とんねるずの黒歴史も解禁! 『たいむとんねる』の”今だから言える話”は垂涎モノ

 今ではすっかり落ち着いたが、我が世の春を謳歌していた時期のとんねるずの勢いはすさまじかった。彼らが歩いた後は、草木さえ残らない。

 誰かがいい目を見れば、ほかの誰かが忸怩(じくじ)たる思いをしている。それが、世間というもの。とんねるずも成り上がる過程で多くの芸能人と緊張関係を築いていた、と記憶している。

■とんねるずの方向性を決定付けた「ひょうきんベストテン」

 6月4日放送『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)のゲストは、爆笑問題の太田光。とんねるずと爆笑問題はキャリアこそ違えど、東京のお笑い界でビートたけしの真下の世代に位置する2組だ。お互い、シンパシーを感じ合う関係性にある。しかも、「日本のちょっと前の話」を掘り起こすのが、同番組のコンセプト。石橋と太田は同世代トークのノリで、自らがたどってきた“ちょっと前のお笑い界”を振り返った。

 とんねるずがシングル「一気!」をリリースしたのは、1984年12月。『オールナイトフジ』(同)で同曲を歌った際、石橋がカメラを破壊した「カメラ転倒事件」を例に出すまでもなく、あの頃のとんねるずはエネルギーにあふれていた。何しろ、石橋は自ら“カリスマ”と名乗っていたほどだ。

 この勢いのまま、とんねるずは『オレたちひょうきん族』(同)の人気コーナー「ひょうきんベストテン」に出演する。実はこれ、彼らにとってターニングポイントであり、黒歴史にさえ数えられる出演回なのだ。

 太田は「衝撃を受けたとんねるずの姿」として、この時の放送を紹介する。確かに衝撃だ。とんねるずは歌い始めでいきなりヒップアップからビール瓶で頭を殴られ、ビールを噴射され、コント赤信号からは顔にケーキを投げられている。最後は建物に挟まれ、上からゴミを放られて生き埋めにされるというアナーキーなオチ。

 実はこの時のとんねるず、『スーパージョッキー』(日本テレビ系)に出演して断交状態だった日テレと手打ちしたばかりの状況にあった。だから、歌い終わりに木梨は「もう、日テレ系には出ないから勘弁してくれ~」、石橋は「フジテレビ命だよ~」と泣きを入れたのだ。

 まるで、借りてきた猫のようなとんねるずをテレビで見ていた太田は述懐する。

太田「当時のとんねるずはどこ行っても暴れ回って。でも、ひょうきんベストテンではあれですよ」

石橋「出始めだから。まあ~、出始めはヤラれるんだなって」

太田「なんにもやらせないの、とんねるずに。怖いなぁ~と思って。だから俺、笑って見てないんですよ。あのとんねるずが何もやらずに、苦笑いしかできないっていうのは」

石橋「完全アウェイですよ」

 まさに、完全アウェイ。この時の経験を元に、とんねるずは「先輩芸人とは絡まず、旬のアイドルやミュージシャンとバラエティを作り上げていく」という方向性へかじを切ったとささやかれている。ある意味、タブーと思われていたこの放送が本人の前で紹介されるとは、いささかの驚きがあった。

■石橋の前で「保毛尾田保毛男」について語るミッツ

 今回、番組内で触れられたデリケートなトピックはこれだけではない。『THE MANZAI』(同)直撃世代である2人は、リアルタイムの感想を踏まえ、当時の勢力図を振り返る。

太田「この時、ツービートがトップじゃないですからね。やっぱり、B&Bとザ・ぼんちなんですよ」

石橋「あと、紳助竜介さんとかね。紳助さんたちは結構、若手で」

 島田紳助との不仲がささやかれていた時期が、石橋にはある。涙もろい紳助が発する「泣けるやん」や、引退会見での「自分の中ではセーフだと思っていたんですが……」という一節を石橋がネタにし、2人が衝突したという話が流布されていたのだ。もちろん臆測の域を出ない話だが、石橋自ら「紳助」の名前を出した場面にはインパクトがあった。

 そして、現代テレビのコンプライアンス事情について。石橋に尋ねる形で、太田が引き出した。

太田「なんか、叩かれてましたよね?」

石橋「保毛尾田(保毛男)でしょ?」

太田 「あっ、保毛尾田だ!」

 この話題になると、むしろ共演者のミッツ・マングローブに言いたいことがある模様。

「私は保毛男ちゃんに、むしろ救われた世代ですから。『保毛男ちゃんみたいに振る舞えば、ギャグとしてからかわれずにいけるんだ』と思えた人もいるわけですよ」

 さすがに、この話題になると石橋は口を閉じたままだったが、いい意味で空気を読まない太田の誘い水が保毛尾田保毛男の話題を呼び込んだ格好だ。

 冒頭で述べたように、とんねるずと緊張関係にある(と目される)芸能人は少なくない。しかし、長く連れ添ってきたファンからすると、“今だから言える昔話”は大好物である。十年ひと昔といわれるが、「ひょうきんベストテン」も『THE MANZAI』も30年以上前の思い出話。……というか、“史実”という表現のほうが近い気がする。

 石橋は、いまだ封を開けていないトピックを数多く隠し持っている。番組のコンセプトからして、『たいむとんねる』は封を開けるには絶好の場だ。

 視聴率は振るわないようだが、筆者のような40代以上の視聴者からすると、この番組は安定してずっと面白い。そして、今回のように今まで触れてこなかったトピックの封を開ける機会が再び訪れるかもしれない。懐古主義の琴線を、これからもいじり回してほしい。

(文=寺西ジャジューカ)

「典型的な亭主関白」『さんま御殿』エハラマサヒロの嫁自慢に視聴者イライラ

 6月5日放送の『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系)に、ピン芸人のエハラマサヒロが登場。番組で夫婦エピソードを語ったのだが、彼の亭主関白っぷりに視聴者はドン引きしてしまったようだ。

 この日エハラは、2009年に結婚した一般人の妻と番組に出演。番組の冒頭では「ちょっと報告があって、4人目が今お腹に」と第4子妊娠を報告。MCの明石家さんまは「休ましたれよ、4人も5人も大変や」と心配していたが、エハラは「(妻は)子ども好きなんで、何人でも産みたいって」「めちゃくちゃお世話好きなんで、僕が独身の時から全部やってくれる」と語っていた。

 さらに彼は「一回も喧嘩したことないです、10年くらい住んでますけど」とコメント。明石家は「なんで?」「喧嘩しないっておかしいやないか」と疑問に思ったようだが、エハラは「ぼくがちょっとイライラしてても、刺激しないようにしてくれる」と説明している。

「番組内でエハラは結婚相手に求める条件も明かしており、『ぼく結婚する時に、やっぱり家事をちゃんと楽しくやってくれる子が良かった』『休みの日出てっても“休みの日ぐらい(家事を)やってよ”って言わない子がいいなと思って』と語っていました。今のパートナーはこれらの条件に当てはまっているそうなのですが、彼の嫁自慢に視聴者からは『いい嫁さんだと思うけど負担かけすぎでは?』『典型的な亭主関白』『がっつりマウントとってて気持ち悪い』といった声が上がっています」(芸能ライター)

 嫁自慢に終始していたエハラだが、番組では“どうしてもイラっとしてしまう妻の言動”も告白。「家事に追われて電話に出ないことがある」と苦情を入れたのだが、これにネット上では「家事やらせてるのに“電話に出ろ”はひどすぎる」「それはワガママが過ぎるのでは?」「嫁さんのことを“都合の良い人”としか思ってないんだな……」と冷ややかな声が上がっていた。

「あまりにもエハラが優位な関係性にドン引きしてしまう人が多かったようですが、一方で『奥さんが尽くしたくて尽くしてるのなら良いのでは?』とも指摘されています。ちなみにエハラは放送終了後、『さんま御殿見て頂いた方々ありがとうございました。ドヤ顔でずっと嫁自慢しててホンマに腹立ったと思いますけど申し訳ない(笑)』とツイート。番組での発言をフォローしていました」(同)

 幸せの形は人それぞれで、エハラ夫妻のような関係性があっても良いのかも。第4子出産後も円満な家庭を築いてくれることだろう。

「典型的な亭主関白」『さんま御殿』エハラマサヒロの嫁自慢に視聴者イライラ

 6月5日放送の『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系)に、ピン芸人のエハラマサヒロが登場。番組で夫婦エピソードを語ったのだが、彼の亭主関白っぷりに視聴者はドン引きしてしまったようだ。

 この日エハラは、2009年に結婚した一般人の妻と番組に出演。番組の冒頭では「ちょっと報告があって、4人目が今お腹に」と第4子妊娠を報告。MCの明石家さんまは「休ましたれよ、4人も5人も大変や」と心配していたが、エハラは「(妻は)子ども好きなんで、何人でも産みたいって」「めちゃくちゃお世話好きなんで、僕が独身の時から全部やってくれる」と語っていた。

 さらに彼は「一回も喧嘩したことないです、10年くらい住んでますけど」とコメント。明石家は「なんで?」「喧嘩しないっておかしいやないか」と疑問に思ったようだが、エハラは「ぼくがちょっとイライラしてても、刺激しないようにしてくれる」と説明している。

「番組内でエハラは結婚相手に求める条件も明かしており、『ぼく結婚する時に、やっぱり家事をちゃんと楽しくやってくれる子が良かった』『休みの日出てっても“休みの日ぐらい(家事を)やってよ”って言わない子がいいなと思って』と語っていました。今のパートナーはこれらの条件に当てはまっているそうなのですが、彼の嫁自慢に視聴者からは『いい嫁さんだと思うけど負担かけすぎでは?』『典型的な亭主関白』『がっつりマウントとってて気持ち悪い』といった声が上がっています」(芸能ライター)

 嫁自慢に終始していたエハラだが、番組では“どうしてもイラっとしてしまう妻の言動”も告白。「家事に追われて電話に出ないことがある」と苦情を入れたのだが、これにネット上では「家事やらせてるのに“電話に出ろ”はひどすぎる」「それはワガママが過ぎるのでは?」「嫁さんのことを“都合の良い人”としか思ってないんだな……」と冷ややかな声が上がっていた。

「あまりにもエハラが優位な関係性にドン引きしてしまう人が多かったようですが、一方で『奥さんが尽くしたくて尽くしてるのなら良いのでは?』とも指摘されています。ちなみにエハラは放送終了後、『さんま御殿見て頂いた方々ありがとうございました。ドヤ顔でずっと嫁自慢しててホンマに腹立ったと思いますけど申し訳ない(笑)』とツイート。番組での発言をフォローしていました」(同)

 幸せの形は人それぞれで、エハラ夫妻のような関係性があっても良いのかも。第4子出産後も円満な家庭を築いてくれることだろう。

ひょっこりはん“著作権侵害騒動”は一応決着も「売名か?」の辛辣な声も

 お笑い芸人「ひょっこりはん」が、登場BGMの著作権侵害で話題になった件は、抗議した人物が決着をブログで発表し、とりあえず一段落した。上半期にブレイクした芸人の筆頭にも挙げられるひょっこりはんだが、関係者の評価はいかがなものなのか?

 ひょっこりはんがブレイクのきっかけをつかんだのは、今年の元日のことだ。エンターテインメント誌の記者が語る。

「ひょっこりはんは、元日に放送されたナインティナイン司会のバラエティー特番『新春おもしろ荘』(日本テレビ系)で、優勝こそ逃したものの大きな爪痕を残しました。一気に注目度が上がったのは、女性アイドルが相次いでひょっこりはんのマネをやったことです。欅坂46のメンバーがひょっこりはんとともに“ひょっこり”している画像を上げて話題になり、乃木坂46の白石麻衣が『しゃべくり007』(同)でひょっこりはんと共演して、『“ひょっこり”を披露した白石が可愛すぎる』と話題になりました」

 ひょっこりはんの必殺技は、物陰から「はい! ひょっこりはん!」と顔を出すというもの。マネをしやすいのはブレークに欠かせない条件だが、このまま一気に大ブレークとなるのか? お笑い業界に詳しく、お笑い芸人への取材経験も豊富なフリーライターが語る。

「中高生を中心にブレーク中のひょっこりはんですが、カギは小学生に浸透するかでしょうね。バラエティー番組は常に新しい風を求めていますので、彼も一通りのバラエティー番組に呼ばれ、そこで“ひょっこり”を披露することになるはず。今回の騒動で彼の名前を初めて知った人も多いはずなので、口の悪い関係者は『名前を売るために、(わかっていながら、著作権侵害を)わざとやったんじゃないのか? 』と言っていました。ただ、今年の『R-1ぐらんぷり』はあっけなく1回戦で敗退していますし、先日も『秘密のケンミンSHOW』(同)に呼ばれましたが、かんだうえにグダグダという最悪なトークを披露しました。トークでは“ひょっこり”というキャラクターをまったく生かせていないので、“ひょっこり”ネタをやってしまうともうやることがなく、完全に出オチです。もっとも、彼は早稲田大学のお笑いサークル出身なので、クイズ番組などでインテリ芸人という立ち位置でやっていく方法はありそうです」

 BGM騒動はなんとか片付いたが、ひょっこり現れた彼は、芸能界に居場所を見つけることができるのだろうか?

みやぞん『24時間テレビ』トライアスロン企画がパワハラ!?「断れない性格なのをいいことに……」

 6月3日放送の『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系/以下同)では、『24時間テレビ 愛は地球を救う』のマラソンランナーが発表された。走者に選ばれたのはANZEN漫才のみやぞん。しかし今年のマラソンは“24時間テレビ”史上最も過酷なものになるようで、視聴者からは「いくらなんでも無茶させすぎ……」と心配の声が上がっている。

「みやぞんはこれまで、同番組で類まれなる身体能力を発揮して人々を驚かせてきました。空中ブランコに挑戦した回では、たった10日ほどの練習で見事に成功させ話題に。また偶然転がってきたボールを投げ返して高校の野球部にスカウトされたというエピソードには、内村光良も“漫画のよう”と驚いています」(芸能ライター)

 今回の『イッテQ!』では、『24時間テレビ』の応援団長に就任した出川哲朗がマラソンランナーを発表。みやぞんが走ることになったのだが、彼の身体能力を考慮し今年は“トライアスロン形式”のチャレンジが行われるという。

 一般的にトライアスロンとは、水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を一度に行う過酷な競技。それでもみやぞん本人は「『イッテQ!』背負ってるってのはありますから、泣き言えないなって思って」「やらせて下さい!」と快諾していたのだが……。

「以前から『24時間テレビ』のマラソンは“過酷すぎる”と指摘されていました。昨年はブルゾンちえみが選ばれたのですが、彼女にランナーであることを伝えられたのは放送当日。準備期間も用意されなかったため、『負担が大きすぎでは?』といった声が寄せられています。今回は前もって発表されましたが、チャレンジの難易度は格段にアップ。加えてみやぞんは“優しい性格”という印象が強いため、『みやぞんが断れない性格なのをいいことに酷使しすぎ』『これはパワハラなのでは?』といった声が上がっていました」(同)

『24時間テレビ 愛は地球を救う』の放送日は、夏後半の8月25日から26日。そのため「そうとうな炎天下になりそうだし倒れないか心配」「真夏日にトライアスロンを素人にやらせるのは危なくない?」といった意見も寄せられている。

 しかし一方で、これまでいくつもの無茶な企画に挑んできたみやぞんには、「絶対最後まで走り切ってくれそう」「むしろ早すぎて時間が余ってしまうのでは?」と期待する声も。本番までにしっかり調整して、無事に走り切ってくれることを祈るばかりだ。

みやぞん『24時間テレビ』トライアスロン企画がパワハラ!?「断れない性格なのをいいことに……」

 6月3日放送の『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系/以下同)では、『24時間テレビ 愛は地球を救う』のマラソンランナーが発表された。走者に選ばれたのはANZEN漫才のみやぞん。しかし今年のマラソンは“24時間テレビ”史上最も過酷なものになるようで、視聴者からは「いくらなんでも無茶させすぎ……」と心配の声が上がっている。

「みやぞんはこれまで、同番組で類まれなる身体能力を発揮して人々を驚かせてきました。空中ブランコに挑戦した回では、たった10日ほどの練習で見事に成功させ話題に。また偶然転がってきたボールを投げ返して高校の野球部にスカウトされたというエピソードには、内村光良も“漫画のよう”と驚いています」(芸能ライター)

 今回の『イッテQ!』では、『24時間テレビ』の応援団長に就任した出川哲朗がマラソンランナーを発表。みやぞんが走ることになったのだが、彼の身体能力を考慮し今年は“トライアスロン形式”のチャレンジが行われるという。

 一般的にトライアスロンとは、水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を一度に行う過酷な競技。それでもみやぞん本人は「『イッテQ!』背負ってるってのはありますから、泣き言えないなって思って」「やらせて下さい!」と快諾していたのだが……。

「以前から『24時間テレビ』のマラソンは“過酷すぎる”と指摘されていました。昨年はブルゾンちえみが選ばれたのですが、彼女にランナーであることを伝えられたのは放送当日。準備期間も用意されなかったため、『負担が大きすぎでは?』といった声が寄せられています。今回は前もって発表されましたが、チャレンジの難易度は格段にアップ。加えてみやぞんは“優しい性格”という印象が強いため、『みやぞんが断れない性格なのをいいことに酷使しすぎ』『これはパワハラなのでは?』といった声が上がっていました」(同)

『24時間テレビ 愛は地球を救う』の放送日は、夏後半の8月25日から26日。そのため「そうとうな炎天下になりそうだし倒れないか心配」「真夏日にトライアスロンを素人にやらせるのは危なくない?」といった意見も寄せられている。

 しかし一方で、これまでいくつもの無茶な企画に挑んできたみやぞんには、「絶対最後まで走り切ってくれそう」「むしろ早すぎて時間が余ってしまうのでは?」と期待する声も。本番までにしっかり調整して、無事に走り切ってくれることを祈るばかりだ。

『水曜日のダウンタウン』の数珠つなぎ企画、酔った若手芸人の“マジギレ”にざわつく視聴者

 5月31日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)では、“数珠つなぎ企画で1番過酷なのジョジョの鉄塔システム説”が検証された。プレゼンターを務めたのはケンドーコバヤシ。漫画大好き芸人らしいユニークな企画だが、参加した若手芸人・大トニー(マテンロウ)がブチキレてしまい「放送事故では?」と視聴者をざわつかせている。

“数珠つなぎ企画”とは、出演者の紹介で次の出演者を決めるバラエティーなどでありがちな企画。例としては、「あなたよりも美人な人を教えてください」という質問で美人ゲストを繋いでいく“美女数珠つなぎ”などが挙げられる。

 番組ではそんな“数珠つなぎ企画”を、人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の要素でアレンジ。同漫画の第4部には“スーパーフライ”という鉄塔のようなスタンドが出てくるのだが、このスタンドの能力は鉄塔内に1人の人間を閉じ込めるというもの。そして鉄塔内に新たな人間が入ると、閉じ込められていた人は外に出ることができる。そこで今回は新横浜の某所に牢屋を設置し、閉じ込められた人は身代わりを呼ばないと脱出できないという“数珠つなぎ企画”が行われた。

「最初に牢屋に閉じ込められたのはコロコロチキチキペッパーズのナダルで、その後はおたけ(ジャングルポケット)、菅良太郎(パンサー)、伊地知大樹(ピスタチオ)という順番で数珠つなぎが行われていきました。しかし問題が起こったのは、伊地知の次に大トニーが牢屋に入った場面。彼は閉じ込められるや否や、『気持ち悪いマジで』『全然面白くねぇこんなの!』『誰が面白いのこれの? 説明しろ出てきて』『オメーらがやってることなんてお笑いじゃねーかんな!』と声を荒げています」(芸能ライター)

 まさかの激昂に視聴者からは、「これテレビで流しちゃだめなレベルのマジギレでは?」「これ台本? ガチ?」「今後の仕事に響きそう」といった声が。また呼び出されるまで大トニーは中野坂上で酒を飲んでいたそうなので、「酒癖悪いのかな?」「酔うとこんなに人格が変わるのか……」とも指摘されている。

「大トニーにとっては災難な収録となってしまったようですが、視聴者からは『大トニーキャラ薄かったから、インパクト残せて良かったのでは?』『正直大トニーのマジギレは面白かった』といった感想も。また相方のアントニーは自身のTwitterで『やっと相方がヤバイ奴だって言うのが世間に伝わったか、、、、、』とつぶやいていました」(同)

 賛否両論の数珠つなぎ企画だったが、大トニーはしっかりと“爪痕”を残せたようだ。

志村けんブレークの陰に……ボーヤ時代に起こした失踪事件と、「まったくウケない」下積み時代

 5月28日放送『ファミリーヒストリー』(NHK総合)がルーツを掘り下げたのは、あの志村けん。

 1976年にヒットした「東村山音頭」でわかる通り、彼の実家は東京都東村山市にあるが、「志村家はもともと、山梨の出だったと聞いたことがある」とは志村の兄(長男)・知之さんの弁。志村の姓は、武田家(武田信玄)がいた甲府に多い名字だ。

 旧武田の武士たちが甲州を手に入れた徳川家康へ「今後、忠誠を誓います」と出した誓約書の中には志村姓の武士が多く含まれており、甲斐の国から武蔵の国に入る甲州街道上、八王子にある関門(現在の東村山の近く)を守る使命が志村たちに与えられたとのこと。

 その他、諸説さまざまあるが、彼の祖先は名のある人物であった可能性が高い。もしかしたら、武田信玄に仕えていた可能性もあるのだ。

 

■ボーヤ時代の志村が失踪した理由とは?

 東村山で300年続いているという志村家。彼の父・憲司の職は教師である。非常に厳しい父親だったが、ある日、「雲の上団五郎一座」の舞台中継をテレビで見て、珍しく声を出し笑った憲司の姿に衝撃を受ける。そして、これを契機に、友だちを笑わすことに熱中する少年になった。

 高校の卒業式直前の68年2月、なんのツテもないまま、彼はいかりや長介に弟子入りを直訴した。この時の様子については、「笑芸人」VOL.1(白夜書房)が詳しい。

「いかりやは仕事のため留守。志村は長時間、雪の舞う中を待ち続け、バンドのボーヤ(付き人)として、ドリフに携わることになる」

 志村家の三男だった彼は家族から反対されることなく、無事、ドリフのボーヤになった。

「(直訴から)1週間たった後に電話きて『明日から東北の旅へ出るから。1週間。用意してこい』と(笑)」(志村)

 そして69年10月、新番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)が始まる。同時に、一番下っ端の見習いとして志村の修業がスタートした。ちなみに、彼の本名は「康徳」(徳川家康のように立派な人間になってほしいという願いが込められた)で、「志村けん」という芸名は父・憲司から取ったものである。

 74年に志村は正式メンバーへと昇格するが、それまでの道のりは決して順調ではなかった。まず、69年秋ごろ、志村は一度失踪してドリフの前から姿を消している。理由は諸説ある。

・あまりの修行のつらさに逃げた

・同じボーヤ仲間の井山淳とコンビを組みたいといかりやに告げたところ、許しが得られなかったため出ていった

・コメディアンとして社会勉強をしていた(志村自身が自叙伝『変なおじさん』〈新潮社〉で告白)

 バーテンダーやその他の職を転々として社会勉強した志村は1年後、加藤茶の口利きでボーヤに復帰。やがて、井山とコンビ「マックボンボン」を結成し、ドリフの地方巡業の前座に出演するようになる。

 当時のマックボンボンのネタは、ボケの井山に志村が「何を言ってるんだよ!」と顔面を蹴ってツッコむというスタイル。コント55号をより凶悪にしたコントは客席を沸かせ、72年10月からスタートした日本テレビの新番組『ぎんぎら!ボンボン!』レギュラーをゲットするにまで至った。しかし、若い彼らは舞台とテレビの違いに戸惑ってパッとせず、番組自体も同年12月に終了。結果、マックボンボンは解散し、志村はドリフのボーヤへと戻った。

■黒人音楽のマニア・志村けん

 その後、メンバーの荒井注が休業という名目で74年にドリフを脱退。前述の通り、志村は正式メンバーに昇格する。

 それにしても、なぜ志村が選ばれたのだろう? 志村よりも先に舞台デビューし、ブルース・リーのモノマネで人気を博していたすわしんじを昇格させるほうが順当だった感は否めない。この時の経緯について、4月14日放送『たけしが行く!わがままオヤジ旅3』(テレビ東京系)にゲスト出演した加藤茶が回顧している。

「長さんがね、荒井さんと同じ年の奴を入れようと思っていたのよ。ベテランを。で、1人候補がいたの。バンドリーダーでフルバンドの指揮やってる人で、豊岡豊って人がいたのよ」

「『長さん、待ってくれ』と。一緒に回ってて、作り方も全部知ってるし、考え方も同じ奴って言ったら志村しかいないんです。『志村入れようよ』って言ったのは、俺なの」

「自分もだんだんキツくなってきたから。志村が入ってくれることで、広がりができるじゃない。あの時はしんどくて、ネタもあんまり出なくなってきてたし。志村は俺と年中ふざけ合ってたから『こいつ、面白いかもしれない』って入れたら、案の定、ああやってブレークして」

 こうして、正式メンバーになった志村。しかし、舞台上でどんなに頑張っても、客にまったくウケない期間が続いてしまう。志村の兄(次男)・美佐男さんが当時を振り返った。

「今風に言えばブーイングですよね。『なんだ、引っ込め』みたいな。だから、最初の2~3年はつらかった時期もありましたよね。笑いが止まっちゃうんですから」

 弟弟子のすわしんじも証言している。

「ほとんど人には言わないんだけど、かなり悩んでましたね。そんなにウケないはずはないと思ってたはずですよね。荒井さんのキャラクターが強かったですから、見るほうはやっぱり荒井さんの姿を重ねたりしますからね。志村さんの笑いを定着させるには時間がかかったんじゃないですか。もがけばもがくほど、どこか深みにはまっていきますから」

 転機は76年に訪れた。「笑芸人」VOL.1の文章を、再び引用しよう。

「3月6日、新潟市民会館で行われた『少年少女合唱隊』コーナー。この時のテーマは『民謡』。新潟ゆかりの曲やゲストの出身地の民謡が歌われる中で、ラストに歌ったのが志村けんの『東村山音頭』だった。この曲は、たまたま志村が鼻歌で歌っていたのをいかりやが聴いて、とりあえず出してみたという偶然的なものだったが、これが大ウケ。9月にはシングルで発売され好セールスを挙げる。東村山市長から『市の知名度を上げた』ということで感謝状も贈られている。このブレークにより、ドリフターズの一員として、コメディアン・志村けんが世間に認知され、第2期ドリフの快進撃の幕開けとなる」

 その後も志村の勢いはとどまるところを知らず、「ヒゲダンス」など、音楽ネタにブラック系ソウル・フリークだった志村の趣味が反映されるようになる。ついには『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演し、音楽をバックにいつもの芸を披露した志村。

 ちなみに、80年に発売された「ヒゲのテーマ」は作曲者として志村の名がクレジットされているが、後に、ディスコシーンでヒットしていたテディー・ペンダグラスの「DoMe」を引用していたことが発覚。志村は「知らず知らずのうちに似てしまった」と説明しているが、「DoMe」の権利を持っていたレコード会社は問題にするどころか、この曲を「ヒゲのテーマ」の原曲として日本盤化。だが、残念ながらこちらはヒットしなかった。

 書籍『虹色の音詞』(シンコーミュージック)でインタビューを受けた志村は、「ミュージシャンになりたいという願望はなかったんですか?」という質問に対し、以下のように答えている。

「それはあまりなかったですね。でも、音楽はやってたんですけどね。高校の頃、コント55号へ行こうか、ドリフターズへ行こうか迷ったんです。で。コント55号は動きは好きなんだけど、音がない……それが決め手になって、ドリフターズに付いたんですよ」

 今回の『ファミリーヒストリー』エンディングで、志村はしみじみと「1人じゃ何もできないってすごくわかりますね」とコメントしている。

 家族、そして加藤といかりやらの理解の下に、確固たる地位を築き上げていった志村。そうした環境もありつつ、彼の内にあった音楽の素養がブレークのきっかけになった辺りが面白い。

(文=寺西ジャジューカ)

 

 

 

キンタロー。の“朝帰り心配性”に業界関係者が苦笑い「夫は気の毒だね……」

 人気アイドルグループ・欅坂46の平手友梨奈の“モノマネ”を巡ってネット上で炎上したばかりの、お笑いタレントのキンタロー。今度は自身の“夫”の行動を疑問視、これが火をつけかねない状況だという。

 27日の公式ブログで夫の“朝帰り”に触れたキンタロー。は冒頭から「ショック!嫌なんです!!」とバッサリ。朝6時台に更新したエントリーでは、結婚から2年が経過しても「これをやられると怖くなる」「これってメンヘラでしょうか」と綴った。

 どうやら過去に交際した男性から浮気されたことがトラウマになっているようだが、最後には「強いショックをうけています」「共感してくれる方は24時間大募集だお(☆∀☆)!意見お待ちしております」と締めくくっている。

 キンタロー。の夫はテレビ制作会社勤務のスタッフで、いわゆる“職場婚”であることは知られており、2017年11月にはバラエティ番組に出演した夫が、キンタロー。から「僕の行動をGPSで調べられている」と告白するなど、束縛が強いことを明かしていた。そんな彼女にお笑い関係者からは「夫は気の毒だね」と同情の声が上がっている。

「近年は働き方改革でテレビ制作の現場も労働時間が厳しく『ADは早く帰るように』というのが大きな流れ。その分、ディレクターに負担がかなりかかっています。さらに、人材不足も深刻化しており、簡単に補充もできない。同じ現場で働いているなら、彼女ももう少し配慮してあげたらいいのにとは思う」(同)

 また“束縛ネタ”も何度も世間に公表すれば「わざと鬼嫁枠を狙っているのかと、言われかねない。あまり得策ではないと思いますが……」(同)と話す。

 もっとも、やり手のテレビ関係者に“束縛妻”の目をかいくぐる方法を聞くと「職場の後輩の女性スタッフを味方につけてアリバイ作りに協力してもらうこと。これに尽きると思います。さらに、年に一度は女性スタッフも交えて食事や旅行に行って慰安するのも重要。お金はかかりますが、相手がGPSで監視するなら、こちらは人間を駆使して対抗するしかないと思いますよ」。

 キンタロー。の朝帰り心配性はいつまで続くのか。

「こんなに売れるの……?」ダチョウ倶楽部・上島、竜兵会メンバーの活躍に困惑していた!

 5月27日放送『ボクらの時代』(フジテレビ系)で、ダチョウ倶楽部の上島竜兵、肥後克広、そして土田晃之という座組が実現した。

 オープニングで土田は「テレビ見た人に『ダチョウ倶楽部ってメンバー入れ替えたのかな?』と思われてそうですよね」と発言。いや、この3人は「ダチョウ倶楽部」というくくりではなく「竜兵会」のメンバーである。

 

■竜兵会メンバーの売れ方に上島は困惑

 竜兵会は伝説の飲み会だ。土田は「ダチョウさんと初めて飲んだのは、日テレさんでやってた『THE夜もヒッパレ』。事務所のみんなで会うから、その後に飲みに行こうってなったんですよね」と、会の起源を振り返っている。

 実はこの辺、諸説ある。もともと、太田プロは先輩と後輩の交流が薄い事務所で、『THE夜もヒッパレ』での流れのように、たまに会えば飲みに行く程度の結束だった。

 そして、2001年10月より半年間続いたラジオ番組『セイ!ヤング21』(文化放送)の木曜パーソナリティを、ダチョウ倶楽部が担当することに。番組には当時まだ売れていなかった太田プロの若手勢も出演しており、収録後、上島が後輩たちを飲みに誘うようになったのを会の始まりとするのが定説だ。

 土田だけでなく、有吉弘行、劇団ひとりと、そうそうたるメンバーが名を連ねていた竜兵会。当時はみんな、仕事がなかった。特に有吉は暇で、15日連続肥後と2人飲みすることさえあったという。まれに有吉に仕事が入り、飲みに行けない事態になると「なんでだよ!? その仕事のギャラ以上を出すから飲んでくれよ!」と肥後がワガママを漏らしていたほど。当時の肥後は、有吉を養子にしようと考えるほどかわいがっていた。

 もちろん、有吉も竜兵会には居心地のよさを感じていた。「本人」vol.11(太田出版)のインタビューで、有吉は上島について「コンプレックスの塊です。だから全然違うんですけど、(自分の)理解者といえば理解者なので、居心地がいいのかもしれないですね」と発言、胸の内を吐露している。

 その後、有吉も劇団ひとりも売れに売れた。上島の心境は複雑だ。

「最初はうれしかったよ? でも、こんなに売れるとは思ってないからね。しかも、こんなに腕があるんだ、って。一緒に飲んでた時、腕があるとは思ってたよ。『こいつらは、ある程度は絶対売れる』と。でも、だんだん途中から『こんなに売れるの……?』って(笑)」(上島)

「有吉について、リーダー(肥後)がいい例えしてた。『子猫だと思って育ててたら、虎になった』って(笑)」(同)

■有吉と土田が告白した上島へのリスペクト

 上島が示したのは、父性を発揮しない独特の先輩像だ。「PRESIDENT」(プレジデント社)2014年1月13日号のインタビューで、彼は「後輩への接し方5カ条」を発表している。

(1)弱みを見せろ……先輩風を吹かすと、あとで後輩に抜かれた時に格好がつかない。

(2)できる後輩に近づけ……できる後輩と仲良くしていると何か身に付く、と謙虚な気持ちを持つ。

(3) 後輩の意見に従え……できる後輩の意見には「そうだな」とうなずく。実際、正しいことも多い。

(4) 注意の仕方は丁寧に……正しいことを指摘するときも「こっちのほうがいいと思うけどな~」の一言を。

(5)自分が払っていると思わせろ……後輩の前では全額を気前よく払い、後で同席した同期に請求する。

「俺の場合、先輩、後輩関係なく、笑いの才能のある人を単純にすごいと思うし、憧れるんです。極端な話、小学生でも尊敬できます。そこがいけないのかもしれないけど、『こいつには負けないぞ!』という気持ちにならないんですよね。自分にないものが多すぎるから、それはもう仕方ない」(「PRESIDENT」インタビューにて)

「むしろ、上に立って、あなたとどう接するか戸惑っているのは後輩でしょ? 今やってる仕事が本当に好きなら、目の前のプロジェクトに集中して、どうすれば後輩の力になるか考えればいい」(同)

 先輩風を吹かさない上島と肥後だが、後輩らはレジェンド「ダチョウ倶楽部」へのリスペクトを決してなくさない。2009年発売の書籍『竜兵会―僕たちいわばサラリーマンです。出世術のすべてがここに』(双葉社)にて、竜兵会のメンバーそれぞれが上島への思いをつづっていた。

「竜さんと一緒に番組出たりすると、こっちは無責任にどんどんやってスベり倒してもいいんですよ。最後に竜さんに任せちゃえばいいんです。竜さんに任せておけば、どうやってでも形にしてくれるんです。あの人はスベってもOKだし、ウケてもOKな人なんで」(有吉)

「松本(人志)さんってちゃんと頭の中で考えて、ちゃんと笑いを作るけど、上島なんてなんにも考えてない。それなのに笑いが起きるっていうのは、『上島って天才なんじゃねーか』と思う」(土田)

 

■竜兵会は解散すれど、不変のものがある

 本拠地だった東高円寺の居酒屋「野武士」閉店に伴い、竜兵会は2016年に事実上の解散。今では会合が開かれることもなくなった。所属メンバーが軒並み売れっ子となり、時間を取れなくなったことも理由のひとつだろう。

 だが、立場は変われど不変のものがあると3人は口にしている。

肥後「みんなで長い間ずっと一緒にいるから、出会った当時の記憶でいるけど(笑)」

土田「何十年も一緒にいるんだけど、そのまんまだから」

上島「この関係性は、もう動かないような気がするな」

肥後「例えば、上島さんが何かの映画にハマちゃって賞を獲ったりしても、この関係性は変わらないね、別に」

土田「変わんない。そしたら新年会を上島さんの家でやって、そのトロフィーをどうやって料理してやろうか? って思うだけですもんね。グツグツ煮込むのか、ボンドでいろんな物くっつけてさらに大きなトロフィーにするとかね(笑)」

上島「そうだな。新年会、よくやったな……」

 くしくも、「竜兵会」のスピリットがあらわになったこの日の番組。収録場所がいつものようなカフェやバーではなく、あえて田町の居酒屋が選ばれたところもまたよかった。

(文=寺西ジャジューカ)