実父の性的虐待はなぜ無罪になったのかーー性被害の実態について、知っておきたいこと

 2019年3月、性犯罪の無罪判決が相次ぎ、物議を醸した。とくに世間の注目を集めたのが、3月26日に名古屋地裁岡崎支部で判決が下された、通称「岡崎事件」だ。この裁判では、19歳になる実の娘に中学2年生の頃から性的虐待を繰り返していた父親が準強制性交罪で起訴されたものの、無罪判決となった。準強制性交罪の成立要件のひとつ、性行為に同意がなかったことは認められたものの、もうひとつの抗拒不能(意思決定の自由を奪われている状態)であることは裁判で認められなかったからだ。

この無罪判決については、性犯罪の被害者支援団体や法律の専門家、市井の人々から、疑問を訴える声が相次いだ。そして、岡崎事件をきっかけに、性被害の正しい実態を知ってほしいという声が高まっている。

 10月20日、日本学術会議の主催で、性暴力事件をさまざまな視点から考えるシンポジウムが開催された。法律の研究者や性暴力被害者支援団体、精神科医などが登壇し、それぞれの知見から性暴力事件における問題が語られた。そのシンポジウムの様子を一部レポートする。

見えにくい性的虐待
 岡崎事件では、父親による実の娘への性的虐待は中学2年生のときから始まり、繰り返されていたことが分かった。

 親による子どもへの虐待というと、まずは身体的虐待をイメージする人が多く、性的虐待は少ないと思っている方も多いのではないだろうか。他方で、性的虐待は妊娠などの深刻な事態にならないと発覚しづらいことも事実だ。

 神奈川県では、性的虐待の割合が少なすぎることはおかしいとの違和感から、性的虐待に対象を絞った調査を行ったという。

 神奈川県中央児童相談所虐待対策支援課の三桝優子さんからは、「神奈川県児童相談所における性的虐待調査報告書(第4回)」をもとに、性的虐待の実態について説明があった。それによれば性的虐待は、外からはごくごく一般的に見える「普通の家庭」でも起こっている。

 

神奈川県中央児童相談所 虐待対策支援課 三桝優子さん
三桝さん:神奈川県が被害児童212名を対象として行った調査報告書では、児童相談所が性的虐待の被害を受理した時点の子どもの6割は小学生、または中学生でした。ただし、乳幼児を含めた未就学児が全体の16%を占めており、0歳~3歳にも重篤事例が見られました。
 性的虐待を受け始めた年齢と、被害を受理した時点の子どもの年齢に約3年の差があることから、ほかの虐待に比べて発見が遅れていることも明らかになっています。
 性的虐待というと、血縁関係のない者や実親ではない親族などが行なっているというイメージを抱きがちですが、実際の虐待者の割合は「実父」が35%で最も多く、「養父」や「継父」よりも多いという実態があります。「実父」「実母」「兄」を合わせると、51%にのぼります。
 また、虐待者の就労状況で最も多い区分は「定職」の40%であり、いわゆる一般的な家庭でも性虐待は起こります。虐待を受けた子どもに何らかの症状が現れる場合は約半数にとどまるため、外見からは性的虐待を発見することは困難であることも分かっています。
 実際に、被害が発覚するのは子ども自身の告白によるパターンが6割以上であり、子どものちょっとした告白が虐待通告につなげられるような環境を整えることが、被害発見のために必要なことではないかと考えています。

 三桝さんの話からは、性的虐待は特殊な条件のある家庭で起こるものだという先入観によって、被害者を見逃してしまう危険性があるため、正しい実態を知ることが必要だと感じた。

被害者が迎合的態度を示す理由
 性暴力被害に遭った被害者は、「なぜ逃げなかったのか」「抵抗できたのではないか」などと責められることがある。先述した岡崎事件においても、そうした選択肢が被害者にもあったと見なされたことで、加害者の無罪判決につながってしまった。

 被害者はなぜ逃げられないのか、性虐待の被害に遭っているときの子どもの心理状態について、医師であり認定NPO法人「チャイルドファーストジャパン」理事長の山田不二子さんは、「子どもは支配を受けている立場にあるので逃げられない」と説明する。

 

認定NPO法人チャイルドファーストジャパン理事長 山田不二子さん
山田さん:性虐待は、最初からレイプするのではなく、ボディタッチのような軽い行為から始まって、子どもにとってはこの後どうなっていくのか分からないような状態で、徐々にエスカレートしていくことが多いです。虐待者は、脅しと飴(何かを買い与えるなど)を使い分け、子どもを共犯者に仕立てることで秘密を守らせます。虐待者の原動となっているのは、性欲というより支配欲や征服欲であることが多くあります。

 また、山田さんによれば、性暴力被害時の「5F反応」(=人間が危機・恐怖に直面した時、生存可能性を最も高める反応として脳科学の最新の知見に基づいて検証されている反応のこと)には「友好反応」「凍結反応」「闘争反応」「逃走反応」「迎合反応」があるが、「被害者が虐待者に友好的な態度を取って関係を維持することで自分を守ろうとすることもあり、『闘争』と『逃走』はできないことがあります」という。

 これを踏まえて、フェミニストカウンセリングに携わる「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」共同代表の周藤由美子さんからは、父親からの性的虐待など継続した性暴力において一見すると誤解されてしまう被害者の行動を理解するために、職場や教育機関での継続したセクハラ被害についての調査報告を使った説明があった。

 

性暴力禁止法をつくろうネットワーク共同代表 周藤由美子さん
周藤さん:職場のセクハラにおいては、加害者が上司や取引先など立場が上のために冷たくあしらうことが困難な状況であることが多く、被害者は加害者を怒らせないために褒めたり、感謝したりするメールを送ったりすることがあります。こういった被害者の行動は一見すると迎合的な態度に見えるため他者からは理解されにくく、警察へ相談に行っても被害届を受け取ってもらえなかったり、事件化されなかったりする場合もあります。
 被害者は、加害者のもとへ自分から出向くこともありますが、その背景には、加害者を不機嫌にさせないために要求される前に行動に移したり、被害であったことを確かめるとともに2度としないように伝えるために申し入れようとしたりなどという被害者心理があるんです。

 被害者からすれば、加害者の気分次第で加害行動が行われるため、「ごめんなさい、もうしません。」と言ってもらわない限りは、ずっと加害者のことを気にしていなくてはいけない状況になる。主導権の握れない苦しさから逃れるために、被害者が迎合的に見えるような態度を取ることもあるという。

 筆者もかつてセクハラ被害に遭った経験があり、主導権を握れない苦しさについて非常に共感した。加害者がいつセクハラ行為に及ぶか予測がつかないうえに自分を守る手段がないため、常に恐怖に頭が支配されているような感覚であり、「どうせ嫌なことをされるなら、いつされるか分かっていた方がいい」と思ったこともあった。

 筆者は、被害から時間が経っても当時の自分の感情を理解するには時間を要した。そのため、被害に遭っている最中の被害者が、自分の迎合的態度を理解するのは困難であると感じた。

 ご自身も性的虐待のサバイバーであり、被害者の当事者団体である一般社団法人「Spring」代表の山本潤さんは、性犯罪に無罪判決が相次いだことについて、被害者の立場からの思いを語った。

 

一般社団法人Spring代表 山本潤さん
山本さん:過去にも同様の無罪判決が出ていましたが、またこのような判決が出てしまったことを残念に感じました。被害者が裁判で訴えるまでには、警察に相談をして、検察では起訴か不起訴か判断され、そして裁判に至るという大変な過程があります。勇気を出して訴えたにも関わらず、無罪になった被害者の気持ちを思うといたたまれません。
 ただ、社会の反応は少しずつ変わっています。今年4月にはフラワーデモが行われ、メディアが報道することによって社会的な関心を集めました。
 2020年に刑法の検討委員会が予定されていますが、性暴力が適切に裁かれるためには、「同意のない性交は犯罪」というルールを作ることが必要だと考えています。

 山本さんからは、天皇陛下の即位にともない10月18日に約55万人に実地された恩赦(刑罰を特別な恩典によって許し、または軽くすること)には、「痴漢や盗撮、児童ポルノ禁止法違反で有罪や罰金刑になった人も含まれている」という説明もあった。

 以前、筆者が取材したシンポジウム「性犯罪をなくすための対話」では、痴漢や盗撮は常習性が高いといった話もあり、治療につながらない加害者は再び同様の性犯罪を繰り返すのではないかという疑問がある。

 

司法の無理解
 千葉大学大学院教授で法律の専門家である後藤弘子さんからは、刑法の問題点について指摘があった。

 

後藤弘子さん
後藤さん:現在の刑法ができたのは1907年(明治時代)で、立法者に女性はいませんでした。当時は加害者である男性が性をコントロールすべきであるという考えが前提であり、性犯罪に対する刑法は加害者である男性が持つあるべき被害者像を前提として作られています。また、事実とは異なるステレオタイプ的な被害者像や加害者像が前提として共有されていたり、両者の関係性における「権力性」や「支配性」への理解不足があったりします。

 これから、性暴力被害者が正義が実現されたと感じられる刑事司法を作っていくためには、一つひとつの判決を批判し、現在の法律が被害者の実態に合っていないことを強調していくことが重要です。また、裁判官の教育のための教材も必要だと考えています。

―――――

 現状、あまり知られていない性的虐待の実態や被害者心理――いわゆる強姦神話(=強姦に対する誤った認識。被害者側が自身を責めることも含まれる)がまかり通っており、被害について誤解されている側面もあるだろう。

 最近では、2018年度の性暴力被害者ワンストップ支援センター運営費が削減されていたことが明らかになったが、これは性暴力被害者支援の必要性が認識されつつあるにもかかわらず、流れに逆行した動きではないだろうか。

 性的虐待に対して一人ひとりができるのは、ほんの小さなことかもしれない。無罪判決のことを知らない友人に話すなどして問題提起を広める、支援団体に寄付するなどもそのひとつだ。ただし、まずは真の被害実態や被害者心理を知ることが、支援への第一歩であるとも感じた。

二宮和也と「一般女性」で思い出す、木村拓哉も結婚会見で相手の名前を言えなかった過去

11月12日、嵐の二宮和也さんが「かねてよりお付き合いしてきた一般女性」との結婚を発表しました。ファンの反応は否定的なものも多く、TwitterのハッシュタグやWikipedia は大荒れ。もちろん二宮さんのファンだけではなく、お祭り騒ぎに便乗したいネットユーザーが荒らしている側面もあるでしょうが……。

 なぜ結婚相手の女性が元フリーアナウンサーにもかかわらず「一般女性」表記で報じられているのか、詳しくはこちらの記事を見ていただくとして、業界内の動きを観察していたアツのレポートをお届けします。19年前の木村拓哉さんの結婚発表時の囲み取材や、『news every.』の現場を疲弊させたニノファンのクレーム……てんこ盛りでどうぞ。

――――

 皆さん、ごきげんよう。アツこと秘密のアツコちゃんです!

 あ~、ついに嵐の二宮和也くんがご結婚!  アツが第一報を耳にしたのは、友達とぺちゃくちゃおしゃべりしながら帰宅中のこと。ヤケにLINEが入るし、電話は鳴るしで「何事?」と思ってLINEを見てみたら、まさかの「ニノ、結婚するってよ!」のお知らせがっ。最初は目を疑って二度見しちゃったぐらい。

 そりゃあ予兆は十分にあったし、おめでたいことだから祝福しかないんだけど、お相手が誰の目にも明らかなのに「38歳の元フリーアナウンサー」という曖昧なものだったから、ちょっとモヤモヤしちゃったわよね。

 早速、渦中のスポーツ紙デスクに連絡してみると「23時解禁だからドタバタしてる。寝る前に知るであろうファンの阿鼻叫喚が聞こえてきそうで怖いよ。荒れるだろうな」と、原稿執筆中の皆さんも心中複雑だった様子。突然の"ご報告"だし「そりゃみんな驚いちゃうよね~」等と話しつつも忙しそうだし、早々に電話を切って解禁を待つことに。

 さていよいよの解禁時間、各新聞社のWeb記事をチェックしながら『news zero』(日本テレビ系)を見ていたら冒頭からいち早くお知らせしていて、さすがゼ~ロ~♪  発表日の11月12日は火曜日だったから、月曜担当の櫻井翔キャスターは不在。その辺りもちゃ~んと計算し尽くした発表だったんだろうな。

 余談だけど小川彩佳さんがメインキャスターを務める『NEWS23』(TBS系)では冒頭スルー。小川キャスターの口から「嵐の~」と発するにはいろいろリスクもあるだろうし、賢明な判断だったのかもしれないわよね。

 で、Web記事やテレビを見ていてもどこにも新婦のお名前はナシ。あれれれ~と思って再びスポーツ紙デスクに聞いてみると「お相手はあくまで"一般女性"だからってさ」とのことで、実名報道は一切ダメとのお達しだったそう。新婦を守りたいニノちゃんの気持ちも分かるし全然いいんだけど、「かねてよりお付き合いをさせていただいている方」と「一人の男としてケジメをつける」ために結婚したのに、お名前を公表しないって……。 世紀のケジメ婚をした二宮和也はカッコイイのに、そこ隠すとこ?

  まぁいろんな事情があるんだろうけど、何か釈然としなくて、アツの周りでも「男らしさが半減しちゃう感じ。隠されると知りたくなる心理が分からないでもあるまいに。ファンの人たちはこのままずっと心ザワザワしちゃうんじゃないの?  こんなモヤモヤ婚でよかったのかしら?」とかなり不評。おめでたいことなのに、何だかなぁな結婚報道になってしまった感は否めなくて、ちょっぴり残念よ。

[wezzy_blogcard 70567]

 

木村拓哉の結婚会見でも相手の名前は言えず
 ファンの皆さんは案の定、大荒れ。発表直後から号泣の「ニノロス」が始まり「深夜のニノテロ」で「もう仕事なんてやってらんない。会社、休む」だ「山に篭もる」だと大騒ぎ。分かるわぁ、アツたち世代は"木村拓哉さんの結婚"という大きな大きな試練を乗り越えて来た身だから、とてもじゃないけど他人事とは思えないし。

 さいたまスーパーアリーナで行われた木村さんの結婚会見のとき、アツはカメラマンの後輩男子に支えてもらってやっと立っていられたぐらい衝撃だったの。あ、そう言えば木村さんの結婚会見でも、結婚相手のお名前は言わなかったような気がするわ。

 何せ気が遠くなりながら出席していたから記憶が曖昧で恐縮なんだけど、頑なにお相手の名前を言わない木村さんに対し、井上公造さんが意を決して「お相手は工藤静香さんでいいんですよね?」と確認したら、ただうなずいて。でもその後で、木村さんは「逆に誰がいるんですか?」と言ったのよ。

 どうやらこのときも、ジャニーズ事務所から「本人の口からは相手の名前は出さない」との極秘指令が出ていたようなんだけど、そこは天下の木村拓哉さん。彼なりの最大限のサービスでこんなリアクションを返してきてくれて、一躍株を上げたのよね。

 今回のニノ結婚を受けて、木村さんの会見にも一緒に行った長い付き合いの"いつメン"たちと「ニノの結婚報告を見て、これってデジャブ?  って思っちゃったわよ。木村くんの時と同じことが20年経ってもまだ繰り返されていて。こんな時代になっても、トップアイドルの結婚はやっぱり諸手を挙げて賛成~!  とはいかないものなのね」としみじみ語り合っちゃったわ。

 ニノちゃんは映画で共演してから木村さんにいろいろ相談していたみたいだけど、境遇も似ているし、木村さんは親身になってアドバイスをしていたんだろうな。奇しくも発表翌日の11月13日は木村さんの47歳のお誕生日。何というタイミングだこと!  13日に敬愛する木村先輩をお祝いするかのようにニノが紙面を飾っちゃって。やっぱり国民的スーパーアイドルはやることが違うわよね。

『news  every.』に殺到したクレーム
 とはいえ、この結婚のタイミングを「絶妙」と見る人と、「何という最悪のタイミングだ!」と受け取る人、キッパリ二つに分かれているのも事実で。業界内でもそうなの。というのも、先日の11月3日は嵐のCDデビュー20周年の記念日で、その日に会見を開くと聞いて、マスコミは「すわ、結婚か?」と慌て出し事前準備を進めていたのよ。それが蓋を開けてみたらデジタル解禁やアジア4都市ツアー等の今後の活動報告、新国立競技場で2020年5月15日~16日にコンサートを開催するとか、さらに春には北京でのコンサートも予定しています! というお仕事に関してのリリースのみで、凄いことなんだけど取材陣からは正直「え~っ、何だか肩透かし」という声が聞こえていたの。

 その後の11月10日には天皇陛下の即位を祝う『国民祭典』の第2部で嵐が斉唱するという偉業を成し遂げて、雅子皇后さまが涙ぐまれる一幕もあってジーンと感動。それからアジア4都市を巡る弾丸プロモーションへと旅立って行って、その模様は早速SNSで流されて「あー、嵐がまた身近になった」と安心した矢先の電撃発表だったからね。「うわ、やられた。ぬか喜びだったか。うっかり気ィ抜いてたよ~」の声が上がってマスコミ業界は大慌て。

 まぁね、いつ聞いたとしても激震は走っただろうけど、ファンの皆さんも「えっ、まさかこのタイミングで?」とビックリされたと思うの。ま、お二人にとっては熟考した末の決断で発表だったんだと思うけど……。

 ファンの阿鼻叫喚、TwitterやWikipediaの荒れ具合もひどいでしょ。それで今さらだけど『news  every.』のスタッフが言ってたことを思い出したわ。彼女の最後の9カ月は本当に大変だったんですって。「視聴者から番組へのクレームがひっきりなしで彼女自身もスタッフも本当に参っちゃってね。結局、彼女の降板が決まったんだけど、スタッフは言葉がなかった」そうなの。

 実はアツも彼女をインタビューしたことがあるんだけど、美人なのは見ての通りだけど、何しろ声がよくて。画面を通した声よりも生の声は聞き心地が格別なのよ。あるスタッフによると、「芯のしっかりした人だよ。お付き合いを始めた当初から結婚を考えていて、披露宴の司会者を誰に頼もうか相談されていた共演者も多かったしね。長い時間をかけて着々と準備と努力を重ねてきたからこその結婚だったんだと思う」とのこと。しっかり者だったのね~。

 天下のニノと結婚するんだもの、彼女には想像を絶する程の紆余曲折と苦労もあっただろうし、ニノもそんな彼女をとことん守ろうとしてるんだと思うの。CMじゃないけどニノの「受けて立つ!」姿勢が見て取れて、アツは素直に「おめでとう」が言えちゃうんだけど、ファンの皆さんはいかがかしら?  まだ受け入れるまでにはかなりの時間がかかっちゃうかもしれないわね。

 マスコミ連中は「北海道コンサートの前にあえて発表した潔さも評価できるし、別れずに責任を取って5年愛を成就させたのも凄いことだから願わくば"おめでとう"コールが起きることを願う」って言ってたけど、どうだったのかしら。ニノは結婚したけど、2020年12月31日の活動休止まで仕事面では「全力で走り切る!」と宣言している嵐だもの、こちらも全力で応援しないとね。何はともあれ、ニノちゃん、ご結婚おめでとうございます。どうぞ末永くお幸せに!

日本社会には圧倒的に「メディアリテラシー」が足りない/森達也インタビュー

 今月15日より森達也監督の新作映画『i-新聞記者ドキュメント-』が公開される。
 これまで、オウム真理教や佐村河内守といった被写体を対象に「日本社会とメディア」を描いてきた森監督が今回テーマとして選んだのは、東京新聞社会部記者の望月衣塑子氏。
 『i-新聞記者ドキュメント-』は望月氏に密着するなかで、日本のジャーナリズムが抱える問題が次々と炙り出していく。
 なぜメディアは「権力の監視役」の役目を放棄しつつあるのか、また、そんな時代において我々がするべきこととはなにか、森監督に話を聞いた。

 

森達也
1956年、広島県呉市生まれ。ドキュメンタリーディレクター、ノンフィクション作家。オウム真理教信者達の日常に迫った1998年公開作品『A』は、ベルリン国際映画祭に招待されるなど国際的にも評価されている。その後も、映画『A2』、「放送禁止歌~歌っているのは誰? 規制しているのは誰?~」(フジテレビ)、「ドキュメンタリーは嘘をつく」(テレビ東京)、映画『FAKE』といったドキュメンタリー作品でメディアの問題を描き続けてきた。主な著作には『放送禁止歌』(光文社)、『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)、『A3』(集英社インターナショナル)、『すべての戦争は自衛から始まる』(講談社)、『ニュースの深き欲望』(朝日新聞出版)などがある。

──『i-新聞記者ドキュメント-』を拝見してまず印象的だったのは、望月さんの強さです。

森達也(以下、森) 望月さんは本当に強いメンタルの持ち主ですよ。でも映画を観てくれればわかるけれど、強いだけの女性ではない。ならばなぜこれほどに強くなれるのか。そこにこの映画のテーマと繋がる要素が隠されていると感じます。
 オウム真理教に密着したドキュメンタリー映画『A』(1998年公開)を発表した後、よくいろいろな人から質問されました。「なぜあなただけが撮れたのか」「なぜあなただけがオウム施設内に入れたのか」と。答えは「『撮っていいですか?』と聞いたら『いいよ』と言われたから撮れた」です。
 つまり、あの時期に取材しようと思えば、もっとたくさんのメディアがオウムの内部に入って撮影できたはずなんです。でも、誰もそれをやらなかったから、結果的に僕の映画だけが突出した存在になってしまった。そこでさらに訊かれます。ならばなぜ他の記者やディレクターたちはオウムと交渉しようとしなかったのか。でもそれは、僕ではなく他の記者たちに訊くべき質問ですよね。僕は普通のことをやっただけですから。 
 これ以上は言わないけれど、望月さんと他のメディアの関係にも同じ構造が重なります。会見の場で鋭く質問する。これは記者として普通のことです。納得した答えが出てこないなら、2回、3回と食い下がって聞く。それも記者として当たり前のことです。でも、まわりが当たり前のことをしなくなっているから、浮き上がって見える。そういう意味では、似たものを感じます。
 とはいえ、やっぱり彼女は僕より強い。だって何年間も官邸から反感を買いながら質問し続け、同業の記者からも批判され続けている。僕ならとっくに尻尾を巻いて撤退している。

──すごい強さだと思います。

森 つい先日、中国のメディアから取材されたとき、こんなことを言われたんです。「中国には中国共産党という圧倒的な権力をもつ組織があって言論や表現の自由を上から抑え込んでいるけれど、国民の多くはそのことに気づいている。一方日本は、中国共産党みたいな強圧的な存在はないけれど、空気が言論や報道を支配している。でも、空気は目に見えないから、国民はそのことをよく理解していない」。……返す言葉がなかったですね。

──どうしてそういう状況になってしまっているのでしょうか?

森 そもそも空気や場が強い国です。集団との親和性も高い。さらに近年は、「セキュリティ意識」が過剰に発動しているからです。

──セキュリティ意識?

森 映画の撮影中、彼女が様々なメディアからインタビューを受けているところも撮ったけれど、「身の危険はないですか?」という質問が多かった。僕もオウムを取材していたとき、周囲の人から同じように、「オウムは危なくないか」とか「公安に監視されていないか」とか、いろいろ質問されました。
 100%安全とは言いません。でも僕から見ればあまりにセキュリティ意識が過剰です。その帰結として自己規制する。その傾向が強まっています。もっと自由に発言したり書いたり撮ったりしていいんです。

──とはいえ、怖がるのも分かります。

森 不安と恐怖の領域がとても大きくなっている。ネットは炎上する。組織内で責任を取らされる。脅迫の電話やメールが来る。万が一の事態が起きたらどうするんだと言われたら、誰も言い返せなくなっている。万が一なんて常に起きます。僕も今日の帰りに万が一車にはねられて死ぬかもしれない。リスクをいかに少なくするかと考えることは間違っていない。でもリスクをゼロにはできない。ゼロにしようと思ったら、家から出ないことです。何もしなければいい。こうして展示や上映ができなくなる。政治権力が不都合な表現や報道を抑え込むことが容易くなる。その状況が加速しています。

──大手メディアなんかでは上司から「待った」がかかることもあるでしょうね。

森 会社がリスクヘッジを最優先にしようとするのは当たり前です。組織ですから。でもリスクをゼロにしようとするならジャーナリズムは機能停止します。
 だからこそ組織の論理に対して、記者やディレクターたちは“個”をしっかりもつ。そのせめぎ合いが組織ジャーナリズムのダイナミズムのはずなのに、個が組織に完全に従属してしまっている。これが日本のメディアとジャーナリズムの大きな問題です。

 

森達也監督(撮影:編集部)
ドキュメンタリーは嘘をつく
──メディアには「公正中立」という基本原則があって、みんなその呪縛にとらわれているようにも思います。

森 僕はまず「公正中立」は不可能だと思っています。どんな意見であろうとそれは非常に恣意的で人為的なものですよね。
 それならば、自分自身を主語にして「自分はこう見えた」「自分はこう思う」と記述する方が誠実だと思う。
 それを公正中立な視点が可能であるかのごとく、「神の視点」で書いてしまうことのほうが、よほど不誠実だと思います。

──「神の視点」って、まさしくそうですね。

森 もちろん、客観公正や中立を必死に標榜することは、ジャーナリストとして大切です。でも同時に、情報とはすべて個の視点で、絶対的な客観性や中立は無理なんだとしっかりと意識することも重要です。その負い目をなくした瞬間に、ジャーナリズムは正義になってしまう。それは違うと思う。
 現状において新聞は部数を落としているし、テレビも見る人が減ってきた。既成メディアにとって冬の時代です。だからこそやり方を変えて、自分を晒さなくてはならないときに来ていると僕は思う。

──欧米が顕著ですが、海外では情報の受け手も成熟していて、記者による一人称のオピニオンを飲み込む度量がある社会だと感じます。

森 そうした記事に触れることで社会のリテラシーも成熟します。この国は道徳を教科化したり英語の試験方式を変えたりする前に、小学校からメディアリテラシーについて教える授業があった方がいいと思いますよ。

──メディアリテラシーの授業ですか。

森 メディアリテラシーを身につけるって大変なことだと思っている人が多いけど、基本メソッドはとても簡単なことなんです。
 大事なことは2つ。ひとつは、情報とは誰かが書いたり撮ったりしているものなのだと意識すること。つまり誰かの解釈です。そしてもうひとつは、世界は多面的で多重的で多層的なものであり、「どこから見るか」で変わるのだと知ること。
 この2つを組み合わせれば、いろんなものを見聞きしながら判断し、自分だけのオピニオンをつくる作業に移行することができるわけです。
 情報は常に相対化されるべき。どんな情報も多面的なのだから、それは当然のことです。
 そうすれば、自分が見ているのも、単なるひとつの視点に過ぎないということに気がつくはず。ニーチェが「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」という言葉を残していますが、まさしくそれですよ。

──それって、メディアに限った話ではなく、人と人のコミュニケーションでも同じですよね。

森 まったくその通り。会社の気に入らない先輩と、たまたま帰り道でビールを一緒に飲んだら、それからは全然違う印象になったとか。

──あります、あります。

森 人間だって、多面的で多重的なわけです。それに気づいたら社会は侮れないって思うはず。人にも優しくなれる。フラットなものじゃないんだと。それが分かった人生はきっと楽しいし、実りあるものになると思いますよ。

 

 

©2019「i -新聞記者ドキュメント-」
“個”であれ!
──いまメディアに対して最も指摘したいのは「権力の監視役」というジャーナリズムが負うべき役割を放棄しているという問題です。

森 メディアは社会の合わせ鏡です。社会が求めればメディアは劇的に変わります。
 だから、いま現在のメディアが権力を監視する役を果たしていないのであれば、それは社会がメディアに権力の監視役を求めていないということになる。

──それでは為政者はやりたい放題になってしまいます。

森 とはいえ、一昔前までなら既成メディアの情報を社会が受け取るだけでしたけど、いまではインターネットもあるし、SNSもある。
 マーケットの規模は違うけれど、一応、社会の側からも情報や意見を発信することができるわけですよね。
 だから、ネットも含めて社会の側からどんどんメディアに対して意思表示をしていけば、メディアも変わらざるを得ないのではないかと思います。

──それは希望ですね。

森 ただ、日本の場合はまたひとつ問題がある。それは匿名性です。
 日本におけるSNSって匿名性が非常に強い。海外ではツイッターでもみんな自分の名前でやっていますよね。これは大きな違いだと思う。
 なぜ匿名にするかといえば、集団に隠れたいからです。隠れるからこそ、他者を平気で罵倒したり追い詰めたりすることができるわけで、この国ではSNSが良いことだけをもたらしているわけではないんです。
 「アラブの春」であるとか、最近では香港もそうかもしれませんが、ああいった場所では「SNSにはこういった使い方ができる」というのを市民が体現しているわけじゃないですか。
 でも日本ではネットが、匿名性に覆われた誹謗中傷の温床になってしまっている。つまり自分を出さない。やっぱり集団です。匿名性については、しっかりと意識して直面すべき問題だと思います。
 アメリカの心理学者であるアーヴィング・ジャニスは、集団で思考すると選択を間違える頻度が高くなることを、ホワイトハウスなど過去の例をあげながら実証しました。この国も同様です。いや、日本人はアメリカ人以上に集団と親和性が高いから、間違えるリスクはとても高いんです。
 だから、「集団から離れて、少し距離を置いた方が、いろんな物が見えてきて面白いんだ」ということに、みんな気がついてくれたらいいと思います。

──監督がいまおっしゃったことは『i-新聞記者ドキュメント-』のラストシーンで、秋葉原に集う群衆と望月さんを対比させたカットから伝わってくるメッセージに共通するものがあると思いました。

森 それぞれの解釈にお任せします。映画のメッセージは、それぞれ見た人が感じてくれれば良いことで、そうじゃない見方をしてもらってもいい。映画は観た瞬間に観た人のものになります。監督の思惑なんてどうでもいいんです。

──映画を見る人ひとりひとりが“個”であれ、ということですね。

(取材、構成:編集部/テキスト起こし:ブラインドライターズ)

日本社会には圧倒的に「メディアリテラシー」が足りない/森達也インタビュー

 今月15日より森達也監督の新作映画『i-新聞記者ドキュメント-』が公開される。
 これまで、オウム真理教や佐村河内守といった被写体を対象に「日本社会とメディア」を描いてきた森監督が今回テーマとして選んだのは、東京新聞社会部記者の望月衣塑子氏。
 『i-新聞記者ドキュメント-』は望月氏に密着するなかで、日本のジャーナリズムが抱える問題が次々と炙り出していく。
 なぜメディアは「権力の監視役」の役目を放棄しつつあるのか、また、そんな時代において我々がするべきこととはなにか、森監督に話を聞いた。

 

森達也
1956年、広島県呉市生まれ。ドキュメンタリーディレクター、ノンフィクション作家。オウム真理教信者達の日常に迫った1998年公開作品『A』は、ベルリン国際映画祭に招待されるなど国際的にも評価されている。その後も、映画『A2』、「放送禁止歌~歌っているのは誰? 規制しているのは誰?~」(フジテレビ)、「ドキュメンタリーは嘘をつく」(テレビ東京)、映画『FAKE』といったドキュメンタリー作品でメディアの問題を描き続けてきた。主な著作には『放送禁止歌』(光文社)、『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)、『A3』(集英社インターナショナル)、『すべての戦争は自衛から始まる』(講談社)、『ニュースの深き欲望』(朝日新聞出版)などがある。

──『i-新聞記者ドキュメント-』を拝見してまず印象的だったのは、望月さんの強さです。

森達也(以下、森) 望月さんは本当に強いメンタルの持ち主ですよ。でも映画を観てくれればわかるけれど、強いだけの女性ではない。ならばなぜこれほどに強くなれるのか。そこにこの映画のテーマと繋がる要素が隠されていると感じます。
 オウム真理教に密着したドキュメンタリー映画『A』(1998年公開)を発表した後、よくいろいろな人から質問されました。「なぜあなただけが撮れたのか」「なぜあなただけがオウム施設内に入れたのか」と。答えは「『撮っていいですか?』と聞いたら『いいよ』と言われたから撮れた」です。
 つまり、あの時期に取材しようと思えば、もっとたくさんのメディアがオウムの内部に入って撮影できたはずなんです。でも、誰もそれをやらなかったから、結果的に僕の映画だけが突出した存在になってしまった。そこでさらに訊かれます。ならばなぜ他の記者やディレクターたちはオウムと交渉しようとしなかったのか。でもそれは、僕ではなく他の記者たちに訊くべき質問ですよね。僕は普通のことをやっただけですから。 
 これ以上は言わないけれど、望月さんと他のメディアの関係にも同じ構造が重なります。会見の場で鋭く質問する。これは記者として普通のことです。納得した答えが出てこないなら、2回、3回と食い下がって聞く。それも記者として当たり前のことです。でも、まわりが当たり前のことをしなくなっているから、浮き上がって見える。そういう意味では、似たものを感じます。
 とはいえ、やっぱり彼女は僕より強い。だって何年間も官邸から反感を買いながら質問し続け、同業の記者からも批判され続けている。僕ならとっくに尻尾を巻いて撤退している。

──すごい強さだと思います。

森 つい先日、中国のメディアから取材されたとき、こんなことを言われたんです。「中国には中国共産党という圧倒的な権力をもつ組織があって言論や表現の自由を上から抑え込んでいるけれど、国民の多くはそのことに気づいている。一方日本は、中国共産党みたいな強圧的な存在はないけれど、空気が言論や報道を支配している。でも、空気は目に見えないから、国民はそのことをよく理解していない」。……返す言葉がなかったですね。

──どうしてそういう状況になってしまっているのでしょうか?

森 そもそも空気や場が強い国です。集団との親和性も高い。さらに近年は、「セキュリティ意識」が過剰に発動しているからです。

──セキュリティ意識?

森 映画の撮影中、彼女が様々なメディアからインタビューを受けているところも撮ったけれど、「身の危険はないですか?」という質問が多かった。僕もオウムを取材していたとき、周囲の人から同じように、「オウムは危なくないか」とか「公安に監視されていないか」とか、いろいろ質問されました。
 100%安全とは言いません。でも僕から見ればあまりにセキュリティ意識が過剰です。その帰結として自己規制する。その傾向が強まっています。もっと自由に発言したり書いたり撮ったりしていいんです。

──とはいえ、怖がるのも分かります。

森 不安と恐怖の領域がとても大きくなっている。ネットは炎上する。組織内で責任を取らされる。脅迫の電話やメールが来る。万が一の事態が起きたらどうするんだと言われたら、誰も言い返せなくなっている。万が一なんて常に起きます。僕も今日の帰りに万が一車にはねられて死ぬかもしれない。リスクをいかに少なくするかと考えることは間違っていない。でもリスクをゼロにはできない。ゼロにしようと思ったら、家から出ないことです。何もしなければいい。こうして展示や上映ができなくなる。政治権力が不都合な表現や報道を抑え込むことが容易くなる。その状況が加速しています。

──大手メディアなんかでは上司から「待った」がかかることもあるでしょうね。

森 会社がリスクヘッジを最優先にしようとするのは当たり前です。組織ですから。でもリスクをゼロにしようとするならジャーナリズムは機能停止します。
 だからこそ組織の論理に対して、記者やディレクターたちは“個”をしっかりもつ。そのせめぎ合いが組織ジャーナリズムのダイナミズムのはずなのに、個が組織に完全に従属してしまっている。これが日本のメディアとジャーナリズムの大きな問題です。

 

森達也監督(撮影:編集部)
ドキュメンタリーは嘘をつく
──メディアには「公正中立」という基本原則があって、みんなその呪縛にとらわれているようにも思います。

森 僕はまず「公正中立」は不可能だと思っています。どんな意見であろうとそれは非常に恣意的で人為的なものですよね。
 それならば、自分自身を主語にして「自分はこう見えた」「自分はこう思う」と記述する方が誠実だと思う。
 それを公正中立な視点が可能であるかのごとく、「神の視点」で書いてしまうことのほうが、よほど不誠実だと思います。

──「神の視点」って、まさしくそうですね。

森 もちろん、客観公正や中立を必死に標榜することは、ジャーナリストとして大切です。でも同時に、情報とはすべて個の視点で、絶対的な客観性や中立は無理なんだとしっかりと意識することも重要です。その負い目をなくした瞬間に、ジャーナリズムは正義になってしまう。それは違うと思う。
 現状において新聞は部数を落としているし、テレビも見る人が減ってきた。既成メディアにとって冬の時代です。だからこそやり方を変えて、自分を晒さなくてはならないときに来ていると僕は思う。

──欧米が顕著ですが、海外では情報の受け手も成熟していて、記者による一人称のオピニオンを飲み込む度量がある社会だと感じます。

森 そうした記事に触れることで社会のリテラシーも成熟します。この国は道徳を教科化したり英語の試験方式を変えたりする前に、小学校からメディアリテラシーについて教える授業があった方がいいと思いますよ。

──メディアリテラシーの授業ですか。

森 メディアリテラシーを身につけるって大変なことだと思っている人が多いけど、基本メソッドはとても簡単なことなんです。
 大事なことは2つ。ひとつは、情報とは誰かが書いたり撮ったりしているものなのだと意識すること。つまり誰かの解釈です。そしてもうひとつは、世界は多面的で多重的で多層的なものであり、「どこから見るか」で変わるのだと知ること。
 この2つを組み合わせれば、いろんなものを見聞きしながら判断し、自分だけのオピニオンをつくる作業に移行することができるわけです。
 情報は常に相対化されるべき。どんな情報も多面的なのだから、それは当然のことです。
 そうすれば、自分が見ているのも、単なるひとつの視点に過ぎないということに気がつくはず。ニーチェが「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」という言葉を残していますが、まさしくそれですよ。

──それって、メディアに限った話ではなく、人と人のコミュニケーションでも同じですよね。

森 まったくその通り。会社の気に入らない先輩と、たまたま帰り道でビールを一緒に飲んだら、それからは全然違う印象になったとか。

──あります、あります。

森 人間だって、多面的で多重的なわけです。それに気づいたら社会は侮れないって思うはず。人にも優しくなれる。フラットなものじゃないんだと。それが分かった人生はきっと楽しいし、実りあるものになると思いますよ。

 

 

©2019「i -新聞記者ドキュメント-」
“個”であれ!
──いまメディアに対して最も指摘したいのは「権力の監視役」というジャーナリズムが負うべき役割を放棄しているという問題です。

森 メディアは社会の合わせ鏡です。社会が求めればメディアは劇的に変わります。
 だから、いま現在のメディアが権力を監視する役を果たしていないのであれば、それは社会がメディアに権力の監視役を求めていないということになる。

──それでは為政者はやりたい放題になってしまいます。

森 とはいえ、一昔前までなら既成メディアの情報を社会が受け取るだけでしたけど、いまではインターネットもあるし、SNSもある。
 マーケットの規模は違うけれど、一応、社会の側からも情報や意見を発信することができるわけですよね。
 だから、ネットも含めて社会の側からどんどんメディアに対して意思表示をしていけば、メディアも変わらざるを得ないのではないかと思います。

──それは希望ですね。

森 ただ、日本の場合はまたひとつ問題がある。それは匿名性です。
 日本におけるSNSって匿名性が非常に強い。海外ではツイッターでもみんな自分の名前でやっていますよね。これは大きな違いだと思う。
 なぜ匿名にするかといえば、集団に隠れたいからです。隠れるからこそ、他者を平気で罵倒したり追い詰めたりすることができるわけで、この国ではSNSが良いことだけをもたらしているわけではないんです。
 「アラブの春」であるとか、最近では香港もそうかもしれませんが、ああいった場所では「SNSにはこういった使い方ができる」というのを市民が体現しているわけじゃないですか。
 でも日本ではネットが、匿名性に覆われた誹謗中傷の温床になってしまっている。つまり自分を出さない。やっぱり集団です。匿名性については、しっかりと意識して直面すべき問題だと思います。
 アメリカの心理学者であるアーヴィング・ジャニスは、集団で思考すると選択を間違える頻度が高くなることを、ホワイトハウスなど過去の例をあげながら実証しました。この国も同様です。いや、日本人はアメリカ人以上に集団と親和性が高いから、間違えるリスクはとても高いんです。
 だから、「集団から離れて、少し距離を置いた方が、いろんな物が見えてきて面白いんだ」ということに、みんな気がついてくれたらいいと思います。

──監督がいまおっしゃったことは『i-新聞記者ドキュメント-』のラストシーンで、秋葉原に集う群衆と望月さんを対比させたカットから伝わってくるメッセージに共通するものがあると思いました。

森 それぞれの解釈にお任せします。映画のメッセージは、それぞれ見た人が感じてくれれば良いことで、そうじゃない見方をしてもらってもいい。映画は観た瞬間に観た人のものになります。監督の思惑なんてどうでもいいんです。

──映画を見る人ひとりひとりが“個”であれ、ということですね。

(取材、構成:編集部/テキスト起こし:ブラインドライターズ)

二宮和也の結婚相手が「一般女性」になった事情

 11月12日、嵐の二宮和也が結婚を発表した。相手は一般女性であり、マスコミあてのFAXには「かねてよりお付き合いをさせていただいている方と」と記されている。しかしその一般女性が、昨年3月に所属事務所を辞めた元フリーアナウンサーのA氏であることは確かだろう。

 嵐は2020年いっぱいで活動休止するため、嵐メンバーの結婚は2021年以降になるはずだと見られていた。それゆえ突然の結婚発表に「デキ婚では」という疑問の声もわいたが、複数のスポーツ紙や週刊誌が「なお妊娠はしていない」と報じている。

 正式な結婚発表に至るまで、周到な準備があった。マスコミ各社にはA氏の代理人弁護士から「通知書」が届いていたのだ。それは、彼女に関するweb上の記事について、私人のプライバシー侵害と名誉毀損を理由に削除を求めるものだった

 昨年3月末日をもってA氏は芸能界を完全に引退しており、<芸能活動などを一切行っていない通常の一般私人>であるため、<実名、住所及び顔写真等は当然のこととして、交際関係を含めた私生活上又はプライベートにおける行動等は、みだりに公開されたくない事実として、プライバシー権の保護の対称に該当>するという。

 また、A氏は最初に二宮和也との交際報道があった直後から、ブログでの“匂わせ”行為が多いとして二宮のファンを中心に批判され、webニュースでも取り上げられてきた。今回の結婚発表で再びそのことはクローズアップされている。しかし通知書では、「匂わせブログ」を<虚偽の事実>であるとして、再三否定している。

<また、通知人(=A氏)の過去のSNSでの投稿を踏まえて、当該投稿が二宮氏との交際関係を匂わせる行動をしたとする等の虚偽の事実を記載することは、通知人の社会的評価を低下させるおそれのある行為であり、名誉権の侵害行為(名誉毀損)にも該当します>

 A氏の芸能界引退後に実名などを伝えた記事の削除、および今後のプライバシー取材を<一切掲載・配信しない>ことを求めるこの通知書をどう受け取めるかは、マスコミ各社の判断に委ねられている。WEZZYとしては、私人のプライバシーを尊重するという意向を汲み、昨年4月以降に配信した記事について削除の対応をとるが、他方で「国民の興味の対象になることを良しとする仕事をし、二宮の交際相手としても注目を浴びながら、もう引退したから名前すら出すなという主張は簡単に認められるべきではない」と芸能ジャーナリズムを貫く媒体もあるだろう。また、ジャニーズ事務所と良好な関係を築いているスポーツ紙や一部週刊誌は、結婚について「お相手は一般女性」と伝え、すでに匿名報道へ切り替えている。

 実はこの通知書には<なお、本書の存在及びその記載内容についても掲載・配信を控えるようお願します>とあったが、当サイトではこの文書の存在を公表することにした。その理由のひとつは、二宮和也の結婚相手がA氏であることは明らかであるにもかかわらず、なぜか「一般女性」と報じるマスメディアへの違和感を叫ぶ市民の声がネット上で散見されるためだ。極秘に事を進めれば、マスコミ不信を強めることは想像に難くない。

 もうひとつは、通知書において「匂わせブログ」批判に対し、<虚偽の事実>であるときっぱり否定している点は、広く世に伝えておくべきと考えるからだ。前述したように、正式な結婚発表によって再び「匂わせブログ」についてネット上で大きな話題になっている。しかし二宮が公にA氏とのプライベートについて発言することはなく、A氏もまたその機会はないため、この通知書の内容がマスコミ関係者だけで秘匿されてしまえば、一般の誤解をとくことはこの先もかなわないだろう。

 また、今回の通知書はA氏の代理人名義で出されているが、当然のことながら二宮和也の所属するジャニーズ事務所によるバックアップがある。主要メディアに対しては、A氏の実名報道を控えるようにと、ジャニーズ事務所の担当者が直接電話をしていたようだ。そうでなければ、これまで引退した芸能人のその後を実名で扱う記事を何度も掲載してきたようなスポーツ紙や一部週刊誌がいきなり匿名報道に切り替えはしない。ジャニーズ事務所の働きかけがあるということは、二宮から事務所側への、妻を守りたいという強い要望があることを意味するだろう。

女子プロ野球選手も「美女アスリート」扱い…写真撮影会や総選挙など選手の「アイドル化」

 日本の女子プロ野球から36名もの選手が退団することが11月1日に発表された。全選手71名のうち36名もの大量離脱。なぜ、これほど多くの選手が退団することになったのか。

 報道によると、日本女子プロ野球のすべての球団を運営する「わかさ生活」が、選手との契約内容を一新。新たな条件に同意しなかった選手らが退団するはこびになったという。

 契約内容の詳細は不明ながら、この問題をめぐる一連の報道からわかるのは、プロ野球界でもまた、女性選手の美醜にばかり注目する仕組みが出来上がっていたことだ。多くの新聞はこれを“美しすぎる野球選手”として有名になった選手らの離脱と報じた。その見出しのつけ方に悪意はまるでないのだろうが、違和感を覚えることも確かだ。

 10日付のスポーツ報知では、かつて日本女子プロ野球でプレーしていたというAさんの証言を掲載しているが、Aさんは運営幹部のワンマン体制に苦言を呈しており、選手を“アイドル化”した売り出し方に難色を示す選手もいたと明かしている。

制服コスプレでの写真撮影会や「美女9総選挙」
 日本女子プロ野球は2009年に発足。ファンサービスとして試合後に選手がダンスを披露するなど、選手のルックスを“生かした”イベントをしてきた。今年9月の試合後には、学生服のコスプレをした選手がファンとの写真撮影に応じるイベントも開催された。

 また昨年から公式Twitterでは、「美女9総選挙」という企画も行われている。名前の通り、ファンが“美人”だと思う選手に投票、順位を決めるというものだ。

 スポーツ報知によると、こういったファンサービスで人気のある選手は、たとえ実力が伴っていなかったとしても、ファンを集めるために「試合に出せ」という指示が運営から出ていたという。

「選手として評価してほしい」という女性アスリートの願い
 なぜなのか女性アスリートは競技実績と共に、「美人すぎる」「可愛すぎる」などといった容姿の評価がついてまわる。

 今年8月に「AIG全英女子オープン」で海外メジャー制覇を果たした渋野日向子選手も「可愛すぎる」と注目が集まり、多くのメディアでは彼女を「とても可愛い女の子」と紹介して親しみやすさを強調していたように思う。競技中に食べていた駄菓子「タラタラしてんじゃねーよ」が品薄になったことも記憶に新しい。

 昨年の平昌五輪カーリング女子日本代表が活躍した際も同様であり、「美女チーム」「もぐもぐタイム(ハーフタイム)」「にっこにっこにー」など、競技内容以外の面が連日、取り上げられ続けた。

 そのような状況にカーリングの選手たちは疑問を抱いていたようだ。平昌五輪から帰国したLS北見(現在はロコ・ソラーレ)の選手たちは、北海道北見市でのパレードと市民報告会に臨んだ際、<パフォーマンス以外の部分でも、沢山の報道があることに、正直、戸惑いだったり驚きも感じています>(吉田知那美選手)と複雑な心境を明かした。“カーリング選手”としてのパフォーマンスを評価してほしいという切実な思いを訴えたのだ。

<パフォーマンスが……、カーリング選手としてのパフォーマンスを……皆さんに応援していただけるように、カーリング選手として評価していただけるように、頑張りたいと思いますので、どうぞ皆さんこれからも、カーリング選手としての私たち、そして日本のカーリング界全体を、応援どうぞよろしくお願いいたします>

 アスリートたちは競技で優秀な成績を収めるために、日々トレーニングを重ねている。そんな彼女たちの努力を無視し、 “アイドル”として容姿を評価することが、「褒めているつもりで侮辱していること」に気づかなければいけない。

インドのタクシー事情~「Ola」と「Uber」が高めた交通の利便性

 2019年10月25日、国土交通省は、タクシーの事前確定運賃サービスを認可したと発表した。事前確定運賃とは、配車アプリで乗降車地を入力し、その地図上の走行距離と推計所要時間から算出する運賃をいう。このサービスは、乗車前の運賃確定で運賃の不安をなくし、タクシーを利用しやすくするのに役立つ。

 10月28日以降、準備が整った地域から、配車アプリの利用によるタクシーの事前確定運賃サービスがスタートした。実施地域は東京、横浜、大阪、名古屋、京都などの27地域、対応する配車アプリ会社はS.RIDE、JapanTaxi、スマたく、MOVで、実施予定台数は約2万台だ。

 また国土交通省は、このサービスは訪日外国人にとっても、円滑かつ安心な旅行ができる手助けになるとしている。確かに、慣れない異国でのタクシー利用には、料金の不安がつきまといがちだ。

 筆者が以前在住していたインドでは、配車アプリでのタクシー利用の際、車種のグレードを選べるなど、多彩なサービスがあった。事前の運賃確定はないが、大体の目安が表示され、運賃の不安なしに乗車できた。

流しのタクシーがほぼいないインド
 インドのタクシー事情とはどのようなものか。インドでは、流しのタクシーがほとんどおらず、配車アプリを利用するのが一般的だ。インドの配車サービス会社は、インド発の「Ola(オラ)」とアメリカの「Uber(ウーバー)」の二強で、シェアの大半を占めている。また、OlaとUberは、どちらもソフトバンクグループから資金調達を受けている。

 OlaとUberの車両は、会社所有ではなく、運転手所有が一般的だ。運転手はOlaやUberと契約して、運転手のスマホに配車先の通知が来る仕組みである。運転手所有の車両には、商用車として届出している証の黄色のナンバープレートがついており、OlaやUberのステッカーが車体に貼られている。

 筆者は、最初はOlaとUberの両方を利用していた。途中からはアプリが使いやすく感じたのと、インド発企業を応援したい気持ちから、Olaのみ利用するようになった。筆者のまわりのインド人も、Olaを利用している人のほうが多かった。

 Olaの登場前は、筆者は出張で訪れる首都のニューデリーで、タクシーを半日または一日貸しで旅行会社に頼んでいた。しかし、駐車場で待機しているはずの運転手がなかなか来ないなど、車両での移動時間よりも運転手の待機時間のほうが長くストレスも多かった。

 2014年、ニューデリーでのOlaのサービス開始により、一カ所で仕事を終えてから、また違うOlaを呼び出す形で仕事ができるようになった。料金も一日貸しの利用よりも大幅に安く済むようになり、便利な時代が来たなと思ったものである。

 インドの中間層以上の人々も、OlaやUberの登場で、気軽にタクシーを利用できるようになった。OlaやUberの登場前、インドの中間層の人々は、オートリクシャと呼ばれる3輪タクシーを利用していた。

 しかし、オートリクシャにはメーターがあっても料金の交渉が必要な上、窓がなく、大気汚染や過酷な気候に耐えて乗る必要があった。OlaやUberはエアコン付きの車両で移動できて、料金はもちろん交渉の必要がなく、時には料金をふっかけてくるオートリクシャよりも安い。

 北西部ラジャスタン州の州都ジャイプールでは、他のインド人も言っていたが、ニューデリーと比べてオートリクシャの料金のふっかけ度がひどかった。ジャイプールのとあるオートリクシャの運転手は、OlaやUberの登場で商売上がったりで、中東に出稼ぎに行こうかと話していた。筆者もジャイプール出張時には、オートリクシャにはイライラさせられたものだが、OlaやUberが出てきてからは、ほぼ乗らなくて済むようになった。

 なお、Olaでは車だけではなく、オートリクシャやバイクタクシーの手配もできる。こちらはもちろん、料金の交渉は必要ない。

最高峰大学出身の若者が起業したOla
 インド発のOlaは、インド最高峰の国立大学であるインド工科大学出身のBhavish Aggarwal(バビッシュ・アガルワル)とAnkit Bhati(アンキット・バティ)の共同で、2010年に創立された会社だ。正式な会社名はANIテクノロジーズだが、通称はアプリ名のOlaで通っている。

 Olaは、インド国内で250都市以上、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスでもサービスを提供している。

 2014年にはソフトバンクグループが、Olaに2億1千万ドルを出資している。2017年、2019年にも追加で出資を受け、Olaは現在、電動車両によるビジネスの拡大に取り組んでいる。

さまざまなタイプの車種を取り揃えるOla
 Olaでは、3輪タクシーのオートリクシャ、バイクの後部に乗るバイクタクシー、相乗りのシェア、タクシーを利用できる。タクシーはグレードにより分かれていて、ワゴンRクラスのMicro(マイクロ)からスタートし、Mini(ミニ)、Prime Sedan(プライムセダン)、Prime Play(プライムプレイ)、 Prime SUV(プライムエスユーブイ)、LUX(ラックス)などがある。

 一番安い車種のグレードであるMicroの料金は、1キロにつき6ルピー(約9円)だ。グレードが上がるにつれ、料金が高くなるシステムになっている。Prime以降のクラスには、車内に無料Wi-Fiがついていて、評価の良い運転手が来るシステムである。また、LUXではベンツやBMWの呼び出しが可能だ。

 利用方法は、簡潔でわかりやすい。Olaのアプリを開き、位置情報をONにすると現在地が自動で入力され、行き先を入力し、車種を選択すると予想価格が表示されて、後は呼び出すだけだ。

 配車が決まると、車種、色、車のナンバー、運転手の名前、顔写真、運転手の5段階評価の平均が記された通知が来る。そして、到着時間の目安とタクシーの現在地がリアルタイムでアプリに表示され、運転手と直接通話できるボタンもついている。

 また、乗車後は画面上にSOSボタンが表示され、何か問題が発生した時はここを押すと24時間対応のOlaのオペレーターにつながる。

 支払いは、現金の他、デビットカードやクレジットカードの使用も可能だ。降車後に5段階で運転手を評価するシステムになっているせいか、たいていの運転手は気持ち良い対応をしてくれる。

 また、通常の市内移動のタクシー以外に、アウトステーションと呼ばれる都市間を移動するサービスもある。インドの90都市以上に対応していて、500通りのルートが設定されている。予約は、乗車時間の7日前から1時間前まで可能だ。

 たとえば、首都のニューデリーから世界遺産のタージ・マハルがあるアグラまでの距離は235キロで、時間は4時間15分の設定。これがたった1799ルピー(約2698円)から利用できる。 

 日本と比べると料金が格段に安いのは、インド国内では自動車産業が盛んで、乗用車が安価で販売されているのと、運転手の人件費が安いからである。たとえば、スズキのワゴンRは、日本国内での販売価格は100万円以上するが、スズキのインド子会社マルチスズキのワゴンRのインドでの販売価格は約65万円からのスタートだ。

 現在、インド経済は成長を続けており、中間層の台頭がめざましく、彼らの給料の目標は10万ルピー(約15万円)だ。インドでは、携帯電話の料金はほぼ使い放題で1カ月300円程度、地元の茶店での紅茶は1杯15円程度で、日本と比べて生活コストが安いと言える。給料が15万円でも日本よりも自由に使えるお金は多く、30分ほどOla に乗っても400円程度で済むので、気軽にタクシーに乗れる層が増えてきている。

 タクシーの需要が増え続けていく中、インドでは経済成長による車両の増加で、大気汚染が非常に深刻だ。現在、インド政府は、大気汚染対策や使い捨てプラスチックの規制などの環境問題に、積極的に取り組んでいる。

 今後、企業にはますます、環境問題を考慮した対策が求められるであろう。大気汚染の緩和に一役買う、電動車両によるビジネスの拡大を目指しているOlaには、今後も注目していきたい。

クレーマー保護者=モンスターペアレントではない 学校は保護者とどう向き合うべきなのか

 近年、多くの企業は「お客様相談」の窓口を設けており、客が不満を“クレーム”として企業にぶつけることが簡単な世の中になった。カスタマーハラスメントという現象も注目され始めている。それに伴い、保護者が学校にクレームを入れることも増えているという。

 教員のブラック労働も問題視されるようになってきたが、学校現場では「保護者対応」に頭を抱える教員も多いという。教員および学校に対して理不尽なクレームを入れる保護者の存在は、マスメディアでも度々クローズアップされてきた。

 本来、学校は子どものための場所であり、教員と保護者は“ともに子どもの成長を喜びあう存在”として連携・協力する必要があるはずだ。なぜ、こじれてしまうのか。長年に渡り、学校現場における保護者対応について研究をされている小野田正利先生に話を伺った。

 

小野田正利・大阪大学大学院教授
1955年、愛知県日進町(現日進市)生まれ。 名古屋大学法学部を卒業し、大学院は教育学へ。1984年から長崎大学教育学部で13年間教え、1997年から大阪大学に移り、2002年から教授に。教育制度学研究室の教授として、教育に関する制度や環境、行政や政策そして法律などを専門領域としている。学校と教職員の“等身大の姿”を明らかにすることを自分のライフワークとしており最近は「学校と保護者のいい関係づくり」につながるように「学校-保護者間トラブル」「学校近隣トラブル」の研究に没頭。『迷惑施設としての学校~近隣トラブル解決の処方箋』(時事通信社・2017年)『先生の叫び 学校の悲鳴』(エイデル研究所・2015年)などの著書を執筆。

「モンスターペアレント」は児童虐待の用語だった
――学校に対して無理難題を主張する保護者のことは「モンスターペアレント」と呼ばれています。2008年には連続ドラマのタイトルにもなり、広く周知される言葉となりましたが、小野田先生は学校にクレームを入れる保護者を「モンスターペアレント」と呼ぶことに反対していらっしゃいますよね。

小野田:「モンスターペアレント」とは、元来、児童虐待の文脈で使われる用語です。昨年、東京都目黒区や千葉県野田市で虐待死事件がありましたが、亡くなったお子さんから見た両親こそが「モンスターペアレント」です。

「モンスターペアレント」とは、子どもから見て親がモンスターだという意味で使われる言葉であり、教師から見てのモンスターではありません。「モンスターペアレント」という言葉が間違った意味で広がってしまったのは、マスコミが保護者から学校へのクレームを面白おかしな“イチャモン”として報道したことも原因だと思います。

保護者から学校へのクレームがすべて無理難題であるとは限りません。学校側はクレームが「要望」「苦情」「無理難題要求(イチャモン)」のどれであるかを見極め、議論すべきです。

――要望や苦情と無理難題要求を、どのように見極めるのでしょうか。

小野田:まず、無理難題を言うことが多い保護者でも、すべての主張がおかしいとは限らず、全体を客観的に見る必要があります。

実際に、ある関西地区の中学では、卒業した生徒の親御さんが「担任の指導の仕方が悪かったから希望の高校に行けなかった」と頻繁に文句を言ってきたそうです。担任に話を聞くと、担任はしっかりと指導をしたが、その生徒は実力よりも2ランク上の高校を受けたといいます。これを「担任の指導のせいだ」と言えるのかどうか。親御さんの“イチャモン”と言っていいのではないかと私は思います。

では、その親御さんは「モンスターペアレント」であり、学校への要求がすべて“イチャモン”かといえば、そうではないのです。

その親御さんは受験のほかにも、校則にあるツーブロック禁止や靴下の色指定などについてクレームを入れていました。その学校は未だに靴下は白という決まりで、ワンポイントやラインも不可。これに対して保護者は、「白の靴下は洗っても汚れが落ちにくいし傷みも目立ちやすいので、黒や紺でもいいのではないか」と意見していたのです。これは無理難題要求ではなく“要望”ですよね。

親御さんの言うことの99%が無理難題要求だったとしても、耳を傾けて聞くべき要望が1%でもあるのなら、学校側は拒絶の姿勢を取らず、1%の部分については検討すべきなのです。

――無理難題を言うことの多い保護者だとしても、正当な要求を述べることはある。当然のことですが、「この人の言うことは全部おかしい」などと決めつけてはいけないわけですね。

小野田:そうです。僕がよく講演で教師たちに伝えているのは、「保護者の話を聞いてください」「最初の10分くらいはメモを取りながら聞いてみましょう」ということです。話を聞くのが苦手な教師は、保護者が何か言ってくると3分以内に「でもねお母さん」「でもねお父さん」と“not”“but”を使ってしまうんです。そうすると保護者は不愉快に感じ、話がこじれる。こじれた結果、単なるクレームがトラブルに発展してしまうのです。

話をこじらせないためにも、まずは保護者に「言わせる」必要があり、電話にしろ対面にしろ、最初の10分は「そうなんですか?」と半疑問形で、メモを取りながら話を聞くことが大切です。

――それは実用的なアドバイスですね。教育現場以外でも使えます。

小野田:ただ、保護者の中にはメンタル面が不安定な方もいます。そういった方の場合、時間を構わず長々と喋り続けてしまう傾向があるので、教師はあらかじめ「1時間後に会議があるので」など、条件設定をした上で話を聞くようにしてください、と伝えています。

――いきなり恫喝してくるなど、高圧的な態度でクレームを入れられた場合でも、まずは話を聞くことが重要なのでしょうか?

小野田:言い方のきつい親御さんでも、実は言っている中身は、単なる質問や問い合わせレベルのものということもあります。たとえば、学校から子どもを通して「雑巾を2枚持ってきて下さい」と連絡があった時、親御さんによっては「え? うちに雑巾なんかないし。余っているタオルで縫うの? 縫う時間もないし、ミシンもないよ」と不安になる方もいます。今の時代、針と糸はともかくミシンを持っていない家庭は珍しくないですよね。

そうなると、「そうだ、100円ショップに売っている」と思いつき、今度は購入した雑巾でいいのかが気になってきて、そのうちに「何で2枚も必要なんだろう」と疑問に思う。そういった疑問自体は誰でも抱きますが、親御さんの中には「どうして2枚も必要なんですか?」ときつい口調で学校に問い合わせしてこられる方もいるわけです。

問い合わせの中身自体は“疑問”ですが、高圧的な態度だと教師は身構えてしまい、「この親は私に何か嫌なことを言う」「クレームが来た」と怯えてしまい、そこから問題がこじれるパターンもあります。

たとえ保護者が高圧的な態度だったとしても、教師は保護者が何を思って連絡をしてきたのか、しっかりと聞いてください。できれば親御さんも「どうして」「なぜ」と疑問をぶつける前に、ワンクッション「先生、質問があります」「教えてほしいのですが」といった枕言葉を入れると、お互いに話がスムーズに進むのではないでしょうか。

学校がチームで対応することが重要
――他方で、保護者のクレームが教員の負担となり長時間労働につながってしまう懸念もあります。メンタルを崩してしまう教師がいることも問題になっています。

小野田: そうですよね。2006年と2016年に行われた「教員の勤務実態調査」によると、小中ともに、教師はPTA業務を含め保護者対応のあった日のストレスが高いことがわかっています。また、2016年の同調査によると、労働時間の中で保護者からのクレーム対応は、平均すると小学校で1日7分、中学校で1日10分でした。一見短いように見えますが、これはあくまでも“平均”です。実際は個人差が大きく、いじめや不登校のあるクラスの担任の場合、平均時間よりもだいぶ長い時間を保護者の対応にあてていると思われます。

――やはり保護者対応にストレスを感じている教師は多いのでしょうか。

小野田:保護者対応における精神的負担が強まった結果、うつ病になったり、自ら命を絶った先生もいます。保護者対応によってそこまで追い詰められるケースが現実にあることは確かです。教師をしていれば子どもとの関係がうまくいかず悩むこともありますが、子どもは毎日学校に通ってくるので関係を修復する機会も多くあります。ところが親御さんは時々しか学校には来ません。教師にとって、保護者とのトラブルは一番厄介でしんどいものです。

――保護者対応のすべてを個々の教師の裁量に任せるような学校組織のあり方は、問題が大きいと思います。一人ひとりの教師のストレスを軽減させるために、学校はどのような対策をすべきなのでしょうか。

小野田:はい、保護者からクレームがあったとき、担任に丸投げするのではなく、学校全体でチームとして取り組む必要があります。そのひとつとして、保護者との話し合いは担任だけでなく、「担任と学年主任」「担任と教頭」など、2人以上の教師で対応するように勧めています。保護者と教師の1対1だと「言った・言わない」も含めて客観性がなくなりますし、クレームの内容によっては担任の一存では決めきれないこともあります。クラス内の子ども同士のトラブルであれば担任で対応可能でしょうが、学校の校則やルールとなると担任ではなく、学校で決めていることだからです。

さらに、最近は親御さんが教師とのやり取りをIC レコーダーやスマホでこっそり録音することも増えています。もし話し合いの場で教師が感情的になってしまうと、それが新たなクレームになることもあります。2人以上の先生が参加することで冷静さを保つという効果もあります。

――学校がチームとして動くことで、教師の負担は分散され、精神的にも楽になると。

小野田:そうです。保護者のクレームには要望・苦情・無理難題要求の三段階があると紹介しましたが、学校が反省すべき類のものなのか、それとも無理難題なのかをひとりの教師が見ていくには限界があります。

飲食店などのサービス業におけるクレームに比べ、学校へのクレームやトラブルは複雑です。子ども同士のトラブル1つとっても、多数の子どもと親御さんが関わっていますし、状況は日々刻々と変わります。そのため、1人ではなく複数の教師の視点で対応することによって、トラブルの全体像も見えやすくなるのです。

――保護者からのクレームが、かつては見逃されがちだった理不尽な校則や、教師による体罰、ハラスメントを炙り出すきっかけになることもありますよね。

小野田:その通りです。保護者と教師が対等にものを言い合える時代になったことは良いことであり、クレームと向き合うことは学校にとってマイナスなことではありません。

大切なのは保護者と教師がお互いを“リスペクト”することです。リスペクトは「あなたと対等に向き合います」「敬意を払います」という意味で、相手を崇めることでも卑下することでもありません。教師と保護者が意見を出し合い、学校が子どもたちにとってより良い場所になっていけばと思います。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
小野田正利(おのだまさとし)

1995年、愛知県日進町(現日進市)生まれ。顔は、車だん吉と、カンニングの竹山を足して2で割ったようだと、よく言われます。講演風景は、まさにライブで、綾小路きみまろに似ている、しゃべりは金八先生のようだと評されることが多くなりました。現在、大阪大学大学院教授・人間科学研究科(学部名は人間科学部)。
名古屋大学法学部を卒業し、大学院は教育学へ。1984年から長崎大学教育学部で13年間教えたが、金八先生のようだと言われた。1997年から大阪大学に移り、2002年から教授。人間科学部(大学院は研究科という名称を使うので「人間科学研究科」)は、1972年に日本ではじめて文科系と理科系の融合した、かつ「人間」と名前の付いた最初のユニークな研究や教育をおこなう学部として発足しました(大阪大学には東大や京大のような教育学部はありません)。
23年前に、思いもかけず阪大から「ちょっと変わっているようだからウチへこい」と言われた。「これで551の豚まんが毎日食えるな」、という思いと「探偵ナイトスクープ」がちゃんとリアルタイムで放映されていることの魅力から阪大へ。
教育制度学研究室の教授として、教育に関する制度や環境、行政や政策そして法律などを専門領域としている。阪大ではGTOと呼ばれて(?)います。えっ!反町に似ているかって? いいえ、GTOというのはGreat Teacher ONIZUKA(鬼塚)ではなく、Great Teacher ONODA(小野田)だからです。
学校と教職員の“等身大の姿”を明らかにすることを自分のライフワークとしている。『片小ナビ~保護者のための片山小学校ガイドブック』づくり、学校讃歌ブックレットシリーズの発行、イチャモンの研究など、他の大学の研究室とは相当に異なった独自の「どろをさらい、地をはう路線」を追求し、「教育現場に元気と自信を!」をテーマとしている。最近は、もっぱら「学校と保護者のいい関係づくり」につながるように「学校-保護者間トラブル」「学校近隣トラブル」に没頭。
連載としては『月刊高校教育』(学事出版)に2006年から「悲鳴をあげる学校~学校への要望・苦情そしてイチャモン」(すでに150回を超えた)、『内外教育』(時事通信社)に、2010年から「普通の教師が生きる学校~モンスター・ペアレント論を超えて」(すでに400回を超えた)を執筆中。
●主要著書
・最近著『迷惑施設としての学校~近隣トラブル解決の処方箋』時事通信社、2017年
・近著『先生の叫び 学校の悲鳴』エイデル研究所、2015年
・『それでも親はモンスターじゃない!~保護者との向き合い方は新たなステージへ』学事出版、2015年
・『悲鳴をあげる学校~親の“イチャモン”から“結びあい”へ』旬報社、2006年
・(絶版)『親はモンスターじゃない!~イチャモンはつながるチャンスだ』学事出版、2008年
・(絶版)『イチャモン研究会~学校と保護者のいい関係づくりへ』ミネルヴァ書房、2009年
・(絶版)『イチャモンどんとこい!~保護者といい関係をつくるためのワークショップ』学事出版、2009年
・『ストップ自子チュー~親と教師がつながる』旬報社、2010年
・「普通の教師が普通に生きる学校~モンスターペアレント論を超えて」時事通信社、2013年
・各年度版の『教育小六法』学陽書房刊、の編集者の一人(※上記の本とのギャップがありすぎるために、別人と思われていますが、アイウエオ順で2番目に名前があります)。
・『教育参加と民主制~フランスにおける教育審議機関に関する研究』風間書房、1996年(※1万9千円もするので、間違っても買わないように(笑い)、またフランスの研究をしていたなんてことは、もう忘れて下さい。)

インフルエンサーの投稿は本当に信用できるのか?「不味いケーキや肌がカサカサになる化粧品もPRする」

 インフルエンサーは、今やひとつの職業だ。インフルエンサーとは、世の中に大きな影響を与える人々のことをいい、特に、SNSなどの投稿によって、消費者の購買意欲を高める役割を果たしている。

 インフルエンサーが企業から注目されている理由は、エンゲージメント率の高さだ。芸能人の場合、SNSのフォロワー数は多くても、フォロワーが「いいね」を押す割合はあまり高くない(エンゲージメント率が低い)。しかしインフルエンサーは、フォロワー数は芸能人より少ないものの、「いいね」を押すフォロワーの割合は高く(エンゲージメント率が高い)、フォロワーとの距離が近いということから、より「同じものが欲しい」「この人の言っていることは信じられる」と思わせる効果があるのだ。

 SNSを中心とするインフルエンサーの場合、企業から「この商品をPRしてほしい」といった依頼を受け、商品の写真やオススメポイントを投稿。その報酬として、1フォロワーあたり0.5円~1円、5万人のフォロワーがいる場合、2万5千円~5万円ほどを受け取ることができる。上手くいけば会社勤めをするよりも多くの報酬が手に入るため、インフルエンサーを本業とする人もいる。

 11月6日放送の『ねほりんぱほりん』(NHK)は、そんなインフルエンサー特集の前編。スタジオにTwitterのインフルエンサーが1名、Instagramのインフルエンサーが2名集結し、赤裸々に内実を明かした。なお、同番組は人形劇の形式で声も加工されているため、人物の特定はできないようになっている。

フォロワーは買うことも可能
 登場した3名とも、月の平均報酬は30万円以上。Twitter中心のインフルエンサーの最高月収は300万円だという。インフルエンサーはフォロワー数によって報酬額が変動するため、みなフォロワー数集めに必死であり、人気インフルエンサーの画像を参考にしながら様々な研究を重ねたそうだ。

 フォロワーは購入することもできるという。1000人のフォロワーがおよそ千円程度という比較的安価な値段で買えることから、購入してフォロワーを水増しするインフルエンサーもいる。しかし、仕事を依頼する企業側もフォロワーが購入できることは周知しており、フォロワー数の伸びを示したグラフなどを見ながら、不自然なインフルエンサーは避けているそうだ。

 一方、フォロワーが買えるということを利用したインフルエンサー同士の嫌がらせも発生しているという。相手のIDさえ知っていればフォロワーを「買ってあげる」ことができるため、ライバル視するインフルエンサーに勝手にフォロワーをプレゼントし、企業からの信頼度を落とそうと企む人もいるようだ。

不味い食べ物や使い心地の良くない化粧品をPRすることもある
 指を動かすだけでお金が入ってくると豪語する3人のインフルエンサー。だが、消費者はこうしたインフルエンサーの投稿を無邪気に信用していいのだろうか。

 「仕事で困ることは?」との質問に、Instagram中心のインフルエンサー2人は「不味い食べ物をPRするとき」「使い心地の良くない化粧品をPRするとき」だと明かした。

 たとえば、ある飲食店から「子どもでも食べられる辛さとPRして下さい」とお願いされたが、実際に食べてみたところ、大人でも辛いと感じる辛さだったという。しかし、お店から報酬が出ている以上、言われた通りにPRする必要があるため「子どもでもイケる子はイケるかも」と書いたそうだ。

 また、不味いケーキのPRの際は「盛り付けが斬新」「お店の内装がキレイ」などと書いて味には触れずに逃げる。使用して肌がカサカサになってしまった化粧品は「オイリー肌の方にオススメ」と記述し、カモフラージュしたという。

 これに対してTwitter中心のインフルエンサーから、「フォロワーを騙すことに抵抗はないの?」と問われると、二人は「これが私たちの仕事だから」と回答した。

 つまり、「騙している」という意識はあるようだ。

 フォロワーは「このインフルエンサーは信用できる」という思いから商品を買ったり、お店に足を運んだりしている。たとえカモフラージュをしたとしてもPRしていることに変わりはなく、「不味い」ものを「オススメ」だと宣伝することは、インフルエンサーの情報の信用度を毀損しているだろう。なお、Twitter中心のインフルエンサーは「そこまで必死にお金を稼ぐつもりはない」という姿勢のようだ。

 また、番組内では言及されなかったが、すべてのインフルエンサーが企業からの案件に「PR」と明記して投稿しているかも疑問である。報酬が発生しているにも関わらず「PR」を付けなかった場合は、“ステマ”(ステルスマーケティング)に該当する。

 要するに、フォロワーにとってそれが「宣伝」に映らなくとも、すべては「広告」に過ぎない。良くないものも四苦八苦しながら「オススメ」するインフルエンサーの投稿を、「彼女がすすめるなら使いたい」と鵜呑みにするのはバカバカしい話だ。

 スタジオに登場したインフルエンサーたちは、企業はフォロワーとの“信頼関係”を評価し、インフルエンサーに仕事を頼んでいると述べていた。しかし、不味い食べ物や使用感の良くない化粧品を「良いもの」としてPRしているとすれば、その信頼関係はどんどん崩れていくだろう。

 番組の後編は11月13日に放送される予定だ。

IZ*ONEが事実上の活動休止状態に 韓国でなにが起こっているのか?

 日韓合同アイドルグループIZ*ONE(アイズワン)の活動が危機的状況になっている。

 IZ*ONEは人気オーディション番組『PRODUCE 101』(Mnet)の第3シーズンとして製作された『PRODUCE 48』(Mnet/2018年6月~8月放送)を通じてつくられたグループ。日本からは、宮脇咲良、矢吹奈子(HKT48)、本田仁美(AKB48)の3人がAKB48グループからの出向のようなかたちでIZ*ONEに参加している。

 『PRODUCE 101』シリーズは、視聴者が直接投票することでオーディション合格者を選ぶ仕組みが売りで(そのため視聴者は番組内で「国民プロデューサー」と呼ばれる)、自らグループの結成に関わることのできる当事者性が多くの視聴者を熱狂させてきた。

 しかし、『PRODUCE 48』の次のシーズンとして放送されX1を輩出した『PRODUCE X 101』(Mnet/2019年5月~7月放送)の最終結果をめぐり放送直後から不正疑惑が浮上。Mnetの運営会社であるCJ ENMや番組に参加した芸能プロダクションが家宅捜索を受けるなどしてきた。

 その結果、今月5日に『PRODUCE 101』シリーズのプロデューサーであるアン・ジュニョン氏らが逮捕。取り調べの結果、『PRODUCE X 101』および『PRODUCE 48』において投票結果を操作して順位を変えたことを認めた。アン・ジュニョン氏は芸能プロダクションから40回以上接待を受け、その金額は1000万円近いとの報道も出ている。

 IZ*ONEはちょうど今月11日に初めてのフルアルバム『BLOOM*IZ』のリリースを控えており、それにともなって映画の公開やバラエティ番組への出演が多数決まっていただけに、この事件は活動に大きな影響を及ぼしている。

 まず『BLOOM*IZ』は報道を受けて発売を延期。予約分に関しては返金すると発表されている。また、アルバム発売日に予定されていた特別番組『COMEBACK IZ*ONE BLOOM*IZ』(Mnetなど)の放送も急きょキャンセルとなった。

 バラエティ番組にも影響が出た。IZ*ONEのメンバーが出演した『アイドルルーム』(JTBC)、『驚きの土曜日-ドレミマーケット』(tvN)の放送が中止になるなど、彼女らが出演した番組は放送を中止したり、IZ*ONEメンバーの出演シーンをカットしたりなどの対応に追われている。

 不正投票事件の影響は、韓国国内のみならず日本にも波及。今月15日にはIZ*ONEの初めてのワールドツアーを追ったコンサートフィルム『EYES ON ME : The Movie』が公開される予定だったが、日本においては公開が中止に。配給元の東宝は<諸般の事情を受け、関係各所と協議のうえ、本作の公開を中止させていただくことに決定いたしました>とコメントしている。

IZ*ONEの不正問題にファンや世間はどう反応したか?
 こういった状況に対し、IZ*ONEのメンバーに同情的な声は大きい。不正をしたのは番組製作サイドであり、IZ*ONEのメンバーも、番組に参加していた練習生たちも、皆が被害者である。

 ツイッター上では「#WIZONELOVEIZONE」(「WIZ*ONE」はIZ*ONEのファンクラブおよびファンダムの名称)というハッシュタグが生まれ各国でトレンド入り。彼女たちを守ろうという声をあげている。

 とはいえ、Mnetの不正に対して韓国社会から怒りの声が起きているのも、また事実だ。

 大統領府のホームページ上にある国民請願掲示板にはIZ*ONEとX1が地上波のテレビ番組に出演することを防ぐ旨の請願が出された。そこには「順位操作は番組を見ていた視聴者を馬鹿にしたものであり、社会に蔓延する採用不正や就職詐欺とまったく同じ文脈の罪」といった主張があるという。

 この文言の根っこには、横行するコネ就職や、それによって解決されない貧富の格差・格差の固定といった社会問題への怒りがある。そのような社会状況がある以上、不正投票が明るみになったにもかかわらず何事もなかったかのようにグループが活動再開できるかは疑問だ。

 もともと不正投票の疑惑がもちあがっていたX1は2019年8月にデビューしたが、デビュー曲のプロモーションにおいて『ミュージックバンク』(KBS 2TV)、『音楽中心』(MBC)、『人気歌謡』(SBS)といった地上波の音楽番組に出演することはできていない。

IZ*ONEの今後はどうなるのか?
 IZ*ONEは昨年10月のデビュー以降、女子中高生を中心に人気が爆発。BTS、SEVENTEEN、TWICE、BLACKPINKらと並んでK-POPブームを牽引するグループとなっている。

 今年8月から9月にかけて行われたワールドツアーの日本公演では、幕張メッセ、さいたまスーパーアリーナといった大会場でソールドアウトに。年末の『NHK紅白歌合戦』の出演者としてあげる下馬評もある。

 IZ*ONEはもともと2021年4月までの期間限定で結成されたグループ。活動できる時間が限られているだけに、最も大事なアルバムリリースタイミングで突如生まれてしまった活動休止期間を惜しむ声は大きい。IZ*ONEのメンバーも被害者である。

 とはいえ、放送局と芸能プロダクションが行った不正の問題が解決されない限り、世論はこれまで通りの活動を受け入れないだろう。今後の展開を見守りたい。