『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。
おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第3回 久保田美樹さん(仮名・37)の話(後編)
前編はこちら

「息子と名古屋の実家に帰って、1年間暮らしました。ところが、調停の結果、息子は夫の元へ行くことが決まり、離ればなれ。今は、息子に毎日弁当を届けられるよう、近くに引っ越そうと思っています」
久保田美樹さん(仮名・37)は、つらい話なのに、気丈な様子で、明るく言った。彼女はなぜ、息子と離ればなれになったのか? そもそもなぜ、実家へ連れ去ったのか? 後編は、子連れ別居を経て、一転、息子と別れ、ひとりきりになった経緯、そして、ひとりの女性として立ち直るまでを記す。明るく話す彼女の夢とは何なのか?
実家に帰ったものの、夫が警察官を伴って現れる
――14年の2月、小学4年生の息子さんを連れて、名古屋の実家に帰ってからのことを聞かせてください。
母と下の妹が住んでいる実家に身を寄せました。母は喜んでくれたんですが、下の妹と息子がぶつかってしまいました。妹は息子に対して、「なんで私が我慢しなきゃならないのよ!」って不満をぶつけてしまって。そんなわけで、家の中でもあまり安心できなかった。
――いきなり2人引っ越してきたら、狭くなるので、親族といってももめるでしょうね。美樹さんは、どうだったんですか?
名古屋に帰ってきたとき、私はかなり精神的に参っていました。働くことができず、ずっと家で過ごしていました。病院に行って診てもらえばよかったんですが、そんな気にならなくて、ずっと実家で休んでいました。
――自宅には、どのぐらいいたんですか?
半年です。すぐに息子の転校手続きをして、新学期から名古屋の小学校に通わせていました。
――ということは、東京に戻ってよりを戻すつもりは、もはやなかったということですね。
はい。私自身が子どもと離れるつもりがまったくなかったし、私ひとりだけで実家に帰るということは絶対にしたくなかったんです。それに尽きます。私ひとりだけで家を出たら、もう二度と子どもと会えなくなるって思っていたんです。周りの人たちからも「今、手を離したら、一生会えないよ」って言われていましたし。
――なるほど。では、子どもと会えなくなった夫は、どうしたんですか?
春休みが終わって1カ月ほどがたったゴールデンウィークの時期に、警察官を伴ってやってきて、「これは連れ去りだ!! いつ息子を返してくれるんだ!!」と言って、すごく怒っていました。
――子どもを連れていかれた男性のつらさ、僕自身は共感します。
女のことがバレて、両家で話し合いになったんです。なのに、私の人格がどうとか、話をすり替えて正当化して、私だけ家を追い出して、子どもと引き離そうとしたんですよ。
――なるほど……。それで、その後は?
扉越しに警察官の方と、「これからどうするのか」という話をしました。私からは夫に、「ランドセルを送ってください」と伝えましたね。まあ警察の人がいたので、私も冷静に話してたんですけど。それからしばらくして、調停を起こされました。
――夫は、何の調停を起こしたのでしょうか?
そのときは離婚を争っていなくて、どちらが育てるかという監護権と面会交流をどうするかという話し合いをしました。その間に私と息子は実家を離れ、2人でアパートに住むようになりました。息子と妹が不仲だったし、私も働けるぐらいの元気さを取り戻したんです。実家に来て半年後のことです。物件は、パート勤めのシングルマザーでも入れるアパートで、息子の小学校の近くでした。接骨院の受付と、引越センターの梱包作業と、ハンバーガーチェーン店の3つの仕事を掛け持ちして育てました。
――子どもを夫に会わせていた? または、会いに行ったりしたのですか?
そのうち、月1回のペースで夫に面会交流をさせるようになりました。子どもを新幹線に乗せて東京に送り出したり、逆に向こうが来たりもしました。そのときのやりとりは、お互い事務的でした。感情を込めずに、敬語でやっていましたから。彼は金銭的にきつかったと思いますよ。私は法テラスだったのでそんなにかかっていませんが、夫は弁護士を立てていました。おそらく100万円ぐらいはかかったんじゃないでしょうか。調停が行われる日は、仕事を休まなきゃいけないですし。
――調停は、どのように進んだのですか?
親として自分がいかにふさわしいかを主張し合いました。夫の主張は理路整然としていました。「両親のサポートはあるし、家も近い。正社員として働いているので、収入的には問題ない。子どもが戻ってきたら、残業しなくても帰れるような部署に、会社に移してもらう」といった感じです。
その点、私は主張が弱かった。実家で一緒に同居していればよかったのに、子どもと2人暮らしということがマイナスにとられました。パートを掛け持ちしてもカツカツだということ。息子は家で留守番できる子ではありましたけど、ずっとゲームばかりしていた。そのこともマイナスだと判断されました。なので、掛け持ちをやめ、息子が小学校に行っている間に働ける昼間の事務に転職しましたが、タイミングが遅くて反映されず、そのまま、結審してしまいました。
――夫は調停においても理詰めだったんでしょう。とすると、美樹さんが、わーっと激高してつかみかかったときや、類似の出来事の詳細を、それぞれ証拠として提出したんでしょうね。
そうだと思います。
――調停が結審したのはいつですか?
15年5月です。育てる親として夫がふさわしいという判断が下され、息子の引き渡しが命じられてしまい、私は突然ひとりになってしまいました。監護権の調停で、母親としてやってきたことを全然主張できなくて、家裁の判断に母親としての頑張りが加味されなかったと思うと、いまだにちょっと涙目です。
――その後は、どうされたんですか?
息子がいないのに、名古屋に住み続けるのは意味がないですからね。すぐに戻りたかった。だけど、仕事とかアパートの契約とか。東京での住む場所とか。いろいろと問題があったので、元いたS区に移るまでに4カ月かかりました。それまでは、私が東京に通って息子に会いに行きました。新幹線だとお金がかかるので、その間はリースした車で往復していました。
――その後、東京に戻ったんですね。
そうです。もともと住んでいたS区にシングルマザーが入れるシェアハウスがありまして、そこの運営者が「一部屋空いてるから、住んでみない?」と誘ってくれたんです。本来はシングルマザーのみの物件だったんですが、ありがたいことに、運営者に優遇していただきました。名古屋で働いていた引越センターとハンバーガーチェーン店も、都内への引っ越しを認めてくれて、引き続き働けるという話が通ったところで、東京に戻りました。子どもがいなくなってから4カ月後のことでした。
――ひとりきりの生活、つらかったんじゃないですか?
確かに意気消沈はしました。どん底でした。でも、シェアハウスの仲間や、子どもが幼児だった頃に仲良くしてくれた友人たちに支えられたんです。落ち込んでいる私を見かねたのか、皇居ランに誘ってくれた友人がいて、走り始めたことで、心も体も不思議と安定していったんです。
こうして、自分ひとりで立って生きていけるようになったのは、別居してひとりになって、再び上京してからです。私にとって第二の人生のスタートでした。
――そこまで達観されたんですね。素晴らしい。
あの時期のことをいま振り返ると、自分にとって必要だったって思うんです。たくさんの人たちに支えられたり、自分自身のことをひとりきりで見つめ直したりしました。だからこそ、今、人や社会、そして自然が自分の命の根っことつながっているんだという実感を持てているんです。昔のように、私は必要がない人間だと、卑下したりしません。
――なるほど。では当時のことに話を戻しますね。その後、法的には、いろいろ確定したんですか?
離婚は調停ではないですが、決まりました。面会の条件や養育費について、取り決めをしたわけではないです。といいますか、気持ち的には、こちらが慰謝料をもらいたいくらい。実際に取れないのはわかっているのですが……。
――夫側は美樹さんに対して養育費の支払いを免除した上に、息子と会わせる機会を作ってくれているんですね。
元夫は私に会わせる機会を作ってくれているというんじゃなくて、邪魔しないだけ。なので、「会わせてくれてありがとう」という感謝ではなくて、邪魔しないでくれてありがたいなぁという感じです(笑)。
――息子さんとの関係は?
上京した直後は、毎週水曜に息子とデートしていました。小さい頃から連れて行っていた、なじみの喫茶店で、お茶して近況を聞いたり、「ブレスレットが欲しい」と言われて、ビーズを買ってきて作ってプレゼントしたりしました。あとは、たくさん書き込めるスケジュール帳をプレゼントしたりもしていましたね。息子は、そのスケジュール帳を使ってくれました。家族の誕生日とか予定とかをせっせと書き込んだり、月や季節に合ったイラストを描いたりしてくれました。
――それ以降、息子さんとはどのぐらいの頻度で会っていますか?
しばらくは、月1回のペースで会っていました。中学に入って以降、息子は部活とかでいろいろ忙しくなってしまって。今は3カ月に1回ほどですかね。LINEでつながっていて、日常的にやりとりしていますけどね。息子はもう高校生。ママとは呼んでくれているけど、今や友達のような関係になりつつあります。21歳で産んで、年齢差がそんなにないので。
――高校生になった息子さんに、これだけはしてあげたいといったことはありますか?
もう少し近くの、キッチンがもう少し立派な物件に引っ越して、息子のお弁当を毎日作って届けたいです。家が近ければ、便利だからってことで私のところにも息子が寄ってくれるだろうし、そうやって行き来してくれたらいいなって思ってます。
――今後やっていきたいことや目標ってありますか?
将来的にですね、シングルマザーのシェアハウスを作りたいなと思ってます。お母さんをひとりにさせない、孤独にさせないっていうことが大事だと思っていて。もちろんひとりになる時間も大事なんですけど、いろんなサポートとつながるように。シングルマザーのほかにも、貧困女性とか児童養護施設出身の人とか、女性限定でもいろんな人の拠り所のようなところになればいいなと。
――それは、ご自身のつらい経験があったからですよね?
そうです。特に調停後の、ひとりきりになった時期があったからこそ、孤独な母親に手を差し伸べたいんです。孤独な母親や困っている女性たちにとって、安心安全な居場所を提供してあげたい。「誰がなんと言おうと、私はあなたの味方だよ」というスタンスの居場所づくりをしていけたらいいなぁ。愛の波動で、プラスな輪を広げていきたいなぁって思っています。
(西牟田靖)