絵本作家のぶみが説く『かみさま試験の法則』は自己責任論につながっている?

 人気の高い絵本作家のぶみ氏がこれまでリリースしてきた絵本の内容には、子どもに対する脅しや、母性神話の再生産が含まれていることは、これまでにも何度か触れた。そこで次に、4月に発売した大人向けの著作『かみさま試験の法則 つらい時ほどかみさまはちゃんと見てる』(青春出版社)を読んだ。大人向けに書かれた“幸福論”とのことだが、そこにのぶみ氏の作品群にこめられたメッセージの源流があった。

 この本でのぶみ氏は、「かみさま」が人に与える「かみさま試験」について説く。のぶみ氏が考える「かみさま」とは、<1人ひとりひとりの頭の上>にいて、<自分のことを見てくれている“何か”>であり、自分の過去も未来も<全部知っている>。そしてそんな「かみさま」が与えるのが「かみさま試験」だ。

 「かみさま試験」とは、<困難な出来事>や<キライな人あらわれたりすること>などで、そんな時は<イヤイヤでも「かみさま試験」をやろうとすることが大切>。「かみさま」は<できないことを試験として出さない>。「小さいかみさま試験」は、<人にやさしくする瞬間を逃す>とか<ゴミが落ちてたのに入れなかった>などで、<クリアすればいいことが必ず起こる>。

 「大きいかみさま試験」は、<病気>や<ケガ>をしたり<大切な人を失ったり>、<仕事で大失敗>することなどで、それも<かみさまからのメッセージ>。たとえば病気やケガも<感謝を学ぶため>という解釈になる。ちなみにのぶみ氏は、「かみさま試験」を解き続けたことによって「かみさま感度」が高くなり、鎌倉のお寺で妖精に、出雲大社でかみさまに会うという稀有な体験をしているそうだ。

 なぜ「かみさま試験」があるのかというと<やっぱりぼくたちは成長するために生きてるから>だという。のぶみ氏の経験上、<成長以外のことをすると、するとダメなことが起こるような気がする>そうなのだ。怠けると<かみさまからビンタされるようなことが起こってくる>。これは強烈な自己責任論の匂いがする。

 結局のところ“日頃の行いが悪いといつか痛い目遭うよ”といった戒めであり、自己責任論であり、脅しであるように思える。小・中学校の道徳や部活動でも似たような説話を聞いた気もする。<かみさまは何か起こった時、「即行動」で「即解決」しようとする人が一番好きなんじゃないか>というが、だとすると「かみさま」のストライクゾーンは狭い。

 「かみさま試験」をクリアすれば<うれしいことが起こる>とのぶみ氏は語る。しかし、「かみさま試験」をクリアしたはずなのにいいことが起きないこともある。それはつまり、<がんばる方向が間違ってる>という「かみさま」からのメッセージなのだそうだ。このように何でもポジティブに解釈し自己啓発するやり方は好きずきで、本人が物事をどう捉えるかというだけのことだ。しかし決して看過できない問題もあった。それは彼のメイン読者層である母親層に向けた育児論である。

 世のお母さんたちが子育てで悩んだりイライラするのは詰まるところ<子どものことが好きすぎるから>とのぶみは語る。もちろんそういう側面もあるかもしれないが、子育ては1から10まで“愛情”由来でできているわけじゃない……と私は思ってしまう。そしてのぶみ氏お得意の<子どもはママを喜ばせるために産まれてきた>も漏れなく書かれているのだが、やはりというか、“胎内記憶”の話に展開していくのである。

 「第5章 かみさまの声を聴く方法」では、のぶみ氏が出会った胎内記憶を持つ子供たちの話を紹介している。子供たちは「雲の上でママを選んだ」と言う。空の上で生まれる順番を待ち、そこには<1人でっかいかみさまみたいなのがいて、お母さんのお腹に入る前に「どういう人生にする」ってそのかみさまに聞かれる>。

<それで自分で大体人生のあらすじを決めて紙に書くらしいんだよ。ぼくだとしたら「いつ生まれて何歳で結婚して絵本作家になります」みたいなことを書くんだけど、もっと詳しく人生のあらすじを決めてるらしい。だけどそれは厳密に「ここでこういうことをしゃべります」とかまでは書いてないらしいのね。人生の台本じゃないんだよ。あくまであらすじ>

 その話を根拠に、<実は「かみさま試験」でいうかみさまっていうのは、どうやら自分の決めてきたあらすじのことかもしれない。かみさまってなんでもわかるみたいに言うけど、それは全部自分が決めてきたことだからなんだよ。言ってることわかるかな? ここ、伝わるといいな。「自分で決めてきたこと」がかみさまなの>と説いていく。やはり自己責任論に回帰しているのだ。

 このようなのぶみ氏の思想が非常によく伝わる『かみさま試験』。前回の記事で紹介した母子の愛と絆を特別視する傾向や、理不尽な困難を乗り越える『いのちのはな』の内容は、この思考法に由来しているのだろう。ツライことやキライな人の存在などをもたらす「かみさま試験」は<ある意味チャンス>。そして子供たちはママを選んで生まれてきた(パパのことも選んでいるのだろうか?)。ようやくのぶみ氏の作風の根拠が理解できたように思う。

セクハラや強制わいせつを「ハニトラだろ」と思いたがる人たち

 福田淳一元財務事務次官のセクハラにしろ、TOKIO・山口達也の強制わいせつにしろ、その被害を受けた女性に対して「ハニートラップ」という言語が向かう度に仰天する。世の中、という大きな主語は使いたくないけれど、この世の中にはどうやら、そこかしこでハニートラップが行われていると信じている人たちがいるようなのである。

 それって、「AVの見過ぎで乱暴なセックスをして嫌がられる」という状態に似てはいないか。つまり、女性のことを考えるときに、AV的世界観を優先する。私は、満員電車の中で逆に誘ってくる痴女があちこちにいるとは思わないが、あちこちにいると思っている人たちがいるのだろうか。私は、悶々とする男子高校生の性欲を察知して襲いかかってくる女性家庭教師があちこちにいるとは思わないが、あちこちにいると思っている人たちがいるのだろうか。AVの中に出てくる行為をそのまま真似てしまう人がいるように、AVにおけるベタなシチュエーションを、現実のものだと信じ込んでいる人がいるのではないか。「ハニトラ」という言葉を結構な頻度で見かける度にそう思う。

 今日はぶっちゃけた話をします、と打ち出すテレビ番組では、その狙いに応えようと意気込む女性タレントなどが「知り合いの子で枕営業したって子がいる」と激白したりもする。そういう事例を頭に備蓄しているのか、セクハラ行為が発覚すると、男性を糾弾せずに、被害を受けた女性に対して、ハニートラップではないか、との疑いを投げる。「ハニートラップに違いない!」と断言するのはさすがに無理がある、とは思っているようで、「ハニートラップって割とあるって聞くし、今回もその可能性はあるんじゃないかな……」くらいの感じで、つまり、冷静を気取ったAV脳で、その可能性を示唆するのである。

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「私の見解としましては、『セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1』でどうですか」
(松本人志『ワイドナショー』2018年4月22日放送)

 松本人志が『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、福田淳一元財務事務次官のセクハラについて、「私の見解としましては、『セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1』でどうですか。このあたりで皆さん手を打たないですか」と言った。なぜ、皆で手を打つ必要があるのだろうか。「ハニトラに違いない!」では、世間はさすがについてこない。言い過ぎだろ、とバッシングを受ける。ここで、「ハニトラ1」としておくあたりが、「ハニートラップって割とあるって聞くし……」の作法である。

 「悪いのは福田。でも、女性記者がまったく悪くない、ってわけではない」「悪いのは山口。でも、女子高生が悪くないわけではない」、こういった筋違いの見解が平気で顔を出すのは、ハニトラってけっこうあるらしい、と曖昧ながら冷静に理解してしまうAV脳があるからこそ。そうはいってもちょっとくらいはその気があったんでしょ、と投げかけて、行使した側の罪を和らげようとする。「おっぱい揉んでいい?」発言があれば、真っ先に「スクープをとるためなら、ちょっとは揉まれてもよかったって思ってんじゃない?」と疑い、「自宅マンションに連れ込んで無理やりキスした」事案があれば、真っ先に「自宅へ行くってことは、ちょっとはしてもいいって思ったんじゃない?」と疑う。

 疑うこと自体が解せないが、ひとまず疑うことを理解したとしても、なぜ真っ先にそれを問うのだろうか。『バイキング』(2018年4月27日放送)で俳優の中条きよしが、山口達也の部屋にあがりこんだ女子高生に対し、「ボクは正直言うと」と振りかぶった上で、「高校生2人行ったら、蹴飛ばしてでも逃げられるし帰ってこれるでしょ」「行かなきゃいいじゃない」(スポーツ報知)と言った。自分の知っている丁寧な言葉の中に似合う言葉が見つからないので、乱暴な言葉を使わせていただくが、バカである。

 この発言を聞き、「この手の愚鈍な見解が、『こういう意見もあるよね』と逆サイドに用意され、いつの間にか『あなたはどう思う?どっち?』に昇格するのが許せない」とツイートしてみたのだが、松本の「ハニトラ1」のような発言が、ギャグっぽく消費されることで、「1」が「3」になり、「5」になる。セクハラの「6」やパワハラの「3」よりも、ハニトラが「0」なのか「1」なのかどうかに議論が移り、「いやー、ゼロってわけないだろう」という半笑いの結論が、気付けば「4」くらいの印象で落ち着いてしまうのである。

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「テレビ朝日が記者会見で明らかにした内容を覆すに足りる反論・反証を提示していない」
(財務省発表文書・2018年4月27日)

 麻生太郎財務大臣は、福田をかばうために、「ハニトラ1」を維持するような発言を続けた。24日、「(記者の女性に)はめられたとの意見もある」と述べたのがそれだ。この発言が問題視されたことを受けて、27日、そのような見方に同調したわけではないのか、と問われると「当たり前だろ?」と例の口調で答えた。

 南北首脳会談が行われていた27日、今日ならニュースの扱いが小さくなると踏んだのか、財務省が福田のセクハラを認定した。財務省が発表した文章には、結論として「財務省としては、福田氏からテレビ朝日の女性社員に対するセクシャル・ハラスメント行為があったとの判断に至った」と記されたものの、その理由の骨子は、福田が「同社(引用者注:テレビ朝日)が記者会見で明らかにした内容を覆すに足りる反論・反証を提示していない」からである。福田がセクハラをした、ではなく、福田がセクハラをしていないという十分な反論ができなかったことを理由にしている。

 福田は未だにセクハラを否定しているが、福田が否定しきれていないからセクハラと認めます、という。財務省が認めたことを評価する向きもあるが、これでは、麻生大臣の「はめられたとの意見もある」は消せていない。或いは、松本人志に代表される「ハニトラ1」的な意見や反応は消せていない。財務省は、これ以上、調査に時間をかけすぎると「被害者保護上問題であるため」に、早めに事実認定したほうがいい、とした。あたかも女性の味方をしているかのように見せているが、発表された文章を読み込めば、「財務省としては、同社(引用者注:テレビ朝日)が記者会見で明らかにした内容を前提として事実認定を行うこととした」とあり、ちっとも主体的な判断ではない。

 つまり、「すみません、とっくに気付いてました。セクハラを認めます」と謝罪する文書ではない。「テレ朝さんが言ってますし、福田の反論も説得力がないんで、これ以上騒ぐとアレですし、これ、まぁ、セクハラですね」なのである。この感じで終わらせると、この事案は、まさしく松本が「このあたりで皆さん手ぇ打たないですか?」と投げかけた「セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1」で、個々の印象が落ち着きかねない。もちろん、財務省や麻生大臣は、そうやってうやむやに終わらせることを狙っている。はい、というわけで、福田はけしからんので、退職金から141万円引いて5178万円にします、という珍奇な措置が成り立つのは、「セクハラ10、あとは0」ではなく、「ハニトラ」を、「1」でも「0.1」でも残すことで、うやむやに終えようとするからである。

 うやむやにすれば、女性への偏見が残される。あれって、女性にも問題があったっしょ、が残る。福田の事案も、山口の事案も、それを残したがる人たちがいる。双方ともに、圧倒的に男性側に権力があり、女性が逆らえない場に置かれていたにもかかわらず、女性もその気だったんじゃないの、を残そうとする。なぜなのだろう。頭の中に、電車の中で誘ってくる痴女や男子高校生に襲いかかる家庭教師が色濃く存在しているからなのだろうか。「セクハラ6:パワハラ3:ハニトラ1」ではなく、「セクハラ10」と言わなければ、また同じようなことが起きてしまう。

 テレビ朝日の記者について「ハニトラ1」とした松本人志は、翌週の放送で、山口達也からセクハラ被害を受けた女子高生について「中にはこれがハニトラかというヤツがいるんですけど、アホかと」(『ワイドナショー』2018年4月29日放送)と述べた。この差はなんなのか。はぐらかしていた財務省がようやくセクハラを認定した。ならば、「ハニトラ1」と言い放ったままでいいのだろうか。「ハニトラ」を、「1」でも「0.1」でも残す感じに慣れてはいけない。松本には、前の週に自分が言った「『ハニトラ1』でどうですか」を取り消して欲しかった。福田ないし麻生は、記者会見に臨み、「セクハラ10」と認めて謝罪するべきである。テレ朝の会見をもとにするのではなく、当事者ないし責任者がちゃんと語る。それを事実認定とすべきではないか。

ジャニーズ事務所は山口達也の事件で完全に信用を失った

 4月25日に発覚した、TOKIO山口達也(46)の女子高生への強制わいせつ容疑での書類送検。同日夕方にNHKニュースが第一報を伝え、テレビの民放各局、新聞、スポーツ紙、ネットニュース、様々な媒体が一斉に報じた。山口達也は4月26日に記者会見し、被害者や迷惑をかけた関係各位に謝罪するとともに芸能活動の無期限謹慎を発表した。

 山口達也および記者会見に出席した顧問弁護士の説明によると、事件は今年2月12日に起きた。これまで業界内でも極秘裏にされていたが、実は山口は肝臓の調子を悪くしており、健康管理のため1月中旬から2月12日まで入院していたという。入院先の病院から仕事に通う生活をおよそ一カ月間続け、2月12日も早朝から仕事。午前中でその仕事を終え、荷物をまとめて退院、自宅に戻って昼から酒を飲んだそうだ。

 2月12日は月曜日だった。山口達也は月曜と水曜に朝の情報番組『ZIP!』(日本テレビ系)のパーソナリティーを務めており、その仕事の後だったということになる。1人で焼酎一瓶ほどを飲み酔っ払った山口は、被害者となった女子高生に電話。話しているうちに「今からうちに来れば?」と呼び寄せたという。女子高生は友人を伴い、山口の自宅マンションを訪れ、強制わいせつの被害にあった。このとき山口は泥酔していたが、そのような犯罪行為をはたらいてしまったことは間違いないと容疑を認めている。

 女子高生は警察に被害届を提出したが、そのことを山口が知ったのは3月末だったという。事件にもよるが警察は被害届を受理してすぐに逮捕に動くわけではないため、警察が「被害届が出ているので話を聞きたい」と山口に連絡したのが3月末だったということだろう。それから警察の事情聴取がはじまったが、そのときのことを山口は会見でこう述べている。

山口<3月末に取り調べが始まって、私の記憶を思い起こすのに1カ月もあったんで、やっぱり内容が内容なだけに、こういうことがありましたと(いうのは)すごく怖かったので自分でも。なかなか事務所の誰に相談していいかもわからず、3月の末から4月の頭にはすぐ相談して>

 警察からの連絡を受けるまで、山口達也は自分が加害行為をしたとは気付いていなかった。会見でも「事件性があることだとは思っていなかったです」と発言しており、2月12日以降3月末まで、自分が犯罪を犯していたと知らずに、普通に仕事をしていたという。

 しかし山口および所属するジャニーズ事務所が事件だと認識した4月頭から、事件が報道されることとなった4月25日までの期間、山口は3月末までと同じように、テレビ収録や生放送などの仕事に臨んでいた。4月25日も、フジテレビのスタジオで『TOKIOカケル』の収録をしており、事件が報じられたと知ったのは収録後の18時半頃だったという。

 この点について、記者会見では「今回報道がなかったらそのまま活動を続けるという考えだったんですか?」「隠蔽するつもりだった?」と鋭い質問が飛び交った。山口は隠蔽の意図は否定したが、「いつか公表したいと思われていた?」との質問には、混乱をうかがわせた。

山口<それは今はちょっとわからないです……。3月の後半にこういうことになって、バタバタバタバタ、捜査をしている最中なので。まだそこまで、どうしようかということまでは考えておりません>

 事件報道があった4月25日の朝、山口達也はいつもどおり『ZIP!』に出演していた。どういう気持ちで仕事に臨んでいたのかを聞かれ、言葉に詰まりながら、こう応えている。

山口<視聴者の方とか関係者の方には申し訳ないなという気持ちで、毎日過ごしてまいりましたが……やはり、私もプロとして仕事をやらせていただいているので、そこでおかしな行動であったり発言であったりすることは、スタッフや視聴者の方、ファンのみなさんに失礼にあたるので……反省しながら、でも仕事はしっかり今まで通りやる、ということを決めて、はい。やってまいりました>

山口<仕事はやっぱり、やらなくてはいけないので。いただいた仕事は、一生懸命やっていました>

ジャニーズ事務所の責任
 今回の事件により、出演番組をはじめ、TOKIOとしてPRしていた商品やイベントの関係でも多大なる損害が出ていることは間違いない。どれだけ大勢の人間が迷惑を被ったか数えることは困難だろう。そして事件当日に現行犯逮捕されたというのではなく、事件化していると認識しながら一カ月近くにわたりいつもと同じように仕事をこなしていたことが、かえって信頼性を損なっている。

 山口達也が自らの抱えているものを見せずに仕事をこなしていたというのはある意味ではプロ意識の強さだが、視聴者やスタッフ、スポンサーへの裏切りという側面もある。ジャニーズ事務所は被害届が提出されているとわかった段階で、仕事をストップさせるべきだったのではないか。それが本人のためでもあったのではないだろうか。

 もちろんジャニーズ事務所は情報をもたらされた直後から、今後の予定を考え、関係各所への根回しについても検討を始めていただろうが、内々に情報を伝える前に事件が報じられてしまったことで、信頼を大きく損なった。どのCMクライアント、テレビ局にとっても、青天の霹靂だっただろう。

 アルコール依存やメンタルの落ち込みなどの問題を抱えていた様子の山口達也。彼は46歳の大人で、タレントという自営業者のような立場だが、適切な休養とケアを必要としていたのかもしれない。数年前からクリニックへ通院していたことは明らかになっている。おそらく責任感の強い性格であろう山口を説得するのは容易なことではないのだろうが、無理して仕事を続けさせず、こうなる前に、体調不良で休養という選択をマネジメントできていれば……と悔やまれてならない。無期限謹慎がいつか解けるのかも現時点ではわかりようがないが、反省はもちろんのこと、まずは適切な医療を受けるなど体調を整え静養してほしい。

(清水美早紀)

なぜKaoRiさんは謝ったのか。生贄を捧げる私たちと、捧げられた人びとの声

人間のミューズとしての理想化や礼賛は、人間が人間であることを剥ぎ取る ― KaoRiさんの手記を読んで。―

あなたが死んだクミコのお姉さんに何をしたかも、今では見当がついています。これは嘘じゃありません。あなたはこれまでにいろんな人を一貫して損ない続けてきたし、これからも損なっていくことでしょう。でもあなたは夢からは逃れられない。(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』より)

 いま話題になっているKaoRiさんの手記を読んだ。

▼note『その知識、本当に正しいですか?』

 僕が関わっているのは、DSDsと呼ばれる女性・男性の体の状態のバリエーションを持つ人々の支援や正確な情報提供だ(DSDs:体の性の様々な発達については、こちらのページをご覧ください)。いわゆる性暴力や性被害については、仕事で関わることがあるが、直接専門で取り扱っているわけではない。だけど、DSDsを持つ子どもたちや人々も、社会一般や、ある種の力関係の不均衡の場で、KaoRiさんが指摘するような「モノ化」といった扱いを受けることがあった。とても人ごとではないような気がした。

「彼はその長い経歴、特に奥様を撮影し続けた経験から、年齢を重ねる中で生じる女性の心情の変化『もう撮られたくない。これ以上公に晒されたくない。』という気持ちを知っていたはずです。でも、自分の名前と行動がどのくらい世間的に影響力のあることで、どのように私を傷つけているかということには一切聞く耳を持とうとはせず、モノのように扱い続け、行動を改めようとすることはありませんでした」(▼note『その知識、本当に正しいですか?』)

 これまでDSDsを持つ人々や子どもについての記事を書いてきたが、言えない話もたくさんある。インタヴューの際に、論文として引用する許可契約書を書いてもらったこともあった。だけど、彼ら彼女らの話が深いものになればなるほど、ありえないようなことを言われた話、人間の深いところを損なうようなつらい思いをした話であればあるほど、それを書いて公表すると、その人をまた、さらし者のような目線に遭わせるかもしれないという恐れを覚えた。つらい話ほど書けなかった(もちろん全員がそういう目に遭ってるわけではない)。

 ただでさえそれぞれ稀な体の状態だ。何千人に1人と言われても、その人の体験としては「世界で唯ひとりという孤独と絶望と恐れ」になりうる。どれだけ個人情報を改変しても、最低でもその人は自分のことだと分かるだろう。そうすれば、自分の最も私的でセンシティブな身体(性器)の話が公の目線にさらされる恐怖を味あわせることになる。本当につらい話については、僕はできるだけ、海外の、しかも一定の時間がたった例を、日本語でしか出さないように努めている。

 それでも声を届けなければ、このような体の状態を持つ人々は、またこれからも、それが社会学的「興味」であれ、医学的・心理学的「興味」であれ、芸術的「興味」であれ、あるいはフェティシズム的「興味」であれ、何かの理想や発展のためという享楽の対象として差し出され続けることになってしまう。

 実際、神様の方が楽なのだ。それはもはや、当たり前の一個の心を持つ「人」ではないから。

 KaoRiさんも正しく「神格化」という言葉を使っているが、ミューズ(女神)やハーマフロダイト(男でも女でもない存在)という神話的理想は、その人にとっての都合の良さでしか無い。ステレオタイプの投影と言うと、ネガティブなイメージばかりが問題とされがちだが、実際のところ「ポジティブ」とされるイメージの投影も十二分に問題なのだ。

 たとえば「女性は優しい」というステレオタイプにしても、優しさという性質自体はポジティブなものだろう。だがもちろん、「女性ならば優しい」という決めつけ・押しつけは、現実に生活している個々の女性たちにとっては、個人の抑圧になる。そこで見られているのは現実の人間ではなく、「女性・女神」という神話的イメージに過ぎない。それ以前にそのようなステレオタイプは、「女性ならば、女神ならば自分に優しくしてくれるはずだ」という身勝手で個人的な願望に過ぎないのだろう。

 なぜKaoRiさんは「写真ファンの皆さんの夢を壊してしまったら、ごめんなさい」と謝らなければならないのか? それは、いつの間にか女神や、何かの理想や理念、夢の対象にされてしまった人特有の声の挙げにくさを表しているだろう。花畑のような夢を見続けたい人は、まるでその夢を壊されたかのように感じるからだ。身勝手に押し付けられたイメージ・理想を、払うことに、よく分からない罪悪感や申し訳なさを感じさせられることになる。

 そしてまた、そのような神話的イメージは、KaoRiさんの体験のように、大抵の場合、同時にネガティブなイメージや、過剰に性的なイメージも投影される(あるいは「いかがわしさ」というイメージの投影故に、それが全く無いかのように取り捨てられる)。このポジティブな神話的イメージとネガティブな神話的イメージの分裂は、確かに矛盾はしているが、聖母マリアとマグダラのマリアのように、実はコインの裏表のようなものなのかもしれない。

 ミューズとは、芸術家や学者にインスピレーションを与える存在だった。そしてインスピレーションとは、in-spirat-ionの語義通り、「魂(spirit)を入れる」、神から授かった魂を芸術作品や学問の進歩に込めるという意味だ。

 しかし、KaoRiさんの話のように、神話的なイメージが人間に投影された場合、人間の魂が奪われる。芸術のため、学問のため、社会的理念のため。その象徴のように祀り上げられた人には、一個の人格であることを剥ぎ取られ、まるで自分の「モノ」のように扱われるのだ。そして「モノ」として流通させられた人は、KaoRiさんがストーカー被害に遭ったように、社会一般においても、まるでそれが当たり前であるかのように何の疑問もなく、自分の思い通りになる享楽の対象であるかのように扱われることになる。

 DSDsを持つ人々も、昔は医学では、全裸や性器の写真を撮られたり、「ハーマフロダイト(男でも女でもない存在)という珍しい症例」として、患者家族の許可を得ることもなく論文化され、それがインターネット上に出回るということもあった。

 さすがに今、日本のDSDs専門の医療機関ではこのようなことは行われていない。人を「症例」としてではなく、当たり前の心を持つ「人」として寄り添う医療が行われている。しかし逆に今では、社会のある種のポジティブな理念・理想を目指す運動で、DSDsのような体の状態が、その理念・理想の「証左」のように用いられている。中には、やはりそれが当たり前であるかのように何の疑問もなく、当事者や子どもの裸体や性器の写真が、「性の多様性」の文脈で使われることもあるような現状だ。そしてそれと同時に、分裂した形で、「ふたなり」といったような過剰に性的なイメージもアングラな世界に溢れている。

 それが良い夢であれ悪い夢であれ、誰がその夢の本来の持ち主であれ、僕たちはたとえ知らない間であっても、そのような夢をいつの間にか共有しているのだろう。その夢のような花畑の地中に何が埋まっているか、その花畑が何を享楽することによって成り立っているのかも知らずに。僕はあの写真家にはほぼ興味はなかったが、まさかこんな事が起きていたとは全く思わなかった。そしてそういうことは、僕にもたくさん覚えがあるし、全く気づかずにいつの間にか享楽している。「何が何でも享楽」し,空っぽな穴を藁屑で埋めることを求められる現代社会だ。他にもたくさんのところで起きているのだろう。

 まるで自分に罪悪感を押し付けられたような気分にもなった。美しく素朴な夢を壊されたかのように感じたこともあった。でも、罪悪感を恐れる必要はないのかもしれない。あるいは、それがただの一方的な享楽であったと気づく(傷つく)ことによる罪悪感だけが、人を人たらしめるのかもしれないからだ。イェーツの「夢の中から責任は始まる」との警句通り、自分と異なる他者に対する責任とは、いつも夢の中から始まるのだろう。

 そして人は奪われた魂を奪い返すこともできる。前近代的な社会で行われていた生贄の儀式も、共同体に何かをもたらすために、何かの徴(しるし)を持つ人、持つとされた人が、神への供物としてその魂を捧げられた。生贄に選ばれることは実は光栄なことでさえあったのかもしれない。だって、それは自分が何者かになれそうなこと,神様に近づくこと,共同体が必要とするもの(偶像)になれることだったのだから。だけどきっと、ある日ひとりの生贄が突然何かに気づき,信じられないほどの勇気を持って言挙げしたのだ。「私は違う。私は嫌だ」と。きっと共同体の人々は驚いたに違いない。なぜそんなことを言うんだ,共同体が救われるのを邪魔するのか!? と憤慨したに違いない。でもその時、言挙げした生贄は、その魂を自分のものとして奪い返したのだろう。

 KaoRiさんをまたこれ以上何かの象徴に仕立て上げることは本末転倒になるだろう。でも、手記の最後にあった、丘の上に立つKaoRiさんの姿は、どんな写真よりもとても素敵だった。

(参考資料)
浅利文子「『海辺のカフカ』責任と救済 ―複式夢幻能の影響」http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/12675/1/ibunkaronbun_17_asari.pdf
松本卓也著『享楽社会論 現代ラカン派の展開』http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b329916.html

(ネクスDSDジャパン:ヨ・ヘイル)

宇多田ヒカルは小袋成彬をどのようにプロデュースしたのか

 宇多田ヒカル(35)が7枚目のオリジナルアルバム『初恋』を6月27日にリリースすることと、11月から12月にかけて幕張メッセや大阪城ホールなどを回る全国ツアーの日程が明かされた。彼女がアルバムをリリースするのは『Fantôme』以来、約1年9カ月ぶり。『初恋』というタイトルからはどうしても1stアルバム『First Love』を思い起こさずにはいられず、ファンは色めきだっている。

 2010年からおよそ6年間の活動休止を経て再始動してから、仕事の面では非常に順調な宇多田ヒカルだが、その一方で、プライベートでは2014年に結婚した8歳年下のイタリア人男性と離婚していたと4月7日に報じられた。離婚の原因や子どもの親権などについては公にされていないが、週刊誌でそのきっかけなのではないかと盛んに報じられた「新恋人(と言われている人物)」が、ミュージシャンの小袋成彬(26)だ。

「女性自身」(光文社)2018年5月1日号で、記者から直撃された小袋成彬は「彼女と会ったりしているか? それは全然ないっすね。(日本でアルバムの)プロモーション活動をしていて忙しいので」「彼女とですか? (交際は)ないっすね」と報道を全否定。実際のところどうなのかはわからないが、宇多田が小袋成彬の才能を買っていることだけは事実だ。

 宇多田ヒカルのファンには、「ともだち with 小袋成彬」(『Fantôme』収録)でのデュエットでおなじみの小袋だが、今月25日には彼の初めてのアルバム『分離派の夏』がリリースされた。このアルバムのプロデュースを務めたのが宇多田ヒカル。彼女にとっては初めての新人プロデュースとなるが、宇多田はミュージシャンとして小袋成彬を高く評価しており、『分離派の夏』リリースにあたり、「この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない」という強い思いがプロデュースを引き受ける理由であったとコメントしている。

 小袋成彬はこれまで、R&BユニットN.O.R.K.としての活動のみならず、水曜日のカンパネラや柴崎コウといったミュージシャンのプロデュースや楽曲提供により、音楽好きの間ではよく知られた存在だった。そんな彼を宇多田ヒカルはどのようにプロデュースしたのか。

「SWITCH」(スイッチ・パブリッシング)2018年5月号掲載のインタビューで宇多田ヒカルは「プロデューサーって、全部ガチガチにコントロールしたがるタイプか、アーティストに好きにやらせて、ちょこっと手を加えるタイプの二つに分かれるよね」との雑談が小袋との間で交わされたというエピソードを紹介したうえで、「私は完全に後者でした。(中略)これまで私自身が自由にやらせてもらってきたので、創作について誰かに何かを言われる感覚も、自分が誰かに何かを言う感覚もわからないんです」と語っている。

 では、完全な放任主義をとっていたかというと、そんなことはなかったようだ。特に議論を交わしたのが「歌詞」だった。宇多田は小袋の歌詞に徹底的にダメ出しをしたという。

 そのプロデュースはなかなかにスパルタなものであったようで、ウェブサイト「Real Sound」のインタビューで小袋は「宇多田さんは歌詞にすごく厳しい方で、僕がメロディを適当にごまかしたり、歌詞の表現がユルいと、バシバシ指摘してくるんですよ。「これは最後まで考えてるの?」と聞いてくるんです。僕は完成したと思って聴いてもらっても「まだ」と言われたり。そういう押し問答がずっと続いて、嫌いになるんじゃないかという時期もあったんですけど(笑)」とまで語っているほどだ。

 小袋の歌詞は非常に個人的かつ内省的なもので、「ミュージック・マガジン」2018年5月号のインタビューでは「共感させたいと思って歌詞を書いてないし、むしろそういうものは排除したい人間なんです」とまで言ってのけるほど。

 そこに宇多田は「他者の視点」を入れた。前述「SWITCH」のインタビューで宇多田は「彼はこれまで自分の思いを“人に伝える”という観点を全く持ってこなかったんですね。だから制作の最初の頃は、自分が書きたいことを書けばそれが作詞、みたいな考えで。表現したいものはぼんやりとわかるんだけど、この書き方だと聴き手に響かないと思う歌詞がいくつかあったんです。それで、『ここだけわかり易くすれば全体が伝わるよ』とチョチョイと提案したり」と、自身がどのように助言していったかを語っている。

 これに続いて宇多田は「そのやり取りから後はものすごい速度で意図を吸収してくれたので、あとは下手に口出しをしないほうがいいと思った」とも証言しているが、先ほど引用したインタビューでの小袋による「押し問答がずっと続いて、嫌いになるんじゃないかという時期もあったんですけど(笑)」との発言と照らし合わせると、両者の認識の違いが浮き彫りになって面白い。

 そのように行われた宇多田のプロデュースに対し、小袋は前掲「Real Sound」のインタビューで「僕は彼女がいないと歌詞がここまでうまく書けなかったと思うし、独りよがりになっていたと思いますね」と感謝を述べている。

 こういった楽曲制作の経緯を知ったうえでアルバムを聴くと、色々と見えてくるものがある。特に、「Lonely One feat.宇多田ヒカル」での宇多田のパートの歌詞は、『分離派の夏』における彼女の仕事をまとめたような言葉に聴こえる(この部分の歌詞は宇多田によって書かれているという)。

〈上目遣いで/カメラに笑顔向ける少年/らしくだけでは/導き出せぬ数式半ば/一人では辿り着けぬ景色がまだ/僕らが大きくなるのを待っている〉

〈上目遣いでカメラに笑顔向ける少年〉を小袋のことだとするならば、ひとりよがりな考えでは〈導き出せぬ数式〉を解き明かすヒントを与え、〈一人では辿り着けぬ景色〉を見せたのが、今回『分離派の夏』で成し遂げた宇多田の仕事といえる。

 宇多田ヒカル初めての新人アーティストプロデュースはひとまず成功したようだ。彼女は前掲「SWITCH」で「そもそも人前に出るのがあまり好きじゃないので、裏方に回る仕事も並行してできたらという気持ちはずっとあったんです」とも語っており、もしかすると今後、このようなプロデュース業も増えてくるのかもしれない。彼女自身の歌手活動もさることながら、宇多田がこれからどんなアーティストを発掘し、育てていくかも楽しみだ。

(倉野尾 実)

アトピー性皮膚炎、気管支喘息、花粉症…知っておきたい、アレルギーの仕組み

※この記事はメタモル出版ウェブサイトに掲載されていた森戸やすみさんの連載「小児科医ママの子どものケアきほんの『き』」を再掲載したものです

 まず、アレルギーとはなんでしょうか?

 私たちの体には、自分と異物とを区別して、異物を追い出す仕組みが備わっています。だから、体内にウイルスや細菌が入ると、熱が出て白血球などが寄ってきて、液性免疫である抗体を作ったり、細胞性免疫を利用したりして、悪者のウイルスや細菌をやっつけるというわけ。この「免疫」という仕組みが体を守っているんですね。

 ところが、免疫は本来そこまで危険ではないはずの特定の異物に反応してしまうことがあります。これがアレルギーです。たとえば、スギ花粉が体内に入ってきたときに、白血球系細胞のひとつであるマスト細胞(肥満細胞)の上についているIgEが異物として認識すると、ヒスタミンなどの化学物質が放出されます。ヒスタミンは毛細血管を拡張するので、目が充血したり、皮膚が赤くなったり盛り上がったり、鼻水や痰などの分泌物を出したり、皮膚の痒みを起こしたりするのです。アレルギーの原因物質である「アレルゲン」は、人によってぞれぞれ違います。

 ひとくちにアレルギーといっても様々なものがありますが、子どもにとって特に身近なのはアトピー性皮膚炎、気管支喘息、花粉症、食物アレルギーでしょう。すべて持っている人もいますね。もともとアレルギーの素因のある場合、年齢によって症状が違う形で出てくることがあり、「アレルギーマーチ」と呼ばれています。食物アレルギーに関しては、3月23日公開の『管理栄養士パパのみんなの食と健康の話』で詳しい解説をしてもらうので、その他のものについて解説します。

アトピー性皮膚炎
 頭や顔、首、体、手足などに赤くて痒い湿疹が左右対称にでき、何度も消えたりできたりを繰り返す疾患です。粉が吹いたり、かさぶたができたりすることもあるでしょう。

 軽いアトピー性皮膚炎は、清潔と保湿だけでかなりよくなります。お風呂ではスポンジやタオルは使わず、石けんをよく泡立て、爪を立てないよう指の腹で全身を洗いましょう。そして石けんが残らないようよく流し、お風呂上がりには保護剤や保湿剤を塗ります。保護剤として薬局で売っているワセリンを塗っても、保湿剤として医療機関で処方されるヘパリン類似物質(商品名ヒルドイド)を塗ってもOK。どちらも朝晩2回は塗ってください。

 以上のようなケアをしてもよくならず、アトピー性皮膚炎かもしれないと思ったら、症状が軽い場合は小児科か皮膚科、重い場合はアレルギーを専門とする小児科か皮膚科を受診しましょう。家族にアレルギーがあるか、IgEが高いかという素因があって、症状が乳幼児では2か月以上、幼児以降だと6か月以上続く場合に診断されます。

 アトピー性皮膚炎は、皮膚のバリア機能が壊れているため、外から入って来たものが刺激を与えることで炎症がひどくなります。この炎症が起こったときに、痒みや赤みを起こすのがヒスタミンなどの炎症物質です。医療機関では軽い場合は、肌を傷めない洗い方の説明、保湿剤の塗り方を指導され、ステロイドを必要に応じて使います。重い場合はそれに加えて免疫抑制剤の軟膏を治療で使います。1999年から使われ始めたタクロリムス(商品名プロトピック)は免疫抑制剤で、上手に使うとステロイドの量を減らすことができとても有効です。治療に熟練した皮膚科医あるいはアレルギーを専門とする小児科医が使います。

気管支喘息
 喉がゼイゼイしたり咳が続いたりする発作が起きて、呼吸困難に陥る疾患です。気道の炎症が基礎にあり、呼吸器感染や運動、ハウスダストの吸入などによって、マスト細胞からヒスタミンやロイコトリエンなどの炎症物質が放出されることで、気管支が細くなったり分泌物が出たりするために起こります。

 風邪をきっかけに気管支喘息発作が起こることもあり、風邪との区別は難しいですが、どちらにしてもお子さんがつらそうにしていたら小児科に行きましょう。

 小児科では、まず呼吸機能や気道過敏性を検査したり、鼻水や痰、呼気から気道炎症を示す物質を調べたり、血中のIgEを調べたり、アレルギーの病気を持った家族歴を聞いたりすることで診断をします。

 治療は、軽いゼイゼイ程度の小発作の場合はβ2刺激剤やステロイドなどを吸入します。歩くのも苦しいくらいの中発作の場合は、基本的に入院して酸素がどのくらい足りているかを調べながら、β2刺激剤やステロイドの吸入をし、点滴や内服でのステロイド投与を行うことが多いでしょう。眠ることもできないくらいの大発作の場合は、入院して酸素吸入や点滴でのステロイド投与、イソプロテレノールの持続吸入などを行います。発作を起こさないようにするための長期的な治療もありますので、ぜひ医療機関で相談してくださいね。

花粉症
 花粉が粘膜に付着することで免疫が過剰反応して起こるのが花粉症です。スギ以外にもヒノキ、カモガヤ、ブタクサ、シラカバなどの約60種類の花粉が原因になります。三大症状は、くしゃみ、鼻水、鼻づまり。他にも目や喉が痒かったり、皮膚を痒がる人もいますし、熱っぽさやだるさを感じたりする人もいるでしょう。

 あまりひどい場合は、小児科か耳鼻科を受診しましょう。目だけの症状なら眼科でもいいと思います。医療機関で抗アレルギーの飲み薬、併用として抗アレルギーやステロイドの点眼・点鼻薬を処方してもらうと、症状が軽くなります。飲み薬はシロップ、粉、錠剤、水なしで飲めるOD錠など多種多様なものが各社から出ているので、希望がある場合は処方前に伝えましょう。

 なお、目を洗うことはあまり効果がなく、かえって目を傷つけたり、目を守る涙を取り去ってしまうことになったりするのでよくありません。鼻を洗うのは有効です。水道水でなく、生理食塩水や市販の器具を使うといいでしょう。

 最後に、アレルギーの関しては様々なデマが広まっています。たとえば「自然食で免疫力を高めたらアレルギーは治る」という説をよく見聞きします。でも、前述した通り、免疫は異物を攻撃するので、免疫力が高まったらアレルギー症状はひどくなるはずです。そんなことを言う人は、医学的な知識がまったくありません。

 また、「ステロイドは怖い」という説があります。確かに昔、ステロイドはとてもよく効くので多用され、副作用が出たことが報道されました。でも、1950年代から使われている薬で、現在は安全な使い方がわかっています。むやみに避けると、アトピー性皮膚炎でも気管支喘息でも命にかかわるケースがあります。気管支喘息は、吸入ステロイドのおかげで死亡者数が激減しました。だから、正しく知って、正しく使いましょう。不安や疑問があれば、主治医に質問してみてくださいね。

 アレルギーに悩む人が多いからこそ、変な治療法を考案して商売にする人たちがいます。あやしいものを目新しい情報、人目をひく治療法、オシャレで自然派なものに見せかけて広めている場合も多いので気をつけてくださいね。

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炎上『シンプソンズ』のインド人キャラクター・アプー:「ステレオタイプ」vs.「人種差別」

「ずっと以前に始まったことって、その時は賞賛されて、無害で、でも今はポリティカリー・インコレクト(政治的に正しくない)。どうすればいいの?」

 これは4月8日に放映されたアメリカのTVアニメ『シンプソンズ』の中で、シンプソン一家の長女リサがテレビを観ている視聴者に向かって語りかけたセリフだ。

 ことの起こりは『シンプソンズ』に登場するインド人キャラクター、アプーだ。強いインド訛りで喋るコンビニ・オーナー、アプーの描写はあまりにもステレオタイプ過ぎるとして以前より批判があったのだが、昨秋、若手のインド系アメリカ人コメディアンのハリ・コンダボルがこの問題を『アプーにまつわる問題』(The Problem with Apu)と題したドキュメンタリー映画にしてしまったのだ。多くのメディアがこのドキュメンタリーを取り上げ、『シンプソンズ』製作側はなんらかの対応を迫られた。リサのセリフは、この件に対する『シンプソンズ」制作側からの答えであった。

インド系移民のステレオタイプ・アプー
 『シンプソンズ』は1989年に放映開始されたアニメだ。社会風刺、ブラックユーモア、過激な描写を含み、“シットコム・アニメ”と呼ばれている。放映開始とともに爆発的なヒットとなり、現在、第29シーズン目を迎えている。米国テレビ史上、シットコムとしても、アニメとしても、ともに最長寿記録だ。

 舞台はアメリカ中央部の架空の街、スプリングフィールド。そこにある原子力発電所に勤める中年男性ホーマーは、気は良いが怠け者でアタマも切れない。妻のマージは典型的な専業主婦。長男バート(10歳)は過激なイタズラを繰り返し、成績は最悪。妹のリサ(8歳)はバートとは正反対の秀才かつジャズ・ファンだ。末っ子のマギーは赤ん坊。

 このシンプソンズ一家を中心に、街の住人、ホーマーの同僚や上司、子供たちのクラスメートなど、様々な脇役が登場する。アプーはその中で最も人気の高いキャラクターの一人だ。

 アプーは “クイッキー・マート” というコンビニのフランチャイズ・オーナーとして、一人で店を切り盛りしている。アプーにはインド系移民のステレオタイプがぎっしり詰め込まれている。

・強いインド訛りの英語
・小銭にまで細かい
・賞味期限の切れた食品も売る
・96時間連続シフトで働く
・苗字が長く、かつアメリカ人には発音不可能(Nahasapeemapetilon)
・見合い結婚
・子供は8人
・実は博士号を持っている

 根は善人で、客に向かって決まり文句の「サンキュー、カム・アゲ~ン!」(ありがとうございます。また来てくださ~い!)を明るく繰り返す。もちろん、強いインド訛りで、だ。

「アプー!」と虐められるインド系の子供たち
 『アプーにまつわる問題』を作ったコンダボルは現在35歳。両親はインドからの移民だ。9歳までNYクイーンズ区のジャクソン・ハイツというインド人街(*)で育ち、のちに郊外に引っ越している。『シンプソンズ』が始まった時は7歳で、「日曜に『シンプソンズ』を観ないと、月曜に学校で会話に入れなかった」世代だ。

(*)マイノリティが主役の街 多様性の都市ニューヨークのリアルと楽しさ!

 コンダボルは『アプーにまつわる問題』の中で、同じ世代のインド系アメリカ人コメディアンたちにインタビューしている。そのほとんどが子供時代にアプー・ネタで虐められた体験を持つと言う。単に「アプー!」と呼ばれるだけでなく、インド訛りをマネた英語で「サンキュー、カム・アゲ~ン!」と言われた俳優もいた。

 こう書くとそれほど大した虐めではないように思えるが、たとえば、ひと昔前の在米東アジア系(日中韓)がやたらとブルース・リーのモノマネ「アチョ~!」をされたようなものだ。一度や二度ならやり過ごせるが、小中高校を通じ、さらには大人になってからも頻繁にされ続けるのは精神的にかなり堪える。なぜなら対等な者同士のジョークではなく、するほうは自らを米国ヒエラルキーの最上位「アメリカ人」という位置に置き、アジア系を底辺の「移民」という位置に置いたうえでのジョークだからだ。ほとんどの場合、やっているほうはそこまでの自覚は持っていないとはいえ。

役の名前は「タージ・マハール」
 ドキュメンタリーに登場するコメディアン/俳優のアジズ・アンサリは、NYのインド系俳優を主人公としたNetflixドラマ『マスター・オブ・ゼロ』(*)を製作し、主役のデヴを演じている。デヴはアンサリ自身と同じく、アメリカ生まれのインド系二世という設定で、訛りのない英語を話す。だがオーディションで「インド訛りでしゃべってくれ」と言われて拒み、役をもらえずに終わる。別の俳優は、「ある番組でインド訛りを使わなくてよいと言われた時には『ヤッター!』て感じで嬉しかった」と語っている。

(*)アジア系が主役のドラマが大ヒット!~米国テレビ史の快挙+あれもこれも「アジア系」問題 

 ドキュメンタリーにはカルト的人気を博したコメディ映画『Harold & Kumar』シリーズでインド系アメリカ人の青年 Kumar を演じて注目を浴び、その一方でオバマ政権時にホワイトハウスの広報勤務もこなした俳優のカル・ペンも登場する。ペンは駆け出しの頃、ある映画で “タージ・マハール” という名の役を演じなければならなかったと語っている。タージ・マハールはインドにある、世界的に有名な歴史的建造物だ。つまり、日系人俳優に “金閣寺” “東京タワー” といった役名を付けるのに相当する。

 別の俳優は、売れる前の役は「デリの店員、デリの店員、デリの店員、タクシー運転手、タクシー運転手、タクシー運転手、それから医者」と自嘲していた。どれもインド系が実際に多い、または多いと思われている職業だ。

 いずれもインド系アメリカ人がいかにステレオタイプ化されているかを物語るエピソードだ。とは言っても、インド系だからという理由で罵詈雑言を浴びせられたり、暴行を加えられたり、果ては殺されたりする類の人種差別とは異なる。ステレオタイプが「ソフト・レイシズム」と呼ばれる所以だ。だが、子供時代から生涯を通じてステレオタイプを貼り付けられることは、ナイフで切り付けられたり、鈍器で殴られたりした時のような鋭く激しい痛みではなくとも、じわじわと真綿で首を絞められるような、身動きの取れない息苦しさではないだろうか。だからこそ彼らにとってアプーの存在は非常に重いものなのだろう。

 なお、911同時多発テロ以後はイスラム教過激派への嫌悪がイスラム教徒全体に対して広がり、かつ外観からイスラム教徒と誤解される人々=インド系も含まれてしまった。インドは民族も宗教も多様な国で、イスラム教徒も存在する。さらにシク教徒の男性はターバンを着用していることからイスラム教徒と誤解されることがあり、シク教徒への暴行事件も何度も起こっている。コンダボルは、「インド系のステレオタイプは、コンビニ店員とテロリストの両極端となった」と語っている。

活躍し始めたインド系アメリカ人
 一方、アメリカではいつの間にか若いインド系アメリカ人のコメディアン/俳優が活躍するようになった。ハリ・コンダボル、アジズ・アンサリ(エミー賞受賞)、カル・ペン、イギリス人だが『スラムドッグ・ミリオネア』『ライオン』、米国のドラマ『ニュース・ルーム』などで知られるデヴ・パテル(アカデミー賞ノミネート)。そしてドラマ『オフィス』を経て、今年は『オーシャン8』(ジョージ・クルーニー『オーシャン』シリーズの女性版)が公開される女優ミンディ・カーリング。

 エンターテインメント界だけではない。CNNでは国際ジャーナリストのファリード・ザカリア(インド生まれ)が自身の番組を持っている。オバマ大統領から公衆衛生局長官に指名されたが辞退した、神経外科医のサンジェイ・グプタもCNNで医療報道をおこなっている。のちにやはりオバマ大統領によって公衆衛生局長官に任命されたヴィヴェック・マーシーもインド系二世だった。

 前サウスカロライナ州知事のニッキー・ヘイリーは、トランプに任命されて現在は国連大使を務めている。前ルイジアナ州知事のボビー・ジンダル(共和党)は前回の大統領選に立候補した。現カリフォルニア州選出の上院議員カマラ・ハリス(民主党)は、次回大統領選への出馬が噂されている。ちなみにハリスは、州司法長官時代にオバマ大統領が「米国でもっとも美しい司法長官」と呼び、のちに謝罪した相手である。

 コメディアン/俳優も含め、成功しているインド系アメリカ人のバイオを読むと、両親ともに祖国インドで高等教育を受け、医療などに携わっているケースが多い。インドの公用語はヒンドゥ語だが、そうした層には英語教育がおこなわれるため、アメリカに移住しても言葉の壁に阻まれることなく安定した生活を送れる。したがってアメリカ生まれの二世たちも経済的に恵まれた環境で育ち、成功するパターンとなる。また、インドでは数学、科学の教育に力を入れており、アメリカのIT業界にインド人エンジニアが多い理由となっている。

 他方、英語を話さないインドからの移民はコンビニやデリの店員、ニューヨークではイエローキャブの運転手などとなる。先に挙げたインド系俳優の役が「デリの店員、タクシー運転手、医者」ばかりだった理由だ。『シンプソンズ』のアプーもインドでは優秀な学生だったためにアメリカの大学に留学し、実は博士号まで取得したものの、学生ローンの支払いのためにコンビニで働き始めたという過去が判明するエピソードがある。インド系のステレオタイプの両極端を合わせたものだ。

白人声優がインド訛りを吹き替え
 コンダボルがドキュメンタリー映画まで作った理由は、こうしたインド系へのステレオタイプだけではなかった。アプーの吹き替えを担当している声優/俳優のハンク・アゼリアへの憤りも理由だ。

 アゼリアは優れた声優で、『シンプソンズ』では5人以上のキャラクターの吹き替えをおこなっているが、同一人物の声とはまず気付かない。なかでもアプーの吹き替えは、まさにインド系の訛りの再現であり、これが視聴者にウケている。だが、アゼリアは白人なのである。

 白人やアジア人が黒塗りをして黒人を演じることが「侮蔑」として憤慨されるのと同様(*)、インド系、しかもインド訛りのある吹き替えを白人がおこなっていることはショッキングだ。ドキュメンタリーでは何人かの『シンプソンズ』ファンがアゼリアが白人であることを知らされて驚き、「居心地が悪い」とコメントしている。

 ちなみにアゼリアは黒人キャラクターの吹き替え、および日系アメリカ人俳優ジョージ・タケイが吹き替えを担当している日系人キャラクターAkira(スシ・レストラン勤務)の吹き替えもピンチヒッターとしてもおこなっている。

(*)白人モデルのゲイシャ写真が炎上した本当の理由~「文化の盗用」と「ホワイト・ウォッシュ」 

 そもそも脇役の絵がまだなかった番組の準備段階で、「コンビニ店員」としか設定されていなかったキャラクターをインド訛りとしたのはアゼリアなのである。また、アプーのステレオタイプは数年前にすでに他のメディアによって批判されていたが、その後、アゼリアはある大学に招かれて演説した際、アプーのインド訛りを披露している。

 コンダボルはドキュメンタリー用にアゼリアにインタビューを申し込むが、アゼリアは断る。代わりに『シンプソンズ』製作者のひとりが取材を受ける。製作者は、アプー以外のキャラクターも、すべてがそれぞれのステレオタイプなのだと言う。主人公ホーマーはだらしない白人男性の、原発所有者ミスター・バーンズはがめつい経営者のステレオタイプなのだと。だから『シンプソンズ』は面白いのだと。

 ステレオタイプとは、人種民族なり、職業なり、ジェンダーなり、年齢層なり、特定のグループ内の多数派と思われる人々の外観や言動、または思想を、そのグループ全体の特徴と見做すことだ。したがってステレオタイプはある程度は事実に基づく。たとえば「日本人は几帳面だ」のように。これはアメリカに暮らすと実感する日本人の特徴だ。ただし、日本人にも几帳面ではない人がいることもまた事実だ。

 このようにステレオタイプは、仮にグループ内の99%にあてはまっても、あてはまらない1%の人々にとっては存在の否定となり得る。ゆえに、コンダボルは言う。「面白いことは、正しいこととは限らない」。

ステレオタイプは「仕方ない」?
 4月8日の『シンプソンズ』には、母親のマージが少女の頃に愛読した本を娘のリサに読み聞かせるシーンがある。すると、記憶にあった楽しい物語とは違い、残酷な場面、悪意のある場面がいくつも出てくるではないか。驚いたマージはそうした場面を抜いて読み聞かせるが、それではまったく「お話にならない」ことに気付く。

 そこでリサが言うのである。

「ずっと以前に始まったことって、その時は賞賛されて、無害で、でも今はポリティカリー・インコレクト(政治的に正しくない)。どうすればいいの?」

 リサのベッド脇には、なぜか写真立てに入ったアプーの白黒写真が置かれている。

 マージが答える。「時間が解決するかも」

 リサ「かもね」

 このシーンによって『シンプソンズ』の製作者たちが表したのは、「だって仕方ないじゃん、政治的に間違ったステレオタイプだけど、29年前に作ったキャラクターなんだから」「でも、いつかそのうち、なんとかなるかもね」であり、要するに「思考停止」と「責任放棄」なのである。

 アメリカにおけるインド系の人口は350万人、全米人口のわずか1%だ。しかもかつての移民一世はアメリカでの生活を打ち立てることに忙しく、『シンプソンズ』を観てアプーに憤慨する余裕もなかった。

 今、インド系二世たちは「アメリカ人」として米国に暮らしている。彼らがアプーを自身の反映と受け取らないのは当然だろう。だが、アメリカにおけるインド系の歴史の短さと人口の少なさは、上がる声の量の低さに繋がっている。全員が白人男性である『シンプソンズ』製作者たちも含め、アメリカ中央社会は、ささやかなその声には耳を傾けない。だが、米国でのマイノリティとしての長い歴史と全米13%の人口を持つ黒人には多少の社会的配慮をおこなっている。『シンプソンズ』には黒人キャラクターも登場するが、際立った黒人ステレオタイプには描いていていないのである。

 そこでコンダボルは、黒人がミンストレル(黒塗り)として描かれている昔の玩具や絵葉書などを蒐集している俳優/コメディアンで、現在はトークショー・ホストとしても活躍するウーピー・ゴールドバーグの話を聞くことすらしている。

 それでもコンダボル自身、今も答えが出せないままでいる。アプーをどうするべきなのか。番組から抹消? インド訛りを無くす? どちらも解決策には思えないのだ。単純かつ過激な人種差別と「ステレオタイプ」の違いがここにある。

 いずれにせよ、『シンプソンズ』からの回答に大きく落胆したコンダボルは、今後も探索と試行錯誤を続けていくのである。

 追記:4月25日、アプーの吹替え担当のハンク・アゼリアがトーク番組に出演し、アプーの吹替を降板したい旨を語った。アゼリアはドキュメンタリー『アプーにまつわる問題』を観、「南アジア系の人々がアプー・ネタで虐められる」ことに悲しみを覚えたとも語った。
(堂本かおる)

菜々緒やダレノガレ明美が暴露してきた“モデル不仲説”を、トリンドル玲奈と河北麻友子が真っ向否定!

 4月23日に行われた「ViVi Night in TOKYO 2018 KIRA KIRA PARTY SPRING」の囲み取材に、トリンドル玲奈(26)、河北麻友子(26)、八木アリサ(22)、玉城ティナ(20)、emma(24)の5人が登壇。各所で囁かれているモデル同士の不仲説について言及した。

 記者から「モデル同士は仲が悪いの?」との質問を受けると、玉城は「仲いいと思います。モデルを始めて6年くらいになるんですけど、仲悪い現場は見たことない」とコメントし、emmaも「仲悪い現場を私も見たことがない。ViViモデルはいいライバル関係でもあるですけど、リスペクトし合っていていい関係だなと思います」と同意した。

 そして、トリンドルも「仲いい」と同意し、先日、河北主催で『ViVi』モデルたちがプライベートで集まって“3、4時間ほどのご飯会”を開催したことを明かし「今までみんなでプライベートでご飯ってなかったんですけど、初めて全員でご飯に行けた。本当に仲いい」とコメント。河北は「仲いい仲いいって言っちゃうと、『ほんとは仲悪いの?』って裏を読む記者さんがいると思うんですけど」と会場を笑わせつつ、「この間まで(ViViモデルの)入れ替わりが激しかったんです。(『ViVi』が)35周年ということで12人全員揃ったので、ご飯に行こうということになりました」と経緯を説明した。

 何でも、ViViモデルの中で河北とトリンドルが一番先輩で、河北は「2人のうちのどちらかが声をあげないと始まらない」「玲奈がこういう感じなので、私が引っ張るのですよ!」「パイセン、頑張りました!」と明かすと、トリンドルは「本当にしっかりしていて最強な人と」河北を絶賛していた。

 どうやらモデル同士の関係は、世間が思っているよりもずっと良好な様子。しかし不仲疑惑が定番化した背景には、他ならぬモデルたちの“暴露話”も一因となっている。

 2月28日放送の『良かれと思って!』(フジテレビ系)では、多くの人気モデルが登場。番組に爪痕を残したいのか、さまざまなギスギスエピソードが飛び出した。堀田茜(25)は、ライバルを笑わせないようにするため「肩をグッて押されたりする」と撮影時の小競り合いを告白。複数名が横並びでポーズを決める際は、立ち位置争いのせめぎ合いがすごいそう。また人気ママモデルの向山志穂(32)も「共演モデルの足を蹴飛ばす人がいる」と明かしていた。

 今となっては女優として成功している菜々緒(29)も、当初は暴露話で爪痕を残すタイプだった。2011年12月放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演した際には、放送では規制音が入っていたが、さまざまなモデルを実名で批判していた。「全然テレビと違う人」では、「清楚系じゃないですか? 可愛らしい女の子っぽい感じだけど、すごい口も悪いし、待ちが長いだの文句が多い」と続けた。番組観覧者のタレコミや憶測からネット上では佐々木希と言われている。さらに「私服がダサくて性格が悪い芸能人」との質問には「モデルは結構いますよね」とコメントし、「口説かれた芸能人」「勝負下着を見せた元カレ」等も暴露していた。

 ダレノガレ明美(27)は、2013年10月放送の『ぶっちゃけ告白TV! カミングアウト!』(フジテレビ系)で先輩モデルとの確執を暴露。過去にファッションショーの裏で、ランウェイのルールを守らず、真ん中を譲らない先輩と言い合いになったことを明かした。「アンタ芸歴何年?」「私のほうが先輩なんだよ!」という相手に、「先輩なのに歩き方もわからないんだ」「私がテレビデビューしたらお前のこと絶対言ってやっから」と啖呵を切ったそう。ネット上では、相手モデルはトリンドルだと推測されている。

 またモデルだけでなく、外野の人間もモデルの不仲を告発している。芸能リポーターの駒井千佳子(52)は『全力! 脱力タイムズ』(フジテレビ系)で、カリスマモデル“Tさん”と“Nさん”の争いを語っていた。こちらは恐らく土屋アンナと菜々緒だと言われている。

 さまざまなモデルが“不仲暴露”で他人の足を引っ張りながらも爪痕を残そうとする中、「仲良し宣言」をしたViViモデルの5人。彼女たちには今後も良好な関係を維持して、雑誌を盛り上げていってもらいたい。

(ボンゾ)

浅田真央が現役時代に受けた残酷な質問! アスリートの尊厳をメディアが傷つけること

 4月22日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)に浅田真央(27)、鈴木明子(33)、村上佳菜子(23)が出演。浅田真央が現役選手時代に受けた一部のメディア取材に対して、言及した。番組内で浅田真央は、2014年のソチ五輪に出場したときのことを回想、日本国中から期待がかけられていたことに対して「重圧になることはなかったかな」「自分もメダルがほしかったから」と話した。街で声をかけられることについても「親戚が増えたみたいで、『真央ちゃん大きくなったね』とか言われると自分もそれで頑張ろうと思えたし温かい気持ちになれた」と、むしろ感謝していたという。

 しかしソチ五輪後、休養明けの大会でなかなか結果が出ない状況が続いた時には重圧を感じるようになったと告白。「すごく楽しい楽しいという思いでずっとやってきたので『無理かな……』と思った」と辛い日々を過ごしていたという。そして、「取材で『もう限界なんですか?』と聞かれて、つらいなって思うことがあった」と口にした。

 その当時、浅田真央への取材は過熱しており、またテレビ番組のコメンテーターたちの意見も目に余るものが多く、たびたび問題視されていたことは確かだ。2011年にはラサール石井(62)が自身のTwitterで「浅田真央ちゃんは早く彼氏を作るべき。エッチしなきゃミキティやキムヨナには勝てないよ。棒っ切れが滑ってるみたい。女になって表現力を身に付けて欲しい。オリンピックまでにガッツリとことん! これは大事」とひどいセクハラ発言を投稿した。

 2014年5月放送の『スッキリ』(日本テレビ系)での、テリー伊藤(68)による浅田真央インタビューも、絶句する内容だった。テリー伊藤は「(休養中に)恋をしたい?」「どんな恋をしたい?」「デートはどこにいく?」「デート後は何をする?」など競技と無関係の質問を連発。

 テリーは今年の平昌五輪でフィギュアスケート女子シングル金メダリストとなったアリーナ・ザギトワが来日した際も、そっくりそのまま同じ姿勢だった(アリーナ・ザギトワ選手への恥ずかしい接待「日本のどこが好き?」「好きな男子は?」「高いお寿司だよ」)。

 浅田真央は2017年の引退会見でも、「結婚の予定は?」という好奇的な質問を投げかけられている。こうした質問の延長線上に、重圧を負っているアスリートに対して「もう限界なんですか?」とぶつけるという、礼を欠いた態度があるのではないか。そしてもちろん私たち自身が観客として、選手に対して敬意を持たない軽薄な視線を改めていかねばならないだろう。

 一方で選手を引退した最近では、浅田真央もプライベートに関するトークを滑らかにしている。3月放送の『サワコの朝』(TBS系)や『クローズアップ現代+』(NHK)では「最終的な夢は自給自足」と明かし、狩猟へのあこがれを語った。司会の阿川佐和子(64)が「それなら猟師の人と結婚したほうが早いと思う」と促すと、浅田真央は笑いながら「考えます」とコメント。

 また今回放送された『ボクらの時代』では、「結婚願望はあったけど、やりたいことが見つかったから彼氏とか結婚とかもういいや」と明かし、村上佳菜子が「結婚もしたいし子供も欲しいけど、結婚までの過程がもう面倒くさい」と語ると「それ、すごくわかる」と共感を示していた。

 現在はIMG Worldwide, Inc.(インターナショナル・マネジメント・グループ)と契約を結び、マネジメントを委託。4月24日発売の『GQ JAPAN』の表紙を浅田舞と姉妹で飾り、モードな装いで新たな一面をファンに見せた。これから先、タレントとしてテレビや広告に出演していく機会はさらに増えるかもしれないが、浅田真央の軸はあくまでもスケートにある。今後は指導者としての道も検討しているとのことで、まだ27歳と若い彼女が、長い人生をどのように彩っていくのか――今度こそ敬意を持ってその活動を見守っていきたい。

(ボンゾ)

ジャニーズ子会社「アートバンク」、自殺した社長の後任は“いわくつき”の元テレ朝P!?

 “社内首吊り自殺”報道で激震が走った、ジャニーズ事務所の関連会社「アートバンク」。3月5日、代表を務める伊坪寛氏がみずから命を絶ったと、同15日発売の「週刊文春」(文藝春秋)がスクープした。その後、アートバンクからの発表はないが、ジャニーズに近い関係者が「後任は(藤島)ジュリー(景子)さんお気に入りの“いわくつき”が務めることになりそうです」と明かす。

「文春」報道によると、井坪氏の遺書には「仕事に疲れました」といったことが書かれており、退職届も一緒に置かれていたという。ジャニーズ内でも、自殺の原因は不明のままとなっているようだが、通称「ジャニーズビル内」での出来事だけに、事務所に対する遺恨ではと推測する声はあとを絶たない。

「社内的には何の説明もなく、ほとんどのスタッフが『文春』を読んで、自分たちの職場内で自殺が起こっていたことを知ったそうです。あのビルは、ジャニーズのマネジャーに言わせれば『稽古場』ということで、舞台レッスンに通っているジャニーズJr.たちも、みな大きな衝撃を受けていました」(芸能プロ関係者)

 そしてアートバンクの行く末については、いまだに存続させるかどうかも含め正式決定していないそうだが、人事に関してはこんな説がささやかれているという。

「数年ほど前にジャニーズ入りした、Iという人物が代表を継ぐのでは、と言われているんです。Iはテレビ朝日の元プロデューサーで、複数の有名番組を担当した敏腕でしたが、2013年、億単位の制作費を着服したという不祥事が発覚し、懲戒解雇を食らっています」(前出・芸能プロ関係者)

 当時、Iの素行や交際歴まで、多くのメディアが後追い報道を行ったが、テレ朝を去った後、人知れずジャニーズに拾われていたという。

「フルネームで検索すると、当時の記事が出てきてしまうので、現在は名前を変え、数少ない“ジュリー派”のスタッフとして、ジュリーさんのお世話になっているようです。とはいえ、アートバンクという名前や組織図自体も、今後は一変させることになるかもしれませんが」(同)

 かつてはネット上の画像の「不正使用」に関する“パトロール”が、アートバンクのメイン業務だったと言われている。しかし、YouTubeデビューに報道写真の一部解禁と、管理すべき事案は増える一方だけに、社内からもWeb事業の大幅テコ入れが叫ばれているようだ。果たしてアートバンクは存続し、I氏が代表を継ぐことになるのか。