物議を醸したラブホテルと、記号化されたコンプレックス――『ダルちゃん』の“成長”とは

「ダルちゃんは、思いきり傷つく必要があった」

 

前編はこちら:「ジェンダー論の、少し先の話」――著者・はるな檸檬さんに聞く『ダルちゃん』執筆の背景

――スギタとダルちゃんのラブホテルでのシーンは、読む側にもダルちゃんの痛みがダイレクトに伝わり、衝撃的でした。

『花椿』担当編集 実はそのシーンは、リスク対策などの面から「企業の媒体で発信する内容にふさわしいかどうか」で、内部で議論になりました。そうした企業の思惑が表現の幅を狭めてしまう一因になりかねないところは、非常にもどかしいところなんですが……このときはるなさんに、「この表現を和らげる可能性はないか」とご相談させていただいたんです。

 するとはるなさんは、「ダルちゃんはおもいきり傷つかなければならないこと」、「その後、ダルちゃんは、初めて友達と呼べる人ができること」、「恋をすること」、「自分を表現することを知ること」、いろいろと乗り越えて最後には、「希望がある展開にするという考えがあること」をうかがいました。そして、「ダルちゃんは自分ではコントロールできないほど、すでに勝手に動き出し、物語を紡ぎ出していること」など、とても強くて熱い想いを聞き、弊社としては、はるなさんの創作する過程を邪魔してはならないと判断し、はるなさんと、命を得て動き出すダルちゃんに委ねました。

はるな そうなんですよね。仲良くなるつもりで登場させたサトウさんのことを嫌いになるしで、キャラが勝手に動き始めた最初のシーンでした。以前、講談社の担当編集さんから、「某有名漫画家先生が『キャラが勝手に動き始めると、物語が動くようになる』と言っていた」という話を聞いたことがあったんです。それを思い出し、「これがソレか」と。「じゃあ、思っていた流れとは違うけれど、ダルちゃんの動くままにやってみよう」と思っていたら、ホテルまでついていっちゃいました。

――ダルちゃんが恋愛をする相手のヒロセくんは足が不自由に描かれていますが、それも自然な流れでしょうか。

はるな これが正しい表現かはわかりませんし、もし当事者の方に失礼があったら、もう謝るしかないのですが、男性が持つコンプレックスを記号化するために、そうした描写になりました。これは当初から念頭にあった部分です。

――コンプレックスは「ダルちゃん」のテーマの一つであったと思います。登場人物それぞれに、象徴的なコンプレックスがあります。

はるな コンプレックスは、みんなにありますよね。みんな少し上を見ている。「あの人はいいな」と思って見ているその人にもコンプレックスはあって、不毛ですよね。美貌がある人でも学歴にコンプレックスがあったり、学歴がある人でも恋人がいる人にコンプレックスがあったり、不毛なことをみんながやっているし、わたしもやっていました。自分に持っていないものを眺めても仕方がないけれど、その不毛さから抜け出そうと思って抜け出せるものではないです。

 そうした、「このコンプレックスを含めて、いいかな」と思えるまでの過程を、ひとりの女性を通して描いてみたかったんだと思います。

――いち読者として、“スイッチ”を入れない状態のまま自立したダルちゃんを、立派だなと、憧れの目で見ました。

はるな 成長って、何かを足すことではないと思っています。「成長=何か荷物を持たなければ、何か付加価値をつけなければできないこと」だと思いがちですが、実は荷物を捨てることだったりするんじゃないのかなと。

――読者の反響の中には、自立したダルちゃんに対し、「結局、男性たちのお世話係になっている。女性はやっぱりそういう役割にならなきゃいけないのか」といった声がありました。

はるな そうしたご感想もいただくかな、と思っていました。でも「女性は」「男性は」というくくりを超えたところに、人それぞれ得手不得手があると思います。そのあたりをフラットにとらえて、「得意な人が得意なことをやればいい」となった時に、きっとこの子はこういうことが得意だろうな、と思ったので。自分の得意なことが誰かの役に立つ、それが仕事の本質だと思うんです。別に女性がやろうが男性がやろうが構わない、という前提で考えたら、「ダルちゃんが女性だからこういう役割である」ではなくて、「ダルちゃんが得意なことをやったら、こういう役割になった」というくらいのことです。男女平等の、その先の話というか。

 でも、どう読んでいただいても、世に出た時点で読者のものになるので、本当に自由にとらえていただきたいのが本音です。

――ダルちゃんはさまざまな経験や年齢を重ねて、表現の楽しさや自立を手に入れました。それは年齢を経て、誰もが会得できることなんでしょうか。

はるな 年齢を重ねた、その年数は関係ないと思います。ただ、年を取ると「負けを認める」「自分の弱みを受け入れる」ことが若い時よりもしやすくなると思う。もちろん人によりますが。若いうちにそれができればいいですが、若いと等身大の自分を見ることに、勇気がいりますからね。思っていた自分と違う自分を受け入れることって、すごくつらいから。

 年を取る、年齢を重ねるって、単純に挫折を味わう可能性が増えるということでもあると思っていて。わたし、挫折経験のない人にあまり魅力を感じないんですが、挫折がないと、本当に人生を理解できないんじゃないかと思うんです。挫折経験こそ、その人の魅力的な部分じゃない? くらいの。

――ヒロセくんもそうした描かれ方をしていたように思います。

はるな そうですね。でも結果的に、ヒロセくんが持つコンプレックスが、2人の仲を引き裂くことになってしまいましたが。そういえば、そんなヒロセくんについて、読んでくれた友達に、「ヒロセ、すげームカつく! ああいう、コンプレックスを売りにしている男っているよね! 別れ話の時、絶対引き止めてほしかったんだよ!」と言われてビックリしたことがありました(笑)。描いた本人も知らなかったヒロセくんの一面を知らされて、へえ〜そんな人だったの!? みたいな(笑)。読み手によって言うことがバラバラで、毎回驚きます。読み手の経験により、それぞれの感想が生まれるんだなと思いました。

――他には、登場人物のどんな知られざる一面を教わりましたか?

はるな サトウさんはわたしから見るといい人でしかないんですが、「サトウさんって、いやなとこあるよね?」みたいな感想もありました(笑)。みんなの中に、それぞれダルちゃんがいるんでしょうね。そう思うと、ダルちゃんはもう生きていて、わたしのコントロール下にいないんだろうなと感じます。

――最後に、単行本発売に際して、どんな方に読んでもらいたいですか?

はるな 若い女性に向けて描いたつもりではありましたが、連載中、意外と50代男性から感想をいただいたりして驚いたこともありました。なので、年齢や性別で区切らず、こうした感覚を共感できる人になら、誰でも読んでほしいです。ダルちゃんはもう、わたしの手から離れているので、どんな人がどんな感想を持っても、それぞれの解釈で楽しんでいただけたら、と思います。

(取材・文=有山千春)

 

はるな檸檬(はるな・れもん)
1983年宮崎県生まれ。2010年に宝塚ファンを題材にした『ZUCCA×ZUCA』(講談社)でデビュー。他に自身の読書遍歴を描いた『れもん、よむもん!』(新潮社)、出産体験を描いた『れもん、うむもん!』、宝塚ファンの夫婦を描いた『タクマとハナコ』(文藝春秋)など。

「ジェンダー論の、少し先の話」――著者・はるな檸檬さんに聞く『ダルちゃん』執筆の背景

 資生堂が運営する「ウェブ花椿」での連載開始からSNSを中心に話題となり、最終回を迎えた10月4日以降はさまざまな反響であふれかえった、漫画家・はるな檸檬さん初となるストーリーマンガ『ダルちゃん』。12月6日に小学館より単行本が全2巻で発売されることとなり、話題再燃が予想される中、「ジェンダー論?」「主人公は何かのメタファー?」「女性の幸せって結局なに?」などなど……読者が気になっているであろうことすべてを、はるなさんに聞いた。

 

――当初、花椿さんからどういった打診があったのでしょうか?

はるな檸檬さん(以下、はるな) 「20代女性に向けた、共感を得られるものを描いてほしい」と打診をいただき考えたのが、『ダルちゃん』でした。

――そのときから、プロットが出来上がっていたのでしょうか。

はるな いえ。ぼんやりと、「主人公は20代OLで、恋愛したり、友達ができたり。『ウェブ花椿』さんで詩の公募をしていたから、詩を絡めていきたい」という大筋はありましたが、あまり詳細なプロットはなくて。でも担当編集さんから「このあとどうなるんですか!?」とせっつかれることもなく、自由にやらせてもらいました。これから何が起こるかわからないまま原稿を受け取ってくださった花椿さんの、懐の深さを感じました(笑)。

 正直、不安もあったと思うんです。担当編集さんからは、『れもん、うむもん!』(※はるなさんの出産・育児エッセイ、新潮社)を読んでいただいたことが打診のきっかけだとおっしゃっていただいたこともあったし、わたし自身も、もうちょっとギャグも絡めた明るい話を描くつもりでいたんです。でも、勝手にこうなってしまった……というのが、正直な経緯です。

 当初は、笑いを含んだライトな“あるある”を散りばめた作風を意識していたというはるなさん。だが物語は、読者の深層をえぐる方向へと、舵を切る。

――どのあたりから方向性が変わったんですか?

はるな 2話目からですね。1話目は、もう少しライトな語り口で描くつもりでいました。だけどもともと、心の奥の方で、「オブラートに包まずに、言いたいことを言いたい」という本心があったんですよね。優しくふんわりと語りかける作風で、「気持ちが軽くなりました」と言っていただけるような表現も良いけれど、それだけでは伝わらないものもあるのでは、と思いまして。そうした本心が、2話目からどろりと出ちゃいました。それでも、担当編集さんは何も言わず受けに徹してくださって。本当にありがたかったです。

――主人公がOLで、その描写がリアリティにあふれるところも、読者に刺さった要因の一つかと思います。OLさんを取材されたのでしょうか。

はるな わたし自身、OL経験が3年間あるんです。漫画家のアシスタントと並行して、派遣で事務OLをしていました。書類をあちらの部署からこちらの部署へ移動させたり、お茶くみをしたり、給湯室でめっちゃふきんを洗っていました。

――当時の、言いたくても言えなかったことが、こうして湧き出たんでしょうか。

はるな 言いたいことを言えないのは言わずもがな、「社会に出て会社にいる」こと自体、不自然な状況じゃないですか。みんなやっていることですが、わたしは毎日、疲労感がすごくて。毎朝、いったんその空気になじむように、「その場で成り立つ自分」にスイッチングすることが、できないわけではないけど、結構しんどかった。

 たとえば、エレベーターで居合わせた人に、「今日はすごくいい天気ですね」なんてコミュニケーションを取ることは、社会を円滑に進めるひとつのテクニックだし悪いことではまったくないけど、すごく面倒くさかったんです。だからわたし、部署が2階にあって社員食堂が15階にあったけど、毎日お昼は階段で15階まで移動していましたからね。エレベーターで人に会うのが面倒くさすぎて(笑)。足腰が強くなりました(笑)。

――肉体的疲労感より、精神的疲労感が勝ったんですね。

はるな 体が疲れる方が楽でした。いい経験をさせてもらったけれど、「ずっと会社にいるのは、わたしには厳しい」と実感し、「家で仕事がしたい」と思ったことが、漫画を描き始めた理由のひとつでもあります。

――その“スイッチング”がつまり、ダルちゃんで言うところの“擬態”ですか?

はるな そうですね。いったん、何かのフリをしないと、ついだらっとした部分が出ちゃうといいますか。特にスイッチングの最たるものが、社会人1年目で経験した、求人広告の営業の仕事です。いわゆる「100軒回ってくるまで帰ってくるな!」というようなところ。アポなしで各店に入る前に、「ふー……!」と一呼吸置いて、スイッチングして、「しつれいしま――すっっ!」と、扉を開ける。これはすさまじくしんどかったですね。世の営業職の人はみんなこれをやっているんだというのを、身をもって体感しました。

 「ダルダル星人」が“擬態”した姿が、「ハケンOLマルヤマナルミ」として描かれる本作。メイクし、ストッキングをはき、通勤時にスマホで占いとニュースをチェックし、会社では社内ゴシップに参加するのが、“普通”だと、ダルちゃんは思っている。

――読者の反響の中には、「『ダルダル星人』は、発達障害のメタファーだ」といった声もありました。

はるな ダルちゃんの擬態前後の姿は、「自然」対「社会」とか、「感覚」対「概念」などのイメージを表現したものです。人には、動物として生きる本能と、人間として送る社会的生活の2本の柱があって、生まれたときはみんな「自然」だけど、社会に適応していく中で、人それぞれどちらかに強弱が寄っていくと思うんです。そうした感覚を記号化したのが、あの姿です。

 人ははるか昔から、社会に適応する時点で無理をしているといいますか、ぬるぬるしたものを無理やり四角い型の中に入れる作業を、強引にやってきたと思うんですよね。その際に“普通”って概念はすごく便利で楽なんですよ。「これが“普通”らしいから、この型に入っておけば楽じゃん!」と。でもその“普通”って実は、幻想なんじゃないのか?と。「普通の人」っていないよね、ていう。

 わたしが最初に“普通”という言葉を意識したのは、16歳くらいのときです。宇多田ヒカルさんがデビューして日本中が沸いていた頃、彼女と同じ年のわたしは、彼女のブログをよく読んでいました。そこにファンの女の子が残した、「ヒカルちゃんもそんなことを考えているんだ。ヒカルちゃんも普通の女の子なんだと思って、うれしかったです」というコメントに対して、宇多田さんが言及していたことがあったんです。「普通って、なに?」「普通ってそもそもなんなのか、考えたことある?」といったようなことを書いていて。

 インターナショナルスクールで育った彼女からしたら、まっとうな意見だったのかもしれませんが、当時、宮崎の田舎の高校生のわたしからすると、「なぜこれにそんなに反応したんだろう」と思って、それが強烈な印象として残っていたんですよね。

 擬態したダルちゃんが出会うのは、営業のスギタや、友達となる女性サトウさん、そして、のちに恋人となるヒロセくんたち。それぞれが印象的な言葉をダルちゃんに投げかけ、彼女とともに読者も揺さぶられる。なかでもスギタは、ダルちゃんを踏みにじる傲慢な人物として描かれており、似たような男性との遭遇経験のある読者も多いようで、特に反響を呼んだシーンの一つでもある。

――はるなさん自身も、スギタみたいな野郎と遭遇したことがあるんですか?

はるな うーん…なんていうか、ああいう人は別に、いつでもどこにでも、いくらでもいますよね。わたしがあの場面で描きたかったのって、たぶん「こういう男いるよね! 気をつけようね!」とかじゃなくて、女の子、もしかしたら男の子もですけど、弱者の立場にいて、さらに自己肯定感の低い人間が自分を守るつもりで逆のことをしちゃって、誰かに蹂躙(じゅうりん)されてしまうまでの流れを可視化したかったというか。具体的に何が起こっているのかをみんなで共有したい、みたいな感じです。男性批判とかでもない。スギタさんが女性でダルちゃんが男性でも、同じことは起こり得ますし。

 実は本作を描くにあたり、あるひとりの女性を念頭に置いたんです。わたしより少し若いくらいの女の子で、恋愛相談を聞いたのですが「セフレがころころ変わる生活をしていて、友達に30歳になったから、同じようなことはしていられないよとか言われるんです……。でも自分は別に困ってはいないしー、男落とすのってゲームみたいで面白いじゃないですか、コレクション増えたみたいな(笑)」とか話していて、こちらが何を語りかけてもまったく響かない子で。自分以外の誰かを大切にするとか、それ以前に自分を大切にするといったことが欠落している感じで。

 そんな中で、一緒に話を聞いていた年上の女性が、とても鋭いことをおっしゃったんです。「それは肉体的に負荷がかかる行為だと思うけど、それを繰り返さなきゃいけない今のあなたの状況は、わたしから見ると自傷行為に近い」と。それを聞いても彼女は、「ほおー」なんて言うだけで。いくら言葉を尽くしても、かみ合わなかったんですよね。

 そういったことが、ずっと頭に残っていたんです。彼女に、何をどう伝えればよかったんだろう、と。人間、生きる中でもっともつらいことは、自分と向き合うことだと思うんです。見たいように物事を見ると、現実よりもちょっとよく見える、けれどそんな自分の本質を真正面から見るのって、すごく怖いですよね。彼女の話を聞いていると、幼少期から他人と比べられ続けて劣等感を植えつけられる経験があったようでしたが、ダルちゃんも、幼少期から自分を否定されることで、「自分を否定されたくない」という思いが強すぎて、スギタを好きになろうとしたんだと思うんです。

 こうしたシーンを描いて、若い女性が俯瞰でダルちゃんの姿を見ることで、「不誠実さが自分自身に向かうことの残酷さ」を伝えたい、という気持ちがありました。

(後編に続く・12月6日更新予定)

「ジェンダー論の、少し先の話」――著者・はるな檸檬さんに聞く『ダルちゃん』執筆の背景

 資生堂が運営する「ウェブ花椿」での連載開始からSNSを中心に話題となり、最終回を迎えた10月4日以降はさまざまな反響であふれかえった、漫画家・はるな檸檬さん初となるストーリーマンガ『ダルちゃん』。12月6日に小学館より単行本が全2巻で発売されることとなり、話題再燃が予想される中、「ジェンダー論?」「主人公は何かのメタファー?」「女性の幸せって結局なに?」などなど……読者が気になっているであろうことすべてを、はるなさんに聞いた。

 

――当初、花椿さんからどういった打診があったのでしょうか?

はるな檸檬さん(以下、はるな) 「20代女性に向けた、共感を得られるものを描いてほしい」と打診をいただき考えたのが、『ダルちゃん』でした。

――そのときから、プロットが出来上がっていたのでしょうか。

はるな いえ。ぼんやりと、「主人公は20代OLで、恋愛したり、友達ができたり。『ウェブ花椿』さんで詩の公募をしていたから、詩を絡めていきたい」という大筋はありましたが、あまり詳細なプロットはなくて。でも担当編集さんから「このあとどうなるんですか!?」とせっつかれることもなく、自由にやらせてもらいました。これから何が起こるかわからないまま原稿を受け取ってくださった花椿さんの、懐の深さを感じました(笑)。

 正直、不安もあったと思うんです。担当編集さんからは、『れもん、うむもん!』(※はるなさんの出産・育児エッセイ、新潮社)を読んでいただいたことが打診のきっかけだとおっしゃっていただいたこともあったし、わたし自身も、もうちょっとギャグも絡めた明るい話を描くつもりでいたんです。でも、勝手にこうなってしまった……というのが、正直な経緯です。

 当初は、笑いを含んだライトな“あるある”を散りばめた作風を意識していたというはるなさん。だが物語は、読者の深層をえぐる方向へと、舵を切る。

――どのあたりから方向性が変わったんですか?

はるな 2話目からですね。1話目は、もう少しライトな語り口で描くつもりでいました。だけどもともと、心の奥の方で、「オブラートに包まずに、言いたいことを言いたい」という本心があったんですよね。優しくふんわりと語りかける作風で、「気持ちが軽くなりました」と言っていただけるような表現も良いけれど、それだけでは伝わらないものもあるのでは、と思いまして。そうした本心が、2話目からどろりと出ちゃいました。それでも、担当編集さんは何も言わず受けに徹してくださって。本当にありがたかったです。

――主人公がOLで、その描写がリアリティにあふれるところも、読者に刺さった要因の一つかと思います。OLさんを取材されたのでしょうか。

はるな わたし自身、OL経験が3年間あるんです。漫画家のアシスタントと並行して、派遣で事務OLをしていました。書類をあちらの部署からこちらの部署へ移動させたり、お茶くみをしたり、給湯室でめっちゃふきんを洗っていました。

――当時の、言いたくても言えなかったことが、こうして湧き出たんでしょうか。

はるな 言いたいことを言えないのは言わずもがな、「社会に出て会社にいる」こと自体、不自然な状況じゃないですか。みんなやっていることですが、わたしは毎日、疲労感がすごくて。毎朝、いったんその空気になじむように、「その場で成り立つ自分」にスイッチングすることが、できないわけではないけど、結構しんどかった。

 たとえば、エレベーターで居合わせた人に、「今日はすごくいい天気ですね」なんてコミュニケーションを取ることは、社会を円滑に進めるひとつのテクニックだし悪いことではまったくないけど、すごく面倒くさかったんです。だからわたし、部署が2階にあって社員食堂が15階にあったけど、毎日お昼は階段で15階まで移動していましたからね。エレベーターで人に会うのが面倒くさすぎて(笑)。足腰が強くなりました(笑)。

――肉体的疲労感より、精神的疲労感が勝ったんですね。

はるな 体が疲れる方が楽でした。いい経験をさせてもらったけれど、「ずっと会社にいるのは、わたしには厳しい」と実感し、「家で仕事がしたい」と思ったことが、漫画を描き始めた理由のひとつでもあります。

――その“スイッチング”がつまり、ダルちゃんで言うところの“擬態”ですか?

はるな そうですね。いったん、何かのフリをしないと、ついだらっとした部分が出ちゃうといいますか。特にスイッチングの最たるものが、社会人1年目で経験した、求人広告の営業の仕事です。いわゆる「100軒回ってくるまで帰ってくるな!」というようなところ。アポなしで各店に入る前に、「ふー……!」と一呼吸置いて、スイッチングして、「しつれいしま――すっっ!」と、扉を開ける。これはすさまじくしんどかったですね。世の営業職の人はみんなこれをやっているんだというのを、身をもって体感しました。

 「ダルダル星人」が“擬態”した姿が、「ハケンOLマルヤマナルミ」として描かれる本作。メイクし、ストッキングをはき、通勤時にスマホで占いとニュースをチェックし、会社では社内ゴシップに参加するのが、“普通”だと、ダルちゃんは思っている。

――読者の反響の中には、「『ダルダル星人』は、発達障害のメタファーだ」といった声もありました。

はるな ダルちゃんの擬態前後の姿は、「自然」対「社会」とか、「感覚」対「概念」などのイメージを表現したものです。人には、動物として生きる本能と、人間として送る社会的生活の2本の柱があって、生まれたときはみんな「自然」だけど、社会に適応していく中で、人それぞれどちらかに強弱が寄っていくと思うんです。そうした感覚を記号化したのが、あの姿です。

 人ははるか昔から、社会に適応する時点で無理をしているといいますか、ぬるぬるしたものを無理やり四角い型の中に入れる作業を、強引にやってきたと思うんですよね。その際に“普通”って概念はすごく便利で楽なんですよ。「これが“普通”らしいから、この型に入っておけば楽じゃん!」と。でもその“普通”って実は、幻想なんじゃないのか?と。「普通の人」っていないよね、ていう。

 わたしが最初に“普通”という言葉を意識したのは、16歳くらいのときです。宇多田ヒカルさんがデビューして日本中が沸いていた頃、彼女と同じ年のわたしは、彼女のブログをよく読んでいました。そこにファンの女の子が残した、「ヒカルちゃんもそんなことを考えているんだ。ヒカルちゃんも普通の女の子なんだと思って、うれしかったです」というコメントに対して、宇多田さんが言及していたことがあったんです。「普通って、なに?」「普通ってそもそもなんなのか、考えたことある?」といったようなことを書いていて。

 インターナショナルスクールで育った彼女からしたら、まっとうな意見だったのかもしれませんが、当時、宮崎の田舎の高校生のわたしからすると、「なぜこれにそんなに反応したんだろう」と思って、それが強烈な印象として残っていたんですよね。

 擬態したダルちゃんが出会うのは、営業のスギタや、友達となる女性サトウさん、そして、のちに恋人となるヒロセくんたち。それぞれが印象的な言葉をダルちゃんに投げかけ、彼女とともに読者も揺さぶられる。なかでもスギタは、ダルちゃんを踏みにじる傲慢な人物として描かれており、似たような男性との遭遇経験のある読者も多いようで、特に反響を呼んだシーンの一つでもある。

――はるなさん自身も、スギタみたいな野郎と遭遇したことがあるんですか?

はるな うーん…なんていうか、ああいう人は別に、いつでもどこにでも、いくらでもいますよね。わたしがあの場面で描きたかったのって、たぶん「こういう男いるよね! 気をつけようね!」とかじゃなくて、女の子、もしかしたら男の子もですけど、弱者の立場にいて、さらに自己肯定感の低い人間が自分を守るつもりで逆のことをしちゃって、誰かに蹂躙(じゅうりん)されてしまうまでの流れを可視化したかったというか。具体的に何が起こっているのかをみんなで共有したい、みたいな感じです。男性批判とかでもない。スギタさんが女性でダルちゃんが男性でも、同じことは起こり得ますし。

 実は本作を描くにあたり、あるひとりの女性を念頭に置いたんです。わたしより少し若いくらいの女の子で、恋愛相談を聞いたのですが「セフレがころころ変わる生活をしていて、友達に30歳になったから、同じようなことはしていられないよとか言われるんです……。でも自分は別に困ってはいないしー、男落とすのってゲームみたいで面白いじゃないですか、コレクション増えたみたいな(笑)」とか話していて、こちらが何を語りかけてもまったく響かない子で。自分以外の誰かを大切にするとか、それ以前に自分を大切にするといったことが欠落している感じで。

 そんな中で、一緒に話を聞いていた年上の女性が、とても鋭いことをおっしゃったんです。「それは肉体的に負荷がかかる行為だと思うけど、それを繰り返さなきゃいけない今のあなたの状況は、わたしから見ると自傷行為に近い」と。それを聞いても彼女は、「ほおー」なんて言うだけで。いくら言葉を尽くしても、かみ合わなかったんですよね。

 そういったことが、ずっと頭に残っていたんです。彼女に、何をどう伝えればよかったんだろう、と。人間、生きる中でもっともつらいことは、自分と向き合うことだと思うんです。見たいように物事を見ると、現実よりもちょっとよく見える、けれどそんな自分の本質を真正面から見るのって、すごく怖いですよね。彼女の話を聞いていると、幼少期から他人と比べられ続けて劣等感を植えつけられる経験があったようでしたが、ダルちゃんも、幼少期から自分を否定されることで、「自分を否定されたくない」という思いが強すぎて、スギタを好きになろうとしたんだと思うんです。

 こうしたシーンを描いて、若い女性が俯瞰でダルちゃんの姿を見ることで、「不誠実さが自分自身に向かうことの残酷さ」を伝えたい、という気持ちがありました。

(後編に続く・12月6日更新予定)