『ザ・ノンフィクション』引きこもりがあぶり出す、それぞれの問題「父と息子とはぐれた心 ~引きこもった僕の1年~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月26日は「父と息子とはぐれた心 ~引きこもった僕の1年~」というテーマで放送された。

あらすじ

 キタノ家の長男、ヨウヘイ(24歳)は大学卒業間近に突然、自宅に引きこもりだす。真っ白な顔でゲームに没頭し、昼夜逆転の生活を繰り返すヨウヘイを前に困り果てた両親は、富山市にある自立支援施設「はぐれ雲」に息子を預ける。

 「はぐれ雲」では引きこもりや不登校を経験した10〜40代の男女が、ひとつ屋根の下で暮らし、就労訓練などを受けながら自立を目指している。最初の頃、ヨウヘイは、はぐれ雲でも無気力や不機嫌さを隠さなかったが、徐々に集団生活に慣れていく。1年後、両親との面談において、ヨウヘイの顔はまだこわばっており、親子仲は「大改善」とまではいかないが、当初は無視を続けていた親からのLINEにも返信するようになる。はぐれ雲の仲間内では笑顔を見せたり、ヨウヘイは大きく変化していた。

父と息子だけの問題だろうか?

 ヨウヘイの両親は、子どもの進路や教育に強く介入する過干渉な父親と、子どもに過保護な母親という「両親そろって過剰」なタイプに見えた。今回のタイトルは「父と息子とはぐれた心」であり、父親と子の葛藤をメインに扱っていたが、私には母親にも、ヨウヘイを引きこもらせた要因があるように思えた。

 この父親と母親は方向性は違えど、ヨウヘイから「考える機会」を奪っている点では共通しているようにみえたのだ。父親は、ヨウヘイが自ら進路を考える機会を奪い、母親はかいがいしく面倒を「見すぎる」ことで、ヨウヘイが考えて動く機会を奪っているように思える。

 ヨウヘイははぐれ雲で過ごした1年間で、無気力でまっすぐ立てずいつも上体がフラフラとしていて、24歳なのに精神年齢が12歳くらいに見える若者から、30kgの木を抱えて運ぶほどの体力と、仲間の前では快活に笑い、地元の人とも交流する若者にまで変貌を遂げる。はぐれ雲での集団生活や、農作業の手伝い、地元の人とのふれあいなども大きかったと思うが、はぐれ雲で行った毎日の「家事」が果たした役割が特に大きかったのではないだろうか。

 ヨウヘイはそれまで家で家事をしたことなどまったくなかったという。母親が家事を一切させず、朝は大学の授業に合わせて起こすなど、かいがいしく世話を焼いていた。それだけに、はぐれ雲に入所した当初は、やる気もなくもたついた手つきで配膳をし、皿洗いもふてくされながら乱暴にやっていたが、1年後は、手際よくおかずの味付けまでしていた。

 家事は「できないことができるようになった」という達成感を味わいやすい。毎日のことなので、今日は卵がうまく焼けなかったから、明日は味付けや火加減をこうしてみよう、と試行錯誤もできる。清掃の家事は爽やかな気分にもなれる。それに学校の勉強は受験以降は役に立たないものも多いが、家事は生きていく上で避けられない行為だ。ヨウヘイが、家事をもっと早くやっていたら、状況は違っていたのではないだろうかと思った。

 はぐれ雲を夫婦で運営し、家事を担当する川又佳子は、ヨウヘイの問題点を指摘するが、手は出さず、ヨウヘイに最後までやらせていた。自分でやったほうがよっぽど早く、ストレスもたまらないとわかった上で、あえて「見守り、やらせる」ことを選ぶ。

 一方の母親は、父親が高圧的な分、私が優しくしてあげないと、と思っているように見えた。しかし、「過保護」も子どもから考える機会を奪う行為だ。両親ともヨウヘイを「見守る」ことができず手を出してしまっているのだ。

「親がやってくれるだろう」という子どもと「その通りやってしまう」親

 番組後半、ヨウヘイと両親が面談したときに、父親は「(大学の復学について)親に言われたからやったといわれるのは嫌、自己責任で決めてほしい」と話していた。それまで両親は、ヨウヘイに手取り足取り介入して、「考えるな」とでもいうような教育をしてきたのに、ここで急に「自分で考えろ」と突き放す。

 一方でヨウヘイは、面談に来た親を前に顔を露骨にこわばらせていたが、いざ就活を行うことになると、親にLINEで「スーツほしい そろそろ就活しようかな」と送っていた。両親の「自己責任で決めてほしい」という言葉と、それを受けたヨウヘイの「スーツほしい」という自発的な言葉は、家族全員のそれぞれの成長を感じさせるようにも見える。だが、自分で自発的にスーツを買うのではなく、「スーツほしい」とさえ言えば親が用意してくれるだろう、といまだヨウヘイが信じて疑いもしていないようにも見えた。

 また親も、その連絡を受けたらスーツをヨウヘイのもとに即座に送る。ここは「自分で買ったら」、せめて「金は出すから自分で選んでみたら」ではないだろうか。「親がやってくれるだろう」と自分から動こうとしない子どもと、進んで「やってしまう」親。結局、親子の関係は根本ではあまり変わっていないようにも見えた。

 ヨウヘイの引きこもりはキタノ家の父、母、ヨウヘイの三者それぞれに課題を突き付けていると思う。

 来週は「おなかも心もいっぱいに ~はっちゃんの幸せ食堂~」。500円食べ放題の食堂を一人で営む85歳のはっちゃん。そんなはっちゃんと新型コロナウイルスの戦いの日々。

『ザ・ノンフィクション』家族団結を説く父、コロナ感染で改心「お父さんと13人の子ども 後編~新型コロナと大家族~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月19日は「父さんと13人の子ども 後編~新型コロナと大家族~」というテーマで放送された。

あらすじ

 大阪の7男6女の大家族・澤井家。一家は、梅田のビル地下街で居酒屋を経営している。父の淳一郎は居酒屋を営みながら家事、育児にも協力的だが、ワンマン的でもある。3年前、淳一郎が跡継ぎにと決めていた長男が何も言わず突然、家を出ていってしまう。また、進学校に通い成績優秀の三男も、家の事情に鑑みて大学進学を諦めるが、居酒屋で仕事をすることに迷いを感じている。それを察した淳一郎は家族会議で三男を叱責する。

 そんな中、新型コロナウイルスの影響が、澤井家の店を直撃。さらに3月末には淳一郎自身がコロナに感染し、店を開けられなくなってしまう。淳一郎は志村けんさんも受けていた人工心肺・エクモ(ECMO)による治療を行い、予断の許さない状況が続くも、4月末は退院できるまでに回復。10キロ以上痩せた淳一郎は一回り小さくなり、その後も誤嚥性肺炎になるなど体調はすぐれず、かつては家族を取り仕切っていた淳一郎の考えにも変化が出てくる。子どもたちだけで開けていた店は売り上げが1/5に落ち、飲食一本ではまずいと多様化を模索しだす。

「絶対」の考えがゆらぐ瞬間

 コロナで倒れる前、淳一郎は家を出ていった長男について、番組スタッフに対し「長男はもう大人やから仕方ないよね、私が成長してないだけやろね」と話していた。淳一郎の自省ともとれる殊勝な発言だが、このときの淳一郎は「頭ではわかっていても肚では、本心ではわかっていない状況」だったのではないだろうか。

 というのも、自分の可能性を試してみたいと迷う三男に対し、家族会議の場で「家族の団結」の名の下糾弾する言動をとっていたからだ。この時点では、「私が成長していない」という言葉はうわべだけのものではないだろうか。別に、これは淳一郎の性格がどうだ、という話ではなく、誰にだって言葉が頭に入っていても、それがさっぱり実感に結びついていない、腑に落ちていない状態というのはある。

 淳一郎はその後コロナに倒れ、人工心肺を導入する大掛かりな治療から生還したものの、大きな体は一回り小さくなり、家族をどやしつけていた大きな声も出せなくなる。肉体的に変化が現れる中、精神的にも変わったのだろう。番組の最後には、「子どもたちがね、やりたいことやったらいいと思うんですよ、自分たちで相談して。時代も変わるしね、状況もどんどん変化していくから、私が口出す領域を超えると思うんですよね」と言っていた。ようやく、「子どもたちはもう大人であり、成長していないのは自分だった」ということが、実感としてわかったのだろう。

 言葉を本当に理解するには、自分の中に言葉を受け取る器ができていなければいけない。淳一郎にとって、コロナに感染し家族に二度と会えないかもしれないという恐怖の中で1カ月闘病を続けたこと、退院後も体調は優れないこと、そして一家経営ゆえに家族が総倒れになってしまいかねない現実を通じ、自分の中にあった「絶対」がゆらぎ、その隙間に初めて言葉が入ってきたのではないだろうか。

 コロナがきっかけで淳一郎は「転向」したと言えるが、私が過去に働いていた会社も、当時は副業禁止だったが、コロナで業績が悪化したのか副業を解禁したという。胴元のルールや考えなんて胴元の都合(主に、金銭的な都合)であっさり変わるのだ。

 淳一郎の考えが変わり、晴れて選択肢が広がったと思われる三男だが、前編では宇宙の本を読んでおり、そちら方面に進みたいのかと思いきや、後編ではAIとかデータサイエンティストに興味があると話しており、なんだかフワフワ、フラフラしていた。

 しかし三男はそれまで淳一郎が敷いたレールの上をただ走れと言われ、ほかの選択肢を思い描くことを自ら禁じていたのかもしれないし、そもそも青年期は「フワフワ、フラフラしたいならそうする自由」もあると思う。

 一方の淳一郎は青年期の年頃にはもう複数の子の父親だったため「独身者の気ままなフラフラ、フワフワする青年期」とは無縁だったはずだ。それゆえ、淳一郎にとっては「フワフワ、フラフラ」がただの「怠慢」に見えてしまったのかもしれない。確かに「フワフワ、フラフラ」は怠慢な側面も実際あり、度を超えれば問題だが、そののんびりした時間は案外それから先の人生で役に立ったりもする。すぐ役に立ちそうなことばかりが全てではない。

 テレビに登場する大家族を見ていると、淳一郎もそうだが、親は思春期のさなかに早々と「親」になる。そのため、父親、母親となった彼・彼女らは、その後の「青年期」を知らないまま大人になっていったのだが、「青年期」を経て大人になる、という大人へのルートも普通にあるのだ。家族経営の飲食業という仕事柄、あまりのんびりできなかったであろう澤井家の子どもたちが、これからは青年期をゆっくり満喫していってほしいと願う。

 来週は『ザ・ノンフィクション 父と息子とはぐれた心 ~引きこもった僕の1年~』。「やりたいことが何もない」と部屋にこもりゲームばかりしている24歳の息子と「やりたいことを見つけろ」と諭す父。息子の自立支援施設での生活を追う。「フワフワ、フラフラ」は度を超すとこうなる危険性も、確かにある。

『ザ・ノンフィクション』“家族結束”を説き、子どもの生き方を奪う父親「お父さんと13人の子ども 前編~7男6女 闘う大家族~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月12日は「父さんと13人の子ども 前編~7男6女 闘う大家族~」というテーマで放送された。

あらすじ

 大阪の7男6女の大家族・澤井家。一家は、梅田のビル地下街で居酒屋を経営している。父の淳一郎は居酒屋を経営しながら家事、育児にも協力的で、休日は子どもたちの空手の応援にも駆けつける。しかし3年前、淳一郎が跡継ぎにと決めていた長男が何も言わず突然家を出ていってしまう。また、進学校に通い成績優秀の三男も、家の事情に鑑みて大学進学を諦めるが、居酒屋で仕事をすることに迷いを感じている。それを察した淳一郎は三男を叱責、100万円を渡し「旅させたほうがええんちゃうか」と突き放す。そんな中、新型コロナウイルスの影響が、澤井家の店も直撃してしまう。

出て行った長男、自分の意見を言えない三男

 淳一郎は子どもたちの面倒をよく見ている。大阪・梅田という繁華街で居酒屋を18年続けている点からしても、頭のいい人なのだろう。しかし、それでも大家族の親は嫌いだ、と淳一郎を見てあらためて思った。

 淳一郎は、進学を諦めて、居酒屋で働き続ける生活に疑問を抱く三男を、家族全員が揃う場で糾弾する。なぜ、父と息子二人きりで話をせず、「家族会議」の形をとるのだろう。すでに店で長年働いている兄や姉を前にし、三男が「店以外で自分の可能性を試したい」などとは言えないだろう。その糾弾の場で、「家族団結の必要性」を淳一郎は説き、三男個人の問題を家族の問題にすり替えていた。淳一郎は、子どもを「家族」としては見ているが「個人」としては見ていないように思えた。

 さらに気になるのが、淳一郎の話し方だ。家族会議では、ひたすら淳一郎が話し続け、たまに子どもたちへ「どっちだ?」で迫る。それに対し「違う!」「そうだ!」と、淳一郎が判断する形で進められていた。「子どもの話を聞く」という選択肢が、そもそも淳一郎にはないのだろう。これでは「会議」でも「話し合い」でもなく「演説」だ。

 これでは子どもは、この人になにを言っても無駄だと諦めてしまうように思う。大家族の親を見ていて、いつも思うのは「子どもに諦めさせるスキル」の高さだ。これまで『ザ・ノンフィクション』で見てきた大家族の親は、ここに関して皆判で押したように同じ性質がある。諦めることに慣れる前に家を出た長男を私は応援するし、三男も迷いがあるなら家から出ていったほうがいいように思う。

 淳一郎は、バブル時代で景気のよかった自分の若い頃と違い、今の若い人の置かれた状況は厳しいのだから家族の結束こそが大事だ、と語っていた。前半は同意するが、後半の「家族の結束こそが大事」については、どうだろうか。それは選択肢の一つでしかないだろう。何があるかわかならいこれからの時代は、「多様性」も選択肢にあるではないか。家と店から出た長男が、淳一郎の思いもつかない方法で家族を支えることもできるかもしれないのだ。

 また淳一郎は長男の失踪後、店を継いでほしいという願いを次男と三男に託すが、なぜ娘たちではダメなのだろう。淳一郎の男女観は古いのではないか。店は、やる気と店への愛情がある人が継げばいいし、子どもが全員店を継ぎたくなければ他人が継いだっていいはずだ。コロナ禍で飲食店の置かれた状況が非常にシビアである以上、全員が消耗する前に店をたたむ、という選択肢も検討していいだろう。

 澤井家の娘たちは番組内で見る限り父親と家族にとても従順に見えた。淳一郎自身はそうは思っていないのだろうが、番組を見る限り「永遠に自分の意見に従順であること」が淳一郎の理想の子ども像に私には思えて、げんなりとした。

 次週のザ・ノンフィクションは今回の後編。コロナ禍が店を直撃するだけでなく、淳一郎自身がコロナで倒れてしまう。

ジョンマキのヤラセ告発に思うこと

 ところで、『ザ・ノンフィクション』では、とても気になる問題が起きている。人気シリーズ「マキさんの老後」に出ていた名物コンビ「ジョンマキ」の二人が、番組内で過剰なやらせがあったと7月7日発売の「週刊女性」(主婦と生活社)で告発しているのだ。

 私も同誌の告発記事を読んだが、記事からは12年続いた人気シリーズの多くが「演出」というレベルを超えた「嘘」の領域であったとある。この検証、実態の報告こそ『ザ・ノンフィクション』でやってほしいと願うが、残念ながらメディアという業界は、伝えることが仕事でありながら、他社の失敗は喜々として伝えるが、自社の失敗はその詳細までは伝えない傾向があるため、期待できないだろう。それはフジテレビに限らず、また、テレビに限らずウェブメディアにもその傾向はある。

 「マキさんの老後」は大好きなシリーズだったのだが、二人が嫌々それに協力していたということが悲しい。制作スタッフと出演者が楽しく同意できるレベルなら、演出の範疇ともいえるが、出演者が嫌な気持ちになるような「嘘」は見たくない。

『ザ・ノンフィクション』仕事ひとすじの夫を支えた妻の決断「真夜中の洋菓子店 ~ケーキよりも大切なもの~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。7月5日は「真夜中の洋菓子店 ~ケーキよりも大切なもの~」というテーマで放送された。

あらすじ

 奈良公園からほど近く、住宅街の中にある洋菓子店「にこにこ庵」。店主、木村洋司はもともと中華料理のコックを目指していたが、生きた魚介をさばいたりすることができず、洋菓子職人へと転身。2005年に、自分の店「にこにこ庵」をオープンさせる。作ったケーキは「自分の子ども」だと話すほどケーキに愛情を込める木村は、ケーキが完売するまで店を閉めないという営業方式をとっているため、ほぼ毎晩、厨房の床に段ボールを敷いて寝る生活を続けている。

 妻の美絵子は介護職をしながら、店の経理や店にこもりっきりの木村へ食事を届けるなど、陰ながら夫を支えてきた。しかし、木村は良質な材料を使ったケーキを安価で提供してしまうという商売っ気のなさで、儲けはほぼない。そんな木村の首にはヘルニアがあり、医師からは手術も勧められている。2年前に美絵子は、木村に店を辞めてほしいと切り出した。

 20年4月、木村はにこにこ庵の5月末の閉店を決断する。同じ頃、新型コロナウイルスの影響が奈良県にも及んでいたが、にこにこ庵には閉店を知った常連客が日々足を運んでいた。最終日には雨の中、一日中傘の行列が続いていた。そして閉店後、美恵子は「よう頑張った」と木村に声を掛け、木村は「ありがとう」と頭を下げる。その後、木村は後輩から声がかかり、洋菓子職人として再出発する。

家の20年ローンとヘルニアの夫

 美絵子は木村に店を辞めてほしいと進言し、番組のナレーションではその真意を「もっと家庭を顧みてほしい」といったニュアンスで伝えていた。しかし番組を見る限り、妻の本心は、別のところにあるように思える。朝から晩まで働き続ける夫の健康面、そして5年前に買った新居の20年ローン、この2点が心配の種だったように見えた。

 木村家は共働きだが、にこにこ庵は採算度外視な経営が続いている。そもそも、30代の共働き夫婦の20年ローン返済と、50代の共働き夫婦の20年ローン返済は、意味合いが大きく違う。どちらかがローン返済まで働けなくなる可能性があり、さらに木村は首にヘルニアがあるのだ。そのままでは、働けなくなるリスクが高いだろう。家を買うにも事情があったのだろうが、中高年になってから高額の買い物をすることについて考えてしまった。

 ケーキ作りが生きがいであろう夫に、撤退を勧めるのは悪妻とも捉えられかねないが、番組を見る限りそんなことはない。美絵子はほかに仕事がありながらも献身的に夫を支え、木村夫妻は世の50代夫婦にしてみれば、かなり仲がいいように見えた。朝から晩まで店にいた木村は、子どもたちとちゃんと向き合う余裕も持てず、美絵子にしてみれば積年の恨みになってもおかしくないようにも思えるものの、木村を心配こそすれど恨みがあるようにはとても見えない。

 番組の冒頭で、美絵子は店にこもる木村へ夜食を差し入れていた。相手を恨んでいたり愛想を尽かしていたら、そもそも夜食など持っていかないだろう。そして、にこにこ庵の最終日には、木村のシェフコートの首元に、赤いスカーフを巻いてあげていた。そうした行動の端々に夫への愛情を感じるのだ。

 これは、木村の人柄によるところが大きいように見える。番組での木村は、とにかく優しい。コックから洋菓子職人に転身したのも、生きた魚介をさばいたりできないというエピソードからして、それがわかるだろう。

 一方で、木村のそうした性格は、残ったケーキを廃棄できず夜中まで店を開けていたり、大粒の真っ赤なイチゴなど高そうな材料を使いながら、ケーキの値段をそこまで上げられないという、商売っ気のなさにもつながっている。木村は「ケーキ職人」としては一流だが、冷徹な判断が求められる「経営者」向きではなかったのだろう。

店の最終日、にこにこ庵は常連客や従業員、木村の旧友たちからの花束であふれていた。「ケーキがすごくおいしい店」だけでは、こうしたお見送りにはならないだろう。店を閉めてからも、後輩から誘われ、雇われの菓子職人として再出発する。「後輩から誘われる」というのも、木村の人柄の良さを物語っているだろう。

木村には、余計なプライドや気難しさがなく穏やかだ。優しさは時に木村の弱点でもあるが、それで周囲から慕われているのだし、優しさで木村は自分の人生を切り拓いているともいえる。木村のケーキを一度、食べてみたいと思った。

 次週のザ・ノンフィクションは「お父さんと13人の子ども 前編~7男6女 闘う大家族~」。大阪駅前の地下街で居酒屋を家族経営する澤井家は7男6女の15人家族。しかし長男が突然家を飛び出し、さらに新型コロナの脅威が澤井家にも影響を及ぼす――。

『ザ・ノンフィクション』大家族モノと貧困のしんどさ「シングルマザーの大家族 ~パパが遺してくれたもの~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月28日は「シングルマザーの大家族~パパが遺してくれたもの~」というテーマで放送された。

あらすじ

 千葉で暮らす續(つづき)家は4男6女合わせて10人の子どものいる大家族。3年前の7月、ダンプ運転手で一家を支えていた父・浩一が、突然くも膜下出血で42歳の若さで亡くなり、母・夕美子は一人で子どもたちを育てていくことになった。しかし次男(23)は定職につかず、三女(17)は高校を中退し、引きこもりになってしまう。節約をしても食費だけで10万を超えてしまうため、卵1パックを買うのもためらう生活が続き、1月には電気代を支払えず電気を止められてしまう。

 新型コロナによる休校も重なり、家庭内の雰囲気はすさんでいくか、散らかった家を長女夫婦の協力を得て片付けたところ、浩一が残した家族のビデオテープが見つかる。そこには家族全員の映像が残されていた。

「長女の夫」という役回り

 今回見てまず思ったのが、「長女の夫」のちょっと類を見ないほどの人間力だ。長女一家は県営住宅で4人の子どもと暮らしているのだが、續家の電気が止まった際、1カ月近く自宅に續家全員を滞在させていた。夜、疲れて仕事から帰ってきたら、自宅に妻の家族が大勢いる、という光景を目の当たりにしても「いつ帰んの?」と軽い調子でコミュニケーションを取っていた。そこには「耐え忍ぶ」「作り笑顔で乗り切る」といった様子はない。

 2020年4月、新型コロナで休校になったことで、荒れ果てた續家の掃除も率先して行い、そこにも「嫌々感」「無理してる感」はなかった。やんなっちゃうなあ、という感じはありつつも、うんざりしている様子がないのだ。こうした長女の夫の存在が、この大家族を和ませていたように見える。空気を穏やかで優しい方向に変えるムードメーカーだ。まだ若いのに、一体どんな半生を送ってきたのだろう。長女の人を見る眼力も確かだと思った。

大家族モノと貧国のしんどさ

 『ザ・ノンフィクション』ではタレント・美奈子の大家族シリーズ「漂流家族」があり、ほかにも各局で大家族シリーズは放送されている。大家族モノはファンの多い「数字が獲れる」ジャンルなのだろう。しかし、私個人としては、大家族モノは見るのがとてもしんどいため、自ら見ることはない。

 その理由は、大家族モノはほぼ貧困とセットだからだ。夕美子は卵パック一つ買うのもためらうときがあると話す。そして、そのしわ寄せは子どもに行く。高校受験を間近に控えた四女は、家の電気が止まったことで、長女夫妻の家で最後の追い込みをする。無事に合格するも、制服や教科書など、入学にかかるお金の計算を、夕美子は携帯の電卓を使って四女の前でやっていた。四女にしてみたら、お金の都合は自分ではどうしようもないことだ。

 さらに、23歳の次男はニートだが、かつて働いていた頃に給料やボーナスを家族の生活費として全額取られてしまい、働く気力がなくなっていったと、切ない胸の内を明かしていた。最初からなりたくてニートになったわけではなく、気力を折られてそうなったのだ。番組の最後、次男は再就職し家に5万円入れていると話していたが、これ以上要求されたら家を出て行けばいいのに、と思わずにはいられない。

 なお、續家の長男は失踪しており連絡が取れていないという。「家が嫌だから家を出て連絡も取らない(当然、金など渡さない)」という選択をした長男を私は応援する。「新たな決断」自体が大変気力のいることであり、気力を親に折られ続けると、ここまで奮起するのは難しいとも思う。長男の選択を次男はどう思っているのだろう。結局、現状維持が一番ラクな選択なのだ。

 また、高校をやめてニートになった三女も、誰に何を言っても無駄だと諦めていた。思春期の子どもに「諦める」という選択肢を取らせるシーンを見るは、本当にきつい。續家の場合、長女の夫の飄々とした人柄に随分救われたが、新しく良い風をもたらすのが「長女の夫」という外部の人間という現実が、また暗い気持ちになった。

 それでも、大家族モノは人気シリーズだ。視聴者は、子どものことが心配なのか、他人事として面白がって見ているのか。それとも、うちのほうが経済的にはまだマシだと優越感を感じたいのだろうか。卵パックを買えないほど、経済的に苦しくなることを見越せない一家も不思議だが、そうした家族へ向けられる興味・関心の目線も、個人的には不思議に思う。

 次週の「ザ・ノンフィクション」は『真夜中の洋菓子店 ~ケーキよりも大切なもの~』。奈良県のケーキ屋「にこにこ庵」。店主の木村洋司はケーキ愛のあまり、ケーキが売れるまで店を閉められず深夜まで店を開ける生活が続く。彼を支える妻・美絵子にも限界が訪れる中、新型コロナウイルスの影響が売り上げにも出てきてしまう。木村の決断とは?

『ザ・ノンフィクション』明日も生きていると言い切れるだろうか「孤独死の向こう側 ~27歳の遺品整理人~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月21日は「孤独死の向こう側 ~27歳の遺品整理人~」というテーマで放送された。

あらすじ

 東京都板橋区の遺品整理会社「クリーンサービス」。社長の増田裕次と社員の小島美羽は「孤独死」の家に残された遺品の整理を行っており、仕事で使うトラックの片隅には菊の花束がある。増田のもとには1日5~6件の問い合わせがあるという。小島は父親の死をきっかけに遺品整理の仕事に関心を持ち、主が孤独死した部屋をミニチュアで再現し、孤独死の現実を世に伝えている。

 主が孤独死した部屋からは、故人の家族の写真や、故人が恋人と高級そうなレストランで食事をしている写真、精神系の疾患で通院していた記録や薬、利子の支払いばかりで終わらない借金の返済記録など、故人のさまざまな思い出や困難の中で生きた日々の痕跡が見つかる。

 番組の最後では、増田の父親が亡くなる。父親ともっと話ができればと悔やんだ増田は、家族へのメッセージを書き留めるための「わたしの自伝書」という名のエンディングノートを配布用に制作する。

明日も生きていると言えるだろうか

 増田の父親は東京で遺品整理の仕事を続ける息子について、よく頑張っている、と妻や周囲には話していたという。増田自身は、それを父親が亡くなった後、母親から聞かされる。「死ぬ前にそういうことを話せたらよかった、なかなか男同士だとうまくいかない」と増田は悔やんでいた。男同士でなくても、本人を労うようなことを、あらためて言うのは照れくさくてできない、という人は少なくないだろう。

 孤独死に限らず、死において残された側が抱える無念さとは「伝えたい人に、伝えたいことを伝えられないままになってしまう」点にあるように思う。故人がどういった思いを抱えていたのか知る機会も、永久に失うことになる。増田がエンディングノートを制作したように、万一に備え、思いを綴ったものを遺しておいたり、感謝を伝えておきたい人には日頃から気持ちを伝えておくことが、万人にいずれ絶対に訪れる「死」に対してできる数少ない備えだろう。

 しかし気になるのが「孤独死」という名称だ。同社のサイト上でも「『孤独死』という呼び方、それは本当にあっているだろうか?」との記事が掲載されている。このワードでは、「寂しく無念の中で死んだ」というイメージがついてしまうだろう。一人で暮らしていた女優の大原麗子さんが自宅で亡くなったとき、「孤独死」と報じられ、大原さんを冒とくしているように思えて腹立たしかった。ただ一人で亡くなっただけなのに、このような言われ方はたまらない。「看取られ死」「病院死」という言葉に比べて、「孤独死」という言葉の存在感は強い。「孤立死」にしようという動きも一部で進んでいるようだが、これでも何か寂しげだ。

 しかし「孤独死」には大きな問題がある。遺体が放置されることで、損傷しかねないのだ。番組内で増田や小島が訪ねた孤独死の現場においては、すでに「遺体そのもの」は警察が取り調べた後、遺族に引き渡されている。それでも、風呂場で亡くなった方の現場では、故人の黒ずんだ皮膚の一部が風呂マットにべったりと張り付いており、浴槽には髪の毛の塊のようなものがいくつか落ちていた。3カ月遺体が放置されていた現場では、遺体撤去後もむせかえるほどの死臭がするといい、小島が部屋に湧いた虫が産みつけた卵を駆除していた。今回の取材は冬場だったが、夏はどれほど過酷なのだろう。

 警察、大家、遺品整理事業者の手を煩わせて死にたいと思う人など、そうはいないはずだ。ご近所や離れて暮らす家族とマメなコミュニケーションが取れれば一番だが、それが難しいケースも少なくないだろう。現代の高齢社会では独居老人が増えている。それを受けて「見守りサービス」も増えているようだ。これは、自宅の中にドアの開閉を察知するセンサーなど、中の住人が動いているか(=生活しているか)を察知し、一定期間その動きがなければ家族などに通報がいくというサービスだ。ガスや電気やスマートフォンの利用状況で「生存」を確認するケースもあるし、郵便局やセキュリティ会社も見守りサービスを提供している。独居老人が減ることはないだろうから、こういったサービスは市場競争のもと、より洗練化していくはずだ。

 私自身高齢になり、一人家で暮らす場合はこういったサービスを利用し、亡くなったらなるべく早く見つけてもらえるようにしたい。それが人生最後の仕事になるのだろう。

 しかし何ら心身の健康に問題がない若い人とて、事故、事件、天災、急性疾患で突然亡くなることだってある。明日も絶対生きている、と言いきれる人など一人もいない。そう思うと、感謝を伝えておきたい人には日頃から気持ちを伝えておくしかないのだと、あらためて思う。

 次週のザ・ノンフィクションは『シングルマザーの大家族 ~パパが遺してくれたもの~』4男6女合わせて10人の子どもがいる續(つづき)一家。しかし、3年前に夫の浩一さんが、病気で突然42歳の若さで他界する。シングルマザーとなった夕美子の奮闘の日々。

『ザ・ノンフィクション』言葉にしないで黙る彼女たち「19歳の漂流 ~妊娠…出産…家族を求めて~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月14日は「19歳の漂流 ~妊娠…出産…家族を求めて~」というテーマで放送された。

あらすじ

 行き場のない10代、20代の女性たちを支援するNPO法人「BONDプロジェクト」の活動を11年間続ける橘ジュン。渋谷で活動する橘の元に、19歳のセナが助けを求めてやってくる。

 セナの実母は17歳で未婚のままセナを産む。セナは乳児院で2歳まで育ち、その後里親に育てられるも、厳しい家庭に居場所を感じられず、中学生から不良仲間の家に入り浸るようになっていく。中学3年の冬、SNS上のささいなトラブルがきっかけで仲間と共に女子生徒に対する暴行事件を起こし、1年間、少年院に服役する。現在は水商売をしながら川崎で生活しており、暴行事件の被害者に毎月2万円を振り込んでいる。そんな中で、セナに妊娠が発覚する。父親は過去の交際相手でそれ以上のことは語らない。一人で子どもを育てる決意をしたセナだが「シンプルに不安よりも嬉しい気持ち」と、家族ができる喜びを話す。そして男の子を出産。現在は母子支援施設に入居し、子どもと共に暮らしている。

 橘が少女たちを支援するきっかけとなったのは、10年前に会ったもう一人の19歳、マリの存在が大きかったという。もともとライターとして居場所のない少女たちの取材を続けていた橘は、歌舞伎町でマリと出会う。

 東北で生まれ育ったマリは17歳で交際相手の間に子どもができ、高校を中退し結婚。出産、子育てに励むが長くは続かず、子どもは相手の元に引き取られてしまう。親の反対を押し切って結婚したため実家にも居場所がなくなったマリは故郷を飛び出し、水商売をしながらネットカフェでその日暮らしをしている。橘との対話を通じ、徐々に前向きになりつつあったが、19歳でマリに再度の妊娠が発覚する。

 マリは橘に「(学生の)相手に迷惑をかけたくない」と繰り返し、初めて病院を訪ねた際は、もうおなかがかなり大きくなっていた。その後、男の子を出産し、育児は困難と判断され子どもは乳児院に預けられる。今度こそ子どもとの普通の暮らしを望んだマリだったが、3年後、2度の薬物事件により実刑判決を受ける。子どもは現在、里親の元で育っているという。

 番組冒頭で、橘が不平不満を漏らす少女に対し「ちゃんとね、逃げたりとか、うざいとか、むかつくとかいう言葉だけじゃなく、どうしてそう思うのか(伝えてほしい)」と諭していた。この言葉は、少女たちと向き合う橘の根底にある思いに思える。「どうして」を伝えない、伝えられないのはセナとマリにも共通するように見えるのだ。

 というのも、二人とも「妊娠」という人生の一大事が発覚した際、セナは相手の男性にそれを告げるも返事がないことに諦めたのか、一人で育てることを決意し、マリに至っては相手が学生だから「迷惑がかかる」としきりに口にし、相手には「ほかの人の子どもを妊娠した」と伝えていたという。

 子どもは一人で作れないのだから、相手にも責任はある。彼女たちは「なぜ自分は相手に何も言えないのだろう?」と疑問を持つこと、考えることに蓋をしているように見えてもどかしかった。

 「妊娠した」→「相手から返事がない/相手には言えない」→「どうしたらいいかわからない」。「どうしよう」と困っている状態は、考えているとは言えず、問題を放置しているだけではないだろうか。「どうすればいいんだろう」「どうすればよかったんだろう」と自分に問い続け、考えていかないと人生は短絡的になり、周りに翻弄されてしまいやすくなるのではないだろうかと思った。

 番組の最後で、30歳になったマリは「頑張ってきたはずなのに、何も変わってない。悪あがきしただけなのかな」 とこぼしていた。考えのない状態での頑張りは、方向がずれた「悪あがき」にもなりかねないように思える。一方で、30歳のマリには自分の人生を洞察する「考える力」がついている。19歳の時点でその力があれば、と思う。

言葉にしないで黙る彼女たち

 まだ若いのに頼れる環境もなく、経済的にも精神的にも極めて不安定な生活の中で生き抜かねばならない少女たちに、「考える力」をつけろというのも酷な話だ。何より悪いのは、そんな状況の少女たちに付け込んで妊娠させた挙句、返事もしなかったり、妊娠の事実を告げることすら諦めさせた相手の男性たちだ。

 あらためて、彼女たちの妊娠時の諦めのよさを不思議に思う。相手のことがまだ好きだから、妊娠を告げて困らせたくないのか、相手にうんざりしていてこれ以上の関わりを持ちたくないのか、トラブルになることで自分自身が傷つきたくないのか、相手のことが怖いのか――。それすら、言葉にしないで彼女たちは黙る。言葉にすることを、考えることを先送りにしたら、またそういった問題は形を変えてやってきてしまうのではないだろうか。

 次週のザ・ノンフィクションは「孤独死の向こう側 ~27歳の遺品整理人~」。「孤独死の現場」を“ミニチュア”で再現し孤独死の現実を世の中に伝える27歳の遺品整理人、小島美羽。小島と社長の増田が見つめる孤独死の現場について。

『ザ・ノンフィクション』「社会に知ってほしい」のは誰のためか「生まれてくれて ありがとう ~ピュアにダンス 待寺家の17年~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月7日は「生まれてくれて ありがとう ~ピュアにダンス 待寺家の17年~」というテーマで放送された。

あらすじ

 神奈川県小田原市で動物病院を開業している待寺家の三人兄弟の末っ子として生まれた優。ダウン症だとわかった時、母の幸は優を見たくなく、部屋にほったらかしにしていたこともあったと、今思えばかわいそうでしたね、と涙ながらに話す。心臓疾患のあった優は生後9カ月で呼吸が止まり、緊急手術の末に生還する。そのときのことを父、高志は「生涯何があっても、この子と一緒に生きていく」と決意したことを振り返る。

 暗中模索の子育ての中、優は13歳でダンスに出会う。ダウン症のある人のためのエンタテイメントスクールLOVE JUNX(ラブジャンクス)の中で頭角を表していき、安室奈美恵、DA PUMP、AKB48にダンス指導を行った牧野アンナも優のダンスの才能を認める。優はセンターポジションで踊るようになり活動の幅を広げていくが、「ダウン症のダンサー」という言葉が前に出るのを嫌がり、一時ダンスから遠ざかる。現在30歳になった優は、地元の福祉作業所に通いつつ、母の送迎で東京のダンススクールに週2で通う生活を続けている。

 ある日、憧れのダンサー植木豪(PaniCrew)から、優の人生をテーマにしたダンス舞台の出演オファーが来る。w-indsの千葉涼平をはじめとするトップダンサーたちの中で振りについていけない優だったが、懸命な練習で食らいついていく。

 舞台の初日は2020年3月24日。しかし新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2月26日には政府からイベントの中止要請が出たことで、優の舞台も中止となってしまう。幸は涙し、優は何も言わずに舞台で使われる予定だった歌を歌い続けていた。しかしその後、8月の再演が決まる。

社会に広く知ってほしいのは「自分のため」?

 優のダンススキルは「障がい者とダンス」と聞いて、想像してしまいがちなものとは一線を画している。まずダンスのジャンルが「ブレイクダンス」だ。ブレイクダンサーが決めのときに行う「片手で逆立ちして、さらに脚を音楽にあわせて大きく動かす」、あの動きを、優も大観衆のステージ上でこなしていた。そのため、優の腕は10代半ばにして体操選手のような太さで、腹筋も割れていた。

 番組の最後、中止扱いになっていた優の舞台の8月開園が決まり、稽古場で沸き立つダンサーたちの光景が映された。その画面に「新型コロナ 東京都で新たに14人の感染確認」というニュース速報のテロップが入り、なにもこのタイミングで流さなくていいじゃないかと無慈悲な仕打ちに思えた。治療薬、ワクチン方面の進捗が芳しくない現状では、あらゆる興行が「様子見」という中止を視野に入れた中で再開していくしかないのだろう。

 舞台に立つ人にとって、コロナ禍で発表の場を奪われ厳しい日々が続いているのは想像に難くなかったが、こうして番組内で踊る優やダンサーたちの練習の日々が放送されると、中止の無念が一層伝わり切ない。

 最初はトップダンサーたちの動きについていけなかった優だが(周りがうますぎるのだ)、番組最後では素人目にもかなり改善されていた。こうした優やダンサーたちの努力の日々は、この『ザ・ノンフィクション』がなく、かつ、8月の振替公演もなく中止になっていたら「なかったこと」になっていたのかと思うと恐ろしい。

 待寺夫妻は、優をどう育てていくかという方針に、ずれがある。母、幸は優のダンスも体が続けられなくなるまで続けてほしいと、優を小田原から東京のダンスクルールへ週2回、車で送迎するなど献身的に支える。一方で父、高志は、ダンスはほどほどに、優の自立を願っている。幸の「(優を)広く知ってほしい、周りに、社会に、福祉に」という願いを、高志は「(優のためではなく)自分(幸)のためではないの」とも指摘する。これは、どちらかが明確に正しく、どちらかが明確に間違っている、と言えるような単純な話ではないだろう。

 待寺夫妻は60歳をすぎ、幸は最近脚の調子も悪いという。「お父さんとお母さんは先に死んじゃうから、自分で何でもできるようになっておかないと」という両親の話を聞いた優は、半年前から家族の皿洗いを志願する。皿を洗う優を後ろで高志がじっと見守っていた。高志、幸どちらの意見も優を思っている点は共通している。

 「優のことをもっと広く知ってほしい」という幸の願いは、もうすでに一部では実現しているのではないかと思った。ダンサーの植木は行き詰っていたときに、ダンスが好きだという思いが伝わる優たちのダンスを見て迷いが一気に晴れたと話し、それが今回のオファーにつながっている。

 優は植木の人生の転機に深く関わっている。これは「優のことを知ってもらう」一つの成果なのではないだろうか。しかも植木は優の尊敬する人なのだ。「自分が尊敬する人に良い影響を与える」というのは、心が震えるような幸福だと思う。おそらく幸には「もっと広くあまねく」という思いもあるのだろう。

 待寺夫婦は互いに意見が違うことを知っていて、話し合い、互いの意見を尊重する、とまでではないが、どちらかの意見を否定、無視、小ばかにすることはなく、違ったままで共存しているように見えた。これができている世の中の夫婦はどのくらいいるのだろう。

 次週のザ・ノンフィクションは『19歳の漂流 ~妊娠…出産…家族を求めて~』。NPO法人「BONDプロジェクト」の橘ジュンと、彼女に救いを求めた19歳の妊婦たち。

『ザ・ノンフィクション』二人の妻を持つ男の「自由」とは「家族のカタチ ~ふたりのお母さんがいる家~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月31日は「家族のカタチ ~ふたりのお母さんがいる家~」というテーマで放送された。

あらすじ

 佐賀県の山あいの、かつて料亭だった「ポツンと古民家」には9人の大家族・西山家が暮らしている。父・嘉克、母・ゆかりと裕子、そして6人の子どもたち。西山家には母親が二人いる。嘉克は「書道アーティスト」だ。ゆかりは嘉克を好きになり2012年に二人は結婚するが、そのわずか8カ月後に嘉克はゆかりに、仕事の助手である裕子のことも好きになったと告白し「理想を言うと、裕子さんとゆかりさんとさらに幸せな道を一緒に実験したいけど、どうかな 」と仰天の提案をする。

 話し合いやケンカの末、嘉克はゆかりとも裕子とも現在は籍を入れず事実婚の形で一緒に暮らしており、子どもたちは嘉克さんの戸籍に入っている。ゆかりや裕子は、このことをきっかけに実家の親とは折り合いが悪くなっているし、ゆかりと裕子の間には、かつて互いに嫉妬や葛藤もあったというが、互いが自宅出産で介助し合うなどを経た結果、現在はこの家族の形態を受け入れているという。

二人の妻を持つ嘉克、どんな男なのか

 まず「妻二人」を成立させる嘉克の男ぶりについて報告したい。顔立ちはなかなかのイケメンだ。「街で見かけたら振り返ってしまう」レベルではないが、バーなどで座っていたら「へえ、イケメンがいるなあ」くらいには思うほどではある。

 嘉克は39歳だが、中年太りとは無縁ですらっと細身、毛髪の不安も見る限りなく年齢よりずっと若く見える。「お父さん」というより「お兄さん」という感じで、39歳、6人の子持ちでこれはなかなかすごいのではないだろうか。一方で、これは日常の苦労を二人の妻、特にゆかりに押し付けているから、若々しさを保てているのでは……、と思うと素直に称賛し難い。

 嘉克の仕事は書家であり、インスピレーションを詩にしたためるという、相田みつをのような仕事をしている。男性の場合、仕事の才能で女性をメロメロにする「才能萌え」路線もある。もともと姿かたちはイケてるほうである嘉克の「仕事ぶり」が良ければ、鬼に金棒だろう。

 嘉克の書道アーティストとしての書や詩の才能はどうなのか。番組では、出張先で客に即興でしたためた嘉克の詩が紹介されていた。あいにく書体は紹介できないが、内容だけお伝えしたい。

「人生色々あるけれど
日々色々あるけれど
それでも全部
いい思い出に
笑い話に変わっていく。
私たちの幸せって
きっとそういうこと
なのかもしれない。」

 いかがだろうか。書にも詩にも疎い私は、居酒屋のトイレによく置いてある作品だな、以外の感想が出なかったが、この詩をしたためられた女性二人組は、詩が読み上げられると、最後は「堪えきれない」様子で涙をぬぐっており、世の中には私が思いもよらないニーズがあるのだと気づかされた。

 嘉克はこういった詩をしたためる全国行脚をして、それで子ども6人を食わせている。私は嘉克のことを男、父親、夫としてどうかと疑問を抱くが、相田みつを的なことで一家を食わせているのだから「フリーランサー」としての力量は尊敬する。

 今回の「父一人母二人の一家」というテーマは、視聴者が何か言わざるを得ない、ほかの人がどう考えているのか知りたいなど、多くの人をザワつかせ、イライラさせていた。私も予告時点で「イラつき回」が来るぞと気が重く、覚悟の上で視聴したが、同じく『ザ・ノンフィクション』のイラつき回として名高い「漂流家族」シリーズほどのしんどさはなかった。

 その違いは、子どもに与えられている環境の安定だろう。「漂流家族」は、“ビッグマミィ”ことタレント・美奈子の離婚や再婚によって、父親が変わったり、生活環境に落ち着きがないが、嘉克らの生活は安定している。ただ、そうであっても、「漂流家族」よりはまだいいという程度で「新しい家族の形、こんな家族があってもいいんじゃない?」とまでは思えなかった。

 断っておくが、私は個人に対し、「それまでの社会通念に合わせた生き方」を強いる人はデリカシーがなくて嫌いだ。「正社員になれ」「恋人はいないの」「早く結婚すればいいのに」「子どもを持ったら」などなど、大きなお世話だと思う。なので、個人が社会通念から外れた生き方をするのは、法に触れなければ別にいいんじゃないの? とは思う。「複数人を好きになる」もそうだ。一方で、これは「個人」に対してであり、「親」が社会通念から外れた生き方をするのは、まったく話が別に思える。月並みだが、子どもがかわいそうだと思ってしまう。

 美奈子のうちも、嘉克のうちもそうだが、子どもが小さい幼児の頃は、子ども自身楽しそうだったりする。子どもが大勢いるから、毎日が親戚の家に行った夏休みのように遊べて本当に楽しいのだろう。

 しかし、美奈子の家も嘉克の家も、子どもが思春期以降、急に大人びて見えて、それがつらい。こちらの勝手な印象だが、子どもたちは思春期を諦めて「大人にさせられる」ようで、親が自由を追求する代償を、子どもの思春期で支払っているように見えるのだ。

 親自身が、社会通念に従わないというある種の「子どもっぽさ」を備えているのだから、思春期を迎えた子どもをどうしていいのかわからないところも、あるのかもしれない。子ども時代の最後である思春期に、親に子どもらしく甘えることができず、早飛ばしで大人にさせられる「自由な親の子どもたち」は、どういう心境なのだろう。私は社会通念を逸脱する個人に対しては、特になんとも思わないが、社会通念を逸脱する親については、とてもモヤモヤする。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は『生まれてくれて ありがとう ~ピュアにダンス 待寺家の17年~』。待寺家の息子・優はダウン症と診断される。取材班が待寺家と出会ったとき優は13歳。彼が30歳になるまでの家族の記録。

 

『ザ・ノンフィクション』心の問題をゼロにしようとするから苦しい「夜だけ開く心の診療所  ~生きづらい時代の物語~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月24日は「夜だけ開く心の診療所  ~生きづらい時代の物語~」というテーマで放送された。

あらすじ

 精神科医の片上徹也は大阪ミナミの繁華街アメリカ村にある、夜だけ開く精神科診療所「アウルクリニック」で患者と向き合っている。開院して6年で4,000人近い患者が同院を訪れ、その多くは20~40代の若者や働き盛り世代だ。

 片上は昼間はいくつかの総合病院の精神科で勤務医として働き、夜はアウルクリニックで働く多忙な生活を送る。片上は27歳の研修医時代にくも膜下出血で倒れ生死の境をさまよった経験がある。1年半のリハビリで医師に復帰したが、左半身の麻痺が後遺症として残り、つい右側に傾きがちになるので、そのアンバランスさを補うために診察室には鏡を置いている。

 片上の診療所には子どもを産めない自分に価値はないと悩む保育士、自分の指の皮を剥くのを止められない女性、幻覚、幻聴がやまない女性、窃盗癖がある男性、パワハラで退職しうつ状態から回復できない男性など、さまざまな人が訪ねる。「どうすれば患者に寄り添うことができて、気持ちを楽にさせられるか」をテーマに片上は今日も診察を続ける。

心の問題をゼロにしようとするから苦しい

 今回印象的だったのが、指の皮を剥くのをやめられない女性だ。指輪をしていたすらっとした手は、指の先だけが何度も皮を剥き続けていたためか、ぷっくりと赤かった。出血するまで皮を剥くのをやめられず、机に皮の山ができるという。

 番組内では、この女性が過去や現在に精神的負荷がかかるような出来事があったと話しているわけでもなく、本人にも自分が指の皮を剥く動機がよくわかっていないように見えた。ほかの精神科クリニックを訪ねるも、そのうち治る、という気休めのような診断をされていたが、「バカげてるとわかっているけどやってまうのは強迫性障害っていうのがメインかなと思います」と片上は診察し、薬を処方したうえで「(この問題を)ゼロにせんでもいいかもしれん。ゼロにせんでも(心と体の状態が)エエわを目指す」と話し、その言葉に女性は安心していた。

 この「ゼロにしなくていい」には覚えがあった。以前、ゲーム依存対策の会合に参加した際、治療に携わる精神保健福祉士の齋藤広美氏が以下のように話していた。「人生はしんどい、苦しい、解決できないことのほうが多く、そんな中どう生きていくかです。ただ、『しんどい、苦しい、解決できないことを持ち続ける力』が弱いな、と(ゲーム依存の)患者さんを見ていて思うことがあります。生きづらさを誰かに話したりして『減らした上で、持ち続ける、抱えていく』ことができず、耐えられなくなってしまうんです」。

 この発言は片上の「ゼロにしなくていい」と通じるものがあるだろう。精神医療の臨床に携わる人たちの「ゼロにしなくていい」という考えが、もっと一般に広まれば、楽になる人は増えるのではないだろうか。

 番組内では職場のパワハラが原因で退職し、その後もうつ状態が続き、以前のように笑えなくなったり、感情のコントロールができず母親に手を上げてしまい苦しむ男性が出てくる。その男性は「前のように戻りたい」と切実な思いを話していた。

 しかし、「前のように戻りたい」は「(この問題を)ゼロにしたい」ともいえる理想だ。理想が高すぎれば、現実がそれにそぐわず失望が増えていきやすい気もする。一方で「ゼロにせんでも、エエわ、を目指す」というのは劇的な解決がゴールではないし、奥歯に何かモノが挟まったような「スッキリ」としない状況だが、現実的な落としどころのように思える。「ゼロにしなくていい」というのは、「ゼロにしようとするから苦しい」ともいえるのではないだろうか。

 今回のサブタイトルは「~生きづらい時代の物語~」。今が「生きづらい時代」になったのは、こういった「問題をゼロにする(問題がなかった頃に戻る)」のが正解だ、良いことだ、とする凝り固まった価値観もあるのではないかと思う。

 うつ病で休職中の若い男性社員に付き添って訪れた会社の上司は、復職のプログラム作成を片上に依頼する。心の病にかかった社員を見捨てずに、夜、休職中の社員に付き添ってクリニックを訪れるとは、なんていい人だと思うが、一方で「完璧な復職プラン」を求めている雰囲気もあり、片上から再発の可能性は50%くらいあると聞いて困惑していた。

「完璧な正解がどこかにあるのだろう(少なくとも専門家は知っているのだろう)」という発想も、先ほどの「問題をゼロにする」と同様に、理想が高いように思える。実際は戻れるか戻れないかは半々で、復職する側だけでなく、復職を支援する側も疲弊せず、気長に、というあたりが現実的なのだろう。これまた歯切れの悪いスッキリしない状態だが、現実はそうそうスッキリとはいかない。

 案外「生きづらさ」の原因は、「問題をなくさなくてはいけない」「どこかに一つの正解があるはず」という考えによるのではないか。検索すればなんでも見つかるように見えるネット社会の弊害なのだろうか。逆に言えば、昔の日本人は問題に対しどう対処していたのだろう。ひたすら耐え忍ぶことでやり過ごしたのか、それとも「ゼロにせんでも、エエわ、を目指す」がもっと自然にできていたのだろうか。

 次週のザ・ノンフィクションは「家族のカタチ~ふたりのお母さんがいる家~」。西山嘉克とゆかりは2012年に結婚するが、わずか8カ月後、嘉克は仕事の助手である裕子も好きだとゆかりに衝撃の告白をする。結果、父1人母2人子6人となった西山家の暮らしについて。