‟児童ポルノ”河西智美に‟ユルユル”増田有華「AKB48はどうなってんだ!?」(1月上旬の人気記事)

ranking0117.jpg  1月上旬の注目記事を紹介する、日刊サイゾー人気記事ランキング。今クールはなんといっても、AKB河西智美の‟児童ポルノ写真集”をめぐる騒動が話題を集めました。そのほか、‟ISSA略奪愛”でおなじみ増田有華や優木まおみなど、肉食女子たちのセキララな私生活も暴露されちゃってます。それでは、早速ランキングをチェックしていきましょう! 第1位 元AKB48増田有華、実は「相当ユルユル」だった! 芸能界追放危機のISSAに同情論も ヤレるアイドル♪ 第2位 エロ過ぎて? AKB48河西智美写真集に「読者からクレーム」も……「ヤングマガジン」発売延期に講談社が回答 炎上アイドル♪ 第3位 AKB48・河西智美の“児童に性器を触らせた”写真集に、当局「出版されるなら逮捕者が──」 これも演出ですか、秋元さん? 第4位 水泳・北島康介とガルネク・千紗 結婚報道では決して伝えられない“六本木人脈”の闇 六本木が結んだ愛。 第5位 元旦結婚報道の優木まおみ、その“獣の素顔”「ついに超肉食系女子を卒業か!?」 すっかり出遅れたけど、これでやっとママタレ戦線に参戦! 次点 「ナベツネからのラブコールも……」ゴジラ・松井が日本に戻りたくない、深い理由 妻想いの優しい夫? 次々点 「やはり事務所の内紛が原因……」ジャニーズカウントダウンライブが“残念すぎた”理由とは 見苦しいよー!

リアルに飛び出す物体に大興奮! 赤青メガネで見た、懐かし3D映像スペクタル

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『3D世紀 ―驚異! 立体映画の100年
と映像新世紀』(ボーンデジタル刊)
アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   80年代、藤子アニメ、ディズニーランド、博覧会……。これらのワードに共通する要素をあえて一つ挙げるとするならば、「3D」だ。特製メガネをかけて映像を見れば、アラ不思議! 画面上の物体がリアルに飛び出す3D映像のスペクタクルに、みんな大興奮! そんな80年代は3D一色だった(ほとんどが赤青の2色の世界だったけど)。子ども向け雑誌には毎月のように赤青メガネで3D映像を楽しむ「飛び出す付録」がついてきたものだ。今回は、そんな夢いっぱいな3D映画のお話をしよう。  最初に断っておきたいのは、3D映画に赤青メガネが使用されていたのは日本国内のみだということである。アナグリフ式と呼ばれるこの方式に対して、世界的には偏光メガネを使った偏光式と呼ばれる方式が主流だったそうだ。現在の3D映画もほぼ偏光式で上映されているが、今回取り上げる3D映像、映画は、アナグリフ式がまだまだたくさん作られていた時代の作品だ。  さて、3Dの歴史をひもとくと、その始まりは意外と古く、古代ギリシアにその起源はあったそうだが、実際に「立体視」──飛び出して物が見えるツールの元祖が生まれたのは1832年。イギリスの物理学者チャールズ・ホイートストンが発明した「ステレオスコープ」にある。ステレオスコープはモノクロの静止画が飛び出すといった原始的なツールだったが、ほどなくしてカラー化、そして3D映像の技術が誕生したというから驚きだ。そしてついに1850年にはフランスにて「ビオスコープ」という立体動画を生み出す技術が考案された。  映画の歴史といえば、19世紀後半に発明王エジソンやリュミエール兄弟らの発明に端を発するという説が主流だが、実はそれよりはるか以前に3D映像の歴史は始まっていたのだ。昨年末に発売された世界初の3D映画書籍『3D世紀 ―驚異! 立体映画の100年と映像新世紀』(ボーンデジタル刊)にて、堂々400ページにわたり3D映画の歴史をまとめ上げた3D映画ジャーナリスト・大口孝之氏はこう語る。 「3D映像は映画の創成記よりも前から存在しました。一番初めの3Dムービーカメラがだんだん省略されて、2Dカメラになっていったんです。人間が映像を撮影しようとすると、人間の目をトレースすることから始めるので、なんでも3Dが先行します。2D映画が進化して3Dになると思われがちですけど、実は反対なんです」  つまり、映像の歴史は「3D映画の歴史」そのものでもあったのだ。大口氏は同書において、長い映画史の中で1950年代、1980年代、2005年以降の3次にわたる3D映画の大きなムーブメントが存在していたと語る。
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大口孝之氏
 テレビという新たなメディアの普及で人気を押され始めた映画界の起死回生策として、3D映画が大量生産された50年代。ホームシアターやBlu-rayの普及により映画館に行く必要性を感じなくなった観客を、再び映画館に呼び戻すために3D映画が脚光を浴びるようになった00年代といったように、3D映画のムーブメントの裏には映画界の危機的状況があったそうだが、80年代の3D映画ブームはどういう経緯で発生したのだろうか? 「80年代は、ほかのブームとは少しニュアンスが異なります。ビデオデッキが普及し始めた80年代初頭、アメリカにおいてパッケージソフトとして発売された『IT CAME FROM OUTER SPACE』と『大アマゾンの半魚人』という作品が発売されたのがきっかけです。アナグリフで見る仕組みだったんですが、当時のテレビでは色がにじんだり家によって色がまちまちだったので、ほとんど立体感があるのかないのかわからず、結局商売にならなくて回収されました。ところが、ケーブルテレビで放送されると、わりと好評でした。その結果、“3D映画は商売になるのでは”と判断されて、劇場作品が作られるようになったと考えています」  ビデオデッキの普及とケーブルテレビ放送における成功が、80年代の3D映画ブームのきっかけだった。そう大口氏は推測する。一方、日本での流行は一線を画している。 「日本における3D映像ブームの火付け役は『国際科学技術博覧会』(通称、科学万博-つくば’85)です。富士通パビリオン、住友館、鉄鋼館、日立グループ館、松下館の5つのパビリオンで3D映像が展示され、爆発的な人気を得ました。その原型が1983年に新潟市で開催された『上越新幹線開通記念 新潟博覧会(略称:’83新潟博)』の『あすの新潟館』で上映された、新潟の文化や自然を3D映像で撮影した『はばたきの時 ニイガタ』です」  ちなみに、海外で3D映像作品をビデオでリリースしようという企画を立ち上げた人物も、『はばたきの時 ニイガタ』で使用されたレンズを作った人物も、スチュワーデスのセックス・ライフを描いたアメリカ製3Dポルノ映画『淫魔』(1969年)のスタッフだったそうだ。つまり、80年代の3D映画ブームの陰にエロの力があったということだ。エロ・イズ・ワンダー! エロが3D映画史の1ページを作ったのである。  その後、3D映画は一般劇場用作品としても上映されるようになり、百花繚乱の80年代中盤に突入する。『13日の金曜日Part3』『ジョーズ3』といった人気シリーズの第3弾(映画業界には、なぜかシリーズ第3弾が3D映画になりがち、という法則があるそうだ)をはじめ、数え切れないほどの3D映画が制作された。
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大口氏が選ぶ、80年代を代表する3D映画。
 日本国内では『新立体アニメ オバケのQ太郎 とびだせ!バケバケ大作戦』をはじめとする藤子不二雄アニメが赤青メガネを使った3D映画で多数制作されたほか、新東宝映画が3Dポルノ映画を制作。濡れ場になると、そこでのみメガネをかけるという仕組みだったそうだ。  もう一つ忘れてはならないのが、80年代後半に世界中のディズニーランドを席巻したアトラクション「キャプテンEO」だろう。世界的スターのマイケル・ジャクソンが、歌とダンスで暗黒の女王に立ち向かうという、非常にマイケルらしいドリーミーな内容のミュージックビデオ風映像作品である。ジョージ・ルーカス製作総指揮、フランシス・コッポラ監督という超豪華スタッフによって制作された本作は、90年代後半に一旦クローズされたものの、マイケルの死後である2010年に期間限定で復活。現在はレギュラーアトラクションとなっている。 そんな80年代のバブルムードにシンクロするように、ズズイと画面から勢いよく飛び出し続けていた3D映画たちだが、80年代の3D映画を一言で語るなら……? そう尋ねると、 「劇映画に関しては全部クズ、ですね。一作品たりとて傑作が存在していません。その中で比較的いい作品に恵まれたのが博覧会向け映像や、『キャプテンEO』などのテーマパーク向け映像などです。クズな作品は特にSF作品に多かったのですが、『スター・ウォーズ』がその元凶なのかなと思っています。『スター・ウォーズ』自体はシンプルなお話だけど、ものすごいお金と技術をかけてヒットしたわけですが、“安っぽい映画でもヒットする”と勘違いした制作者たちが、お金も技術もかけないどうしようもないSF映画を大量生産したのが80年代だったんです」 と、大口氏はバッサリ。しかし、その「クズ」という評価は、ジャンクでチープなホビーに胸を熱くさせていた80年代を回顧するこの連載にぴったりではないか! ただ間違いなく言えるのは、ここ最近のゴージャスな3D映画とは比べるべくもないが、お手軽な赤青フィルムの向こうに、かつての僕たちは無限の世界を確かに見出していた、ということだろう。  ちなみに大口氏が3D映像に関心を持つようになったのは、つくば万博で富士通パビリオンの3D映像『ザ・ユニバース』を見たことがきっかけらしい。彼もまた80年代、夢と希望に満ち溢れた3D映像に魅了された一人なのだ(ちなみに『ザ・ユニバース』は1分間あたり1億円という巨費を投じ制作されたそうだ。今で例えるなら、スーパーコンピュータの「京」を1年間専用で回すクラスの超大作だったというから驚きだ)。彼の辛口な80年代3D映画評は、リアルタイムで当時を体験したからこそ言える愛情の裏返し……なのかもしれない。 (取材・文=有田シュン) ◆「バック・トゥ・ザ・80'S」過去記事はこちらから

【逆襲のスター列伝】第2話「吉木りさ~さらけだすことで見えた光~」

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『吉木りさ 2013カレンダー』
(トライエックス)
過去に辛酸を舐めながらも自力で這い上がり、芸能界で光り輝くあの著名人の魅力を、心に茨を持つサラリーマンブロガー・真実一郎が斜め斬り!  2004年のファーストDVD『恋』(ジャパンホームビデオ)で、分厚く巨大なパットを仕込んだ防弾チョッキのごとき水着で上半身をディフェンスした、少し翳のある地味で控えめな17歳。そんな少女が、後に極小紐ビキニがトレードマークのグラビア女王になろうとは、誰が予測できただろうか。  吉木りさがグラビアアイドルとしてデビューした2004年当時は、旧イエローキャブ勢が築いた巨乳至上主義が、まだ強迫観念のようにグラビア界を支配していた。そんな中で、品乳(品のある乳)の持ち主である彼女は肩身の狭い思いをしたことだろう。  『恋』の中では終始自信がなさそうに振る舞い、「水着になろっかな。じゃあ脱ぎまーす。いえーい」と、照れ隠しなのかセリフは淡々と棒読み。水着の面積は大きく表情も硬いので、これでは男たちの欲望のガマガエルは微動だにしない。彼女はグラビア界に居場所を作ることはできなかった。  その後は、ドラマのゲスト出演や演歌デビューなどで散発的なメディア露出はあったものの、スポットの当たらない潜伏期間が長く続いてしまう。そうこうしているうちに、主戦場に選んだはずのグラビア界は、“乳さえデカければなんでもいい”という巨乳の粗製濫造を招いて衰退。時代の主役はグループアイドルへとシフトしていく。  吉木が浮上する契機となったのは、2009年から放映された深夜番組『キャンパスナイトフジ』(フジテレビ系)へのレギュラー出演だった。多くの女子大生を集めたこの狂乱バラエティの中で、彼女は中心的メンバーのひとりとして注目を浴びることになる。しかしここでも、杉ありさや宮崎麗香といった、いかにもスクールカースト上層に君臨していそうな華のある面々に比べると、吉木はどこか一歩引いたポジションに身を置いているように見えたものだった。  彼女は、最新の写真集『吉木りさ×妄撮』(講談社)の中で、こう告白している。 「小さい頃から声が高くて、小中学校はそれでイジメられてました」「進学校を目指している男女が多かった中学のピリピリした環境では、フワフワした私は浮いちゃって……。人づきあいがヘタだし、不器用だし、成績も悪いし、声も変だし、何言ってるかわかんないし……」  リア充女子大生集団に囲まれる環境の中で、彼女は心の防弾チョッキを脱ぐことができなかったのかもしれない。  しかし一方で、グラビア活動に反対していた両親の態度が軟化したこともあり、吉木は再び水着で誌面に登場するようになっていく。「ヤングマガジン」(講談社)や「ヤングジャンプ」(集英社)といったメジャー系青年漫画誌のグラビアはすでにAKB勢に占拠されてしまっていたため、彼女の主戦場は「ヤングアニマル」(白泉社)を中心とする非メジャー系漫画誌とDVDだった。  ここで彼女は、17歳の頃のぎこちないグラビアとはまったく異なるアプローチをとることになる。眼帯のような紐ビキニを着用し、美しいカーブを描く腹部とボリュームのあるお尻を強調したポージングを習得することで、処女と少女と娼婦に淑女が同居した新しいグラビアを表現することに成功したのだ。  グラビア再デビューにあたり、おそらく相当多くのグラビアを研究して、彼女なりに編み出した方法論だったのだろう。2010年に発売した6年ぶりのDVD『セキララ*彼女』(晋遊社)は爆発的なヒットを記録し、アマゾンのレビュー欄も絶賛コメントで埋め尽くされる。  これまで頑なに隠していた胸や、コンプレックスだったという大きなお尻をさらけだすことで、彼女は瞬く間にグラビア女王のポジションへと上り詰めた。「ヤングマガジン」2013年1月1日号の表紙はAKB勢ではなく吉木りさが飾り、「2013年大本命!」という大きなコピーで祝福されている。  活躍の場がバラエティ番組やドラマ、音楽、コラムにまで広がった今、彼女は自身の内面をも存分に解放できるようになった。漫画やアニメ、BL(ボーイズラブ)、グループアイドルなどを愛するオタクであることを公言し、最新シングル「世界は教室だけじゃない」( 日本コロムビア)では、暗黒時代だった自身の学生生活をポジティブに転化して歌い上げる。月刊誌「ENTAME」(徳間書店)で連載するコラム「吉木りさのさぶかるちゅわ~!」でのディープかつ守備範囲の広い文化嗜好を見ていると、今後は中川翔子のような息の長い独自のポジションを獲得するのかもしれない、とも思う。  17歳の時にDVDで「本とか漫画とかいっぱい集めているので、もしも宝くじで3億円あたったら、図書館並みに本や漫画を集めて自由気ままに読んだりしたい」と語っていた、彼女の妄想図書館の扉は開かれた。本当にセキララな吉木りさは、これから始まる。 (文=真実一郎<http://blog.livedoor.jp/insighter/>)

大みそか惨敗の京太郎、早くもボクシングから退散!? ジリ貧の新K-1から復帰オファーも……

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京太郎オフィシャルブログより
 K-1からプロボクシングに転向も、大みそかにふがいない試合でTKO負けした藤本京太郎に、K-1関係者が「戻ってきてほしい」と近く出場オファーをするという。  井岡一翔が2階級制覇した12月31日の大阪、同じ興行に出場した京太郎は、3年ほど空位だった東洋太平洋ヘビー級王座決定戦に出場し、ソロモン・ハウモノ(オーストラリア)と対戦。だが、序盤から手を出さないばかりかリングを逃げ回って場内の観客から大ブーイングを浴び、5ラウンド、ロープを背にして追い詰められたところで右フックを食らうと力なく倒れてTKO負け。  京太郎をボクシングに転向させ、日本人初の世界ヘビー級王者を目指すと大々的に売り出していた萩森健一マネジャーも、さすがに失望。6日付のブログには「日本ボクシング界の歴史において唯一といってよい日本人選手による無気力試合」「人間はどこまで臆病になれるのかに関してギネスブック本部にこの試合の映像を添付して申請すべき、というアドバイスも多くの関係者から頂いております」と皮肉も込めて痛烈に叱咤した。  というのも、この試合は陣営が「勝てる」と見込んで組んだものだったからだ。京太郎が所属する角海老宝石ジムの関係者が明かす。 「昨年9月に5戦目で世界15位の世界ランカーに勝ったんですが、これが穴ランカーというやつで、肩書ほど実力の高くない選手だったんです。京太郎はそれに完勝したんですが、陣営の期待を上回るような内容じゃなかったんですよ。それで大みそかに戦ったハウモノは、それより弱い相手を選んで豪快にKOしてもらおうという算段だったんです」  KO予測の立つ相手ということで、井岡の試合を中継したTBSのボクシング班も内容次第で番組に組み込むプランを立てていたが、あまりにひどい内容だったからか、放送は後の深夜番組に移されている。  陣営からもテレビ局からも見放された京太郎だが、意外にも古巣のK-1からはラブコールがある。同団体の運営関係者は「彼のスタイルはボクシングには向かない。ずっとやってきたキックボクシングでこそ開花する選手。ぜひK-1に参戦して、日本人選手のエースとして本領発揮してほしい」と年内の大会に出場依頼をかけたいという。  K-1は旧運営会社が倒産、韓国の投資家による新体制で再スタートしたが、かつてのような有力選手が集まらず、大みそかにはプロデューサーを務めていた魔裟斗も辞任を発表。このままでは再び沈みかねない状況で、K-1元王者の京太郎は欲しい存在というわけだ。 「聞くところによれば、京太郎がボクシングに転向したのは、旧K-1のファイトマネー未払いで生活苦だったところを拾われたという経済的理由だったそうですから、資本の変わった新K-1なら今のところ条件的な心配はなさそうです」(関係者)  現在、京太郎自身は関係者とも連絡を絶ってジムにも現れていないというが、京太郎と親しい格闘技ライターはK-1復帰の可能性について「リングネームや髪形をコロコロ変えたり、プロレスに行ってみたり、気が変わりやすい人なので、条件さえ良ければ十分ありえる話」と話している。

益若つばさ離婚! 元夫・梅田直樹の周辺が真相激白「益若とNEWS手越に不倫のウワサも……?」

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『うめつば』(大洋図書)
「これから彼の悪評が記事になって出てくると思います」  怒りを我慢したように話すのは、益若つばさとの離婚を発表した梅田直樹の友人男性。実は、この話をしたのは、2人の離婚が表出る前のことだった。 「別居中、梅田クンが仕事をしないで遊んでいるとか、子育てに関心がないとか、さらに浮気しているとか、女性誌などで散々書かれてきました。でも、僕が知る限りそんなことは絶対にない。だいたい、そういう記事を書く雑誌には、益若さんがらみの広告が入っていたりする」  この友人いわく、梅田についてのこうした記事は、離婚を見据えた益若サイドから流されたネガティブキャンペーンだという。この取材後に2人の離婚が発表されたが、友人の言うとおり、再び梅田バッシング記事が一部で出た。その内容は「梅田のほうから突然、人を介して『別れるなら金をくれ!』と言ってきた。それも億を超える金額だった」というもの。  スポーツ紙では、益若が財産分与として3,000万円ほど支払うと報じられているが、友人は「梅田クンから金を要求することなんてありえない」と否定。 「だって、結婚するときに『金はなくてもいいから仲良くやりたい』と、益若が専業主婦になることを結婚の条件にしたぐらいの男ですよ」  益若は結婚当初「一番大切なのは家族」と専属モデルを辞めるなど仕事をセーブする姿勢を見せており、「好きな人のために毎日家事をして、パートに出てもいい」とまで話していたが、実際には産後1カ月で仕事復帰。その仕事量は結婚前より増え、幼い子どもを残して外泊する様子がブログなどでも伝えられた。友人によれば、2人の関係が悪化したのは、これが原因だという。 「梅田クンは『約束が違う』と抗議しましたが、益若サイドの関係者たちに妨害されて連絡ひとつさせてもらえなくなり、子どもにも会わせてもらえなくなったんです」  人気モデルの益若が一度は仕事のリタイアを約束した背景を、友人は「交際前、梅田クンには別の彼女がいました。そこに益若さんが割って入った形になったので、略奪愛に燃えていたんじゃないですか? それで、“家庭に入る”なんて無理な約束もしてしまったんでしょう」としている。 「それをまんま信じた梅田クンも悪いですが、金を生む芸能仕事を辞めようとするのは、業界の人たちを敵に回すことでもあった。益若さんはイメージキャラクターを務めるCMの契約で、離婚の時期まで決められたんです」(同)  梅田はTwitterで「僕は全てをお話してさしあげたいのですが…まぁ大人の事情なので察してください」と口外できない密約が存在することを明言しており、財産分与は形を変えた“口止め料”だとささやかれる。  益若が暴露されたくなかった内容は、各所で彼女を支援する会社社長や、NEWSの手越祐也との不倫だともウワサされているが、友人は「梅田クンは、益若が整形で顔を変えるのも子どものためによくないと反対していた」という話もしていた。その“言い分”がどこまで真実かは分からないが、益若のほうも離婚理由に関しては一切触れていないところを見ると、当たらずとも遠からず“何かあった”のは間違いないようだ。 (文=鈴木雅久)

もう業種自体がオワコン──完全崩壊も間近! エロ、実話誌系出版社が大苦戦!

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「お宝ガールズ 2013年 01月号」
(コアマガジン)
 エロ、実話誌系出版社の崩壊が始まっている。  2010年、アダルト系出版社の老舗・東京三世社が事業を停止し注目を集めたが、それから3年あまりを経て、アダルト系雑誌や実話誌を主力に置いてきた出版社の凋落はとどまるところを知らない。編集部では契約社員やアルバイトは次々とリストラされて手が足りず、雑誌自体のクオリティも落ちていく、負のスパイラルに陥っている。  アダルト系出版社の老舗・サン出版は、所有する自社ビル2棟のうち1棟を売却することを決めた。  同社は昨年、アダルト漫画誌「コミックBugBug」を創刊するも、瞬く間に休刊。担当編集者は「単行本で利益を回収するので、それまでグラビア誌の利益を当て込んでいたが、グラビア誌が売れないので……」と、姉妹誌「BugBug」で告白。業界関係者の間では「衝撃」よりも「やっぱり」と思う者が多かった。  アダルトから実話誌まで広く取り扱うコアマガジンも、惨憺たるありさまだ。同社の実話誌「実話マッドマックス」は、昨年「実話レイジ」に大幅リニューアルするも“大方の予想通り”休刊。「お宝ガールズ」「TATTOO BURST」「劇画マッドマックス」と、怒濤の休刊ラッシュが続いている。実話誌系編集部ではリストラの嵐が吹き荒れており、3月までに編集部員の大半は退社することになっているという。  また「実話ナックルズ」のミリオン出版も昨年、名物編集者の久田将義氏が退社。「漫画実話ナックルズ」が廃刊と、先行きは明るくない。  転職活動を余儀なくされる編集部員たちだが、先行きはまったく明るくないようだ。 「20代はまだ潰しが利きますが、30歳オーバーの編集部員は困難です。不本意ながら、フリーでライターかデザイナーをやるしかなさそうです」(某編集者)  雑誌が次々と消えていく中で、フリーライターやデザイナーは、もっと苦境に立たされているという。 「待っていれば仕事が来る時代が終わって久しいが、営業に回っても仕事がもらえることは少なくなってきました。そろそろ、実家に帰ってパン屋を継ごうと思っています」(中堅のフリーライター)  多くの人材がこぼれ落ちていく、アダルト・実話誌業界。その受け皿は、今の出版界には存在しないようだ。

「繰り返し、繰り返し……」記憶を失ったGOMAがたどり着いた、第2の人生のスタートライン

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撮影=後藤秀二
 2009年11月、ディジュリドゥ奏者のGOMAが首都高速で追突事故に遭い、記憶障害を負った。オーストラリア先住民の管楽器であるディジュリドゥの日本における第一人者として知られ、国内外の大型フェスにも多数参加するなど順調にキャリアを積んでいた彼を襲った突然の事故に、多くのファンがショックを受けた。一時は復帰が絶望視されたものの、リハビリ期間を経て徐々に回復する過程を描いた『フラッシュバックメモリーズ 3D』が、1月19日(土)より新宿バルト9ほかで公開される。  メガホンを取ったのは、サブカル界の新星として脚光を浴びるドキュメンタリー作家・松江哲明監督。「過去」と「現在」という2つの物語をひとつの時間軸で描くこの作品には、本人に対するインタビューは一切登場しない。GOMAとThe Jungle Rhythm Sectionのスタジオライブが「現在」を描き、その背景で事故に遭うまでのGOMAの半生、そして事故から復帰までの道のりという「過去」が、映像や写真、そしてGOMAと妻・純恵の日記を使って映し出される。これまでの3Dとは一線を画す、画期的な映像作品でもある。昨年10月に行われた『第25回東京国際映画祭』では観客賞を受賞し、各所で話題となっている。  GOMAは、撮影時のことは覚えていない。たぶん、このインタビューのことも。なぜなら、事故によって過去の記憶を部分的に失っただけでなく、新しい記憶も定着しづらくなるという記憶障害を負ったからだ。今日の出来事は、1週間ほどしか覚えていられない。どんどん記憶が失われていく時間軸のない世界で、GOMAはひとり生きている。けれど、この映画から伝わってくるのは悲壮感ではなく、強烈なまでの生のエネルギーだ。いったい、この映画はGOMAにとってどんなものなのか、話を聞いた。 *** ――まず、撮影のきっかけから教えてください。松江監督とは、以前からお知り合いだったんですか? GOMA プロデューサーの高根順次さんから僕のドキュメンタリーを作りたいというお話をいただき、彼の紹介で、映画にも出てくる事故後初めてバンドで行ったお披露目ライブに来てもらったのが最初です。しかしこの話をいただいた時、受けていいのかどうか悩みました。本当は言いたくないこと、人には隠しておきたいことも含めてオープンにしていかないと、いい作品にはならない。そういう部分の葛藤はすごくありました。監督や映画のスタッフと何回か会って、自分の中で「大丈夫だ」と納得できるまで、少し時間がかかりました。 _MG_0451.jpg ――今回の作品では、事故から復帰するまでの道のりがGOMAさんと妻・純恵さんの日記を軸に描かれています。純恵さんと松江監督の信頼関係も必要だったと思いますが。 妻・純恵さん 松江監督はとても、笑顔が素敵な人だなと(笑)。空気感とか、この人だったら大丈夫、というのを最初にお会いした時に直観的に感じました。 ――GOMAさんは撮影前から「人を元気にする映画にしたい」と話していたそうですが、最初に完成版を見た時は、いかがでしたか? GOMA すごいエネルギーの塊だと思いました。それまでは失った記憶を埋めていくことに多くのエネルギーを使っていましたが、もうそんなことはしなくてもいい。今の自分にできることで、新しいものを作っていきたい。そういったことに日々のエネルギーを使いたいと思えるようになりました。やっと2回目の人生のスタート地点に立てるなという気持ちです。 ――事故から約3年、ひとつの区切りがついた瞬間でもあったんですね。ここ10年ほどの記憶が消え、新しい記憶も維持するのが難しいそうですが、事故直後はどのような状態だったんですか? GOMA  5分、10分前の記憶も消えていく、過去の写真を見ても、なぜその場所に自分がいて、笑っているのかがわからない状態でした。その頃のことは、ほとんど覚えていません。 ――事故から3年がたちましたが、当初と比べると、どれくらい回復しているのですか? GOMA 記憶障害について、自分で回復具合を感じるのは困難です。なぜなら、目で見えてわかるものではないし、回復したとしても、自分自身は前からそうだったように感じてしまうんです。家族が言うには、“記憶は1カ月は持たないけれど、1週間くらいならだいたい覚えていられる”と。 ――GOMAさんは事故後、突然、緻密な点描画を描き始め、2010年夏には初の個展『記憶展』を開催されました。色鮮やかで自由なモチーフで描かれた絵画の数々は、突然異なる映像が頭の中に飛び込んでくる「フラッシュバック」という記憶障害の症状を表現する上でも、映画の中で重要な役割を果たしています。 _MG_0515.jpg GOMA 絵は描かないと気持ち悪くなるんです。時間があれば、ずっと描いています。最初は事故に遭ってから意識が戻るまでに見ていた光の世界を描きたくて始めたのですが、最近は具体的なものになっています。でも、なぜ点描画なのかは、自分でもわかりません。 ――突然描きだした絵とは反対に、しばらくはディジュリドゥが楽器だとわからない状態だったそうですね。特別な呼吸法を必要とするディジュリドゥは、普通の人がいきなり吹けるものではないと聞きますが、再び音が出せた時に、何か感じるものはありましたか?  GOMA ディジュを最初に吹けた時のことも覚えてないです。ただ何百回も繰り返せば、“脳で覚える記憶”ではない“身体の記憶”が使えるようになるという方程式がわかったというのは、生きるヒントになっています。何事も繰り返してやれば、ほかの人より時間はかかるかもしれないけれど、必ずできるようになる。それがわかってきたのは大きいですね。 ――必死のリハビリと周りの支えもあって、事故から1年7カ月後にはステージ復帰を果たされました。バンドの存在は、これまで以上にGOMAさんのアイデンティティになっているのでしょうか? GOMA 存在は大きいですね。最近、ようやく実感として把握できるようになってきました。バンドのメンバーだけじゃなくて、家族や映画の仲間も、本当にみんなに支えられて生きているんだと感じますね。 ――映画の中で「記憶を失った今の自分を過去の自分の言葉が支え、今の自分が未来を作る」というメッセージがありましたが、不安や恐怖、あるいは事故に対する恨みといった気持ちから、前向きになれたのは、何かきっかけがあったのですか? GOMA 事故に遭ってからの3年間、実はほとんど人に会っていなかったんです。会っても誰かわからないし、話しかけてもらっても会話にならない、挨拶したとしても次に自分が挨拶できるかわからない。そういう不安が常にありましたから。けれど、このまま自分の周りだけの世界で時間を過ごして死んでいくのか、それとも社会や仲間たちとつながって死んでいくのかを考えた時、どちらにしても死ぬなら、もう1回みんなとつながってここから外へ飛び出したいと願いました。高速道路の事故は、亡くなる人もいる。でも僕は助かった。後遺症は残ったけれど、最後に決断するのは自分でしかありませんでした。ちょうど自分の気持ちが前向きになってきた時に映画の仲間と出会って、偶然の必然じゃないけど、いいタイミングでどんどんつながっていった。彼らとの出会いも大きかったですね。視点を変えるというのは、とても大切なことだと思います。この先も人生何が起こるかなんて誰にもわからないけれど、それをどう捉えていくかは自分次第ですからね。 ――GOMAさんにとって、この映画はどのようなものですか? GOMA この3年間はよくわからない自分の記憶と葛藤していたから、僕がこの映画から元気をもらっています。僕にとっては宝物であり、すごく豪華な思い出アルバムですね。 (取材・文=編集部) ●GOMA ディジュリドゥアーティスト・画家。1997年、単身で渡豪。数々のコンペティションに参加し、入賞。98年、アボリジニーの聖地アーネムランドにて開催された「バルンガディジュリドゥコンペティション」では準優勝し、ノンアボリジニープレイヤーとして初受賞という快挙を果たす。国内外の大型フェスにも多数参加し、自身の10周年の活動をまとめた映像制作をしていた2009年、交通事故に遭い高次脳機能障害の症状が後遺し、MTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断され活動を休止。事故後まもなく、緻密な点描画を描き始める。2010年夏に行われた初の個展『記憶展』として結実し、各種メディアや全国版の新聞にも取り上げられ、社会的な関心を集めた。その後も懸命にリハビリを続け、2011年6月に静岡で行われた野外フェスティバル「頂」にてシークレットゲスト出演、FUJI ROCK FESTIVAL’11にて伝説のライブを行い、奇跡の復活を成し遂げた。 fbm004.jpg ●『フラッシュバックメモリーズ 3D』 監督:松江哲明 プロデューサー:高根順次(SPACE SHOWER TV) 製作:SPACE SHOWER NETWORKS INC. 宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS、SPACE SHOWER NETWORKS INC. 配給:SPOTTED PRODUCTIONS <http://flashbackmemories.jp/>

“普通”の人々の歴史が面白い! 著名人の家族を通してひもとく、日本の庶民史『ファミリーヒストリー』

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『ファミリーヒストリー』(NHK総合)
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。  2009年から毎年年明けに放送されている『新春TV放談』(NHK総合)。千原ジュニアが司会を務め、NHK・民放問わず、その前年に放送されたテレビについてトークを繰り広げている。5回目である2013年は、秋元康、大根仁、小島慶子、鈴木おさむ、関根勤、テリー伊藤をパネラーに迎え、放送された。  そこで大根仁が2012年のベスト番組に挙げたのが『ファミリーヒストリー』(NHK総合)だった。大根は「あんなシンプルな切り口で、テレビ見てこんなに泣くのか」と絶賛。ジュニアや小島も口々に「大好き」と賛同した。  『ファミリーヒストリー』は、著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、そのルーツを探るドキュメンタリー。プロデューサーで制作統括を務めるのは『プロジェクトX』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』をデスクとして支えてきた小山好晴。2008年10月に『番組たまご』としてパイロット版が放送された以降、毎年新作が作られてきたが、ついに2012年10月からレギュラー化された。これまでルー大柴、浅野忠信、永瀬正敏、宮川大輔、余貴美子、市川猿之助、小塚崇彦、コロッケ、武蔵、そして出川哲朗など実に多種多様な人物の先祖をたどってきた。  自分の家族の歴史なんて、知っているようで実は全然知らないものだ。たとえばルー大柴は、自分の祖母が「満州で時計屋を営んでいた」ということは知っていたが、それが「満州で一番大きな時計屋だった」ことはまったく知らなかった。しかも、第二次世界大戦の敗戦で、時計屋の金品がソ連軍に略奪され、ルーの父である稔は日本人捕虜としてシベリアに抑留されてしまっていたことさえ、これまで知る由もなかったのだ。戦後4年たってようやく日本に帰国した稔は、ルーの母と出会い結婚。しかし、日本の生活に馴染めなかったこともあって離婚。その後、ルーと会うことはなかった。  ルーはそんな自分の知らない家族史に驚きつつも、冷静さをギリギリで保ちながらそのVTRに見入っていたが、ついに耐え切れなくなって嗚咽する。それは、父が糖尿病を患って入った療養所で、友人に「マイサンが今度テレビジョンに出るんだ」と得意げに話していたというエピソードが紹介された時だった。ヨーロッパで放浪の旅をし、今では「ルー語」と呼ばれる英語交じりの話し方をするルー大柴と同様、父もまた満洲やシベリアで英語を使っていたせいで、英語交じりの話し方をしていたという。それは些細だけど奇妙で心動かされるルーツのひとつだった。  現在写真家としても活動する永瀬正敏の曽祖父が実は写真館を開業していたり、「お祭り男」宮川大輔の先祖が神田明神の防火用の天水桶を作った人物であったりと、本人がまったく知らない現在の自分と符合する事実が次々と明かされていく。宿命と呼ぶのは大袈裟かもしれない。けれど、ただの偶然と切って捨てることはできないルーツであり、それは家族と本人のアイデンティティにもつながっていく。「事実は小説よりも奇なり」という使い古された言葉がリアリティをもって迫ってくるのだ。  「出川哲朗とNHK、真逆のところでやってきたんで……」と、本人もこの番組への出演を驚いたという出川哲朗は、創業100年以上の歴史を持つ海苔問屋の息子として生まれた。この回は、その伝統ある店の三代目に嫁いできた彼の母親が、夫の放蕩の果て家業が傾く中、必死で店を守り抜いた人生を中心に描かれた。父は調子に乗って手を出したクラブ経営で失敗して多額の借金を抱え、おまけに愛人を作って、家には帰らない。そんな父の人となりは、ええ格好しいの調子乗りで出川哲朗そっくりだ。それでも父と意地でも離婚せずに気丈に家業を守りぬいた母。彼女は時折、海の見えるところに行き、その先にある故郷の宮城県塩釜に想いを寄せるようにジッと海を眺めていたのだという。  58歳で亡くなった父の葬儀には、予想をはるかに超える参列者が集まった。母との別居中も父は、多くの人に対して見返りを求めることなく世話を焼いていたのだ。「母親は完全に最後に父のことは許していました」と、出川の姉は振り返る。父からはええ格好しいで友人思いの性格を、そして母からは常に身を粉にして全力で仕事に取り組む姿勢を受け継いだ出川哲朗は、家族の歴史の事実を見て「心を新たに、いただいた仕事を一つ一つ頑張ってやっていく」と涙をこぼした。  ただ、そんな感動的な話も、出てくる先祖の写真がことごとく出川本人とソックリすぎて笑ってしまい、前半は頭に入ってこなかったのだけど。  毎回、さまざまなゲストの家族史を追っているのに、そのどれもが劇的なことに驚く。そしてほとんどの回に共通するのが、そのターニングポイントに戦争が色濃く関わっているということだ。戦争によって翻弄され、厳しい選択を強いられ生き延びた家族。そんな無名の庶民の昭和史・近代史は、これまでほとんどテレビで語られることはなかった。タレントの家族というフィルターを通すことで、そういった「普通の人々」の生活と歴史をひもとく。それは、今まで「面白くない」「興味がない」と漠然とイメージされてきたものだ。しかし、それは違う。普通に生きてきた人々の歴史だからこそ面白いのだ。そして、庶民史だからこそ見えてくる日本の近代史が確かにある。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

西田敏行、柄本明、明石家さんま……芸能界“超大物”がこぞって尾野真千子にゾッコンのワケ

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『連続テレビ小説 カーネーション 
総集編』(NHKエンタープライズ)
 今、俳優陣の間で「一番共演したい女優」として名前が挙がっているのが、尾野真千子だという。 「彼女は、NHKの連続テレビ小説『カーネーション』に主演してから、ドラマや映画のオファーがひっきりなしに来ているそうです。もともと演技力には定評がありましたが、それが開花した感じですね。実際、あの『家政婦のミタ』(日本テレビ系)の松嶋菜々子を差し置いて、『東京ドラマアウォード2012』で主演女優賞を受賞しましたからね。共演した俳優から口コミで評判が広がって、たくさんの俳優さんたちから『共演したい』というオファーが届いているそうです」(ドラマキャスティングスタッフ)  その中には、大物俳優である西田敏行や柄本明の名前もあるのだという。 「西田さんは、映画『大奥』で共演したときに、彼女とのラブシーンがあるということで、すごく喜んでいましたね。撮影時も相当テンションが高かったようで、本編に使われていないカットがたくさんあるそうです(笑)。また、ドラマ『疑惑』(フジテレビ系)で共演した柄本さんは、基本的に女優さんを褒めることはないんですけど、尾野さんだけには『彼女とは、また共演したい』とラブコールを送っていました」(芸能事務所関係者)  それ以外にも、今クールのドラマ『最高の離婚』(同)で共演する瑛太や、映画『そして父になる』で共演した福山雅治も彼女にゾッコンだという。さらに、お笑い界では、あの明石家さんまも熱烈な尾野ファンだというのだ。 「さんまさんは、とにかく女優らしからぬノリのよさが気に入って、『尾野をひいきにする!』とベタ惚れ状態です。当然、ほっしゃん。とのことも知ってはいますが、そういったことを感じさせない彼女を気に入ったみたいですよ。みんな、彼女の気取らない性格と、オン・オフのギャップにやられてるみたいです」(テレビ局関係者)  映画、ドラマ、音楽、バラエティと、各界の名だたる大物たちから寵愛されている尾野。どうやら今年も彼女の年になりそうだ。

板東英二“脱税”騒動の深刻さ「明石家さんまでも笑いに変えられなかった……」

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板東英二オフィシャルブログ「ブレイクしたいねんっ!!」
 芸能界における板東英二の“脱税”騒動の余波は、依然として収束の気配を見せていない。 「これまでに、TBS『世界ふしぎ発見!』、名古屋テレビ『ドデスカ!』、ABC『おはよう朝日です』が板東さんの出演を見合わせて、MBS『板東英二の欲バリ市場』、MBSラジオ『板東英二のおばあちゃんと話そう』は放送を休止しました。また、CBCも『板東英二の南山マスターズ2』と『そこが知りたい特捜!板東リサーチ』の休止を決定しました。これで、彼のレギュラー番組は、ほとんどが放送休止状態になっていますね」(テレビ局関係者)  事件発覚後、本人のブログは元旦を除いて一度も更新されておらず、また、本人のコメントもいまだ出されていない。 「それだけに、各メディアは彼のコメントを取ろうと必死になっているそうです」(週刊誌記者)  そんな中、先日、明石家さんまが司会を務める『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)の収録があったという。 「実は、板東さんもキャスティングされていたのですが、当然キャンセルされていました。『お金にせこい人対ゆとりある人』という内容だっただけに、マズいと判断したんでしょうね(苦笑)。代役は“スター”錦野旦さんでしたね。みんな『さんまさんなら、何か触れるだろう』と思ってたみたいで、実際、さんまさんも板東さんの物まねをしたのですが、さすがにみんな笑えずカットとなりました。あのさんまさんでさえ笑いにできない今回の件は、相当深刻なものだと、あらためて考えさせられましたね。せめて、笑いにでもなれば復帰もできるんでしょうけど、このままだと、しばらくは厳しいでしょうね」(テレビ局関係者)  “お笑い怪獣”さんまをもってしても笑いに変えられない、板東の騒動。もう二度とテレビで見ることはないかもしれない……。