『ザ・ノンフィクション』28歳、自分探しの旅の結末「彼女が旅に出る理由 ~すれ違う母と娘の行方~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。8月21日の放送は「彼女が旅に出る理由 ~すれ違う母と娘の行方~」。

あらすじ

 28歳のミサトは、21歳で有名老舗ホテルに就職したものの2年で退職。その後、広告代理店2社に勤めるも会社勤めが合わなかったようで、27歳から車で全国を回る旅の日々を送っている。

 旅先で出会った友人たちのもとを訪ねながら、お金のかからない暮らしを模索しており、「今まで飼い慣らされてきた、社会に。自分の意志で行動してると思ってもできていなくて、それに気づいていなくて、それに気づいたんですよ」と、旅の手応えを話す。

 一方、ミサトの母親は「今までさ、お金のかかるような暮らしをしてたじゃない? 身の丈よりいいものを欲しがってたしさ。急にその反対になったとしても理解できないのよ、お母さんは」と娘の180度の心変わりに戸惑う。

 ミサトは、帰省時に近所の目を気にする母親から庭を散歩するな、と言われたことも面白くないようだった。一方で、旅に出ている間もミサトの携帯電話代は母親が支払っており、実家からまた旅に出る際は小遣いをもらっていた。

 当初は、お金のかからない生活を送ることに強気だったミサトも、貯金が減っていくのに伴い威勢もなくなってくる。冬の大阪では一日一食で、エンジンをかけられない駐車場で毛布にくるまる車中泊の生活を送っていた。そんな暮らしの中でミサトは、Twitterで「1年間無一文になって天から地へと落ちて?お金の無い生活を味わう実験したけど、それなりに大変でしたマジで。」と発信している。

 生活のため大分県のネギ農家で働くことにしたミサトだが、ミサトの母親は住む予定の古民家の窓が壊れているといった話を聞いて心配する。その言葉にミサトは、「自分の人生を生きてないから他人に干渉したくなるんだよ。ウワサ話したりとか他人の目気にして生きたりとか」と突っぱねる。

 大分での生活をスタートさせたミサトは、番組スタッフに「一番大切にしなきゃいけない人を大切にできていないので、大切にできたらいいなと思うんですけど、なかなか……」と、おそらく母親への思いを話す。

 1年2カ月の旅を経て、ようやく定住したかに思えた大分だったが、番組の最後でミサトが体調を崩して農家の仕事を辞めたとナレーションだけで伝えられていた。

『ザ・ノンフィクション』自然派の若者、話す内容の特徴とは

 番組スタッフがミサトとその母に出会ったのは、以前に放送された非電化工房回の撮影がきっかけだったいう。

 実際、今回の放送で映った自然派の若者は、『ザ・ノンフィクション』らしい人材の宝庫に見えた。番組内のミサトやミサトが会った人たちの発言を抜粋したい。

「生きる意味とかみんなわからないまま生きてて、私は最近それにやっと気づくことができて」(ミサト)

「俺から見ても同年代の若者見てると『もうちょっとちゃんとしろよ』って思うし」
「別にお金はどうでもいいんだよね。1万円札あるじゃん、あのことを『お金』と呼ぶの超オモロイよね、紙じゃん、ただの」(ミサトが訪れたエコビレッジにいた若者)

 本人たちは、自らの心の発露に任せて口にしているのだろうが、その発言はどこかで習ったのかと思うくらい、共通点があるように思う。たとえば、この2点だ。

・働くこと、現代社会、同世代の若者などをディスる
・周りの人間とは異なり、自分たちはわかっていて意識が高いという目線

 彼らの言葉は、良くも悪くも特別なものではなく、若者が持ちがちな“万能感”に加えて、“自然派”という足場を得たことで口をついて出たものだろう。

 これらの若者は5年後どうなっているのだろう。それこそミサトが憧れ涙した、ヒッピーからアップルを興したスティーブ・ジョブズのようなスターとなるのか、自分のこの発言を黒歴史として恥ずかしがるのか、中高年になっても変わらず周囲をディスっているのか。

『ザ・ノンフィクション』“生活”が苦手な人々

 ミサトは幼少期のころ「不思議な子だね」と周囲から言われ、先生からは「時と場(を選びなさい)」と注意されていたと話し、KYだったと幼少期を振り返る。また、大人になってからは、職場を転々としている。

 そんなミサトも、ようやく居場所を得た自然派の世界で万能感に酔いしれていたものの、金という現実が追いかけてくる。定住しようとした大分のネギ農家も辞めてしまったという。

 学校や職場で日々を送る――ミサトはそんな一般的な“生活”が苦手なのだろう。『ザ・ノンフィクション』を見ていると、同じように社会生活がかなり苦手そうな人がよく出てくる。ただでさえ「働くこと」は楽ではないが、日々を過ごすことが苦手な人にとっては働くことのハードルはますます高いものになるだろう。

 番組では元タレント・坂口杏里を取り上げた回もあったが、坂口はミサト以上に日々の生活が苦手そうだった。人生を年表にすると、短期間で何もそこまで、と思うほどイベントが目白押しで、周囲にしてみたら地に足がついておらず、極端で、行き当たりばったりで、反省がないように見える。それはミサトも同じで、しかし本人にしてみれば、その一つひとつが人生をより良くしていきたいという、誠実で真面目な決断の積み重ねなのだろう。その決断と結果のズレは気の毒に思う。

 次週は「母と娘の芸者物語 ~箱根で生きる女たち~」。箱根芸者の伝統もコロナを前に岐路を迎え……。

『ザ・ノンフィクション』暴力を振るい介護施設から出禁に……「ありのままでいいじゃない ~いしいさん家の人々~後編」 

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。8月7日の放送は「ありのままでいいじゃない ~いしいさん家の人々~後編」。

あらすじ

 介護業界でも異色の施設と呼ばれる、千葉県の宅幼老所「いしいさん家」。認知症や統合失調症など、暴力・暴言といった問題行動を理由に他施設から「お断り」された人たちが集まっている。

 「いしいさん家」を運営する石井英寿は大手介護企業に就職するも、効率重視の施設運営に違和感を覚え、いしいさん家を16年前に立ち上げる。

 石井は「暴言・暴力とか、唾を吐いたりとか、そういった人たちを向精神薬とか、薬で抑えつけられちゃっている人とか、縛られている人も見てきたので、いっぱい。80~90歳でそんな人生の最後でいいのか」「(薬を)抜いちゃおうよ、『ありのままのその人でいいでしょ』というのが根本にあって」と話す。

 いしいさん家ではスタッフと利用者はほぼ同数と、手厚い介護をしているが、「ありのまま」を受け入れる施設スタッフの苦労は相当なもので、スタッフの手には生傷が絶えない。

 デイサービスでいしいさん家を利用する、46歳の2児の父親で統合失調症のヤマピーは、普段は穏やかだが、ふとしたことで態度が一変、激昂する性質だ。ヤマピーは医師である父親からの暴力、暴言がひどかったといい、事あるごとにその話をスタッフに延々とする。ヤマピーの“もっと話を聞いてほしい”という不満は日に日に強くなっていき、それをたしなめたスタッフの福田に対し、アザが残るほどの暴力を振るってしまう。

 福田をはじめ5人のスタッフがいしいさん家から去り、石井が月に20日夜勤を行う過酷な勤務体制になる。ヤマピーはいしいさん家から出禁になり、自宅でも外でも大暴れして、警察官も振り切ってしまうような有様で、妻に家を追い出され、実家に身を寄せている。

 石井は、妻であり共に施設を運営する香子にも、外出の目的を伝えないまま姿を消すことがある。そのため、スタッフは石井ではなく香子へ不満を伝えている状況で、こうした声を聞こうとしない夫について、「彼は天狗になっていた。『威張らずいこうね』『おごらずいこうね』ということだけ伝えた」と香子は話す。

 そこで、石井は全職員を集めたミーティングをあえて外部施設を借りて行う。会は和やかな雰囲気で進んだものの、その最後に石井はヤマピーの再受け入れを提案し、ミーティング会場はどよめく。石井、もしくは妻の香子がいるときだけヤマピーを受け入れ、スタッフに手を出したら支援をやめるという前提で受け入れることになったものの、スタッフの一人が思いもかけない提案をする。

 それは、もとは介護職だったヤマピーに、施設利用者としてではなくボランティアとしていしいさん家に参画してもらう、というものだった。その意外すぎる提案にヤマピー自身も困惑気味で、当初は何もせず施設の片隅に座っていたが、番組の最後では介助の手伝いをしているシーンも映されていた。

 いしいさん家は代表・石井の信念に基づいて設立され、また石井自身が率先して働いている状況だ。それゆえ、ほかの職員が何か思いや不満があっても自然と「言わせない」雰囲気が出来上がっていたのだと思う。

 いしいさん家を辞めた福田は、石井について「最終的には石井さんの考えに基づいている。一切誰にも手を出させない、自分のやり方を貫く」「職員がどれだけの疲弊と工夫をして、それを石井さんは『わかっている』と言うけど……」と胸中を話していた。

 結局は、自分のしたいようにしたい石井は、典型的なワンマン経営者に見えた。事業を軌道に乗せていくようなときは、ワンマンならではのパワフルさが必要なようにも思う。信念もパワーもない人は、そもそも経営者の器ではないだろう。

 人を率いる立場で成功している人には「他人の意見なんて聞かない」という、ワンマン的な、我の強さを感じさせる人が少なからずいて、石井もそのタイプに見えた。ただワンマン経営者は、順調なときはいいが、逆風には弱いのではないか。ワンマンゆえに、経営者自身が「逆風だ」と感じたとき、組織はピンチに陥ってしまうように思う。

 今回、石井はスタッフが5人離脱する大逆風を経験し、周りの声に耳を傾けるようになったかに見えた。ところが、まさかのヤマピー再受け入れを自分の意思で通しており、いしいさん家は良くも悪くも、 やはり石井の影響が非常に強い組織に見えた。

 一方、出禁が解かれ、いしいさん家に戻ったヤマピーは、顔にモザイクがかかっていても「ウキウキしている」のが伝わる声色だった。しかし、ケアされる側でなく、「ケアする側に回る」というまさかの条件に、当初は文字通り頭を抱えていた。

番組の最後では介助の手伝いをしようとする様子が映っていたが、ヤマピーは『ザ・ノンフィクション』の前後編だけでも十二分にやらかしており、素直に「めでたしめでたし」とはいかなそうな感じもする。

 ただ、この「ケアされる側だと思っていた人をケアする側に回す」という逆転の発想には、希望を感じた。ヤマピーを見て、「私はかわいそうな被害者で、だから周囲は自分をケアしてほしい。自分の話を聞いてほしい」という自己憐憫(じこれんびん)の感情を四六時中抱えているのは、非常に生きづらそうだと思ったし、終わりがないようにも思った。

 終わりなき自己憐憫から目をそらさせる、という意味でも、ケアされる人をケアする人にする、ということへの可能性に期待する。その後の、いしいさん家も見たい。

『ザ・ノンフィクション』暴言・暴力も「ありのまま」の異色介護「ありのままでいいじゃない ~いしいさん家の人々~前編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月31日の放送は「ありのままでいいじゃない ~いしいさん家の人々~前編」。

あらすじ

 介護業界でも異色の施設と呼ばれる、千葉県の宅幼老所「いしいさん家」。認知症や統合失調症など、暴力・暴言といった問題行動を理由に他施設から「お断り」された人たちが集まっている。

 「いしいさん家」を運営する石井英寿は高校時代のボランティア活動をきっかけに介護の仕事に触れ、大学卒業後大手介護企業に就職するも、午前中50人の入居者を入浴させるなどの効率重視の施設運営に違和感を覚え、いしいさん家を16年前に立ち上げる。

 石井は「暴言・暴力とか、唾を吐いたりとか、そういった人たちを向精神薬とか、薬で抑えつけられちゃっている人とか、縛られている人も見てきたので、いっぱい。80~90歳でそんな人生の最後でいいのか」「(薬を)抜いちゃおうよ、『ありのままのその人でいいでしょ』というのが根本にあって」と話す。

 スタッフと利用者はほぼ同数と、手厚い介護をしているが、「ありのまま」を受け入れる施設スタッフの苦労は相当なもので、スタッフの手には生傷が絶えない。また、会計士からは経費をコントロールするよう言われるが、スタッフの人件費だけは削るわけにはいかない。

 番組スタッフのカメラが気に食わなかった様子の70代の認知症患者・タマエは「バカ野郎」が口癖で、デイサービスでいしいさん家を利用している。タマエの扱いを心得たスタッフは機嫌の悪いタマエを車に入れる。ドライブと歌が好きなタマエは、車に乗って音楽を流すと先ほどの不機嫌からきれいさっぱり、上機嫌な様子になっていた。

 夜はタマエの夫、カズオがタマエを介護している。少し目を離すとタマエは徘徊してしまうようで、慣れた様子でタマエを車で探していた。カズオはタマエを特別養護老人ホームに入れなかった理由として、特養だと外に出させず、食事が終わったらすぐ睡眠薬を飲ませて、という生活がかわいそうだと思って、と話す。

 デイサービスの利用者、46歳の2児の父親で統合失調症のヤマピーは、普段はピアノ演奏で周りを楽しませるほど穏やかだが、ふとしたことで態度が一変、激昂してしまう。ヤマピーは医師である父親からの暴力、暴言がひどかったようで、自尊心を傷つけられたそうだが、事あるごとにその話をスタッフに延々とする。

 家庭でも、隣人があいさつしてくれないと妻に不満をこぼす。家でも大声で騒ぎ、パジャマ姿でバットを持って外に出たときには、警察を呼んで大変だったと、子どもが話していた。

 ヤマピーの「もっと話を聞いてほしい」という不満は日に日に強くなっていき、金額はいくらでもいいから自分専用の専属スタッフをつけてほしいと施設側に要求。発言がエスカレートしていくヤマピーをたしなめていたスタッフの福田は、「(ヤマピーが)ケガをさせなきゃいいなと思う、誰かにね」と話す。

 しかしその不安は的中してしまい、福田自身がヤマピーからアザが残るほどの暴力を振るわれる。番組の最後では福田が石井に不満を伝えるシーンが放送されていた。

 関係者以外にとっては「見なかったこと」になりがちな、認知症や精神障害などの患者とそれを支える人たちにスポットを当て、それら人々の行動を映すだけでなく、その人の歩んできた来歴や家族の状況、支える介護スタッフたちの貢献や苦労も丁寧に追っている良回だった。

 そんな良回だったものの、一点よくわからなかったのが、番組最後の石井と福田の話し合いだ。番組の構成的には、ヤマピーから上腕にアザが出るほどの暴力を振るわれ、福田が石井に話し合いの場を求めている、という流れだったので、福田がヤマピーからの暴力でいろいろ嫌になってしまったのか、と思われた(その気持ちはとてもよくわかる)。

 しかし、そこでの福田の意見は断片的に紹介されており、「今までの理念と反する方向に行ってるってみんなが言っていて」「前の理念と違うのであれば私たちは(スタッフは)辞めなきゃいけないのか」という意見もあった。これら発言への石井の言葉は一切取り上げられず、ただ福田の意見だけで終わっていた。「前の理念」とは何だったのか。これは後編で明らかになるのだろうか。

『ザ・ノンフィクション』介護業界から見た問題は?

 また、個人的には介護業界の人が今回の放送をどう見るか知りたい。番組を見る限り、いしいさん家側が介護業界では異色、という伝えられ方だったが、「ノーマル」側の介護業界の人は、いしいさん家側にどのような問題を感じ取るのだろう。

 昼の情報番組のトップニュースが「介護施設のとんでもない実態、身体拘束される入居者たち!」といった内容だったことがあった。暴れるから、対処として縛り付けているのだろうとその時も思ったし、今回番組で、生傷の絶えないスタッフの手を見て、 やむを得ず縛り付けているケースもあるのだろうと思った。

 しかし、よく実態を知らない人間が一端だけをとらえて大騒ぎをすると、物事の本質を見誤る。介護業界に携わる人、精神医療に携わる人の、今回の番組の感想を知りたい。

 次週は今週の続編。石井と福田の決断とは。

『ザ・ノンフィクション』親への禍根とゴミ屋敷「片付けられない部屋 ~ゴミの中に埋もれた思い出~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月24日の放送は「片付けられない部屋 ~ゴミの中に埋もれた思い出~」。

あらすじ

 26歳のみずきが暮らす都内の家賃3万8,000円のワンルームは、膝の高さほどのゴミであふれている。牛乳パックや食品の容器、ペットボトル。茶碗も洗わず使い、食卓にあるグラスはまだらのような模様がついているが、使ったまま放置して生えたカビのためだ。

 そのような生活でもみずきは洋服の洗濯だけは欠かさず、洗濯機置き場のない部屋ながら、小型の洗濯機を無理矢理設置している。部屋に並ぶ服はフリル、リボンなどがあしらわれたパステルカラーのソフトロリータ系だ。

 みずきは、東京大学の研究者であった両親が学生のときに、長男として生まれた。母について「私がいるせいで父と結婚する羽目になった」「ことあるごとに『私(みずき)の面倒をみたくない』みたいにヒステリーを起こすというか、泣き叫んでいたことがよくあったんですよ。嫌だったんだろうな、邪魔だったんだろうな、人生において私が」と過酷な幼少期を話す。友達と遊ぶことも許されず、勉強漬けの生活だったようだ。

 中学生になり両親は離婚、2014年、みずきは現役で東京大学に合格し、研究員を目指すも、このころから自分の容姿に違和感を抱くようになる。鏡も見られなくなるような生活は、女性用の服を着ることで心が落ち着き、それ以来、みずきは女装し生活を送っている。

 その後、大学院まで進んだが中退。女性服への思い入れから、みずきは現在10代に人気のアパレルブランドで働いている。会社の社長は、みずきのように女性の服を着たい男性も少なくないとのことで、「会社としてもリンクするところがある」とみずきを雇った理由を話す。

 一方で、母親からは「公務員を目指すと約束したはずです」「嘘だったんですね」「間違っていたのかもしれないけれど、そう思って教育には糸目をつけなかったつもりでした(みずきを)不幸にしようと思ったわけではなかったです」「心底がっかりしました」とLINEが届き、音信不通の状態のようだ。みずきは人とのつながりに不安を抱えており、それがモノをため込むゴミ屋敷の原因になっているのかもしれない。

 そのような中で、友人のみくも手伝い、みずきは部屋の片づけを始める。地層のように積まれたごみからは、潰れた黒いランドセルや、みずきが以前付き合っていた女性が残したヘアケア用品などが発掘される。

 その女性とはSNSで知り合い、交際後は文通を中心にやりとりしていたものの、一方的に別れを告げられてしまったようだ。みずきは、その女性に2年越しに思いをつづって投函するも、返事は来なかったと伝えられた。

 ごみの地層からは、みずきが5歳のころの小さな手形も出てきて、そこには記憶になかった母親からの優しい言葉が書かれた手紙が添えられていた。幼いみずきの成長写真や家族写真が載ったアルバムも発掘され、「大事にされていたときもあったんだろうな。僕の存在がしんどいものだったのは間違いないが、かわいがられてはいた。(母親にとって)もっとどうでもいいものだと思っていた。そうでもないのかな」とみずきは話す。

 その後、みずきの部屋は片付いた状態が続き、社長は会社が主催するファッションショーのモデルにみずきを抜てきする。

 以前も『ザ・ノンフィクション』では、医学部に入れようとする親に育てられ、医学部に入ったあとは燃え尽きたようになってしまった青年が出てきた。教育虐待のようなことをされた自分の境遇をブログでつづる29歳の男性で、みずきと境遇が似ていたと思う。

 その29歳の青年も、26歳のみずきも、現在の心を占める筆頭の存在が「(自分へ関心を向けてくれなかった)親」に見えた。20代という貴重な時期に、親に対するモヤモヤ、イライラが心の大部分を占めている状況はとてももったいないように思う。かといって、親を忘れて幸せに生きろ、というのも、できるならすでにやっているはずだ。自分で折り合いをつけない限り、先へ進むことはできないのだろう。

 心の大半に「親」が居座っていると、今の生活に気が回らなくなっていく支障もあると思う。29歳の青年は居候生活をしていたが、彼女が妊娠し、どう見ても居候のままでは今後暮らしていけない状況でも、家を出る決断を下せずにいた。一方、みずきは部屋中にゴミが堆積していて、友人・みくが明らかにゴミだと判断して捨てているものすら気になり、確認せずにはいられないようだった。

 親との間に残った禍根は、その子どもの未来や現在に、さまざまな影響を玉突き事故のように起こしているように見える。しかし、彼らの親が改心するとも思いにくく、また、万が一謝られたとしても、それで十数年来の禍根が水に流せるものなのだろうか、とも思う。親へのわだかまりを残し生きる20代の二人は、10年後、どんな30代になっているのだろう。

 親との間には溝があるみずきだが、部屋の片づけを手伝ってくれるみくがおり、勤務先の社長も女性服を着たい男性客の気持ちを知りたいという思いでみずきを採用するなど、「職場の社長」と「友人」という、ピンポイントの人間関係はむしろ恵まれているようにも見えた。

 一方で、みずきは会社の同僚とは一緒にご飯を食べることもなく、「誘われ待ち」な状況のようだ。番組を見た限りだが、みずきの人間関係は「極めて薄い(同僚たち)」か、もしくは、「かなり濃い(みく、社長、親、別れた彼女)」の2択のようにも見えた。

 みずきは日常的に女装をしているので、人付き合いは、そんな自分をさらす覚悟とワンセットになりがちで、おのずと濃いものになるのだろう。

 一方で、『ザ・ノンフィクション』を見ていると、重すぎない、寄りかかりすぎない「ちょっとした、ほんのりとした、ほのかな人間関係」が結構、人を救っていると思うことがある。腹を割って話すディープな関係だけが人間関係ではないし、ディープであればあるほど相手へ期待も増え、それゆえに失望しやすいところもある。

 昨日見たテレビやスターバックスの新作など、ほど良い距離で他愛もない世間話ができる人がみずきに増えればいいなと思う。

 次回は「ありのままでいいじゃない ~いしいさん家の人々~前編」。千葉県の「いしいさん家」は、認知症や統合失調症などの患者を預かる介護施設。多くの患者は暴力・暴言といった問題行動が激しく、ほかの施設からお断りされた人たちだ。スタッフの我慢も限界を迎え……。

『ザ・ノンフィクション』大卒22歳で芸妓を目指す「泣き虫舞妓物語2022 ~夢と希望と涙の行方~ 後編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月17日の放送は「泣き虫舞妓物語2022 ~夢と希望と涙の行方~ 後編」。

あらすじ

 京都にあるお茶屋(芸妓、舞妓を呼び客に飲食をさせる店)で置屋(芸妓、舞妓が所属する店)の「大文字」に、新型コロナウイルスの流行から2度目の春となる2021年3月、大卒の新人、彩音が入る。

 一般的には、中学を卒業後、舞妓として5年ほど踊り、三味線、鳴り物(打楽器)、お茶などの芸事を磨いてから晴れて芸妓となる。大文字で大卒の新人が入ったのは始めてだという。年齢的に彩音は舞妓にはなれず、最初から芸妓を目指すようだ。なお、衿の色は舞妓の場合赤、芸妓は白となっている。

 彩音は中学校を卒業した時点で舞妓になりたかったが、言い出せなかったという。大学では日本文化を学び、日本舞踊のクラブに所属し、夢を諦めきれず大文字の門を叩く。彩音は真面目に稽古に励み、無事、芸妓となる。

 彩音には年下の先輩がいる。17年から大文字で舞妓として修業をしてきた、舞妓4年目で20歳の寿仁葉だ。『ザ・ノンフィクション』の舞妓シリーズを見て、大文字に直接電話をかけた寿仁葉だったが、舞妓2年目を過ぎたころから、なかなか眠れない状態になり、昼夜が逆転。遅刻をしたり、稽古に身の入らない日々がずっと続いていたようだ。

 元芸妓の先輩・理音は、寿仁葉に(舞妓を)辞めたいのか尋ね、寿仁葉は「ちょっとだけ」と涙ながらに答えていた。理音は「後悔しない辞め方をしてほしい。(中略)私はやり切ったと思ってやめたから」と伝えた。

 その後、稽古に真面目な後輩、彩音が入っても寿仁葉のやる気に火はつかず、朝起きられない生活が続くようなら芸妓にならず辞めたほうがいい、と女将から最後通告を受け、長崎の実家に一度帰省する。そして、京都に戻った寿仁葉は仕事を続けると決断。無事、芸妓となった。

 寿仁葉の日々の生活を誰より把握しているであろう女将は、寿仁葉について「そんな手の平を返すように(今までの昼夜逆転の生活を変えるのは)完全には無理どっしゃろけど、そういう努力をちょっと買うて、清水の舞台から降りました」と親心を話していた。なお女将はジェネレーションギャップや体調のこともあり、寿仁葉と彩音が、自分が育てる最後の芸妓になると話していた。

『ザ・ノンフィクション』22歳から芸妓になれるのか?

 通常、芸妓は5年程度の舞妓として修業を積んでなるものだが、22歳の彩音は舞妓になれず、異例の芸妓からのデビューとなった。修行態度はまじめで、女将は彩音に対し、コロナ禍で宴席の場数は踏めない点は心配しているものの、技術的な面は心配していない、と信頼を寄せていた。

 何事も早く始めた方が有利だし、特に「若さゆえの可憐さ」がモノを言う業界の場合はさらにだろう。22歳という年齢は一般社会では「新人」だが、花街の世界では舞妓になることも許されないベテラン枠だ。

 贔屓客の立場で考えれば、華憐な舞妓のころから見てきた芸妓には「育てた」感も湧き、思い入れもあるだろう。遅いスタートとなった彩音には芸妓として不利な点もたくさんあるのだと察する。

 一方で、舞妓の夢を中学卒業時点から22歳までくすぶらせ続けた彩音には、それだけの覚悟もあり、真面目な修行態度にもつながっているようにも見えた。

 一方の寿仁葉は、15歳で花街に飛び込む決断ができたのだが、当初のやる気は1年で底をついてしまっていた。やる気が出ない原因は、寿仁葉自身もわからずじまいのようだった。

 よく、「金で買えないもの」として、健康や愛情などが挙げられる。しかし、10代という、ほっといてもテンションがほとばしるような時期に、「やる気スイッチ」を探すことに数年を費やすことになってしまった寿仁葉を見ると、金で買えないものに「やる気(意欲)」もあるように思う。

 やる気がなければ何もできないし、そして一度失ったやる気を再点火させる、というのは至難の業だろう。「やる気がない」というのは軽く見られがちだが、これは「なんだか今日はやる気が出ない」と「慢性的にやる気がない」が混在していて、それが問題をややこしくしているように思う。前者は単に気分の問題だが、後者は「心が死んでいる」とも言え、結構な危機的状況だ。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「片付けられない部屋 ~ゴミの中に埋もれた思い出~」。親の夢でもあった研究者を目指すため、猛勉強の末に東大に現役合格した少年、みずき。そのころから自分の見た目に違和感を持つようになり……。

『ザ・ノンフィクション』舞妓は無給で休日は月2日「泣き虫舞妓物語 2022 ~夢と希望と涙の行方~ 前編」

あらすじ

 京都にあるお茶屋(芸妓、舞妓を呼び客に飲食をさせる店)で、置屋(芸妓、舞妓が所属する店)でもある「大文字」に2017年3月、中学校を卒業したばかりの新人、寿仁葉(じゅには)が入る。

 寿仁葉は長崎出身。『ザ・ノンフィクション』の舞妓シリーズを見て舞妓になりたいと大文字に自ら電話をかけたという。舞妓は修行期間であり、5年ほど踊り、三味線、鳴り物(打楽器)、お茶などの芸事を磨いて芸妓となる。なお、舞妓は地毛で芸妓はかつらだ。

 大文字は一人一部屋が与えられ、舞妓たちの衣食住や稽古代は女将持ちだ。一方で5年間の修業期間と1年間のお礼奉公の間、舞妓たちの収入はお小遣いをもらう程度で、休みは月に2日だと伝えられていた。

 寿仁葉の先輩は20歳の舞妓、果帆。寿仁葉同様、中学校卒業後に大文字で修行をしてきた。1年目の果帆は弱音を吐かず修行に打ち込み、番組スタッフの取材にも「楽しおす」と笑顔で話していたが、女将はそんな果帆の優等生ぶりを前に「手放しで喜んでええもんかな」と案じる。

 女将の不安は的中し、徐々に果帆の遅刻が目立つようになる。果帆同様、2~3年目で悩みや壁にぶつかる舞妓が多いという。なぜ遅刻が直らないのか、番組スタッフは二度ほど尋ねていたが、果帆は「それがわからへんのどす」とどうにもならないようだった。

 不安要素を残しつつ、果帆は5年の修業期間を終えて無事、芸妓となる。芸妓は舞いと踊りを担当する「立ち方」と、三味線など楽器を演奏する「地方」の役割があり、果帆は地方だという。舞妓から地方になるケースは珍しいが、立ち方と違って化粧にかける時間が少なくて済むと、遅刻癖のある果帆への女将の配慮もあったようだ。だが、果帆はその稽古も休むようになり、結局、花街を去ることになる。

 寿仁葉は、番組スタッフに「いま辞めていかはる姉さん多いどすやんか。何か将来が不安になります」と本音を漏らす。そんな状況で、寿仁葉にとってはもう一人の頼れる先輩だった若手の芸妓、勝音も花街を去り、さらには2020年春からは新型コロナの影響で花街からは人が消え、外にすら出られない日々が続く。

 寿仁葉は不安の中、朝も起きられず遅刻が増える。番組スタッフの取材にも「向いてへんのでうち、こんなやる気ない子いてどうしようもないなって思いながら」とこぼしていた。

 寿仁葉のやる気に火はつかず、舞妓4年目の21年12月に長崎の実家に一度帰省する。母親から芸妓になりたいのか聞かれると、「なりたいけど……」と答えていたが、朝起きられない生活が続くようなら辞めたほうがいい、と女将から通告されているとも話す。

 青春を捧げた花街を20歳そこそこの若さで去ることになった果帆は、最後まで遅刻の理由はわからないと首をかしげていた。番組内では触れられていない事情があるのかもしれないが、そうでないとしたら、「休みは月2日、収入は小遣い程度」の生活がしんどすぎたのではないかと思う。なお、適用の内外はともかく労働基準法で定められた年間休日の最低日数は105日だ(1日8時間労働の場合)。

 ただ、芸能の仕事はコンプライアンスの遵守よりも、長年の歴史によって培われた不文律、暗黙のルールのほうが幅を利かすところも大いにあるだろう。花街はコンプライアンスやブラック企業という言葉が日本で認知される前から、さらに言えば労働基準法が施行される前から存在していた世界であり、その過酷な労働環境の中で芸を磨き、継承してきた舞妓や芸妓たちが大勢いたのだと思う。

 しかし、現役の舞妓にしてみたら、身近な姉世代の芸妓のとる行動や判断のほうが身に迫るのだろう。姉世代の芸妓たちが、どんどん離職していく状況を目の当たりにしたら、不安になるのも無理はないように思う。

 「休みは月2日、収入は小遣い程度」という1点だけでも異次元の過酷さだ。今はスマホを見ればSNSで同級生たちの自由気ままな生活が目に入ってしまう。

 舞妓、芸妓の厳しい労働環境を「これが花街の掟どす」と貫くのも選択肢の一つだと思うが、番組を見る限り、舞妓や若手の芸妓の離職状況は深刻そうだ。業界の未来は大丈夫だろうか。

『ザ・ノンフィクション』疲れ切ってしまうと、辞める判断も難しい

 番組内では、中学時代の果帆が部活に励む姿も伝えられていた。ポニーテールを結び、はつらつとした雰囲気だったが、花街を去るまだ20歳か21歳の果帆は、かなり疲れた様子に見えた。

 先週の『ザ・ノンフィクション』も、人力車の仕事を辞めるまで長い時間を要したアツシが出てきたが、果帆もここまで疲れ切る前に辞めたほうがよかったようにも思える。本当に疲れ切ってしまうと、「休む」「いったん離れる」「辞める」といった選択肢を取ることすら難しくなってしまうのかもしれない。

 来週は今週の続編。果帆同様に遅刻が目立ち、練習にも身が入らない寿仁葉は、そして女将はどんな決断を下すのか。

『ザ・ノンフィクション』向いていない職場の辞め時「人力車に魅せられて ~夢と涙の浅草物語~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月3日の放送は「人力車に魅せられて ~夢と涙の浅草物語~」。

あらすじ

 東京・浅草観光の名物「人力車」。多くの同業者がしのぎを削る中、赤いはんてんがトレードマークの「東京力車」は、SNSを駆使した発信を続けるなどして勢力を伸ばしており、女性の俥夫(しゃふ。人力車を引く人)も多く活躍している。

 東京力車で俥夫になるためには社内研修の卒業検定に合格する必要がある。番組内では現役大学生俥夫も紹介されており、スムーズに合格する人もいるようだが、10回近く検定を受け続けても合格できない「研修生」もいる。

 研修生で最年長となる30歳のアツシは、もともとはメジャーデビューも果たした歌手だったが、全く売れず。その後、テーマパークのパフォーマーとして活躍するも、コロナで職を失い、現在は俥夫を目指しているものの、なかなか検定を突破できない。

 アツシは何度も同じミスを指摘されてしまうようで、後方確認など人力車を走行させるにあたっての基本的な交通ルールに関するものから、客への地図の見せ方がなってないなど、接客に関するものまで及ぶ。あとから入った後輩が次々と追い抜いて俥夫になっていく状況だ。

 それでもアツシは諦めず、朝は誰よりも早く出社し、トイレ掃除などをこなす。その姿に心を動かされ、指導担当の押木は業務時間外でアツシの特訓を行うことにする。しかし、満を持して挑んだ12回目の試験も不合格。

 それまで注意されていた交通ルールの順守や接客に問題はなかったものの、ツアー時間は「1時間くらい」という顧客役の要望に対し、20分オーバーしてしまったためだ。

 そこで気持ちが折れてしまったのか、それ以降の練習は身が入らず、アツシは東京力車を辞める。スタッフのインタビューでは指導してくれた押木に応えられなかった申し訳なさを話していた。

『ザ・ノンフィクション』去り際の見極めは難しい

 番組最後、退職後にアツシは「ここまでうまくいかないのは生きてきて初めてだった」と話しており、学生時代や歌手時代、前職のショーの仕事などでは、そういったつまずきはなかったのだろう。

 そもそも歌手時代はメジャーデビューをつかむなど、アツシは狭き門を突破する力はある。そうなると、俥夫は「向いてなかった」ということなのだろうし、向いてなかったら潔く辞めたほうがいいように思う。

 番組を見る限り、もうちょっと早く辞めたほうがアツシ自身も挫折感を強く味わうことなく、指導した社長、押木などの負担も少なく済んだのではとも思う。だからといって、「見切りが早すぎる」のも問題だ。『ザ・ノンフィクション』では以前、レストラン大宮で修行中の若者を追った回があったが、初日で音を上げた人がいた。さすがに、これは早すぎるだろう。「我慢が足りないだけ」では、向いているかどうかもわからないと思う。去り際の見極めは難しい。

 そもそも、「この仕事は自分に向いているか」の判断も難しいものだが、東京力車の場合、「卒検」がそれを知るいい基準になっているのだろう。

 一方、世の中の大半の仕事には検定や資格はない。そのような中で、何をもってして仕事に向いているか考える際に、「同じミスを何度もしたり、指摘される」というポイントは結構アテになるのではないか、と思った。

 人間なのでミスをゼロにすることはできないが、あまりに同じミスを何度も繰り返してしまう場合は、その人にとって、それは根底では「興味の持てないこと」なのだろう。人は、興味を持った物事に対しての目線は細やかで丁寧で真剣なものになり、おのずとミスは減っていくが、興味の持てないことではそれを期待できないと思う。

 また、興味が持てないことであっても「それが仕事ならば、大切に扱います」と取り組む選択肢もあるし、実際、大抵の大人はそうして働いているはずだ。しかしミスを連発するということは、それすらも「難しい」「できない」という状態であり、そこまできたら、それはその人には向いていないように思える。

『ザ・ノンフィクション』興味の持てない過酷な環境に身を置く理由

 一点不思議でならないのは、アツシはそこまで人力車に興味があるように見えなかった点だ。先週の『ザ・ノンフィクション』に登場した、山の開拓を志す若者・大地も、山に興味があるように見えなかった。また、番組でシリーズ化されているスマホ禁止の丁稚生活を行う木工会社・秋山木工で修業中の丁稚たちも、木材加工や家具製作が好きで好きでたまらない、という人は番組を見る限り少ないように見える。

 アツシも大地も秋山木工の丁稚も、「職務対象(人力車や山の開拓や木工)に対して興味がなさそう」なのに、「いわゆる普通の仕事でない過酷な道」になぜあえて飛び込むのだろう。あえて過酷な環境に自分を置くことで、自らを鍛え直したいという思いがあるのかもしれないが、過酷な環境であればあるこそ「そのものへの強い興味関心」がないと相当しんどそうだ。

 番組最後のナレーションでは、アツシの今後に対し「また走りだせばいいんです。今度は無理なく自分がピタッとはまれる場所を目指して」と言葉を当てていたが、本当にそう思う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「泣き虫舞妓物語2022 ~夢と希望と涙の行方~ 前編」。京都で舞妓を目指す15歳少女・寿仁葉(じゅには)の5年の記録。

『ザ・ノンフィクション』「やりたいことで生きていく」という機運の弊害「都会を捨てた若者たち 後編 ~27歳の決断~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月26日の放送は「都会を捨てた若者たち 後編 ~27歳の決断~」。

あらすじ

 栃木県那須町にある非電化工房では自然と調和した暮らしを目指し、自分の力で生きていく技術を学ぶ。代表の藤村靖之氏は1年限定で住み込みの弟子を取っており、現在は20代の5人が弟子として暮らしている。

 弟子の一人、27歳の大地は非電化工房の同期の他メンバーとの交流を避け、夕食も別に取る。大地は4歳で野球を始めたが甲子園出場の夢はかなわず、大学卒業後は大手ハウスメーカーに就職し、営業マンとして働く。しかし1年ほどで退職し、今度は人材系のベンチャー企業に入社するが、そこも自主退社。

 何も手にしていないという思いから、非電化工房への弟子入りを決めたと話すが、目的がはっきりあるわけではないようだ。そんな大地に対し、藤村氏は山の開拓を一例として出し、大地は乗り気になっていく。

 そんな大地に彼女ができる。非電化工房で暮らす同い年の樹乃香だ。樹乃香は大学で人権、環境問題を学び、生活支援のNPOで働くも、毎朝の満員電車の生活に慣れなかったようで、弟子入り生活をしながら、地元山梨で非電化カフェの開業を目指している。

 人付き合いに苦手意識のある大地は、当初、弟子生活の終了後は樹乃香と生活の拠点を別にしたいと番組スタッフに話していたが、樹乃香は大地と生活を共にしたいと考えていた。しかし一方で、大地の目指す山の開拓生活での同居は無理かもしれないとも思い、大地に話を切り出せない。

 しかし、修行生活が終盤に差し迫ったころ、樹乃香の父親にがんが発覚する。ログハウスビルダーだった父親とともにカフェを作りたいとの思いがあった樹乃香は、大地と話し合う。大地は山を探しつつも、まずは樹乃香のカフェを手伝う選択をする。

 大地は弟子生活において同期との交流を避け、入居して7カ月で行われた非電化工房の対外向けのイベントでは、自分の担当であったポンプの準備を怠り、藤村氏にたしなめられていた。そのときは、すっかり意気消沈して「退去のシミュレーション」を番組スタッフの前でするほどだったが、弟子生活の最後のほうでは人と交流を持つようになり、1年滞在した非電化工房を去るときは「辞めなくてよかった」と涙していた。

▼前編はこちらから

『ザ・ノンフィクション』「好きなことで生きていく」という機運の弊害

 「地元山梨でカフェを開く」という樹乃香の夢を手伝うことにした大地だが、これはいい決断だと思った。番組の前後編を見ても、大地の夢である「山の開拓」への熱意、情熱の度合いがよくわからなかったからだ。

 実際に山探しのため自治体に電話をかけたり、すでに山を開拓して暮らしている人のもとを訪ねるなど具体的に行動もしているのだが、なぜか「すごくやりたい」ように見えなかった。もともと「山の開拓」も大地自らが言い出したものではなく、藤村氏の一提案だ。

 非電化工房の修業生活を1年間行ってきたというのもあり、大地には「非電化系の目標を見つけないと」という焦りもあったのかもしれない。ただ、やりたいものを無理やり探すよりも「自分よりやりたいことが明確な人を手伝う」ほうが、無理がないように思う。

 今の世の中、終身雇用などはすっかりアテにならなくなってきており、その代わりに「好きなこと、やりたいことで生きていく」という機運は、特に若年層を中心に高まっているように思う。このこと自体はいいことのように思うが、一方で「好きなこと、やりたいことを見つけて、それで生きていかないとダメ」、さらには「会社勤めは社畜、搾取される」という思考も一部で強まっているような気がする。

 しかし、そこまで行くのは極端な考えだ。若い大地も、こういった固定観念に振り回されていた面があるのかもしれない。

 大地は「(いろんな人とうまくやれ、かつカフェといういろんな人が来る環境を作りたい樹乃香に対し)僕はいろんな人が来るとしんどいから」 と、退去後に樹乃香と生活を共にすることに消極的だった。

 大地の自己認識は「人付き合いがしんどい」ようだが、しかし、前後編を見る限り、大地はむしろ人付き合いに積極的な人のように見えた。番組スタッフの前でもおしゃべりだ。

樹乃香と付き合ったなれそめを聞かれた際、「褒め上手だから」と話し、藤村氏に山の開拓を提案されると気を良くしたり、逆に藤村氏にたしなめられたときは退去を検討するほど落ち込むなど、大地は人から言われたことに影響を受けやすい。

 本当に人付き合いが苦手なら、人の話に耳を傾けたりなど人と関わろうとしないし、彼女をつくろうとも思わないだろう。そもそも大地は新卒で大手ハウスメーカーの営業マンだったが、大手の人事が採用、配属する人に「人付き合いが苦手な人」はいないはずだ。

 大地は、「人付き合いが苦手」というほどではなく、「人に対し愛想よく振る舞うこともできるし、気の合う人とは仲良くしたいが、人付き合いの煩わしさはなるべく避けたい」程度に見える。それなら私もそうだし、世の中の多数派とすら言っていい。

 「ぱっと見そうかもしれないが、本当の自分はそうではない」という考えもあるかもしれないが、「ぱっと見そう映る」というのも、その人の立派な実態のひとつだ。ぱっと見は人付き合いに積極的に見える大地は、自然を相手に開拓生活をするよりも、接客のほうが向いているように見えたし、その点でもカフェ経営はいい進路だと思う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「人力車に魅せられて ~夢と涙の浅草物語~」。浅草観光の名物ともいえる人力車。10社以上がしのぎを削る中で「東京力車」は女性俥夫も多く活躍している。俥夫を目指す若者たちを見つめる。

『ザ・ノンフィクション』お父さんみたいにならないで、という母親の呪い「都会を捨てた若者たち 前編 ~27歳の迷い道~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月19日の放送は「都会を捨てた若者たち 前編 ~27歳の迷い道~」。

あらすじ

 栃木県那須町にある非電化工房では自然と調和した暮らしを目指し、自分の力で生きていく技術を学ぶ。代表の藤村靖之氏は一年限定で住み込みの弟子を取っており、現在は20代の5人が弟子として暮らしている。夜は昼の間ソーラー充電で得たわずかな明かりのみだ。

 弟子の一人、27歳の大地は非電化工房の同期の他のメンバーとの交流を避け、夕食も別に取る。だが「人嫌い」「人が苦手」という感じではなく、スタッフとはむしろ人当りよく話し、非電化工房の同期たちが誘ってくれるのを待っているような節も感じさせる。

 そんな大地を番組ナレーションは「相当こじらせているようです」と伝えていた。大地はYouTubeで非電化工房での暮らしを配信していて、そこで欲しいものリストも掲載しており、その中には「彼女」の文字もある。

 大地は4歳で野球を始め、野球の強豪高校に進むも甲子園出場の夢はかなわず、大学ではアメフトへ転身するも、結局レギュラーになれなかったという。その後、東証一部上場のハウスメーカーに就職し営業マンとして働くも1年ほどで退職。人材ベンチャーに転職するも、自分に自信をなくしてしまい、メンタルクリニックで「うつ症状」と言われ退職する。

 大地は幼いころから競争生活を過ごしてきたものの、何も手にしていないことから非電化工房への弟子入りを決めたと話すが、非電化工房での目的がはっきりあるわけではないようだ。そんな大地に対し、藤村氏は山への開拓を一例として出し、大地は乗り気になっていく。

 そんな大地に彼女ができる。非電化工房で暮らす同い年の樹乃香だ。樹乃香は大学で人権、環境問題を学び、生活支援のNPOで働くも、毎朝の満員電車の生活に慣れなかったようで、弟子入り生活をしながら非電化カフェの開業を目指している。

 そのような中で大地の父親が非電化工房を訪ね、稲刈りに参加する。大地は樹乃香を父親に紹介。その後、居酒屋で父と息子は和やかに話すが、父親は大地が席を立った際に、番組スタッフを前に、自分の仕事を手伝ってほしいことや、彼女ができたのに好き勝手やっていていいのか、という気持ちを吐露する。

『ザ・ノンフィクション』番組最後に大地が見せた変化

 番組最後2分、午後2時50分すぎからが怒濤の展開だったように思う。

 それまでの番組中の大地は目の前の非電化工房の同期とは自分から打ち解けようとしないが、それは孤高を貫くというよりは「誘われ待ち」な感じで、さらに人付き合いは苦手と言いつつYouTubeという人付き合いには積極的だ。

 さらには非電化工房に身を置きながらも、やりたいことがはっきりあるわけでもなく、さらに彼女は欲しいしと、どうも浮ついた感じに見えた。

 しかし番組最後、大地が父親と居酒屋で飲みながら話した内容には実感がこもっていた。抜粋したい。

大地「作業着を着て帰ってくる父親(大地の父親は大型シャッターの職人)が嫌だった。『スーツを着ている人が会社員』っていうイメージがあった。そっちの人の方がカッコいいとずっと思っていて、母親にも『ああいう現場仕事じゃなくてホワイトカラーでいてね』って言われていた。『大学にも行かせるから一流のいい会社に入れ』って」

大地父「お母さんそんなふうなの、マジか」

 その後、大地は会社員時代に現場実習で職人の姿を見ることがあり、現場仕事をカッコイイと思うようになったと話した後、照れくさかったのか席を立つ。この発言は番組中の大地の言動の中で一番実感がこもっていたように聞こえた。

 大地は自分でもよくわかっていない「やりたいこと」を探すよりも、自分がすでに実感として持っている仕事観をベースに仕事を探したほうがいいのではないだろうか。

『ザ・ノンフィクション』「お父さんみたいにはならないでね」という母親の呪い

 先の大地の発言から、大地の母は、大地に「お父さんみたいにはならないでね」と言葉をかけていたわけだが、これは子どもにとってかなりの呪いだと思う。こう発言するに至ったまでの「母の言い分」も当然あるだろうが、それは夫婦で話し合うことであり、子どもに言うことではない。

 「お父さんみたいにはならないでね」という母の発言は単独だけでもかなりのインパクトだが、大地の家の場合、父は大地に仕事を継いでほしいのだ。大地は「俺みたいになってほしい」と「お父さんみたいにならないで」の板挟み状態にある。

 夫婦間で矛盾したメッセージを子どもに発信しているのが問題なのではない。たとえ矛盾していても、大地の前で両親それぞれが、自分たちは仕事についてこう思っているがその上で大地は自分で考えればいい、と言えばむしろそれは非常に有意義な家族の時間になると思う。

 大地の家の場合、母は父への不満を本人には直接言えず、代わりに大地に「お父さんのようにならないで」と告げ、父は父で大地に仕事を継いでほしいと言えないし、妻がそこまで自分に対し不満を持っていたことに気づけない。

 意見の矛盾が問題なのではなく、言いたいことを直接当事者に言えない、相手の不満に気づけないというコミュニケーション不足が問題のように思う。

 大地の父母は大地のYouTubeをチェックし、行く末を案じているし、大地の父は非電化工房の稲刈りを手伝いに来ている。夫婦仲、家族仲は悪くないように見えるのだが、肝心な点においては「コミュニケーションを避けている」感じがした。

 ぱっと見の仲はいいのだが、言えば軋轢が起きそうなこと、気まずくなりそうなこと、しかしだからこそ大切なことはどうも話せない——と言う家庭は、大地の家に限らないように思う。「話し合い」が苦手で「察してほしい」という風潮が根強い日本では、むしろこういう家庭のほうが多いのではないだろうか。面倒なことにふたをしたい気持ちはわかるが、ふたをすることで生まれる弊害もある。

 来週は今週の続編。残り半年を切った非電化工房での弟子生活。27歳のカップルが出した結論とは。

『ザ・ノンフィクション』善意の人は、時に厄介「うちにおいでよ ~居候たちの家~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月5日の放送は「うちにおいでよ ~居候たちの家~」。

あらすじ

 東京中野区で暮らす森川家は、40代の義明と愛の夫婦に小学校5年生を筆頭に3人の子どもがいる5人家族。そこに、2人の居候、コウジとユリも暮らしている。

 1年前から森川家に世話になっている29歳のコウジは、親に医学部に入ることを強いられていたそうで、有名大学の医学部には合格したものの、そこで燃え尽きてしまう。大学は卒業したが、医師国家試験は受けていないという。開設したブログでは、親への不満をつづっている。コウジと愛はとあるイベントの会場で知り合い、愛が家に呼び寄せた。コウジは森川家で食器洗いを担当しているが、生活費は入れていない。

 30歳のユリは、裕福な家庭に育ち名門大学を出て大手広告代理店に就職するも、週5日電車に乗って通うのが自分には合わないと3カ月で辞めて、海外へ飛び出す。その後、結婚相手を見つけたが親の反対にあい、別の相手と結婚するもすぐに離婚と、波瀾万丈な20代を送る。

 自分の親に対し複雑な心境を抱えるユリとコウジは意気投合。ユリは妊娠し、3カ月前に愛はユリも家に呼ぶ。愛が居候を住まわせるのは今に始まったことではなく、過去にも愛に声を掛けられて居候を始めた男性がいて、家を出た後もいまだに交流は続いている。

 4LDKで7人が暮らす日々で生活費がかさむ中、愛は香港から来た11歳の明希を新たな家族として迎える。香港人だった明希の母親と愛はママ友の間柄で、シングルマザーとして子育てしていた明希の母親だったが、2年前に病気で亡くなってしまう。明希の父親とは連絡がつかず、香港の祖父母の家に明希は迎えられるも、言葉の壁などがあり、折り合いはうまくいかなかったという。それを知った愛が引き取ったのだ。

 当初、愛は明希と養子縁組をする予定だったが、養子縁組は誰を養子にするか里親側は選べない仕組みであるため断念。一方でこのままだと、明希に手術の必要などがあった際に同意書へサインができないため、愛は明希の未成年後見人になるべく動く。

 愛がこれほど人の世話を焼くのは、愛自身が16歳で歌手になるため上京した際に、多くの人に世話になったからだと話す。一方、森川家はいよいよ人が増えてしまい、愛に促される形でユリとコウジはユリの家から金を借り、新居に移る。

 番組の最後ではユリとコウジの間に子どもが誕生。愛も無事、明希の未成年後見人になった。

 誰しも親に対して、大なり小なり複雑な感情はあると思うが、ユリとコウジのそれは30歳、29歳という年齢からするとかなり根深いものだった。その感情を抱くまでに、親子で葛藤があったのだろうし、特に医者になることを親に強いられてきたコウジの場合、教育虐待の可能性もあったのでは、と想像できる。

 一方で、現在のコウジは森川家に生活費も入れない居候だ。明希を引き取り、森川家が手狭になっているのだがら、「僕らはそろそろ出ていきますね。お世話になりました」くらいコウジには言ってほしかったが、煮え切らずぐずぐずしていて、出ていくのも愛に促され、ようやく、といった姿勢に見えた。

 また、2人が森川家を出るとき、餞別に森川夫妻はお金を渡していたが、コウジとユリが用意していたのは「手紙」。生活費すら入れていなかったのだから、せめて菓子折りくらい用意すればいいのにと思った。

 カットされていただけで実は渡していたり、また、森川家側が出産でこれから入り用だから餞別はいらないと事前に伝えていたことを願うが、本当に手紙以外何も渡していなかったのなら、2人には「お世話になった人とのお別れに用意するモノ」を考えたことが、今までなかったのかもしれない。一般的な就労経験があれば、教えられずとも身についていることのようにも思う。

 コウジとユリは親との葛藤を抱え、自分探しに奔走した20代を送ったように見えるが、一方で、社会における年相応の常識を身につけることはなかったのだろう。こうした姿に幼さを感じる。

 なお、コウジは大学時代に受験しなかった医師国家試験に改めてチャレンジしようとしている。河合塾のデータでは、国家試験の合格率を出身大学別にまとめたページがあるが、明らかにどの大学も新卒者の合格率が高く、既卒者の合格率は5割程度まで落ちるケースも多い。

 学生時代の勢いや流れに乗らないと、一気にハードになってしまうのだろう。コウジがもし医者になるなら、「最後の壁」はかなり高そうだ。

 困った人に手を差し伸べる愛が、「善意の人」なのはよくわかる。夫婦関係や家庭に関することは、当事者たちが納得していれば、他人がとやかく言うことではないが、しかし自分が夫・義明の立場なら、居候を迎え入れる家は気が休まらず、しんどいだろうと思う。

 しかも厄介なのは、愛のような「善意の人」の意見や行動には、周囲も「NO」が言いづらいという点だ。善意に基づいた意見のため、それを断ると心ない人間のように思えてしまう。

 また、善意の人自身にも、自分の考えは善意ゆえに、まさか相手が「NO」とは言わないだろう、という強引さもあるのではないだろうか。これは、善意の人本人ですら無自覚かもしれない。善意の人は善意ゆえに、悪意ある人より時に厄介なのではないかと思う。

 森川家にいる子どもや明希は思春期を迎える。家に自分のスペースが欲しくなるだろうし、何より義明だって一人になりたいときはあるだろう。愛の善意に基づく居候の受け入れは、これからもあるかもしれないが、もし家族は少しでも嫌だったら、はっきりNOを伝えていいと思う。

 善意が大切なように、嫌だ、困る、と思う気持ちだって大切だ。