自民党非公認なのに“お墨付き”? 下町のまんじゅう屋がアベノミクスで新商品ラッシュ!

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 昨年末に安倍晋三氏が首相に返り咲いて以来、株価は上昇の一途をたどり、ニュースや新聞、週刊誌には連日「アベノミクス」の文字が躍る。まだ庶民にまでその恩恵は行き届いていないが、好景気の息吹は、3年にわたる民主党政権時に不遇をかこっていた建設業や証券業界などに吹きはじめているようだ。  民主党政権時に、“冬の時代”を迎えていたひとつが、荒川区に本社を置く「大藤」という観光土産問屋。これまで「純ちゃんまんじゅう」「太郎ちゃんまんじゅう」といった、自民党の歴代首相をモチーフにした土産菓子を販売してきた同社。やはり、政権交代で、ウハウハなのだろうか? 社長の大久保俊男氏を直撃した! 「いや~どうも!」  下町の社長らしく、人懐っこい笑顔で会議室に現れた大久保社長。その手には、この2月に発売されたばかりの「アベノミックス 新しい晋ちゃんまんじゅう」が握られている。  「アベノミックス 新しい晋ちゃんまんじゅう」は、夏の参院選に向けて開発された商品。「アベノミクス」にかけて、ミルク餡まんじゅうとチョコ餡まんじゅうの2種類がミックスされている。パッケージには「金融政策」「財政政策」「成長戦略」の3本の矢が描かれており、インフレ目標と同様に2%増量中の大サービスだ!  さらに、経済政策ばかりでなく、外交政策もチクり。パッケージの左側の孤島で“魚釣り”をしているのは、大久保社長自身と昨年夏に尖閣諸島に上陸した荒川区議会議員の小坂英二氏。そして、右側の島にはかぐや姫の姿で描かれた安倍首相夫人の昭恵さん。かぐや姫が登場する昔話といえば“竹取”物語……。パッケージの隅に隠されたメッセージにも油断がならない。
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 12月に安倍政権が発足して以来、大藤でも「帰って来た~晋ちゃんまんじゅう」「日本をトリ戻す!日出ずる国、日本・トリ型まんじゅう」「日はまた昇る/晋ちゃんまんじゅう」「アベノミックス 新しい晋ちゃんまんじゅう」と、立て続けに4種類のまんじゅうを発売した。  2006年の「誕生! 晋ちゃんまんじゅう」を発売した際には55万箱の大ヒットを記録。このヒットの実績に加え、世間にはアベノミクスの好景気の波。きっと儲かって儲かって笑いが止まらないのではないか!? 「いや、実はそれほどでもないんです。日本人は飽きやすいですから『また、安倍総理のまんじゅうか』と思われているんでしょうね……」 う~ん、自民党と昵懇の関係を築く大藤ですら、アベノミクスの恩恵にあずかるのはまだ早いようだ。  大藤と自民党の関係は、2001年に遡る。時は、ライオン丸ヘアーで、小泉純一郎首相がお茶の間の話題をかっさらった時代。その人気にあやかろうと、大藤では「純ちゃんまんじゅう」を企画した。そして、自民党本部に話を持って行ったところ……「『ダメだ!』と一蹴されました」と大久保社長。 「けれども、あきらめがつかずに、こっそりと作って販売しちゃった(笑)」  大胆にも、“非公認候補”として、お土産市場に立候補してしまったのだ!  しかし、メディアを通してその存在が世に知られるようになっても、自民党からのクレームは一切来ない。 「様子を見ていたのですが、連絡がなかったので、調子に乗っておせんべいやクッキーなども開発して販売しました(笑)」  そして4年後の2005年11月、大久保社長は一本の電話を受ける。 「飯島勲秘書官から『首相官邸に遊びにこないか?』と連絡をいただいたんです。いざ面会に赴くと、小泉総理自ら『よく作ってくれた!』と、光栄なお言葉を頂きました」  郵政民営化などの規制緩和を推し進めた小泉氏だが、その新自由主義政策がお菓子にまで及んだ瞬間。「自民党をぶっ壊す」と息巻いていた総理も、まんじゅうを壊すことはなかったのだ!  さらに、小泉首相が首相を辞任し、2006年には安倍首相が誕生。“美しい国”を標榜し「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍政権を応援するため、大藤でも、“純ちゃんレジーム”から脱却した「誕生! 晋ちゃんまんじゅう」を発売。前述のとおり、55万箱を売り上げる空前の大ヒットを記録した。さらに、体調不良の報道がなされると、ほうれん草パウダー入りの「負けるな!! 晋ちゃんまんじゅう」を発売し、陰ながらまんじゅうで総理を元気づけていた。
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 歴代首相の中で、大久保社長が特にお気に入りなのが、麻生太郎総理。べらんめえ調、毒舌、しかもマンガ好きというキャラクターは、まんじゅうにするネタの宝庫。「俺達の太郎」「秘密の太郎ちゃん」など5種類の商品を発売し、いずれも好評を博した。一方、残念な結果だったのが福田康夫総理。 「(福田氏の地元の)高崎に行っても『誰も買わないよ』と言われました。真面目な人なんですが、いつも不貞腐れているような顔つきでしたからね……」  世論と同様に“まんじゅう支持率”も惨憺たる結果に終わったようだ。  2009年には民主党が政権を獲得し、野党に下った自民党。メディアの露出は減り、話題性にも乏しい。もちろん、議席と同様にお菓子の売上も下降線をたどる……。だが、大久保さんは民主党に乗り換えることはしなかった。 「これまで、自民党のお菓子を勝手に作らせてもらっていたのに、政権が代わったからパッケージを変えて民主党に……とはいかない。やっぱり、商売は義理と人情です!」  情に厚い下町イズムを発揮する大久保社長。野党時代にも、谷垣禎一総裁をモチーフに、“カン”蹴りを行う「みんなで行こうZE!! 自民闘」「よみがえれ! 自民闘」などの商品を発売し、政権奪回をサポートする。
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「谷垣さんからは、『まんじゅうで盛り上げてください』というお墨付きを頂きました。けれども、公認されたというわけではありません。僕らは公認を受けず、あくまでも“勝手に応援する”というスタンスでやっていきたいんです」  この10年間で、50種類あまりの商品を作っているものの、それらはすべて許可を受けないゲリラ戦法。しかし、これまで一度もクレームが入ったことはないという。「政治家としても、たかがまんじゅうにケチをつけて評判を落としたくないんでしょう。黙認状態ですね」  現在、安倍首相のほかに、同社が応援に力を入れているのが、自民党幹事長の石破茂氏と、小泉進次郎氏。
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「進次郎氏はキャラが強烈で、並々ならぬオーラを感じます。自分の信念を曲げない人ですね。横須賀出身ということで、海軍カレーなど3種類の商品を発売中です」  一方の石破氏も「情熱的で誠実な人」と、大久保社長は高く評価する。あの大人気アニメにかけて「ISHIDAM」というモビルスーツのキャラを創作してまんじゅうを販売。もちろん、石破氏および富野由悠季氏の許可は得ていない。 PA01155705.jpg  また、2006年から隠岐島で販売している「竹島ものがたり」も、領土問題が本格化してきた昨年から売上が急上昇! 竹島を模した形のまんじゅうには、ご丁寧に「日の丸楊枝」付き。「せめてまんじゅうだけでも、竹島に日の丸を掲げよう」というメッセージだ。ならば、もう一つの領土問題、尖閣諸島もまんじゅう化されているのか? 「竹島は韓国が実効支配していますが、尖閣諸島はまだ情勢が安定していない。非常に危ういバランスなので、ネタでは済まない可能性がありますから……」せめて、まんじゅうが発売できるくらいに、政情の安定を願うばかりだ。  世知辛い世の中の話題を甘いまんじゅうに変えるべく、日々ニュースをチェックしながらネタを探しているという大久保社長。ぜひ政治家のお歴々も、まんじゅうを見習って、中身の詰まった議論をしていただきたいものだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●大藤HP <http://www.omiyage-daito.com>
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“軟式globe”パーク・マンサーがダンススクールの校長に!? EXILE、千原せいじとの意外なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。  その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた! ■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子! ――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね? 「元・パーク・マンサーのサンガです!」 ――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか? 「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」 ――あ、そんなつながりが! 「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」 ――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに? 「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」 378A8131.jpg ■一夜にして普通に街を歩けなくなった ――本家のglobeは好きだったんですか? 「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」 ――マーク・パンサーには憧れなかったんですか? 「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」 ――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか! 「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」 ――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか? 「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」 ――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか? 「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」 ――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。 「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」 ――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。 「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」 378A8173.jpg ■ライバルはパーク・マンサー ――その後は、主に役者として活動していたそうですが。 「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」 ――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は? 「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」 ――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか? 「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」 ――えー、いきなり! 「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」 ――それでも、これはチャンスだと。 「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」 ――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか? 「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」 (取材・文=北村ヂン) ●サンガ 1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。 <http://sejikenstudio.com/

“軟式globe”パーク・マンサーがダンススクールの校長に!? EXILE、千原せいじとの意外なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。  その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた! ■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子! ――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね? 「元・パーク・マンサーのサンガです!」 ――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか? 「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」 ――あ、そんなつながりが! 「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」 ――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに? 「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」 378A8131.jpg ■一夜にして普通に街を歩けなくなった ――本家のglobeは好きだったんですか? 「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」 ――マーク・パンサーには憧れなかったんですか? 「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」 ――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか! 「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」 ――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか? 「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」 ――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか? 「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」 ――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。 「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」 ――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。 「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」 378A8173.jpg ■ライバルはパーク・マンサー ――その後は、主に役者として活動していたそうですが。 「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」 ――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は? 「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」 ――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか? 「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」 ――えー、いきなり! 「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」 ――それでも、これはチャンスだと。 「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」 ――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか? 「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」 (取材・文=北村ヂン) ●サンガ 1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。 <http://sejikenstudio.com/

“軟式globe”パーク・マンサーがダンススクールの校長に!? EXILE、千原せいじとの意外なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。  その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた! ■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子! ――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね? 「元・パーク・マンサーのサンガです!」 ――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか? 「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」 ――あ、そんなつながりが! 「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」 ――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに? 「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」 378A8131.jpg ■一夜にして普通に街を歩けなくなった ――本家のglobeは好きだったんですか? 「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」 ――マーク・パンサーには憧れなかったんですか? 「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」 ――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか! 「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」 ――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか? 「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」 ――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか? 「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」 ――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。 「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」 ――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。 「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」 378A8173.jpg ■ライバルはパーク・マンサー ――その後は、主に役者として活動していたそうですが。 「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」 ――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は? 「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」 ――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか? 「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」 ――えー、いきなり! 「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」 ――それでも、これはチャンスだと。 「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」 ――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか? 「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」 (取材・文=北村ヂン) ●サンガ 1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。 <http://sejikenstudio.com/

“軟式globe”パーク・マンサーがダンススクールの校長に!? EXILE、千原せいじとの意外なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。  その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた! ■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子! ――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね? 「元・パーク・マンサーのサンガです!」 ――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか? 「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」 ――あ、そんなつながりが! 「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」 ――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに? 「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」 378A8131.jpg ■一夜にして普通に街を歩けなくなった ――本家のglobeは好きだったんですか? 「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」 ――マーク・パンサーには憧れなかったんですか? 「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」 ――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか! 「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」 ――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか? 「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」 ――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか? 「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」 ――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。 「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」 ――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。 「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」 378A8173.jpg ■ライバルはパーク・マンサー ――その後は、主に役者として活動していたそうですが。 「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」 ――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は? 「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」 ――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか? 「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」 ――えー、いきなり! 「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」 ――それでも、これはチャンスだと。 「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」 ――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか? 「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」 (取材・文=北村ヂン) ●サンガ 1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。 <http://sejikenstudio.com/

“軟式globe”パーク・マンサーがダンススクールの校長に!? EXILE、千原せいじとの意外なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。  その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた! ■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子! ――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね? 「元・パーク・マンサーのサンガです!」 ――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか? 「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」 ――あ、そんなつながりが! 「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」 ――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに? 「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」 378A8131.jpg ■一夜にして普通に街を歩けなくなった ――本家のglobeは好きだったんですか? 「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」 ――マーク・パンサーには憧れなかったんですか? 「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」 ――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか! 「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」 ――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか? 「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」 ――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか? 「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」 ――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。 「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」 ――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。 「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」 378A8173.jpg ■ライバルはパーク・マンサー ――その後は、主に役者として活動していたそうですが。 「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」 ――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は? 「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」 ――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか? 「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」 ――えー、いきなり! 「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」 ――それでも、これはチャンスだと。 「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」 ――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか? 「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」 (取材・文=北村ヂン) ●サンガ 1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。 <http://sejikenstudio.com/

“軟式globe”パーク・マンサーがダンススクールの校長に!? EXILE、千原せいじとの意外なカンケイ

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撮影=尾藤能暢
 ラッパー発掘企画と言いながら、ほぼ変な替え歌コーナーと化していた『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」。その中でもひときわ異彩を放っていたユニット「軟式globe」を覚えているだろうか? globeの「Love again」に乗せて「アホだなぁー」と歌っていたあのユニットだ。  その軟式globeで狂ったラップを繰り広げていたパーク・マンサー(マーク・パンサー役ね)は、現在「サンガ」という名で、千原せいじが理事長を務めるダンススクールの校長になっているという。なんだか人生いろいろ……。パーク・マンサーことサンガに、当時の裏話から、ダンススクールの話までを訊いた! ■パーク・マンサーはEXILEの元・弟子! ――えーっと、軟式globeのパーク・マンサーさんですよね? 「元・パーク・マンサーのサンガです!」 ――まあ、ほとんどの人はサンガさんのことをパーク・マンサーとして認識してると思うんですけど、アレをやる前は何をしてたんですか? 「もともとはダンサーで、実はEXILEのHIROさんの弟子だったんですよ」 ――あ、そんなつながりが! 「ダンサーになるために富山から出てきて、HIROさんと知り合ったんですが、当時のHIROさんはZOOとEXILEの狭間のどん底だった時期で結構やさぐれてて(笑)、こっちはせっかく夢を持って東京に出てきたのに『ダンサーなんかやっても食えないよ』とか言われてましたけど」 ――そんな本流のダンサー志向だったのに、なぜパーク・マンサーに? 「自分よりもダンスはヘタなのに、ルックスのいい後輩連中が先に売れてったり……という状況を見てきて、普通に格好いい踊りをしててもダメなんじゃないかな、っていう気持ちがあったんです。その頃、HIROさんたちと飲み屋に行く機会があって、そこでダンススクールの先生たちのモノマネをやったらメチャクチャ受けたんですよ。それで、普通のダンスよりも、もっと面白いエンターテインメント要素を取り入れたほうがいいのかなと思ったんです。そんなタイミングでB-RAP HIGH SCHOOLが始まり、友達から『お前にピッタリのコーナーがあるよ』と教えてもらって、オーディションに参加しました」 378A8131.jpg ■一夜にして普通に街を歩けなくなった ――本家のglobeは好きだったんですか? 「あんまり知らなかったです(笑)。地元が田舎なもんで、地上波のテレビで見られるダンスってTKサウンドが多かったんですけど、globeさんってダンサーいないじゃないですか?(笑) だからSAMさんのマネをしてみたり、安室ちゃんのバックダンサーに憧れたり……」 ――マーク・パンサーには憧れなかったんですか? 「それはまあ……いい人だと思いますけど(笑)。当時みんな“なんで白髪のおじちゃんがラップしてるんだろう”って思ってたんじゃないですかね(笑)。でも、一応パーク・マンサーをやる時には意識しました」 ――どこを意識したんですか!? 髪形から何から全然違うじゃないですか! 「アレは当時、ダンシング刑事っていうユニットをやっていたので、それ用の髪形なんですよ。松田優作をイメージしたアフロに、それだけじゃ面白くないから、前髪だけストレートにして……。全然関係のない髪形でマーク・パンサー役をやっていたというのもウケたんじゃないですかね。それに『キムタクみたいになりたいと思って東京に出てきたのに、どうしてこんな変なことやってるんだろう』という葛藤もあり……その感じがまた面白がられたのかもしれないですけど(笑)」 ――番組がオンエアされてから、生活は変わりましたか? 「いやー、一夜にして普通に街を歩けなくなりましたよ。金は全然持ってないのに、異常なほど知名度だけ上がっちゃって。まだ普通にアルバイトしてましたからね。それに、いろんな人が寄ってくるようになりました。あの時、もっと遊んどけばよかったですよ……当時はまだ業界のことが分かってなかったので、全然遊べませんでしたね」 ――いきなりそんな有名になって、有頂天になったりはしなかったんですか? 「完全に天狗でしたね(笑)。番組に出た瞬間にガーッと人気が出て、でも1クールくらいで『もう無理だなー』と思って。なんとか面白くしようといろいろ試行錯誤はしていたんですが、それでも10回くらいやったら、明らかにお客さんが盛り下がってるのが分かっちゃったんですよ。『もう、このネタを続けてても無理だなー』って」 ――まあ、globeの替え歌に限定された中でやっていくのは、なかなか難しいですよね。 「『アホだな』という曲でやれる動きもネタも、やり尽くしちゃったのかもしれません。しかも番組の特性上、あのキャラでほかの番組に出るわけにもいかなかったので。だから人気がなくなって消えていったわけではなく、自分から辞めさせてもらったんです」 ――ほかの番組に出てなかったとは思いませんでした。とにかくインパクトは強かったですから、妙に記憶に残ってますよ。 「たぶん『学校へ行こう!』にも、20回くらいしか出てないんじゃないかと思います。でも、いまだにこれだけ覚えてもらっているというのはありがたいですね。パーク・マンサーとしての活動をやめてからも、しばらくはパーク・マンサーとしか見られませんでしたから。……今はルックスも全然変わっちゃったんで、こっちから言わないと気付かれませんけど」 378A8173.jpg ■ライバルはパーク・マンサー ――その後は、主に役者として活動していたそうですが。 「パーク・マンサーをやる前から舞台に出たりはしていたんですが、パークでガーッとネームバリューが上がって、いろいろと仕事が来るようになったんですね。それで『オレ、役者でも行けるなぁー』とか調子に乗ってたんですけど、現場に行ったら全然セリフが言えなかったりして……。いろいろとヘマしました」 ――一気に人気が出たパーク・マンサーと比べ、役者としてはなかなか芽が出ていない状態ですが、それでも役者にこだわっている理由は? 「僕は最終的にエンターテイナーになりたいと思ってるんで、そのためには俳優としても結果を出さなきゃならないんですよ。パーク・マンサーではある時期、お笑いの世界で結果を出したなって思ってますから。同じ人間なのに、アイツ(パーク・マンサー)のせいで人生を振り回されているくらいなことになっているので、まずはパークを乗り越えたい。誰が一番のライバルかって言ったら、パーク・マンサーですから!」 ――そんなサンガさんは今、千原せいじさんが理事長を務めるダンススクール「せじけんスタジオ」の校長をやられているわけですけど、どういった経緯があったんですか? 「役者だけじゃ食えないんですけど、バイトをやるなら少しでも業界とつながれる場所でやりたかったので、知り合いの芸人さんに紹介してもらって、せいじさんがオーナーのバーで働いてたんですよ。それでちょうど一年くらい前、せいじさんがオープン前にフラッとやって来て飲みだして。しかもその日は全然お客さんが来なかったので、せいじさんとじっくり話す機会が訪れたんです。このチャンスに、僕っていう人間をなんとかアピールしようと思い『昔、ダンスやってたんですよ』とか話していたら『ほっかー。オレ今度、ダンススクールやろと思とんねん』って。義務教育でダンスが必修になるっていうのもあり、ダンススクールを作ろうという構想があったらしいんですね。『ほなお前、校長な』って」 ――えー、いきなり! 「もうこっちはポカーンですよ。でも、まあ飲みの席での話だろうなと思っていたんですけど、それからせいじさんに会うたびに、ちょっとずつ話が進んでるんです。物件が決まったのが去年の6月頭くらいで7月にはオープンでしたから、本当に右も左も分からない状態でのスタートでしたね。ダンスを教えたことはあったけど、スクールの運営なんてやったことないから、いまだにバタバタしてますよ」 ――それでも、これはチャンスだと。 「うーん、大変は大変ですけど、チャンスなんでしょうね。僕は絶対に売れるんで(笑)、そうなった時に、こんな面白いエピソードってないと思うんですよ。先生と呼ばれる職業はたくさんありますけど、校長と呼ばれる人はなかなかいませんからね(笑)」 ――そのせじけんスタジオで今、「せじけんアクターズ」一期生の募集をしているそうですけど、コレはどんな企画なんでしょうか? 「生徒という感じではなく、一緒にやっていける仲間を集めたいっていう感覚ですね。自分が結果を出せてないから大きなことは言えませんが、今って兵隊みたいな、コマのひとつで甘んじて、自分が王将になろうっていう人が少ないと思うんですよね。たとえばテレビとかで今の若い子たちを見ていても、『なんでそんな狭い表現の幅でやろうとしているの? もったいない』って思っちゃうんです。自分はHIROさんが、どん底の状態からEXILEを立ち上げていく過程を見てきたんで、そういうふうに、やりたいことができないなら、自分たちで状況を変えていくという気持ちを持っていたい。それを一緒にやれる人たちに、応募してきてもらいたいです!」 (取材・文=北村ヂン) ●サンガ 1978年、富山県生まれ。2002年、『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナー「B-RAP HIGH SCHOOL」で、「軟式globe」 パーク・マンサーとしてブレイク。その後、役者に転身。ドラマや映画、舞台などで精力的に活動中。今春放送 『リッチマン、プアウーマン』(フジテレビ系)スペシャルに出演。12年より、千原せいじが理事長のダンススクール「せじけんスタジオ」の校長も務める。 <http://sejikenstudio.com/

“病気レベル”の合コン好きを暴露された郷ひろみ「アチチってやってくれない……」

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「GOETHE」2012年07月号(幻冬舎)
 歌手の郷ひろみの不倫スキャンダルを、「週刊文春」(文藝春秋)の2月28日号が写真付きで報じている。  郷といえば、昨年3月に元プロ野球選手・徳武定祐さんの娘で元OLの利奈さんと3度目の結婚。今年1月には東京・帝国ホテルで結婚披露宴を行ったが、所属事務所はまるで今回のスキャンダルへの“予防線”を張っていたような取材対応だったという。 「郷が所属するのは“芸能界のドン”こと周防郁雄社長率いるバーニングプロダクションだが、披露宴会場からは一切のメディアをシャットアウト。スポーツ紙のみにオフィシャルで撮影した写真を配ったが、事務所サイドは各紙の担当記者に『もう3回目(の結婚)だし、あまり大きく扱わないで』とクギを刺したという。今思えば、不倫相手に配慮した気がしてならないのだが……」(ワイドショー関係者)  披露宴で利奈さんは「私の役目は縁の下の力持ちになること」と糟糠の妻になることを誓ったが、同誌によると、利奈さんと交際していた一昨年の夏ごろ、すでに郷の“裏切り行為”は始まっていたのだという。  同誌には不倫相手だったひとみさん(仮名)の知人が、赤裸々な不倫関係を暴露している。郷は知人に誘われた合コンで現在30歳のひとみさんと知り合い、連絡先を交換。しばらくはメールを交換するだけだったが、昨年2月に郷が強引にひとみさんを食事に誘い、都内の会員制ホテルで男女の関係になったという。郷はしっかり避妊し、帰り際、タクシー代として10万円を渡したとある。  ひとみさんは数週間後には都内の家具付きマンションに呼び出されたが、その際は前回と違ってお金を渡さず。その後も何度も呼び出されたが、会うのは2時間程度で、ひとみさんは知人に「これじゃデリヘルみたい」と嘆いたというのだ。 「ひとみさんは結局、“やり捨て”されてしまったようだが、郷はこれまで積極的に合コンに参加して、ひとみさんと同じような関係の女性を“調達”してきた。利奈さんの前には京都の老舗の令嬢と交際していたが、交際中も合コン三昧。もはや、合コン好きは“病気”のレベルに達しているようだ。合コンに同席したことがある20代前半の女性は『自分の娘よりも年下なのに、ヒザの上に手を置いて、その日に“お持ち帰り”しようとして口説いてくるから、マジでキモかった』と顔をしかめていた。郷の曲をある程度知っていて、ファン心がある女性でないと引っかからないだろう」(週刊誌記者)  ひとみさんといる時はテレビで見せる柔和なイメージとは違って、かなり神経質で渋い表情が多く、「アチチってやって」とお願いしても「嫌」のひと言で片付けられたという。  一歩自宅の外に出たら歌手・郷ひろみに徹しなければならないだけに、不倫がせめてもの“息抜き”のようだが……。

小池栄子・佐藤江梨子「イエローキャブ」2トップの移籍騒動に、事務所側は“圧力”で対抗の泥仕合

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イエローキャブ公式サイトより
 昨年6月、小池栄子、佐藤江梨子らが所属している芸能プロ「イエローキャブ」の帯刀孝則社長が、東京都港区の事務所内で首を吊って亡くなっているのが見つかった。現場などの状況から自殺とみられていたが、事務所の経営難を苦にした可能性が高かったという。 「もともと、巨乳タレントの発掘にかけて天才的な才覚を持つ野田義治氏(現サンズエンタテインメント会長)が創業した同社だが、04年に野田氏が新株の発行をめぐって当時のオーナー会社だった北陸のアミューズメント企業と対立。野田氏が大半のタレントを引き連れて出て行き、その後、小池と佐藤の2トップが事務所を牽引してきた。しかし、ほかのタレントが稼げないので、年々売り上げが落ち、事務所の経費なども2人の稼ぎで回す自転車操業状態。社員もどんどん辞めていった」(スポーツ紙デスク)  帯刀氏の死後、同社の役員が社長に就任したが、日に日に小池・佐藤との間の溝が深まり、ついには2人の“退社騒動”に発展してしまったという。 「社長に就任したのは、演歌歌手・五木ひろしの実兄。その社長に対して、小池と佐藤はギャラの取り分や仕事の内容など、あれこれ意見したが、新社長は聞く耳を持たず、とにかく利益優先の方針を貫いた。会社を回すためには仕方のないことだが、ついに2人は堪忍袋の緒が切れてしまい、『だったらほかの事務所に行く』と退社の意向を伝え始めた。特に、小池の場合は深刻で、もはや直接話し合いのテーブルに着こうとせず、夫でプロレスラーの坂田亘氏が代理人として事務所と交渉している」(芸能プロ関係者)  同社にとって2人が同時に辞めるようなことがあれば、ほかに稼げるタレントがおらず、存続自体が危ぶまれるだけに、黙っているわけにはいかなかったようだ。 「同社は芸能プロの業界団体『日本音楽事業者協会(音事協)』の会員であるため、同協会に仲裁を要請。“暗黙の了解”として、音事協会員の事務所間で移籍した場合には一定期間メディアへの露出を控えるというルールがあるといわれており、もし移籍となれば、こうした圧力で“干される”ことになりそう」(同)  果たして、この内紛はどんな形で決着するのだろうか?

危険なのはノーブレーキピストだけじゃない! 自転車事故が相次ぐ東京都の新たな条例案

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『サイクル ライド・オン・ザ・ピスト・
イン・ジャパン』(コロムビア
ミュージックエンタテインメント)
 20日から始まった都議会で、東京都は「東京都自転車の安全で適正な利用の促進に関する条例案」を提出する。全国で初めて、危険なノーブレーキピスト自転車の販売規制を盛り込んだことで、自転車愛好者からも注目を集める条例案。その背景には、増加する自転車事故とマナーの問題があった。  この条例で注目されているノーブレーキピスト自転車とは、競技用のトラックレーサーを、ブレーキやライトなどを装着しないまま公道使用するものを指す。トラックレーサーは、ブレーキがなく、ギアは固定ギア(後輪が回転している限り、ペダルが回転し続ける)が大きな特徴だ。トレーニングを積んでいなければ使用は困難で、特に経験がなければ停止することも難しい。競輪選手などが公道でのトレーニングに使用する場合もあるが、その場合にはブレーキやライトなどの部品が必須だ。また、それらの装備がない自転車は、即、道路交通法違反となる。  ところが、2000年代半ばからストリートカルチャーの世界で「海外のメッセンジャーが使用している」として、ブレーキを備えない状態でトラックレーサーを公道使用することが一種の流行にもなってきた。危険極まりないこの行為は、自転車愛好家たちからも、激しい非難の対象にされてきた。  今回、東京都が提出する条例案では、道路交通法などに違反する自転車の販売、組立、改造などを禁止することを定めている。「走る凶器」を根絶させる画期的な条例案だ。ただ、あくまでも東京都の条例にすぎない。ほかの地域からのネット販売、あるいは個人でブレーキを取り外した場合には、どのようになるのか? 「条例では“販売してはならない”と記載しています。同種の判例に照らして、業者がどこの地域でも、購入者が都内であれば“販売”が成り立つと解釈しています。ただ、条例案にある通り、違反した場合に罰則はなく、勧告・公表のみです。また、都の条例ですから、例えば大阪の業者に立ち入り検査ができるかといえば、疑問です。実際の効果は、やってみないとわからないと考えています。また、個人でブレーキを外すのはそれ自体が道交法違反ですから、入れていません」 とは、東京都青少年・治安対策本部交通安全課の黒川浩一課長の話。さらに、黒川課長は、条例案で重要なのはノーブレーキピスト自転車だけではないと話す。  黒川課長は、この条例案は自転車の安全運転とマナー向上の機運を高めることこそが目的だという。近年、自転車事故は加害者側の高額賠償などで注目を集める事例が多い。警視庁の資料によれば、昨年11月末までに都内で発生した自転車事故の件数は、1万6,671件。負傷者数は1万5,136人、死者は30人となっている。一昨年の数値では、都内で自転車が関与した交通事故の割合は37.3%。全国では同20%で、都内では自転車が交通事故に巻き込まれる確率が極めて高いといえる。しかし、依然として自転車の安全運転とマナーは、利用者個人に委ねられた部分が多い。自動車と違って車検制度はない。また、防犯登録も購入した時のみで、わざわざ住所変更の手続きをする人も少ない。自転車事故が増加していることが漠然と認識されながらも、安全への意識は低いというわけだ。  そこで、今回の条例案では第三条で基本理念として、自転車が極めて重要な役割を果たしながらも、一方で安全な生活の妨げになっているため、安全で適正な利用が促進されなければならないことを記す。その上で、第五条で自転車利用者に対して「都が実施する自転車安全利用促進施策に協力するよう努めなければならない」など、努力義務を盛り込んでいる。 「努力義務を課したことで、整備不良の自転車に、法的に点検整備を促すこともできるようになります」(黒川課長)  自転車の利便性は、今さら記すまでもないが、他方で自転車は怪我させる危険、怪我する危険の絶えないもの。愛好者も増える中で、マナーの向上を願ってやまない。 (取材・文=昼間たかし)