、最高到達点にいけるのは平手さんしかいないと思うからです」と期待を綴っている。月川翔監督は自身のTwitterでも「彼女に賭けます」と力強く語っており、同作主役を演じるのは平手友梨奈しかいない、との熱い希望を感じさせる。

 当の平手友梨奈自身も「このオファーを頂いたときに、最初はどうしようかすごく悩みました」という。しかし「原作を読んで、この物語の主人公、鮎喰響という女の子にひかれてしまったのと、彼女の生き様を届けたいなと思ったので、やってみようと思いました。それでも初めてのことばかりで、不安もあるし、役を演じるけれど、演じている人間は平手友梨奈なので、もしかしたらいろんな人を困らせてしまったり、迷惑をかけてしまったりするかもしれないけれど、鮎喰響という女の子が大好きで、この子のことを伝えて、観てくださった方が生きていく中で大切なことにハッと気づかされるような作品になるといいなと思っています」と意気込みを語っている。

 平手友梨奈は女優としては新人同然で演技経験は乏しく、これまで出演したのは秋元康(59)が企画・原作を務め欅坂46のメンバーが総出演したドラマ『徳山大五郎を誰が殺したか?』(テレビ東京系)と『残酷な観客達』(日本テレビ系)の2作品のみ。欅坂46関連以外の映像作品に参加するのは初めてだ。しかし経験は少ないものの、彼女には独特の華があり、生来の風格をまとっている。『残酷な観客達』などではすでに貫禄ある演技をしており、特に得意としているのは“目の演技”だ。2016年放送の『欅って、書けない?』(テレビ東京系)で、感情の“すれ違い”を目だけで表現して共演者を驚かせたこともある。

 もともと欅坂46オーディションを受けたきっかけは「芝居に興味があったから」だという平手友梨奈。映画『響 -HIBIKI-』には、北川景子(31)やアヤカ・ウィルソン(20)、高嶋政伸(51)、柳楽優弥(28)、野間口徹(44)といった経験値の高い俳優が名を連ねており、“アイドル好きによるアイドル好きのためのアイドル映画”とは一線を画す作品になることは明白で、平手自身にとって女優としての経験値を実践的に積める非常に大きな意味を持つ仕事になるだろう。

(ボンゾ)

BLは愛と性を再構築する 「どうして男女じゃダメなんですか?」というヘテロセクシズム

 今月14日からスタートした特集「性を語ること」。本稿では、正しい倫理子さんに「BL(ボーイズラブ)」をテーマにご執筆いただきました。

 BLは近年、マーケット規模の拡大だけでなく、批評、評論、そして学術書など、広く世の中に知られ浸透しつつあります。その一方で、誤解や偏見に基づいた批判も未だ少なくなく、「ヘテロセクシズム(異性愛主義)」を感じさせるものも中にはあります。BL愛読者がしばしば問いただされる「どうして男女じゃダメなんですか?」と疑問に対する正しい倫理子さんの返答です。

▽特集「性を語ること」
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「どうして男女じゃダメなんですか?」

 私がボーイズラブ=BL愛好者だと話すと、そう問い詰められた。その人は本気で、「どうして男女のラブストーリーではだめなのか」を不思議がっていた。質問を受けた当時はしっくりくる答えを出せずにいたのだが、今ならわかる。素朴な「どうして男女じゃダメなの」という圧迫こそ、私の打破すべき相手であると。

 BLを読む理由を問う行為には暴力性がある。男女の恋愛漫画を読む人に「どうして同性愛じゃダメなの」と尋ねる人はほとんどいない。「普通」の恋愛は「男女」でしょ、という世間の風潮はあまりにも強固だ。「普通」が設定されることで自動的に「異常」が作られ、後者が排除されていく。意識の有無にかかわらず、異性愛以外のセクシュアリティを持つ人を差別する思想を、ヘテロセクシズム(異性愛主義)と言う。

 漫画家のよしながふみは著作『きのう何食べた?』(講談社)について、BL研究の第一人者である溝口彰子と以下のように語り合っている。

よしなが 『何食べ』についての取材をお受けすると、「どうして男同士のカップルにしたんですか?」とすごくよく聞かれるんです。「どうして」と言われても最初からこれしか、というのが正直な答えですが(笑)。(中略)結婚している男女の、子供のいないカップルとは全く立ち位置が違います。相手の親とも、結婚した男女だったら最初から関係が発生しますし。社会的な認知も違うから、妻がいます夫がいますっていうことを周囲にすぐ言うでしょうし。「BL脳」の方は、これ、男女じゃ同じ話にならないってすぐわかってくださるんですが、そうじゃない方々は、「男女でもできますよね」っておっしゃる。(中略)

溝口 「BL脳」って言うと、BLにうとい方たちは、「美男カップルに萌える脳みそでしょ」とだけ思うのかもしれませんが、その実、異性愛と同性愛のダイナミクスの違いを敏感に認識している、っていうことなんですよね。

(溝口彰子『BL進化論[対話編]』、太田出版、2017年。315〜317ページ)

 『きのう何食べた?』は40代の弁護士である「シロさん」と、そのパートナーの美容師「ケンジ」を主人公に、彼らの食と生活が描かれていく作品だ。同作は青年誌で連載されており、いわゆる「BL」ではないが、引用部分にある通り主人公がゲイカップルであることが肝となっている作品である。

 まだうまく息子のセクシュアリティを受け入れられていない老親とともに台所に立つ日もあれば、カミングアウトしていない職場で「女性と付き合っている」という設定を貫きながらレストランのテーブルを囲む日もある。彼らは社会の抑圧をたびたび苦い形で体験し、それらとある程度折り合いをつけ、対話しながら暮らしている。明らかにキャラクターの性別を取り替えると成り立たない内容だが、非「BL脳」の人は「男女でも成立する」と認識する場合が多いのだという。

 この感性の根源には、強固に内面化された異性愛規範があるように思えてならない。「ダイナミクスの違い」を察知できない非「BL脳」の人は、「カップルとは普通、男と女である」という発想を疑っておらず、ゲイカップルの生活に対して全くピンときていないように見える。そういう人にとって漫画の主人公にゲイカップルを選ぶことは「あえての定石はずし」でしかない。問いの根源にあるのは、「なんで『普通』にできるものを『はずし』てみたんですか?」という、珍しい手を見た囲碁ファンのような素朴さなのだ。

 「普通」と「普通でない」の分類を無自覚・無批判に構築しているがゆえに、「普通でない」ことには理由があると思い込んでいる(社会的に構築される「異性愛」についてはこちらの記事も併読してほしい)。この観点からすれば「男が男とセックスをする漫画を読む人」は「男と女がセックスする漫画をなんらかの理由で読まない人」になってしまうし、もっと言えば「なんらかの理由で実際のセックスの代わりに漫画を読んでいる人」になりかねない。「男」への欲求、「女」への欲求、現実への欲求、漫画への欲求。これらはみなそれぞれ独立した場所に存在し、対極に位置するものでも裏表の関係にあるわけでもない。今までの社会が「男と女のカップルによる現実のセックス」を特権化してきたために、それ以外の多様な性のありさまは周縁化され続けてきたのだ。

 異性愛規範は家父長制とぴったりくっついて近代を支配し、あらゆる人を抑圧してきた。女は男と結婚し、仕事を辞めて家庭に入り、セックスをして子供を産み、家事と育児に専念するべし……その手の発想は今でも強固に残っている。

 北田暁大・解体研編著『社会にとって趣味とは何か』(河出書房新社)には、ある興味深い調査が掲載されている。要約すると「二次創作を好むオタク女性」は、男性や非オタク女性よりも「性別による役割分業に抵抗を感じている」というのだ(詳細はぜひ本で確認してほしい)。

 「二次創作を好むオタク女性」全員がBL読者であるわけではもちろんないが、「腐女子たちは、そうした標準世帯モデルのもとで「ささやかな幸せ」というオブラートに包まれた家父長制が前提とする役割分業に懐疑的な立場を持っている」という指摘は無視できない。

 社会に生きている限り、社会の異性愛規範から完全に逃れることは困難である。異性愛規範に苦しむ人が現実を相対化する癒しを求める時、異性愛規範の外側を描いた作品が選ばれるのは必然と言ってもいいだろう(※1)。

 だからこそ、BL=基本的に女性が排除されたフィクション=の読者の大半は、家父長制の抑圧を最大限に受ける立場にある「女性」であった。溝口彰子がBLを「現実逃避が約束されたジャンル」だと言ったのはあまりにも的確だ。この場合の「現実逃避」とは逃避する側が無責任だという意味ではもちろんない。異性愛規範や家父長制で組み上げられた現実が、それらに抵抗する人を追いかけ続けること自体の酷さを指摘しているのである。

 最初の問いに戻ろう。「どうして男女じゃダメなんですか?」……私はその問いがあるからBLを読む。望まない圧迫から魂だけでも逃げる。BLは間違いなく、愛の意味、性の意味を再構築する場所なのだ。あらゆる方角から責めてくる社会の詰問に、BLはそっと問いを跳ね返す。「どうして男女じゃなきゃダメなんですか?」
(正しい倫理子)

(※1)一方で異性愛規範を揺さぶり批判するBL作品以上に異性愛規範を内面化したBL作品が多いこともまた事実である。異性愛主義への反発と内面化の狭間で苦しむ人々が形成するジャンルであった経緯によるものかと思うが、現実のゲイと表象が合致している以上、批判は免れない。この問題の詳細は溝口彰子著『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』を参照してほしい

参考文献

溝口彰子著『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』太田出版、2015年
北田暁大+解体研編著『社会にとって趣味とは何か』河出書房新社、2017年
溝口彰子著『BL進化論[対話編]』太田出版、2017年

反射神経の「下ネタ」ではなく、ゆっくりと「性」について語る場所が私たちには必要だ

 今月14日からスタートした特集「性を語ること」。本稿ではライター・餅井アンナさんに、「性癖」をテーマにご執筆をいただきました。笑い話や下ネタで消費されてしまう自分の性癖は「異常」なものなのでは、という不安を抱いてきた餅井さんが、「性」へのコンプレックスを受け入れるきっかけとなったのは、ある大学での授業でした。

▽特集「性を語ること」
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 自分の性欲が「正しい」ものではないという気持ちに、長いこと苛まれてきました。

 wezzyでの連載「妄想食堂」でも書いているように、私は食というものに対して性的な意識を持っています。人と食事をするのに興奮する。食べ物をパートナーや自分の体に塗りたくって食べたりするのが好き。言ってしまえばフェティシズムの一種なのですが、他にも痛かったり苦しかったりするのが好きというマゾヒズム的性質があったり、人間以外、とりわけ人工物に興奮する癖があったりと色々と抱えているものがあります。

 自分の性欲は過剰で捻れているのではないか。そうした意識は幼い頃から自分の胸にありました。性の目覚めはばいきんまんの手で餅まみれにされるアンパンマンだったし、セーラー戦士たちが敵の攻撃に苦悶する姿には今でも興奮します。小学生のときには性への興味がより強固で明確なものとなり、父親の本棚からエッチな漫画を選定しては盗み読みする、インターネットを使ってエッチなサイトにアクセスしまくるという行為を繰り返していました。それに気がついた両親は、もちろん私を厳しく叱責します。それでも性的なものへの興味と執着を捨てることができなかった私は、自分の性欲がいびつで汚い、恥ずべきものなのだという意識を強くしました。

 性的な事柄について誰かと真剣に話すことに、私は失敗し続けてきました。小学校高学年で性教育が始まってから中学・高校に至るまで、周囲の人たちが話題にする「性」はきまってセックスが中心になったものでした。だけど私が興奮するのは、セックスではない気がする。自分の性癖が周囲とは違っているということに引け目を感じていた私は、それを「おもしろい、何か異質なもの」として笑い話にすることしかできませんでした。つまり場を盛り上げるための「下ネタ」として消費していたということです。

 周りの人たちに「変態ネタ」で笑ってもらった後に帰宅すると、しばしば「これでみんな笑うってことは、やっぱり自分は変なんだな」「こんなふうに話していいことじゃなかったのに」と落ち込みました。自分の内面に関わる事柄をその場限りの表面的なネタとして話すというのは、駄洒落や大喜利のように、自分の気持ちとは関係ないところで言葉だけが上滑りしていく感じがします。本当に悩んでいることは口に出せず、「自分はおかしいんだ」という認識だけが深まっていきました。

「変態な自分でもうまく編集すれば受け入れてもらえる」
 自分の捻れた性欲をひとりでうじうじと責めてはつらい気持ちを高めていた私でしたが、大学に入って以降、少しずつ開き直れるようになってきました。そのひとつのきっかけとなったのが、大学で受けた、ライターのトミヤマユキコ先生による「編集実践」という授業です。履修した学生が「自分が好きなもの」を題材に8ページほどのZINE(自主制作雑誌)を作る演習だったのですが、授業の最初にトミヤマ先生がおっしゃっていたのが「普段はいい子にして隠しているマイナーな自分・変態な自分を出せ」というようなことでした。

 私はそこで、「食と性」についての雑誌を作ることにしました。自分の変態な部分を受け入れてもらうためにはどうすればいいのか。物事を人に伝えるためには、自分がその内容を深く理解していなければいけません。好きなものについて誰かに伝えたいと思うのなら、それのどこに惹かれていて、どのように魅力的だと思うのかを丁寧に分解し、再構築する必要があります。それを口頭で発表し、学生や先生からさまざまな意見をもらい、試行錯誤しながら一冊の雑誌に仕上げる。ページ数は少なくても、時間と手間がかかる作業です。

 自分が感じている食べ物のエロさをわかってもらうためには、文体もねっとりしていた方がいい。文章だけだと重たいから、きれいな写真も入れたい。読む人を傷つける内容になっていないか。傷つけるとしたら、それはどういうところでだろう。そもそも自分はどんなふうに食べ物をエロいと思っているのか。その理由やきっかけはどういうもので、それを書くことで自分はどうなりたいのか。この演習は、長らくコンプレックスだった性癖と時間をかけて向き合うとても良い機会でした。

 自分が本当に思っていることを、おもしろく、でも真剣に書いた「性」の話を読んでもらうというのは不思議な経験です。自分が時間をかけて作ったものを、相手も時間をかけて読んでくれる。「おもしろい」「認識が変わった」と言ってくれる人もたくさんいました。「下ネタ」として喋っていたときに要求されていた(と思っていた)盛り上がりや速度ではなく、深度や丁寧さといった尺度で話を聞いてもらえている。そんな気がして、とても満たされた心地になったのを覚えています。こちらのインタビュー記事にもあるように、「編集実践」の教室は、履修した学生に「変態な自分でも、うまく編集すれば受け入れてもらえる」という実感を与えてくれるものでした。その体験を経たことで、私の「性」に関するコンプレックスは少しずつ薄れていったのだと思います。

反射神経で「性」を語ろうとすると、使い古された概念でしか受け答えができない
 「性」の話題は繊細で入り組んでいます。いわゆるエロだけではなく、ジェンダーやセクシュアリティ、人それぞれ好みやあり方は違っている。それを心のうちで正確に捉えることも、適切な形で言語化することも、それを伝え、受け取ることも、すべてが難しく、知識と根気、そして時間が必要なものです。だけど私たちが「性」、とりわけエロの領域について真剣に語ることは、なぜだか世の中に歓迎されていません。わかりやすく過剰な「下ネタ」ばかりがあふれています。もちろん、安直な下ネタとして処理する人々のすべてが、実際にそのような捉え方をしているわけでもないと思います。心の中では真面目な性の話題であると受け止めてくれていても、その場の空気が真剣に応えることを求めていない場合、なんとなく表面的な消費をする態度を取ってしまうことがある。私自身もそうだったなと感じています。

 反射神経を使って会話を回そうとすると、すでに頭の中にインプットされ、使い古された概念でしか受け答えができなくなる。そんな気がします。たとえば「男と女は愛し合ったらセックスをするものだ」、「セックスは男性器と女性器を使ってするものだ」といった固定概念。速度とわかりやすさを優先したお喋りの場では、そこから外れたさまざまな性の形は「正しくないもの」「異質なもの」として取りこぼされてしまいます。

 「性」の話を「下ネタ」として処理しているうちは、取りこぼされたそれらを一つ一つ拾い上げ、丹念に確かめるだけの時間を持つことは難しい。だからこそ「下ネタ」ではない「性」をゆっくりと語り合う場所が、私たちには必要なのだと思います。

TBS・宇垣美里アナを精神科医が一刀両断! ストレス回避法の“マイメロ論”は「鬱になる危険も」

 TBSアナウンサー宇垣美里が、雑誌のコラムで提唱した“ストレス回避法”が話題になっている。災難や理不尽な出来事に遭遇したとき、「私はマイメロだよ~☆ 難しいことはよくわかんないしイチゴ食べたいでーす」とサンリオキャラクターのマイメロディーになりきって、ストレスを溜めないようにするというもので、若い女性を中心に「マイメロ論」と呼ばれ、共感者が続出しているようだ。つまり、“ストレスを感じそうになった時には、自分とは別人格になりきって物事に向きあえばいい”との考え方だが、果たして本当にストレス回避法として有効なのだろうか? そこで、精神科医である高木希奈先生に見解を聞いた。

マイメロ論は鬱になる可能性も
――「マイメロディーになりきってストレスを回避する」という「マイメロ論」は、ストレス回避法に有効ですか?

高木希奈先生(以下、高木) 微妙ですよね……。確かにストレス回避しているものの、単に“現実逃避”しているだけなのでは。根本的な解決にはなっていないので、今後似た状況になったとき、同じような問題を繰り返す可能性があります。それと、マイメロ論の考え方は、精神的に退行しているのも気になりますね。20~30代以上の大人の女性が3~4歳の子どものような思考に戻るというのは、周囲も対応に困るでしょうから、人間関係にも影響すると思いますよ。

――マイメロ論の考え方を続けると、何か良くない影響が起こることもあるのでしょうか?

高木 全てこの思考で逃げ続けてしまうと、少しのストレスにも耐えられないようになって、鬱になる可能性もあると思います。また、別人格の思考を持ち合わせ続けるというのは、「解離性障害」の患者さんと似た状況を意図的に創りだしているということになります。解離性障害は、耐えがたいほどのストレスがかかり続けたことで、自分自身と感情が切り離されてしまう病気で、幼少期からの慢性的な虐待やいじめなどが原因となり、思春期~10代の若い頃の発症が多いんです。それ以外では、事件や事故など解離性障害になりうるほどの強いストレスにさらされ続けることが原因となります。つまりそういう事態にならなければ、マイメロ論の考え方が、解離性障害に移行することはめったにないでしょうが、実際に治療に取り組んでいる患者さんもたくさんいる症状に、なぜあえて寄せていくのだろう……と思ってしまいますね。

 

■マイメロ論がさらなるストレスになるケースも

サンリオ公式サイトより
――そもそも、ストレスを溜めやすいのは、どんなタイプの人なのでしょうか?

高木 マイナス思考や自己否定感が強い人、完璧主義者や気の短い人、また、他人に気を使いすぎたり人目を気にしたりする人や、プライドが高い人などで、ストレスをうまく発散する術を持たない人です。

――そのような人に、マイメロ論的思考は合いますかね……?

高木 特に、真面目で几帳面、完璧主義者の人がマイメロ論を取り入れようとすると、「マイメロ論のような考え方をしなきゃ」と、余計にストレスを溜めてしまうかもしれません。なので、あまり向かないと思います。

――では逆に、向いているタイプなどはあるのでしょうか?

高木 例えば、他人の言葉を一字一句気にしてしまうくらいあらゆることが気になる人や、全ての出来事をマイナスに捉えてしまうような人には、ある意味有効かもしれませんけれど……どのようなタイプの人であれ、マイメロ論はおすすめできるものではありません。

 

■退行するよりプラスに考える思考を持つ方がいい
――ストレスを溜めやすい人に、有効なストレス解消法はどのようなことですか?

高木 ストレスとの向き合い方は人それぞれですが、趣味や好きなことをするというのは、やはりストレス解消に有効です。また、マイメロ論のように“ストレス回避”としての思考をあえて持つなら、“認知行動療法”の方がいいと思います。精神科の治療でもよく使われている精神療法の1つで、「自分の認知を変えて行動を変えていく」というものです。仕事で上司から仕事を押し付けられた場合、「嫌がらせだ」などマイナスに捉えがちですが、「上司は自分を信頼してくれている」「周りより仕事ができるから私にお願いしたんだ」など、見方を変えてプラスの受け止め方をすることで、ストレスを溜めないようにするんです。

 中には「物事をプラスに考えることが難しい」という人もいますが、ほとんどの人が訓練すればできるようになります。例えば現在、マイメロ論を実践している人は、思考を転換できる術を持ち合わせているともいえるので、認知行動療法が身に付く素質があるかもしれませんよ。

――例えば、先ほどと同じケースで、上司の依頼を断りたいけれど、「能力が低い」と見られたり、嫌われたりするのではないかとの思いから断れず、ストレスを感じる人も多いと思うのですが、その場合はどうすればいいでしょうか。

高木 相手に配慮しながら自己表現できるコミュニケーションスキルを磨く「アサーショントレーニング」です。ムリなお願いは、受け入れてもストレスになるし、断るのも「嫌われるのではないか」「今後の仕事に響くかも」などの思いが働いてストレスに感じますよね。単刀直入に断れば、角が立つこともあります。そんなとき、自分を頼ってくれたことにお礼を述べた上で、できない理由をきちんと説明して断るなど、相手を尊重しながら自分の感情を伝えれば、無用なストレスを溜めずに解決できるようになります。そもそも、その場しのぎでできない仕事を引き受けるのは逆効果です。あとになって「できなかった」では、評価を下げることになってしまいますから。まずは「できる・できない」を正しく判断できるよう、自分のキャパシティをしっかり知っておくことが一番ですね。

 

■マイメロ論が許されるのは10代まで
 

――あらためて、若い女性の間でマイメロ論が広まっていることについて、率直な感想を教えてください。

高木 こんな論理が出てくること自体に衝撃を受けました。意図して、解離性障害の状態に、自分を持っていくなんて……って、びっくりしたというのが正直な感想です(笑)。ただ、最近の若い人は、「頑張って稼いで、いい車や家を買いたい!」などの考えがあまりないと聞きます。あえて困難に立ち向かい、それを乗り越えようと頑張るより、イヤなことから逃げることも大事といった感覚が強いゆえに、マイメロ論がはやっているのかもしれませんね。

 ただ私からすると、マイメロ論的思考が通用するのは、人格の確立していない10代までじゃないかと思ってしまいます。もし20~30代でこのような考え方をしている方が患者として私のところへ来られたら、マイメロ論的な思考をするよりも、「認知行動療法」や「アサーショントレーニング」をおすすめするでしょうね。
(取材・文=千葉こころ)

高木希奈(たかぎ・きな)
精神保健指定医、日本精神神経学会認定専門医、日本精神神経学会認定指導医、日本医師会認定産業医。現在は、精神科単科の病院で、精神科救急を中心に急性期治療にあたっている。また、産業医として企業にも勤務。著書に『あなたの周りの身近な狂気』(セブン&アイ出版)『精神科女医が本気で考えた 心と体を満足させるセックス』(徳間書店)などがある。