
「ロンドンオリンピック総集編
2012年 8/30号」(朝日新聞出版)
ロンドン五輪の男子個人総合で金メダルを獲得した内村航平が27日、日本体操協会を通じ、今月11日に婚姻届を提出したと発表した。お相手は23歳の一般女性で、同じ日体大出身。
「学年は1つ下ですが、彼女も体操選手で、かなりの美女。内村がコナミに入社した昨春以降に急接近して、昨年10月ごろに交際がスタートしたそうです」とは内村を知る関係者。頂点を極めたことを示すように、「1」が4つ並んだ11月11日に夫人の出身地・千葉県内で婚姻届を提出したという。
内村は「ここ数年来の最大の目標であった国際大会が終了し、新しいスタートを切る良いタイミングと考えた。今後は公私にわたり生活を充実させ、新しい目標に向けて努力する」とコメント。
とはいえ、唐突感も否めない。
ワイドショー関係者は「最初に情報が流れたのは26日の深夜。状況から見て、28日の水曜に一斉に早刷りが届く『週刊文春』(文藝春秋)、『週刊新潮』(新潮社)、『女性セブン』(小学館)、『フライデー』(講談社)の4誌のいずれかが、このネタを入れていると踏んでいた」と明かす。
だが、この4誌に「内村結婚」のスクープは入っていなかった。「実は、そのうちのA社がここ1~2カ月、ずっと内村を張っていた。それは内村本人も気付いていた。ただ、A社は女性とのツーショットを押さえていたものの、それが恋人とは思わず、掲載を見送っていた」とはスポーツ紙デスク。というのも、A社が本線とニラんでいたのは、なんと、女子フィギュアの浅田真央だったというのだ。
舞台裏を知る人物は「ある筋から『内村と浅田が付き合っている』という情報がもたらされ、取材を進めている最中だったそうです。事実なら、今年1番の大スクープ。しかし、2人の接点どころか決定的な写真すら出てこなかった。そうこうしているうちに、内村が結婚を発表したんです」と話す。
内村にしてみれば「週刊誌に写真を撮られたから、先に発表を」と先手を打ったつもりが、A社が狙っていた“本命”は浅田だったというわけだ。A社の関係者は「浅田じゃないなら、別にいいか」とポツリ。末永くお幸せに……と言うしかないだろう。
投稿者「kitamura」のアーカイブ
例えるならば猫カフェ!? ただひたすらに萌えさせる『おにあい』

テレビアニメ『お兄ちゃんだけど愛さえあれば
関係ないよねっ』
通称「おにあい」こと『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』(TOKYO MXほか)が、妙に面白い。タイトルを見れば、その内容は一目瞭然。いわゆる「妹もの」のアニメである。
念のためあらすじを解説すると、両親の事故死で別々の親類の家に身を寄せていた双子の兄妹、姫小路秋人と姫小路秋子は、6年ぶりに一緒に生活することになったが、離れ離れの期間に秋子は極度のブラコンになっていた。兄妹の一線を越えるべく、日々秋子は秋人にアタックするが、毎回スルーされてしまう。そんな2人のもとに秋人に思いを寄せる美少女たちが次々と集い、奇妙な共同生活がスタートする、というもの。
どこからどう見ても「妹もの」と「ハーレムもの」のフォーマットを踏襲した設定であり、お察しの通り、毎回何かしらの「ラッキースケベ」イベントが発生。ヒロインたちが若い肢体を惜しげもなくモニターに晒してくれる。
ところが、唯一の男性キャラである主人公・秋人君は、美少女たちのアタックに対して眉一つ動かさず、圧倒的なスルースキルを発動するのだ。甘い言葉を囁こうが、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしようが、水着に着替えようが、全裸になろうが、まったく動じることはない。草食系どころか賢者系男子とでも言うべきか。
とりわけ実妹の秋子に対するスルーぶりは群を抜いており、この先、どんなことがあろうとも秋人と秋子の禁断のラブ展開が起こることがないと視聴者に確信させてくれる。ある種、この秋人のリアクションが「本作はあくまでもコメディである」「一線は越えない」「ドロドロのシリアス展開はない」という安心感を作品に与えており、それゆえに難攻不落の主人公にあの手この手で迫るヒロインたちの姿は、よりかわいらしさと滑稽さが強調されるのだ。
通常、この手の作品は主人公がヒロインたちに振り回される一方、ヒロインも主人公に惹かれていくがゆえに挙動不審になっていく。この微妙な駆け引きがドラマを構成する要素となるのだが、本作に関してはそんな要素はほぼ存在しない。基本的にのれんに腕押しな秋人にアタックするヒロインたちが、そのスルースキルの前に一方的に自爆していくコミカルな姿が延々と描かれるのだ。
こういうと、「内容のない作品だ」と思われるかもしれないが、その通りである。例えるならば、猫カフェにて自分の周りで戯れる子猫たちを見てニヤニヤしている感覚とでもいうか。誰も傷つかない世界でじゃれ合う美少女たちの姿を、遠くから「この子たちはおバカでエッチでかわいいなあ」と愛でるのが本作の正しい楽しみ方なのだ。かわいいものを楽しむのに理屈などいらないのである。
もう一つのポイントが、秋子を演じるのは、本作がデビュー作となる現役女子高生声優・木戸衣吹ということだ。はっきり言って、DT男子の妄想と欲望の塊のような本作。もちろん過剰なお色気シーンもあるのだが、そのメインヒロインを、まだまだあどけなさの残る15歳が演じるなんて! どんな状況でアフレコが行われているのだろうか、と想像するだけでもご飯三杯はいけそうである。とはいえ木戸の演技は、とてもデビューしたてとは思えないほど安定感抜群。今後、彼女のさらなる飛躍にも期待がかかる。
このように能天気で、下半身方面への欲望に忠実なエンタメ作品である『おにあい』だが、最終話近くで急にとってつけたようなシリアス展開になりがちなのが、昨今のラブコメアニメの悪いところだ。物語に起伏をつけ、ラストを盛り上げるためには仕方のないことかもしれないが、終盤の唐突なシリアス展開はそれまでの作品の雰囲気をぶち壊しにしてしまう諸刃の剣でもある。
ここは一つ、「ただひたすらに萌えさせる」という初志(勝手に決め付けているが)を貫徹して、最後まで我々視聴者をヌルく楽しませてほしいものである。
(文=龍崎珠樹)
◆「週刊アニメ時評」過去記事はこちらから
「“メンバーが住職に”は本当か」ファンキーモンキーベイビーズ解散理由に疑問の声

ファンキーモンキーベイビーズ 公式ブログより
今年のNHK紅白歌合戦にも出場する3人組ヒップホップグループ・ファンキーモンキーベイビーズが、来春のコンサートツアー終了をもって解散することを発表。メンバーであるDJケミカルが実家の寺を継ぐことが理由というが、一定の人気を保った状態での解散劇に、音楽業界では驚きの声が上がっている。
「ファンモンは、CDセールスは落ちているものの、抜群のコンサート動員力を持っているグループです。横浜アリーナや大阪城ホールを年1回ペースで回れるグループなど、今のJポップ界の中堅・若手では数えるほどしかいない。所属事務所は、彼らと平原綾香で持っているような会社なので、相当引き留めたはずだが、本人たちの意志が固かったということでしょう」(ほかのレコード会社関係者)
DJケミカルの実家が寺であることはファンにも広く知られており、今回の解散発表に対しては、ネット上で「住職を継ぐなら仕方がないな」「DJケミカルは、やはり重要キャラだった」と温かく受け止める向きも多いようだ。もっとも、レコード会社や所属事務所が直面する“収益機会損失”を考えると、その解散理由を額面通りに受け取りにくいのも事実。
「DJケミカルは“DJをしないDJ”として、ライブでは常に人気者でした。音源制作にも関わるなど重要なメンバーであるのは間違いないのですが、彼の脱退イコール解散というのは腑に落ちません。そもそも住職をやりながら音楽活動を続けることも可能ですし、以前からささやかれていた2人のメンバー(ファンキー加藤、モン吉)の方向性の違いのほうが、解散理由として大きいのではないか。ファンキー加藤とモン吉は性格的に水と油といわれていて、何かとぶつかっていましたから。後輩であるDJケミカルはグループの潤滑油的な存在で、今回の解散理由も、後輩としてかぶったのでは」
(イベンター関係者)
いずれにしても、今回のファンモンの解散で、所属のドリーミュージックは“稼ぎ頭”を失い、場合によっては経営困難に陥る可能性さえあるという。
「元エイベックス社長の依田巽氏が実質的なオーナーを務めるドリーミュージックは、音楽業界の名物プロデューサーを多数雇用し、加山雄三や森山良子らが所属していますが、売れ筋の若手があまり育っていません。平原綾香とファンモンで長く引っ張ってきたものの、ファンモン脱落となれば会社組織の縮小さえも視野に入ってきます。それを回避する意味でも、ファンキー加藤とモン吉がそれぞれ、ソロかユニットを組んで活動を開始するのでは? と見られています」(先のイベンター関係者)
CDやダウンロードなどの音源販売の不振が続く中、ファンモンのように“客の呼べる”グループの解散は、業界全体にとっても痛い話。DJケミカルのように、観客に愛される“賑やかし”の登場が望まれる。
(文=越谷由紀)
ニクいぜ、グリコ! 話題の「グリコピア・イースト」でわくわく工場見学

“ゴールインマーク”と一緒に記念撮影!
ゆるいものならなんでも大好き♪ ロリ顔ライター・朝井麻由美が気になるスポットをご案内します。
「工場見学」という仕組みを考えた人を胴上げしたい、と常々思っている。それくらい、工場見学の面白さに絶対の信頼を寄せているのだ。工場見学がなぜ楽しいって、企業側が全力で来場客を楽しませようと、渾身のホスピタリティを発揮してくるからである。商品ができるまでのまあまあカッコいいマシンを見せて、食品系の場合はいいにおいを嗅がせ、開発における泣かせるヒストリーを聴かせ、見学が終わる頃には購買意欲ゲージが満タンになる。いい気分になった見学客は、帰りにショップでしこたま買い込んで機嫌よく帰る。お互いが幸せな気持ちになる素敵なサイクルではないか。いいようにノセられているとしても、それでいい。好きだ、工場見学。
そんな筆者の工場見学への異常な愛情を満たしてくれそうな施設を発見した。グリコが10月、埼玉県にオープンした『“わくわくファクトリー”グリコピア・イースト』だ。なんと、オープン以来予約が途切れることなく、来年1月までほぼ埋まっている状況だという。“わくわくファクトリー”だなんて、名前からして楽しくないわけがない。文字通り、わくわくしながら取材の日を迎えた。

入り口には、いきなりチョコレートの川が流れていました。わくわく。
■「ポッキーストリート&プリッツストリート」
工場見学といえば、創業者のドキュメンタリーが流れて、たいてい機械の説明があって、というのがお決まりのパターン。「グリコピア・イースト」でもその流れにのっとり、創業者・江崎利一氏の苦労話ドキュメンタリーから始まった。続いて、チョコレート菓子の工場といえば欠かせない、カカオ豆からチョコレートを練るまでの過程の紹介映像。これらを15分近く見た後、プリッツ、ポッキーのそれぞれの工場(「ポッキーストリート&プリッツストリート」)へ。

「グリコピア・イースト」のアテンダントは軒並み美人。

こねられた生地がパスタのように流れてきた。

45mのオーブンで約4分間焼かれたプリッツがこんがりお目見え。
ホースの先にあるノズルから調味料をかけて味付け。
■レトロ体験&展示「グリコタウン」
『グリコピア・イースト』では、20人程度のグループで見学するのだが、ポッキー・プリッツ工場では、機械の一挙一動に子どもが大はしゃぎする一方、大人は「社会科見学を思い出すわ」とでも言いたげにクールな顔でさらりと見て回っているのが印象的だった。それが、この『グリコタウン』では攻守交代である。グリコ名物「映画付きグリコ自動販売機」(昭和6年のものを復元)が置いてあるのに思わず頬が緩む中年以上。しかも、実際に当時の硬貨である10銭を入れれば、約20秒間映画が流れた後にちゃんとグリコが出てくる。

「グリコを続けて5~6個買うと、映画を最後まで見ることができました」
とアテンダントさん。商売上手な仕組みである。

グリコと2銭のお釣りが出てきた。自販機で買うと、
通常10銭のところが割引で買えるのだ。
さらに、追い打ちをかけるように、大正10年から現在に至るまでのグリコのおもちゃを、年代順に1500点展示。よくよく観察していると、それぞれ自分が遊んだことのある年代の場所で足を止めているようだった。
■クイズ番組を体感! 『スタジアムホール』
ニクい演出ですっかり全員が童心に帰ったところで、ファンシーな映像を見ながらのクイズにチャレンジ。2人1組で席に着き、おとぎの国へ出発するとクイズスタート。クイズ内容は、「今までの見学をしっかり聞いていたかナ?」と言わんばかりのグリコ知識問題の連発だった。全然ファンシーじゃない……。「ファンタジープラネットに着きましたよ! さあ、最初のクイズを探しましょう!」とメルヘンなアナウンスに油断していると、筆者のようにポカミス連発で参加者ランキングで最下位になるので注意が必要である。

クイズは3択で、目の前にあるボタンを押す。
クイズ番組にありそうなグラフィックで乗り物を操作するようなシーンもある。
最後に、「フォトスタジオゾーン」にそびえ立っていた“ゴールインマーク”と一緒に記念撮影をしてシメ! と、思ったのだが……
なんと、芸が細かいことに、帰り際に寄ったお手洗いまで“ゴールイン”していたのだった。

赤ん坊も“ゴールイン”。
●わくわく度
★★★★★
工場の様子もさることながら、昔を再現した「グリコタウン」に、本格的なCGクイズが体験できる『スタジアムホール』とわくわく続き。やはり、工場見学というレジャーにハズレはないのだ。ちなみに、下の写真は、唯一の有料コーナー「ミニファクトリー」でポッキーをデコレーション中の様子。チョコペンやデコレーションシュガーを駆使して張り切ってデザインしたものの、結果はこの通り。我ながらコメントのしようがない微妙すぎる出来に心底困惑……。「ワクワクさーん……その変なポッキーなぁに~?」

自分だけのオリジナルポッキーを作れます。
「どう見ても確信犯!?」AKB48増田有華が示した“辞めたきゃ男と撮られればいい”という危うい指針

『AKB48生写真アイドルとグアムで
恋したら【増田有華】』
AKB48・増田有華とDA PUMP・ISSAの“自宅デート”の模様が29日発売の「週刊文春」(文藝春秋)で報じられた。記事によると今月7日、AKBの劇場公演を終えた増田がISSAの自宅マンションに直行、一夜を共にしたという。出入りする2人の写真も掲載されており、言い逃れできない内容。結果、増田は28日夜に自身のブログでこの一件を謝罪し、AKB脱退を発表した。
一方でISSAには昨年12月20日に婚約発表した女優の福本幸子がおり、一部では増田の“不倫”や“略奪”もウワサされたが、双方の所属事務所はこれを完全否定。ISSAの所属事務所によると、福本とは増田と撮られる前に婚約解消していたという。
増田も29日にあらためて自身のブログを更新し「ISSAさんはあくまでも、共演者の中の一人で私にとっては、お兄ちゃんのような存在で、恋愛感情は一切ありません」と否定した。だが、増田を知る人物の1人はこう反論する。
「2人がラブラブだったことはファン間では知られた話。舞台共演で急接近し、稽古が終われば堂々と食事に出掛けていた。そこにスタッフが同席するパターンもありましたが、2人きりで手をつないで歩く姿も目撃されていました」
あまりにも堂々とした2人のふるまいに、増田の“確信犯”を指摘する声も上がっている。
「実は、ずいぶん前から増田はAKBを辞めたがっていたんです。こないだの『じゃんけん大会』にも出ていないのは、そのため。活動意欲がなくなったというより『女優として独り立ちしたい』という気持ちのほうが勝っていた。今回の件も、どう見ても確信犯としか思えない」(同)
別の関係者も「恋愛禁止という鉄の掟に渋々従うメンバーが多い中、彼女だけは以前から『女なんだから恋愛くらいする。禁止される意味がわかんない!』と、こぼしていました。実際、ISSAさん以外の男性ともウワサになっていましたよ」と明かす。
そうした経緯から、今回のスキャンダルは、本人にとって「渡りに船」の部分もある。事実、29日に行われた劇場公演で増田はISSAとの件を詫びつつも「(AKBの活動を)辞退するというふうに言わせていただいたのですが、私自身、歌やお芝居やいろんなことをいろんな目線で学ばせていただいて、また新たにもっともっと勉強したいと思い、ちょうど卒業のことを考えていた時期でもありました」と心境を語った。
かわいそうなのはファンだ。「彼女と握手するために新曲○枚買った」という人も大勢いる中で、あっさりと男性スキャンダルで脱退されては気の毒としか言いようがない。「AKB辞めたきゃ、男と撮られればいい」。増田の一件が、悪しき慣習にならなければいいが……。
小島慶子の幻影を振り払う、赤江珠緒の「うっかり道」『たまむすび』

TBS RADIO 『たまむすび』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。
どこの世界においても前任者の残したイメージというのは非常に厄介なもので、後を継ぐ人間は、同じ路線を歩くのか、まったく別の路線を切り拓くのか、という厳しい選択を迫られることになる。しかも受け手はわがままなもので、常にその両方を望んでいる。ラジオの世界において、近年もっともそんな厳しい状況からスタートしたのが、『たまむすび』(TBSラジオ 月~金曜13:00~15:30)という番組だろう。
『たまむすび』は2012年4月、『小島慶子 キラ☆キラ』の枠を引き継ぐ形でスタートした。無論まったくの別番組なのだから、「前任者」という言い方はふさわしくないのかもしれない。しかし『たまむすび』開始当初、聴き手が明らかに「小島慶子的なもの」を求めていたという意味では、小島は前任者以上の存在だった。
番組は月~木曜を『モーニングバード!』(テレビ朝日系)でおなじみのフリーアナウンサー赤江珠緒が、金曜をTBSアナウンサーの小林悠がパーソナリティーを務め、曜日ごとに変わるパートナーとの2人体制で進めていく形をとっているが、パートナーのうち月曜担当のビビる大木と木曜担当のピエール瀧は『キラ☆キラ』から引き継いだ形であるため、『たまむすび』は“『キラ☆キラ』の後継番組”というイメージが余計に強くなってしまった。
番組開始直後、いち早く小島の幻影から抜け出したのは、皮肉にも金曜の小林悠×玉袋筋太郎コンビのほうで、「スナックママ×スナックの常連客」という初期設定が意外にも見事にハマり、初回から『キラ☆キラ』とはまったく別のベクトルを打ち出すことに成功した。
一方で月~木曜の赤江のほうは、「何事に対しても小島的な強い自己主張を求められているのに、その期待にうまく応えられない」という状況に陥っていた。実際、赤江のリアクションには、「へぇ~」「ふ~ん」「なるほど」といった相槌の言葉が多く、その先の感想や主張が特に出てこないという場面が続いた。
ただ、ここで改めて考えなければいけないのは、「じゃあ自己主張があればいいのか?」という問題である。そしてその先には、「小島は本当にそんなに最高だったのか?」という問題が横たわっている。そもそも受け手の期待がお門違いだったという可能性だって、充分にあるのではないか?
僕は小島のことを、「普段は厳しいが、時に生徒の趣味に理解を示す生徒指導の先生」のように感じていた。正義感が強くなかなか意見を曲げないが、生徒のバンド活動や休み時間の遊びには意外と寛容で、気が向くと自分も飛び入り参加したりするという、ある種、漫画的な人気教師のキャラクターである。自分が生徒であった頃には面倒な教師だと感じるが、卒業後に思い返すと、叱られたときの理不尽な気持ちも授業中の無闇な緊張感もすべてがいい思い出になり、卒業生が訪ねてくるタイプだ。
確かに、それはもちろん人気者の一つの典型ではあるのだが、同じくTBSラジオでパーソナリティーをしている伊集院光や爆笑問題の太田光、おぎやはぎの小木が公言しているように、小島を苦手だという人も多く、彼女の自己主張は面白いこともあれば、いきすぎて説教臭く感じることも多い。それに対し番組内で「オジキ」という愛称を授けたライムスター宇多丸はさすがの慧眼だが、『キラ☆キラ』とはつまり、「小島という教師が、サブカル畑のパートナーやリスナーという生徒たちを相手に、自分の意見・主張をぶつけていく」という対立構造を原動力としていた。意見の対立は大きな熱を生みだすから、SNS上でも派手に盛り上がりやすいし、逆に厳しい先生が生徒の意見をすんなり受け入れた際には、それはそれで珍しい出来事として価値が上がり話題になる。
もちろん、そういう形を全否定するつもりはない。その代わり、全肯定するつもりもない。「小島が『キラ☆キラ』で作り上げた形は、けっして唯一無二の理想形ではない」ということだ。ラジオの世界はもっと広い。そういう意味で、『たまむすび』の中で赤江は、ようやく自分なりの形を見つけ始めている。
その変化のきっかけとして象徴的なのは、10月から始まった「おばあちゃんのつぶやき!」というコーナーである。南海キャンディーズの山里亮太をパートナーに迎えた火曜日の14時台最初に配置されたこのコーナーは、老婆のナビゲーションで番組レギュラー陣の問題発言やミスをわざわざ紹介して糾弾していくという、正直「内輪ウケ」のコーナーである。
要はNG集のような企画なのだが、この揚げ足取りのようなコーナーが『たまむすび』全体の、さらには赤江というパーソナリティーの魅力を確実に掘り当て、凝縮しているのである。特に赤江の、番組開始当初の集中力が完全にどこかへ飛び去ってしまったかのようなミスや思い違い、いい加減な発言が妙に光り輝いており、早くも「女高田純次」の称号を授かってもいいのではないかというレベルにまで接近している。「ビートルズのメンバーの名前は?」と訊かれて、「ポールとマッカートニー」と回答。読むべき原稿をすっかり見失って「ペラペラペラ」とあちこち探しまわる音のみ長時間響かせる。「『モーニングバード!』で木みたいな服着てたよね」と他番組でのファッションセンスまでもイジり倒される。「天然ボケ」というよりは、単純に「かなりいい加減な人」という印象で、テレビや『たまむすび』開始当初のイメージからは相当な飛距離がある。そしてその隙が、不思議と彼女の人間的魅力につながっている。
赤江は以前、「子どもの頃にセミを取ってパンツに入れていた」というエピソードを披露したことがあって、そこには天然系のポテンシャルが垣間見えたが、確率的にはまぐれ当たりのようなものだった。しかしこのコーナーに触発されたのか、近ごろは安定して「うっかりミス」を供給するようになっており、ユーミンの好きな曲を訊かれて「卒業アルバム」(正解は「卒業写真」)、「ラマーズ法」を「サマーズ法」と言い間違えてみたり、「オリンピックのタイミングでつい巨大な世界地図を買ったが、デカすぎて貼れずリビングに放置」という向こう見ずな行動を告白したりと、完全にパンドラの箱を開けてしまった無双状態になっている。
何よりも人間的魅力が番組の面白さに直結しやすいラジオというメディアにおいて、パーソナリティーがどこまで心の扉を開いていくのか、あるいはリスナーやスタッフの力で開かれていくのかというのは重要なファクターだが、その開き方も、開くタイミングも、人間の一生と同じく千差万別である。もちろん自力でガンガン開いていく小島のようなタイプの人もいるし、一枚も開けずに番組が終了してしまう人もいる。だが、前任者の残したインパクトの大きさを考えると、赤江が開始半年にしてようやく離陸したのは必然ともいえるだろう。赤江珠緒には新しい「昼の顔」となるべく、「うっかり道」を迷わず邁進してほしい。その先にはきっと、小島とはまったく似ても似つかない「向こう側」が見えてくるはずだ。
(文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>)
◆「逆にラジオ」過去記事はこちらから
「取材中もタバコをスパスパ」9勝6敗の新横綱・日馬富士の“朝青龍化”が止まらない!?

日馬富士 公式ブログより
新横綱となって初めて臨んだ九州場所を9勝6敗で終え、早くも「引退説」がささやかれている日馬富士。終盤の5連敗は横綱が番付に載った1890年以来初めてで、10勝未満も87年九州場所の大乃国以来25年ぶりの不名誉記録となった。
千秋楽結びの一番で横綱白鵬に敗れた日馬富士は「一生懸命やった結果。もっと体と心を鍛えて頑張っていきたい」とサバサバとした表情で話したが、角界関係者の間では“朝青龍化”を指摘する声も上がっている。
同じモンゴル出身の朝青龍と日馬富士の師弟関係はつとに有名。一説には「朝青龍に逆らえない理由がある」そうで、「日馬富士の親族がモンゴルで遭難した際、朝青龍が軍部を動かして、その親族を救出した」ともウワサされている。
朝青龍が現役の頃はよく一緒に飲み歩き、“先輩”の不祥事をもみ消す役割もこなしていたという。ワイドショー関係者は「数年前に週刊誌で朝青龍が某グラドル相手にレイプ未遂騒動を起こしたと報じられましたが、そのグラドルを朝青龍に紹介したのが日馬富士。こうした背景もあり、日馬富士が“朝青龍化”するのは時間の問題とも言われていた。
相撲ライターの1人はうんざりした様子で「タバコをスパスパ吸いながら取材に応じるし、朝稽古には連日の深酒を理由に来ないこともある。あの“問題横綱”に似てきていますよ……。親方が日馬富士に厳しく指導できないところも似ている」と語る。国技はいったいどうなってしまうのか──。
NHK『紅白』K-POPゼロに韓国メディア猛反発 過激報道の裏に「反日感情を煽る」意図も?

第63回 NHK紅白歌合戦
大みそかの『第63回 NHK紅白歌合戦』の歌手発表が26日、東京・渋谷区の同局で行われ、今年はK-POP歌手の出場がゼロであることが発表された。これに対し、韓国メディアが猛反発している。
10月24日の定例会見で、NHKの放送総局長が「政治と文化は違う」と話したことから、一時は韓国メディアも楽観視し、昨年の東方神起、KARA、少女時代の3組を上回る出場を期待する声も上がっていた。しかし、フタを開ければ出場歌手はゼロ。NHKは「領土問題の影響はなかった」と説明したが、韓国3大紙は懐疑的な見方を示している。
中央日報は「本当に独島問題と関連しないだろうか」と疑問視し、韓国人歌手は領土問題の影響で「紅白から排除された」と断定。朝鮮日報も「韓国歌手ボイコット宣言なぜですか?」、東亜日報も「K-POP歌手の出演が排除された」と同様の論調で展開した。
韓国のネット上でも「政治問題を文化の世界に持ち込むな!」「鎖国的な国だ!」といった反発の声が上がっているという。
NHKは落選の理由について「本年度の活躍が(昨年に比べて)落ちている」と説明したが、韓国3大紙は「むしろ今年のほうが日本でブレークしている」と主張。その根拠として、東方神起は今年日本ツアーで55万人を動員し、来年には5大ドームツアーが控えていること。KARA、少女時代も10万枚以上アルバムを売り上げ、日本レコード協会からゴールドディスクを獲得していると指摘するなど、一歩も譲らない。
これに韓国在住の音楽ライターは「最初から領土問題が理由ということは分かりきっていること。それを騒ぎ立てることで、さらに独島問題への関心を引こうとしているのでしょう。韓国では大統領選も始まりましたしね。紅白を使って反日感情を煽り、国民を鼓舞する狙いがあるのでは?」と推測する。結局、紅白を政治利用しているだけのようで……。
“使い捨て”ファストファッション人気を支える、新・生産国の劣悪な労働環境

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11月24日、バングラデシュの首都ダッカ郊外にある輸出向け衣類製造工場で火災が発生。工場内で働いていた貧困層の若い女性を中心に、120人以上が死亡する大惨事となった。
9階建ての工場内には、火災時の非常口が備えられていなかったという。火は地下から一気に広がり、犠牲者の多くは火の手から逃れようと、上層階から飛び降りて死亡したものとみられる。
この工場では、世界最大のスーパーマーケットチェーン「ウォルマート」やヨーロッパのアパレルチェーン「C&A」などに製品を納入していたことが明らかになっており、下請けに対して圧倒的な立場にある巨大クライアントの企業責任を問う声も上がっている。
人件費の安さから、中国に代わる世界の工場となりつつあるバングラディシュには、ファストファッションを中心に、世界のアパレル企業が生産や調達の拠点を構えている。日本企業としては、2010年にユニクロが進出している。
しかしその一方では、危険で劣悪な労働環境が問題視されている。バングラデシュ国内の輸出向け衣類製造工場では、06年以降、火災だけで700人以上もの労働者が死亡しているのだ。そんな危険な環境で働く彼らの最低賃金は、月収にして3500円ほどで、苦しい生活を強いられている。
今回の火災をきっかけに、国内では同じく衣類製造工場で働く工員らによる、労働環境と待遇の改善を求める抗議デモが散発している。労働者らによる反発を受け、繊維業者らによる業界団体は、火災犠牲者への補償を支払うことを決定。しかしその額は10万円ほどにすぎないという。
手ごろな価格で、使い捨て感覚で楽しまれることも多いファストファッション。消費者あっての雇用であることも確かだが、そうした低価格の裏には、劣悪な環境と待遇での労働を余儀なくされている貧しい人々がいることを知っておくべきだろう。
(文=牧野源)
単なるすごろくを超えた、プレイヤー同士の白熱バトル「パーティジョイ」今昔物語

アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!
ガンダム、キン肉マン、スーパーマリオといった人気キャラクターや、探偵、怪談、冒険など子ども心をくすぐるテーマで作られたボードゲームを、わずかB5サイズのボックスに凝縮した「パーティジョイ」シリーズを覚えている者は幸せである。心豊かであろうから……。
というわけで、今回振り返るのは、株式会社バンダイが80年代初頭から90年代初頭にかけて発売していたボードゲーム「パーティジョイ」シリーズだ。1000円というお手ごろな価格や、さまざまなテーマや題材をありとあらゆるアイデアでゲーム化した「パーティジョイ」シリーズは、およそ10年の歴史の中でなんと130タイトル以上も発売。ボードゲームのブランドとしては驚異的なロングランシリーズとして、僕たちを大いに楽しませてくれた。
今回はそんな「パーティジョイ」シリーズ初期から終焉まで、数多くのタイトルを制作していたひとりである野村紹夫氏に「パーティジョイ」の裏話を聞いてみた。
■白熱のゲームを生み出した、「本気」の制作現場

野村氏がまず見せてくれた代表作は「キン肉マン」シリーズ。厚紙で実際にリングを組み立てて、その上でプレイヤーたちが火花を散らす……という「キン肉マン・ザ・ファイナル・ウォーズ」や、縦に伸びる立体的な盤面が特徴的な「キン肉マン・地獄のタイトルマッチ」など、単なるすごろくゲームと言い切ることのできない、原作のテイストを多分に盛り込みつつ、ビジュアル的に楽しく、何よりプレイヤー同士の熱い駆け引きを実現したタイトルばかりだ。
「パーティジョイ」シリーズの魅力といえばコレである。「パーティジョイ」シリーズには、原作のテイストを盤上に再現するべく、ただのすごろくに終わらない制作者の創意工夫と熱意がこれでもかとばかりに凝縮されていたのだ。そんな懐かしさと色あせないゲームの魅力に満ちた「パーティジョイ」シリーズに野村氏が関わるようになったのは、20番の頃からだそうだ。
「最初は参加していなかったので分からないのですが、シリーズ20番くらいから100番あたりまでは非常に盛り上がってましたね。売り上げも比較的良かったですし、バンダイの担当者の方も本気でしたから、中途半端なものを持っていったら『ふ~ん、こんなもんか』って鼻で笑われてしまうんです。その顔が見たくないからこっちも本気でやるという感じで、必死で作りましたね」

野村氏は、当時を懐かしむようにそう語る。そんなゲーム好きなスタッフ同士のガチンコのぶつかり合いから「パーティジョイ」は生まれていたそうだ。
「『パーティジョイ』を指揮していたのはバンダイ栃木工場で、実際に制作を受け持っていたのは自分が当時働いていたM社(今はもう存在していない)とS社の2社でした。聞いた話では、S社は1つのゲームをチームで担当するスタイルで、主に正統派なすごろくゲームの発展型を作っていたのですが、うちは基本的にひとり1タイトルずつ担当していました。だからなのか、わりと作家性の強い、実験作みたいなものが多かったと思います」
そんな「パーティジョイ」のリリースペースは、ほぼ月1~2本というハイペース。必然的にゲームの制作ペースも早くなる。
「同時にいくつも並行していたので正確なところは分かりませんが、概ね3カ月かからないくらいで1本作っていました。ゲームを出そうという企画が立ち上がって最初の1カ月以内にゲームルールと説明書原稿を作って、次の1カ月でデザインから版下までを作って、最後の1カ月で生産という流れでした。何かウケそうな話題があれば、とりあえずそれで『パーティジョイ』を出すという雰囲気はありましたね。『パーティジョイ』って、そのキャラや題材が売れるかどうか、様子を探る斥候みたいなもんだったんですかね」
「パーティジョイ」に携わっている期間、野村さんは年がら年中ゲームばかり作っていたという。
■最大のライバル「ファミコン」の出現

野村さんの思い出の作品は、1984年に発売された、初めてひとりで制作したというオリジナルタイトル「日本全国ミケ猫トマトの配達屋さんゲーム」だそうだ。宅配ドライバーになったプレイヤー同士で荷物を奪い合い、目的地に届けるというシンプルながらエキサイティングな内容は、社内でも非常に高い評価を得たらしい。本作のキモは、なんといっても「ギリギリの駆け引き」だそうだが、その精神はほかのタイトルにも息づいている。
当時、急激に勢いを増しつつあったファミコンを題材にしたゲームも多数制作されたそうだが、その中でも特に自信作なのが、同名のファミコンゲームを題材とした「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」。妖怪が左右から襲ってくるというスピーディな横スクロールアクションゲームをボードゲーム化する際、野村氏はほかのプレイヤーが振った目で妖怪も動く、というアイデアを盛り込んだ冒険ゲームに仕上げた。
その結果、自分以外のプレイヤーの番でも目を離すことができないという、原作のゲームとはひと味違う非常にスリリングな展開が可能となった。

「ファミコンはファミコンだから面白いんです。ただマップを進んで敵がいたから倒しました、というボードゲームにしても面白くならない。だから、絶対に目を離せない恐怖に駆られるゲームを作りたかったんです。一晩中ファミコンをプレーして、鬼太郎の“怖い”ってなんだろうというのを考え抜いて、ゲームで出せる怖さを追求しました。そんなふうにボードゲームならではの面白さを出すために、題材とするファミコンゲームとは異なるテイストに変えさせてもらうこともありましたね」
ボードゲームを作る上でのこだわりとプライドが感じられる一方で、こんな言葉も飛び出した。
「ボードゲーム屋としては、そもそもファミコンに負けるっていうのは分かっていました。80年代半ば頃には、すでにボードゲームは時代遅れだったんです。そんな中でコンスタントにシリーズとして発売していたのはバンダイくらいで、ほかのメーカーはそんなに力を入れているわけではない。やっぱり紙ものってそんなに高級感もないし、いざとなったら自分でも作れるだろう、みたいな意識があったのか、バンダイ社内でもそんなに評価はされてなかったですね。むしろ、ファミコンにいつまで対抗できるかという勝負なところはありました。ただ、バンダイの歴代担当者にどれだけ情熱があったかはわかりませんが、我々は1本1本に誇りを持って作っていました」
そんな敗色濃厚な戦いに挑んだ野村氏をはじめとする「パーティジョイ」スタッフだが、シリーズはファミコン全盛期の80年代を生き抜き、スーパーファミコンの時代となった90年代初頭まで存続。結果的に次世代ゲームの時代まで孤軍奮闘し、ひっそりと終焉を迎えた。
「たぶん対抗できていたのは85~86年くらいまでではないですかね。ただ、ファミコンはひとり1台買えば楽しめましたけど、『パーティジョイ』は1個あれば最大4人遊べますから。そういう意味では、売れた個数「×4」でカウントすれば、いい勝負をしていたと思います(笑)」
そう野村氏は、激戦を戦い抜いた戦士のような穏やかな口調で語った。
■「パーティジョイ」の終焉と、その後
ドンジャラやルーレットゲームなど、その他大勢のパーティゲームとは一線を画すブランドとして存続していた「パーティジョイ」だが、次第にこだわりを持つ関係者が減っていったことや市場の縮小、バンダイ側も含めた体制の変化もあり、シリーズは「すーっと終わっていった」そうだ。

「ファミコンなんかのデジタルなゲームに押されるボードゲームの火を絶やさない、なんて意識もありましたけど、独りよがりですよね。実際、世の中にボードゲーム待望の空気はありませんでした。作っている僕らはボードゲームが好きだし、子どもたちからも『パーティジョイクラブを作りました』というお便りをもらったこともあるくらい手ごたえはあったのですが、だんだんそういう子たちも卒業していって、ファミコンで育った子達と世代交代して『パーティジョイ』なんか知らない子たちが増えて、やがて消えていくんだろうなと、そういう意識の中であがいてました」
そんなボードゲーム愛と確実に存在するユーザーへの思いを糧に、「パーティジョイ」を作り続けた野村氏だが、現在もボードゲームを追いかけているゲームファンから「当時遊んでいた」という声をもらうことがあるそうだ。

野村紹夫氏
「当時僕たちがつけちゃった火が、まだくすぶっている人たちが多くいるんですよね。当時、他社は簡単なすごろくばっかりだったんです。でも、マスに止まったらそれっぽいことが書いてあるだけっていうのが、すごく嫌だったんです。『キン肉マン』のゲームならキン肉マンになりたいんであって、お話をマスでなぞりたいんじゃない。だから安易なすごろくは作らないと心に決めていました。ただ、周囲の一部から、子どもには難しいんじゃないかとか、もっと単純にしないと面白くないんじゃないかとは言われていましたね。そういう言葉に必死に抵抗していたのですが、今になって『やっぱりこだわってよかった』って思います。あれがただのすごろくだったら、今まで引っ張ってもらえなかったと思います。大人げないですけど(笑)」
野村氏を含むゲームデザイナーたちが、さまざまな相手と戦い生み出した数々の「パーティジョイ」の魂は、今も多くのゲームファンの心に焼き付いているのだ。
現在、大手玩具メーカー以外にもインディーズ系のメーカーや同人サークルからさまざまなタイトルが発表され、密かに盛り上がりつつある日本国内のボードゲームシーンだが、その源流はもしかしたら「パーティジョイ」にあるのかもしれない。
取材の終盤、今はボードゲーム制作からは遠ざかっている野村氏に、今後再びボードゲーム制作に挑戦する予定はないのかと尋ねてみた。
「自分も、またゲームを作ろうかなと思っています。去年から考えてはいるんですけど、仕事が忙しくて……。ただ頭の中ではアイデアを温めています」
この盛り上がりを知る野村氏も、ボードゲーム熱が再燃しつつあるようだ。その日を待ちながら、久しぶりに友達と顔を突き合わせて「パーティジョイ」でガチンコ勝負するのも一興かもしれない。
(文=有田シュン)
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