『ザ・ノンフィクション』がんの病床でも明るく、暗くなるのが嫌な人「笑顔で生きよう~お母さんと僕の約束~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。8月8日の放送は「笑顔で生きよう~お母さんと僕の約束~」。

あらすじ

 料理研究家の高木ゑみ、34歳。著書の一つ『考えない台所』(サンクチュアリ出版)は14万部を超えるベストセラーだ。7歳の一人息子と2人で暮らすシングルマザーでもある。コロナ禍でもオンライン料理教室を開くなど、精力的な活動を続けていたが、2020年10月31日、腰に強い痛みを覚え病院で検査をしたところ、ステージ4のがん(がんが発生個所とは別の部位に転移した状態。進行度で言えば一番重い状態)であることが発覚。腰痛は肺から転移したがんによるものだった。

 がん宣告からわずか3日後の11月2日、ゑみは病室からインスタグラムのライブ配信を行う。化粧をして髪を巻いた状態で、ガンを宣告された様子を明るい様子で伝えていた。『ザ・ノンフィクション』の取材もがんと闘う姿を記録してほしい、ということで始まる。

 その後もゑみは病室からインスタライブを更新していく。治療のために親知らずを抜いて顔が腫れた時の様子や、治療で吐き気がひどく食事が食べられない時につまんでいるおやつや、誕生日にプレゼントに囲まれた部屋の様子などを、常に明るく伝える。

 翌月12月15日、容体が安定しひと月ぶりに自宅に戻る。ただ、完治にはまだ時間がかかり、髪の毛も3分の1くらいが抜けた状態だと話していた。さまざまなウィッグを購入し、その様子も動画で配信、病床で差し入れでもらったグラノーラで思いつき、オリジナルのものを開発しようと今後のプランについても話していた。

 「シングルマザーだし死ぬわけにはいかない」とゑみは話していたが、離婚した元夫と息子はZOOMで会話をしているとのことで、「万が一のことを考えると、(元夫と)息子の距離をもっと近くにいてほしいと心から願うようになって、そこから私の接し方も変わりましたね」とも話す。

 がん発覚から約4カ月後になる21年2月22日、月1回の定期健診では(がんの)影も薄くなっており、血液検査の結果も良好とのこと。ゑみはオンラインセミナーで料理やテーブルコーディネートの情報を発信するなど精力的に日々を過ごす。

 しかし翌月の3月24日、体調が急変しゑみは再入院となる。入院前日の23日も動画配信をしていたが、その中では何度か咳込む様子も見られた。入院後は肺炎になりICUに移動、27日に呼吸器をつけたまま一般病棟に移るも、これは容体がよくなったからではなく、家族との時間を過ごすための病院側の配慮だった。ゑみはいつも通りメイクをして、息子と一緒に風呂に入るなど家族との時間を笑顔で過ごす。翌28日、ゑみは35歳で亡くなった。

 ゑみは学校卒業でいきなり独立したようだ。番組スタッフとの会話で「就職して誰かから『これをやれ』って振られる仕事が絶対嫌だった」「自分で好きなことを見つけて、それを仕事にするぞって言うのが昔からあって」と話していた。

 この言葉に共感する人はいるだろうし、こういう気持ちをSNSでつぶやく人も少なくない。少なくないのだが、ほとんどの人はそう希望を述べるだけで終わってしまい、何も実行できずにいる人がほとんどだろう。仮に起業までこぎ着けた場合も、実質それでは食べていけず、お飾りの「起業」状態になっている人の方が多いのではないかと思う。

 しかし、ゑみはそれを実行し軌道に乗せ、さらには著書『考えない台所』は14万部超えと目覚ましい結果を出している。漫画以外の書籍が1万部を超えるというのは「かなりのヒット」と言ってよく、世の中の漫画以外の9割以上の本は1万部の壁を越えられない。ましてや10万部は「異次元」の領域といっていい。運も必要だが運だけでは絶対たどり着けない領域だ。

 ゑみはがんや治療による副作用でしんどかったと思うのだが、動画上はそれをおくびにも出さず、ヘア、メイクともに華やかに決めていた。ゑみの本業である料理も、そしてゑみが最期まで大切にしていたヘアメイクも、食べたり風呂に入れば跡形もなくなってしまうものだ。手を抜こうと思えばいくらでも手が抜けることだし、「やりたいときだけ頑張る」ならまだしも、それを毎日高いクオリティで維持していくのは非常に気合のいることだと思う。

 ゑみはそういった日々の営みも手を抜かない人という印象を受けた。こういった徹底した姿勢が14万部の大ヒットにつながった原動力なのではないかと思った。

 突然のステージ4のがん宣告から3日でインスタライブを病室から行ったゑみだが、その様子はちょっと驚くくらい明るく、それでいて無理をしている痛々しい感じがなかった。そして、番組の中のゑみも亡くなるまでずっとそんな印象だった。

 そんな姿を見て、ゑみは「明るくありたい人」だと思うが、さらに言えばそれを超え「暗くなるのが嫌な人」なのではないかと思った。「病院にいると病人になっちゃうから、血色は悪いし髪とかにはケアしないし。鏡見るたびに、どんどんげっそりしてるとかなるけれども、常に美容とかに意識をすると、パックしたりとかお化粧したりすると自分が病人であることを忘れる」と、かつてゑみは話していて、そのときも明るい様子だった。

 ウェブサイト「AERA.dot」の連載「鴻上尚史のほがらか人生相談」で、予後不良のがんと言われつつも日々“のんき”に過ごす女性が、友人からの「絶対治るから希望を捨てないで」「強い気持ちを持って」という励ましがうるさい、という相談があった。

 この相談者もおそらく「暗いのが嫌」なのだろう。一方で、とことんこういうときは落ち込む人もいると思う。

 これはどちらがいい悪いかではなく、当事者はその人のその時々で移り変わるであろう気持ちに嘘をつかないでほしいし、周囲は自分の価値観を押し付けず、病に向き合う当事者の価値観を確認して尊重することが大切なのだろう。

『ザ・ノンフィクション』女装一筋に見る、類まれなオタク人生「女装と家族と終活と ~キャンディさんの人生~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。8月1日の放送は「女装と家族と終活と ~キャンディさんの人生~」。

あらすじ

 コスプレやLGBTという言葉がなかった40年前から女装をしてきたキャンディ・H・ミルキィ69歳。1990年代から女装で原宿の街を闊歩していた有名人で、今も近所への買い物は女装で行く。名前は少女漫画『キャンディ・キャンディ』(講談社)から。キャンディは同作の大ファンで、数多のグッズを所有するコレクターでもある。柴又の喫茶店の2階を借りて「キャンディ・キャンディ博物館」を開き、グッズを展示している。

 キャンディは治療法が確立されていない「間質性肺炎」を患っており、(余命は)長くて7年、短ければ4年と医師から告げられているそうで、番組取材時点で2年が経過していた。年々息が切れやすくなっているとのことで、自分の「終活」について意識しはじめる。

 キャンディは幼少期に銭湯に行った際、母から姉の服を間違えて持たされ、ちょうちん袖のフリフリの服を着たことから女装に目覚める。姉の服をコッソリ着るだけでは飽き足らず、小学校高学年で新聞配達のバイトを始めると、ゴミ捨て場から女物の服を漁って集めていた。

 しかしその後、キャンディはオートバイに夢中になるなど活発な青年になっていき23歳で恋愛結婚、3人の息子に恵まれる。女装は「切れた」「脱皮した」、と思っていたもののその運命は26歳で一変する。松田聖子が白いドレスで歌い踊る姿を見て「開眼」したのだ。

 キャンディは女装部屋を借りるなど家族に女装を隠してはいたもののバレてしまい、「生理的に嫌」だと42歳のときに妻は家を出ていく。なお、現在39歳のキャンディの三男は、上2人の兄は周りから(父の女装について)変な目で見られていたことがあったようだが、自分は兄たちより年が離れていたのもあって、いじめられたというより芸能人の息子の扱いに近かったと振り返る。

 SNSもない時代、キャンディはアマチュア女装者情報誌「ひまわり」も作っていた。そこで表紙を務めたこともあり、『女装と日本人』(講談社)著者である三橋順子は、2000年に自身が中央大学の非常勤講師になった際に、大学に抗議の電話やメールが来て騒動になったという。この四半世紀でいいほうに変わった、と三橋は話す。

 番組の最後ではキャンディの姉が訪ねてくる。姉は「その年になって楽しいことあるっていいよね、年取ったら何もやることなくなってくるしできなくなってくるし、やりたいようにやっている、それが生き生きしている」と話していた。

 放送を見て、キャンディのことをオタクとして尊敬の念を思いを抱いた。まず対象(女装)への深い愛がある。同人誌即売会などで気合の足りないコスプレを見ると、本当に対象を愛しているのかと思ってしまうが、キャンディのコスプレは小道具まで手が込んでいてクオリティが高いのだ。

 また、キャンディはただ女装がしたいだけであり、バズりたいといった「他人の顔色をうかがう感じ」が一切ないのもいい。私がキャンディだったら、せっかく手間暇かけて衣装を作るならSNSでバズりたいと、今はやっているコンテンツの女子キャラクターのコスプレをしよう、とスケベ心を出していたと思う。そして思ったよりバズらなかったら、別に頼まれたわけでもないのに、「こんなに努力したのに報われなくてつらい」と勝手に被害者意識を募らせたかもしれない。

 キャンディの行動には、こういったしょうもない意識が一切ない。他人を全く気にしておらず、「自分の楽しさ」だけにひたすらフォーカスしている。

 キャンディは女装して街を歩いて人の反応を見るのが好きなのだが、どの反応でも面白がっているように見えた。「肯定的、好意的な反応しか見たくない」「否定的な反応をされたら立ち直れない」という弱さがない。こういう人こそ強い人というのではないかと思う。

 キャンディは、遠出して女装写真を撮影しに出かけることもある。田舎の廃病院か、廃校舎と思われる風情ある建物の庭で、「機銃掃射で命を落とす日赤の従軍看護師」というテーマの作品を撮影していた。

 衣装にとどまらず、小道具の飯ごうを包むケースまで自作、さらにはコスプレの衣装の、写真には全く写らないはずの背中のタグまで、今回の設定である「日赤仕様」にしていた。

 私にとって真にイケてるオタクとは、「フォロー数が少なくフォロワーが多いオタク」ではなく、キャンディの衣装の背中のタグのような「そこまでこだわる必要ある?」というところまでこだわり、それを自分が何より楽しんでいるオタク」だ。背中のタグをつけるとき、キャンディは楽しんでいたはずだ。

 かつて不遇だった時代が嘘のように、オタク趣味がある人は今の時代、勝ち組だと思われているように感じる。一方で、大抵のオタクはキャンディほどの達人ではないように思う。

 本来は自分が楽しむためのオタク活動であるはずなのに、たとえば芸能人のファンのオタクは「推しに女の影」「運営がむかつく」「グループ内格差」「ファンの民度が低い」と感情が情報に振り回され、作品ファンのオタクは「公式の展開に納得がいかない」「作者が特定のキャラを贔屓している」と不満を抱え、創作系のオタクは「SNSの反響が振るわず苦しい」「いいね欲しさの互助会活動に疲れた」と落ち込んだりしている。

 オタクでない人にしてみれば、仕事でもないのになんでそんなしょうもないことで……と思うであろうことに情緒不安定になっているケースが多いし、私もそうなりがちなオタクだ。

 オタク活動は多くの喜びもあるが、不満や怒りなどネガティブな感情も大きくなりがちだ。喜びに目を向け楽しみ、存分に味わう、キャンディのような“徳の高い”オタクに、大抵のオタクはなかなかなれない。

 キャンディは生まれ変わったら女性になりたいのではなく、男性に生まれて女装を楽しみたい、と番組最後のナレーションで伝えられていた。女装一筋人生、いいものを見させてもらった。キャンディのようなオタクに私はなりたい。

 次週は「笑顔で生きよう~お母さんと僕の約束~」。2020年秋、突然ステージ4のがん(がん細胞が発生場所以外にも転移している状態、一番重い進行度)を宣告された35歳のシングルマザー、高木ゑみ。8歳の息子のために生きると、闘病姿を発信していくが……。

『ザ・ノンフィクション』老舗を正したいムコの鼻息「老舗の寿司屋に婿が来た ~4代目は元美容師~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月25日の放送は「老舗の寿司屋に婿が来た ~4代目は元美容師~」。

あらすじ

 明治神宮、川崎大師とともに有名初詣スポットであり、正月三が日だけで約300万人が参拝するともいわれる千葉県の成田山新勝寺。その参道にある80年以上続く老舗「成田江戸ッ子寿司」の3代目になる社長は、人手不足や魚の値段の高騰、回転寿司チェーン店の勢い、そして新型コロナの影響もあり将来的には店をたたむことも考えていたという。

 しかし社長の一人娘、すみれの交際相手である元美容師の31歳の雅貴が店を継ぎたいと婿入りする。すみれが店の板前たちを巻き込んで雅貴をノセたところもあったようで、すみれは「(雅貴が)仕事がイヤにならないか不安」と話す。なお、雅貴はそれまでしていた美容師の仕事について「やりたいと思ってやっていなかったので、次にやるものが見つからなかったので」と話す。

 雅貴は店に入る前に、寿司職人の養成学校で2カ月間の集中特訓を受けるも、授業料の82万5,000円はすみれの父親持ちだ。その後2020年11月、雅貴は江戸ッ子寿司に入るが、接客では声が出ず、ホール担当のすみれの母に覇気のなさをたしなめられる。

 21年正月、新勝寺の参道は「閑散としている」ほどではなく、それなりに人が行き交ってはいたものの、親方(社長の弟であり、すみれの叔父)に言わせると人は10分の1だという。元日の売り上げは例年の3分の1にも及ばなかったという。

 このころの雅貴は、接客でも声が出るようになっていたが、店を取り仕切る大女将(すみれの祖母)が作るシフトは現場の実情にそぐわないと苦情を入れたり、厨房とホールスタッフの役割が分業なのは合理的ではないと、大女将のやり方に不満を持つ。

 大女将は「何か知らないけどガンガンガンガン電話で言われてさ」と気分を害し、雅貴の勇み足にほかのスタッフも彼と距離を置くようになる。

 結局、シフト作成はホールに入る益美(親方の妻であり、すみれの叔母)が大女将に変わり作ることになったが、益美はあえてそれをすっぽかし、結局大女将に戻る。大女将は、益美が自分に気を使い、あえてやらなかったのだろうと気持ちを汲む。

 そんな中で、すみれが妊娠。雅貴は、少しずつ最初の勇み足から落ち着きを見せてくる。「前の職場(美容室)で何も考えなさすぎてやってきて、それがあって前の仕事で失敗しているのが自分でわかっているので」と話す。最後は大女将の家にすみれの妊娠を報告していた。

 雅貴は入店からわずか半年程度で、60年店を切り盛りしてきた大女将のやり方に不満を抱え、それを本人に伝えてしまったことで、案の定怒らせる。

 組織には、今となっては悪習でしかない古いルールがあるとは思うが、それを新入りが「古参の悪習を正す」と進言したところで、「こちらの頭が固かった、ご指摘感謝します」となるわけはないだろう。相手にだって感情があるし、相手はそれまでそこを守ってきた先輩だ。「御進言」をするとしたら、そこに配慮し、ものすごく慎重な態度で、かつ、時期を見計らってやるべきことだったように思える。

 しかし、雅貴にはいずれ自分が継ぐのだから、自分の意見は受け入れてもらえるはずだ、という思い上がりもあったのかもしれない。

 雅貴と大女将のいさかいのとばっちりを受け、シフト管理を任された益美は、その仕事をおそらく「あえて」すっぽかし、大女将に仕事を戻す。この“大人の対応”により、雅貴は首の皮一枚でつながったように思う。

 雅貴の勇み足も、番組の最後ではだいぶ落ち着いたように見えた。益美をはじめ、周りの大人に感化されたところもあるのかもしれない。なお、親方は番組スタッフの取材に「自分で恥かいて尻に火がついて一生懸命やる、多分みんなそうだから」と雅貴を大人な態度で見守っていた。

 雅貴については、金銭感覚も気になった。寿司職人の養成学校の授業料をはじめ、夫婦の引っ越し費用や新居の家財道具はすみれの親持ちで、結婚式の財布も両家の親とあって、雅貴もすみれも親がいくら出しているかもわかっていない様子だった。

 結婚式や新居の家財道具はご祝儀ともいえるが、2人の住む家の家賃は16万円と伝えられており、これは成田市の相場を考えてみたらかなり高い。そんな二人の暮らしぶりと、客の入りがまばらな江戸ッ子寿司の現状がどうにも一致しなかった。コロナ禍により、従来の稼ぎ時である正月はもちろん、GWに至っては店はガラガラだった。

 すでに代々脈々と築いた資産があり、この程度の出費ぐらい余裕というならうらやましい限りだが、店で働いている雅貴とすみれは、コロナ禍の売り上げと、自宅の家賃のギャップにどこまで自覚的なのだろうとは思った。

 店はいずれ自分たちが継ぐのであり、主役の自分たちを周りが祝ってくれる結婚式のように「費用は知らない」では済まない。雅貴は大女将のやり方に文句を言う前に、そういったことを気にした方がいいのではないだろうか。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は『ザ・ノンフィクション 女装と家族と終活と ~キャンディさんの人生~』。女装歴が40年を超える69歳の女装愛好家、キャンディ・H・ミルキィ。女装を後から知った妻は家を出ていってしまったという。現在肺の病を患うキャンティの「終活」とは。

『ザ・ノンフィクション』 わだかまりのある親の最期に何を話す?「最期の願い ~父と息子と家族の2週間~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月18日の放送は「最期の願い ~父と息子と家族の2週間~」。

あらすじ

 2021年3月、松下家の父・静徳は緩和ケア病棟から自宅に戻る。2019年に発覚した首の骨にできたがんが神経を圧迫するため、首から下を自力で動かすことはできず寝たきりの状態だ。なお、がんは肺にも見つかっており、手術や放射線治療など手は尽くしたが根治できなかった。

 静徳の最期の夢は、自身が校長を務める小学校の卒業式に出席すること。今年で定年退職を迎える静徳にとって「最後の卒業式」だった。

 静徳には3人の子どもがいる。一番上の33歳になる長男、将大は小学校時代にいじめを受け、中学校で不登校になるも母親には学校に行かないことを叱責され、父親は教師の仕事にかかりきりという状況だった。その後、音楽の道へ進むも人間関係につまづき、22歳で統合失調症と診断される。

 仕事が続かない状況が続き、家の中には変形したファンヒーター、壁に空いた穴など、将大の怒りの痕跡が刻まれている。将大は「親に対する憎しみが激しかった」「家族が笑っている顔も嫌で」と親、家族へのわだかまりを番組スタッフに話す。自宅に戻った静徳と将大は会話を交わすも、将大は静徳への不満を口にする。

 卒業式のスピーチで、静徳が児童たちに伝えたいことは「一番近くにいる人に感謝を伝えること」「近くにいる人の気持ちをわかってあげる」ことの2つだった。スーツを用意し、卒業式に挑むも、当日の体調が思わしくなく、移動中に息を引き取ってしまう可能性があるとドクターストップがかかり、出席を断念することになる。

 静徳は発話も難しくなっていくが、将大は静徳をマッサージしたり、卒業式の映像を病床の静徳に見せるなど看病する。また、15年ぶりに家族と同じ食卓につくようになるなど、少しずつ将大と家族との関係も和らいでいく。その後、家族に看取られ静徳は息を引き取る。

親の最期に、どんな会話をする?

 「小学校でいじめを受けてその後不登校」「両親の対応に絶望し荒れる息子」「家の壁には穴が空き、ファンヒーターはへこんでいる」という状況だけ見ると、相当荒んだ親子関係を想像してしまうだろう。しかし、静徳と将大が最期に交わした会話は、「日本の成人した息子と父親」というくくりで見たら、むしろ非常にコミュニケーションが取れている親子なのでは、と思った。

 最期の会話を抜粋する。

父:あの時はかわいそうだったな
息子:本当にそう思ってたの、あんまり家にいなかったじゃん
父:いたくてもいられなかった、仕事が忙しくて
息子:作ろうと思えれば作れたとこっちは思っている
(中略)
父:ダメ?
息子:やるせなくなっちゃうな

 会話中の将大は、「激高」とか「ふてくされて」とか、そんな様子ではなく、淡々と訴えていた。このとき静徳は、首から下は動かない状況なのだが、将大は情にほだされず、最後も「やるせなくなっちゃうな」と、この件に関しては妥協できない、という意思を伝えていたように思う。非常にセンシティブなテーマでありながら、互いが互いに言いたいことを、感情的にならずに伝え合った、いいコミュニケーションのように見えた。

 その後、静徳は発話も難しくなり亡くなる。将大は、最期の会話があのような形で終わってしまったことへの後悔を、番組スタッフに話していた。将大はどうすればよかったのだろうか。弱った父を前に「過去の件はもう過去のことだ」と“忖度する”選択肢もあったと思うが、それもそれで何か心にモヤモヤしたものが残りそうだ。父親との最後の会話のあと、将大は前より家族との接点が増えていっていた。それを見ると、きちんと不満を最後に伝えることで、将大にとっては一つの踏ん切りにもなったのではないかとも思う。

 ただ、このくらい深い会話が、20年前、将大が一番つらいときにされていればよかったのに、とは思う。静徳が児童たちに最期に伝えたかったことであり、かつ静徳がかつて将大に対してできなかった「一番近くの人の気持ちを分かってあげ、感謝する」が、今日から実践されれば、救われる家庭はとても多いだろう。一方で、そんなことなど絶対やってやりたくなどない、という過去からのわだかまりが蓄積された家庭もとても多いと思う。家族は一番難しい人間関係だ。

 将大は、過去の件は許さない体で話していても、「顔すら見たくない」ほどではないようで、寝たきりの静徳の足をマッサージしたりなど、父親に接している。あくまで許さないのは「過去の対応」であり、父親そのものについては許しているように見えた。この割り切り方は、とても大人な判断だと思う。

 個人的に、将大より心配なのは将大の妹の瑛梨歌だ。父と兄の病気、そして母は看病疲れで鬱になりと、離れて暮らしていた瑛梨歌は、実家に戻って家族を支えているという。

 静徳は病床で瑛梨歌への感謝を何度も伝えていた。だが26歳なのに、家族の心配や、家族のための行動が心や生活の大部分を占めている状況は切ない。幸い番組の最後、瑛梨歌の口から、今の家庭は笑顔が増え、状況は良くなっていると伝えられていたので、自分の幸せにも邁進してほしい。

次週の『ザ・ノンフィクション』は「老舗の寿司屋に婿が来た ~4代目は元美容師~」。80年続く寿司店一家の、最愛の一人娘が結婚したお相手は元美容師の31歳。婿入りしていずれは4代目として店を継ごうというのだが……。

『ザ・ノンフィクション』オタク業界とやりがい搾取の関係「ここでしか生きられない私~34歳 秋葉原メイド物語~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月11日の放送は「ここでしか生きられない私~34歳 秋葉原メイド物語~」。

あらすじ

 秋葉原のメイドカフェ・HEART of HEARTsで働くもち、34歳。同店は秋葉原でも有名なメイドカフェの一つで、スタッフから選抜された5人組アイドルユニットもあり、店内にはステージもある。新型コロナ前はインバウンド需要もあり「メイドバブル」で店は連日大賑わいだったという。

 しかしコロナの影響は秋葉原も直撃し、番組がもちの取材を開始した2度目の緊急事態が出る直前の2020年12月、店内の客の入りはまばらで寂しい状態だった。その日、売り上げ10万円を目指すが半分にも届かなかったという(番組内で、メイドカフェの客単価は3,000円程度と伝えられていた)。秋葉原では多くのメイドカフェが廃業に追い込まれており、番組内ではテナントを募集する張り紙が貼られた空きビルも映されていた。

 もちは内気で、友達らしい友達もいない少女時代を過ごし、漫画やアニメなどのオタク文化を心のよりどころにして生きてきた。24歳のとき、幾度となく訪れたオタク文化の聖地・秋葉原でメイドとして働きだす。働きぶりが評価され、今は店の実務を担う立場だ。

 親にはいまだにメイドの仕事を反対されているようだが、自分を支えてくれた場所を守ろうともちは奮闘し、自分の報酬を削ってでも店の維持費やスタッフの給料に回している。もちの貯金はコロナ禍でなくなり、番組スタッフに自分のお金はどのくらいあるのか尋ねられた時、財布に入っているだけと話し、財布には1,000円ぐらいしか入っていなかった。

 メイドカフェの閉店後も、売り上げを補うべく共同経営者のあずにゃんと共に早朝近くまでオンライン配信を行う。そんな日々では睡眠時間もままならず、事務所の片隅で体育座りのような姿勢で仮眠を取ったり、たまに自宅に帰れても、寝すぎないようソファーにもたれかかって寝るような生活だ。

 一方で、メイドバブルの恩恵をほとんど受けていないであろう店の10代のメイドスタッフたちは冷静だ。番組スタッフの取材に対し、もちのことは好きだし、尊敬しているが、もちのあまりに献身的すぎる働きぶりを前に、「自分の時間も仕事と同じくらい欲しいなと思っているので(もちと)同じ人生は嫌です」ときっぱり話す。

 2021年1月、緊急事態宣言の延長が決まり、それまで避けていたキャストの人員削減をもちは決断するも、人気スタッフも「卒業」してしまう。明日が見えない日々が続く中、客のほとんどいない店の片隅でもちは涙をぬぐう。

 もう一人の共同経営者であるあずにゃんは、アイドル志願だったが乃木坂46やモーニング娘。のオーディションに通ることができず、アイドルとしての活路をHEART of HEARTsに見いだし、店の選抜アイドル5人組の1人でもある。16年の『TOKYO IDOL FESTIVAL』に出演した際の映像をうれしそうに番組スタッフに見せていた。

 あずにゃんも店に対する責任感はとても強いように見え、優しい性格でスタッフを叱れないもちに対して不満があるようだ。ある日、深夜の配信中、もちが「寝落ち」してしまったのを見たあずにゃんは、もちに不満を伝える。そのような中で迎えたもちのメイドデビュー10周年イベントでは、花束を持った客たちがもちを訪ね、店は久々の賑わいを見せていた。

「頑張る」よりも冷静さが必要ではないか

 番組を見ていて一番気になったのは、もちがスタッフの給料を優先するため自身の報酬を減らしていた、というくだりだ。コロナでもちの貯金は尽きたと伝えられており、番組中、夜になってようやくその日の食事としてもちが食べたのは、1本のサラダチキンバーだった。

 もちがオーナーなら「店を守るために身銭を切る」は選択肢としてあるかもしれないが、番組を見る限り、もちの上には「会長」がいるとあり、店の実質的なオーナーはこの会長ではないかと思う。そうであるなら、もちが身銭を切ってまで従業員の雇用を守ったり、もちとあずにゃんがメイドカフェ営業後も朝方まで配信を続ける、という過酷な生活を続ける前にやることは「オーナーへの相談」ではないだろうか。

 もちとあずにゃんが二人暮らすワンルームは、会社が借り上げていると伝えられていたので、義理があって言い出しにくいのか、すでに相談して芳しい回答が得られず、自分たちでやるしかないと諦めているのか。または、もちとあずにゃんが切り盛りしていくしかないような契約になっているのか。はたまた、会長としては店をたたんだり、休業してもいいと思っているのだが、もちとあずにゃんがそれを回避したいがために奮闘しているのだろうか。

 もちもあずにゃんも「自分が頑張ればいい」の人のように見えた。しかし、明らかに二人とも、もうすでに頑張っている。もちの働き方を見て、そこまではやれないと話す10代スタッフたちは冷淡なのではなく冷静なだけであり、もちとあずにゃんの働き方こそが冷静さを欠いているように思う。

 オタクのもちも、アイドル志望だったあずにゃんにとっても、HEART of HEARTsは特別な場所なのだろう。しかし、労働に「自分の個人的な思い入れや思い出」はあまり混在させないほうがいいように、二人を見ていて思った。もちもあずにゃんも行動は自主的なのだが、正直「やりがい搾取」的なものを感じてしまったのだ。

 しかし、こういったオタク業界で働く人は何もメイドカフェに限らず、「これが生きがい」「これが私の居場所」「これが私の全て」という熱烈な思いを抱く傾向があるだろう。それゆえ、やりがい搾取されやすい業界だと思う。

 一方で、ここまで情熱のある人たちが、仮に別のカタギの仕事につき「オタ活」は趣味と割り切ったところで、自分のやりたかったことを本業にできなかったという後悔を引きずり続けるかもしれない。「好きを仕事にする」難しさを思う。

 番組の最後、もちのメイド10周年記念イベントで、有志より送られた花輪には「もうちょっとゆっくりしませんか」とメッセージが添えられていた。横になると寝すぎてしまうからと体育座りやソファーにもたれかかって寝ることが多いもちには、とりあえずちゃんと夜、自宅の布団で横になってぐっすり寝てほしい。いつも仮眠のような姿勢で「ちゃんと寝ないようにする」ことが日常になっていることの異常さに早く気づいてほしい。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「最期の願い ~父と息子と家族の2週間~」。60歳の父・静徳は首の骨にできたがんの影響で、首から下を自力で動かすことができない中、緩和ケア病棟から自宅に帰る。静徳は自身が校長を務める小学校の卒業式に出席し、生徒たちに思いを伝えたいという夢がある。一方、33歳の息子・将大。幼いころからいじめを受け、父親である静徳は家庭のことは妻に任せきりだった。父と息子の間の過去にできた溝と、今の生活について。

『ザ・ノンフィクション』父からの仕送りにも「反省しない」、夢を追う27歳芸人「ボクがなりたいもの~芸人になる。と上京した娘~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月4日の放送は「ボクがなりたいもの~芸人になる。と上京した娘~」。

あらすじ

 下北沢の駅前でお笑いライブのビラを配る芸人・幸世27歳。体の性は女性として生まれるが違和感があったという。幸世は7年間男性ホルモン注射を行い、顔立ちもシュっと男性らしく、腕はたくましく、すね毛もあり、髭も朝そっていたりと、言われなければもともとの体の性が女性とはまるで気づかない見た目だ。

 幸世という名前は芸名でもあり本名でもある。チラシを配り続けて2時間、500円のチケットを買ったたった一人の観客を前に、幸世は男性ホルモンを打って生活している自分を「オカマの反対、オナベです!」と話し、そんな自分の半生をネタにした舞台を行うが、笑いを取れずライブは終了する。

 別の舞台でも男になりたいと父親にカミングアウトする実体験に基づいたネタを披露する。幸世のネタはこのテーマに絞られているようだ。しかし観客の反応は芳しくない。幸世のお笑いの収入はほぼゼロで、売れなかったら30歳で辞めると決めいるとナレーションが入った。

 お笑い芸人としての収入がほぼない状況で、さらに専門学校時代の奨学金返済もある幸世は、いまだに父親から仕送りをもらい、社会保険料も払ってもらっている。幸世の父親は静岡県で薪を作る仕事のほか、二つの仕事をかけもちし、ろくに自宅にも帰れず、仕事漬けで車中泊生活だ。番組スタッフの取材に父親は「親からの支援で生きていく生き方をやめてもらいたい」と苛立った様子で話す。幸世の性的な決断に関しては「否定はしないし認めちゃってるから。どうにもできないよ俺は。そんな格好するなとも言えないし。本人は本人なりの生き方というか……」と複雑な思いを話していた。

 幸世は1年半ぶりに静岡に帰省する。幸世の母親は幸代の性について、最初は世間を気にしてしまったと話すが「世間で何を言われようが私にとっては大事な娘」と受け入れつつも「『息子』ってでも言えないかも、言えないな」と複雑な心境を話す。幸世は働く父の元も訪ね、初めて父親が仕事を掛け持ちしてまで自分に仕送りしていた過酷な状況を知る。

 父親は番組スタッフだけの取材では、幸世の生き方に不満をあらわにしていたが、いざ幸世を前にすると一転、とても穏やかな様子で、幸世のことが可愛いようだった。番組の最後、芸人を続ける幸世に父親は仕送りをまだ続けているとナレーションで伝えられていた。

 幸世の舞台で観客の反応がいま一つだったのは「自身の体の性と心の性の違和感というセンシティブなテーマで、笑っていいのかわからない」という困惑あると思うが、しかしそれ以外に「単純に面白くないから笑えない」のもあるのではないかと番組を見て思った。

 「父親に『男になりたい、すね毛を生やしたい』と懇願する」という、自分の実体験が幸世のネタだ。第一線で活躍する芸能人と比べるのは酷だが、同じトランスジェンダーのタレント・はるな愛の鉄板芸として、時たま「ドスの利いた声」を出すものがあるが、それと比べると、幸世のネタは「笑ってほしい」というより「わかってほしい」というものに私は見えた。はるなには「これで笑ってほしい」という意図を感じ、実際に笑えて、芸として成立しているが、幸世の場合は芸として微妙ではないだろうか。

 もし幸世が、人を笑わせたいというより、人に自分の身の上をわかってほしい、こんな人もいるということを知ってほしいのなら、お笑いという形式を取らず、自分の思いを率直に伝える方が向いているようにも思う。しかしそうではなく「笑ってほしい」のならば、自分の性を、プロの笑いとして提供するほどまでは乗りこなせていないという現実をしっかり噛み締めたほうがいいように思えた。

 幸世の笑いに番組スタッフも思うところがあったのか、自分のネタを面白いと思うか? と尋ねていたが、これに幸世は「正直自分で言うのもアレですけど成長はしたと思います。今やっているネタは面白い」と回答していた。趣味でやっているならともかく、仕事としてやっていきたいのなら、現状に対し甘い自己評価ではないだろうか。

 『ザ・ノンフィクション』では幸世に限らず売れない芸人をテーマにした回がたまにあるが、笑いの取れない自分の芸に対して反省しない人が多い印象を受ける。もっと反省したほうがいいのではとも思うのだが、一方で彼らは「反省しなさ」ゆえに暗い雰囲気がないし、また、反省しないからこそ、いつまでも夢を追えるのかもしれない。

 反省して自分の現状に暗い気持ちを抱くのと、反省せず夢を追い続けるのはどちらが幸せなのだろう。そして反省力の低そうな幸世は、30歳で芸人を本当に辞められるのだろうか。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「ここでしか生きられない私~34歳 秋葉原メイド物語~」。秋葉原でも数少ない30代のメイド「もち」。新型コロナウイルスの影響は秋葉原も直撃し閉店する店も多い中、もちは店を守るため昼夜働き続けるも……。

『ザ・ノンフィクション』40年前は6万匹以上、100倍あった猫の殺処分『はぐれ者とはぐれ猫 ~小さな命を救う男の闘い~』

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月27日の放送は「はぐれ者とはぐれ猫 ~小さな命を救う男の闘い~」。

あらすじ

 名古屋で猫の保護活動を行う「花の木シェルター」を運営する阪田泰志36歳。髪型はソフトモヒカン、革ジャンとジーンズを細身の体で着こなし見た目はロックミュージシャンのようで、「猫の保護活動をしている人」と聞くと思い浮かぶタイプとはずいぶん雰囲気が異なる。

 阪田は自身を活動家と呼び、ボランティアではないと明言する。日本ではボランティアに「タダ働き」という言葉のニュアンスがしているから嫌い、と話す。阪田のもとには月に20件以上の保護依頼が入るそうだが、里親が見つかるまでの養育費として月1.5万円を受け取っているという。タダでないことに怒る依頼者もいるそうだが、阪田は「今まで(保護活動を)やってこられた方たちの中に「自腹を切る美学」があるんですよ。僕にはそんな美学はないので」と話す。それでも猫の餌代だけで40万円かかる経営は火の車で、電気を止められることもあり、1000万以上の借金をかかえているという。

 阪田のもとにはさまざまな依頼が寄せられる。ネズミ捕りシートが体中に張りついてしまい衰弱した子猫を助けてほしいという依頼、覚せい剤所持で逮捕、服役することになり、その間猫を預かってほしいという依頼、多頭飼育が崩壊した家では、一軒家にまともに餌も与えられない猫が33匹暮らしており、床が見えないほど糞が堆積していた。

 応対していた当事者である一家の50代の母親はおとなしい感じの女性だったのだが、ぼんやりと弱々しく、エネルギーのない印象だった。多頭飼育をする人は繰り返すと阪田は母親を諭す。猫たちは、避妊手術の上、一部を元の家庭で育て、大部分の猫を阪田のシェルターで引き取ることになる。

 番組の最後は覚醒剤所持で服役していた女性が出所し阪田の元を訪ね、服役中も猫の様子を写真で送ってくれたことに礼を伝えていた。なお、コロナ禍のステイホームの影響もあってか、猫の引き取り手は増えているとのこと。

 番組内で、猫と暮らしたいという70代の女性が登場した。保護猫の譲渡を検討していたが、さまざまな団体から高齢者であるため看取りが難しいと断られた中、花の木シェルターから成猫を引き取り、これから共に暮らすという。

 「高齢の飼い主に譲渡はできない」という多くの団体が、何を心配し、何を懸念しているかはとてもよくわかる。飼い主の突然死、認知症など不安要素だらけともいえる。阪田はいざというときは責任を持つ、ということで譲渡をしていた。阪田の方法はリスクもあるし、賛否両論はあると思う。ただ、阪田の手段は猫の殺処分ゼロ、を目指すにおいて一つの希望にも思えた。

 何より「高齢者の飼い主」と「成猫」の相性を思う。これは「飼い主側の余生の期間の問題から、成猫の方がいい」が非常に大きいが、それ以外に成猫は運動量が少なく落ち着いているというのもある。かつて猫を飼っていたが、子猫のころは何事にも興味津々で、そこがたまらなく可愛いのだが、エネルギーの塊のような子猫を高齢者が飼うのは大変だろう。さらに、やはり猫を引き取りたい人を見れば「子猫から飼いたい」という人が全体から見れば多いはずであり「高齢の飼い主」と「成猫なら引き取れる」という組み合わせには可能性を感じた。

 『ザ・ノンフィクション』では動物愛護をテーマにした回が多く、過去にも多頭飼育が崩壊した家が放送されていた。

 そういった飼い主(飼えていないのだから、個人的にはこういう人を飼い主と呼びたくないが)には共通して、地域、社会、家族とのつながりを感じさせない、生きづらそうな雰囲気を感じる。「地域のちょっと変わり者」の成れの果て、といったように筆者には見える。変わり者になってしまった本人にも、それまでの境遇に気の毒な部分もあるのだろうが、だからといって立場の弱い動物を巻き込む状況には、まったく同情できない。

 以前、動物愛護活動をしている人に取材をした際、「ネズミ算というが、猫もネズミ並みに増える、猫算だ」と聞いた。1年放置するだけで倍以上に広がるということだ。

 一般的な、不文律として大勢の人が当たり前だと思うモラル、道理が通じない人でも動物を飼えてしまうという現実がある以上、「この家はヤバい」と気づいたら一刻も早く役所などに通報することが、今取れる最善策なのかもしれない。

 しかし、通報は「自分が罪なき動物たちの殺処分の引き金を引くのかもしれない」というためらいはあるだろう。だがそこで周辺住民も見て見ぬふりをすれば、動物はますます増えていく。本当に難しい問題だと思う。

 奈良県出身で、北海道で大学生活を送った阪田が、今名古屋で活動をしているのは名古屋が政令指定都市の中で当時、猫の殺処分が一番多かったからだという。番組内では名古屋市の10年前の殺処分数はおよそ3,000匹で、2019年は66匹と伝えられていた。

 なお、東京都の動物愛護センターのホームページを見ると、令和元年の都内で殺処分された動物は660匹だったが、これが10年前の平成22年度は4,045匹、20年前の平成13年度は1万5,625匹まで増えていく。掲載されている中では一番古い41年前の昭和55年度は6万2,815匹だったため、令和元年と比較すると100倍近い殺処分があったことがわかる。今は殺処分ゼロを目標に掲げる自治体も多い。

 「国の偉大さと道徳的発展は、その国における動物の扱い方でわかる」とは、ガンジーの言葉だ(ガンジーでない説もある)。この点において社会は進歩していると思うし、昔は経済的には豊かだったのだろうが、動物を殺して成り立つ社会に比べれば、今のほうがずっといい。

 今、このような機運が醸成されるまで、過去からの大勢の人たちの尽力があったのだろうと思いを馳せた。花の木シェルターのホームページでは寄付、ボランティア募集のページもある。私も今回の原稿料の一部を寄付した。

 来週の『ザ・ノンフィクション』は『ボクがなりたいもの~芸人になる。と上京した娘~』。お笑い芸人になると上京した幸世は「男になりたい自分」をネタに舞台に上がるがまったくウケず収入もない。幸世に仕送りを続ける親も堪忍袋の緒が切れて……。

「花の木シェルター」ボランティア、寄付受付

地方自治体動物虐待等通報窓口一覧

『ザ・ノンフィクション』里親と娘、そして20年連絡のなかった実母からの手紙「ママにしてくれてありがとう~血のつながらない母娘の12年~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月20日の放送は「ママにしてくれてありがとう~血のつながらない母娘の12年~」。

あらすじ

 都内の一軒家。ここには、「ママ」の美香と、夫であるアイルランド人の 「ダディ」ことトニーと、6人の子どもたちが暮らしている。美香夫婦が育てているのは、育児放棄や虐待や経済的理由などの事情から、実の親と一緒に暮らすことができなくなった子どもたちであり、夫妻はこれまでそのような17人もの子どもを里親となって育ててきた。

 きょうだい最年長で23歳のあき子は、物心がついた頃には児童養護施設に預けられており、実母の記憶はほとんどない。実母は激しいDV被害を受けていたようで、あき子にとって実母最後の記憶は、病院のベッドに横たわる母親の姿で、言葉を交わすこともできなかったようだ。

 養護施設で過ごしたあと、12年前から美香の家で暮らし、美香を「ママ」と呼ぶなど家族仲も良好だ。しかし実母に会いたい思いもあり、高校の卒業式と成人式には実母に手紙を出したが、返事はなかったという。高校卒業後に就職するも、人間関係のトラブルで退職し、今は美香の家に戻って共に暮らしている。

 そんな中、児童支援を行う女子大生3人が、あき子の境遇について教えてほしいと家にやってきた。あき子は事前に用意した原稿を学生たちの前で読み進めていく。しかし、児童養護施設から通っているという理由で、学校でいじめられ、給食のおばさんに孤独な気持ちを聞いてもらっていた過去を話しているうちに、涙がこみ上げてくる。子どもながらにして人を信じ、頼ることもできなくなり「こんな世界に生まれてよかったのか」と思い至った……と語ると、ついには言葉に詰まり、部屋に戻る。横で話を聞いていた美香は、自分と年が変わらない女子大生たちが恵まれているように見え、つらかったのかもしれない、と話した。

 その後も、塞ぎ込みがちなあき子を前に、美香は実母を探そうとあき子に提案する。あまりに音信不通が続くのでもう亡くなっているのかもしれないと思われたあき子の実母だったが、あき子が成人式の際に送った手紙に返信をしていたことがわかる。あき子の退職と、それに伴う転居により宛先不明で実母のもとに戻ってしまっていたとのことで、あき子は実母からの手紙を3年越しで手に入れる。

 緊張からか不安からか、しばらくは手紙の封を切ることもできなかったあき子だったが、手紙にはこれまで連絡できなかった理由についても触れられており、あき子を愛し心配しているということ、繰り返し「ごめんね」とつづられていたという。涙ながらに読んだあき子は番組スタッフに「(実母が)生きててよかった」と笑顔を見せる。あき子は実母に対し「今とても幸に暮らしてます」と返信する。

 たいていの子どもなら何も考えず、当たり前のように親を頼り、信じ、甘えるものだが、あき子の子ども時代にはそれがなかった。「こんな世界に生まれてよかったのか」とまで、あき子を苦しめた実母に対し言いたいことはゴマンとあれど、当のあき子が実母と連絡が取れ「(実母が)生きててよかった」と穏やかにうれしそうに話していたので、もう部外者が言うことは何もないだろう。

 ママと暮らす未成年の子どもたちの情報は、番組でほぼ伝えられていなかったが、中には部屋に引きこもりがちな子もいるようで、あき子が洗濯物を、その子の部屋の前の廊下に慣れた様子で置いていた。番組内では美香が里親の会に参加していたが、そこではほかの里親も、引きこもりがちな子どもについて話していた。

 実の親に棄てられる、という絶望は子どもにとってどれだけ深いのだろうと思う。その後の養父母の家庭が温かいものであっても、じゃあ、これからは元気に、と簡単に切り替えられるようなものではないだろう。しかし一方で、そのような過酷な状況下にある子どもに手を差し伸べる、美香をはじめとした里親たちの姿には救いを感じた。

 厚生労働省の里親制度のホームページを見ると、平成30年時点で5,556名の児童(18歳未満)が里親の元で生活しているとある。また、里子を受け入れる「登録里親数」の推移を見てみると、昭和40年は1万8,230世帯あったが、その後は減少をたどり、昭和60年には半分以下の8,659世帯まで減ってしまう。

 しかし、そこから増加傾向に転じ、平成30年では1万2,315世帯まで増加している。平成30年度の直近5年を見ても、グラフ上では登録里親数は「右肩上がり」の増加ぶりだ。少子化が進んでいることを思えば上々の数値に思える。

 一方で、2018年前後における世界の先進国における要保護児童に占める「里親委託児童の割合(つまり、児童養護施設などの施設で育つのではなく、里親のもとで育っている子どもの比率)」を国別に比較すると、日本は21.5%で、グラフ内で比較対象だった欧米各国や、また香港や韓国と比べてもひときわ低く、「児童養護施設での養育」が中心になっていることがわかる。

 ただし、この調査は8年前の10年ごろに行われたものもあり、それを見ると当時の日本の里親委任児童の比率は12.0%とさらに低い。諸外国にはまだ及ばないが、ここ近年でも改善しつつあることはわかる。しかし、里親だからいいというわけでもなく、里親をたらいまわしにされてしまうケースは当然望ましくない。

 施設での養護から里親の養護に単純に切り替えていけばよいという話でもなく、その質も重要だし、美香が参加していたような里親会のような、その後の里親側の支援、サポートも欠かせないものだろう。一筋縄でいかない課題もたくさんある中で、それでも今も、美香夫婦のように目の前の子どもが子どもらしく子ども時代を過ごすために動いている里親、児童福祉関係者の人たちが日本の各地にいるのであり、このような立派な人たちのことを心から尊敬する。

 次週は「はぐれ者とはぐれ猫 ~小さな命を救う男の闘い~」。猫の保護に人生をささげる活動家・阪田泰志。身勝手な飼い主、多頭飼育の崩壊……。猫を救いたい男の前に広がる過酷な現実とは。

厚労省ホームページ

2010年度版「諸外国における里親等委託率の状況」(P11)
2018年度版(P29)「諸外国における里親等委託率の状況」

『ザ・ノンフィクション』子どもを捨てた母、捨てられた娘20年ぶりの再会「酒と涙と女たちの歌 ~塙山キャバレー物語~ 後編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月6日の放送は「酒と涙と女たちの歌 ~塙山キャバレー物語~ 後編」。

あらすじ(1)~美佐子ママと子どもたちの再会

 茨城県北部、日立製作所の企業城下町でもある日立市。商業施設が並ぶ国道沿いに、昭和で時が止まったかのような、簡素な青いトタン張り平屋建てのスナック、居酒屋が並ぶ一画「塙山(はなやま)キャバレー」がある。60年ほど前に誕生してから、現在は13軒が営業中だ。

 「ラブ」の美佐子ママは、さばけた雰囲気だが、自分のことをあまり語りたがらない。そんな美佐子ママのもとに、2020年の暮れに、実の娘、夏海が訪ねてくる。美佐子ママはかつて農家に嫁ぎ、3人の子どもに恵まれたが、実家の借金を背負うことで義実家との関係が悪化、当時10歳の夏海ら3人の子どもたちを置いて、家を出ていったという。夏海自身が母親になり、母に会いたい思いで探し当て20年ぶりの再会となった。

 夏海の話によると、美佐子ママの舅姑はかなり厳しい人だったようだ。美佐子ママには出ていったとき別の男がおり、借金問題だけでなく、さまざまな事情があったようだ。親子の対面は、最初は和やかな様子だったものの、出ていった真相を知りたい娘、言いたがらない母との間で、徐々に雲行きは怪しくなり、ついに夏海が声を荒げていく。

 その後、母娘だけで対話が行われたようだが、番組スタッフに夏海から「今日あたしから母を捨てました、もう関わりたくありません。」と連絡が入る。しかし、夏海は2人の弟を連れてラブを再訪する。父親から、母を許してやってくれと言われたのがきっかけだったようだ。

 気性が激しそうな夏海と異なり、弟2人は穏やかそうな性格だった。しかし、美佐子ママが話す家族旅行のエピソードを弟たちは覚えていないなど、母親の記憶はかなり薄いようだ。

 弟らは美佐子ママが出ていったのち、父親、夏海からの暴力が笑えないくらいきつかった、と壮絶な家庭の様子を振り返る。そして「親父もなっちゃん(夏海)も抜けるところがなかったんだよ、寂しい気持ちを」と話していた。

あらすじ(2)~草むしりを続けるのぼる~

 かつて塙山キャバレーに店を出していた人も客として訪れる。のぼるは、かつてラーメン店をキャバレーの一角に出していたが、店の漏電が原因で、5軒が全焼する火事を出してしまう。それにより、塙山キャバレーはかつてあった敷地中央の「島」部分がいまもぽっかりと空いた状態だ。

 のぼるは現在、生活保護を受けており、塙山キャバレーで1杯のビールをゆっくりと飲むのを楽しみにしている。火事の負い目もあるのか引きこもり、自殺も考えたというが1杯のビールを糧に、「何もやってねえよりはやることがあったほうがまだいい。やることがなかったら気が狂うべ」と近所の草むしりを続けている。

 一方、たとえそれが1杯のビールであっても、生活保護をもらいながら酒を飲んでいるのぼるをよく思わない客もいる。その客自身が、のぼるではない別の生活保護受給者に「生活保護なんて簡単に受けられた、バカらしくて仕事なんてやってられない」と言われたのが原因で、のぼるがどうだ、ということではなかったようだ。めぐみママやほかの客が、「働きたいけど働けない人もいる」とのぼるをフォローし、店の前の植木の手入れをのぼるにビール1杯でお願いする。

 新型コロナウイルスの拡大防止のため、茨城県が独自に発令した緊急事態宣言の対応で店も苦しい営業を強いられるも、それでも31歳の元大手チェーン居酒屋勤務の女性が塙山キャバレーの空き店舗を新規に契約する。新しい若いママの誕生に、塙山のベテランママたちも顔をほころばせていた。

 「やることなかったら気が狂うべ」と草むしりをしていたのぼるは、もともと塙山で店をやっていたくらいだから、働くのが好きなのだろう。そんなのぼるを巡る生活保護論争になった際に、働きたくても働けない人はいるし、自分も仕事がない、とほかの男性客がのぼるを援護していた。「高齢の働きたい人が働ける場所がない」というのは、世界一の長寿国でありながら、日本が抱えるとても切実で深刻な問題だと思う。

 周りを見ていても、「働く意欲」と年齢はあまり関係ないように思う。ない人は若くしてないし、ある人は高齢であろうとバリバリだったりする。そして、やはり魅力的に映るのは自分の仕事に対し愛情のある人たちだ。

 番組の最後で、塙山のママたちが、自分の店、働くこと、塙山キャバレーという場所が好きだ、と笑って話していて、その笑顔が本当によかった。そして、31歳の新米ママの誕生に、ベテランママたちは本当にうれしそうで、自分の店だけでなく、塙山という場所を愛しているのが伝わってきた。

 エプロン姿でタバコをくゆらせ、ビールを飲みカラオケで昭和のムード歌謡や歌謡ロックを歌うママたちは、多くの人の人生を慰め、癒やしてきたのだろう。担当編集氏が塙山キャバレーのことを教会だ、と話していたが本当にそう思う。ママたちは日立の修道女であり、そしてまた、ママたち自身も塙山キャバレーに救われてきたのだと思う。

『ザ・ノンフィクション』茨城ディープ・ママたちに癒やされる「酒と涙と女たちの歌 ~塙 山キャバレー物語~ 前編」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月30日の放送は「酒と涙と女たちの歌 ~塙 山キャバレー物語~ 前編」。

あらすじ

 茨城県北部、日立製作所の企業城下町でもある日立市。商業施設が並ぶ国道沿いに、昭和で時が止まったかのような、簡素な青いトタン張り平屋建てのスナック、居酒屋が並ぶ渋い一画「塙山(はなやま)キャバレー」がある。60年ほど前に誕生してから、現在は13軒が営業中だ。

 「ふじ」の美代子ママは塙山キャバレーの組合長も務めている。30歳で離婚し、店を切り盛りしながら、夫にとられた息子も取り戻したという。疲れた様子で来店した男性客にはハイボールに金粉をあしらって出していた。酒のつまみは会話だと思うと話し、店の様子も楽し気だ。

 「いづみ」には、蓉子ママを慕い酒が飲めないが来店し、コーヒーを飲む客もいる。蓉子ママは別の街でもスナックを繁盛させたやり手だったが、「ここのほうが好きだったんだね」と、40歳で儲けがあまり出ない塙山に移る。

 「めぐみ」は、唐揚げと刺身がお通しで出てくるリッチな店だ。恵子ママは、母親に17歳で芸者の置屋に売られ、死に物狂いで逃げ出し、27歳で塙山キャバレーに流れ着いたという。

 塙山キャバレー最高齢、「京子」を営む82歳の京子ママは穏やかな物腰で、ほかの塙山の店のママたちも、客として訪ねてくるなど慕われており「ママのママ」的存在だ。京子ママの息子の一人は、50代の若さで亡くなったという。息子の内縁の妻だった人とその友人が店を訪ねた際は、焼酎をグラスに注ぎカウンターに陰膳として添えていた。

 かつて塙山キャバレーに店を出していた人も客として訪れる。のぼるは、かつてラーメン店をキャバレー内に出していたが、店の漏電が原因で、5軒が全焼する火事を出してしまう。それにより、塙山キャバレーはかつてあった敷地中央の「島」部分がいまもぽっかりと空いた状態だ。

 のぼるは現在生活保護を受けており、塙山キャバレーで1杯のビールをゆっくりと飲むのを楽しみにしている。火事の負い目もあるのか引きこもり、自殺も考えたというが1杯のビールを糧に、「何もやってねえよりはやることがあったほうがまだいい やることがなかったら気が狂うべ」と近所の草むしりを続けている。

 かつては「その筋の人」がやってくるなど怖い思いをしながら、協力し合い、苦難を乗り越えてきた塙山のママたち。そんな塙山キャバレーにもコロナの影響が直撃する。2月、茨城県独自の緊急事態宣言により、店は午後8時閉店を余儀なくされる。塙山から感染者を出さない、という思いでママたちも、新規客を断るなど徹底した対策を取り、苦しい経営を強いられる。

 「ラブ」の美佐子ママは、さばけた雰囲気だが、自分のことをあまり語りたがらない。そんな美佐子ママのもとに、2020年の暮れに、ママの娘、夏海が訪ねてくる。美佐子ママはかつて農家に嫁ぎ、3人の子どもに恵まれたが、実家の借金を背負うことで義実家との関係が悪化、当時10歳の夏海ら子どもたちを置いて、家を出ていったという。夏海自身が母親になり、母に会いたい思いで探し当て20年ぶりの再会となった

 夏海の話によると、美佐子の舅姑はかなり厳しい人だったようだが、美佐子にも別の男の影があったようで、また美佐子ママの実家の借金も義理の家が結局返したなど、さまざまな事情があったようだ。親子の対面は、最初は和やかな様子だったものの、出ていった真相を知りたい娘、言いたがらない母との間で、徐々に雲行きは怪しくなっていく。

ママと客に流れる「いい酒」の雰囲気

 春という時期的な事情もあると思うが、最近の『ザ・ノンフィクション』は社会に出たての若者をテーマにした回が続いていた。しかし、やはり『ザ・ノンフィクション』は中高年の人間を見つめるときに本領を発揮する。改めてそう思うほどの「神回」だった。

 ママたちだけでなく、客もよかった。客たちの笑顔がとてもくつろいでいて「いい酒」であることが伝わってきた。仲間内で酒を飲み盛り上がり、ここがホームグラウンドだと上機嫌で話す客もいれば、イヤなことがあったのか、一人沈んだ顔でカウンタ―に座っていたものの、ママからハイボールに金粉をサービスされて、少し笑顔を取り戻した客もいた。

 わいわいやりたいときも、イヤなことがあって、このまま家に帰るのも……というときでも、人生のベテランのママたちが笑って受け入れてくれる。うちの近所に、なぜ塙山キャバレーがないのだろうと思った人は、私も含め多いと思う。

 人生を生き抜いてきた魅力的なママがたくさん出てきた回だったが、そもそもなぜスナックやクラブなどの女性店主は「ママ」と呼ばれるのか。webサイト「雑学トリビア王」によると、ホステスたちが上司である女性店主に対しママ、と呼んだのが客にも移っていった、とある。

 こういった飲食店の店主が男性の場合は「パパ」ではなく「マスター」か、寿司屋なら「大将」だろう。「ママ」という言葉には甘え、敬愛など、大人だからこそ恋しくなる要素がたくさん入っている。日立のホテルに連泊し、塙山キャバレーを思う存分はしごする、という夢ができた。

 次週は今週の続編。美佐子ママと夏海の20年ぶりの再会はどうなっていくのか。