今年4月から5月にかけて、尼崎市立尼崎高等学校(兵庫県)の男子バレーボール部や軟式野球部で、コーチを務める臨時講師が部員に体罰を加えていたことが発覚した。いずれも「強豪」で知られる部だ。
バレー部では、体罰を受けた部員の鼓膜が損傷して一時意識を失うという甚大な被害があったにもかかわらず、学校は当初「けがはない」と発表していた。また、臨時講師は部員を「サイコパス」呼ばわりしていたという。さらに、市教委の調査では同部の監督が過去に部員の髪を引っ張る体罰を行っていたことも公表された。異常な実態が明るみになったにも関わらず、神戸新聞によると保護者の中には「監督の早期復帰、従来の体制継続」を望む声や、「厳しい指導がなくなるのを懸念する」声もあるという。
そもそも、学校教育法で教員による児童生徒への体罰は禁止されており、暴行は犯罪にあたる可能性もある。また、暴力を伴う教育は子どもの脳に好ましい影響を与えないことも複数の研究から明らかになっている。
体罰が表沙汰になれば、当然のごとく学校は批判され評判も落ちる。にもかかわらず、一部の学校では未だに体罰が行われ、保護者や生徒自身も容認するケースもある。なぜ学校では体罰が認められてしまうのか、教育学者で名古屋大学准教授の内田良氏に話を伺った。
内田 良/名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授。博士(教育学)
専門は教育社会学。学校のなかで子どもや教師が出遭うさまざまなリスクについて,調査研究ならびに啓発活動をおこなっている。 著書に『学校ハラスメント』(朝日新書),『ブラック部活動』(東洋館出版社),『教育という病』(光文社新書),『教師のブラック残業』(学陽書房,共編著)など。ヤフーオーサーアワード2015受賞。
「体罰は教育」と考える教師たち
内田:学校問題のややこしいところは、先生たちは「正しい教育」だと思ってやっている点です。体罰に関しても、先生たちは「その子を伸ばすため」という考えのもとで行われる。だからややこしくなるし、学校問題における課題といえるでしょう。
――体罰が発覚すれば学校は批判されますし、2012年に起きた大阪市立桜宮高等学校のように体罰を苦に生徒が命を絶ってしまったケースもあります。外側から見ると、「それでも」体罰がまかり通っている学校が存在すること自体に驚いてしまいます。
内田:色々な背景がありますが、まず挙げられるのが、「教育だから」という考えが学校にずっと根付いていることが大きいでしょう。体罰は「子どもに対する指導の一環なんだ」と。先生たちは犯罪ではなく指導だと思っているから、今でもやるんですよね。
隠れて行われることが多いわいせつ行為に対して、体罰は今も敢えて「みんなに見える場所」で、オープンに行われる傾向があります。いわゆる「見せしめ」です。みんなが腕組んで立って見ている前でひとりの生徒をビンタして、子どもたちをビビらせて従わせようとします。もちろん、生徒を個別に呼び出して体罰を加えることもあるかもしれないけど、開けている場所で体罰をすることによって、「反抗しようものなら、お前らの人生がダメになるぞ」と圧力をかける。
部活の場合は、逆らうと殴られるだけでなく「レギュラーになれないかもしれない」と、子どもたちは危惧する。また、ほとんどの先生たちは部活指導だけでなくクラス担任や教科担任も担っていますから、成績まで危うくなる怖れがある。そうやって、「この先生に逆らうと、自分の人生にも関わってくる」と子どもたちに思わせることができる体罰は、先生たちにとってまだまだメリットになり得てしまうのです。
加えて、公立の小・中・高校は、体罰やいじめ自殺などの不祥事があっても、評判を落とした結果、翌年入学希望者数が大幅に減る……なんてことにはなりません。公立高校には定員数があり、学費の高い私立高校よりもできれば公立に行ってほしいと望む保護者は多い。一般企業なら評判を落とせば潰れるリスクもありますが、高校そのものが潰れることもないため、体罰発覚によるデメリットがほとんどないんですよね。
保護者や生徒が体罰をする指導者を許す理由とは
――そういった体罰に対して、保護者は疑問を覚えないのでしょうか。今回の尼崎高校の事案でも、「早く従来の状況に戻ってほしい」と訴える保護者がいるといいます。
内田:部活動で行われた体罰の場合、仮に保護者がクレームを入れれば、レギュラーを外されるなど子どもに不利益が生じます。主要選手の保護者なら「この監督の下で大事に育ててもらっている」という意識もあるでしょう。
桜宮高校の事案も、1000人の署名が集まりました。保護者が「生徒思いのいい先生なんだ」「ちょっと行き過ぎたかもしれないけど、子どものためを思ってのことだったんだ」と擁護することも、体罰が持続してきた大きな理由ですね。
――保護者だけでなく、実際に体罰を受けている生徒も、先生を擁護することはあるのでしょうか。
内田:先生たちから体罰を受けた生徒たちも、「先生は自分のために怒ってくれている」「自分が悪いんだ」と思わされてしまう。体罰を受けた経験のある生徒たちが回答したアンケートには、「おかげで成長した」などと書かれています。体罰を受けた人にしてみれば、自分の青春時代を「地獄だった」「理不尽な目に遭った」とネガティブに捉えるよりも、「いい経験になった」「それで私は成長したんだ」とより前向きに捉えたいという心理もあるわけです。
体罰を目撃した子どもも、部活のレギュラーや成績、大学推薦といった人生の重要事項を先生に握られている以上は、たとえ殴られた子が親友であっても、先生には何も言えない。
たとえば、学校の外を歩いていて親友が誰かに殴られれば、憤りを感じて抗議したり、怖くても警察に通報しますよね。まさか、理不尽に殴られた親友に「お前はこれで成長するんだ」とは言わないでしょう。ところが、学校の中になった途端、殴る先生に反抗すると自分の人生が危うくなると思うから、殴られた親友にも「殴られるほどのことをしたんだよ」「お前にも悪いところあったじゃん、また頑張っていこうや」と、励ますだけで終わってしまう。
このような状況下で育ち、「暴力を使って教育する、物事を解決するということは正しいこと」と勘違いした彼ら彼女らが、将来、指導者や保護者になった時に同じことを繰り返すという懸念もあります。
体罰をする教師のほとんどは処分されない
――とはいえ、世間では体罰へのバッシングが年々強くなっているように感じますが、司法や行政の対応はどうなっているのでしょうか。
内田:世間では随分批判されるようになった先生の体罰ですが、司法や行政はまだまだ寛容です。
非常にわかりやすいのが、教職員への懲戒処分です。統計によると、教員の飲酒運転が発覚した場合、2件に1件は懲戒免職処分が下っています。わいせつ関係の事案も同様で、被害者が教え子か否かにかかわらず、やはり2件に1件は懲戒免職処分、即ちクビになっています。ところが、体罰を行った教員が懲戒免職処分になることは滅多にありません。2012年の桜宮高校の事案はさすがに懲戒免職処分となりましたが、数年に1件程度です。
(文科省が公表している「体罰の実態把握について」によれば、平成27年度:公立の学校での体罰発見件数は721件、懲戒免職は0件。平成28年度:公立の学校での体罰発見件数は654件、懲戒免職は1件。平成29年度:公立の学校での体罰発見件数は585件、懲戒免職は0件となっている)
児童生徒が骨折しようが鼓膜が破れようが、体罰常習犯であろうが、クビにはならない。学校という空間において体罰という名の暴力は「指導の一環」と見なされてしまうのです。
体罰をする大人、つまり先生たちは子どもたちの教育のためにやっている。そのような理屈が通り、発覚すれば「行き過ぎちゃいました、ごめんなさい」と謝罪するだけ。会見などで学校は「行き過ぎた指導」といった言葉を用いて釈明しますが、あくまでも“指導”という前提は崩さずに、ただし「ちょっと手が出ちゃいました」というストーリーにされます。
――教育委員会でも「体罰は指導の一環」という理屈が残っているのですね。
内田:その上、体罰は、刑事責任も民事責任も問われにくい。他人の顔を殴って鼓膜が破れるなんて、一般社会では傷害罪にも問われかねませんが、ここでも「教育」が絡むと一気に問われにくくなります。
――「教育」だから傷害罪が問われないなんて、子どもという存在が軽んじられているように思えます。民事ではどうでしょうか?
内田:民事では、国家賠償法という公務員全体に適用される法律があります。先生も含め公務員は公共性の高い重要な仕事を行いますが、人間は当然ミスを犯します。そこで、公務員が何か問題を起こした時は国や自治体が賠償責任を負いましょうというのが、国家賠償法です。
となると、先生の体罰で傷ついたと子どもや保護者が民事訴訟を起こし、たとえ訴えが認められたとしても、賠償金は国や自治体が全部払ってくれちゃうんですね。つまり、訴えられても先生たちは実質無傷で済んでしまう。しかも先ほども言ったように、体罰では滅多にクビになりません。体罰が指導の一環として認められていることや、国家賠償法が先生たちの暴力行為を支えているという側面もあるでしょう。
強い部活であるほど顧問の自由度は増す
――生徒のなかには「強豪校でプレーしたい」「技術指導ができるのはこの先生だけ」「○○部はこの高校にしかない」といった理由から進学先を決める人も少なくないと思います。進学後に部活の顧問が独裁的な指導や体罰をしていると判明した場合、生徒には退部や転校をするという選択肢しかないのでしょうか。
内田:本当は体罰をした顧問の先生が辞めるべきですが、実際は子どもが諦めざるを得ないという現状があります。
特に部活動に力を入れる学校の場合は、「強ければ何をやっても許される」という風潮が蔓延して、強い部の顧問には校長ですら逆らえないというケースもあります。部活の大会で優勝すれば、顧問はトロフィーを持って帰って、校舎に垂れ幕が下ろされ、学校の評価も上がる。強豪校になればなるほど顧問の自由度が増しやすい側面があり、もし顧問が体罰をしていたとしても、学校側が注意できないことも考えられます。
――体罰をするような先生に当たった結果、競技を断念するなど子どもの人生が左右されてしまうのは残念でなりません。
内田:体罰をするような先生は、実質的には犯罪者なのだからハズレどころの話ではないですよね。学校は“治外法権”であると、僕は見ています。法律よりも「教育」という独特のルールが通用してしまう。
数年前から問題視されている巨大組み体操も、怪我人が出れば全国ニュースで取り上げられて批判されるに決まっているのに、それでもやっている学校がある。傍から見ていると異常ですよね。しかし現場では、「子どもたちの成長」や「感動」という言葉によってみんなが思考停止して、危険行為だということが見えなくなっているのです。
――体罰問題を解決する方法はあるのでしょうか。
内田:体罰を認めてしまう文化や意識を変えるには時間がかかります。そのため、現段階で考えられる対策は、先生たちの体罰に対する懲戒処分を厳しくすることです。また、学校内で起こる体罰や、子どもによる先生への暴力、子ども同士のいじめや暴力などでも、必要があれば警察に入ってもらい、法律を適用する。学校の治外法権を解体していくことが重要です。