『ザ・ノンフィクション』フォロワー40万人、20歳の六本木ダンサーの悩みとは「夢と涙の六本木 2~ミレイとモモの上京物語~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月23日の放送は「夢と涙の六本木 2~ミレイとモモの上京物語~」。

あらすじ

 東京・六本木の日本最大級のショークラブで働く二人の二十歳の「上京女性」を見つめる。1人目はミレイ。2020年秋、故郷・熊本から上京する。芸能界を目指し高校卒業後、さまざまなオーディションに応募をしていたのだが落選続きで、最後のチャンスとしてショークラブを選ぶ。女手一つで育てた母は、当初ミレイの上京に猛反対していたが、最後はミレイの背中を押す。

 しかしミレイは接客も酒も苦手。人見知りで高校時代不登校になりかけたこともあり、その時ミレイに話しかけてくれた友人も、ミレイがショークラブで働くことに驚いた様子だった。

 いざ働き始めるも、酒もほとんど飲めず、接客も苦手なミレイは徐々にホールに出る時間やレッスンで遅刻が目立っていき、マネジャーに呼び出され滔々と諭され涙するも、返事は最後まで「はい」ではなく「うん」だった。

 番組上ではミレイの言葉はあまり聞かれず、何を考えているのか今一つわからなかったが、実家から母の手紙とクッキーの差し入れがあったときは涙を流し喜んでいた。

 もう一人は同じ店で働くモモ。2年前香川から上京し、最初は店に馴染めず、続くかどうか危なげな様子だった。しかし今やすっかり人気者になって、ミレイが入店した時はフロアの客に明るく慣れた様子でミレイを紹介していた。

 モモが常連客を増やすために注力したのが、TikTokなど、各種SNSでの発信、動画投稿だ。退勤後の早朝、午前5時、自宅で撮影用ライトを設置し自分で撮影から編集まですべてこなし動画を投稿していた。努力の甲斐ありフォロワー総数は40万人を超え、その際は店で記念パーティーも行われた。

 モモは幼少期の転校が多く、いじめられたこともあり、自分の存在を認めてほしい、人気者になりたいという思いを叶えるため六本木にやってきた。その夢はSNSを通じ現実となったが、一方、SNSでの心ない中傷や、人気キャストゆえにホールであまりモモが対応できないことに文句を言う客など、接客での苦労が増え、常連客が心配するほど表情が疲れていく。

 モモは一度香川に帰省。家族に気持ちを打ち明け、英気を養い六本木に戻る。ショークラブはコロナの影響を受けつつも、今日もミレイ、モモは六本木の町で働いている。

▼前回の上京物語(モモの上京当初)▼

フォロワー40万人のモモに気になること

 実家でリフレッシュできたモモは番組の最後に「みんなに元気を与えられるよう頑張りたい」と話していたが、それよりもモモは、自分の元気を奪っていく「痛客」のあしらい方を習得したほうがいいのではないかと思った。客をえり好みするようで、贅沢かもしれないが、モモには累計40万人がいるのだ。

 自分の誕生日にモモが出勤していないことに文句を言う客や、人気キャストであるモモの接客時間が短いことに文句を言う客は「痛客」「痛ファン」に思える。まして、本名では絶対に書けないであろう心ない中傷をモモのSNSに残す人らに至っては、店に金を落とす「客」ですらない、ただの「痛い人」の可能性が高い。

 そんな痛い面々に心を乱されるのはもったいないことだと思う。「批判も貴重なご意見」は相手がまっとうな場合にしか該当しないし、憂さ晴らしのような発言に付き合う必要はないだろう。

 一方、もう一人のキャスト、新人のミレイは遅刻も多く接客は苦手と、「プロ意識」の面では同い年のモモに遠く及ばない。しかしミレイにはモモにはない長所がある。ミレイは、息を合わせることが必要なショーのグループ練習を直前でドタキャンしたり、マネジャーからも勤務態度を説教されと、こんな毎日を過ごしていたら店に居づらくなると思うのだが、ミレイは辞めずに働き続けていた。

 高校で不登校になりかけた、という状況だけ見るとミレイは繊細なように見えるのだが、店での行動を見るとむしろ他人の言動をあまり気にしないタイプに見える。こういう「他人の言動を気にしない」性格は、ハードな人気商売で生きていくなら、あったほうがいい気質だろう。

 「気にする」「気にしない」は天性のものもあると思うが、面倒な客やSNSの誹謗中傷に落ち込むモモは、案外ミレイの「気にしなさ」から得るものがあるのではないかと思った。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「酒と涙と女たちの歌 ~塙山キャバレー物語~ 前編」。茨城県日立市、チェーン店が並ぶ国道沿いに、終戦直後にタイムスリップしたような佇まいの一角がある。13軒の小さな飲み屋が並ぶ「塙山キャバレー」。店を守ってきた女たちの人生について。

『ザ・ノンフィクション』納棺師からドライバーに転職した国立大卒の25歳「東京、タクシー物語。後編~シングルマザーと新人ドライバー~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月16日の放送は「東京、タクシー物語。後編~シングルマザーと新人ドライバー~」。

『ザ・ノンフィクション』納棺師からドライバーに転職した国立大卒の25歳「東京、タクシー物語。後編~シングルマザーと新人ドライバー~」の画像1

あらすじ

 45歳のシングルマザー、恭子は3年前から東京の葵交通でタクシー運転手として働いている。同社の約150人のドライバーの中で、取材を始めた2020年秋時点では、女性は恭子一人だった。もともと恭子は故郷である茨城の映画館で長年働いていたのだが、娘のこころが2歳のときに離婚。当時の月収は20万円ほどで、娘の将来を思い、もっと稼げる仕事をと40歳を過ぎてから東京でタクシー運転手へと転身。会社が借り上げた部屋で70歳になる母とこころの3人で暮らしている。

 しかし、20年春から感染が拡大した新型コロナウイルスによる社会の変化が、恭子一家の生活も一変させる。度重なる緊急事態宣言で街からは人が消え、飲食店の営業は都からの時短要請が入り、テレワークにより通勤者も減りと、タクシー運転手にとって頼みの綱である深夜の乗客が激減してしまう。それまで30万円ほどあった恭子の月収も10万円台まで減少してしまう。

 厳しい状況でタクシードライバーを辞める人も多いが、新たにこの世界に飛び込んでくる若い女性もいる。25歳のちひろは国立大学出身。前職は葬儀屋で納棺師として働いていたが、コロナ禍により葬儀の規模縮小、自粛が続いたことで職を失い、30社以上も面接を受け、葵交通に採用されたという。

 23歳の直子は、一流店で働いていた元料理人。厨房で大けがをしてしまい、それをきかっけに引きこもりがちになってしまったという。たまたま乗ったタクシーの運転手に身の上話を聞いてもらい救われた経験から、タクシー運転手を志す。一発合格は難しいとされる地理試験(主要な交差点や幹線道路などを回答する)も、一度でクリアする努力家だ。

 ちひろ、直子の教育係は恭子が受け持つことになり、しばらく恭子が助手席に同乗した。恭子は、「無事故・無違反で笑顔で帰ってきなさい、っていうことが一番」と話し、クラクションを鳴らす後続車や、黄色信号で止まったことを咎めるような乗客がいても、気にしてはいけないと後輩二人に説く。

 直子の研修時に、直子が選んだルートにいつまでもネチネチ文句を言う厄介な乗客がいたときは、下車後に休憩を取るなど「笑顔で帰ってくる」ための心の置き方について恭子は行動で示す。難しい乗客もいる一方で、直子と恭子が研修中だとわかると、コンビニで温かいお茶を買って差し入れをする乗客もいた。

 しかし、ちひろは徐々に会社を休みがちになり、会社を退職してしまう。そして葵交通の決算も創業以来最悪の赤字となってしまう。暗いニュースが続く中、小学生になるこころが会社の保育園を卒園。会社からのプレゼントで恭子親子にタクシーでの浅草観光がプレゼントされ、しばしの休息を楽しんでいた。

 ちひろにしてみれば、頑張って勉強して国立大学に入り、合っていたと話す葬儀の仕事に就いたものの、コロナ禍でその職を失い、転職活動に励むも30社以上に採用されず、やっと決まったタクシードライバーの仕事だ。しかし、それも半年程度で退職するという、まだ若いのに気の毒になるほど、踏んだり蹴ったりな状況が続いている。タクシードライバーの仕事を休みがちになったとき体の不調があり、ごはんを食べられなくなっていたと話していたが、体がSOSを出していたのならば、辞めてよかったのではないかと思う。

 イヤなことがあってもお金になるのであれば耐える原動力になったのかもしれないが、タクシードライバーは給料における歩合の割合が高く、コロナで乗客が減り恭子の月収も10万円台という状況が続く中、おそらくちひろも「さほど」という状況だったのではないかと推測できる。

 就職してもうまくいかず退職を選ぶ、というのはその時点だけを見れば「失敗」かもしれないが、「もう次はあんな思いをしたくないからこうしてみよう」という創意工夫につながる。その時はとてもつらかったが、長いスパンで見ればむしろいい経験だったと思える「失敗」が私にもいくつかあり、今では失敗知らずの方がむしろ危険ではないかと思う。

 だが、これはずいぶんあとになってからわかることなので、今のちひろは非常につらいだろうなと思う。25歳なので、仕事が順調にいっていそうな周りの人がまぶしく見えがちな時期だと思うが、どうか焦らずに、とちひろの今後の幸せを願う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「夢と涙の六本木2~ミレイとモモの上京物語~」。夢を追いショーダンサーとして六本木で働く20歳のミレイとモモ。ミレイは心が疲弊してショーの練習を休んでしまう。一方、モモは常連客を増やすべくSNS発信に励み、フォロワーは40万を超えるがそれによる誹謗中傷で悩むようになる。

『ザ・ノンフィクション』コロナ禍のタクシードライバーと乗客たち「東京、タクシー物語。前編 ~コロナとシングルマザーの運転手~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月9日の放送は「東京、タクシー物語。前編 ~コロナとシングルマザーの運転手~」。

あらすじ

 45歳のシングルマザー、恭子は3年前から東京の葵交通でタクシー運転手として働いている。同社の約150人のドライバーの中で、取材を始めた2020年秋時点で女性は恭子一人だ。もともと恭子は故郷、茨城の映画館で長年働いていたのだが、娘のこころが2歳のときに離婚。娘の将来を思い、もっと稼げる仕事をと、40歳を過ぎてから東京でタクシー運転手へと転身する。

 仕事は午後1時から翌朝9時までと深夜乗務が基本となり、タクシー会社が運営する保育園に娘を預けながら、会社が借り上げた部屋に69歳の母と3人で暮らしている。休憩時間中、こころとスマホでビデオ通話をする時間を心の支えに、恭子はハンドルを握る。

 しかし、20年春から感染が拡大した新型コロナウイルスによる社会の変化が、恭子一家の生活も一変させてしまう。度重なる緊急事態宣言で街からは人が消え、飲食店の営業は都からの時短要請が入り、テレワークにより通勤者も減りと、タクシー運転手にとって頼みの綱である深夜の乗客が激減してしまう。

 タクシー運転手は給料における歩合の割合が高く、コロナ以前の社会情勢に基づいていたのであろう求人広告では「月収40万円以上も可能です」と記されていたが、20年秋において恭子の月収は10万円超という。娘、母と暮らし家計を支える立場としては、非常に厳しい状況が続く。日頃は渋谷を回っていた恭子だったが、背に腹は代えられず、泥酔客が多くて苦手な深夜の歌舞伎町も回るようになる。

 年末になると感染がさらに広がり、通常なら大勢の人が行き交う渋谷のスクランブル交差点でさえ人はまばらだった。人員整理が始まったタクシー会社などもある中で、葵交通、田中秀和社長は特別見舞金として5万円を社員に振る舞う。恭子はこころにクリスマスプレゼントとしてゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」を贈り、おせちを家族で食べ、初詣に行くなど一息つく。

 しかし、コロナの状況はその後さらに悪化の一途をたどっていく。恭子のタクシーに乗った赤坂のホステスは、「お客さんはだいぶ減りました。人気店だったんです。去年の今頃は(お客さんの)待ちが出るくらい。の人気店だった。(今は)すごくすごく暇です」と話し、またクラブなどで働いているのであろう20代の女性3人組は「接待の領収書系の人は『(領収書が)切れない』って言ってこなくなった。本当のお金持ちしか来なくなったよね」と話す。

 たまたま乗車した吉本興業の芸人、西村真二(コットン)は「『(コロナで)諦めがついた』って言う芸人もいっぱいいて、これを機に辞める芸人もいますね」と話した。

 コロナ禍の新宿の大通りで、恭子が走る道の反対車線も「空車」の赤いランプが光るタクシーが何台も並ぶという過酷な状況だった。一方で、このコロナ禍においても月間100万円以上の売り上げを叩き出すこともあるという切れ者ドライバーもいる。恭子の同僚で、前職は芸能事務所で働いていたという倉本氏だ。

 ドライバーたちの乗務記録から「売れる」エリアを研究するなど、仕事熱心な倉本氏が導き出した今の答えは「歌舞伎町・明け方・ホストクラブ帰りの女子」だという。番組内でも、日が昇り始めた新宿で、ホストクラブで飲んだあとと思われる派手な身なりの女子たちが歩いていた。

 倉本氏は、ホストクラブで遊んだあとの女性は疲れて電車で帰りたくないとその心理を分析し「(ホストクラブ帰りの女子たちが)『タクシー乗る? 乗らない?』とかそういう会話も聞こえてくるので、止まってドア開けちゃったりとか」と、冷静に話す。深い洞察と観察力にあわせ機を逃さない的確な行動力、うなるほどできる人だ。

 ホストクラブはシラフでいたら多くの人がためらうであろう金額を、すました顔で支払うのが「嗜み」ともいえる場所だ。そんなところでポーンと大金を支払ったあと、数千円を惜しみ健気に始発で帰るというのは、やってみたことはないものの、非常にわびしい気持ちになりそうなのは想像できる。ホストクラブで楽しんだあと、“姫”が家に帰るまでのかぼちゃの馬車は、やはりタクシーがふさわしい。

 しかし、泥酔した人をタクシーに乗せる上で気になるのが「嘔吐問題」だ。知人が若い頃タクシーで粗相をしてしまい、3万円を払ったと話していたが、3万円受け取ったとしてもそのあとの始末を考えれば割に合わないとすら思う。

 特にコロナで吐しゃ物は「単にイヤなもの」だけでなく「感染源になりかねない」という意味も増えた。心臓が悪い70歳になる母親と同居し、タクシー運転手という不特定多数に会わざるを得ない仕事をしている恭子にとっては、なるべく避けたいものだろうと思う。

逆境で出てくる人間性と本性

 タクシー運転手の給料は歩合の割合が高いという。収入減にあえぐ全ドライバーに対し、葵交通の田中秀和社長が年末に5万円の見舞金を出しており、大した人だと思った。逆境のときにどう振る舞うかに、その人の本性は出ると思う。

 私もコロナにはうんざりだが「コロナに対しどんな発言をしたか、どんな行動をしたか」は、その人の人間性が垣間見える。「コロナに関しての発言や行動でイラッとしたり、モヤっとした知人や親類」は誰しも数人いるのではないだろうか。

 乗客の赤坂のホステスや吉本芸人・西村は、恭子のことをねぎらいつつ下車していた。番組のカメラがあるからでしょ、という見方は意地悪すぎるかもしれないが、それでも、逆境時にそういう気遣いが自然にできる人はやはり感じがいいし、そうありたいと思う。

 また、個人的には倉本氏が早朝の歌舞伎町で乗せるホストクラブ好き、いわゆる「ホス狂い」の女子たちにも話をぜひ聞いてみたい。これは別に、「今、この時世にホストクラブに行く是非」を問いたいものではない。『ザ・ノンフィクション』では「ホストクラブ」を舞台にした放送が過去にいくつもあったのだが、それらはほぼ「ホスト側」の話だったので、姫である客が、何を思い店に足を運び、朝の歌舞伎町でタクシーに乗るのか、という思いを聞いてみたいと思ったのだ。

 次回は今回の後編。離職を選ぶドライバーもいる中で、葵交通には2人の20代女性ドライバーが入社する。2人はなぜこの困難な時期にタクシードライバーの道を選んだのか?

『ザ・ノンフィクション』緊急事態宣言下でも「外で飲酒したい人」への疑問「銀座の夜は いま…2 ~菜々江ママとコロナの1年~」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。5月2日の放送は「銀座の夜は いま…2 ~菜々江ママとコロナの1年~」。

あらすじ

 銀座の一等地に立つ高級クラブ「クラブNanae」。オーナーママの唐沢菜々江は18歳のときに埼玉・春日部のスナックで働きはじめ、25歳で銀座のクラブにスカウトされてからは銀座一筋22年だ。菜々江は「クラブNanae」以外にも事業を展開し、さらに銀座で働くホステスのために、時短美容ができる総合サロンを2020年4月に開業する予定だった。

 しかし20年2月、横浜・大黒ふ頭沖に停泊中のクルーズ船から新型コロナウイルスの集団感染者が起きたことから、コロナの脅威と不安が徐々に日本国内に広がりはじめる。そして翌月3月30日、東京都より酒場などへの自粛を呼びかける会見が行われ、その翌日から「クラブNanae」は営業を中止する。

 当初は短期間の休業を想定していたが、同年4月7日の緊急事態宣言を受け、菜々江はGWまでの休業を決断。銀座の街からは人が消え、クラブNanaeの20年3~5月の売り上げは前年同期比で8割以上減、金額にして2.2億円のマイナスという非常に厳しい状況となる。融資や助成金を借りてなんとかしのぐも、店を開けられず厳しい状況は続き、ホステス、黒服スタッフの離職も相次ぐ。

 20年6月19日、ナイトクラブの休業要請が解除に。当初客足は復活するものの、徐々にそれも遠のいてしまう。8月時点で店を訪ねると客はおらず、スタッフが「掃除するしかない」と話すありさまだった。菜々江も赤坂の自宅を手放すなど金策に励む。

 その後、再度の時短営業要請などもスタッフと乗り切り、年末には忘年会で労をねぎらい合ったが、その会場は昨年の高級焼き肉店から、新橋のガード下に変わっていた。

 21年1月7日、飲食店に午後8時までの時短営業要請があり、さらに再度の緊急事態宣言と、再起を図ろうにも店のスタッフ、ホステスの明日が見えない厳しい状況は依然変わらないままだ。

 なお、昨年5月も、初の緊急事態宣言下の中、奮闘を続ける菜々江の様子が伝えられている。『ザ・ノンフィクション』人が消えたナイトクラブの苦悩「銀座の夜は いま…菜々江ママの天国と地獄」。

闇営業の店に行ってまで「飲酒したい人」とは

 東京は緊急事態宣言下にあり、「夜は外で酒が飲めない」状況が続いているが、中には“闇営業”をしている店もあるだろう。この状況下、闇営業をしているナイトワーカーは袋叩きに遭うのは想像に難くなく、実際に、闇営業のナイトワーカーがネットニュースにもなっていた。個人的にも、今の時期に闇で営業する人、そこで働く人の声、そして特に、その店に通う人の意見は聞いてみたい。

 これは決して非難したいのではなく、純粋に、「店で飲酒したい人」とはどんな動機を持っているのか、その本当のところを知りたいからだ。

 私は酒好きだが、酒好きには「酒が飲めればいい人」と「外で飲みたい人」の2種類がいるように思う。前者は酔っぱらえれば一人でもどこでもいいが、後者は友人とワイワイ集まるのが好きな人、せんべろや居酒屋を巡るのが好きな人、高級クラブやバーなどの接客やら雰囲気やらを楽しむ人などさまざまだが、「酒」だけでなく「酒+α」を求めているところに共通点がある。

 もちろん「酒が飲めればいい人」でも人恋しいときは友人と飲みたくなったり、にぎやかな酒場に足を運ぶだろう。しかしそれでも、「酒があればいい」のか、それとも「酒+α」がよいのか、という傾向はあるように思う。

 私は外で飲むのも好きだが、「酒があればいい」のほうが強い。なので、この状況下であえて闇営業であっても、それでも店に足を運ばずにいられない人に、その心理を聞いてみたい。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「東京、タクシー物語。前編 ~コロナとシングルマザーの運転手~」。6歳の一人娘を持つシングルマザーの恭子、45歳。離婚をきっかけに、もっと稼げる仕事をと東京でタクシー運転手の仕事に就いたのが3年前。しかし、新型コロナウイルスの影響は、持病がある70歳の母と3人で暮らす恭子一家にも降りかかる。

『ザ・ノンフィクション』北九州連続監禁殺人事件、犯人の息子が伝えたかったこと「放送1000回SP 後編」

日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。4月18日は「放送1000回SP 後編」というテーマで放送された。

あらすじ

 今放送で1,000回目を迎えた『ザ・ノンフィクション』。前週の999回から番組26年の歴史を、前後編で振り返っている。

 当番組の初回は1995年10月15日。登場したのは、同年にロサンゼルス・ドジャーズに入団した野茂英雄投手で、放送2回目は同年3月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教。その後も「大事件の関係者」「芸能、スポーツの有名人」などを取り上げることが多かったが、徐々に番組は市井の人たちにスポットライトを当てていく。

 今回の後編では、東日本大震災(2011年3月)以降の10年間が取り上げられた。震災の翌月には、犠牲者が全市町村で最多であった宮城県石巻市に暮らす3組の家族を取材。別の回では、田舎暮らしに憧れて、福島県浪江町に単身移住した老齢男性が、福島第一、第二原発事故により終の棲家と考えていた場所を失うことに。また、葛尾村の酪農家夫婦は飼っていた牛とも別れねばならず、牛の頭を撫で牛舎の片隅で涙する妻の姿を伝えていた。

 2017年に放送された、「人殺しの息子と呼ばれて…」。世間を震撼させた北九州連続監禁殺人事件の主犯、松永太死刑囚、緒方純子受刑者を両親に持つ息子の声を伝えたこの回は、大きな話題になった。事件当時彼は9歳。番組の取材を受けた際は、24歳になっていた。事件では緒方の親族6人が犠牲となっており、息子は事件後、身寄りがなく児童養護施設に預けられ、壮絶な半生を送る。彼は「ネットとかで(自分のことを)書かれるじゃないですか。その息子は今まともになっていないだろうなとか。知りもしない人たちが僕のことを悪く言うっていうのに納得ができなくて」と取材に応じた思いを話した。

 また、自身の体と心の性が異なる人たちについても、番組は何度か取り上げている。新宿ゴールデン街の名物ママ・真紀さん(当時76歳)は若い頃に性別適合手術を受け、当時の時代背景もあり家族に迷惑をかけられないと、故郷の鹿児島にはそれから一度も戻らなかったが、「せつなくて故郷」では47年ぶりとなる帰省の様子を取材。真紀ママはその後亡くなり、故郷の墓で眠っている。「しっくり来る生き方」では風呂ナシ、38歳で女装し地下アイドル活動をする男性の姿を見つめていた。彼は大学を出て働くも、その生活がどうもしっくりこず、はじめて「しっくりきた」のが、女性用のワンピースに袖を通したときだったという。

 社会問題に対し、長年にわたって献身的な活動をしてきた人についても番組では多く取り上げている。杉並区で動物病院を営みながら、休日は犬猫の避妊手術を行う太田快作獣医師を追った「花子と先生の18年」をはじめ、動物愛護活動に携わる多くの人たちを伝え、1,000回総集編の最後では、非行、不登校など問題のある子どもたちを「逃げるな」と支え続け、2019年に亡くなった愛知県西居院の熱血和尚、廣中邦充さんを伝えていた。

※「人殺しの息子と呼ばれて…」「切なくて故郷」は、FOD(フジテレビオンデマンド)で全編が視聴できる。

 かつて番組のホームページには「2011年の東日本大震災から、何かが変わった。その何かがこの国の行方を左右する」と記載があり、似たようなことが今回の後編のナレーションでも伝えられていた。私は宮城県出身で、震災で価値観や考え方が変わったが、震災の体験者や被災者、そうした者を家族や友人に持たない人は、価値観の本質的な部分は特に変わっていないように思う。それは自然なことだろう。当事者とそうではない人が、完全に同じように感じるなんて無理だ。

 「2011年の東日本大震災から、何かが変わった」という言葉を番組が伝え、今回の前後編の区切りも東日本大震災だったのは、番組スタッフが被災直後から被災地を何度も訪ね、被災した人たちの声を聞いてきたからこそだろう。「何かが変わったのだと伝えたい」という願いに似たものを感じる。この願いは、震災から10年たった2021年、新型コロナウイルスの蔓延により、「大きな困難により価値観、考え方が変わる」ということが、日本全国にようやく伝わったのではないかと思う。

 震災の被害が場所によりまったく違うように、新型コロナウイルスの被害も、職業によってその経済的な損失も全く違うので、さほど変化なく暮らせているように見える人がいる一方で、なぜ自分だけが、という深い絶望にある人もいる。絶望や孤独の状況にある人たちが歯を食いしばっているから社会は成立しているのだと思う。

 当事者やそれに近い人が感じた気持ちと同じように、自分が体験したことのない出来事を受け取るのは不可能だと思うが、それでも知ることで、相手に対する想像力は育まれる。こんなときに映像はとても雄弁だ。

 DV問題を追った回では、DV被害者の妻からの手紙と離婚届を代理人経由で受け取った加害者である夫の姿を遠くから映していた。手紙の中から離婚届を見つけた夫の手は、遠目でも「わなわなと」震え、動揺から手紙を持ったまま部屋をウロウロし続け、代理人から何度も座るように促されてもやめられない様子だった。

 夫の顔にはモザイクがかけられていたものの、その行動から、離婚届が夫にとっては「青天の霹靂」であったことが伝わり、夫が「それまで自分が妻にしてきた暴力について、全く理解していなかったこと」がよく伝わった。ここまで加害側は無自覚なのかと、DVの恐ろしさと、DVに耐えることの不毛さがよく伝わる映像だった。

 『ザ・ノンフィクション』は、ドキュメンタリー番組の中でも登場人物が自分の思いを話す割合が高い番組だと思うし、そこが魅力の一つだと思うが、私は番組のこんな「言葉がない、映像だけのシーン」も好きだ。言葉では語りきれない多くのことを伝えていると思う。

 次回は「銀座の夜は いま…2 ~菜々江ママとコロナの1年~」銀座の超高級クラブを経営する唐沢菜々江ママ、47歳。新型コロナウイルスに翻弄されながらも模索を続ける姿を昨年20年5月の放送でも伝えていた。しかし、その後1年、「夜の銀座」の状況は改善される兆しすら見えない厳しい状況が続いている。銀座の今の姿とは。

『ザ・ノンフィクション』「放送1000回SP 前編」、目の前の一日に人間が必死に向き合う生々しさ

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。4月11日は「放送1000回SP 前編」というテーマで放送された。

 『ザ・ノンフィクション』「放送1000回SP 前編」、目の前の一日に人間が必死に向き合う生々しさの画像1

あらすじ

 今回が放送999回目になる『ザ・ノンフィクション』。当番組の初回は1995年10月15日。登場したのは、同年にロサンゼルス・ドジャーズに入団した野茂英雄投手で、番組テーマソングはおなじみの「サンサーラ」ではなかった。放送2回目は同年3月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教をテーマにし、番組史上唯一となる、朝の情報番組のようなスタジオ形式が採用されていた。

 初期はこのような「大事件の関係者」「芸能、スポーツの有名人」などを取り上げたものが多かったが、徐々に番組は市井の人たちにスポットライトを当てていく。なお、『ザ・ノンフィクション』は被写体との距離の近さが特徴だが、これは、撮影用の高画質のビデオカメラが家庭用とほぼ遜色ないほど小型化したことも影響しているという。

 山一證券が自主廃業した97年に放送された「借金地獄物語」は借金を返済するためにファッションヘルスで働く女性や、事業に失敗し家を手放す高齢女性と競売屋のやりとりを伝え、日曜午後としては驚異的な視聴率15.9%を記録。

 番組は隅田川の川べりで共同生活をする50代のホームレスの男女、段ボールを拾い集めて生活する人、道に落ちているお金を拾う「地見屋」といった、「持たざる」人たちの暮らしのほか、北新地のホスト、ヤマンバギャル、ダウン症の子どもたちのダンス教室、BSE騒動で米国産の牛肉の輸入が禁じられ、牛肉の争奪戦となった中での大阪・鶴橋の人気焼き肉店の様子や、昔ながらの応援団に入った中学生が成長していく姿など、さまざまな境遇にある人たちの姿を映していた。なお、番組で最多放送シリーズは過去15回放送された「上京物語」になる。

子どもだけでなく、大人が年を取る姿も心を揺さぶる

 『ザ・ノンフィクション』の魅力の一つは、長い期間にわたって、一人の人を見つめていくところだろう。「花の中学生応援団」では、当時中学校では唯一の応援団といわれていた、明治大学付属明治高等学校・中学校に入団した中学1年生の生徒が高校3年生になるまでの6年間を追っていた。中学1年生の頃は、ぶかぶかの学ランに着られているようなか細い子どもが、高校3年ではすっかりたくましい青年になっていた。

 子どもが大人に成長していく姿はそれだけでまばゆいものだが、一方で、「年齢を重ねていく姿」は大人であっても心を揺さぶられるものがあると思ったのが「おっぱいと東京タワー」だ。

 こちらは、『ザ・ノンフィクション』の信友直子ディレクターが乳がんになった自分の姿を撮ったものだが、そこには直子を看病するため広島・呉から上京し、穏やかに励ます直子の母親、文子の姿が映っている。

 当時文子は70代くらいに見える。抗がん剤で髪の毛が抜ける娘の背中にコロコロをかけ、家事をし、病院に付き添う姿は心強いが、その後文子は85歳で認知症を発症し、洗っていない洗濯物の上で寝転んだりするようになる。一方でそんな自分へのふがいなさ、悲しさもあるようで、文子が葛藤する様子も『ザ・ノンフィクション』で放送されている。

 その後、文子は2020年に亡くなっている。文子が年齢を重ね、生きる姿は胸に迫るものがあった。

 番組名物と言えるテーマソング「サンサーラ」は03年から6人、2組のアーティストに歌い継がれている。番組ファンにはおなじみのサビのメロディは、番組プロデューサーがインド旅行中に浮かんだものだという。

 「サンサーラ」という言葉も本来はサンスクリット語で「輪廻」という意味のようだが、番組ナレーションではサンサーラの意味を「繰り返す命の営み」と説明していた。たしかにこちらのほうがずっと『ザ・ノンフィクション』らしいと、番組ファンとしては思う。生き死にの長いスパンをどこか遠くから見下ろしているのではなく、目の前の一日に人間が必死で向き合う生々しさこそ『ザ・ノンフィクション』だと思う。

番組初期と今の違いをナレーションに見る

 現在『ザ・ノンフィクション』は女性芸能人のナレーションが多いが、初期のころは男性局アナが務めることが多かったようだ。さらに、その話し方も感情を抑制した、どこか物々しさを感じるナレーションで、それが番組の雰囲気に実にあっていた。

 のどかな日曜の午後に、こんな雰囲気の番組が始まれば「何事だ」と視聴者は思うだろう。日曜昼にどかんとやって驚かせてやる、と番組スタート時の意気が感じられてなかなかよかった。

 今は先述の通り女性芸能人がナレーションを務めることが多い。話す内容も優しく、登場人物に寄り添うようなものが多い。今の時代が寄り添い、優しさを求めている、という番組側の判断もあるのかもしれない。同じように、NHKの『ドキュメント72時間』も、ナレーションに優しさが感じられる。

 しかし個人的には淡々と、感情を出さずに対象から距離をとってドライに伝えているナレーションのほうが、『ザ・ノンフィクション』の濃すぎる内容とマッチしているように思う。さらに言えば『ザ・ノンフィクション』の題字も、最近リニューアルしたものではなく、以前の物々しい字体のほうが好きだ。

 こんなふうに、いちファンがあれこれ言いたくなるくらい、のどかな日曜の午後に変化球を投げてくる『ザ・ノンフィクション』。これからも繰り返される人間の営みを大切に見ていきたい。

 放送1,000回となる次週は今回の後編。なお、前後編の区切りは東日本大震災。番組は震災で何がどう変わった、ととらえたのか。

『ザ・ノンフィクション』名店レストランを3カ月で辞めた“何もわかってない”18歳「新・上京物語 後編 ~夢と別れのスカイツリー~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。4月4日は「新・上京物語 後編 ~夢と別れのスカイツリー~」というテーマで放送された。

あらすじ

 2020年6月、北海道、製紙工場の煙突が立ち並ぶ苫小牧市から料理人を目指し上京した18歳の一摩。就職先はかつて人気テレビ番組『料理の鉄人』(同)にも出演した、洋食の巨匠・大宮勝雄シェフが経営する浅草の名店「レストラン大宮」だ。

 一摩は幼い頃に両親が離婚し、父親も若くして亡くなったため、祖父母に育てられた。祖父の美智男は料理人で、天皇陛下の皇太子時代に料理を提供したこともあるという。美智男は肺がんを患い2年前に現役を引退したが、今も家ではシェフコートを着て家族に本格的な料理を振る舞う。

 美智男は東京で修業時代を共にした大宮シェフに一摩を託す。一摩は一流の料理人になりたいと祖父母や友人にも話し、その姿は自信がみなぎっているが、自分で料理をしたことはほとんどない。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、2カ月遅れでようやく上京できた一摩は、東京駅の目の前にある新丸ビル内の、レストラン大宮の支店で働くことになる。しかし勤務初日、包丁を持つ手つきもおぼつかない一摩は、右も左もわからない厨房の中で、それまでの意気揚々とした様子から一変、見るからにションボリとしていき、賄いの昼食もろくに喉を通らない。そしてその晩、大宮シェフに初日にして辞めたいとまで伝えてしまう。

大宮シェフの説得もあってレストランにとどまった一摩は、ノートにポイントをまとめるなど料理の勉強を続けるものの、厨房でてきぱきと動けず、先輩から叱咤される日々が続く。徐々に仕事を休みがちになっていき、3カ月で結局レストラン大宮を辞めてしまう。

苫小牧に戻った一摩に対し、祖父母が何か責めるようなことはなかった。その後、美智男は他界。現在一摩は地元のコンビニでアルバイトをしながら就職先を探している。

料理をしたことないのに「できる」と思う“わかってなさ”

 それまで料理をしてきたことがない、という言葉通り、一摩は勤務初日、見ていてハラハラするくらい包丁使いがなってなかった。一摩の祖父は料理の世界で生きてきた人なのだから、事前に一摩に自宅で料理をさせていればよかったのに、と思った。

 何事も、手を動かしているときではなく、頭の中で思い描いているときが一番何もわかっていない。だからこそ、上京前の一摩が「一流の料理人になる」と口にしていたように、大きなことも言える。

 しかし実際に手を動かしてみれば、実際に思い描いていた夢の世界とはかけ離れた、パッとしない自分の姿と向き合うことになる。失望するし、ガッカリするのだが、頭の中で夢の世界に浸っているよりは確実に前進はしているのだ。

 こういった夢と現実の落差をまったく知らないまま、いきなり一流の世界に飛び込んでしまったことが、3カ月での退職につながった要因の一つのようにも思える。 

 『ザ・ノンフィクション』では今回に限らず、京都の舞妓さんなど、社会に出た若者を長い期間追い続けるシリーズがいくつかある。そういったシリーズを見ていると、最初はソツのないように見えたタイプが、意外と長続きしないケースが散見される。

 一方、今回の一摩のように、面接など話を聞いている場ではしっかりしているように見えるのだが、いざ勤務してみると初日から人が変わったように不安を感じさせるタイプもいる。「人を採用する」というのは本当に難しい。

 自分の周りを見ても、20代の頃は仕事をバリバリやりそうと見えたタイプで今仕事をしていない人もいるし、ほどほどにやれればいいように見えていた人がしっかり存在感を示したりもしている。転職したら人が変わったようにイキイキしだした人もいる。

 結局のところ、仕事をどこまでやれるかは本人だってやってみないとわからないのだ。採用する側にしてみたら、ますますわからないことだろう。

 番組の最後では、一摩の一年後輩にあたる2021年度のレストラン大宮入社の2人の若者が紹介された。一摩をはじめ若手の離職に頭をかかえる大宮シェフは、その2人について「いいと思います、今回は……と思いたい」と苦笑しつつ、率直な気持ちを話していた。

 どんな職場にも「なんでこんな人を採用したのだろう。採用した人は何を考えていたのだろう」と頭を抱えたくなるような人が一人はいるとは思うが、そういう人とて、採用時には採用担当者が「いいと思います……と思いたい」と思って採用したのだろうし、当の本人だって、頑張れる自分を信じていたのだ。人を採用するのは本当に難しい。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は『ザ・ノンフィクション 放送1000回SP 前編』まもなく放送1,000回を迎える『ザ・ノンフィクション』。26年にわたる歴史の中で描いてきたものは一体何なのか。

『ザ・ノンフィクション』勤務初日で辞めたいと言う18歳「新・上京物語 前編 ~煙突とスカイツリーと僕の夢~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月28日は「新・上京物語 前編 ~煙突とスカイツリーと僕の夢~」というテーマで放送された。

あらすじ

 2020年6月、北海道、製紙工場の煙突が立ち並ぶ苫小牧市から料理人を目指し上京した18歳の一摩。就職先はかつて人気テレビ番組『料理の鉄人』(同)にも出演した洋食の巨匠・大宮勝雄シェフが経営する浅草の名店「レストラン大宮」だ。

 一摩は幼い頃に両親が離婚。父親も若くして亡くなったため、祖父母に育てられた。祖父の美智男は料理人で、天皇陛下の皇太子時代に料理を提供したこともあるという。美智男は肺がんを患い2年前に現役を引退したが、今も家ではシェフコートを着て家族に本格的な料理を振る舞う。

 美智男は東京で修業時代を共にした大宮シェフに一摩を託す。一摩は一流の料理人になりたいと祖父母や友人にも話し、その姿は自信がみなぎっているが、自分で料理をしたことはほとんどない。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、2カ月遅れでようやく上京できた一摩は、東京駅の目の前にある新丸ビル内の、レストラン大宮の支店で働くことになる。しかし勤務初日、一摩の包丁を持つ手つきはおぼつかず、右も左もわからない厨房の中で、それまでの意気揚々とした様子から一変、見るからにションボリとしていき、賄いの昼食もろくに喉を通らない。

 そしてその晩、大宮シェフに初日にして辞めたいとまで伝えてしまう。大宮シェフの説得もあってまずはとどまった一摩だったが、疲れた様子で勤務初日を終える。

自信満々に見えた18歳、勤務初日でつまずく

 人には、見るからに貫禄を感じさせるタイプや、逆に頼りなく見えてしまうタイプなどがあるが、一摩は典型的な前者だ。体格の良さや顔立ちも相まって、18歳にして一摩はすでに貫禄があった。

 番組の冒頭で地元、苫小牧の友人と話すシーンでは、一度も行ったことのない東京に一流シェフになるべく上京する一摩を、友人はしきりに感心していたが、そのときも一摩は謙遜したり照れたりせず、どうってことない感じでさらりと受け流す。そんなところも、なんとも18歳離れしていた。「俺は大丈夫」という、自負心が強いタイプなのだろう。

 また、祖父母に育てられた影響もあるのか、年配の人とも臆せず堂々と話せるのも一摩の「18歳にしてはしっかりしている」感を後押しする。若手スタッフの離職に悩む大宮シェフも、堂々たる一摩を見て期待のルーキーだと本当に思ったことだろう。

 しかし、そんな強い自負心、鼻っ面がボキボキ折られるのが社会というものだ。勤務初日、銀色の厨房の中で一摩は何もできない自分に固まりに固まり、早くも心が折れてしまい、辞めたいとまで大宮シェフに伝えてしまう。

 それまでの自信満々な様子から、いくらなんでもずいぶん振れ幅が激しいと思ってしまったが、そもそも一摩が上京以前に醸し出していた「自信」は、料理をろくにしたことがないのに一流の料理人になりたいと語ってしまうような、ずいぶんふわふわとしたものだったのだ。

 一摩に限らず、誰でも社会では冷や汗や恥をかきながら成長していくしかないのだと思う。そうやって時間をかけて身についていったものが、真の自信になっていくのだろう。

 仕事は「はじめはできなくて当然」だ。一方、一摩のように初日で見切りをつけそうになる若者も少なからずいる。見切りをつけるのがいくらなんでも早すぎるのだが、そういう若者は「はじめはできなくて当然」という言葉を聞いたことはあるものの、実際の体感覚としてまるでわかっていないのだと思う。

 徐々にやれるようになっていくことをわかっていないから、すぐ「向いていない」「辞めたい」と言い出してしまったり、実際に逃げてしまうのだろう。しかし私自身も18歳の頃を振り返ると、一摩のことを言えないくらい右も左もわからない若者だった。

 18歳は選挙権もあるというのに、なぜ、こうも右も左もわからないくらい「幼い」のか。それは、若者がそれまで過ごす学校社会と実際の社会が分断されすぎているせいもあるように思う。多くの高校が学業優先のもと、アルバイトを禁止している。

 そのため、一摩のように多くの若者が「できない自分が情けなくて恥ずかしい」と思いっきり冷や汗をかくのは、高校を卒業し大学生や専門学校生になりアルバイトをしてから、もしくは、高校を卒業し就職し社会に出てからと、高校を卒業してからなのだ。

 個人的に、これは遅いのではないかと思う。学校の勉強をいくら頑張ったところで身に付かない、社会特有の「はじめはできなくて当然」の感覚を、もっと早くから体でわかっていたほうが、「はじめはできなくて当然」を「人生の挫折」や「自分は社会生活や働くことに向いていない」とまで大げさに勘違いしてしまったり、働くことに対し不必要に怯えずに済むのではないだろうか。

 なお、厚生労働省が2020年10月に公表した「新規学卒就職者の離職状況」によると、新規大卒就職者の就職後3年以内離職率は、32.8%だという。実際の仕事や職場の人間関係がイヤだったのなら仕方がない離職だが、このうち、一摩がそうなりかけたような「はじめはできなくて当然」がわかっていないうえでの離職も少なくないように思う。これは本人にもそうだし、雇用する側にしてもとても不幸なことだと思う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の後編。東京で修行を続ける一摩だが、北海道で暮らす祖父のガンの病状は悪化していってしまう。

『ザ・ノンフィクション』勤務初日で辞めたいと言う18歳「新・上京物語 前編 ~煙突とスカイツリーと僕の夢~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月28日は「新・上京物語 前編 ~煙突とスカイツリーと僕の夢~」というテーマで放送された。

あらすじ

 2020年6月、北海道、製紙工場の煙突が立ち並ぶ苫小牧市から料理人を目指し上京した18歳の一摩。就職先はかつて人気テレビ番組『料理の鉄人』(同)にも出演した洋食の巨匠・大宮勝雄シェフが経営する浅草の名店「レストラン大宮」だ。

 一摩は幼い頃に両親が離婚。父親も若くして亡くなったため、祖父母に育てられた。祖父の美智男は料理人で、天皇陛下の皇太子時代に料理を提供したこともあるという。美智男は肺がんを患い2年前に現役を引退したが、今も家ではシェフコートを着て家族に本格的な料理を振る舞う。

 美智男は東京で修業時代を共にした大宮シェフに一摩を託す。一摩は一流の料理人になりたいと祖父母や友人にも話し、その姿は自信がみなぎっているが、自分で料理をしたことはほとんどない。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、2カ月遅れでようやく上京できた一摩は、東京駅の目の前にある新丸ビル内の、レストラン大宮の支店で働くことになる。しかし勤務初日、一摩の包丁を持つ手つきはおぼつかず、右も左もわからない厨房の中で、それまでの意気揚々とした様子から一変、見るからにションボリとしていき、賄いの昼食もろくに喉を通らない。

 そしてその晩、大宮シェフに初日にして辞めたいとまで伝えてしまう。大宮シェフの説得もあってまずはとどまった一摩だったが、疲れた様子で勤務初日を終える。

自信満々に見えた18歳、勤務初日でつまずく

 人には、見るからに貫禄を感じさせるタイプや、逆に頼りなく見えてしまうタイプなどがあるが、一摩は典型的な前者だ。体格の良さや顔立ちも相まって、18歳にして一摩はすでに貫禄があった。

 番組の冒頭で地元、苫小牧の友人と話すシーンでは、一度も行ったことのない東京に一流シェフになるべく上京する一摩を、友人はしきりに感心していたが、そのときも一摩は謙遜したり照れたりせず、どうってことない感じでさらりと受け流す。そんなところも、なんとも18歳離れしていた。「俺は大丈夫」という、自負心が強いタイプなのだろう。

 また、祖父母に育てられた影響もあるのか、年配の人とも臆せず堂々と話せるのも一摩の「18歳にしてはしっかりしている」感を後押しする。若手スタッフの離職に悩む大宮シェフも、堂々たる一摩を見て期待のルーキーだと本当に思ったことだろう。

 しかし、そんな強い自負心、鼻っ面がボキボキ折られるのが社会というものだ。勤務初日、銀色の厨房の中で一摩は何もできない自分に固まりに固まり、早くも心が折れてしまい、辞めたいとまで大宮シェフに伝えてしまう。

 それまでの自信満々な様子から、いくらなんでもずいぶん振れ幅が激しいと思ってしまったが、そもそも一摩が上京以前に醸し出していた「自信」は、料理をろくにしたことがないのに一流の料理人になりたいと語ってしまうような、ずいぶんふわふわとしたものだったのだ。

 一摩に限らず、誰でも社会では冷や汗や恥をかきながら成長していくしかないのだと思う。そうやって時間をかけて身についていったものが、真の自信になっていくのだろう。

 仕事は「はじめはできなくて当然」だ。一方、一摩のように初日で見切りをつけそうになる若者も少なからずいる。見切りをつけるのがいくらなんでも早すぎるのだが、そういう若者は「はじめはできなくて当然」という言葉を聞いたことはあるものの、実際の体感覚としてまるでわかっていないのだと思う。

 徐々にやれるようになっていくことをわかっていないから、すぐ「向いていない」「辞めたい」と言い出してしまったり、実際に逃げてしまうのだろう。しかし私自身も18歳の頃を振り返ると、一摩のことを言えないくらい右も左もわからない若者だった。

 18歳は選挙権もあるというのに、なぜ、こうも右も左もわからないくらい「幼い」のか。それは、若者がそれまで過ごす学校社会と実際の社会が分断されすぎているせいもあるように思う。多くの高校が学業優先のもと、アルバイトを禁止している。

 そのため、一摩のように多くの若者が「できない自分が情けなくて恥ずかしい」と思いっきり冷や汗をかくのは、高校を卒業し大学生や専門学校生になりアルバイトをしてから、もしくは、高校を卒業し就職し社会に出てからと、高校を卒業してからなのだ。

 個人的に、これは遅いのではないかと思う。学校の勉強をいくら頑張ったところで身に付かない、社会特有の「はじめはできなくて当然」の感覚を、もっと早くから体でわかっていたほうが、「はじめはできなくて当然」を「人生の挫折」や「自分は社会生活や働くことに向いていない」とまで大げさに勘違いしてしまったり、働くことに対し不必要に怯えずに済むのではないだろうか。

 なお、厚生労働省が2020年10月に公表した「新規学卒就職者の離職状況」によると、新規大卒就職者の就職後3年以内離職率は、32.8%だという。実際の仕事や職場の人間関係がイヤだったのなら仕方がない離職だが、このうち、一摩がそうなりかけたような「はじめはできなくて当然」がわかっていないうえでの離職も少なくないように思う。これは本人にもそうだし、雇用する側にしてもとても不幸なことだと思う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は今回の後編。東京で修行を続ける一摩だが、北海道で暮らす祖父のガンの病状は悪化していってしまう。

『ザ・ノンフィクション』2万1,701人の、日本で就学不明の外国籍の子ども「ふたりの1年生 ~新米先生と海の向こうから来た女の子~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月21日は「ふたりの1年生 ~新米先生と海の向こうから来た女の子~」というテーマで放送された。

あらすじ

 2019年4月に中国から東京の小学校に転校してきた1年生のナイヒ。クラス担任は教師になって1年目の23歳の橘川先生だ。ナイヒは日本語がほぼわからず、橘川先生も「まさか(言葉のわからない児童が自分のクラスに)いるとは思わなくて」「どうしようかな」と率直な思いを番組スタッフに話す。橘川先生も懸命に指導するものの、半年ほどたった19年9月においても、ナイヒはクラスになじめず、授業もわからないままで、学校では固まった表情だ。

 ナイヒは、日本で自分の店を持ちたいという母親と共に中国からやってきたが、母親は仕事に専念すべく職場の近くで暮らし、ナイヒは先に中国から来日していた叔父夫婦の家に預けられる。中国語が飛び交う叔父一家で、ナイヒはいとこたちと楽しそうに遊ぶが、母親を恋しがる。

 2学期の後半の「学芸会」で、橘川先生はナイヒに3つのセリフを割り当てる。日本語を口にするのが怖いナイヒは、練習中、小さな声でたどたどしくしかセリフを言えなかったが、橘川先生、級友のサポートや、家で叔母やいとこたちと特訓することで、学芸会当日は堂々とセリフを言うことができた。

 翌年、20年2月に行われた公開授業で、母親は来ないだろうと諦めていたナイヒのもとにサプライズで母親が現れる。橘川先生の告げた時間通りに、時計の針を合わせる授業で正解するなど、日本語の理解も深まっていた。

 授業が終わった後、ナイヒは日本語で「橘川先生大好きありがとう」とお礼を告げる。それから1年後、ナイヒは母親が家を買ったことで転校したが、日本語漢字検定の10級を取得し、スタッフとの挨拶などもスムーズになっており日々の努力がうかがえた。

 私は、 思春期以降に自国で母国語以外の外国語を習得した人たちのことを 全員尊敬している。「言いたいことはあるのに伝える手はず、 技術がない」ゆえに悔しい、恥ずかしい、 怖い思いを何度も何度もしながら、 それでも諦めずに挑戦し続けるという、 途方もない努力を成し遂げた人たちだからだ。

 一方のナイヒは、「帰国子女」枠ともいえる。7歳ならまだ頭も柔らかいし、「恥」などの意識も思春期よりは薄いだろうし、労せずペラペラになれるのでは……? 7歳なら海外生活のスタートとして割と理想的な年齢では……? とすら思っていたが、今回ナイヒの苦労やつらそうな姿、それでも努力する姿を見て、考えを改めることにした。

 小学1年生でも、すでに「できない自分が悔しい、恥ずかしい、話すことが怖い」という気持ちは当然ある。小学校入学当初のナイヒはおそらく、さっぱりわからない授業を前に固まっていたが、2年後となる番組の最後では、日本語漢字検定の10級を取得していた。番組スタッフへ向ける表情も明るくなっていて、言葉に自信がついたことがうかがえる。ナイヒの頑張りを尊敬する。

 また、番組でいいな、と思ったシーンはナイヒの中学生のいとこ、コウキの中学校でのシーンだ。コウキが日本に来た時期については触れられていなかったが、中国の学校を転校するときの映像から、小学校中~高学年くらいで来たように見える。

 小学校入学のタイミングで転校したナイヒでも苦労するのだから、コウキの日本語習得はさらに厳しいものだったと思う。それでも勉強を続けるコウキは、中学校で同級生に話しかける。その会話がよかった。まず互いに「こんにちは」とあいさつし、「1年〇組の〇〇(名前)です」と紹介しあったあと、こんなやりとりをしていた。

コウキ「席が変わったので、よろしくお願いします」
友達「おう、そうなの?」

 話しかけようとトライするコウキも前向きだし、それを「おう、そうなの?」と明るい感じで返す同級生も優しい子だなあ、と思った。伝える側が一歩踏み込む勇気を持つことと、受け取る側が想像力という優しさを働かせることがコミュニケーションの本質なのだと思う。

 2人の中学生の短いやりとりにはそれが良く出ていた。私も仕事で一度英語のプレゼンをしたことがあり、外国語の勉強は苦労だらけと言っていいくらい大変なことだと、そのとき痛感した。一方で、外国語の勉強は、母国語だけで生活しているとつい見落としがちな、人とつながる喜びも教えてくれる。

「就学不明」の外国籍の子供は2万1,701人

 番組では日本で暮らす外国籍の小、中、公立学校に在籍している児童生徒は年々増加傾向にあり、8万2,000人いると伝えられていた。

 ナイヒの母親は、来日当初は仕事に専念すべく職場のそばで暮らし、ナイヒはすでに日本で生活している叔父夫婦に預けられ、親子別々に生活していた。学校では1日中固まったままで過ごしているのに、母親にも甘えられないナイヒの状況は気の毒だったが、一方叔父夫婦の家では中国語が飛び交い、ナイヒはいとこと楽しそうに遊んでいたし、いとこや日本人の叔母と日本語の勉強もできるなど、孤立しない環境はあったと思う。

  一方で、中学校に通う年齢にありながら、学校に通っているかを確認できない「就学不明」の外国籍の子どもが、2万1,701人に上ることが国の全国調査でわかっている(※1)。

※1:外国籍の子、就学不明2万2000人 国が初めて全国調査(毎日新聞)

 ナイヒとナイヒの母親も、もし「日本ですでに暮らしていた叔父夫婦」という頼れる存在がなかったら、日本での生活は全く違った過酷なものになっただろう。頼れる血縁者や同じ国の出身者のコミュニティがないまま日本で暮らす外国人の孤立が、就学不明の2万1,701人という数を映しているように思う。

 法律上、「教育を受けさせる義務」の対象は自国民のみで外国人の子ども(日本国籍を持っていない者)に就学義務はない(※2)。しかし、公立の義務教育諸学校への就学を希望する場合には、国際人権規約なども踏まえて、日本人児童生徒と同様に無償で受け入れができるよう、文部科学省は全国の教育委員会に通知しているとのこと。

 だが現実問題として、外国人向けのプログラムなどない公立学校では日本語についていけず孤立し、そのまま学校に通えなくなる外国籍の子どもも多いという。

 一方、日本語がわからない子どもに配慮があり、子どもが通いやすいであろう外国人学校は、授業料が高額という問題もある(※2)。日本は人口が減る一方で、社会が外国人抜きでは成立しなくなっている。孤立した2万1,701人は社会問題だと思う。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「新・上京物語 前編 ~煙突とスカイツリーと僕の夢~」。製紙工場の煙突が立ち並ぶ北海道・苫小牧市から料理人を目指し上京する18歳の一摩。就職先は洋食の巨匠・大宮勝雄シェフが経営する有名店「レストラン大宮」だ。夢と現実の間でもがく18歳の姿を見つめる。

※2:外国人は「対象外」ってどういうこと? 外国人”依存”ニッポン(NHKの特集サイト)