現在放送中のNHK連続テレビ小説『おちょやん』。ヒロインの千代は、喜劇女優の浪花千栄子さんをモデルとしていて、夫の天海一平も劇作家の渋谷天外が元となっています。そんなドラマの登場人物の“本当の話”を、『あたらしい「源氏物語」の教科書』(イースト・プレス)などの著作を持つ歴史エッセイストの堀江宏樹氏が解説!
灯子こと九重京子から見た不倫劇
一平・千代夫妻の離婚によって、ますます大変なことになってしまった『おちょやん』。前回までは千代のモデル、浪花千栄子の目線から、天海一平こと渋谷天外の不倫騒動を見てきましたが、今回は浪花から渋谷を奪った側、つまり問題の新人女優・朝比奈灯子(実在の女優・九重京子がモデル)の側から見た不倫劇の物語です。
「松竹新喜劇」の看板俳優にして脚本家。舞台がハネれば酒、バクチ、女……千代いわく「男をおかしくする」3つの要素すべてに耽溺する生活を送っていたのが、渋谷天外でした。
妻・浪花千栄子は、「役者の女房」として、耐える一方の日々だったと主張していますが、渋谷は晩年、主治医だった松本謙二医師に「気の強い女だけは絶対やめときなはれ、後でもめる(=揉める)」と、妻選びのアドバイスをしています。
これは浪花千栄子への当てつけですね。それでは浪花の次に渋谷の妻となった九重京子にとって、渋谷と浪花の夫婦はどう見えていたのでしょう?
その話の前に、九重京子こと、渋谷喜久恵の人生を振り返ってみることにします。
喜久恵は大正10年10月1日、大阪市生まれ。母の仕事は産婆で、意中の男性との結婚を反対されたので、相手の子供だけ妊娠して、それでサヨナラするという、当時としてはなかなか大胆な選択をした女性だったそうです。そしてこの時に生まれ、シングルマザーの家庭で育ったのが、喜久恵でした。
小学校卒業後の喜久恵は、名門・宝塚音楽歌劇学校に入ることになりました。しかし、大阪市内の自宅からは通うのに遠すぎるという理由で、宝塚を退学、大阪松竹歌劇団(OSK)で学び直すことになります。
OSKも宝塚と同じように女性だけの劇団で、当時は「洋舞のOSK、日舞の宝塚」などと並び称されていたそうです。戦後の宝塚にはヨーロッパを舞台にした『ベルばら』などの作品で大人気を得たイメージがありますから、「日舞の宝塚」という戦前の評価は興味深いものです。
そしてOSKの男役女優としてデビューしたときの芸名が、九重京子です。昭和22年にOSKを退団した後も松竹芸能に所属し続けたので、芸名はそのままでした。
大阪だけでなく、東京でも歌謡ショーの舞台をこなしたそうで、若き日の森光子とも共演したそうです。森光子の歌といえば……、晩年の彼女が、かぼそい声、少々あやしい音程、うつろな瞳で歌っていたのを思い出す読者もいるかもしれません。本当に歌手でもあった頃の森光子を知るのが、九重京子だったという話です。
少々脱線しましたが、渋谷天外と九重が出会ったのは偶然でした。OSKのキャリアの延長では九重の将来は行き詰まったと見た松竹芸能社長の意向で、新しい路線が模索され、松竹新喜劇の仕事が彼女に割り振られたようです。
ドラマでは九重をモデルにした朝比奈灯子(小西はるさん)は、最初から松竹新喜劇の大ファンでしたが、史実の九重は新喜劇女優になることがイヤだったようで、社長から今後の方針と渋谷を紹介されたときも、ほとんど上の空でした。
後に夫となる渋谷天外の第一印象も、「着物、袴で薄汚れた人」というだけでした。実際、渋谷天外は風呂嫌いで有名で、入浴は1カ月に数回程度だったそうです。
それでも九重の入団は決まりました。そしてOSK出身の“お嬢様女優”の九重を、新喜劇のメンバーたち(とくに男性陣)は大歓迎です。ある男性メンバーは、「(九重は)やせ型で、きれいで、はっきり言って、僕ら好きだったですね。お酒も強かった」などと当時を振り返っています。
本人も新喜劇の舞台をこなすほどに、渋谷天外の舞台に立つ喜びを感じるようになり、「入団して一年、なんとか皆さんについていけるようになり」、渋谷たち幹部俳優から、「食事にも連れて」いってもらうことが増え、劇団生活を楽しみはじめます。渋谷に意識されたのもこの頃でしょう。
渋谷は、こういうセリフで九重を口説いたそうです。
「今の僕は仕事をしたい。本を書きたい。そして家庭というやすらぎの場を持ちたい。今の女房(=浪花千栄子)は、とても僕には荷重なんや」(九重の回想録『思い出の記』、『渋谷天外伝』内)
妻が女優だと、脚本家として良い本を書くのに支障が出るという理屈はおかしいですし、論理的でもありません。
しかし、前回のコラムでもお話したように、浪花千栄子は、実際は松竹新喜劇にお客を呼べる劇団のスター女優として君臨していながらも、渋谷から与えられる役に対する不満を隠そうともしていません。浪花の自伝『水のように』でも、そして週刊誌や新聞での彼女のコラムでも、渋谷の妻として過ごしていた浪花が、劇団内でいかに低く扱われたかに対し、不満を垂れ流しつづけています。
渋谷の心が、浪花から完全に離れてしまったのは、「女優としてさらに輝きたい!」という浪花の向上心、悪く言えば野心が、脚本家としての渋谷には重荷であった。そして、そんな女優を妻として持つことに、夫として疲れはててしまったというのが本当の原因だと思われます。
ちなみに渋谷が晩年、体調を崩して入院していた頃の言葉に次のようなものがあります。
「気の強い女だけは絶対やめときなはれ、後でもめる」
絶対に浪花のことを指している一方、彼女の「気の強さ」が、渋谷の家庭生活から「やすらぎ」を奪っていたのでしょう。
九重は、渋谷との関係を持つ前の気持ちとして、こういう証言もしています。
「浪花さんとは子供さんも出来なかったし、女優さんでは十分な家庭生活を味わえなかったらしい。私は、この人(渋谷)にもっと良い仕事をしてもらいたいと思った。暮れも押し詰まったある日、皆さんと食事しての帰り、『僕のために女優をやめてくれないか』と言われた。一瞬どきりとしたが、『よろしおまっせ』と言ってしまった。『ほんまやな、おおきに』と喜んでくれた」
2人がさらに抜き差しならない関係になったのは、こんな出来事があったからだそうです。
「(ある)雨の降る夜、我が家で(九重が一人で)食事をしていたら、雨にぬれて玄関に(渋谷が)立っているので、驚いて中に入れた(略)。『もう家には帰らへんで、ここに置いてや』と(渋谷は)言った。それからは、毎日の楽屋の出入りは別々にしたりしていたが、私に子供が出来たので、舞台をやめることにした」
九重は、渋谷に従順で、流されるままのように見えます。浪花は当初、離婚に難色を示してしましたが、渋谷は離婚を断行。一方、離婚しているのに九重とは約8年間も事実婚を続け、その間に彼女は渋谷の子を二人も生んでいますが、そんな扱いにも九重は耐えました。しかし……彼女は従順なようでいて、非常に「したたか」なんですね。
たとえば、渋谷の浮気を「役者の女房」として認める一方、「金でなんとかなるプロの女性以外に手をださないで」「子供はヨソで作らないで」の2点は絶対に守るように渋谷に約束させることは忘れませんでした。九重は、男性操縦にかけて、浪花の比ではないくらいに達者だったことがわかります。
看板女優だった浪花千栄子が去った後の松竹新喜劇は、一時的に低迷しますが、すぐに多くの新人スター女優を輩出。セールス面で大きな成長を遂げ、渋谷の財力は豪邸をポンと買えるまでになります。そして、浪花という長年の妻を捨てたことに対する世間の関心が低くなったと判断した約8年後、渋谷は九重と正式に結婚しています。
こうして九重は名実ともに二代目・渋谷天外夫人、渋谷喜久恵として豪邸に君臨する存在となったのでした。
「女優」としては浪花に負けた喜久恵夫人ですが、「女」としては浪花に勝ったといえるかもしれません。いや、「健気な女」の役を長年、演じつづけるだけの胆力を備えた喜久恵夫人、女優としても相当にすごかったのではないか、と思ってしまう逸話の数々でした。