
撮影=後藤秀二
2009年11月、ディジュリドゥ奏者のGOMAが首都高速で追突事故に遭い、記憶障害を負った。オーストラリア先住民の管楽器であるディジュリドゥの日本における第一人者として知られ、国内外の大型フェスにも多数参加するなど順調にキャリアを積んでいた彼を襲った突然の事故に、多くのファンがショックを受けた。一時は復帰が絶望視されたものの、リハビリ期間を経て徐々に回復する過程を描いた『フラッシュバックメモリーズ 3D』が、1月19日(土)より新宿バルト9ほかで公開される。
メガホンを取ったのは、サブカル界の新星として脚光を浴びるドキュメンタリー作家・松江哲明監督。「過去」と「現在」という2つの物語をひとつの時間軸で描くこの作品には、本人に対するインタビューは一切登場しない。GOMAとThe Jungle Rhythm Sectionのスタジオライブが「現在」を描き、その背景で事故に遭うまでのGOMAの半生、そして事故から復帰までの道のりという「過去」が、映像や写真、そしてGOMAと妻・純恵の日記を使って映し出される。これまでの3Dとは一線を画す、画期的な映像作品でもある。昨年10月に行われた『第25回東京国際映画祭』では観客賞を受賞し、各所で話題となっている。
GOMAは、撮影時のことは覚えていない。たぶん、このインタビューのことも。なぜなら、事故によって過去の記憶を部分的に失っただけでなく、新しい記憶も定着しづらくなるという記憶障害を負ったからだ。今日の出来事は、1週間ほどしか覚えていられない。どんどん記憶が失われていく時間軸のない世界で、GOMAはひとり生きている。けれど、この映画から伝わってくるのは悲壮感ではなく、強烈なまでの生のエネルギーだ。いったい、この映画はGOMAにとってどんなものなのか、話を聞いた。
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――まず、撮影のきっかけから教えてください。松江監督とは、以前からお知り合いだったんですか?
GOMA プロデューサーの高根順次さんから僕のドキュメンタリーを作りたいというお話をいただき、彼の紹介で、映画にも出てくる事故後初めてバンドで行ったお披露目ライブに来てもらったのが最初です。しかしこの話をいただいた時、受けていいのかどうか悩みました。本当は言いたくないこと、人には隠しておきたいことも含めてオープンにしていかないと、いい作品にはならない。そういう部分の葛藤はすごくありました。監督や映画のスタッフと何回か会って、自分の中で「大丈夫だ」と納得できるまで、少し時間がかかりました。

――今回の作品では、事故から復帰するまでの道のりがGOMAさんと妻・純恵さんの日記を軸に描かれています。純恵さんと松江監督の信頼関係も必要だったと思いますが。
妻・純恵さん 松江監督はとても、笑顔が素敵な人だなと(笑)。空気感とか、この人だったら大丈夫、というのを最初にお会いした時に直観的に感じました。
――GOMAさんは撮影前から「人を元気にする映画にしたい」と話していたそうですが、最初に完成版を見た時は、いかがでしたか?
GOMA すごいエネルギーの塊だと思いました。それまでは失った記憶を埋めていくことに多くのエネルギーを使っていましたが、もうそんなことはしなくてもいい。今の自分にできることで、新しいものを作っていきたい。そういったことに日々のエネルギーを使いたいと思えるようになりました。やっと2回目の人生のスタート地点に立てるなという気持ちです。
――事故から約3年、ひとつの区切りがついた瞬間でもあったんですね。ここ10年ほどの記憶が消え、新しい記憶も維持するのが難しいそうですが、事故直後はどのような状態だったんですか?
GOMA 5分、10分前の記憶も消えていく、過去の写真を見ても、なぜその場所に自分がいて、笑っているのかがわからない状態でした。その頃のことは、ほとんど覚えていません。
――事故から3年がたちましたが、当初と比べると、どれくらい回復しているのですか?
GOMA 記憶障害について、自分で回復具合を感じるのは困難です。なぜなら、目で見えてわかるものではないし、回復したとしても、自分自身は前からそうだったように感じてしまうんです。家族が言うには、“記憶は1カ月は持たないけれど、1週間くらいならだいたい覚えていられる”と。
――GOMAさんは事故後、突然、緻密な点描画を描き始め、2010年夏には初の個展『記憶展』を開催されました。色鮮やかで自由なモチーフで描かれた絵画の数々は、突然異なる映像が頭の中に飛び込んでくる「フラッシュバック」という記憶障害の症状を表現する上でも、映画の中で重要な役割を果たしています。
GOMA 絵は描かないと気持ち悪くなるんです。時間があれば、ずっと描いています。最初は事故に遭ってから意識が戻るまでに見ていた光の世界を描きたくて始めたのですが、最近は具体的なものになっています。でも、なぜ点描画なのかは、自分でもわかりません。
――突然描きだした絵とは反対に、しばらくはディジュリドゥが楽器だとわからない状態だったそうですね。特別な呼吸法を必要とするディジュリドゥは、普通の人がいきなり吹けるものではないと聞きますが、再び音が出せた時に、何か感じるものはありましたか?
GOMA ディジュを最初に吹けた時のことも覚えてないです。ただ何百回も繰り返せば、“脳で覚える記憶”ではない“身体の記憶”が使えるようになるという方程式がわかったというのは、生きるヒントになっています。何事も繰り返してやれば、ほかの人より時間はかかるかもしれないけれど、必ずできるようになる。それがわかってきたのは大きいですね。
――必死のリハビリと周りの支えもあって、事故から1年7カ月後にはステージ復帰を果たされました。バンドの存在は、これまで以上にGOMAさんのアイデンティティになっているのでしょうか?
GOMA 存在は大きいですね。最近、ようやく実感として把握できるようになってきました。バンドのメンバーだけじゃなくて、家族や映画の仲間も、本当にみんなに支えられて生きているんだと感じますね。
――映画の中で「記憶を失った今の自分を過去の自分の言葉が支え、今の自分が未来を作る」というメッセージがありましたが、不安や恐怖、あるいは事故に対する恨みといった気持ちから、前向きになれたのは、何かきっかけがあったのですか?
GOMA 事故に遭ってからの3年間、実はほとんど人に会っていなかったんです。会っても誰かわからないし、話しかけてもらっても会話にならない、挨拶したとしても次に自分が挨拶できるかわからない。そういう不安が常にありましたから。けれど、このまま自分の周りだけの世界で時間を過ごして死んでいくのか、それとも社会や仲間たちとつながって死んでいくのかを考えた時、どちらにしても死ぬなら、もう1回みんなとつながってここから外へ飛び出したいと願いました。高速道路の事故は、亡くなる人もいる。でも僕は助かった。後遺症は残ったけれど、最後に決断するのは自分でしかありませんでした。ちょうど自分の気持ちが前向きになってきた時に映画の仲間と出会って、偶然の必然じゃないけど、いいタイミングでどんどんつながっていった。彼らとの出会いも大きかったですね。視点を変えるというのは、とても大切なことだと思います。この先も人生何が起こるかなんて誰にもわからないけれど、それをどう捉えていくかは自分次第ですからね。
――GOMAさんにとって、この映画はどのようなものですか?
GOMA この3年間はよくわからない自分の記憶と葛藤していたから、僕がこの映画から元気をもらっています。僕にとっては宝物であり、すごく豪華な思い出アルバムですね。
(取材・文=編集部)
●GOMA
ディジュリドゥアーティスト・画家。1997年、単身で渡豪。数々のコンペティションに参加し、入賞。98年、アボリジニーの聖地アーネムランドにて開催された「バルンガディジュリドゥコンペティション」では準優勝し、ノンアボリジニープレイヤーとして初受賞という快挙を果たす。国内外の大型フェスにも多数参加し、自身の10周年の活動をまとめた映像制作をしていた2009年、交通事故に遭い高次脳機能障害の症状が後遺し、MTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断され活動を休止。事故後まもなく、緻密な点描画を描き始める。2010年夏に行われた初の個展『記憶展』として結実し、各種メディアや全国版の新聞にも取り上げられ、社会的な関心を集めた。その後も懸命にリハビリを続け、2011年6月に静岡で行われた野外フェスティバル「頂」にてシークレットゲスト出演、FUJI ROCK FESTIVAL’11にて伝説のライブを行い、奇跡の復活を成し遂げた。
●『フラッシュバックメモリーズ 3D』
監督:松江哲明 プロデューサー:高根順次(SPACE SHOWER TV) 製作:SPACE SHOWER NETWORKS INC. 宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS、SPACE SHOWER NETWORKS INC. 配給:SPOTTED PRODUCTIONS
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