『べしゃり暮らし』が貫いた「アドリブ>台本」の価値観は是か非か――主人公の天才性は最後まで伝わらずじまい

 9月14日に『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)の第8話が放送された。最終回だった。

第8話あらすじ 「あいつ以上におもろいこと言うたらええんちゃうんか!」

 上妻圭右(間宮祥太朗)と辻本潤(渡辺大知)のコンビ「べしゃり暮らし」は「漫才新人グランプリ」での優勝を目指しているが、圭右は養成所の講師から「セリフ覚えの悪さをアドリブでごまかしている」と指摘される。しかし、態度を改めないまま彼らは1次予選に臨んだ。その舞台で辻本は、昔からファンだったという女性が客席で体調不良に陥るのを見て、激しく動揺。かろうじてネタはやりきったものの、圭右のアドリブに対応し切れなかった。

 自分の過信に気づいた圭右は、2次予選でアドリブを完全封印。そのせいで持ち味を出せなかったことに、辻本は不満を抱いた。結果、べしゃり暮らしは敗退。アドリブをしなかったことに対し、辻本が怒りをあらわにすると、圭右は「お前が付いてこれないからアドリブを封印した!」と反論。辻本は「お前が信じてくれるような相方になれなかった」と、圭右のもとを去ってしまう。

 その後、「漫才新人グランプリ」の追加合格者が発表され、土壇場でべしゃり暮らしの決勝進出が確定。しかし、姿を消した辻本に圭右がいくら電話をしても連絡が取れない。この状況のまま決勝の日がやって来た。

 辻本が1人でうなだれていると、そこに金本浩史(駿河太郎)が通りすがる。辻本は「俺は力不足」「上妻と俺は釣り合わない」と弱音を吐くが、その言葉に金本は激高。「あいつがおもろいこと言うんやったら、それ以上におもろいこと言うたらええんちゃうんか!」「お前、藤川(尾上寛之)の何見てきてん!」と厳しい言葉で叱責し、タクシーで辻本を会場まで送り届けた。

 到着した辻本は圭右に「お前と漫才したい」と素直な気持ちを伝え、ネタ合わせをする間もなく2人は決勝の舞台に立った。アドリブだらけの漫才を展開するべしゃり暮らしは持ち時間を4分もオーバーしたものの、思う通りの漫才をして完全燃焼。2人は満足気に笑い合った。

 ドラマ『べしゃり暮らし』は「アドリブ>台本」という設定を頑なに貫き続けた。もちろん、すべての芸人に当てはまるものではなく、べしゃり暮らしの2人に限った設定なのだが。ここに、役者が演じる芸人ドラマのジレンマが集約されていた。アドリブが炸裂し、ドッとウケる劇中の漫才が実際はさほど面白くなく、どうしてもアドリブの素晴らしさが実感できなかったのだ。

 正直、間宮の芸人としての魅力、才能は最後まで伝わってこなかった。全8話の中でデジタルきんぎょやニップレスの成長は窺えたのに、間宮と渡辺からは確固たる成長が感じられずじまい。というか、そもそもそれは描かれていなかったように思う。間宮の天才性が伝わってきていないのに、そんな漫才師がアドリブでドンドン勝ち進んでいく様を見るのは、正直つらかった。

 また、アドリブを推奨したような形になっているのも現実離れしている。事実、8話では養成所の講師の本家爆笑王(山口祥行)から「会話はアドリブでも流れに沿って落とすべきところでしっかり落とせ」と注意されていたが、結局はネタ合わせできずにアドリブで漫才に臨み、べしゃり暮らしはウケをとった。完全燃焼した2人の充実の姿がこのドラマの大団円だ。元ハリガネロックのユウキロックは最終話の1週前の9月8日にこんなツイートを発信している。

「講師をしているので『べしゃり暮らし』を観ている。講師をしているので『アドリブ』を推奨するのは困る。来週最終回。1日100回くらい練習するシーンがありコンテストで優勝。間宮『やっぱり練習って大事だよなー』というまさかの一言でエンディングを望む。講師をしているので」

 というか、そもそも論として、べしゃり暮らしの漫才のどの箇所がアドリブなのかよくわからなかった。客席にいる土屋奈々(堀田真由)と子安蒼太(矢本悠馬)の「これってネタ?」「いや、アドリブだと思う」というやり取りが挟み込まれ、ようやく「あ、アドリブなのか」と察することができる程度。境目がわかりにくいし、これではすごさが実感できない。

キーパーソンであり続けた駿河太郎

 ドラマには、すべての役柄が必要な存在として描かれる作品と、あらすじを説明するためだけの役を配する作品の2通りあるが、『べしゃり暮らし』は完全に後者だ。矢本も堀田もストーリーに必要な役柄として存在していなかったと思う。

 では、間宮&渡辺のサポート役として誰が大きな存在感を示したかというと駿河だ。最終話では「藤川の何見てきてんねん!」と怒りを爆発させることで渡辺を諭し、会場へ送り出す優しさを見せた。同じ芸人の立場から湧き出る怒り、そして先輩としての度量を、駿河は見事に演じ切った。漫才シーンも、デジタルきんぎょの掛け合いは他コンビと比べて圧倒的に良かった。力のあるバイプレーヤーとして、今後より一層活躍するのでは? という期待感が駿河にはある。

 決勝のべしゃり暮らしの漫才は途中で回想シーンに切り替わり、別のコンビの漫才映像が順々に挟み込まれるという演出が施された。ライバルのネタの要素を自らの漫才に取り入れ(ねずみ花火が蕎麦屋「きそば上妻」を揶揄した要素さえ入れ込んだ)、そのネタが全8話分のストーリーとリンクする流れは原作にはなかったドラマオリジナルのものだ。これはこれで良かったと思う。

 持ち時間を4分もオーバーしてしまった間宮と渡辺は「あかんわ、絶対落ちたわ!」と爆笑する。勝ち負けで一喜一憂していた割に「俺たちの芸人人生はこれからだ」的な態度でいられるのにはモヤッとしたが、それより、まずは自分たちが満足できるネタをすることが大事と訴えたかったのかもしれない。内心は不服なのに、賞レース用のネタをおろすコンビは実際にいる。しかし、このドラマは「自分たちが面白いと思えてこそ」の価値観を提示した。この点は有意義だった。

 結局、このドラマは“芸人もの”というより“青春もの”として仕上がった印象がある。もしも、ドラマで初めて『べしゃり暮らし』に触れたという人は、一度でもいいから原作を読んでほしい。ドラマ『べしゃり暮らし』は、原作の粗いダイジェスト版のような様相を呈していた。

(文=寺西ジャジューカ)

原作の”ブルマ漫才”はどうした! 劇団ひとり演出『べしゃり暮らし』が大不発のまま終了

 視聴者は色んな意味で消化不良だったようだ。

 間宮祥太朗主演のドラマ『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)が9月14日に最終回を迎えた。森田まさひろの人気漫画が原作で、演出を劇団ひとりが務めることで注目を浴びたが、ネット上では「構成が残念」との声が噴出している。

「ドラマは全8話のうち、半分が主人公以外の登場人物メインの話で進むという異例の展開。ようやく間宮メインに戻ったのに最終回だったことで、視聴者は肩透かしを食らいました。おそらく、劇団ひとりは主人公の目を通してさまざまな芸人の生き様を見せることで、視聴者を『芸人リスペクト』させたかったのでしょうが、奏功しませんでしたね」(芸能ライター)

 一方、原作ファンからは“あのシーン”への物足りなさを指摘されている。エンタメ誌ライターが言う。

「最終回では、主人公たちとともに柳ゆり菜と小芝風花が演じる女芸人コンビ・ニップレスが『漫才新人グランプリ』に挑戦しました。原作だと、ニップレスはブルマ姿になってネタを披露する場面があるんです。そのためニップレスが登場して以降、『ま、まさか原作通り……ぶ、ぶ、ブルマかっ!』『劇団ひとりの力量が試される』などと期待が高まっていましたが、結局、ブルマ姿は拝めないまま終了となったため、脱力した人が多かったようです」

『べしゃり暮らし』終了後には、『おっさんずラブ』のシーズン2が告知されている。以前には12話が基本だった連ドラも、最近はテレビ局側が爆死を恐れて8~10話と短くなっているのがトレンド。その分、ヒットすれば続編の可能性が高いだけに、劇団ひとりも「ブルマにさせておけばよかった」と今頃、後悔しているかもしれない。

『べしゃり暮らし』はそもそもドラマに向かない作品だった? 名作マンガ実写化の反省点を一足早く総括

 9月7日に放送された『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)の第7話。前回(6話)のレビューにて「7話に嫌な予感がする」と書いたが、その予感はことごとく当たってしまった。

第7話あらすじ 「僕は2人のために面白い番組を企画する」

 高校を卒業した上妻圭右(間宮祥太朗)は、YCA(ヨシムラコミックアカデミー)への進学を機に一人暮らしを始める。引っ越し当日、父・潔(寺島進)は古い炊飯器を姉・しのぶ(徳永えり)に託すだけで顔も見せない。その炊飯器を開けると、中には潔からの餞別が入っていた。

 圭右は、ハガキ職人として実績のある子安蒼太(矢本悠馬)にネタ作りを依頼し、辻本潤(渡辺大知)とトリオで若手芸人の登竜門『漫才新人グランプリ』に出場することを決意。子安は、3人のグループ名を「べしゃり暮らし」と名付けた。

 YCAでのネタ見せ授業で、圭右は「げんこつロデオ」の岩隈将大(岡本智礼)とケンカ騒ぎのトラブルを起こす。一方、子安は、引っ込み思案な性格ゆえグループ内で浮いている「見切り発車」の北川千尋(Daichi)を気にかけた。自分の立ち位置と北川を重ね合わせたのだ。北川は自分を励ましてくれた子安に握手を求め、子安がそれに応えた瞬間、ロボットの効果音を口で再現。子安は「それをネタにしたほうがいい!」と北川にアドバイスし、次のネタ見せで見切り発車はロボットのコントを披露する。ネタ中に北川はロボット音を再現し、大活躍した。

 一方、べしゃり暮らしはセリフ覚えの悪い圭右がアドリブを多用、それに子安が付いていけないという悪循環に陥っていた。結果、べしゃり暮らしはYCAが開催するライブのメンバーから外されてしまう。責任を感じる子安。彼は上妻と辻本の魅力がアドリブにあると気付いていた。でも、自分はアドリブに対応できない。子安は辻本に、YCAの芸人コースから作家コースに変わるつもりだと打ち明けた。しかし、圭右は納得がいかず、子安の意思を尊重する辻本と衝突する。

 そして、ライブ当日。急遽、出演予定だったグループが出演を辞退し、べしゃり暮らしが代役に選ばれることに。3人はトリオとして最後の舞台に立ち、圭右と辻本のアドリブの応酬を間近で見た子安は「将来、2人はお笑い界を背負って立つ」と確信。「僕は2人のために面白い番組を企画する」と宣言した。

 このドラマは、今夜放送の8話が最終回だ。もう、名作マンガ『べしゃり暮らし』の実写化について総括してしまってもいいと思う。

 前回のレビューでも書いたが、金本浩史(駿河太郎)が主人公のドラマだったような印象を受けている。間宮&渡辺を中心に据えたエピソードがあまりにも少なすぎたのだ。今回の7話も、主に描かれたのは矢本の内に起こる葛藤だった。

 原作で描かれていたはずの間宮の才能、天才性がドラマでまったく触れられていないのも良くない。これこそ、『べしゃり暮らし』という物語が大前提にするべき要素のはず。でも、いつまでたっても間宮がただのお調子者にしか見えないのだ。

 間宮の才はアドリブにある。それに付いていけるのは渡辺だけ。この前提があるからこそ、芸人を諦める子安の悲しみと、新たな道に一歩踏み出すポジティブさが生きてくるはずなのだが。

ビートたけし-ラッシャー板前の“いい話”をそのままトレース

 これも前回のレビューに書いたが、あまりにも展開が駆け足すぎた。原作にある感動エピ全てに手を出そうとし、結果、原作のダイジェスト版のような出来栄えになっている。マンガが下敷きのドラマだからこそ、ドラマならではの魅力を作り出すべきである。

『べしゃり暮らし』は人間ドラマだ。各キャラの心中に起こる葛藤こそが見どころ。その心理描写を映像で再現するには“心の声”(モノローグ)を多用する必要がある。でも、そうなると映像としてうるさい。こんなことを言うと元も子もないが、そもそもドラマ化に向かない作品だったのかもしれない。

 1つ印象に残ったのは、一人暮らしする間宮に寺島が炊飯器を渡したくだり。「今まで散々手伝ってこれだけ?」と呆れる間宮だったが、蓋を開けると「退職金」と書かれた封筒があり、その中には餞別の札束が入っていた。

 これ、そのままのエピソードを聞いたことがある。ラッシャー板前が引っ越しをした際の話だ。師匠のビートたけしから「引越し祝いは何がいい?」と聞かれたラッシャーは「洗濯機が欲しい」と回答。後日、ラッシャーの新居にたけしから洗濯板が届けられる。「なんだよ」とラッシャーが洗濯板を裏返すと、その裏には大金の入った封筒が貼り付けてあったという逸話だ。

 今作の演出を担当したのは、劇団ひとり。彼はビートたけし、そして芸人のいい話が大好きだ。ひとりとしても外せないくだりだったのだろう。このくらいの遊びと余白が、今回の実写化にはもっと欲しかった。

(文=寺西ジャジューカ)

『べしゃり暮らし』第6話で思い出した、関西の有望株若手コンビ「ベイブルース」

 8月31日に放送された『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)の第6話。衝撃的な藤川則夫(尾上寛之)の死去、残された相方・金本浩史(駿河太郎)1人だけのラジオ生放送という展開で思い出すのは、周囲から成功を期待された関西のある若手コンビだ。

第6話あらすじ 「死んでどないすんねん、ボケ。俺ら、ここからやろ!」

 念願だったNMC(ニッポン漫才クラシック)決勝進出の切符を手にしたデジタルきんぎょ。金本浩史(駿河太郎)は前の晩、相方・藤川則夫(尾上寛之)から「絶対おまえを笑わしたる」というメッセージを携帯に受け取っていた。

 藤川から関西弁をやめるよう指摘された上妻圭右(間宮祥太朗)は、藤川と同じ考えを持つ辻本潤(渡辺大知)と激しく衝突する。そんな2人に、突然、藤川の訃報が入った。

 全員が悲しみに暮れる中、金本だけは藤川の遺体を見て「しょうもない。何がおもろいねん」と吐き捨て、レギュラーを務めるラジオ番組に向かった。その態度に憤りを覚えた圭右は「藤川さんはあんたの相方でいられて誇りに思うって言ってたんすよ!」と、藤川の思いを金本にぶつけた。

 金本は圭右をラジオ局まで連れていき、藤川の席に圭右を座らせて生放送に臨んだ。すでに藤川の死はニュースになっており、リスナーも事実を知っていたが、金本は「我々デジタルきんぎょ、NMC決勝進出いたしました!」と発表。しかし、涙をこらえる金本は言葉が続かない。すると、黙って座っていた圭右が金本をフォローしようと勝手にしゃべり出し、なんとか場をもたせる。その後、ハガキのコーナーで友だちとケンカしたというリスナーからの投稿を読んだ金本は、涙を流して藤川のことを語り出した。

「言うべきことは言えるときにちゃんと言わなあかん」

「死んでどないすんねん、ボケ! 俺を絶対笑かすて送ってくれたんとちゃうんか? NMC決勝残ったんやぞ。笑わせろや、藤川! 俺ら、ここからやろ。死んだらあかんやろ。嫁子ども残してどないすんねん!?」

 かつて、金本はピンの仕事で2カ月アメリカへ行き、帰国後の漫才で藤川の急成長に驚いたことがある。

「努力する才能ってこういうことかって。誇りに思うてたんは俺のほうや」。

 そして、金本はNMC準決勝の出番直前に藤川に伝えたかったことを明かした。

「お前、たぶん、今一番おもろいぞ」

 NMC決勝当日、金本は圭右の実家の蕎麦店を訪れた。圭右の父・潔(寺島進)は金本にざるそばを振る舞い、金本は蕎麦を食べながら静かに泣いた。翌日、圭右はエセ関西弁をやめることを辻本に宣言し、お笑い養成所へ入学することを2人は約束した。

 先の展開が展開だけに、駿河のラジオが始まる直前は原作を読んでいても緊張した。

 あくまで“普段どおり”の放送を駿河は自分に課す。今、デジきんのようなコンビがいたら即刻事務所からストップが掛かると思うが、『べしゃり暮らし』連載が始まったのは2005年。ラジオでしゃべった発言が翌日(ヘタしたらリアルタイム)のネットニュースに取り上げられる現代と違い、あの頃の芸人ラジオにはまだ密室感があった。演者とファンの共犯関係がまだ成立していた頃の話である。

 相方を残して逝った芸人はたくさんいる。カンニング竹山を残して逝った中島忠幸、鼻エンジンの村田渚。特に、今回の『べしゃり暮らし』が描くシチュエーションが思い出させるのは、大阪NSC7期(雨上がり決死隊など)の出世頭コンビ「ベイブルース」の河本栄得である。

 河本が死去したその日、ベイブルースにはラジオの生本番が控えていた。相方の高山知浩は河本の死を受け止めながら「あいつは大丈夫やから」と事実を隠し通し、その翌日に河本の死去は発表された。高山はその後のラジオ番組で「隠しててごめんなさい。嘘をついてました」とファンに謝罪をしている。

 今回のデジきんはベイブルースとは若干異なり、尾上の死はすでにマスコミに発表済みだ。なのに、駿河は笑いながらトークを始め、しかも雪の日に凍死した尾上をイジるように「俺らがネタやってるときはさっぽろ雪まつりの映像を流す」「雪のアンコールワットを見せつける」と不謹慎なギャグを飛ばし続けた。しかし、次第に感情が破裂し「死んでどないすんねん、ボケ!」と悲しみと哀愁をさらけ出した。芸人として正しい態度かは議論の余地があるが、これも選択肢の1つだ。

 はっきり言ってこのドラマ、デジきんの物語みたいになっている。全8話だとすでに発表されているので、残すはあと2話。最終回間近だというのに、主役は間宮&渡辺というより駿河&尾上という印象。しかも、『べしゃり暮らし』はこの6話が間違いなくピークだ。

 次回予告を見る限り、7話以降の展開に嫌な予感がしている。『べしゃり暮らし』初回は異常な駆け足だった。膨大な量のエピソードを消化しようとし、結果、ただのエピソード版みたいな仕上がりに。すべてが雑すぎて視聴者からは不評を買った。

 今夜放送第7話にも多くのエピソードが詰め込まれる模様。また、ダイジェスト版のような仕上がりになりはしないだろうか? という不安があるのだ。何しろ、間宮も渡辺もようやく養成所に入ったばかりである。

 エピソードの詰め込み過ぎによる弊害は、あからさまに悪影響を及ぼしている。間宮がエセ関西弁をやめるくだりと尾上の死のリンクの仕方があまりにポップで、感動を薄めてしまっているのだ。駿河が寺島の蕎麦を食べに行く流れも、原作未読派には取って付けたような印象を与えただろう。

 今夜から始まる最終章を境に、急激な尻すぼみになる恐れがある。いい意味で予想を裏切ってほしい。筆者の予感がただの杞憂で終わることを祈るばかりだ。

(文=寺西ジャジューカ)

『べしゃり暮らし』半裸で雪の夜道を歩く破滅型芸人の姿に、早逝した昭和の落語家を思い出す

 

 8月25日に放送された『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)の第5話。エピソードの1つ1つが現実世界とリンクし、観ていてつらさを感じる瞬間もあった。

第5話あらすじ 雪が降る夜道に半裸で飛び出した中堅芸人

 上妻圭右(間宮祥太朗)の“天然な面白さ”をデジタルきんぎょの金本浩史(駿河太郎)は認めている。一方、金本の相方・藤川則夫(尾上寛之)は「エセ関西弁のせいで面白さが半減している」と指摘。やめろと注意するよう辻本潤(渡辺大知)に促していた。しかし、圭右の過去を知る辻本は、そのダメ出しが相方の人生を否定するように思え、言い出せないでいる。

 漫才日本一を決めるコンテスト・NMC(ニッポン漫才クラシック)の会場で、圭右は藤川の妻・尚美(黒坂真美)と息子の球児に出会った。かつては自分より人気が先行する金本に嫉妬した藤川だったが、妻の悪口で笑いを取る自虐ネタでブレーク。そんな芸風の父を嫌う球児は会場から出ようとするが、「お前の父ちゃんが一番面白いからよく見ておけ」と、圭右は引きとめる。イベント終了後、デジきんの楽屋に行った球児は父に「お父ちゃんの漫才、ごっつおもろい!」と伝え、藤川は涙を流した。その後、圭右の言葉遣いを聞いた藤川は「その変な関西弁、やめたほうがええ」と忠告する。

 翌日、藤川は1人で酒を飲みながらNMC結果発表を待っていた。そして、デジきんが決勝進出したと連絡を受けた藤川は大喜び。服を脱ぎ始め、雪が降る夜道に飛び出していった。そのまま階段に座り込んだ藤川は眠り込み、藤川の体の上に雪が降り積もった。

「1回しか言わんぞ」尾上が念を押した意味

“あるある”という視点から、第5話を振り返っていきたい。

 関東で育ったお笑い好きが好きな芸人に影響を受け、エセ関西弁を話すのは昔からのあるあるのひとつだ。それを間宮にやめさせるよう、尾上は渡辺に強く言った。しかし、渡辺は言い出せない。間宮のこだわるデリケートな部分だとわかっている。衝突を嫌う渡辺は指摘できないでいるのだ(小芝風花とのコンビも、好きになった小柴と衝突して嫌いになりたくないから解散を選んだ)。後日、まだ渡辺が間宮に注意していないと知った尾上は、本人に直接切り出した。

「1回しか言わんぞ。自分、その変な関西弁、絶対やめたほうがええ」

「1回しか言わんぞ」が、後に起こる展開への重大な伏線になっている。

「じゃないほう芸人」という言葉がある。コンビ間に格差が生じるのは、お笑い界のあるあるのひとつだ。ネタを作り、人気も自分より先行する駿河に嫉妬した尾上。でも、悔しさを覚えながら、誰よりも駿河を認め尊敬している。それでいて、笑いに真摯で面倒見のいい人間性。複雑で魅力的な役柄を、尾上は好演した。「俺が金本の一番のファンや」の言葉は明らかに本音で、それだけに余計つらさが増してくる。

 その後、次第に尾上が台頭し、2人は不仲になった。しかし、間宮との出会いでデジきんは打ち解け、NMCで決勝に進出した。母をディスる父のネタを嫌った息子も尾上を尊敬し、仕事も家庭もようやくうまく行き始める。東京進出を視野に入れた尾上は、都内の物件をリサーチした。1人で上京してワンルームに住むか、家族を引き連れて2LDKに住むか。悩む尾上に向けて、駿河から『べしゃり暮らし』屈指の名言が飛び出す。

「2LDKにしとけ。優勝したら文句言わんやろ、嫁も子どもも」

破滅的に命を落とす芸人、残された芸人

 仕事が好調の芸人が、何かのトラブルで世間的に抹殺されたり、テレビに出れなくなったり、事故に巻き込まれて急ブレーキが掛かる。悲しいかな、これもあるあるのひとつだ。

 1人で酒を飲み泥酔していた尾上は、NMCで決勝に進出したと知り大喜び。酔うと脱ぎ癖が出る彼は服を脱ぎ捨て、雪の降る冬の往来を半裸で徘徊した。足元はおぼつかず、車に轢かれそうになる姿は見るからに危なっかしい。この光景に、唐突にかぶさるクリスマスソングのBGMが、逆に不穏さを喚起する。裸で外の階段に腰を下ろした尾上に雪が降り積もった。そのまま、彼は眠ってしまった。

『べしゃり暮らし』ホームページが、ちょっとひどい。第6話ストーリーのページに訪れると、思いっきり重要部分のネタバレをしているのだ。はっきりと「突然、藤川の訃報が入る」と明かしている。

 2人きりのコンビなのに、先に逝ってしまった尾上。上機嫌になって、半裸で「散歩行く!」とバーから飛び出す流れ。酒に酔い、「トラックと相撲を取る」と言い残して交通事故で他界した林家小染(4代目)を思い出させる。

 相方に旅立たれ、その後はピン芸人として活動する駿河。命の落とし方はまったく違うが、境遇としてカンニング竹山を思い出す。これらすべて、悲しみをはらむ芸人特有の生き方として挙げられると思う。

 注目するべきは残された側、駿河の姿だ。相方がいなくなった後、芸人はどうするのか? 次回は、『べしゃり暮らし』における最大のピークともいえるエピソード。駿河の激情と熱演を期待したい。

(文=寺西ジャジューカ)

 

 

漫才のレベルは飛躍的にアップも……『べしゃり暮らし』に感動がない理由

 8月17日に放送された『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)の第4話。今回のテーマは「成長」と「中途半端」と「清算」である。

第4話あらすじ

 母・美津子(篠原ゆき子)が過労で亡くなった原因は、上妻圭右(間宮祥太朗)の父・潔(寺島進)の蕎麦店「きそば上妻」を、お笑いコンビ「ねずみ花火」が漫才で貶したことが原因だった。なのに、圭右の姉・しのぶ(徳永えり)と元“ねず花”の根津孝介(田中幸太朗)が交際しているらしい。芸人時代の根津には、女性絡みの悪いウワサがたくさんあった。

 そんな中、久保田はるみ(遊井亮子)に言い寄られる根津の姿を目撃した圭右は、根津をいきなり殴り飛す。しかし、はるみは根津の元マネジャーで、お笑いの世界へ復帰するよう説得していただけだった。根津のゴシップも、ねず花が自ら発信したネタが元になっていると判明。

 美津子が亡くなって以来、美津子への罪悪感にさいなまれた根津はネタをやることが怖くなり、ねず花は解散。根津の元相方・花田稔(駒木根隆介)は「MCフラワー」という名前でピン芸人として活動中だ。根津はあれ以来、美津子の月命日に欠かさず墓参りをしており、花田も潔に謝罪の手紙を何通も送っていた。2人はきそば上妻にそろって謝罪に行き、「いつまでもつまんねえこと言ってんじゃないよ」と潔は2人を許した。

 その後、花田は単独ライブを開催。しかし、かつてより毒がマイルドになった花田のネタを観た潔は「毒舌芸人が遠慮してちゃ売れねえ」とバッサリ。客席にいた根津は花田に直訴し、ねず花は復活漫才をすることになった。ネタは「きそば上妻」を貶した例の漫才で、結果、館内は大爆笑。ネタを観た潔は「今聞けば、こんなネタで店の客が減るようじゃ、俺の精進が足んねえってことだ」とつぶやいた。

 漫才が終わると、根津は舞台上からしのぶにプロポーズ。芸人を引退した根津はきそば上妻に入り、潔の跡取りになるべく修業を開始した。一方、潔は圭右に対し「芸人になることは認めてやる。その代わり、高校卒業したら家を出て行け」と言い渡した。

 いろいろな意味で、間宮の成長が見て取れる第4話だった。まず、機材トラブルが原因で花田のライブが20分遅れの開演になったとき。あの場面で「行こうぜ」と辻本潤(渡辺大知)を伴い、間宮は前説を買って出る。なかなかできることではないが、楽屋裏で「やらせてください!」と頭を下げて頼み込む姿には感銘を受けた。漫才コンクールで「客が馬鹿」とキレて帰ってしまった醜態が記憶に新しいだけに、すごく安心したのだ。

 そして、舞台である。今まで、間宮と渡辺はわざと拙く漫才していたのだろうか? 通常時は2人とも外側を向き、ツッコむ(ツッコまれる)ときだけ内側に体を向ける。テンポも以前とは見違えるように安定している。このドラマの漫才監修・ヤマザキモータースと小林知之(火災報知器)の指導の賜物だろうが、にしても、以前とは明らかにレベルが違って見える。観て笑えるレベルを漫才素人の2人に求めるのは酷だが、なんとか“らしく”なってきた。初回から順に成長の跡が見えるよう、以前は意図的に技術レベルを調節しながら漫才を演じていた可能性がある。感心した。

 寺島は間宮と渡辺の2人に、蕎麦屋を由来としたコンビ名「きそばAT」の使用を禁じた。つまり、「蕎麦屋を継ぐ」という間宮の選択肢をあえて潰す父からの厳しいエールである。間宮に残されたのは芸人への一本道だけ。正直、やっと始まったという感じだ。こうして、間宮は精神的な面でも成長した。

 息子の退路を断った父。これは、しのぶと田中の交際を認め、蕎麦屋の跡継ぎとして田中を認めたからにほかならない。「蕎麦屋の跡継ぎ」という保険を手放した間宮と、芸人にすがる自分を捨てた田中。2人は”中途半端”から脱した。そして、毒舌なネタを恐れる過去を清算したねず花と、芸人を恨む過去を清算した寺島。過去を捨て、前へ進む人間を描いた回だった。

 テレ朝土曜深夜枠のドラマは、全7話に設定されていることが多い。そして、原作『べしゃり暮らし』のコミックスは全19巻である。この長編を7話に収めるのは至難の業だと思う。だからこそ、エピソードの取捨選択が重要になってくる。時に、不要な箇所をバッサリ切り捨てる勇気も必要だろう。今回のドラマ化は、その辺がうまくない。多くのエピソードを網羅しようとするから、各話がいつもダイジェスト的になってしまう。駆け足すぎるのだ。

 ねずみ花火のエピソードを取り上げるなら、潔がねず花に「お前は花田っぽくないしお前は根津っぽくないから、名前が逆だろ」と指摘し、笑って許す場面をマストで描いてほしかった(花田役の駒木根がねずみっぽい顔ではないので難しいのもわかるが)。また、蕎麦屋を保険として考える圭右の甘さも描いてほしかった。そんな細部を端折っているため、観ていて感動がないのだ。

 次回予告によると、『べしゃり暮らし』で最もエグいエピソードが描かれる模様。「デジタルきんぎょ」を演じる駿河太郎と尾上寛之の演技力はわかっているので、そこについては心配していない。あとは、異常に濃いあのストーリーを腰を据えて再現し、心に響く重要回にしてほしいと願うだけだ。

(文=寺西ジャジューカ)

『べしゃり暮らし』ウケない漫才で心が折れる描写がリアルすぎ! いたたまれなくて胸が痛くなる第3話

 8月10日に放送された『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)第3話。途中で目を背けたくなるほどいたたまれなくなる場面が登場した回だった。

第3話あらすじ ウケない漫才を客のせいにした間宮

 上妻圭右(間宮祥太朗)と辻本潤(渡辺大知)は、漫才の日本一を決めるコンテスト『NMC(ニッポン漫才クラシック)』へエントリーをすることに。辻本はNSC用に台本を用意したが、圭右は「俺たちのスタイルはアドリブだろ」と突き返した。

 NMCの予選当日、調子に乗る圭右は緊張するほかの出場者をイジって笑い飛ばしていた。本番が始まり、余裕の表情で舞台に上がる圭右。しかし、会場の空気は緊張感に満ちており、客はクスりとも笑わない。焦りを感じた圭右はマイクを頭にぶつけて失笑を買い、ついには辻本を残し舞台を降りてしまった。「客が馬鹿」とウケなかったことを客のせいにする圭右は、「漫才舐めんなや」と辻本に怒鳴られた。

 以降、学校を休むようになる圭右。幼なじみの土屋奈々(堀田真由)が心配して様子を見に行くと、圭右は実家の蕎麦屋を手伝っていた。店には蕎麦の食べ方で揉めている2人組の客が。それを見た圭右の父・潔(寺島進)は「お好きに召し上がっていいんですよ」と客に声を掛けていた。かつて、「どんな食べ方をするかはお客さんの自由だ。『客がこうあるべきだ』なんて求めるもんじゃない」と潔が言っていたことを圭右は思い出した。

 翌日、登校してきた圭右に辻本は「デジタルきんぎょ」金本浩史(駿河太郎)から受け取った1枚のDVDを渡した。そこにはまったくウケていないデジきんの初舞台の映像が収められており、最後は笑わない客にキレた金本がスタッフに制止される姿があった。

 DVDを観た圭右は自信を回復する。デジきんの2人は「漫才は自分たちが楽しむべき」という圭右の言葉に感銘を受けていたのだ。

 第2話のレビューで、役者が漫才の舞台をドラマや映画で再現するのは困難と書いた。一方、ものすごくリアルに再現していた要素がある。間宮&渡辺が披露した漫才がスベる描写がものすごくリアルだったのだ。観ているほうがつらくなるほど。いたたまれなくて、視聴者が恥ずかしくなってくるくらいだった。確かに、M-1グランプリ一回戦の会場ではスベるコンビも珍しくない。その点もリアルである。緊張するほかのコンビをイジり倒し、「俺たちはアドリブでいい」と調子に乗っていた間宮。だからこそ、舞台で下手を打ってヘコむまでの落差は大きかった。

 補足すると、「アクシデントでやむなくアドリブ漫才を披露した学園祭で大爆笑」→「成功体験を信じてアドリブ漫才を貫く」という流れが原作ではスムーズに描かれていた。しかし、ドラマでは2話を挟み込むことでこの流れにワンクッション置かれている。だから、間宮が“ただ調子に乗っているだけの奴”に見えてしまったかもしれない。お調子者だけどどこか憎めない圭右のキャラクターは、確かに間宮に合っていたとも思うが。

「芸人は客を選べる」から「客を選ばないのがプロ」の価値観へ

 ダウンタウンに憧れる多くの若者が芸人になったのが90年代だった。「芸人は客を選べる」という松本人志のお笑い論に、まだ実績のない若手さえかぶれることも多かったあの頃。あれから価値観は次第に変化し、「客を選ばないのがプロ」というお笑い論が現在は主流になる。今作でそれを間宮に伝えたのは、寺島とデジきんだ。

 中堅芸人であるデジきんがアマチュアの間宮に救いの手を差し伸べるというのも、ちょっと不思議な話だ。しかし「お笑いは演者が楽しんでこそ」という素人ならではのお笑い論にデジきんの心が動かされる2話が伏線だと思えば合点が行く。3話では、逆にデジきんがプロの立場から素人の間宮に漫才のなんたるかを伝えるという流れだった。

 生意気だったり、有頂天になったり、ガツン! とヘコまされたり、学んで立ち上がったり……。あまりの青春っぷりにむずかゆくもなるが、そこがなんともほほえましい。

(文=寺西ジャジューカ)

『べしゃり暮らし』漫才が題材のドラマに立ちはだかる、ネタ再現の難しさ

 

 8月3日に放送された『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)の第2話。このドラマの見どころと問題点が次第に浮き彫りになった回だったと思う。毎回、役者が長尺の漫才に挑むようだが、そこで起こる笑いにはあまり期待しないほうがいい。

第2話あらすじ 主人公を「おもんない」と酷評する中堅芸人

 文化祭でアドリブ漫才を大成功させた上妻圭右(間宮祥太朗)と辻本潤(渡辺大知)。舞台後、辻本は「芸人を目指してみいひんか?」と圭右を誘ったが、お笑い嫌いの父・潔(寺島進)に気兼ねして、圭右は消極的だった。

 相方をやる気にさせたい辻本は、先輩芸人である人気漫才コンビ「デジタルきんぎょ」のライブ会場に圭右を連れて行く。この日に備えて、圭右は自作の漫才台本を持ってきていた。デジタルきんぎょの金本浩史(駿河太郎)に渡し、批評をお願いする圭右。読み終わった金本は「おもんない」と斬って捨てた。激昂した圭右がネタを破り捨てていると、金本の相方・藤川則夫(尾上寛之)が現れ「始めからホームラン打てる天才はいない」「努力できる才能を持ってる奴が天才と呼ばれる」と圭右を励ました。

 一方、元相方の辻本を追いかけて上京した鳥谷静代(小芝風花)。彼女は「俺らの漫才はもう限界や!」という辻本の言葉に納得していない。「ほんまに限界か、ここでもう1回私とネタやって」と辻本に言い、2人は舞台を借りて復活漫才をすることに。客席で観ていた圭右は2人の漫才の素晴らしさに驚くが、ネタの途中で辻本は漫才を中断し「俺らは終わりや」とつぶやいた。実は、辻本は静代を好きになってしまっていた。しかし、笑いに取り組むと相方とどうしてもぶつかり合う。静代のことを嫌いになりたくないし、嫌われたくもない。仲良く漫才をして芸の質を落とすより、好きなまま解散することを辻本は選んだのだ。

 2人の漫才を観た圭右は「ネタは面白いけど、自分たちが楽しめてねえ」と感想を伝える。辻本は「圭右と漫才をやったら楽しめる」と再認識し、圭右も「辻本と漫才したときは鳥肌が立った」と思い出した。圭右は芸人を目指すことを決意した。

 初回レビューにも書いたが、お笑い、特に漫才を題材にしたドラマは舞台の再現が難しい。芸人に扮して役者がネタをやっても、面白い出来になったことはほとんどない。今作の演出担当・劇団ひとりは「お笑いナタリー」のインタビュー(2019年7月27日)で「たぶん笑えないと思います(笑)」と発言。その辺については、はっきりと開き直っている。

 ただ、売れっ子芸人や誰が認める若手芸人の役ならば、雰囲気だけでも有能と感じさせてほしい。「つまらなそう」と視聴者に思わせると、ドラマの説得力が途端になくなってしまうからだ。

 まず、主演の間宮祥太朗について。クラスの人気者がプロの世界に入ると、実は芸人に向いていなかったという現象はお笑い界のあるあるの1つである。どうも、その手のお調子者に見えてしまうのだ。ただ、駿河が間宮のことを「このままやったら、学園一のおもしろ人間やで」とからかっており、もしかしたら演出通りなのかもしれない。

 続いて、辻本を演じる渡辺大知。原作の辻本は圭右よりも引き気味のタイプだ。テンションより知性とスマートさが魅力の芸人。その持ち味を渡辺から窺うことはできなかった。ハイテンションな圭右と好相性の相方であり、ある意味“教育係”ともいえる頼れる存在。非常に難しい役どころだが、我々の中にある辻本像により近付いてほしいと願うばかりだ。

 そして、金本役の駿河太郎。ご存じ、笑福亭鶴瓶の息子だ。このキャスティングは良かった。しゃべりだけでなく、立ち居振る舞いに妙な安心感を感じさせる。いかにも、中堅芸人。後輩への接し方を見ても、劇場で会いそうな兄さんの雰囲気を漂わせている。

 森田まさのりのマンガは、誰がモデルか丸わかりの登場人物がよく出てくる。金本のモデルは間違いなく千原ジュニアだろう。しかし、ドラマになったからと本当にジュニアを起用するのは芸がない。ましてや、現在のジュニアは芸能人ランクが高過ぎる。キャスティングには無理があるように思う。色々な意味で難易度の高い役どころだが、駿河はうまく演じていた。

裏では一言も交わさないお笑いコンビは時代遅れ?

 初回レビューで「原作の連載時とは受け入れられる笑いの形が変わった」と書いた。人を貶して起こる笑いも、かつては広く受け入れられていた。しかし、昨今は拒否反応を示す人がかなり多いようだ。10年前には成立していたものを、今の時代にそのままトレースすると歪みが生じることがある。

 漫才コンビ「デジタルきんぎょ」に迫った第2話。舞台では息が合っているのに、裏では会話を交わさず、顔も合わせない。駿河と尾上の間にはそんな関係性がある。

「仕事以外で藤川の顔なんか見たない。向こうかってそうやろ。携帯の番号も知らん。才能は認めるけど、ハッキリ言うてお互いめちゃくちゃ嫌い合うてる」(駿河)

 こういう距離感こそ漫才コンビのあるべき姿と、以前は持てはやされていたものだ。しかし、現在は仲の良いコンビが主流。さまぁ~ず然り、サンドウィッチマン然り、霜降り明星然り。「仲が悪くてもそれでええねん。意地のぶつかり合いの中からおもろいもんが生まれることも知ってる」という駿河の訓示が今の若い視聴者にどう受け止められるのか、ちょっと興味がある。

 小芝を好きになってしまったがゆえ、コンビ解散を渡辺が決意したくだりも隔世の感だ。何しろ、「キングオブコント2017」で準優勝したのは恋人同士のにゃんこスターだった。好き合っていてもコンビ別れせず結果を残した男女コンビもいるのだ。この10年で笑いのあり方は本当に変わった。

 今夜放送の第3話では、“学園の爆笑王”圭右が舞台で思い切りスベる挫折のフェーズが描かれるはず。原作でも圭右の契機となる、重要エピソードである。

 やはり、『べしゃり暮らし』はお笑いドラマというより、キャラクターの成長を見守る作品と捉えたほうが適当だろう。人間ドラマなのだ。

(文=寺西ジャジューカ)

間宮祥太郎の主演ドラマ『べしゃり暮らし』、吉本興業騒動の余波で爆死危機に!

 放送のタイミングが悪かった?

 間宮祥太朗が主演するテレビ朝日系土曜ナイトドラマ『べしゃり暮らし』が7月27日にスタートし、初回平均視聴率が2.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)だったことがわかった。

 同ドラマは『ろくでなしBLUES』などのヒット作を持つ森田まさのり氏の同名漫画が原作で、高校生漫才コンビの成長を描く青春物語。ドラマには間宮と渡辺大知のコンビ「きそばオートマティック」のほか、複数の漫才コンビが登場する。

「森田氏はこの作品を書くために、吉本興業の養成所NSCに入所。昨年の『M-1グランプリ』に出場してベストアマチュア賞を獲得しています。間宮はダウンタウン・松本人志と『タウンワーク』CMで共演していますが、その際、アドリブに素早く反応し、松本から頭の回転を褒められています。また役作りにあたっては、親交のある千鳥・大悟と飲みにいって相談していたといいます」(テレビ誌ライター)

 とはいえ、前クールに放送された『東京独身男子』の初回5.7%の半分にも満たないため、数字としては物足りない出足だ。

「原作では吉本がモデルのお笑い事務所が登場、そこに所属する重鎮たちも実在の人物を意識いて描かれている。そのため、昨今の吉本騒動に嫌気がさした視聴者層に敬遠されてしまったのかもしれません。また、ドラマと連動して現在『ヤングジャンプ』(集英社)誌上で連載を再開されていますが、そこでは大手お笑い事務所“ヨシムラ”に干された若手芸人が路上ライブからみごと復活してスポットライトを浴びるというタイムリーな話も描かれています。ドラマに吉本芸人が関与していたらまたひと騒動起きそうですが、演出を手掛けているのは太田プロ所属の劇団ひとりということで、ギリギリセーフとなりそうです(笑)」(放送作家)

 同枠の『おっさんずラブ』は初回2.9%から社会現象を起こしたが、『べしゃり暮らし』もここから挽回し、視聴者を大爆笑させることができるか。

吉本騒動の渦中でスタートした『べしゃり暮らし』は意義ある実写化になるか?

 7月27日より、『べしゃり暮らし』(テレビ朝日系)がスタートした。「M-1グランプリ」に出場するほどお笑い好きな森田まさのりが手掛けるマンガのドラマ化だ。吉本興業が揺れているこのタイミングで、お笑いを真正面から扱った作品が映像化されるというのも不思議な縁である。

第1話あらすじ 笑いのためには髪を剃り上げることも厭わない“学園の爆笑王”

 上妻圭右(間宮祥太朗)は幼い頃から人を笑わせることが大好き。笑いのためなら命懸けでなんでもやる“学園の爆笑王”だ。いつもの調子で、親友の子安蒼太(矢本悠馬)たちと昼の校内放送で軽快なトークを届けていた圭右の前に、関西出身の転校生・辻本潤(渡辺大知)が現れる。圭右は辻本の関西弁を聞くや否や、彼を放送に引き込んだ。すると、突然のアドリブにもかかわらず辻本が絶妙な掛け合いを披露し、全校中が大爆笑に。

 蕎麦屋を営む圭右の父・潔(寺島進)は、大の付くお笑い嫌い。かつては芸人の面倒を見ていたが、そのうちの1組「ねずみ花火」が店をけなすネタを行ったせいで客足は遠のき、外に働きに出た圭右の母・美津子(篠原ゆきこ)は過労で亡くなってしまった。このことが原因で、圭右がお笑いに打ち込むことを反対するようになる。

 辻本が元芸人だと知った圭右は、ライバル心を抱いて“打倒辻本”を掲げた。一方の辻本は、笑いを取るためには髪を剃り上げることも厭わない圭右に興味を抱く。そして、文化祭で行われる漫才コンテストに向けてのコンビ結成を圭右に持ちかけた。コンビ名は、「きそばAT(オートマティック)」。

 きそばATはコンテスト前に満足のいくネタを完成させる。しかし、他のコンビが2人のネタをパクリ、出番直前にそのまま披露してしまった。窮地に陥る2人だが、圭右は「適当にボケるから適当にツッコめ」と辻本にアドリブ漫才を提案。結果、会場は大爆笑に。実は観に来ていた潔も、2人の漫才に笑顔を見せた。コンテスト終了後、辻本は圭右に「本気で芸人を目指さないか?」と持ち掛けた。

連載当時とは受け入れられやすい笑いの形が変わった

『べしゃり暮らし』の連載が「週刊少年ジャンプ」(集英社)で始まったのは2005年。当時と比べ、世間にウケる笑いの質は変わった。例えば、ねずみ花火がテレビで店のことを「まずい」「汚い」とネタにし、そのせいで客足が遠のいたくだり。かつては芸人特有のイジりとしてよくある手法だったが、放送当日のSNSを見ると「人をディスる笑いは最低!」と拒否反応を示すツイートが多く見受けられたのだ。さらに、文化祭できそばATが披露した即興漫才の内容(文化祭で客が入らなかった展示をイジる)にも「そういう笑いで家族が傷付いたのに自分も同じことをしている」と非難の声が上がっている。

 どちらのネタも、原作の漫才をそのまま再現したものだった。時代によって受け入れられる笑いの形はこうも違うのかと突き付けられた感がある。お笑いを題材にしたドラマは、とかくデリケートで難しい。

 お笑いを題材にしたドラマは、笑いの再現も難しい。さまざまな映画やドラマで俳優が漫才師を演じるシーンを見てきたが、残念な出来になるケースは多い。漫才に演技力は必要だけれど、それでいて漫才と芝居は別物である(だから、2018年3月まで放送されたテレビ朝日『笑×演』はチャレンジングな番組だった)。

 今作では、間宮と渡辺が長尺の漫才に挑んでいる。当然、観ていて“アハハ!”と笑えるクオリティには達していなかった。難しいことはそもそもわかっていたし、プロ並みの出来を求めるのが酷というもの。今作で演出を務める劇団ひとりは、「お笑いナタリー」のインタビュー(19年7月27日)でこんな発言を残している。

「期待して観てくれる方もいると思うんですけど、たぶん笑えないと思います(笑)」

「今回お笑いのシーンをやるうえで『とにかくそれっぽく見える』というところまでは、どうしても上げたかったんです。それさえできたらいいと思いました」

『べしゃり暮らし』の漫才シーンでは、面白さよりも熱を感じたい。今作は人間ドラマとして観るべきストーリーだと思う。

「漫才でなくても『何かやりたい』という気持ちになってくれたら」(渡辺)

 辻本潤役を務める渡辺大知は「テレ朝POST」インタビュー(19年7月27日)で、こんな発言をした。

「今回のドラマは漫才に魅せられる若者の話ですけど、好きなものとかやりたいことにまっすぐな気持ち、熱量、かける想い、がむしゃらさが美しく映ればいいなと思いながら演じました。ドラマを見てくれた10代の人たちがアツい思いを持ってくれたら嬉しいですし、漫才でなくても『自分も何かやりたい』という気持ちになってくれたらいいなって思います」

 肩をぶつけ合いながら舞台の袖からセンターマイクへ駆けていく疾走感。王道ともいえる手法だが、ここに熱と青春を感じることこそ醍醐味だと思う。渡辺が間宮にコンビ結成を申し出、その後、一度は断った間宮が逆にアプローチをし返すくだりは恋愛みたいでソワソワしたものだ。

 キャスティングもいい。間宮は26歳で渡辺は28歳。両者とも高校生活から10年前後経過しているが、それでもキラキラしていた。間宮が持つ暑苦しさは圭右のキャラクターに合っているし、『火花』(Netflix)で売れないストリートミュージシャンを演じた渡辺が辻本役を務めるのも感慨深い。原作のイメージを壊さない配役だと思う。加えて今夜放送第2話では、辻本の元相方役として小芝風花が登場する。彼女の大阪府出身というパーソナリティが生きるか、要注目だ。

 近年、NSC(吉本総合芸能学院)の入学希望者は定員割れしているという。連載開始時には有効だった「芸人を目指す」という設定も、今はさほど共感を呼ぶものではなくなった。しかも、お笑いというジャンル自体が大きな局面を迎えている。だからこそ、意義あるドラマ版になってほしいと願っている。

(文=寺西ジャジューカ)