宗教2世の私が、信者の親からもらった手紙――「話し合ったら最後」と思っていた父と和解できたワケ

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――サイゾーウーマンで昨年、短期連載された「となりの脱会くん」。その筆者である「脱会くん」ことライター・DJ2世は、いまだかつてないほど「宗教2世」問題がクローズアップされたこの1年、自分が2世信者としての苦しみをどう乗り越えたかを、あらためて振り返ってみたという。無断で宗教を脱会してから、断絶していた親と、どう和解したのか。今回、寄稿いただいた。

(前編はこちら)

カルト宗教の信者である親から、ポストに怪文書が!

 親との対決が差し迫る頃、一人暮らしの自分の家のポストに1通の手紙が入っていた。差出人を見ると、父親の名前があり、私は覚悟を決めて封を開けた。父親は昔から言いたいことを私に直接言わず、手紙にしたためて一方的に自分語りをする習性があった。中には便箋が5枚ほど入っていた。父からの反撃である。

 読んで気分はよりどん底に。善意100%で書かれたものであろうが、「宗教2世であることがつらい」と言っている子どもに、宗教の道理で励ます文章をよこすとは……。やはりこの人たちとは分かり合えない。話し合ったら最後、もう二度と顔を合わせることはないだろうと覚悟を固めた。

ついに直接対決! オイラの人生はどうなっちまうんだい?

 ついに下宿先に父親がやって来た。話し合いなんていつぶりだろう。久しぶりに会ったが父親はまったく変わっていない。顔を合わせた瞬間から、涙をずっとこらえていたが、話し始めると同時にあふれてしまった。状況を聞かれた私は、ずっと宗教を信じてこなかったこと、宗教と触れている時間がずっと苦痛だったこと、限界を迎えて脱会してしまったこと、脱会してからもずっと生きづらいということを伝えた。

「そうか〜、大変だったね」

 父親の返答は意外にも穏やかだった。

「お前が霊的なものを求めていると思っていたから、今までそうしてきた。そんなことを考えていたなんて知らなかった。申し訳ない。これからできるだけ埋め合わせはさせてほしい」

 父親が言うには、信仰心の強い2人の子どもなのだから、息子もそんな家庭を望んで産まれてきてくれた存在なのだと信じて疑わなかったとのこと(何だそれ)。それが違うのだとわかれば、信仰を強制することはしない。その言葉を裏付けるように、それからは、お互いの思想に関して触れることなく、いち親子として接していくことになった。

 衝撃だったのが、うちの親はこんなにもちゃんと話し合いができるのだということ。てっきり宗教を否定したら、ブチギレて会話が成り立たなくなると思い込んでいた。親の中の優先度が「宗教<子ども」だとは考えてもいなかった。自分の不安をよそに、話し合いはスムーズに進み、あっけなく終わった。直接話すと意外と大丈夫だった。

 父親の言う「埋め合わせ」をどうしていくのがいいのか、お互いよくわからず、とりあえず定期的に一緒に晩ごはんを食べたり、一緒に映画を見に行くようになった。そうするとあら不思議、急速に自分のメンタルが安定していくのを感じた。深く落ち込むこともなくなり、周りの友達と比べることも急にしなくなった。何というか、生活に最低限度の自己肯定感を手に入れたような感覚があって、こんなに単純だったのかというぐらい、人生が驚くほど良い方向に進み始めたのである。

 それから大学を卒業して社会人になり、今や宗教で悩んでいた過去は遠い昔のことになりつつある。おかげで徐々にやりたいことが見え始め、そこから初めて自分の人生を歩めるようになった気がしている。あの時、親にヒステリックなメールを送ったこと(前編のURL)が、自分の長い宗教への苦悩をあっさり終わらせてしまったのだ。

 また、話し合いをしてから、親も少しずつ変わっていった節があった。それまで自分の理想を子どもに投影していたが、ようやく「子どもには子どもの人生がある」ということを理解したのだと思う。親自身の未熟さというものにも気づけた。確かに世に言う子育て法はたくさん出回っているけど、2世の子育て法なんてどこにもないものね。

 今でも親と話していると<この人やっぱりやべ〜>と思うことはたくさんあるが、お互いの考え方には干渉しないと決めているので口出ししない。また親も、宗教的にはてなマークが浮かぶようなことを私がしても、極力言わないようにしてくれている。いまだに昔送りつけてきた怪文書を見ると血が沸騰するような感覚になるし、物心のつく前から、子どもに思想を強制するなんてやはり恐ろしいなと思うが、まあ私と親はあのときお互いある程度納得のいく“及第点”を見つけられたということだ。

宗教が介在する人間関係は特殊――私にとっての「苦しみ」の根っこ

 私が気づいたのは、物心ついた頃から苦しんできた自分の悩みは、宗教によって生じた親子のすれ違いだったのだということ。

 親は宗教のせいで私が信仰を望んでいるとずっと勘違いをしていたし、私は宗教のせいで親に話が通じるはずがないと思い込んでいた。我々親子はあの瞬間まで、本当の意味でのコミュニケーションを取ってこなかったことを痛感させられた。

 宗教が介在する人間関係というのは、こと日本ではやはり特殊で、信仰という強いつながりがある一方、宗教抜きで、いち人間同士として接するのを怠ってしまうことは多いように思う。たとえそれが親子の仲であっても、である。2世の親たちへ、子どもは信仰がなくてもあなたの子どもなのよ! 大事にしてくださいね!

 それまで私は、悩みを取り払うためにいろいろなことをやってみた。例えば、カウンセラーに相談してみたり、SNSで謎の「宗教2世アンチ垢」を作って延々と愚痴を吐いてみたり……しかし心が晴れることはほとんどなかった。

 そんな紆余曲折を経て、結局、親との話し合いであっさり解決してしまったのは自分の中でかなり驚きだった。また何より親が“話し合えるタイプ”だったことは、とても運が良かったと感じている。

 もちろん皆が同じ方法で解決できるとはまったく思わない。だが、「信者である親に話が通じるはずがない」という思い込みを、思い切って一度捨ててみることで、親子関係に何か新たな変化が訪れる可能性もあるということを、ここで伝えたい。

 また、解決することは難しくても、親の言動に対し、「これは宗教による思い込みではないか」という視点を持つことで、より俯瞰して自分の悩みを見ることができ、気持ちが軽くなる人はいるのではないか……。そんなささやかな願いを込めて、この記事を書かせていただいた。やはりメディアでは教団や被害者のショッキングなエピソードを伝えがち。こんな地味な体験談はなかなか見かけないが、何か悩んでいる人のヒントになれば幸いである。

宗教2世問題がクローズアップされた1年、脱会した私が感じたワイドショーへの違和感

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――サイゾーウーマンで昨年、短期連載された「となりの脱会くん」。その筆者である「脱会くん」ことライター・DJ2世は、安倍晋三元総理銃撃事件により、この1年、いまだかつてないほど「宗教2世」問題がクローズアップされた状況をどう見ていたのか。今回、寄稿いただいた。

旧統一教会問題で宗教2世界隈に緊張が走る!

 平穏というのは長く続かないものである。宗教を離れてはや数年、悩んでいた過去は今となっては他人の記憶のよう。どうかこのままで……と毎回願うのだが、ふとした瞬間に自分が2世だったことを思い出す出来事が、定期的にやって来る。それは身の回りで起こる出来事であったり、SNSや報道で目にするものだったりする。

 そんな中、世間を騒がせる大きな事件が起こる。昨年7月の安倍元総理銃撃事件である。この事件は、元首相が亡くなるというショッキングな内容であったことに加えて、全容が明らかになるにつれて、政治と宗教、とりわけ宗教2世の問題が取り沙汰されていくことになった。この約1年間は、この宗教2世問題が、今まで類を見ないほどクローズアップされた。今回はこれらの報道に対して、宗教2世である自分がどんなことを感じたのかをつづってみようと思う。

「なんか、2世ですいません」報道を見ていて湧いてきた思い

 不謹慎に感じられたらすみません。「あぶね〜〜〜!!!」第一印象はこれに尽きる。自分がまさに2世として悩んでいる最中だったり、敬虔に信じている人だったりしたら、とても耐えられなかっただろう。自分はもう2世としての悩みをある程度乗り越えられていたから良かった。

 ただ、最初は他人事のように報道を見ていてたのに、ふとつらかった記憶を思い出し胸が痛んだ。なんか、2世ですいません。そんな思いが湧いてきた。

 とはいえ2世問題がようやく取り沙汰されるようになったのはとても良いことだと思うので、これは自分にとって、ムダな痛みではないのかもしれないと気持ちを切り替えた。日本社会が発展する成長痛、もっとやっちゃってください。

 ずっと報道を見ていると、「教義」や「信者の献金事情」を紹介するくだりがあるということがわかった。「メシアの再臨が……」「教団には、絵や呉服などを購入することで、喜んで“献金する”という文化がある」などなど。ときに、実際に信じている人をスタジオに呼んで、教義はどんなものか質問したりする。視聴者は「洗脳って怖いな」なんて思ったりしているのだろうか。

 私は正直、「この時間いる?」と思った。

 というのも、カルトと呼ばれる宗教は、たいてい教義のロジックよくわからないからね? どこもお金を集めるための仕組みというのは必ずあるよ? そもそもすごく歪なもので、弱者を助けるという側面だけではないのがカルト宗教なのに。

 なので、なぜそれを今さら熱心に報じているのか不思議に思ってしまったのだが、意外と知らない人がいるのだな……だからこういった報道のされ方をするのだな……と自分と、世間の感覚のギャップを感じてしまった。元2世としては、そういった内容より、これからどうすべきかを話し合ってくれ〜という思いが先に立ちました。

宗教2世の苦しみを乗り越えた人は取り上げないワイドショー

 そしてついに報道では、現役の2世信者が登場しだした。彼らは今まで自分がどんな仕打ちを受けてきて、それがいかにつらかったかを口にする。わかる、わかるぜそのつらさ……! 最初の頃は共感していたのだが、そのうち、別のことが気になるようになった。

 つらい経験を話す人は何度も登場するのだが、ワイドショーやニュース番組には、それを乗り越えた人が全然出てこないのだ。親と和解した人や、社会人になって宗教からフェードアウトしていった者、本当は信じていないけれど親の手前だけ信じるふりをして何とか乗り切っている者……。

 2世の悩みの解決方法はまさに千差万別なので、そういったトピックこそ今悩んでいる人が必要としている気がする。確かに「社会人になってフェードアウトしていくうちに悩まなくなりました」では、一般の人は面白くないかもしれないが……。どの報道もそういった視点が抜け落ちていたのは少し残念だった。

せっかくなので、自分がどう乗り越えたかを語りたい

 というわけで、前置きが長くなってしまったが、自分がいかにして2世の悩みを解決したかを書いていきたいと思う。自分の2世としての人生の中で、1番のターニングポイントはなんだったのかというと、それは“親と初めてきちんと向き合う”ことだった。これは以前、「となりの脱会くん」で書いた内容の後日譚である。恐ろしく個人的な内容になってしまうのだが、もし誰かの参考になればうれしい。

 大学生の頃、私は大学に通うため実家を離れて、すぐ無断で宗教を脱会するというパンクな行動を取ってしまい、親との関係が険悪になってしまった。連絡は必要最低限になり、養われている身分のくせに、気づけば約3年、親の顔も見ないようになっていた。

 いざ宗教から離れ、晴れて自由の身だ〜! と意気込んだのだが、いざ大学生活が始まると、周囲の人たちは、それまで接していたコミュニティの人たちとは“層”が違ったせいか、なかなかなじめなかった。むしろ親との関係で悩むこともなく、学業にバイト、恋愛に勤しんでいる周りのキラキラ大学生の姿を見て、「自分は何かが違うのだ」と強く感じるようになった。

 しかも脱会したせいで、教団内の友達とのつながりも必然的に切れてしまい、親にも相談できない。ザ・孤独! 自分の人生は、皮肉にも宗教の上で成り立っていたのだということを実感した。この頃はよく夜に下宿先で泣いていた記憶がある。

 大学生なのでムダに時間があるわけだが、私はそれまで宗教から逃れることばかりを考えていたので、自分のやりたいことなんて見当もつかなかった。「自分が疑問さえ持たなければ」と思うこともあった。親の言うことに素直に納得して、敬虔な2世信者でいられたら幸せだったのかな〜とパラレルワールドの自分に思いを馳せるのは、2世あるあるではなかろうか。

脱会した2世、恋人に「そんな親がいる人と結婚なんてできないから!」と振られ……

 そんな自分も時間をかけてようやく理解してもらえる友人を数人見つけ、メンタルも安定し始めた頃、とんでもなく“ありきたり”な事件が起こる。こんなこと、人様に読んでいただくような内容ではないのかもしれないのだが……恋人に振られたのである。

 なんせ初めてできた恋人だったので、ひどく落ち込んだのだが、別れ際「そんな親がいる人と結婚なんてできないから!」と家庭環境をイジられたのである。今思えば、単なる痴話げんかに過ぎないのだが、それもそうだな……と思い、やけに落ち込んでしまった。

 もういろいろと限界だった私はふと思い立ち、親にメールを送ることにした。全てあんたらのせいだ……! という気持ちを込めた呪詛のようなメールである。そうすると父親から「一度話し合おう」という内容のメールが返ってきた。2週間後、父親と久しぶりに会うことになった。思えば私は2世であることへの不満を親に打ち明けたことは、それまで一度もなかった。そして……まさかの次回に続く!

(後編へつづく)

カルト宗教を脱会した日、私は『アルマゲドン』の主人公になった。親との関係は“世紀末”に、でも「辞めてよかった」ワケ

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。

 これは青春の1ページ――私はとあるカルトと呼ばれる宗教の元2世信者である。子どもの頃から熱心な宗教教育を受けていたのだが、心の底ではまったく洗脳されずうんざりしていたので、大学生になって一人暮らしを始めたら、脱会すると心に決めていた。

 きっと読んでくれている皆さんの中には、宗教から脱会したくて悩んでいる方もいることだろう。今回は、鳥かごの外に見える大空に憧れ続けながら過ごした私の青春と、その顛末である。

◎「DJ2世 a.k.a 脱会くん」少年〜高校時代

 高校時代、私は“限界”を迎えていた。

 嘘と詭弁ばかり言う大人たちと、どんどん洗脳されロボットのようになっていく友人たち。振り返れば、どれほどの時間を宗教に奪われてきたのだろう。オレの人生、うさんくさい時間が長すぎる。今ならまだやり直せるはず! 

 この頃の私は、もはや宗教にではなく、脱会に一縷の希望を抱いていた。

 宗教を脱会することは、これまで属していた信者コミュニティとの決別を意味している。子どもの頃からそういったコミュニティに出入りしていたので、気づけば携帯の電話帳には信者の知り合いばかり。仲のいい知り合いの信者とも会えなくなるのだ。本当に一人でやっていけるのか……不安は尽きない。

 何より、自分が脱会すると、親が悲しむだろうと思った。実は私は生まれてからずっと、その宗教を信じているフリをし続けていたので、親からすれば、脱会なんて寝耳に水。そんな“爆弾”を家庭内に持ち込むのは、大問題だろう。

 断っておくが、カルト宗教2世の脱会者には、自分の親が嫌いな人もいるが、私は実は親が大好きである。そこらへんうまくやってきた。1世の大人たちは、とにかくおかしな人もたくさんいたが、私の親はまだマシなほうというか、至極善人で、騙されやすい人という印象である。脱会して騙し討ちしてしまうことには、恐ろしいほど気が引けた。だが仕方がない、我々は信じているものが違うのだから……!

 その頃、ブルーハーツばかり聞いて「自由」に感化されていた自分自身を、私は止めることができなかった。

◎深い理由はないが、バレない気がした

 ついに私は大学生になり、一人暮らしを始めた(親の金で)。宗教と距離を取った生活をしているうちに、だんだん「名前だけ残しておいて、脱会しなくてもいいのでは?」という気もしてきたが、そもそも脱会したら親にわざわざ確認の連絡がいったりするものなのだろうか?

 宗教内の気の許せる友達数人に「脱会したらバレるのかな?」と質問をしてみたところ、全員「バレないっしょ。もしバレるなら皆脱会できなくなっちゃうじゃん」とのことだった(自分もなぜかその感覚であった。「親に連絡するなんて、ひどいことをするところではないだろう」と感じていただけで、深い理由はない)。

 なるほど、それもそうか。もしバレないのであれば、やってしまったほうがいい。脱会方法はネットで調べたところ、FAXを送るだけでできるとのこと。脱会通知書のテンプレートも、ネットからダウンロードした。ほかにも内容証明を送るなどの方法があるようだったが、面倒そうなのでやらなかった。

 こうして私は脱会する計画を立てた。20歳の誕生日を迎える前日に脱会をし、20代になった私が朝日を浴びる時、私はまっさらな人間になる!

◎ついに決行

 決行日当日、USBメモリを握りしめた私は、宗教の有名施設の近くのコンビニにいた。あの使い方がよくわからないコピー機からUSBに保存していた脱会通知書をプリントアウトし、署名と捺印をした(その場でやるスタイル)。

 コピー機の使い方に四苦八苦しながらも、FAX機能で電話番号を打ち込み、もうやっちまえと半ばヤケクソ気味に送信ボタンを押した! それはまるで映画『アルマゲドン』で核爆弾のスイッチを押す主人公・ハリーのようだった。

 正直FAXを1枚送信しただけなので、達成感など何もなかったが、その後、宗教施設の前で自分と脱会通知書との記念写真を何枚か撮り、私は帰路に就いた。

 その後ハイになった自分は、ドサドサと宗教グッズを捨てた。そして気分がよくなった自分は、眠りについた。20歳の朝を迎えた日、少し大人になれた気がした。親から、誕生日おめでとうメールが届いていたのが少し切なかった。

◎その後、急展開――

 しかし事態は急展開を迎える。脱会して2日後、親から「脱会したと聞きました」という旨のメールが届いた。なんと綿密な市場調査(ガバガバ)を行って一大決心をしたのにもかかわらず、2日でバレたのである!

 そのメールは「このような結果になって悲しいです。相談してくれたらよかったのに」みたいな内容のものだった。「そうだよね……」と思いつつも、この件ばかりはいくら言っても親とはわかり合えないだろうし、「この期に及んで、そんなことしか言えないのか」と、ちょっとイラッとした。

 そこで何らかの返信をすればよかったものの、一切しなかったので、その後、私と親の仲は“世紀末”の様相を呈するようになる。そのわだかまりが解けるのはそれから約3年後のことである。結構、時間がかかった。

◎脱会を振り返ってみて。親バレについて思うこと

 人に歴史ありというが、あらためてこうして文字に書き起こすと、なんだか、「ノリで行動しすぎ」「親に迷惑かけすぎ」のただのクソ野郎じゃないかと思った。

 しかし、自分の人生を考えると、やってよかったのかな? と感じている。なぜなら、こんなふうに大胆に行動しないと、絶対にあの生活から完全に抜け出すことはできなかったと思うからだ。ずっと宗教とつかず離れずの生活をしていただろう。

 また不本意ではあったが、実は親バレしてしまったのもよかった。その後、親と話し合い、お互いに信仰するしないの違いはあれど、「それぞれの道を尊重する」という結論に至る、大きな足がかりになったからである。あの段階で自分が信仰していないことが親に伝わったことで、強制的に話し合う機会を設けなくてはいけなくなった。2世信者にとって、「信仰していないこと」をカミングアウトするのが、実は一番ハードルが高いものなのである。あのとき親にバレていなかったら、いまだに自分は、それを隠して生活していたのかもしれない。

 それに脱会してしまうと、もう「いったれ!」という気持ちになり、電話帳から信者の連絡先を全て消したり、家に埃ひとつも残らないまで宗教グッズを捨てたりするのも、気負わずできるようになる。宗教を辞めたい、距離を置きたいと悩んでいる人には、視界に宗教なものが一つも入ってこない生活を、ぜひ一度は体験してもらいたいものだ。

◎脱会するなら計画的に!

 「脱会して、大きく変わったことって何?」この体験談を人に話すと、よく聞かれる。「信仰していない宗教から解放された」と、心から言えること以外でよかったのは、正直、「毎月徴収されていた少額のお金を払わなくてもよくなったこと」くらいだろうか。対して、家族や友人たちを捨てなくてはいけないという惨憺たる面があるのも事実だ。

 確かに、親元を離れて、教団に名前だけを残した状態で、プライベートでは宗教と距離を取ってさえいれば、脱会しなくてもいいという考えもあるのかもしれない。しかし親との縁はこれからも続くし、ふとしたことで、「自分の人生は一体なんなんだ!」と、自分が信じていないカルト宗教に関わり続けているコンプレックスに押しつぶされ、苦しくなる瞬間は何度もあることだろう。だからやっぱり、脱会することのメリットは大きいと思う。

 ただ、もし今、昔の自分と同じように、無計画にいきなり脱会しようとしている学生の2世信者がいるとしたら、親から生活の支援を断ち切られたりするパターンもあるので、オススメできない。私がこのやり方で成功したのは、親が比較的常識のあるほうだったからだ。宗教のことしか目に入っていない1世信者は、何をするかわからない。もし脱会するなら、就職して独り立ちしたタイミングがベスト。そのために学生のうちから準備をしておくといいと思う。

  そして、私は自分の今世の人生を賭して、脱会したら普通に周りにバレるということを明らかにしたが、脱会通知書を送る際は、自爆する覚悟をきちんと固めてFAXの送信ボタンを押してみよう。『アルマゲドン』のようにハッピーエンドになるかもしれない(映画だと主人公、死にますが……)。無事を祈っています。

【バックナンバー】
「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ
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「スピリチュアル大喜利」開幕に困惑! 元2世が語る、カルト宗教信者に「説教された思い出」
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「スピリチュアル大喜利」開幕に困惑! 元2世が語る、カルト宗教信者に「説教された思い出」

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。

 スピリチュアルな人々には、スピリチュアルな理論が存在する。

 2世信者という境遇で生まれてきた我々は、周りの大人たちのその独特な理論にどう対峙してきたのか。今回は、そんな2世信者ならではの不思議な体験を紹介する

◎高校生の頃の変な思い出……仲良し3人組、おじさんに呼び出される
 これは私が高校生の頃、親が信仰していた宗教のイベントで起こった出来事である。私は当時よくつるんでいた、信仰心薄めの友達2人と一緒にいた。

 登場人物は、以下の通りだ。

 同い年仲良し3人組。みんな総じて信仰心がほぼない。Zさんは、サラサラヘアーな中年の信者。

 宗教イベントなので、もちろんお祈り的なことをする時間があるのだが、我々3人組はダラダラしているので、意図的ではないものの、席に着くのがほんの数秒遅れてしまった。会場内はざわざわしていたので、目立った行動ではなかったが、そこに目を光らせていたのが、このZさんというお時さんである。

 このZさんは教団の関係者で、一見すると優しそうだが、その半面、熱血漢なところがあり、謎の正義感が働くと、すぐに若者を呼び出す面倒くさい奴である。スピリチュアルな上に熱血漢。信仰心のない2世信者にとっては、最悪なタイプの大人である。

 祈りの時間が終わった後、ZさんがBくんに、「これから、会議室に来るように」と耳打ちしてきた。ほんの少し遅れただけなのに……。本当に面倒くさい。しかし、ここで無視するともっと面倒くさくなりそうだと思い、3人でZさんの悪口を言いながら会議室に向かった。

◎突然の「スピリチュアル大喜利」開幕!

 こんこんとドアを叩き、会議室に入ると、Zさんが中央の席で腕組みしている。我々は向かいの席に座った。

 静まり変える会議室で、Zさんが口を開く。

Z「なんで呼び出されたかわかるか」

 しーんと静まり返る会議室。

Z「A。どう思う?」
A「集合時間に遅れてしまいました」

 場の空気が重いので、みんな名指しされないとしゃべらない。

Z「そうだな。お前らはまず……最近のお前らは……」

 ここからZさんの説教が始まる。遅れた理由などを一通り聞かれ、「なぜお前らはダメなのか」を延々話し出す。ここまでは割と普通の説教と一緒、ただ口うるさい大人という感じである。しかしここから急に、カルト味がかかってくる。

 やはり宗教に生きる大人には、「何かスピリチュアルな良いことを言わないといけない」という心の動きがあるのだと思う。

Z「今、オレにはお前たちの守護霊様から『何が足りないか』を教えてもらっている。それが何なのか、当ててみろ。ちなみに2文字だ」

 我々3人の間に、「こいつ何言ってるんだ」という空気が流れる。急に「スピリチュアル大喜利」が始まってしまった。2文字で守護霊が言いそうなことを言わなくてはいけない!

Z「A。お前はどう思う」
A「わかりません」
Z「B。お前はどうだ」
B「わかりません」

 AもBも大喜利の面倒くささと、ヘタなことを言えない空気に呑まれて、何も答えない(なお、AとBは説教中、脳をオフにして死んだ魚の目になるタイプだ)。

Z「DJ2世、お前はどうなんだ」

 本人にわからないことを、守護霊越しにZさんが知っているなんて、どういう状況なんだという気持ちもある。しかし、何より「3人ともわからないと言い切ると、Zさん絶対キレる! 何か言わなくては!」と、私は脳をフル回転させ、とっさに頭に浮かんだ言葉を口にした。

DJ2世「か、覚悟……ですか」

 少年漫画のようなセリフを吐き、笑ってしまいそうになる自分の唇を噛んでぐっとこらえる。一瞬の沈黙が永遠のように感じられた。

 「覚悟」という言葉を聞いて、何を言い出すんだろう。Zさんはゆっくりと口を開いた。

◎回りくどいぞ、俺の守護霊

Z「ふん……。お前にそれが浮かんできたら、そうなのかもしれん。でもな、みんなの守護霊様が私に伝えてきた言葉はそれじゃない」

 そうなのかもしれないのかよ。まさか大喜利の2周目がやって来るのだろうか?

Z「私がお前たちの守護霊様に教えてもらったもの、それは『礼』だ」

 「礼(れ・い)」---! まさかのひらがな2文字だった。要はZさんは、ふてくされながら説教を聞く私たちを見て、「礼儀がなってない」と言いたいだけだったのだ。

 「覚悟」が的外れだったことがわかり、だんだん恥ずかしくなってくる。そもそもこの会話そのものが的外れなのではあるが。

 その後、Zさんの「礼儀がいかに大切か」という説教は続き、30分ほどで会議室から解放された。帰り道、3人の間で「ひらがななのかよ」という愚痴が延々と続いた。

 2文字なら「礼」ではなく、「礼儀」でいいんじゃないのか、オレの守護霊。いちいちZさんに言わせるなんて、回りくどいぞ。

◎スピリチュアルな大人の特徴

 宗教を通して、スピリチュアルな大人をたくさん見てきたからこそ、わかることがある。彼らはどんな場面でも、最終的にスピリチュアルな「いいこと」を言いたがる。

 こういった宗教のコミュニティにおいては、どんな説教やスピーチにもスピリチュアルなまとめが必要なのだ。そのほうがオシャレという文化があり、それなしで話が完結してしまうのは、どこか味気ない感じがしてしまうのだろう。

 というわけで、彼らの説教は、常に「普通の説教→スピリチュアル的になぜだめか→スピリチュアル的にどうしていくべきか」の構造になる。

 信者にとっては理路整然とした説教だろうが、信仰心のない2世だった私には、いちいち長いのだ。マジで。

 当時のことを思い出すと、「今の私だったらZさんになんと言い返すだろう」と考えてしまう。やはり真剣に教えを信じている人に、真正面から「おかしいだろ」と言うのは、腰が引ける。「スピリチュアルなものは絶対的に存在する」という大前提そのものに、理論の飛躍があるわけだが、それ以降の話は地続きというか、彼らなりには理屈が通っていたりするのだ。真剣に、キラキラしたまなざしでしゃべる人に物申して、話の腰を折ることはなかなできない。

 2世信者という生き物は、大人たちの「独特な理論」に違和感を持ちつつも、どうしても気を使ってしまい何も言えずにいる、そんな悲しき人種なのである。

【バックナンバー】
「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ
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カルト宗教の元信者は、なぜアンチに転じるのか? 元2世信者が「信仰を失う4つのプロセス」を図解!
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カルト宗教の元信者は、なぜアンチに転じるのか? 元2世信者が「信仰を失う4つのプロセス」を図解!

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。

 皆さんの周りに、「洗脳を解いてあげたい」と思う人はいるだろうか? 久しぶりに会った旧友が、おかしな宗教に入信していたら、きっとそう思うはず。宗教以外にも、ア◯ウェイ的な怪しいビジネスや、昨今話題になっているいかがわしいオンラインサロンなどにハマッた家族、友人の目を覚まさせたいというケースもあると思う。

 今回書くのは、元2世信者の考える、信仰を失うまでの4つのプロセスである。第1回でも書いた通り、自分はカルトと呼ばれる宗教の2世信者だったのだが、子どもの頃からやけに信仰心が薄い、少し変わったタイプだった。なので、“例外”ではあるのだが、周りの脱会者も参考にしながら、洗脳が解かれる経緯について、気づいたことをまとめてみた。

◎図解! 信仰を失うプロセス

 これは、2世信者だった私が、自分なりに信仰度別に信者の状態を分類した図である。これをマズローの欲求段階説よろしく、「DJ2世 a.k.a 脱会くんの不信仰段階説(仮)」と唱えたい。テストに出ます。

 下にいくほど信仰心が高く、面積が大きいところは人口が多いイメージ。この図では、家庭の事情で、とりあえず名前だけ書いて入会したような人(例えば、まったく信仰心はないが、奥さんが信者なので便宜上入会だけしている など)は例外とする。

◎「一応、教祖が神に見えてはいる」ニュートラル期について
 最初に「ニュートラル期」の状態を説明する。先ほどの完全版の図からわかる通り、ここから信仰を失うか、より信じるかに分かれていく。

 まず信仰が始まった人間はここに立つ。一応、教祖が神に見えていながらも、違和感はゼロではないという状態だが、「まあいいや」とあまり突き詰めて考えていない。

 この時期に信者が悩んでいるのは、この宗教が道徳的に優れているか? 破綻していないか? ということだ。教えの“毛色”が自分に合っているのかをひたすら気にしている。

◎「騙されていたと気づく」ダークサイド期

 そして信仰心を失う側の人が到達するのが、「ダークサイド期」である。なぜダークサイドに堕ちてしまうのか? その理由はカルトと呼ばれる宗教にこそ、黒い側面があるからだ。

 「ニュートラル期」では、先ほどもお伝えした通り、信者は「この教えが道徳として正しいか?」ということについてずっと悩んでいるのだが、その宗教を知れば知るほど、いろいろ気づいてしまうのである。

 カルト宗教は、たいてい深く調べていくと、昔と今の教えが矛盾していたりする。ということは、昔と今の教え、いずれかは「嘘」になる。しかし、神や仏という完全無欠な存在が嘘をつくわけがない。はい、信者の脳がバグります。

 それどころか、ネットでちょっと調べたら、自分たちが知らされてこなかった教団の黒いスキャンダルやウワサが、あれよあれよと出てくる。その時、信仰心が揺らいでいるような信者は思うのだ、「自分が騙されていた!」と。

 その日、信者は月に向かって雄叫びを上げ、血の涙を流しながら、教祖を抹殺することを誓うだろう。ネットでたまに見かける元信者のアンチたちが、教えの矛盾を列挙し、常に「あの宗教を一刻も早く潰さなくては!」というテンションで話しているのは、こういった悲しいストーリーがあるからだ。

 1世信者で子どもを宗教に巻き込んでしまった人、一般の人を勧誘して信者にしてしまった人、宗教の学校に通った人、教団の職員になった人などなど。他人をカルト宗教に巻き込んでしまったり、人生の膨大な時間をカルト宗教に捧げた人ほど、ここに到達した時のダメージは大きい。天国に行こうとしていたはずが、気づけば地獄に足を突っ込んでいるという悲劇である。

◎「宗教とかどうでもいいじゃん」達観期
 そうして、ダークサイドに堕ちた者が次に到達するのが「達観期」である。

 ダークサイドの深淵に到達した人間がある日、窓の外で陽光の中さえずる小鳥を眺めながら気づく。宗教とかあの世とかどうでもいいじゃん、とりあえず頑張ればいいんじゃね? と。

 要は「立ち直る」ということなのだが、これまで宗教の教えや、関連本の中に救いを求めていた人が、特に何を教わるわけでもなく、自分の力で立ち直るのは、ものすごい成長なのである。

 またこの段階は、スピリチュアルとの決別を意味する。実はダークサイド期の人たちは、「あの宗教は間違ってたけど、神様っていると思うの。だってそう感じるんだもん」などと、口走ることは珍しくない。それほどに、一度取り込んでしまったスピリチュアルの毒素を抜くというのは難しいのだ。スピリチュアル的なことを考えず、ただ前を向くというのが、この段階に到達する条件だろう。

 そんなこともあり、いざ宗教が間違っていると感じても、この「達観期」に到達できる者は、まあ少ない。ダークサイド期の渦中で、ずっと憎しみを抱えて生きていく元信者は、本当に多いと思う。

◎「もはや信者の頃の記憶がなくなる」あれ、そんなことあったっけ期

 さまざまな関門を抜け、信仰を完全に失った先にあるのが、この「あれ、そんなことあったっけ期」である。ここは日常生活が充実していて、もはや信者の頃の記憶がなくなるというゾーン。昔の出来事が別の人の人生みたい、フィクションみたいと感じるようになる。ここまで来てようやく毒素が抜けきったといっていいだろう。

 この段階に到達するには、ダークサイド期を脱した後、さらにその宗教に距離を置いて忘れるまで、かなりの時間を要する。個人的には4〜5年くらい必要なのかなと思う。

 「そんなにその宗教が嫌いなら、離れたらいいやんけ」と思うだろうが、実はそれがまた意外と難しい。気づけばスマホに入っている連絡先の大半が信者だったり、家族はおろか親族みんな信者だったりすることも少なくないのだ。

 こういった人たち全てに距離を取って、日常生活を別のベクトルで充実させることは、かなりの難易度。絶対に周りの信者たちと軋轢が生まれてしまうので、あえて「あれ、そんなことあったっけ期」に踏み込もうとしない人、つまり達観期にあえてとどまる人も、多数いる印象である。

◎意外と難易度が高い、信仰を失うプロセス

 以上が、自分の思う信仰を失うプロセスである。カルト宗教の信者は、こんなこと考えているんだなぁというのが伝わっていれば幸いだ。

 そもそも論として、信者は「宗教はビジネスである」という側面への思慮が欠けているなど、ツッコミどころは結構ある。その抜けている感じが、まさしく信者の風情なのかもしれないが。

【バックナンバー】
「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ
http://www.cyzowoman.com/2021/06/post_331206.html
「ランドセルから宗教のアイテムを暴かれる」カルト宗教2世信者あるある言いたい!
http://www.cyzowoman.com/2021/07/post_331263.html
カルト宗教の2世信者は、説教されがち!? 「うるせーーー!」と叫びたくなった、“親への感謝忘れるな”おじさん
http://www.cyzowoman.com/2021/08/post_331275.html

カルト宗教の2世信者は、説教されがち!? 「うるせーーー!」と叫びたくなった、“親への感謝忘れるな”おじさん

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。

 前回の「2世信者あるある(前編)」を読み、後編が更新されることを祈ってくれていた皆様、私は復活しました。「DJ2世 a.k.a 脱会くん」です。

 前回は学生時代に起こりうるあるあるを3つ挙げたが、今回は社会人になってから起こりがちな2世信者あるあるをお伝えする。

【2世信者あるある その4】気づけば説教されている

 大人になると、世の中には2世問題以外にも、自分の生まれた環境で悩む人がたくさんいるということがわかり、次第に自分の生い立ちについても理解が進んでくるもの。そのうち自分の家庭環境についてカジュアルな場で人に話すというシチュエーションが2世信者にはやってくる。しかし、その場にいるおじさま方に、気づけばマウントを取られているというあるある。

 「えー別にいい親じゃん」「それでもさ、色々あったかもしれないけど親への感謝を忘れちゃいけないよ」「いやいやそんなんオレなんて(おじさんのエピソードに切り替わる)」……など、気づけば説教を受けていることが、今まで何度あったことか。

 うるせーーーー、こちとら何万回家族との関係で悩んだと思ってるんだ。よくそんなことデリカシーなく言えるなと叫びたくなる。妙なストレス。もちろんその助言は、一般論として至極真っ当なのだが、あまりにも言われることが多すぎて少々うんざりしてしまう。自分の中でいくら劣等感を克服しても、結局はおじさま方の説教の対象なのである。

 2世はマウント取られがち。逆にいえば、マウントを取ってこない人たちは、心を許してもいい人なのかなと思ったりもする。こうした星の数のような説教を乗り越えて、2世は一般社会での生きのび方を学んでいくのだ。

【2世信者あるある その5】久しぶりに会った友達が、ガチ信者になってる

 前編で述べた通り、子ども時代の2世信者は、“宗教バレ”の恐怖に晒され続けている。そうしたストレスがないせいか、育った環境を共有できる2世信者同士には、妙な親近感が生まれやすく、仲良くなるのも早いもの。

 小さい頃は、真面目に宗教のイベントへ通っていたものの、時に面倒くさくなり、親の目を盗んでは一緒にサボったこともあったあいつ。まさに苦楽を共にした旧友に久しぶりに会うと、ものすごくしっかり洗脳されていてドン引きする。

 おい、見る影もないじゃないか。あんなにいい奴だったのに……。いや、いい奴だから、こんな真っすぐに教えを信じていられるんだろうか?

 個人的な見解だが、高校2〜3年くらいから、だんだん人は、自分の将来に腹をくくって、真面目な話を大っぴらにしても平気なフェーズに入ると思う。そんな子どもから大人に成長する時期、一部の2世は、グッと洗脳が深まる気がする。ヤンキーが突然、真面目になって働きだすのと同じように。なんとなく親にやらされていた信仰を、自分の意思で始めるようになるのだ。この時期にピュア度が高い2世から順番に、“ガチ勢”になっていくイメージがあり、社会人になってから久々に会うと、価値観のあまりの違いに驚かされる。

【2世信者あるある その6】1世の気持ちはわからない!

 SNSが発達した現在、「元1世信者」とも交流する機会が増えた。自分でその宗教と出会って自らの意思で入信したものの、その後、距離を置いた人たちである。彼らの中には、SNSやブログを通じ、「私は騙された!」という文脈で宗教を批判する人もいるが(しかもなぜかヒステリックな文体)、正直2世には共感しにくい部分がある。

 というのも、1世はたとえ口車に乗せられたのだとしても、過去の自分が正しいと思って入信しているわけで、なのになぜ、被害者の立ち位置から、宗教を責めるのだろう……と。誤解を恐れずにいうと、少し無理があるような気がするのだ。何なら2世の苦しみは1世ありきなわけで、2世に紛れて、1世が完全なる被害者として文章を投稿しているのを見ると、激しく動揺して怖くなってしまうのだ。

 カルト宗教の問題と一口にいえど、実際には1世信者の問題と2世信者のそれは、まったくの別のものだったりはしないだろうか。

◎2世あるある、まだまだ言いたい
 ニッチな2世信者あるあるは、いかがだっただろうか。やはり大人になっていくにつれ、我々は2世信者であることへの社会の偏見と戦うことになる。たとえその教えを信じていなくても、2世ゆえに嫌な扱いを受けることがある。しかしその中で、優しい人に出会うこともあるのだ。こうして2世の悩みは、日々少しずつ変化していく。

 2世あるあるを書いていて気づいたが、こんなものいくらでも出てくる。また、今回は、あえてポップめのあるあるを選んだものの、これぞ修羅場というハードバージョンも、いずれまた機会があればまとめてみたい。

 ただこのあるあるネタを、の方々が面白いと思うかはまったくわからない。その是非は、もはや神に委ねられているといえよう。

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「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ
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「ランドセルから宗教のアイテムを暴かれる」カルト宗教2世信者あるある言いたい!

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。

 この世は「あるある」であふれ返っている。そんなあらゆるあるあるは、お笑い芸人によって安易にネタにされ、今やYouTuberまでもが、日々あるあるネタをスマホ画面を通して、こちらに繰り出してくる。

 なんだかんだ言って、居酒屋でも一番盛り上がる話題はあるあるネタなのかもしれないが、この世界のあるあるは消費し尽くされ、その埋蔵量は底を尽こうとしている。そんな中、まだ誰も掘り起こそうとしていないあるあるジャンルが存在している。

 それは「2世信者あるある」なのではないだろうか。2世あるある言いたい!

 まだ日の目を浴びていないということは、需要がないのと紙一重なのかもしれない。だがこんなニッチなジャンルに共感してくれる人も、きっとどこかにいるはず!

 今回は、小中高時代の2世信者あるあるをまとめる。このあるあるジャンルが、一般の人にとって、2世信者とはなんぞやを知るきっかけになれば……そう祈りながら書いた。

【2世信者あるある その1】友達を家に呼ぶとき、「絶対あの部屋入るなよ」と念じている

 学校の友達を家に呼んでテレビゲームなどをしながら遊ぶ、楽しいひととき。実は2世たちの緊張の糸は、ピンと張り詰めている。なぜなら家の中には、必ず“入ってほしくないゾーン”があるからだ。

 そこには宗教グッズや関連書籍がところ狭しと並んでおり、見られたら友達に「なんだこれ?」と問いただされた揚げ句、学校のうわさになりかねない。絶対に入ってほしくない部屋の扉の前に、友達が立ったとき、2世は「絶対に入るなよ!!!!」と念を飛ばす。それはさながら祈りのようでもある。

 2世の子どもたちに部屋のレイアウト決定権はない。彼らは友達がノリで別の部屋に入ったとき、成す術は何もないのだ。なんなら冷蔵庫にマグネットで貼り付けられている紙っぺらや、リビングの棚にある本の一部も宗教関連のものである。もし友達が、宗教のマークを知っていたら自分の人生は終わりである。気づくわけないよな……、いや絶対に気づかないでくれ。2世は放課後、今日もどこかで祈っている。

【2世信者あるある その2】教室でランドセルから宗教のアイテムを暴かれる

 2世は時として、学校終わりに宗教のイベント的なものに、いったん家に帰らず、直接参加させられることがある。そのときは必然的に「経典」や「聖書」的なものなど、宗教のアイテムをランドセルに忍ばせなくてはならない。

 しかしそこは、プライバシーという概念のない無垢な小学生たち。イベント当日、教室で、調子に乗ったクライスメイトにランドセルを漁られ、「なにこれーーー!」と大声で晒されることがある。

 小学生ならではの意地悪さが炸裂し、「これなに?」と質問攻めにあうことも。このとき「なんかわかんないけど親に持たされた」などと機転を利かせて、質問攻めを回避しようとした者もいれば、とっさに言葉が出ず、呆然と立ち尽くした者もいるだろう。

 この記事を読んでいる小学生の同志へ。たとえこのようなピンチに陥っても、小学生はそれらしいことを言えば丸め込めるし、そもそも彼らはそのうち忘れるので、とりあえず応酬はしよう!

【2世信者あるある その3】ブルーハーツ聞いたら「これでもういいやん!」となる
 我々2世信者は、道徳観や人生の意味を全て宗教から教わった。悪いことをしてはいけない、人を助ける大切さ、前を向いて努力し続けること……。

 実際に宗教というものが人の支えになっている光景も、私は幾度となく見てきた。私は、親の信仰する宗教の教えについては、結局意味がわからなかったけれど、宗教が身近にある生活を通して培った道徳観や、当たり前のことを頑張る力は「無駄にはならないはず」……と、ずっと自分に言い聞かせていた。

 しかしブルーハーツの曲を聞いてみると、人生に大切なものを全てブルーハーツが教えてくれていることに驚く。

 これ、人生の大事なことを全部教えてくれてるじゃないか。いや、こっちのほうが胸を打つし、やる気が湧いてくるぞ。あれ、そもそも宗教って、何のためにあるのかなと、わけがわからなくなる。そうか、一般の人はこういうものを聞いて頑張ってるのか。じゃあ、なぜ自分はわざわざあんなうさんくさいものを……。自分が信者をやっている宗教の内容の薄さに悲しくなる。

◎2世信者にとって、“宗教バレ”は恐怖

 信仰心のない2世の同志たちは、きっといろいろな宗教の垣根を越えて、「わかる〜〜〜〜!!」と頷いていることだろうと思う。今回は子どもの頃に体験しがちな3つのあるあるを挙げてみた。書いてみて気づいたのは、2世信者の“宗教バレ”の恐怖だ。実際にバレても、人は案外変わらず接してくれるものだが、子どもの頃はそんなことは知る由もなく、まさに「この世の終わり」と同義であった。

 それはさながら、お姉ちゃんのお下がりの習字道具を、いじめっ子にいじられるのを恐れながら使う恐怖が、延々と続くような……そんな独特な体験である(伝わるだろうか?)。きっと2世信者に限らず、自分に強いコンプレックスを持つ子どもに起こりうることだと思う。まだまだ学生時代の2世あるあるは尽きないので、機会があればまた書いてみたい。

 なんとこの記事、前後編の2部構成。次回、社会人に降りかかる2世あるあるに続く。更新されることを神に祈っていてほしい。

【バックナンバー】
「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ
http://www.cyzowoman.com/2021/06/post_331206.html

「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。

 初めまして。ライターの「DJ2世 a.k.a 脱会くん」と申します。

 今回から始めるこの連載コラム「となりの脱会くん」で、書きたいテーマ。それは「宗教の2世信者」についてだ。みんな知り合いに1人ぐらいいるであろう“あの子”は、いかにしてそうなったのか? ふと気になった“あの子”の言動の意味や、“あの子”はあのとき考えていたこととは? そんな皆さんがモヤっとしていながらも、なんだかんだスルーしてきた微妙な宗教の2世に関する話題を、当事者ならではの体験談を交えて書いていきたいと思う。

 私はいわゆる「カルト」と呼ばれる新興宗教の2世である。両親共に、とある宗教の熱心な信者であり、信者のサラブレッドとして、目いっぱいの愛情を受け、その思想を教えられて育った。しかしなぜか私は昔から、その思想をまったく信じられず、もっというと“洗脳”されなかったので、大人になって脱会し、今に至る。

 親の信じる宗教を信じられなかった私は、特に学生の頃、自分の出自に死ぬほど悩んだ。自分はなぜこんな教えを守らなければいけないんだろう、なぜこの家に生まれてきたんだろう、なぜ生きてるんだろう。思い返すと本当に、よく死ななかったなと感じることもある。ただそれが不思議なことに、脱会して就職し、社会人になってあくせく働いているうちに、気づけば周りに宗教の知り合いもいなくなり、親との関係にも悩まなくなり……本当にまったく悩まなくなってしまった。

 数年前から、昔なら事あるごとに口にしていた宗教用語も思い出せなくなり、宗教に対するエッジの効いた皮肉もパッとは出なくなってきた。今となっては一周回って、ググって当時のことを思い出したりしている。自分が2世だったことを忘れ始めてきているのだ。

 脱会した人間には、いろいろなパターンがあるが、先ほど少し触れた通り、私は「ある日、ハッと洗脳が解けたタイプ」ではなく、「小さい頃から(うさんくせえ……)と思っていたタイプ」なので、宗教系の思い出には「ひたすらにめんどくさかった」という感想しかない。信者の家に生まれ、一般の人とは多少育った環境が違っただけで、ある意味、一般の人と同じ感覚なのだ。

 そのため、私には、まるで雷が落ちたかのように「自分は間違っていた!」と気づくという“ドラマ”は書けない。ただ、小さい頃からそれはそれはたくさんの信者を見てきたので、彼らがどんなことを考えているかというのはわかるし、宗教が人を救う瞬間も、ダメにする瞬間もいくつも見てきた。一切の“洗脳”がない分、ある種冷めた目線で、自身の2世体験について書いていきたい。

 そんな私が、ここ最近よく考えているのが、2世を取り巻く情勢は、近年大きく変わりつつあるのではということだ。それはやはりSNSの発達によるところが大きい。

 これまでは、例えば自分の周りの人間(両親や友達)が全員信者だったとき、子どもたちはその宗教のマイナス面を知る術がなかなかなかった。昔は自分の信仰に疑問を抱いても、iモードの小さい画面を見つめながら、2ちゃんねるやブログなどで、必死に脱会した人の話を漁ったり、Amazonで絶版になった告発本などを取り寄せるしかなかった。それをわざわざやろうとする人は、ごく少数だったと思う。

 しかし今はSNSを開けば、脱会者のアカウントはたくさん見つかるし、世間の人がいかにその宗教を冷ややかな目で見てるかということもわかる。浴びるように情報を得られてしまうのだ。10〜20代の2世たちは、世代的にスマホやSNSが使えないなんてことはないので、着実に洗脳が解ける機会は増えていると思う。あまり誰も言っていないことだけど、SNSはこの界隈にとってでかい影響を及ぼしているはず!

 また、個人的に思うことなのだが、脱会者の中には、割と変な人も多い気がする。「もうあの宗教は信じてないけど、神様っていると思う」と不思議ちゃんなことを口にする、などが一例だ。その界隈に詳しい方ならご存じかもしれないが、教団の幹部がその宗教を辞めた後、似た宗教っぽいことをやり始めることも珍しくない。こういうのを見ていると、正直、「何なら普通の信者たちのほうが、常識あるんじゃないか」と思ってしまうこともある。

 一方、脱会してその宗教とはもうまったく関係がなくなったのに、「あの宗教を絶対に潰さなきゃ!」と過剰に粘着し、誹謗中傷を繰り広げて暴走する脱会者にも、私は距離を感じている。

 その点、私はこのコラムにおいて別段、かつての宗教をボロクソに言うつもりは毛頭ない。「この宗教のここが矛盾している!」「こんなひどいことをされた!」という話ではなく、基本的には、2世信者のあるあるネタや、私の自虐ネタなど、一般の人がくすっと笑える話を通して、未知の存在であろう2世について「なんかわかるな~」と思ってもらえる。そんなピースフルなコラムにしていきたい。

 カルト宗教の2世問題は人権侵害をはらんでいるだけに、「笑いのネタにするのはどうか」という意見もあるだろうが、これが“いち2世信者である私”にとっての、過去と向き合う方法だと思ってもらえると幸いだ。なるべくフラットな目線で、読者の方に語りかけていこうと思う。