こんにちは、保安員の澄江です。
ここのところ新型コロナウイルス感染拡大の予防措置と称して、関東近県では警備や店内販売員(商品の試食や試飲などを勧める人のこと)の出入りを抑制する動きが各商業施設において広がりをみせており、希望通りの稼働日数をいただけないことが増えてきました。度重なる緊急事態宣言の発令により、ほとんどの現場がキャンセルされ、まるで失業してしまったような気分です。体力に自信はあるものの、現在の社会状況や自分の年齢を考えると新たな仕事先を探すことは難しく、わずかな年金を支えに耐え凌ぐほかありません。現役で働けていることだけでもありがたい。そう思いつつ部屋にこもり、衣替えをしながら断捨離をしていると、現場で愛用していた変装セットが入った袋が出てきました。
(わあ、懐かしい)
袋の中身を取り出してみると、いくつかのメガネや帽子といった定番の変装道具をはじめ、マスク、眼帯、エプロン、割烹着、作業服、飲料メーカーのロゴ入りジャンパーなどが、次々と出てきます。これらを愛用していたのは、かれこれ20年以上も前のことですが、その一つひとつに想い出があり、さまざまな記憶がよみがえってきました。
今回は、保安員の変装について、お話したいと思います。
当日の現場は、食品スーパーY。都内ではあるものの、駅からバスで行くしかない住宅街の一角にある小規模チェーンのスーパーマーケットです。小さいながらもレイアウトが悪く、多くの常習者を抱えているお店で、ここ2カ月ほど毎日のように通い詰めた結果、相当数の常習者を捕捉することができました。そのほとんどが地域住民のため、警察を呼ぶことなく商品を買い取らせて、出入禁止の誓約書を差し出させてコトを済ませている状況です。家の近くにある便利な店だから、来ないわけにもいかないのでしょう。その約束を守る人は少なく、1週間もしないうちに素知らぬ顔で再来店してくる人ばかり。長期間にわたって同じ現場に入れば、常習者の把握ができる半面、こちらの顔を常習者に覚えられることにもなるのです。
(あの人、また来てる……)
この日も、数日前に捕まえた女性が、何食わぬ顔で店内に入ってきました。入店すると、大きく店内を1周して、私の姿を探しているような感じにみえます。一度捕らえた人をあらためて追尾するには、変装するほかありません。早々に化粧室に駆け込んで帽子を被り、眼鏡をかけ、マスクをつけてから売場に戻ります。
(やっぱり、私のことを探しているみたい)
売場に戻ると、件の女性が、チラチラと周囲を警戒しながら店内を歩いていました。この店には2度と立ち入らない。前回の捕捉時に交わした誓約を破っていることで、周囲を気にしているのなら理解できますが、その挙動は目を離せないほど怪しいレベルです。追尾中、一度すれ違ってしまったものの、顔を見られないよう背を向けたこともあって気付かれた気配はありません。自分の変装に自信を深めて、少し積極的に彼女の行動を見守ると、まもなく着手に至り、いくつかの生鮮食品をバッグに隠しました。安価でかさばる葉物野菜などの精算だけを済ませて、何度も後方を振り返りながら店の外に出た女性に、そっと忍び寄って声をかけます。
「こんにちは」
「キャーッ!」
おそらくは、極度に緊張していたのでしょう。後方から声をかけると同時に、驚きのあまり悲鳴を上げた彼女は、その場に尻餅をつきました。床にお尻をつけたまま、恐怖の表情を浮かべて、私から逃れるように手で後ずさりしています。
「大丈夫だから、落ち着いて。私のこと、わかりますよね?」
マスクを取って顔を見せると、しばし呆然とした女は、下唇を噛んで顔を背けました。
「また事務所に来てもらわないといけないんですけど、立てますか?」
「……ごめんなさい」
この店の事務所は、隣の建物の3階にあります。手を差し延べて立たせて、これ以上ないくらいの重い足取りで歩を進める女の手を引きながら商品搬入口を経てエレベータに乗り込むと、タイミングよく店長も乗り込んできました。
「あれ? なんか見覚えのある人だなあ」
「はい。ちょっと前に連れてきた人が、また……」
「はあ? 出入禁止なのに、また来てやったのかよ。どうしようもねえなあ」
応接室のベンチに座ってもらい、顔を上げられないでいる女に隠したものを出すよう促すと、いくらや天然まぐろの刺身、ローストビーフ、カマンベールチーズといった高級食材がバッグから出てきました。なにを聞いても顔を背けて答えないので、前回の記録をファイルから引っ張り出して、新たな報告書に転載します。それによれば、店と同じ町内会に所属する女は34歳。前回の犯行は、およそ2週間前のことで、その時にはホタテの刺身や和牛ステーキ肉、それに高級ワインを盗んでいました。被害品から察するに、高級志向の人のようで、その暮らしぶりが気になります。
「なんだ、あんた。いいものばかり盗んで、まったく反省してないってことだな。申し訳ないけど、今日は警察呼ぶよ」
「え? 警察だけは、すみません。あたし、離婚されちゃう!」
ようやくに顔を上げて、涙ながらに懇願する女に構うことなく、店長は受話器を上げて通報を始めました。居ても立っても居られないといった様子で立ち上がった女は、店長の周りをウロウロして、話しかけるタイミングを窺っているようです。
「万引きです……」
電話口に向かって店長が話し始めた瞬間、その周りを落ち着きなく歩き回っていた女が、事務所の窓に向かって突然に走り始めました。
「危ない!」
あろうことか、そのまま窓を飛び越えて転落したので、あわてて外の状況を確認します。すると、地面に横たわり、痛そうに腰を押さえる彼女の姿がありました。どうやらお尻から落ちたようで、うまく起き上がれないようです。ひどく狼狽しながら電話口の警察官に事情を説明する店長に、救急車も呼ぶようお願いしてから、全速力で彼女の許に駆け付けました。
「あんた、なにやってんのよ! あんな高いところから飛び降りたら、死んじゃうわよ!」
どうやら相当のダメージを負ったらしい女は、声をかけても応じることなく、強く目を閉じたまま呻いています。すると通報を終えたらしい店長が、3階の窓から顔を出して、彼女の状況を尋ねてきました。
「命は、大丈夫そう?」
「はい、いまのところ」
気がつけば、周囲は10人前後の野次馬に囲まれており、好き勝手にさまざまな臆測を口にしています。近所に住む方なので、なるべく顔を見られないよう女のそばにしゃがんで、励ましの言葉をかけつつ救急車の到着を待ちました。
「あの人、腰椎を骨折していて、しばらくは歩けないって」
女が病院に搬送された後、店長と一緒に、女に対する加害行為がないことを証明するための実況見分をしていると担当刑事が言いました。
「あの人の旦那さん、すごく厳しい人らしくてさ。万引きしたことを知られるくらいならって、衝動的に飛び降りちゃったみたい」
「逃げるつもりじゃなく、死ぬつもりだったんですか? そんなに旦那さんが恐いなら、万引きなんてしなきゃいいのに」
「そういうストレスが原因なのかもしれないねえ。いずれにせよ、死なれなくてよかった」「ええ、本当に」
これを最後に、彼女の姿を見かけることはなくなり、その消息は知れません。無事に歩けるようになって、旦那さんと仲良く過ごされていることを願うばかりです。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)
【監修・伊東ゆうからの告知】
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