『ザ・ノンフィクション』東北出身者に「地震のとき大丈夫でしたか?」と聞くことの重さ「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<後編>」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月14日は「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<後編>」というテーマで放送された。

あらすじ

 東日本大震災による津波の被害で全校児童の約7割にあたる74名もの子どもと教員10名が命を落とした宮城県石巻市の大川小学校。当時小学5年生だった哲也は山に流され助かるも、同じく大川小学校に通っていた妹と、母親、祖父を喪い、学校の近くにあった自宅も津波で流されてしまう。

 奇跡の子、として哲也のことを多くのマスコミが注目する。なお、大川小学校の児童で当時マスコミの取材に答えていたのは哲也だけだった。「全国のみんなに東北はこれほど被害を受けたので知ってもらいたいと思った」と小学生の哲也は話すも、父親の英昭は「あんまり出来過ぎた哲也を演じるのは、あいつにはものすごく苦痛だと思う」と案じる。哲也に対し出たがり、目立ちたがり屋という声もあったといい、普段は明るい様子の哲也もこのことを話すときは顔を曇らせる。

 21歳になった現在の哲也は当時を「(大人に)気は使ってたんじゃないですかね。俺もそうでしたけど、子どもながらに大人の表情とか雰囲気って。子どもって敏感じゃないですか。大人が嬉しい、悲しい、怒ってるとか。喜怒哀楽ってすごく伝わってくるんですよね。大人が大変だから自分たちが迷惑かけちゃいけないって」「震災当時の子どもは子どもじゃいられなかったんじゃないですかね」と振り返る。

 震災翌年の2012年から、地震直後の大川小学校の教職員側の対応を問題視する声が高まっていく。すぐ裏手に山がある立地にもかかわらず、児童たちは津波到着直前までの51分間校庭に待機させられていた。遺族の3分の1が県と市を提訴。原告団の中には英昭もいた。英昭は夜勤もある仕事と大川小学校のガイド、裁判の準備にと多忙な日々を送る。

 また、大川小学校は訪れる人が絶えない震災の象徴的な場所となっていったが、遺族の中には学校自体の取り壊しを望む声もあった。哲也は思い出のある学校を残したく、東京で開催されたシンポジウムにも参加するも、そこで、亡くなった友人の母親が取り壊しを希望している声を聞き、「すごく申し訳ないというか、みんなどういう気持ちで亡くなっていったのか考えてしまって、そこからいろいろ連想してしまって。重くなってきた」と沈痛な面持ちで胸の内を話す。

 その後、卒業生を中心に校舎を残すことを望む声が集まり、2016年3月、大川小学校は震災遺構として保存することが決まる。なお、遺族の県と市を訴えた訴訟も2018年4月、仙台高等裁判所、原告側が勝訴(のちの19年10月、最高裁でも遺族側の勝訴が確定)した。哲也自身は裁判を「好きじゃない」と話していたが、裁判を終えた英昭について「(今後は)自分の時間をしっかり取ってもらえればいいんじゃないかなって思います」と話した。

 そして震災から10年の2021年。哲也は番組スタッフに対し取材は今回きりにしてほしいと切り出した。自分自身が大川小学校の哲也であることを演じていた、と話し、「誰かのためじゃなくて自分のために時間を使わないといけない時期にきてるんじゃないかなと」と話す哲也の意思を番組スタッフも尊重。震災から10年にわたる哲也への取材が終了した。

 哲也と、また、先週放送の前編で出てきた福島県、南相馬市の絵里奈の2人は22歳、21歳だが、自分の思いを冷静に伝えるその姿はとてもしっかりしていて、大人びていた。現代日本に生きる、まだ社会に出ていない学生の22歳、21歳ならもっと浮ついてるくらいが普通だろう。

 哲也は、震災を経験した子どもは子どもではいられなかったと話していた。子ども時代を唐突に諦めなくてはいけなかった震災時の子どもたちの心境を思うと切ない。なので、哲也が中学生のときに反抗期で父、英昭と険悪な雰囲気になっているのを見て、逆にそういう子どもっぽい感情を出せるのだと、ほっとしてしまった。

 この放送の前編で、取材を受けた過去が重荷になっている哲也が気の毒だと書いたし、その思いは後編を見た今もあるが、過去はもう変えようがないことだ。哲也は自分が発している危機感に耳を傾け、そこから今後は取材を受けず自分のことを考えていくと決断し、さらにその決断を感じよくスタッフに伝えることができる。賢くて優しい青年だと思った。

 スタッフと哲也が別れるところで番組は終わったが、哲也は大丈夫だろう、と思える別れだった。

東北出身の人に「地震のとき大丈夫でしたか」と聞くことの重さ

 私は宮城県出身で、震災時は東京で生活していたが実家は今も宮城だ。出身や実家の話になると「震災の時にご実家は大丈夫でしたか?」とかなりよく聞かれる。3分の1くらいの人は聞いてきたのではないかと思うくらい聞かれた。

 相手に悪気はないのはわかるのだが、聞かれるたびにモヤっとしていた。「家族や友人を亡くしました」「家を失いました」と返ってくるかもしれない質問を、なんでそんなに軽く聞けるのだろう。そう返ってきたら、どうするつもりだったのだろう。

 今までは仕方なく話していたが、今回の前後編を見て「地震のことはあまり話したくないです」と、これからは気まずくなってもいいので言おうと思う。哲也を見て、私も哲也のように正直でありたいと思った。私が地震のときに感じたさまざまな気持ちの中には、今も残る強い憎しみもある。世間話のような状況で話せるようなものではない。

 この春、東北から上京してくる人も多いかと思うが、たぶん、そのほとんどの人が「地震のとき大丈夫でしたか?」と悪気なく聞いてくる人に会うと思う。悪気がないというより、あまりにも聞かれるので、聞くのが気遣い、マナーみたいに思っているフシすら感じる。もうちょっと想像してほしい。ここに書くことで少しでもそういう人が減ってくれればと願う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「ふたりの1年生 ~新米先生と海の向こうから来た女の子~」新米小学校教師、橘川先生のクラスには、日本語が話せない中国からの留学生、ナイヒちゃんがいた。新米教師と日本語がわからない2人の「1年生」の2年の記録。

『ザ・ノンフィクション』震災の取材に応じた過去が重荷になる『わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<前編>』

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月7日は「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<前編>」というテーマで放送された。

あらすじ

 2011年3月11日に発生した東日本大震災。そのとき宮城、福島にいた2人の小学生の10年を見つめた、前後編からなる放送の前編。

 1人目は哲也。当時小学5年生で、宮城県石巻市、北上川の真横にある大川小学校で被災した。大川小学校は避難の遅れもあり、全校児童の約7割にあたる74人の子どもと教員10人が犠牲となっている。哲也は山に流され生き残るも、母、妹、祖父を喪い、今は父と祖母と団地に住まいを移して暮らしている。

 哲也のことを「奇跡の子ども」として多くのマスコミが取材し、哲也も被害の状況を知ってもらいたい、という思いで取材を受ける。なお、番組内では大川小学校の子どもで取材に応じていたのは哲也だけ、と伝えられていた。

 カメラの中の哲也は明るい少年で、大川小学校の被災後、20キロ先にある転入先の小学校へ、父親に送られ通っていた。2021年、21歳になった哲也は、番組スタッフに今回で取材は最後にしてほしい、と気を使った様子で切り出した。

 2人目は絵理奈。福島県南相馬市、小高区で暮らしていた。絵理奈の暮らす地域周辺は津波の影響はなかったようで、地震発生直後もクラスの男子が、「遊ぶ約束してたけど、きょう遊べなくねぇ」と話す、どこかのんきな様子だったという。

 しかしその地震で東京電力福島第一、第二原発事故が発生。半径20キロ圏内に避難指示が出て,、小高区は「人が住めない町」になる(現在は解除)。絵理奈は「さよなら」すら言えないまま、同級生たちと離れ離れになってしまう。

 絵理奈一家は、避難所や親戚の家を転々とし、4月に福島県の二本松市に移る。地震から1カ月にして引っ越しは6回目。仲の良い友達もできるが、放射線量についての報道を受け、母親は親戚のいる埼玉へ「子どもだけは」と引っ越しを切り出す。

 地元愛の強い絵理奈は顔を曇らせるも、12年1月、仕事のある父親だけ福島に残り、埼玉へ転居する。絵理奈は「私たちが使っていた電気じゃないのに、なんでそれのためにこんなにいろんなところに行ったりしなきゃいけないのかな」と思いを話す。

 中学校途中からの転居で、うまくなじめないところもあり、高校は父親のもとで福島の高校へ通うことを希望していたが、「お父さんとお母さんが考えてここ(埼玉)に連れてきたのに、そいういうこと(福島への進学)を言うのはやっぱりわがままかなと思ったし」と話し、埼玉の高校に進学、今も埼玉県で暮らしている。

 今、21歳となった哲也は、かつて取材を受けたことに後悔があったように見えた。苦悩している哲也を見ると、取材を受けないほうがよかったのかもしれない、と苦しくなった。幼い頃の哲也の映像は、当時の人たちを知ることができる貴重なものだと思うし、震災直後、週3〜4回も葬式や通夜が続いていたという話は壮絶だった。しかし、それで今の哲也が苦しいのなら、取材映像を残すことの必要性とは? と、考えさせられてしまった。

 まだまだ成長途上で、環境や人生が大きく変わっていく10代の子どもの気持ちは移ろっていくのが自然なことだと思う。当時最善を尽くした決断であっても、その気持ちは変わるものだと、自分自身の子ども時代を振り返っても思う。

 ましてや、哲也のした体験は「家族や友人を天災で喪う」という壮絶なものだ。大人であっても、このような経験をした際に、その思いを話したくない人だって大勢いるだろう。このような出来事への思いが、自分の中で1カ月後、半年後、1年後、10年後にどう変化していくかなど、わかりようもないことだと思う。

 今、新型コロナウイルスに対して、どういった決断や行動が果たして正解なのかわからないという難題が、社会に暮らす全員に降りかかっている。10年前、哲也は同じように「一つの正解がない難題」について向き合わざるを得なかった。

 当時は使命感で取材を受けた過去が、おそらく今、哲也の重荷になっているであろう。マイクやカメラを向けた大勢の人は今、どう思っているのだろう。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の後編。哲也の10年間の歩みを見つめる。

『ザ・ノンフィクション』震災の取材に応じた過去が重荷になる『わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<前編>』

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月7日は「わすれない 僕らが歩んだ震災の10年<前編>」というテーマで放送された。

あらすじ

 2011年3月11日に発生した東日本大震災。そのとき宮城、福島にいた2人の小学生の10年を見つめた、前後編からなる放送の前編。

 1人目は哲也。当時小学5年生で、宮城県石巻市、北上川の真横にある大川小学校で被災した。大川小学校は避難の遅れもあり、全校児童の約7割にあたる74人の子どもと教員10人が犠牲となっている。哲也は山に流され生き残るも、母、妹、祖父を喪い、今は父と祖母と団地に住まいを移して暮らしている。

 哲也のことを「奇跡の子ども」として多くのマスコミが取材し、哲也も被害の状況を知ってもらいたい、という思いで取材を受ける。なお、番組内では大川小学校の子どもで取材に応じていたのは哲也だけ、と伝えられていた。

 カメラの中の哲也は明るい少年で、大川小学校の被災後、20キロ先にある転入先の小学校へ、父親に送られ通っていた。2021年、21歳になった哲也は、番組スタッフに今回で取材は最後にしてほしい、と気を使った様子で切り出した。

 2人目は絵理奈。福島県南相馬市、小高区で暮らしていた。絵理奈の暮らす地域周辺は津波の影響はなかったようで、地震発生直後もクラスの男子が、「遊ぶ約束してたけど、きょう遊べなくねぇ」と話す、どこかのんきな様子だったという。

 しかしその地震で東京電力福島第一、第二原発事故が発生。半径20キロ圏内に避難指示が出て,、小高区は「人が住めない町」になる(現在は解除)。絵理奈は「さよなら」すら言えないまま、同級生たちと離れ離れになってしまう。

 絵理奈一家は、避難所や親戚の家を転々とし、4月に福島県の二本松市に移る。地震から1カ月にして引っ越しは6回目。仲の良い友達もできるが、放射線量についての報道を受け、母親は親戚のいる埼玉へ「子どもだけは」と引っ越しを切り出す。

 地元愛の強い絵理奈は顔を曇らせるも、12年1月、仕事のある父親だけ福島に残り、埼玉へ転居する。絵理奈は「私たちが使っていた電気じゃないのに、なんでそれのためにこんなにいろんなところに行ったりしなきゃいけないのかな」と思いを話す。

 中学校途中からの転居で、うまくなじめないところもあり、高校は父親のもとで福島の高校へ通うことを希望していたが、「お父さんとお母さんが考えてここ(埼玉)に連れてきたのに、そいういうこと(福島への進学)を言うのはやっぱりわがままかなと思ったし」と話し、埼玉の高校に進学、今も埼玉県で暮らしている。

 今、21歳となった哲也は、かつて取材を受けたことに後悔があったように見えた。苦悩している哲也を見ると、取材を受けないほうがよかったのかもしれない、と苦しくなった。幼い頃の哲也の映像は、当時の人たちを知ることができる貴重なものだと思うし、震災直後、週3〜4回も葬式や通夜が続いていたという話は壮絶だった。しかし、それで今の哲也が苦しいのなら、取材映像を残すことの必要性とは? と、考えさせられてしまった。

 まだまだ成長途上で、環境や人生が大きく変わっていく10代の子どもの気持ちは移ろっていくのが自然なことだと思う。当時最善を尽くした決断であっても、その気持ちは変わるものだと、自分自身の子ども時代を振り返っても思う。

 ましてや、哲也のした体験は「家族や友人を天災で喪う」という壮絶なものだ。大人であっても、このような経験をした際に、その思いを話したくない人だって大勢いるだろう。このような出来事への思いが、自分の中で1カ月後、半年後、1年後、10年後にどう変化していくかなど、わかりようもないことだと思う。

 今、新型コロナウイルスに対して、どういった決断や行動が果たして正解なのかわからないという難題が、社会に暮らす全員に降りかかっている。10年前、哲也は同じように「一つの正解がない難題」について向き合わざるを得なかった。

 当時は使命感で取材を受けた過去が、おそらく今、哲也の重荷になっているであろう。マイクやカメラを向けた大勢の人は今、どう思っているのだろう。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の後編。哲也の10年間の歩みを見つめる。

『ザ・ノンフィクション』医者にはなれないけど「声優」にはなれると思っている「声優になりたくて ~カナコとせろりの上京物語~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。2月28日は「声優になりたくて ~カナコとせろりの上京物語~」というテーマで放送された。

あらすじ

 俳優、声優の事務所『俳協』の練習生、唐崎圭那子(30)と松元せろ里(22)。半年間の練習期間の終了後、選抜試験が行われるが、志願者200人に対し、合格者は15人という非常に狭き門だ。なおこの選抜で選ばれたら俳協に所属できるというわけではなく、さらに半年のレッスンのあと最終的に俳協に声優として所属できるかどうかが判断される。

 圭那子は大阪で会社勤めをしながら、27歳で劇団に入る。声の演技をほめられたこともあり上京し声優を目指す日々だ。生活のあては失業保険だがそれも期限がきれてしまう。一方、せろ里は新卒の就職活動においてテレビ局を受けたが採用されず、一般企業からは内定をもらったものの、声優の夢を諦めきれず鹿児島から上京。声優や俳優を目指す人専用のシェアハウスで生活し、バイトを3つかけもちしながらカラオケボックスで発声練習に励んでいる。

 俳協の選抜試験の結果は、せろ里は合格、圭那子は不合格。せろ里の父親は番組の取材に対し「何年かしたら『帰ってくる』って言うでしょ。キリがないというか、悟るでしょう」と話し、そういった苦労も人生のためになる、と冷静だ。

 一方で諦めきれない圭那子は、演技指導の教師から「(声優の)マネージャーなら紹介できる」と裏方の仕事を勧められるも、オーディションを受け続ける。惨敗が続く中、無給ではあるがラジオドラマのオーディションに受かる。圭那子は東京でパン屋の仕事をしつつ、声優への道に挑み続ける。番組では毎年声優を目指す人は3万人いると伝えられていた。

「医者や弁護士にはなれないが、声優にはなれると思っている」

 圭那子が声優事務所、ケッケコーポレーションのオーディションに落ちた理由を尋ねた時、同社の坂本和也氏は「声優って名前が欲しいとか、肩書が欲しいとか(という人は大勢いる)、でも(声優は)『職業』なんだ」「医者や弁護士は頭良くないとできないってみんなうっすらわかっているのに、声優だったらなれるってみんな思っているんだよ」と諭していた。「なぜかなれると思っている」若者たちを坂本氏は星の数ほど見てきたのだろう。厳しい言葉だが、現実を伝えており、「夢はいつかかなう」なんて言葉よりもずっと誠実な言葉に思えた。

 「医者や弁護士にはなれると思っていないのに、声優にはなれると思っている」――これは声優に限らず、俳優もそうだし、さらに演じることに限らず、絵、文章など、「人文、芸術系」の仕事を目指す人に見受けられる傾向だろう。免許や資格がいらないので「もしかしたら私だって」「あのくらいなら私だって」と、言葉を選ばずに言えば「舐められがちな仕事」でもある。だからこそそこに夢を見る余地がじるのだろう。

しかし坂本氏は、声優は夢ではなく「職業だ」と説く。職業として、それを生業としていくならば覚悟しないといけない。圭那子にしてみれば、きっと十分覚悟をしているのだろうが、その覚悟のレベルが、まだまだ数段階違う、ということなのだろう。つくづくシビアだ。

 圭那子は学校を卒業し会社に就職し、特に会社に不満はないがこのままではイヤだという気持ちが芽生え、27歳で働きつつ劇団に入り、30歳で上京する。おそらく最初は趣味程度の位置づけだった演劇が、圭那子の中で大きくなっていったのだろう。

 圭那子に限らず、「卒業して働いてみたけど、なんだかこのままじゃイヤだ」とくすぶる思いを抱える人は多いだろうし、そこで道を変える、という人も普通にいる。声優を目指していたが、諦めて勤め人に戻ると話していた圭那子の友人は、29歳と30歳の間には壁がある(30になると就職で苦労する)と話していた。

 30歳という年齢はまだ、覚悟があればいろいろなことを新たに始められる「若者」だと思う。しかし、それはやはり都市部に限ったことであり、また声優という仕事においては、30歳は若者の部類には入れないのだろうと、声優業界に疎い私ですら察する。

 30歳前後の声優を調べてみると、若手というより実績を積んだ中堅の顔ぶれが並んでいて、特に女性声優はその傾向が強い。子役出身の声優も多く、キャリア=ほぼ人生という人すらいる。30歳という年齢は、声優を目指すならかなりシビアな年齢だ。

 声優になるには、「普通に高校、普通に大学、普通にお勤め、そこから」という歩み方では遅いのだろう。残酷な業界だ。逆に言えば、「エイジズム」という言葉が出てきだした今ですら、いまだそれが極めて強い業界で、それでも「声優を職業にする覚悟はあるのか」ということなのだろう。せろ里と圭那子の今後もぜひ見たいと思った。

 次週のザ・ノンフィクションは『わ・す・れ・な・い あの日10歳だった僕は…前編(仮)』。2011年3月11日の東日本大震災で、全校児童の約7割、74人の幼い命が津波で犠牲になった大川小学校。家族や仲間の多くを失いながら生き残った哲也を「奇跡の子」としてメディアは取り上げるが……。

『ザ・ノンフィクション』令和にスマホ没収、丸刈りの過酷な修行生活「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 後編」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。2月21日は「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 後編」というテーマで放送された。

あらすじ

 社員を怒鳴りつけようものならパワハラ、モラハラと騒がれるこの令和のご時世に「丁稚制度」を敷く、横浜の秋山木工。一点物の高級家具を手掛ける秋山木工に入社すれば、ケータイも恋愛も、酒もタバコも禁止で、家族との連絡も「手紙」だけになる。さらに男女の区別なく、みんな丸刈りだ。しかしそのような厳しい条件の中でも秋山木工の門をたたく若者は後を絶たず、2017年は5人が入社したが、その競争率は10倍だったという。しかし入社後は半数が脱落してしまうという。

 厳しい秋山木工の丁稚制度だが、これは昭和18年生まれの秋山利輝社長自身が丁稚奉公で鍛えられた経験による。秋山は戦中戦後の混乱期において、鉛筆やノートが買えない貧しい家庭で育ち、自分の名前が書けるようになったのは中学2年生だったという。その後秋山は、16歳から5年間丁稚修行し家具職人となり、皇室の仕事を請け負うまでに職人としての技術を極めていった。なお、秋山木工は「一人前の職人になる」のがゴールであり、会社にいられるのは8年までとなる。

 2017年春に秋山木工に入社したのは5人。入社半年で1人が脱落し4人になっていた。優秀でリーダー格ながらも、短気な久保田。佐藤は家族思いの涙もろい性格で、幼少期にI型糖尿病を発症し、パイロットの夢を諦め家具職人を目指す。加藤は代々続く造園業の跡取りだが、自分より年の若い同期・久保田から叱られることもある。内藤は家具屋の家で育ち、京都大学で建築を学ぶが勉強の意義を感じられず、引きこもりになり休学。父母の勧めで秋山木工へ進む。

 久保田は1年半で退職を選ぶ。その約2年後にスタッフが尋ねると交際中だった女性と結婚し子どももでき、今は家具の取り付け職人として働いていた。佐藤は若手職人が腕を競いあう技能五輪に出場。年齢制限で技能五輪に出場できない加藤と内藤も、佐藤をサポートする。

 技能五輪の全国大会当日、佐藤は糖尿病による低血糖でめまいを起こす。審判員が気づくほどつらそうな様子だったが、チョコレートを食べてしのぎ、制作に打ち込む。技能五輪の入賞は叶わなかったが、2017年組の佐藤、加藤、内藤は今も秋山木工で修行の道を歩んでいる。年に一度、秋山木工が行う展示会では、それぞれの家族が訪れ、作品に見入っていた。

 番組の最後で秋山木工が年に一度行う展示会の様子が伝えられ、佐藤、加藤、内藤の家族が秋山木工を訪れ、はにかむ本人たちとうれしげな家族たちが印象的だった。

 学生時代は入学式や参観日など、家族が立ち会えるさまざまな行事が存在し、その都度自分の成長を家族に見せることができる。これは本人だけでなく、見る側の家族にとっても張り合いのあることだったのではないかと思う。

 一方、大人になればこういった節目はほぼなくなってしまう。家族に仕事を知ってもらう場所として展示会を設けるとは、秋山社長の計らいは粋だなと思った。大人になってからはなかなか得難い、本人にも家族にも忘れられない1日になったのではないだろうか。

 こういった会社が増えてくれればとも思ったが、なにもこういったイベントに限らなくてもいいだろう。仕事でこんなことがあった、と話したり、聞ける機会や人間関係があれば、仕事に張り合いを持ちやすくなるのではないだろうか。

 しかし現実は、仕事の話となるとどうしても「愚痴」などの形をとりがちだ。こんなことをやり遂げた、みたいに話すと自慢、マウンティングととられるから避けよう、という日本人の奥ゆかしさが根底にあるのかもしれない。

 一方、SNSは、実際に顔を合わせず、かつ、匿名の人間関係で話すこともできるため、仕事の話をする場所としては敷居が低い傾向がある。しかしこれもSNSによって文化が異なり、facebook、インスタグラムは「キラキラさせる」一方、ツイッターは真逆で「労働は地獄だ」と悪しく言うのが「お作法」状態になっているように思う。

 こういったことが「そのSNSにのっとった作法、振る舞い」だとわかっている大人ならともかく、あまり免疫のない若い世代がその価値観に染まってしまい、必要以上にキラキラしないといけないと焦ったり、必要以上に厭世的になるのは社会の損失のように思う。

 そう考えると、秋山木工の若い世代にスマホにうつつを抜かさせず、一方で展示会という場を設け、成長を身近な人に披露する機会を作る、というのは、相当過酷ではあるが、一つのバランスのようにも思った。

 番組内で、秋山木工で技能五輪を目指す2人の佐藤が紹介された。17年組の佐藤と、その先輩にあたり、技能五輪で通算二回銅賞を受賞した実力派の伸吾だ。佐藤と伸吾先輩は醸し出す雰囲気がどこか似ていた。

 言葉にすると「実直」「浮ついてない」「物静か」「根気」「マイペース」などで、いわゆる「職人」というイメージに近いと思う。職人を目指しているからそういう顔つきになっていったのか、もともとそういう顔つきだったのかはわからないが、「一点ものの家具職人」としての適性を素人ながらに感じた。

 一方、秋山木工を退職した久保田は、反応が遅めな同期に露骨に苛立ったりなど明らかにせっかちな若者で、信吾先輩や佐藤の雰囲気とは異なる。久保田が、じっくりと取り組む「一点ものの家具職人」から、仕事のスパンはそれより短いであろう「家具の取り付け職人」に転職したのは、性格に合ったよりよい選択に見えた。

 営業、看護師、キャビンアテンダント、寿司職人など、その職業ならではのイメージする顔つき、雰囲気というのはある。もちろん、そのイメージに近くなくても優秀な人もいるため一概には言えないが、「っぽさ」というのは侮れないと思う。自分の顔つきと、自分の目指す道を先に行く人の顔つきに共通点があるか、雰囲気が異なりすぎないか、というのは、適職を探す一つのヒントになるのかもしれない。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「声優になりたくて ~カナコとせろりの上京物語~」。30歳と22歳、声優を目指す2人の女性の、夢と現実の間で揺れる心を見つめる。

『ザ・ノンフィクション』スマホ没収、丸刈りの過酷な修行生活「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 前編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。2月14日は「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 前編」というテーマで放送された。

あらすじ

 社員を怒鳴りつけようものならパワハラ、モラハラと騒がれるこの令和のご時世に「丁稚制度」を敷く、横浜の秋山木工。一点物の高級家具を手掛ける秋山木工に入社すれば、ケータイも恋愛も、酒もタバコも禁止で、家族との連絡も「手紙」になる。さらに男女の区別なく、みんな丸刈りだ。しかしそのような厳しい条件の中でも秋山木工の門をたたく若者はあとを絶たず、2017年は5人が入社したが、その競争率は10倍だったという。しかし入社後も半数は脱落してしまうという。

 厳しい秋山木工の丁稚制度だが、これは昭和18年生まれの秋山利輝社長自身が丁稚奉公で鍛えられた経験による。秋山は戦中戦後の混乱期において、鉛筆やノートが買えない貧しい家庭で育ち、自分の名前が書けるようになったのは中学2年生だったという。その後秋山は、16歳から5年間丁稚修行し家具職人となり、皇室の仕事を請け負うまでに職人としての技術を極めていった。なお、秋山木工は「一人前の職人になる」のがゴールであり、会社にいられるのは8年までとなる。

 2017年春に秋山木工に入社したのは5人。入社半年で1人が脱落し4人になっていた。年若ながら優秀でリーダー格の久保田は、シングルマザーの家庭で育ち、最初に作った家具は母にプレゼントしたいと話す。涙もろい佐藤はI型糖尿病を幼少期に発症。低血糖状態になると意識が混濁してしまうことがあり、パイロットの夢を諦め、手先の器用さを生かし職人を目指す。

 加藤は代々続く造園業の実家を継ぐべく、職人を引っ張る人間性を身につけようと修行に打ち込むも、ミスで叱られがちなところもある。内藤は京都大学で建築を学ぶが勉強の意義を感じられず、引きこもりになり休学。自分を変えるために中退し、父母の勧めで秋山木工へ進む。

 濃密で過酷な丁稚生活は時に軋轢を生む。1年後、4人に浜井という後輩の女性丁稚ができるが、浜井は1年たたずに退社。さらに久保田も退社を選んでしまう。

丁稚のストレスライフは、スマホがないから?

 17年に入社した5人の丁稚は、今回の番組終了時点(おそらく入社から1年と少し)で、半数近い2人が退社している。過酷な競争をくぐり抜け入社できたのに、辞めてしまった背景には修行そのものの厳しさもあったと思うが、個人的には「携帯を持てない」ことも大きかったのではないかと思った。

 丁稚は共同生活で、スマホは没収、家族との連絡は「手紙」のみになる。昭和18年生まれで、そんな家電などない時代に鍛えられた秋山社長にしてみれば、それは当然のことだろうが、今のデジタルネイティブ世代が「スマホ抜き」で生活をするのはかなりしんどいように思う。

 17年入社組では、久保田が加藤に対し厳しめに当たり、加藤がむっつり押し黙るなど「じっとりと険悪」な雰囲気が伝わってきた。こんなときスマホがあれば、互いにSNSで愚痴をこぼしておくなどの息抜きはできたかもしれない。スマホとは関係のない回だったが、スマホが現代生活に果たす役割の大きさを逆に感じてしまった。もちろん、スマホがあればあったで、生活がだらけてしまう、里心がついてしまうなどの弊害もあるのだろうが。

 なお、秋山木工のホームページを見ると、この過酷な丁稚制度について詳細な説明がある。それでも入社は過酷な競争をくぐり抜けないといけないほどの高倍率だ。これは入社する側にとってのネガティブ要素も包み隠さずに書く秋山木工の姿勢が誠実だと評価されているのもあるように思う。

 一方、世の中のたいていの企業の採用情報は、建前やきれい事ばかり書かれており、入社してみたら「こんなはずでは」というギャップは大なり小なりつきものだ。しかし秋山木工の場合、そのギャップはないといっていい。

 もっといろいろな企業が、秋山木工のように労働環境をありのままきちんと伝えたほうが、入社後にギャップを感じて辞めることも少ないだろうし、会社も従業員も互いに不幸にならずに済むのではと思った。

優秀だったのに辞めてしまった久保田の「待てなさ」とは

 優秀で同期のリーダー格ながら、入社1年と少しで退職を選んだ久保田は、苛立ちなどの感情がすぐ顔にでてしまうことを先輩社員に指摘されていた。そんな久保田は、私には「待てない」性格に見えた。

 その「待てなさ」は、裏返せば「(自分自身は)テキパキできる」ことでもあり、良い方向では飲み込みの速さ、頭の回転の速さといった仕事上の優秀さにもつながっているから同期のリーダー格だったのだろう。しかし、この「待てなさ」は悪い方向にも働いている。

 番組内では久保田が加藤に対し、同期に言うというより大人が子どもを叱るような感じで叱責し、加藤がそれに押し黙ってしまうシーンが放送されていた。この時、「待てない」久保田が、加藤の「黙り込む」という反応の遅さにイライラしているように見えた。「待てない」人は待てなさゆえに、気が短くなりがちだ。さらに、「待てない」タイプは見切りも早いため、物事が長続きしない傾向もあるように思う。最終的には退社を選んだ久保田の行動は、長所にも短所にもなる「待てなさ」が根っこにあるのではないだろうか。

 「頭は悪くないのに、どうもぎくしゃくしがちでうまくいかない」人の中には、「待てない」人も結構いるように思う。「待てない」人ほど、物事をテキパキこなせるといった「速さ」に価値を置きがちなので「待つ」能力を軽視しがちに思う。

 しかし「待つ」とは「テキパキやる」と同等の偉大な能力だ。しかし、のんびり屋の人に「急げ」というのが酷なように、待てない性格の人に「待て」というのも無理なのは、私自身非常にせっかちなのでよくわかる。

 来週の後編では辞めた久保田のその後の生活も放送されるようなので、注目したい。

『ザ・ノンフィクション』日本最高齢ストリッパーとファンたちの日々「私が踊り続けるわけ ~53歳のストリッパー物語~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。2月7日は「私が踊り続けるわけ ~53歳のストリッパー物語~」というテーマで放送された。

あらすじ

 星愛美、53歳。年間を通して全国のストリップ劇場を巡業しているストリッパーの中では国内最高齢と言われている。愛美のファンは「星組」と自分たちを呼び、全国の巡業に遠征するだけでなく、愛美の誕生日や周年イベントでは音源を用意したり、劇場の従業員にまで差し入れを用意するなど、「親衛隊」とも呼べるような熱の入れようだ。愛美の踊りについて星組の面々は「何も言えない」「何かある、ただきれいとか踊りが上手とかでない」「なぜか涙が出てくる」と話す。なお、星組には男性だけでなく、亡くなった夫が愛美の大ファンだった人など、女性もいる。

 愛美は穏やかで、初舞台がうまくいかず楽屋で泣いている後輩ストリッパーを静かに抱きしめ慰めるなど、面倒見もよい。後輩のストリッパー・浜崎るりは、愛美を「後光がさしている」「魂こもりすぎいてエネルギーがすごい」と語る。そんな今の姿からは想像ができないが、かつての愛美は相当な非行少女で、暴走族に入り、15歳までに2度の中絶をし、なんとか入れた高校も3カ月で退学してしまう。

 その後、愛美は歌手になれるといわれ15歳で芸能事務所に入るが、最初に来た仕事はセミヌードのグラビアだった。19歳で結婚するも、妊娠したおなかを夫に蹴られ死産し、21歳で離婚。AV女優として働いたあと、23歳でストリッパーとしてデビューする。その後も信じた人に騙され続け、借金を背負い、水商売、風俗など職を転々とする波乱の人生を送る。

 愛美は、当時を「社会に対し落ちこぼれたというか、きっちりとした生きていく土台ができていない。だからどんどん世の中に背を向けるようになってくるのは自分でもわかった」と話す。その後、37歳で子宮がんが発覚。7年の闘病後、45歳でストリッパーとして再出発する。子宮がんの手術をした影響で自力で排尿ができず、カテーテルや消毒液を持参して巡業を行っている。

 星組の一人、長崎在住のスーさんは3年前に大腸がんの大手術をしたが、その後全身への転移が発覚。抗がん剤を打ちながら愛美の巡業に足を運び、薬の影響で荒れた手で愛美のステージに大きな手拍子を送る。スーさんの誕生日に、愛美はスーさんにプレゼントとメッセージカードを送る。カードにはなんと書いてあったのか、という番組スタッフの問いかけにスーさんは「教えない」と笑って目尻を拭っていた。

 以前、浅草ロック座でストリップを見たことがある。見たことがない人は退廃的な雰囲気を想像してしまうかもしれないが、実際は全く異なり「仏像や、古刹を見る時」の感覚に近かった。

 歴史ある荘厳な寺を訪ねると自然と湧いてしまう「ありがたい」という言葉にとても近い。「エロい」という感覚には、驚くほどならない。ロック座の化粧室には踊り子さんへのメッセージノートが置かれていて、それは「ありがたい」状態になっているファンの熱い言葉で占められていた。

 番組内でストリップ劇場は女性客も今は多い、と伝えられていたが、私がロック座を訪ねた時も1~2割は女性客だったし、女性客が不快な思いをするような言動をするような男性客もいなかった。ロック座を訪ねたのは取材で、2020年3月だったのだが、当時は新型コロナウイルスによるトイレットペーパーの買い占めが社会問題になっていた。

 そのため、観客の中年男性は「差し入れに」と、当時は入手が困難であったトイレットペーパー12ロールパックを渡していたが、そんな姿は愛美だけでなく劇場スタッフにも差し入れを持参する星組と重なった。

 もちろん、ストリップファン全員がそうではないだろうが、しかし私が浅草ロック座で見たファンや、今回番組に出ていた星組の男性たちは、「ハァハァ」でも「ニヤニヤ」でもなく、それどころかとても紳士的であろうと心がけているのがよくわかったし、星組の愛美に対する思いは健気なほどだった。

 初めて行ったロック座は、ストリップそのものも感動したが、この客層もカルチャーショックに近い感動があった。今までの人生において「行ってみて印象が大きく変わった場所」断トツ1位だ。何かちょっと日常に活を入れたい、という人には迷わずお勧めしたい。ちょっとした海外旅行より発見と驚きがあると思う。

 愛美はとてもアイドルとしての力が強いと思った。まず表現力の高さだ。愛美の踊りについて星組の複数の人が「何も言えない」「言葉にならない」と言葉にできない思いを話していたが、これは愛美の表現力が凄まじく高いことの表れだと思う。

 言葉にすると安っぽくなる、言葉にするとこぼれ落ちてしまうようなものを受け取れるから、ファンは何度も劇場に足を運ぶのだろう。よくオタクは「尊い」と言い、この言葉は少々安売りされている気もしなくもないが、愛美の踊りはまさに「尊い」のだろう。

 そしてさらに、愛美の踊りの表現力だけでなく、愛美という人自体にも、強いアイドル性を感じる。後輩の「後光がさしてる」という言葉は大げさではないのは番組を見ていて伝わった。

 愛美は、かつて荒んだ生活をしていたのが信じられないくらい、どこか神々しい。愛美は荒れていた過去について「きっちりとした生きていく土台ができていない、どんどん世の中に背を向けているのは自分でもわかった」と話していたが、今の愛美は「きっちり生きている」どころか、星組の人たちに生きる喜びを与え、「救って」さえいる。

 どう生きればこんな人になれるのだろうと人を立ち止まらせ、魅了するところにも、アイドルとしての強さを感じる。

 そして愛美のこんな「超人的」なところも、アイドルとしてとても強いと思う。愛美はファンに自分の愛飲するコーヒーを宅配便で送ったり、ファンの誕生日にはお祝いのメッセージカードを贈ったりなど、細やかなファンサービスをしているのだが、それで調子に乗って「痛ファン」になるような厄介なファンは、愛美の周囲には出てこないように思える。

 星組の面々は愛美のことを尊敬していて、愛美にいい意味で一線を引いているのがよくわかる。愛美の迷惑になりそうなことを星組はしないだろうと信じられるのだ。「ファンの民度が高い(良識的なファンの存在感が強い)」というのはそのアイドルの力を測る大きな指標になると思う。

 アイドルという存在は、時にファンから過剰な思いまで背負わされる。さまざまなオタク業界で「痛いファン」「変なファン」「空気の読めないファン」に悩まされているアイドルや表現者は少なくないと思う。なので、「自然とファンをひざまずかせる(そして、ひざまずくファンはきっとこの上ない幸せを感じている)」愛美の能力はアイドルとしてかなりのものだと思った。しかし、これは愛美の53年で培った人生が醸し出すものであり、一朝一夕でマネできるものではないだろうとも思った。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は、「ボクらの丁稚物語 ~泣き虫同期 4年の記録~ 前編」。このご時世で、入社すればケータイも恋愛も、酒もタバコも禁止。さらに男女の区別なく、みんな丸刈り、という丁稚制度を貫く家具製作会社「秋山木工」。同社に入った若者たちの記録。

『ザ・ノンフィクション』プロ野球に固執する野球少年の両親「母さん、もう一度 闘うよ ~高校中退…息子たちの再起~

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。1月24日は「母さん、もう一度 闘うよ ~高校中退…息子たちの再起~」というテーマで放送された。

あらすじ 

 2014年に創設された神奈川県大和市にある社会人硬式野球クラブチーム、BBCスカイホークス。甲子園常連の強豪校に入学したものの、いじめやトラブルなどで中退した人や、一度別の道に就職したものの野球への夢を諦めきれない人たちの受け皿となっている。

 BBCスカイホークスでは野球の練習だけでなく、大学進学を目指す人のため、勉強も教えるなど多様な支援を続けている。創設から7年でBBCスカイホークスは独立リーグや社会人クラブ、大学野球の強豪校に人材を輩出しているが、セ・パ12球団のいわゆる「プロ野球選手」となった人はまだいない。番組では、甲子園強豪校を中退し、BBCスカイホークスで未来を模索する2人の青年を取り上げる。

 1人目は恭平、18歳。真面目な性格で実直に野球にも取り組む。両親の決めた他県の野球強豪校に進学するも、高校で待っていたのは部内の陰湿ないじめだった。野球の練習すらさせてもらえない日々が続き、恭平は高校を退学する。

 恭平の父親は「いじめられても野球ができる環境なら(恭平は)野球を辞めなかったと思うんです」と、当時の悔しい思いを話す。恭平はプロ野球選手を目指し2019年に巨人の入団試験を受けたが不合格。スカイホークスで野球を続けながらプロへの道を模索し続ける。恭平と中学生の頃から交際を続けており、すでに働いている彼女の瑠奈も、「(恭平が)野球でお金を稼げなくても自分が支える覚悟はできている」と口にする。

 2人目は、群馬からスカイホークスに入団した成覇(じょうは)、17歳。甲子園常連の強豪校に進学し、2年生でレギュラーになりながらも、校内でトラブルを起こし、高校中退を余儀なくされた。成覇の両親は「こうなった原因は親の責任」「育て方間違えたのかな」と悔やむも「突き放すのは簡単。好きなことを失えばもっともっとドロップアウトしてしまう」と息子を支える。成覇の目標は、通信制で高卒資格を取り大学で野球を続けながらスポーツトレーナーを目指すこと。しかし勉強は大の苦手で、国語の長文問題を前に頭を抱える状況だ。

 それぞれの目標に向かって練習を続ける二人だったが、2020年の新型コロナウイルスにより激変した社会は二人の進路にも影響を及ぼす。緊急事態宣言によりチーム練習ができなくなるだけでなく、プロ野球においてはスカウト活動やプロテストも例年より規模が縮小されてしまう。大学への門も、例年各大学の硬式野球部が行うセレクション(野球推薦の実技試験)は軒並み中止となってしまった。

 恭平は自主練習を続けるものの調子が上がらず、結局、オリックス・バッファローズは書類落ち、巨人については監督からも望みは薄いといわれ、テストを受けず断念する。その後恭平は独立リーグ「神奈川フューチャードリームズ」へ入団。一方の成覇も無事大学進学を決める。

 番組では、二人のほかにも甲子園強豪校に進学し、その後自衛隊に入隊するものの、野球への夢を諦めきれずに、BBCスカイホークスに入った先輩が出てくる。入団後に修練を続けたが、プロには行けず22歳で就職を選び「卒業」していく姿が放送された。

 成覇は大学で野球を続けるのだろうが、将来の夢はスポーツトレーナーとのことで、「プロ野球選手」になるのは無理だという見通しがあるのだろう。この二人の進路を、プロ野球を目指す恭平はどう見ていたのだろう。

 プロ野球において、1チームに所属できる選手は各球団70名まで(1、2軍の合計)。そのほかが「育成選手」枠になり、育成選手の人数は各球団でまちまちだが、10人にも満たない球団もある。30代で活躍を続けるスター選手も多く、簡単には空かない。すさまじく狭い門だ。

 プロ野球選手の「進路」を追った毎年恒例の番組がある。年末に放送される『プロ野球戦力外通告』(TBS系)だ。プロ野球選手の夢を叶えたものの、ケガや、芽が出なかったなどの事情で球団をクビになった選手たちが、再起の試験=トライアウトにかける様子を追ったものだ。そこには、20代前半の若い選手も出てくる。

 トライアウトによって「再びプロから声がかかった」ケースは稀で、「声がかからなかった」「独立リーグに入ることになった」「海外の球団に行くことになった」というケースが多い。「独立リーグ」「海外」へ進路がつながった人も、いずれは「プロへ」と、決まったように同じ抱負を語る。

 『ザ・ノンフィクション』では、独立リーグの年収は100万と伝えられ、確かにこれでは食べていけない。だからとプロを目指しても、なれるかなどわからないし、プロになったところで、その後どうなるかわからないのだ。

 恭平自身が「プロ野球しかない!」というモードになってしまうのは、若いせいもありしょうがないかもしれない。しかし、恭平の両親も「プロ野球だ!」と一心になっていることが気がかりだ。進路は何も一つではない、と示すのも大人の役割ではないだろうか。

 野球に限らずスポーツをしてきた人を、“脳筋”といった言葉で小バカにする人もいる。しかし、スポーツでもなんでも一定の成果を上げた人というのは、「成果の出る努力の仕方」を知っている人であり、そのやり方は、ほかにも応用が利くのではないだろうか。

 恭平親子が「野球をもっと続けたい(続けてほしい)」ならいいが、「野球しかない」と思っているのなら、それは違うように思う。恭平はまだ18歳。その年なら、なれるものはまだいくらでもある。恭平がプロ野球にこだわり続けるのはもったいないことに思えた。

「やんちゃ」で言い換えて見落としてるもの

 また、番組を見ていて気になったのは、成覇がスカイホークスでチームメイトの携帯電話をレンジにかけ壊した、というエピソードだ。成覇にしてみたら、おそらく「絶対ウケる」と思っての行為だろうが、全く笑えないどころか不愉快だった。番組はこのエピソードを「やんちゃ」という言葉を使って伝えていたが、こういった被害者のいるまったく笑えない行動を「やんちゃ」という言葉で片づける風潮もよくない。

 こういった男子の行動を笑う人というのは、その行動が面白いからではなく、その男子の権力に忖度していたり、「わかってないやつ」扱いされることを恐れていたり、もしくは「そういう悪いことを笑える自分は世間のルールにとらわれてなくてカッコイイ」と自分に酔った振る舞いとして笑っているだけのように思う。

『ザ・ノンフィクション』うつ病を抱える夫、支える妻の生活「シフォンケーキを売るふたり ~リヤカーを引く夫と妻の10年~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。1月17日は「シフォンケーキを売るふたり ~リヤカーを引く夫と妻の10年~」というテーマで放送された。

あらすじ

 久保田哲49歳。東京、青梅市でシフォンケーキを販売している。焼き芋屋のようなリヤカーにシフォンケーキを積み、日々気ままなルートで地元を行商して回っているが、その姿を見て駆けつけてくる常連もいる人気ぶりだ。通常のシフォンケーキより焼き時間が短く、しっとりした口当たりが特徴で、リヤカーでの販売以外にも工房やイベントでの直販、通信販売を行っている。

 哲はもともとIT企業で働いており、30代ながら赤字事業を次々と黒字化させ、会社ではナンバーツーとも呼ばれたやり手だった。妻のかおりは会社員時代の部下になる。しかし結婚から4年後、2009年に哲は職場の人間関係の悩みからうつ病を発症し退職する。哲は当時の自分を「マイナスの思考の連鎖が勝手にぐるぐるぐるぐる回って」「こんな状態で生きている価値があるのか」と振り返り、「自分の足で生きている」実感がある仕事に憧れを抱く。

 そのような中で、哲はかおりの母親が焼いたシフォンケーキに出会い「これだというより、これでいいや」と、シフォンケーキ屋を始める。リヤカーによる行商も、元手がかからないことや、車の運転は哲の精神的に負担になること、そして外を歩くことでのうつの改善を狙ったものだという。

 うつ病を患う哲の決断を、否定するわけにもいかないかおりは会社勤めを続けながら見守るだけだったが、行商を始めて哲が元気になっていくのを見て、かおりも仕事を辞め、2人でシフォンケーキ店を切り盛りするように。

 しかし、新型コロナウイルスの影響が直撃。地域、および店の活性化のため、哲は地元の映画上映イベントを立ち上げ、その準備に奔走する。この状況について哲は、「マイナスの状態に手を打ち続けていかないといけない感じが、(会社で)うつになったころと似ている」と語り、かおりも気が気でない。

 2020年11月、池袋で開催されるイベントでの直販において、かおりは先に現地でシフォンケーキを販売し、哲は自宅のある青梅から池袋までリヤカーで丸1日かけてたどり着く。シフォンケーキは無事完売した。

 この放送は賛否両論が出そうな回だったが、考えさせられるという点では良い放送だったと思う。賛否の内容とは、「いい夫婦だった」という肯定的なものと「かおりがかわいそう」といったものだ。

 哲は池袋で行われるイベントの際、自宅の青梅から池袋までを、車や電車で行けばいいのに、普段と同じようにリヤカーを引いていくなど、融通が利かない。そのしわ寄せは、池袋の寒空の下で、到着時間を過ぎても姿を見せない哲を待つかおりにきている。リヤカーを引き、ようやく池袋に着いた哲は、「ビールが飲みたい」と呑気なことを話していて、私がかおりならこれはたまらないなと思った。哲の生活は、こうしたさまざまなかおりの献身の下で成り立っている。

 一方、番組で見る哲の表情は、穏やかな笑顔なのだが顔のどこかが硬くこわばっているのがわかる。表情一つ見ても、哲は精神的に今も際どいバランスの上にいて、その中でやれることをして、生計を立てているのだろうと思う。そしてかおりが誰よりもそれを理解していることも伝わるのだ。

 番組の途中で、哲との生活について、スタッフがかおりに「幸せか」「楽しいか」「満足しているか」と、さまざまな言葉で問いかけていた。それらの言葉には、どれもうなずくことのなかったかおりは、哲との生活を「面白い」と回答していた。哲に比べ、表情が随分疲れていたかおりが、日々を「面白がれる」のはいいことだと思うが、個人的にはかおりに少しでも「ラク」になってほしい。

 今回の番組を見ていて心配に思ったのが、哲のように精神的に苦しい状況下にある人が、彼の言動に影響され「自分も……」と、起業など大胆な手段を考えてしまわないだろうか、ということだ。

 まず、哲には献身的に支えてくれるかおりがいる。それに哲自身も、もともとやり手のビジネスマンで、切れ者だ。

 今、コンビニやスーパーで買えるたいていのスイーツは、ほぼおいしいと言っていい。そのような中で、高くもないが安くもない値段で、「またあの店のシフォンケーキが食べたい」と思わせるのは、相当な力量が必要で、哲の努力によるものだろう。“多産多死”の業界である飲食で、シフォンケーキ一本で10年商売を続ける、というのは凄まじいことだ。リヤカーのキャラ立ちといい、『ザ・ノンフィクション』のスタッフに取り上げよう、と思わせるところまでも含め、“力量”だと思う。

 精神的に厳しい状況にある人ほど、「起死回生の画期的な大改革」にすがりたくなるのではないか。その気持ちはわかる。だが、そのような状況下では「決断」も良いものになりにくいのではないだろうか。

 哲の場合は「かなり例外的な幸運ケース」にも思える。かといって、つらい状況がただ過ぎるのを待つというのも、地獄なのだろう。

 過去の『ザ・ノンフィクション』で、大阪の精神科診療所「アウルクリニックの活動を取り上げた回で、精神科医の片上は患者に対し「(心の問題を)ゼロにせんでもいいかもしれん。ゼロにせんでも(心と体の状態が)エエわを目指す」と話していた。つらい時ほど劇的解決ではなく、ちょっとだけラクになる「ま、エエわ」の思考が大切に思える。

 次週のザ・ノンフィクションは『母さん、もう一度 闘うよ ~高校中退…息子たちの再起~』。甲子園、プロを目指すような野球エリートの少年たちが、いじめやトラブルにより高校を中退した「その後」の話。

『ザ・ノンフィクション』うつ病を抱える夫、支える妻の生活「シフォンケーキを売るふたり ~リヤカーを引く夫と妻の10年~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。1月17日は「シフォンケーキを売るふたり ~リヤカーを引く夫と妻の10年~」というテーマで放送された。

あらすじ

 久保田哲49歳。東京、青梅市でシフォンケーキを販売している。焼き芋屋のようなリヤカーにシフォンケーキを積み、日々気ままなルートで地元を行商して回っているが、その姿を見て駆けつけてくる常連もいる人気ぶりだ。通常のシフォンケーキより焼き時間が短く、しっとりした口当たりが特徴で、リヤカーでの販売以外にも工房やイベントでの直販、通信販売を行っている。

 哲はもともとIT企業で働いており、30代ながら赤字事業を次々と黒字化させ、会社ではナンバーツーとも呼ばれたやり手だった。妻のかおりは会社員時代の部下になる。しかし結婚から4年後、2009年に哲は職場の人間関係の悩みからうつ病を発症し退職する。哲は当時の自分を「マイナスの思考の連鎖が勝手にぐるぐるぐるぐる回って」「こんな状態で生きている価値があるのか」と振り返り、「自分の足で生きている」実感がある仕事に憧れを抱く。

 そのような中で、哲はかおりの母親が焼いたシフォンケーキに出会い「これだというより、これでいいや」と、シフォンケーキ屋を始める。リヤカーによる行商も、元手がかからないことや、車の運転は哲の精神的に負担になること、そして外を歩くことでのうつの改善を狙ったものだという。

 うつ病を患う哲の決断を、否定するわけにもいかないかおりは会社勤めを続けながら見守るだけだったが、行商を始めて哲が元気になっていくのを見て、かおりも仕事を辞め、2人でシフォンケーキ店を切り盛りするように。

 しかし、新型コロナウイルスの影響が直撃。地域、および店の活性化のため、哲は地元の映画上映イベントを立ち上げ、その準備に奔走する。この状況について哲は、「マイナスの状態に手を打ち続けていかないといけない感じが、(会社で)うつになったころと似ている」と語り、かおりも気が気でない。

 2020年11月、池袋で開催されるイベントでの直販において、かおりは先に現地でシフォンケーキを販売し、哲は自宅のある青梅から池袋までリヤカーで丸1日かけてたどり着く。シフォンケーキは無事完売した。

 この放送は賛否両論が出そうな回だったが、考えさせられるという点では良い放送だったと思う。賛否の内容とは、「いい夫婦だった」という肯定的なものと「かおりがかわいそう」といったものだ。

 哲は池袋で行われるイベントの際、自宅の青梅から池袋までを、車や電車で行けばいいのに、普段と同じようにリヤカーを引いていくなど、融通が利かない。そのしわ寄せは、池袋の寒空の下で、到着時間を過ぎても姿を見せない哲を待つかおりにきている。リヤカーを引き、ようやく池袋に着いた哲は、「ビールが飲みたい」と呑気なことを話していて、私がかおりならこれはたまらないなと思った。哲の生活は、こうしたさまざまなかおりの献身の下で成り立っている。

 一方、番組で見る哲の表情は、穏やかな笑顔なのだが顔のどこかが硬くこわばっているのがわかる。表情一つ見ても、哲は精神的に今も際どいバランスの上にいて、その中でやれることをして、生計を立てているのだろうと思う。そしてかおりが誰よりもそれを理解していることも伝わるのだ。

 番組の途中で、哲との生活について、スタッフがかおりに「幸せか」「楽しいか」「満足しているか」と、さまざまな言葉で問いかけていた。それらの言葉には、どれもうなずくことのなかったかおりは、哲との生活を「面白い」と回答していた。哲に比べ、表情が随分疲れていたかおりが、日々を「面白がれる」のはいいことだと思うが、個人的にはかおりに少しでも「ラク」になってほしい。

 今回の番組を見ていて心配に思ったのが、哲のように精神的に苦しい状況下にある人が、彼の言動に影響され「自分も……」と、起業など大胆な手段を考えてしまわないだろうか、ということだ。

 まず、哲には献身的に支えてくれるかおりがいる。それに哲自身も、もともとやり手のビジネスマンで、切れ者だ。

 今、コンビニやスーパーで買えるたいていのスイーツは、ほぼおいしいと言っていい。そのような中で、高くもないが安くもない値段で、「またあの店のシフォンケーキが食べたい」と思わせるのは、相当な力量が必要で、哲の努力によるものだろう。“多産多死”の業界である飲食で、シフォンケーキ一本で10年商売を続ける、というのは凄まじいことだ。リヤカーのキャラ立ちといい、『ザ・ノンフィクション』のスタッフに取り上げよう、と思わせるところまでも含め、“力量”だと思う。

 精神的に厳しい状況にある人ほど、「起死回生の画期的な大改革」にすがりたくなるのではないか。その気持ちはわかる。だが、そのような状況下では「決断」も良いものになりにくいのではないだろうか。

 哲の場合は「かなり例外的な幸運ケース」にも思える。かといって、つらい状況がただ過ぎるのを待つというのも、地獄なのだろう。

 過去の『ザ・ノンフィクション』で、大阪の精神科診療所「アウルクリニックの活動を取り上げた回で、精神科医の片上は患者に対し「(心の問題を)ゼロにせんでもいいかもしれん。ゼロにせんでも(心と体の状態が)エエわを目指す」と話していた。つらい時ほど劇的解決ではなく、ちょっとだけラクになる「ま、エエわ」の思考が大切に思える。

 次週のザ・ノンフィクションは『母さん、もう一度 闘うよ ~高校中退…息子たちの再起~』。甲子園、プロを目指すような野球エリートの少年たちが、いじめやトラブルにより高校を中退した「その後」の話。