鈴木達央、不倫報道で妻・LiSAとともに活動休止 今後のためには「ほとぼり冷めたら離婚」しかない?

 ファンの女性との度重なる不倫が『文春オンライン』に報じられた声優の鈴木達央。8月4日、所属事務所が「体調不良が続いており、通常通りの活動が困難な状況にある」として、鈴木の活動休止を発表。鈴木がボーカルを務める音楽ユニット「OLDCODEX」の活動も休止となった。6日には、出演予定だったアニメ『ULTRAMAN』の降板も発表している。

 さらに、鈴木の妻である歌手のLiSAも同…

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ダベイビー、同性愛者やHIV感染者への“差別発言”で大炎上! 音楽フェスへの出演キャンセル相次ぐ中、マイリー・サイラスから“救いの手”

 今年のグラミー賞にもノミネートされた実力派ラッパー、ダベイビー(29)が、HIV感染者やエイズ患者、同性愛者への差別的暴言を吐く動画がネット上に拡散され、一般の人はもちろん、多くのセレブからも非難されるなど社会問題となりつつある。 

 事の発端は、世界最大のヒップホップ・フェスティバルとも呼ばれる『Rolling Loud Miami 2021』でのライブMCだった。7月25日にパフォーマンスをしたダベイビーは、MCで「今日、HIVやエイズ、ほかに2~3週間で死んじまうような性感染症にかからずにここに来た奴は、携帯のライトをつけろ」「野郎ども、おまえらが駐車場でちんこをしゃぶってるような奴じゃねぇなら、携帯のライトをつけるんだ」と呼びかけたのだ。

 実はこのフェスの少し前から、ダベイビーは、女性ラッパー、ミーガン・ジー・スタリオンを銃撃したものの無実を主張しているラッパーのトリー・レーンズとコラボしたことで物議を醸していた。ダベイビーはメーガンと2度コラボしたのに、トリーと共演するのは彼女への裏切りだとの批判が上がったのだ。

 さらには『Rolling Loud』で、メーガンがパフォーマンスした直後にトリーをステージに上げ、コラボ曲を披露したため、メーガンファンの怒りが爆発。このような経緯も、差別暴言がネット上に一気に広まった要因のひとつだった。

 そもそもの発言内容からLGBTQ+コミュニティからもバッシングされるようになったダベイビーは、フェス翌日、インスタグラムのストーリー(24時間限定公開)に、「全員が携帯のライトをつけた。ゲイかストレートかにかかわらず。なぜか知りたいか? オレのゲイのファンは、エイズなんかにかかってねぇんだよ」「オレのゲイのファンは自分の身を守ってんだ。どエロいゲイ・ニガーじゃねぇんだよ。わかるか? ストリートに転がってるジャンキーじゃねぇんだ」という釈明文を投稿。

 自分のゲイのファンは意識が高いんだと言わんばかりな主張だが、「HIV感染者やエイズ患者=コンドームをつけずにヤリまくっているゲイだと言うのか!」「HIVはゲイだけがかかる病気だと思っているのか!」「ひどい偏見。母子感染、血液感染もあるというのに」「影響力があるのに、誤った知識を広めている」と火に油を注ぐことに。

 世界的人気を誇るリアリティ番組『クィア・アイ 外見も内面もステキに改造』のレギュラー出演者でHIV陽性者だとカミングアウトしているジョナサン・ヴァン・ネスは、この釈明を「明らかにホモフォビック(同性愛嫌悪者)だ」と批判し、ネット上でも賛同を集めた。ホモフォビックだから「駐車場でちんこをしゃぶってるような奴」という言葉が口から出たという意見に対して、ダベイビーは、インスタのストーリーで、「いやいや、オレのゲイのファンは品がいいから。そんなことはしないって。オレのゲイのファンは5ツ星ホテルの部屋に泊まってちんこをしゃぶるんだよ」と再び釈明。

 ホモフォビックではないと主張し、「おまえら、みんな正気じゃねぇよ。ネガティブな注目とエネルギーばっかり集めやがって」「今回の話は、ライブの観客とオレとの間でのやりとり。その場にいなかった、前後のやりとりを何も知らない奴らには関係ねぇ」と不満を述べたことで、“反省の色なし”とLGBTQ+コミュニティはますます激怒した。

 問題発言から3日後の28日、ダベイビーとコラボしているメンズファッションブランドの「boohooMAN」が、「我々はLGBTQ+コミュニティを支援するブランド」とし、ダベイビーとは二度と仕事をしないという声明を発表。8月1日にはシカゴで開催されるロック・フェス『Lollapalooza』が、「このフェスは多様性、包括性、尊敬、愛に基づいている」として、ダベイビーの出演を取り消すと発表。『Governors Ball Music Festival』『Day N Vegas』などの音楽フェスも次々とダベイビーの出演をキャンセルすると発表した。

 7月29日に発表されたイギリスの人気フェス『Parklife Music Festival』(9月開催)への出演取り消しについて、ダベイビー側は「コロナの影響を受けて」と説明。しかし、主催者側は同14日までダベイビーがパフォーマンスすることを大々的に宣伝していたため、出演取り消しは問題発言が原因と推測されている。

 セレブたちの発言も、ダベイビーへのキャンセル運動を後押しする形となった。ダベイビーとのコラボ経験がある女性歌手デュア・リパは、「一緒に仕事をした人間として、受け入れるわけにはいかない」と批判。俳優デミ・ロヴァートも「異性愛者の子たちにが正しい知識を持てるよう、LGBTQ+について学校で教えるべき」との持論を展開した。

 仕事のキャンセルが続き、エルトン・ジョンやマドンナら大御所歌手から強く批判され、やっと事の大きさを理解したダベイビーは、8月2日、インスタに謝罪文を投稿。「LGBTQ+コミュニティに対して、謝罪したい」「HIV/エイズに関する誤ったコメントをしたことについて反省している」とつづったが、彼のキャリアはもう終わりだと冷ややかに報じるメディアも複数存在する。

 そんなダベイビーに救いの手を差し伸べたのが、歌手のマイリー・サイラスだ。長年、貧困層やLGBTQ+の支援活動をし、パンセクシュアルだとカミングアウトしているマイリーは4日、インスタに、「LGBTQ+コミュニティの誇り高き忠実なメンバーの一員として、私は人生の多くを愛や受容、開かれたマインドを応援することに費やしてきました」と前置きした上で、「インターネットは憎悪と怒りが燃料となる場所。そしてキャンセルカルチャーの中核となってしまう……。でも私は信じている。(インターネットは)学びや会話、コミュニケーションとコネクション(結合)の場所になりえるのだと」と訴えた。

 そして、「(ヘイトや怒りを感じる人に対して)“許し”や“同情”の気持ちを見出したり、自分の考えや気持ちを変える時間を作るより、その人をキャンセルするほうがずっと簡単」「私たちが進歩を望み続ければ、これ以上の分断はなくなるはず! 知識は力! 私自身もまだまだたくさん学ばなければいけないし!」と、誤った考えを持つ人間をキャンセルして社会的ダメージを与えるより、正しいことを教えてあげよう、みんなで学んでいこうと呼びかけた 。

 ディズニー・チャンネルのアイドルを卒業後、自分らしくありたいとイメチェンしたマイリーは、「アバズレ」「お手本にしている少女たちに悪影響を与える 」と過去に何度もバッシングを受けた。バッシングされるつらさ、無神経な発言で人を傷つけてしまうことの恐ろしさを知っているマイリーだからこそ、キャンセルではなく学ぶチャンスを与えてほしいと願うのだろう。

 果たして、差別的暴言をめぐる、ダベイビーの謝罪は認められるのか? キャンセル運動は収まるのか? 今後の展開を見守っていきたい。

テレ朝、内村光良の“本格復帰”あきらめた!? 妻の徳永有美アナが『報ステ』で冷遇へ

 テレビ朝日は、秘かにもくろんでいたウッチャンナンチャン・内村光良の本格復帰を事実上、断念したようだ。

 内村はかつて、同局で冠番組『内村プロデュース』をもっていたが、2003年に同局の局アナで、番組で共演していた徳永有美アナとの不倫が発覚。徳永アナは当時、同局の局員と婚姻関係にあったが、スキャンダル発覚で同番組を含め、出演していた全番組を降板し謹慎状態に。その後、徳永アナは同…

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今の日本政府は「男社会」そのもの 『さよなら、男社会』が紐解く性差別と思考力の停止

「どうしてこうなってしまったんだろう」

 日々の生活や人生の中で、そう思う瞬間はたくさんある。朝余裕を持って起きたはずなのに、気づけば遅刻ギリギリの時間になって駅まで走ったり、レシピ通りに作ったはずの料理がどうにも不味そうな代物になってしまったり、昔は毎日のようにずっと一緒にいて、何でも話せるし何でも分かり合えるように思っていた友人と、気づけばなんとなく疎遠になってしまったり。

 そんな「どうしてこうなってしまったんだろう」という状況や出来事には、大抵何かしら理由や原因があるものだ。それは、時間を逆算せずに、つい朝から読みかけの本を読むことに没頭してしまったからかもしれないし、手際や段取りが悪くて食材に火を入れすぎてしまったからかもしれないし、日々身を置く環境や触れるものや生活が変化したことで、互いの価値観が合わなくなってしまったからかもしれない。もしそれが仕事に関することであれば、多くの場合、人は現状抱えている問題の原因を突き止め、改善し、同じことを繰り返さないよう求められるだろう。

 それらとまったく同じように、多くの問題を抱えるこの社会の在り方についても、「どうしてこうなってしまったんだろう」とその原因や成り立ちについて考え、改善していくことはとても重要なのではないかと、ここ数年で強く思うようになった。

 このブックレビューコラムの連載第一回目で紹介した『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』でも、著者のベル・フックスは口を酸っぱくして何度もこう言葉にしていた。フェミニズム運動の敵は「男性」ではなく「性差別」が構造化してすみずみまで行き渡った、家父長主義的な社会のことであり、性別や年齢に関係なくあらゆる人が持ちうる、性差別的な意識や言動のことである。だから、ただ男性を敵視し糾弾するのではなく、どのようにして男性は性差別的な言動を取るようになってしまうのか、ということを紐解き考えていかなければ、問題の根本的な解決には至らない、と。

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 では、どうしてこの社会に生きる男性たちは、「そう」なってしまうのか。

 その問いに、当事者である男性の立場から研究し、社会における「男性性」の成り立ちや在り方を丁寧に紐解き理解する手がかりを与えてくれるのが、『さよなら、男社会』(著:尹雄大 亜紀書房)という本だ。

『さよなら、男社会』(著:尹雄大 亜紀書房)
 インタビュアーやライターとして活躍する50代男性である著者は、ある日新幹線の車内で見ず知らずの年上の男性から、突然失礼な態度や振る舞いをされたことに強い怒りと違和感を覚える。その出来事を出発点として、この社会における「男性性」とはどのようなものであるのか、さらには自分自身やこの社会に生きる男性たちが、いつどのようにして「男性性」を身につけていったのかということを、幼少期から現在に至るまでの大小様々な日々の体験を丁寧に紐解くことによって明らかにしようと試みるのが、この本の主な内容だ。

 著者が紐解き分析する「男性性」や「男社会」の成り立ち・実態を見ていくと、それらによって女性たちが苦しめられてきたのはもちろんのこと、実は男性たち自身も、そこから利益を得てきただけでなく、自ら自分たちの首を絞め、苦しく辛い生き方を強いてきた部分もあるのではないか、と思わずにはいられなかった。

 著者の説明によれば、社会の中で男性たちが築き上げてきた関係性の在り方は、“年齢や社会的地位に基づいて優劣を決め、序列の下位の弱者を軽んじてマウントをとり、それを相手が受け入れる”といった性質のものであり、“支配者と被支配者という上下関係”である。(p.17) 男たちは、社会の中で権力や利益を手にしそれを保持し続けるためにこのような関係性やシステムを築き、そのメンバーに「男らしい」振る舞いや態度を求める。そして、そのシステムに参加し評価されなければ“負け”であり、弱者として生きていかなければならなくなると仄めかす。

 男社会の中で評価され認められるためには、常に上を目指して挑戦し続ける克己心や、所属する組織のやり方や考えに従順に従い、多少無理をしてでも上から命じられたことをやり遂げる、肉体的・精神的な強さや忍耐力が必要とされる。命じられたことに対して「できない」と言ったり弱音を吐いたりすることは、許されない「弱さ」であり、努力や根性が足りないとみなされる。見上げるか見下げるか、支配するかされるかの関係性しか築くことができないため、互いに助け合い、手を取り合って連帯することができない。

 客観的に見て、こんな関係性や価値観の中で生きていかなければならないのは、あまりにも辛く苦しいのではないだろうか。実際、ここ数年で女性たちが社会の中のさまざまな違和感の正体に気づき、性差別的な扱いの改善を求めて声を上げる姿が多く見られるようになる中で、しばしば男性たちのこんな言葉も目にするようになった。「女だけじゃなく、男だっていろいろ大変なんだ!」

 そもそもこのシステムに参加する資格を男性だけに与え、常に自分たちを権力を持てる側、支配する側に置き、女性たちを従属的で下位な存在として不当に扱ってきたことを考えると、「何を都合の良いことを言っているんだ」と怒りたくなる気持ちもある。これまでの自分たちの言動や無自覚に得てきた特権について、まずは一度立ち止まってじっくり考えてみてほしい、とも思う。しかしその一方で、女性だけでなく、男性も社会から理不尽に「男性性」を押し付けられ苦しめられてきた面があることも、また事実ではないだろうか。

 男性が「男だって辛いんだ!」と思うこと自体は、決して間違いではない。しかしそう思うのならば、非難し敵対すべきは女性やフェミニズムではなく、男にも辛い生き方や価値観を強いてきた、家父長主義的な「男社会」であるはずだ。そうだとしたら、むしろ女性やフェミニズムは、連帯して共に闘うべき仲間にすらなりうるだろう。

 ただし、そんな社会を理不尽と思い、「男だって辛いんだ!」と声を上げるのならば、これまで男であることで得てきた利益や権力、許されてきた言動、無自覚なままでいられたさまざまな性別に基づく差別や不平等の問題に、目を背けたままでいるのは許されない。

 その一方で、男社会の価値観や性質をさらに深く見ていくと、そのシステムが抱えるのは単に性差別の問題だけではないことがわかってくる。男社会は、人々から「自分で思考し感じる力」を奪い、より権力者にとって都合のいい環境を生み出していくのだ。

“男たちの間では従属の拒否は「決断できない怯懦さ」に変換されてしまう。みんながやっていることに従わないのは、重大な罪になる。なぜなら男社会のルールにおいては、「みんなと違う態度をとる」ことは権力を保持するシステムに亀裂を走らせるからだ。極めて個人的な決断は「みんな」という群れを動揺させる。なんであれ「みんなから逸脱しない」という、脆弱な意志を頑なに持つことで権力を維持できると知っている男たちからすれば、「みんな」からの承認を得ることに安心を見出さない異分子は排除されるべきなのだ。男が真っ当な男になるためには、服属を忘れてはならない” (p.56-57)

“絶えず秩序に対してイエスと言い続け、従うことを疑いもせずに生きていると、やがては心を開くことが何かわからなくなる。イエスと言い難い事柄についても飲み込み続けるとしたら、自分の身体感覚を無視するほかないからだ。そうなれば自分の気持ちを感じることもおろそかになってしまう。「権力ある人が言うのだから」とか「理屈では間違っていないのだから」と言いくるめてしまう。感覚的に「おかしい」と捉えた、最初の直感に基づく判断を信じられなくなる。” (p.71)

 男社会というシステムに参加しそこで評価されることを目指して生きていこうとすると、そこでは常に組織や自分よりも強い立場や権力を持つ人の考えや命令に従うことが求められる。仮に上のやり方に違和感を感じたとしても、異議を唱えることが許されないのであれば、次第に自分で感じたり思考したりすることをしなくなり、いつしかその力自体も弱まってしまう。さらに、“権力を保持するシステムに亀裂を走らせ”ないために内部からの批判を阻むことは、客観性や自己批判性を失うことになり、結果的にその組織(とその組織を構成するメンバー)の劣化も招くのではないだろうか。

 実際、私には、「男社会」が行くところまで行った成れの果てが、まさしく今の日本の政府であり社会であるように思えてならないのだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大とその長期化によって多くの国民の命や生活が脅かされていても、権力者である「政府」によって一番に優先されるのは、権力を持つ人たち(それは富と権力を持った政治家や大企業)の利権を守り維持することになってしまっている。

 だから、崩壊寸前である医療現場の状況や国民の反対の声を無視して強行的にオリンピックを開催するし、その結果さらに感染者が爆発的に増えても、それを“ワクチンも打たずに”(予約が取れず打てない人が大勢いる)“外を出歩いている”(在宅勤務が出来ない人も多い)若者のせいにし、十分な補償や対策も提案しないまま、国民にさらなる「自粛」を要求し、感染者には事実上の放置とも言える「自宅療養」を言い渡す。

 そんな状況になっても、政府や都は自らの対策の不十分さを絶対に認めず、オリンピックの開催も頑なに中止しない。ましてや国民の批判の目をそらし、次回の選挙で勝利して政権与党であり続けるために、オリンピックを利用することさえする。

 そこには、国民を守り、この国を良くしていこうというような理想や矜持はまったく感じられず、ただ権力を失わないことだけに執着し、責任も負わず、適切な判断もできないような、なりふり構わぬ愚かさばかりが目立つように思う。

 このまま「男社会」の在り方やルールを容認し温存していったら、もはや性差別の問題にとどまらず、権力者(政府)が権力や利益を維持し続けるために、支配される側である国民はいいように利用され、搾取され、切り捨てられるようになっていってしまうのではないだろうか。現に今、私たちは命や生活の危機に晒され続けているのだから。

 これ以上「男社会」から犠牲にされる被害者を増やさないためにも、権力者たちにこれ以上身勝手な振る舞いをさせないためにも、まずは「男社会」という、社会の中に構造化された価値観や仕組みについて知り、そして感じ、考え、判断することのできる力を自らの手に取り戻す必要があるのではないだろうか。

 今ある社会の構造や価値観を変えていく、というのは、あまりにも途方もないことに思えてしまう。しかし、著者が大人になるまでの間に、どのようにして自分が「男性」であると気づき、男性らしさを身につけていったかという過程を見ていくとわかるように、「男性性(男らしさ)」や「女性性(女らしさ)」というものは、人が元来生まれ持った性質でもなければ、何か大きくて決定的な出来事や体験があったというわけでもない。

 むしろ日々の生活の中で日常的に触れる、親や教師や友人やメディアから発せられる何気ない言動の積み重ねの中で、知らず知らずのうちに影響を受け、身につけ、それが当たり前のものであると思い込むようになってしまうものなのだ。

 だから、多くの人にとって苦しく有害である「男社会」から脱却していくためには、男性たちだけでなく女性たちもまた、自分の子どもや身の回りで接する子どもたちに、「男らしい / 女らしい」言動や考え方をするよう促してしまっていないか、他人に対して、無意識のうちに「男らしさ / 女らしさ」を求めてしまっていないかを今一度振り返り、これ以上「男社会」の構造や価値観を強化することに加担してしまわないよう、注意していかなければならない。

 一つ一つの言葉や体験の積み重ねがその人の価値観となり、そんな価値観を持った一人一人の集合体が社会であるからこそ、社会を変えていくには、一人一人の意識や価値観を地道に変えていく必要がある。まずは自分自身が気づき、意識を変え、よりよい方向へと向かう着実な一歩を踏み出していくためのきっかけとして、ぜひこの本を読むことをおすすめしたい。

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実在の事件を忠実に描いた人気韓国映画『殺人の追憶』、ポン・ジュノが劇中にちりばめた“本当の犯人”の存在

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『殺人の追憶』

 韓国現代史には「3大未解決事件」と呼ばれる凶悪な犯罪事件がある。1986年から91年まで京畿道(キョンギド)・華城(ファソン)一帯で10人の女性がレイプ・殺害された「華城連続殺人事件」、91年に5人の小学生がサンショウウオを取りに行くと家を出たあと行方不明になり、11年後に白骨化した遺体が発見された「カエル少年失踪事件(事件当初、誤ってサンショウウオではなくカエルと伝えられたため、このように呼ばれた)」、同じく91年、ソウルで男子小学生が誘拐されたが、数十回に及ぶ犯人とのやりとりにもかかわらず身代金のみを奪われて逮捕に失敗、男児が1カ月後に遺体で発見された「イ・ヒョンホ君誘拐殺害事件」である。

 韓国社会を震撼させたこれらの事件はすでに時効を過ぎているが、現在に至るまでたびたびテレビで取り上げられ、ドラマや映画のモチーフになってきた。映画化作品だけでも、華城連続殺人事件は『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督、03)、カエル少年失踪事件は『帰ってきて カエル少年』(チョ・グマン監督、92、日本未公開)『カエル少年失踪殺人事件』(イ・ギュマン監督、11)、イ・ヒョンホ君誘拐殺人事件は『あいつの声』(パク・チョンピョ監督、07)が挙げられる。未解決事件に対する国民の関心の高さが見て取れるが、これらがなぜ「未解決」なのかは、事件当時の初動捜査ミスや証拠捏造、誤認逮捕など、警察側の体制の問題や未熟な科学捜査技術なども問題だったというのが、世間一般の認識である。

 ところが2019年、突然舞い込んだ1本のニュースが韓国全体を驚愕させた。華城連続殺人事件の真犯人が特定されたというのだ。犯人の名前は「イ・チュンジェ」で、94年に義妹をレイプ・殺害した罪で逮捕、無期懲役の判決を受けて現在も服役中。最初の事件からは33年もの年月がたってついに、事件は解決を見せたのだ。すでに時効を迎えているため法的に彼の罪を問うことは不可能なものの、警察はあきらめずに唯一の手掛かりとされていたDNA捜査を続け、そのかいあって犯人特定に至った。警察側の技術や体制も、さすがに進歩していたようである。

 このニュースによって再び注目を集めたのが、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』だった。公開当時の監督のコメント「犯人は必ず捕まる」「忘れないことが犯人への懲罰になる」が再び取り上げられ、刑事役を務めたキム・サンギョンも最近「事件がようやく終わったことで、被害者や遺族が少しでも慰められることを願う」とコメントを出した。映画の再上映が相次ぎ、映画で描かれた犯行内容や犯人像がかなり実態に迫っていたことも話題となった。ちなみに真犯人は刑務所内でこの映画を見たそうだが、「別に何も感じなかった」と話したという。

 今回のコラムでは、『パラサイト 半地下の家族』でいまや韓国の国宝ともうたわれるポン・ジュノ監督の出世作となった『殺人の追憶』を取り上げ、映画と実際の事件を照らし合わせてみるとともに、映画の中で監督が描き出そうとした「韓国」についても考えてみたい。

<物語>

 1986年の京畿道・華城。田園風景の広がる田舎の用水路で、レイプ・殺害された若い女性の遺体が発見され、同様の犯行が相次いだことで一帯は恐怖に包まれる。地元警察はク・ヒボン課長(ピョン・ヒボン)のもと、刑事パク・トゥマン(ソン・ガンホ)とチョ・ヨング(キム・レハ)、そしてソウル市警からやってきたソ・テユン(キム・サンギョン)が加わり、捜査に当たることに。「勘」に頼るパク刑事と、書類などの証拠に基づき綿密な捜査を進めていくソ刑事は、ことごとく衝突する。そんな中、パクは知的障害を持つクァンホ(パク・ノシク)を容疑者として逮捕するが、現場検証で彼は犯行を否定、自白も捏造によるものだったことが判明し、ク課長は罷免される。

 後任のシン・ドンチョル課長(ソン・ジェホ)のもと、再び捜査は振り出しに。「雨の日」「赤い服を着た女性が犯行の対象」という共通点からおとり捜査を試みるも、犯行はやまず、刑事らは窮地に追い込まれていく。女性警察官のギオク(コ・ソヒ)が見つけたもうひとつの共通点から、新たな容疑者パク・ヒョンギュ(パク・へイル)が浮上するが、彼は犯行を全面否定。刑事らは動かぬ証拠を手に入れるために、最後の一手に打って出るが……。

 およそ6年間にわたる連続レイプ・殺人事件の発生から未解決のままの現在(製作当時)までの全貌に迫った内容の本作は、同事件を題材にして評判を得ていた演劇作品『私に会いに来て』(キム・グァンリム作・演出、96年に初公演)を原作にしている。舞台ではひとりの役者が複数の容疑者を演じているのに対し、ポン監督は原作の良さを生かしつつ、リアリティを強化して犯行を再構成、さらにコミカルな要素や政治的隠喩も盛り込んで、骨太なエンターテインメントに仕上げた。映画は「韓国映画史上最高のスリラー」と絶賛を博し、デビュー2作目にして520万以上の観客を動員する大ヒットを記録、今や誰もが認める国民的な俳優ソン・ガンホと、ポン・ジュノの「名コンビ誕生」を世に知らしめた作品でもある。

 それでは、実際の事件の推移と、映画の展開を具体的に見ていこう。事件は86年に4件、87年に2件、88年に2件、90年に1件、91年に1件と、合わせて10件が起きた(ただしこれは華城に限ってであり、真犯人のイ・チュンジェは、ほかにも複数の犯行を犯している)。86年に起きた4件のうち2人の遺体が用水路で発見されたこと、犠牲者が着用していたストッキングや下着が犯行に使われていたという共通点は、映画でも冒頭部分で象徴的に描かれている。また映画にも組み込まれた「赤いワンピース」という共通点は、4人目の犠牲者が赤いワンピースを着ていたことから後に「赤いワンピースの女性が狙われる」とのデマが一時広まったことに由来している。

 だが当時の警察は、最初の4件の関連性を認めず、個別の事件として捜査に当たったという。「連続殺人事件」の概念や認識がろくになかった時代だったとの説もあるが、2年後にオリンピックを控えていたこの時期、地元警察が全斗煥(チョン・ドファン)軍事政権に忖度して事件の矮小化を図ったからではないかともいわれている(オリンピックというものは、いつの時代、どの国でも、多かれ少なかれ厄介な存在だ)。全斗煥軍事政権という時代背景は、本作でもいくつもの場面でさりげなく挿入されているが、それについては後で取り上げる。

 事件が連続殺人として認められ、本格的な捜査が始まったのは87年、6人目の犠牲者が出てからであった。頼りにならない警察に対する地域住民たちの抗議や反発、メディアの報道によって世論が悪化すると、事の深刻さを認識した警察もやっと本格的に動きだしたというわけである。だが当初からのずさんな捜査のせいで、犯人逮捕につながるような証拠はほとんどなく、捜査が難航するのは必至だった。こうした背景は、映画の冒頭で子どもたちが事件現場を駆けずり回り、耕運機が犯人のものと思われる足跡を消し去る場面で風刺されている。

 警察が右往左往している間にも、犠牲者は後を絶たなかった。焦った警察は何人もの容疑者を逮捕し、拷問してウソの自白をさせたり、証拠を捏造したりと強引な捜査を繰り返した。こうした警察側の醜態はのちに明らかになり、容疑者たちは釈放、責任者は罷免されたりもした。だが容疑者とされた人々の中には、拷問の後遺症で精神を病み、線路に飛び込んで自殺した者や、拷問中の暴力で脳死状態になった者など、悲惨な結末を迎えた人も少なくない。

 容疑者の中で唯一「犯人」とされ、無期懲役の判決を受けて20年もの間収監されていた人もいる。88年、8件目の犯人として逮捕された彼は、真犯人が特定されたことで再審を請求し無罪判決を受けた。さらに驚くべきなのは、真犯人であるイ・チュンジェ自身も3度にわたって容疑者として取り調べを受けていたことである。だがその都度、血液型や足跡が一致しないことから逮捕には至らず、警察は犯人逮捕の機会を逸し続け、さらなる犠牲者を生むことになったのである。

 もうひとつ、映画のクライマックスとして描かれる事件とその容疑者についても触れておきたい。映画では90年、9人目の犠牲者となった女子中学生の殺害事件について、犯行の手口や残忍な死体損壊、DNA鑑定の不一致による釈放まで、ほぼ忠実に再現している。映画では、犯行日に必ずラジオ番組に同じ曲をリクエストしていたという手がかかりから、容疑者パク・ヒョンギュが浮上、頑として認めない彼と刑事たちの攻防、そしてDNA鑑定の結果は……という形で描かれるが、実際の容疑者も拷問によってウソの自白を強いられたとメディアに主張し、警察はまたも世論に叩かれる事態となった。

 確かな証拠を示すため、警察はDNA鑑定の手段に出たわけだが、当時の韓国警察にはDNA捜査の技術がなく、採取したDNAと容疑者のものを日本(映画ではアメリカ)の捜査機関に依頼、結果は「不一致」で容疑者釈放となるのは映画で描かれた通りである。91年、10人目の犠牲者を最後に華城での連続殺人は止まったが、翌92年、ようやく韓国でも本格的なDNA捜査が導入された。当時としては間に合わなかったものの、その後はDNAデータベースも構築、過去の未解決事件の証拠品からDNAを採取して捜査をし、さまざまな事件で逮捕された犯人たちのDNAを蓄積していった結果、今回の真犯人特定に至ったことは確かである。

 現在、事件の正式名称は華城の住民たちの要望により「イ・チュンジェ連続殺人事件」に変更されている。

 このように映画は実際の事件をかなり忠実に取り入れ、警察側の実態を正確に描いたうえで、それをスリリングにシニカルに、コミカルさも混ぜながら非常に魅力的に描き出しているわけだが、決してそれだけで終わらせないのがポン・ジュノ監督である。ここからは、事件の背景にある「全斗煥軍事独裁政権」の時代が、映画の中にどのように盛り込まれているか、監督がそこにどのようなメッセージを込めているかを考えてみたい。

 前面には出てこないものの、この事件が全斗煥政権下で起こっていることは映画の細部の描写で的確に表現されている。例えば、この地を通る全斗煥「大統領閣下」の歓送のために女学生たちが動員される場面(そこに突然大雨が降りだす描写で、新たな事件と犠牲者の予感が喚起される)、パク刑事の部下であるチョ刑事も駆り出されて暴力的にデモ隊を鎮圧する場面、また86年に起きて国民の怒りを買った「ソウル大女学生性的拷問事件」の首謀者であるムン・ギドン元刑事逮捕のニュース、そして何度も登場する「民間防衛訓練」と「灯火管制」である。北朝鮮との対立がまだまだ生々しかった当時は、学校で定期的に防衛訓練を行い、夜間の訓練時には灯火管制が敷かれたことで犯罪件数も増えたとされている。これらの場面が軍事独裁政権の暴力性や抑圧を喚起しているのはもちろん、映画全体を覆う「暗さ」や「雨」もまた、時代の雰囲気を出すために作り手側が意識的に用いている表現である。

 なかでも、キャラクターとしてこの「時代」を具現化しているのが、常に暴力を振るっているチョ刑事である。軍用ジャンパーと軍靴に身を包んだ彼は、まさに軍事政権の暴力性の象徴であり、彼はその軍靴でデモ隊を踏みにじるのである。だがそんな彼が、ケンカの最中に靴の上から釘を刺され、放置していた結果、破傷風になって足を切断する羽目になるエピソードはとりわけ隠喩に満ちている。切断手術が行われる日、病院でパク刑事に渡された同意書の日付には「1987年10月20日」と記されている。

 そう、いつの間にか映画の時間は軍事政権が実質的に倒れたあの87年6月の民主化闘争の後に移行していたのだ。軍事政権が国民に屈服し、歴史から「退場」せざるを得なくなったのと同様、この場面を最後にチョ刑事も物語から「退場」するのである。こうした演出にはどのような監督の意図があったのだろうか? 連続殺人事件と軍事政権時代が決して無関係ではないことを喚起させるためではないかと、私は思う。

 全斗煥は光州で大量虐殺を犯したにもかかわらず、国家の最高権力者になった。その後も政権維持のため、政権に反発したり抵抗したりする人々を排除し続けてきた。街から組織暴力(ヤクザ)を一掃し更生させるという建前で、実は大勢の学生運動家や反政府的なジャーナリストを強制的に入隊させ、閉鎖的な環境で好き勝手に暴力を振るった軍組織「三清教育隊」が代表的な例だ。軍事政権への抵抗を試みた罪なき人々が、どれほど連行されては殺されたことだろうか。

 私は軍隊時代、何度も軍用道路の整備に動員されたのだが、時に地中から骸骨や骨が出てきて驚いたことがある。当時の部隊長が「おそらく三清教育隊に入れられた人のものだろう」と言ったことも鮮明に覚えている。実際88年には韓国国防省が、三清教育隊によって「死亡者54名、後遺症による死亡者397名、精神障害などの障害者2,678名」が発生したと発表している。これはまさに国家権力による「連続殺人事件」だったのだ。

 薄暗い地下の取調室で容赦なく行われる暴力と、真っ暗な田舎の夜道で起きる殺人という暴力は、本質的には同じである。虐殺という暴力で権力を手にした者が、「正義社会実現」を政権のスローガンとして大々的に宣伝し、「暴力」が「正義」に化けてまかり通っていた時代。それが、この連続殺人事件の背景である。レイプと殺人で邪悪な欲望を満たしたイ・チュンジェを生み出したのは、暴力で自らの欲望を満たした権力者が支配していた韓国社会そのものではなかったか――ポン・ジュノ監督が何度もさりげなく、象徴的に時代の状況を本作の中に入れたのは、「正義」に化けたあらゆる「暴力」を我々は忘れてはならない、さもなければ(国家・個人レベルでの)「連続殺人」はいつでも起こり得るというメッセージを伝えるためではないだろうか。

 事件は終わりを告げた。だが「忘れない」こと、それが私たちの権力や暴力へのまなざしとなるだろう。

 ポン・ジュノ作品から読み取れる政治性に関しては、これまでのコラム『グエムル―漢江の怪物―』と『パラサイト 半地下の家族』も、ぜひ参照していただきたい。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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 7月24日に市村正親との離婚を発表した篠原涼子の周辺が騒がしい。離婚の背景に、13歳年下の韓国の人気アイドルとの「熱愛」があったと報じられているのだ。お相手は交際を否定しているが、ネット上ではその顔立ちが「市村正親の若いころにそっくり」と話題になっているようだ。

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Kis-My-Ft2・二階堂高嗣の“ドライビングテクニック”をファン絶賛! 「誕生日にいいもの見せてもらった」と喜びの声も

 Kis-My-Ft2の冠番組『キスマイ超BUSAIKU!?』(フジテレビ系)。8月5日深夜放送回では、抜き打ちテスト「彼女の車をスマートに激ムズ駐車」にメンバーが挑戦。狭くて障害物だらけの場所に、彼女の車をいかにスマートに駐車できるか試す内容だった。

 この日の1位を獲得したのは、普段あまり上位になることがない二階堂高嗣。実は二階堂、大の運転好きで、車に絡めた企画でこれまでも1位を取っている。今回は彼女に「駐車を代わってほしい」と頼まれ、すぐに快諾。ほかのメンバーが戸惑って叫んだり、外に出て確認したりする中、二階堂は必要以上に車を切り返すこともなく、スムーズに車を進めていた。

 また、難しいと感じたところは素直に「そっちの前大丈夫?」と彼女に確認。最終的に、運転席側を大きく空けて駐車し、「運転しやすいように右側空けておいたよ」と気遣いも見せた。駐車時間も3分8秒と早く、総合得点94点を獲得。この対応に審査員のタレント・若槻千夏は、彼女に「大丈夫?」と確認を取った点を絶賛し、二階堂も「駐車、(彼女と)一緒にやろうと思った」と意図的に聞いたことを告白。運転技術だけでなく、彼女への対応もスキルアップをアピールした。

 一方、この日の最下位となってしまったのは宮田俊哉。彼女から「駐車が怖いからお願いしていい?」と頼まれ、「オッケー!」と軽く引き受けたものの、どう考えても見えない角度にある障害物を、首を伸ばしてなんとか見ようとするなど苦戦。ハンドルを切る向きが逆でぶつかってしまいそうになる場面もあり、スタジオは「危ない!」「なんでそっち切ったの!?」と騒然としていた。

 しかし、宮田は「言うと焦っちゃうのよ!」とVTRの自分をフォロー。途中で車外に出て「狭いって、ここ!」と彼女への文句が飛び出しただけでなく、「んだば」「んだば、OK」と謎の言葉を連発。すっかり笑顔は消えて真顔になり、最終的には障害物に車をぶつけてしまう始末。駐車が終わり、彼女に「どうだった?」と聞かれて「ちょろいもんだよ」と答えていたが、駐車にかかった時間は6分4秒という結果に。総合得点は15点で、ぶっちぎりの最下位だった。

 なお、放送翌日の6日は二階堂の誕生日だったこともあり、ファンはネット上で「ニカちゃんのドラテクは間違いない! 誕生日にいいもの見せてもらった」「『キスブサ』公式からのプレゼント回だった!」「誕生日にかっこいい姿見られてうれしい〜!」といった喜びの声が集まっていた。

1位はSexy Zone・佐藤勝利、美 少年・浮所&那須コンビが2位! なにわ男子もランクイン、ジャニーズ生写真売り上げ【2021年7月トップ5】

ジャニーズの生写真を販売するショップが多く軒を連ねる原宿・竹下通り。常時入荷される新作写真の数々はうれしい半面、お気に入りを厳選するのは一苦労ですよね。そこでサイゾーウーマンが独自に生写真人気ランキングをリサーチ! 7月の人気ジャニーズ写真の1〜5位を紹介していきます☆

過去のランキングはこちら

<2021年7月のランキング

【1位】Sexy Zone・佐藤勝利
【2位】美 少年・那須雄登、浮所飛貴(ジャニーズJr.)
【3位】美 少年・浮所飛貴(ジャニーズJr.)
【4位】Sexy Zone・佐藤勝利
【5位】なにわ男子(ジャニーズJr.)