「発達障害も悪くないよ、って、いまのアタシは思っています。だからこの本を描けたし、それって幸せなことですよね」
コミックエッセイ『奥様は発達障害』(講談社)を著した、さかもと未明さんの声は明るかった。漫画家として、あるいは人気コメンテーターとして華々しく活躍していたさかもとさんだが、2007年に膠原(こうげん)病と診断され、ヘルパーの助けを借りなければ日常生活も送れなくなった。さらに09年には、自身が長らく「発達障害」とともに生きてきたことを知る。
より正しくいうなら「ADHDと(注意欠陥多動性障害)とAS(アスペルガー症候群)を併発した発達障害」だが、その診断は、さかもとさんにとって福音のようなものだった。考えても考えてもわからなかった生きづらさの理由が、氷解していったからだ。医師からの説明に加えて本を読むなどして勉強を重ね、「なんか発達障害について知るほど、どんどん楽になる……」と思うようになる。
■この苦しさを、みんなにわかってもらいたい!
物心ついたころから、さかもとさんは両親とソリが合わず、同年代の友達からは仲間外れにされていた。中高時代も常に浮いた存在で、病院でうつ病と診断されたこともある。そのときの苦悩や葛藤は、さかもとさんが初めて障害をカミングアウトした著書『まさか発達障害だったなんて』(星野仁彦との共著、PHP研究所)に詳しい。
「『まさか発達~』を書いたときは、アタシ自身が、まだあがいていました。この苦しさを、みんなにわかってもらいたい! じゃないと生きていけない! って。描くことで、救われたかったんです。でも15年に川島なお美さんをはじめ、アタシが病気で何もできなくなったときに励ましてくれた友人たちが立て続けに亡くなって……。彼女たちの分もがんばらなきゃ、と思いました。それで、同じく生きづらいと思っている人たちに希望を持ってもらえるような本を描こうと決めたんです」
その背景には、現在のパートナーの存在がある。といっても、“難病とけなげに闘う妻と、献身的に支える夫”を想像すると、それは鮮やかに裏切られる。『奥様は~』には2人の出会いから現在の結婚生活までが収められているが、一般的な夫婦像から大きく外れたエピソードの連続。しかしそれこそが、さかもとさん夫婦のスタイルである。
「結婚して、『あ、ここがアタシの居場所だ』と思えたから、この本を描き下ろせたのだと思っています。夫は、『過去は過去。君はこれから幸せになるんだから、忘れなさい』と言ってくれます。両親との関係を見直すことができたのも、夫がいてくれるから。長い時間をかけて、いろんなことが積もりに積もって、ひとりでは受け止めきれなくなっていたので、とてもありがたかったです」
■“JAL事件”の真相
しかし、さかもとさんも、発達障害と診断されて、すんなりこの境地に至れたわけではない。検査を受ける際、病院側の対応に納得がいかずパニックに陥り、自力で帰れなくなって、警察のお世話になったこともある。12年、搭乗していた飛行機の中で赤ちゃんの泣き声にガマンができず極端な行動に出た件については、同書の中でも“JAL事件”として振り返っている。
赤ちゃんの母親に「その子はもう少し大きくなるまで、飛行機に乗せないほうがいいと思います!」と告げたうえで、「私もうガマンできない! 降りる!」と機内を走り回った“事件”は世間で大きく物議を醸したため、記憶している読者も少なくないだろう。しかし背景に発達障害と、その症状のひとつとしての聴覚過敏があることは報道されなかった。
「こうやってパニックを起こしちゃう人、アタシのほかにもいると思うんですけど、本人も騒ぎたくて騒いでるわけじゃないというのは、もっと知られてもいいと思います。でもアタシ、パニックを起こして通路を走ったことなどは申し訳ないと思っていますが、小さいお子さんはできるだけ飛行機に乗せないほうがいいという意見は変わっていないんですよ。ただ、伝え方がよくなかったですね。子どものころからコミュニケーション障害があって、自分が正しいと思うことを主張しても誰も聞いてくれないという経験はしてきたんですけど、同じことをしてしまいました」
■発達障害であることは、カミングアウトしたほうがラク
さかもとさんを診断した星野仁彦医師は自身も発達障害で、『発達障害に気づかない大人たち』(祥伝社)などの著書がある。星野医師のもとには「“大人の発達障害”かもしれない」と悩む人が全国から診察を受けにくる。その多くはさかもとさん同じく、自身の障害を知らなかったがために、ずっと生きづらさを抱えてきた人たちだ。そこでさかもとさんにこんな質問をしてみたーー子どものころに自分が発達障害だと知っていたかったですか?
「知っていたら、早いうちに、自分の人生との折り合いがついていたでしょうね。いまとは、まったく別の人生だった可能性もあります。発達障害の子どもに特化した教育を受けて突出した部分を伸ばしてもらったら、もしかしたら科学者とか数学者とかになっていたかも。絵の分野に進んだとしても、商業デザイナーやポップアートを選んでいて、“さかもと未明”にはなっていなかったんじゃないかなぁ。アタシが描いてきたものは、人に振り向いてもらいたくてさまよっていた、孤独や苦痛の果てに生まれたものなので、発達障害があるから、アタシは“さかもと未明”になったともいえるんです」
幼少期に知能検査をして発達障害だとわかれば、それは「特別な教育を受ける権利がある子」だと見なされる……米国ではすでに実施されているという教育方針に、さかもとさんは強い共感を示す。
「そのうえで、適切な職業を選択できるようになったらいいですよね。現状では、職場で孤立して就労が続けられなくなったり、それで引きこもりになったりという発達障害者が多いそうです。発達障害への理解が進めばそれも避けられるし、特殊な才能で社会に貢献できるようになると思うんです。アタシはいまでこそ『マルチに活躍されていますね』と言われますが、ほかの仕事がまったくできなかっただけ。企業に就職したこともありますが、電車に乗るのが怖くて会社にたどり着けないし、なんとか出勤できても、聴覚過敏でOA機器の音に耐えきれなくて……3カ月で辞めました」
大きく紆余曲折しながらも、「幸せ」といえる現在にたどり着いたさかもとさんは、最後に、発達障害で悩む人、もしかしたら自身や家族がそうかもしれないと思っている人に、次のようなメッセージを贈る。
「アタシは、発達障害であることは、カミングアウトしたほうがラクだと思っています。“病気も借金も、隠すほど重くなる”という言葉があるように、自分から公表すれば、重くならずに済みます。アタシは膠原病で体が不自由になって、それまでできていたことが全然できなくなったんです。手も曲がっちゃったし、一時期は立つこともできませんでした。でも人間って、そういう状況にも慣れるんですよ。できないことはできないのだと受け止めて、やらないか、人にお願いすればいい。発達障害もそれと同じで、深刻になることなく生きていけると知ってほしいです」
(三浦ゆえ)

